2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全4件 (4件中 1-4件目)
1
今週はちょっと遅くなりました。(やることがたまってしまって・・・) さて、前回、「魂の成長という観点から見ると、自己肯定感を増す過程の方が、やりたいことをやっていることより大切だったりします。」と書いたところ、ちょっと楽になったといったようなコメントを頂きました。(ありがとうございます!) 私たちが、ここにいる一番の理由は、古今東西のあらゆる本にあるように、なにかをして成し遂げることではなく、「無条件の愛を体験する」ことです。(と、私も深く信じています。)神様は、私たちが何をやっているかには、あまり興味がなく、どんな人か(愛情深いか、理解があるか、慈悲深いか、親切か、勇気があるか、などなど)にしか興味がないそうです。 例えば、あなたが頑張って何かの頂点を極めたとしても、それで優越感をもったり、浮浪者さんを汚いと思っていたりしていたら、今世の目的を果たしたことにはならないわけです。 ここで前回にあげたリストの「情報に溺れている」と関係してくるのですが、社会にある風潮として、早くやりたいことを見つけて、それに向かって確立していかないと「負け組み」になる、惨めな人生になる、といったものがあると思います。しかし、自分にプレッシャーを掛けまくり、必死になって生き残るために働き、そしてこの世を去り、魂の世界に戻ったとき、自分はほとんど成長していなかったんだと気づくほうが、落胆が大きいかもしれません。 ですから、好きなことを見つけて、それをやることは、「自分がどういう人であるかを示す道具」にしかすぎません。何をやっているかが人間の価値ではなく、どうあるかが大切なことです。 しかし、私たちの周りにあふれている情報は、「何かをする」ということが人生の目的かのように書かれ、それをしていない人は、目的を生きていない人というように見えがちだと思います。 そのため、いろいろな職探しの情報があふれ、何か早く見つけなければという焦りで、情報の中に溺れてしまう、あれこれやって何が自分に向いているのか分からない(=何が自分の魂の声なのか分からない)状態になっている若者(または、若者でなくとも)がとても多いような気がします。 社会が「何かをする」ということばかりに重点を置くのではなく、「どうあるか」にも重点を置くようになれば、もう少し息がしやすく、焦りもなくなり、もっと多くの人が自分の声が聞けるようになるだろうと思います。 もし、あなたがそんな一人であったら、一度そんなプレッシャーがないかのようにイメージし、焦らなくてもいいんだよと言い聞かせ、情報を一時的にすべてシャットアウトし、自分が心を惹かれるもの、興味があるものだけについてぷらぷらと考えてみると良いかもしれません。 魂は、あなたの得意なこと、今世しようと思っていることを、「心がひかれる」「興味がでる」という形で教えてくれますから、リラックスした心で耳を澄ますと良いでしょう。 で、ここで次のリスト「不安が大きい」に移りたいと思いますが、これはまた次回にさせてください。(すみません、一気に書けなくて。やることがたまっておりまして・・・) が、少し書かせていただくと、「お金の不安」が魂の声を抑えてしまうトップリストになるでしょう。「でも、食べていけるかなぁ・・・」という声が沸いてきたら、とりあえず脇においてくださいね。 さて、最後にお願いです。携帯からメールしてくる方で、宛名も自分の名前もなく、用件だけ書いてあることがとても多いです。(特に二回目以降のやりとりで)一人で大勢の方とやりとりしていますので、どなたなのか探すのに苦労します。礼儀でもあると思いますし、通常の手紙やメールと同じく、毎回必ずお名前を書いてくださるようお願いします。
2006年01月24日
コメント(4)
昨日は、東京のレクチャーでした。レクチャーの前はいつも緊張します。でも、いつも参加者の皆さんのエネルギーが温かく、あり難いなぁとつくづく思います。参加して頂いた皆様ほんとうにありがとうございます!! さて、前回「やりたいことがわからない」場合は、どうしたら良いかという話は長くなるので、次回にと書いてしまった(ちょっと、しまったと思っている気分)ので、書かせて頂きたいと思います。 なぜ、しまったと思っているかと言うと、やりたいことがはっきりしない、というとき、人それぞれ理由が違ったりすることと、誤解のないように書くには、ブログは適していないと思うからです。 でも、約束しましたので、頑張って書いてみま~す。 実は、やりたいことが分からなくてセッションにいらっしゃる人は大変多いです。日本人もイギリス人も。私自身、20代半ばに自分のやりたいことを見失い、人と会うのが嫌になったり、死を考えたりと、大変苦しい時期がありましたから、やりたいことが見えない空虚感の辛さはよく分かると思います。 さて、人それぞれ理由は違うと書きましたが、ある程度共通しているものがあります。それが次のものです。・ 自分に自信がない(自己肯定感が低い)・ 思考の渦にはまっている・ ねばならないに縛られている・ 情報に溺れている・ 不安が大きい・ 育った環境のなかで(学校も含め)、想像力と自主性を抑圧されている 魂としての私たちは、一なるもの(神、ソース、etc)から個となった段階で、なんらかの性質を持っています。また生まれ変わりを繰り返すなかで、得意な分野、興味をそれぞれ伸ばしていきます。 ですから、すべての魂、つまり私たちすべてが何らかの性質と興味、好きなこと、得意なことを持っているわけです。ので、私たちは必ず自分のやりたいこと、やればうまくいくこと、楽しいことを知っているわけです。 それが見えなくなる原因というのが、上に挙げたものです。(他にもあるかもしれません。)例えば、家や学校であまり褒められたことがなければ、無意識に自然と“私の能力はたいしたことがない”→“私はたいしたことがない”という思いが出来上がってきます。 こういった思いが意識的であれ、無意識であれ、エネルギーとして抑圧のエネルギーですから、魂本来の喜び(好きなこと、可能性)を覆ってしまいます。この場合は、自己肯定感が低くなってしまった原因を癒すというのがセッションのメインになります。(「愛されるオーラ~」の“心の傷を癒すエクササイズ”をご参照ください。) 人によっては時間がかかります。が、魂の成長という観点から見ると、自己肯定感を増す過程の方が、やりたいことをやっていることより大切だったりします。ので、早く苦しさや焦りから抜け出したいのは、分かりますが、良い意味のあきらめをして、焦らず丁寧に何度もやるのが良いでしょう。 また本当に多いのは、考えすぎてまったく魂の声が聞こえなくなっているケースです。以前にも書きましたが、私たちは、考えすぎると、たいてい不安が増す、混乱する、条件のなかに溺れる(こうすれば、あぁだけど、あぁすれば、こうなって・・・)となってきます。 そして、考えれば、考えるほど、真意から離れていってしまいます。というのは、真意は「感情」だからです。感情ですから、~~で・・という説明がありません。せいぜい、嬉しい!、わくわくする!という短い単語しか持ちません。 そして、感情は身体に集中するほうがよく分かります。ですので、真意を探るには、瞑想が一番良い手段ですね。自分が興味あること、やってみてもいいかなと思っているものをイメージして、身体(感情)がどう反応するかチェックすることです。 また、セッションでは、思考の渦からでるために、すべての思考を書き出してもらいます。思考の数は山ほどあっても、それらの思考のもと自体は、数個であることがほとんどです。ですから、そのもとを見つけ、それを解放していくことで、山のような思考が減り、自分の真意がじょじょに見えてきます。(お薦めです。一週間毎日数ページ自分の思考をすべて書いてみましょう。) また、~~であるべき、というのも同じように真意を見えなくしてしまいます。「これが正しい、こうあるべき」と強く思っているため、魂が違うと言っていても聞こえなくなってしまいます。「一つのことに打ち込むべき」「やり始めたら、最後までやるべき」などなど。しかし、そのためになぜか憂鬱になったり、疲れが取れなかったり、苦しさがあったり、何かが違うと漠然と感じたりします。正しさではなく、幸せを選びなさいとよく書いてありますが、その通りだと私も思います。 自分の中で、~は~~であるべきという思考が横切ったら、要注意でしょう。それがどんなに正しくても、自分の幸せやまた魂の成長には役に立たない場合があるからです。魂に「べき」という言葉はないんですね。 話はずれますが、会社の飲み会に行くという場合、例えば思考が「行くべきだ、でないとつきあいの悪い人と思われる」と言っているときも、魂は「行きたくない」としか言っていません。しかし、魂の声でなく、べきを優先しているうちに、真意(魂の言葉)が聞こえなくなってくるのです。 と、書くと、でも、それじゃぁ、自己中心な社会性のない人間になってしまうんじゃぁと思う人もいるかと思います。嫌だなぁと思っても、どうしても必要であれば、それをすることはまったくOKです。なにごとも、こっちをするべき、こっちを目指すべきというものはありません。どうも、どっちかを選ばなければいけない、どっちを選ぶべきか教えてくれという風潮があるように思えますが、すべて自分次第です。 大切なのは、自分の真意をきちんと把握しているかどうかです。「べき」に流されないということです。「私の真意は、行きたくないだけど、今日の私はつきあうことにする」と意識的に決めた場合と、ただ「行かなきゃぁ~」と思って行くのとでは、ストレスがものすごく違いますよ。 また、真意にそって行かないという選択ももちろんOKです。すべてが自分次第で、正しい答えというものはありません。で、それでいいんですね。自分は正しい選択をしたのかどうか気にする必要はないんです。ちょっと前にあるように、正しさより、幸せですから。 さて、ずれにずれてしまいました。ごめんなさい。このまま書くとえらく長くなりますので、あとの三つについては次(または、その次も)に書きたいと思います。
2006年01月15日
コメント(1)
さて、たまに日本に帰ると楽しいです! なんか背が高くなった気分にもなれるし。(イギリスでは、小人のような気がいつもしているので。)サービスは良いし、「お客様なんだ、私」って思えるし。(イギリスでは、「何か買いたいわけ?」みたいなサービスが多いので。)そして電車! ちゃんと時間通りに動いている電車! ですので、「家からそこまで、何線で何分、そして乗り換えて何分だから、45分見とけば大丈夫かな?」と計画がきっちり時間の無駄なく立てられます。ロンドンでは、何線で何分だけど、電車がキャンセルになった場合、15分待って、それで地下鉄で10分だけど、信号故障で10分ぐらい立ち往生するかもしれないから・・・、ほんとうは1時間でつくけど、1時間半は見ておかないと、といった計画になり、電車がちゃんと来ても、来なくても時間のロスがどうしてもあります。しかし、30秒の遅れを取り戻すために事故を起こし、亡くなってしまった日本の若い運転手さんには心から同情してしまいます。この事件はイギリスでも大きく取り上げられました。イギリスでは5分以内の遅れは、遅れとみなさないことになっているので、30秒の遅れを取り戻すなんて信じられない、日本って厳しいストレス社会だと思った人も多かったでしょう。最近のイギリスの傾向として「なるべく何もしないで金を儲けたい」、「責任は取りたくない」という雰囲気を強く感じます。個人の経営から、大企業にいたるまでその傾向はあちこちで見られます。そういう仕事に従事している人々の表情に、仕事への情熱とかプライドなどはあまり見られず、本当の意味での達成感とか、充実感はないだろうと思ってしまいます。先月ボイラーが故障して、寒さに震えながら電話しても、三日後に来るというので、なんとかもう少し早く来れませんか?と聞くと、乱暴にIt is not my business(知ったこっちゃないよ)と言われましたが、こんなことしょっちゅうです。一方、日本ではこんなビジネスでは生き残れませんから、どうしても仕事の負担が大きくなります。そのぶん残業する人が増え、個人のストレスも増えるでしょう。じゃぁ、どっちの国が良いのか、ということになるかもしれませんが、私はそれにはあまり関心がありません。両方の国を見て、両方ともそんなに幸せに見えないと思うのです。日本は、世界で経済大国第2位、イギリスは4位ですが、人生に疲れている人、見失っている人がとても多いように思えます。物質的には考えられないぐらい豊かですが、ほとんどの人がお金が足りないと思っています。両方の社会も、好きなことをやれる可能性が世界のなかでもっともある国だと思います。が、そのために反対に、人生の目的を探して右往左往している人がどちらの国もとても多いと思います。私たちがどんな社会に住みたくて、自分がどんなことをどんなふうにしたいかを考えるとき、スピリチュアルな観点を抜かして考えると、どうしても行き詰まりがあると私には思えます。30秒の遅れと取り戻す意味は、あなたが残業を断らない理由は? あなたが生まれてきたのは、そういうことのため? 存在の目的、理由を問いた場合、単に生物学的偶然(卵子と精子の結合)で生まれてきたのであれば、私たちの存在に理由はありませんが、人生の計画を持って生まれてきたのであれば、私たちがここにいる理由があるわけです。現在の社会は、生物学偶然論の上に立って出来上がっていると思います。つまり、宇宙と私たちはなんの関係もないし、守られてなんかいないから、生き残るために頑張らなくてはいけないし、人生は不安定、不確かなものという考えです。つまり、不安と恐れが、政治や社会の基礎になっていると思うのです。しかし、私たちはみな永遠の魂(光であり、愛である)存在で、宇宙の懐に守られていると考えれば、私たちの人生は実際は安定したもののなかにあり、私たちがすることは、魂(自分)を十分に表現することとなります。(やりたいことだけでなく、どう魂として、人間として成長したいかなど) そうであれば、政治や経済や教育は、いかに私たちがそれぞれの自分らしさを発揮し、成長できるかが中心のテーマとなるでしょう。そんな社会を想像してみると、いかがでしょう? もし、そんな社会に住んでみたいと思ってくだされば・・・、そうです!まず自分から、ということで、自分の行動や意思決定が、将来への不安に基づいたものか、それとも自分の魂の表現欲求(=自分がわくわくするもの、真に望んでいるもの)に基づいたものか、私たち個人レベルで選び取っていくことはできるでしょう。(それが分からないのだ、という人は、話が長くなりますので、次回に書かせてください。)あれ、最初なにを話していたっけ?というぐらい初めと終わりが違う内容ですが、まぁいいでしょう。では、次の土曜日は、レクチャーです! 広い部屋が取れましたので、まだかけこみ可能です。参加を申し込んで下さった皆様、質問を用意してきてくださいね。後半は、大質問大会です。また、基本瞑想とガイドとつながる瞑想もしたいと思っていますので、お楽しみに!
2006年01月08日
コメント(13)
明けましておめでとうございます!今年も皆様よろしくお願い申し上げます。さて、ニューイヤー瞑想をしました。で、「もっと世の中がよくなるために、私はどうしたら良いでしょうか?」と聞きました。浮かんできた答えは、「暗さの中に希望の光を見なさい。すべての人の中にある強さを見なさい。あなたが見ないだけで、神の目にはすべての事柄に、すべての人の中に、希望の炎と強さの輝きが見えています。暗く悲惨な事件の黒いエネルギーの陰に必ず光があることを見てください。苦しんで弱くなっている人を憐れむのでなく、彼らのなかに強さがあると信じてあげてください。あなたがそれを心の目で見れば、希望の炎はさらに燃え、強さの輝きはさらに増し、やがてそれらは外に現れ出てきます。」というものでした。「最近、わけの分からない物騒な事件が多いね、怖いね」とか、「ほんとうに、そんなことする人がいるなんて信じられないね」とか、悲惨な事件のニュースを聞いたとき、ついそんなふうに言ってしまいがちですが、上のメッセージを思い出し、事件の陰に希望の炎を、また被害者、加害者となっている人たちの中に強さの光を私たちが思い出せば、起きた出来事全体が癒されるということでしょう。ので、ぜひぜひ皆さんでやりましょう!!!またこれは、自分におきた出来事、自分が苦しいときでも同じだと思います。あと「どんな小さな光でも私たち(スピリチュアル・ガイドさまたち)は決して見逃しません」という意味のメッセージも浮かんで来ました。ニュアンスとしては、ばんばんにポジティブでなくても、良くなるというわずかな希望でも、持ち続けていれば良いということのように思えました。でっ、「今年の私に必要なことは?」と聞くと、イメージででっかく「笑」の文字が浮かんで来ました。えぇ、けっこう笑っているんだけどなぁ、コメディ好きだし・・・とか思い、どういう意味ですか?と聞くと、「仕事や生活の中から、人から受けるネガティブなエネルギーを笑うことで払い落とせる。」ということでした。ふ~ん、今年は、毎晩寝る前に大笑いしてみるか・・・。と書くと、私がチャネリングしているかのような印象を持つ方もいるかもしれません。しかし、私は声が聞こえるわけでもなく、また、数回スピリチュアル・ガイドさまを見えたこともありましたが(号泣してしまいました)、見たいときに見えるわけでもありません。いわゆる霊能力者と比べたら、かなりへなちょこです。ので、こんなレベルであれば、誰でもできると私は確信しております。もし、まだそんな体験を瞑想でしていな~いという方は、私が参考にしたものは、何度もお薦めしている「神との対話」に「神はすべての人に語りかけている。あなたがそれを聞くことを選択すれば良いだけだ」といったような内容でした。 「じゃぁ、聞くことにする」と、選択をしたのです。そんな簡単なこと?と思うかもしれません。そんな簡単なことです。答が浮かんできますよぉ。ただ、すでに私は霊能力がありそう、という方はグラウンディングを必ず忘れずに! 高いレベルのふりをした低いレベルの霊が語りかけてくるのを防げます。
2006年01月02日
コメント(5)
全4件 (4件中 1-4件目)
1