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先日、ロンドンの南東部でトルコ人とクルド人のティーンエイジャーグループ同士の大きな争いがあり負傷者が出たと新聞に報じられていました。トルコ国内の民族争いは昔から問題ですが、それがロンドンで起きるというのは、やっぱり人種の坩堝の街だなぁと思いました。でも、ちょっと笑ってしまったのが(不謹慎ですが)、新聞の記述にトルコ人のティーンエイジャーは皆、大工のボブ(イギリスの4,5歳の子供に人気のキャラクター)の帽子を、そしてクルド人のティーエイジャーが皆、機関車トーマスの帽子をかぶっていた、とあったことです。なんか怖くないなぁ。ちょっと違うけど日本の暴走族ってもっと怖いよなぁさて、次のコメントを前回頂きました。でも自分の気持ちに正直に生きるとしたら、例え離婚して他の人と結婚しても、またしっくりこなかったら、自分の本当の気持ちを大切にして、また離婚するということもあり得ると言うことですよね? そして2度目の男性の間にも子供ができ、3度目に移行するなら、異父兄弟が次々できても、「それがお母さんの本当の気もちだったから」と成長した子供に伝えるわけなのでしょうか?文章を読んだ限り、おそらく想像上の仮定として、もしこういう場合だったら、どうなのでしょう?という疑問なのだと受け取りました。この疑問が出る背景は、“えっ、でも自分の本心に正直であれば、なんでもありなの?”という思いがあるのかもしれませんね。私の推測が間違っているかもしれませんが、いずれにせよこのような疑問が出るのは、頭で理解しようとしているからだと思うのです。ということで、疑問にはお答えせず、書きたいことを書かせていただきますね。というのも、スピリチュアル系、自己啓発系の本を頭で読んで、頭で理解し、頭で納得しようとしている人がとても多いなぁと感じるからです。つまり、書いてある内容がぜんぶ頭に行ってしまうんですね。頭のなかでいろいろ想定し、理解しようとしてしまう。ところが、一番大切なのは、心と体で理解することです。例えば、前回のテーマの「自分の本心に正直になる」ということは、まず本心(=魂の声=ハートトーク)をしっかりキャッチしないと、それに正直になりようがないですね。ところが、ハートトークをしっかりつかむのはけっこう難しいです。これも多くの方が経験しているかなと思います。なぜなら、私の拙書「やりたいことがみつかる~」に書いてありますがエゴトーク、つまり自分の中の欠けた感情から出てくる欲望と、魂が望んでいることの違いが私たちはよく分からなくなったりするからです。(この違いについては、P121以降をご参照ください。)ですから、私はどうありたいの? どう生きたいの? 私はほんとうに子供達に何を示したいの?と自分と向き合って、真剣に問い始めれば、そのとたん、自分の癒されていない部分や不安などからくるエゴトークなどいろいろな思いや感情も、どっと自分の中にあふれてくるでしょう。それらの思いや感情と向き合い、過去の傷を癒したり、ネガティブな思いを解放したりしながら、なおかつ私はどうありたいの?と問い続け、自分がほんとうに望んでいることを見つける。あぁ、これが私の望みなんだ。これが私らしい生きかたなんだ。それが分かったとき、平和な感じ、ほっとした感じ、肩の荷がおりた感じ、落ち着いた感じ、嬉しい感じ、人それぞれ感じるものは違うでしょうが、感じるものがあるでしょう。(その瞬間に、即効エゴトークに覆われなければ)そして、その私らしい生きかたに正直に生きるという行動を取ったとき、はじめてこの意味がどういうことか心と体で理解できるはずですね。つまり、頭のレベルの理解ではなく、魂のレベルの理解になるのです。そして魂のレベルで理解できたとき、自然と魂としての自分を思い出してきます。あぁ、これが私のあるべき姿で、これで良いんだという感覚が深いところから確信として体に感じられるでしょう。そして、魂である自分が思い出せれば、自然と自分が宇宙とつながっているということが、頭でなく感覚として分かってくるでしょう。そうなれば、不安や恐れは勝手にぐっと減ってくるのです。こういう生きかたをしている人の「これが私の本心なの」という言葉は、重みがぜんぜん違います。また聞いたほうもとてもポジティブなものを感じるでしょう。が、頭だけで理解しようとすると、このへんの違いはどうしても見えてこないでしょう。で、私がおすすめなのは、本に書いてあること、ブログで読んだことになるほどと納得したり、そうかな?と疑問に思ったりしたら、まず実行してみるということです。この場合でしたら、自分はハートトークが聞けている? それに正直に生きている?とまず振り返ってみることが最初の一歩ですね。ただ、私の本やブログを読んでくださっている方々は、真剣に実行している人、取り組んでいる人もとても多いなぁと感じ、心から嬉しくも思っております。が、一応ハートトークで生きているか、エゴから出た感情で生きているかの違いを書かせてください。まず前者は不安や恐れが少なく、自分に快適で、幸福感があります。後者は、不安や恐れが支配していて、自分に自信がなかったり、混乱していて、幸福感が薄いでしょう。もし、自分があっ、私後者だと思ったら、グッドニュースは、1)そう思うのはあなただけじゃない、2)エゴトークは自家製なので自分で解できる、です。(*^。^*)今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月30日
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やりたいことが見つからないというコメントを頂きましたが、ぜひ拙書「やりたいことが見つかるスピリチュアル・マップ」を読んでくださいね~。さて、下記のコメントを頂きました。私は現在結婚していて10代の子どもが2人おりますが、魂の声にしたがうなら離婚して、好きなお友達のところに行きたいという想いがあります。不倫をしたりしてるわけじゃなくて、本当のお友達なのですが、でも、それは私以外の周りの人たちを悲しませてしまうのでするべきじゃないと諦めています。本当の幸せはどちらなのかといつも悩んでしまいます。お子さんがいらっしゃって離婚するというのは、かなりの決断とエネルギーがいることですね。「私以外の周りの人たち」が誰なのかが分かりませんので、間違っているかもしれませんが、一応旦那様とお子様たちと考えてみますね。自分ではっきりと魂の声が聞こえているけど、それに従うと誰かを悲しませたり、迷惑をかけたりしてしまう場合、どうしたら良いのか?これから書くことは、こうしろあぁしろということではありませんので、そう思って読んで頂けたらと思います。自分の本心が疑いのないぐらいはっきりしているのに、こうすれば明らかに自分はもっといきいきと生きられるのに、~~を悲しませるから、できない。これはまだ表面に見えている部分だけですね。もう一つ深い水面下で何が起きているか見てみると、自分の本心に反した行動を取っているということは、自分にウソをついているということですね。自分にウソをついているということは、一緒に住んでいる旦那さんにもお子さんたちにもみんなにウソをついていることです。旦那様からすれば、妻に「本当はあなたと暮らしたくないのよ。でも、悲しませるから一緒に住めるふりをするわ」という思いを持たれたままでいるということです。旦那様がその思いを知っているのかどうか私には分かりませんが、いずれにせよ、そういう思いを持っている人と一緒にいることが幸せなのかどうか。もし、知らないでいたら、知ったときにどんな気持ちになるでしょう。(必ず分かりますから)ほんとうの意味ではどっちのほうが悲しいことなのでしょう?また、将来お子様たちに「本当は離婚したかったけど、あなたたちのためにしなかった」ともし言うようなことがあったら(子供が自分にはむかってきたり、反抗的な態度を取ってきたら、つい言ってしまうかもしれませんね。)、子供たちはそこで何を学ぶでしょう?子供たちはそれを聞いて母の愛を感じるでしょうか?それとも負担を感じるでしょうか?そう言わなかったとしても、子供たちの前でずっと仲の良い夫婦を演じきることができるでしょうか? これが夫婦の愛ですよと見せることができるでしょうか? (子供たちはとっくに不和に気がついていると思いますが)できないのなら、子供たちはまたそこで何を学ぶでしょう? 愛とは犠牲や妥協を含むものだ、人生とは自分の思いのままで生きられないものだと学ぶでしょうか? それともなにでしょう?そして、子供たちに何を教えてあげたいでしょうか?自分の気持ちに正直であること、ウソや矛盾がないこと、幸せになるためにほんとうに必要なこと? それとも、他人のために自分の本心をだますこと? 自分は何を子供たちにしめしたい?そして、私はどんな自分でありたいのでしょう? ウソを生きてそれで本当に良いの?自分の人生とそして周りの人の人生を考えると、とても大切な質問だと思います。もし悩まれるなら、このレベルでじっくり考えてみると良いかもしれませんね。(注:これらにあげた疑問は、決してほら良くないでしょというニュアンスの疑問形ではなく、真剣にどうだろう?と自分に尋ねて欲しい疑問です。)誰もまったく傷つかないということなないかもしれません。しかし、ウソは傷を広げますが、正直さは、傷を癒していきます。「ほんとうは~~したいけど、~~が悲しむから」と、自分の本心を曲げたり、隠したりすることは、ある意味簡単なので私たちはよくとりがちですね。しかし、ほんとうに起きていることは、自分にも関わる人にもウソをついているということです。そして、ウソは不安で、正直さは愛です。シェークスピアのなにかの戯曲で、「自分に正直でありなさい。そうすれば、太陽が東から昇って西に沈むように、自然と誰にでも正直になれるから。」と父が旅立つ息子に言う場面がありました。お父さんは、それが人生で一番大切なことだと息子に教えてあげたかったから、それだけ言ったのかもしれませんね。今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ4月14日(土)ロンドンレイキレベル1コース、まだ数名大丈夫です。詳細は、0790-887-3794またはinfo@ayuka-healingspace.comまで
2007年03月27日
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ロンドンはまだまだ寒いですよ~。日本も寒いらしいですね。桜はもう散ってしまったでしょうか?さて、下記のようなご質問をお二人から頂きました。(始めてこのブログを読む方、前回の日記を読んでみてくださいね。)一応コメントでお答しましたが、コメントを読んでいない方々で、同じような疑問を持つ方がいるかもと思いましたので、念のために一応もう一度書かせてもらいますね。先のことを心配しすぎて何も出来なくなるのは、確かにもったいないですけど、思慮深くいることとか、計画的にいることとかと、何が違うんでしょうか?ビジネスでの長期計画や予防策、保険やリスクマネジメントはスピリチュアルではどのような意味を持つのでしょうか?で、これに対する私のコメントが以下のものです。「人生の保障を考えるのは、体がある限り大切なことです。が、それが人生の目的そのものになってしまうと、魂の目的が達成できないでしょう。」↑日記のこの部分をちょっと考えてみてくださいね。保障が人生の目的そのものになってしまっているか、それとも人生のサポートになっているか、この違いは大きいですね。この老人の文章のポイントは、人生の保障ばかり考えて、自分らしく生きなかった、人生が与えてくれる楽しみをあまり味わえなかった、最も大切なことを見失ってしまったということです。保障を考えたり、計画を立てる必要はないと言っているのではありませんね。で、一つ思うのは、この老人の文章を読んで「思慮深くなるのがいけないのかな?」「計画を立てるのは良くないのかな?」とものごとを白黒で捉える人が多いかもしれないということです。なんとなく、例えば「思慮深くいたほうがいい」か、または「思慮深くいないほうがいい」のどっちかであるべきだと思っている感じがします。そうでないと、こういう質問自体が出てこないんじゃないかなと思うのです。また、「どっちをするほうが良い」「こんなときは、こう考えましょう」といったアドバイス的な本が日本には多いようにも思えます。ですから、自分で答えを見つけて経験していくというより、誰かに教わったことをそのまま実践しようという姿勢が強いようにも思えます。ところが、人生のほとんどのことは、マニュアル通りに行かないことが多いでしょう。すべてはケース・バイ・ケースですね。あるときは思慮深くなったほうが良くても、あるときは大胆になったほうが良いしこともあるでしょう。また、ある程度計画して行動したほうが良いときや、ある程度その場まかせでいた方が良かったりすることもでしょう。常に思慮深くなければいけないとか、常に大胆で冒険的なほうが良いということはないですね。じゃぁ、どんなときにどうすれば良いのか。これを自分で考えるのが生きる醍醐味だと思うのです。ここを自分で判断して経験していくことで、私たちは成長できると思うのです。ただ「私はなんのために生きているの?」「私は人生で何がやりたいの?」といった思いはきちんと持っていた方が良いかもしれません。この老人のように、常に注意深く、思慮深くいることで、自分らしくいること、そして人生が与えてくれるたくさんの感動や楽しみを経験できない人生で良いの? 私は何を経験したいの?といった問いです。カウンセリングをしていても多いのが、人生の道具がいつの間にか目的に摩り替わってしまっているケースです。「本当は、ミュージシャンになりたいけど、食べていけないことのことも考えて、~~の資格も取っておこう。」「本当は、すぐにビジネス始めたいけど経験がないから、とりあえずこの会社で働いてみよう」「いきなり外国で~~の仕事はできないと思うから、今までやっていた仕事で探してみよう。」といった考え方をして行動する人がとても多いですね。保障の確保とある意味思慮深いステップを踏んでいるわけです。こういうことが良くないということではありません。が、それらはあくまでも、ほんとうにやりたいことをサポートする道具でしかないはずですね。ところが、資格と取ることも、会社で働くことも片手間にできることではないので、そこで多大なエネルギーと時間を費やし、いつの間にか資格を取ること、そこの会社でちゃんと働くことが目的になってしまっている人がとても多いのです。また、基本的に本当にやりたいことではないことではないので、あまり楽しくない。でも、頑張らないといけない、でもやる気が出ない、それにうまくできないと、そこで落ち込んだり、行き詰まったり。こうなると、単なる保障や一ステップだったはずのことが、乗り越える目的になってしまうんですね。そして、それに本人自身がまったく気がついていないケースがとても多いです。ですが、私が思う一番の人生の保障は、ほんとうにやりたいことすることです。これが何よりの保障だと思っています。保険に入ったり、何かに投資したり、副業を持つのも良いでしょう。(ちなみに私もやっていま~す。)が、やたら保障や安全のステップのために、エネルギーと時間を使いすぎると恐らく本末転倒になる危険性が大でしょう。話が多少ずれてきましたが、一番大切なポイント(人生の目的)を押さえつつ、白黒的に考えるのではなく、そのつど、そのつど、自分に問いかけながら、どうしたら良いか自分で選び取っていけると良いですね。今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月25日
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昨日、30分だけ吹雪がありました。で、そのあとは何事もなかったようなもとの天気。今日も気温は低いですが、太陽が拝めます。あの吹雪で庭の椿がぜんぶ落ちちゃったらと心配でしたが、きれいにゆらゆらと揺れています。さて、私はときどき思うのです。私は死ぬ直前にどんな気持ちでいたいだろう?と。というのも、だいぶ昔(10年以上前)に前世療法をロンドン市内のクリニックで受けたことがありました。そのときは、どこかアングロサクソンの街でものすごく貧しかった自分に退行したのですが、セッションの終わりにセラピストさんに、“では、その生の終わりに行ってみましょう”と言われたとき、“その生の”という言葉を聞き逃した私の潜在意識は、今世の終わりに行ってしまったのです。なぜ分かったかというと、国も風景も私自身もなにもかもその時代とは違っていて、自分でもなんとなく、あっ、これは今世の終わりだと感じたからです。で、私は白いビクトリア朝の建物の一階の正面から右側の部屋のベッドに寝ていました。周りは緑が濃く、私は窓に見える緑が風にそよそよと動くのを眺めていました。そして、身内ではない誰かが私の世話をしてくれていました。たぶん、イギリスの田舎のケアハウスなのかもしれません。で、ベットに横たわりながら“とりあえず自分のベストは尽くした。やりたいこともぜんぶやった”ととても満足した気持ちでいました。これが本当に今世の終わりなのかどうかは分かりませんが、満足した気持ちがとても心地良かったので、あんな気持ちで死にたいなとときどき思い出すのです。で、今を振り返り、あんな気持ちで死ねるような今日を生きているかな?と思うのです。下記の文章は、死期をまじかにした85歳の老人が書いたもので、だいぶ昔にセラピーのクラスでもらったプリントの中にあったものです。前世療法の体験とこのプリントの内容を思い出すと、怖がらずに生きよう、自分の好きなことを目いっぱいしようと思えるんですね。(原文は英語です。)もし、もう一回人生をやり直せるなら、次はもっと間違いを犯したい。完璧になろうとせずに。そして、もっとリラックスしよう。もっと軽快に。もっとバカになって。実際、ほんとうに真剣にならなければいけないことなんて、ほんのわずかだった。そして、もっと大胆に、多少不清潔でも。次は、もっとチャンスをつかもう。もっと旅行して、もっと山に登り、川を泳ぎ、一度も行ったことないところへもっと行こう。そして、もっとアイスクリームを食べて、豆は少しにしよう。想像上の問題じゃなくて、実際の問題をもっと扱おう。いいかい? 私は、よくいる毎日毎日、そして毎時間、安全に備えて賢く、まともに生きようとする人間の一人だった。だが、自分らしい瞬間もあったんだ。もし、もう一回人生をやり直せるなら、そんな瞬間をもっと持つだろう。私は、よくいるどこに行くにも温度計やボトル、ガーグル、レインコート、そしてパラシュートを持っていくような人間の一人だった。でも、次は、もっと軽装で旅をするだろう。もし、もう一回人生をやり直せるなら、春先から裸足になり、晩秋まで目いっぱい楽しもう。もっとメリー・ゴーランドに乗って、もっと日の出を見て、そしてもっと子供たちと遊ぶだろう。でも、いいかい? 私はもうやり直せないんだ。私は全文好きなのですが、とくに「想像上の問題じゃなくて、実際の問題をもっと扱おう。」という部分は、そうだよなぁと思うのです。私たちの多くが、ネガティブな未来予測(想像)をし、それが起きないように、または起きてしまったときのために備えて、保障を得ることについ時間とエネルギーを使ってしまいます。「もし、食べていけなかったときのことも考えて、先に何か資格を取っておこう」「自分の興味や情熱が将来変わってしまうかもしれない。だから・・・」などなど。つまり、何かを始める前から先の先までずっと考え、想像上の問題がすでに山積みになり、その想像上の問題を対処するのに、頭を使い、実際にその起きてもいない問題に対処するために時間とエネルギーも費やす。または、想像上の問題が多すぎて、何もやらない。死ぬ直前になって、一番大切なことは、人生の保障ではなく、自分がどれだけ心から楽しんだか、どれだけ愛に笑ったり、泣いたりしたか、心が震える体験をしたか、魂がイエス!と何回言ったか、そういうことだと思うのです。私たちは何度も生まれ変わりますが、今の自分は一度だけ。人生の保障を考えるのは、体がある限り大切なことです。が、それが人生の目的そのものになってしまうと、魂の目的が達成できないでしょう。自分らしく生きて、それで生活も保障される道が必ずあります。ので、まず自分のハートが歌いたくなるようなこと(What makes your heart sing ?)を見つけると良いですね。ということで、まだの方、良かったら「やりたいことが見つかるスピリチュアル・マップ」をご参照くださいね~。えへ、宣伝しちゃった。(*^。^*)今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ4月14日(土)ロンドンでレイキレベル1コースを行います。ご興味のある方は、0790-887-3754、または、info@ayuka-healingspace.comまでお問い合わせください。
2007年03月22日
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今日は、強風が吹いていますが、St.Patrick’s Dayなので、街はいろいろな催しがあるらしいです。昨日から緑色の帽子をかぶっている人をあちこちで見かけました。またもお知らせです。4月14日(土)にレイキレベル1を行います。ご興味がある方は、0790-887-3754、またはinfo@ayuka-healingspace.comまでご連絡ください。また、3月22日(木)夜7時より、我が家で「The Secret」(思いが現実を創るということを分かりやすく映画化したもの)の試写会を行います。(一人2ポンド、英語)ご興味ある方は、上記と同じ番号にぜひご連絡ください。さて、先日あるイギリス人セラピストのニューズレターをぺらぺら見ていると、次のことが書かれいていました。<人生に行き詰まる方法>・ もっと頑張ろう!・ ひたすら考えよう!・ 完璧を目指そう!・ 他人を喜ばそう!・ 急いでやろう!(焦ろう!)・ うまくいかないんじゃないかと常に疑おう!これを全部すれば、あなたはしっかり人生に行き詰まれます。けっこう笑ってしまいました。が、これは多かれ少なかれぜんぶ私たちがよくやっていることだと思います。「もっと頑張らなきゃ。そうすればきっと結果が得られる」または「頑張っていれば、認められる」と苦しいのにも関わらず、自分に鞭を打って頑張り続ける。頑張ることがいけないのではないんです。苦しいのに頑張り続ける、ほんとうの自分はもう大変だ~、休みたい!と悲鳴をあげているのに、その声を無視して頑張り続けること。必ず体か精神にきます。で、行き詰まる。また、とにかく考えてばかりいる。「この場合はこうで、ああするとああなって・・・、」「きっとみんなは、私のことを~~と思っているだろう。だから・・・」「こうすれば、きっとこうなる、そうしたら私はやっていけない、でも~~~~」もう自分の考えの世界にどっぷりつかり、思い込み(必ずしも真実ではない)や真実を捉えていない考え(勘違いや間違った解釈)や、他人の言葉や過去の経験から来る思いやらでがんじがらめになって、出口が見つからない。そして、行き詰まる。そして、「私は怒りっぽいから、常ににこにこしている人になりたい」「私の仕事はまだまだだ。もっとちゃんとやらなきゃ。」「~~(超一流の人)と比べたら、私なんかまるでだめだ。」と、もっと完璧な自分を目指す。私は、かつて無意識に「英語がネイティブみたいに話せないとダメだ」と思っていました。なので、ずっと自分の英語に自信がありませんでした。が、よく考えたら、30半ばでイギリスに行った私が、バイリンガルになれるわけがないという当たり前の事実に随分経ってから気がついたのです。私たちは知らず知らずのうちに、不可能なゴールや超一流レベルを目指したりしています。で、行き詰まる。または、単純にいつも「まだまだだ」と思い、自分の現在の能力以上のことを「できなきゃだめじゃない」と自分に押し付け、苦しくなり、行き詰まる。そして、「頼まれたことはちゃんとやらなきゃ。そう期待されているんだから」「(友達らと会っているときに)この場の雰囲気に合ったことを言わなきゃ。なにか面白いこと、みんなが楽しくなることを言わなきゃ・・・。」「こんなことを言ったら、気を悪くするだろう。言わないでおこう」と常に他者の目を意識して気を配る。まず他人を優先に考えてしまうのは、もともと「そうすれば、自分は安全。受け入れられる」という思いからくるんですね。が、他者に合わせて生きることになるので、自分がなくなってしまい、行き詰まる。焦り。焦っている人はけっこう多いですね。「はやく一人前の~~にならなきゃ」「もう~~歳だ。早くやりたいことを見つけなきゃ。」「はやく結婚して周りを落ち着かせたい」または、常に何かに追われている感覚がしている。または、常に今やっていることではなく、何かほかの事をやるべきじゃないかと思ってしまう。こんなとき、私たちは「今」に集中していないので、エネルギーはあちこちに拡散し、目的が達成できず、よけい焦りが生まれ、またさらに手付かずになり・・・という悪循環にはまってしまいます。で、行き詰まる。で、最後に自分の行く末をつねに疑う。「これをやっても、きっとダメで、無駄になるだけだ」「こんなに投資して、ダメだったらどうしよう。そうだ、~~もしておこう。そうすれば最悪の事態は避けられる」「どうせうまくいかないかも」と思うと、どうしても今やっていることに意味が見出せなくなります。だからといって他のことをやろうと思っても、なにも思いつかなかったり、また何か思いついたとしても、この「うまくいかないかも」という思いがある限り、同じことの繰り返しですね。で、人生に行き詰まる。また、うまくいかないかもと思うと、なにか保障になること、またはもう少し自分ができそうなことなどをしようとします。が、いつの間にか、その「保障」や「自分ができそうなこと」に時間とエネルギーをものすごくとられてしまい、しかもほんとうにやりたいことではないので、満足感もなく心身ともに疲れてきます。で、人生に行き詰まる。さてさて、これで人生の行き詰まり方が分かって頂けたかと思いますので(*^。^*)、大いに人生に行き詰まってください! って、ウソです。ですが、行き詰まりたくなければ、もうお分かりですね?今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月18日
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ロンドンもだいぶ暖かくなってきました。青空が拝めるのはやっぱり良いですね。始めにお知らせです。4月14日(土)にレイキレベル1のコースをロンドンで行います。ご興味がある方は、info@ayuka-healingspace.comまでお問い合わせください。さて、ときどき「私はどうしたら良いか」、または「私はどっちにするべきか」アドバイスを下さいと言われることがあります。「私は引っ越すべきか」「私は今の仕事を辞めるべきか」「私は今の彼(彼女)と別れるべきか」または「私は、もう少し勉強続けるべきか、もう仕事を始めるべきか」「私は、営業が向いているのか、企画が向いているのか」などなど。人生の様々な岐路で、または小さな日常の出来事の中で、私たちは「なにをしたら良いか」「どっちを選んだらよいか」という状況に迫られます。お昼ごはんは、和食にしようかイタリアンにしようかぐらいの選択なら、それほど悩まないかもしれませんが、これが仕事など大きなことになってくると大いに悩んでしまうでしょう。で、悩めば悩むほど、わけが分からなくなり、友達に聞いてみたり、占い師さんや霊能者さんのところに言ったり、私のようなカウンセラーにアドバイスを求めたりする人も多いでしょう。が、ここで私がなるべく気をつけていることは、「~~しなさい」とか「~~を選んだほうが良い」といったアドバイスをしないことです。なぜなら、それはその人が自分で選ぶという能力を奪ってしまうからですね。家族や友人は遠慮がない分、「あんな人あなたのためにならないから早く別れたほうがいいよ」とか「そんな会社に長くいても良いこと一つないよ。辞めちゃいな」とか、自分の意見をはっきりと言ってくるかもしれません。また、占い師さんや霊能者さんなども、「今の会社は辞めなさい」などと、わりと「こうしなさい」的なアドバイスをする人も多いですね。で、それらの人に言われて、そうするべきかなと思って、実際に他者の意見の通りにしたり、または、そう言われたけれども、なんとなくまだ納得できない、でも・・・と同じところをぐるぐる回って、なかなか決心がつかなかったりする人も多いでしょう。私たちが、このようにどうしたら良いか分からなくなっているときは、必ずハートと思考のバトルが繰り広げられています。(私の言葉で言えば、ハートトークとエゴトークのバトル)ここで言う思考とは、私の言葉で言えば「エゴトーク」のことです。(意味が分からない方、ぜひ「やりたいことが見つかるスピリチュアル・マップ」を参照してくださいね~。)よくあるのは、「条件が合っている方が良いように思える、でも・・・」といったようなケース。いろいろと条件が揃っていればいるほど、ハートが違うよと言っていても、思考(エゴトーク)が、「~~はできるし、~~はあるし、それに・・・」と言って来ます。が、条件が合っているのに、まだ迷っているときはたいてい、条件に振りまわれているだけです。ハートが違うよと言っていなければ、条件が揃っているのに迷うわけがないですから。先日、仕事自体はやりがいがあるし、大好きだけど、上司と気が合わなく、すごいストレスになる。仕事が好きだから続けるべきか、上司と合わないから辞めるべきか、アドバイスを下さいという問い合わせを頂きました。これも同じことですね。自分のハートははっきり分かっているはずなんです。迷うのは、思考(エゴトーク)が邪魔しているからです。この場合、「好きな仕事ができるから」ということが、思考を通った条件になってしまっているかもしれません。そういったことを見極めるためにも、どうしたら良いか分からないときは、自分の思考を全部書き出してみると良いでしょう。書き出してみて、どれが思考で、どれが感情か分けていき、書き出した思考をちゃんと吟味することです。これは条件?これは思いこみ?これは人から言われたこと?これは社会の常識?などなどです。そしてそれらの思考を全部取り去ったとき、ハートに「どっちが好き?」と目をつぶって尋ねてみることですね。わくわくしたり、ほっとしたり、解放された感じがしたり、平和な気持ちがしたり、などなど、良い感覚がしたほうがハートトークです。この作業をすっ飛ばして、他者からアドバイスをもらっても、さらに思考が増えるだけ(「~~さんは、~~したほうが良いといった。でも・・・」など)か、または、そのアドバイスに従って、大切な自己成長の機会を逃すかどっちかしかないでしょう。さて、主旨はそれますが、このケースでの一つの大きな思い込みは、「やりたい仕事を選ぶ」か「上司からおさらばするか」の二つの選択しかないと思っていることです。ところが「やりたい仕事もして、上司(人間関係)にも恵まれる」という選択肢も本当はあるのです。今の自分の状況にそれが可能性として見えないために思いつかないんですね。セミナーやワークショップに来ていただいた方はお分かりかと思いますが、状況から自分の生き方を選ばなければいけないと思っているうちは、状況が人生の主人公で、私たちは状況の奴隷です。でも、誰でも状況や条件に制限されるのではなく、人生の主人公として自分の望み描く人生は創造できるんですね。もし、AかBかという選択に何かに迷っていたら、ハートトークに耳を傾け、Cという選択肢はないかな?と考えてみるのも良いですね。今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月16日
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金曜日から昨日まで4日間のNLPの集中コースを受けてきました。どうでもいい話なのですが、イギリスの授業は、机がないことがとても多いです。今回もものすごく分厚い教材を渡され、ひざの上にその教材とノートとそして何本かのペン(数色必要だったので)を抱えながら、授業を受けました。けっこうコツがいりますよぉ、何も落とさないでいるのは。さて、前にフォーカシング(体に意識を集中させ、体のメッセージを受け取るテクニック)をやると痛みが出てくるので辞めてしまったといったようなコメントを頂きました。まず、はっきりさせたいのは、フォーカシングをやって、体の症状が悪くなるということはまずありえません。また、痛みを引き起こすこともありません。病気というのは、一夜にしてなることはないですね。長い間の積み重ねがある日、痛みなどの症状として現れるわけです。フォーカシングや瞑想をして、体のどこかに痛みを感じることはよくあります。それは、普段痛みに気がついていなかったのが、フォーカシングや瞑想によってはっきり感じるようになったということです。体の声が聞こえてきたということですね。痛みがあると、すぐに私たちは怖くなったり、あぁ、嫌だと思ったりします。なんかとても悪いものがあるように思ってしまうんですね。しかし、痛みとは単純に体の「私のメッセージを聞いて」というシグナルに過ぎません。痛みは理由があってそこにあるんですね。私がよくお勧めしている「神との対話」には、「すべての病気は、self-created(自家製?)」、そして「created first in mind(思考、心のレベルで生まれる)」と書いてあります。いろいろ勉強したり、経験するにつれ、ほんとうにそうだなぁと思うのです。ですから、病気とは突然振って沸いてくるものでも、外から侵入してくるものでもなく、私たちのどこかのレベル(意識レベル、無意識レベル、魂のレベル)で、自らが生み出しているわけです。私たちは、普段ほとんど思考のなかに生きています。現代人はとくにその傾向が強く、あまり自分の体に意識を向ける、目をつぶってじっと体を感じてみるなどといったことはしませんね。ですから、症状がはっきり出てくるまで、体のメッセージを聞き逃してしまうことがとても多いのです。ので、痛みを感じたら、パニックになったり、怖がったり、嫌がったりせず、メッセージを聞いてあげるのが、病気の予防にもつながります。そのテクニックとして、フォーカシングはとても優れていると私は思います。(私のレイキレベル1のコースでは、フォーカシングもやります)例えば、私が以前参加したフォーカシングのワークショップでは、下腹部に痛みがあった人が、やりたいこと(絵を描く)をずっとしていなかったため、創造性のエネルギーが発散されず、子宮の腫瘍となっていたことが分かりました。メッセージの内容は、人様々ですから、同じ病気だからといって、同じメッセージがあるとはまったく限りません。フォーカシングでも、レイキでも何でも良いので、体の声を聞いて行うセルフヒーリングのやり方をどこかで教わることは大変お薦めです。(NLPにもその手法がありますが、NLPのコースによっては教えないところもあるでしょう。)痛みや症状はメッセージを運んでいますが、また私たちからのメッセージも受け取ります。ですから、痛みを感じたらフォーカシング的に「こんにちは!あなたがそこにいるのはちゃんと分かっているよ」と言ってあげると良いでしょう。(始めは、とても変に感じると思いますが)多くの人が言いますが、そう言ってあげただけで痛みや症状が減ったりします。「Cell Talk --- Talking to Your Cell」by John E. Upledger (細胞は語る、細胞に話しかける)という、細胞とコミュニケートすることによって病気を治した事例がたくさん載っている分厚い本があります。私が一番びっくりした事例は、6歳の男の子の癲癇がひどく、現代医学で結局脳の半分を切り取ってしまいました。癲癇は治ったのですが、ある意味当然のことながら、言葉が話せなくなったり、感情がコントロールできなくなったり、日常生活が送れなくなってしまったのです。そこでこの本の著者(CranioSacral therapist=頭蓋仙骨療法)は、残っている半分の脳細胞に、反対側にも移って欲しいことと、どういった働きをして欲しいかを語りかける方法を両親に教えました。どんなふうにという説明はありませんでしたが、両親ができるぐらいなので難しいことではないでしょう。たぶん、男の子の寝際に頭に手を置いて語りかけたのだと思います。すると、ほんとうに残っていた脳の細胞は、失った脳の細胞の機能もするようになり、男の子とは普通に学校に行けるようになったのです。現代医学は決して信じないでしょうが、量子力学の科学者なら、きっとこの構造がわかるんじゃないかと私は思うのです。これを読んだとき、私は顔の皮膚の細胞に、「20歳の肌の細胞の機能をしてください」と毎日語りかけてみようと思ったのですが、一日で忘れてしまいました。はは。(*^。^*)今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月13日
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さて、前回の続きで行きたいと思いま~す。「でもでも、私は欲の皮がつっぱていた、冷酷だった、意地悪だった、傲慢だった、たんなる経験不足や若さで片付けられない醜いものが私の中にはあるんです。という方もいらっしゃるかもしれません。または、でもでも、どんなにダメな自分でも許してしまったら、成長できないんじゃないの? または、でもでも、どんな極悪犯罪人も、不完全だったで自分を許して良いなら、警察いらないんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。」↑の部分です。欲深い人、冷酷な人、傲慢な人などなど、そういった人間が存在していると思っている人が多いかもしれませんが、その人の魂の本質が欲深いとか冷酷だということはまずないと私は信じています。魂の性質そのものが悪であるという人がいるとは、私は思いません。理論的にも不可能だと思います。魂の世界は、正悪、寒暖、上下、右左といった相反するものがない世界です。光(善)と闇(悪)がある世界は、相対性の世界ですね。が、魂の世界は、愛(光)のみが存在する絶対的世界です。ですから、私はすべての魂の本質は愛(光)であると思っています。本質が愛である私たちが、愛でない言動をとるには、必ず理由があります。それが小さな意地悪であろうが、極悪非道な行為であろうが同じです。大切なのはその理由を知ることでしょう。前回書いた無知や経験のなさもその理由ですが、例えば冷酷であるとか、卑怯であるとか、強欲であるとかにも必ず理由があります。その理由は、前にも書きましたがたいてい私たちの潜在意識のなかにあります。で、その理由は、たいてい心の傷や恐れだったりするものです。傷は癒すもので、罰するものではありません。恐れは解放するもので、忌み嫌うものではありませんね。また、理由が分かれば、自分を許しやすくなります。ところが、自分でもなぜ自分がそうなのか、またはそうしてしまうのか、理由が潜在意識の中にあるので本人が分からないことがとても多いです。分からないので、なんで私ってこうなんだと、ただ自分を罰し続ける人がとても多いです。で、ここで、ダメな自分を許したら、成長できないんじゃないの?という疑問ですが、ダメな自分を許すということは、自分を罰することを辞めるということです。自分がダメだと思っているときは、必ず私たちは無意識に頭の中で自分に対してかなりの暴言を吐いていたりします。「ほら、またやっている。なんてまぬけなんだ」「お前なんか最低だ」「こんなバカ死んだほうがいい」などなど。意識的にやっている人はほとんどいないと思いますが、ちょっと意識してみれば、かなりひどいことを自分に言っているのに気がつくでしょう。いじめをする子が、毎日ひどいことを書いて、いじめている子の机に置くようなことを、自分で自分にやっているんですね。こんな自分バッシングが、自分を成長へ導いていくでしょうか? が、自分を罰するのを辞めて「そのままでいいよ」と言ってあげたら、どうでしょう? 少し、いやだいぶホッとしないでしょうか? そして、励ましや愛を送ってあげたら、エネルギーが湧いてこないでしょうか?このエネルギーがあってこそ、ダメな自分から脱出できるんですね。ですから、そんな自分から抜け出したいのであれば、まず大切なファーストステップは、自分を罰するのではなく、許し、受け入れること。そして次のステップが理由を知ること。理由(恐れ)がそこにある限り、同じことを私たちは繰り返します。例えば、優しい言葉をかけてあげたいと思っても、自分が気がついていない恐れ(理由)がある限り、なんだかどうしても冷たい態度をとってしまったりするなどです。潜在意識へのアクセスの仕方は、私のセミナーかワークショップに出てくださった方は、だいたいつかめたことでしょう。このアクセスの仕方をブログで書くのは、ちょっと難しいので(参加なさってくださった方はその理由が分かると思いますが)ここでは書きません。が、次の本のテーマですので、まだだいぶ先ですが、楽しみにお待ちくださ~い!理由を見つけるのが難しければ、自分がこうであるのは、何か理由があるんだ、そしてその理由は何か分からないけど、私の中の恐れにあるんだと思ってみると良いかもしれません。そして、ガイドさまに「私が深い深いところに抱えている恐れを私にかわって癒してください」と頼んでみましょう。必ず何らかのサポートしてくれるでしょう。また、自分バッシングがどうしても辞められない人は、辞められない自分をOKだとしてあげてみてくださいね。今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月09日
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「黒豆小魚アーモンド」にご関心をお寄せ頂きありがとうございます!! ってたった二人ですけど。はは。黒豆も小魚もアーモンドも現代人が不足しがちな栄養素がいっぱい!含まれた理想的なスナックですぅ~。イギリスにもヘルシーなスナックは最近出回っていますが、小魚が入っていないんですねぇ。海に囲まれているのに。さて、下記のコメントをいただきました。私は40代ですが、よく20代の頃を思い出すのです。そのころは世間知らずからくる、傲慢でひとりよがりで不遜な言動ばかりで、思い出すたびに胸が苦しくなります。過去の自分が許せない、という思いは、どうしたら手放せるでしょうか。いつかテーマにしていただけたら幸いです。シンクロでしょうか、昨日世の中には自分を愛していない人が山ほどいるなぁといろいろ思っていたところでした。ので、私としてはグッドタイミングのコメントを頂きました。ありがとうございます!!どの本だったかはまったく覚えていませんが、過去読んだ英語の本に「すべての人はそのときにベストを尽くしている。もし、それよりもっと良い方法を知っていれば、私たちは必ずそっちを選ぶはずなのだ」といったような内容のことが書かれていました。どういうことかというと、あなたが何か言った言葉に、誰かがとても傷ついたとします。今振り返ると、「なんであんなこと言ったのだろう、あんなこと言えば、誰でも傷つくってどうして分からなかったのだろう」と思うかもしれません。でも、そのときはそれがまったく見えていなかったわけです。見えていたらそうは言わないわけですから。つまり、もっと良い方法(もっと良い言い方、もっと違う言い方、または言わないなど)を知らなかったのです。そのときの自分がそれが見えていなかった理由は、人ぞれぞれでしょう。そのときはそんなもんだと思っていた、若かった、経験がなかった、余裕がなかった、忙しかった、無知だった、弱かったなどなど。つまり、自分がそれが好きか嫌いかは別にして、そういった状態の当時の自分にとって、そのときの言動はそのときの時点の自分のベストなのです。それ以上のことができないという意味で自分のベストなんですね。ちょっと例えが悪いかもしれませんが、小さな子供がお友達をひっぱたかないで、おもちゃを取り戻す方法を知らないようなものかもしれません。その子にとっては、それが知る限りのベストの方法なんです。ですが、今は見えています。お友達をひっぱたくのは、あまり良い結果を得ないことも学んだし(学んでいない人もいますが)、それは恥ずかしいことだ、それはあるべき自分の姿ではないと思えるようになってきたわけです。つまり、当時より成長したわけです。成長していなければ、それは見えないことです。私たちが生まれたときから、すべてがわかっていて成熟していれば、バカなことは決してしないでしょうし、自分の過去に悔いる必要もないでしょう。ところが、私たちはこの地上を歩くと決め、ここに始めて生まれたときから(輪廻の始まり)、ほんとうの自分を忘れた状態で生まれてきます。つまり、不完全さがどうしてもつきまとうわけです。不完全ですから、どうしても分からないこと、見えないこと、気がつかないことなどがあります。そうである限り、知らないうちに人を傷つけたり、迷惑をかけたりしてしまうでしょう。がしかし、私たちが目指しているのは、完全になる(完璧になる)ことではなく、自分自身になること、そして無条件の愛を実践することです。無条件の愛とは、条件がない愛です。つまり、不完全だからダメとか、完全だから良いという条件がない愛です。ですから、私たちが目指しているのは、そんな不完全な自分を無条件に愛することです。または、完全になることをあきらめることです。と書くと、いやぁ完全になるなんてことは目指していないけど・・・とおっしゃる方もいるでしょう。しかし、「あのとき私は~~するべきだった、~~と分かっているべきだった」という考えは、やっぱり完ぺき主義の考え方なんですね。私は今でも大変不完全な人間ですが、もっと不完全だった自分を許そうと決めました。当時、あまりよくものごとが見えていなかった自分、無知だった自分、経験がなかった自分、世の中を知らなかった自分、だから人の心が今ほど理解できなかった自分。うまくやっている自分を愛するのは簡単です。でも、それは条件愛ですね。ダメな自分、不完全な自分を愛するのはとても難しいです。でも、愛せたら、無条件の愛に向かって魂はうんと成長します。でもでも、私は欲の皮がつっぱていた、冷酷だった、意地悪だった、傲慢だった、たんなる経験不足や若さで片付けられない醜いものが私の中にはあるんです。という方もいらっしゃるかもしれません。または、でもでも、どんなにダメな自分でも許してしまったら、成長できないんじゃないの? または、でもでも、どんな極悪犯罪人も、不完全だったで自分を許して良いなら、警察いらないんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。これに関しては、長くなりますので、次回に書きますね。とりあえず、このテーマにご興味がある方で、、「ゆるすということ」ジェラルド・G・ジャンポルスキー著をまだ読んでいらっしゃらない方はお薦めです。では今回の日記に思い当たることがある方がいらっしゃいましたら、長いですが、「私は私のなかにあるべきという思い(ここで自分の過去のことをあげても良いです。例えば~~さんにあんな態度をとるべきでなかった、など)から私を解放してあげます。自分が不完全であることを許し、その不完全さ愛します。」と寝る前に繰り返し言ってみたらいかがでしょうか?今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月07日
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あぁ~、日本からわざわざ持ってきた「黒豆小魚アーモンド」を一袋一気に食べてしまった。みなさんはいいなぁ。いつでも食べられて。さて、ちょっと想像してみてください。あなたは、不完全な自分をあるがまま認めていて、自分が自分以上にも、また自分以外にもならなくても良いと分かっていて、だからとても自分に快適に感じていて、自分はかけがえのない存在で、愛すべき存在だなぁと感じているとします。そして、不完全な自分は宇宙の懐に無条件に受け入れられ、愛され、抱かれているとあなたは感じているとします。そう思っただけで、心の底から感謝の気持ちがあふれ出てくるかもしれません。じっと目をつぶって、無条件に受け入れられている自分、そしてありのままの自分で良い心地よさに浸っていると、自然と自分とすべてのものはつながっていると感じ始めます。そして目を開け、目に映る草花、空、動物たち、人々、そして人が作り上げた社会を見回したとき、すべてのものへの愛おしさ、感謝の気持ちが沸いてくるかもしれません。自分の魂の成長のためにあらゆる人が過去、現在、未来とあらゆる形で関わり、そしてこの地球は、それらを自分に経験させてくれたかけがえのない場所であることが、瞬時に見えてくるかもしれません。あなたはその気持ちのまま、もし傷ついた動物を見たら、きっと助け「たい」と思うでしょう。自然が破壊されているのを見たら、守り「たい」と思うでしょう。そして次に、あなたは動物を虐待している人たち、自然を破壊している人たちに眼を向けます。あなたは瞬時に、彼らがあなたとまったく違う心の状態にいることが分かるでしょう。あなたが感じていることを彼らは感じていない、あなたが見えていることが彼らには見えていないことが。そして何よりも、それらの人々は、そうすることによって自分自身を一番傷つけていることにまったく気がついていないことを。しかし、あなたはこれらの人々とも自分はつながっていることを知っています。ですから、あなたは彼らを糾弾し、彼らがどうする「べきか」を説きふせようとするかわりに、辛抱強く、愛とそして決して妥協しない強さを持って、「あなたがやっていることは、あなたにとって良いことではないですよ。」とはっきりと言ってあげるかもしれません。ちょっと長々と書きました。私たちがハートトークから「~~したい」と望むとき、そこには愛があります。しかし、「~~が正しいから、~~するべき」というとき、それは思考の働きです。心がともなっていなくても、それをすることはできます。また、心がともなっていないから、簡単にやめてしまうことでもできます。「~~べき」をかざして、それで人の心が変わるのであれば、社会が良くなるのであれば、いくらでも連呼すればよいと思うのです。しかし、自分自身の経験からも、社会を見渡してみても、それが大した効果を生んでいないのは明白だと思うのです。多くの人は、自分と神(宇宙、ソース、大霊など)は分離していると思っています。ですから、自分と他者も、そして自分と動物、自分と自然も分離していると思っています。多くの人は、自分は体だと思っています。ですから、自分がどう生き残ることがとても大切です。ですから、自分さえ生き残れば、誰かが傷ついても、死んでも、自然が破壊されても、自分さえ快適に生き残れたらそれで良いと考える人が出てきます。でも、これは私が3冊目の本やセミナーなどで説明していますように、「エゴ」に基づいた思いです。「エゴ」に基づいて「~~たい」と思うとき、そこにはいつも「不安と恐怖」があります。不安や恐怖から基づいた思いは、決してその人を幸せには導きません。必ずバランスを崩し、苦しみや悲しみがやってきます。私は、自分のハートトークに従って生きて行きたいと思うのです。それが正しいからとか、するべきことだからではなく。なぜなら、私は、愛しているから、大切に思っているから、愛おしいと思っているからという理由で。そして、人に「こうするべき」と教えるよりも、自分を愛することを含め、「愛を選ぶ大切さ」を訴えて行きたいと思うのです。ちょっと自分の中にある「べき」を「たい」に言い換えてみたらどうでしょう? なにか発見があるかもしれません。今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月04日
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明日のフライトでイギリスに帰りま~す。荷物をまとめるのはもう慣れていますが、一番難しいのは、何をあきらめて、何を持って帰るか決めることです。とくに日本食系など・・・・、あぁ、日本のスーパーまるごとと、サービスも持ち帰りたい! イギリス人にサービスとはこういうものだよと体験させてあげたい! そしてBR(日本のJRみたいなもの)の経営陣と職員を全員、日本のJRに最低1年は送り込みたい!あっ、失礼しました。なぜBRかは、良かったらHPの古い日記(2005年2月4日)をご参照くださいね~。さて、前回問題の本質が違うという話を書きましたが、私たちはよく問題の本質を見失いがちだなぁと思うのです。例えば、私のワークショップかセミナーにいらしてくださった方はお気づきかと思いますが、ときどき私は質問にそのまま答えず、なぜそれが知りたいのか?をお尋ねするときがありますね。例えば「その人がソウルメイトかどうかどうやって分かりますか?」といった質問(よく受けます)などは、私はどうしてその人がそれを知りたいのか、という動機の方が知りたいのです。もし私が「それは、~~ということで分かります」と答えたら、私はソウルメイトの本を書いていますから、その人は恐らく信じてしまうでしょう。それは一見役に立っているようで、ほんとうの意味ではまったく役に立たないと私は思うのです。なぜなら、大切なのは自分のハートに聞くことだからです。私が答えることで、その人は自分のハートを聞くよりも、私の言ったことと一致するかどうかという思考に走ってしまうでしょう。ほんとうに役に立つためには、なるべくその方の問題の本質に触れたいと私は思うのです。例えば、こういった質問が出てくる背景には、自分の感覚に自信がないなどがあったりします。そうであれば、その人にとって大切なことは、自分の感覚に自信が持てるようになることです。なぜ自分の感覚に自信が持てないの? 自信を持つにはどうしたら良いの? これがこの質問の最も大切な部分だと思うのです。ですから、いくら「ソウルメイトと出会ったときは、ビビッとくるものだよね?」「いやいや、一度会ったようななつかしい感覚がするものらしいよ。」などと、議論したり、知識をつけてもあまり意味がないのです。なぜなら、お分かりのように問題の本質(一番大切なこと)とズレているからですね。こういった問題の本質とズレた議論は、国会などの場でもずいぶん繰り広げられていますし、私たちが年中やっていることだと思うのです。それはなぜでしょう?それは、このまさに「それはなぜ?」という質問を投げかけないからですね。例えば、「ソウルメイトに会いたい」→「それはなぜ?」「暖かい家庭がを築きたいから」→「それはなぜ?」「・・・・・」この「・・・・・」の部分は、潜在意識にもぐっているわけです。「暖かい家庭が欲しいのは、当たり前じゃないの?」と思うかもしれません。では、「暖かい家庭」って具体的にどんな家庭? 簡単に暖かい家庭と私たちは言いますが、生活としては、朝起きて、歯を磨いて・・・という日常生活なわけです。どいう日常生活が、暖かい家庭なのでしょう?コミュニケーションがちゃんとあって、お互いが相手の考えや気持ちを理解している、いたわりあっている、助け合っている、笑い声が絶えない・・・。こうやって並べていき、私にとって一番大切なこと、一番欲しい要素はなに?と見つめていくと、例えば「あぁ、私が一番求めているものは、理解されることなんだ」と見えてくるかもしれません。それが「・・・・・」の部分で、また一番大切な部分です。で、もしそうであれば、次の質問は「私はなぜ理解されたいの?」、そして「自分が理解されるようなコミュニケーションが普段からできている?」「言いたいこと言えている?」など、たくさんの質問が出てくるわけです。で、これがこの問題の本質なんですね。自分が一番求めているものが、理解されることなのに、例えば自分の気持ちが言えないとしたら、相手がどんな人でも、そんな関係を作ることは難しいでしょう。ですからここで大切なのは、漠然と相手を探すことではなく、そんな自分はどうしたら良いだろう?と考えることですね。これは、たまたま恋愛の例ですが、すべての場合において同じように「それはなぜ?」という質問ができるでしょう。前回の例であれば、「なぜ動物を虐待する人がいるの?」「どうしてそういう心が生まれるの?」と質問を自分に投げかけていくわけです。こうやって一歩づつ問題の本質にせまっていけるんですね。問題の本質とは、たいてい物事の表面下(見えない部分)や、または、私たちの意識下(気がつかない部分)にあるものです。そこを見ないと、いつの間にか本当に大切なことからズレてしまったり、なにが必要なのか混乱して分からなくなったりしますね。ですから、問題を改善、解決したいのなら、その問題の本質(一番大切なこと)をまず見つけること! それには「それは、なぜ?」の質問が最初の一歩ですね。今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!↓人気Blogランキングへ
2007年03月01日
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