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以前から 行ってみたい所があった。長野の「アンズの里」と山梨の「桃源郷」である。長野のそれは、季節になると 街全体がアンズの香りに包まれるという。しかし 今の私には その方面に辛い過去がある。で、桃源郷に行った。実は、3日前の夜に行ったのだが、全く花が咲いていない。電話で問い合わせたら どうも合点のいかない返答ばかりなのである。そして、暖かくなった今日、思い立って行ったのだが、見事の一語に尽きた。桃の木の間を縫って走るのもいいが、高台からの眺めは絶景である。さて 今度は誰と来ようか・・
2007/04/14
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最近 やたらとクローズアップされている。 今の時刻・・午前2時。 私の両親の田舎が山陰なのだが、ボーっとしていて 何気なく 「急行 出雲」のこ とを 思い出していた。 列車自体が 消滅してしまった「出雲」だが 私は 特急のそれより、急行にかなり の回数を乗車している。 20系のように固定編成ではなく、雑多な組み合わせも良かった。 寝台列車なのに、夏のバカンスを過ごしに行く聊かの興奮もあり、また 子供心に 何か新しい発見は無いものかと A寝台の上段で 眠い目をこすりながら 一晩中起 きていて そして その時はやってくる。 「みなさま 間もなく 急行出雲号は、餘部の鉄橋を通過いたします。この鉄橋は 明治・・・・」 鉄橋を通過するときは、必ず徐行をした。 いや してくれた。 鉄橋上から見る 夏の日本海は あくまでも碧く、東京から暫しの里帰りをする連中 は、これぞ故郷と言わんばかりに 喚声を上げたものだった。 上り列車は 夕刻に通過するので 車内アナウンスの記憶が無い。 毎年 アナウンスの内容を覚えようとするのだったが 数字に「4」というのが多 く、岩美を通過する頃は すっかり忘れてしまっていた。 鳥取を過ぎた その駅前には、その昔 「澤バス」といったボンネットバスが私を待 ち構えていた。 この会社、未だに塗装が変わらないのは 凄いものだ。 ちなみに かなり後年になってから 私は都内で ボンネットバスとすれ違った。 小田急と関東バスの2社。 三鷹のはずれの烏山や下本宿といった やや狭い路線を走っていた。 そして 関東バスの路線には 路線番号が無かったことに 驚いた。 話がそれた。 出雲には 一時 オロハネが連結されていた。 いわゆる 1等2等合造車。 出入り口が車体の真ん中にある 粋な奴である。 変な車両があるのも 山陰ならではだな・・と思っていたら 大学時代に 石北本線 の「大雪」に乗ったら これだったのには びっくりした。 大阪万博の際に 福知山線で大阪に出てから 山陰往復の経路は それになり 大学 卒業後は 趣味も高じて 様々な行き方をした。 岡山廻り 津山線経由 京都廻り 特急あさしお 大阪から 特急バス 等など しかし、私が免許を取り 軽四輪を買ったところで 移動は すべてクルマになっ た。 パソコンの中に仕舞ってある白黒写真を見ていたら 小学生時代のときめきが 蘇っ てきた。 その 餘部の鉄橋も 間もなく架け替えのため取り壊される。 また 思い出が ひとつ 消える。 _________________________________________________________________ 究極のWEBブラウジング環境を実現!MSN版IE7が待望のデビュー http://promotion.msn.co.jp/ie7/
2007/03/16
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私の個人情報が どこからか漏れた。 しかし、幸運というのはどこに潜んでいるか、わからない。 私のアドレスを見たという女性から 突然メールが来た。 いたずら目的であろう、出会い系サイトに載っていたらしい。 38歳 外資系投資会社秘書。 最初は素っ気無かったのだが、こちらも同じようにしていたら、のめり込んできた。 38歳といえば 半年前に別れた女性とおない年。 まだ見ぬ幸子に、面影がだぶる。 セックスよりもキスがいいと言う。 そのくせ、一緒に風呂に入り、全身を舐めたいとも言う。 昼間の激務が ストレスとなり 自分を解放させたいのであろう。 さて そろそろ 定時連絡が来る時刻である。 _________________________________________________________________ 人気急上昇リア・ディゾンの壁紙をメッセンジャーユーザの皆様にプレゼント http://campaign.live.jp/dizon/
2007/03/12
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羽田空港の待ち合いで 声を掛けられた。 10年ぶりの再会だった。 向こうが 理由も言わずに 去っていったのに 勝手なものだとは思ったが 正直 ドキッとするほどの美貌になっていた。外資系の企業に秘書として勤めているのだと いう。視線が 愛撫を促してくる。 一緒に暮らしていた時は1日に何度も肌を合わ せても 全く飽きることが無かった。 すべてが性に合っていた。こんな時 他の諸 君ならどういう反応に出るのだろうか。搭乗してから やはり 今まで付き合った女 性は 素晴らしい女性が多かったなと思った。久々のシングルライフが もう半年も 続いている。 そろそろかなと思った。 _________________________________________________________________ ウイルスに感染する前にWindows Live OneCareを!90日間無料お試し中 http://onecare.live.jp
2007/03/02
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テレビ番組で人気を評しているらしい番組。 あれは 1960年代に実際にあった 山陽特殊製鋼大倒産事件が基になっている。 オリンピック景気に乗じて 過剰投資を行なったものの 大会建設終了後 その資産 回収が十分でなく あえなくして会社更生法を適用することとなる。 いつの時代にも 経営者は すぐに 国に逃げる。 鉄鋼資源の無い日本にとっての製鉄所は 文明開化の昔から日本航空と同様に 国家 プロジェクトであったから 国も紙の上でのこととして策を巡らせることとなる。 しかし 関連の中小企業は その影響をもろにうけ とてつもない企業の連鎖倒産 が始まった。 ドラマでは いち製鉄所の一喜一憂のみがクローズアップされているが 実際は もっとドロドロしたストーリーが展開されていたという。 山陽は現在も姫路の優良企業として 存在する。 やはり 神戸のほうが どこかエキゾチックで テレビ的には絵になるからだろう。 でも 昭和40年代に オープンデッキの市電は似合わない。 _________________________________________________________________ あなたのメッセンジャーの背景や表示アイコンをリア・ディゾンにカスタマイズ! http://campaign.live.jp/dizon/
2007/02/28
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随分と間が空いたと思う。 実際 それだけ激しい女性だった。 場所も 処かまわず 抱き合った。 キスの上手い彼女だった。 急に私の許を去り 野原に仰向けで寝そべったかのような ポッカリとした空間が 心に開いた。 しかし、日が経つにつれて 時間の大切さを痛感する。 いいタイミングで別れたものだと思う。 未練が無いかといえば 嘘になる。 俺には珍しいのだが。 でも 自分の時間が また持てるようになった。 先週 1本の団子を食べに 飛騨へクルマを飛ばし 夕飯は 富山のまるたかやの ラーメンを食べ 朝日のたら汁を啜った。 こんな 馬鹿げた日帰り旅も 久々だった。 新しい 春が始まる。 _________________________________________________________________ 陽気で好奇心旺盛な鳥「Carol」をあなたのブログで飼ってみよう http://www.live-carol.jp/
2007/02/26
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今年も 音楽の分野では 関東大会まで行き 別分野では 全国まで行った。 その反面 前回では 女性の切れ間は無かったのが ここ半年は 独り身である。 どうも私は 情熱的にならねば 仕事をしないらしい。 物事に不自由しているわけではない。 ただし 今までは 出会った女性に恵まれすぎていた。 はずれというのが 一度も無かったまである。 さて またこのブログを再開してみるか _________________________________________________________________ ここでしかもらえない貴重なリア・ディゾンの壁紙をダウンロード! http://campaign.live.jp/dizon/
2007/02/25
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島根での仕事が終わり、鳥取で里奈とあった。駅前のニューオータニでの 濃厚な密会。空港近くにラブホ存在するのだが、大阪や東京へ行く知り合いに会う確立も高かった。そして 私は元来 ラブホは嫌いなのである。成人式からあまり日が経っていないのにも拘らず 里奈は 男の感じ所を知り尽くしていた。全身を舐め回す 暖かい彼女の舌。優しい彼女の瞳の奥は 絶頂に近づくにつれ いつも燃えていた。駅前のいつもの店で 出石名物の皿蕎麦を食べる。短時間では 私の欲求は満たされなかった。愛情は満たされていた筈なのに。とても疲れていた。演奏の緊張と 指導の真剣さを維持し保持させるために 考えて・・そして とても疲れていた。米子から来た 福知山線経由 大阪行きの客となる。一緒に東京へ行くという里奈を 明日の地元放送局のニュースアナとしての自覚を持たせるため ホームに出したところで 20系客車独特の 2枚折戸が閉まった。急行「だいせん」前は12系座席車 後方が20系寝台車の変則編成。里奈に最初 寝台券をキープするように連絡し、彼女が持ってきたのは出雲市発 「山陰」の指定券だった。特急とも急行とも はては 快速とも命名されない列車。各駅停車なのである。寝台車つきの。話の種になら 乗車していたかもしれない。でも 私は疲れ切っていた。犯罪発生率も高いこの列車に 高価な楽器を持ち 安心して睡眠をとることは出来なかったのである。列車の座席特有の匂いを レールのジョイントと共に感じながら うとうとしていたら 何と 里奈が 私のB寝台のカーテンを開けてベットに入ってきた。広くないベット・・彼女はパジャマに着替えていて しかも その下は全裸だった。「どうやってだいせんに追い付いたのか?」などと 聴く間もなく 彼女の薄い唇で 私の口を塞がれた。いつもの彼女の体臭。だんだんと ジュースの匂いも濃くなってくる。騎乗位で彼女に挿入。さっきひとつになったばかりなのに 快感・・このボックスに 他に乗客がいないのは知っていたが それでも誰が回ってくるかもしれない。大きな声で喘ごうとする里奈の口を塞ぎ 互いに登りつめる。ガタン列車が駅を発車した途端 私も 発射した。と 目が覚めた。あまりにリアルな夢だった。なにせ 彼女の温もりがまだ 残っていたから。しかし 困ったことに 長いツアーの疲れのせいで 物凄く多量の夢精をした。生まれて初めての経験だった。狭い寝台の中 下着で拭き取り 通路を覗って 全裸で トイレへ駆け込む。洋式トイレも20系だからこそ 付いていたのだ。この 篠山口という駅名を 私は忘れない。単線非電化のローカル線に過ぎなかったこの線も 地下鉄直通の国電が走りゆく幹線に生まれ変わった。大阪から新大阪に出て 何事もなかったかのように新幹線で東京へ。夢精をしてから半日後には オーケストラのソロを吹いていた。青春の1ページである。
2005/11/02
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25系になり、客車は新しくなったが やたらと合理化されていて 面白みのない室内だった。それに 牽引車も DD54から DD51へと替わり、山陰らしさが無くなった。3年間で 4人の女性と付き合った。どの女性も とても魅力的だった。地方の女性は 早熟な人が多い。運転免許を取得するのも早ければ 就職 そして結婚するのも早い。高校卒業後、大学へ進学する率も 都会から比べれば 低い。瞳は 高校卒業後 バスガイドとして就職した。早くから 山陰と大阪を結ぶ高速バスを運行し、その車両には トイレが付いていた。常に三菱ふそうの最新鋭で統一された車両は 地方には斬新な赤のラインを身に纏い 格好が良かった。バスガイドの制服から私服に着替えて待ち合わせの場所に来る 瞳。夏に ビーチサイドに一緒にいると その素晴らしいボディラインは 他の野郎共の羨望の的だった。日焼けした肌に しろいセパレート。夏の山陰の浜は あくまでも灼けていた。その日 私達は 鳥取砂丘に続く 遊泳禁止の浜にいた。いつもより 彼女が身体をにじり寄せてくる。そしていつもより 濃厚なキス。そうしながら ズボンのチャックを下ろし 手を中に入れてくる。女性週刊誌を見た と言っていたが 刺激的だった。頭の位置が下がる。ぎこちない大人への跳躍。ズボンを脱ぐと 彼女が上になってきた。素晴らしく張りのあるボディ。身体全体から 若さ溢れるフェロモンが立ち上る。「痛い」挿入しながら 叫ぶ 瞳。彼女は バージンだった。初体験ながら エクスタシーの渦に入り込むのに時間はかからなかった。歓喜の声を上げる瞳のバックには 満天の星空をたたえる夏の空が 今でも忘れられない。水平線には イカ釣り船の漁火の列。その夏 何度も瞳と肌を重ねて 「まもなく 東京行き 寝台特急 出雲号・・・」高架となった鳥取駅で抱き合い キスをする。周りの目など気にはしない。結婚も考えていた私は 1ヵ月後の再会を確認して 出雲の客となる。翌日から瞳の連絡は途絶え 鳥取から彼女の消息は消えた。縁なしのメガネが似合っていた彼女の吐息と 日焼け跡が 今でも時々 夢に出てくる。夏の思い出である。
2005/11/01
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前に書いたように 私の両親は 山陰の出身である。クルマが現代の三種の神器になる前、高速道路なるものはまだなく、山陰への移動手段は 急行「出雲」であった。東京駅に母親と行くと 車掌室脇のロングシートに父が待っていた。最初は B寝台に家族4人。寝れる列車は 子供心に年一度の憧れの列車だった。地方へは 東京から18時~20時代にかけて 大挙して出発。その殆どは急行。食堂車が付いていたのも 嬉しかった。真っ白な制服の専務車掌。地味なスタイルの しかし大勢の乗務員。寝台列車・・しかし 子供心に眠れるはずもなく ドップラー効果に過ぎ去ってゆく 踏切の音が 鐘の音から電子音に変わったのは 何時頃の事だっただろう?地理に詳しくなり、名古屋を通ることを知り、京都を通ることを知る。ここで 軽い衝撃がいつもあり ここからの速度がいつも落ちるのを感じた。豊岡のあたりで夜が空け とっくに 線路は単線非電化になっている。トンネルが多くなり、突然現れる餘部の鉄橋。徐行しながら観光案内が入る。明治の御仁がよくここに鉄路を通したものだと感心ししかし いつになっても全長や高さは覚えられないのであった。帰り、母は いつもお婆さんと窓越しに顔を見合わせ 涙を流した。もう 逢えないかもしれない・・・海水浴や山寺での思い出を一杯に詰めて 走る列車。しかし帰りの記憶はあまりない。翌朝 大船の白い観音像を見たとき、ここがもう綺麗な海の山陰ではないことを知らしめる。日本食堂のオシ17・・トーストに付いていた2個のバターが球形をしていたのが 懐かしい。新幹線岡山開業とともに 多くの夜行急行が特急へと姿を変えた。私は その冬 何も知らずに東京駅へ向かった。浜田行き 出雲号・・・と、「特別急行」の赤い文字。珍しい間違えもあるものだと 階段を昇ると そこには 20系客車の燦然たる姿。方向幕を見ると 特急「出雲」の文字。九州に全く縁の無かった私の記念すべき日であった。出発して いつものように眠れぬ夜。と、トイレに立った。どの車両も使用中。そして 次の瞬間 素晴らしい光景に出会った。20系の最後尾は 2枚窓となっているわけだが、一方は車掌室、そしてそのとなりは なんと 展望室となっているのだった。高速で過ぎ行く 宵の東海道。関ヶ原は吹雪であった。福知山で夜が明けた。窓に掛かるカーテンの隙間から見たもの。キハ04。山陰で キハ07を見なくなり 何年も経っていた。それなのに もっと古い かの車両がいたのだ。後に北丹鉄道のものとわかるまでに 10年が掛かった。25系に変わり 狭い個室寝台に乗車したのを最後に 私の移動手段はクルマへと移行する。25系時代の 妖艶な想いへ 次回は話題を移そう。
2005/10/23
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10代の思い出を書く。出雲に住む親戚が無くなった。オーケストラマンで多忙な親父を除く家族で 急遽 新幹線で西へ。5時間弱で終着駅 岡山着。そう この時の新幹線は岡山までしか開業しておらず 数年後に 一挙 博多までの開業となる。鉄道好きではあったものの 車両がすべて同じ新幹線に全く興味を示さなかった私は 如何せん無知だった。在来線ホームに下りて、そこにたむろする 車両たちに度肝を抜かれた。まず 特急しおじのクロハ181。もとパノラマカーのあれである。もうとっくになくなっていたと思っていたから 唖然某然だった車体側面も全くそのままだったのは 嬉しかった。そして、80系・・それも初期型の3枚窓の先頭車。気動車では 一般型中間車のキハ18・・運転台の無い17系である。そして 全面が湘南形のキハ19 改良に改良された キニ19。いよいよ伯備線ホームから 特急「やくも」に乗車。山陰線では 特急は82系オンリーだったから 181系ははじめての乗車。屋根上にまでラジエターをつけるくらい大出力の車両は ぐいぐいと山間部に分け入ってゆく。加速が素晴らしい。夜は 田舎の富豪らしく 近所の女性たちが炊き出しをしていた。小振りで味塩を塗し 味付け海苔を巻いただけの素朴なおにぎり。でも これが美味しくて 幾つも食べてしまった。翌朝 遠くで 汽笛が聞こえたような気がして表に出てみる。夜はわからなかった 出雲平野に散村の見事な風景。日本の朝が そこには広がっていた。目の先の 遥かかなたの山裾を 蒸気が重連で長い貨物を牽いて行った。朝日に輝く 2輌の黒金達。冬の寒さに 真っ白なスチームを高々と上げながら。その素晴らしい光景に 涙が出た。葬儀が終わり 籍のある倉吉へ向かう。出雲市から55系の客へ。まだ この車両が急行料金を徴収して走っていた。何気なく運転席の後ろに陣取り 前方を見ていた。大人たちの会話が五月蝿かったから。しかし、単線の山陰線は 停車駅ごとに上下交換をするのだが、なんと対向列車は すべて 蒸気牽引なのだ。D51あり C57あり・・そして極め付けだったのは D51のトップナンバーが 対向列車の先頭に誇らしげに立っていたことだ。米子から西は こんなことになっていたとは 知らなかった。鉄道好きの私にとっては この上ない旅だった。岡山は新幹線の中間駅となり 在来線の車両はつまらないデザインで統一された。山陰にも電化の波が押し寄せ、振り子の力で山間部を突っ走る。蒸気はおろか DF50の姿も消え、鉄道は つまらなくなってしまった。
2005/10/14
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久々に 本職の話題である。SAKURA というジャズピアニストがいる。年齢不詳。 パッと見は 20代か30代といったところか。青山のライヴハウスで彼女の音を聴いたのが初めてだった。今まで聴いたこともない 滑らかなタッチ。しかも サウンドの中に ほのかにエロチズムまで 感じさせる。決して自分が中心にならない。控えめなのだ。なぜ こんなにも素質がありながら 表に出てこないのか?もちろん BGMとして気持ちいいこと極まりないのであるが、屈託のない笑顔と演奏中の快感を感じているであろう表情とのギャップが なんとも言えず魅力だ。関係の筋で聴いた話だが、有名某アーティストの本番のリハーサルの多くを出掛けているという。国内のみならず 海外のアーティストからも信頼を受けているのだ。しかし 噂によると 控えめな彼女は 学校の講師や塾で英語も教えているという。あの美貌とセクシーな声に教えられる学生の胸中は、いかばかりなものなのであろう?2回目にSAKURAを聴いたのは、某シティホテルのディナーショーだった。決して飾らず しかし、ジーンズとノースリーブの白いTシャツが抜群に彼女の音楽ともフィットしていた。そして ギャラリーのリクエストには いとも簡単に応え、弾きこなしてしまう。なぜ このような人材がヒットせず 埋もれているのだろう?視覚的素材として またもちろんあの素晴しい音楽的素材として、プロダクションなり レコード会社なり または 他の企業なり早い者勝ちのアーティストである。携帯の着メロの多くも 実際の演奏・・シンセを使っているのだろうが・・は彼女が演奏しているという。SAKURA・・これからの動向が見逃せない ビックアーティストの器である。なお、彼女の演奏を聴きたいと思った方、詳しく知りたい方は 聞いてください。 私は とっくにファンになってしまいました。ライヴの後は 彼女とこれで決まり
2005/10/14
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ここのところ 時間が無い・・というか 気持ちにゆとりが無い。いったい 日本人で気持ちにゆとりのある奴なんて どれくらいいるんだろうか?カード会社のミスで 3倍の請求額がやってきた。正直 仰天し 焦った。気を取り直し、PCに向かい 確認をする。間違いがわかった時 気が抜けた。こんな時 女性に傍にいて欲しいと思う。いてもらった。ホテルでの激しい時間。まったりした日差し。開放的な窓がいい。バスルームで戯れながら 下界で齷齪働く皆の衆を尻目に極楽浄土にいた。透き通るような肌。 ヒップに残る 夏の思い出。神戸からやってきた景子は 全く変わっていなかった。ハスキーボイスで 悶えながら言う。「結婚してぇ」私がそんなことを承諾しないのをわかっていて わざと言う。可愛い奴。いつものように 5回いった後 私が果てた。今も 後ろで軽い寝息を立てて 寝ている。
2005/10/13
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一度帰宅した景子は 愛車のウィンダムに乗って 颯爽と現れた。白を基調とした洒落た外観。彼女にピッタリだった。「あたし じゃじゃ馬よ」といって 市内を飛ばす。じゃじゃ馬を調教するのは 得意である。程なくして 摩耶山に到着。ここからの神戸の夜景は格別であった。彼女がキスを強請る。他に誰もいない 穴場。詳細は 御想像に任せよう。バックスキンのブルゾンに着替えたその下は サイドが大胆に網で繋がっただけで肌が丸見えの 薄手のポロ。大き目の 形の良いバストが胸に当たる。生田神社のあたりで 隠れ家的レストランで腹ごしらえをし、ホテルへ。素晴らしいボディだった。ハスキーボイスで喘ぎをたてられると 何ともいえない。神戸詣が始まった
2005/10/11
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大人の秋です
2005/10/10
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今週 某大学で 演奏家のライブ時における精神状態 なるテーマで講演をする。2時間な訳だが 一昨日徹夜でレポートを書いていて 昼夜逆転してしまい昨夜は 夜8時に寝てしまった。6時間熟睡。でも 起きて午前2時だ。自宅のスタジオでライブの練習をして 終わった頃「起きてるぅ?」起きてるから 電話に出るのだ。彼女の際どいところにあるホクロを思い浮かべながら景子のハスキーな声を聞く。2年前とまったく変わらない 妖艶な雰囲気。この年の冬、旅をした。東京発 北陸経由 神戸まで朝一番の新幹線は 東京を出ると 確か最初に停まるのが越後湯沢だった。大宮には停車しなかった気がする。高架のホームを降りると 特急「はくたか」が出迎えてくれる。それも 北越急行所属の新型車両。ホワイトのボディにワインレッドのラインが夢をそそる。真新しい匂いが充満する車内で 座席に腰を降ろしたところで 出発。しばらくは 上越線を走る。思えば上越国境はクルマでのみの走行であり、乗車は初めて。VVVFの特性と最新鋭の遮音性のおかげで、極上の旅である。北越急行が開業して暫くがたっていたが 乗る機会がなかった。今は もう飛行機の時代だからである。先人達が 冬に街へ出るために四苦八苦した地域を 「しらさぎ」のみならず 普通列車さえトンネルで貫いてしまった。 しかも両者とも130kmで・・。昔 頚城鉄道というささやかなナローがあった。越後平野独特の 古き良き日本の風景の中を走る いい鉄道だった。しかし 廃止。頚城鉄道がやってゆけなかった地区で 果たしてやってゆけるのであろうか?そんなことを考えていたら 長いトンネルに入り 出たら一面の雪。そこはもう北陸の地である。複線交流となった北陸本線を快適に飛ばす。その昔 4110型蒸気が喘いでいた倶利伽羅峠も 難なく超え 金沢着。改札には妙という女性が待っている・・はずだった。10分待っても来ない。電話をすると「えっ 来たの? なら今から行く」メールの文章とはかけ離れた年齢を感じた。もう 金沢へ留まる必要はない。切符の乗車変更をし 特急「サンダーバード」の乗客となる。車両は同型ながら ラインがブルーである。湖西線を通り京都へ。新幹線で景子と待ち合わせる街・・神戸。新神戸駅に直結している オリエンタルホテルにチェックインをし 景子に電話。2時間後 現れた景子は長身の美人だった。毛皮のショートコートにジーンズ そして見事なロングブーツ。部屋に入り コートを脱ぐと ノースリーブのキャミソール。その格好に ハスキーヴォイスで迫って来た。目くるめく時が 始まった瞬間である。美しいボディケア
2005/10/09
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文化の秋である。大きなコンサートの前は、やたらと夜が燃える。スポーツ選手も同じなんだそうだ。いつも寝つきがよいのならいいのだが、こういうときに限り、チャットで可愛い子に呼ばれて 長話。昨夜もそうだった。飛び切りいやらしい下着を着せて、時間を掛けて愛撫する。こういうときの相手は 堅い職業がいい。燃えているのである。
2005/10/09
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真面目一本だった私・・?・・も PCの購入によって人並みに なった。タダなのである。で 恋愛に全く縁のなかった私は 出会い系なるものを知る。当時は フリーシェアで確率の高いものが多々存在した。しかし 画像サイトなどと共に ある時期 一気に有料化されてしまう。しかも 本当なのかどうか怪しいものまで出てくる始末。プレーヤー仲間でも詮索している者は多く、情報は多かった。幸い 優良サイトのいくつかに辿り着く。そこでは 遠距離恋愛を何度も経験した。詳細は 後日に回そう。そんな中 どういうわけだか 女性を捜している男共との出会いがあった。オフ会である。で 情報交換。数は激減したが まともなサイトは現存する。懇切丁寧 会員の中には 有名人も多い。事実 私も そのような御仁から紹介していただいたサイトもある。困ったことに 最近、逆援助はいかがですか? とのメールも多い。こちらは 希望していないのに。本当なら嬉しいが まず 痛い目も見るのであろう。男性も女性も まともに生きるからこそ 少しの刺激を明日への活力として求める。それは 有りだと思う。皆さんは どうお考えだろうか?出会いの必需アイテム・毛皮の一品出会い系・・男性の必需アイテム
2005/10/08
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仕事で札幌へ行った帰り。もう次は最終便という時間。いつものように 空いている後部座席をチャージし 搭乗とともに いつもの席に向かう。長旅の友・官能小説あれっ?人がいる。しかも アテンダント。聞けば 博多からの乗務でフライトをしてきて、機体を交換して折り返し便で博多へ戻る予定だった。しかし 折からの大雪で 羽田から機体が到着せず しかも風邪の為 発熱をしてしまい、通常は制服での着席は許されないのであるが、大目に見て欲しい と 先輩 叔母様アテンダントに丁重に頼まれた。叔母様アテンダントの言うことなんて 裸で迫られても聞きやしない。でも 若きスッチーのいうことなら 犬にでもなれるのであった。可愛らしい声であった。ピンクのルージュ。自分のことを知り尽くしているセンス。そして制服の仕立てが花を添えている。制服大特集元気の無い 睦美と話しをしていて元気付けていると 毛布の下から手を握ってきた。えっ?毛布の下で 睦美の手が どのような行動をしていたのかは ここでは言えない。ただ 吐息が乱れ 頬が紅潮していた。当時の私の自宅は 京成線の勝田台。彼女が住む独身寮もそうであった。しばらく 一緒に住むことになる。世の中とは 何がどうなるのかわからないものである。下着姿の睦美も 最高であった。すべて舶来。たまに行く 横浜の高層ホテルで 夜景をバックにしたその姿は究極の美であった。今では、新幹線にもアテンダントが乗合わしている。私は 不思議と このような輩に縁があるのであった。
2005/10/07
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ある年の歳の初め。東京へ帰る 満員の新幹線の乗客となっていた。山陰の とある高校での吹奏楽指導を終え、八ヶ岳でコンサートをすべく帰郷の途についていた。当時、100系新幹線・・いわゆる2階建て車両を連結した 新幹線開業以来の0系モデルチェンジ車。2階建ての1階部分は、個室と普通車。しかも、2列シートながら普通車となっていて その指定をとっていた。その後急速に0系を淘汰してゆき 現在では、その100系さえも現存はしていないが、斬新な車両で どうしても乗りたかった。が、神はわたしの普段の行ないをよく見ているものである。山陰の倉吉駅を定時に発車した 我が特急「あさしお」は 鳥取を過ぎる頃から対向車の遅れで 定時運転が不可能になり、豊岡・和田山ではこちらが降雪のため列車が止まってしまった。進行方向の除雪が済むと 運転手が替わったのではないかと思うくらいの素晴らしいスピードで京都を目指し始めた。82系とは、こんなにも素晴らしい車両だったのか。亀岡を過ぎてなお、エンジンを全開にして終着駅を目指す。なんといっても 今日 私が乗る車両は まだ1編成しか走行していないのである。京都へは5分の遅れで到着。大荷物を背負い 山陰ホームから新幹線ホームまで一気に走り駆け上がる。と 乗り込む私の目の前でドアが閉まり 行ってしまった。えっ?このときほど 16両の1編成が長いと感じたことは無かった。リポ酸で「糖分」を脳の活動や運動エネルギーに転換!老化防止にはコレ♪10分後 いつもの0系新幹線到着。自由席の客となる。隣が女性ならいいのに。いつもながらのことを考えた。目を閉じて仮眠状態になっていると いい匂いの香水が・・「あっ 起こしちゃいました?」若く 屈託の無い笑顔がそこにあった。その年のミス和歌山・玲子である。矢継ぎ早に質問攻めに逢う。つい プロポーションについて聞いてしまった。すると 履歴書よりバストは大きく ウエストは細いのだそうだ。「確認してみます?」ドキドキしたが こういうときは すかさず 「ハイ」と言ってもいいものなのだろうか。玲子は東京で和歌山の観光キャンペーンをし、その後はもう紀の国へは帰りたくないという。列車は 5分の遅れを定時に戻し 東京駅に到着。前途を祝し、銀座で前祝をした。和歌山とはいえ、さすがミス・・周囲の視線を一気に集め 私も悪い気はしない。ホテルのスイートでの玲子は 素晴らしかった。はじめてが 14歳。ずっと 年上の男との遍歴。調教されるわけだ。「普通に戻りたい」と泣く彼女を 優しく抱きしめた。あくまでも透き通った肌。今では 1児の母として家庭を持ち麻布に住んでいる。ときどき連絡はくるものの、とうしたらいいものか・・それだけ素晴らしかったのである。こういう話・・あるものなのである。こんな女性とランデブー【Nar’s】コーティングペイズリーGスト
2005/10/07
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この話題になったら アクセスが増えた。そんなんかな・・と思う。世の中 様々な出会い様式がある。たった一度の人生を謳歌するためであるのだから 例えそれが出会い系であっても 私は それもありだと思う。今から10年前。仕事が途絶えた私は 先輩から紹介をされ、中古車の陸送の仕事をしていた。都心で新車としての役目を終えたクルマを 地方の中古車販売店へ運転して行く。私の担当は 八王子から 石和まで。冬の寒い日だった。その日は 石和の次は 小田原へクルマを引き取りに行く。師走の人気もまばらな石和の店の前に バス停があり 見ると 御殿場行きの文字。一日4本の便に 無理だと思っていた筋を垣間見る。待つことしばし、来たのは 観光バススタイルの いわゆる長距離仕様。甲府の街を抜けると ぐんぐんと高度を上げ、真っ白な富士の高嶺を間近に望み 御坂峠 篭坂峠を越えて行く。峠の上は 雪の世界。バスの中は たった3人の乗客。一人なのがとても寂しい 小さな旅なのであった。しかし 1200円という破格な料金で 御殿場に到着。と 駅前に 長身の美女が1人。田舎の老人ばかりの中に ワインレッドのレザーコートは 晴天の冬枯れの空の下に 場違いなほど よく映えていた。いいもの先取り・毛皮コート不謹慎な想いが 脳裏を過ぎる。まさかな・・急行「ごてんば」がある時間でもなく、国府津から小田原に出ようかと思っていた。時間になり 改札が開く。過去の栄華から逆行し、現在は単線となった 御殿場線は ほぼ中間に当たるこの駅で 上下の行き違いをする。と、件の美女がホームに現れた。沼津行きに乗り込んだ。私も乗り込む。何を考えているのだか。クルマの陸送をする格好・・とても女性と話す服装ではない。115系のボックスシートに腰を降ろす。一緒の車両に乗っていることに幸せを感じながら・・半自動ドアのエアが締まり 発車。溜息を憑きながらポケット時刻表を見ているとほのかに上品なコロンの香りが・・何と その車両に乗っているのは彼女と2人だけなのに 私の前に席を求めてきたではないか。「ここ いいですか?」「どうぞ」「時刻表を見せていただけませんか」「いいですよ」香織の表情は 悲しげだった。聞けば 彼女は三重在住。2ヶ月前に自衛官の彼と結婚。彼は 結婚式の3日後に 訓練で御殿場の駐屯地に移動した。それ以来 初めての面会であったという。別離を覚悟の 長旅であった。「抱いて欲しい」御殿場の駅前で まさかと思っていたことが 現実になろうとしていた。若い彼女の身体は 欲望の限界を遥かに超えていることは 女性の匂いがきつくなっている事でわかっていた。その夜 熱海に宿をとった。夫婦以上に燃えた。女性とは あんなにも大胆になれるものなのか。服が上品なら 下着もとてもエレガンスなものだった。幾度も求められ、ふたりで肌の温もりを意識しながら 相模湾の空が白み始めてゆく時間を共にした。熱海の新幹線ホームに上がる階段で 香織は 三重へ帰ることを頑なに拒絶した。号泣しながら 「一緒にいたい」腕を思い切り引き寄せ ホームに上がると こだまが発車のブザーを背景に佇んでいた。ドアに押し込んだところで 発車。これで良かったんだ と自分に言い聞かせて 小田原へ向かった。携帯電話が一般に普及していないあの時、初めて男を感じた。こんな時もあるんだと。下着で決める セレブな秋
2005/10/04
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久々の新横だった。ちなみに一人ではない。食事を求めて思案していると 何故か仙台の牛タンを思い出した。仙台に行くたびに 牛タン屋に入り・・当然の如く馴染みとなる。チャットで女性と話すようになり 初めて会うことになったのが 仙台。夏が好きな私は どうしても東北に縁が無かった。で 初めて自腹で東北新幹線に乗る。海の見えない新幹線。起伏に富んだ大地をトンネルを多用して突き抜ける。東京では乾燥した毎日でも 那須あたりは 雪と氷で寒々していて・・それでも 2時間余で 仙台に滑り込むのであった。ベンツを駆っていた志穂は 旦那に拘束され 諦めていた将来の中に 一条の光明を見出し・・しかし それが 彼女自身が招く 堕落の始まりになろうとは まだ誰も予想していなかったのである。人目を憚らず 改札前で 熱いキスをして別れる。ホームでの現実。新横浜では 15分の間に 何本もの列車が来るのに みちのくは・仙台は、1時間にたったの 2本。肌の温もりを回想しつつ グリーン車で帰った日々。そんなことを思い出しながら 新横の牛タン屋「舌朗」の暖簾をくぐる。以前は行列の出来ていた店。しかし 繁盛する時間なのに 客は我々2人だけ。味は以前のままなのだが 盛りが少ない。メニューにも 他の肉が幅を利かせている。牛丼に続き 牛タンよ おまえもか・・の心境なんか 出来事が変にリンクした 1日でした。
2005/10/03
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長かった夏が終わった。吹奏楽コンクールは 昨年 地区予選落ちをしたリベンジを 東日本大会への進出こそ逃したものの、その次点という、部員達も納得と満足のゆく結果を残し、終わったのである。歳を感じた。20代の頃、軽4輪で 日本中どこでも仕事や遊びに駆け回っていたのに、疲れが抜けないどころか、強烈な虚脱感である。久々に温泉に浸かろうと思った。翌朝、暗いうちから起き出し、中央高速を松本へ、そして白骨温泉の泡の湯へ直行した。以前 他の露天風呂に入ったが 例の入浴剤が発覚した。しかし、ここを取り巻く環境はいい。脱衣場で服を脱ぎ、広々とした露天風呂に直行すると・・・若いアベックばかりなのであった。「おい こらっ そこの若いの! ちょっと 密着度が激しいだろ!」小沢昭一の声が聞こえてきそうな 淫靡な雰囲気。賛否両論あるかもしれないが、岩肌に背中をつけると 苔の感触がするのも嫌であった。すぐに出る。髪も乾かないうちに クルマで乗鞍高原へ向かう。天高く 空あくまでも蒼き。気持ちよかった・・と言いたい所だが、翌日の自転車のロードレースに備え全国から自転車野郎が集まってきていた。運転していて 危険極まりない。乗鞍高原にも 私の好きな白濁の湯は幾つもあるのだが、運転に神経衰弱した私は 単純泉の 公的な保養施設に飛び込んだ。事務的な職員の対応。高い料理。味気ない カレーライス。出るのは溜息ばかりなり。でも 瓢箪から駒である。無色透明ではあったものの、浴室の落ち着きと静寂がよかった。開口部の広い窓からは 晩夏の日差しがさんさんと入り込み、余計な音の無い環境は しばしの疲れを癒すのに十分であった。しかし、今日は泊りではない。東京へ帰ろうという気と もう一箇所 気になっていた温泉に立ち寄ってみたいという気が混線した。結果はもちろん後者。8月最後の日曜日。帰りは遅くに高速に乗ったほうが 空いている。松本から 高速を長野方面へ走る。未だに篠ノ井線に蒸気機関車やディーゼルの「しなの」が走っていると勘違いしてしまうくらい 変わらない風景。しかし、現実は 工事の現場も見たことが無かった高速を当たり前の風景の一固体として 駆け抜けてゆく。善光寺平を眼下に高度を急降下させ、ナビに従い 松代インターで下りる。と 案内は 住宅地の中で終わった。東京都下と変わらない風景。ここに本当にインターネットで出ていた あの秘湯的温泉はあるのか。ナビが付いているのに 地域住民の若きお母さんに聞く。道が一本違っていた。「ナビの嘘つき」鉄分の多く含まれた真っ赤な湯。加賀井温泉に到着である。蜩が鳴いていた。内湯から 一度外に出て 民家の庭のようなところをただ掘っただけに見える単純な浴槽・・いや やはり穴である。初対面でも 懐かしさ溢れる会話が飛び交う。現地の人と 観光客との自然な触れ合い。と 若い女性が薄いタオルを纏っただけの姿でやってきた。内湯に肌が透けている。しかし、厭らしさを全く感じない。とても健康的な雰囲気であった。日本にもまだこういう温泉があるのである。秘境ににも秘湯が少なくなっている昨今、久々に音楽感を充電するに相応しい世界。今年も 飛びっきりの夏の思い出ができた。
2005/10/02
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しがない演奏者の私に 吹奏楽の指導依頼がきだしてからかれこれ20年になる。最初は嫌で嫌で 断ってばかりいたが、そうこうしているうちに歳を取ってしまった。関東大会への進出を導く毎に依頼が増える。プレイヤーとして専念したいのに。しかし、子供たちの嬉しそうな顔を見るのは いいものだ。音楽で賞取りをすることを 私は好まない。実際に そういうことに無縁ながら 物凄い音楽を持つプレーヤーはたくさんいる。現実では、若い女性でスタイルがよく、美人であれば、演奏が下手でも売れるのが日本。吹奏楽は世界的に見て 流行は日本固有のものに見える。海外では 儀礼的式典に際して または軍楽隊的存在が大きい。海外で 日本の学生バンドが注目されるのはこのせいだ。そして国内では、吹奏楽の世界を発端として 楽器業界が 音楽教育の世界が蔓延る現実もある。でも やはり 子供たちの音楽に酔いしれるいい顔を見るのは いいものだ。まもなく 関東大会の季節が始まる。吹奏楽の杜
2005/08/25
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またまた、間が空いてしまった。私が指導しているブラスバンドが、夏の大会を勝ち進んで 関東大会出場の権利を獲得したのである。西関東なのか、東関東なのか、ここでは触れないことにしよう。暑い夏 依頼を受けた私は、音楽室の冷房を極力切り、練習に励んだ。吹奏楽検索帳凄まじい進歩であった。金もかかった。そのために バイクを売った。でも ステージの上でとても楽しく演奏をすることができた。夏の日の思い出のひとコマである。
2005/08/24
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また出ましたね 鳥インフルエンザ 対策はこれで万全
2005/06/28
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デジカメランキング軽量モバイルPC検索帳バイクの広場ベスト焼酎セレクション・森伊蔵
2005/06/13
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はじめて 一人で水族館なるものに入った。こういうところは 成人はデートなどでいくものである と思っていた。プラネタリウムも 絶好のデートスポットである。なぜならば 天空の星を見るために 全座席が かなりのリクライニングをし姿勢的に周りからの死角が増えたのを良いことに 彼女へ・・・えー 話しを戻そう。串本海中水族館。海面から海中へ降りてゆく式の 半ば天然の水族館。しかし、これが結構よかった。完全人工のそれと違い あぁこれぞ海 という感じでも やはり一人は寂しいのであった。西日が気になりだした頃 今日の宿のある 紀伊大島に渡る。芸術的な美しさの 海上橋を走ると 分ほどで島に着く。携帯で宿を確認するのだが どうもよくわからない。それもそのはず その宿は島の床屋の2階なのであり、ホテルの看板などどこにも出ていないのであった。鍵の掛かっていない扉を開けると 理容の仕事中の中を通り 部屋に通される。黒潮通る 暑き島エアコンなど無く、電気も コンセント上にタイマーつきの料金箱があり1時間100円なのであった。しかし 考えてみると 橋が出来て 島が本土と繋がったのが平成11年。それまでは 電気・ガス・水道などは 真に貴重なものだったに違いない。その証拠に 沖縄と同じく 島の人口密度に似合わないほど ビールや清涼飲料水の自販機の台数が多い。それにしても この民宿の女将は 若くて美人であった。おりしも 夜は ささやかな港祭り。女将の浴衣姿にはグッとくるものがあり エアコンの無い紀伊大島の夜は長く 一睡もできず 参ったのである。そこで 夜の安らぎの友
2005/06/09
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高野山の駐車場のすぐ脇に その料金所はあった。料金を受け取りながら その老人は言う。この短い道に 今日は5台も出ちょる。天気もええで 絶好の稼ぎ時なんじゃなぁ気をつけんしゃいこのワインディングロードに ほんとにそんなに白バイがいるのか?高野龍神スカイラインは、紀伊半島のど真ん中を南北に貫く有料道路である。いつも無計画で旅に出る私は、今回も高野山の参堂を出てから地図を見て決めた。一気に高度を稼ぎ、そこからカーブの連続が始まる。山岳地帯の それも眺望を確保するために尾根を通るわけだが、県境を通過しており、そのたびに 和歌山県 三重県 というプレートが目まぐるしく変わる。下りストレートでスロットル全開にしかかったその時、後から静かに2台の白バイが私を追い抜いていった。冷汗。追い抜き様に白バイ隊員が私に投げかけた笑顔が忘れられない。目の保養コーナースカイラインの終点近く・・いるわいるわ大型バイクの集団が 一斉にスピードで捕まっていた。その脇を涼しい顔をして通り過ぎる。大体 日本の狭い峠道は 400ぐらいで十分だと思う・・と書けば僻みにも聞こえそうだが、400の方が取り回しは利くのである。バイク中古車の店ヘルメット便利検索帳
2005/06/07
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バスの排気ガスをヘルメットの中に充満させながら 急に周りの雰囲気に変化が生じたな と思ったら そこはもう高野山の参道入り口なのであった。特にバイク置き場などなく、自然と多数のバイクがおいてある場所へ置く。いつも思うが、こういう観光地だからこそ 有料のバイク置き場がないものだろうか。バイクはクルマと違い 荷物を後ろに括り付け、いちいちそれを全部持って観光する奴はいない。全くの無防備なのだ。観光バスやクルマは、ロックがかかるから駐車場の管理責任も半減する上に場所を取るから 駐車料金も 多少高くても皆 払うという算段なのだろう。ともあれ 大型のバイクに紛れて400を置き、歩き始める。考えてみると、バイクから離れて歩くのは、五条を出てから初めてであり足が 重い。ちょいと一息 コーヒーブレイクおもむろに 参道を歩き始める。いつもの悪い癖で、気が付くと 早歩きになっている。今日は仕事ではないのだ。日本人の悪い癖である。立ち食い蕎麦 早食い ラーメン店が悪いと言っているわけではない。時間に追われるばかりに 味わうということを忘れがちなのである。歩みを緩める。すると、視線が上がり、参道の周りの杉木立の なんと勇壮なことか。団体やグループ・家族が多い夏のこの時期、昼ということもあり 私はその間を縫い 独り霊験あらたかな雰囲気にいた。新鮮な空気、小鳥の囀り・・バイクに跨っているだけでは 決して得られなかった日本の落ち着きがそこにはあった。参道から少し離れたところの 至る所に 歴史上の有名著名人の墓所がある。分骨しているのだろうが そこがまた高野山の偉いところなのである。しばらく行くと 霊園に出る。といっても 一般の寺で見られるようなスタンダードなものから 豪いゴージャスなものまで様々であり 見ていて面白い。個人所有で立派なものは 大阪の方が多く その他 企業の慰霊碑も多い。別に操業中の事故とかを弔っているのではなく 盛業のお礼の意味があるのである。面白かったのは 日産。今は復活したが、当時は長いトンネルの中。墓石の前に ステアリングとターボのプレート ブルーバードのプレートにドアミラーが 置いてある。今は常識となったこれらの品々は、日産が量産車に初めて取り付け売り出した。やるじゃないか 日産。見事に復活を遂げた今となっては ささやかな思い出である。伊勢神宮と同じく あるところまでくると そこで一般人は終わり。でも その場所の思い出が全く無い。それだけ 参道の雰囲気が良く 私の観光地に対する考え方、ツーリングに対する考え方を根本から変えさせた 高野山なのであった。駐車場へ戻ると 回りに群れていた筈の大型達の姿はすでに無く、私の400が1台ポツンと 主の帰りを忠実に待っていてくれた。今日の泊まりの予定は 潮岬。これから高野龍神スカイラインという とても素敵な名前の道に 分け入ってゆく。高野山の特選情報
2005/06/06
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スタットレスタイヤを装着していた頃が 前回最後の記述だった。いろいろなことがあった半年であった。が 話題は唐突にも本題へ戻るのであった。私は元来、バイクという自由自在にどこでも行くことのできる鉄馬を操りわざわざ人の多い観光地へ行くことを嫌う。海外のリゾートでも ハワイより人の少なさでサイパンを選ぶ。その私が ある書籍に端を発し 高野山に行くことにしたのである。もちろん 目的は参詣ではなかった。マニアの間では有名なネコパブリッシングから トワイライトゾーンマニュアル書物が年1回出版されている。そこには いわゆる廃線跡歩きなどの内容などだが、初版から読んでいるとかつて日本国内の各地の山奥を網羅していた森林鉄道や軌道についての記述が多く記載され 私も興味を持っていった。日本における森林軌道は、東京に住んでいると東北・北海道 そして以外にも秩父や静岡など 首都圏から近いところにも最近までその運行がなされていた。奥秩父や塩山の山奥には未だにレールが残っているところがあるし、10年前に大井川鉄道の千頭駅脇にある営林署を覗いたら、ナローゲージの構内軌道が敷設されたままになっていた。前述の書物で意外だったのは 関西にも比較的多くの森林軌道が実在しており、その遺構が21世紀の現在もまだ見ることができるということだということ。今回 五条をセル1発で気持ちよく出発し、九度山から極楽橋にかけて いやまだそれ以降にわたり 国道から軌道跡を見ることができた。大阪から南海電車に乗ると 橋本を境に路線は急変する。20mの車両を拒み続け それこそ21世紀の高速大量輸送時代の現在でも 新造車両は17m級 (いまは18mぐらいになったのかも)が作られ続け 日本有数の山岳路線として車輪を軋ませながら その名も極楽橋へ向かう。この究極の山岳路線に沿うようにして 可愛らしい森林鉄道が走っていた。実際にバイクで走ると そこここに一見してすぐに路線跡とわかるトワイライトなカーブを描きながら山を登る道がある。五条を朝出ても 大阪名古屋方面からの団体がバスで来て ちょうどこの時間に列をなして山を登り始める。渋滞となるわけだが 目的がほかにある私には好都合なのであった。スケールの大きなインクラインもあった高野山森林鉄道だが、高野山の山門に到着して 今回は素通りせず 拝観してみようと気が変わった。高野山は 私の頑なな気持ちをも和らげるほど 霊験あらたかな山なのである。ちょいと一息 佐藤錦をどうぞ
2005/06/04
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400に乗るようになり、書店でもバイク雑誌を手に取り見ることが多くなった。新車情報やバイクグッツには興味は無かった。旅の手段が、ひとつ増えた・・という観点からである。時速100キロで走る。クルマや鉄道の場合、走行中に車内を移動することが可能であるから、体感的なスピード感はそんなに無いと考える。しかし、バイクの場合、原付の30キロであろうと大型の200キロオーバーであろうと、ステップからホンの数10cm足を下ろすだけで、そのスピードの世界が靴底を通してリアルに感じ取ることが出来る。時として恐怖感さえ覚えるが、1歩間違えば死と隣り合わせながら、運転を楽しむところに、バイクの良さがあると思っている。2度目のツーリングは、前述の雑誌に載っていて、行ってみたいなぁ とかねがね思っていた紀伊半島であった。通称 紀州路ツーリング。日本最大の半島。紀勢本線に電化の架線が張られてから、まだ20年経っていない。しかもその区間は全体のごく一部であり、まだまだ風光明媚な車窓を楽しむことが出来る。逆に言うと、それだけ過疎。名古屋から大阪へ向かう場合、新幹線か近鉄特急。マニアックな急行かすがでの、関西線まわり。キハ82系が健在だった頃、名古屋発紀勢線経由天王寺行きの特急があった。特急くろしお。全区間を6時間以上もかけて走破する、特急。西日本へは縁があり、繁茂に出掛けていたが、紀伊半島だけは未知の世界だった。雑誌を見て、気持ちに一気に火がついた。梅雨明けすぐ、週間天気予報が当分晴れという7月のある日の早朝。妻に見送られ、出来たばかりの東名青葉ICから一路西へ。いつも勘に頼って走る私は、この時も地図は例の雑誌を1冊持っただけの旅。三ケ日で高速を折り、渥美半島をひた走り、自宅から3時間半で伊良湖岬である。「椰子の実」のテーマとなった光景。なるほどな と思う。1時間の待ち時間で伊勢湾フェリーの客となる。鳥羽に着いたところで、参った。ろくな道案内がされていない。してあっても 伊勢神宮への矢印ぐらい。とはいえ、その日、私はどこへ行き、どこに泊まるのかもまったく決めていなかった。街外れを迷いながら走っていると、五条・橋本方面の標識。まだ三重にいるのに、関西にやってきたなぁ と実感する。私は どこか ずれているのである。広域農道のように、整備されたワインディングロード。が20分もすると、センターラインも無い畦道のようなへろへろの道に変身。心許無いことしきり。ただし、たまに出てくる古ぼけた国道標識や五条方面の標識を信じて走る。この道は伊勢街道であった。歴史と由緒のある道である。ところどころに江戸時代からの道標の碑が残り、思い出したように今は名も無き宿場を通り過ぎる。吉野へ分かれる集落は、特に旅籠の風情がそこここに残っており、格子の入った家々の中を細い街道が走る。西日が傾き始めた頃、五条到着。本当は橋本まで行き、南海電車で難波に住む、当時知り合ったばかりのネットの遊び仲間のところへ行こうかとも思ったが、止めた。旅の目的が変わってしまいそうだったから・・。昔は高野山詣で賑わったであろう旅館に泊まる。広い部屋に唯一人。窓は暗く、天井は低い。部屋数はたくさんあり、母屋から離れた私の部屋は、あくまでも静寂なのである。下駄を借りて街へ出る。駅は、必要最低限まで機能を縮小されたどこにでもあるあの光景。しかし、ここには壮大な構想と悲劇の頓挫に振り回された過去がある。国鉄五新線。撤去が始まっているところもあるが、古い街並みの中をコンクリートの橋脚が弧を描いて街の外へ伸びている。ここから新宮まで鉄道を通したとしても、果たしてどれくらいの利用客があったのだろうか。JRバスが橋脚の上を走っていく。鉄道ファンの私が、こうしてバイクやクルマでこうした光景を目にすることに矛盾を感じる。あと10年早く生まれていたかった。何も面白くない街、発展性のない街。しかし、だからこそ昔の臭いを残す街。明日はいよいよ高野山へ行く。ツーリンググッツ検索
2005/02/20
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歳を感じたなら バスなどでの ドアtoドアの旅がいいだろう。高齢者向けには看護婦が添乗し 一般向けにも 一見では入りづらい料亭で高級料理を食し 高級旅館の風呂を楽しめる。旅には、企画の楽しみがある。何をしに行くのか。自身へのメリットは?遠距離の場合飛行機を使うに限る。今や割引の種類も多様化している。ビジネスマンのように 気まぐれ的に旅をする場合でも ネット上ならば 前日の深夜まで特割のチケットが手に入る。空港からは レンタカーを使えばいい。大阪便の場合 空港バスは興ざめ。高速の混雑は知っての上の利用であり 料金も安い。しかし、シートピッチが狭く、また 携帯電話での会話があたりまえになっている。運転手の注意もない。上り下りはあるものの、モノレールで一駅・・蛍池駅から阪急で大阪に入るのが一番である。西へ向かう場合午前の便ならば 進行方向 向かって右側の窓側がお勧め。左側は 海は綺麗なのだが 下界は雨でも高度が上がると上空はピーカン。太陽が眩しくてブラインドを降ろす羽目になる。それに比べ 右側は 眩しいこともなく 富士山も拝めることができる。北陸便では アルプスの真上をフライトするから 新雪の3000m級は 感動物だ。新幹線の場合車両を選びたい。のぞみでは 700系が多くなってきた。しかし 500系のロケットのような円形断面は トンネルの中でのすれ違いでも 衝撃が少なく 何よりも 日本の鉄道車両史の中でも画期的な車両であるのだから。大阪や京都へ行くときに 彼女連れで いいところを見せようとグリーンを奮発するのがいる。指定席車両よりも雰囲気が悪い。一定していないのである。そして 携帯が至る所で繁茂に鳴り渡る。確かに会話はデッキで行なってくれる努力はしている。でも 会話をしながらデッキに行く。また 立場のある方は 知っている御仁と これがまたよく会うのである。料金も 高い。チケットショップでも高い。私は飛行機を多用する。マイレージがたまる楽しさもあるからだ。東北・上越新幹線の場合。新型車両はあたりまえになった。旅行会社で出しているビジネスプランを使うと 1000円程の上乗せで グリーン車が利用できる。こちらの場合は ビジネス客はあまりいないから お勧め。MAXの場合 車端部の階層に分かれていない席がいい。たまに車内販売が通るだけの 個室状態になる。静かな雰囲気を求める方には いい。最後に駐車場。空港や駅まで荷物のことを考慮すれば 当然クルマになる。東京駅の場合 新幹線利用者に限り 超格安のプランを設定しているところがある。丸の内駐車場。丸ビル地下の駐車場である。八重洲も行なっているが 割引率は 比べ物にならない。ただし ハイヤー会社各社が顧客の待ち受けにも利用しているので 早朝からの利用ではないと便が悪い。この場合 新幹線ホームへの移動時間は考慮すべし。羽田の場合民間の格安駐車場利用が当たり前になってきた。ただし 私のクルマのように セキュリティシステムを搭載していると メイン電源をオフにしていかねばならず 効力はゼロになる。ビックバードの駐車場も 割引が導入されたり 料金自体が引き下げられた。24時間泊めておいても たかが知れている。クルマの種類や大切度によっても 基準が違うから 個人の好みによるところだ。新横浜については 日記の初期のほうに記載されている。厳寒の北海道や鍋の中洲 冬も旅は楽しいものである。旅行便利帳
2005/02/03
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公私共にドタバタしていて、更新がおろそかになってしまっているうちに、訪問者の方の数が1000を越えていた。1000凄い数である。ちなみに 廃止直前の国鉄清水港線の一日平均乗降客数が4人である。凄い数である。大学時代に彼女がいた。といっても 片思いである。濃厚な付き合いをしていた元彼と別れ、もしかしたら ということで大学帰りの彼女を スズキバーディで追いかけていた。もう、これだけでも 適わぬ恋である。その彼女が 生まれ故郷の岡山の 当時四国へ渡る連絡船の港、そして造船の町として栄えた土地で リサイタルを催すと言う。同級生たちは 遊び心で 愛車のゴルフで、ベンツで、ジャガーで東名高速に乗っていった。スズキバーディでは 高速道路には乗れないのだ。でも スピードメーターは100km/hまで刻んであったのだが・・・コンサートの前日 東京駅のドリーム号乗り場にいた。これに乗れば 起きれば浪速の街である。はずであった。「東名高速で事故 通行止めにより 本日の運行を中止します。」とっさに 私の頭が マルスになった。この時間で大阪に行く方法。実は この時点で まだ九州特急があったのだが、貧乏学生の私の脳裏には全くかすめなかった。残るは、急行「銀河」と・・・もう即決であった。みどりの窓口へ走り・・こういう時は短い距離がえらく長く感じる・・窓口の係員に 「大垣夜行 グリーン1枚。」次の難関は この列車が普通列車のため グリーン車は指定となっておらず、自分で座席を確保せねばならなかったことである。発車の15分前になり 2両連結されているサロ165のうち僅かに開いていた座席・・もちろん若い女性の隣・・をゲットしたところで列車は発車した。犯罪発生率NO1のこの列車 バックはすべて膝の上に置いた。隣の麗しき女性には迷惑がられ、いつ「どちらまでですか」などと会話のきっかけを作ろうかと思っていたら 彼女は小田原で降りてしまい、代わって加齢臭漂うオッサンがドッかと乗り込んできた。人生 甘くはないものである。沼津あたりから快速運転になり 車内灯はとっくに半減されている。彼女とのことを考える。何を彼女に求めているのか。彼女は俺のことをどう思っているのか・・後者は愚問である。私のことなど何とも思っちゃいない。ただ 楽器の練習の虫であり 元彼と成績のトップを争っていたから 嫌ってはいなかった。いわゆる お友達なのである。大垣で饂飩を食べる。メニュ-にきしめんがあり 中京圏にいることを実感。20分の待ち合わせで 快速米原行きの乗客となる。鉄道ファンの私は この旅でもうひとつのルートを考えていた。私鉄乗り継ぎのルートである。小田急で小田原へ 豊橋まで国鉄を使い、名古屋まで名鉄。近鉄に乗り換え難波・・地下鉄・阪神・山陽電鉄で姫路までというルート。しかし、夜を過ごすためには国鉄乗車区間に夜間のスジがないことと 私鉄は単体だと当時は格段に安かったのだが、ここまで種類を増やすと えらく高いものとなってしまい、この計画は、敢え無く頓挫したのである。米原から117系の新快速で姫路へ。こんなデラックスな車両にタダで乗ることが出来るなんて 大阪っていいところだなぁ と思った。しかし 米原で見た近江鉄道の 得体の知れない車両群も、また魅力的だった。途中で朝6時に東京を出た新幹線が 風音とパンタグラフの摩擦音を残し 駆け抜けていった。俺はいったい 何をしているんだろう。東京に帰れば 親父やお袋に叱られるのは目に見えていた。でも これも青春なのである。姫路から乗った列車・・乗り間違えてしまった。しかも 長い乗車の疲れでうたた寝をしてしまった。気が付くと 線路が単線になっている。でも 乗っているのは111系。電化路線。前夜のマルスはどうした。なんと 普通列車なのに 車内販売がきた。すっげぇで ワゴンを押していたおばちゃんに聞く。これ どこ行きですか?「岡山行きだけぇ」ひと安心と思った次の瞬間赤穂まわりのなやっちまったでも コンサートの開場まであと6時間もある。ぼんやりと冬の瀬戸内を見やった。考えてみれば、はじめて見る瀬戸内海であった。付き合っている彼女であればともかく ポイント稼ぎにこんなにも無理をして 俺はいったいなにをしているのだろうか。自分のこれからの人生に メリットとなるのだろうか。考えても考えても デメリットにしかならない。自分の要領の悪さと自分自身に悔しくて 涙が出た。夕刻 岡山着。アナウンスの中に 特急やくも号米子行 とか鳥取行とかいう親父御袋の故郷の名前が入る。郷愁。すぐさま 宇野線のホームへ行き ぶどう色4連のなかで51系のクロスシートに座る。都落ちしても 王道の貫禄。釣り掛けモーターの音を響かせ 程なくして宇野に到着した。ここは数年前まで 玉野市営交通局の鉄道線が走り 近くの街に下津井電鉄というナローゲージの電鉄線があり 時間があれば廃線跡を散策し 電鉄線に乗車してみるところだが この日には目的があった。そのために来たのだ。駅員に聞いて 駅前で一番大きな花屋へ行った。なけなしの5000円を店員に差し出し、これで一番綺麗な花束をつくってくれ と頼んだ。40分の作業時間の間に夕食。路地を入ったところの提灯に中華そばの 大きな文字。関東ではラーメンと言うが 関西以西では中華そばになる。西へ行くに従い スープの色が薄くなり 徳山あたりから白濁し始め 小郡では完全にとんこつスープに変身する。牛乳の味も一変し 濃くなる。納豆をスーパーで買って食してみたが、糸は引かず 臭いもせず ただの乾燥大豆であった。一杯の中華そば。これから就寝までの展開が目に見えてわかっていたので辛かった。妙にワケギが大量に入り 四国が近いにもかかわらず ナルトのかわりに かまぼこが入っていた。期待しても仕方ないのに それでも餃子は遠慮した。タクシーに乗る。「市民会館まで」物凄く嫌な顔をされた。それもそのはずである。歩けば 3分のところにホールはあった。初めての地であるのだから 仕方ない と自分に言い聞かす。駐車場には 見覚えのある多摩ナンバーや京都ナンバーのゴルフやベンツがいて 知ってる顔がいる。会いたくなかった。恥ずかしくもあった。何故か?わからない。知人で満員御礼となったコンサートのエンディングが終わったところで 客席の前から彼女に花束を渡した。「後で楽屋に来て」気分はブラボーであった。「お前 ここへ何をしに来たんだ」楽屋で教授にいわれだ。まるで 私がいるのは場違いであるかの如く。そして 彼が歓談に戻ったその輪の中心に 彼女が輝き ベンツやポルシェの同級生達と 感想を述べ合っている。物凄く楽しそうに。だんだん居辛くなった。彼女が私を全員に紹介しようとしたその時 電話で声だけは知っていた彼女の父親が私を楽屋から押し出し、「よう 来てくれたねぇ。さぁ 君の宿は取ってあるから もう行きなさい。疲れているだろうから。」その目は なんで来たんだという目であった。輪の中の彼女と一瞬目が会った。終わったな と確信した。片思いでも終わったのだ。寅さんに出てくるセットそのままの木賃宿。一泊600円。 考えると 四国を回るお遍路さん向けの宿が 宇野と高松には多数存在するのである。でも私はお遍路さんでもなんでもなかった。翌日 快晴であった。宇高連絡船で四国へ渡り 築港から高松琴平電鉄の古い車両に乗り琴平へ。こんぴらさんへ行った。荷造りの下手な私は 大荷物を背負い 土産物屋の呼び込み連中からの預かりも頑なに断り あの長い階段に挑戦した。讃岐富士からの眺めは 壮大であった。その後 麺類にはまっていく私が 讃岐うどんの存在などつゆ知らず 高松琴平電鉄も反対側の志度線には まだ元阪神の小型車が幅を利かせていた。なぜ カメラを持参しなかったのか。それは 今回の旅がひとつの目的を持ったものであったからに他ならない。予定通り その目的は玉砕した。帰りは 気分を一新し、宇野まではホバークラフトを使い 岡山からは新幹線を使い 前日に20時間かけてきた道のりを 4時間で東京へ帰りついた。案の定 両親にこっぴどく叱られ・・本人は全く気にしていない・・スズキバーディをホンダのR&Pという5速のものに乗り換え 楽器も村松のスタンダードからフル装備のハンドメイドに換え、4年の卒業試験では トップと同点決勝をするところまでいった。今 大垣夜行はムーンライトと名を変え車両も特急用になりチケットはプレミアが付く。165系は運用から姿を消し 117系も花形路線から撤退をした。51系は夢のかなたへと消え去り 宇高連絡船は青函のそれとともに 地図から消え去った。新幹線は0系が姿を消し 何よりも 国鉄がJRになった。切ない青春のプロローグである。
2005/02/02
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あくまでも 私の場合であるが 多くの方に効果が期待できると思う。・毎年10月頃から 点鼻薬のフルナーゼを日に一度 鼻に噴 霧 ・秋口から甜茶の飲用を始める・夜は 泡立ちの良いシャンプーでしっかりと洗髪をする。・むやみやたらに薬を飲まない。効果が無くなるばかりでな く、思わぬ副作用を引き起こす。花粉症の市販薬は基本的 に劇薬・春一番が吹く頃に マスクを使用。・一度使用したマスクは、破棄する。マスクの外側は呼気の ために花粉など汚れた物質の温床である。春の辛さから逃れるためには、半年前からの準備が必要なのである。まずはお試しあれ。
2005/01/18
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重症の花粉症患者だった。まだ アレルギー性鼻炎と言われていた頃からの付き合いだった。その時期になって一番困ったのは、楽器を吹くとき。緊張をすると 不思議なもので、鼻の粘膜は和らぐのだが、感覚は腫れたままなので、演奏中に鼻水が出てきそうで心配極まりない。ディナーショーなどの仕事をこのためにいくつ断ったことか。バイクに乗っていても、風は走行中に向こうから鼻に入ってくる。フルフェイスを被っている時にくしゃみでもしようものなら 最悪なのであった。ある日の夕方、テレビを見ていると シジュウムのことをやっていた。何の気なしに見ていて チャンネルを変えようと思ったそのとき「このお茶は アトピーに効果があるのです。」へぇー「浴槽に湯を溜め 中で煎じ状態にして入浴をすれば 早くて3ヶ月で効果が出てきます。」ふぅーん「この湯気は 花粉症にも効果絶大なんですよ。おほほほ」・・・一瞬の沈黙がありなにぃ!入浴での呼気効果と煎じて飲む効果を紹介していた。しかし、販売店は薬ヒグチだけ。と 親父から電話がかかってきた。「おい、見たか」「見た。買いに行ったのだが物がない。なんとかならないか。」子供思いの父は、本当になんとかしてくれた。持つべきものは肉親である。ありがたかった。ただ このときに買ってきたのは シジュムではなく 甜茶。聞いたこともない品物を見て 大人気なく 激怒してしまった。このまま行けば 間違いなく近い将来私は蓄膿症になっていただろう。兆候はあった。大阪に腫れた鼻にノミを突っ込んで腫れを切り取る手術をする医師がいると言う。でも それを受ければ上唇の感覚を失い 楽器は吹けなくなっていただろう。で 親父はオーケストラの専属医師に甜茶の存在と効能を聞いてきた。それで「まぁ騙されたと思って飲んでみろ」騙されるのは 嫌である。私はこの2ヶ月前に横浜で倒れている。横浜スタジアム近くの洋食屋で 目当てのハヤシライスが出てきて食べようとした瞬間、ガス臭い臭いがして 目が回り倒れた。せめて 一口食べさせろ と真剣に思った。すぐに新宿の大学病院に入院。薬の血中濃度を一週間かけて調べた。私は仕事の時 移動で新幹線に乗る前とかに 花粉症の薬を飲んだ。 大量に・・・。市販の薬は 腫れた粘膜を治すものではない。炎症を一時的に抑える薬である。いろいろな観点から見て、朝や本番の直前に大量に飲んだ。気分の中ではいいらしいのだが。長島監督の医師団団長を勤める我が主治医の先生は、私から薬を取り上げた。劇薬なのだそうだ。風邪薬・鼻炎の薬品ともに指示の出たもの以外は禁止令。で 甜茶である。最初 こんなに不味い物が飲めるか・・というのが本音。でも 飲むうちに湯気が鼻から入り 変化が出てくる。ある日病院に行くと「私も重い花粉症でね。講義をしているときに洟はかみたくないんだ。大学教授が花粉症なんて洒落にもならないからね。で 耳鼻咽喉科の教授にいい薬が出たって聞いて早速試したら 効くよこれ。持って行ってごらん。フルナーゼという噴霧薬。特効薬であった。甜茶とフルナーゼで あれだけ苦しめられた花粉症から解放されたのである。あの苦しみは一体なんだったのだろう?フルナーゼを効率よく効かせるためには 半年前・・すなわち10月には 噴霧し始めるのがベスト。部屋には空気清浄機 加湿器 クルマには花粉除去装置・・あちらこちらに過去の遺物がある。しかし遺物になったのである。人により効く効かないはあるだろうが 是非試してみる価値はあると思う。
2005/01/16
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ツインカムでもないVRXを2桁の予算をかけて改造をした。見かけはどこも変わっていないように見える。タイヤぐらいか。しかし、電装品はすべてリニューアルされ、高速を100キロからでも 追い越しのための加速が可能になった。旅を始めた。最初は国道152号線走破。諏訪湖から 伊那谷をひとやま越えたところを走る ヒョロヒョロの国道。よく土砂崩れで通行止めになるという。日本のチロルと呼ばれるところを走り 遠山森林鉄道の起点を通る。鉄道のない町をひたすら走るのだが、その昔に山へ分け入る軌道は確かに存在した。そんなところに行きたかった。上を見れば 北岳の雄姿。急斜面にへばりつく畑と九十九折の道。それでも 日本なのである。鹿塩温泉に泊まる。鹿が傷を癒した岩塩の湯。確かにしょっぱい。風景が良かったわけではない。出会いもなかった。しかし、古き善き日本の風景がそこにはあった。駒ヶ根のソースカツ丼 伊那のロー麺大井川に出たところで152号線と別れ 寸又峡へ。ここにもその昔森林鉄道が存在していた。そこここに残る橋桁など。今も残っていたら 観光鉄道としてやっていけたのでは と思うのは 私だけか・・・。しかし、途中 汽笛1声やってきたC11は その姿を真っ赤に塗られ、トーマス君に変身していたのには 参った。この後 毎年 ツーリングに行くこととなる。それにしても 目的は食べることが多かったなぁ。
2005/01/15
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私が買うと、クルマもバイクも絶版車となってしまう。疫病神なのであろうか。新婚旅行は北海道へ行こう「バイクで」え゛っ! と思った。なにせ 当時の私は、バイクと言えば 原付免許しか所持していなかったからである。「なら 教習所に行けばいいじゃん」当時 すでに250のバイクを駆っていた妻は 早々に入校手続きはすべて完了していた。音楽をやっている私は スタジオから直に行くから ひとりネクタイ姿で教習所の待合に佇む。年齢もひとり30を越えていたから 誰も話しかけてこない。しかし、原付時代から 私はひとたびバイクにまたがると 精神が緻密になり 人が変わった。教官にはそれが意外に思えたらしい。2度ほど 「俺のバイクの後ろに乗れ」と言われて 教習所のコースを走ったことがある。ものすごい運転だった。わざとニコニコしていた。こういうときに怒っては 男が廃るのである。免許を取得しても どうせ400には乗らないだろうと思っていたから、私も教習所の中だけであったけれども 運転を楽しんだ。実技、満点だよ。次の日曜日、クルマでバイク屋に行き 妻は400のバイクを注文した。人事であった。「次 あなたの番よ」えっ?うちはなんてお金持ちなんだろう と意味のない喜びが満ち溢れた。妻が注文したのが、CB400 ブラックの最上級グレードだった。「わたしがスポーツモデルだから アメリカンがいいんじゃない?」アメリカンでもイタリアンでもなんでもよかった。下調べをしてきたわけでもなく、唐突に買うといわれ 誰が決められるものか。バイク屋に一任した。出たばかりの ロードスターモデルを推薦された。それがこの VRX400ロードスターである。エンジンはスティードと同じOHCながら、前傾姿勢のロードスターなのである。売りは 計器の中のランプに 初めて青色発光ダイオードが使われたことである。夜間のバックアップは とても美しかった。そして 片側2本マフラーから発せられる 独特の排気音が良かった。オプションをすべてつけてもらい、我が家には新車の400の2台とスクーター、そしてアイルトン・セナが宣伝をしていたスポーツタイプのクルマが勢ぞろいし、そのすべてがHONDAなのであった。若くなくしてバイクに乗り始めると 正直はまるものだ。このあとしばらくは ツーリングについての話題を続けよう。
2005/01/13
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ヤマハメイトと同じく ホンダのスーパーカブのスズキ版である。バイク雑誌の売りたし欄で 一人で何台ものバイクをひとつの欄で扱っている人がいる。商売をしているのだ。音楽のレッスンに通い、アルバイトもする時間がなく、常に金欠だった私は 5000円を握り締めて 総武線の市川駅に降り立った。携帯電話もないこの時代であったが 入り組んだ路地を1発で見つけることが出来た。昭和20年の街の姿が そこにはあった。いわゆるバラックである。トタン板だけで作った家。 中から出てきたのは なんと紋付羽織はかまで髭をたくわえた御仁。毛筆教室 兼 そろばん教室 兼 学習塾のオーナー。もちろん教室は1つである。奥から「長寿庵」と筆書きされたバーディを引っ張ってきて パンクのタイヤを目の前で直し、道に落ちていたナンバープレートをつけ 自宅に着いたら即座に送り返すように言われた。出前アタッチメントもついていた。取り外してもらったが。江戸川を渡り、大手町を通り・・こうしてキーを叩いていると、遥かな思い出が蘇って来る。50CCなのに スピードメーターは100kmまであった。原付の制限速度は30kmのはずである。大らかな古き善き時代。末期には、スロットルを全開にするとマフラーから何故か石が飛び出す痛快なバイクであったけれども、私はこのバーディで奥多摩有料道路を越え 江ノ島で粋なお姉さんをナンパしようとして逃げられた。古き善き時代だったのである 涙前述のロードパルは、元日の早朝に初日の出を見るべくして実家を出発したものの、矢野口からよみうりランドにいたるあの九十九折の急な登坂路の半ばでエンジンが破裂した。2ストロークエンジンには、エンジンオイルを補給せねばならないという事を知らなかったのであった。何という無知。修理を終えて快走していたら また「ボン」エンジンのシリンダーを間違えて逆に付けてしまったがために再びエンジンが破裂したのだそうである。ホンダの偉いさんが トラックに乗ってやってきた。この一件で新しい変速機付のバイクがほしくなっていたのである。たかが5000円 されど5000円。たいした故障もせず 次の5段変速のバイクに発展的解消をみた。黄色いジェットのメットにそれが何を表しているのが知らず 岡本理研のOKサインのシールをでかでかと貼り 野へ山へ走り回ったあのころが 懐かしい。THE スーパーカブ
2005/01/12
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高校生のとき、附属大学の先輩が信濃の国の出身で 夏に呼ばれて遊びに行った。当時の小淵沢から上田に至る国道はところどころまだ未舗装であり、関東近辺でこんな道がまだあったのかという田舎である。初めてスナックに行き 初めてカラオケを歌った。函館の女 オペラバージョンであった。温泉旅館を営んでいた御実家には1台のミニバイクがあった。ヤマハ パッソル。スクーターが出現するまでには まだ数年かかる。先輩のバイクと自転車を連ねて千曲川の河川敷へ。そこで 生まれて初めてバイクに跨った。それまでサイクリング少年だった私にとって 漕がなくても力をいれずに走る楽なもの。だが、悲劇は起こる。調子に乗りすぎて、バイクが川にはまり、水没してしまう。マフラーから大量の水が出で 先輩からは烈火のごとく怒鳴られた。意気消沈。でも これを機にわたしのバイク人生に火がつくこととなる。その年の秋には、東京・府中試験場で原付免許の試験に合格。あらゆる人からバイクを借りまくり乗り回す。スーパーカブのサスペンションの素晴らしさには恐れ入った。実家の前のお宅が所有していたロードパル・・いわゆるラッタッタを譲り受け、人生最初の愛車となるのである。ペダルでゼンマイを巻きそれを瞬時に解き放つことによりスターターとする。面白いメカニズムだった。そのオレンジ色の憎い奴で 山を越え谷を越えた。「ガソリン満タン」その一言を言うたびに 大人の仲間入りをした気分になったものである。武蔵野の実家から 件の先輩と 原付2台で江ノ島へ行った。夏の暑い日だった。七里ガ浜で青春していたら 大きな波がザブンときて エンジンが止まった。かからない。ガソリンが無いのだと思いスタンドへ。例の調子で「ハイオク満タン」メーターを見ていたら 0.5リッターで止まる。「50円」です。結局 どこからか麻縄を買ってきて バイクの牽引が始まった。前代未聞の椿事。調布まで戻ったところで ようやくエンジンがかかる。とにかくよく走った。このあとホンダR&Pと間をおいてスクーターのリードに乗り 一度 バイクから降りる。あぁ お袋と喧嘩しちゃぁ バイクで家を飛び出し、遠乗りをしたあのころ。次回は バイクが大きくなります。
2005/01/11
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PCを購入してはや8年。旅を計画するのも、今や時刻表よりもPCで検索をし、飛行機などは深夜でもチケットがゲットできるようになった。 駅の旅行センターへ行ったのは、もう遠い過去の話である。 連休最終日、久々に寝坊をした。いや 寝坊というと 聞こえが悪い。 目覚ましをかけずに寝た。 前々からHPを作ろうと一念発起していて、今日こそはと思っていた。 書店には数々のアドバイスを促す書物や雑誌が並んでいる。楽器が吹けてバイクも運転するのに、HPの制作は一向にはかどらない。 はっきり行って わかり易い手本がないのである。しかし、HPは 星の数ほど存在する。私のどこかが 何かを見過ごしているのであろう。 これだけで ひとつのタイトルが出来てしまうかもしれない。 嫌な予感は当たるものである。 もう 23時である。 今日もできなかった。 テンプレートだのテキストリンクだの・・皆さんは どうされたのであろうか。
2005/01/10
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鉱泉というものがあった。鉄道に興味を持つ私は、山梨という東京からそう遠くない地でありながら、森林軌道のみならず、軽石を採石する軌道まであることに胸を高鳴らせ、古地図を見ながら 無名の鉱泉マークを横目にしていた。 温泉法が改正になり、温度が低くても成分によって堂々と温泉表示が出来るようになった。 増冨などが温泉になったのは、このときである。実は、最近まで山梨の温泉に随分と疎かった。クルマで1時間のところに箱根があるせいかもしれない。バイクで遠乗りを始めたころ、グリップの太いバイクは手の甲から身体全体に疲労が蓄積する。休息の意味もあり 休憩地点をなるべく温泉にした。 近隣で走り回ったのが、八ヶ岳と箱根だったが、まず長坂のさきで「たがねの湯」というのを見つけた。 新しい 保養施設のそれは 薄いエメラルドグリーンの湯であり、何よりも 浴室が明るく、湯のヌルヌル感が珍しかった。お気に入りの湯となる。 続いて天目山温泉。 甲州街道の大和村から裂石へ上がる林道沿いに出来た 村民保養施設。 ここもヌルヌル感がすごい。いつの間に 山梨にこんなに温泉ができたのか。ただ ここは観光客でごった返すようになり、最近はご無沙汰である。紅葉の時期の平日がいい。 風景ならば フルーツパーク上にある ほったらかし温泉。とにかく絶景。ただし、泉質はあまりよくないと思われる。 忘れてならないのが 玉川温泉。実は 甲府には 寿司屋や住宅地の意外なところに温泉が湧出している。 豪華ではない。だから 彼女と2人で・・などと考えると最悪の結末もあり得る。 ひとりでのんびりと・・がいい。 甲州街道を国母立体で降り、田んぼの中をしばらく行くと風景にあまりそぐわないピンクの建物。 玉川温泉の特徴である。2つの浴槽があり 1つは循環 そしてもうひとつが掛け流しとなっており、洗い場へまさにジャブジャブと勿体無いほどの量が流されている。 炭酸泉。体中に泡がつき ヌルヌル感もあって 湯冷めをしない。ここは フロントのおばちゃんたちの人柄がいい。それだけでも 来た甲斐があったというものである。 残念なのは 風呂上りに食べる 美味いラーメン屋のないこと。コンセプトをしっかりしたものを国道沿いに出店すれば 行列ができること 間違えないのだが、勿体無いのである。
2005/01/09
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翌朝、十和田は相変わらずの猛吹雪だった。東北道への下山道のゲートが開くのが8時。ゆっくり千人風呂に浸かって待った。宿の従業員の方々の愛想相変わらず最高。また来たいなぁ。つくづく思う酸ヶ湯なのであった。リモコンのエンジンスタータでエンジンと室内を十分過ぎるほど暖め、クルマに乗り込もうとすると、玄関から宿の方5人ほどが雪掻きを手に手に持って「クルマを掘り出しますよ」丁重にお断りして、アクセルを軽く踏むと、雪の吹き溜まりから我がチャレンジャーがいとも簡単に のっそりと現れた。一同唖然。車体が小さく、かつ排気量が大きいからこそ出来た技である。若い番頭さんの 温かみのある津軽弁に見送られ、旅も一気に復路となる。妻が拘っていた乳頭温泉に行く。やはり目的は鶴の湯。ここは やはりメジャーになり過ぎた。本陣構えのつくりといいロケーションといい 本当なら最高なのであろう。しかし、混浴でもないそれは、老若男女が入り乱れ、温泉好きでもないのに鶴の湯は話の種に来ておきたかったというような場違いな団体も多かったのである。温泉旅館の番頭を経験したことある私であるから、これが宿にとって言いすぎなことはわかっている。しかし、ディスカバージャパンではないのである。その宿にとって、売りは何なのか。鶴の湯のような宿であるからこそ、明確にする必要性を痛感した。安くてリーズナブルなことが庶民的なのではないのである。雰囲気を守るためには、門戸を開放するだけでなく、本来の楽しみ方をしようとする客を守る必要性はないか。風情ある折角の内風呂も 入れ替わり立ち代り人が出入りするものだから 丸太敷きの床は濡れ湿り 不衛生ではないにせよ気持ちのいいものではない。若い娘さんが行き来する細い通路を 薄い濡れタオルを形だけ隠し露天風呂へ。いい頃合の温度。入って驚いた。底が砂利敷きである。どうやら 直接沸いているらしい。 湯に入っていて目をつぶっている分にはいいのだが、通路から若い女性がジロジロ覗いていくのは正直 いい気がしない。ここの湯を満喫するのであれば、やはり宿泊をして、日帰り客のいないときに入浴するのに限る。この日、妻は東京に帰ると思っていたらしい。食べているとき以外は寝ている幸せな妻。乳頭温泉から自宅までは、フルに走っても8時間はかかる。妻はいつでも幸せなのであった。泥湯に問い合わせた。はなから空いていることは期待していなかったのだが、ここの対応は酷かった。私の15年来の仕事上の友人が秋田にいる。千葉を引き払い、大館のボロ官舎に住んでいると知ったとき寂しいだろうなぁ 悔しいだろうなぁと察し、当時の愛車シビックのハンドルを握り、彼の元へ走った。このとき、彼は最大限のもてなしとして観光を選び、彼の地「泥湯」に連れて行ってくれた。初めて入る秘湯であった。まさに泥。でも 雰囲気は最高。それをいつも苦労をかけている妻に味わって欲しかった。しかし、電話の向こうからは 若い女性の冷たい応答。部屋は空いていた。しかし、宿のオーナーとの確認のために度々保留になるのだが、人が話していても勝手にメロディ音になってしまう。そして さも泊めてやると言わんばかりの驕った口調。腹がたった。15年の月日は、ブームを盛り上げ、風情を消し去るものなのか・・。いやいや 酸ヶ湯のような庶民的で客の安らぎを率先して考えてくれる宿もあるではないか。泥湯に泊まるくらいなら、ホテルチャレンジャーでいいと思った。大阪で買った「旅行読売」の表紙の裏に 全国にある いこいの村 の地図があった。今 問題になっている アレ である。でも赤字経営ということは、裏を返せば空いているかもしれないということなのかも。いちかばちかで電話する。部屋は空いていた。しかも 部屋の価格を安くしてくれるという。ただし、途中の除雪が心配ということを連呼していたのだが。一関ICからナビを頼りに 初めての道をひた走る。かつて くりはら田園鉄道が、栗原電鉄と言っていた時、その架線が赤字のための動力転換のために切られると知り、幼馴染と写真を撮りにきた。多分 近くまで来ていたと思ったのだが、ナビの画面には 鉄道の印は出てこなかった。途中、ウサギは出てくるは 狸は出てくるは・・そのうちに道幅が急に狭くなり 坂が急になる。そして ついには全く除雪の入っていない新雪路を走ることとなる。20分後 山の中には不釣合いの 立派な宿泊棟が見えてきた。料理は魚ありステーキありで 部屋も綺麗で広く、今回の旅の中では一番綺麗なところであった。大浴場もとてつもなく広く しかも他に客がいない。しかし 浴槽の泉質がどうもおかしい。泡の立ち方が変である。効能書きを見ても 飲用不可 たぶん 循環させているのであろう。 しかしながら 宿泊施設としては料理も含めて及第点である。4日間で走行距離1725km。エンジンオイル添加剤も 帰宅して以降 効き目が出始めクルマはすこぶる快調である。旅の目的は何なのか?行列の出来る宿の理由など、旅の原点を知ることが出来た貴重な時間であった。
2005/01/04
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豪雪の中、3500ccのエンジンは、新雪の急坂をものともせずに登坂してゆく。路肩には除雪用の道路標示用ポール。しかし、これがなければ白一色の中での運転はかなりきつい。途中、ゲートがあり、酸ヶ湯への道は夜間通行止めとのこと。妻によれば、通過したのはその1時間前。ゾッ夕暮れの山の上に古びた、しかし大きな木造の建物。酸ヶ湯温泉への到着であった。クルマを降りて目を見張った。雪は降るものと思っていた。そこかしこから、雪煙となり荒れ狂っていた。映画「八甲田山」のワンシーンがそこにはあったのである。酸ヶ湯温泉株式会社。全館木造であり、千人風呂が有名。客層は夏はともかく、スキー客、冬山登山客、湯治客など様々であり、それらを一気にさばくため 木造建築にしてはロビーがかなり広い。従業員の接客がまたいいのである。鳴子から黒石までは良かったが、そこからの登山道ははっきり行って疲労困憊であった。しかし、番頭氏も仲居の方々も笑顔を絶やさず、すれ違いざまに、必ず 「ようこそ」とか「こんばんわ」とか声を掛けてくれた。これはどんな職の従業員も同じ。部屋は、やはりトイレなしの古い部屋。古びた部屋ではない。ここをお待ちがえないように。廊下は、広めの板を張り詰めたものだが、とにかく美しく磨きこまれている。まさに隅々までとはこのこと。部屋にしても同じであった。トイレも床はリノリュームに張り替えられ、臭気が全く感じられない。風呂に行く。疲れを取りたかった。身体を洗えるのは、それ専用の玉の湯。しかしながら、その浴槽は大人4人が入れば気を使う狭さ。後で入る千人風呂に期待を寄せて、早々に退散。ここは、強酸性なので身体を良く流さないと石鹸やシャンプーの泡がたたない。これアドバイス。食事の後、いよいよ大浴場へ。脱衣場は男女別だが、中は混浴という、よくある東北スタイルである。しかし、最近は不届き者が後を絶たないのか、浴槽の真ん中で男女の仕切りを促す表示がある。これでは 混浴ではないではないか。責任者出て来いっ!怒っても仕方ないのであって・・。でも、とても残念なことである。女性が湯浴み着を着て湯に浸かるなどというのはもってのほかだが、こういう場で、初対面の者同士が、湯に浸かりながら世間話をしたり、人生の語り部を聞いたりするのがいい。誰も ワイパー付の赤外線メガネなどかけて入ってくる変ちゃんはいないのである。ただ 湯に浸かっていると後ろの湯瀧から なにやら乙女の声がする。のぼせ防止の冷湯を頭からかぶるために、湯船から出て振り返ると その女性と目が合った。しかし、隣には太目の男がいてその隣にもう一人若い娘がいた。3人で肩を寄せ合って。打たせ湯は大浴場の中には、男性エリアの後ろにしかないから まぁ仕方ないのかな と思っていたら、3人が一斉に千人風呂に入ってきた。もちろん女性はそのエリアの方に移動めされていったわけだが、なんと件の男もついていって 挙句の果てには女性エリアの湯煙の中に消えていったではないか。おいおい、それじゃぁ 大浴場ではなくて 大欲情だよって・・その娘も湯煙で何も見えないのに、タオルで執拗に身体をガードしていて・・そういう連中にははっきり言ってこういう場所に来てほしくはないと痛感した。雰囲気も台無しになってしまう。さて、この千人風呂、そこは板敷きでそこに隙間があり、どうやら源泉の上に直接浴槽があるらしい。で 口内炎治療を実践。ところが うがいをしたとたん、歯がボロボロになる感触がして、折角治りかけた口内炎が滲みる滲みる。しかしながら、翌日までのチェックアウトまでのあいだに合計10回の湯浴みをしたのだが、呼吸器系は頗る調子がいい。部屋には、広さにそぐわない大きなガスストーブが置いてある。暑いのであるが、夜は一変して寒くなる。午前3時。この夜何度目かの湯浴みをしようと部屋を出て トイレに寄った。作業着を着た宿の方が「おはようございます」見れば、雑巾をしぼり、トイレの床の隅々を手で拭いている。学校でも今はモップを使っているはずである。恐れ入った。安くはない代金を頂戴しているから当然 と言われればそうでもあるが なかなか出来るものではない。酸ヶ湯温泉のすばらしさの原点を知った。楽をしては結果はでない。酸ヶ湯の人気は、泉質や大浴場の風情だけではなく、このような客を大切にもてなすという従業員のポリシーから来るものなのである。鳴子のゆさやにこの精神が少しでも移れば あの旅館は大きく変貌するであろう。細かいことであるが、階段など滑りやすいところには、お決まりのように防炎加工のしてあるカーペットが敷いてある。しかし、定期的に換えている節が見られ、高価なものではないにせよ、踏み心地といい、見た目といいとても気持ちが良かった。また、全館木造ということもあり、サイレンや非常時関係の設備は完璧であり 安心して泊まることができた。翌朝、吹雪であったが、午前8時には除雪隊が上がってくるということなので、またまたゆっくりと湯に浸かり、次の目的地である乳頭温泉へ向かった。温泉便利検索帳
2005/01/03
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鳴子の朝は、降ってはいないものの、結構な積雪であった。2度の朝風呂で身体を引締め、いざ出発。番頭と仲居の寂しい見送りだったなぁ。古川ICから高速に上がるころには、雪もすっかりと消えていた。ここから盛岡IC経由で一路小岩井農場へ。2年前、仕事上のトラブルから失意のどん底に墜ち、妻に情けない顔を見られたくないものだから 夏に20日間家出をした。あても無い4000kmの旅。OHCエンジンのバイクであったが、非力をトルクアップしての出発。日が西に傾くころに小岩井農場の脇を通った。時間が早ければ、絶対に寄っていたところ。妻に多大な迷惑を掛けること承知の旅であったため、遠からずそのうち2人で来ようと決めていたところであった。冬の小岩井農場。閑散としていた。夏のスキー場のような静寂が 私は好きだ。土産物もどこにでもあるようなありきたりのものではなく、きちんとした小岩井オリジナルがたくさんあり 雰囲気もよかった。ジンギスカンを食し、今宵の宿を探す。乳頭の鶴の湯は、当然満室。しかしながら 丁重な断られ方に 気持ちが和む。風呂だけでも入りに行こうと決めた。さて、妻は助手席で寝ていたが、一度 八幡平に行きたいと言った。松尾鉱山鉄道亡き後、私は八幡平には興味はなかった。それよりも 数年前から除雪車が入り、クルマで行くことができるようになったという八甲田の酸ヶ湯に行きたいと思ったが、ここも人気の温泉宿なだけに、駄目元で電話をしてみた。「空いてないですよねぇ」ところが 普段の行ないは功を奏するものである。 部屋が空いていた。即 予約。滝沢ICから再び東北道の人となり、レーダー感知だけ気をつけ、クルマをぶっ飛ばす。松尾八幡平を過ぎたあたりから雪になるが、愛車チャレンジャーは快適にワインディングをするのであった。今回のドライブには、ひとつの目的があった。深夜の通販番組を何気なく見ていると、エンジンオイルの添加剤の説明をしていた。レーシングドライバーやクルマに詳しい御仁が出てきては 効能をしゃべくっていた。2本で9000円。安い買い物ではない。私のクルマは平成12年モデルの三菱チャレンジャー タイプXRである。それまでHONDAのクルマを乗り継いできたが、エンジンは御機嫌なものの、塗装が悪くて話にならない。当時の仕事の仲間が、「お前にはこのクルマが似合ってる」の一言で決定。ネットで形を確かめ セールスマンを紹介してもらい「これください」しかし 納車時のクルマはモデルチェンジが施されており、フロンとマスクもインパネも私が見たことも無いクルマなのであった。車体が重いから燃費は悪い。しかも フルタイム4WDの5速オートマである。GDIエンジンだということに望みを繋いだが、燃費悪く加速悪く しかもアイドル時にエンジンの振動が伝わってくる。ひとつでも解決したいと思っていたときに このブリスリキッドベアリングを知ったのである。過酷な条件の中 2000km近くを走破するのであるから 試すのにはもってこいであると考えたのである。入れてすぐに劇的な変化が無かったのは寂しかったが、高速に乗る加速車線や長い登坂道では スムーズに加速するようになり 燃費も向上した。私は表立ってはクルマは原型を留めている。変更点は 電装関係強化。寒冷地仕様。強化ショックへの交換・オーディオのハイエンド化である。これにより ゲート閉鎖1時間前に黒石から酸ヶ湯までを激走したが まことに楽しいドライビングであった。 このクルマ、ハジェロやプラド 現行サーフよりもボディが小さいのに エンジンは3500ccの強力なものを換装している。であるから新雪の悪路でも 自由自在に走ってくれた。映画「八甲田山」のワンシーンさながらの雪煙舞う登山道を快適に走ってくれた。腐っても三菱なのである。このクルマ・・私が購入をしてほどなくして、絶版車の仲間入りをしてしまった。普段1人で運転するのに3列シートは関係なく、車高も2.0mのガードなら楽に通過できる。考えてあるクルマなのである。ただし 値段が張るのに、インパネなどがギャランと同じというのが玉に傷なのであるが。オイル添加剤の効果は徐々に出てきた。優れものである。エンジンオイル総合カタログカー用品検索便利帳
2005/01/02
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情けない話、年末に過労で倒れた。風呂に入っていると重心が定まらなくなり、気がつくと救急隊がいた。自宅に救急車がきたのである。なぜここまで働くのかと言われたが、誰も倒れることは予想していないはずである。ショックであった。情けなかった。何とかせねば気持ちの切り替えができない。以前から セブかプーケットに行こうと言っていて、妻とのスケジュールが合わずダラダラしていた。普通、こういう時、家族は健康を気遣い、家にいることを勧めると思う。しかし、妻が積極的であった。出発の前日、自分にやけになっていた私は、旅行など現実のものとして考えてもいず、ひとり大阪へ遊びに行っていた。そのため、荷造りに時間がかかり、午前0時から4時の間、高速をETCで通過すれば3割引なのに、起床したのは、午前5時をまわっていた。普通、旅をするときは、リーズナブルながらその中で最高のものをチョイスするから、宿の選択なども時間をかける。だから、都内や箱根、名古屋・大阪のホテルには詳しい。南紀白浜の高級リゾートホテルには、1部屋2万円以上は使っていない。今回は前述の通りであるから、まことにいい加減極まりなかった。どこに行こうかわからない。ただ、妻が八甲田だか八幡平に行きたいというから、ネットで適当に引き出してプリントアウト。ただし、このプリントアウトが、後々とても役に立つことになる。後は、コンビニで適当に見繕った雑誌を2冊。東名川崎ICまでの道は、混んでいた。ただし、仕事ではないのである。急ぐことは無い。高速に乗ったのが午前6時。今日の目的地を小岩井農場とする。竹橋を過ぎるとクルマの流れが変わり、空いてきた。タイヤはスタットレスだから、下手に飛ばすと角が減る。だから、煽られても抜かされても、若いときのようにレースはしない。白河を過ぎても雪はなく、快適な道すがらなのだが、ここ数日の遊びが祟って、猛烈に眠い。もともとが2時間おきに休んでいたが、この度は休むたびに睡眠がはいった。とてもしっかりと。その結果、昼になっても郡山である。ラッキーだったのは、磐越道は右も左もチェーン規制がかかっていたのに、真ん中を突っ切る東北道は雪さえも降っていなかった。ここで、コンビニで買った雑誌登場。温泉が肌触り別に分類されている。目に留まったのが、ヌルヌルうなぎ系温泉。その浴室の写真も風情がありよかった。ヌルヌル系の温泉は、山梨の天目山温泉、たがねの湯、玉川温泉が凄かった。それで満足していた。そして雑誌が賞賛していた鳴子温泉は、温度が低いと聞いたことがある。以前、足を痛めた折、増冨ラジウム温泉に行ったのだが、温泉というより鉱泉のそれは温度が低く、結果風邪をひき散々な目に遭った。でも、時間的なことを考えると悠長なことは言っていられない。仙台ならロイヤルパークホテルやニューワールドホテルなど、価格の割りに部屋の広いホテルを何故か知っている。何故か・・だったが、隣に妻がいたこともあり、止めておいた。古い宿であった。食事もひとり1万円にしては・・・である。ただし、共同ではあるものの部屋を出てすぐのところにあるトイレはリニューアルされており、悉く清潔極まりない。大便器もTOTOのしっかりとした新製品が備え付けられており、ウォームレットウォッシュレットである。強いて言うなれば、ウォッシュレットがリモコン仕様でないのが惜しまれる。客は高い金を払いリラックスをしにくる。そういう細かなことが客を呼ぶのである。ゆさや旅館・・鳴子でも老舗の温泉宿である。宿の大浴場に入ってみた。雑誌のとおりである。当たり前のことだが、本来はこの発想がいけないのだろう。ヨーロッパの旅人は日本人のこの感覚を嫌う。点から点のポイントだけを満喫する日本人のスタイルに対し、ヨーロッパの旅人は移動中の車窓も旅のうちという考えを持っている。基準を自分に戻し、改めて大浴場。2つの浴槽がある。ひとつはより濃い源泉なのであろう、水道からホースが引いてあり、水でうすめている。大きいエメラルドグリーンの湯に入る。熱い!温いのではなかったのか。よく見ると注意書き。「表面が非常に熱くなっておりますから、十分にかき混ぜてお入りください。」納得。近くにあった家庭用の掻き回し棒で、表面と底面を万面無く掻く。すると、丁度よい温度になり、ゆっくりと入る。硫黄の臭気がする。しかし、ヌルヌル感はない。してやられた。見た目はトロリとしている。しかし、前述の山梨の温泉には程遠い。年末に倒れたとき、意識を失って顔面から倒れたのであろう。口の中を結構切っていた。タオルが血まみれになったほどである。大阪へ行き、疲れが功を奏し、その傷がすべて見事に口内炎になった。顔の形が腫れで変形したほどである。温泉に浸かりながら、急に飲用の効能という文字を思い出し、湯を口に含みうがいをしてみた。痛いだろう 滲みるだろうなぁと ビクビクものであったが、思うように食事が取れず、膿が口をまわり悪循環であったので、藁をも掴む思いであった。滲みない。しかも、うがいをする度に痛みや腫れが見る見る引いていく。嘘だろ ?紛れも無い事実なのであった。風呂に入る前には顔半分が腫れていて、夕食が憂鬱だったのに、部屋に戻ったときはルンルン気分であった。ゆさや旅館は古い旅館である。その建物は、何でも文化財に指定されているのだと、妻が聞いていた。勿体無いポイントがいくつもある。・料理がありきたりであり、宿の料金にそぐわない。・階段などのカーペットはいつ変えたものなのであろうか。客にとって建物の古さは気にならなくとも、メンテナンス の仕方で客をどう見ているかが判断される。・折角良い泉質の浴室を持っているのに、洗い場の前のタイルが取れたまま放置してある。 硫黄泉だから鉄類や石類に手がかかるのは当たり前である。勿体無い。・客は我々1組ではなかったにせよ、仲居が1人。しかも接客教育がされていない。 ならば、なぜ女将が出てこないのか。食事の後、大浴場は女性用となるので、無料券をもらい、隣の滝の湯に入ってみた。造りはゆさやのそれより古く、風情がありよいのであるが、泉質はゆさや旅館の大浴場のもののほうが断然いい。ちなみに口に含んでうがいをしてみたものの、口内炎は云とも寸とも変化なかった。宿の湯から上がると肌がいつのまにかツルツルしており、雑誌のトップを飾っていたわけがわかった。翌日、鳴子は大雪であった。大阪で口を痛めながらお好み焼きを食べたのが嘘のように 腫れもほとんど引き、東北道を一路、岩手に向かい快走である。ゆさや旅館・・その気になれば全国でも有数の行列のできる旅館になるのに・・・。
2005/01/01
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前回から、大分間が開いてしまいました。その間にも、新潟中越地震など、書きたいことのあらゆることがありました。しかし、それもすでに過去のこと。初心に戻り、旅関係を書きます。この年末に、クルマで東北の温泉巡りをしてきました。明日からは、まずこのことから再開です。お楽しみに浴衣でGO
2004/12/22
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少し間が空きました。今日は新横浜駅へのアクセス方法についてです。東海道新幹線が開通したとき、夜はラブホテルのネオンしか見えず、辺鄙な場所に駅を作ったものだと思ったものです。私も結婚し、住まいを神奈川に移してから、新幹線の乗車駅は東京駅から新横浜駅へ移ったのです。東京駅もメリットはありました。新丸ビル地下の丸の内駐車場は、新幹線利用者は、その使用済み特急券を持参すれば、極端にお安くなるサービスがあります。これには老舗の八重洲駐車場は太刀打ちできません。さて、新横浜に話を戻しましょう。この駅は、北口と南口でその表情を大きく変えます。24時間上限ありは、最近はリバークなどでも御馴染みになってきましたが、新横浜篠原口・・・ここは穴場です。南口に通じる道はどれも狭く、ただそれだけ通れる車に制限もあり、駐車場も満車になることが少なく、また24時間料金も安く設定されています。 さらに、マル秘情報!皆さん、のぞみに当日券で乗るとき、みどりの窓口で、モニターに映り刻々と変わり行く発車時間・空席状況を見ながら「早く自分の番になれ」とイライラしながら待つことも多いことでしょう。それが、新横浜篠原口についてはちょいと状況が違います。 篠原口の階段を登るとしょぼいみどりの窓口があります。しかし、そこでチケットを購入してはいけません。入場券130円かかりますが、改札を抜けるとすぐにJR東海のカウンターがあるのです。窓口が2つしかない小さな窓口ですが、ここでチケットを購入する人は少なく、まず並ぶことなく楽にチケットが買えます。新横浜特選街
2004/09/12
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日頃から出張の多い大阪。自宅近くの新横浜に車を置き、新幹線で大阪へ。値段も高い。そこでお勧めなのが、納得大阪日帰りコース。早朝と夜ならば、特割で10,000円以下。車は空港近くならば格安駐車場も多く、またこの夏より、ビックバード内の駐車場も割引制度が開始。関空からは南海のラピートに乗ろう。できたら200円足してスーパーシートへ。普段なら貸切状態。大阪市内へのアクセスは途中の天下茶屋で市営地下鉄に乗り換えるもよし、終点 なんばからなら 近鉄もアクセス。最近、いい話の絶えない関空ですが、大阪⇔東京往復なら穴場のコースです。格安航空券情報
2004/09/04
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