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阿蘇五岳は世界一大きな火口盆地にある火山で涅槃像に喩えられているようです。南麓から見て一番右側にある根子岳は大きな溶岩ドームで構成された山ですが、これが頭部に相当し、残り四山が肩からの身体に相当するようです。2月25日は快晴で良く見えましたが、翌26日は小雨模様の天気で山頂は濃霧で10メートル先も分からない最悪の状況で中岳のロープウェイも運行中止でした。2月27日は天候が回復して来たのですが、北風も強く寒い日となりました。昼頃から阿蘇五岳を覆っていた雲も取れて来ましたが初日の様な素晴らしい展望は望めませんでした。午後4時半の東京行きの飛行機からは初日の様な素晴らしい眺望が楽しめましたが時既に遅しとなってしまいました。三日間の阿蘇山の変化を見て下さい。やはり山の天気は変わり易いのでした。一日だけでも眺望が楽しめたので良しと致します。南麓の白水村にあるペンションをインターネットで探して予約して見ました。オーナーご夫妻による家族的な接待と美味しい食事を満喫出来ました。未だ観光シーズンには早い季節なので泊まり客が私達夫婦だけになって少し寂しくは感じましたが、お風呂も気ままに使えて良かった面もありました。
2003.02.28
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阿蘇山中は北風が強く寒いので、熊本市内の熊本城に行って見ました。1000メートルを超える高度差は、寒かった気分を厚くて困る気分に変えました。熊本城は西南の役の時、難攻不落の名城として名を轟かせましたが、惜しくも大部分が焼失してしまいました。焼失を免れた宇土櫓などは尚往時のままで、国の重要文化財に指定されています。天守閣は昭和35年(1960年)に再建されましたが、その後も種々の櫓の再建が続けられています。城の大きさと言い、風格と言い天下の名城と思えました。2003年2月27日に熊本城を訪問しました。加藤清正公が慶長年間(1601~1608年)に築きましたが、その子の代に徳川の忠臣(媚臣)本多氏に貶められ、僅か1万石に下げられて改易させられてしまい、その後は細川家の居城となった悲劇も思い起こされました。
2003.02.27
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地下鉄から出てくるとセーヌ河畔でした。シテ島のノートルダム寺院が見えていましたので、ルーブル美術館は近くの対岸にありますので歩いて行くことにしました。しかし、ルーブル宮の東端からは入ることが出来ませんので、リボリ通りまで出て西に向かって入口を探す他ありません。コメディ・フランセーズの本拠地パレ・ロワイアルを過ぎてようやく、ルーブル宮に入ることが出来ました。雨は上がったようでしたが、曇天でした。ピラミッド形のガラスで出来た入口には人が並んでいました。観光客の少ない季節でも此処だけは混雑しているようです。8年振りのルーブルは様変わりしていました。案内所が充実して各国語の案内書が整備されていますし、館内も展示物毎の翼が分かり易くなっています。最も展示物が多すぎて、キチンと整理されていると言うよりも、これでもかと収蔵物の多さを誇っている様に感じられました。見たいポイントを決めて置かないと時間が幾らあっても足りません。この時はダヴィンチの三点とミロのビーナスを鑑賞出来れば良いと言うことにしました。中でも微笑を浮かべながら天を指差す聖ヨハネ像を目指して行き、幸いに見ることが出来ました。何故このようなモチーフを選んだのかは解説書も無いので分かりませんでした!
2003.02.24
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ホテルはサン・サラザール駅の近くのホテル・サラザールに泊まりました。この日は日本に帰国するのですが、出発は夕方ですので、朝9時にチェックアウトして荷物をロビーで預かって貰い市内見物に出掛けることにしました。雨模様なのでホテルの売店で雨傘を買って出発です。 サン・サラザール駅からオペラ座を通ってコンコルド広場に出て、そこから地下鉄に乗ってパリッ子に人気のあるリュクサンブール市民公園に行って見ることにしました。朝10時にもなっていませんので、コンコルド広場にも観光客は殆どいませんでした。雨も止んではいたのですが、遠くにあるエッフェル塔などは霞んで見えていました。地下鉄でこの辺だろうと思って降り、市街地の中をリュクサンブール公園に着きましたが、緑も少ないこの時期は市民の人達の散策する姿も疎らでした。1991年3月は湾岸戦争が終わった直後で、行き帰りの飛行機もガラガラに空いていました。政府からの海外渡航自粛も解除されていましたが、まだまだパック旅行団体が戻っていない時でした。1960年代、ジャン・ポール・サルトル氏などが口角泡を飛ばして論争したというサンジェルマン・デ・プレと言う所まで歩いて行きました。サンジェルマン大通りに出たのですが、案内書も無いのでそれらしき喫茶店も見あたりません。時代が過ぎ去ってしまったのだろうと思いました。仕方なく、他の場所に移動することにし、地下鉄に乗りました。
2003.02.23
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カール・ライスターの演奏会に行ったのは1997年11月と随分前のこととなりました。彼の60才記念コンサートと言うことでライプチッヒ弦楽四重奏団との日本公演を行っていたのです。場所は埼玉県松伏町の田園ホール・エローラと言う所でしたが、本当に田園の真ん中に建てられたホールでした。しかし、東京のホールとは違い愛好家が集まったと言う雰囲気があって演奏終了後、サイン会も行われましたので彼のサインをプログラム冊子の中にして貰えたのです。演奏されたブラームスのクラリネット5重奏曲は素晴らしいものでした。耐え難いまでの侘びしさと諦観の念が感じられ、それでいて交響曲の様にがっしりとした5重奏曲を見事に演奏して呉れたのです。カール・ライスターは1937年北ドイツのヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven)に生まれ、ベルリン音楽大学卒業後東ベルリンに二年間いて、1959年ベルリンフィルの第一クラリネット奏者となり、1993年迄34年間その重職にありました。1993年9月にベルリンのハンス・アイスラー音楽大学教授となってからは、もっと自由な演奏活動に専念しているようです。昨日は名盤とされているOrfeo版のブラームス・クラリネット5重奏曲CDを聴いてみました。Vermeer四重奏団との演奏でしたが、渋さと侘びしさを見事に表現していました。北ドイツの重厚な雰囲気に生まれ、子供の頃失語症に罹ってひたすらクラリネットを吹いていたと言う彼の経歴が、尚一層そうゆう気にさせるのかも知れません。でも、モーツアルトのクラリネット協奏曲はパイヤールとランスロのフランス・エラート版の方が華やかさが感じられて良いかなと思います。モーツアルトはフランスの華やかで繊細な雰囲気がぴったりすると思いますので。
2003.02.22
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2月17日は春を思わせる暖かな日となりましたので、梅の開花も進んだと思い、プラネタリウム鑑賞も兼ねて府中にある「郷土の森市営公園」を再訪しました。此処のプラネタリウムは本館の中に半地下構造で造られていまして、入館料は500円です。平日もオープンしており、大体1時間程度の鑑賞時間ですので気軽に入れます。やはり星座を見ると言うことはロマンをかき立てられて、気分爽快となります。今回は午後二時開園のショーに参加しましたが、冬の星座で第三角形などの解説も的確でした。先週掲示したスライドショーを編集しました。一部削除し、紅梅・枝垂れ梅を追加しました。開園時間迄は園内を散歩して、一本80円の焼き団子を食べながら梅林に入りました。大体三分咲きとなり、早咲きの八重寒紅は散り始めていましたが、枝垂れ梅が開花して段々と豪華さを増していました。プラネタリウムを出て園内を再度散歩しましたが、午後三時半ともなりますと、この時期では早夕暮れの雰囲気となりました。
2003.02.21
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ピアノ三重奏曲第4番Opus 11は“町の歌(Gassenhauer)”と呼ばれている作品ですが、有名な“大公トリオ Op. 97”“幽霊トリオ Op. 70-1”に隠れてしまい、あまり聞くチャンスがありません。その第三楽章は作曲家ジョセフ・ワイグルのオペラ“愛人マリネロ”の主題による変奏曲形式の魅力ある作品です。どこかに伝えられたメロディーであると言う解説もあるのですが、確かめていません。ベートーベンの作品はピアノ三重奏曲の三曲が作品番号1番として、その後出版年代に従って番号が付けられています。Op. 137が最終作品番号ですが作曲は1817年ですので、最後の作品は作曲年が逝去する1827年の弦楽四重奏曲第16番Op. 135となりましょう。“町の歌”は1797年に作曲・出版された作品ですが、元来はクラリネット、チェロ、ピアノの為の三重奏曲でしたが、クラリネット部をベートーベン自身のバイオリン演奏に替えて行われたのが好評でピアノ三重奏曲となりました。魅力的ではありますが、それ程重要とされないこの作品は、その当時の流行を取り入れた作品群の一つと言われています。楽章は三楽章構成で、Allegro con brio、Adagio con espressione、"l’Amor Marinero"Theme & 9 Variationsとなっていて、特に最後の変奏曲は天才的なカノン風に作曲されていますので、非常に明快で楽しく聴くことが出来ます。その後11年に亘るピアノ三重奏曲の空白があって“幽霊トリオ”が登場するのですが、三種の楽器の音量の違いを克服するのに時間を要したのかも知れません。1824年に出版された変奏曲のみのピアノ三重奏曲“仕立屋カカドゥ Op. 121a”は、ミューラーの音楽劇“プラハの姉妹”の主題による10の変奏曲とロンドです。多分“荘厳ミサ曲”のプレッシャーをはね除けるべく、気楽に作曲された色彩が強いのですが、それが気楽で魅力的な作品となっています。我が家にはマンハイマートリオ、ヤニグロのアナログレコード二枚ありますが、Mannheimer Trioはテープに落としたのですが、ヤニグロの方は現在聴くことが出来ないのは残念です。
2003.02.20
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職場の上司による虐め(パワハラ)が深刻化して、電話相談・インターネット相談が急増していると言う記事が朝日新聞2月19日に掲載されていた。通常、組織体では働く人間が30%を越えれば、その組織は機能良く動くと言われて来ました。やる気のある人、落ち込む人、他に生き甲斐を見つける人等が混在しつつ、業務推進のベクトルが前に向いて来たのです。時期によってはやる気と落ち込みが交代することもあった様です。パワハラは昔からありましたし、今後も無くなることはありません。落ち込んだ人は「捨てる神あれば拾う神あり」と社内での転籍で、活力を回復出来るチャンスもありました。その際に、転籍を目指す職場の上司にも、パワハラを受けた先輩も職場の近くに窓際族として、色々相談に乗って呉れたのです。30%以外の人材として、生涯雇用体制の中生き残っていて、職場の潤滑油の役割がありました。従って、サバイバー・シンドローム(生き残り族の被害症候群)による虐めは、存在しなかった様に思います。経済不況によるリストラと生涯雇用崩壊で事情は一変してきました。教育界での学校崩壊が、働き社会を支えるビジネス世界での職場崩壊が始まって来たのです。記事の中で梅津早大教授は次のようにコメントしています。“職場の虐めは昔からあったと言うが、多くの企業が導入したリストラの影響で深刻になり件数も増え続けている。効率化を怠り人減らしだけが行われた職場では、過剰な仕事に追われて同僚や部下を気遣う余裕が無くなった。嘗て日本の企業には直属の先輩を含め指導役が必ずいた。愚痴の聞き役として窓際族もいなくなり、孤立感の中で、上司も部下も「次は自分がリストラか」と言う不安に常にさいなまれている。サイバー・シンドロームという状態で、立場の弱い部下らへの八つ当たりも起こり易くなる。負のエネルギーで消耗して仕事の効率は下がる一方の悪循環となっている。これを解決するには、経営者側が明確な将来像を示さなければならない。例えば、リストラ打ち止め宣言を出し、具体的な業務改善計画を社員に説明すべきだろう。やはり、小泉構造改革で唱えられている情報開示と説明責任が必要なのです。官庁改革のみならず、民間企業改革も問われているのですが、経団連には未だその意識が浸透していない様です。
2003.02.19
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燃料電池自動車のニュースが最近テレビでも良く取り上げられています。発端は1993年カナダのバラード社が燃料電池駆動のバスを開発、1998年バンクーバーとシカゴで実用運行に供試し、世界的な競争に進展しました。二酸化炭素を排出しない究極のエンジンとして注目され、政府の買上助成もあり何とかテコ入れをしているが近い将来での急激な需要拡大は難しいと考えています。寒冷地仕様が未だ確立されていないこと、山岳ロード等の耐衝撃性が達成していない等の技術的問題が未解決と思われるからです。技術改善の度合いによっては早く時代が来るかも知れません。一方、従来の火力発電所での適用は大型化が難しく、現在の容量は現在数MWが最大の様で、1000MW級発電所構築は未だ無理なのです。これは将来も難しいと見ています。しかし、大規模発電所は地域住民の理解・承認を得るのが難しくなって、電源分散化が起こっていますので其処に適用するには最適の様に考えられます。ユビキタス社会は何も通信を主にした変革では無く、生活に必要な電気・ガス・熱を自分の身近な所で造り出す時代だと考えられます。従来各家庭に設置されている、ガス給湯器を燃料電池コージェネレーションに置き換えることでこれが実現出来ます。都市ガスが一番良いのですがLPGでも灯油でも使用可能ですので、生活基盤の遅れておる地域での発展も期待出来ます。又、家庭では電気と共に温水なども必要ですのでコージェネレーションで作れますので、都市ガス又はLPGの熱利用は70%に達しますので省エネにも適しています。住環境を守る意味でも、今までのガソリンエンジンを使った移動電源と違い、騒音が少なく排気ガスもありませんので各戸に設置して問題は無さそうです。燃料電池は第一世代のリン酸形(PAFC:熱効率35%)、第二世代の溶融炭酸塩形(MCFC:熱効率40%)が技術確立し、第三世代の固体酸化物形(SOFC:熱効率45%)の開発途上にあります。固体酸化物形は作動温度が1000度となりますので、排ガスをガスタービンで回収すると発電効率70%に達すると言われていますので、日本よりもアメリカが熱心で、米国エネルギー省(DOE)も助成金を出して実現に力を入れています。今後も動向を注意して見て行きたいと思います。
2003.02.18
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田中真紀子元外務大臣が罷免されて一年が経過したが、無機質で感情を現さない川口現大臣の下で外務省改革は頓挫してしまいました。川口女史は通産官僚としてソニー役員に天下り、環境大臣として内閣に入り、緒方貞子女史が就任を断ったことで次善の人物として外務大臣に就任した経緯があります。民間からの大臣登用とのことになっているようだが、官僚登用と言う最悪の選択となったように思えます。官庁保護と事務処理が第一義的な目標で、政治哲学も無く国民奉仕の視点はまるで持っていない人物のようで、国民の政治離れに著しく貢献しているのです。小泉・真紀子の「政治を変える」姿勢は灰燼に帰してしまった小泉政権は、今回のイラク問題で世界の戦争反対運動の高まりに、棹さして逆行する決定を2月14日行いました。即ち、国連安保理事会での米国支援をするべく、ODA供与先を中心に「武力行使容認」決議案賛成するように働き掛けをすることにしたのです。外務省首脳は、“この際に「我が国の主体的判断」として、非常任理事国への働きかけををする方針を伝え、米側から謝意を表明された”と発表しました。川口順子女史は“言えないと言っているのは武力行使に賛成か反対かと言うことだけで、それ以外のことはもう殆ど言っている”の訳の分からない説明をして、外務省の「米国支持」を事務的に追認しただけですから、開いた口が塞がりません!個人独裁の危険な国イラクと北朝鮮は、何らかの国際協調の下での対話外交で押さえ込む必要があるのですが、日本に取って危険性は北朝鮮にあるのですから、こちらが対話外交で行くのでしたらイラク問題は当然対話による解決が第一義的処理策となる筈です。北朝鮮の核兵器とミサイル攻撃に対する防衛方法は日本には現在ありませんので、米国からイラク攻撃に賛成し参戦して呉れないと北朝鮮問題は放置するとブラフを掛けられて屈服したとしか思えない日本外交の弱さを露呈したと判断しています。昨日、世界を駆けめぐった反戦運動の高まりの結果から政府方針に変化は出るでしょうか?私は方針転換を否定的に見ていますが、パックス・アメリカーナに組み込まれてしまった日本の現状は悲しいものがあります。政官癒着体質が経済不況、政治不信を助長して老若男女を含めた国民の夢を奪っているとしか思えないのです。
2003.02.17
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2月14日は天気が良く寒くもありませんでしたので、東京日野市の百草園に出掛けました。梅の名所として昔から有名ですが、丘陵の中腹から頂上までが園内となっていて大きくはありませんが、なかなか変化があって上手く設計されている庭となっています。園内には約800本の梅が咲き、毎年2~3月の梅祭りの時期にはお茶会などの多彩な催しがあります。特に松連庵前の樹齢300年を超える寿昌梅は見事さで知られていますが、この日は開花には早かった様でした。 この日は青空が綺麗でしたので、梅の花が映えていました。路傍には水仙、福寿草の花も清楚に咲いていました。百草園は、元来は寺の庭園であったようで歴史は相当古い様です。創建は奈良時代700年代で松連寺と言う寺院でしたが、鎌倉幕府滅亡に際して焼け落ちて廃寺となってしまいました。その後。江戸前期の亨保年間に小田原城主の室、寿昌院が織田信長に切腹をさせられた徳川家康の長男信康を追悼する為に松連寺を再興しました。しかし、明治初期1875年には廃仏毀釈が日本全国を吹き荒れ多くの仏閣が破棄されたのですが、此処松連寺も廃寺とされてしまいました。数奇な運命を辿ったこの寺院は、再興されることなく1887年庭園工事を施し「百草園」として一般公開されることになりました。江戸時代には松尾芭蕉も訪れ、時代を経て歌人若山牧水も訪れて俳句、和歌を詠んでいる名園でありました。
2003.02.16
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ザルツブルクは古くから塩の産地として、又ドイツ・イタリアを結ぶ主要交通路として重要な土地でしたので、オーストリアで最も早くからローマ文化とカトリック教の洗礼を受けて来ました。ローマカトリック教会は司教座を此処ザルツブルクに置いて領地経営もさせて来ましたので、アルプスの北に位置する教会としては最も権威ある聖堂の様です。起源は744年聖ビルギリウスが聖堂として創建し、その後ロマネスク様式、ルネサンス様式に改装された歴史を持つようですが第二次世界大戦の爆撃で破壊されてしまいました。現在の建物は1959年に修復されたものですが、ウィーンのシュテファン寺院同様に、内部が極めて明るくなるように設計されています。1995年10月に訪問した時の写真をご覧下さい!フラッシュ無しの撮影でも十分に撮れたと思います。大聖堂の正面びはドーム広場があり、広い美しい広場となっています。ドーム正面には1771年に造られたマリア像があり、画家達が描いた絵など展示即売させています。その時のザルツブルク散策風景は下記を見て下さい。10月になると天候は安定しているのですが、朝晩の霧が深くひどい時には20メートル先も覚束ない状況になります。但し、日中は素晴らしい晴天を満喫できます。
2003.02.15
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ザルツブルクは中規模の町ですが、歴史的な旧市街は雰囲気的にはモーツアルト一色です。飛躍を望んだモーツアルトにとっては、活動するには舞台が小さすぎると共に、この地を取り仕切るコロレド大司教との折り合いも悪く、25才にして辞職状を叩きつけてウィーンに去って行ってしまったのです。しかし、此処を訪れる観光客にとっては、清冷なザルツァッハ川沿いを散歩してモーツアルトの生家、その後移り住んだ家を見学して、ミラベル宮殿などをゆっくりと鑑賞出来ますので人気が高いのです。毎年7月にはモーツアルトを記念したザルツブルク音楽祭が祝祭劇場で催され、世界中から愛好家が訪問して来ますのでホテルは全て満杯となるそうです。又カリスマ的指揮者のカラヤンが育ち、活躍し終焉の地ともなったザルツブルクは音楽愛好家が是非とも訪れたい場所ともなっています。美しい高原の湖が散在するオーストリア湖水地方“ザルツカンマーグート”も近く、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台としても知られ、それに因んだ観光バスも多く運行されています。2000年5月に訪問した際の朝の散歩風景をご覧下さい!朝早いと混雑を極める観光客の姿も殆ど無く、ゆっくりと散歩が出来るのです。多分、何度訪問しても旅の雰囲気が満喫出来、又来てみたいと思わさせる不思議な町でもあるようです。
2003.02.13
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ゲーテがワイマール公国の宰相に赴任する前の疾風怒濤時代(1771 - 1775)には感受性の鋭い詩が多く生み出されています。シューベルト歌曲で有名な「魔王」、モーツアルト歌曲「すみれ」等が代表作ですが、感受性をもっと大切にしようと唄った詩があります。憂愁の喜び乾いてはいけません、乾いてはいけません私の恋の涙はとこしえであって欲しい!半ば乾いた涙の眼には周りの世界が 何とわびしく死んだように見えることでしょう!乾いてはいけません、乾いてはいけません破れた私の恋の涙はいつまでも!Wonne der WehmutTrocknet nicht, trocknet nicht,Traenen der ewigen Liebe!Ach, nur dem halbgetrocneten AugeWie oede, wie tot die Welt ihm erscheint!Trocknet nicht, trocknet nicht,Traenen ungluecklicher Liebe! あまり日常生活に慣れ過ぎてしまい、自分の生活のみに囚われると、他人に対する思いやりも無くなり自己防衛だけが生活目標になってしまいます。そんな生活が危機に晒されて来ると、じっと黙して自分を語らず「会社が政府が何もして呉れない」と全て悲観的になります。昨日、建国記念日のどこかの集会で小泉首相が「悲観的見方からは何も生まれない」と述べているようですが、彼にとっては構造改革も官僚の抵抗それに与する自民党抵抗勢力の圧力で「笛吹けど踊らず」と言う心境なのでしょう。しかし、1960年米国大統領ケネディの就任演説で述べた「国家が何をして呉れるかを問うのでは無く、自分が国家に何をしてやれるのかを問え!」と言う格調の高さを指導者にも期待し、私達も再度、再々度、自分たちがこの経済不況を乗り切るには何をするべきなのか問い続けなければいけません。考えて見ると、イラク攻撃もパックスアメリカーナに反対する国家エゴから軍事好国フランスが反対しているに過ぎません。イラクでの石油権益のフランス分は保証すると米国が言えば、フランスは攻撃に即賛成するのです!多分ドイツのみが悲惨な戦時体制からの反省による攻撃反対で、他のロシアも中国も自国内に多数いるイスラム教徒を押さえ込み、石油権益で得を出来ないか策謀しているに過ぎません!北朝鮮問題も含めて、国際政治は乾きすぎていると思えてなりません、国民間の乾いていない思いやりが是非とも必要な時期に来たと思っています。
2003.02.12
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ブッシュ大統領は1月28日の一般教書演説で、水素利用の燃料電池の技術開発と社会インフラ整備の研究に5年間に12億ドルを投ずると発表しました。更に2月6日燃料電池車の利用促進イベントに出席し、水素社会の実現に向け水素製造の為の大規模プロジェクトを開始するのに5億ドルの追加投資をすることを「水素は、石炭、天然ガス、バイオマス、原子力エネルギー等の国内資源から生産出来る。エネルギーの国内自給も達成出来る」として宣言し、2020年の燃料電池自動車普及を目指したのです。燃料電池車はカナダが先鞭を付け、日独が先行しているので米国は遅れ気味ですが、石油埋蔵量が将来のカスピ海油田発掘を考えても20年足らずであることを認識し、自動車産業をリードする米国の地位保全に向けてスタートを切る意欲の現れだと判断します。従来米国は国内に良質の石炭が200年使用に相当する埋蔵量があるので、その利用を確実にするべく、二酸化炭素削減に向けた国際協約COP3京都議定書の批准を拒否して来ました。環境よりも経済安定を優先させていますので、今回の決定も石炭での水素製造による水素社会の実現が主題では無いかと見ています。一見、炭素の固まりで水素を含まない石炭から水素を製造するのは奇異に感じられますが、これは合理的なのです。石炭が豊富で石油の無いドイツで、1930年に石炭液化法(石炭から石油製造)と言う技術が確立されています。実証プラントは南アフリカで稼働中ですが、途中過程で水との反応により水素と一酸化炭素が製造されるので、その転用を図れば簡単に水素製造プラントが構築出来るのです。又、ブッシュ大統領は、海水中に豊富に含まれる重水素を燃料とする核融合研究の重要性も力説したようです。米国主導で推進して来た「国際核融合実験炉(ITER)」は米国離脱で、先行きが心配されていたのです。これも重水素からヘリウムを作る際に出てくるエネルギーを取り出すので、核廃棄物の無い「人工太陽」なのですが、これについても先週復帰を決定したのです。中国の参加希望もあって、将来エネルギーの世界戦略上の重要性を再認識したのだと思います。尤も、水素社会に較べて、実現は数十年先と見られているのです。従って、環境団体からは「ブッシュ政権は新たなエネルギー開発より、エネルギー節約に向けた省エネ政策に力を入れるべきだ」とCOP3批准を促すような批判も強いようです。しかし、この様な政策転換を要求するような議論があるのを見ると、民主主義の原点が生きていると感じます。中国、北朝鮮、イラクなどの党・個人独裁の国々では反対意見は全て抹殺されてしまうのです。日本では、マスコミを通じて自由な議論があるようですが、やはり国民の“お上意識”の官僚主導が幅を利かせているようです。やはり、政官の組織構造改革が必要で、真の国民主権の復権がなされ、住民投票による政策転換が容易に出来る社会に変貌して欲しいと思っています。
2003.02.11
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2月7日、環境省、経済産業省、国土交通省合同で自動車の排ガス低減策を公表したと言う。低減数値は確定していませんが、2005年から新車については窒素酸化物(NOx)、浮遊粉塵(PM)について世界で最も厳しい規制を導入することを決めているのですが、それでは不十分では無いかとの懸念もあるので、先ず二年間の調査期間を設けて実態調査を行うらしいのです。現在は新車のみが対象となっている規制を、使用中の自動車約5400万台にも適用することを視野に入れ、使用中に性能が落ち基準を満たさなくなる傾向も調査対象とする様です。この他低減策には、軽油中に含まれる硫黄分の濃度規制導入に向けた調査、ディーゼル微粒子除去装置(DPF)を付ける為の半額助成金を道路特定財源から40億円充当するが盛り込まれたと言うのです。ディーゼルエンジンは、現在のトラック、バスでは主流を占めているのですが、乗用車のガソリンエンジンに較べ燃料コストが半分以下なのが主な理由です。その上、粗悪油も使用出来るので水上輸送の船舶では殆どはディーゼルエンジンを搭載しています。一概にディーゼル排気が良くないので、全てガソリンエンジンに替えることは省エネルギー時代には逆行する方向なので真の解決ではありません。ガソリンエンジンは空気を1/8に圧縮すると300度に高温化するので、其処にガソリンを噴射して電気エネルギーで点火して1800度に更に高温化してエネルギーを取り出します。一方ディーゼルエンジンは空気を1/25に圧縮すると500度になりますので、軽油・粗悪油を噴射すると自然発火して2200度の高温ガスからエネルギーを取り出すのです。従って、エネルギー効率は良いのですが高温下での窒素酸化物(NOx)、自然着火を促す空気の乱れによる未燃燃料による浮遊粉塵(PM)と言うデメリットが出て来てしまうのです。ガソリンエンジンがそれらが皆無と言うことは無いのですが、本田自動車が開発した希薄燃焼エンジンで相当に改善を見ているのですが、ディーゼルでの改善はなかなか為されて来ませんでした。東京大気汚染訴訟で待った無しとなりましたので今回ディーゼル規制を主目的とした低減策が出てきたのでしょう!但し、ディーゼルの排気ガスを除去装置(DPF)で後処理して、粉塵を捕獲する対策的な解決でなく、排気を再循環して窒素酸化物、粉塵を低減させる本質的方法(EGR)の開発が進行中でもあるので、これを助成して完成させることが、ディーゼル再生の本道であり、日本の技術が世界に貢献出来る道と思っていますのに、新聞で見る限り其処に触れられていないのは残念です。
2003.02.10
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ウィーンのシンボルの一つであるステファン寺院は、国立劇場横から始まる国ケルントナー通りにあります。此処は町の中心街となっている歩行者天国でもあります。教会の周囲に広場を大きく設けていませんが、有名ブランドの店も多く観光客でごった返しています。教会の全体写真を撮影するのは難しく、広角レンズ等を準備しておく必要があります。一際目立つモザイク模様の屋根は第二次世界大戦で焼け落ちた屋根を修復する際に施されたもので、古くからのものとは違うようですがよく目立ちます。普通、教会の尖塔は前面の位置に建設されるのですが、ステファン寺院では側面に設置されています。建設開始が12世紀中頃とのことですが、その当時既にケルントナー通りがあってそうした設計となったのかは経緯を確認していないので分かりませんが、その137mの尖塔が前面部に無いので採光が自由に出来たことで、教会内部が明るいのです。尖塔が前面にある、ドイツのケルン大聖堂、イギリスのウェストミンスター寺院などは、中に入った途端は暗闇に眼がなかなか馴染めませんが、ステファン寺院ではそんなことはありません。側面窓がステンドグラスで無く、通常の透明ガラスになっている為かも知れませんが、パイプオルガンのパイプも外光に当たっているので、よく鑑賞出来るのです。1995年10月中旬の天気の良い日に訪問しました。このペスト記念塔もケルントナー通りにあってステファン寺院から近い所にあります。ケルントナー通りは、夜になっても賑わいは衰えず、ストリート音楽家も出て来て色々なことを催しています。。レストランに出掛けた帰りには、通りをぶらついて楽しんで下さい。
2003.02.09
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カナダ最高観光地バンフ国立公園のピークシーズンは初夏から秋で、いつも観光客で溢れています。宿を予約したり、確保するにも大変です。シーズン前の三月下旬は、ようやく冬の寒さが緩み日も長くなって来ますのでそろそろ人が訪れる様になります。其処に住んでいる人達も二月までは寒すぎて戸外に出て遊ぶことが無いのです。勿論パウダースノーを求めてのスキー客は多いのですが観光客に較べて多寡が知れています。有名なロッキーの宝石と言われているルイーズ湖も雪の下に埋もれていて見ることは出来ません。又北にあるジャスパー国立公園に行く道路も未だ閉鎖されて行くことも出来ません。しかし、道路の雪も溶けてドライブをゆっくり楽しめることが出来ますし、餌を求めて山から羊などが平地に出て来るのに出会うことが出来ます。観光客が少ないので、車を降りて彼等の様子をじっくりと眺めることも出来るのです。1976年3月に訪問した時の写真をご覧下さい!林の中にはカントリースキーを楽しむ人達も見えますし、羊・鹿などの歩いた足跡もくっきりと雪の表面に残っているのも分かります。青空が出てきて、ロッキー山塊が現れて来ると冠雪に輝く素晴らしいキャッスル山なども姿にしばし見とれてしまうのはこのシーズンに訪問する醍醐味かも知れません。
2003.02.08
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ミネソタ州は五大湖に接していて、且つカナダ国境に位置する“アメリカの冷蔵庫”と言われる冬の寒さの厳しい州です。移民もヨーロッパの寒い地方である北欧から来た人達が多いようで、フットボールのチーム名も「ミネソタ・バイキングス」と付けられています。アメリカの各州はニックネームが付けられていますが、此処ミネソタ州は「一万の湖の州(Ten Thousands Lakes State)」と呼ばれます。それに因んだ昔話と言うか伝説物語が「ポール・ブニアンのお話」として残されています。大男のポール・ブニアン(Paul Bunyan)が青い大きな牛ベーブと暮らして、ミネソタの森林を守ったりしたのですが、その際に踏みつけた足跡が数えきり無い程の湖を作ってしまったというお話です。下記のような紹介絵本もあります。A Tall Tale - Paul Bunyanベミジはミネソタ州のほぼ中心にある人口1万人足らずの小さな町ですが、ベミジ湖の辺には“ポール・ブニアンと大きな青牡牛ベーブ”の像があります。4月初旬でも湖は凍結したままで寒い所ですが、夏には湖・森林を生かしたレクリエーションが盛んと聞いています。ベミジには1972年4月、1976年4月、1981年夏にも行きました。別に観光をした訳でなく、カナダの天然ガスをアメリカ国内に移送するパイプライン調査に行きましたので、写真は殆ど残っていませんが、1976年の数枚をご覧下さい!1970年代はNorth Centralと言う航空会社がミネアポリスからの航路を営業していましたが、再編が激しい航空業界ですので、現在どうなっているのかは確かめておりません。
2003.02.07
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エルパソはテキサス州の西端にあり、メキシコ国境にも接する町です。高度は1200メートルの高原で、ロッキー山脈の南端となるフランクリン山脈と荒れ地砂漠に挟まれていますので、乾燥気候で常に明るい太陽が望めます。言うなればロスアンゼルスの気候をもっと極端にした気候条件なのです。7月には昼間50度にもなりますが、夜間には15度にもなり上着なしでは寒くなります。天候が良いので、冬も温暖な気候を満喫出来るので避寒地として知られています。人口は約60万人で80%がスペイン語を話す人々で構成されています。リオグランデ川の対岸はメキシコ領内でシウダー・フアレス市となって、こちらの人口は二倍の120万人あります。リオグランデ川の国境検問所はありますが、共通の文化圏でもあり国境を越えた多くの労働者が行き来しています。物価はメキシコ側が安くアメリカ人は買い物に、働く場所はアメリカ側に多いのでメキシコ人は働きに行くのです。エルパソはスペイン語で“通り道”と言う意味ですから、あまり観光スポットもありませんが、山脈の中腹まで行って眺める夜景は素晴らしいものがあります。シウダー・フアレスはメキシコで“初めての現地人大統領”フアレスに因んだ町名です。産業はあまり発達しておらず、土器、革製品等を売る店が多いようですが、品質的にはそれ程優れたものは無いようです。夕刻にはメキシコ音楽マリアッチ演奏付き、手頃な価格のレストランが数多くありますので行ってみると価値があります。そんな所ですから彼らの話す英語は聞き取りにくいのです。何か英語なのですが、一寸発音が違うようで又仏語みたいに語尾が次の単語にくっつけて発音するので良く聞き取れません。"How are you all"は"How are yawl"となりますし、"Oil Business"は"Owl Bidness"と聞こえます。エルパソには1978年6月、1979年7月、1980年1月に訪問しました。1978年訪問の時の写真をご覧下さい!テキサス州は殆どの所が中央地区時間帯に属するのですが、エルパソ近郊は1時間遅れた山岳地区時間帯にあります。実際、ヒューストンから1300km西方に位置するのですから1時間遅れにしないと実情に即さないのです。
2003.02.06
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米国航空宇宙学会誌 (AeroSpace America) の2003年1月の巻頭言には次のように書かれています。原題は"Airlines against the wall" by Jerry Greyとなっています。読みながら適当に翻訳していますので多少の誤訳があったらお許し願いたい!長年に亘るジェットコースタの様な旅行ブームと混乱の繰り返しの後、大手の米国航空会社はどの様な将来を見据えるべきなのかが問われている。最近の経済不況と9/11テロ再現波及の恐れからの乗客減少は深刻で、25年間に亘る規制緩和がこの業界の基本的問題を解決させてはいなかったと言うことが明らかとなった。航空輸送安定化委員会のユナイテド航空の18億ドル債務保証申請の拒絶が決定的な打撃を与えたのだが、その決定に際して航空業界の財政が如何に不健全な状況であったのか明らかになったのである。航空業界が繰り返してきたその場限りの問題解決方法が、25年前の規制撤廃以来変わっていないのです。ハブ・スポーク体制を構築し、安売り航空券による顧客獲得競争でしか無かったのです。これらは旅行ブームには上手く機能しビジネス拡張と成長を生み出したのです。前回の不況(多分湾岸戦争後、顧客不振)では、設備とサービスを多少低減することで乗り切ることが出来ました。しかし、その後の1994年から2000年迄の予期しなかった好景気は、航空業界に20億ドルから60億ドルの利益をもたらすことになりました。業界は、結果に酔いしれ後戻りが不可能な程、新たな空路・便を拡張してしまったのです。ユナイテド航空はその代表例となりました。世界はこの3年間に抜本的に変化しました。テロの予見、インターネットビジネスの拡大もあり、企業は経費削減を目指して従来型の面接による業務展開を変えて来ました。航空業界も大規模なビジネス構造の変革をしなければなりません。単純な経費節減は機能しなかったことは実績からも明らかですし、多分将来的にも期待出来ません。顧客重視の観点からの“安全に安心して安価に利用出来る”新しい模索が問われる必要があるのです。1998年から2000年に適用したビジネス顧客からの二倍運賃の搾取はあってはなりません。ハブ・スポーク体制は廃棄する必要は無いのですが、もっと乗客が便利出来る様になり、航空会社の運用コストを低減出来るように変革しなければなりません。人工衛星による通信技術を利用して、運行・通信・航空機健全性をモニターし、乗客に安全と利便を提供することも必要です。航空業界は国民の経済、安全、生活スタイルに多大な影響をもった業界ですので、伝統に囚われない考え方と熱意を以てこれらの問題を解決することが緊急の課題であり、やるべきことは多々あるのです。日本でも不況打開の為、日本航空とJASが統合しましたが業績回復はまだまだの様です。顧客要望を伴わない高価格運用体質は変わっていないのです。“安全に安心して安価に利用出来る”と言う顧客満足に沿っていないのです。切り崩しは“エアドゥー”と“スカイマーク”による大幅な顧客獲得がが結果として業界改革に邁進することになるのかとも思っています。
2003.02.05
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雑誌Agoraの2003年2月号に次の様に掲載されています。イタリアでは同一組織体に少なくとも5年以上の勤続経験を持つ公務員・民間従業員は、最大11ヶ月迄の無給休暇を取ることが出来るということです。「安息の年」は古代イスラエルの慣習に由来する言葉で、7年毎に耕作を休み、地に安息を与える年のことを言います。正式には「自己育成休暇」と呼ばれ、働く人々の産休や介護、学業をサポートする目的で2000年3月に制定された様です。但し、取得には個人の資質向上を目的とすること、又企業活動の著しい妨げになってはならない等の条件があるので、申請しても直ちに受理されるとは限らないらしい。それ以前から、大学、役所や一部の企業ではそんな休暇を使っての学業サポートはされて来たのですが、一部の恵まれた人だけでなく、大勢の人にメリットを広げるべく新しい法令に実を結んだ様です。従来自己育成に時間もお金も掛けられない会社従業員でも、無給とは言え、レベルアップの機会がが得られるように、長期休暇を取る権利が法律で認められたことは意義深い。そうは言っても、公布から3年が経過したものの、この休暇を利用している民間会社従業員は少ないのが実情らしい。ともあれこの法令がイタリアの国民一人一人に職業人としてだけでなく、一個人として豊かに生きる環境作りを目指している。学ぶことは人間性が豊かになると言うこと、始まりは常にあり、終わるものでは無いと言うことを、我々も気づく頃ではある。日本ではここ10年以上、経済不況からリストラの嵐が働く人の向上意欲を奪い、会社にしがみつく姿勢しか助長して来ませんでしたのは残念です。個人の資質向上には助成金制度もありますが、一部の大企業にいる恵まれた人しか使っていないように思います。日本でも、この様な「自己育成休暇」制度を法制化して、国民が精神的に豊かな生活をし、次のチャンスを生かせる様にして行かなければ、この精神的不況は抜け出せないので無いかと思っています。
2003.02.04
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2003年2月3日の朝日新聞の「米シャトル事故座談会」を読んで見ました。作家の中野氏、宇宙科学研究所の的川氏、NASDA/OBの宮沢氏の三氏であった。事故原因は昨日の私の推断が主流となって座談が進められたが、中野氏の次の発言が気になった。「スペースシャトルは当初の期待程効率の良いシステムとはなっていない。NASAの技術者は新システムをやりたがって来たが、予算の都合で進んでいない。スペースシャトルは米ソ対立を背景に1981年に元気に登場したのだが、背景が変わり、新システムをもう急ぐ必要は無くなった。」将に進歩を拒否する制度疲労が起きていたのです。それに較べ、NASDA/OBの宮沢氏は「シャトルは技術的にはよく考えられてもので、新システムは、X33等色々やっているが現在の技術では難しい。」と守旧的なのです。的川氏は中立的で「米国ではX33で失敗したとはいえ、開発で蓄積した技術は次世代シャトルで当然生きるはずだ。」と発言しています。各々組織に沿った発言がなされましたが、やはり自由な作家の意見が一番納得出来るものでした。私は現在のスペースシャトルが、垂直発射で最初から高価な液体水素・酸素を大量消費するのが経済的は無いと思っている。現状の我々が利用する、信頼性のある水平離陸でジェットエンジンを使っての成層圏までの飛行、大気が薄くなって来てからのロケット推進で、高価な液体水素・酸素を最小化出来るシステム(例えば、エアターボラム、SCRAM、ロケット統合によるSSTO (Single Stage To Orbit) システム)でないと人類の宇宙進出は本格的にならない。現状を最良の状態とする認識は、既に制度疲労に寄与しているのだと思っています。今回の悲劇的事故を契機に真の技術的議論、組織的議論、宇宙開発の必要性が開始されることを望んでいます。
2003.02.03
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昨晩夜11時からの臨時ニューステロップでスペースシャトル「コロンビア」の事故が報道されてから、深夜のニュース、今朝の新聞記事に注目しています。残念ながら、「コロンビア」の損傷は打ち上げ直後の外部燃料タンクの断熱材がコロンビア左翼に当たり、炭素複合材で作られている断熱パネルを損傷して、既に運命が決まっていたのだと推断しました。勿論事故調査の詳細は、その後逐一報道されることになりましょうが、多分間違いはありません。宇宙に行く場合は空気が薄くなる所を加速して行きますので断熱パネルにはそれ程負荷は掛かりませんし、宇宙での周回軌道上では負荷は殆どありません。地球に戻って来る際には、空気が段々濃くなって来る所をマッハ数20を越える速度で大気圏に再突入して来ますので、加熱温度は2000度になり、断熱パネル無しにはコロンビア本体は焼け溶けてしまいます。今回は再突入のマッハ数20の空気流の力で、断熱パネルがマッハ数20の空気流の力で剥落し、その内側にあった翼の本体金属が焼け溶けてしまい、その後その他の部分も溶融分解してしまったのでしょう。米国NASAの着陸直前の会見では「問題は無い。予定通りの着陸を行う。」と、希望的観測を込めて発表していたのですが内心は心配でたまらなかったと思われます。多分否定的最悪な判断もあったのでしょうが、乗組員にも生還出来る可能性が殆ど無いとはとても言えなかったと思えてなりません。「シャトルの寿命が過ぎていた。」、「予算削減で管理上の問題があった。」など種々言われていますが、有人宇宙飛行計画が中止されることの無いように望みたいものです。人類の夢を実現させる、このプロジェクトにもコスト削減要求が激しく、行政管理予算局から長官がNASAに送り込まれ予算減、人員減で円滑な運営が出来にくくなっていたらしいのです。夢実現に情熱を燃やす人材を再度長官に据えて、体制の再構築を望んで止みません。日本でも構造改革が叫ばれて久しく進展が感じられません。夢も情熱もない天下り官僚が特殊法人の要職を独占し、老害をまき散らして、やる気と情熱を寄生虫の如く吸い取っていることが問題になっているのですが、まさか米国でもそうであったのかと愕然としています。
2003.02.02
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1月31日、東京池袋にある東京芸術劇場大ホールでユニセフ支援記念のコンサートがあったので行って来ました。シューマンの交響曲4番とドボルザークのチェロコンチェルトがプログラムされていました。私のお目当ては韓国女流チェリストのチョン・ミュンファが1731年ストラデヴァリ製造の通称ブラガと呼ばれる名器を演奏するチェロ協奏曲でした。私の耳がそれ程鋭敏ではありませんので、感動する程の音色に響きが聞こえなかったのは残念でした。チョン・ミュンファ女史が、管弦楽団の音量に負けない様に弦押さえ駒の近くを強く弾くので「音量が大きくするのは良いのだが、音が少し濁らないかな?」等とつまらない心配をしながら聴いてしまったのです。かえって、彼女がアンコールで弾いたバッハの無伴奏チェロソナタは、そんな気負いも感じられず悠々と弾いて呉れたので、優雅な音が響いていた様な気がしました。自宅にあるロストロポーヴィッチのドボルザーク音楽テープを聴いている時には、そんなことは全く気にしないで聴いているのに、生演奏はいろんなことが気になるものです。それにしても、弦楽器は300年以上も経過したものが演奏楽器の最高峰として君臨していますが、現代の名工も沢山いると思いますのに其処に到達出来ないのは不思議です。「ブラガ」にしても、チョン・ミュンファ女史が退場する時に胴裏が見えたのですが、大分ニスが剥がれている様でした。ニスが音色に影響する研究をしたのはロケット工学の権威であった糸川英夫でしたが、ニスの塗り直し補修も難しいとなると、この先弦楽器の名器の寿命が気になる所でした。大ホール内は撮影禁止ですが、開場直後デジカメでフラッシュ無しの自動撮影でこっそり撮りました。ASA400相当なので結構撮れていると思います。それにしても、フラッシュ無しの撮影も禁止する意味はあるのかと疑問に思いました。
2003.02.01
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