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2022.08.06
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カテゴリ: 南城市



沖縄本島南部の南城市に「字佐敷」の集落があり、国道331号線の周辺には多数の拝所が点在しています。1649年に作成された『絵図郷村帳』には「さしき村」「よなみね村」「なわしる村」と3村が記載されていましたが、1713年に琉球王府により編纂された『琉球国由来記』には「佐敷村」と「与那嶺村」の2村のみ記されています。苗代之嶽と苗代殿が「佐敷村」にあると記述があるため「なわしる村」は「佐敷村」に合併したと考えられています。琉球王国時代は「佐敷村」と「与那嶺村」は隣接して栄えてきましたが、1903年に「与那嶺村」は「佐敷村」に編入して現在の「字佐敷」となりました。


(字佐敷風水/1班の祠)

(字佐敷風水/1班の祠内部)

(ヰージャラーモー)




(佐敷番所跡/佐敷役場跡)

(字佐敷風水/2班)

(字佐敷風水/2班の祠)

「字佐敷風水/1班」の東側約150メートルの場所に「佐敷番所跡/佐敷役場跡」があり、かつて「佐敷村」は「間切/市町村」のドゥームラ(主邑)として「番所/村役場」が置かれました。さらに「佐敷番所跡」から東側に約50メートルの位置で佐敷郵便局の南側に「字佐敷風水/2班」の拝所があります。2本の椰子の木に挟まれて鎮座する珊瑚岩の上部にコンクリート製の祠が建立されており、この祠内部にはウコール(香炉)が設置されています。「風水」は土地の吉凶を判断する方法として用いられ「首里城」が「風水」により場所が選定された事はよく知られています。他にも琉球王府の風水師により数多くの集落移動が行われていたほど「風水」が琉球王国時代に広く活用されていました。


(字佐敷風水/3班と井戸拝所)

(字佐敷風水/3班の祠)

(穂取田/フートゥイダー跡)

「字佐敷風水/2班」の西側約150メートルの位置で国道331号線沿いにある「佐敷公民館」の敷地内に「字佐敷風水/3班」の拝所があります。東側に向けて建立されたコンクリート製の祠内部にはウコール(香炉)が設置されています。この祠に向かって右側には古井戸を祀った拝所となっており、井戸を模した穴の手前にウコール(香炉)が置かれて拝する場所となっています。更に「字佐敷風水/3班」がある「佐敷公民館」の北東側の開けた場所は「穂取田/フートゥイダー跡」と呼ばれており、この地はかつて御嶽や殿などの拝所に「佐敷ノロ」が祭祀の時に供えた花米や神酒を作る為の稲が育てられた特別な水田があった場所です。


(字佐敷風水/4班)

(苗代樋川/ナーシルヒーカー)

(苗代樋川/ナンモーガジュマル)

「字佐敷風水/3班」から東側に約120メートルで「苗代殿/ナーシルドゥン」の北側にある「ナンモー」と呼ばれる広場の敷地内に「字佐敷風水/4班」の祠が南向けに建立されています。この広場には「苗代樋川/ナーシルヒーカー」と呼ばれる井戸がありウコール(香炉)が設置されています。この井戸の上部には「ナンモーガジュマル」があり、1899年に「池ヌ端のタンメー」と呼ばれた「与那嶺盛一翁」が初代佐敷間切区長に就任した際、記念に植えられた「佐敷の三本ガジュマル」の一つとなっています。一本目は「字佐敷風水/1班」の「ヰージャラーモーガジュマル」で、三本目は「ナンモーガジュマル」の東側に植樹された「ユナンミガジュマル二世」です。三本ともに550メートルの等間隔で植えられています。


(川当殿/カータイドゥンの標識)

(川当殿/カータイドゥン)

(川当殿/カータイドゥンの祠内部)

南城市立佐敷小学校の体育館南隣に「川当殿/カータイドゥン」と呼ばれる拝所があります。元々は小学校体育館の敷地内にありましたが現在の地に移動しています。かつて「字佐敷」では旧暦5月15日と6月15日の五穀豊穣を祈願する「ウマチー/シチュマ」の祭の際に『苗代殿→美里殿→上城之殿→川当殿→与那嶺殿』の順番で参拝していました。これら5箇所の殿は集落では「ウマチーの五殿」と呼ばれています。「川当殿/カータイドゥン」がある周辺一帯は「下代原遺跡」といい「佐敷上グスク」から北西側に約280メートル離れた地形で確認された遺跡で、12世紀から16世紀に鉄を生産していた「カンジャー/鍛冶屋」の遺物が多数発見されています。南側に隣接する「佐敷上グスク」からも数多くの鉄製の武器、武具、農具が出土しており、伝説として「尚巴志」が農民の為に自身の剣と鉄を取り換える逸話が残されています。


(佐敷上グスクへの鳥居)

(ヤシ並木ロード/国道331号線)

「ヤシ並木ロード」と呼ばれる国道331号線には、その名の通り多数のヤシの木が国道沿いに植えらた美しい景観となっています。南城市立佐敷小学校の東側には鳥居が建立されており「佐敷上グスク」に通じる参道が続いています。「尚巴志」が少年の頃「カンジャー/鍛冶屋」に命じて3年がかりで作らせた非常に価値の高い剣がありました。「尚巴志」が大人になったある日、与那原の港に来た大和の商人がその剣を非常に気に入り強く切望したのです。「尚巴志」はその商人と交渉して船一杯の鉄塊と自身の剣を交換する事になり、手に入れた大量の鉄を百姓に分け与えて質の高い農具を作らせたのです。百姓たちは非常に感服して「尚巴志」を心から敬うようになったと伝わります。


(ノロクモイ地/ヌル地跡)

(阿旦山の跡・井)

南城市立佐敷小学校から国道331号線を渡った北側には「ノロクモイ地」と呼ばれる土地が現在も残されています。この場所は「佐敷・与那嶺」の2つのシマを管轄した「佐敷ノロ」が琉球王府から与えられた「ノロクモイ地/ヌル地」で、集落の中でも特別な土地として地割の対象から除外され代々継承されてきました。更に「字佐敷」の鳥居から東側に「ヤシ並木ロード」を約100メートル進んだ位置に「阿旦山の跡・井」があります。「尚巴志」が農耕をした水田があった場所で、この地にあった井戸は「尚巴志」が使用していたと伝わります。「尚巴志」は当時としては最新の農業技術だあった稲作の二期作と鉄製農具の導入により農業集落を確立し、国力を増強した支えにより琉球を統一した「第一尚氏」が誕生したと言えるのです。








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最終更新日  2022.11.11 21:13:58
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