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イギリスは、予想に反して毎日涼しく、雨も一日に一度は降り、夏はどこに?という感じです。現在、グリニッチ(グリニッチ天文台があるところ)の友人宅に滞在しており、今オークションにはまっています。アンティーク家具や小物がかなり安価(1500円~2万円弱)で競り落とせ、先週は、二対のイタリア製の天使を競り落としました!というか、だれもほかに欲しい人がいなかったので、一番低い値段で買えました。へへ。さて、いつもたくさんのコメントをありがとうございます! 皆さんの悩みを読み、とくにどうしたら良いですか?と聞かれると、ものすごく答えたくなります。しかし、いつもジレンマに感じるのは、ブログにはどうしても限界があることです。というか、たいてい入り口程度しか書けないです。ですから、ブログに書いてあることをやったけど、ちっとも楽にならないとしたら、耳にたこができているかと思いますが、一人で抱え込まないでくださいね。それを前提に下記のコメントにお答えさせていただきますね。コメントありがとうございます!やっといろんなことを忘れかけていたころに元恋人から「元気にしてる?」という類のメールが届きました。それがきっかけで抑えてきた感情や思いが噴火のごとく吹き出し、悲しみと怒りに苦しんでいます。彼が去った理由は私が子供を産めない身体だからです。その後、風の便りで別れたすぐに新しい女性とお付き合いしてることも知っていましたが、今になり感情が手がつけられない状態になりました。その新しい女性は私の知人でもあり、深く傷つき、また憎しみも増幅していき、手がつけられないです。<略>愛と憎しみは紙一重といいますが、愛っていったい何だろうかと考えさせられます。自分のことををほんとうに大切だと思っているつもりですが、心からではないのかもしれません。このような憎しみの気持ちから解放されるには、どのように見つめていけばいいのか教えてほしいです。↑これは、辛いですね。私が、現在の状態でなければ(現在の知識や経験がなければ)、同じことをもし経験したら、立っていられないかもしれません。これを申しあげても楽にはならないと思いますが、とりあえず立っているだけで、自分は偉いと思ってくださいね。さて、スピリチュアル心理学講座を受けてくださった方は、ご存知かと思いますし、何度かブログにも書きましたが、ちょっと復習させてください。まず「奇跡の学習コース」によると、恋愛には(人間関係には)、「スペシャル・リレイションシップ(Special Relationship)」と「ホーリー・リレイションシップ(Holy Relationship)」があります。スペシャル・リレイションシップ(Special Relationship)は、一見愛ある関係に見えますが、基本的にニーズ(自分の中の欠けたものを埋めてもらう)基づいた関係です。一方、ホーリー・リレイションシップ(Holy Relationship)は、無条件の愛に基づいた関係で、そこには不安や欠如感がまったくない関係です。で、悟っていない私たちの恋愛(夫婦関係)の多くは、たいていスペシャル・リレイションシップ(Special Relationship)です。もし、ホーリー・リレイションシップ(Holy Relationship)であれば、彼が、“僕は子どもがどうしても欲しいから”と言って去っていくとき、子宝祈願のお守りでもあげて、“かわいい子どもができるといいね”と言って見送るでしょう。ちなみに、私は今書いたことはできません。たぶん、じたばたし、落ち込むと思います。ただ、「愛っていったい何だろうかと考えさせられます。」という問いへの答えは、「真の愛は、完全に自由で無条件だ」ということです。スペシャル・リレイションシップ(Special Relationship)は、自分が満たされなくなると、たちまち「スペシャル・ヘイト・リレイションシップ(Special hate Relationship)」(憎しみ合う関係)になります。これが世間で言う、愛と憎悪は紙一重というものですね。私たちの多くは、スペシャル・リレイションシップ(Special Relationship)しか知らないので、それが愛だと勘違いしているんですね。スペシャル・ヘイト・リレイションシップ(Special hate Relationship)は、ニーズが満たされなくなると(相手が去ったりなど)、自分のなかの欠如感が大いに刺激され、寂しさ、悲しさ、心もとなさなどどが噴出し、また深い深いところ(潜在意識)では、自己否定、自己嫌悪もひどくなります。ですからものすごく苦しくなり、そして、その苦しさの原因は相手にあると思ってしまうので、相手への憎悪が膨れ上がってきます。たまに愛情のもつれということで、殺人事件が起きますが、スペシャル・リレイションシップ(Special hate Relationship)のしくみを知っていると、なぜそういうことが起きるかがよく分かりますね。さて、話を戻します。現在の状況の中で、一番辛いことは何でしょう? 彼が去った理由が、「私が子供を産めない身体だ」ということでしょうか? それとも彼が自分の知人とつきあっていることでしょうか? それとも、彼との将来を描いていた夢がつぶれたことでしょうか? または、自分が否定された気持ちになったことでしょうか?すべてのことが辛いかもしれませんが、一番自分を苦しめていること(=思い)をまず見つけ、そして、それが入り口となります。これも何度も書いていますが、私たちを苦しめているのは、思いです。もし、自分を一番苦しめていることが「私が子供を産めない身体だ」という思いだとして、そんな自分を自分はどう見ているでしょう? そしてもし、そんな自分を否定的に見ていたとしたら、それはなぜでしょう? もし、自分の知人と付き合っているということだったら、それは自分に何を意味するのでしょう?(←これで出てきた思いが、自分を苦しめている思い) そしてそれはなぜ?自分の中の自分が否定している部分、嫌っている部分は、言い換えれば、自分が大切にしていない部分で、そこには愛が欠如しているので、心が満たされなくなります。そして、自分が満たされるためには、自分の否定している部分を誰かに肯定してもらう必要性が出てきます。例えば“子どもが産めない私を彼が愛してくれたら、私は自分をOKだと思え、満たされる”などです。これは、このコメントの方がそうだということでは、決してありません。皆さんにご説明したく、ありがちなパターンを書いているだけです。失恋はよくあることですが、心のしくみからすると、魂の飢えを直接刺激される、かなり辛い体験です。辛いから、さっさと忘れて、次に行きたくなると思いますが(それも悪くないけど)、私でしたら、自分の中の否定している部分、ダメだと思っている部分を潜在意識から拾いあげ、そしてそれを受け入れ、大切にしてあげられるようにワークをしていくだろうと思います。時間がかかる旅になるかもしれませんが、もし、それができるようになったら、私は私の魂になににも変えられない一番の贈り物をあげられたことになると思います。
2009年07月31日
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私の苗字を発音できるイギリス人はとても少なく、BT(NTTのようなもの)とか会社から電話がかかってくると、“こんにちは!ミス、ミゾ、ミゾ、ミゾギ・・・、コホン、ミゾギゴ(←聞き取り不明)・・”とたいていなるので、“気にしなくていいですよ。で、ご用件は?”と助けてあげます。あぁ、私の苗字が、ホンダとかカワサキとかトヨタだったらなぁ、お互いにだいぶ楽だったのに。そうそう、以前、ワタナベさんが、“ミスター・ワッタンビー”と発音されているのには、大笑いしました。(beをべではなく、ビーと発音するので)さて、今回もコメントにお返事いたします。下記のコメントです。ありがとうございます!今回のお話-嫉妬-と全く逆のことで苦しんでいます。今、自分の金銭的な欠乏に関する事についてワークしているのですが、出てきたのは「豊かになると奪われ傷つく、だから豊かにならない方がいい」という感情でした。幼い頃から、私が何か楽しそうにしていたり、心の豊かさを味わっていると嘲笑され、その楽しさを奪われるという家族関係があったのが原因だと分かっています。他人が自分より豊かで、幸せそうにしていると、「この人が私の何かを奪いに来ることはない」とホッとします。でも精神的にも物質的にも慢性的な欠乏状態に陥っていて、生きるのがとても苦しいです。色々なワークをし、自分のトラウマや辛かったことを受け入れるのは比較的ラクに出来るのですが、どうすれば、心の警戒を解いて、豊かさや楽しさを受け入れられるのか手がかりがまったく見えません。(以下省略)実際にお会いしないで、話を進めるのは非常に難しく、かつ間違っている可能性も大ということを前提にお話を進めますね。とりあえず、「豊かになると奪われ傷つく、だから豊かにならない方がいい」ということに気がついたことは、とても大きなことです。多くの人がそういった潜在意識の思いに気がつかず、「なぜ、自分はいつもお金に困っているのだ」と首をふりながら一生を終えますから。子どもの頃に楽しんでいると、からかわれたり、諌められたりすると、大人になったとき、楽しい気持ちが上がってきたとたん、無意識に押さえつけてしまったりします。そして、“楽しいという感情がよく分からない”と悩んだりする人もいます。(もちろん、全員ではありません)この方の場合、“奪われる”という言葉が二度ほど出てくるので、楽しんではいけないだけではなく、「取られる」という感覚があったのかなと思います。さて、実際にそのときに奪われたものはなんでしょうか? 遊んでいたおもちゃ? 楽しい時間? では、現在、自分がもし心も懐も豊かだったら、人はなにを自分から奪うのでしょうか? 自分のお金? 嬉しい気持ち? なんでしょう?子どものときの自分は、大人に対して無力で、おもちゃを取り戻したり、「私は楽しいのよ、放っておいて!」と無視したりすることができなかったでしょう。そのときに、心が萎んだ悲しみ、悔しさ、怒り、etcは、心にとても痛かったのだと思います。子どもの私たちは、そういう体験をすると無意識に誓いを立てます。もう二度とそんな痛い目に遭わないよう。誓い「楽しそうにしないこと」、誓い「他の人より幸せにならないこと」。そして、気がつかない限り、全員がこの誓いを守って生きます。そして、私たちは何歳になっても、過去の心の傷に触れる場面があると、そのときの幼い自分に戻ります。つまり、無力で対処できなかった自分です。潜在意識が、「今は大人だから違う」といつのまにか変化することはなく、当時経験した感情がそのまま(体感として)記録されます。ですから、「豊かになると奪われ傷つく」という感覚は、とても生々しいはずです。生々しいのですが、現在の状況とまったく一致していないんです。これを一度椅子に座って、しっかり意識し感じ取ってみると良いかもしれません。自分は、もう無力の子どもではないですし、自分の世界は家の中から、もっと広いものになっています。周囲の人は、変化し、いろいろな人がいます。こう書くと当たり前に聞こえますが、私たちの潜在意識は、この現実を無視して、過去の現実に生きているんですね。自分が今ものすごく豊かだとイメージして、「豊かになると奪われ傷つく」という思いがなかったら、世界はどう見えるか頭のなかで描いてみると良いかもしれません。今まで「豊かになると奪われ傷つく」という眼鏡を通して、他者を見ていたと思いますので、最初はどうしてもみんなが妬んでなにか言ってきたり、なにかしてきそうに見えるかもしれませんね。ですが、そこで踏みとどまって、「その思いがない私」だったら、私はどんなふうだろう?周囲の人はどんなふうに見えるだろう?と想像してみます。これは、その想像が正しいかどうかは、あまり関係ありません。ある意味、眼鏡を外すエクササイズです。眼鏡をはずすと始めて現実が見えてきます。そして、はじめて周囲人たちがどんな人たちかが、もっと分かってくるでしょう。そうすれば、豊かな自分を好きな人、まるで関心がない人、理解できない人、いろいろな人がいることが見えてくるはずです。そして、ほとんどの人は、自分のことで頭がいっぱいなことも見えてくるでしょう。つまり、自分の幸せを奪うことばかり四六時中考えている人は、誰もいないということです。それでも、もし誰かが嘲笑してきたら? そのとき、大人の私は、それをどう対処するでしょう?もし、誰かが奪おうとしてきたら、大人の私は、どうふるまるでしょう? 「私は私が大好きだから、私の幸せ、喜びを大切にします。」と思ってもいいかもしれません。自分のことををほんとうに大切だと心から思ったとき、必ず内側から力が沸いきます。その力を使って、Stand up for yourself ! (自分のために立ち上がろう!)
2009年07月23日
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今日は、やっとロンドンは少し晴れです。先週は、ずっと涼しく、雨もよく降りましたが。イギリスの庭が一番きれいなシーズンですから、さっそく公園に出かけたいものです。前回は、嫉妬に苦しんでいるというコメントやそれに対するコメントが多く寄せられました。記事と関係なく(?)、コメントで話が発展していくのが面白いですね。ということで、下記のコメントにお返事いたします。コメントありがとうございます!私は友達に対する「嫉妬」がすごく、特にその友達が旦那さんとの出来事を楽しそうに私に話すときに、「悔しい」という感情が出てきます。「どうして悔しいの?」→ 彼女より上になりたい。「どうして彼女より上になりたいの?」→ 私が認められたい。「どうして認められたいの?」→寂しいから。「どうして寂しいの?」→ 一人になるのが怖いから。→ 不安だから。自分自身の深い部分が不安だからという感情までたどり着き、彼女に非はないことも理解していますが、まだ、彼女と旦那さんのこと受け入れることができません。来週、彼女と旦那さんが旅行から帰ってきます。同じ会社なので、私は会社を休むことにしました。旅行話を聞くという受け入れができていないからです。想像するだけで、気分が悪くなるからです。<省略>「嫉妬心」というのは、恥ずかしい感情だと思います。でも、とても苦しい感情です。なかなか解放ができません。こちらのコメントに寄せられたコメントもとても良いものが多いと思いました。皆さんご自分の体験を正直に書いてくださるので、多くの人の役に立つことと思います。ありがとうございます!さて、どなたかも書いてくださっていましたが、とりあえず嫉妬であろうと、妬みであろうと、この方も辿り着いているように、すべてのネガティブな感情は、何らかの不安や恐れから発している感情です。ですから、そういう意味で例えば、嫉妬と例えば罪悪感になんの違いもなく、どっちの感情のほうが恥ずかしいということはないでしょう。ですから、この場合、正しく言えば、「嫉妬心」が手放せないのではなく、「一人になる恐れ」が手放せないということです。(ここまで自分で掘れたことは、グッド!です。) この方に真に役に立つお返事をするには、もっといろいろ聞きたいことも、突っ込みたいころもたくさんあります。が、ブログ上では無理ですので、とりあえず、「一人になるのが怖い」をもう少しツッコンでみると良いかもしれません。つまり、「具体的に一人になると、どういう怖いことが起きると思っているのか?」「なにが具体的に不安なのか?」「そう思うのはなぜか?」「それらの思いは、真実か?それとも自分の思い込みか?」などとです。また、「今現在、私は彼女より下なの?」「それはほんと?」「私はどんなふうに誰から認められて欲しいの?」「それはなぜ?」「彼女から旦那さんと旅行に行った話を聞くことで、一番恐れていることはなに?」「その瞬間をイメージしたとき、頭によぎっている思いは何?」「不安な気持ちが、もし口を持っていたら、なんて言う?」などなども有効かもしれません。これらの質問は、まだ入り口の質問です。もし、私のセッションに来ていただいたら、これらの質問のお答えから、またさらに突っ込ませて頂くと思います。これらの質問の目的は、この方を苦しませている真の思いを見つけ、その思いのウソを見破ることで、不安や恐れを解放することです。さて、私はかつて子供が欲しいという気持ちがすごく強く、友人に子どもが生まれたという話を聞くと、嫉妬心が沸き、赤ちゃんを見にいくのが辛かった時期がありました。私のなかでは、「子供がいる人生」と「子どもがいない人生」は、ものすごく違うもので、後者は、私にとって「欠けた人生」で、子供のいない私も「欠けた人」でした。で、私を苦しめていたのは、この「欠けた感覚」と自分を欠けた人と見る「自分の目」だったのですが、最初、それに気がついても、どうしても欠けた人生としか思えず、これはなかなか手ごわい思いこみだなと思っていました。そして、その欠けた部分は、子どもがいない限り、永遠にブラックホールのように心の中にぽっかり空いた空間で、埋まらないもののように感じました。頭では、そんなことはないと分っていましたが、心は、そんな感覚が永遠に続くなんて絶対嫌だ!と叫んでいました。スピリチュアル心理学を受けてくださった方は、お分かりかと思いますが、ほんとうに欠けているのは「神とのつながり」(=無条件の愛)だけで、それ以外のものは、なにも私たちのなかの欠けた感覚(=不安、恐れ)を埋めてくれるものはないんですね。ですから、日々、自分を許し、自分のもつ感情や思いに良い、悪いのレッテルを貼らずに見つめ、認め、受け入れ、セルフヒーリングを寝る前に毎日やり、自分の中からネガティブな感情が沸いてきたら、私は何を恐れているのだろう?と批判なしにじっと見つめたり、いろいろなワークショップに出かけ、自分のテーマにワークしたり、していました(しています)。・・・・とかくと、すごく頑張っているように聞こえるかもしれませんが、慣れてしまえば、自然にやっています。嫉妬というのは、ある意味ふか~いふか~い幻想かなと思います。まず、この世が現実だという幻想にいて、その幻想の中でさらに「私はなにかが欠けている」という幻想にいるのかなと思うのです。真実が光であるなら、幻想は闇です。深い闇にはまっているから、苦しく、出るのも難しいのかなと思います。また、闇に深く陥るほど、光がまぶしくて、光のなかにいる人たち(自分より幸せに見える人たち)を避けたくなります。しかし、そんなとき私たちがすっかり忘れていることは、自分も相手とまったく同じ光であり、光のなかに生きているということです。幻想、闇の別名は「恐れ(不安)」です。ですから、自分の中の不安や恐れを解放すれば、光(愛)が顔をだし、あっ、なんだずっと私は光だったのだと気づくでしょう。とりとめもなく、しかも長くなりましたが、今では赤ちゃんを抱いたお母さんを見ると、とても嬉しい感情が私のなかにおきて、それがまたとても嬉しく感じます。その瞬間、私とそのお母さんは一体化し、お母さんの喜びと私の喜びがまったく同じだと感じます。それはなんとも言えず心地が良いです。いつ頃からそうなったのか分かりませんが、昔とくらべていろいろな不安がものすごく減ったことだけは確かです。ちなみに、闇にいることは、決して「悪い」ことでも「いけないこと」でもありません。幸せそうに見える人たちも、幻想の中の幸せを楽しんでいるという意味では、たいして変わりはありません。状態はすべて移り変わり、一つの人生のなかでも、闇に落ちたり、光に出たりを繰り返し、喜怒哀楽を体験していくのでしょう。そのなか唯一永遠に変らぬ真実「私は光である」ということに真に私たちが気づくまで。
2009年07月16日
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先週の暑さはどこへやら、今週は急に肌寒いロンドンです。前回もたくさんのコメントをありがとうございます! コメントをやりとりしていくなかで、自分がほんとうに苦しんでいる原因が見えてきたり、顔を合わせたことのない人同士が助けあっていることに、とても嬉しく思います。奇跡の学習コースに、「外界は、内側の世界(自分の心)の反映である」といったようなことが記してあります。簡単に言えば、良いことがあると世界がばら色に見えたり、落ち込んでいると世界が冷たく見えたりなどですね。私のある友人は、愚痴の女王で、車に乗れば、他のドライバーの運転の悪さの愚痴ばかり、仕事に関しては、上司から同僚まで全員がやるべきことをしていなく、政治家はみんな欲にまみれた能無しで、ほとんどの人は冷たくて、自分を悪く扱うから、いつも警戒していなければいけない・・・・。と書くと、ネガティブな人間像が浮かんできてしまうと思いますが、本人自身は、気が優しいし、人の役に立ちたいという気持ちもとてもある人です。ただ、ずっと愚痴を聞いていると疲れますので、私は愚痴が始まると、返事をしながらも聞いていません。すると「興味ないんでしょう」と言ってきたりするので、「うん、あまり興味ないな。あなたが嫌だと思う気持ちは充分わかるけど。私もそれは嫌だなって感じるから。(←いきなり批判せず、相手の感情を受け止める) ただ、自分が望むように人は動かないし、私はそこに腹立ててエネルギー使うより、違うことにエネルギー使いたいから(←自分がどうしたいかはっきり言う)」でも、ほんとうに言いたいことは、それだけ他者の愚痴(批判)をしているということは、相当自分のことを批判している、ということです。自分の中に「いけない」と思っている部分がたくさんあって、それを無意識に批判していると(←抑圧)、それを外界に投影します。つまり、外の世界の「いけない」ところがものすごく目に付いて、それらを批判するんですね。自分のことをいけない、いけないと批判していると、それ自体が無意識に心にも体にもとてもストレスになります。ですから、だんだんエネルギーも落ち、活力も減っていってしまいます。なのに、そこで無意識に「いけない、いけない、もっと頑張らなくては、もっと・・・しなくては」と自分を叱咤激励すると、ストレスがさらに増え、結局思うようにできず、さらに「これでは、いけない、」という焦り(思い)が強まり・・・・という悪循環に入ってしまいます。私たちが、この悪循環にはまっているときは、たいてい自己価値もだいぶ低くなっています。自己価値が下がると、自信が下がり、不安が高まってきます。ですから、このままではいけない、と強く思うのに、自信がなく、不安ばかりが大きくて、動きたくても動けないといけど、思考だけぐるぐる回っているという状態になります。こういう状態でカウンセリングにいらっしゃる人は、けっこう多いです。かなり生き辛さがピークに達している状態です。前回の記事に「自分を一番苦しめているのは、自分は無価値だという思いだ」ということが分かったというコメントをくださった方がいらっしゃいましたね。ここに気がついたことは大きな進歩です。ですから、まだ苦しいでしょうが、少し前に進んだなと自分を褒めてあげてくださいね。で、人それぞれ心の事情が異なりますから、ここに書いていることに当てはまるかどうかは、まったく未知数ですが、多いのは、この方のように最初は周り(夫、親、子ども、同僚、友人、etc)がよくないように見え、怒りを抱えているケースです。ですから、この悪循環にはまっている方は、自分への批判もすごいですが、他者への怒りもだいぶためています。この状態が、なによりも一番苦しいです。そして、この状態が何年も続いていたりすると、自分がいけない理由、誰かに腹が立つ理由がやまほどあり、カウンセリングのセッションでは、話があちこちに飛び、ご本人も混乱していたりします。しかし、この状態から抜けだすためには、まず基本に戻ることが第1ステップです。つまり、状況がどうだとか、相手がどうだとかをとりあえず横に置いて、自分の心の中を見つめることです。今現在、自分は、どれだけ自分を受け入れているか、どれだけ受け入れていないか?ですね。そして、受け入れていない部分の方が圧倒的に大きいと見えてきたら、そこで「だから自分はダメなんだ」とまた自己批判する前に、その思いと向き合ってみます。例えば、どなたかがお薦めしてくださっていたバイロン・ケイティのワークをするのも良いでしょう。または、「自分を受け入れられない思い」に静かに集中します。思いには必ず感情がついてきますから、なにかしらの感情が出てくるはずです。感情が出てきたら、その感情をお友達として自分の心のなかにご招待し(と思うだけでOK)、会話をしてみても良いでしょう。(フォーカシング)バイロン・ケイティにしても、フォーカシングにしてもやっていることは「受け入れられる自分にしようとするのではなく、その思いを見つめていく」ということです。自分が無価値だと思うのであれば、その「無価値だ」という思いと感情(=自分の友達)と正面から向き合い、対話することです。「無価値だと感じるんだね? そうか、分かるよ。なんで無価値なんだと思う?」「私は、・・・・・だから」「・・・・・だと思うんだね。そうか、そう思うとどんな気持ち?」「悲しくて、苦しい」「悲しくて苦しく感じるんだね。よく分かるよ。どうして、・・・・と思うのかな?」・・・・・続く。こういった会話を深くしていくうちに、自分がいけないと思っていた部分は、たんに自分のなかの深いところにあった不安だったということが見えてくるでしょう。ただ、これは自分で最初にやるのは、けっこう難しいですので、慣れるまでカウンセラーさんとやることをお勧めします。また、思考で、そうか不安なのかと理解しても、頭の納得で終わってしまうので、実際にやることをお薦めします。どのカウンセラーさんが良いか分からないという方は、ロンドンのカウンセリングコース資格者をお薦めします。お陰さまで、クライアントさんからとても良いフィードバックを頂いています。(私のHPかミクシィを参照してください。)ちなみにロンドンのコースでは、こういった理論と実践をみっちり二週間行います。あと4名ほどまだ空いておりますので、ご興味のある方お問い合わせください。では、大変長くなりました。コンピューター上で読むのは大変かと思いますが、いつもありがとうございます!
2009年07月09日
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ロンドンは、先週末からHeatwaveの影響で、暑い!です。でも、カーッと暑い太陽の日差しって生命の躍動感が感じられていいなぁと思います。とはいえ、日陰に逃げ込んでいますが。さて、今日はコメントにコメントさせていただきます。コメントありがとうございます!長いので、少し省略させて頂きました。今、私はそのような状態にあります。いくらがんばってもうまくいかない状態が何年も何年も続くともう立ち直れないほどの精神状態になります。<略>こんな状態で生きる事の意味がまったくわかりません。いつかいつかと思っていたことはなにひとつ叶わず、私は私のことを嫌いになりつつというか、もう嫌いなのですね。みじめな状態になっても、それでも自分を愛するなんて、なんで、そんなむずかしいことをしなくてはいけないのしょうか?<略>眠る時にいつも絶望の中で眠り、息を止めたり、首をしめたりしたこともあります。どこに、どこに、希望があり、そんな自分を認めて、好きになれるのでしょうか?幾人の方が、とても暖かいコメントをこのコメントに寄せてくださいました。大変感謝いたします! このような訴えを聞くと、みなさん自分にも思い当たることがあり、苦しいだろうな、辛いだろうなと感じられることでしょう。私もなんとか希望が見える出来事があれば、さぞかし救われるのに・・と心から思います。と、同時に、こういう暗闇にいる状態で「今、ここに愛があり、幸せがある」というスピリチュアルな教えにどうしたら気づけてもらえるのだろう?とも思うのです。具体的にどういう状態を望んでいて、なにがうまく行かないのかが分かりませんので、この方へのお返事はできませんので、一般論のお話をさせてください。私たちは、うまくいかないとか、何かが叶わないとか、たいてい状態のせいで自分は苦しいと思うものです。しかし、くり返しになりますが、私たちを苦しめるのは、状態ではなく、状態に対して自分が抱く思いなんです。状態を解釈し、その思考から、また別の思考が枝葉のように生まれ、その思いが、私たちをがんじがらめにしてしまうんですね。状況を変えたいと思うことは、良いことでも悪いことでもなく、たんに私たちの選択です。Aという状況からBという状況へ変えたい。例えば、お金がない状況(A)からお金がある状況(B)、彼がいない状況(A)から彼がいる状況(B)、病気の自分(A)から病気じゃない自分(B)、親の面倒をみなくてはいけない自分(A)から自由になんでもできる自分(B)、などなど。私たちは、Aを悪い状態と解釈し、Bを良い状態と解釈することが多いと思います。良い、悪いと解釈した時点で、すでに苦しみがはじまります。そして、Bの状態が見えてきたとき、希望があると思うでしょう。でも、まったくBの状態への可能性がみえなかったら、希望はどこにあるのだと感じます。そして、その状態が何年も続けば、たぶん、天を恨んだり、自分に腹を立てたり、ひがみぽくなったり、とにかく苦しい状態になるでしょう。そして、ここがものすごくシンプルで、でも、ものすごく難しいところですが、Aの状態もBの状態も、愛(幸せ)はそこにあり、完璧だということなんです。ただ、私たちはAの状態のとき、愛を感じられず、また完璧さを見ることができないんですね。私は、多くのマスターが「すべてのことは、あるがままで完璧である」というのを聞いたり、読んだりして、わかるようで分からないとずっと思ってきました。“でもでも、幼児虐待や貧困、戦争やテロはどうなの?”と思っていたのです。しかし、最近ようやく分ってきたのは、私は状態にこだわり、良い悪いと頭で解釈しているために、思考をはずして、その状況や関わる人々を無条件で愛することを忘れていたのだということです。ある日、私はパートナーの息子と話をしていました。部屋はだいぶちらかっていて、足の踏み場もないなかで、彼は、欝の苦しさと絶望感にうなだれていました。私は、部屋がちらかっていることも嫌でしたが、彼が鬱であることがずっと嫌でした。ただ、彼のことが好きでしたので、それをあまり意識していませんでした。どちらかというと、なんで、普通の明るい若者じゃないんだろう?と憂いていた、という感じです。どうして、それがどう起こったかわかりませんが、話をしているうちに、私のなかから溢れるような彼への愛おしさが突然押し寄せてきたのです。涙が溢れて止まらず、気づかれないように拭いましたが、すぐに溢れてきます。そのときに、この子は、このままで良いんだとはっきり感じたのです。本人は、うつむいてうなだれていますから、普通に見たら良いはずはないのですが、それでも良いんだ、これで完璧なんだとはっきり感じたのです。ちらかっている部屋に目を移すと、それはもうなんの意味もなく、ただものがそこにあるだけで、それで完璧なのだとやはり感じました。このとき、多くのマスターが言う「すべては、ありのままで完璧だ」という言葉と、「愛がすべてである」という意味が分かったような気がしたのです。私が私のなかにある無条件の愛を感じられたとき、そのときにすべてが愛で、ものや私たちは愛が形を変えたものだと感じました。さて、状態を変える必要がないと言っているのではありません。変えたいのなら、どんどん変えれば良いし、変えようとしても変らないのであれば、やり方を変えるか、自分が気がついていない思い込みがあるはずなので、それに取り組むと良いでしょう。ただ、書きたかったことは、ある状況にならないと幸せは来ないということではない、ということなのです。幸せは、起きたり、どこから来たりするものではなく、今ここにあることに気づくことなのだ、ということです。無条件の愛は、つねに私たちのなかにあり、それが減ったり、消えたり、絶えたりすることは決してなく、そして、私たちが無条件の愛を感じた瞬間は、そのときどんな状態に私たちがいようとも、それは素晴らしい瞬間、時になります。今、彼の鬱はよくなるべき(条件)といった思いが、まったくなくなり、私自身がとても楽になりました。そして、彼に対して愛おしい気持ちが何倍も増え、それを感じたのか、ポジティブな気持ちが彼のなかにも芽生えてきました。スピリチュアル心理学のベースにしている奇跡の学習コースに、「奇跡とは、私たちを愛から遠ざけているブロックを取り去ること」とありますが、私たちの思い、期待、心の傷、心の飢えといったブロックが取れると、そこにあるのは、永遠に広がる無条件の愛だけなんですね。ということで、やっぱり、自分を見つめて、思考のブロックからはずしていくと良いかもしれませんね。
2009年07月02日
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