2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全6件 (6件中 1-6件目)
1
一昨日の土曜日は、朝の6時半に家を出て高速道路で石川県まで出かけての外来。珍しく初診が4人もあり、くたびれて帰宅。晩ご飯はすき焼き(帰り道の途中で牛肉が安いショッピングセンターがあるので)にして、さらに寝る前に日曜日の晩ご飯用にシチューを煮込みました。昨日の日曜日も朝から当直。上天気のおかげでインフルエンザで駆け込んでくるヒトもなく、病棟で風邪気味だというヒトはいましたが、ヒマでした。でも、ヒマを持て余して真っ暗になるまで拘束されるのも、気分的に疲れました(実は診察台を利用して、背筋のばしなぞをしていましたが。)。 で、一晩ねかせて赤ワインとブランデーをたっぷりとぶち込んだ特売牛肉と野菜のシチューに、やはり昨日買い込んできたフランスパンという、簡単ながらも好評だった晩餐も終わり、キッチンとダイニングを行き来して食器を片づけていたときのこと。ゴキゲンでテレビをみてバカ笑いしている夫と息子たちの寛ぎぶりが耐え難くなってきました。「ワタシが週末に休みなしで働いてきたっていうのに、こいつらは、キモチ良くそこら中散らかしまくっちゃってナンナノサ?受験勉強もしてないに違いないゾ。」と心の中で根暗に愚痴っていました。 口から出てきたセリフは、「ワタシ、疲れたから寝る。お父さん、あっち(単身赴任先のアパートのこと)に帰る前にその辺の掃除しておいてね。ソファーからそっち(ダイニングのこと)だけでいいからサ。」というもの。そのまま振り向きもせずに寝室に行き、ベッドに潜り込んじゃったのでした。寝付きの悪いワタシには珍しくたちまちぐっすり眠り込んじゃいましたよ。ふと気がつくと4時少し前でした。そろそろと起き出してLDKに行ったら・・・・。 おおお!とっちらかっていたモノたちは片づけられており、掃除機もかけてありました。ピカピカじゃないですか。たまには逆転ワザもかまさなくっちゃね。ありがたやありがたや。と、よくよく考えたら、丸二日の間ワタシは家に居なかったんですよね。夫たちが散らかしたのを夫たちで始末するのって、アッタリマエじゃなかろうか。ちょっと、フクザツかも。でもウレシイ。でも、やっぱりフクザツ。 そして、キッチンのガス台では何故かシチューの残りが黒こげになってこびりついている鍋が見つかりました。これって、ワタシのチョンボかなあ? なんか、寝る前に加熱しておこうと思ったような気がするんですよねえ。
2006.02.20
コメント(0)
地方新聞に次男の作文が掲載されていました。税金についての特別授業の後に学年全員に書かされたものらしく、その内の10数人の作文が掲載されたみたいでした。 次男のは、最後の欄にありました。文体が常体で始まったのに途中で敬体になっていたことは気になりましたが、起承転結もしっかり構成されており。主張している内容は、そのまま選挙の応援演説でしゃべってもいけそうな生意気なモノでした。たまたま、版画カンケイの会合があった母は会うヒト毎に、その作文のことをほめられたと言っていました。夫などは、勤務先の病院が今朝からその新聞を取り始めたところで、いきなり我が子の作文が載っていたのに随分驚いたようでした。 「先生にかなり直されたんだ。言葉遣いがキタナイってさ。」と次男はポツリと言いましたが、他の子の作文に比べると、視点がかなり客観的で、自分の立場や利害を問題としていないところなどは、夫やワタシ、それに亡き祖父(ワタシの父)、幼い頃預かってもらうことが多かった叔父などとよく似ているのです。利害を忘れて正論を吐いている内にビンボーくじを引いていたなんてことは、我が一族では日常茶飯事なのですが、そういう性分こそが私たちのidentityなのです。 ADHD故の集中力不足で点取りテクニックをマスターできず、高校受験は甚だ危なげな次男ですが、本質的なところは心配しなくてもいいんじゃないかなと夫婦で語り合いました。精神的な成長の方向は、親の望むところと大きくはずれてはいないようです。 (親ばかに違いありませんが、そう思いたい!)
2006.02.16
コメント(1)
バレンタインデーですが、今年は息子たちにはチョコは殆ど来なかった様子。そりゃそうでしょよ。同級生の女子たちも受験勉強のラストスパートなんですよ。ウチの子たち、やたらのんびりしてるけどいいのかしらん? のんびりしている当人たちはともかく、こちらは受験料やら交通・宿泊費やら仮納め分の入学金やらで、脳みその中をザルとドンブリで引っかき回されているような気分です。ともかく、平成17年度の税金はどうなるのかと、例年よりも早いのですが税務署のHPにアクセスして確定申告書を作り始めました。昨年からはmacからでも申告書を作れるようになったので、本当にラクになりましたね。もう、あの目がショボショボする一覧表をひっくりかえして所得額やら税率やらを探さなくてもいいのですもの。挙げ句の果てに毎年のように計算間違いを通知してくれる税務署からの電話に恐縮することもないのですよ。windowsならば、そのままメールで送信できちゃうみたいだけど、macでは、まだ無理なよう(ずうっと、無理かもしれないけど)。まあ、macはますますマイナーになってるようなのでガマンしましょう。でも何年か前に、国税庁のHPに罵りに近い苦情を出しちゃったことがウソのようです。今度買い換えるときがきたら、windowsも使えるmacにしようっと。 国税庁!良くやった!天晴れじゃ! と、ルンルン気分で申告書を作成していき、予定納税のおかげでオッソロシイほどの追徴はこないことが判り一安心。さあって、印刷して郵送じゃ!とマウスをクリックした途端のこと!突然、申告書の画面が消失し「アプリケーションSafariは予期せぬエラーで終了しました。」とさ。その後、何度再アクセスしても申告書が作成できなくなっちゃいました。こりゃまたしても、混み合っているのでしょうよ。 丑三つ時か早朝に再チャレンジするしかなさそうです。締め切り間際でなくて、ヨカッタかな?
2006.02.14
コメント(0)
最寄りのスキー場まで19Km、車で小一時間。かえって、スキーに行くゾという気分にはなりにくく、ずっとナイター専門でした。しかし、長女は早寝なので、ナイターに連れていくと機嫌が持ちません。そもそも、まともな日帰りスキーは早朝の出発が決め手だというのに、ウチの男どもはみんな朝寝坊です。スキーはやたら用具が多いというのに、準備も間際までしないし、手際も悪く忘れモノ、無くしモノもしょっちゅうで、「お母さんがしてくれないから。」と、みんなワタシのせいにされるのです。 というわけで、スキーといえばワタシと長女はお留守番という年月が続いていました。でも、小学校のスキー合宿でボーゲンまで習ってきた長女はスキーに行きたいと言い出しました。そこで、立てた作戦は、オンナ二人でできるだけ早く出発して軽く1,2本滑り、昼にはひきあげて温泉につかり、3時頃には帰宅するというプランです。 立ち寄り湯やお食事処の位置、道路の状態も考えて、立山山麓ではなく牛岳に行くことにしました。ゲレンデにコブもないですしね。 あいにくと、寝過ごしてしまい出発は8時になってしまいましたが、コンビニの肉まんを朝食にして9時ちょっと前には牛岳の駐車場にはいることができました。でも、久しぶりに来たら駐車場が随分広くなっていて、奥へ奥へと誘導されたらゲレンデは遠かった。リフト券をオトナ1000円、子ども800円分だけ買い、一番てっぺんまで上がって、ゆるゆるゆると久しぶりに滑り、横滑り&斜滑降がまだできることを確認しました。ターンはシュテムね。パラレルは忘れた。前傾姿勢ができなくても谷足に体重を乗せていれば転けないもんですね。しかし、スピードが上がると動悸がして心臓が苦しい。下に戻るころには両足の筋肉がカタカタと嗤っているのがわかりました。確実にカラダが老朽化していることを実感。一方、もうすぐ10歳の長女の方は、力任せのV字滑りで楽しそう。疲れなんてシラナイヨってカンジ。ゲレンデの真ん中にある木にぶつかってもへいちゃらでした。「あんた元気ねえ。お母さん、ダメだわ。」とリフト券の最後の1枚は長女に譲って滑らせました。予定通り、11時59分にひきあげることにしました。牛岳温泉の健康センターで露天風呂につかり、長女の好きな天ぷらそばを食べて、レストコーナーで30分ほど休み、ビン入りコーヒー牛乳なんぞをいただいてほぼ2000円。小雪舞う中を運転して2時半頃に帰宅しました。 足腰はいくらか痛みますが、人混みと渋滞をはずして行動したので、以前の日帰り家族スキーほどには疲れませんでしたね。長女も勝手に滑って遊べるようになってくれてたし、ひどい逆さパンダにもなりませんでしたしね。3月に入ったら、もう1回くらい行けるかな。来年は、もっと早い時期から出かけることにしようかと、荷物を片づけていたら、この間長女に買ってやったばかりのゴーグルが無くなっていることが判明。ヤレヤレ。スキーって、用具が多いんですよねえ。
2006.02.12
コメント(0)
ワタシの母の実家はちょっとした旧家でしたが、200年以上に渡り男の子が生まれませんでした。7代だか8代だか続けて、娘にムコ養子をむかえてきたということでした。明治に入ってからは、曾祖母とその前の祖母様は子どもができた時点で配偶者を追い出したらしく、私たちは祖父様たちの名前すら知りません。母の父も、ムコ養子でした。伯母(母の姉)も家を嗣ぐべくムコ養子をもらったそうなのですが子どもはできず、戦時中のゴタゴタの中、他の女性を好きになられて離婚する羽目になったということでした。ワタシの父は3男でしたので、ムコ養子になろうかとしたらしいのですが、父の母が頑強に反対したとのこと(ワタシの両親は幼なじみで、恋愛結婚に近かったようです。母の家はそこそこ資産のある士族、父の方は炭焼き職人から侠客を経て八百屋になった家でしたから、戦前ならばありえない縁組みだったのではないかと思います。)。伯母も再婚したものの子どもに恵まれず早逝し、ワタシには男の兄弟はできませんでしたので、結局、母の実家は祖父の代で廃絶しました。 で、ワタシが長男を産んだときのこと。母、ワタシ、妹と、女の中に男が一人という状態で30年も過ごしてきた父は、まったく単純に男の子の孫ができたことを喜びました。孫を相手に相撲をとったりチャンバラをしたり、魚いじり(父のシュミは錦鯉のブリーディングでした)をしたりという、男の子的な遊びができるようになるのが嬉しくてならなかったのだと思います。父はいくつになっても子どもっぽいヒトでしたから。「おっとこのこ!おっとこのこ!」とルンルンしながら、産後のワタシの足腰をさすってくれたのを憶えています。次男の生まれるときも、「オマエの子はおっとこ!オマエの子はおっとこ!」 と口ずさんでいましたっけ(妹のところは女の子ばかりなのです。)。4月になると早々に、ばかでかい鯉のぼりを上げ下ろししていた父を見たら、すごい父親孝行をしてあげた気分になりましたよ。 でも、ある親戚のオバサンに「あんたは男の子を産んだんだからね。誰にも気兼ねせず大いばりできるんだからね。」と言われたときは、正直なところムカッとしました。いかにも旧態然とした家父長制的男尊女卑って、言い方だったのですもの。 昨今の皇室典範に関する議論。女系天皇は認められないというのは、やはり性的差別に根付くモノだと感じてしまいます。天智天皇・天武天皇の母は皇極天皇で、文武天皇も持統天皇の孫だし、これらの天皇は男系であると同時に女系であるといえるじゃないか、母方に天皇がいなければ即位できなかったはずなのに、などとこじつけたくなります。でも、今の日本の国内には、男系の伝統ナルモノに囚われているヒトたちが、まだまだ沢山いるようです。そんな中で女系天皇を認めることをごり押しで決めても、ご当人となる皇族の女性方がツライ思いをされるだけではと想像されて、本当にお気の毒です。この問題は一世代くらい先送りして、社会全体のジェンダーに関する意識と心情が、より成熟するまで待っても宜しいのでは?もっとも、血筋だの後継ぎだので大騒ぎすること自体がナンセンスになる時代も遠くない気もしますが。
2006.02.07
コメント(0)
3日前の日曜日、ワタシが日直だった日は町長選挙&町議会議員選挙でした。既に先週から地域ぐるみで盛り上がっており、投票率は80%ナンボ、90%近いものだったそうです。ということは、意識があって書字が可能な有権者は全て投票したと考えられます。おそらくインフルエンザで発熱しているようなヒトもマスクをはめて投票所にやって来たはず。ということは、中2日で、今日辺りから、投票所でもらったインフルエンザを発症するヒトがかなり出るだろう。と予想していました。残念ながら、予想は的中。迅速診断キットで陽性だった3人にはタミフルと症状に合わせた漢方薬、うがい薬を処方しました。5日間は、家にひきこもってヒトに会わないで。特に熱が下がってから一両日は、まだウイルスをばらまいているのですからね。とお願いします。困ったことに、昨年末に予防注射をしたはずのヒトもやって来ました。熱は37 ℃台とやや低めでしたが、鼻水にはウイルスが出ている反応あり。もしかして、厚労省の予測は今年も外れたのかも。まあ、ワクチンの有効率は1回接種で60%、2回接種で70%ですから、たまたま運が悪かっただけかも。インフルエンザの流行期には、むやみにヒトが集まるイベントは無い方が嬉しいのですがね。 100人ほどの集団内でインフルエンザの流行が起こる始まりは、3日おきにボンと高い熱を出すヒトが3,4人ずつというパターンです。その内にネズミ算状態に陥って大量発生していくと、中休みの日がはっきりしなくなっていくのです。タミフルのおかげで、大流行になりにくい社会条件になりつつありますが、とにかくヒトに会わないこと。うがい歯磨き手洗いと励行すること、これにつきますね。
2006.02.01
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1