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2007.01.09
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カテゴリ: 思い出話
年末年始に世界一周して帰国したトイモイさんが、連続でアムステルダム官能の 旅日記

いまから19年前の1988年、ボクは大学4年次を休学し、ブラブラしていました。

4年生に進級する時点でボクは単位数も足りており、そのままでいたら大学を比較的優秀な成績で卒業してしまうところでした。しかし、大学のサークルの後輩であった 鰻坂ワタル 心斎橋ワタル らと始めたバンド活動は本格的になってきたし、伸ばし放題の髪の毛は肩に届きそうだし、春・夏・秋の間は半ズボンしかはかないし、とてもスーツを着て就職活動などできる状態になかったのです。

…で、大学に休学届を提出する際、ボクは「休学の事由」の欄に「短期留学のため」と書いておきました。
ボクの母校は、休学する場合でも学費を全額納めなければいけないことになっていたのですが、休学事由が病気や留学であれば、休学中の学費が半額免除になったからです。

「短期留学」というのはもちろん休学の口実であったわけですが、決して大学をダマすつもりではなく、まあ、休学中に数ヶ月も語学学校に通っておけば、大学から咎められることもあるまいと思っていたのでした。


ボクは慌てて、「…いま、手続きの最中で、もうすぐ渡英する予定です」などと出まかせを言って、その場をしのぎました。

気の弱いボクは「そろそろホントに留学しないとマズい、学費の残り半額を請求されたら困る」と思い、次の日、 (いざというときのために)帰国子女の女友達のアパートを訪れ、『地球の歩き方』に載っていたイギリスの英語学校に国際電話して、口頭で「入学許可」を申請しました。それがボクの「留学準備」でした。

それから1週間かそこらでその語学学校から入学関連の書類を受け取ったボクは、スイスのチューリッヒ発着の格安チケットを入手し、9月の下旬になってようやく欧州へ旅立しました。現在はどうか知りませんが、当時はロンドン行きの航空券よりも、いったんスイスやドイツにランディングし、電車でフランスやオランダに移動してそこからフェリーでイギリスに渡った方がまだ安価に済んだからです。

よく覚えてないのですが、ボクはチューリッヒ空港からアムステルダム行きの切符を買って電車に乗りました。よく覚えてないのですが、たぶん『地球の歩き方』に、アムステルダム周辺からイギリス行きのフェリーが出ているようなことが書いていたのだと思います。

...で、前フリが長くなりましたが、こうしてようやく到着したアムステルダムは曇り空で、とても寒かったのを覚えています。日本はまだ残暑でしたが、こちらはもう霧が出ていてコートがないと寒いくらいだったのです。街の雰囲気も活気が無く沈んでいて、ゴミゴミした感じがしました。何かの本で、アムステルダムはヨーロッパの北の果てであり、南から北へと伝播して行った文明がたどり着いて停滞し沈滞した場所がアムステルダムだといった意味のことを読んでいたせいか、あんまり印象が良くなくて、長居したいとは思いませんでした。

駅前を歩きまわって『地球の歩き方』に載っていた安ホテルを探しあて、レセプションでドミトリー部屋を頼みました。何と言って頼んだのか覚えていないのですが、たぶん『地球の歩き方』に載っている英会話フレーズをいかにも流暢っぽく読み上げたのだと思います。ホテルのレセプションの男はそれに対して英語で何たらかんたらと返答しましたが、ボクにはそれが聞き取れませんでした。

ボクがそのとき慌てたのは、その英語が聞き取れなかったことよりも、そのオランダ人の英語がイギリス人のネイティブと区別がつかないくらい流暢だったことでした。前年インドをブラブラしたときに会ったドイツ人などとしゃべったときは、スピードといいたどたどしさといい、「ヨーロピアンといえども日本人の英語とたいして変わりないじゃーん」と思ったものですが、オランダ人の英語は当時のボクの耳にはネイティブと区別がつかなかったのでした。

翌朝、昼近くにドミトリー部屋で目を覚ましたら、いつの間にか隣のベッドにヨーロッパ人の青年が寝ていました。ボクが目を覚ました様子を察したのか、ベッドの中でムクムクと上体を起こした彼はボクに「グッド・モーニング」と挨拶しました。ボクもいちおう「グッ・モーニン」と精一杯流暢に返答しました。すると彼は、時計を見て昼も近いことを知り、たぶん「もうモーニングじゃなくてそろそろアフタヌーンだよね」というようなことを言ったようです。

ボクはそれに対して何か気の利いた返事しようと思ったのですが、何も言葉が出てこなくて、テキトウにニヤニヤしていました。彼はボクから何のレスポンスもないので、「なんだ、この東洋人、英語がしゃべれないのか…」といった気まずい顔をしていたと思います。でも、実際は、気まずい思いをしていたのはボクだけだったのかも知れません。

それがボクのオランダ初日のウブな思い出です。
ボクのオランダの悪徳の思い出は、それから 4年後
(終)





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Last updated  2007.01.10 13:41:34 コメント(5) | コメントを書く
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郡山ハルジ @ Re[1]:おひとりさま(07/31) 放浪の達人さんへ あ〜なるほど、そう言え…
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