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震災後、ずっと書いてなかった・・・ぼちぼち書いていこうかな・・最近、2つのイベントに参加した「モンサントの不自然な食べもの」上映会「Project99%」タウンミーティング世界の胃袋が握られていく・・いつの間にか浸透している遺伝子組み換え作物(写真:モンサントの不自然な食べものから)TPP、原発、増税、憲法改正・・その背後に隠された真実なかなかわかりずらい真実を知ること知ろうとすることの大切さ当たり前になっていることを疑うこといろいろ知れば知るほど何がなんだかわからなくなるなるべくでいいから小さくていねいになるべくでいいからゆっくりやさしくそんな風に歩むことからはじめられるのかな===============You care for the land and water it;you enrich it abundantly.The streams of God are filled with waterto provide the people with grain,for so you have ordained it.psalm 65:9
2013年02月18日
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皆さん、お元気ですか?地震から2週間が経ちました・・・知り合いや親族が東北で被災している方も多いのではないかと思います・・今でも夢ではないかと思います朝起きたら、いつものようにアジア学院の食堂に行ってみんなの朝食を作って、1日が始るのではないかと思ってしまいます農場の牛乳を殺菌して新鮮な牛乳を飲む形のゆがんだ個性的な野菜たちが運ばれてくるそんな当たり前の日常が今は懐かしく思います私たちは、建物の被害が大きくたくさんの窓が割れ、天井が落ち、ひびが入りました地盤沈下もあったので、いろんな場所でパイプが壊れてしまいましたコイノニアの天井・・ いろんな所で割れてしまった窓 修復には時間がかかりそうです建物自体がゆがんでしまっていたりで、今までのように使えない建物がほとんどです今は事務所の建物が危ないので、隣の施設に仮事務所を設けて活動を続けています毎朝、森から朝日が入ってくる大きな窓のチャペルがありますその窓も割れてしまって今はそのままになっています今は建物自体が危ないので、立ち入り禁止です友人のご実家が、家や船、村ごと津波に流されてしまったのだと聞きました本当に心が痛いですここは福島原発から107km38年間耕してきた畑や家畜たち・・これからの研修・・・これからの行方が心配ですでも、そんな中今日は豚の世話をしました放射能とか、地震とかそんなことは関係なくお腹をすかしてどろんこの顔で私たちを待っている日常がそこにはありました今できることを、自分の歩幅で少しずつそう思って、毎日を過ごしていますp.s.)アジア学院のホームページで、近況のアップデートをしています関心のある方はこちらをご覧下さい http://www.ari-edu.org
2011年03月19日
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(畑:ミャンマーにて)お久しぶりです年始2週間、出張でミャンマーへいろんなことを感じ、考えるひと時5年ぶりのアジア・・・久しぶりのクラクションの音、人、熱気・・・子供たちがいて、大人、おばあ・おじいがいて露天に並ぶビターナッツの葉、口の中が赤い人々・・いろんな事情がある中で、友人のひとりひとりがたくましく、前向きに生きている姿素敵だなって思える生活空間・団体に出会うスタッフが本当に共生していて、子育てし意見をぶつけ合い、汗を流し、共に祈る上に立つ人がきちんと敬われ口だけではなく、そこにあるやさしい雰囲気こんな働き場で働けたらって思う (人懐っこいニジー)家族っていう時、子供もおじいもおばあも、親戚もいる知り合いの子どもが寝泊りしていることもある日本にはもう無くなりつつあることでも、もしかしたらとっても大切な社会の要素出発する前にエレミヤ29章11節が与えられたなんで、この箇所なんだろうって思っていたけれど旅を進める中でじわりじわりとこの言葉がしみこんでいくこれはイスラエルの民がバビロンに捕囚として囚われていた何千年前の言葉だけど・・・今のミャンマーにも、今の日本にも当てはまること少数民族の人たちや、マイノリティであるクリスチャンが直面している厳しい現実があるまさか・・・ありえないでしょ・・・聞いていると本当にやるせなくなることもでも、そのような中にあって、約束されているのは“希望と平安”ミャンマーの友人とうなずく彼女は大切な祈りの友「ダイジョ~ブ!」それぞれの場所で、それぞれの役割がある (日本兵や戦時中のことを語ってくれたおばあ)わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだそれはわざわいではなくて、平安を与える計画でありあなたがたに将来と希望を与えるためのものだエレミヤ29章11節
2010年01月24日
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お久しぶりです!栃木に来てもうすぐ半年・・・田植えをしました裸足で入る久しぶりの田んぼの感覚嬉しくなります泳いでいるおたまじゃくしやカエルに「おいしそう」と反応するインドやタイの学生たち・・夕食にはカエル料理が並んでいました(汗)最近、懐かしい知り合いがふらりと訪ねてくれました!大学時代からお世話になっていたサヘルの森のK島さん昔から彼のアプローチが好きです「私、あれやって、これやって でね・・・これが大切だと思う」ではなくて「ふふふ~ 実はね・・・ こんな風にやってるんだよね~」すごい人なのにそんなこと微塵も感じさせないそこいらにいるひげのおじさん風ちょっといろんなことで心が忙しない時だっただけに「自分はどうありたいのか・・」立ち止まれるひと時だったアジア学院2009、18ヵ国から30名。近くにきたら、遊びに来てくださいね~p.s)父が入院していますこのことを通して、たくさんの友人に励まされています「祈っているよ」って言われるだけで大丈夫って思えます父の方がケロッとしていて・・病院でもみんなを笑わせているようです(笑)be still and know that I am GodPsalm 146:10
2009年05月23日
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(road to ari by shogo)思いがけない不思議な道自分が一番驚いているのだけど今、栃木のアジア学院にいるかつての学び舎であり職場でもあるここで研修を受けてから10年退職してから4年半また戻ってくるとは思ってもいなかった到着した次の日の朝外に出ると漂ってくる木酢の匂い・・・炭焼き釜の中から、鼻の穴の中まで真っ黒のスタッフが顔を出す・・・あ~戻ってきたんだなぁと実感ここではいろんなことが「動いている」何かをしようとする時こっちにゴツン、あっちにゴツンぶつかり合い、受け止めあい、転がっている感じある朝の集会で私の好きな祈りが引用される変化していくからこそ動きがあるからこそ心の中に静かな流れを持っていたいたくさん笑いながら元気にやっています!また近況書きます!平安の祈り神さま、わたしにお与えください自分に変えられないものを、受け入れる平静な心を変えられるものは変えていく勇気をそして、2つのものを見分ける賢さを1日単位で生き、一瞬一瞬を楽しみこの世界を、自分がそこに染まるのではなくあるがままに受け入れ私がみこころに明け渡すならばあなたがすべてを変えてくださると信頼しそれによってこの世においては適度な幸せを次の世においてはあなたのみそばで最高の幸せにおらせてくださいby Reinhold Niebuhr
2009年02月12日
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いろいろ嬉しいことがあったひとつずいぶん前だけど・・・久しぶりに母と川村美術館へMorris Louis展色と空間のコンビネーション色はキャンバスの真ん中に置くのが常識だったそんな時代に空間を真ん中に置いた私は・・?常識にがんじがらめになってない?親であり友のような存在の両親にありがとう (morris louis)ふたつ姉と義兄の所へもうすぐ4歳のMちゃんと4ヶ月のS君朝起きるとMちゃんが布団にもぐってくる私の髪の毛と彼女の髪の毛をつなげて橋をつくると・・そこには人がいて、はじまる冒険(笑)公園に行くと・・ロープの遊具はいつの間にお家から幼稚園までのバスに変身。そのバスで幼稚園に着くとおはようのお歌も歌ってくれる彼女のcreative worldに魅了された3日間姉や義兄、S君との時間に心も体も癒されるありがとう(morris louis)みっつ初めて紅芋をもらう土の中で秘かに・・こんな素敵な赤紫色が隠れてるなんて・・赤紫のスイートポテトを友人と作るマッシャーなんてないから木の棒でホクホクのお芋をたたくそんなシンプルなことだけど楽しくて・・苦しい所を通っている彼女だけどそのぶんその存在が温かくて・・ありがとう(morris louis)まだまだあるけど・・またいつか!主は打ち砕かれたものをいやし彼らの傷を包む主は星の数を数えそのすべてに名をつける(Psalm 147:3-4)
2008年11月01日
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(by iwasaki chihiro san)「火星人になって自分を見ることが大切です」「・・・・へ?」春から少しずつ学んでいるカウンセリングその授業の中で先生が突然火星人になれという・・よくよく話しを聞いていると・・・「自分の存在を遠くから見ると自分のことがよく分かる」という意味だと気づくなるほどなぁ・・何かに直面し、抱え、押しつぶされそうになる時未来どころではなくなっていく過去と今でいっぱいになって前に進めなくなるような時が私にもあったそんな時、狭くなっていく自分に「大丈夫だよ」という選択肢があることには気づきにくい私たちは自分が中心に世界がまわっているから今起こっていることが自分の全てになりがちあ、たまに火星人になろっとそうやって、自分を知りながら自分と向き合い誰かとも向き合いながら「大丈夫だよ」って火星人になってささやきたいな~(ちょっと恐いか・・)
2008年09月26日
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(photo by Kisei Kobayashi)去年のちょうど今頃アフガンで活動しているsindoとFさんが教会を訪ねてきてくれた(→2007.9.6)1年前のFさんの言葉、今でも覚えてる「どうしてですかって毎日叫んでいます」その時以上に「どうしてですか」と思わずこぶしで地をたたきたくなるような2日間の拉致事件、そして悲しい結末彼らの大切な人の死“沢ともえ”のこの唄が心に響く彼らもこの人生の秘密を知っていてアフガンの人と生きているような気がするご家族、友人、NGOの仲間の方々アフガンの友人の方々に天からの慰めがありますように・・人生の贈り物―他に望むものはない― (ヤン・ヒウン:詞 /さだまさし:訳/曲) 季節の花が これほど美しいことに歳を取るまで 少しも気づかなかった 美しく老いてゆくことが どれほどに難しいかということさえ 気づかなかったもしももう一度だけ若さを くれると言われてもおそらく私は そっと断るだろう 若き日のときめきや 迷いをもう一度繰り返すなんて それはもう望むものではない それが 人生の秘密それが 人生の贈り物 季節の花や人の 生命の短さに歳を取るまで 少しも気づかなかった 人は憎み諍(いさか)い そして傷つけていつか許し 愛し合う日が来るだろう そして言葉も要らない友に なってゆくのだろう迷った分だけ 深く慈しみ 並んで座って 沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば 他に望むものはないそれが 人生の秘密それが 人生の贈り物 季節の花が これほど美しいことに歳を取るまで 少しも気づかなかった私の人生の花が 散ってしまう頃やっと花は 私の心に咲いた 並んで座って 沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば 他になにも望むものはない 他になにも 望むものはない他になにも 望むものはない それが 人生の秘密それが 人生の贈り物
2008年08月27日
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(photo by kisei kobayashi)見えることと見えないことその見えない多くの部分を「心」というのかもしれないそしてその心の奥底のことを「倉底」と表現していた昨日の集会のメッセージの中で表面的には満たされたり、変えられたり励まされたり、大丈夫だって思ったりするのに私たちには見えない倉底でふつふつと湧き上がってくる不思議な闇があるそれは自分ではどうすることもできなかったりする孤独感である時もある嫉妬や憤りであるかもしれない心の倉底・・・でも、私たちを創造して下さった方はどんな人の倉底にもいて人が理解できないその闇に気づかれようが気づかれまいが、そっとそこに居る誰よりも、深く私たちを知って下さっていて「私の目にあなたは高価で尊い。私は愛している(イザヤ43:4)」そうささやいていて下さっている
2008年07月07日
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(散歩の途中で買った水草 花が咲いてびっくり・・・ 花が咲くものだとは知らなかった)先週今週と木金実家へで、なんだか気になるのは・・・猫の「みーくん」の姿が見当たらないこと暖かくなってくると、外で過ごすことが多くなるのだけどどうやら先週あたりから帰っていないみたい猫にもそれぞれに個性があっておもしろい彼は、りりしくて、品がある、かなり忍耐深い絨毯は必ず避けて通るし、あまり騒がない一匹おおかみだけど、さびしがりややさしくて、悲しみのある時にそっといてくれたりする栃木で拾った「かりん」はというと・・人懐っこくて、ちょっとおばかさんいっつもあ~だこ~だ何かを主張してるしかられてもすぐに忘れてけろっとしているタイプみーくんに煙たがれているのに、おかまいなしに彼の後をひっつきまわっているどちらも、ひょんなことから我が家にいて(あ、かりんの場合は私が強引にだったけど(笑))いろんな家族のシーンを共有しているというか・・岐阜に甥っ子誕生!と喜んでいた矢先のこともともと姉が連れてきた猫の子何かを感じたのか・・・ひょっこり現れるといいのだけど、なんせおじいちゃん・・うちらが悲しまないようにとドサクサにまぎれてそっとってこともある。彼はそういう猫だからなぁみーくんを思いながら、いろんなことが思い出されますそして行き着く思いは、「ありがとう」という気持ち戻ってくるといいなぁ
2008年06月22日
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「うしろを歩かないで。わたしが先導者になりませんように 前を歩かないで。わたしが従者になりませんように 並んで歩いて。わたしの友人であって下さい 」最近出会った素敵な言葉いろんな人と関わっていく時何も言えなくて黙ってしまう時がある言い過ぎてしまう時もある土足で誰かの心に入ってしまったりもう誰とも関わりたくないと思う時もあるそんな時私は誰かの上に立ったり下に立ったりしてる2007年の暮れからずっと心にある聖書の言葉「喜ぶものと一緒に喜び 泣くものと一緒に泣きなさい ローマ書12:15」簡単そうで難しい一緒にいることはできる一緒に笑うこともでもいつのまにかバランス感覚がわからなくなって凸凹になる今日はぽかぽか陽気に誘われて庭の金柑を収穫金柑の枝のとげにちくちく刺されながら「何をそんなに一生懸命身を守る必要があるの?」金柑の木に話しかける金柑の木は私にそっくりそのまま同じことを聞いてきた(笑)深呼吸眉間のしわより笑いじわの方がいい凸凹したなら並んでもう一度スタートすればいいんだんだそうだ!フィリピンでバナナやさとうきびの繊維を利用して紙漉きやデザインをしている弟が、以下に出展中!もし良かったらのぞいて見てくださいね~!新作を数点含んだ大型紙タペストリー(4mx135cm)と小型版何点かを20点ほど天井からつるしてもらうはずとのこと。 会社名はMEDIです。“サステナブルな紙展” 会期 2008年2月21日(木)~3月4日(火) ※水曜日(祝日を除く)休館 時間 10:30~19:00 会場 リビングデザインセンターOZONE(3F OZONEプラザ) 〒163-1062 東京都新宿区西新宿3-7-1新宿パークタワー 主催 東京造形大学・大学院造形プロジェクトチーム 入場料 無料 問い合わせ先 03-5322-6500(10:30~19:00 水曜日休館) ホームページはこちら
2008年02月19日
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(by kisei kobayashi)12/8茨城のおばあちゃんが召された92歳いたずらまじりのあの笑顔をもう見られないし足のマッサージをして「あ~天国にいるみたい」って言ってもらえないし「そんなのいかっぺよ(=いいんじゃない)」って口ぐせを聞くこともないでも、たくさんのおばあちゃんとの思い出これからも私や家族の一部になって生きていくんだなぁ死ぬ時、人は何も持っていけないどんなに偉くても、どんなに財産があっても死ぬ時は裸人はそのことから目をそらし今自分が欲することに夢中になるのかもしれないもっともっとって振り回されてしまうのかもしれない大切なことは本当にシンプル高ぶることもあるけれど、なるべく謙遜に足りないことよりも今あるものに感謝して永遠に目を向けて生きていきたいちりはもとあった地に帰り霊はこれを下さった神に帰る (伝道者の書3:11)おばあちゃんの霊が今、天にあることを想い感謝!「そんなに悲しまなくてもいかっぺよ~」そんなおばあちゃんの声が聞こえる気がする(笑)ありがと、おばあちゃん天国でまた会おう!
2007年12月18日
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(by kisei kobayashi)自分の思い描く道とは全然違う・・「こうすれば、きっとこうなる・・・」その方程式とはかけ離れた方法最近、そんな予想もしない神さまの方法をなんだか・・・たくさん経験している長い間、家族で祈ってきたことがある長いトンネルの中を歩いているようだった出口なんてないんじゃないかって叫びたくなった今、不思議な方法で私たちには考えられない方法で何かが動いているそこにあるのは、希望自分ではどうしようもない人との関係があったそこにも、不思議な方法で道が開かれていく自分が必死でがんばったからとか強い意思を通したからでもなく自分が良いことをしたからでもないただ、自分に限りがあることを受け入れそのまんまの姿で、神さまの前にたたずみあなたが必要ですと小さな心で上を見上げたときあったかいものに包まれる経験今までどんなに努力をしても変えられなかった心その心が少しずつ変わっていくのを感じるゆっくりだけどふんばっていた足をくずし握って振り上げていたこぶしをさげ素直に神さまの前に静まるそこにある平安そこにあるあったかい神さまの御手ありがとうわたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだそれは、わざわいではなくて平安を与える計画でありあなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレミヤ 29:11)
2007年10月28日
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(by kisei kobayashi)「どうしてですか・・・と毎日叫んでいます」そう彼女は言ったパキスタンに17年アフガニスタンとの国境でいろいろな現実を目にし、その中を生きる人びとと歩んできたFさん難民キャンプで生活してきた人たちがアフガンにどんどん強制帰還しているのだというその先は、不毛の地であったりするその場所は、今もアメリカ軍からの空爆があり治安もよくないのだという9・11を前にして、様々な想いが交差するあれから6年・・まさか今も空爆が行われているとは思ってもいなかった・・・平和を振りかざしながら・・その背後で動く石油・武器・金今も命を落としていく人がいる怒りを通り越して悲しくなる「恐れるな」という聖書の言葉がずっと心に響いていたと言う教会に来たら、看板に「恐れるな」というタイトル不思議な導きだと思ったというFさん神さまが私たちに送ってくださったのだと思うその苦しみや現状を見せるためにそのために、そこで種を蒔き続ける方々を覚えて立ち上がって祈るように・・8月末に来てくれた同じ団体で働くsindoはそんなこと一言も話さなかったひたすら私たちの話に耳を傾けてくれた彼は、アフガンでもそうやって現地の人に耳を傾けているのだろうなって思うそうやって、さりげなく現地に溶け込み援助とかそんなんじゃなく一緒に生きているんだろうなって思う夏休みに久しぶりにアジア学院や友人の所へそこでも、友人たちが一粒の種となり光となってた祈ってるよ「恐れるな」とおっしゃる神さまがそれぞれのチャレンジの只中に現れてくださり小さなともしびで導いてくださるように・・There is a candle in every soulSome brightly burning, some dark and coldThere is a Spirit who brings fireIgnites a candle and makes His home一緒に生活しているTomoちゃんが教えてくれた曲の歌詞の一部。最近この唄に励まされてる→Go light your world
2007年09月06日
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(by kobayashi kisei)3日間の中高生バイブルキャンプが終わった~体はくたくたなんだけど心は元気をもらって帰ってきたテーマは「アンテナ、立ってる?」私たちの周りにあるたくさんのアンテナそこから発信されるたくさんの情報、関係そして、いろんな影響を受け、流される私たち私たちがどんな状態であっても私たちが電源を切っていても神さまのアンテナは立っているそのアンテナには圏外はないそこから発信されているメッセージはシンプル「わたしは、あなたを造った わたしは、あなたを愛してる わたしは、あなたと交わりをもちたい」担当している中高生のジュニア男子は5人一人ひとりと向き合いながらそれぞれが、違う状態にいるなかでそれぞれが、心に響く何かがあったその姿を見ながら大人が先回りして何かをするのではなくて言いくるめるのでもなくて彼らが直接神さまに出会って彼らが、彼らなりに試行錯誤しながら何かをつかんで歩んでいってほしいと思う教会では見せない楽しそうな顔、やんちゃな顔そんな彼らと一緒に過ごしながらほっとした彼らをもっと信じて一緒に歩んでいけるんだなぁってうれしくなった主はすべてのことについて理解する力をあなたに必ず与えてくださいます (テモテ第2 2:7)
2007年08月16日
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(by kobayashi kisei)昨日、8月の中高生バイブルキャンプの下見で南房総へ・・・久しぶりに森の中へひんやりした空気目の前にいきなり現れる虫たち仲良くなったキャンプ場のおじいさんが帰り際に軽トラで出現「乗れや、亀見せてやる・・・」久しぶりに軽トラの荷台に!水生植物がたくさん生えているその只中に、なぜか亀、亀、亀・・・・なんで~!?けらけら笑う私たち「すごいだろう~」とおじいさんあんなに亀みたの初めてかも(笑)いろんな変化の中知らないうちに最近気をはっていた自分のペースがつかめなくてもがいているうちにわけわからなくなっていってた最近、教会学校で羊について話をしたいろいろある羊のおもしろい所その中でも、心にひっかかったのが「いろんな弱さがある反面、 病気になっても弱っている所を見せない。 ちょっと強がりなところがある」みんなに話しながら、自分でも苦笑い私みたい・・あ、私はすぐに弱さを見せてしまってるけど(笑)でも、強がりと弱さが共存している羊飼いは、その羊の弱さを指差して治してからおいでっていうんじゃない。その弱さを知り、その強情さを知った上で・・「私はあなたを知っているよ。私はあなたのために 私の命もおしくないよ。私と一緒に歩んでいこう」と声をかけて受け止めてくれているもがいている私の事もご存知で森の中で私の心に触れてくれた「いいよ、そんなに気を使わなくて いいよ、そのまんまで 大切なことは、わずかだよ、いや一つだよ・・ そのこと、忘れてない?」マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを心配して気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。 (ルカ10:49)本当にそう。大切なことはわずか。気づいていたつもりだったけどまた忘れてしまってた。「ふぅ~」森で深呼吸・・
2007年07月20日
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(by kisei kobayashi)昔、思ったいろんな色が混ざったボールがあってだけど、黒いしみがあってその黒いしみを目の前にしてボールを見ると世界が真っ黒に見えるちょっと視点を変えればもっと違う世界が広がっているのにって「少女パレアナ」すごくシンプルな本部屋の本棚にあったその中に「何でも喜ぶゲーム」がでてくる幼稚な本だなぁなんてちょっと思ったけど読み進めているうちになんだか心があったかくなっていった何でも喜ぶなんて難しい良いところを探すのも楽じゃないだけど、そう心がけていこうって思った本に出てくる気難しいおばさん私、いつの間にかこんな風になってきている気がするなりたくないなぁと思っていたのに・・夕方には散歩するようになった朝はいつもよりもう少し早く起きるようになったここの空気は海からの潮風海のにおいがほのかに香る今日、コミュニティカフェを発見中に入って少しおしゃべりそしたら、畑で採れたんだってラズベリーをくれたそんな小さな事が、とっても嬉しいBe joyful always pray continuallygive thanks in all circumstances(1 Thessalonians 5:17)
2007年06月21日
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(小林紀晴さんの写真より)お久しぶりです・・・お世話になっていた牧師先生が引っ越されてから部屋でインターネットが使えなくなりテレビもないからラジオ生活時代にあまりついていけていない私・・(笑)あ、でも心地良いかな、時間がゆったり過ぎていくからちょっと前の事ですが・・おばあちゃんを実家にご招待!茨城の老人ホームにいるおばあちゃん車椅子生活になってずいぶんたちますもうすぐ92才暖かくなってきたし・・・千葉に来てもらおうか!と家族が立ち上がった1泊2日のショートステイ私も教会から休みをもらって実家へ車椅子から車にのせて・・・よいしょと、また降ろして今度はトイレ・・・はい、こっちによっかかってずぼんぬいで、はいすわって・・次はベッド・・・よいしょっと・・ごはんだよ・・・よっこらせっと・・こんな感じで慣れない私達はアタフタアタフタ(笑)おばあちゃんも途中「こわい、こわい・・・」え・・・!?何がこわいの??どうしたの?と声をかけると母、通訳・・「苦しいってことよ」方言らしい。(ちなみに「怖い」時は「おっかない」って言うらしい)おばあちゃんも、いつも使わない筋肉使って疲れただろうなぁでも、けらけら笑ったり、話したり。そんな時はよく、こう言う「天国にいるみたいだなぁ・・・」(おばあちゃん。ちょっとピンボケ・・)小さい頃から我が家は転勤が多かったから夏休みやお正月におばあちゃんの家に遊びに行くのはビッグイベントだった自分にも帰る場所があるというか・・故郷のような・・目の前には蓮畑と霞ヶ浦裏庭のザリガニ池でのたくさんの思い出裏山にお墓、たけのこ堀りおばあちゃんはゲートボールによく行って離れの部屋は習字の墨汁の匂いとボンボン時計私の「農」への想いの根っこは実はおばあちゃんの家にある気がする自転車で畑から帰ってくるおばさんたちのかごにはいつも新鮮な野菜があって蓮根の収穫の季節になるとみんな胸までつかって蓮畑で仕事しているそんな姿を毎年見て、そんな生活が素敵だなって心のどこかで感じていたのだと思う「いろいろおばあちゃん、ありがとうね」って言ったら「おれは何もしてない」っておばあちゃんがいて、母がいて、私たちがいる大ママがいて、父がいて、私たちがいるこの“あたりまえ”のつながり私たちの周りに「あたりまえ」が増えると感謝が消えていくのかもしれない感動が少なくなるのかもしれない最近、春の風にのって、教会に会いに来てくれたみんなにも・・・ありがとう!ひとり、ひとりの表情、話し・・みんなの、これからが楽しみになったょ!ありがとうごうまんでぶっきらぼうで利己的になるのはいともたやすいことですでもわたしたちはもっとすばらしいことのためにつくられているのです(by mother teresa)以前書いたおばあちゃんのこと
2007年05月22日
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久しぶりに涙がぽろぽろ出る上を向いても下を向いても涙がぽろぽろ昨日、1年半住み込ませて頂いていた教会の牧師夫妻の転任が決まった予期せぬ突然の事あと2週間の最後のひと時今も夢じゃないかと思う厳しいこともあった何~~~って反抗することもあったでも、ひとつひとつの営みの中にあったかい愛が隠れてた厳しさがあったからこそ私はいろんな事を考えた逃げ道がなかったから神さまに全部ぶちまけて・・そこにある不思議な平和を築く道を見つける事ができた先生たちの魂を追っかけるあのまっすぐな生き方に最近は惚れていただから、独身の間は、一緒にいさせてもらいたいと願っていたそんな矢先の異動昨日の教会への帰り道で「エマオの途上」の出来事が心をよぎるイエスさまが十字架にかかってしまい弟子たちが落胆して道をとぼとぼ歩いている時よみがえったイエスさまが近づいてきて「何を失望しているのですか?何を話しているのですか?」と話しかけるという場面私はあなたと共にいるんだよ、何を落胆しているのかと神さまが私に語って下さったのだと思う先生のうちに働き、力を現してくださった神さまは今あなたと歩いているんだよ、上を見上げるんだよと心にささやきかけてくださった高校時代に神さまと出会った時も大学時代に反発している時もアジア学院時代に信仰が自己流になっていた時も千葉に戻ってきて、付き合っていた人とも別れてこれからどう生きるか模索していた時にももう一度神さまと出会うきっかけを作ってくださって今まで導いてくださったしかられたり、ぶつかったりもしたけれどだからこそ、自分はいろんな事に気づけた今は、一緒にいる事のできる1日1日を大切に、私にできることをやっていきたいと思う今もまだ信じられないでも、自分の足で立ち上がり生きる姿から教えて頂いたいろんな事を今度は、自分の生き方に活かしていく時別れがあり、出会いがあり人はつながり、つなげていく前に進まなきゃね話し合ったり、論じ合ったりしているうちにイエスご自身が近づいて彼らとともに道を歩いておられた(ルカ24:15)4月8日が先生最後のメッセージの日。10時半からどなたもお待ちしています!
2007年03月26日
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(カナリヤと青い帽子の男の子:ちひろさんの絵)気持ちいい!朝、ちょっと早く起きて・・教会の門を開けて・・教会前の道をお掃除ここはコンクリート沙漠だけどここには自然がないけれど見上げると空がある昔アジアを旅していた頃早朝に家の前を掃き掃除するおばさんたちを見てあぁ、こんな風に一日を始めたいなって思ってた朝が苦手だから、無理かなぁって思っていたけれど選択の余地なく与えられた仕事としてあの頃の秘かなあこがれが現実のものとなった!(笑)風の又三郎のようにひょっこり現れる友人taisigerが1月末暖かな風にのってふら~りと教会に来てくれたたわいもない話しの中で彼が「以前と今で違うことって何?」と聞いてきたたくさんある今までは自分の好きな環境に自分を置いて、自分がくつろげる環境を作ろうと心がけてた自分らしくありたいっていろいろアプローチしてマイペースにやってた心地よさと刺激が自分にとって大切だった旅に出て、いろんな人と出会ってその中に幸せを見つけたり友だちに会ってお茶をして、なんだか気分がほくほくしたり家族と畑で汗を流して、心も体も元気になったりそんな中で自分らしくあれるなって感じていた幸せは何かの環境に身を置くことで感じたり人とのつながりの中であったり自分で環境を探して、創っていくものだった(それもちろん大切!)でも今は自分で好きな時に好きな所に行ける環境ではなく自分の好きな時に自由に人会うこともできず自分の好みのもので周りが囲まれているわけではないお金もないし、好きな自然も、畑もない今までで一番自由がないように見える以前は、そんな所にずっといるなんてありえないと想っていたでも、そういう環境なんだけど不思議。すごく心の内側に喜びがある以前と今の違い。いろいろあるけど一番の違いそれは、環境に左右されない喜びがあること心が嵐みたくなる時ももちろんあるけれど(笑)うん、よくある・・・でも、静まるんだ自分が何かを悟ったわけでも、修行したわけでもない神さまの憐れみ。神さまとの2人3脚本当に大切なものって、実はすぐ近くにある私はそれを遠くに行って外側に求めて、探していた気がするあの時、そんな事が伝えたかった私たちは、見えるものにではなく見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり見えないものはいつまでも続くからです(コリント人への手紙第一 4:18)
2007年02月08日
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イマキュレー・イリバギザさんルワンダ大虐殺の生存者現在国連職員彼女が書いた「生かされて」を最近読んだ原書の題は「Left to tell-Discovering God Amidst the Rwandan Holocaust-」映画の「ホテルルワンダ」を私はまだ見ていないけれど内容は同じ時期に実際に起きた話共存していたツチ族とフツ族との突然の衝突100日間に100万人もの市民が殺されたそんな中、一畳ぐらいのトイレに女性7人がかくまわれ、3ヶ月間そこに隠れて助け出される両親も、兄弟も虐殺され隠れているトイレのすぐ外で、自分の名を呼びながら「殺してやる」という声彼女の心にあったのは憎しみと怒りそのような中で祈り続け、神さまが共にいてくださることを体験し「人が誰かを許す事を助けることこそ、私の人生の大きな意味なのだ」と確信するにいたる・・・一気に読み終えてしまった(笑)壮絶な現実、人間の醜さ・・でもその中にあっても彼女の中にあるのは・・ゆるがない平安そして強く願う心・祈り(出版社のPHPのHPより彼女の来日講演の様子)この間、突然、夏ごろから教会に来ていたフィジーの若い女性が事故で亡くなった・・それを聞いた時一瞬、時が止まったいつかゆっくり話しをしたいねと1週間前に話したばかりだった・・いろいろな事が起こるいろんな人と出会いいろんな悲しみや喜びの中を通るどうしてですか・・・と、天を見上げる時「生かされて」と、イマキュレーさんの本の題が心をよぎるそれぞれの人生いつ、天に上げられるかもわからない私たち「生きている」んじゃない「生かされて」いるleft to tell・・・私たちは今、生かされていてそれぞれにmissionが与えられているのだよねイマキュレーさんの本を読みながら有名な詩篇23編を思い出す主は私の羊飼い私は乏しいことがありません主は私を緑の牧場に伏させいこいの水のほとりに伴われます・・・たとい、死の陰の谷を歩く事があっても私はわざわいを恐れませんあなたが私とともにおられますから・・・まことに、私の命の日の限りいつくしみと恵みとが私を追ってくるでしょう(つづく)p.s)たくさんの方に年賀状を頂いたのに・・まだ返事もせずにごめんなさい。ゆっくり手紙します!
2007年01月11日
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(母の梅干し・秋の写真)寒くなってきました・・湯たんぽの季節です・・先月末に長野の白馬に行って来ました。スキー・・・? いえいえ・・3日間のセミナーです山がすぐ前にあって、ちょっと雪も降り白樺の木やら、泉もあったり・・素敵な所でした白馬の山で、フリータイムに友人とてくてくお散歩山からふと下を見ると子どもたちが元気にサッカーごまつぶみたいに見えるその彼らの姿を見ながら神さまから見たら、人間ってこんな感じかなぁ・・冒頭の梅干の写真じゃないけれど梅干しづくりは一粒一粒ひっくり返したり、日光にあてたりそこには創る人の愛がいっぱいこめられている神さまも、ごまつぶみたいな小さな私たちを一人ひとり見守ってくださっている一人ひとり違う道を備えてくださっているそのごまつぶみたいな私は一生懸命に自分の力で何かをしようとしていたもっと神さまに信頼したいと思ったもっと自分でがんばっているその勢いをゆだねたいと思ったもっと神さまとの二人三脚を楽しみたいと思った実はクリスチャンの世界は・・スローライフだ・・私は声をあげて、主に呼ばわるすると、聖なる山から私に答えてくださる(詩篇3章 ↑2006年新年に頂いた言葉)私の心のとげとげが、少し謙虚になった時・・自分の力に固執しなくなった時・・神さまは答えを与えて下さろうとしている「助け手として」という新たな想い神さまが私たちを創ってくださった原点に心が向けられた不思議と心に平安そうかぁ・・これだったのかぁ・・そんな感じ肩の荷がすぅぅっと消えた・・感謝もうすぐクリスマス!今年も24日に船橋駅前のFACEビル2階(5:20~)と西武デパート1階(6:00~)でクリスマスキャロルが行われます!その後は教会でクリスマス音楽集会(7:00~)がありますお近くの方は是非どうぞ!!
2006年12月08日
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(花豆と空)糸半分って書いて「絆」昔、大切な友人が教えてくれた 絆は・・どちらかが一方的であったりどちらかが受け身であったり ではなくて・・糸、半分糸、半分 ぴんってつっぱっているものではなくでれ~んとたれてしまっているものでもなくゆるやかに保たれている糸 私の好きな栃木のファミリーが、教会に会いに来てくれた!会うたびに、そのゆるやかに保たれている糸のようなそんな雰囲気を感じるブログにも以前登場した8君が、パワーアップ!かっこいい・・(まだ1歳4ヶ月(笑)) そんな彼らを見ながらまた、大学時代の友人とのメールを通してちょっと昔教えてもらった「糸半分」の事を思いだしていた 自分勝手になったり無関心になったり壁を築き上げたくなったり崩したくなったり人にはいろんな事情があるそんな中で、私たちの周りにあるいろんな糸がからまったりつっぱったり、ゆるんだり糸半分糸半分乗り越えてはいけない垣根がある自分で担わなくてはならない領域がある私たちにできることは糸半分それ以上でもそれ以下でもなくあなたのパンを水の上に投げよずっと後の日になってあなたはそれを見いだそう(聖書 伝道者の書より)
2006年10月20日
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(秋の畑に美しく咲く花豆の花)「やはり土だね」我が家のへんてこ家庭菜園に立ち、しみじみ母が言う生ゴミコンポストをいろんな所に移動させて肥料にしているのだけど・・その生ゴミコンポスト跡の作物は威勢が良い昨日の夜ご飯は秋刀魚秋刀魚の骨が母は嬉しいらしく大事にコンポスト行きのバケツへ種を蒔いてもないのに今年は冬瓜やらかぼちゃが豊作だった生ゴミから芽を出した冬瓜はもう30個ぐらい収穫しただろうか・・・なのに、まだ畑にごろごろしている・・・母はよく、この畑で祈るらしい私もたまに1人になって神さまを感じて祈りたいときにこの畑に行く私たちの力だけではない、神さまも一緒に、この畑で私たちの叫びのような祈りを聞き、涙を見、喜びを共にし、畑を耕し育み私たちの心をも見守って下さっている(しその枝にからみついてまだ花を咲かせる冬瓜・・)最近、超夜型の兄が、朝早く起き、畑で一汗かいて出勤するようになったそして「早起きは気持ちが良いね」と言ういろいろと悩みの多かった兄が言ったというその言葉を聞いてちょっと涙が出そうになる涙と共に種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取ろう(聖書 詩篇126:5)時々、今自分が向き合っている事が無駄に思うことがある時々、私の発する言葉や想いはむなしく自分に返ってくることがあるそして、ふと我が家の家庭菜園を思い出す祈りに耳を傾け、私たちの小さな種まきにもかかわらずその種を育んで下さっている神さまのことそして空を見上げて思うもっと肩の力を抜いて育てて下さる神さまに信頼して一粒一粒、種を蒔いていこうそれは私の心に、そして誰かの心に留まり私の知らない所でその種は芽を出し神さまの御手の中で育まれている
2006年09月29日
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一通の手紙とCDが郵便ポストに・・!新潟の山奥に自らの手で家を建てて奥さんと2人の娘と農的暮らしを営む、百姓シンガー佑介から!彼とは、大学時代にアジア学院で出会った(写真は彼のHPから・・)手紙の中にこんな一文があった「だから俺は口で言うんじゃなくて、大人自身が 自分の生き方を表現しなければと思うんだ 大人が楽しそうなことをしていれば子どもも 『ああいう大人になりたい』と思うんじゃない? 中高生の心のうめきが外に表現された時 それはなかなかのパワーだ。それを引き出してやる きっかけをあげるのは我々大人だと思う。」彼は、冬の間、子どもと関わる仕事をしている携帯電話やゲームに支配されている子どもたちと向き合いながら、感じる事を書いてくれた。「携帯電話を持ったままだから読書も音楽も、人と 話をすることもまともに楽しめていない。」と、そんな一文も書かれていた。私の身の回りでもいろいろな事が起こっている若者の文化にうなずけない事も、わからない事もたくさん家族や友人の事で心が痛いこともあるなぜですか?と神さまに問いかける事も・・今の時代を恨んでも仕方ない今の自分を嘆いてもしょうがない過去の自分を懐かしがっても仕方ない未来に不安になってもしょうがない「今を生きる」しかない無理して背伸びして生きるんじゃない神さまに心満たして頂きながら今示されている一つ一つをやっていこうそんな私たちの姿を、子どもたちは見ている生きることに価値がある事を見極めようと実は、彼らはうちらの生き方を、生き様を見つめているそうなんだよね・・佑介、唄と手紙をありがとだから、あすのための心配は無用ですあすのことはあすが心配します労苦はその日その日に、十分あります (聖書 マタイ6:34)
2006年08月24日
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ある日、実家に戻って畑にいったらかぶとむしが逆さになって、ちょうど茎と葉の間に頭をひっっかけてお休みになっていた(笑)いや~暑いもの・・・虫だって休みたい・・(?)蜜すっていたのかなぁ?この間のブログ日記を書いてから、気づいたら1ヶ月・・・涙ながらに祈る瞬間もあった知り合いからの心遣いに助けられたり感謝でいっぱいになったり嬉しくなったり、朝ドラに涙したり相変わらず忙しい(笑)アフガニスタンで「水」と「人」と関わっている友人や農的保育士さんを目指す友人”まみむめも”や岡山の大学時代の友人”ノア”とも会う事ができた全てが思い通りにいくわけじゃない行く道が見えているわけじゃないでもそこにある、かすかな光感謝だね最近、週に2日の実家でのひととき、夕方に散歩に行くことにしている。すたこらさっさと、近くの村に出没する。時に母と、時に自転車で、時に1人で。そこには虫たちの精一杯の合唱が響く見上げれば空、そして田んぼこんなに身近に、自分の好きな場所がある幸せじいちゃん、ばあちゃんたちが、自分の自家菜園で雑草抜いたり、おしゃべりしたり、追肥したり自分の探しているものは意外に自分のすぐそばに潜んでいるものなのだと最近つくづく思うたまに、朝起きるとヨガのストレッチをする自己流だけど・・・これが気持ちいいなまけて使っていなかった筋肉がストレッチで目を覚まし、私にささやく「おい、おれもここにいるんだよ、使ってくれよ・・」私の体も、私の頭も、心もいっぱいのpotential(潜在能力)があるのに気づかないことがたくさんあるのかもしれないすぐそばにある大切なこと今度はどんなこと、発見できるのかしら!あなたの口を大きく開けよわたしが、それを満たそう(聖書 詩篇81:10)
2006年08月17日
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心を静める最近、いつもより少し早く起きて静かな時間を持つようにしているそれを、クリスチャンの間ではディボーションと言って、神さまと向き合うひと時でもある私は朝が苦手だから、決心しても、またいつも通りなんて事もあるのだけど・・でも、早く起きて迎える一日はなんだかすがすがしくて心が必要以上に揺れ動かない小さい頃、生活団(羽仁もと子さんが始めた保育園)時代に頂いた言葉・・ あの頃は・・ぱっと(!?)起きしたら、ぐずぐずしつつも兄弟4人でパンツになって冷水まさつ!大きな声でやってたなぁ(笑)冬の寒い朝なんかは、冷水まさつの唄をどんどん早口で唄って終わらせたり(笑)大切な事を教えてもらっていたのに私はいつの間にか、自分の楽な方に自分の都合の良い方に流れてしまっていたんだなぁ・・つくづく気づかされる家に帰ると、たまにだけど「書」のひと時を持つ母が習字教室をしていても、私は全然関心がなかったけれど、去年から少し始めたこれがまた深い世界1人「静」まるひと時お手本を見ながら、集中する心が乱れていたり、集中力がきれたり何か気になる事があったりすると・・すぐにそれが字に現れるこの情報があふれて、何かに急かされているこの時代に、ひとりっきりになって心を静める事の大切さを最近感じている空のように きれいに なれるものなら花のように しずかに なれるものなら価なきものとしてこれも捨てよう あれも捨てよう(八木重吉さんの詩) (習字教室のあやせ君の字。幼稚園生だけど お兄さんについて来て、一緒に書いている。力強い!)
2006年07月14日
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ひとつまたひとつ・・何かが自分からはがれていく今まで自分の中にあったイメージがふわり、ふわりとはがれていく今までこだわっていたものがそんなに気にならなくなってきたこうなりたいこうあらねばそんな想いが少しゆるやかになってきた感じ・・最近、私の心を動かすいくつかの事があった先週姉のsuchadaと話しをした短いけれど深いひと時その中で気づかされたのは神さまに導かれるということ、信頼するということいのちが一番大切だと思っていたころ 生きているのが苦しかったいのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかったAt the time when I thought that life was most importantlife for me was unbearably hard.The day when I realized there is somethingmore important than lifeI was glad to be living. (星野富弘さんの詩)自分の命、自分の考え、自分の計画自分の個性、自分の過去、自分のモノ自分の・・・etc etcそれが大切だと思っていた個性も、自分の命ももちろん大切だけど、私を創って下さって、自然も人も創ってくださった神さまは、私を導いて下さろうとしている目には見えない将来のことを考えるとき、祈るとき・・・私はちょっと欲張っていた・・私にはきっとあれができるこれができる・・でしょ?どれが一番ふさわしいかしら?・・・みたいなでも、今何かがはがれおちた感じ大地の上で食べものを作りながら人とつながりながらもっと歩みをゆるめたいもっと静かに神さまの導きに耳を傾けたいこれもあれもやろうというDesireから今の1歩1歩を大切にゆだねながらもっとゆっくりと歩みたいと願うその1歩1歩の中にきっと国際協力があり自助努力もあり他者へのアクションもあり農があり食があり教育があるんだろうと思うその歩みの中で・・自分が思っているほどに自分が完璧じゃない事や思っているほどに愛があるわけではない事に気づかされ苦しみながらも愛する事を学んでいくのだろうはがされていくうちに・・・なんだかすっきりしてきた富弘さんの言う、”いのちよりも大切なもの”昔から好きな詩だったけど、何年もたって少し、その意味がわかった気がする・・
2006年06月19日
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ことことこと・・・ざざざざざっったたたたた・・・今住んでいる教会の牧師館でたまに聞こえてくる音ある時はテーブルの上に置いていたおまんじゅうやキャンディがなくなりある時は(なんと!)カーネーションの花が食べられ・・・時には石けんまでかじっているもう、おわかりですか?(笑)ねずみ君たちなのです(いわむらかずおさんの絵)小さい時に神戸で生活していた頃屋根裏からやっぱり同じような音が聞こえてきて「いたち」が住んでいるんだよ~と父と母ある日、我が家にふわふわ毛皮みたいなクッション「あの、いたち、つかまえて作ったんだ」と母・・・それを信じていた私と弟・・・(兄ちゃんと姉ちゃんはわかっていたのかなぁ?)ま、なんだかんだ、その後も音は聞こえていたような記憶が・・??さて今朝、ねずみ取りシートにねずみが2匹・・・苦しそうにひっかかっていたこんな出会い方したくなかったなぁ・・道端で出会っていたら、あら、小さなねずみと思ってすれ違うであろうに・・・せめて、土に返してあげたいけれど・・ねずみ取りシートはねばねばしていてパタンと閉じこんでゴミ箱に捨てるというもの・・はぁ・・・思い出すだけでなんだかため息・・・ちょっとぐらい、おまんじゅう食べられてもいいかちょっとぐらい、植物かじられてもいいかそんな風に思ってしまうでも、ここは私の家ではないし・・・きれいごとか・・これがゴキブリだったら・・「よし!ひっかっかったなオヌシ・・」と喜んでいただろうからなぁ・・でも、次回は、せめて土に返してあげたい死んだら魂は天に上げられるのだろうけどゴミとして捨てられるのでなく土に返して、循環させてあげたい生ゴミもそう。捨ててしまったらゴミだけど土に埋めたら立派な肥料となって新しい命を支えてくれる神さまが創られた自然の循環そのようにして神はお造りにになった全てのものをごらんになった。見よ。それは非常によかった(聖書 創世記1:31)
2006年05月29日
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(ちひろさんの絵)♪いち にぃ さんっ しぃ ごぉ ろくっ しっち はっち くぅ~ じゅ いままでずっと かぞえていた じぶんのいやなとこっ♪だけど きょう から そっと かぞえてみる じぶんのいいとここの唄が心にかよう・・この唄は、私が、栃木でもやもやしていた時に友だちの”まみむめも”が唄ってくれた私もその頃から大好きになったNUUさんの唄知らず知らずのうちに数えてしまっている自分のいやなとこ、誰かさんのいやなとこ・・あるんだなぁ・・・・これが・・で、そんな自分と向き合っていくと相手のおかしなとこも見えてくるけど自分のプライドだったり自分の正しさの主張だったりも見えてくる私のとがった部分、ゆずれない部分・・(苦笑)たっくさんあるいろんな人の文化だからこそおもしろいDiversity(多様性)やわらかく生きていきたいなぁ~You, brothers, were called to be free.But do not use your freedom to indulge the sinful nature; rather....Serve one another in love.愛をもって互いに仕えなさい(聖書 ガラテヤ書5章)P.s.(なみへ~、まみむめも~! 一緒に歌いたい~ )
2006年05月08日
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実家に戻ると笑いが絶えない・・・母は、習字の先生をしているでも、「お習字ざます!」という感じじゃなくて気軽にみんなが出入りする「近所のおばちゃん」最近、生徒が少し増えて個性豊かな子どもたちが出入りしているこの間実家に帰ったら・・・習字の部屋の壁にこんな貼り紙が・・・!「子どもからのお願い」一.子どもの話しに口を出さない一.子どもの話しを親に流さない一.老眼鏡をかけるべし!一.お茶会を忘れるべからず一.山んばにならないように以上を気をつけて下さい!特に先生!この発想素敵だなぁ・・・(大笑い!)大人に対する不満のように見えるけどおっちょこちょいで忘れっぽい母への心配する気持ちも見え隠れしていたり・・特に、最後の2つがおもしろい・・お茶会というのは、習字が終わると、母が作ったパンや揚げ餅なんかを少し食べて帰るその時間の事買ったお菓子はみんな嫌がって、母の手作りじゃなきゃだめだと言ってくるらしい(笑)やまんば・・・というのは、母の髪型のことぼさぼさしているから、きちんと髪をしばったら若返るのにという意味らしい(笑)習字教室が無い日なのに、来る子もいる早めに来てなかなか家に帰りたがらない子もいる小さな小さな習字教室だけど、子どもたちのシェルターみたいだなと見ていて思うマザーテレサの言葉を思い出す「たいせつなのは どれだけたくさんのことをしたかではなく どれだけ心をこめたかです」「わたしたちのすることは 大海のたった一滴の水に すぎないかもしれません。 でも その一滴の水があつまって 大海となるのです」『マザー・テレサ 愛のことばより』心をこめて一滴の水に・・あなたの一滴、私の一滴大切な”ひとしずく”
2006年04月20日
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自分の心をじゃぶじゃぶ洗いたい自分の脳みそもじゃぶじゃぶ洗いたいそして、太陽の光で乾かしたい・・・少しぐらい風に吹かれても雨にぬれてもいいから絵本の「せんたくかあちゃん」は洗っているうちに顔まで消えちゃうからちょっと怖いけど・・(笑)あんな風に今は自分を洗って干したいちっぽけなことなのに・・ぐるぐるぐる・・・せんたくかあちゃんが今ここにいたら・・・じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ洗われてパシン!パシ~ンって私の心のしわ伸ばして干されるな・・・無駄なことなんて一つもない矛盾の中にも苦しみの中にも今は意味がわからなくてもそれは私の糧になっているわかってるどうか平和の主ご自身がどんなばあいにもいつも、あなたがたに平和を与えてくださいますようにどうか主があなたがたすべてとともにおられますように(聖書 第2テサロニケ 3:16)それにしても、好きだな~せんたくかあちゃんあんな”かあちゃん”も・・・いいなぁ
2006年04月04日
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生まれた日にありがと出会った一人ひとりにありがと家族のみんな、ありがと神さま・・・命を与えてくれてありがと (3人組・・・木に登った後で(笑))3月生まれの友と3人でたまに会う先々週の金曜日、第3回自己満足誕生会をする今年は川村美術館の森みたいな庭園にて水筒に入れたお茶を飲んだりみかん食べたり木に登ったり(見つからなくてよかった~笑)2人は木にぶら下がってイナバウアーっっ・・・大笑いゆるりとした時間・・・大切だと気づいたことを忘れてしまって無感覚になっていくことがあるたくさんある食べものの安全について話しをしてくれた彼は今畑で生活している鶏育てたり、田んぼや畑のお野菜育てたり与えられている命与えられている自然大切にしながら守っていかなくてはいけないことがあるそうだよね・・・もう一度気づかせてくれてありがと(庭のボケの花)その次の日、小春日和の風に吹かれてギター片手に神奈川の果て(?)から友が訪ねてきてくれた彼は「つながるこころ」の活動の為に「地球の人」という素敵な唄を作ってくれた人いろいろ心のままに唄ってくれたその時一緒にいてくれたもう一人の友と一緒に耳を傾ける想いが言葉になり、リズムになり唄になっていろんな人の心にたどりつく「幸せって?」彼が言う神さまが、命を与えてくれて今、ここにいる。生かされている悩みも、苦しみもあるけれど神さまが私たち一人ひとりを愛してくれている乗り越える力も与えてくれている今の私には、それがとっても幸せに感じる自然の芽吹きを感じる時も・・人とのつながりを感じる時も・・大笑いする時も・・幸せだなぁ・・・皆さんにとっての幸せは??生まれた日にありがとう会えないみんなにもありがとう来てくれてありがとうpeople who love each other fully and truly are the happiest people in the world.they may have little,they may have nothingbut they are happy peopleeverything depends on how we love one another(by mother theresa/book:the joy in loving)
2006年03月27日
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佐倉にある川村美術館へ・・自然散策路はよく行くのだけど久しぶりに美術館の中へ「土の手を休めて 佐藤忠良さんのスケッチブック」という展覧会をやっていた(佐藤忠良さんは、「おおきなかぶ」の 絵本でも有名!)その中でも私の心に響いたのはこのプラムという絵・・・なんだろう・・・この色合いにプラムの繊細な動きを感じて見ていてなんだかあったかくなった(川村美術館のHPより 本物はもっと素敵!)「忠良せんせい、古里に触れる」ギフトショップで立ち読みしたこの本・・・落ち葉に佐藤せんせいが、手をふれ、虫に喰われたその葉っぱの穴の痛みを感じたという文章があった老木に触れ葉っぱに触れ稲穂に触れるそんな中で自然を想い、人を想い出来上がってくる作品なのだなぁ・・夕方、小雨の降る中、畑へ冷たい風がほほに触れしっとりとぬれた土に触れ寒さの中にふんばって生きているほうれん草や豆の新芽たちに触れる人間は、やはり大地に生きているだから大地に触れると何かエネルギーをもらえるし感じることができる人は「土」からできたと聖書にでてくるそこに神さまからの息吹が吹き込まれただから、何かを感じ、コミュニケートできるのかな・・・冬があり夏があり昼と夜があり晴れた日と雨の日があってひとつの花が咲くように悲しみも苦しみもあって私が私になってゆく(星野富弘さんの「花よりも小さく」より)
2006年03月10日
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「あの畑の横の林は遠くから見ているときれいだけど 近くで見るとゴミだらけだね・・・ 」朝、畑から戻ってきた母がしみじみと言うそう、その林には人の目につかないからか布団、雑誌、なぜかレンジ、ゴミ袋・・・いろんなモノが捨てられる夕方、友人と畑に立ち、その林を遠くに眺めてその言葉を想う・・・夕暮れ時のその林は確かに美しかったざわわざわわって竹の葉の音・・まさか、その林がゴミだらけとは考えられない・・・母と話す「うちらの心もそうだよね・・ 距離がある時は素敵だと思ってたけど・・・ お近づきになったら、あら、この人ってば・・・ ごみだらけじゃない! なんて、思われているかもねぇ・・・ (苦笑)」(↑写真:山梨で育てていたモモの種から 芽を出しここまで育ちました!8年目! )夕暮れの畑でモモの木を見上げると・・・芽が少しずつ大きくなっていた!!近くに立っているからこそ見つけられる素敵な事もある近くに立つからこそ、見える汚い部分近くに立つからこそ、見える素敵な部分どちらも、隠すことなくでも、背伸びすることもなく歩いていこう相手の嫌なところが見えてくる時素敵なところが見えなくならないように・・遠くても近くても美しくはないけどなんか、ホッとするそんな私の心の畑を耕していこうLord, grant that I may seek rather to comfort than to be comforted;to understand rather than be understood;to love rather than be loved,慰められるより、慰めることを理解されるより、理解することを愛されるより、愛することを求める心をお与え下さい(アシジの聖フランシスコの祈りの一部)
2006年03月03日
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栃木からはるばる嬉しい来訪!おんぶひもに抱かれて「8」君と「かよ」母さん手作り味噌と手作りパンのおみやげまで!すっかり「8」君のファンに・・ふんばる「8」(←これが私の一番のお気に入り!)笑う「8」食べる「8」アスパラを横向きに口に入れる「8」ふりふりダンスをする「8」・・そして眠る「8」・すっかり母さんの「かよ」心に留まった彼女の言葉・・“子育てってクリエイティブだよ アートとかスポーツとかいうけど その全てが含まれている ”ほほぉ・・!そうかぁ・・!生きるってもともとクリエイティブ子育てもクリエイティブ父ちゃん「6」は福祉の関係で働いて畑で野菜作って・・そこで取れたものを食べて母ちゃん「かよ」は手作りをして時に友が集まりそこには「8」がいて・・・でも夜泣きしたりおっぱいかまれたりで奮闘する母さんがいて・・素敵だなぁ!来てくれてありがとう!今度会う頃には「8」君走り回っているかなぁ!?「8」とは「八起」君7転び8起き。聖書にもその言葉出て来るんだよ!正しい者は7たび倒れてもまた起き上がるからだ聖書より 箴言24:16
2006年02月24日
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この間、実家に戻ったら絵本が届いていた!ある抽選で当たった(わぉ・・)もうすっかり忘れていた頃に届いたからびっくり「やぎのブッキラボー3きょうだい」という絵本小さい頃には「3びきのやぎのがらがらどん」の名前で親しんでたノルウェーのむかしばなし橋の下に住んでいるトロルの声を母がなんとも恐ろしく読んでくれたのでとても印象に残っている今回頂いた絵本は同じ昔話を違う絵本作家が描いたもの絵が違うだけで、伝わってくる雰囲気が全然違う一つの昔話からできた2冊の絵本まるで違うお話しのよう・・・一つの出来事に対してもいろんな見方ができる答えのない自由な発想の世界自由な感じ方の世界「こうあらねば」「こうするべき」そんな思いに囚われそうになる時私は、このユニークな絵本の世界にふと立ち返る心がカチコチになる時にほぐしてくれるそんな感じ父さん、母さんたくさんの絵本で育ててくれてありがと~!最近古本で手に入れたのが「じめんのしたのなかまたち」・・寒い冬の土の中の虫たちのお話しこちらもおすすめです!Yesterday is gone.Tomorrow is yet to come.We have only today.If we help our children to be what they should be today,they will have the necessary courageto face life with greater love.by Mother Teresa(Book:The Joy In Loving)
2006年02月17日
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今朝、出会った言葉One step at a timeI had a only a lantern, and had to holdit very low or I would certainly have slippedon those rough rocks.We don't walk spiritually by electric light,but by a hand-held lantern.And a lantern shows only the next step- not several steps ahead.神さまの照らす光は蛍光灯のような光ではなく手にもって照らすランタンのようだとひと足ひと足照らされていくのだと・・もっと先の先まで見たいちゃんとどこに向かうのか知っておきたいそうあせる自分の心を神さまは知っているかのようにこの言葉が響いてきた(↑ちひろさんの絵より)ヨルダン川の水ぎわに来たときあなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない(聖書:ヨシュア記3章8節)You and I may be called again and again to walkright into our own "rivers" whatever they may be- to wet our feet in them.We may be called to do what nobody understandsexcept those to whom the word of guidance isgiven.(英語の部分はエミーカーマイケルさんの本よりBook: You are my hiding place/ by Amy Carmichael) 神さまとの歩みは実はスローライフ神さまに信頼しひと足ひと足歩むそれは、時に自らの足をぬらし流れの激しい川の中を歩まなくてはいけないかもしれないでも信頼してひと足ひと足SlowSimpleSoftSmallそれでいこ!p.s)姉Suchadaの日記も「ゆっくり歩く」だった・・・そちらも是非ご覧下さい
2006年02月09日
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(岩崎ちひろさんの絵)3人の友人がはるばる教会まで来てくれた自分の弱さも強さもまぬけさも知ってくれている人がいる深いところで何か同じような空気を共有しているそんな安心感3人が活動している場所はアフガン・カンボジア・埼玉みんな、かっこいい最近、すごく忙しく過ぎていたからなおさら、彼らとの時間が自分の根っこに目を向ける良いひと時になった新しい場所に来て3ヶ月私はどこかがんばっていた日常生活で、「そのまんまの自分」になろうと一生懸命になっていた気がするそのまんまの自分って努力して表現するものではない「そのまんまのあなたでもいいんだよ」って誰かが受け入れてくれた時に自然に出てくるのかもしれない人とのつながりってすごいな・・数時間だったけど私の体の細胞がふわぁぁってなったそんなひと時だったいつもそんなだったら気が抜けちゃってふわふわ飛んでいってしまいそうだけど・・(笑)この間の日記に書いた聖書の言葉あらためてうなずいてしまったそれどころか、体の中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです~中略~もし一つの部分が苦しめばすべての部分が共に苦しみもし一つの部分が尊ばれればすべての部分がともに喜ぶのです弱さも強さも苦しみも悲しみもきれいごとなんか言わないでそのまんま向き合うそんな風に生きていたい来てくれてありがとう
2006年01月23日
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(たくましく育つほうれん草!)寒くなってきました・・・冷え性の私が気をつけていることを3つご紹介■毎朝毎晩「頭で逆立ち」をする頭のてっぺんに「百会」というつぼがあって逆立ちをすると内側からも外側からも刺激ができて良いらしいガンジーさんもやっていたとか・・実際、体の中のいらないガスが抜けてくれるし背筋がぴんとしなんだかすっきりする(お試しあれ!)■「あご」をゆるめるというのが、最近ゆるりさんのブログで紹介されていた知らないうちに歯をくいしばってしまっていると頭蓋骨が緊張して全身に影響し、無意識の緊張が冷え性にも影響している!のだそうです・・・それをほぐすのに、「あご」をゆるめるのがいいのだそうです「笑う」「あくびをする」「バカ面をする」寒いと歯をくいしばっている自分を発見!人目のない所で”かば”みたいに口を大きく開いてあごの体操をするようになりましたそしたら気持ちいい!なんだか、肩の力も抜けました!そして「笑う」のは本当に良い!今日も、ある事で家族で大笑い・・・心も体もあたたまります■湯たんぽでほかほか最近教会の方が、湯たんぽをプレゼントしてくれました!これは本当にあったかい!!昔はぬるま湯になった湯たんぽのお湯を使って朝の洗面に使ったそうです牧師館の洗面は水なので、今度はそれも試してみたい・・頭で逆立ちをしてすっきり朝がはじまりあごをゆるめて日をすごし、時に大笑いをし夜は湯たんぽであたたまるちょっと、気に入っています!苦手な冬もなんとか楽しく過ごせそうです!神はみこころに従って体の中にそれぞれの器官を備えてくださったのですそこで目が手に向かって「私はあなたを必要としない」と言う事はできないし頭が足に向かって「私はあなたを必要としない」という事もできませんそれどころか、体の中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです~中略~もし一つの部分が苦しめばすべての部分が共に苦しみもし一つの部分が尊ばれればすべての部分がともに喜ぶのです(聖書 コリント人への第一の手紙 12章18節~)
2006年01月12日
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新しい年が始まりました去年の今頃は・・・スマトラ沖地震発生直後で被災地にいる現地の友人たちとコンタクトをとりながら・・・何か私たちにできることはないだろうか?地元の彼らの活動を応援することはできないか?「つながるこころ」の活動のはじまりでしたあれから一年が経ちました被災地ではどんな新年を迎えているのでしょうか?私たちつながるこころは、「つながるこころノート」というノートを12月26日に発信しましたスマトラ沖地震の被災地の友人たちとこれからもつながりつつも私たちは日本の国内に向けてメッセージを発信していきたいと思うのですモノやお金効率やスピードが時に人の価値となるこの時代にあって・・つながりの中で・・こころとこころがふれあう時に・・私たちは何を感じ、励まされ、涙を流し・・何を大切にしていけばいいんだろう・・いのちって?生きるって?この「つながるこころノート」がそんな事を考えるきっかけになってくれたら嬉しい北海道・埼玉・千葉から3冊のノートが旅立ちます友人や大切な人から大切な人へとめぐり1年間スマトラ沖地震の被災者だけではなく昨年は多くの場所で自然災害や戦争が起こり、尊いいのちが今も苦しみの中にあることを想いながら・・・同時に日本の私たちの心にも豊かな光が届くようにと願いをこめて発信しますそのとき、あなたが叫ぶと「わたしはここにいる」と仰せられるもし、あなたの中から、くびきを除きうしろ指を刺すことやつまらないおしゃべりを除き飢えた者に心を配り悩むものの願いを満足させるならあなたの光は、やみの中に輝き上り主は絶えず、あなたを導いて焼けつく地でもあなたの思いを満たしあなたの骨を強くするあなたは潤された園のようになり水のかれない源のようになる(聖書 イザヤ書58:9-10)
2006年01月06日
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大掃除火曜日から毎日いろんな所のお掃除が続いている教会、牧師館、実家お掃除をしている時にいろんな所から出てきた使い捨てのえんぴつ特に、教会の忘れもの箱にたくさん・・・小さいのやら大きいのやらとんがっているのやらどろぼうえんぴつになっているものも(!)このえんぴつ君たち・・・どうすれば・・・?50本以上ある鉛筆を集めているNGOもあるけれどこんな短いのでもいいのかしら・・・?いらなくなったものを必要としている人たちに送るのは理にかなっているようで、でもなんだか私の心は「うん」と言えない送るときはもっとちゃんとしたものを送りたい私にできることは・・・小さなことだけど・・一つ一つ今自分が持っているものを最後まで大切に使おう年末に心新たにさせられるそして思い出した唄沢ともえさんの「一本のえんぴつ」私に今一本のえんぴつがあれば・・・私はなんと書くだろう? 「一本の鉛筆」1.あなたに 聞いてもらいたい あなたに 読んでもらいたい あなたに 歌ってもらいたい あなたに 信じてもらいたい 一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く 一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く 2.あなたに 愛をおくりたい あなたに 夢をおくりたい あなたに 春をおくりたい あなたに 世界をおくりたい 一枚のザラ紙があれば 私は子どもが欲しいと書く 一枚のザラ紙があれば あなたを返してと 私は書く 一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く
2005年12月30日
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私は日頃からろうそくのともしびが好きで夜寝る前はろうそくで過ごすことが多かった暗闇の中にゆらゆらとゆれるろうそく広がる光の影ただろうそくを灯しているだけで心がなごむ不思議です(今日は"電気を消してスローな夜を" 100万人のキャンドルナイト の日でもあります!)暗闇の中の”ともしび”というと、クリスマス!クリスマスChristmasChrist-Mas(キリストのお祭り)・・いつのまにX-masに?いつのまにサンタクロースの日に?教会ではクリスマスイブにキャンドルサービスを行いますそれは「光」であるイエスさまのお生まれをお祝いする一時暗闇の中、ろうそくに光を灯し賛美の中に静かにお祝いをしますすべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていたこの方はもとから世におられ世はこの方によって造られたのに世はこの方を知らなかった(ヨハネ1:9-10)ふわふわのベッドでも豪華なお城でもない馬小屋の飼い葉おけで生まれたイエス・キリストの誕生日ろうそくに”ともしび”を灯して100万人のキャンドルナイト@教会になるといいなぁ・・・ "電気を消して「イエスさまの誕生を祝う」 スローな夜を・・" "私の心の暗闇をも あたたかく照らしてくれる光を迎える夜を・・・”どうでしょう!(笑)ちなみに私の教会では・・・→インマヌエル船橋キリスト教会24日 18時半~船橋駅前西武デパート一階にて 聖歌隊とエンジェルスコワイヤの賛美 19時~ 教会にてクリスマスイブ伝道会(キャンドルサービス)25日 10時半~クリスマス礼拝どなたでもいらして下さい! (子どものクリスマス会でのキャンドルサービス)
2005年12月22日
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ぶどうの木の剪定をした我が家のぶどうは母が植え兄が棚を作った肥料は毎日の米のとぎ汁・・・よくここまで育っているなぁ!棚も手作りなので強風がくるとなぜか全体的に道路側に飛び出てくるという移動式(!?笑)ぶどうの実がなり始めると母は、もったいないからと摘果するのを嫌がる(写真は実を結んでくれたぶどう!)確かに・・・私もこのぶどうを目の前にすると、摘果するのは躊躇するでも、全ての実をならしているといつのまにか実がぽとり・・ぽとり・・・と落ちていくそのうち、蜂がたくさん集まってきてその果汁を食べにくる共存しているという感じお味の方は、甘かったりすっぱかったりちょっとワインみたいに発酵していたりといろんな味が楽しめる(笑)今回はちょっとばっさり剪定してみた来年の春、ここから枝が伸びて・・・葉がこんな風にしげって・・・このへんに実がなるかな!想像しながら枝を切る3年ぐらいのび放題に自由に生きてきたぶどうの木今年は春から手を入れられて何事かと迷惑がられているかもしれないでも、私の心も同じ大切なものは本当は多くないのにあれも、これもと握りしめている今は目に見えないけれど将来の実のために・・・切らなくてはいけないものがあったりする手放さなくてはいけないものがあったりするシンプルになろわたしはぶどうの木であながたがたは枝ですわたしにとどまりわたしもその中にとどまっているなら多くの実を結びます(ヨハネ15:5 聖書)私の枝がどこにつながっているのか私の根っこがどこにはっているのかそれがしっかりしていれば多くのものは必要ないのかもしれない
2005年12月02日
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私の今滞在している教会では11月は教会学校のために活動する月(教会学校:子供たち用の礼拝)今、目の前にいるやんちゃでかわいくて生意気で・・・etcの日本の子供たち同時に私の心にアジアや中近東で出会った子供たちがよみがえってくる一緒に川に水浴びに行ったあの彼らは?物乞いをしていた彼らは?今どうしているかなぁそしてこの詩が私の心に通う「黒い王様」おなかをすかせたこどもはおなかがすいているのでかなしかったおなかがいっぱいのおうさまはおなかがいっぱいなのでかなしかったこどもはかぜのおとをきいたおうさまはおんがくをきいたふたりともめになみだをうかべておなじひとつのほしのうえで(クレーの絵本 谷川俊太郎 より)おなかをすかせたこどももおなかがいっぱいのおうさまもなぜ涙をうかべたんだろうそこには魂の叫びが聞こえる気がする生きていくための食べ物も必要最低限の生活も必要でももっと大切なのは魂に届く「何か」私はこの詩を読むとこの「何か」をいつも考えさせられてきた愛かなぁ?優しさかなぁ?助けかなぁ?今は、赦され(受け入れられ)、共に生きる喜びなのかなぁと思うこの日記を読んだ皆さんにとってその「何か」とは??ではまた来週!
2005年11月18日
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木・金のお休みで実家に戻りました!今日はなんて秋晴れの良い天気!早速、10月中旬に収穫していた綿をほぐす作業をしています。5本の綿の木が大きく育ち花を咲かせ、綿がはじけて飛び出てきました本当に不思議な植物です(最初は殻の固い実のようなものが、枝についたまま徐々に 開き中から綿がふにゅふにゅっと飛び出してくるんです! 飛び出してきたら収穫時です。)(こちらは綿と種を分けている所。)綿をほぐし、その中にひそんでいるふわふわの毛に包まれた種を見つけます昔の人は、布団の綿をこうやって作ったのでしょうか?いつか、糸紡ぎもできたらいいなぁ!まぶしいほどの太陽の下で、この真っ白でふわふわの綿に触れているだけで、自然のエネルギーが私の心に入ってきます。神さまありがとうあなたが創られたもので、何一つ無駄なものなんてない綿をほぐしながらゆっくりと、深く、神さまからの愛がしみこんできました明日また教会に戻ります教会には、壁いっぱいにワイルドに伸びた”はやと瓜”と牧師先生の息子さんY君が育てている”ざりがに”がいます駅の目の前の都会の中にある教会で、夕方になるとY君がザリガニのえさをやりに一緒に行こうと誘ってくれます昔、ザリガニ釣りに行って、ザリガニを釣るつもりが私がザリガニに池にひきづりこまれてしまった事を思い出したりしながら・・・Y君とのこの時間はなんだか幸せなひと時です牧師先生との生活はまだまだ初めての事ばかりですが平安に包まれていますこの機会に感謝して、明日からの一歩一歩の歩みを待ち望みたいと思います!また来週!===============================綿の種を植えた日の日記→5月8日芽を出した日の日記→6月6日
2005年11月04日
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(うちの猫としょうがの花)11月1日から、週の5日間教会に住み込んでお手伝いをさせて頂くことになったその経緯を全て書くことはできないけれど・・少しだけ書きたいと思う3月末に教会のメンバーとフィリピンのルソン島北部へルソン島北部のその孤児院では親のいない子、家庭内暴力で苦しんできた子貧しくて学校に行けない子が一緒に生活し学んでいるカナダ人の宣教師の方が始められた愛のあふれる空間国際協力って?社会が発展するとは?本当の豊かさとは?私の中には、それらに対するある程度の答えはあった自然との共存を視野に入れた持続的なものである必要があるとかお金も物も技術も知識も必要とか物や事物の背後にあるつながりを大切にする生き方とか大量生産・消費・廃棄からスローな生き方へとかetc etcでも、その孤児院の子供たちにあって私にないものを見つけたそれは「神さまとつながって生きることの喜び」「神さまと共に生きる民への約束の確信」食べものがなくてお金もなくて物もないのに心の奥底に平安がある彼らの姿食べものもあってお金もあって物もあって好きな所にも行く神さまを信じているのに「自分中心」に生きてきた自分の姿己が神さまになってしまっていた自分の姿豊かさとは?もう一度自問する「なくなる食物のためではなく いつまでも保ち 永遠のいのちにいたる食物のために 働きなさい (聖書:ヨハネ伝6章27節)」農業も大切国際協力も大切スローに生きる視点も大切その根底に神さまと本気で(!)つながる神さまを第一にするという新たなエッセンスが加わりましたいつかまたフリーページにまとめられたらと思っています毎週木・金曜に実家に戻りますその時にメールもブログもチェックします!
2005年10月30日
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我が家の月下美人の花が咲きました!初めて咲いたと母も大喜び葉っぱだけのひょろっとしたこの植物からこんなに素敵な花が咲くとは・・私もびっくり夜になると花を開き始め(夜9時に花が咲くと言われているらしい)ものすごく素敵な香りを漂わせ・・・次の日には力尽きた感じぐったり垂れ下がってしまった姿になぜか心を動かされたそして思い出した言葉がある「これを見るために私は来たのかなって 思う瞬間が必ずある。一瞬だけど。 だからその瞬間のために 長い時間を無駄だとは思わず 待機だと思っている。 」 (アジアン・ジャパニーズ P.113)この花は何年の間待機していたんだろう・・・この一晩のために・・・ただのひょろひょろした植物だなんて目にも留めていなかった私あらためて植物の神秘を感じたひと時でした「人は花を見るが神さまは根っこを見る」花を見てから、このひょろひょろ植物の名前が実は月下美人だと知り、興味を覚える私まだまだ結果や表面で人や自然を見ている自分がいる月下美人それにしても素敵な名前!人もきっとあんな素敵な瞬間のために待機し人と人が出会い人と人がぶつかり人と人が気づき生きているのだろうなぁ
2005年10月20日
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(うちの畑の綿の花)久しぶりにアジア学院へ・・収穫感謝の日に「つながるこころ」として参加させて頂いた5年間とちょい。私はアジア学院にお世話になった学生として、スタッフとして 私は学院で、本当に多くのことを学んだ出会いの中で許され、生かされてきたブタ小屋を久しぶりに訪れた時なんとも言えない想いがこみあげてきたそれはブタが恋しかったとかそんな気持ちではなく・・・この場所で過ごした日々の深さがよみがえってきたここでいろんな想いを胸に朝夕と角スコップ持ってブタの糞尿まみれになり、子豚の出産に喜んだり学生とけんかをしたりした日々キレイごとばかりの日々ではなかったけれど・・自分は人を必要とし、自分が人に必要とされそんな中で自分と向き合った日々土とまみれ、人とまみれ共に生きるってなんだ?って考えた日々スタッフも、学生もほとんど変わってしまってもう自分の居る場所ではないのだと感じつつあの農場に立つとありがとうっていう気持ちになる自分のこれまで歩んできた道を感謝の気持ちで再確認しこれからの未来を前を向いて歩いていけるそんな気持ち・・これまでを自分ひとりで生きてきたと勘違いしないようにいつも原点に立ち返る自分でいたいそして、今があって、これからがある!ありがとう==============99年度から04年度までのアジア学院での日々感じた事、想いなどなど・・「根っこの今」ブログのフリーページ(このページの左上)根っこ通信にも書いています!
2005年10月13日
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(食卓に並んだかわいいお赤飯!)水曜日・・教会のお祈り会の後で小学4年生のMちゃんが私にプレゼントをくれた!!なんだろう!?家に帰って開けたら・・・サランラップにきれいに包まれてリボンまでついたかわいいかわいいお赤飯だった7月ぐらいに、私はMちゃん一家に「モロヘイヤ」と「ごま」の苗をプレゼントしたMちゃん一家の「ごま」の苗からも「黒ゴマ君」たちが無事に育ちました!お赤飯に添えられていたお手紙には・・「ごま塩にしてお赤飯にかけて食べました。 とってもおいしかったです。 お姉さんも、一口食べてみてください!」と書かれてあった。家族で、小さなかわいいお赤飯を4等分にしておいしく頂きました。私の心があったかくなりました今年頂いた贈り物の中でこんなにあったかく感じたのは久しぶりありがとうそして、手紙の最後に書かれていた質問も素敵でした「しつもんですが、このゴマをまくと、 芽が出ますか?」あ~見せてあげたい!ゴマがたくさんつまっている殻がぱちんとはじけてしまったその後に、いくつかのゴマは枝についたまま、所狭しと発芽していたあの生命力・・・今度、お返事を書こぉっと!ごまから、頂いたおいしいお食事ごまから、頂いたあたたかなプレゼントありがとう
2005年09月30日
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