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自民党も多数を背景にゴリ押しをことを運んでしまいましたが、果してこれでいいのでしょうか。審議を尽くすというのもやはり口実に過ぎなかったし、福田首相もそのための道具として使われた内閣でしかなかった。こうして、国民に政治不信を益々国民の政治離れを助長し、そのことで却って、利益集団的な政治の不毛時代があった。どうも、プロ野球にしろ、高校野球や、大相撲、紅白歌合戦、大リーグ戦、NHK大河ドラマ等、あらゆるものが、そういう戦略の愚衆政治に拠るのではないだろうか。そういう意味では、私たちは利用され、罠にはまった獲物でしかないのではないか。 ・国の予算や道路関連法案も必要であるが、拠って立つ政治が公正でなければならない。そのためにはただ法の手続きに従って、強行採決をすればいいというのではない。目的のためには手段を選ばないというのでは、何のための国会審議か分からない。それこそ政府の言うままにしておけば、国民不在の政治が戦前のように行われるだろう。戦前の日本人も私たちと同じ日本人だった。それは、政治が国民の願いを無視し続けた結果ではなかったか。多数の議席を得るためだけに小泉チルドレンを創った。そして、自分たちの言うままに政治を動かそうとした。そして、今日の政治状況を造り上げているのではないだろうか。 ・へ2・・・少なくとも、私たちも昔の日本人ではない。彼らの行動はテレビを通じて限られたオブラートで包まれたものであるとしても、その真実の一部でも見ることができるようになり、二つの目の奥にある脳で見ているし、考えることもできるようになっている。何が国会で起きており、それが何を意味しているのか理解できるようにもなっている。だがそれが、世論となり、政治を変えることができるだろうか。選挙はそれだけの意味をもつが、権力者が都合のいいように変えることもできることを忘れてはならない。彼らもバカではない。次々に手を打ってくるだろう。飴と鞭が彼らの常套手段でもある。いつの間にかどうしようもない政治制度を作り上げてしまってもいる。しかしそれは人間たちがしたことであり、いつでも改革はできるものだ。日本の危機はどこにあるだろうか。まだ見えているところと、そうでないところがある。それをはっきりさせていかなければならないだろう。まだ、時々いばらの道だ。
2008.02.29
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少しは脳を活動的にして3月を過ごしたいものだ。まあ思うようにはなかなかだが、その気がある。寒の戻りはあるとしても、眠っている神経を叩き起こして、「休眠打破」しなければならない。何でもリセットしてやり直そう。これからの1クールは、どんなものにするかは自分次第でもある。まあ、嘘のないものにしたい。そう単純ではないが。 ・「無」から「有」を生み出すことはできないだろうか。併し無機質から有機質は生まれたというジャンプがあったのが、ヒトの誕生ではないだろうか。輪廻を断ち切ることが「悟り」であるという。物事の背後にあるのはただ事でないものがあるのではないだろうか。それを見つけねば何事も始まらないかも知れない。それは、何らかの決意が要るのではないだろうか。 ・へ2・・・明日から3月。何かを始めようと思っている。
2008.02.29
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時々、空回りするのは何故だろうか。どうも、違う。どうもストレスがたまりそうなのだが、別に大した理由があるわけでもない。スピードだろうか。原因は、体内時計だろうか。思惑があり過ぎるのだろうか。それが、蓄積されて、どうしようもないことになりはしないか。それこそ必死に知恵を出さなければならない。 ・税制関連法案の衆院委員会の強行採決され、現在、今年度の予算案の衆院採決が野党欠席のまま採決がおこなわれている。このままでは、またもや政府の議論不在の強行突破だろう。何のためにこれまで、議論したのだろうか。それは形式的でしかなく、誰かのレールが敷かれていたのではないだろうか。先に予算案ありき、税制関連法案ありき、なのではないだろうか。 ・へ2・・・時々、世の中は変調を来たすものだ。これまで積み上げてきたルールが無視される。そして、何かが弾けるのだ。福田内閣の言動が普段とは違う方向にまわり出した。これも計算通りなのだろう。であればこれまでは、猫かぶりなのだろうか。物わかりのよさそうな態度は、見せかけでしかない。何かを、すり抜けたのだろうか。それは果して国民にとって何を意味しているだろうか。それは大抵良い方向には向かわない。夜になって風雨が強まり、春一番のうような二月の最後の日である。明日から三月だ。
2008.02.29
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いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物が番いになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より) 私たちの脳は環境から情報を取り込み蓄積して、あとで引き出しているが、新しく何かを学習した神経細胞の接続が変われば、いま記憶していることも変化していくのだ。 何が「寂しい脳」だろうか。孤独感に苛まれ、自己の存在にさえ怯えなければならない存在だからだろうか。喜びが入りこむ余地はわずかでしかない。 いまから5万年~10万年前に人類の脳の容量がいまと殆ど変わらないくらいに増えた。脳が構造的に変化してから、それが文化に反映されるまでの長いあいだも、人類は言語の発達を通じて、寂しい脳の闘いをつづけている。
2008.02.29
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本と名のつく書物は一〇〇〇〇〇〇〇〇冊あるらしい。その中から、自分の能力に応じて読書をしている。日本語で書かれた本がどれだけ、その内に含まれているのだろうか。毎日一冊を60年間読んでも、365日×60年間=21,900冊でしかない。若い時と老年とでは読むスピードも理解力も違うが、深まるものもあるだろう。それにしても、よほど上手く読まないと追いつかない。日本語の本が世界レベルの本がどれだけあるだろうか。限られた本でしかないとすれば、どうやら、碌なことにはならない気がしてくる。 ・「千年紀のベスト100作品を選ぶ」という本を手にしている。どれだけの意味があるか知らないが、日本人が選んだのだから偏見があるだろうがリストアップしてみる。 ・源氏物語 ・平家物語 ・新古今和歌集 ・奥の細道 ・細雪 ・吾輩は猫である どうやら、この本の趣旨は本ではなく、芸術作品という意味らしい。他の作品もあるが、あまり興味はない。何をベースにするかでもあるだろう。少なくとも、日本人の視野が如何に狭いかということだ。何度も書いているが国会でも質疑の、内容がかみ合わない理由がどこにあるだろうかということだ。議論して決めるということに慣れていないためであることは言えるだろう。上意下達でしかなかった日本語が、私たちのあるべき議論を歪めてしまっている。 ・へ2・・・石破防衛相に、「防衛省を預けている・・・」わけではないだろう。だが、責任は取れではある。それは国民の厳しい監視を受けていることを忘れては困る。彼の論理は、自民党内では通用しても、一般社会では通用しない。
2008.02.29
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今日誕生日の人もいるのではないだろうか。すこし可哀想だろう。オリンピック年のようでいい、というひともいるのだろうか。そういえば、今日国会で、衆院予算集中審理があっていたが、あれは何だったのだろうか。夢のようなバカのような審議だった。形式的な時間潰しでしかない。併し、より鮮明になったことは、政治家たちの怠慢だろう。 ・今日がなければならないかけがえのない一日であった人もいるに違いない。逆に苦渋に満ちた一日だった人もいただろう。夫々の立場がある。そして、私たちは選ばなければならない。どうして、これから進んでいかなければならないかだ。訳の分からない人が、「防衛省を預かったものとして・・・」間違った決断をして貰っては困る。その危うさを日本は抱えてもいる。そして彼が、防衛問題の「論客」であり、そのポストにいるという現実の重さを感じなければならない。艦長だけの責任にしようとしてはいないか。服務規定は問題ない。それを運用するものが、油断しただけだというのだ。 ・へ2・・・今福田内閣がしているのは、予算案、税制法案を与党が強行採決をしようとしている。そのための審議でしかなかったのだとしたら、審議は尽くされているとは言えない。そして、話は半分しか聞いていないか、殆んど聴いていないのであり、国民の期待を裏切るものだ。これは衆院で自民党が過半数に拘る所以である。公明党を引き入れる理由でもある。そして、石破しか防衛相に相応しいひとがいないような自民党は末期だろう。
2008.02.29
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おそらく自分で感じる思いは自分でしか分からない感動があるのだろう。写真は、自分が見たものより小さい。脳には見たものをもっと大きくイメージしていると言われる。カメラはメカでしかないからだ。だから、写真を見ながら、どうも違うが気がするのはそれがあるのだろう。それでも、まだ、カメラがとらえるものには多くの情報が詰められてもいる。脳は自分の関心のある部分しか記憶しないからだろう。より関心のあるものに引き寄せられるからだろう。 ・母と小学の入学式行った時の校門の桜吹雪で見て好きになったが、母が癌と告知された時にみた熊本城の桜が胸を痛めて、桜見を避けていたが、その後福岡で会社の桜見会があり止むを得ず何度か夜桜を繰り返しているうちに、また桜が好きになった。それこそ横浜に単身赴任してから、あちこちの桜を見てきた。写真も色々撮ったが、あまり気に入った物がなかったのは腕もあるのだろうが、やはり自分の脳の目には敵わないという気持ちもあったのだろう。 ・へ2・・・それは、人間の心が作用しているからでもある。その時何を考えているかでもあるだろう。他に関心があれば、それは単なる花の一つでしかない。もし母を思い出しているとしたら、色々の場面のイメージでもある。もし、私が母のように癌の告知をされたとした後であればどうだろうか、それはいつか、西行のような心境になれるだろうか。それはないだろう。これまでは、心に触れる写真はない。これからもあるだろうか。心と一致した写真はないとしても、心に触れる写真はあるのだろうと思っているし、願ってもいる。
2008.02.29
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前の会社で一緒だったひとと呑んだ時に、その方の「スイスツアー」のビデオを見せて貰ったことがある。列車からの風景が綺麗に映っていた。それから何度か、DVDでスイス観光のものを見たりしていた。どうやら、スイスに憧れをもつのは、中学生の時に聴いた永世中立国というイメージが膨らんだからでもあるのだろう。戦乱のヨーロッパの中で、小国でありながら周辺諸国からの圧力を排して、中立を貫いたということだろう。そこには並大抵ではない努力があったはずだし、スイス国民の思想の平和への強い意識の高さでもある。 ・「日本は東洋のスイスになれ」(マッカーサーの言葉、1949)とか、あるように、平和への熱望が強かった日本国民の心情でもあったのだろう。それが、子供だった私たちの心に響いたのではないだろうか。スイス国民が、それまでしてきた努力の重さが尊いように思われたからだろう。それだけ皇国思想に虐げられたいた国民の反省からでもあったのではないだろうか。ここで想うのは、国民の意識の高さが如何に重要かということだ。 ・へ2・・・即ち、国民が国防を自分たちの問題として捉えているからではないだろうか。国民が自主的に参加しているという意識がある。日本はどうか。寧ろ国防の問題を、国民の目を逸らそうとしているのではないだろうか。25万人の自衛隊で、国を守ることなどできはしないのだ。それを如何にも、それで遣れるように誤魔化そうとしている。石破防衛相に任せられないことを認識すべきだろう。
2008.02.29
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同じ党内での議論というのが、如何に視聴者向けとはいえ、午前中の中継された内容は、馴れ合いの議論でしかないのではないか。核心を外した議論でしかない。いま午前に引き続いて、予算委集中審議が行われ。民主の前田元党首が質問をしている。質問者が野党であるだけに質問の切っ先は鋭くなるだろう。どこまで切り込めるだろうか。これは自浄能力の問題でもあるだろう。 ・航海長を聴取の認識もなかった、内容も記憶していないという増田防衛事務次官の話は当をえたことではない。隠していることがあるに違いないという印象を誰でも持つに違いない。ただ同席するだけの事務次官がいるのだろうか。なにかやっているな、くらいのに意識だったというのだろうか。酒席に出たくらいの認識だったのだろうか。少なくとも国会で追及されるという認識がなかったのは事実だろう。 ・へ2・・・国会議員が、国政調査権を持ち、どこにでも調査に行くことができるだろう。自衛艦にでさえ、制限はあるにしても、どういうことがされているかを調べることはできるはずである。内部規律は書面で見る権利もあるだろう。1千数百億円もする護衛艦「あたご」と300人の乗組員の人命を守る人たちが、内局と制服組が一体となっているのだろうか。そして、自衛問題の「論客」のひとりで、国会議員の中で最も自衛隊を知る議員と言われている人がこういう人でいいのだろうかということだ。この程度の人が第一人者として存在するということに不安を持つのである。文民統制とは、少なくとも議論はあるとしても、武力をもつ軍隊である自衛隊について石破防衛相の、発言は大言壮語でしかない。できもしないことばかり言っている。それを許している福田内閣や、自民党が信頼できないと思う。
2008.02.29
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2001年1月 - 防衛庁初代副長官に就任(~2001年4月) 2002年3月 - 拉致議連会長に就任 2002年9月 - 防衛庁長官に就任(~2004年9月) 2004年4月 - 第2次小泉内閣の閣僚の中で麻生太郎・中川昭一とともに国民年金保険料が未払いだったことが発覚 2007年9月 - 福田康夫内閣で防衛大臣に就任 (Wikipedia より) 勿論、石破茂防衛相の経歴である。防衛問題の「論客」のひとりと目されている。それが、如何にも、服務規律を知らなかった、知らなかったという話だから、何をいまさらか、と言いたいのだ。政治家であり、戦後生まれ(1957)の人物であるが、論客と言われる人が果して、何を知らなかったのかという話でもある。彼の弁明がまた今日も国会中継(衆院予算委 集中審議)がされており、聴いているが、言葉の端ばしに、石破が「防衛省を預かるものとして、・・・」といいながら、自衛隊の実態を知らなかったといういいようは不愉快である。中身のない弁解でしかないのではないだろうか。 ・こんなことで、文民統制が十全といえるのだろうか。本当に自衛官たちが考えている心情を理解しているのだろうか。少なくとも2001年から防衛庁副長官を務めている経歴からも、いまさら、という気がする。現在の自衛隊にした関係者ではないか。併し、彼が論客と言われる所以が、これかと思うのは、自衛隊の最前線をどこまで体験しているのだろうかという思いがしたからでもある。少なくとも私よりも若い世代であり、戦争の「せ」の字も知らないひとである。それが、口だけで議論している気がしてならない。 ・へ2・・・政治とはそういうものではないだろうか。カネにも困ったこともない世襲で政治家になった人が大勢いるのだ。それを「よし」、とする社会でもある。彼は偶々防衛相になっただけに人物だろうか。そのひとが「防衛省を預かるものとして・・・」といえるのだろうか。違和感がある。そして、石破が、被害家族の話まで持ち出して、人情論にして問題のすり替えをしようとする態度が理解できない。都合のいい話で責任逃れをしようとしてはいないか。そんなところに論点があるのではない。不毛な議論であろう。
2008.02.29
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「天網恢恢疎にして漏らさず」、という言葉を思い起こすような三浦和義事件ですが、これは日本の最高裁の存在を嫌でも想起させる問題でもある。戦後の米軍の占領時代が頭を過ぎるからでもある。アメリカで殺人の起訴に時効がないそうだ。まさか日本の最高裁判決の面当てではない。アメリカの法律に従っているまでなのだろう。治外法権があるから、国家間のルールは違うのは当たり前でもある。今回の結果がどういうものになるかは、日本人は何も知らない。それは、アメリカの裁判所が判断することであり、あちらの検察は起訴に持ち込む証拠があるといっている。それは新しい証拠だろうか? ・日本で保険金詐欺で、配偶者を他人を道具にして殺すケースはいくつもあるが、殆んど証拠が挙げられてしまうだろう。それほど殺人は完全犯罪というわけにはいかない。それに比べると今回のケースは、殺人現場がロスであり、日本の警察も国内のようには行かなかっただろう。それを基にした刑事裁判では、挙証がし難いだろうことは、誰にでもわかることである。それを狙った犯行だろうか。そして保険金までせしめた男だろうか? ・へ2・・・最高裁は証拠不十分で無罪にした。犯罪者の狙い通りになったのだろうか。それにしても三浦氏の経歴はどこか劇的でもある。あの有名人の甥らしい。しかも俳優である。日本人には珍しい大男でもあるが、妙に高い声の人物だ。人を殺すという行為は、キリスト教でも十戒にもある。それだけ許すべからざる罪である。たとえ日本で無罪になろうとも、アメリカで行われた犯罪を裁くのは当然だという論理だろう。しかも1億2千万円の保険金まで受け取っている男だという認識がある。そして、これを無罪としてしまった日本の裁判と、アメリカの裁判が際立つのはいうまでもない。それは筋書き通りになるだろうか。結果が何であれ、何かまた映画ができそうだが、また日本は恥を掻くのだろうか。
2008.02.29
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人の価値は、そう簡単には分からない。それほど軟な世界でもないからだ。それこそ下駄を履くまで、・・・かも分からない。今日は4年に1回の29日。福岡市は6時48分に日の出だそうだ。予報では、3月下旬の気温になるらしい。私の正体を知っている人も、このブログを偶には見てくれているだろうか。あまり隠しているわけではないが、宣伝しているわけでもない。それこそ友人がブログをやっている人を知らないので、あまり情報がない。 ・いまごろ艦内を視察した石破防衛相が、どうして問題が起きたのか検証(?)し、これから(?)どうすべきか(?)、自分が(?)が、どう改善する(?)か、指導する(?)のが、自分の果たすべき責任(?)だ。とスピーチした。それに対して、福田首相は、それを支持したと報道している。どうも、可笑しいのではないだろうか。事故が起きたから、今頃、これからなのか。そんなに自衛隊は、大臣が指導しなければならないほど駄目なのか。今まで何をしていたのか。何のために幹部がいたのだろうか。彼らは必要ないのか。無能な政府だろう。それは、国民を愚弄する行為ではないだろうか。 ・へ2・・・どうすれば、安全な航行が出来るのかくらい自分たちでできないはずはない。それをしなかっただけだろう。それを責任転嫁している大臣であり、首相ではないだろうか。それこそ、口裏を合わさねばならない事情がありそうである。狼狽が見えるようだ。国民を如何に誤魔化すかしかないのではないだろうか?また、部下に引責辞任があるのではないだろうか。それでも、国民はめげないよ。ついでに、私もめげない。>前の少し上流の溝です。
2008.02.28
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上の写真は、それこそ田舎の溝川だけど、悪臭がするほどでもない。見た目は小川のように見えるが、ゴミが捨ててあり、誰が見ても溝川でしかない排水溝である。最近は下水溝に蓋されてきている。そういえば蚊も随分いなくなり、蚊帳を張らねばならないこともなくなっている。ブッシュで蚊に悩まされるというのも少ない。それだけ農薬が拡がったのだろうか。それこそ、この溝川から、さほど離れていない場所に農道があり、澄んだ水が流れているところがあった。 ・これだけ人家が少ないし、農地もある場所である。ゴミがなければ綺麗な溝川なのだろう。併し生活排水が混じっているのだろう。昔ほどマナーが悪くはなくなりつつあるが、それほど市民の意識が高いとも言えない。行政の市民サービスをみても遅れている福岡市の現状がある。日本中のどこを見ても、こんな溝川はあるだろう。もっと酷い場所もあるが、余りにも汚くて写真をみただけで嫌気がさすだろう。誰でも見て知っているが知らないふりをしており行政も同じだろう。併し、見ているのは日本人だけではない。外国人も知っている。成程、ここまでの文化や生活レベルだろうと思うことだろう。 ・へ2・・・或いは、もっと酷いアジア地域もある。文化のレベルは下水道の設備で評価される場合が多いだろ。高いビルが多いから文明国ではない。人間が住むに相応しい環境が備わっているかだろう。急ぎ過ぎる経済成長は、環境破壊を招くものだ。それは、どれだけ下水処理がされているかでもある。よく地方行政で、公共施設に対する予算がないという話を聞くが、公正な予算配分がされているとは思えない。どれだけ、「まとも」、だろうか?昔ながらの行政が行われ、国民から吸い上げるだけ吸い上げようとしているのではないか? ・年貢米は増えるばかりであろう。
2008.02.28
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中国側公安省が中国での毒物混入の可能性が低いことを表明した。日本側警察でも日本国内での混入の可能性は少ないとしている。では、真実はどうなのか。決め手を欠いている。中国はこの夏の北京オリンピックを控えて、食の安全については、国際社会の関心を呼んでいるだけに引くに引けない事情があるようだ。これでは、どれだけの捜査がされるか分からない。都合の悪いことをするはずがない。 ・今度の防衛省の増田事務次官も酷い人物のようだ。航海長から事情聴取をしながら、肝心の内容を記憶していないというのはどういうことだろうか。メモがあるかないかまで隠そうとしたのだから言語道断だろう。何のために事情聴取したのだろうか。航海長が重要な聴衆だったから、ヘリコプターを飛ばして防衛省に呼びつけたのだろう。それが記憶にないというのは隠しているとしか思えない。それが口裏合わせでなくて何だろうか。都合が悪いから言わないのだろう。そんなひとが、シビリアン・コントロールのトップだというのだから、これは防衛省は腐れ切っているとしか言えない。 ・へ2・・・何もかもが、迷宮入りになるのだろうか。そして、ズタズタになった社会が残されるのではないだろうか。死にかけたひとまで出たのに、その現実さえ解明されないような社会だろうか。それで日本も中国も現代の国際社会の中の国家といえるのだろうか。>オオイヌノフグリ
2008.02.28
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大いなる孔子は、博学であるがこれといった限られた専門での名声をもたないという。儒はなによりも学問を尊ぶ。元来聖者は多能ではないという。仏と儒はそして道教は、中学の主流で歴史を形成している。 処で、「茶は南方の嘉木なり」と陸羽「茶経」で述べている。大乱を経験した陸羽は、理想の人物像を「精行倹徳之人」 品行端正で節倹の美徳をもつ人で、茶はそのような人こそふさわしい飲み物だという。 これから、中国の四千年の智慧を学びなおすことになるだろう。西学は、所詮技術の器でしかないだろうか。中学は道である。日本は、明治から「和魂洋才」と言っていたが、目標は混乱しているであろう。何も思想を抑圧することではない。茶道にしても一部の者の趣味ではない。形式に拘らず茶をめでたいものだ。学として、仏や儒を見直すべきだろう。 ・コーヒーから、数ヶ月前から紅茶に趣味が変わった。そして何度目かの「お茶」に戻るのではないだろうか。
2008.02.28
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如何に時間を有効に利用するか、工夫をすべきなのではないか。マンネリでは知恵はでない。必死になって考え、実践することではないだろうか。自分の時間をどれだけ価値あるものにするかだろう。他人のために尽くすのも自分の時間であることには変わりがない。自分の物的な満足だけではない。精神的満足もあるだろう。どうやらそれでも時間の浪費をしてばかりいる。 ・どれだけ化学薬品が使われているのだろうか。農薬が身に迫っているのがどの程度なのか明らかではない。農道を歩きながら、妙は心配をしなければならない。確かに虫が減っている。山に入ると、虫がいない。小川に魚がいない。水道の水のように澄んでいる。見た目には昔と変わらないが、中身がどうだろうか。昔のままだろうか。そんなはずはないか? ・へ2・・・まだ、時間はあると信じたい。そして時間を消費する贅沢を味わっている。
2008.02.28
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数々の試練というべき課題を乗り越えなければヒトは、ここまで来ただろうか。それがすべてを正義だけで手に入れたものではない。それこそ血みどろの大きな犠牲を経て手にしたものも多いだろう。ひとは時に卑劣であり、冷酷であり、残虐でもあっただろう。それは今日の世界の有様をみれば解かることだ。 どれだけ弁解しようと、人間は環境を破壊し、資源を食い潰して世界人口66億人が地球上で溢れている。そして、山積する問題に取組んで行かなければ、降りかかる隕石のように、近い将来においてディープインパクトが襲い掛かり、世界は行き詰るだろう。 世界はひとつにならなければ、根本的な課題を解決できないのではないのか。我田引水の国益重視では国際秩序は成立たなくなっている。もし北朝鮮のような国が次々出てきたらどうするのだろうか。USAのような自分勝手な正義を振り回す真似を世界中で遣り出したら、この地球はパンクするだろう。地球は、あと四つ必要だ。それだけでも足りないだろう。 このままでは、大国の野心のために戦争になるだろう。どちらかが相手を殺さなければならなくなる。ひとは死んで子孫に生きるスペースを残さねばならない。赤ん坊は可愛く生まれ、老人は老いて死ぬ。併し、そこに人間の優しさがある。ひとは譲り合い、たすけ合って生きていくのだ。それが、ヒトが勝ち得た智慧ではなかったか。それを妨げようとしているからこそ、歪んだ社会にしてしまっている。 それは、見るべきものを確り見、為すべきことをしないからではないか。
2008.02.28
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木戸敏郎「若き古代」という本を読んでいる。その中にルイス・フロイスの「日本史」の話が出てきた。当時日本でも公家や僧侶が書いていた日記の習慣があったにも拘わらず、その日記等は個人的なものばかりでそれこそ、現代から見て一次史料としての歴史的価値はないのだという。 その点、フロイスの「日本史」は、木戸氏は単なる二等資料だというが、歴史学的には一次史料としての価値が充分あるだろう。つまり、文書として事件の発生に付随した記録・資料の価値を理解していたかどうかなのだろう。当時の日本の文化人には、権力者に対する個人的なの悪口は残しても、事実としての事件や事故などの日記を残すことが、一次史料になるという観念がなかったのだろう。 遺跡だけでなく、遺文も重要な史料であり、たとえ日記でも生の資料であれば充分一次史料になりえる。文化の蓄積とはそういうものではないだろうか。フロイスの残したものが日本人の歴史の役に立つとは不思議なことである。西欧人と日本人の文化の差だろうか。 歴史は消えるものではない。ただ都合の悪いものを消去しようという考えは間違いだ。何でも「水に流す」というのでは、いつまでも問題点が見えなくなり、不正さえ見抜けなくなってしまう。同じ過ちを繰り返すことに繋がるだろう。日本人が、これから世界で生きていくためには、悪いことをすれば、「水に流す」では通用しないし、徹底的に責任を取らされるということを肝に銘じなければならない。 たとえ個人のブログであっても、それが名文ではないとしても、その時代にある事件や事故に対して、庶民がどういう感想をもっていたかを残すことは、或いは、未来において、何らかの参考資料になるかも知れないのだ。
2008.02.28
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日時計が発明されるまで人々は、自然時間に従って暮らしていた。太陽、月、星が生活のパターンを決定していた。日時計は5千年以上に亘り、人々を支配し、ひと社会で使われていた。そして、近代の時計が果たした役割は大きい。コミュ二ティ全体を共有できて、眼に見える指標が齎されたのだ。周期が一日より長いリズムをインフラディアン・リズムという。13年または15年ごとに2週間の繁殖クライマックスを迎える蝉など、ずっと長い周期があるとされる。J.T.フレーザーは、「同じニッチを共有している動物や植物は、お互いの生物リズムを合わせる必要がある。狩りをする時間、食事をする時間、交尾をする時間、巣をつくる時間など、それぞれきまっていなければならないはずである」という。ひとが、共有する時間は一定であるが、或る意味でウルトラディアン・リズムや、インフラディアン・リズムを遣っていることも価値があるかも知れない。不安定性が齎すものが進化に繋がる蓋然性があるのではないか。葉を日中に開き夜に閉じるという光合成の形成が必要な植物の形質であるが其の中で、概日リズムに則って、日没を予測し、香りをも生成するという時間を持っているというのは驚異であろう。ひとしての私たちの一日も、「香り」を放つ仕事があらねばならないと信じたいと思う。
2008.02.28
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空を見上げたら飛行機雲。陽光が一段と強まった感じがした。人間の喜怒哀楽に係わらなく、自然は、私たちの願いを敵えることはない。いつも冬の後に来る春がある。私たち人間には、この一本の野草でさえ、あらたに創り出すことはできない。まだ生命の神秘さえ読み解く力さえない存在である。立花山は福岡市の東部の郊外にあり、すぐ近くを新幹線が通り、国道3号線や九州縦貫道が南北に貫いている。それでも、まだ野菜が作られ、ミカン農家も点在している盆地を形成している。 ・娘が幼いことは、地域の人たちとよく家から、ハイキングに出かけたものだ。年に一度は出かけていた。記憶では筍が生えていたので春ころではないかと思う。弁当を山頂で広げて食べていた。それから、何度も家族でも出かけていたが、どうも体力が、娘たちに敵わなくなり、いつか行かなくなってしまったが、デジカメをもって出かけたいとは、最近思うようになったが、まだ、その決心ができないでいる。どうやら、途中で引き返すことになるのではないかと思われるからでもある。それでも、途中まででもいいから、今年は独りでのんびり歩いてみたい気持ちはある。ハイキングコースができており、登山口もいくつかあるようである。 ・へ2・・・太宰は地主貴族という呪縛から逃れることができなかったほどの男でしかなかったのだろう。意外と、日本の知識人の底の浅さはどこから来るのだろうか。すこしの見栄でしかないものに囚われつづけたのは、やはり、強かなものであったに違いない。日本の作家の中には、自ら先輩たちのように肺病になることに憧れ、志願したものさえいた、という憐れな青年たちでもあった。彼らには死ぬ自由しかなかったのだろうか。いつか空を歩いてみたい。
2008.02.28
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福岡市東部の郊外にある立花山西麓辺りを散策してきました。もう早春の風景が見られました。聴いたことのない小鳥の声がして、暖かくのんびりしていい気分でした。セーターも脱いで歩きました。昼になり、近くのスーパーで買ったそのピザの美味しいこと。ため息が出ました。いいですね。外気を吸い込むとミトコンドリアが喜んでいるようでした。すぐ近くにいい場所があるのに、と文句をいっているようでした。ここに来たのも、昨日和白干潟を歩いて、そこから見える立花山をみて、天気が良ければ歩いてみようと思っておりました。 ・今スイスの本を読んでいます。きまぐれですが、あちこち気になります。少し軽いです。でも、気になる時が面白い時です。これから暖かくなると、愈々ハイキングが楽しくなります。立花山は原生林樟の北限と言われています。盛んにみかんや、温室イチゴや色んな野菜が作られています。毎週土曜日に行商にくる小母さんの野菜畑もこのあたりにあると思います。 ・へ2・・・芹とか、野性のものがみられました。これから、少し立花山周辺の春の写真を載せられそうです。
2008.02.28
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誰から聞いたのだろうか。達磨の話だろうか。(壁に向かって9年坐禅を続けたとされているが、これは彼の壁観を誤解してできた伝説である)。それは禅師の話だが、3年と言っても、私の楽天ブログの3年でしかない。来月3月中旬で丸3年になる。余り振り返って見ているわけではないが、どうも自分が、自分が、多過ぎる気がしている。別に私小説ではない。太宰の作品にも自分が、自分が、多い作品がよく出てくるのは自意識過剰なのだろう。まあブログというのは自分を中心に物事が回りがちなのかも知れない。自己満足だろう。 ・余り無責任になっても恥をかくばかりでもある。いいことはない。得る者は少ないが、失うものが多ければ、逆に得るものもあるかも知れない。威張るよりも反省する方が身のためだろうか。迷うことがあれば、迷えばいいのだろう。それは自覚があるからである。寧ろその自覚のない時の方が、泥沼にいるのかも知れない。消極的になれば、病気もするし、重くもなる。兎角この世は面白いでいい。そして、そうこうするうちに3年経過してしまった。あまり得たものはない。失ったものは多いかも知れない。それでも、続けられたというのは生きていたことでもある。ハワイから、いくつか外国にも行き、学ぶこともあったし、それなりに楽しむことができたと思っている。これも自己満足なのだろう。 ・へ2・・・これまでの3年があったが、未だこれからの時間がある。まだ走れると思っている。無駄かも知れないが、もう少し歩いてみてどこかの高見から未来が見たい。ふと、ミミズの移動を思い出した。眼の見えないがミミズが、太陽の光を感じて移動しているイメージだ。それでもいい。時間は優しい時を刻んでもいるだろう。
2008.02.28
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それこそ、食べることに関心がないというのは、生きていることも何とも思っていないのだろう。自己否定してるようなものだが、それを自覚していないらしい。食べるものさえなかった祖先たちが私たちの体を創ってきた。それが、どうだ、周囲に食うものが溢れてきたら、生きる意味も忘れている。けちな人間ばかりになっている。そして、自分が飢えなければ、他人のことはどうでもいいと同情のなさが蔓延っている。昔は、自分も餓えていたから、よく助け合った。ひもじい思いをしている子がいると、他人の子でも、自分の食い物を分けてやったものだ。ひもじさを知っていたからだろう。 ・ものが足りて、さらに欲望ばかりが増長してそして、人間が下品になった。学のある奴が自分のことしか考えなくなっている。学があるほど品がなくなってしまった。物を大切にしない心が、人間さえ大事にしなくなり、親や、子や、周囲の人たちにさえ心を向けなくなり、渇いている。それこそ、絶望へのスパイラルのスイッチが入った人たちであふれている。すべては食への関心が弱まったことから始まっているのではないだろうか。いつも冷蔵庫に仕舞い込んでいるという傲慢な習慣が、自分のこころを怠慢へ誘っている。何という奢りだろうか。 ・へ2・・・「奢れる平家」を自分の心の中に蔵しているのではないか。食べることの意味を忘れている。日本の食の自給率は先進国で最低である。そうしたのは何故だろうか。利益優先で日本人は今の豊かさのために未来を売ったのではないだろうか。日本人の未来に待つものは、絶望と悲惨ではないだろうか。今日の農業の衰退は、日本の未来を閉ざすことになるだろう。エゴイズムの台頭はそれを予感させる。ひとは食って生きるのだ。
2008.02.28
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それこそ指摘されなければならないようなことでは話にならない。今の世の中では冠婚葬祭まで本がある。何かといえば書いてある本や、他人の作ったお仕着せで物事を考え、自分の頭を使おうとはしない。親がいる、先生がいる、先輩がいるなどと、すべて他人任せの木偶人形になっていないか。それが惨めだというのだ。自立は、周囲の人のいうままにしていればいいのではない。この社会の歪みが見えないことこそ、自分の目が可笑しいのだ。それは、二つのただ見ているだけの目でしかないことに気付かないからだろう。その奥にあるもう一つの自分の脳の目が腐っているのだろう。 ・子供のころから刷り込まれた思想は中々取り除くのは厄介だろう。若いうちなら何でもないことでも年をとれば固定観念ができてしまう。然も、日々ああしろ、こうしろが付いて回っている。自分の脳で考える習慣を取り戻すのは容易ではない。それは他人から操られないことだろう。寄らば大樹の陰で、小泉チルドレンで国会議員になったところで何ができるというのだ。ただの頭数ではないか。それこそ魏志倭人伝の「生口」を思い出す。ただ奴隷になり、口を開けているだけではないだろうか。お零れに与かろうとしても、そうはいかない。それこそ待ちぼうけの人生が待っているのが落ちだろう。 ・へ2・・・それこそ、掃いて捨てるほど、ハウツー本があり、サクセスストーリーがあるがそれで、どれだけのことが得られるだろうか。そんなものより、自分の脳を使うことだろう。安易に得られた知識など、それはカスでしかない。自分の足で山野を歩き、高見に登ってみることだろう。他人の作ったテストで、解答できても、自分の疑問に回答できなければ何になるだろうか。自分を卑しめているのは、自分時針の精神である。
2008.02.28
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日本の政治家の識見が疑われる話はこれまでも聴いてきたが、何とも情けない昨今の有様だろうか。これでは識見を疑われる。いまや日本といえども多くの外国人が住み、海外から多くのマス・メディアが来ており、昔のような島国ではなくなっている。だから、こそ日々を油断なくやっていかないととんでもないことになる。GNPがいつまでも二位の大国ではなく、いまや十七位に転落した二流国ではないか。それを、アメリカなどに最重要国だと煽てられている間に、そのアメリカが片方では米中が接近している。それこそ生き馬の目を抜くような世界外交で、日本外交は腑抜けになっている。 ・アメリカのウソをそのまま旧態依然と受け取っているのは日本ばかりではないだろうか。政治家たちが国内の党利党略に明け暮れている間に国際社会は先を行っているのではないだろうか。それこそ、イージス艦の艦長が、漁船が多い海域とは知りませんでしたなどと間の抜けたことをいっているように、眠りこんでいるのではないだろうか。あれが爆弾テロだったとすれば、300人の乗組員と最新鋭艦と、世界のお笑い草になっていた。戦艦が7トンの小舟に沈没されたと侮られ、嘲笑されていただろう。まさに、現在の日本の政治が、それと同じだろう。 ・へ2・・・石破防衛相の話はいつも思うが国民を小馬鹿にした口調のように思えてくる。何が自衛隊が優秀だろうか。改善しなければならないのはいくらでもあるはずだ、それに着手することなく、自衛隊を見てきたのではないだろうか。彼で日本は守れるのか。それは自民党にも言える。守屋事件に見られるように灰汁の強い口だけのエゴイストが日本の中央で席巻しているのではないだろうか。それこそ、識見の疑われるような政治家で溢れている。小泉チルドレンに見られるように国会を幼稚園にしようという輩が、政治を腐敗させている。
2008.02.27
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どうも不燃焼気味だ。それに対してどう動くのか。そこに個性があるのだろう。それほど時間があるわけでもない。余り小さな山には登りたくないが、あまり高いとそれ限になりそうだ。素材が良くないというほど才能があるわけでもない。喧嘩相手が見つからないが、それも悪くはないだろう。敢えて喧嘩がしたい訳でもない。まあ、自分の背丈にあったもテーマがないが、それは仕方がないだろう。問題の所在を自分で見つけるしかない。 ・テーマが暗過ぎるのは、世の中が明るくないからでもあるだろう。それでもちょろちょろでも燃えていたい。燻ぶるのは嫌だ。酸素と燃えるものと、発火点に達しなければ、物は燃えないだろう。私の精魂も同じだろう。燃える条件を造らねば燃えない。自分が感動しなければ燃えないだろう。 ・へ2・・・いつも発火点に達していなければならない。そして、酸素と、燃えるのもの探しに行こう。
2008.02.27
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それこそ、歩いて行けるところに和白干潟があるので、いつでも行くことができるのは嬉しいことだ。自分の住んでいるところが、どんな環境かというのは、若いころはあまり考えなかった。たとえ煤煙だろうと、どぶ川が流れていようと、自分のことしかなかった。どうせ汚れた社会だという思いがあった。気にする方がバカなのだとも。 ・少しの違いで、運不運が違うことが多いことが重なると、小さなことも気になってくるものだ。住んでみてわかったことだが、東南の角とか、南向きとか建物の建て付けでその違いが判ってくると、そこに住むことの捉え方も違うようになる。5年10年とその1日の日照も違うのだ。どうでもいいと思ったことも気になったりする。これも年を取ったのだろう。少しの環境の違いがある。問題はそれをどう自分の中で解消するかだろう。内向きになるか、外に出るかでもある。自分の住む場所を快適にするのは自分の結局は解釈でしかないだろう。和白干潟や、海の中道や、志賀島や玄界灘や、立花山の樟や、近くに好きなところは色々ある。 ・へ2・・・悪いところばかり見るのではなく、好きな所を一杯作ればいいのだ。生きるのも同じだろう。あれも悪いこれも悪いでは面白くない。好いとことを見つけてみよう。それをリストアップしてみよう。そしたら今夜はよく眠れるだろう。
2008.02.27
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最近マンネリになっている。もう少し暖かさが欲しい。3月になれば三寒四温の季節だが、やっぱり家にいると、動きがのろくなるようだ。世の中は目まぐるしい動きを見せている。まだ、やる気がないわけではないが、体力がないでは元も子もない。体力をつけるようにしなければなるまい。医者にバカにされないようにしたいと思っている。「病は気から」というから気持ちが落ち込んではいられない。 ・誰がどういう責任があったのか明確にできないような防衛省なら、責任ある官庁とは言えない。隠すとか隠さないの問題ではなく、責任は、誰が持たなければならないか、くらいのことがいえないのだろうか。スタディ・ケースではない。どうしたら世論の追及を外すかしか考えていないのではないだろうか。もたもたするだけ、世界から嘲笑されるだろう。それより怖いのは他国から侮られることだろう。 ・へ2・・・自分たちの保身しか考えないような自衛隊幹部や、防衛省本部でしかないようでは、どうしようもない。そういう意味で石破防衛相の責任は重いと言っているのだ。防衛庁に戻すべきではないだろうか。これでは、とても危機意識があるとは思えない。
2008.02.27
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Feb 27, 2007 より 逆もまた真なり 喩え逆境といえども、苦悩を続けているとしても、何かに夢中に打ち込んでいれば苦痛とは思わないのではないか。真剣さとはそういうことではないか。下手に弛んだ時、悲哀を覚えるのだろう。所詮個人としての自分は、何ものでもない。徒の微力、非力の輩に過ぎはしない。 只一匹のハエのように狭い空間を、与えられた時間をせっせと自分の子孫を残そうとしているだけだろう。こっちから見るか、反対側から見るかによって物事は逆転して見えるだけだ。 宗教は、内に向かう人々ではないか。或いは外に向かって、万里の長城を築こうとしている人々ではないだろうか。もしそうだとすれば、この地球を分割しなければならなくなる。 私たちに何ができて、何ができないか? 不可能が何か、困難とは何なのだろうか? 不可能はいつまで経っても為しえないことであり、困難なことは努力次第で為しえるだろう。人は、困難を克服する為に努力しなければならない。常に、その見極めをすべきだ。 やがて夢は覚めねばならない。ひとはいつかその時がくる。自分が遣ってきたものが何かを知らねばならない。それは、個人のなしえることは、すべて果敢ない一事でしかない。短い夢か、長い夢かの違いでしかないだけだ。 それは、「一炊の夢」に過ぎないだろうか。・・・かも知れないし、そうでないかも知れない。東洋人も西欧人もその他の人びとも同じ遺伝子を持った種としてのヒトであって、遣っている来たことも、遣っていることも同じだろう。ただそれぞれが利己的に見えるだけだろう。 私の中の多忙は、自分を夢中にさせただけに過ぎないし、それができたとすれば私は自分なりの至福の時を過ごしたことになるのだろうか。喩えそれが他人にとって益にもならない莫迦げたことだとしても・・・。生半可であれば自身の蒙昧に終わるだろうが・・・。 昨夜は、早く寝たので、1時過ぎに目が覚めた。外は春の嵐のようだ。強風が近くのゴルフ場の林を吹き渡っている。「千の風」が吹いているのだろうか?
2008.02.27
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精神障害のひとを病院から退院させて社会復帰をさせようとする試みが国の指導で進められようとしているという。先進国の中でも日本は、50年遅れているという。いまNHK「クローズアップ現代」で放映している。次から次に、よくこういう問題があるものだと思う。まるで細切れのようである。それは、それだけ人間尊重の考え足りないからだろう。一般社会もその準備ができていない。どうしたらいいのかという市民の意識が遅れているのではないだろうか。それこそ、長い時間が必要なのではないだろうか。はやく着手し、社会の支援をすべきだったのだろう。患者たちを病院に閉じ込めていればいいという発想ではなかったのだろうか。これから37千人の社会復帰可能なひとたちが街に出てくることになるという。 ・弱者を保護するという社会でなければ文明国とは言えないだろう。どれだけのことが市民にできるかでもある。その体制を確立していかなければならない。優しい思いやりが社会には何より大事だろう。そういう社会奉仕の資質を市民の中に早急に育てねばならない。おカネの問題ではなく人の温かい手が必要なのであり、それは老若男女すべてのひとが立ち上がらなければならない問題でもあるだろう。 ・へ2・・・市民は忍耐強くあらねばならないだろう。丁寧な対応が必要だからだ。そして正しい知識を共有すべきだろう。何かあればすぐに抗弁できる人はいいが、そうではない人がいるのも忘れてはならない。寧ろその方が優先されなければならない。
2008.02.27
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護衛艦「あたご」艦長が、被害船自宅に見舞いの訪問をしたと報道された。これは自主的だとは思えない。上の指示があったのではないか。自宅の訪問時の態度と記者会見の時の態度が違っていたらしい。彼は、スケープ・ゴートにされることを怖れているのではないだろうか。得てして、そういうことになるからだ。石破防衛相は、海上保安庁の許可なしに、航海長を呼び戻して防衛省で尋問した場所に同席しているというのも、口裏合わせをしたのではないだろうか。その疑念を持たれても仕方がない。本人も苦しい弁明をしている。これ以上の隠しはないという石破防衛相の、抗弁の防衛も足もとが揺らいでいる。要するに、リスク管理に対する対応ができていないし、然もそれが防衛省だからだ。自分の身も守れないものが国を守れるのだろうか。 ・漁船が避けると思ったのではないか、との記者の質問(記者会見で)に、艦長が「ありません」というのも何を持って言えるのだろうか。自分は仮眠していたではないか。確かに、人間にもミスはつきものだが、漁船を確認しておきながら、取るべき回避義務を怠ったのは事実であり、その責任は、それを遣らなかった防衛省側にあるだろう。そして、誰が責任を取るべきであるかだろう。 ・へ2・・・これが戦前なら、こういう遭難事故が表面化することさえできなかっただろう。漁民側は泣き寝入りを余儀なくされたのではないだろうか。そういう意味では、これは大事な先例になるだろう。それだけに、どういう態度を自衛隊がとり、防衛省がとるのだろうか、政府がどう処理するかでもある。それを監視しなければならない。「そんなものじゃない」のかも知れないが、油断が許されるとも思えない。>前回の写真で遠景として映っていた海の中道大橋の橋の上から、和白干潟方面を撮ったもの昨年の5付き頃。遠景は立花山周辺。
2008.02.27
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どっちを向いても「そんなもんじゃない」と思って本を読んでいたら、頭がかみ合わなくなった感じがしたので、散歩してきた。寒いと思って外に出たら意外と暖かい。和白通りを唐の原(とうのはる)行き、そこから和白干潟に向かい葦の中から干潟を歩いてきた。少し風は冷たかったが無人の干潟は素晴らしいロケーションだった。渡り鳥は少なかったが、心が軽くなる想いがする。次回は早朝か、夕方に来ようと思う。それとやはり長靴がいい。 ・何が、そんなもんじゃないのだろうか。トータルでだろう。部分的に正しくても総体では違うことはいえるだろう。報道は確かに言っていることは間違いではないにしても、そのニュースツールがなにか、であり、彼が誰から金を貰っているか、だろう。それが、どうでもいいことではない。まさしく公正中立的な生き方はできないという、視点でもある。何が公正かというのは判断することは極めて難しいのだ。 ・へ2・・・私たちは、ほんの一部しか見ていないから、その時々で見方が変わっても仕方がない。真実はむしろ流動的であり、同じところにいないかも知れないからだ。いまが正しい意見だとしても、状況が変われは間違った意見になりうる。日本語は永遠ではない。英語だって分からない。中国語だって100年後もあるとは限らない。それくらいの柔軟な思考がなければ、これからやっていけないかも知れないだろう。>今日の午後の和白干潟。
2008.02.27
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太宰の実家の豪華な邸宅を人々はそう陰口していた。太宰のそれもどこか見栄坊の気風がある。「日光に行かずして結構というなかれ」と言葉を聞いたことがあるが、それこそ欧州の宮廷をみて、何というか、上には上があるというか。まあ呆れるしかない気持ちになった。人間はどれだけでも豪奢になろうとしたのだろう。それはやはり見栄坊だからだろうか。必要もない豪邸を建てて他人を威圧しようとしただろうか。 ・見栄に生きているような人もいるが、それに見合うだけの価値がある人の見栄を見たことがない。底が浅いのだ。大した相手でもないものに見せる見栄でしかないものが殆んどではないだろうか。太宰の兄の津島文治は「津軽の殿様」と言われたのは県知事になってからである。聊か誇大な形容であるだろが、それほど力があったのだろう。太宰の兄への数々の迷惑をかけた甘えと畏敬が表れているともいえそうだ。 ・へ2・・・多少誰でも見栄を張るものがあるだろう。それはいわば人間としての個性の範囲であり、それを逸脱するものが本人だけでなく周囲の人々をも不幸にさえするのだ。自分の贅沢な生活を維持するために、その見栄のために、他人を騙したり、例えば保険金殺人まですることがある。自分に何の権利があるというのだろうか。それはどこか自分は他人とは違うという貴族的な意識があるのではないだろうか。その変形ではないだろうか。今度の三浦和義の容疑事件や、太宰にもそれがあるように思えてならない。
2008.02.27
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Feb 27, 2007 より カストロフィ 種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだという。他の種は平気だったりする。 たった1℃~2℃の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようとする余り、その時期を見失うのかも知れない。 自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごしてしまっている自分がいないだろうか。やがて、自分のためだけの「ヘイフリックの限界」が待つだろう。 身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。今の自分に気づかないまま時は流れて、その時は深まりつつあるだろうか。 <P.S.> ・段々と一年のサイクルというのが早まりつつある。来年のいまごろ福田政権はあるだろうか。少なくともブッシュ政権ではない。もう共和党はオバマに対するネガティブ・キャンペーンをはじめているだろうか。イラク戦争は継続しているだろうか。北京オリンピックは成功しているだろうか。あらゆる不確定要素があり、それが決定的なものにならないとも限らない。あまり明るい材料はないが、人間は困難に立ち向かうだろう。減数分裂は、生物が選択した戦略であることには変わりはなく、それが生き残る確実な方法だと学んだ戦略でもある。
2008.02.27
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サブプライムローンの焦げ付き問題で過去最大の処理をしたとの報道がされていた。これも見込み違いによるもの。優秀な人材がいないではないだろうに、その予見さえできなかったのだろうか。そんなことはないだろう。確り予想した人はいただろうが、それは無視された。それは、米政府の失政もあるのだろう。アメリカ人がマイホームへの願望をとめることができなかっただろうし、豊かなアメリカのイメージを壊したくなかったのだろう。併しもっと大きな苦しみを与えることになった。それが失政でなくて何だろうか。そして、その伝染を世界にも拡げたのだ。 ・返済できるかどうかわからない住宅ローンを安易な見込みだけで売りつけた銀行もその報復を受けている。その結果が今出ているが実は、それはまだ余力のある銀行だからだろう。バブル崩壊の日本の銀行も同じだった。寧ろこれから負債だけを抱えたローン債務者たちが過酷な人生を生きることになる。これからまた家族崩壊の話があるのだろう。そして世界規模のサブプライムローンが問題を起こすことになる。一つも失政が世界規模にもなる。 ・へ2・・・ひとの商業主義に煽られたアメリカン・ドリームは肥大化しがちだろう。そしてやがてピークに達して破綻するのだ。経済理論から見ても、無限に拡大するものはない。返済原資の乏しいものが、過大な負債を抱えれば、債務不履行は何時でも起こるだろう。景気は好況と不況を繰り返しているからだ。不況になれば失業者も増える。一番に影響を受けてしまう人たちに、安定収入は見込めないだろう。それが現実の問題になったのだ。バブルも崩壊したがそれを予想していたし、予想できたはずだが無視された。甘い汁を吸った人たちが全部こけたのではない。うまく動いて儲けた奴もいるに違いない。その動きができる奴がいる。それを国家レベルでできる奴は巨悪なのだろう。人の弱みに付け込んだ操作で多くの人たちの人生を弄んでいる。
2008.02.27
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あと40年で石油は枯渇すると言われるのに対して、石炭は150年間の余裕があるとされ、昔はできなかったデメリットを克服する研究が九大で始まりそうだという地方版の報道があっていた。恐らくそういう動きがこれから強まるのだろう。40年というスパンは長くはない。現在の石油高も一時の夢であろう。それがいつか悪夢にもなる。それにしても日本の炭坑が次々と潰れていったのは、九州では劇的でもあった。それだけに閉山していったヤマの悲哀があちこちに残っている。 ・何がこれから役に立つのか分からない。クズ扱いされたものが見直されることがある。これまで奢れるものが地に落ちるかも知れない。その移り変わりは激しいものだ。他人ごとではない。身近な問題にもなるだろう。少なくとも長く使えるものを探しておかなければならない。その準備がされているだろうか。寧ろ九大の研究の着手が遅いのではないだろうか。その場にならないとできないというのでは、間に合わなくなるのではないだろうか。ことが起こってから動くようでは遅いのだ。 ・へ2・・・研究をどこまで拡げられるかでもあるだろう。それこそ目先の利益を求められる企業では未来への傾斜には限界がある。そこに大学の存在があるが、いまごろ石炭ではそれこそ目先がきかないというべきではないだろうか。あと40年間で枯渇することは、相当前から言われていたのであり、その時点から始めていれば少なくともいくつかの提案ができていたのではないだろうか。等と思ったりしている。まあ、どこまでできるかはこれからだろうが・・・。>志賀島・・・石炭は出ないけど。
2008.02.27
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国家権力は、暴力装置をもっているから怖いのだろう。それが軍隊であり、警察である。ハードがなければ国家は成立しないと政治は言うだろう。一般人はその暴力に接することは殆んどなく、一生を過ごしている。だから、そんなものは知らずに済んでいる。暴力の種類は様々だ。肉体的な攻撃もあれば、精神的なものもある。その暴力が誰に向けられるかでもある。 今度の三浦和義の事件も、日本の最高裁まで争われたが、「妻を銃撃させたのは間違いないという確かな証拠がない」として、逆転無罪を言い渡した。」のも、解明するだけの能力がなかったに過ぎない。それで、三浦を放免したのだ。 ・国家権力と言っても、適切に処理されるとは限らない。それだけ現代がすべてにおいて万能だというのでもない。寧ろ愚鈍で、鋭敏でもない。真実に到達するまでいつも時間がかかり過ぎているだろう。それは、ツールが優秀でもないからだろう。寧ろ捜査官のキャリアや能力の問題でもある。ザルをすり抜ける犯罪者も多いのではないだろうか。それはミスを怖れるあまり、何もできない小心者のように思えるが、見えないところでは何をしているか分からない。汚い手を使うこともあるに違いない。それは確実なツールがないためでもあるだろう。 ・へ2・・・ロス市警が何を持っているのだろうか。新しい証拠を明かさないのは、これも彼らの常套手段なのだろう。囮捜査もできる国である。新しい科学捜査技術を使い未解決の事件を数年前から始めているらしい。三浦の事件もそれに引っかかったようだ。ここまでするのだから何か新しい証拠があるのだろう。冤罪もあるが、これだけ騒がれながら、何もできなかった日本の警察能力も当てにはならないということか。これにも裏があるのだろうか。人間は誰でも、暴力に弱い。何が真実なのか容易に知ることはできないでいる。国家が暴力を使い始めないように国民が自分の身を守るためにも監視しなければならないだろう。
2008.02.27
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太宰の兄、津島文治の臨終の言葉らしい。「吾、まいへんジャ」とは<吾(わ)、もうだめだ>という意味になる。太宰の兄はどんな人だったのだろうか。それこそ津島家の家を守ろうとしただけの男であったのだろうか、興味がある。蒲田慧「津軽・斜陽の家」の冒頭のはなしである。戦後よく言われた「斜陽族」も、太宰の「斜陽」とは違うように、世間が言う意味は違う意味に解釈されているようだ。拡大解釈されるからだろう。寧ろ変質してしまい、一人歩きもするのだろう。 ・自衛隊といっても一言では言えないのだろう。真剣に考えている者もいればそうでないものもいる。しかし、言えることは現代の世相を反映した人たちであるに違いない。無責任で、自分本位で、弱虫の側面があることには変わりはない。日頃の厳しい訓練で鍛えれば鉄の精神をもつのでもない。訓練に耐えられずに辞めていく者もいるのだろう。そして、のこったものが優秀だともいえるだろうか。それはわからない。それは選択でしかないからだ。イラクに派遣された自衛隊員が経験したのは戦争ではない。それは本物の戦場でもない。それを実戦だというというのだとしたら奇妙は話だろう。現在の自衛隊は戦争を知らない人たちで構成された組織であることを忘れている。それに膨大な巨費がつぎ込まれ、国家は赤字を積み上げている。そのうちアルゼンチンの二の舞になるだろう。 ・へ2・・・「吾、まいへんジャ」ではないだろうか。そのお膳立てを自民党はしているのではないだろうか。それだけではない問題の核心を把握できない政治家たちが、加担してもいるのだろう。どれだけ、真剣だろうか、私には疑問だ。物を考えないことに慣れてしまっているのではないだろうか。つまり部分しか見えていない。総体を捉えられずにいるのではないだろうか。そしてそれは、まだ、国内のことでしかなく、アジアがあり、アメリカがあり、欧州があり、ロシアがあり、世界があるのだ。それで足りるのか。ショートしてはいないか。それは姑息ではないのか。まだ先のある話ばかりをしているのではないだろうか。くだらない議論が多過ぎて核心のない空論ばかりしている。
2008.02.26
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それぞれに家庭の事情があり、そして個人にも人に言えない悩みもある。それは仕方がない。それは自分のエリアがある以上、他人との自分の仕切りでもあるからだ。自己責任のない自分はない。自分で耐えられるだけは自分の責任を担うのだろう。放り出すことは簡単だが、それではすまない。済ませてもならない。自分を豊かにすることは、自分から離れて行くことだろう。 ・自分にしがみ付くから自由な発想ができなくなる。自分の利益だけを考えるから学ぶことが嫌になるのだろう。自分から自由になれば学ぶことは楽しいのだ。他人の悪口ばかり書くのは楽しくない。笑える社会がいい。せめて、嘘のない社会であってほしい。急には良くはならない。悪くならないように何ができるかでもいい。 ・へ2・・・働く者に明日があるように。
2008.02.26
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石破防衛相は被害者の家族が言ったから、今すぐ責任は取れないというが都合のよい責任逃れではないだろうか。そして加害イージス艦「あたご」艦長に責任をとらせようとしている。弁解のできないものに罪を負わせようとしているのではないか。石破は行方不明者を自分で捜索に行ったのだろうか。石破がいなければ二人の行方不明者の探索ができない話ではない。これは政治上の問題だろう。リスク管理ができていないのは防衛相の責任ではないだろうか。その意識がなかったのではないだろうか。他人に責任を押し付けることしかしらないのではないだろうか。何とも情けない話だろう。これで責任を取ることができないとしたら、こんな政府は三文の価値もない。 ・見識の問題だろう。これを火の粉と捉えているのではないか。自分のこととして把握していない証拠だろう。それでいいのだろうか。テロはそんなことで未然に防止できるのか。ブッシュ大統領は9.11を利用した。政局をそれで乗り切ろうとしたが、それは本当にアメリカ人のためであっただろうか。石破の運命も世論次第だろう。その世論をコントロールしている者が、どう動くかでもあるだろう。それこそ風が起きるのだろうか。 ・へ2・・・問題は自衛隊の体質だろう。そのトップが無能では改善はできない。自衛隊は優秀だと言いつづけるだけでは、それこそ、いざという時の果敢な行動は期待できないかも知れない。それから責任をとってもあとの祭りになる。そのことを国民は覚悟しておかねばならない。このままでは、危ないのではないだろうか。相手(漁船)が避けてくれるだろうというような戦略はない。それは万全の体制ではない。それこそ緊張感がない所以だ。官僚機構の常套手段は責任逃れの巧妙さでもある。
2008.02.26
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一冊の本に纏められたものを読んでいると一人4ページ。作品のほんの一部と作家の写真と本の表紙や挿絵がはいっている。書評はコメントでしかなく、とても作家像を描き出すことなどできはしないが、並べて読んでいると、煌めきが見え隠れする。サッと読めるのはいいが、気づくと何も残っていない。頭が悪くなったのかもともと比較するだけの意味でしかないかなにのだろう。何かが判ったような気がした若いころもあった。それだけボケたのだろうか。判ったような気がしてだけだったのだろうか。一堂に集めてみるとみな同じ檻の中だろうか。 ・そして、あれだけ近代日本文学は、多様性に満ちた作家たちだと思っていたのが、どうも、すべて平面的な感じがする。どうも時代の違いだろうか。素材は同じだからなのだろうか。前からと見ていたものも後ろからみると相似しているのだろうか。瑞々しいだけが取り柄だったのではないだろうか。そんな気もする。 ・へ2・・・気がつかなければただの人生だ。
2008.02.26
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政治は清潔さがなければならない。汚れた政治家は、社会を腐敗させるからだ。本人にその自覚がないとしても、それは清潔さの理由にはならない。カネに塗れた男が、清潔である筈がない。それを許すことは国民には致命傷にさえなるだろう。鈴木宗男議員の厚顔無恥はそれを物語ってはいないだろうか。自分の都合のいいように世の中を考えているとしか思えない。東京マラソンに出場していたらしい。何のためにマラソンが趣味だからというだろう。それだけの行動だろうか。計算高い男だと思う。 ・元々政治は綺麗ごとではないというだろうか。そうではなく、汚れやすいから清潔でなければならないし、どぶに落ちた者は叩かねばならない。そうしなければ、それは類を呼び、伝染していく、そして全体を腐らせてしまう。この社会の歪は、そういう清潔のなさからくるのではないだろうか、その原因は金権政治だろう。彼は本流ではないが、同類はいくらでもいるだろう。それが点が線になり、面になれば、日本の政治の腐敗は抜き差しならないところまで重篤化するのではないだろうか。 ・へ2・・・これから、司法の独立をかけた最高裁判決が出ることになるだろう。国の健全さが問われることになる。賄賂の判決を受けたものが国民の代表者として政治活動をするということが何を意味するのだろうか。然も公然と国民の前でマス・メディアの注目を浴びるという現実に悪寒さえ感じてならない。国民が清潔さに鈍感になってしまったのだろうか。問いたい。
2008.02.26
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Feb 26, 2006 より 友直、友諒、友多聞 昨日の中村貞夫東工大教授の講演会「環境はいかにして景観になるか」で五世紀の陶淵明の漢詩について、ランドスケープということばが風景画という意味であり、表象としての景観はまず視覚的なゲシタルトを通して発生し、絵画のような視覚表象として結実するのだと言われた。陶淵明は、筑摩書房の「古典世界文学」で読んだことのある詩人だ。 停雲、思親友也。 樽湛新ろう(新しいどぶろく)、 園列 初榮。 願言不従、歎息彌襟。・・・ 本棚から、陶淵明を引っ張り出したついでに、ある中国人の方から孔子の言葉の引用の文があったので、出典を知りたくなり、「論語」を見てみた。 孔子曰、益者三友、損者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、 友便辟、友善柔、友便ねい、損矣、・・・。 のことらしい。私たちの子供のころは、論語に親しんだ人たちから言語を教えて貰ったこともあり、日常的な観念の一部となって脳にインプットされているのであろう。それが、改めて、中国人と接するとそのことを想い出すらしい。悪いことではないだろう。西欧ばかり眼を向けてきた日本人が、やっと隣国の重要性に気付き始めたのであろう。殊に九州は古来より、隣国に一番近い土地であり、交流もあった地でもある。民族性とは面白いもので、確かに。これまでの友人と違うようで、カルチャーショックは、お互いにあるだろう。 「友直、友諒、友多聞」でありたい。
2008.02.26
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Feb 26, 2007 より、 アスベルガー症候群 脳の中で起こっていることがわかれば、いっしょにいていらいらさせられる理由がすぐ納得できる。アスベルガーシンドロームは、300人に1人の確率で発生するらしい。しかも男で、全体的には知能は高い。日常生活をこなし、全員が病気と診断されるわけではない。 決まりごとにこだわり、収集して分類することに異常な関心を示す。人づき合いがだめで、人間の弱さをネタにしたジョークを聞いても笑えないし、噂話をしても興味を持たない。誰も興味のない話題を何時間でもしゃべりつづけたりする。いつまでも長居していやがられたり、ほかの人が話している目の前で居眠りしたりする。ところが本人は少しも決まり悪いと思わない。他人が自分のことをどうかんがえているかということが、意識に存在しない。 自閉症的傾向があっても、成功している学究者もいる。風変わりで、一人を好み、他人と共感できない。自分が興味あることをひたすら追及する傾向がある。そして、決定的なのは「共感の欠如」である。他人は自分と異なる世界観を持っているかもしれないということを彼らは直観で理解することができない。相手の身になって考えられないのだ。 自閉症は遺伝性の強い病気である。この病気との関連が疑われている遺伝子のひとつが、言語発達に深く関わっている遺伝子のと同じ染色体セクションに位置している。自閉症の本質はコミュニケーション欠損でもあるからだ。何れにしても、感情や知識を他者と分かち合うことができない。 アスベルガー症候群の人と結婚すると、何が原因かわからないが、相手との関係が根本的にまちがっているという思いが強くなる。精神科医ジョン・レイティ「シャドー・シンドローム」のなかで、その例が述べられている。
2008.02.26
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(1936年)2・26事件から71年間経過した。もう遠い昔のことになるが、この事件が及ぼしたその後の日本の軍国主義への傾斜につながり影響は小さくはなかった。首謀者たちは碌な裁判もされず軍事裁判で死刑になリ、参加した兵士たちも「事件後、中国などの戦場の最前線に駆り出され戦死することとなった者も多い。特に安藤中隊にいた者たちは歩兵による突撃戦法を強要されてほとんどが戦死した」と言われている。この2・26事件で、青年将校たちが抱いていた天皇のイメージが幻影でしかなかったことが露呈されたといえる。 ・青年将校の描いていたものは偏狭な現実でしかない。それは利用されただけだった。そしてこの事件に振り回された兵士たちがいた。「上官の命令に従え」といわれて従い、それがいつか反乱軍にされた。騙したのは青年将校たちだろう。それは目的のためには手段を選ばなかった。そして部下を巻き添えにした。しかも、前線に送られ死ぬこと運命つけられたのだ。そういう軍隊とは何だったのだろうか。その伝統が自衛隊にないといえるのか。自衛隊の基礎をつくったのは根底には、日本軍の伝統や規律があるのではないだろうか。そこでの軍律は「上官の命令に従え」ではないのか。 ・へ2・・・2・26事件は、その後の日本の歴史の暗黒時代のスイッチをいれたのだ。不祥事件として捉えられて、軍部の強化につながった。そして右翼と財閥の存在も無視できない。仕組まれ、利用されたのではないだろうか。国民の知らないところで国家が世界の常識から外れていったのは、ダークサイドが強まったからに他ならない。国の政策を誤らせるのは経済的需要供給が潜んでいる。性急な損益が優先するからではないだろうか。つまり良識が消されてしまうことではないだろうか。2.26事件はそういう意味では、忘れることのできない事件でもあるだろう。
2008.02.26
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明治の頃鎖国の昔が懐かしいと思う人がいたのかも知れない。それは、その良さを知っていたからだろう。良いことばかりではないが、良いこともあっただろう。便利になったがそれだけ苦労も増えただろう。列強諸国から、植民地にされないために必死に腐心した日本人たちがいた。それらの犠牲の上に日本があるのは事実だろう。一丸だったといえないとしても、その気概が辛くも帝国主義から植民地化を招かずに済んだのだ。それは一民族という島国での団結にも繋がったのだろう。 ・世界の片隅の島国にすぎない日本人が、文字や宗教に学ぶことを覚え、営々と築き上げてきた1500年間がある。どれだけの試行錯誤があっただろうか。そしてまだそれは、終着駅に着いたのではなく、また新たな出発の時を待っている。私たちは、まだ満足していない。まだ子孫たちに伝えなければならず、まだ種さえないことに気付いている。間に合うだろうか。焦ってもいる。悔やんでもいる。だが悲しんではいられない。まだ終わったわけではない。私たちは死んではいないのだから。これから、足腰が立たなくなり、目が若者のように先まで見えなくなるだろう。そばに行って訊かなければ何を言っているのか聴こえないかも知れない。厄介だ。厄介過ぎて草臥れる。だが、まだ役目が済んではいないのだ。 ・へ2・・・馬鹿にされ、蔑まされるとしても、価値あることを残すべきである。鎖国になるわけにはいかない。モンロー主義では国は滅びるだろう。どこかの属国になりたければこのままでいいのかも知れないが、それでは、1500年間が無駄になる。祖先の努力が水泡に帰すだろう。植民地になりたくないという精魂が、築き上げてきたすべての文化が消えることになる。日本人が日本人ではなくなるからだ。どうやら悪夢を見た。二月の狂った雨が降っている。
2008.02.26
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林野庁や旧北海道開発庁を舞台にした汚職事件で、受託収賄やあっせん収賄などの4罪に問われた衆院議員、鈴木宗男被告(60)の控訴審判決公判が26日、東京高裁で開かれた。池田修裁判長は「経緯、動機に酌量すべき事情はない」として、懲役2年、追徴金1100万円の実刑判決とした1審東京地裁判決を支持し、鈴木被告の控訴を棄却した。鈴木被告は即日上告した。 ・それこそ李下に冠を正さず、というではないか。それほど、政治に携わる者は疑惑をもたれるようなことをすべきではない。権力は腐敗し易い。彼が動いたのは自分の政治力を利用しようとしたのであり、これを裁判所で判決したのだ。裁判所は政治に対して甘い。ここまでやるとすれば相当強い心証があるからだろう。然も高裁まで行っている。それでもなお最高裁まで争う姿勢らしい。それは法で定めた権利だから止めることはできないが、これまでテレビ番組にちょこちょこ出ていたのはどういうことだろうか。それはテレビ局もダーティと同じ穴のムジナいうことなのだろうか。話題性があれば何でも利用するという見識のなさからくるのだろうか。まあ、そういう社会であることは言えるのだろう。 ・へ2・・・民放でさえ社会的正義を言いながら、一方で一審判決とはいえ懲役刑の判決の出ている議員に出演料を払って出演させている。もう犯罪はなかったと思う人もいるに違いない。騙しのテクニックが使われているのではないだろうか。疑わしいものを罰せずとは、わけがちがうだろう。それは一般人の場合であり、政治家の倫理はそれでは足りない。高い倫理観をもってこそ指導者ではないだろうか。こういうひとが政治の中枢にいれば、これを真似る輩が増えて政治は腐敗していくだろう。どぶに落ちた政治家は潰さねばならないと思う。>ご近所紹介。
2008.02.26
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この冬福岡でも何度か雪が降ったようだが、私は雪らしいものを見ていない。私の所だけに、雪が降らないはずはないから寝ていたかどうかして見逃したのだろう。それだけぼんやり生きてもいるかも知れない。眠るというのは、暗さと湿り気と温度と前提条件がいくつかあるのだろう。どうやら、疲れもあるが、私の場合は目の疲れくらいしかない。今起きたら天気予報が当たって、雨だった。こりゃ二月の雨だと思ったが、かなり強い雨で、雪にはなりそうにない。 ・部屋はひんやりいとしている。テープルにスタンドを置いて部屋の電気を消していると夜のようでもある。居間にこたつを持ち込んでいる。座椅子の後ろには、雛壇が飾られている。人形から覗かれている感じだが、まあ、お友だちという気持ちまではしないが、・・・。もう20数年のお知り合いである。日本人形というのは表情に特徴は少ないが、それだけ魂を感じるところがあるかも知れない。容に拘りがあるのだろうか。それは作り手よりも受け手にあるのかも知れない。その時で、違うのかも知れないとふと思った。 ・へ2・・・こんな小さな雛壇にさえ、人形作家の心があるのではないだろうか。これまで雛壇は何度も見ているのだけれど、こんなにまじかに感じたことはなかった。写真を撮ったからだろうか。つくづく、物はこころでみるものであろう。
2008.02.26
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沖縄で県・市議会で「米軍抗議の決議」が続いているとの報道がされている。県民の感情を思えばその気持ちも分からないではないが、なお割り切れない思いがする。それでどうなるのだろうか。米軍は頭を下げることはしない。ただ、外出禁止令、米兵の再教育など、の対応していますというのだろう。それでもまた熱が冷めればらるだろう。現在の環境が変わらない限り、変わることはないだろう。つまり核心を突いてはいないからだ。それは方便でしかない。それで、いいというのだろう。 ・日本政府が、日米安保条約を堅持すれば状況は変わらない。アメリカに戦略の変更があれば撤退するかも知れない。沖縄経済界は、米軍の撤退を望んではいない。多くの住民が米軍の施設で働いており生計を立てている。思惑は錯綜している。利害をともなうだけにそれぞれの立場は微妙であるに違いない。それに付け込む連中がいる。そして犠牲者があとを絶たない。米兵も好きで駐留しているのではない軍の命令があり、服従しなければ収入を得ることはできないが、しかし本土で自由に恋愛していたものが、単純に禁欲的な生活に耐えられるのだろうか。上手く処理できない兵士がいたとしても不思議ではない。それほど理性の高い兵士ばかりではない。高い教養をもっている訳でもないだろう。その結果が、これまでの事件の多発した原因でもある。 ・へ2・・・犯罪の温床を創っておいて、悪いことをするなと言っても無理だろう。アメリカ本土でもレイプの多い国家である。誰でも銃を持つことさえ出来る国家でもある。それこそアジア人に対する偏見が消えているわけでもない。アメリカの差別意識が、日本国内では消えてしまうほど甘くはないだろう。たとえ県や市の議会で米軍抗議の決議がされたとしても、どれだけの効果が期待できるだろうか。それは議会の決議に敬意を払うものも影響があるとしても、彼らが敬意を払う保証などありもしない。具体的に何を要求し、させないようにするかを明確にしない限り意味がないのではないだろうか。
2008.02.26
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自分の手が汚れてはいないか。周囲の汚れを気にしてばかりいたら、意外と自分の手が汚れていたりする。それこそ、四六時中見ているはずの自分の手だ。見える手であれば、いつでも気づくだろうが、目では見えないもう一つの自分の手が何をしているかだろう。それは精神の手でもある。何に心を動かされているだろうか。いつも高尚な手ではない。汚いこともする手だろう。他人が見ていなければ、恥ずかしいことでもする。それこそ、誰でも食えば、排せつする。それも始末しなければならないのが人間の存在だ。 ・日本文学の弱点は、下半身の始末が悪いことだ。どうやらそれは伝統らしい。源氏物語からしてそうだろう。あれでは世界のメジャーにはなれない。いまでいう週刊誌の類だろう。然も、ロイヤルファミリーの世界だ。その卑屈な伝統を引き継いでいる。日本文学が総体としてレベルが低いと看做されるのは自分の手の汚れではないだろうか。 ・へ2・・・それこそ伸び伸びとフレッシュであるべき青春時代が、禁欲ばかりが強調されている。狭い家に住んで大人がフリーセックスでは碌なことにはなる筈がない。もう少し悧巧にできないものだろうか。工夫のない社会だろう。成長心理学が活かされていないのではなかろうか。歪な性格が生まれるのは家庭環境にあるのではないだろうか。自分の手が汚れている。それを気付かない人間が溢れている。>福岡市東区。遠景は立花山周辺。
2008.02.26
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