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ちょうど三鷹方面に出かける予定があったため、長年の懸案だった深大寺に出かける。ここには、白鳳期の時代的特徴をよく残している「釈迦如来像」がある。手元のJTB発行の「日本100の仏像」の第3番目に紹介されているものなのだが、行こうと思えばいつでも行けるという気安さから、まだ出かけていなかったところだ。来月には、同じく白鳳期の薬師寺の日光・月光菩薩が、上野にやって来るので、その前に是非、見ておかねばならない仏像だと思っていたので、まったくグッドタイミングだった。深大寺の山門をくぐり、すぐ左手のお守りの販売所の女性に釈迦如来像のおられる場所を尋ねるが、そこにいた二人とも分からず、受付案内所で聞いてほしいとのこと。この重要文化財の仏像、お膝元でも知名度は低いらしい。この釈迦如来像は、明治42年に地中から発見されたもので、なぜこの深大寺にあるのかは、分かっていないそうだ。さて、境内左手の昭和51年に立てられた釈迦堂に安置されていることが分かり、さっそく出かける。拝観料などはなく、ガラス越しに誰でも自由に拝観できる。仏像までの距離は2メートルほどで、やや遠いのが難点。まず、こんなに小さいものだったのかというのが第一印象。如来像なので、菩薩像に比べれば、飾り物もなくずっとシンプル。倚像(いぞう)と呼ばれる椅子に腰掛けた形の像。やや、がに股ぎみに座っている。そのため、坐像や立像に比べると、少々だらしない感じを受けてしまう。(釈迦如来に対して大変失礼なことはであるが)。顔の表情は、眉が丸く深く刻まれているのが印象的。口元が優しく微笑んでおり、美しい顔つきだ。双眼鏡を持っていなかったため、両目の形まで、十分に確認できなかったのが残念だった。門前で深大寺そばを食べ、出張先に向かう。
2008年01月31日
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この宝物館。よく神社仏閣にある、何が何だか分からないような雑多なものが展示されている施設ではないかと思っていたのであるが、予想に反して実際にはまさに「お宝」ごろごろ。建物自体は2階建ての明治の洋風建築で、さほど広くない。大倉集古館を一回り小さくしたくらいの大きさだろうか。展示物のひとつひとつが素晴らしい作品であり、今回の金刀比羅宮の文化ゾーンの中では、いちばん印象に残ったといっても過言ではない。入り口をまっすぐ進むと、いきなり大好きな蘆雪の絵に出会って、本当に胸がときめいた。その鯉魚図は、うっすらとした水の表面の下に力強い鯉。そして尾の下には、うすく亀の姿が見える。水の透明感が何とも言えずステキであった。横には司馬江漢の「扇面旭日鶴亀図」。これにも見とれてしまった。扇一面に広がる太陽。飛び散る波濤に首を傾げて飛ぶ鶴。岩の上の亀。これらが扇の中にバランスよく配置されている。構成力の勝利とも言えよう。突き当たりの壁一面に狩野探幽らの三十六歌仙図。絢爛豪華な歌人たちの姿にうっとり。そのほか、狩野派の絵も見事であり、メモを取っていなかったので、覚えていないのだが、老婆が入った丸い器を掲げながら海を渡る菩薩?の迫力のある仏画も印象に残っている。これは、誰の何という絵だったのか?1階の作品、一点一点をじっくり眺めていたところ、宿(琴参閣)で待つという同行者たちの連絡を受けた。すっかり忘れていた。昼をとっくに過ぎているので、皆、腹をすかして待っているのだ。食い物の恨みは恐ろしい。(幹事の自分が、お金もレンタカーの鍵も握っている。)慌てて2階へ登り、横目で眺めながら、駆け足で通り過ぎた。まぁ、ここは常設なので、また来る機会もあるさと無理やり自分を納得させた。そのあと、皆と合流。山越うどんに行こうと思ったのだが、時間の関係で断念し、近場の将八うどんへ。一串110円のおでんが美味。安いものだ。皆に大いに飲み食いしてもらい、機嫌を直してもらう。運転手なので、疲れた身体をビールで癒せなかったのは辛かったが、それはじっと我慢。栗林公園へと向かう。↓高速から撮影した讃岐富士。
2008年01月30日
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ここでは、高橋由一の作品を27点、常設展示している。高橋由一といったら、芸大の「鮭」か「花魁」だが、ここで、彼の風景画なども、はじめてまとまってみることができた。「豆腐」や「鱈梅花」、「鯛」は、鮭に通じるリアルな表現だなと思いながら眺める。特に「鯛」は、オランダの静物画といってもおかしくない。そこに大根が描かれているのがまさに日本的である。「琴平山遠望図」には、宿の露天風呂から眺めた山の姿そっくりだと感激する。当たり前のことなのだが。「墨堤桜花」や「浅草遠望」などは、どこか懐かしい風景画。彼の風景画は、まったくはじめて見たのかと思ったのだが、memeさんのブログを拝見して、私も愛知県立美術館で「不忍池」を見ていたことを思い出した。だから懐かしく感じたのか。お気に入りは、「二見ヶ浦図」。夫婦岩が呼応しあって、身体をくびらせているようにも見える。角度によってはこのように見えたのだろうか。早朝の光景ということだが、背景の幻想的な雰囲気にも惹きつけられた。
2008年01月29日
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ようやく、書院に到着。外靴をビニール袋に入れて、書院に入室。↑書院の入り口の透かし彫り。表書院では、芸大で眺めた応挙の鶴や虎、七賢人の襖絵と再会。なるほどこんな風に嵌まっていたのかと納得する。じっくりと眺めたいのだが、同行者はどんどん先に進むし、他のお客もどんどん続いて、混雑しているので、立ち止まる余裕もなし。それでも、上段之間では、一瞬、人だかりが途絶えて、「瀑布古松図」をゆっくりと眺めることができた。しゃがんで視線を落とすと、岩に砕けた瀧の波濤が目前に迫ってくるようだ。そして、その波がこの部屋の左手にある実際の庭園に流れ込むように計算されて、配置されているのだ。応挙はこの書院ではなく、京都でこの絵を描いたそうなのだが、その構成力の凄さにあらためて感服した。邨田丹陵の富士の間を眺めて、奥書院に向かおうとすると、すでに書院を見終わって出口に向かう同行者と行き違う。「えっ、まだ、ここ~」と言う仲間を笑顔で見送り、若冲の花丸図の前に到着。ここからは人だかりでなかなか先に進まない。前の方でボランティアの方が、ていねいに解説しているせいだろう。岸岱の描いた春の間や菖蒲の間の絵は、若冲の絵が劣化したために、新たに描き直されたものだそうだ。群蝶図など、芸大で見たときよりも、美しくきらびやかに感じた。(芸大での展示はレプリカだったかな?)同行者のことはすっかり忘れていたのだが、柳の間に入ったところで携帯が鳴ったので、廊下まで戻る。同行者から「皆、高橋由一館にいるので、早く来い」と急かされた。「飲まず食わずで奥の院まで往復した彼らの頭の中には、昼のビールのことしかないのだろう」などと考えてしまい、幹事の仕事を思い出してしまった。何しろ、下っ端は辛いのだ。白書院は、田窪恭治というはじめて知るアーティストの椿の障壁画。荒々しくも力強いタッチで、椿の赤い花と緑の葉が描かれる。現在進行中の書院である。後に高橋由一館の方に伺ったのであるが、現在の金刀比羅宮の宮司と高校時代の同級生だった関係で、白書院の障壁画を描くようになったそうだ。「象頭山社頭並大祭行列図屏風」も興味深かったのだが、ざっと眺めて、書院を出る。そこで若冲ツバメの看板を発見。「えっ?若冲ツバメ?どこにあったかなぁ?」。ここで、肝心要の若冲の「飛燕図断片」をすっかり見逃してしまったことに気づいた。先ほど携帯で呼び出された柳の間にあったのだ。この旅行の唯一の悔いである。
2008年01月28日
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職員旅行2日目。私の目的は、「金刀比羅宮 書院の美」を観ることなのだが、同行者は絵に興味のない体育会系ばかり。そのため、ひたすら1368段の石段を奥の院を目指して必死に登ることになった。門前町の雰囲気はどこも楽しい。カニではなく、タコの看板。 森の石松、こんぴら代参。 昨夜飲んだ日本酒の造り酒屋の杉玉。 にぎやかなお饅頭屋さん。これから急な石段が続く。本宮の下の旭社の屋根の裏側に見事な潮の紋様が描かれていた。さすが海の神様だなぁ。 階段を上り始めて、40分。ようやく、奥の院まで到着。ところどころに雪が残る。 さすがに見晴らしがいい。本宮で幸福の黄色いお守りを購入。ウコンで染めた鮮やかな黄色。このあと、神椿で休憩しようと提案したのだが、早く書院を見て、山を降りようということになった。皆の本心は、疲れたので、うどんでも食べながら、一杯飲もうということ。ここが、団体旅行の辛いところで、自分のペースで行動できない。まぁ、幹事の特権で、今年の旅行地は「金刀比羅宮」に決めたので、あまり無理も言えない。ということで、やっと書院にたどり着く。
2008年01月27日
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職場の旅行で、四国のこんぴら参りに1泊2日で行って来た。まずは1日目。徳島空港から、レンターカーで、鳴門へ。ちょうど潮見表で調べると、午後3時が大潮で、渦潮の見頃らしい。さっそく、「アクアエディ」という水中展望室のある高速小型船を予約。ガラス張りになった船底が、指定席になっており、まずはそこに腰掛けるが、にごった海中を見てもしょうがないので、すぐに甲板に出かける。渦潮に行き着き、船底に戻ると、渦潮の根のようなものが見える。ただそれだけで、さほど面白くなかった。甲板から渦潮の表面を見ていた方がよほど迫力があった。果たして、この急な流れに飛び込んだらどうなるのだろうかと鳴門秘帖の法月弦之丞のことを思い出す。大塚国際美術館にも行きたかったのが、入館料の高さのため、皆に却下され、琴平温泉に向かう。早く温泉に入って飲みたいとの声に逆らえなかった。ここは次回のお楽しみ。途中、丸亀城見学。石垣の美しい城であった。となりの丸亀高校の記念館も、風雅な洋風建築で、お気に入り建築に追加。
2008年01月26日
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新しくなった大丸ミュージアムに初めて出かけた。以前より狭くなったという話をどこぞで聞いたような気がしたが、あまり変わらないのはという印象。さっそく、2,000円のパスポートチケットを購入。今回は、長野にある水野美術館というところの所蔵作品展。この美術館も初めて聞く名前だと思ったら、5年前にできたばかりの美術館だそうだ。庭園も見事らしく、ここもいつか尋ねてみたいところだ。もうひとつ、この展覧会をネットで検索したら、この展覧会を企画した会社の存在を知った。なるほど全国各地のデパートで同じ作品展が巡回するのはこういう会社の存在があったのかと納得した。ひとつの美術館の学芸員の尽力で行うタイプの展覧会もあれば、こういう商業ベースにのった展覧会もあるのだということを知る。地方の公立美術館の限られた予算では、独自の展覧会を企画するのは難しく、こういう業者に委託せざるを得なくなる事情もよく分かる。美術ファンとしては、こうした企業により、よい作品を観る機会が増えてうれしいことでもある反面、一学芸員の精魂を込めた企画も期待したいところだ。まぁ、消費者はわがままなのである。さて、大丸ミュージアム。どなたかのブログにあったように、山種美術館に匹敵する日本画の名品の数々に圧倒された。大観の「陶靖節」。無弦の琴を置き、自然の音を聞いて瞑想にふける陶淵明を描いたもの。金屏風に竹林の規則正しい竹の葉が映える。陶淵明のブルーのリボンが印象的。大観の富士山の絵には、少々食傷気味であるが、こういう歴史画は好きだ。同じく大観の「無我」。東博の作品を見慣れているせいか、こちらはやや淡白に感じた。童子と「無我」の関係について、いろいろな解説を読み、頭では理解できるのだが、実際にこの絵を見ても、まだしっくりとこないのである。下村観山。「弁財天」があった。観山の仏画も好きだ。龍に乗る下膨れ美人。ところが、となりの獅子図は、不気味な青い体表に、腰が引けてしまった。今回の上村松園のどの作品は、どうも真面目すぎる感じがした。やはり、男の描く女性像の方が好きだ。清方の「大川の虹」。薄い絽の着物から覗く赤い襦袢や、ピンクに染まる頬の色など、控えめながらも強烈な色気だ。伊東深水の「鏡獅子」の弥生も初々しい美人だが、視線がすでに獅子にひかれている。菊池契月の「後宮」は、それこそ昔の少女マンガの登場人物のような美人。現代画家では、高山辰雄の「里」をはじめとする幻想的なタッチの作品に心惹かれた。最期の加山又造。青い目のシャム猫も良かったが、「雪晴れる」の雪山(どこの山を描いた絵だろうか?)の背後にスコーンと抜けた青空を見て、 清々しい気持ちで会場を後にした。
2008年01月23日
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ジャズ喫茶四谷「いーぐる」の100枚最近は第何次かのジャズブームらしい。本屋に行くと「ジャズの名盤100枚」系の新書が目につく。本書もその類かと思って、ぱらぱらとページをめくると、ふだんは、ベスト100にのるわけのない一枚のアルバムが紹介されていたので、思わず購入してしまった。それは、ローランド・カークの「天才ローランド・カークの復活」である。このアルバムは、私もリアルタイムで買い衝撃を受けた一枚。オリジナルの「ユーリピオンズのテーマ」の神秘的なフレーズや、「ラビング・ユー」の軽快なフルートのメロディが忘れられない。この盲目のジャズマンが脳卒中で半身不随になりながらもカムバックしたアルバム。ただでさえ、数本の楽器を同時に演奏するのに、半身不随になりながらどう演奏したのかと本当に不思議に思う。ただ、そんなハンディをまったく感じさせない優しくも不思議な演奏が続く。それはさておき、四谷「いーぐる」には、たった1回しか出かけたことがない。よく行ったのは「ニューポート」か「響」か、「NARU」だった。「木馬」や「DUG」「DIG」にもよく出かけたが、四谷という土地は御茶ノ水と新宿の通過点だったのだ。この本は「イーグル」開店40年間の歴史と当時のジャズシーンの雰囲気を熱く語る本である。私は中学卒業してすぐの春、7つ上のいとこに「リターン・トゥ・フォーエバー」を勧められてはじめてジャズを知った。この本では悪夢のフュージョンの時代と表現されている70年前半の頃である。このいとこに比べ、ジャズも政治にも「遅れてきた青年」であった私は、いつも熱気を帯びて語る彼の話に魅了され、多大な影響を受けた。革命って言葉を聞いたのも彼からだった。もう何年も会ってないが、たまに噂を聞くとバブルのあとリストラされ、今はただの平凡な団塊の世代のオヤジになってしまったようだ。この本で、秋吉久美子がガトー・バルビエリをリクエストしていたというくだりがあるが、この4つ年上のお姉さまには大いにあこがれたものだ。大学の友人が秋吉久美子の同郷人で、本人が中学の後輩だったか、それとも彼女が秋吉の高校の後輩だったかという話をいつも聞かされていたので余計に印象深い。いずれにしても、その時代を知っている人には懐かしく、知らない人には興味深く、一枚のアルバムの日本導入時の雰囲気が分かる本。
2008年01月22日
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毎年の正月は、東博の等伯「国宝 松林図屏風」と、こちらの応挙の「国宝 雪松図」詣でが恒例となりそう。まぁ、「雪松図」の感想は昨年同様なのだが、今年は、地の白の空間に注目して眺める。雪の積もる地面、空気の揺らめき、陽が当たるかのような明るさなど、地の色だけで表せるなぁと今年も感心する。応挙の稲麻綿図。麻のきりりとした葉の様子。綿のほんわかとした優しさ、稲の柔らかいカーブ。それぞれの描き分けがうまい。まぁ、応挙にうまいなんてほめ言葉は当たり前すぎて失礼か。毎度の茶道具。東博の2階「茶の美術」のコーナーよりこちらの方が好きだ。360度立体的に眺めることできるのがよい。一期一会なので丸ごと楽しみたい。ノンコウの赤楽茶碗。「再来」。見込みのすっきりさが、たまらない。うん、正月は赤かなぁと思ったら、長次郎の黒い筒茶碗も出ていた。「寒梅」。重さを感じる。しかし、どちらも何と趣のある銘だろうか。特集陳列「初公開 松阪三井家新規寄託品展」で皆さんがほめている酒井抱一の「観音像」。ネットで調べるとけっこう抱一は仏画も描いているようだ。観音の足元の波や背後の滝の水の表現が緻密で印象に残る。もうひとつ河鍋暁斎の「観音像」。こちらもウネウネの波と衣が目に焼きつく。解説を読むまで龍には気づかなかった。小品ながら、迫力満点。昨年、太田記念美術館で見たギメ展での釈迦如来図に匹敵する。美術館を出て、となりの三越デパートの前を通る。「ここで、何かやっていたかなぁ」と漠然と考えながら、すたすたと素通りして、東京駅の大丸まで歩く。先日の飲み会で、新しくなった大丸ミュージアムの話題があったため。それで、三越の「日本画の今展」のことはすっかり忘れてしまっていた。
2008年01月21日
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「日本の版画とは何か」というテーマで、企画された展覧会の第5回目で最終回とのこと。私は初見だが、これは担当の方のなんと10年以上に及ぶ企画だという。ひとつの仕事をやり終えたと言う担当の方には拍手を送りたい。さて、今回は、1941年から10年間の日本版画を概観するというもの。当然、太平洋戦争の影響が大きくのしかかる。面白いと感じたのは、松戸に住んでいた奥山儀八郎の作品の数々。カチッとしたイラストのような版画に仕上がっている。前線に送られた版画だったため、幕末の志士や国技の相撲などがテーマになっている。国粋版画と呼ばれたそうだ。戦後、大量に処分されたそうだ。今であれば、何ともない楽しい似顔絵なのだが、不幸な歴史を負った作品である。川西英の戦前の作品、「古道具屋A」。これも気に入った。原色の赤で、画面が溢れている。弾んでいる。浜田知明の有名な「初年兵哀歌(歩哨)」をはじめて見た。ドクロのような顔に一筋の涙。銃の引き金に足をかけ、自殺を図ろうとする瞬間。「毎日、毎日なぐられた。ほっと自分に返れるのは、狭い便所の中と、夜、一人で歩哨に立っているときぐらい」という浜田の文章が痛い。「初年兵哀歌(風景)」は、モノのように棒を差し込まれた女性の遺体。昔、読んだカッパ・ブックスの三光を思い起こし、胸が痛む。棟方志功の六曲一隻屏風の、「鐘渓頌」。白肌と黒肌の女性像。赤と青の彩色も美しい。国粋主義でもなく、素朴な女性を題材に世界で評価された棟方志功はすごい。この時代の版画作家って、あまりなじみがないのだが、とにかく膨大な数の画家の展示。目にも鮮やかなポップ調の浮世絵を描く、ポール・ジャグレーという新しい発見もあって、うれしい。50年代以降の特集もしてくれると、また新しい発見があるのではと期待もする。他のお客は少なく、ほとんど貸切状態であったが、いい版画を見て楽しめた。
2008年01月20日
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明治初めの錦絵新聞。今で言えば、写真週刊誌の1ページといった感じのものでしょう。「東京日々新聞」は芳幾、そして、「郵便報知新聞」は、芳年の浮世絵。歌川国芳門下の兄弟弟子の対決です。どちらも、殺人とか強盗とかの犯罪場面が多いのは、今も昔も同じこと。いかにショッキングに残虐に伝えるかということに主眼を置くのでしょう。芳幾もそうですが、やはり芳年の描く作品は凄まじいです。追いはぎにあった旅人夫婦が木に吊るされ、狼が足を喰いちぎるなんて場面、「血まみれ芳年」の面目躍如といったところ。スプラッター映画真っ青です。もちろん残虐な記事だけでなく、啓蒙的な記事とか時事問題を扱ったりした記事なども多数で、明治のはじめの雰囲気ってこんなものだったのかと想像しました。後年の「月百姿」の情緒たっぷりな芳年と比べ、おどろおどろしさに溢れた作品の数々でした。定価3,990円のところ、この美術館のみ2,800円で売っている書籍、「文明開化の錦絵新聞」を片手に回れば、描かれている事件のシチュエーションが理解できます。(私は立ち読みならぬ座り読みをしただけでしたが。)
2008年01月19日
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テツさんのブログで気になっていた東大寺戒壇院四天王のフィギュア。何といっても最も好きな仏像の広目天像である。前回の奈良旅行で購入したものだったのを、今頃、ようやく開封して飾った。忙しい。この3連休は、仕事の書類作成で、終わってしまった。美術館にもどこにも出かけることができなかったのが悔しい。
2008年01月14日
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ここの常設展は、ポップ道と名付けられ、以前と大きく変わっていた。以前は、戦後からの現代アートの流れを追って展示されていたように思うのだが、今回はポップという視点で構成されている。だから、こちらも現代アートにありがちな、う~んと眉をひそめながら理解しようと努めてしまう作品ではなく、肩肘張らずに楽しく眺めることができる作品がほとんどであり、分かりやすかった。エントランスロビーには、1階と2階の間のロビー前面にブルーの薄い布を挟んで、やはり同質の布で作られた大きな門が、上下対象に設置されたオブジェ。下から見上げると水の中から、空を覗いているようだし、2階から見下すと水中を覗いているようだ。この展示ははじめて見た。ロビーの奥には細長いパイプが左右に付いたイス。イスに座ってパイプに耳を当てると音楽のようにも聞こえる不思議な音がする。不思議で、楽しい。そんなロビーを通り、右手の部屋からPOP道が始まる。当然、トップを飾るのはMOTお馴染みのリキテンシュタイン、ウォーホールらの元祖ポップアートだ。それからは、日本のポップな作品が並ぶ。MOTで何度も出会っている作品もあるし、はじめて見るものもある。会田誠も奈良美智の作品もある。男女の3人組のリアルな像にはびっくりした。そこにいたお客さんと区別がつかなかったからだ。2階のお気に入りのサム・フランシスの部屋はなくなっていたが、その奥には岡本太郎の「明日の神話」がデーンと展示されている。汐留で見逃したこの作品を見たかったのだ。この絵の背景については、いろいろ語られているが、それにしても巨大な壁画だというのが第一印象。原爆投下をモチーフにした絵ということだが、私には中央のガイ骨は多くの怪物が飛び交う中、炎のダンスを力強く踊っているように思えた。断末魔の叫びを上げているというより、激しい熱狂の中で身を焼き酸くしてしまったようだ。具体的に言葉にすることは出来ないが、圧倒的な気迫を感じるのだ。何度でも訪ねてみたくなる絵だ。
2008年01月06日
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まったくの予備知識もなく、他人任せで連れられて出かけた展覧会。現代美術館での展覧会なのに現代アートの展覧会だということすらも頭になく、展覧会全体を貫くコンセプトも理解せずに、ただただ漠然と見て回っただけだったが、何かけっこう面白かったなぁというのが、正直な感想。まず、この展覧会はまず体験できるものが多い、次に映像が多い、そして何を表現しているのかはだいたい分かるという点で親しみのわく展示であった。現代美術というと、たいてい理解しようと苦しむのが常だけれども、今回は頭を使わず、そこにあるものを素直に楽しめた。沢尻エリカの100枚の変身パネル(100 ERIKAS)には驚嘆!そう言えば、携帯のCFを見たことがあったような。すべてCGを使わず特殊メークで仕上げたところがスゴイ。ただ下世話な話だが、あの事件がどれだけこの展示に影響したのだろうかということがけっこう気になった。(だいたい、あの事件でこの女優のことをはじめて詳しく知ったのだ。クローズド・ノートの原作は素晴らしかったので映画を楽しみにしていたのだが、結局、見逃した。)まぁ、製作者のタナカノリユキの才能とこの女優のスキャンダルとはまったく関係ないことだし、誰がモデルであってもあの写真はとても面白く眺めることができたと思う。この「100 ERIKAS」の目の前にあった、砦のような、掘っ立て小屋のような建物が気に入った。学生時代に、文化祭で作った迷路やオバケ屋敷、さらに遡って、子どもの時に作った秘密基地の記憶まで呼び覚ませてくれる。アートブロガーの話題にたびたび上っていたエルネスト・ネトという作家の着ぐるみ・・ではない、フィトヒューマノイドというタイトルの彫刻(ソフトスカルプチャー)。どこにでも移動できるカウチとでもいったらよいのだろうか。気持ちよいとおっしゃる方が多いのだが、かぶって思いっきり腰を下ろしたら、尾てい骨をがんと打った。快適なインテリアにはならないなぁと感じた。配布されたリーフレット(ガイドマップ)を特に読みながら回ったわけでもなかったが、家に帰って読み直してみると、それぞれの作品のエッセンスが分かりやすく簡潔に書かれており、なるほどと思うところが多かった。SANNAのことも、帰宅してから、金沢21世紀美術館との関係を知った。なるほど、言われてみればということも多く、好奇心が刺激された展覧会でもあった。
2008年01月05日
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わたせせいぞうのサイン会と聞くと、どうしても足を運んでしまう。わたせせいぞうのサイン会は、これで4回目となった。数年前、まだ、息子が幼い頃に一緒に出かけて、頭を撫でてもらったことがある。わたせさんに「マンガが好きですか」と尋ねられ、某女優のように「別に・・・」と答えたのは、単に人見知りをして恥ずかしかったからのようだ。現在では漫画漬けの毎日なのだが、反抗期のせいで、大人の問いにはやはり素直に答えられないかもしれない。まぁ、わたせさんのマンガを理解するのはまだまだ先のことだろうけれども。わたせさんは、気さくに話しかけてくださって、ひとりひとりと丁寧に接してくださる。その気遣いが素晴らしい。毎回、力強く握手をしてくださるのが楽しみでもある。わたせさんの絵は、そこからほとばしる季節感が大好きだ。特にぴあの表紙なんか最たるものだ。多分にステレオタイプな絵であるのだが、昔からの思い出と相まって、いつも心地よい風を感じるのだ。
2008年01月04日
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― 見たことがありますか? 道長自筆の日記 ―というキャッチコピー。「確かに初めて見たことは見た、しかし読めなかった。」というのが、正直な感想。文字の力強さ、流麗さなど視覚情報は分かるのだが、肝心のそこに書かれている情報が分からないので、どうもストレスが溜まる。まぁ、これがあの歴史上の人物の筆跡かと、一時の興味を持つだけ。だから、「柿本人丸」の文字が組み合わせて、着物を描いている「柿本人麻呂像」などでは、この部分が「柿」だ「人」だとか、いや「か」だ「の」だとかで盛り上がる。とらさんと、さも知ったように、ここが「か」、「き」「の」「も」「と」などと話していたら、そばにいた女性の方が、これは「柿」「本」「人」「丸」と漢字四文字で成り立っているのだと教えてくれた。なるほどぉ。ひらがなではなく、漢字ではないか。この方、てっきりオフ会に参加した初めて出会うブログ仲間だとばかり思い、少し馴れ馴れしい態度を取ってしまったのだが、実はまったくの他人だった。赤面。きちんとお礼を言うべきだった。見当外れの意見をわいわい言ってるので、聞くに絶えず教えてくれたのだろう。中央広場を通って、反対側の部屋に入ると、部屋の中が俄かに色を帯びてくる。古裂(こぎれ)、表具裂の見事な刺繍に見入ってしまう。昔は、こんなキレにまったく興味がなかったのだが、お茶をやるようになってから、ころっと変ってしまった。中国の宮廷の官人の衣装で作った表具など、それは美しいものだった。31本の茶杓が並ぶ様子も壮観だし、酒井抱一の「四季花鳥図屏風」には、癒される。前半で時間を取り過ぎたため、待ち合わせの時間に間に合わなくなりそうで、はしょってみる羽目になってしまったのが残念。書に関心のない方は、視覚で楽しめる展示の多い、後半部分から、じっくりと見た方がよいかもしれない。
2008年01月03日
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ここのところ、恒例となった博物館に初もうで。華やいだお正月気分を満喫できる東京国立博物館。2階の国宝室の等伯、松林図屏風も毎年のお馴染み。そして、いつものことだが、これで完成しているのかと疑問に感じながらも、じっと見入ってしまうのだ。2階の新春特別展示は、干支のねずみ特集。すでにTakさん、はろるどさんが、詳細なレポートを書かれている。しかし、ネズミって、どれもこれも絵にするとどうしてこう愛くるしいのだろう。昔々、実家の家では、よく天井をねずみが走っていた。夜中にトットコ、トットコとうるさくて悩まされた。退治するのに苦慮したものだ。おめでたい時期にこれ以上は書けない・・・というわけで、可愛いねずみ以外の関連の絵といえば、「鼠小僧次郎吉」。松雪斎銀光という絵師が描いた役者絵だ。御用だ!御用だ!とさすまた、竹バシゴで追い詰められる次郎吉。刀を振り回して、最後の抵抗を試みている姿が、ダイナミックに描かれる。ただ、この作品、明和7年(1770)に描かれたとある。えっ、写楽や豊国より前?と疑問に感じ、松雪斎銀光をネットで調べると江戸末期から明治時代に活躍した絵師であるという記述を見つける。それにこの鮮やかな発色も不思議に感じる。100年ずれているのではないだろうか。(素人なモノで間違っていたらごめんなさい。御指摘ください。)ねずみ以外でもうひとつ。鎌倉時代の十二神将立像。そうそう十二神将は十二支を現していたのだ。と思ったら、ちゃっかり頭にねずみを乗せいていた。これはmizdesignさんのお勧め。春信の「縁側で遊ぶ娘と子供」。今回は、浮世絵コーナーの春信よりも、こちらの作品のほうが気に入った。その他、常設展でのお気に入り。歌川豊国の「三代目沢村宗十郎の大星由良之助」。タマゴのような顔の形。どんぐり眼のより目も楽しい。美人画ファンだったのだが、役者絵も見慣れてくるとだんだん面白くなってくる。歌麿の「歌撰恋之部・深く忍恋」。手元の美術書にはギメ美術館のものが載っている。ギメ版は、うなじの黒子がないのだが、こちらの方には、ちゃんとある。「深く忍恋」とは、なんというきれいなタイトルだろうと感激。屏風と襖絵のコーナーでは、円山応挙の重要文化財「波涛図」が圧巻だった。北斎のあの神奈川沖の「波」はここから、ヒントを得たのではないかと思えるほど、うねうねと生き物のような波だ。1階は、全体的にちょうど展示が入れ替わっていた。陶器のコーナーでは、仁阿弥道八の黒楽鶴亀文茶碗など、ステキな作品だった。楽茶碗に白く鶴の絵が描かれている。亀の方は確認できなかったのだが、重々しい黒楽茶碗が、何とも正月にふさわしくおめでたいものに形を変えている。そのほかの作品も、明るく派手さのあるものが多く、正月にふさわしい展覧会であった。
2008年01月02日
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アートに関心を持つようになった最初のきっかけは何だろうと考えていました。遡るに、中学卒業後の春休み、中学校時代の担任に連れて行ってもらったブリジストン美術館でこの絵を見たことからだと思います。昨年のモネ大回顧展にも出展されていた、夕日に染まるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会堂。「たそがれ」「黄昏」という言葉の響きも美しいなぁと感じたのですが、今思うにこの絵の感覚とは微妙にずれているのかもしれません。人生の折り返し点も過ぎ、そろそろ黄昏時に向かおうとしている今日この頃ですが、無数の流星群のうちの僅かひとつの星として、今年も光り輝きたいと思っております。
2008年01月01日
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