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2022.11.01
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島中部にある中城村の中央部に「安里(あさと)集落」があります。「安里集落」は「桃原/トウバル・下原/シチャバル・西原/イリバル・後原/クシバル・前原/メーバル」の5つのハルナー(小字)で構成されています。この集落が創始した古島(ふるじま)と呼ばれる場所は「後原」の丘陵地にある「トゥングヮー/殿小」周辺で、この地から「安里集落」が広がったと伝わります。集落の北西部にある「トゥングヮー」は戦前は瓦葺きの祠で周囲はマーチ(琉球松)の木々で囲まれていました。この拝所は戦前から旧暦5月15日の稲の生育を願う「グングヮチウマチー/五月ウマチー」旧暦6月15日の稲の収穫を祝う「ルクグヮチウマチー/六月ウマチー」厄祓いと豊年を祈願する旧暦7月17日の「ジュウシチニチ」で住民により拝されてきました。


(トゥングヮーのヒヌカン)

(安里部落トゥン小の祠の石碑)

(トゥングヮーの拝所)

「トゥングヮー」は1713年に琉球王府により編纂された地誌である『琉球国由来記』に『里主所之殿 安里村 稲荷祭之時、花米九合宛・五水四合宛・神酒壱宛・シロマシ一器安里地頭、神酒二宛同村百姓中、供之。屋宜巫ニテ祭祀也。且此時、地頭ヨリ三組盆、居神九合員馳走也。』と記されており、祠の内部には三体のビジュル石(霊石)が祀られています。また「トゥングヮー」について『琉球国由来記』には『里主所火神 同村 毎年六月、為米初、神酒二同村百姓中供之。屋宜巫ニテ祭祀也。』との記述もあり、稲の収穫を祝う


(力石)

(かつて力石が置かれていた場所)

(メーヌムラガー/前ノ村井戸)




(ムラモー/村毛)

(アシビナー)

「トゥングヮー」の南東側に「ムラモー/村毛」と呼ばれる原野が広がり、この一帯は屋根の葺き替えに使われる茅が生い茂る「カヤモー/茅毛」になっていました。「安里集落」では年に一度だけ必要な家は無償で茅を刈り取る事が出来たと伝わります。また「ムラモー」の南側にはかつて「アシビナー/遊び庭」があり、神様に豊作を感謝し集落の繁栄を祈願する「ムラアシビ/村遊び」が行われていました。傾斜地を利用した「アシビナー」は上部に舞台、下部に客席が設けられてらいたと言われています。神への奉納として芸能を披露する「ムラアシビ」では組踊「国吉ぬヒャー」や男踊り「クーダーカー」の他にも棒術や鎌術など様々な芸能が演じられてらいました。芸能が盛んな「安里集落」では仕事もせずに周辺の集落を巡り、踊りの勝負を挑む「ミーハギィー」と呼ばれる人がいたそうです。


(神屋/カミヤー)

(屋号酒庫理/サキグーイ)

(屋号金万座/カニマンザの屋敷跡)

「アシビナー」の南東側に「神屋/カミヤー」があり、建物内には6つのウコール(香炉)とヒヌカン(火の神)があります。「神屋」の前の広場では旧暦7月に行われる豊年祭で旗頭を披露し宴会を楽しみました。「神屋」の南東側に隣接して屋号「酒庫理/サキグーイ」があり、この門中の本家である事から「五月ウマチー」では首里からも拝みに訪れます。更に屋号「酒庫理」の北側には屋号「金万座/カニマンザ」の屋敷跡があります。四体の霊石が祀られる「安里のテラ」は屋号「金万座」の祖先が建てたと伝わり、戦前「安里集落」の人々は旧暦1月1日の元旦、旧暦9月9日のチクザキ(菊酒)、旧暦12月24日のウガンブトゥチ(御願解き)で「安里のテラ」を拝んでいました。「安里集落」の旧家である屋号「金万座」の姓は「玉城」で、代々「安里のテラ」を管理し修繕や建て直しを行なっていました。


(カヤブチヤーグヮー/倶楽部)

(サーターヤー/ユージェー)

(ユージェー/ニシジェー)

「神屋」の北側にかつて「倶楽部」と呼ばれていた「安里公民館」があり、この敷地にはその昔サーターヤー(製糖小屋)があり、茅葺き小屋(カヤブチヤー)であった事から「カヤブチヤーグヮー」と呼ばれていました。このサーターヤーは屋号「前仲島袋小・新仲島袋小・金万座」などが使用していました。「安里公民館」の南東側で国道329号線沿いに「ユージェー」と「ニシジェー」という2つのサーターヤーが隣接していました。「ユージェー」は瓦葺き小屋(カーラヤー)のサーターヤーで、屋号「西新金城・前島袋・金城・前金城小」などが使っていました。また北側に隣り合う「ニシジェー」のサーターヤーも瓦葺き小屋で屋号「前金城・川ノ下」などが使用していました。製糖作業を行う熟練の技を習得した人は「シーゾー/製造」と呼ばれ「安里集落」では屋号「屋小比嘉・前仲島袋小・金城」が「シーゾー」として製糖作業を行なっていました。




(ウマアシグムイ)

(安里ガーラ)

(安里ガーラ)

「安里公民館」の北東側に隣接した場所は屋号「東前島袋」で、戦前までこの家の老人は「クスイウヤー」と呼ばれる薬売りをしており、体調不良の者や体に痛みのある者が多く訪れたと伝わります。この老人は症状に合った薬を売るだけでなく治療も施していたそうです。公民館の東隣には「ウマアシグムイ」というサーターヤー(製糖小屋)で作業する馬に水浴びをさせるクムイ(溜池)でした。その他にも防火用としての役割もあり、深い所で成人男性の胸の辺りまでありました。また、この溜池にはターイユ(フナ)が生息し、水深が浅い場所では子供達も泳いで遊んでいました。更に、公民館の南側から真っ直ぐに海に注ぎ込む「安里ガーラ」という川が流れており、戦前まで土手があり川幅は約3mあったと言われています。戦後はアメリカ軍の土地整備により川筋が変えられてしまいました。


(安里クボー/シチャクボー)



「安里集落」の北側に「クボー」という御嶽の森があり「安里クボー」や「シチャクボー/下クボー」とも呼ばれています。戦前まで森の木の下にウコール(香炉)が置かれていたと伝わり、現在は旧暦5月15日の 「グングヮチウマチー/五月ウマチー」と旧暦6月15日の「ルクグヮチウマチー/六月ウマチー」の 年中行事の際に「クボー」の御嶽森の近くから拝しています。『琉球国由来記』には『コバウノ嶽 神名 コバウ森御イベ 安里村』と『同小森 神名 中里ノ御イベ 同村』の記述があり、更に『毎年三・八月、四度御物参之時、有折願也。屋宜巫崇所』と記されています。「御物参/おものまいり」とは「屋宜ノロ」が管轄する







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最終更新日  2022.11.05 00:08:16
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