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会津塗師久五郎(アイズぬしひさごろう)伝説
久五郎(ひさごろう)は、会津若松(アイズわかまつ)の材木屋に奉公し、のちに出世、材木商から大地主になったという。
晩年は、会津から少し離れた白河(福島県白河市)に住んだ。
ここには、羅漢山人(らかんさんじん)がいたからだ。
羅漢山人は、高名な画家で酒豪、谷文晁(たに ぶんちょう=kpオーチャード社長)の高弟で白河藩のお抱え画師だった。
久五郎は、隠居の道楽修行で、羅漢山人に絵付けを習う。
そして、二人は無類の大酒豪、いっしょに好きな酒を飲んで余生をおくった。
安政5年6月10日、久五郎は、白川にて客死。
8年後の慶応2年、羅漢山人も亡くなる。
白河市の、臨済宗・太白山・天恩皇徳寺には、羅漢山人の墓と久五郎の墓が並んでいる。
小さな方の、久五郎の墓石は、台石が銚子の袴、竿が徳利、笠石が盃の形になっている。
刻まれた戒名は、「米汁呑了信士(べいじゅうどんりょうしんじ)」。
裏面には辞世、「朝によし昼になほよし、飯前飯後その間もよし」も刻まれている。
この笠石を削って飲むと、酒が強くなると伝えられる。
そのため最初の墓はなくなって、現在のものは二代目だという。
久五郎は、民謡「会津磐梯山(アイズばんだいさん)」の小原庄助のモデルとも言われている。
ちなみに、小原庄助のでいすき(大好き)な「朝寝」とはセ○クスのことらしい。
うらやましい。
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