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こんにちは。本日は、久しぶりに、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回ご紹介するのは、第7章の『 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 』。諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。すべての記事は、こちらですよ。是非、本書もご覧いただければ幸いです。ちなみに記事は、2018年8月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 奈良時代に、聖武天皇の詔により日本の各国に建立された国分寺というお寺がありました。現在で言えば、都道府県に一つずつ、中心となるお寺を作ったというイメージでしょうか。 ちなみに、現在の東京都や埼玉県などにあたる武蔵国の国分寺は、東京都国分寺市にありました。それでは、今の神奈川県にあたる相模国の国分寺はどこにあったかと言うと、海老名市にあったのです。当時の国府は、現在の平塚市にあったと考えられているそうで、海老名市は少し距離があります。その理由は、いろいろあるみたいですが、当時の海老名が、重要な場所だったのは間違いないでしょうね。海老名市には、25年ほど前に行ったことがあります。ネットで調べてみると、かなり国分寺の遺構が整備されたみたい。そろそろ再訪問してみようか。…ということで、8月のうだるような暑い日、小田急小田原線海老名駅にやってきました。前回来た時と比べ、駅前はかなり変わったみたい。当時、駅前はだだっ広い広場で、新しく作られた朱塗りの七重塔がぽつんと立っていた記憶があります。 近代的なショッピングセンターと公園が、いい感じでコラボされておりますな。公園は、海老名中央公園と呼ばれ、野外ステージや人工の小川が流れる親水広場などがありました。それぞれのショッピングセンターは屋外回廊でつながれ、公園の緑を眺めながら、ゆっくり買い物が楽しめそう。ちなみに、これらの複合商業施設は、「ビナウォーク」と言うのだとか。しばらく歩くと、懐かしの七重塔が現れました。この朱塗りの塔は、相模国分寺の七重の塔を模して作られた模型で、実物大の約3分の1の大きさなのですか。模型とは言え、高さ約22メートルの鉄筋コンクリート製です。モノホンの七重塔の高さがすごいことがよくわかりました。2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 海老名中央公園を抜け、しばらく歩くと、大山街道の歩道橋の近くに大木が立っています。解説板を見ると、海老名の大ケヤキと言い、根周り15.3メートル、樹高20メートルもあるのだとか。 古い解説板なので、今の根回りはもっとあるかも。ぱっと見、20メートルの高さはないような気がしますが、葉で隠れているので上のほうの幹がよく見えませぬ。 解説板には、「船つなぎ用の杭が根づいて育ったと伝えられる」と書かれています。そのせいか、今も船つなぎの杭の寸胴なイメージは保たれているような気が…。 ネットで調べてみると、かつてこの周辺まで相模湾の入り江が入り込んでいたそうですね。近くを流れる相模川ではなく、海辺にあった船つなぎ用の杭ですか。大ケヤキの樹齢は約600年と推定されており、杭として使われていたという時期は、室町時代でしょうか。縄文時代ならともかく、室町時代に、ここまで海が入り込んでいたのですかね。 多少、疑問に感じたのですが、これ以上踏み込むと、本書が「ブラタモリ化」してしまいそう。地質学にも興味のある方は、是非、お調べいただければ幸いです。 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 本日のメインイベント・相模国分寺跡は、海老名の大ケヤキのすぐ近くにあります。ただ、地図を見ていて、ここから少し歩いた場所に、古墳と歴史公園を発見したのですよ。 ネットで調べてみると、スルーするにはもったいない歴史スポット。メインイベントの前に、セミファイナルを敢行すべきではないか。 …ということで厚木街道を渡り、地図を見ながらひたすら住宅地を南下します。やがて右手に、ひさご塚公園が現れました。 この公園の中に、海老名市内最大の前方後円墳があるのですな。全長は約75メートルで、4世紀末~5世紀初頭の築造だと推定されているらしい。 公園の中と言うよりも、古墳全体が公園になっているのだとわかりました。古墳の上を歩きまわることができるのはうれしいですね。 一般に古墳は、地域の高台に作られることが多く、こちらの古墳も、後円部の頂上からは、市内を眺めることができます。景色を眺めながら、これまで訪れたさまざまな古墳からの眺望がフラッシュバックしました。 この古墳は、地元では「ひょうたん山」と呼ばれて親しまれてきたそうです。確かに、前方部の角が丸くなり、ひょうたんの形になっているような。 それにしても、住宅街のど真ん中で、よくこれだけの大きさの古墳が残りましたね。そう思って古墳の上を歩いていると、「相模国造之墳墓」という大正時代の石碑を発見。 4世紀末~5世紀初頭に作られたとすると、その頃は国造の制度はなかったので、明らかに誤り。ただ、相模国の郡司ともいうべき人の墓と考えられてきたから大事にされたのかもしれませぬ。 もっとも、この地方最大規模の古墳なので、地元の超有力者が葬られているのは間違いないですが…。 ひさご塚古墳を堪能した後、さらに住宅街を南下します。ひさごトンネルの出口から300メートルほど歩いたところにあるのが、浜田歴史公園。 一見すると、何の変哲もない公園に見えますが、歴史好きには興味あふれるスポットでした。 まず目に入ったのが、『神奈川県指定史跡 上浜田中世建築遺構群』の表示板。なんと、中世の在地武士の居館跡の遺跡なのだとか。 鎌倉時代から室町時代における武士の住居跡の遺構とは珍しい。東京のような大都市だと、平地にある当時の遺構の上に多くの建物が建っていますからね。 むしろ中世の城跡のほうが、残っているかも。 公園内には、掘立柱と建物の跡が、色分けされたタイルで表示されています。 居館は、主屋に付属屋、厩屋などから構成されているそうですが、それぞれの建物が大きく、かなりの豪邸なのだとわかりました。 屋敷の周りは柵があり、井戸の場所も確認できたのですか。 解説板には、この屋敷の主は、当時この辺りを支配していた渋谷一族の大谷氏との関連が指摘されています。後北条氏がこの辺りを支配する前の時代、この屋敷で、在地の武士たちがどんな暮らしをしていたのだろうかと妄想が膨らむのでした。4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 来た道を再び戻って、いよいよ相模国分寺跡へ向かいます。 現地に立つと、広い芝生広場の中に、金堂の基壇や塔の礎石がポツンと並んでいるという既視感のある風景が…。 訪れるのは二度目だから当然なのですが、ほかでも見た記憶があります。私は、関東地方の国分寺の跡地は何か所も訪れていますが、そういえば規模の大小はあれ、基本的に同じ景観かも。 もちろん、奈良時代に、全国的に同じ規格で国分寺を作ったから当然かもしれませぬ。ただ、国分寺の跡地の景観も、あまり変わらないような。 ただ、記憶をたどってみると、上総国分尼寺跡は、回廊や中門が復元されていたことを思い出しました。発掘調査で、柱の位置の確認が行われ、主要伽藍の構造を含めた全容が解明されたらしい。それで、建物跡の完全な復元が可能になったのですね。 国分寺跡の周りは、宅地化が進み、住宅地の中に広いサッカー場が出現したイメージ。歴史公園として整備するなら、当時の建物も一部復元してもらいたいと思うのでした。 …というのも、相模国分寺は、全国の国分寺としては珍しい建物の配置が見られるそうなのですよ。(以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く)当時の相模国分寺には、高さが65メートルと、現在の京都の東寺の五重塔より高い、七重塔があったらしい。現代でも結構な高さですから、当時の人たちは東京スカイツリー見上げるような気分だったのかもしれませんね。 大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館を見学した後向かったのは、相模国最古級の歴史を誇る有鹿神社。この辺りは、鎌倉時代の武将・海老名氏の居館があったとされる場所なのだとか。 ただ、ネットでは、パンダとネギで注目を集めた神社として紹介されていました。ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」(参考)目次より第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社
2021年01月23日
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こんにちは。 本日は、歴史ウォーキングシリーズの第1作「おもしろ歴史ウォーキング 東京編」からのネタです。 東京編はすべてご紹介したと思っていたのですが、まだ在庫が残っているのに気付きました。 …ということで、今回ご紹介するのは、第8章の『江戸から明治時代の暮らしを体感できる小平ふるさと村と緑道沿いの公園めぐり 東京都小平市』。 以前ご紹介した「第7章ノスタルジックな気分に浸れる小平・ガスミュージアムと松並木が美しい小平霊園 東京都小平市」の続きですね。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2017年1月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.様々な季節の景観が楽しめる狭山・境緑道 今回も、東京都小平市を歩きます。小平霊園を抜け、西武新宿線の踏切を渡り、狭山・境緑道へやって来ました。 この緑道は、多摩湖から境浄水場までの水道道路を緑化したものだとか。一直線の道が、10.5キロも続き、所どころ個性的な小公園があるのも魅力的です。緑道と平行して、サイクリングコースがあるものいいですね。自転車で緑のトンネルを走ったら気持ちよさそう。 緑道をひたすら歩き、まず向かったのは、あじさい公園。 梅雨の時期は、1200株の青いあじさいが咲き乱れるのだとか。ところが、行った日は、冬だったのでほとんど枯れ木みたいな状態でした。 梅雨の時期以外はあまり注目しないので、冬のあじさいはこんな状態なのだと気づきましたね。それでも、枝だけの状態から、満開の素晴らしい景色を想像するのは脳の活性化につながるかもしれませぬ。 再び緑道に戻り、次の目的地を目指します。自転車やランナーが多く、高齢の方たちも元気にウォーキングに励んでいる姿を見かけました。 ジョギングしている年配の方たちはかなりのスピードで追い越して行きます。この道が付近の人たちの健康に大きく貢献していることは間違いないようで。 しばらく歩くと、右手に延命寺が現れました。 徳川吉宗で有名な享保年間の創建らしい。山門の左にある庚申塔は高さ1.7メートルもあります。 青面金剛が魔物の天邪鬼を笑顔で踏みつけて立っているのが珍しいとか。そういえば、悪役のプロレスラーも、よくこんな表情で相手にストンピングをしているなと罰当たりなことを考えてしまうのでした。 2.小平ふるさと村は、個性的な古建築がいっぱい さらに緑道を歩き、次に向かったのが、小平ふるさと村。 ここ小平は、江戸時代初期の玉川上水の開通にともなって開発された新田村落なのだとか。当時の人たちが、水の乏しい荒野を切り開き、ようやく人が住めるようになったらしい。 かつては、青梅街道を初め、東西に走る各街道沿いに屋敷森に囲まれた農家が並び、街道をはさんで南北には短冊型の畑が続いていたのですね。江戸時代は、江戸の人たちへ食料を供給していたのでしょう。 でも最近は、スーパーやマンションが建ち並び、当時の面影が失われつつあります。そこで、古い建物を移築して、当時の生活を偲ぶツールにしようとしたのですね。 以前行った江戸東京たてもの園もまた、古い時代へのノスタルジーをかきたてるものでした。こちらは、見所のおもな建物が5つとかなり小規模ですが、無料なのがうれしい。 3.現存する郵便庁舎のなかでももっとも古い建物のひとつがある まず入り口のそばにある建物が、「旧小平小川郵便局舎」。 その前には、昔懐かしい形のポストが立っていました。なんと、現役なのですか。解説板には、都内には現在250本もの丸ポストが残っており、小平は30本の丸ポストが現役で活躍していると書かれていました。 都内にまだ250本も残っているとは少し驚きです。今度、探してみようかと…。さすがに23区は少ないかもしれませんが…。 それはともかく、「旧小平小川郵便局舎」は、現存する郵便庁舎のなかでももっとも古いもののひとつだとか。明治41年に建てられたのですな。 木造なのはもちろんですが、板張りの事務室と電話交換室が興味深かったです。 あとの部屋はすべて畳敷き。休憩時間、寝転がれたりできるのはいいかもしれませぬ。その隣にあるのが、消防小屋。 建物は復元されたみたいですが、中には昭和3年製の手同ポンプ車がありました。 火の見やぐらや半鐘などは明治から昭和初期に製作されたものだとありました。 4.江戸時代の農民の暮らしを実感できるアイテムがいっぱい 「旧小平小川郵便局舎」の右奥にある大きな建物が、旧神山家住宅主屋。 庄屋の建物など古い建物を見慣れている私としては、さほど大きく感じられませんでした。 土間を除けば、「かって」と「ざしき」と「へや」と「おく」だけの構造。大きい家だと、あと二部屋トッピングされるのですが。 こういう狭い家で暮らすのは、当時の暮らしは大変だったろうと思ったのです。ところが資料を見たら、延べ床面積が127平方メートルもあるというじゃありませんか。 100平方メートルを越えるマンションはもう豪邸の部類ですからね。広い家を狭いと思わせるあたり、なかなか奥ゆかしいのではないか、と。 ただ、夏は風が入って涼しいかもしれませんが、冬は寒かったでしょうね。江戸時代は、青梅が雪女の舞台になるくらい寒かったそうですからね。 地球温暖化が進行すれば、こういう茅葺の古い民家が結構住みやすいかも、と思いました。 それはともかく、庭の片隅に、面白い建物が…。家としては狭いし、立派な茅葺の屋根からも物置としては立派過ぎる。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 東京編」に続く) 江戸時代にも、災害に対する備えがあったことに納得しました。その後、水車小屋の近くにインパクトのある建物を見つけたのですよ。 なんと玄関だけの建物。だだ、それだけでも小ぶりな住宅として通用する大きさなのです。 母屋に向かう通路として使われていたそうですが、江戸時代の名主様の実力が偲ばれました。 最後に向かったのは、江戸時代初期、小川村が開発された当時に開拓民が暮らしたと思われる住宅。 屋根だけでなく、壁の部分もまた茅葺で、見た目は縄文時代の住居をイメージしてしまいます。 しかも、中は畳の部屋がなく、細い竹を組んだ床や籾殻の上に筵を敷いて暮らしていたらしい。 江戸時代の初期はまだ、多くの人たちがこのような質素な住居に暮らしていたのですね。 コロナ禍で皆大変ですが、現代は、少なくとも暖かな暮らしができるだけでも幸せだと感じる今日この頃です。 古い建物に興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「 おもしろ歴史ウォーキング 東京編 」 目次より 第1章 オシャレな街・南青山にある根津美術館と岡本太郎記念館 東京都港区 1.オシャレな街・南青山にある二つの美術館 2.岡本太郎のアトリエ兼住居のあとに作られた岡本太郎記念館 3.リビングや庭に、個性的な作品がいっぱい 4.2020年東京オリンピックの新国立競技場と同じ設計者の根津美術館本館 5.根津美術館八景が楽しめる庭園 第2章 高尾山麓に広がる東京屈指の観梅スポット・高尾梅郷 東京都八王子市 1.都内屈指1万本の梅の花が咲く高尾梅郷 2.武田と北条の戦いの舞台になった廿里砦 3.高尾山を借景にした庭が素晴らしい駒木野庭園 4.のどかな川辺の景観と梅の花がコラボで楽しめる遊歩道梅林 5.関所梅林には、江戸時代の関所の吟味の様子を伝えるアイテムがある 6.天神梅林からは、天空の中央フリーウェイが見える? 7.梅と鉄道、高速道路のコラボの景観が楽しめる荒木梅林 8.高尾梅郷一押しの絶景スポット木下沢梅林 第3章 駅からのアクセス抜群の戦国の城跡と日本のシルクロードを歩く 東京都八王子市 1.東京の城跡のメッカ・八王子市 2.戦国時代の城跡の防御施設を体感できる 3.癒しのアイテムがいっぱいの片倉城址公園 4.東京にもシルクロードがある 5.心霊スポットとしても有名な道了堂跡 6.石垣に囲まれたお屋敷跡にある絹の道資料館 第4章 野球ファン必見の野球殿堂博物館と無料で大都会を一望できる文京シビックセンター 東京都文京区 1.社会人女性のワンダーランド・ラクーア 2.野球ファン必見の野球殿堂博物館 3.過去や現役の有名選手たちのユニホームがいっぱい 4.日本野球の発展に貢献した人たちを称える野球殿堂 5.現役の一流投手と対戦できる 6.無料で、東京の大パノラマが楽しめる文京シビックセンター展望ラウンジ 第5章 徳川家康の生母の菩提寺・伝通院と水戸光圀ゆかりの名園・小石川後楽園を歩く 東京都文京区 1.文京シビックセンターの下に広がる礫川公園と東京都戦没者霊園 2.徳川家康生母の菩提寺・伝通院 3.徳川光圀ゆかりの小石川後楽園 4.東京の中心地に残る深山幽谷の風景 5.後楽園を代表する景観・円月橋と水戸家ゆかりの梅林 第6章 八王子城の巨大さを実感できる小田野城と野趣あふれる戦国の山城を体感できる浄福寺城 東京都八王子市 1.曲輪の広さに驚く小田野城 2.戦国の山城の難攻不落さを体感できる浄福寺城 3.山登りというより、スポーツクライミング 4.何本も別れた尾根に曲輪や堀切、土橋、土塁などの遺構が残る 5.八王子のラビリンス・浄福寺城 第7章 ノスタルジックな気分に浸れる小平・ガスミュージアムと松並木が美しい小平霊園 東京都小平市 1.ネーミングが気になる東京街道 2.ガスミュージアムで、街の灯りのありがたさを実感 3.昔の懐かしいガス機器に出会える 4.緑豊かな公園の雰囲気の小平霊園 5.都立霊園では唯一の樹木葬・樹林墓地がある 第8章 江戸から明治時代の暮らしを体感できる小平ふるさと村と緑道沿いの公園めぐり 東京都小平市 1.様々な季節の景観が楽しめる狭山・境緑道 2.小平ふるさと村は、個性的な古建築がいっぱい 3.現存する郵便庁舎のなかでももっとも古い建物のひとつがある 4.江戸時代の農民の暮らしを実感できるアイテムがいっぱい 5.玄関部分だけでも、今の住宅より広い? 6.開拓民の過酷な暮らしを実感できる復元住宅 第9章 東京23区は、緑が増殖中!神田川近くの魅力的な公園めぐり 杉並区・世田谷区 1.意外と緑が多い東京23区 2.芸術家と文化人の街だった永福町 3.将軍手植えの松と駅と町名の由来になったお寺 4.新品感が半端ない下高井戸おおぞら公園 5.いきなり登場する縄文人に驚く塚山公園 6.手つかずの自然なのにセレブな雰囲気が漂う三井の森公園 7.2代将軍のガチョウ?に出会える将軍池公園
2021年01月09日
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こんにちは。 今年最初の記事は、新刊 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 今回ご紹介するのは、第6章の『 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 』。 お正月は毎年、初詣へ出かけるのはもちろん、戦国時代の城跡にも初詣に出かけるのですよ。 しかし、コロナ禍の今年は、遠出ができませぬ。 でも、新年に「山中城」の記事をアップすることで、出かけた気分を味わうことができました。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 ちなみに記事は、2018年4月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 今回も、山中城を巡ります。 前回の岱崎出丸と合わせ、1つの城を紹介するのに2つの章に分けたのは、それだけ見どころが盛りだくさんだからです。 などとグダグダ書いていると、本章だけでは終わらなくなるのでサクサク行きましょう。 山中城の本城部分の入り口では、「国指定史跡 日本百名城」の看板が、威厳を持って出迎えてくれました。 ここは、三の丸があった場所で、そこから細く伸びた小道を登ります。 左手には、三の丸の堀。 今も迫力がありますが、往時は深さ8メートル、幅は最大30メートル、長さは180メートルもあったらしい。解説板には、自然の谷を活用し、中央に縦の畝を設けて二重堀にしていると書かれていました。 さらに進むと、田尻の池と呼ばれる池があります。 水が濁っていて、人が飲むにはかなり勇気が要りそう。 …と思ったら、この池は、西側に馬舎があったと伝えられていることから、軍馬の飲料水として使用されていたそうです。当時は、もっと澄んでいたかもしれませんが…。 築城時の池の面積は、148平方メートルで、あふれた水は三の丸堀に流れていたのですか。 前回も書きましたが、ここ三の丸は、岱崎出丸とともに、豊臣方の大軍と激戦が行われた場所。 北条方は苛烈に抗戦し、豊臣方の一柳直末など多くの武将を討ち取りました。しかし、圧倒的な戦力差を覆すことができず、半日で落城。北条方の城将松田康長や副将間宮康俊をはじめ、多くの武将や城兵が討死してしまったとのこと。 これだけ鉄壁の城を作ったのに、半日で落城ですか。 以前訪れた、同じ北条の城である韮山城は、豊臣の大軍に包囲されても百日間持ちこたえたと聞きました。 その違いについて、考えながら歩いてみようか、と…。 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 いきなり本丸へ向かうこともできますが、楽しみは後にとっておこうと、まずは西の丸へ向かいます。 西の丸は、山中城の西側の前線基地の位置付けですね。ここを破られると、敵兵が一気に城の中心部に雪崩れ込んで来ます。だから西の丸の周りには、特に厳重に堀が巡らされていました。 これまで、関東の山城を数多く眺めてきましたが、この特異な景観には驚きます。他の城ではあまりお目にかかれないビジュアルですな。 これは、山中城最大の特徴と言われている畝堀。 畝掘は、五本の畝によって区画され、畝の高さは約2メートル。西の丸へ侵入しようと思ったら、約9メートルもの土塁をよじ登らなればならないのですよ。 畝掘は、岱崎出丸でも見ることができました。 そして、西の丸の障子掘。 障子堀とは、中央に太く長い畝を置いて、そこから交互に両側の曲輪に向かって畝を出して、障子の桟のように区画された堀です。 言葉で伝えようとしても、なかなかイメージできないかもしれませんが、写真を見れば一目瞭然。これを見るために、三島へ来たと言っても過言ではありませぬ。 これまでも「おもしろ歴史ウォーキング」シリーズで、何度も関東の城を紹介してきました。ただ、どんなに工夫しても、写真では、空堀や土塁の見事さを伝えるのは難しいと感じていたのです。 石垣はインスタ映えしますが、空堀は、写真にすると迫力やその美しさが伝えづらいのですよ。 しかし、山中城の障子堀は、写真のインパクトにおいて、石垣に負けません。障子堀は、土の城の魅力を伝えるために、北條氏が発明したのではないかと考えてしまいます。 ところで、山中城は、なぜこんな独特の形の堀を作ったのか。 一般に言われているのは、堀底にいる敵兵の横移動を阻害することで、土塁上からの攻撃をしやすくする効果です。 ただ、畝が太めなので、堀にかかる土橋に見えないこともない。畝が城への侵入経路になったり、畝の上から敵兵が攻撃したりすることもできそうですが…。 畝堀や障子堀には、籠城の際に、水を貯めておく用水池としての効果もあったそうです。 山中城は、半日で陥落してしまったので、防御面としても、用水池としても、その効果を発揮できなかったのですか。 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 山中城最大の見どころである畝堀と障子堀を堪能した後、いよいよ土橋を渡って西の丸へ攻め込みます。 西の丸は、面積約3400平方メートルの広々とした曲輪ですが、発掘調査の結果、建物の遺構は確認されなかったとのこと。解説板には、この地の開墾耕作で攪乱された可能性が強く、もしあったとしても臨時の小屋程度のものであろうとありました。 その後の秀吉や家康時代の城郭の西の丸には、御殿など立派な建物がありましたが、この時代は更地ですかね。秀吉の小田原征伐の際は、当然、この曲輪にも大勢の兵が詰めていたはず。 現代で言う、キャンプのような感じで、この曲輪に籠っていたのかも。 別の解説板には、西端に盛土して見張り台を構築し、全体に東側へ傾斜させることで、雨が降ったときには溜池へ排水する構造だと書かれていました。 見張り台の標高は、約580メートル。眼下に、他の曲輪を見下ろすことができ、連絡、通報上の重要な拠点だったそうです。 西の丸と二の丸の間に位置するのが元西櫓跡という曲輪で、面積は約640平方メートル。 ここからは、5.4メートル×7メートルの柱穴が検出され、掘立柱の物置程度の建物があったらしい。 ただ、この曲輪からも、日常生活用具である炊事道具や椀類が出土しておらず、寝小屋は別の場所にあったと考えられるのだとか。 4千人と言われる城兵が、屋根のある場所で寝泊まりするには、かなりの数と大きさの小屋が必要だったはず。 兵たちの多くは、城内で露営していたのでしょうか。 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 次に向かったのは、二の丸。いよいよ山中城の中心部へ攻め込んでいきますよ。 元西櫓と二の丸の間の堀には、橋脚台と柱穴が検出されたということで、架け橋が復元されていました。 架け橋の先にある二の丸の虎口は、当然、厳重な防御が施されています。敵兵は、正面の4.5メートルの高さの大土塁に突き当ってから、右折して曲輪に入る形になっていたとのこと。 土塁の上に立つと、架け橋が丸見えで、矢や鉄砲で敵を狙うには絶好のロケーションだとわかります。堀も深く、城兵によって架け橋が落とされてしまったら、堀底から攻撃するのはかなり骨が折れるでしょうね。 二の丸は、東西に延びる尾根を切って作られた曲輪で、山中城最大の面積を誇っていたらしい。本丸が狭いので、その機能を分担していたと考えられるそうです。 驚いたのは、曲輪全体が傾斜地になっていること。普通、山城の曲輪って、尾根を削ったり、盛り土をしたりして作る平坦地ですよね。 こんなに傾斜していたのでは、大勢の兵が籠って戦うのに不便ではないか。寝小屋はもちろん、露営するのも大変で、籠城戦の際、城兵はどうやって暮らしていたのかと気になりました。 疑問を抱きつつ、いよいよ本丸へ。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」に続く) 本丸の標高は578メートルで、周囲は高い土塁と深い堀に囲まれていました。面白いのは、本丸が2段の平坦地に分けられていること。これだけの規模の城郭で、2段構造の本丸は、あまり見た経験はないような。 本丸は、ほかにも興味深いアイテムが満載でした。 もうひとつ興味深かったのは、本丸の北西に位置する北の丸の存在。 北の丸の標高は、本丸より高いのですよ。本丸よりも高い場所に曲輪を持つ城としては、滋賀県の小谷城が思い浮かびます。 当時、この郭はどのような使われ方をしていたのか気になりましたね。 本書の中では、半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察を記載してありますよ。 最後に向かったのは、伊豆国一宮の三嶋大社。 幣殿や拝殿とともに国の重要文化財に指定されている本殿の素晴らしさを堪能です。 三嶋大社から三島駅に向かう途中にある白滝公園の水辺の景観は、一見の価値ありでした。 山中城や三嶋大社ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」 (参考) 目次より 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景 2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺 3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城 4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり 5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園 6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎 第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市 1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山 2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる 4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城 5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面 6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸 7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門 8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市 1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道 2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉 3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構 4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市 1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース 2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺 3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地 4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳 5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚 6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」 7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡 第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市 1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市 2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園 3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園 4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城 5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる 6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀 第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城 2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀 3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸 4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸 5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸 6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察 7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園 第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市 1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園 2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ 3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園 4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡 5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった 6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある 7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社 第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市 1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係 2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城 3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城 4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園 5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園 第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市 1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園 2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園 3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城 4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか 5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵 6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院 7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
2021年01月01日
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