根っこの今

根っこの今

2007年02月08日
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カテゴリ: 神さまとわたし
kanariya to aoibousi no otokonoko



気持ちいい!


朝、ちょっと早く起きて・・教会の門を開けて・・
教会前の道をお掃除

ここはコンクリート沙漠だけど
ここには自然がないけれど
見上げると空がある

昔アジアを旅していた頃
早朝に家の前を掃き掃除するおばさんたちを見て


朝が苦手だから、無理かなぁって思っていたけれど
選択の余地なく与えられた仕事として
あの頃の秘かなあこがれが現実のものとなった!(笑)



風の又三郎のようにひょっこり現れる友人taisigerが
1月末暖かな風にのってふら~りと教会に来てくれた

たわいもない話しの中で
彼が「以前と今で違うことって何?」と聞いてきた

たくさんある

今までは自分の好きな環境に自分を置いて、
自分がくつろげる環境を作ろうと心がけてた
自分らしくありたいっていろいろアプローチして

心地よさと刺激が自分にとって大切だった

旅に出て、いろんな人と出会って
その中に幸せを見つけたり
友だちに会ってお茶をして、なんだか気分がほくほくしたり
家族と畑で汗を流して、心も体も元気になったり


幸せは何かの環境に身を置くことで感じたり
人とのつながりの中であったり
自分で環境を探して、創っていくものだった
(それもちろん大切!)


でも今は
自分で好きな時に好きな所に行ける環境ではなく
自分の好きな時に自由に人会うこともできず
自分の好みのもので周りが囲まれているわけではない
お金もないし、好きな自然も、畑もない
今までで一番自由がないように見える

以前は、そんな所にずっといるなんて
ありえないと想っていた

でも、そういう環境なんだけど
不思議。すごく心の内側に喜びがある


aoitori


以前と今の違い。いろいろあるけど一番の違い
それは、環境に左右されない喜びがあること

心が嵐みたくなる時ももちろんあるけれど(笑)
うん、よくある・・・
でも、静まるんだ
自分が何かを悟ったわけでも、修行したわけでもない
神さまの憐れみ。神さまとの2人3脚

本当に大切なものって、実はすぐ近くにある
私はそれを遠くに行って外側に求めて、探していた気がする


あの時、そんな事が伝えたかった





私たちは、見えるものにではなく
見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり
見えないものはいつまでも続くからです
(コリント人への手紙第一 4:18)





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最終更新日  2007年02月08日 22時09分51秒
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