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こんにちは。 今回も、アーバンライフメトロさんのHPに提供させていただいた記事のご紹介です。 タイトルは、『 環状7号線の下には「戦国城跡」が眠っている!? 高度成長時代に失われた歴史の痕跡を探して 』 東京都葛飾区にあったという戦国の巨大城郭・葛西城がテーマです。 葛西城は、一般にはあまり知られていない城跡かもしれません。実は、痕跡がまったく残っていないのですよ。 その大きな原因のひとつは、環状七号線の建設。 この地域に環状七号線が開通したのは昭和40年代です。当時は、日本の高度成長の真っただ中。遺構の保護よりも、新たな工場や道路の建設が優先される傾向にありました。 環状七号線も昭和の歴史の一部なので、仕方ないことですが…。 それはともかく、戦国時代の葛西城は、後北条氏の最前線の城として、高い防御力を発揮していました。 防御の中核をなすのは、幅20メートルほどもあったという広い水堀です。 近くに流れる中川を天然の要害として外堀に見立て、城の反対側は湿地帯で、敵は容易に近づくことができなかったとか。 記事の中では、葛西城の痕跡を探して右往左往いたします。 ただ、救いは、城跡の近くに、葛西城をビジュアルで体感できる施設があること。 それは、葛飾区郷土と天文の博物館です。 2階にある『郷土史のフロア』では、さまざまな発掘された遺物を見学することができました。 特に、堀の跡から発見されたという若い女性の頭蓋骨には、身の毛もよだつ戦国時代のリアルを実感。 ご興味のある方は、是非、記事をご覧いただければ幸いです。 それは、こちら。 よろしくお願いいたします。
2021年11月26日
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こんにちは。 本日は、最新作 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」がブログに初登場です。 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、激変する東京にある歴史スポットの紹介で人気を博しております。 今回は、第1章の『 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 』をお送りさせていただこうか、と。 諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。 すべての記事は、こちらですよ。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 本書のトップバッターは、東京近郊では貴重な城下町・岩槻です。 かつては埼玉県岩槻市でしたが、現在は、埼玉県さいたま市岩槻区。平成17年の合併により、さいたま市は人口100万を超える政令指定都市になったのですか。 私がはじめて岩槻を訪れたのは、今から30年以上も前でした。当時、駅を出ると、人形の専門店が並び、さすが「人形の町・岩槻」だと思いましたね。 今も日本一の日本人形生産地として、江戸時代初期からの伝統が受け継がれているらしい。 ひなびた城下町の風情が今も残っていることを祈りつつ、再度、岩槻を訪問してみることにしました。 ウォーキングのスタートは、東武野田線の岩槻駅。 駅前に出るとビルが建ち並び、以前来た時の風景は一変していました。岩槻区役所が、駅のすぐ近くにあるのですな。 区役所を左手に見ながら広い通りを進んでいくと、東武野田線の踏切のそばに愛宕神社がありました。 この神社の創建は不明ですが、有名な太田道灌にまつわる太田氏が岩槻城を築いたとき、小さな祠を見付けたのだとか。それを土塁上に移し祀ったのが、愛宕神社の始まりと言われているそうです。 ここから岩槻城跡まで結構距離がありますが、こんな住宅地のど真ん中に土塁があるのだろうか。 …と思いつつ、石段をあがってお参りする前に、近くの解説板を読んでみました。 神社のために作られたように見える土壇が、岩槻城の土塁なのですね。 今でも土塁の急峻さが残り、高低差もかなりあります。驚くのは、この巨大な土塁が、当時8キロに渡って築かれていたこと。 土塁は、小田原の北条氏が、豊臣秀吉との緊張関係が高まるなかで築いたそうです。 小田原征伐で有名な小田原城の総構が約9キロあったと言われています。岩槻城の総構も、長さではあまり変わらないではないですか。 ちなみに総構とは、城と城下町の一帯を含め、外周を堀や土塁で囲んだ城の構造。城の防御力を高めるとともに、城下町の保護にも大きな役割を果たしたらしい。 解説板にもあったように、岩槻城ではなぜか大構(おおがまえ)と呼ばれているみたいですが。 それにしても、8キロの長さのあった巨大な土塁が、今ではここだけになってしまったのは少し残念。 ただ、愛宕神社の神様のおかげで、岩槻城の土塁が今でも見られるのはありがたい。感謝の気持ちで、しっかりお参りをするのでした。 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 来た時と同じ道を戻り、岩槻区役所を今度は右手に見ながら進みます。横断歩道を超えて少し歩くと、左手に芳林寺というお寺が現れました。 ここは、太田道灌の曾孫にあたる太田資正が、東松山の地蔵堂から道灌の遺骨を移したと伝えられているお寺。資正の嫡男・太田氏資が岩槻城の城主であったとき、母芳林尼の追福のため 寺名を芳林寺に改めたそうです。 太田道灌は、江戸城を築いた武将として知られますが、岩槻城や川越城など、関東の主だった名城も築いたのですか。 彼は、1432年に鎌倉公方を補佐する関東管領・扇谷上杉家の家宰を務める太田資清の子として生まれ、後に剃髪して道灌と号したらしい。和歌にも優れ、文武両道の名将として、主家扇谷家の勢力拡大に大きく貢献したそうです。 しかし、有能な部下を持つ上司が嫉妬深くなるのは、現代と同じようによくあること。道灌の才能を恐れた扇谷家の当主・上杉定正は、謀反の疑いがあるとして、道灌を屋敷に招いて殺害。 殺害の仕方が、なんともやるせないのですよ。入浴後、風呂場の小口から出たところを襲わせたのだとか。 しかし、有能な部下を卑怯な手段で殺した上司が栄えるはずはありませぬ。扇谷上杉家は、やがて衰退し、北条氏によって滅ぼされてしまうのですね。 境内にある墓地には、太田道灌の霊廟がありました。 ただ、太田道灌の墓は、ほかの場所でも見た記憶があります。ネットで調べてみたら、神奈川県伊勢原市に首塚と胴塚があり、埼玉県越生町にも分骨したと伝わる太田道灌墓があるとのこと。 さまざまな場所で供養されているのは、人気の現れなのでしょうね。事実、東京都内には日暮里や東京国際フォーラム、神奈川県では伊勢原市、埼玉県には川越市や越生町などに太田道灌の銅像が建てられています。 ここ岩槻でも、芳林寺の境内で、その雄姿を拝むことができました。 非業の最後を遂げた武将ですが、500年以上経った現代でも慕われているのは幸せと言えるのかもしれません。 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 芳林寺から国道旧16号線に出て、大宮方面に少し歩くと、左手にレトロな建築物が現れます。 ここは、さいたま市立岩槻郷土資料館。 なんか存在感のある建物だなと思ったら、そのはずで、かつて岩槻警察署の庁舎として使われていたらしい。 だから窓に鉄格子がはめられているのですな。岩槻で初めての鉄筋コンクリートの建物として、昭和5年に作られたのだとか。 旧警察署庁舎の間取り図も掲示されており、現在の展示室が、当時はどんなふうに使われていたのか想像しながら巡るのは楽しかったです。 外観はいかめしいのですが、郷土資料館としての展示品には、おはじきやぬりえ、メンコ、ビー玉などの懐かしい遊び道具もありました。 もらったパンフによると、常設展示は、「大昔のくらし」、「岩槻のあゆみ」、「くらしの道具」という3つの柱で構成されているのだとか。 「くらしの道具」コーナーでは、岩槻地域の農村や城下町などで使用された道具などを見ることができます。 江戸時代や昭和の道具がランダムに並ぶビジュアルは、なかなか興味深い。 歴史好きにとって見逃せないのは、「岩槻のあゆみ」コーナーにある、岩槻城や岩槻藩の藩校に関する資料。そして、岩槻地域で出土した土器、石器などの考古資料でしょうか。 特に、「白鶴城」とも呼ばれた岩槻城の当時の模型は圧巻です。 郷土資料館にいた時間の4分の1は、この模型を眺めていたような。上から、横から、左から、右から、視点を変えることによって、城の雰囲気が刻々と変化します。 いくら眺めていても飽きませんね。ホントに、家にお持ち帰りしたいと思いました。 かつての岩槻城は、水城と言えるくらい豊富な水に囲まれていたのですな。 これから向かう岩槻城散策のため、しっかりと当時の縄張りを頭に刻みこむのでした。 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 岩槻城址公園へ向かう途中に、見逃してはいけない歴史スポットがあるのですよ。 それは、岩槻藩の藩校だった遷喬館(せんきょうかん)。 江戸時代は、多くの藩に藩校が作られていました。しかし、現在、建物が残っているケースは極めて少ないとのこと。 ここ遷喬館は、埼玉県で唯一残っている藩校なのですか。 もらったパンフによれば、遷喬館という難しい名称について、中国最古の詩集である詩経の中の「出自幽谷 遷干喬木」に由来しているとありました。 意味は、「学問を欲し、友を求めることを、鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び移る」ことにたとえた内容だそうです。高い志を持って学ぶことが大切ということでしょうか。 寛政11年(1799年)に、遷喬館を創設したのは、岩槻藩士で儒学者の児玉南柯(こだまなんか)。当初は、私塾としてスタートし、のちに藩校になったのですね。 児玉南柯という名前は知りませんでした。しかし、「岩槻に 過ぎたるものが 二つある 児玉南柯と 時の鐘」と謳われたほどの有名な学者だったのですか。 講義は儒学を中心に行われ、藩士の子弟たちがここで学んだそうです。 藩校といっても、のちの時代の学校とは大分イメージが違いますな。木造平屋建て、茅葺屋根の構造で、建物は武家屋敷を利用して作られたらしい。 教室としては、15畳と9畳からなる2間続きの部屋が使われたそうです。 今はささやかな学校に見えます。しかし最盛期には、梅林を伴った広大な敷地の中に、武芸稽古所、菅原道真を祀る菅神廟、南柯の自宅である「梅亭」のほか、築山や池泉、展望台などが設けられていたのですか。 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 遷喬館を出て、いよいよ岩槻城の城攻めを開始します。 さきほどの郷土資料館の模型を見て気づいたのですが、岩槻城は、3つのブロックから構成されていたらしい。 それは、本丸や二の丸、三の丸などがある主郭部と、その周りを取り囲む水堀の北側に位置する新正寺曲輪、そして南側に位置する新曲輪・鍛冶曲輪。 (以下、「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」に続く) このあと、戦国時代は関東屈指の規模を誇ったという岩槻城を詳細にレポートします。 岩槻城は、関東の城の特徴として、石垣は使われていません。しかし、水堀の面積は全国の城の中で最大級といわれる規模を誇ったようです。 ただ、本丸や二の丸、三の丸といった中枢部は、現在、住宅地になっており、当時の姿をイメージができないのが残念。 わずかに残っているのは、江戸時代に作られたという二つの城門でしょうか。水堀や土塁、空堀も確認することができました。特に、後北条氏御用達の「障子掘」や「馬出」は貴重です。 ほかにも、川越の「時の鐘」より古いという「岩槻の時の鐘」や住宅街に残る城の痕跡など、見どころは目白押し! 埼玉県の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編」 (参考)目次より第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市 1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構 2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺 3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館 4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館 5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城 6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門 7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ 8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」 第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市 1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見 2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード 3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園 4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園 5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館 6.美しく整備された戦国の平城・難波田城 7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家 第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」 2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏 3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか 4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館 5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡 6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所 第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市 1.埼玉の名前発祥の地、行田 2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群 3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ 4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係 5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館 6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳 7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる 8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳 第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市 1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中 2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園 3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群 4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡 5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡 6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ 7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺 8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社 第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区 1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城 2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗 3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺 4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館 5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園 6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園 7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院 8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ! 9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有 第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市 1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい 2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城 3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社 4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい 5.山田城が未完成の理由に対する一考察 6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城 第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区 1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺 2.加藤清正が寄進した長い石段がある 3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂 4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある 5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい 6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺 7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園 第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区 1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街 2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔 3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園 4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊 5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳 6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳 7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン
2021年11月13日
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