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もう一つ友人Tさんはお勧めの本を紹介してくださった。それは「長い道」と題されたもので 宮崎かづゑ著みすず書房 です。 宮崎かづゑさんという方は80歳を超えて初めてワープロを覚え、文章を書かれるようになった。1928年生まれで御年84歳、私の母の一つ下。 今まで精一杯生きてこられた。精一杯の中から生まれたエッセイ。 10歳で瀬戸内海の長島のハンセン病療養所「長島愛生園」に入所され、以来ずっとここで暮らしておられる。 早く宮崎さんの言葉に触れたいな、と思う。阿南慈子さんも良く「ハンセン病」を患った方々のことを気にかけておられた。その歴史を悲しんでおられた。 この本を読んだらきっと、どんな人の人生も光り輝いている、と分かることだろう。 ありがたいこと!!
2012.10.31
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友人からチラシが送られてきました。それは映画のチラシで題を「天のしずく」と言います。 料理研究家、辰巳芳子さんの父を看取ったスープ、のちに「命のスープ」と呼ばれるようになったものですが、そこに焦点をあてて河邑厚徳氏がかんとくされてつくられたドキュメンタリー映画です。 「・・・いのちの始まりには母乳があり、最後には唇をしめらす末期の水があります。人のいのちは絶えることのなく流れる川のようです。」(チラシより) 風土が生み出した食の材料たちを優しくていねいに、素材が喜ぶようにして作られるスープがいのちをつないでいく。 日常茶飯事の当たり前のことだからこそ、それが無くなったら大変なことになる。たいしたことのない普通の中にこそ、自分たちを支えてくれているものがある。 普通なものだからこそ、愛情をこめて、いのちに繫げていきたい。自然の豊かさと辰巳さんの心を描いた作品だそうです。 11月3日から全国ロードショー 京都では京都シネマで11月10~上映されます。
2012.10.30
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昨日から何度もかばんの中を見直しをしていたA(10)。いよいよ今朝より4泊5日の山の家の宿泊学習に出発。 玄関先で「忘れ物無い?大丈夫?」と声をかけました。実は私、彼女の荷物の中身はチェックしていないのです。学校で先生から良く説明してもらっていたし、迷うことがあれば私に訊きにきてくれていたので・・・。それに何より、カナダに2ヶ月行ったときも、スーツケースの中身はほとんど自分でパッキングし、あちらでの小旅行も彼女が自分で用意をしました。なので大丈夫だろうと思ってのことです。いよいよ登校班の集合場所に行きました。今日の出発はいつもと同じ時間なので、他の学年の子どもたちと一緒です。5年生の子どもたちはそれはそれは大きな荷物で、自分で持つのも大変なぐらい。それでも、よっこいせ、と背中にしょったり肩にかけたりしてがんばって登校していきました。 皆元気で過ごしてきてね。いってらっしゃ~~い さて夕方からどんどん気温は下がっています。山の家では京都の市街地に比べて5度ぐらい低いといいますから、明日の朝方は5,6度になるかもしれません。冬用のジャンパーを持たしてよかった!!漆黒の夜空 お星様見えたかな? 明日も元気で過ごしてくださいね、みんな
2012.10.29
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朝、子どもたちがレッスンをしているその合間を縫って、バレエの先生に今度使うチラシの原稿をチェックしてもらう。 その後は駅近くのお店によって、明日から4泊5日で出かける下のAのものを少し買い、自宅でお昼を食べるべく、結構な雨の中を急ぎ足で歩いていました。すると教会の前で雨の中を自転車で帰ろうとしている方がいらして、お顔を見ると、やっぱり友人だったのです。 しばらくぶりのOさんは今からお帰りになるだけ、とおっしゃるので、お昼ご飯をご一緒することにしました。 まもなくお嬢さんはご結婚。うちのMと同い年で名前も同じMちゃん、なので子供同士もとっても仲良かった。うちの次女Mも去年結婚したけれども、だんだんと子どもたちが新しい家族を作って本格的に独立していく年齢になったのですね。 小学生だったMちゃんと一緒に遊んでいたころがうそのように子どもたちは大きくなっていく。まだまだあれこれと心配事はなくなりはしないけれども、子どもたちは自分たちの親のことを少しずつ理解できるようになっていくのではないかしら・・・当たり前のことだけれども、それは大人になった子どもにとってとても大きな財産だと思う。 離れるからこそ手に入れられる私たちはちょっと離れたところから、そっと見守っておきましょう。 ひと時大切な時間を過ごして外に出てみると、雨はきれいに止んでいました。
2012.10.28
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大学を卒業して以来お目にかかっていなかった一郎さんに、今日やっとお会いすることができました。たぶん34年ぶりだと思います。 こんな近い距離に住んでいるのになぜお目にかからなかったんだろうとも思うけれども、今日こそが会うべき日だったのでしょう。 彼の主催する読書会に参加させていただいたのですが、そこにはこれまた懐かしい大学時代の友人たちが二人、そしてブログで友だちになったchiyomiさん、もちろん初めてお目にかかる皆さんもおられて、それはそれはステキな集いとなりました。 彼の著書「アドラー 人生を生き抜く心理学」より「現実を超える理想主義」と「隣人愛と共同体感覚」を読みました。正直言って私はアドラー心理学はかけらも分かっていません。なので本日は耳をダンボにして皆さんのお話を聴こう、と思っていました。しかし、心理学という分野は決して自分の毎日と切り離されたところにあるのではなく、むしろとっても近く、私の関心を惹きつけているものの多くを含んでいるので、気がつけば大いに喋っていました。 さてさてアドラーという方の心理学は「理想」とか「飛躍」とかによって人は発展していく、という分析があります。それはぴったり宗教(私の場合カトリックだけれども)を客観的に語っているな、と思いました。 実に面白いです。読書会の皆様、良い時間をありがとうございました。
2012.10.27
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朝、目が開くとき、なんだか右目の下辺りに鈍い痛みがあることに気がつく。 起きてしまえばなんということはない、けれども下を向くとやっぱり痛みを感じずにはおれない状態 う~~~ん これは何ぞいや?? 以前近視のめがねを作った折り、眼科のドクターがおっしゃった。「視神経に凹みがあるので、こういう場合眼圧が高くなるケースが多いです。だから時々測りに来て下さいね」でもでも・・・ 私のことだから以来一度も行っていなかった。 う~~ん これはやばいかも・・・ ガンバって眼科に行くか・・・ということで洗濯物は三女のKに頼んで、行ってきま~~す、と家を後にし歩いて5分のところにある眼科の門をたたきました。勇気が要ります。 一通り視力を測ったり眼圧を測ったりドクターが目をじっくり見たりした後、先生は口を開きました。「目薬を出しておきましょう。もし今日お時間があったら眼底検査とか視野検査をしておくといいと思うのですが・・」「あ、今日はお約束がありまして・・・」「じゃぁ、またのときにおいでください。」とだけおっしゃって今日の痛みは何なのか、何もおっしゃらないのでお尋ねすると「あぁ~ 疲れ目でしょう 傷も何もないですから・・・」 お~~ それはありがたい。 あ~~ほんとにありがたい!! 心も軽く自宅に帰ってしばらくすると、妹のTちゃんが寄ってくれて、そして生協でご一緒の友人たちとの初めてのランチをしていっぱい楽しく喋り、また夕方には大切な友人Nさんも我が家に立ち寄ってくださった。 良かった、良かった すべて良し~~ 感謝!!
2012.10.26
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今日はたくさんの方々から誕生日の祝福のメッセージをいただき、心からありがたく、感謝の思いでいっぱいです。こんなに祝福された誕生日が作ってくれるものはこれからの毎日をどんな風に過ごしていくか、ということ一つ一つの時間や出来事の中にこめられている宝物をていねいに見つめ、自分の中に取り入れ、それがいつか誰かのために使うことができるものになるよう、私の中で磨き熟成されるのを根気良く待ちたいと思います。たくさんの真心をありがとうございました。 感謝!!
2012.10.25
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今朝 ノートルダムの鹿ヶ谷修道院のお御堂にはじめて入って、ごミサに与りました。 オルガンを弾かれる方がいらっしゃらないということで、メロディーだけでもよければとVnを持っていきました。 どういうごミサがあるのか、何にも知らないままに行ったのですが、ノートルダム女学院卒業生や保護者の皆さんの集まりでクリスチャンファミリーの会というのがあるそうで、その会が主催してのミサだったのです。 最後に女学院を代表して校長先生がお話をしてくださったのですが、女学院はこの10月に60周年を迎えられたこと、そしてこの日、女学院を運営しているノートルダム教育修道会の代表メンバーたち35カ国80人を超えるシスターたちがバチカンに集まり、会議をされているとのこと、を伝えてくださいました。 そんな特別な日にこのお御堂に来ることができミサに与り、Vnを弾き、神父様とお話をさせていただいたなんて、本当にありがたいという以外に言葉がありませんでした。そしてとても驚いたことに、小学校からの友人にばったり会うことができたのです。慈子絆の会の友人、Sさんがおっしゃるのです。「ここはシスターになりたかった慈子さんと神父になりたかったご主人のTさんが初めて出会われたところよね」あっ、本当だ!二人はここで「招命(神様からの招きが修道者になることか結婚することか)を考える練成会」に参加されたことがきっかけで、結婚されたのでした。 う~~ん スペシャルなはずです。 「今日はきっと慈子さんもご一緒にお祈りくださっていたよね」の言葉に、私はうんうんと深く頷いたのでした。
2012.10.24
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先日Aや他の子どもたちとこんな話をした。人間は外の人たちとはある程度冷静にできるから、いらいらしたり怒ったりすることも少ない。だけど家の中の家族にはついついそういうものを簡単に吐き出してしまうから、けんかになったりしやすい、という話をした。 そしたら今日になって、突然Aが言う。「おかあさん、外にいるときの自分と家にいるときの自分と違うということやったら、いったいどっちが本当の自分なん。ひょっとして家にいる自分が本当の姿?」「 外にいるときの自分も家にいるときの自分も、どっちも間違いなく自分の姿やと思うけど、気を使わないそのまんまの姿は、やっぱり家の中の姿に近いんと違うかな・・・?」「え~~、やっぱり!!そんならA、やばいわ。 泣き虫でいつまでも嫌な気分引きずるし~~」とショック気に語った。「う~~ なるほど!!でも、Aはまだちっさいし。自分が泣き虫で嫌な気分を引きずる人間や~~、って分かってたら、だんだん心の訓練することやろ。心配せんでも引きずらへん人間になっていくって・・・」だんだんセルフイメージ、見つめるようになって来たのかな・・・?
2012.10.23
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先日本屋さんで手に入れた本 「なぜ」と問わない 山浦玄嗣著 TOMOセレクト 今日、読み終えることができました。 震災を外からの方の取材で語られる言葉ではなく、震災に突然遭遇し、被災し、その中で生き抜き、今も復興のために日夜努力されている方々の言葉をそれぞれに本にしたシリーズ「3・11語を生きる」の中の1冊です。 最初のページ 3月11日「そのとき」 から引き込まれる。歴史の中で何度も津波に襲われている地域。そこで暮らしてきた人々は、ご先祖様からいただいたたくさんの宝物があった。 粘り強く生きること、 津波は何があって、もとにかく一目散に逃げること。一人でも二人でも多く生き延びることができれば、それはその後の復興への力となる。 東京から来た取材の人たちが皆「なぜ、こんなことが起こったのか」と自分に問いかけてきて、そんなこと考えもしたことがないから、答えられないと思った、と山浦さんはおっしゃっている。 津波は特別なものではない。必ず起こるものだ。だからと言って、喪失感がなくなるわけではない。悲しみがなくなるわけでもない。それでも、災害の中からいつも人々は立ち上がり、新しく生きた。希望を持って生きた。人間が持つすばらしい力、神様からいただいた力を信じる。 この本に書かれている「祈り」という言葉の分析は私はとても好き。前から「祈り」が自分の願いであったら、神様は私の勝手をどう理解してくださるか、と躊躇していた。祈りは神様の声に耳を傾けること、そして神様の声は身の回りの出来事から読み取ることができる 合点だ!!撮影三女K撮影三女K
2012.10.22
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教会の帰りにAのバレエのお迎えに行きました。そしたら高2のEちゃんのお母様がこられていて、プライベートレッスン見学されたとか。お忙しくてお子さんのバレエをめったにご覧になることがないので、本当に良い時間をもたれたのではないかと想像していたら、これからの黒のクラスも見学されるとのこと、私も先生に頼んで見せてもらうことにしました。 Eちゃんは夏、アメリカのバレエサマースクールを体験してこられて以来、体もとってもスリムになられて、長い手足を生かして踊られるので、とってもきれい。 アメリカから帰ってこられたお嬢さんの姿、お母さんははじめて見られたのではないかしら・・・。 去年の今頃は「もうバレエは止める」と思っておられたなんてうそのよう。止めないで続けられて本当に良かった。こんなに美しい姿ご自分もご家族の方も決して見ることはなかっただろう、と思えるからです。 さて、ご一緒にレッスンさせてもらったうちのWは あんなふうにスリムに成れたらいいのになぁ、とあこがれながらこういうのです。「私、カナダにいたときよりも体重少し減ったのに、足太くなった~~!」と残念そう。「あんな~W、脂肪は筋肉よりも比重が軽いの。帰国して練習時間減ったから、その分、筋肉も減って脂肪になってしまったんだと思うわ。あなたに必要なのは食を減らすことではなくて動くこと、適切なバレエの練習やで!!お家でもストレッチとか筋トレとか本気で入れてみ?」と私が中学で陸上競技をしていたとき、クラブの時間以外に自分で朝練とか通学中のトレーニングとか自分で工夫していたことをお話してあげた。するとWは今朝6時に起きて朝食前に自主トレしていたみたい。そうそう、やるからには本気でやろうね。今やらなきゃ何の意味もないもの・・・・
2012.10.21
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本日は晴天なり!! 小学校では運動会が気持ちよく開かれました。日向にいると暑いぐらいのお天気で、長袖は次々と脱いで、皆半そでで観戦~~ 今年は例年とは座席の設定も変えられ、おばあちゃんおじいちゃんや来賓の席は終日日陰になる涼しい場所、子どもたちは赤組白組ともグランドの西側にずらっとテントを張った所で応援にいそしみました。 我が娘5年生のAの関心事はなんと言っても「騎馬戦」 赤白に分かれての 5騎同時対抗戦 1騎vs1騎 大将vs大将と三種類の戦いがあり、それぞれに作戦を練っての競技でした。作戦と意気込みのおかげか、どの対戦もAの所属する白組みが勝ち、彼女はとっても嬉しそう。総合では負けちゃったけれども満足!!そして一騎打ちで対決したMちゃんとは、帰宅後我が家で遊びました。本当に仲の良いお友だちに恵まれて幸せなAです。
2012.10.20
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今日は今月2回目のミニ真名。 7名の方々がお集まりくださって、お話をしました。 ここでどんなお話をしようか?とか、これは是非お話したい、と思ってこられる方もあるのですが、お話しすることではなく、いろんなお話を聴きたい、と思ってきてくださる方もあります。お話をすることですっきりしたり安心したり、気付きをいただいたりしますが、同じようにお話を聞かせていただくことで、自分の思いに気付かされたり、納得したり、心いっぱいにステキなものをいただくことができます。 上でもなく下でもなく、経験がいっぱいある人もない人も、年齢も仕事も肩書きも関係なく、互いの人生の一コマを分け合えることのすばらしさ、ありがたさ・・・これがミニ真名の味わいだ、と思います。 本日のキーワード 「子どもはその子らしく生きてほしい、これが私の願いです。」(小さな子どもを持つKさんより)
2012.10.19
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今日Wは学校をお休みしましたが、午後からだんだん良くなって、夜はバレエの練習にいけました。 明日は大丈夫、学校に行けることでしょう。ご心配くださってありがとうございました。 さて、先日Toさんと一緒に本屋さんに行ったとき、全く私は本を買うつもりはなかったのですが、書棚を目にすると、もちろんついつい本を手にとって、立ち読みしてしまうのですが、その中でどうしてもほしいなぁ、と思って購入したものがあります。 一つは「惑星の祈り」 久野わか 女子パウロ会 2006年 自然農法に憧れ、福島県川俣町に引っ越してこられた著者。自然のままに食すものも育てる。土、風、水、植物たち、虫たち・・・さまざまなものが絡み合いながら調和ある日々を作っている自然を、久野さんが本当に心から愛して慈しんでおられるということが、ページを繰るたびにあふれ出てくる本です。 原発事故に会い、汚染されたにもかかわらず、それでもなお自然はあきらめず、刻々と美しく季節をたどり、けなげな姿を見せてくれる。 大地の鼓動は『惑星(ほし)の祈り』 小さな人間である私たちが凛としてそびえ立つこの大自然にどんな風に向かうべきか、教えてくださっているような気がする。 2つ目は「3.11後を生きる 『なぜ』と問わない」 山浦玄嗣著 TOMOセレクト 山浦さんの著書の一つ『ガリラヤのイエシュー」執筆時にすこしだけToさんとお手伝いしたこともあり、この本を手に取りました。3月11日大地震が起こったとき、岩手県大船渡市の医院におられ、そのときのことを克明に書きながら何をし、何を思ったかを伝えてくださっています。まだ最初の方しか読んでいませんが、とても力強く『生きる』、ということが伝わってくるのです。 これからどんな風に展開するのか、すごく楽しみ・・・。 山浦先生にいろんなこと教えていただきたいです。
2012.10.18
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おとといの朝からしんどそうだった和香葉、とうとう昨日のバレエの練習を休み、今日も学校から途中からはや引きして帰宅、多くをお布団の中で過ごした。もちろん、今日もバレエはお休み!! どうやら風邪らしい・・・ 早く元気になろうね
2012.10.17
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朝は来週のミサののうちあわせ、夕方は小学校運営協議会主催の講演会の打ち合わせでした。 小学校の方は11月に『かけはしサロン』の一環として休日講演会をひらくのだけれど、『かけはしサロン』というのは、いかに学校のみなさん(保護者、教職員など)と地域の皆さんとの交わりを深めていくか、ということをテーマに作られた企画です。 講演会など勉強に繋がるもの、交流会や座談会といったお互いを知ったりお話を聴きあったりできる場を提供していきます。 少しでも地域の力が高まりますように・・・ いっそう子どもたちが豊かな経験と暖かいまなざしの中で育つことができますように・・・ さらなる信頼と理解の中で大人たちが活動していくことができますように・・・
2012.10.16
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本日はミニ真名(自由に語る会)開催。今日は私も含めて4人という手ごろな人数をお聞きしていたので、まぁ まずはコーヒーでも飲みながら・・・(普段はお昼になるまで何も飲みませんが・・・)と思ってコーヒーを入れていたら、嬉しい誤算で全部で7人になりました。のでコーヒーはちょっとずつ分けわけ・・・・あら そんなのまたコーヒー入れればいいじゃない、と思われるかもしれませんが、せっかくのお話、なるべく聞き逃したくないので、席を立ちたくないのです。いつもどおり10:30~過ぎからスタートしたのですがなんと何と、4人は5時まで語りました。それでもしぶしぶのお開きです。語りたいこと、語るべきことは本当にたくさんあるのです。 結婚25年以上の友人は今もとても仲良いご夫妻で一緒にいろんな活動をされていますが、そのAさんに質問、という形で始った夫婦のあり方。カトリックの結婚、若者たちの伴侶選び・・・ 互いの呼び方、対外での配偶者の呼び方・・・ さまざまなところにいろんな夫婦の形がある、ということが見えてきて、とても面白い。 障害や病気を持つ子どもたちの子育て、毎日は一筋縄ではいかないし、誰も私たちと同じ道を歩んだりはしていない。自分たちが本気になって、その子の育ちを考えていく。あぁしたりこうしたり、いろんなところに電話をしてたずね、どんなことができるか見極め、その中からわずかながらの答えと思われるものを見つけつつ、家族みんなで試していく。 細やかな配慮、大胆な決断、両刀遣いを実行しつつ、しかし、『この子が生きるとき、最も大切なものは何か』を日々より明確にする作業を決して怠らず、育てておられることが何よりすばらしい。 障害も病気もなくなることを目指していては心がめげる。 障害も病気もなくならないと覚悟を決めながら、それでも子どもが生きていくことで生み出される恵みを心から信頼して共に生きていくお母さん、お父さんたちのなんと力強い姿。 年老いる父母、病院や施設とのやり取りの中で、私たちはいったい何ができて、何が必要なのか。 小さな子どもは意外にも、「死」や「宇宙」や「終わり」に関心を持つと共に不安を示す。それはいったい何なのだろうか? ・・・・・答えなんかもちろんないんだけれど、皆で考えることはとてもいいことだと思う。 いつもいつも皆のこと、応援していたい。
2012.10.15
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いつも教会ではこの時期に敬老会を催します。なぜなら、9月の敬老の日は教会バザーの日、と昔から定番になっていて、おいでいただくご近所の方々もそう思ってくださっているので、敬老のお祝いは一ヶ月遅れで行うのです。 今日も60人近くの方々が来てくださいました。長らく教会においでになれなかった方もお顔を出してくださるので、皆とても嬉しい。 神父様いわく『生まれることができた』、というそこから始った恵みは、年を重ねれば重ねるほど大きくなり、自分としてはできないことが増えたとしても、違がった形で神様の恵みを周りの方々に伝えることができる、すばらしい仕事が与えられます。お腹にいる赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまですべて年齢、世代の人々が集まることができるところが教会です。皆がいることで完成される、と言っても良いぐらい。皆でこの意義を心に刻み、深く与えられている恵みを味わいましょう。 敬老会に参加してくださった方々の中に福島から避難してこられた方がおられます。『すべてを失ったからこそ、本当に大切なものが見えてきました。・・・」とお話してくださいました。ほんの5分ほどの短いお話でしたが、本当に体験した人だけが語れる言葉だと思いました。『今は全く知らない土地に来たけれども、誰彼となく『お元気?』と声をかけるのが何よりの喜び』と輝く笑顔でおっしゃいました。とても力強い姿!!
2012.10.14
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今日の練習には関フィルVn Tさんが来てくださって、華麗にシェヘラザードのVnソロを弾いてくださった。 それを聴きたい、ということでいつもよりもメンバーが揃っていたので、合奏していても楽しい どんなフィンガリングで、どんなボーイングで弾かれるのか、そういうことも見せてもらうことができたので、勉強になりました。 時々こんな風に誰かが来て下さると嬉しいのだけれど・・・ けれども私自身は、次回公演は実際のところ舞台に載るのか載らないのかわからないような状態なので、練習でもどこまで関わったらいいのか、関わらない方が良いのかそれすら分からない、ちょっと中途半端な状態なのが困りものです。 来年はいろいろとある中で、最重要事項を順番に並べたとき、オケ活動がボーダーラインにあるような気がする。結論は今出せないので、しばらく置いておこう・・・
2012.10.13
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W(14)の文化祭も二日目、今日は午後から合唱コンクールが開かれました。毎年学校体育館で開催されていたのですが、今日は外大までバスで乗りつけ、子どもたちは森田記念講堂のステージをお借りして歌を歌うことになりました。 このホールのステージは何年か前にオーケストラのメンバーとして使わしてもらったことがあり、そのときはヴァイオリニストの石上真由子さんと彼女のおじさんであり私の友人である森住憲一さんがモーツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」を弾かれたのでとても印象に残っています。息の合ったすばらしい演奏で、やっぱりソリスト同士が一緒に練習される時間があればこんなに統一感が生まれるのかと驚いたのを覚えています。ご親戚同士、ということで音楽的センスも共通のものがたくさんあったのでしょう。心にぐんぐん響いてくる魅力いっぱいの演奏でした。 さて今日はそこで4女Wたちの合唱発表です。ピアノ伴奏もとてもいい音色で響き渡り、音楽的雰囲気が体育館のときとは全く違ってどんどん広がっていくように感じました。たぶん、歌う子どもたちにとってもそうだったのだと思います。その雰囲気が今まで練習してきた歌の持つ特徴や言葉の意味を子どもたちの中からより一層引き出したようでした。ハーモニーもメロディーの波も客席にどんどん押し寄せてきました。Wに訊いてみると、『やっぱりちゃんとしたステージで歌う、ていうのは気持ちも引き締まっていいね。良い気持ちやった~~」とのことでした。 ホールをお借りして合唱コンクールをしたことはとてもいい音楽体験になったなぁ、と思います。
2012.10.12
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最近良く英語が挟まったDVDなどを見るのだけれど、やっぱり夏のカナダ旅行のおかげで、前よりちょっと聞けるような気がする。ごちゃごちゃ、と喋ってはるところも、ちゃんと聞こえてきたりして『ま~~ やるじゃない~~」などと一人心の中でほくそ笑んだりしてしまう。で、調子に乗って学校から帰ってきた子どもたちが宿題などをしているそばで、私も英会話のテキストを開いて勉強してみよう~~としてみたが、1ページも読み終える間もなく、コクリコクリと居眠りモードに入ってしまった。そう、やっぱり会話は口に出さなくっちゃ・・・ だから眠たくなるんだよね子どもたちが学校に行っている間に、一人会話でもしますか・・・・!!
2012.10.11
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今日はバレエの帰りはAとWと私で3人で電車に乗って帰りました。やっぱり帰り道、良く整理されたWの理科のノートを見てうらやましく思ったAは『私もそんなノーと作れるようになりたいけど、どうやって勉強したら良いのかわからへん」と再びおへそを曲げた。何かWがアドバイスをあげると「でも ○○○○・・・・」と言い訳か文句が出てくるこうやって『でも』が始ったら当分は続くので『いいわけとかしても良い気持ちになれへんやろ。もう口を開くのは止めとき。言い出したらどんどん出てくるから・・・・」するとAは黙って電車を降り、一人早足で歩き始めた。もちろんご機嫌斜めで歩いているんだけれども、Wも私も一生懸命歩いてちょっと汗ばむほどだった。たぶん Aも体動かしてすっきりしたのだろう家に帰ってからはすっと宿題の音読に入った。ひょっとして口にしない、も良い練習??
2012.10.10
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バレエの帰り道、下のAと一緒に電車に乗った。二人でこんなお話をした。 学校でお隣に座っている男の子と良くけんかになる、という。自分と意見が同じでなかったり、『私の考えを分かってくれない」などがそのきっかけになるんだけれど、自分としては別にけんかしたいわけではない、という。「けんかしないで済む一番いい方法は、自分が嫌なことに出会っても、怒らないことだよ。」「でもむかつくこと言わはるんやもん」『私は腹立ちそうになったら、すぐにその人がいないところに行って、深呼吸してお水でも飲む。気分変えるために・・・さっきAはバレエの後 控え室でフェテ(足伸ばしてぐるぐる回転する)の練習していたやろ?怒らない、も心の練習がいるねん。何回も何回も練習してできるようになるんやで!!」「そうなん? 練習するんや~~」Aにっこりした。
2012.10.09
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昨日の夜 バレエの先生からお電話があって『明日のWのプライベートレッスン ご覧になりませんか? よかったら大ママちゃんもお誘いください」ということだったので、今日は教会の用事はキャンセルしてバレエの方に行かせてもらうことにしました。実はこんなお電話をいただいたのは初めてのことなのです。最近先生が手がけておられる新しい振り付けが昨日終了した、とWから聞いたのことです。きっと先生はその振り付けを見てもらいたいのでしょう。 ちょうど今日はAもプライベートレッスンが入っていたの、せっかくなのでAのレッスンも見せてもらいました。 カナダへ行く前の6月の頃よりは体の力がついたのか、しっかりした動きになってきていました。 Wの方はバーレッスンに続いてライモンダのヴァリエーションと新しいコンテンポラリーのアルメニアの踊りを見せてくれました。ライモンダ(ハンガリー)もアルメニアもとってもエスニック色の濃い音楽なので、その違いを出していく、ということがとても面白いことなんでしょうね。まだまだ出来たてで体の中に踊りが溶け込んではいないけれども、もっと刷り込んでいけば面白いものになりそうです。大ママちゃんもとても興味深げ・・・ まぁ 何より大きな驚きはAの背の高さだったみたいですが・・・ 『大きくなった、びっくり!!」と何度も言っていました。
2012.10.08
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今日も久しぶりの友人に教会で会いました。2年ほど事情があって来れなかったAさんですが、穏やかな笑顔を見せてくださいました。 ミサの後に二人でお話したのですが、中3と中1の二人のお嬢さんも、それぞれに今目指すものを見つけてとても幸せそう。 その実現に向けてこの夏二人のお嬢様を連れて韓国に行ってらしたとか・・・。海外に出て自分の娘たちを見ると、日本にいるときよりもずっと生き生きしていて、こちらが頼ってしまうほどしっかりした姿をしていた、とのこと。国内にいたとき勉強していたハングル語も、なかなか発音が・・・、などと言って口にすることが無かったのに、現地に行ってしまえば堂々と使うことができた。若々しい10代の子どもたちはそういう目に見えるほど伸びのある力を潜在的に持っているんですね。つまりは彼らは必要とする環境を与えられたなら、どんどん力をつけることができる、という子どもたちなのです。でも環境とは必ずしも『心地良ければ良い」というものでもない、ということも良く分かっていなければならないですね。厳しさの中でしか培えないものもたくさんあるのですから・・・ そしてそれこそが人生の糧となるものでしょう。Aさんと一緒に子どものたちのこと、応援しようねってお約束しました。
2012.10.07
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何はともあれ音信不通になっていた友人MさんとTr君との再会はとても興奮し、ありがたい限りだった。 いろんな思い出に浸りながらも、何が嬉しいかといえば、それはもちろんMさんもTr君も元気でこの日本で過ごしてくれている、ということ。7年前に帰国したという。Tr君が生まれてからというものずっとカナダにいらっしゃったと思うから、あちらの生活にとてもなじんでこられたわけで、それだけに日本での生活は結構大変なこともあったのではないか、と想像できる。お仕事がなかなか見つからなかったり、そのために住まいも変わる必要があったり・・・ そんなお話を少しはされるのだけれど、いやいやお二人の屈託の無い笑顔、勢いのあるジョーク、5人で爆笑しまくりの2時間を過ごさせてもらえて、それぞれの朗らかなお心がこれまでの毎日とそしてこれからの毎日を支えていくんだ、ということが手に取るようにわかるのでした。 私は何度も『良かった、良かった」と口にし、また心の中でも念仏のように唱えていたのでした。 いつまでも、図~~っと応援しているからね~~また会いましょう!!
2012.10.07
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『ヤッホ~~ めっちゃ久しぶり~~』私は今日、この18年間お会いすることができていなかったカナダでの大切な友人に会うことができました。 というのもこの夏カナダに行ったことで音信不通になっていた友人MさんとTr君のいらっしゃる場所が分かって連絡が取れるようになったからです。 それにうちの長男Aと毎日欠かさず遊んでいたTr君はなんと京都にお住まいということで、8月にはびっくり仰天したのだけれども、今日はお母さんのMさんも急ながらはるばる九州から来てくださったのでした。行方が分かってこんなに早く再会できるなんて夢見たいですが、会ってみると『九州から乗って目が覚めたらもう神戸、あっという間だったデス」とおっしゃるほどに、楽しく快活なお話しぶりは、長い隔たりなど微塵も感じない昔のまんま。それこそあっという間に私たちは二男Sが0歳の頃に時を戻していました。その頃の我が家のことをMさんはこうおっしゃいます。「糸井家の家の中に入ると、子どもたちのエネルギーがいっぱいあふれてて、京都弁の渦にのまれてしまいそうでした。」って。そうかもしれないですね。長男が3年という頃で9歳7歳6歳3歳0歳の子どもたちが活動していたのですから、小学校の教室に入ったみたいだったかもしれません。そんな中に道を隔ててお向かいに住んでいた10歳のTr君も毎日のようにやってきて、子どもたち皆でわいわい遊んでいたのでした。Mさんが長女Hに質問されました。「Hちゃん、日本に帰ってから学校とか困らなかった?」う~~んとしばらく考えたHはこう答えたのです。「やっぱり高校ぐらいまでは違和感がありましたね。今はどちらもOKで~~す。」私たちのカナダ滞在はたったの3年弱であったにもかかわらず、カナダでの人間関係や社会のあり方が我が子どもたちの生きる基準となっていたのだ、ということがとても良く分かります。 今日の平野神社
2012.10.06
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今日、家族や友人との会話の中で、考えたことの一つ。 「人はいつも心模様に左右される。」ということ。どんなことをやったとしても、そのとき生まれてきた思いによって、今日の意味が決まってくる。そこに楽しさや充実を見出したらとても良い一日になるし、そこに理不尽や不安や悲しみを見出したら残念な一日になってしまう。 何年か前に幼稚園の人智学の勉強会に行ったら、幼稚園児のお母さんが自己紹介のときにこんなことをおっしゃった。「私、いつも自分のことをだめな人間だと思っていたんです。でも、だめな私に育てられる子どもがかわいそうで・・・。それで自分を励ます意味で、寝る前に、今日の中で何か一つ良かったことをノートに書くことにしたんです。『今日は、泣いているAちゃんをお膝で抱っこしてあげた。』 とか『夫さんにお顔を見ながら『言ってらっしゃい』って言えた』とか・・・そしたら、いつの間にか今日どんなことが「良いことノート」書けるだろうか、と思えるようになって、だんだん毎日が楽しみになってきたんです。』すばらしい・・・とそのお話を聴きながら思いましたが、今日彼女がやっていたことがどういうことだったのか、ということがよく分かったような気がしました。彼女は自分の毎日の中から、たくさんある嫌なことや不安なことを、「できるならそれらが無くなればいいのに」、と周りが良くなることを望む自分から離れて、そんな環境の中でも私ちゃんとやりこなせた、という自分が努力したことに、小さなこと具体的なことに心を留めるようにした。それはわずかなことかもしれないけれども、生きている自分に対する愛おしさ(価値、誇り、自信・・・いろんな表現ができると思うけれども)を彼女は見つけたのではないか、と思う。 阿南慈子さんのことを考えてもそう思うけれども、自分にとっての逆境は自分を新しく羽ばたかしてくれるための道具のような働きをしてくれる。 小さなステキなこと、今日も見つけよう
2012.10.05
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今夜はクァルテット「Iiyona」の練習日でした。Mozart K.387 2回目の練習、というかこれが最終日です。Mozartは4時間、Beethovenは8時間でとりあえず仕上げ、次の曲に取り組むことになっています。お仕事でのイタリア訪問を終えて昨日帰ってきたばかりのファーストVnのIさんは 「いや~~ たいへんや これは大変や~~」と第一声!つまりイタリア滞在中Vnを弾く暇なんて無かったんだ~、ということ、よ~~く分かります。そんなこと言いながらもバッチリ、ステキに演奏されるのです。 私はMozartが大好き。のでとにかく楽しかった。VaのYさんもVcのNさんも皆でMozartを楽しみました。 軽やかさ、滑らかさ、ふわっとした中にくっきり見せる変化、ゆったりをつくるためにこそ、前向きにステップを踏んだり、音の切れにこだわりたい響きだったり格好良いフーガの大建築物を作り出したり七変化の音色だったり・・・皆で存分に楽しんで、演奏しました。おっと、録音しなかった~~~ ではでは次回はBeethoven ラズモフスキーNo.1ということで、 よろしく~~~
2012.10.04
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4ヶ月ぶりの聖書深読会、本日の箇所は今度の日曜日の朗読箇所、マタイの10章2~16節です。『神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(9節)とか『子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(15)などが出てきます。こういう箇所を読むとおのずと『結婚とは?』とか「神の国とは」、『子どもとは?」と、考えずにはおれないのです・・・。婚姻届を役所に出したとき、教会で婚姻の秘蹟を受けたとき、確かにそれは結婚だ、と形の上ではなるけれども、今日の聖書を読んでいると、神様が結ばれる結婚にはまだまだ遠いような気がしました。たとえば今日一緒に深読をしたシスターは、ご自分から修道会に入会したいと思って入られたけれども、入会してからこそが大きな苦労で、神様への本当の信頼や委ねにいたるには、長い長い時間を旅している、とおっしゃっていました。たぶん、結婚も同じ。共に暮らしつつ想定外のいろんなことに出会いながら、互いに本当の信頼と委ね、を持てるようになったとき、それこそが神様が結び合わせてくださった二人になれたのだ、と思ったのでした。
2012.10.03
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久しぶりに幼稚園の真名の会にお邪魔いたしました。1歳前後の子どもたちを連れながらも、皆で語り合おう、考えようと集まって来られたお母さんたち。私が忘れそうになっている、小さな子どもたちと向き合うことの難しさ、3人きょうだいのバランス、子どもたちが表わしていることは何なのか、どうやったら読み取れるのか、どうすれば正解なのか、この間違い、どうやって立て直そうか・・・そんな不安や問題がお母さんたちの目の前にある。無数に散らばっている心に引っかかっていること、そこにいる皆が一人のお母さんの心に触れ、共に考え、慰め、自分の経験を語る。正解なんて無いんだよでもアイデアはあるかも・・・オーバーヒートするまで登りつめられる怒りやイライラ、どうやったらそこから抜けられる?抜けることは容易じゃないけど、私はまず別室に行く顔を洗ったり飲み物を飲んでピークに達した怒りが少しでも頂点から下がってくるのを待つ。それから少し冷静になった頭で考える。子どもに何て言ったら分かってくれるだろう。短く簡単に・・・そう考えている時間、子どもの方も少し感情が和らいでいる。そして少し「自分は悪くない」、という考えから離れてくれることがある。そういう数分を過ごしてから、子どもにできるだけ短く簡単に伝えてあげるのが自分としても一番リセットしやすかった、と思う。でも上の子どもたちの場合、何度言っても何百回言ってもそう簡単に彼らのパターンを変えることはできない、と学んだので、下の子どもたちには、常に自分の心をゆったりさせて、できるだけ命令調は使わず、どんなふうにするのが自分たちにとって良いか、考えてもらうようにした。『~~のようにしてみよか」『何か良いアイデアない?」 やっぱり親子は一組ずつ違う。その親子ならではのバランスの取り方、少しずつ見つけていこう、という前向きかつゆったり構えがたくさんの気付きと喜びに繋がると思う。 小さな子どもたちとのかけがえのない毎日、存分に楽しんでね。
2012.10.02
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慈子さんは首から下が麻痺した状態でしたから手足を動かすことができない。ベッドに横たわったらそのまま寝返りをすることもできません。たとえ思うこと考えることを書き留めたいっと思ってもそのすべがありませんでした。なのでずっとずっと長い間、頭の中その言葉たちを収めておられました。 ある日お見舞いに訪れた友人に彼女は小さな声で言いました。(肺活量が少ないので小さな声しか出せません)『もし、時間があるようだったら、昨日私寝られなかったときに思ったこと、テーブルの上においてあるノートに書き留めるお手伝い、お願いしてもいい?」 そのノートは宮川さんが家事のお仕事の合間に慈子さんの言葉を書き留めておられるノートです。友人はそこで初めて慈子さんの心の中で長く温められてきた言葉に触れたのでした。自分に向けられた言葉ではないけれども、この慈子さんという人が毎日どうやって自分自身を見失わずに生きていくことができているのか、それがわかるような宝物の言葉が書き綴られていきました。『もしお手伝いが必要だったら、私も時間あるときにこさせてもらいますが・・・」 そんなふうに慈子さんの友人、友人の友人たちがだんだん口述筆記のお手伝いをするようになっていったのです。でも慈子さんと口述筆記のお友達との間で分かっていても、全体の動きを誰かが分かって、ケアや医療スケジュールとも重ならないように組んでいく必要が生まれてきました。そこで宮川さんがボランティアの方々のスケジュールを整理されるようになったのです。 宮川さんは医療・福祉関係のお仕事も全くなさったことはありません。資格もお持ちではありません。けれども友人ご家族のためにその必要にそって動かれ、しかもそのお仕事ぶりはこれほどにも明確に気持ちよくできるだろうか、と思うほどのものです。ご自身のお子さんも4人、おじいちゃんおばあちゃんもご一緒に生活され、決して暇な方ではありませんでした。慈子さんもすばらしい方ですが、宮川さんも本当にすばらしい方です。 宮川さんの言葉を聴きながら、私はひとしきり『これこそが命の輝き』と感じ入ったのでした。
2012.10.01
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