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このところすっかりイギリスの冬の天気です。つまり、曇りと雨。ワークショップ、セミナー等にお申し込みいただき、メッセージを書いてくださっているみなさん、ほんとうにありがとうございます!!ものすごく励みになりますし、心から感謝しております。拙書「運命の人と出会うスピリチュアル・レッスン」に登場してくる、サイキックな友人が今年最後の交流会を今週日曜日にロンドンで開きます。(日本の皆さん、ごめんなさい!)テーマはソウルメイトです。ロンドン周辺のみなさん、ぜひいらしてください!さて、先日二ヶ月ぶりに友人のサニータ(仮名)に会いました。彼女は、年に3、4回ぐらいソウルメイトに会っています。会ったときは、「彼はすごく明瞭で、行動力もあって、もう悟っているんじゃないかと思う」といつも大騒ぎです。彼女とは数ヶ月に一度ぐらいしか会わないので、次に会ったときに「あのときの彼とは今どうしているの?」と聞くと、「はっ、誰のこと?」という答えがほぼいつも返ってきます。で、今回もそうで、おまけにまた他のソウルメイトに出会ったばかりとのことでした。彼女が今年2回目に出会ったソウルメイトの男性は、私もたまたま2年ぐらい前から知っている人でした。そのときも彼女の興奮ぶりを聞きながら、確かに彼良い人だけど、悟っていないし、私たちと同じように普通の人だと思うと言ってみました。が、ぜんぜん彼女の耳には届いていませんでした。今年30歳になった彼女は、インド系のイギリス人で、堀の深い顔で、大きなきれいな瞳を持ち、笑うと真っ白な歯がのぞき、とてもかわいらしい人です。ですが、もう6年以上彼がいない状態です。彼女は、彼がいないだけでなく、今まで一度も働いたことがなく、ずっと国から失業保険をもらって暮らしています。イギリスの失業保険制度は、若くて健康でも、仕事が見つからなければ、永遠にもらえることになっています。寛容な制度ですが、私は弊害も大きいなと思っています。というのは、それなりに暮らせてしまうため(余裕はあまりありませんが)、そこから抜け出せなくなる人が非常に多いということです。また、納税者にとっては、単純に税率が高い。サニータも同様で、ヨガの教師の資格を持っている彼女(すごく上手)に、ほかの友人がヨガ教師の仕事の話を持ってきてくれても、「自信がない」「私はまだまだ教えるレベルじゃない」と言って断ってしまいます。私たちは、自分が社会に役立っているとか、ちゃんと働いているという感覚がないとたいてい自己否定に走っていきます。もともと自己価値が低い(自分に自信がない)ため、仕事に就けず、仕事をしていないためますます自己価値が低くなるサイクルに陥ってしまい、なかなか出にくくなるんですね。彼女がそういったサイクルに陥っているのかどうか、またどうしてそんなに自分に自信がないのかは私には知る由はありません。(自信がないのには、必ず理由はありますが)しかし、毎年数回ソウルメイトに出会っている話を聞いて、一つはっきりしているのは、自分を現在の状況から連れ出してくれる人、そして自分が持っていない(と思っている)人生への明瞭さ、行動力を持っている人を無意識にものすごく求めている探ということです。その思いがあまりに強いので、ちょっとでもそんな雰囲気の人に会ったときに、無意識に心が「あなたが、私が求めているものをすべて持っている人」と決め付けてしまいます。そして、彼がそれを補ってくれると感じ、一時的に自己否定や不安から解放されるので、とても心地良いんですね。で、その人がほんとうはどんな人かがまったく見えなくなり、自分の思いをその人に投影して最初のうちは、夢心地になります。それがいつもの「ソウルメイトに会った!」発言になるわけですね。私は友人といるときは、カウンセラーとしての自分は忘れて、リラックスしているのですが、彼女には少し「自分を見つめると恋愛もうまくいく」という話したりします。が、現在の彼女はエンジェルともっと交信できるようになることや、ある偉大なヒーラーの教えに夢中です。もちろんそれはそれで良いことでしょう。しかし、エンジェルとの交信と偉大なヒーラーの教えがあっても、自分を見つめないと、同じことを繰り返すなと私は思うのです。彼女のケースはかなり分かりやすいケースですが(といっても本人は気がついていませんが)、程度の差はあれ、私たち全員が自分の思いを他者に投影して思い込むということをやっています。例えば、誰かを信頼したいと無意識に強く思っていると、信頼できそうに見える人や自分にとって都合の良い話しに出会うと、すっかり信頼してしまったりなど。そして、その人が実は信頼できる人じゃなかった場合、あんなに信頼したのに、裏切られた!と後で傷ついたりします。しかし、サニータが出会った男性たちが、サニータが思ったような人ではなかったように、裏切った人は、はじめからそういう人だっただけです。信頼できる人間から裏切る人間に豹変したわけではありません。と書くと、なんだ結局ぜんぶ、私が悪いわけ?と思う方もいるかもしれません。いえいえ、誰が悪いとか良いということではないですよ~。私たちのほとんどが気がついていないニーズを持っているということです。言い換えれば、そのへんが見えて、自分で満たせて行くことができれば、状況はガラッと変わるということ、つまり! 私たちには変化の鍵を内に持っているということです!その変化の鍵の見つけ方を少しでも身につけたい!という方、ぜひセミナーにいらしてください! ご興味のある方はこちらをクリック!→セミナー
2007年11月28日
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お蔭様でワークショップが定員オーバーになり、スピリチュアル心理学講座も満員となりました。みなさんお申し込みありがとうございます! 万が一抽選にもれてしまった方、またこれからお申し込みの方は、ぜひセミナーのほうへお越しください。また、メールリストにあった方にお送りしたご案内にセミナーのスケジュールが抜けておりました。申し訳ありません!最後に記載しましたので、ご参照ください。また、今年も公開カウンセリング中心にやりたいと思っていますが、今年は多少理論なども加え、皆さんに少しでもセルフカウンセリングができるコツをつかんでいただければと思います。公開カウンセリングは、その方がどんなテーマを持っていて、どうお答えするかなどその場になるまで私にはまったく予想ができませんので、ぶっつけ本番でけっこう大変です。理論などのトークだけしているほうが安全なのですが、それでもやりたい理由は、本やブログで書けない部分を知って頂きたいと思うからです。ですので、ぜひいらしてください!とはいえ、ブログを読んでくださった方で、楽になりました!と言ってくださる方も多く、私としては驚き、かつ大変嬉しいです。さて、話しはがらっと変わりますが、よく「~~しないように気をつけている」という言葉を耳にします。クライアントさんにも身近な人々にもとても多いです。たとえば「人の悪口は言わないようにする」「愚痴をこぼさないようにする」「ネガティブな思いは持たないようにする」「子供に当たらないようにしている」「人に頼らないようにしている」などなど。一見良いことを心がけているように見えるのですが、なんとなく肩に力が入っているのを感じますね。で、この「~~しないようにする」は、実際にエネルギー的には、だいぶストレスになります。ですから、たいてい成功しません。そもそも、なぜ「~~しないようにする」のかというと、それは紛れもなく「そうしたくなる(せざるを得ない)自分」がいるからです。で、それは良くないから、やらないようにしよう(←抑圧)ということですね。そうでなければ、たんに「しない」だけです。この違いは大きいです。話しは少しそれますが、ポジティブ思考の本が流行った(流行っている?)ため、ネガティブな思考や感情を持たないように頑張った人がだいぶいた(いる)ように思います。で、ネガティブな思いや感情を抱くたびに、だから私はダメなんだと自分を叱り、必死に封じ込めてしまう人も多いですね。しかし、落ち着いて考えれば、私たちが一生、人のことをまったく悪く思わない、ぜったいネガティブな思いや感情を持たないということは、非現実的かつ非人間的だということに気がつくでしょう。(悟りを開いたマスターであれば、話しは別ですが。)さて、話を戻すと、~~しないようにしていて、それにとりあえず成功していると、それをしている人をみると大変腹が立ったりします。例えば、愚痴を言わないようにしていると、愚痴を言う人を見て非常に腹が立つとか。で、それがまたストレスになったり。「~~しないようにしている」という行為は、100%抑圧です。つまり、ネガティブな感情や思いを無理やり閉じ込めているということです。で、抑圧した感情はなくなったわけではありませんので、いつもそこにくすぶっています。しかも、抑圧するたびにくすぶりが大きくなります。ですから、「~~しないように」すればするほど、苦しくなったり、余計繰り返したりします。また、前に書きましたようにエネルギーとしてもストレスになりますので、身体的な症状がでてきてもまったくおかしくありません。一番の早い道は、出てくる思いや感情に抗わないことです。誰かのことを嫌だと思うと、たいてい、そういうふうに思う自分もまた嫌だというサイクルに入っていきます。嫌な気持ちが2倍になりますね。しかし、「あぁ、そうか私は~~さんのことを嫌だと感じているんだ、そうかそうか」と受け入れてあげれば、そのサイクルに入っていきません。私たちの中のネガティブな気持ちは、私たちに受け止めてもらいたがっています。それもいつも。泣いている子供のようなものです。泣いている子供を、罰したり、叱ったり、そしてなによりも無視(=抑圧)したりすると、その子はものすごく苦しくなりますね。しかし、抱きしめて話を聞いてあげれば、落ち着くでしょう。私たちの感情も同じことです。そして落ち着いた段階で、どうして泣いているの?と子供に聞いてあげるように、私はどうしてそう感じるの?と自分を見つめていくことです。このプロセスが、抑圧ではなく解放につながります。で、じゃぁどう自分を見つめて解放するの?という方は、ぜひセミナーにいらしてください! ご興味がある方はこちらをクリック→セミナー詳細■セミナースケジュール■10:00~12:30 人間関係(境界線の引き方など) 恋愛(恋愛がうまくいかない、など)12:30~13:30 ランチ13:30~16:00 仕事(自分の今の仕事は合っている?やりがいのある仕事を見つけたいなど) 経済的豊かさ(お金の余裕がもっと欲しいなど) 自分について(自分を好きになれない、他の人の評価が気になるなど)(途中休憩あり)16:00~16:30 セルフヒーリング瞑想16:30~17:00 Q&A
2007年11月21日
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イギリスは珍しく晴天が続いております。が、私は不覚にも風邪を引いてしまいました。流行っているそうです。皆さんお体には気をつけてくださいね~。そうそう、鼻水と頭痛で苦しんでいたとき、ベッドの中で何兆もの私の細胞がすべて光の波に浸り、細胞が宇宙の波動と一体化し、ついには体がなくなるというイメージをしたところ、体中に波うつエネルギーを感じ、めっちゃ気持ちが良かったです。さて、私はセッションのなかでときどき、それがその方がセッションに来た理由でなくとも、人生で一番求めているものは何ですか?とお聞きすることがあります。これは、セッションの方向性を明らかにしたいのと、またその方の現在の悩みや問題がそれが明白なれば、だいぶ解決できるなと思うときです。で、いただくお返事のなかで「平凡に暮らすこと」「小さな幸せがあれば・・・」「好きなことをやって普通に食べていけること」などがけっこう多いです。で、さらにつっこんで「普通にって具体的にどういうことですか?」、「小さな幸せとは具体的にどういうことですか?」などとつっこんでお尋ねします。というのも、1)「普通に暮らす」、「小さな幸せ」と思っていることが、実はぜんぜん普通でも小さくもないことがある。例えば、小さな幸せ、平凡な人生とは具体的になんですか?とお尋ねすると、「家族がみんな仲良く、健康に恵まれ、お金に困っていないこと」とお答えする人が非常に多いです。が、この3つが揃っている人は、実は社会に非常に少ないでしょう。家族仲が良くても、誰かが病気だったり、お金はあるけど、親子の摩擦があったり、健康だけどお金がいつもぎりぎりだなどなど。そういう意味で、もし3拍子そろっていたら、これは小さくとも平凡でもない、ある意味非凡な幸せですね。ところが、なぜかそれが小さな小さな幸せだと思っていると、自分にはそんなささいな幸せすらないとか思ってしまったりします。(←不必要な苦しみ)また、世の中には3つともない人もたくさんいますね。もちろん、その人たちがその状態を幸せと感じているか不幸せと感じているかは、本人次第です。2)自分が本当に望んでいることではないかもしれない。平凡な人生が良いなどといった言葉は、けっこうあちこちで耳します。ですから、本人が本当にそう思っているといよりも、親や社会の刷り込みの可能性もあります。漠然と印象でそれがきっと良いんだろうと思っている人も多いです。そう思うことがいけないということでありません。しかし、ほんとうに自分らしく、自分が満足できる状態になるには、自分が求めているものがちゃんと分かったほうが良いですね。3)平凡、小さな幸せ、普通にという言葉は、あまりに漠然としている。朝起きて、今日の一日の予定がどんなだったら、どんな気分になる? どんな人と会って、どんなことをして、どんなことがあって、そして夜寝るときどんな気持ちで床についたら、私はこれが私の人生だと思えるだろう?そして、一番大切なのは、もしそういう生活が実現したら、私はどんな気持ちになるだろう?と、もっと具体的にハートに聞きながら(気持ちを確かめながら)とイメージすることでしょう。それが私たちの魂が真に求めていることですね。その結果が、いわゆる平凡な人生でもまったくかまわないわけです。私はかつて向上心が大変強い人間でした。ですので、毎年なにか自分が進歩したと思ったことがないと、ものすごく不安な気持ちになったものです。進歩することはもちろん素晴らしいことです。しかし、進歩すべきになってしまうと、あぁ、すべきか、それともこうすべきかと思考に走り、だんだん自分のハートと離れていってしまいます。私のクライアントさんでも、人は向上すべき、大人は~~であるべき、といった考えをお持ちの方もけっこういらっしゃいます。繰り返しますが、そういう思いを持つこと自体が悪いわけではありません。ただ、そこにあまりに意識がいってしまうと、ほんとうに自分が求めているもの(魂の声)が抑圧されてしまうことがあります。魂の重荷、負担、抑圧を減らし、解放していくことで、愛や喜びの感覚であふれた本来の魂としての私たちが顔をだしてきます。体のエネルギーもアップしますし、安心感や自分や宇宙を信じる思いも自然に増えてきます。ですから、私の3冊目の本にある言葉、“what makes your heart sing ?”(何があなたのハートを歌いたい気分にさせますか?)は、やっぱり生きる上でのキーワードですね。さて、今年もセミナー、ワークショップのお知らせ時期となりました。来年のセミナー、ワークショップでも恋愛、結婚、子育て、仕事、お金などなど、みなさんのあらゆるテーマをもとに「魂の解放」を目指して、その場でワークさせて頂きたいと思います。今回は、新たに「スピリチュアル心理学講座」を設けました。エゴの心理がよ~く分かれば、自分や他者に対して、いろいろなことが見えてきます明日の夜か日曜日にこれらのすべてのお知らせをブログにアップいたしますので、ご興味がある方はぜひチェックしてください!! (ワークショップの応募者が定員数を超える場合は、抽選にいたします。)
2007年11月16日
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私の名前はイギリス人に比較的簡単に覚えてもらえるのですが、たまに覚えられない人がいます。少し前にあるセミナーに行ったとき、隣に座った年配の女性が、私の名前をとなぜか“ウタ”と激しく間違って覚えてしまいましたが、訂正するのが面倒で、もう会うことないだろうし、いいやウタでと訂正しませんでした。ところが!、その女性は、私の友人の友人だったということを後で分かり、その後それなりに顔をあわせ、そのたびに“ウタ!元気?”と言われてしまいます。今更私の名前はアユカですって言いにくいなぁ、でも言わなきゃなぁ・・・。さて、ぜんぜん話題を変え、今回も前回の「ほんとうの理由」シリーズで行きたいと思います。だめな自分を受け入れる、または自己否定をしないのは難しいという声があちこちで聞かれます。例えば、「私は人に見返りを求めて行動している・・・なんて性根が悪いんだ」、「私は彼女の不幸を喜んでいる。なんてどろどろした人間なんだろう・・・」などなど。そしてそんな自分をどうしてOKにできるだろうと自分を肯定できない理由をもっている人は大勢いることでしょう。で、こういったことはすべて、以前にも何度も書いていますが、私たちの表面の部分しか見ていないからなんですね。確かに人の不幸を喜んでいる自分をOKにするのは難しいかと思います。で、前回と同じく、私たちのすべての思い、感情にはほんとうの理由があります。そこを見てていけば、もっと受け入れやすい自分が見えてきます。そのためには、どうして私は人の不幸を喜ぶんだろう?と探っていくことです。例えばカウンセリングのセッションで、クライアントさんが「私は、人の不幸を喜んでしまうところがあるんです」といった場合、私にとってはまだまったく大雑把な話です。本人は、「私は人の不幸を喜んでいる」と深く信じているのですが、それがいつも、誰にでもかと尋ねると、たいてい違うとお答えになります。たとえば、電車の衝突事故で亡くなった人々やその家族の方々には深く同情の気持ちが沸くけど、婚約が破棄になった知り合いのAさんの話しにはつい嬉しくなる、または知らない人の不幸は同情心が沸くけど、親しい人には沸かないなどなど、ある場合は、そうだけど、ある場合にはそうじゃない、というケースが圧倒的に多いです。つまり、「私は人の不幸を喜んでいる」のではなく「Aさんの婚約破棄話にほっとしている」というのが正確な言い方ですね。言葉尻をいじっているように聞こえるかもしれませんが、「私は人の不幸を喜んでいる」と信じ込むとかなり苦しくなるうえに、事実に即していないので自分を見つめるとか、受け入れるとかしようとしてもどうにもなりません。ので、やはり事実を見極める必要があります。で、例えば「Aさんの婚約破棄話にほっとしている」のであれば、次に見ていくのは、自分が恋愛とか結婚というテーマで不幸感がある、または自信がないといったものがあるかどうか、などを探っていきます。で、もしそういった感情、思いがあれば、今度はさらにどこからそういった思いが生まれてくるのかをさらに見ていきます。そうやって見ていくと、たいてい私の本(特に「愛されるオーラになる~」)に書いていますように、子供の頃の体験に戻る場合が非常に多いです。三つ子の魂百までとはよくいったもので、サイコセラピーでは、0歳から6歳までは、すべてを主観的に捉える期間といっています。つまり、客観的な判断がまだ養われていないので、例えば、親が不機嫌だったりすると、それは自分のせいだと思ってしまいます。そこで「自分は価値がない」「自分はいないほうがいい」「自分は邪魔な存在」などなどいろいろなコア・ビリーフができあがっていきます。しかし、もともとこの思いが無意識下に生まれているので(こう意識する子供はまずいないでしょう)、この思いはたいていずっと潜在意識のなかにあります。ところが、潜在意識のなかにある思いのほうが私たちの普段の行動に大きな影響を与えるわけです。つまり、なんとなく「自分はダメだ」という感覚で生きているので、その感覚に従った思いが浮かび、その感覚に従った行動を取っているわけです。で、思考と行動が私たちの人生を作るわけですから、いくら素敵な結婚を夢見ても、実現は難しいですね。たとえば、「私は愛される価値が無い」というコア・ビリーフがあるので、周りを見渡すとほとんどの人が自分より「愛される価値がある」人たちに見えます。で、ますます自分はダメという思いが強まりますね。が、誰でも、魂レベルではそれが本当じゃないことが分かっているし、「私はOKだ」と思いたい気持ちがあるわけです。ですから「自分をOKと思いたい」という思いも同時に強くなっていくわけです。そんな心理状態のときに、自分と比べたら愛される価値が高いと思っている人の幸せな結婚話を聞くと、ますますこの「愛される価値が無い」思いが刺激され、苦しくなります。ところが、反対に結婚がだめになったとか、婚約が破棄になったと聞くと、この反対で、「愛される価値が無い」思いが刺激されないので、ほっとして嬉しくなったりします。が、もとをたどれば、今見てきましたように子供のときに充分に世話してもらえなかった自分がいるだけです。そういう意味で、決して性根が悪い人とか、どろどろした人というのは存在しないんですね。で、受け止めるのがこのレベルならもう少し受け入れやすいでしょう。つまり、親から充分にかまってもらえなかった自分を受け入れてあげるということです。さて、こういったことは、実際の皆様のやりとりのなかでご説明していくのが一番だと思います。来週中には日本でのセミナー、ワークショップ、スピリチュアル心理学講座の詳細が出揃う予定です。(東京と大阪)去年と同様に、会場の皆さんの生のテーマを基に、その場で公開カウンセリングをしていこうと思っております。私と参加者の方のやりとりを見ていただくことによって、みなさんが自分でどう自分を掘っていくかなどを知っていただくお役に立てればと思っております。来年はもう少し理論も加え、より分かりやすくできればと思っておりますので、ぜひぜひいらしてください!
2007年11月10日
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昨日、今日とロンドンは秋晴れです。めずらしく青空が仰げ、今日の午後はグリニッチマーケットに行こうかな。さて先日、カレッジで授業をしたときのことです。授業の内容は、エネルギーに敏感になるためのエクササイズや呼吸法をやり、ペアを組んでもらい、お互いのエネルギーをスキャンするといったようなものでした。昨日は、参加者13名のなかに、まったくの初心者が一人、二人レイキティーチャーがいました。他の人もどちらかというと初心者に近い人たちが多数でした。まったくの初心者とレイキティーチャーが同じクラスにいるのは、あまりやりやすくないのですが、まぁこれまでも経験なくはなかったので、そのまま授業を進めていました。で、午後にペアになってスキャンをするエクササイズをしようとしたところ、一人のレイキティーチャーが“このエクササイズは、私には必要ないから、私はこれで帰ります。”と言ってきたのです。すると、もう一人のレイキティーチャーも、私も帰りますと二人で一緒に部屋を出て行ってしまいました。私は、心の中で今出て行かなくても・・・と思いつつ、まぁ彼らの意思を尊重しようと思い、そのまま授業を進めていました。ただ、あぁあ、日本人だったらたぶん帰らないだろうなともちょっと思いました。(気を使うから)で、授業の最後に、なにか質問はありますか?と聞くと、参加者の男性が、“エクササイズの途中で出て行った二人は、僕たちに嫌な気持ちを残した”と発言したのです。すると、次々にその二人への不満が参加者の口から出てきたのです。確かに出て行く前から“アチューメントを受けていない人たちにこのエクササイズは意味が無い”などと言ったり、参加者の質問に私が答える前に答えたり、みんなで立って呼吸の練習をしているとき、二人だけ座ってやっていたりなど、やりにくいなとは思っていました。ただ、こういったことは、しょっちゅうではありませんが、こちらでコースを受けたりしているとそれなりに見かけることです。先生の説明に“それは違うと思います。”という人を見て、最初はびっくりしましたが、今ではあまり驚きません。ので、私はみんながそれほど二人に対して強い不満をみせたとことにちょっと驚きました。で、みんなは私の存在を忘れたかのように、二人への不満を述べ合い、仲には意見が合わない人同士もいて、またそこで険悪なムードに少しなったりしていました。ひとしきりみんなが意見を言った後で、私は“彼らの行動よりも、なにが彼らにそう行動させたのかが私には興味があります”と言いました。私が知って欲しかったのは、すべての人の行動の底に彼ら自身も気がついていないほんとうの理由があるということです。例えば、以前に参加したレイキティーチャーは、ビギナーの人を上手にサポートしてくれたり、とても協力的で、参加者がみな楽しく過ごせました。この違いはどこから生まれてくるのでしょう?私の本やブログを読んでくださっている方は、だいたい察しがつくかと思います。私がこのことをカレッジのディレクターに告げたとき、“実は、××(レイキティーチャーの一人)には、コースを辞めてもらおうと思っているんだ。彼女はとても不安定で自分に自信がない人で、それは良いんだけど、いろいろなクラスで問題起こしているから。”といいました。で、なるほどと思ったのです。不安定で、自分に自信がないから、“私は分かっているのよ”ということをアピールしたかったのだなぁと。彼女が私の話をさえぎったり、私より先に答えたりしていたのは、“私を認めて”という声だったのでしょう。自分がどんなに知っているか、できるかを認めて欲しかったのだと思います。私たちは自分を認めていないと、他者も自分を認めていないと思ってしまうものです。(どんなに他者が認めてくれても、ほんとうかな?ただのお世辞だなど、どこまでも疑いが残ったり。)本当は自分が自分を認めていないことがその理由であるのですが、他者が自分を認めてくれないと思うので、他者に自分を認めさせたい、または認めて欲しいという思いが無意識に強くなっていきます。ですから、私が彼女の発言に反応せず(授業をコントロールすること必死で気がつきませんでした)、進めていたために、私が彼女を認めていないと感じたのかもしれません。もちろん、これらはぜんぶ推測でしかないですが、ポイントは、必ずそういった本当の理由があるということです。で、もう一人のレイキティーチャーがほんとうはどうして去ったのかは、分かりませんが、同じようになにかほんとうの理由があるのです。そして、どうして彼女がそんなに自分を認められないのかを探れば、たいてい生い立ちにあります。例えば、両親に否定され続けてきたとか、何かしら納得の行く理由があるものです。そういった潜在意識のなかの本人もほんとうの意味では気がついていない思いや感情が、私たちの行動を決定するという話を図に書いて説明し、それがビギナーをサポートする人と、去ってしまう人の差で、決して良い人、悪い人ととかそういう差ではないと話しました。(そのときは、まだカレッジのディレクターと話をしてなかったので、他の例を用いて)すると、一人が“今の話し自体がヒーリングになった”と言ってくれました。ただ一人は、“ティーチャーのくせにプロフェッショナルじゃない”と最後まで怒っていました。(カウンセリングコースに出てくださったみなさん、この人の心理構造分かりますね?)さて、来年1月~2月にかけて、4回シリーズの(平日夜)スピリチュアル心理学講座を東京で行う予定です。詳細は、ワークショップ、セミナーなどの詳細がでたときに一緒にブログに発表します。(恐らく今月半ば)セミナーへお問い合わせくださった方々は、メールにて詳細が決まり次第ご案内いたします。ぜひ、いらしてください!
2007年11月04日
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