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両者は対極にあるのだろうか。その使い分けをしているだけだろうか。モードで変わるのもそのバランス感覚だろうか。何れにしても脳が生みだしているそれらの状況は生き残るための戦略でしかない。現実を直視してばかりでは疲れる。酸化して腐敗もするだろう。最後の晩餐になりかねない。 ・やっていることがちぐはぐなのは経験がないからでもある。誰も初めての人生である。悲観的でもない、楽観的でもない、その間で針が振れるだろう。過ぎた人がババを引くのだ。適当に生きることは、適応には必要なのだろう。相手の言っていることを確り訊かねばならない。ただ相手の目を見なければならないだけだ。こちらを見ていない相手はウソをつくだろう。相手の目の中に自分が写っているかを確かめてみなければ信用はできない。 ・へ2・・・自分は明日へ走っている電車に乗っているつもりでも、引込線に入り込んでいるかも知れない。寝ぼけていては後悔するだろう。外の景色は一瞬にして換わりもするのだ。停まったままの電車に乗り続けている人もいる。電車には動力がいる。しかも人生の電車はない。歩かねば明日は来ないのだ。レールがあるから電車が来るとは限らないだろう。
2008.08.31
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どうも、これまで弁解や、言い逃れや、無責任という空気を吸い過ぎたのではないだろうか。どうもそれが当り前のようになってしまっている。事なかれ主義でしかない政治や行政ばかりだろう。これではいけないと、誰も言うが、どうしたらいいか具体的な行動が取れないでいる。政治は議員によって運営されるが、その議員が議員に相応しい人材ではない。世襲や、宗教や、圧力団体を背景とした連中ばかりで、ビジョンもあるのかないのか分かったものではない。 ・口から出るのは、弁解や、言い逃れや、或いは屁理屈であり、そして画を描いたような無責任でもある。猫かぶりでしかないではないか。庶民の痛みをどこまで知っているだろうか。選挙制度が齎す弊害はアメリカの大統領選挙ばかりではあるまい。日本もいまだにコネや賄賂が行われてもいる。政治は汚れている。 ・へ2・・・体質改善もまだ初期のステージでしかない。これからできるあと5年先を想定した運動をテストしている。勿論一寸先は闇であるが、まあ、それくらいの想定をしないと面白くない。社会的ステータスがその人の意識を決定する。くらいは知っているが、前提となるコンセプトが揺らいでいる。勝手にやるしかないし、生きるしかないだろう。明日はもう9月である。秋がどっと押し寄せても来るだろう。
2008.08.31
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ベトナム戦争は、1960年から15年間泥沼の戦闘が続いた。代理戦争だった。南北ベトナム人の200万人が犠牲となり、米軍が介入し米兵が54千人戦死し、米国は、1500億ドル戦費が注ぎ込まれたが小国に敗れた。以前「エノラゲイ」の特集があり、アメリカの少女が「原爆投下」を正しかったと主張していた。どうやらアメリカの一般的世論らしい。原爆投下は終戦を早め、将兵を救ったというのが彼等の主張だが、わざわざエノラゲイの乗組員が今年も「われわれの遣ったことは正しかった」との声明を毎年繰り返していた。200万人と5万4千人との生命のバランスはどう考えてたら良いのだろうか。原爆投下は、たとえどれだけの論理を積み上げようと、それは人類への反逆であり、すべての人道主義に対する否定であろう。それを許すのであれば人類は、何も未来を語る資格さえないだろう。原爆の廃絶、そう決意しなければ、人類の生き残るべき余地はないだろう。「偏見」が悪なのは、それが平和に最も遠いからであり、人類を崖の淵に追い込むものだからだ。ベトナムは、200万人の犠牲の上に建設された共和国とは、圧倒的な敵と不屈の精神をもって闘ったひとびとの誇り貴き子孫だろう。
2008.08.31
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人間は自らの心に殺されてしまう存在である。という本を読んでいる。「心因性死」というドラマがある。さまざまな出来事でひとは死ぬ。ヴードゥー死・タブー死・ノスタルジー死・魂の死などの 実話が紹介される。心因性死シンドロームの謎があるのは、人間が必ず死んでいるからであり、どんな 死に方もあるからだろうし、迷信や無知が支配してきたからだろう。自然の膨大さに対応できなかった 時代では、この世は果てしもない闇であり、謎であったに相違ない。現代も、公には知ったようにことは 進んでいるが、個人的にはまだ「心因性死」による迷信と無知に翻弄されているのだ。 そもそも「心因性死」とは何かというと、医学界もバラバラで定説はないのだ。「突然」は本当に突然 なのだろうか。 WHOは、1976年「突然死とは、外面的には健康な人間、あるいは病人であっても症状が安定しい るか快復に向かっている人間において、平静のうちに6時間以内に発生する予期せぬ死のことであ る。」と定義している。二分以内なら「直接急性死」二時間以内なら「突然急性死」二十四時間 以内なら「早期急性死」に区分される。 「生」と「死」はまだパラレルに研究されていない。解明かさなければならない「死」がある。
2008.08.31
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8月は北京オリンピックで賑やかな月でもあったし、白猫騒動があったが、今日で8月も終りである。北京オリンピックの評価については未だこれからだろう。白猫の病気は嘘のように食欲があり元気になっている。誤診ではないかと疑いを持つくらいだ。何やかやで、この猛暑も喉元を過ぎていくようでもある。この夏は石油の高騰があったがそちらの目途は立っていないようだ。民主党がまたキナ臭い話だし、総選挙がどうなるのだろうか、まだ政治の流れの目安を示す日程も定かではない。 ・明日は防災の日で、あちこちで予行演習があったようだ。ことが起きたら何十万の死者の予想が平気でされたりする。ひとのいのちを政府はどう思っているのだろうか。起きたことは仕方がないというのだろうか。防災の意味が分からない。後片付けをスムーズにするだけの訓練では何の役に立つだろうか。犠牲になった人は仕方がないというのだろうか。 ・へ2・・・今日は、26,000歩余。鳥渡疲れた。まだそれほど体力がある訳ではない。歩幅を70cmで18Km位歩いたことになる。これくらい月に何回か歩けるようになればいいが・・・。一月間の成果が明日分かる。
2008.08.31
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・私はどう思うかという視点は、それがどんなに次元の低いものであっても問うてみるスキルを持つべきだろ思う。そうすれば、すぐに行き詰まるだろう。それは自分の考えが浅いからに他ならないからだ。そして、この世の中に簡単に解ける課題は少ない。 ・へ2・・・どんなに唾棄すべき様な人間でも自分よりか優れているところは必ずあるものだ。それを学ばねばならない。私たちの自分の時間は、長くはない。すべてを知り尽くすほど小さい世界でもない。経験することも雀の涙ほどもないのだ。学ぶべくして学ばねばチャンスを失うことになるだろう。そうして多くの教訓を学ばないできただろう。それは自分が不明だからでしかない。 ・愚かな人間ほど増長しているものだ。他人に謙虚になれないのはその証明でもある。人間は利口でも愚かでもない。自ら利口になるのであり。自ら愚かにもなるのだ。人の評価は相対でしかなく、最後に評価するのは自分自身でしかない。満足して死ぬか、後悔して死ぬかそれは自分でしかない。 ・社会が自分に何をするかを悩むのではなく、自分がどこまでやれたかだろう。与えられた課題は個々に違うのだから他人と比較することはできない。日本に生れて日本人らしくあることは何も恥でもプライドでもない。何よりも先ず、人間としてどう生きたかだろう。
2008.08.31
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明日は、1ヶ月半ぶりに医療センターに定期診察に行く日である。大体毎月同じ週の月曜日であるが、今回は担当医が辞めて新しい担当医になるので、日数が延びただけである。確か女医の担当になるらしい。横浜市大では、ずっと女医さんで、福岡では女医さんは初めてであるが、顔を見れば知っているかも知れない。4月に入院しているので新しい医師でなければしっている筈であるが、名前では分からなかった。その女医さんに提出する自己管理票をプリントアウトしていた。 ・私の管理表は、自分で作成したものだ。1ヶ月を一覧に纏めている。 ・起床時間 ・検査時間 ・血圧 ・脈拍 ・薬の量 ・食事の摂取量(朝昼夕) カロリー摂取はPC管理している。 ・一日歩数 ・モード (備考欄) ・ブログ関連 別に一日毎の毎月の日程表を作成している。 ・患者の食事と運動と薬剤とがうまく噛み合っているのかが、医師のHbA1c を初めとする毎月のチェック対象でもあるが、問題はストレスにもあると思っている。どんな気分で暮らしているかは重要なポイントでもある。ただ数値だけで、患者の近況を把握しないような専門医は信用できない。あまり年配の医師は信用していない。寧ろ若手も医師が熱心に訊いてくれるし、相談にも乗ってくれるからだ。 ・へ2・・・病気と闘う最大の武器は「知識」だ、といわれるが、その「知識」を与えようとしない医療システムは、間違いだ。これだけ科学が進化したといいながら、患者のすぐ役に立つようなものが余りにも少ない。これは治す気がないからだろう。自分で病気と闘うのでなければ救われないのだ。 >雁の巣側の海岸から見た海の中道大橋と人工島。
2008.08.31
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裁判員制度が始まるが、日本国民はそれだけの良識を発揮できるだろうか。それが問われるのでもある。公正な判断ができるだろうか。犯罪はそう単純なものではない。裁判員の人格にもかかわる判断を迫られるのだ。確かにこれまでの専門家の判事の判断というものが、必ずしも市民感情と一致しな点はあっただろう。権力者に迎合した判決もしばしま見られた。それを引き戻すには市民の良識があってもいいだろうが、果して、それだけ国民は民主主義をはじめとする法の精神を身につけていると言えるかが問われもする。 ・今朝、徒歩きをして、海の中道大橋を通ったが、幼い子供が3人飲酒運転の犠牲になったことで名の知れた橋でもある。献花台があり、いまでも献花が絶えない場所だ。献花台の場所は事故があった場所ではない。橋の雁の巣側の入り口に設置されている。歩いていると、舗道の上に花束が置かれていた。おそらくここが事故のあった場所だと知った人が置かれたのであろう。立ち止まって手を合わせる人が数人おられた。私も手を合わせてきた。犯人は自分の犯した罪をどう受け止めているのだろうか、と思った。こうして、誰か知らない人が、いまだに3人の幼子の死を悼む人がいるのだ。 ・へ2・・・罪を憎んでひとを憎まずというが、犯したした罪をどれだけ認識しているだろうか。偶々運が悪かったと思うとすればば余りにも罪は深いだろう。相応しい罰とは、ただ重刑に処せればいいというものでもない。果して、国の機関は犯人にそのことを自覚させるだけの能力があるのだろうか。私は疑問を持っている。こころから、3人の死を悲しんでいる人たちがいることを忘れてはならない。それがひとのこころでもあるだろう。海鷲だろうか、周辺の空を高く飛んでいる鳥がいた。 >今朝の海の中道大橋で。8月25日が事故の日だ。
2008.08.31
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朝歩いていて、曇天でどうやら暫く強い陽射しがないだろうと思われたので、何時もと反対側に歩いて、行けるところまで行ってみようと思い立った。少し、準備をしていくつもりでいた雁の巣からアイランドシティ経由で、昨日の香椎浜を通って、博多湾の一部を一周するコースである。あまり自信がなかったが、8月のまとめで歩くのもいいかも知れないと思いもした。毎日15,000歩は何とかクリアーしているので、休みながらだったら歩けるだろうと思いはあったし、昨日もトータルで20,000歩は超えていたので、このコースの予測では20,000くらいになっていた。 ・実は、最近は朝のウォーキングは帽子もポシェットも身に付けていない何も持たないで歩いている。今朝も何も持っていなかったので、多少不安はあったが、山の中を歩くのでもないし、日中を歩くのだから危険がある訳でもない。携帯電話を持ってくればよかったとは思ったが、デジカメだけはもっていた。曇天で、明るさが少し足りないのでベストの写真は望めないだろうが、ロケーションはいいコースである。 ・へ2・・・早朝だが、日曜日の朝ということもあるのか、ウォーキングやジョギングをしている人も多かったので安心した。多少寝不足だったが、まあ歩いていて気分が悪くなるほどでもなかったので、何とか持ちそうだという気持ちがしていた。それでも帽子は被ってくるべきだったと後悔した。8時を過ぎると強い陽射しが、脳天を焼き始めてすこしくらくらしたからだ。、「飲まない」、「食べない」、「走らない」の 「 かち歩き」というのを思い出した。あまり無理をしてはいけないが、これが歩きの基本でもある。何とか、10数キロ歩いてきた。どうやら癖になりそうだ。 >今朝の、和白干潟方面。遠景は立花山周辺。
2008.08.31
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8月31日の朝 昨夜の花火大会は、今年の最後の花火大会だと言っていたが、おそらくもう花火大会も、全国どこも終わり「これがラストですよ」ということだろうと思う。そういう意味で夏を惜しむ若い人が多かったのではないだろうか。浴衣を着た若い女性が目立ってもいた。福岡市は全国の市でも、平均年齢41歳で若い人が多いらしい。この大会も年々賑わってきている。昨日屋台が増え、歩行者天国までできていたので驚いた。涼しい海風が吹いて、殆ど団扇を使う人さえ見かけなかった。随分8時から始まった花火も凌ぎ易い中で行われていた。 ・打ち上げられる花火を見ながら、その背景を福岡空港に降りていく航空機がひっきりなしに見受けられた。この時間帯は数分間置きタッチダウンしているようだ。都市の上を滑空するのはある意味で怖いことでもある。自働操舵とはいえ、何があるか分からない時代でもある。テロでもあれば大惨事にもなるに違いない。その謂わば航空路のルートの近くに、住民の反対を押し切ってアイランドシティ(人工島)が造られ、高いマンションも建てられている。近くには和白干潟も控えており、こうして、花火大会も行われ、人々は吸い寄せられるように集まっても来る。 ・へ2・・この香椎浜は、松本清張の「点と線」の有名な殺人現場でもある。そこで行われる花火大会でもあるのだ。そこが年々見物客が増えているということをどう解釈すべきなのだろうか。二つの「香椎駅」(JR.西鉄)は、今も健在であるが、小説で描かれている周辺の状況は一変している。駅からの道は、その名もセピア通りと名づけられもいる。福岡市の東部の拠点として人口も増加していると聞いている。花火もコンピュータを駆使して、手の込んだものになっているようだが、中身はさして変わらない気もする。ただ行く夏を惜しむ人が多いことは言えるのだろう。 P.S. 上のブログを書いて、今まで、自宅から雁の巣経由で人工島を一周してきました。約2万歩で3時間余りかかりました。前から計画していたのですが、急に思い立って行ってきました。また写真をあとで、アップします。
2008.08.31
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自宅から歩いて、香椎浜まで行って観てきた。どうにか雲が切れて星が見えていた。海岸から真正面に人工島があり、その先の志賀島の上空を福岡空港にタッチダウンをするジェットの明りが北から南へ滑空しているのが見えていた。それも殆んど切れ目なしに下りて行く。そういえば、私も、この花火を航空機の窓で見たことがあった。まるで、光る泡のように見えていた。家を出た時は、未だ明るかったが、香椎公園駅に着いた頃には暗くなっていた。駅の辺りからは、近所の人たちが浴衣を着て会場目指して歩いていた。大学がいくつかあり、若い人が多いし、浴衣姿も多い。 ・半分はウォーキングが目的でもあるので、会場の隅まで歩いてみようと思い、屋台の中を歩いたが、香椎公園から、イムズの近くまでずっと続いており混雑していた。この花火大会は年々賑やかになるようである。屋台がえらく増えていた。広い大通りが歩行者天国になっていた。約1時間、7700発のショーが始まった。 ・へ2・・・何度見ても花火は華やかで、あっという間にその光が闇の中に消えていくのが切ない。ドーンと来て、ぱっと咲き、さっと消えていく。そして次の花火が続いて行く。その連続でしかない。同じパターンの組み合わせでしかない気がした。どうもスケールが大きくなるだけで、いくつかのパターンの繰り返しのようだ。これは、隣に恋人でもいないと面白くないのではなかろうか。音だけが大きいだけではないか。ドーンだ。 ・へ2・・・ビールでも飲みながら、焼き鳥でも食べて間を持たせなければ見ていられない気がしてきた。石の上に座っていたが、お尻も痛くなり、少し飽きてきたので早めに切り上げできた。暗い道を歩いていたら、やたら賑やかにバラバラとやりだしたので振り向いてみたら、少し見えて、クライマックスのようであった。すぐ静かになり、時計をみたら21時を少し過ぎていた。会場では、結構涼しい風が吹いていて気持ちが良かった。今年の夏もこの花火大会で一つの区切りを迎えて終わろうとしている。今日は2万歩を超えていた。
2008.08.30
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散歩がてら今年最後の花火を見てきます。今年はまだみていなかったし、調べたら3kmくらいなので、ウォーキングに丁度いいし、今からだと間に合いそうですから。途中写真もまだ撮れるでしょう。娘たちも行くらしい。相変わらず別行動ですけど。曇っているので、お天気が心配ですが、思いついたがチャンスですから。 ・花火の写真は自信がない。まあ、この夏の終わりの、ゆく夏を見てきます。 >写真は、気が折れてしまった白ユリ。まだ時間があまり経過していないようです。まだ綺麗です。生け花にしてやればいいけど、・・・。
2008.08.30
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いつか、過去の出来事は幻影となり、闇の彼方に遠のくだろう・・・。人は、生きる意味を見出して自分らしく生き 、何れは自分に相応しい死に方で終わりたいと願う。生物は、寿命が尽きて、個体は失われ、分解して 粒子となる運命だ。誰も皆家族や友人たちの記憶となり、いつか消えて行く。地球も、太陽も何れ宇宙の塵に 戻るだろう。そして、終には、宇宙が静止する。それとも The Big Crunch だろうか。 まるで、セルが巨象の話をしているようだと・・・自嘲的になる。だが、人の知識もコピーから始まりいつか真理を見 出すのだ。 ヒトは、ながい過程を経由して、ようやく言葉をもち、科学を手に入れようとしている。しかし、今も深い海を人知れず数隻の原子力潜水艦が、世界を破壊する原子核を搭載して潜行している。知らないところでヒトは、生命の 危機に晒され続けるのだ。この遣り切れない殺し合いが続く限り・・・。
2008.08.30
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これから、どうするの どうも、宿題の課題を出されている生徒のような気分さえする。医師たちやナースたちから退院後の是正点を問われてばかりいる。約束や出来もしないことをいって煙に巻いているところもある。そこで、スローガンを考えてみた。半分眠っている脳なのでええ加減である。 1.ストレスに対応して良質睡眠を・・・できるかなー? 2.カロリー守って血液サラサラ、ニコニコ運動で20代の体重に。 3.合併症とゆっくり歩く、急がない人生。 4.ご先祖さまの遺伝子を受け入れて、うまく付き合うこと。 5.近道を行かない。猫の手も借りてみよう。 6.いつもこころはリフレッシュ。健康オタクは真っ平だ! 7.悪いことばかりを考えないこと。死んでは花見ができないさ。
2008.08.30
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芥川賞の楊逸著「時が滲む朝」は、誰も愛国者でないものはいない。国を恨む者がいるのだろうかとさえ、思えても来る。悪い奴が登場しないというドラマは作れるだろうが、それは影のない絵を見るようでもある。然し、こうしてみると、それは平板で観るからでもあるだろう。或いは皮相的な観察でしかないからだろうか。そして日本という舞台が、日本人と違う角度から捉えられている。ゴミゴミとした喧騒が豊かさの象徴であり、尾崎豊がヒ―ローでさえある。自由な社会にも見えてくる。 ・誰も恨んではない国家があり、彼らは愛国者でしかない。国家を愛しながら、他国で生きねばならない。何が私たちと、或いは換言すれば私と違うのだろうか。どちらが視野が狭いだろうか。少なくとも私には自信がない。平凡な記述だが、日本人には容易に書ける話でも、それが22歳で日本に来た中国人作家の作品となると考えさせられる。思いはそれほど単純でもないからだ。 ・へ2・・・何か、五感と違うものをもっているのだろうか。何かそれはパワーに近いもので、否定を肯定に換えてしまうのだろうか。ものは考えようだといわれる。辛いと思うからから辛いのであって、どんな災難も乗り越える人たちもいる。驚嘆すべき忍耐力を発揮してしまうのだ。そして故郷に死ぬまで帰らず、然も望郷の念を棄てない人たち、そして民族がいるという歴史を目にする時、日本人は震えるのである。
2008.08.30
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現代戦争は総力戦だといわれる。武器や兵力だけではなく、総体の文化を含めた国力で闘うからだ。オール・オア・ナッシングでもある。負ければ明日はない。少なくともリーダーはそう思って戦うのだろう。それは当たってもいる。だから多くの国民が否応なしに巻き込まれる。懼れなければならないのは、そういう事態になることだろう。その前にブレーキがあるだろうか。世論の力でコントロールできるだろうか。それができるのが民主主義の根幹でもある。アメリカは、それができただろうか。イラク戦争は、アメリカにとって、一部の戦争でしかないだろうか。それが引き金になりかねない惧れはないだろうか。 ・普段は、時に報道の自由を掲げるマスメディアも政府の飼い犬になってしまう。結託して煽動もする。危険な道具にもなる。中国の報道を見るとそのことを思わざるを得ない。北朝鮮であればなおさらだろう。では西側はどうどうだろうか。日本ではどうか。五十歩百歩でしかない。どこが違う。公開の広さ量でしかなく、質ではない。色々考えても事態は簡単には変わらないだろう。変えていくしかない。どれだけ時間はかかっても、平和への道を見失わないことだろう。 ・へ2・・・午前中に歩こうとパンを買いに行くことにして、外に出たらゴーヤが随分大きくなった。それと、白いユリの花が広場に咲いているのを思い出して、廻ってきた。残念!!周囲の雑草が切られて、ここ数日の強風で倒れてしまっていた。気が付いた時に撮れば良かった。あっという間にシャッター・チャンスは無くなってしまう。優先順位を間違うと、失うものは大きいのだ。豪く損した気分だ。引っ返す時間を惜しんで白いユリの花の写真を逃してしまった。
2008.08.30
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ここ数週間ほど来なかった野菜売りのおばさん(考えてみると、私から言えばどちらかというとお姐さん)が、やってきた。「どうしてたの?」と訊いたら、照れながら、「野菜がなんもなかったから・・・」といわれた。まあ、なんもないことはないのだろうが、取り敢えず安心した。「心配しとんしゃるだろうと、思いよったけど・・・」だそうだ。もうおばさんとも1年来のお付き合いである。砂地でできた「お芋さん」が自慢である。これからぼちぼち野菜ができるのだそうだ。 ・何しろ、今私がこうして付き合っている、妻以外の唯一の女性はおばさんである。お付き合いではなく、向こうは商売かも知れないが、どこか姉のような気さえする。私は一人っ子だが、怖い親戚の従姉たちがいて可愛がってくれたので、どこか親しみがわくのだろう。しばらく話し込んでいた。 ・へ2・・・上の写真の胡瓜は我が家の今朝の収穫分。恐らく20数本目だ。おばさんの息子がいて、農業の指導員をされているそうだ。家庭菜園を指導されている。それはいいと、いったら嬉しそうにされていた。元気そうだったし安心した。美味しいお芋が食べられそうだ。
2008.08.30
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生物は皆ニッチを求めて活動している。コンクリートの道路の僅かな隙間にも植物は芽を出そうとする、風で吹き寄せられたゴミから芽を出し、湿気があれば生き残ろうとする。大抵は蒸発し、乾燥して棲み場所は無くなってしまう。蠅はどこにでも卵を産む。それが屍体の死亡推定時刻にもなる。隙間のない生命の営みがされている。 ・ホモ・サピエンスというにはほど遠い生き方をしているのではないだろうか。日本の教育を受けてきたが、こうして振り返るとどれだけ役に立っただろうか。殆んど無用の長物でしかなかったのではないだろうか。英語も、科学も、哲学も、法学も、そして社会科学一般にしたところが、裏切られることばかりだった。どうやら竹槍教育でしかなかった。 ・へ2・・・世に役立つツールを持たないで、世の中に放り込まれた。大海にコンパスもなしでどこへ行けというのだろう。前を行く人は次々に替わっていったに過ぎない。人々は混乱し、翻弄されていたに過ぎない。日本の政治は理念の核心を見失ってもいた。教育は社会の歯車を製造していただけだった。手足をもがれていた。精神を鍛えるスキルさえなかったのだ。これから何ができるだろうか。褒め殺しにされてよければこのままいけばいい。せめて、水たまりには気をつけるだけしかないだろう。雨が降れば世の中はまた泥海にもなるだろう。
2008.08.30
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ウォーキングの途中で小雨になり、少し濡れながら帰宅して、シャワーを浴びて、PCに戻った途端の本降りだ。強雨だ。朝立ちか。滑り込みセーフだ。体が濡れるのはいいがスニカーが濡れるのが嫌である。そろそろ交換の要ありの黄色信号が点いているが、履き慣れたスニカーなので。あちこちにツアーにも一緒したし。随分出世している。 ・朝から数人の人が犬の散歩をしている。朝から犬の散歩したのは愛犬チップやミルクがいたころだったが、やはりウォーキングではなかった。あれは犬の散歩であって、運動ではないからだ。目的が違えば効果も違うだろう。犬を連れて歩いてイライラもした。自分の散歩ではなかったからだろう。欲が深すぎるのだろう。犬と人と同じにはいかない。 ・へ2・・・同じことをしているように見えて実は違うことは沢山ある。仲の良さそうな夫婦でも親子でも友人関係でも中身が違うことはしばしば見かけることだ。アンバランスに見える人間関係でも共存しているケースもあるに違いない。あるいは共生もある。これまで、私と運動は殆んど接触ない関係のようだが、じつは中学時代は陸上もした。走る姿が好きだった。それが何の因果か辞めてしまい。それから長い空白があったに過ぎない。理屈は合うのだろう。無から有はない。 >昨日の和白干潟。
2008.08.30
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英米文学と日本文学の領域で自然をテーマとして扱いまとめた本だ。多くのエッセイ集も含まれている。英米文学でも「自然」はもっとも重要なテーマの一つだ。イギリスでは、パストラルと呼ばれる田園文学の長い伝統がある。アメリカ文学も「白鯨」や「老人と海」や「ハックルベリー・フィンの冒険」等の名作も多い。勿論日本にもある。「おくのほそ道」「武蔵野」「山の人生」などがある。本来山里の民であった日本人は、自然は身近な存在であり、自然の事物のなかに魂のありかを認めようとさえした古代シャーマニズムがあった。平安時代の花鳥風月や老荘思想に影響された隠者的自然観を持ち、やがて西欧文化と交わるのだ。日本的自然観と環境論的自然観とは基本的には相違している。同じネーチャーでも、何故こうも違うのだろうか。ながい宗教観の違いに由来するだろうか。全く手に負えなかった祖先持つものたちと、シャーマニズムをもたなかった文化の相違だろうか。
2008.08.30
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昨夜10時ころ、すこし歩いた所為だろうかよく眠れたようだ。今朝は4時になった。夜歩くのは意識的に避けていたが、軽く歩きたい気分もあったのでテストでやってみた。特に異常はないようだ。何しろ精密機械が相手だから、少し狂うと可笑しくもなる。取り返しのつかないことにもなりかねないのが人の免疫系である。やり直しが効かないこともある。 ・緩やかに時間が過ぎたころと違い加齢とともに時の流れが加速していくようでもある。ウォーキングしながら、あとから自転車で、或いはジョギングの人たちから追い越される時に、他人を追い越して行く爽快感があるだろうな、と思うことがある。彼らには、時とともに歩いているという充実感もあるのではないだろうか。自分とは違う時間を生きている人たちもいるという感慨でもある。 ・そろそろ一日を秋仕様のスケジュールに変えなければならなくなってきたようだ。朝の散歩を遅らせる必要があるだろう。5時近くの日の出が今や5:30からあとになりつつある。その分起床を遅らせることだろう。暫く様子をみて調整したい。今朝は朝食を5時過ぎ頃にして、ウォーキングを5:40スタートにしてみようと思う。それまでにこのブログを終わらせたい。 ・へ2・・・成人してから、外国に住むというのは言語の問題が如何にスムースに行くかでQOLも変わるのだろう。外国人に慣れない日本人では通用しなくなる。横浜にいたころ周囲は外国人が多かったので、そのことを実感してもいた。福岡に帰って、それを忘れかけていたが、こちらもその問題が現実化する日も近いだろう。次代は変わり、私たちも変わらなければならない。生き残りをかけた闘いはどこにでもある。何時もそのことを忘れないことだ。生命は常に新しい時を生きてもきただろう。昨日と違う今日がある。いつまで好奇心をもって生きていることができるだろうか。それが生きるという存在そのものの証明でもある。 >和白干潟より、人工島。遠景は話高層マンション。
2008.08.29
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未だ、歩き足りなくて、夜の散歩に彷徨って来た。小雨が降っていた。どうせなら、どかっとふればいいのに、妙にしみったれた雨だ。風が少し涼しい。汗もかかないだろうとおもっていたが、Tシャツの下は汗ばんでいた。朝まで歩こうか。いっそ、どこまでもあるいたら、海になる。 ・暗いのは、自分が見えなくていい。すれ違う人も見えないし、誰かも分からないし、解からなくても少しも困らない。何の用事もないのだから。俺には何の不満もない。他人を恨むも理由もない。もう西の空に夜間飛行のジェットも見えない。疲れを感じないのは何故だろうか。俺は疲れたいのだ。疲れて眠りたい。ぐっすりと熟睡をしてみたい。泥のように眠りこけてみたい。板張りの上で眠っても眠れたのに、すぐに目が覚めてしまう。 ・へ2・・・眠らない脳が、浅い眠りしかしなくなっている。何をそんなに苛立つのだろうか。脈拍が早いのだろうか。俺は何も急いではいないのだ。ゆっくり呼吸をして、のんびりと生きていたいのに、脳がこつこつ壁を叩いている。まだか、まだか、まだ明日は来ないか、やることはあるだろう・・・と。 >和白干潟。潮が満ちている。遠景は志賀島。
2008.08.29
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朝の味噌汁で汗をかくような女性と結婚しろと言われたことがある。新陳代謝が良い人が健康だという意味なのだろう。汗をかいて、歩くのは気分悪くはない。他人はどうか知らないが、汗を掻いた方が血流も良くなる気がする。一日三回汗をかくと、洗濯が大変だ。私は自分で洗濯したことがない。洗濯機に汗臭くなったら投げ込むだけである。それで肌着不足になってしまった。自分で補充するように言われているが、自分で買ったことがない。 ・困っている。朝夕は、何しろ寒くもなっている。間に合わせに妻のものを着ている。勿論肌着ではなく T シャツである。まあ、頓着はないので何でもあるものでよい。取り敢えず来週診察が終わったら、どこかへ行くつもりでいる。できれば歩きたい。めちゃくちゃ歩いて、嫌になるくらい歩いてみたい。暫く嫌になるくらいから、リセットして、みたい。今そんなことを考えている。 >いま1個100円のキウイだ。軒先にぶら下がっている。
2008.08.29
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qualia 朝の森の中を歩く、鳥の囀り、木洩れ日、草の馨り、私の心の中に qualia が溢れている。生きるとは 素直に感じられる歓びだ。少しの忍耐を持ち、呼吸をしてみませんか。こころは何で出来ていますか。 私たちの意識を生み出すものは、脳のニューロンです。この未知の世界で、人間は何をしようとして生きている のでしょうか。知る為に生きているとしたら、まだこれからの道程は測り知れない旅になるでしょう。 いつか、果てしない宇宙への回帰の船出がくるでしょうか。 私たちの 脳の qualia はその日を待っています。限りなく忍耐強く。
2008.08.29
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加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より 特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンド リアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍 高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁では ない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発 ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしない と家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋なら先ず30年持たない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてく る。熱力学第二法則のエントロピー増大、生物を含む全ての物質は劣化を免れない。
2008.08.29
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ここ数日間は雨で朝日も見えないが、朝日を見ながら歩いている。何か元気が出る。朝の光はどこか力を湧かせるものがある。悩んでいたことが何でもないたわ言にさえ思えてくる。あれだけ欲しいと思った欲望もどこかへ消えてしまう。糸が切れればどこかへ飛び立つだろう。もうここに戻らなくてもいい気になる。 ・昼間も歩いた。和白干潟に行き、どんよりとした博多湾と野鳥の群れを見た。赤い花はハイビスカスだった。公園に隣接する狭い場所に咲いていた。どこに咲いても花は綺麗だ。ことにハッとさせる場所がいい。疲れた心を癒してくれる花がいい。 ・へ2・・・こいつは威張って咲いているから好きだ。周囲がどんなに汚かろうと、平気で美しく華麗だ。暫く見惚れていた。もしおまえが美しい女なら、こうしていつまでも眺めていることはできないだろう。ハイビスカスは花で良かった。
2008.08.29
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一概には言えないが、金持ちが貧乏人の気持ちが分かるだろうか。社長が平社員の気持ちが分かるだろうか。その逆もあるだろうが、それは容易に分かるものではない。判ったふりをしているだけではないだろうか。健康な医者がどこまで病気の患者の心理を理解できているだろうか。ただズレがあるというだけでは済まされないものがあるように思える。患者をただ並べて同じように見ているのではないか。カボチャはカボチャでしかないと思うだろうか。どうも、ベルトコンベアの数値を眺めているような部品の検査がされているのではないかと疑問を持たざるを得ない。 ・今の医療システムでは、恐らく少し利口な機械でできるのではないだろうか。異常値を見つけてそれに応じた薬剤を処方するか、映し出される場面から異物をみつけるだけとは言わないが、それに近いことをしている。マシーンならファージーは必要だろうが、高度になればそれも判定は無理ではない。恐らく今の大工さんは一軒の家を基礎から造り上げることはできないのではないだろうか。車の製造も、自分一人ではできない。車をバラして、全部組み立ててることのできる修理工がどれだけいるのだろうか。 ・へ2・・・人間の心身という総体が見えないで、治療しているのではないだろうか。精確なこれまでの病歴のデータもなしに最適の診断などできるはずはない。アバウトでしかない。医者のライセンスは、そんなに軽くはないはずだが、ええ加減なものでしかないのではないだろうか。おざなりの医療が行われていると思う。ただ大量生産の医者でしかない。セールスマンと同じように、患者とどう接したら恥をかけないで済むかの講義さえあるのだ。偽装の医者がつくられている。異形を見つけているだけだろうか。そしてそれに自分がどう立ち向かうかでもない。他に回すことしかしない。無責任社会だ。
2008.08.29
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午後からPCが不調になりまたか、と。それで気分直しに、和白干潟へ。生憎曇天で視界も悪かったのですが、潮が満ちて近くに野鳥の群れがいました。秋も近くなり野鳥がそろそろ渡来し始めたのだろうか。大陸ではもう、季節が早いのかも知れない。残暑もあっていう間に後ろの方に下がってしまった感じの朝晩です。一日どんよりとして散歩には丁度いい感じで暑くもなく寒くもないというところ。 ・また、干潟を見に来る楽しみが増えたようです。でも、干潮だと遠過ぎて望遠レンズが欲しいところです。まあ、好きな人も多いので、写真はそちらで。歩いていたら余計ことを考えなくてすむ。ハイビスカスの紅い花を見つけた。家の裏の家にも咲いていて写真を撮りたいといつも思っていたが、いつも留守で。丁度良かった。あとでアップします。何しろ写真が増え過ぎている。 ・へ2・・・今日は、何を撮ろうか、テーマができていたら、さっさとできるのではないだろうか。どうも行き当たりばったりというのは碌な写真が撮れない。そんなものなのではないだろうか。野鳥の写真を撮ろうと思うのは、そこに被写体があると知っていなければ撮れないわけで。そこで構えて待っている。マニアはそうするのだろう。どうもそこまでのマニアではない。 >和白干潟 8月29日昼。
2008.08.29
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中国に古くから伝わる諺に「民、 食を以って天と為す」と読む。 中国でも、食べることが生きる上で最も重要だという意味だ。食べるということを軽く見てはならない。「人口」も、民を「口」と考えたからだろう。ひとは食べねばならない。それを「天」だというのだから、理に適っている。また、聖書では、「ひとは、パンのみに生きるに非ず」とある。それを、どう解釈するかは、人間に与えられたテーマでもあろう。 ・飽食時代は、現代人にとっては人生観や世界観の問題でもある。「食」を甘く見たものは自壊するかも知れない。それこそ重視し過ぎることはないのだ。美食は却って過ぎたるものであり、所謂「食」ではない。人間として適正な食事があるのであり、バランスのとれた栄養でなければならない。然も年齢に応じたものでなければならないのだ。為政者は早死にするものだ。勿論下野してからのことではない。 ・へ2・・・「民、食を以て天と為す」とはいい言葉だ。どこか雄大としてのびやかな広がりがある。神や権力者のことではない。「天」は、普遍であった真理でもある。各位は、よりよき食事をされておられますか。
2008.08.29
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刑務所に入っているわけでもなし、日本語の使えない特別のところにいるわけでもなし、それで愚痴ばかりでもしようもない。どこか甘えもある。言葉の通じないという環境でしかも20歳を過ぎた人が暮らすとなると大変なことだろう。脳が拒否反応を起こしかねない。私なら細胞と一緒にストライキを起こしかねない。 ・それでも、その選択肢を選ぶ人いるのだ。殊に日本語は解かり難いし、外国人に日本語を教える教育がどの程度進んでいるのだろうか。日本の文部科学省がそれほど優秀だとは思わないから、いい加減に違いない。どれだけのカリキュラムが組まれているのだろうか、期間は充分だろうか。どうも怪しいものだ。そういえばインドネシアから看護師を要請するために来日させて2年間で看護師の試験に合格させるという計画も、大丈夫なのだろうか。できなければあとから考えるというくらいのことではないのか。 ・へ2・・・周囲が日本人や日本語で、文化や歴史を共有している中で、これだけ意見の同意に辟易するのだから、まして外国人が日本に来て暮らすというのは並大抵ではあるまい。しかも20歳代に来日するとなれば、たとえどれだけ外国語の才能があったとしても、子供のように脳が外国語を吸収できる筈はないのだ。豪い苦労しなければならない。それに費やされる時間は半端ではあるまい。そういう苦労をサポートしてやらなければならない。思うだに、私など太平楽で申し訳ない気持にもなる。・・・「時の滲む朝」を読みながら。
2008.08.29
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見ない言いたいことあるが、なかなか本音をいわない。差し障りがあるからだろう。ズバリとは言えない。率直ではすぐに足を掬われてしまうのだろう。楊逸氏の作品にもそれがある。中国人で分からない秘密の道がある。そこを覗かないと半分も理解できない。或いはその半分だろうか。日本人の書いた文章だって、それがあるのだから仕方がない。なぞなぞをしているようだが、読者にはその不屈の忍耐がなければ何も読み解くことなどできはしないのだ。 ・回り道を厭わないで、こころを無垢にして読んでいなければ解らない。相手の話を聞いてみる。終わるまで辛抱強く待つ。それでも響いてこないかも知れない。それは、作者か読者の間にズレが大きいからだろう。ことばの根幹は沈黙である。行間を読まないと分からないものはいくらもある。暗号解読できるまでには並ではできない。 ・へ2・・・今日のような曇天の日が長く歩くにはいいのかも知れないと思うが、まだ決心がつかないでいる。できない理由はいくらでもあるが、まだやる気が起きないでいる。個人の姿が見えて国家の姿が見えない。それを感じている。強大で、圧倒的である存在から目を離すことができない生き方というのは、それを知っているものでしかわからないのだろう。小説でさえ語られないものだろう。観念的なものがあって、それは現実ではない。ただイメージされていることの翻弄される人間たちがいる。そして敵か味方しかいないのだろうか。善意を持つか、悪意しかないかだろうか。怒りを現わせないという苦しみは屈折したものなのだろう。まだ「時が滲む朝」を読み続けている。
2008.08.29
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散歩道にもあちこちに水溜りができています。水捌けが悪いからです。ごみで詰まるののでしょう。掃除をしないといけないのですが、誰もしないといつかそれが大きくなってしまう。誰が管理しているかでもある。早朝清掃しているひとに出会うことがある。それでも、水捌けまで見ているわけではない。毎日雨が降るわけでもないが、こうして、毎日歩いていると、それこそ一杯ある。直線のコンクリートの歩道にも信号や、マンションの出入り口などでクロスしているところがあり、そのために少し低くなっており、その辺りに水溜りができるようです。 ・僅かなニッチにゴミが溜まり、そこに雑草が根付き、そこから芽を出す。水溜りはそういうわけにはいかないが、乾燥するまでは歩く邪魔になります。それを避けながら歩かねばならない。歩き難い。ボーッと歩いていると、足を踏み入れてしまう。車止めもある。意外とまっすぐに歩けない。目をつぶって歩けない。目の悪い人は往生するでしょう。勿論完璧を求めるのは無理かも知れないが、工夫をすれば改善はできる。目配りがあるかでもある。 ・へ2・・・下らないことかも知れないが、それで歩くのが嫌になるかも知れない。そう人もいるかも知れない。鳥渡嫌なことがあると止めてしまう。何が目的かを忘れている。どこにでも嫌な奴はいる。下らない奴はもっといる。立派な人間だけがいるのではない。だがそこそこ皆我慢して生きている。我慢強いのはいいが、我慢ばかりして、いつも水溜まりに足を取られてしまう。くそ、こんな日本に誰がした。
2008.08.29
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4年前のブログから 全ては、明日のために・・・。朝の陽光は、饒舌だ。アラファトは、フランスの空の下で死と闘っている。またブッシュが 4年アメリカをリードする。決して楽観はできない政治の21世紀に生きている。地球の温暖化を止められない。 このままでは、数百万の種が死滅して行く。その種の中には、地球の未来を救う種があるかも知れないのにだ。 多くの知らない世界で、私たちが無知故にチャンスを逃していることだろう。私たちは大きな過ちを侵してきた。 それは自然破壊だ。やがてその報復を受けるだろう。せめて、この美しい自然をこれ以上壊してはならない、それは 私たちの最低限の責務だ。 この至福の朝の空気が、清々しいと感じる思いを伝えたい。 明日の遺伝子とミームたちに・・・。 SpiritualityDoka(1993)は、死にゆく者のスピリチュアル・ニードの課題としてA人生の意味を見出すこと。B自分の生き 方にふさわしく死ぬこと。C死を超えた希望を見出すこと。を挙げている。死は、いつか誰もが、通る道である。 他人によって与えられるものでなく、自分自身で見出すもの。それが、Spirituality だ。 夜明け前の風景は、少なくとも窓から今見えるだけでも、私には果てしなく素晴らしい世界だが、いつか、 消滅するのであろう。地球上には、また荒々しい灼熱の世界が戻るだろう。それは、刹那的な風景でしかない かも知れないが、私の脳に焼き付けておきたい世界だ。私にとって、Cの課題は、宇宙への回帰に外ならない。 ABは、甚だ心許ないが、宇宙への憧憬は、限りなくある。 古墳が好きで、若い頃よく観に行ったが、古代人は、死者は身近な存在であった。近くに洞窟を掘り会いに行っ ていたのだ。死は恐れるものではない。「ヘイフリックの限界」は、寧ろ生きる時間の意味を問うている。
2008.08.29
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鳥渡恥ずかしいけれど、上の写真の朝のシーンの中にいます。3時に起きてブログを1件書いて、馬鈴薯をポテトサラダにして、残った馬鈴薯で、カレーを料理中です。そして朝のサンドイッチで朝食を済ませて、ウォーキングの予定ですが、いま外に出てみたら、小雨が降っていました。もう5時過ぎたけれど外は暗いです。7:30過ぎないと福岡は、日の出にならなくなりました。少し前までは5時前には家を出ていたのに、どんどん秋が迫っているようです。 ・実は、いつも写真の背面のテーブルにノートPCや書類や本を置いてやっています。占領しています。こうしているのは、その方が便利だからです。妻も無精ではありませんが、私が勝手にやっています。自分でやらないと気が済まない性質です。これまで仕事でしなかったまででできるとなると遣らずにおれない。もう妻も諦めているようです。 ・へ2・・・また、気が変わるかも知れませんが、どうにかこういう生活に慣れても来ました。いいかどうかはわかりませんが、暫くは続くのではないかと思っています。少し雨ですが、少し明るくなれば歩いてきます。好きでやっているので楽しいですよ。
2008.08.29
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いつも買っている行商のおばさんの馬鈴薯が発芽していたので、ポテトにでもしようと思いPCを立ち上げる傍らで、せっせと切除していた。やり始めたら終わるまでは自分の仕事でもある。どんなバカげたことでも必死にやる。手を抜かない。そこで死んでもいい。遣りかけて死にたくはない。片づけてないものが多いけれど、目の前のことを一生懸命にやる。他人が下らないと思っても、自分には大事なことはいくらでもある。 ・そういえば行商のおばさんが来なくなった。大抵いない時は伝えてある。ここ1年ばかり、その約束を守っている。よくおばさんが来ている近所の方に妻から訊いてもらった、そこにも来ていないらしい。初めはお盆で休みだろうと思っていた。いつも来ていた土曜日の午前に数回来ないので、ご主人の病気でも悪くなったのではないかと心配していたが、近所の方のお話では、ご本人も体調を崩して入院されたことも、以前にはあったとのことだった。またどこか悪くなられたのではないでしょうか、との話をされていたようだ。私はご主人のことしか知らなかったし、あんなに律儀に来られていたので、ご本人は健康で、元気だとしか知らなかった。どうも他人を見る目がない。 ・へ2・・・鈍感と敏感の「間」というのが、私の性質の心理学的分析の特徴でもある。どちらかに極端に振れるらしい。夢中になるが見るところを見ていない。どうも世間知らずのところがある。知らないから仕方がないで済まされないこともある。馬鈴薯の発芽は完全に切除しなければならない。それだけが頭にあって、それしか目にはいらないかも知れない。何かに夢中になるのはいいが、大事なことを忘れてもいる。子供のようなところがある。向いたところしか考えようとはしない。せめて、それを終わらせることしかないだろうか。
2008.08.28
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2004年8月27日 他のブログより もう「アテネ五輪」もフィナレーが近い 面白ろうてやがて哀しき・・・・騒いただけ後の寂しさは酷い。あと4年。どうしているだろうか。何も考えずにおれた時が良かったかどうかは判らないが、若さが眩しい。それにしても利己的な遺伝子が、日本人を変えていく。何時か近い未来には日本人はいなくなるのでは・・・・。それでも「中国五輪」でまた開会式のセレモニーを静かに感動したいものだが・・・。 4年前に、上記のようなことを書いている。その「北京オリンピック」も話題を残しながら閉幕した。4年先には「ロンドンオリンピック」がある。これまで、オリンピックという4年に一度のスポーツの祭典を観てきただろうか。時は止まることを知らず、時間を刻んでいく、取り残されたように多くのものが消滅してもいく。私たちも何れは去らねばならない。人間の身体能力はどこまで伸びていくのだろうか。世界新記録がまたのこされた。 ・跳ぶ、走る、投げる、泳ぐ、その人間の動作は何と見事なのだろうか。バランスのとれた肉体が躍動して、多くのひとびとに感動を与える。オリンピックは人間が動物の一種だということを思い出させてくれるだろう。そして祭典は終わった。
2008.08.28
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白猫の強運というのか、強かさというか生命力には驚く。まだ若い元気な猫たちが死んでいったが、この猫だけが生き残り、そして突然食欲をなくして、医者も、もう駄目だろう。歩くのも辛い筈だ。何かあればいつでも来て下さいと引導を渡されていたのに、その医者が、猫の回復ぶりに驚いていたそうだ。まあ、先のことは分からないが。只、相当に根性があるのは確かだろう。気性の激しい猫でもある。 ・もう歯が殆んどないので、得意の鼠狩りもできないだろうが、食欲は衰えない。下の娘は、猫のために働いているのではないかと思うくらい、可愛がっている。もう家に10年以上いるので愛着は相当あるのだろう。然も多感な年齢の時の10年来の猫でもある。姉の方が最初は可愛がっていた。「にゃんこ先生」といって、よく面倒を見ていたが、それがいつの間にか妹の方が熱心になった。犬が2匹いて、これも10年以上飼っていたが、可愛がってはいたが、あまり散歩にも連れて行かなったし、それほど動物が好きなようにもみえなかったが、何の心境の変化なのだろうか。 ・へ2・・・たとえ動物でも死に対面すると色々思うことはある。若い猫が先に死ぬこともある。同じものを食べ同じように生きていても、同じ病気になっても相違がある。入れ違いはあるが、5匹家にいたが、この白猫だけが生き延びた。そして、どうやら、まだ先があるようだ。居間にいるので、「おい、お前もしぶといな」と挨拶にいったら「みゃー」と睨んでいた。まだ、生きるつもりらしい。
2008.08.28
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2006年11月6日 より Rothenburg ob der Tauber30代で急逝した元同僚の女性から海外旅行の土産に貰ったガイドブックだ。背が高くて何時も背筋を伸ばし ていた。絵になる美人だった。心の優しい女性で、彼女がいると不思議と落着いた。周囲が留めるのを振り切り 服飾の仕事に転職した。そして、直後に突然亡くなったと聞き愕いた。同僚たちと彼女と一緒に、夜桜を観に 福岡市の大濠公園近くを散策した時、突風で桜吹雪となり凍てつく寒さと花びらと彼女の姿が心に残った。 彼女は独身貴族であちこちの海外旅行をして、皆から噂されていた。葬儀に参列して、初めて彼女が母親と 妹と暮らしていることを知った。裕福で育ちの良い娘だとしか思っていなかった。ふと書棚から取り出した本にも 今もつながる meme 鮮やかに私の脳にありますよ。気が付けば貴女の思い出が幾つもある。 老犬チップが、大分弱りました。11月土曜日の午後です。
2008.08.28
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アメリカの活力は、異文化の坩堝だからだ。然も黒人差別と女性差別の克服をずっと続けている。変動への動力は、同質ではなく、異質を取り入れることで活力化が可能となり、進歩が生まれる。差別を克服しようとして、アメリカは勢力の拡大を可能にしてきた。日本の場合は、同質な文化を守ろうとし、異質を排除したために政治的動態が閉塞している。世襲は、衰退の幕引きをする。北朝鮮もそのことに何れ気付くだろう。日本も異文化を積極的に導入して行くべきだ。純血主義は、リスキーな選択に過ぎない。かって、教養のない下級武士が明治をリードしたように、地方出身者が、躍り出て、国を活性化した。世襲を以て謀ろうとしても、ことは成立しなかったに違いない。日本の政治も、旧弊を捨て切れないようでは、真の活性化は望めない。日本の政治が低迷し、疲弊しているのは、政治家が多く世襲でしかないからに他ならない。勿論政治ばかりではない。異質を拒絶しているセクトはどこも同じだろうと思う。
2008.08.28
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谷崎潤一郎なら、金輪際自殺はしない。絶えず周囲からちやほやされいなければ寂しくてならない芥川の性格は、多分文壇出発時のめぐまれ過ぎたための甘さや弱さからきていると思う。ここ一、二年を乗越えられなかった芥川の弱さが、彼の自殺へと繋がった。それは、現代のエリートたちにも共通するものだろう。ここ数年が耐えられないやつが、何十年間かかるか分からないスキルに参加できるはずがない。必ず、人生には波がある。デッドロックは、それこそ普通に存在するものだ。人生そのものが、劇的な喜劇であり、また悲劇になる。それを、緩和して、ここ数年間を乗越えて生きるだろうという不屈の勇気なのではないか。ここ暫くは、苦しみや痛みに耐えようと決意することさえできれば、芥川龍之介は得難い大作家になったかも知れない。漱石が芥川の、「鼻」を推薦したのは、ただよくできた小説を誉めただけで、芥川の才能を誉めたのではない。芥川は日本や中国の古典の翻訳者でしかない。現代のエリートと共通する特質がここにある。自分を過信して、本質を見抜けないことだ。少しの躓きで、すぐ歩くことができなくなるだろう。
2008.08.28
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白猫を病院に連れて行くので運転してくれと頼まれ仕方なく動物病院にいってきた。薬を貰うのと経過を診せるためらしい。車で待っていると、妻が興奮して帰ってきた。この前の病態から劇的に回復している。獣医が驚いていたらしい。前回数値が悪く危ないとの話だったが、二階で数日間じっと寝ていたが、妻子が交代で遅くまで看病していた。私は殆んど忘れていたが、いつか餌を食べ始めていた。そういえばここ数日真夜中、妻を起こして餌を食べるのが続いていた。今にも死にそうな話だったので、こいつはタフだとは思っていたが、猫白血病ウイルス感染症には負けるだろうと内心思って甘く見ていたが、どうやら、やつは只ものではない。 ・「奇跡よ、どこか違う猫と思っていた」とやたら妻は興奮していた。薬が効いたのか。化け猫だろうか。何しろ急性ではなく、慢性であり、どうにか当面の危機を乗り越えたようだ。「ミャー」と私の顔を見て鳴くようになった。何で回復したのだろうか。謎だ。少なくとも運がいい奴であるのは確かだろう。もう抜歯して歯も1本くらいしかない爺さんである。 ・へ2・・・このまえ獣医から貰った資料では、人間でいったら白猫は65歳くらいだ。まだ余命はあるということだろうか。猫も栄養状態が良くなり20年近く長生きする猫もいるらしい。猫にも高齢者社会があるのだろうか。少なくとも家の中では、妻子には、私よりも白猫の方が大事のようである。またその話題で今夜は賑わいそうだ。
2008.08.28
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・やはり朝が脳の疲れが取れていて気分がいいですね。段々、早寝早起きになってきました。季節の所為もあるのでしょうね。気が短くなってもいることでしょう。早く結論を出したがるようになりましたからね。まあいいこともあるが、そうもいかないところもある。日本人はいま何処にいるのでしょうか。それが、最近というか、謂わば私のテーマですが、特徴といえるものがないのかも知れない。それは世界の不確実性にもよるのでしょうか。一様ではないとも言えますが、独自性を失いつつあるのはあるかも知れない。明治以後日本人が求めた豊かさとは、モノであっただけかも知れない。外から持込んだ哲学の手法だけで学問を整えようとしているのではないか。それとも独自性など元々ないのだろうか。併しその思想の確立がなければ、存在理由もないのではないでしょうか。何れ崩壊せざるを得ない。たとえ島国や古いだけでは生き残れない気がします。世界はひとつですが、どこの民族の子孫が残るかはまだ決められている訳ではない。それは、自然淘汰で決まる。現代で、華々しく活躍する人たちが生き残るとは限らない。次代はそういう人たちの住めない世界かも知れません。必ずしも、ひとり勝ちのアメリカがいつまでも続くのではない。いまアメリカを支配しているのは、少数の人たちでしかないからです。何れ、私たちに思いがけないことが起こり、やがて、想定外が現出して、時代は変革されるでしょう。まだ僅かにchoice ができるがいつか、 no choice がくる。 ・耳順も、孔子だから、紀元前だからできたのでしょうか。少なくとも現代では自分が思う世界でのことでしかないでしょうね。ブログもそうだけど、自分では開いているつもりも、外からの攻撃を恐れてバリアー張っているのだから自分で閉じている訳だし、アクセスしてくるひとたちも自分に忙しいひとばかりでしょう。自分のことしか関心のないひとには、他人のことばは届かない。表面的な交流でしかない。どうもそういうところでお茶を濁すだけだとしたら、大した交流ではない。或いはしても少なくともステップにはならないし、きっかけにもなりそうにない。個人情報で書けない日記など価値があるのだろうか。人間との繋がりも歪なものでしかない。どうもことばでの交流というのは、惑星間の通信に終わるのでしょうか。 NHK番組で、面白い惑星の話があっていて、最後に「宇宙の片隅にいる私たちは、私たちのうちに宇宙をもっている」というフレーズは、興味をもった。私たちの脳は、ニューロンネットワークという未知の世界をもっており、人間の最後の壮大なフロンティアでもあるだろう。まだ、孔子の仁さえ理解できないでいる人間たちにどこまでできるだろうという不安はあるとしても、ここまできたという感慨は確かにあるし、絶望の中から旅立つものだけが、引き継ぐものがある。
2008.08.28
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他人の押し付けの意見を自分の感情だと勘違いしているのではないだろうか。そういう風な言い方を随分されてもきたと思う。俺は違うと内心思っても、それを許さない雰囲気に気押されてしまっていた。曖昧な表現になるのはその悪癖の所以でもある。つい断定を避けてしまう。別に差し障りのあることでもないに身を引いている。自己主張は大切な人間の個性であろう。 ・自分の行動に責任を持つことを寧ろ学ぶべきだろう。いったままで責任を取らない政治家が多いのはそれを許してしまう大衆がいるからであり、政治家を叩き直さない限り政治も善くなりはしない。大物ぶる政治家がいるのは、それで世の中を渡ろうとしているからで不遜な輩でしかない。国民の血税から歳費を貰うのだから、それだけ経理も清廉でなければならない。それほど裕福な財政ではないのだ。寧ろ破たんしかねないのだから、日常も質素の模範足るべきだろう。 ・へ2・・・ぶくぶく肥った政治家もその役務に耐えられない。健康を守り、適度の運動をして、自己管理をすべきだろう。それには病院食が一番だ。確り食品交換表でカロリー計算をして健康管理をしたらどうだろうか。呆けた頭もすっきりしてまともな政治ができるのではないだろうか。国際社会で生き残るためにもそれくらいのことができない筈はない。 >病院食:参考。
2008.08.28
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どうやら朝夕のウォーキングも日課になってきた。今朝は小雨が降っていた。流石にいつも逢うウォーキングの人たちも誰もいなかった。これまで、余り雨に邪魔されたことはなかったが、これからは台風の襲来とか、換気とか、障害もあるだろう。それでも、何か歩かないと一日の調子が狂ってくる気がする。溜まったものを出さないと気持ちが悪いような気さえするから不思議だ。これも習慣になってきたのだろう。条件反射のようなものだ。 ・4年前のアテネオリンピックの時のブログを見てみた。あれから4年経過した。才気が失せただろうか。そうかも知れない。随分呆けてもいる。自分で気付かない呆けもあるだろう。片足が無くなれば歩けない。片目が見えなくなれば世間が偏頗なものに見えるだろう。覚悟はあるだろうか。何もありはしない。4年かけて臆病になっただけかも知れない。頭皮とか、肌のつやとか、柔軟性とか、許容性とか、変化が起きている。自分に日課を課そうとしない狡さが出てきた。やらないで済まそうとする怠慢もある。 ・へ2・・・免疫ホルモンの減退で、あちこちで細胞のコピーが変質を始めているのではないだろうか。知らぬが仏だ。何かを自分に課して、それを確り熟す。問題の所在を、自ら提起して、それに応えていく。今は、何を食べても美味しく食べられるし、痛いところも、頭痛がすることもない。ウォーキングで楽しめるのは、恐らくあと数年間なのではないだろうか。一日でも長くそうでありたいものだ。ほかに何があるだろうか。一日の日課は他にもあるが、苦痛ではない。日課を怠らないことが継続の前提でもある。 >病院食
2008.08.28
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自分勝手な理論は、陥り易い過ちだ。然も人生の大半をかけるひとさえいる。自分は気持ちよいだろうが、傍迷惑にもなるだろう。全くの誤解が多い。そして、蜘蛛の巣のように、網にかかるものを餌にして生きているようなものだから、犠牲者もでる。文春「日本敗れたり」(2005年11月号)を読んでいると専門家が余りに知り過ぎて、「蜘蛛の巣」を創り上げているさまを見る思いがする。彼らは、自分で知りえた歴史だけを信じている亡者だろう。彼らの「蜘蛛の巣」は過去にしか向かわない議論だ。軍事的には、「攻撃の限界点」というものがあるらしい。戦前の日本は、それを超えてしまったのだと云う。だから敗れたという論理だ。勝手な論理だが、観念としては、まだ何処の国でも持っている概念だろう。つまり、この世界は戦場でしかないという前提があるだろう。人類は、殺し合いながら進化したのだ、という。資源のない日本が、米国の真似をしてもそれこそ「攻撃の限界点」があるだろう。積み上げられた情報は、いつか整理されるだろうが、まだその力が人間にはないのだろう。それまでまだ、蜘蛛の巣理論が横行することになる。或いは、「攻撃の限界点」などというのも幻想でしかないだろう。専門莫迦はどこにでもいるが、彼らは、いつか迷宮の洞窟に迷い込むだろう。そしてただ時間を失うのだ。どれだけものであろうと、それを自分だけでは正しい評価をすることができない。
2008.08.27
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毎日お題目のように繰り返している。「今日は、昨日とは違う」と。年を取ると、同じことをしたくなってしまう。昨日と違うというのは、厄介に思えても来る。同じことをして楽をしたくなる。いつも顔見知りの人が周囲にいて、優しくしてくれるところに居たくなる。好きなものが食べられて、昨日と同じことをしたい。そうは問屋が卸さない。朝昨日のことは全部忘れてリセットできないと、スタートが切れなくなるが、それができる間が辛いがいいのだろう。棄てなければ歩けない。日々と別れて進むしかないのだ。 ・余計なものを持ちたがるのは妙な未練の所為だ。身に纏うものはない。余計な脂肪と別れて行かねばならない。昔の坊主は、死ぬ前には絶食したという。坊主が生臭くなったのは、戒律を忘れたからだ。それで世俗に見捨てられてしまった。範を垂れない指導者は指導者ではない。真似をするような人物がいなくなれば、誰も信用などしない。欲望が人間を支配し、美徳を尊ばなくなり、堕落した社会になった。他人に隷属しても恥じなくなった。「恥」を忘れてしまった。本当の「恥」も知らないのだ。 ・へ2・・・今や教師が教師ではない。ただの手配師でしかない。先生が先生ではない。課題を与えられないと応えられない。計算ばかりしている。0[ゼロ)が何かを知らないものばかりが溢れている。私は亡霊ではないから、「恥」も昔のコンセプトではない。
2008.08.27
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自分でもどうかわからない。どこまで続いているのか。鍛え上げた肉体でも、百戦錬磨の戦士でもない。ただの通りすがりの平凡な親爺だ。これでも謙遜して言っている。腹では違うことも思っている。ひとは見かけではないし、言っていることも本音とは限らない。屁をこけば臭いだけだ。 ・とかくこの世は、住み難い。漱石は言ったが、本当に小説の通りだろうか。漱石は本音はどこにあったのか。誰にも分らないだろう。今感じていることも、何かの拍子で違っても来る。モードが違えば気分も違うだろう。学問も解かれば愉しいが、解からなければ相手を恨みたくもなる。解かり易いから本当のことを言っているともいえないのが癪だ。 ・へ2・・・何をやっているのだろうか。それは誰にも分らないのではないか。ただ耐え抜いた人だけが知る安らぎを知っている。苦しんで生きるのは悪いことではない。最期が穏やかに来ることだろう。緊張が解けたようになる。ひとは極限まで努力などしてはいない。それは言えると思う。 >フランクフルトで。
2008.08.27
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福岡の気温は、現在22℃で、室内も少しひんやりと感じるが寒くはない。快適だ。血圧は、93:61 だった。PCが立ちあがるのを待ちながら、「時が滲む朝」を読んでいた。ぼつぼつ読んでいる。急がない。急いで読む本でもない。意外と平凡にも思えてきた。「我愛中国」などというスローガンがなければ、素朴な学生模様は日本にも共通の資質でもあるだろう。作家に日本ナイズがあるだろうか、とさえ感じてくる。怒るだろうけど。 ・外からの空気が入ってこないとすれば、ひとは同類項の道を歩くのではないだろうか。歩く道路が段々狭くなり、学生同士が肩を寄せ合い始める。日本の同期の桜を思い出す。自分たちの未来に敏感な若者たちは、不安を嗅ぎわける能力を持っているらしい。それが高揚してもくるのだろう。それが、時に国家という権力に翻弄されもするのだ。 ・へ2・・・友情が、ホモに変質する時代だ。それは高い目標がないからでもあるだろう。すべての行為が個人のレベルに堕落した社会のためだろう。拠るべきなき下劣な集団でしかないだろう。いまや大学という名の工場から大量に再生産される学生たちはステレオタイプの顔をしているだけなのだろう。自分の姿さえイメージできないのではないだろうか。同じ顔の奴ばかりだろう。それに反発もしない人間ばかりでもある。どうやら、たぎる血潮さえないロボットになってきた。そのうちに生殖能力もなくなるのではなかろうか。今朝もめげない親父がいる。
2008.08.27
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カストロフィ 種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだという。他の種は平気だったりする。たった温度1~2℃の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようとする余り、その時期を見失うのかも知れない。自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごしてしまっている自分がいないだろうか。やがて、自分だけの「ヘイフリックの限界」が待つだろう。身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。今の自分に気づかないまま時は流れて、秋は深まるのであろうか。
2008.08.27
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ヴェトナム旅行旅行は、ガイドが優秀で、グループにも恵まれて期間は短かったが、愉しかった。統一会堂では、当時の大統領の執務室や会議室、作戦室がそのまま残されており、ソンミ村の惨殺現場の写真も見られた。アメリカの観光客には見せないらしい。ガイドは、「政府は何でも公開する」方針だと言った。アオザイにかける女性の思いは半端ではなく、ウエストは飽くまでも細くあらねばならないらしい。確かに腹の出たアオザイはさまにならないだろう。朝の公園で、ベンチで男たちから口説かれている女性は、自信に溢れているようであったし、あちこちでキスをしていた。まあ朝から晩まで恋愛らしい。道路はどこもオートバイの洪水であった。何処に行くのもバイクらしい。観光客は信号のない道路では横断もできない。ホーチミン市は600万都市である。屋台が到る所にあり、然も易くて旨い。若者の天国だろう。恋愛は日本よりも自由だ。そして女性が強そうだ。相手を選ぶのは女性だ。
2008.08.27
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