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朝、雨が降っていて、今日は散歩は止めようと思ったら、起きあがれなくなって昏々と眠り続けた。昼からようやく雨が止んだので、近くの植物園まで足を運んだが、雨は止んだとはいえ、鬱蒼とした森の中にある園は暗く思うように写真を撮ることはできなかった。水引はもう何度も満足がいく写真を撮れなかったので、昼から重い腰を上げて出かけてよかった。 この頃、よくレバノンの青年とメールのやりとりをしているのだが、彼が最初英語でメールを書いてきた時には、すぐに英語があまり得意でないことがわかった。互いに相手の母語を知らないので、コミュニケーションをするには外国語に頼るしかないわけだが、ある日、フランス語で書いてもいいかというのでもちろん、と返事をしたところ、返ってきたフランス語は立派なもので同じ人のメールとは思えないほどだった。こうなると、僕の方が劣勢になるのだが、しかし、もともと優も劣もあるはずはなく、書いてあることを正確に理解する努力をしていくしかないわけである。写真についてはもとより全くの初心者で、Flickrというサイトに写真を載せることなど思いもよらなかったが、写真を通じて文字通り世界のあちらこちらに友人ができて嬉しい。 最近また顕著に胸に鎧を着けているような気がする。時々、心臓が身体から離れていきそうな気もする。
2007年09月30日
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これは去年撮ったものだが、今年もこんなふうに咲けばいいのだが。 コスモスはギリシア語では「宇宙」「秩序」という意味がある。この花になぜこの名前がつけられたのかはわからない。 Flickrというサイトに写真を載せるようになって半年になるが、写真そのもののこと以外に気づくことが多い。たまたま勉強のために読んでいたフランス語の本の後に、著者が、政治、経済、国際関係、マスコミ、教育はいうに及ばず、日常生活のすみずみにいたるまで英語支配の世界になる現状を憂え、この現状に英語帝国主義という言葉をつけているのに驚いた。Flickrでもこの例外ではなく、英語が第一公用語になっていて、英語を母語としない人には無数あるグループの規則を理解することなどについてむずかしいところがある。例えば、英語が書けないフランス人がいても当然何の不思議はない。規則を破るのは、Englsh speaking personではないのだろう、というようなことが書いてあって、それはひどいと思って、あるグループのルールを日本語に訳したことがあった。この世界には、(当然のことながら)英語以外の言語、そして文化があることを知ってほしいと思う。別のグループの規則を日本語に直してほしいと依頼されて、訳文を送ったら、(日本語もラテンアルファベットで書かれているという思いこみがあったのだろう)こんなふうにしか見えないと送り返されてきた。文字化けしているわけではないのだが。
2007年09月29日
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孔子の弟子である小夏は、子どもが死んだ時、哭泣のあまり失明したと伝えられている。子どもを殺された親たちの無念がニュースを通じて伝わってくる。乱数表に言及し、「死刑執行が自動的に進む方法はないのか」という法相の発言は、人の命をあまりに考えている。過日、訳し終えたアドラーのDer Sinn des Lebens(人生の意味)はアドラーの死語、英訳されてアメリカなどで出版されたが、その際、アドラーの戦争や死刑に反対する記述が大幅に削除されていることを知った。僕が訳したのはドイツ語版なので、その箇所も漏らさず訳したのだが。あらためて2006年の4月に死んでしまっていたかもしれない自分の命のことを思う。 急に気温が下がって、身体がうまくついていけないようだ。
2007年09月29日
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朝、近くのコスモス園に行ってきた。平日だったからかもしれないが、他に誰もいなかった。コスモスは少しの風にも大きく揺れるので写真に撮るのは難しい。カメラがぶれなくても、被写体ぶれが起こるからである。しかし、ずっと揺れているわけではなく、あるところで必ず止まるからその瞬間をねらえばいい、とベテランの写真家に教えてもらったことを思い出した。帰る時も、受付の人に声をかけられた。こんな時、今も仕事をしていないと思われたかもしれない、と気にしてしまう。朝まで仕事をしていたのに。 ミャンマーで狙撃され殺された長井氏のことを思う。同時に、イラクで拘束された人たちへの政府の対応と自己責任の声を思い出す。
2007年09月28日
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朝、銀行に奨学金の返済に行く。窓口でお金を払おうとしたら、本人確認が必要、といわれる。今年の初めから法が変わったことは知っていたが、大金とは縁がない生活を送っているので、関係なく今まできた。息子さんの分と両方いります、といわれ、いえ、これは僕の分ですから、というと怪訝な顔をされたが、それはまあいい。結局、僕は一度家に戻って証明書を持っていたわけだが、なぜ入金するのにこんな事が必要なのかとたずねたら、「一般の人」には関係がない、と行員は説明する。誰に関係するのか、とさらに問うと、テロのために資金が流れることを防止するためということだった。前は200万円だったのですけどね、と申し訳なさそうにいわれるのでそれ以上は何もいわなかったが、一方で個人情報の保護が強調される一方で、プライバシーが侵害されていっているように思った。 終わりのない仕事はないのはわかっているのだが、命には終わりがある。 自分の中で仕事を始めとする多くのことについて優先順位をつけているところがある。「あらゆることは時間とともに動いてゆくが、患者は無時間の岸辺に打ち上げられるのだ」(ヴァン・デン・ベルク『病床の心理学』p.84) 病気になると、当然あると思っていた未来がなくなる。実際には、病気になって、ではなく、病気の前からも未来はないのだが。明日はもはや今日の延長としてはありえない。
2007年09月27日
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初めて朝、秋を感じた。少し疲れてしまった。明日から新規まき直し。本当は「明日から」などといっていてはいけないのだが。Advanced W-Zero3[es]にskypeを入れた。東京に帰った息子と少し話す。僕のフランス語の本を持って帰ってしまったので送るというので、そのままでいいという。 白い彼岸花を初めて見た。
2007年09月26日
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夢を見ていた。息子が帰るところだった。「そのうち〔東京に〕行くから」と僕がいうと、息子は「ああ」といって帰って行った。本当に帰って行ってしまった、と思ったところで目が覚めた。歩けば15分ほどのところにある寺に墓参りに行った後、疲れてしまって、しばらく寝ていたのである。しかしほどなく今度は本当に息子は帰っていった。そして僕は「そのうち〔東京に〕行くから」と夢と同じことをいってしまった。手術の前、4月の終わりに東京に行ったのは、もうずいぶん前のことの気がする。 日記へのコメントをいただいたのだが、仏教については、高校生の時、仏教系の高校に通っていて、週に一度宗教の時間があって、あれこれと本を読んだことはあったのに、プラトン哲学を学び始めて以来、離れてしまった。未発表の原稿の中に、こんなことを書いたことがあった。「三木清は、私には浄土真宗がありがたい、おそらく私はその信仰によって死んでいくのではないか、と書いている。獄死後、疎開先から「親鸞」と題するノートが発見されている。こんなことも当時は僕の理解を超えていたのだが、今は三木の胸中がわからないわけではない」 わからないわけではないが、浄土真宗に限らず、宗教の信仰によって死んでいくことはないように、今は思っている。膨大な仕事を残している三木だが、僕よりも若くなくなっている(1897~1945)。 写真は柏葉白熊(かしわばはぐま)。知らない花は世の中にいくらでもある。
2007年09月25日
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とうとう雨が降った。久しぶりに写真を撮りに出かけていた時なので、ずいぶん濡れてしまったが、気持ちがよかった。彼岸花がたくさん咲いていた。 朝方までかかったが、頑張って原稿用紙にして20枚ほどの原稿(アドラー『人生の意味』解説原稿)を書き上げた。もう一度チェックしてメールで送ろうと思っている。これで後一本。翻訳自体はこれまで訳したアドラーの著作の中では一番大部のもので、かなり読み応えがあると思う。 明日は息子が東京に帰るらしい。なんとか引き留めようと思っているのだが、そういうわけにもいかないのだろう。楽しい時は早く経つ。
2007年09月24日
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昨日は日記を書く間もなく、夜、息子が帰ってきたのも知らないくらい早く寝てしまった。暑さのせいなのか、心臓のせいなのかわからないが、昨日は一日不快で、用事ができて何時間かで書けなければならなかったが、それ以外は横になっていた。こんな日もあるくらいで流せればいいのだが、仕事が停滞してしまったことを大いに後悔してしまう。 昨年来、ずっと考えているのは次のような問題である。アドラーは、人と人とを反目させるという意味での戦争を始めとする人類の愚行をその目でつぶさに見てきたはずなのである。戦争だけではない。この社会では当たり前といっていいくらいのあらゆる形での競争は、およそ人と人を反目させることはあっても結びつけることはない。競争の最たるものが戦争である、ということもできる。そのアドラーが、なぜ競争ではなく、協力を前提とする、隣人愛といってもいい共同体感覚を説いたかという問題である。これは個人レベルでいえば、人はなぜ現実に失望、あるいは絶望することなく生きていけるのかという問題にも関わってくる。 死んだ人は問うても何も答えない。それでも今、あなたならこのことをどう考えるのですか、とたずねたくなることがある。そのあなたは、僕の場合は、プラトンであったり、イエスであったり、新しい人ではアドラーであったりする。ところが彼〔女〕らは何も答えない。
2007年09月23日
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今日は夕方買い物に行くまで外に出なかった。今日は昨日よりも過ごしやすかったようだが、僕にはわからない。目下、締切のある原稿が二本あって、そのうち一本はまだ締切まで間があるとはいえ、寝ても覚めても考え続けるというのはなかなか辛いものがある。目が覚めた時、思い詰めたような顔をしているかもしれない。ほとんど覚えていない前世の記憶を探るように、寝ている間に考えていたことを思い出そうとしているからである。 昨日の続きだが、おそらく病気の時は、普段よりも、いわば閾値が高くなっていて、通常であれば気にならないような言葉に過敏になっているように思う。僕の場合、手術に当たって胸骨を切り、術後、ワイヤーで止めてある。このワイヤーは一体どうなるのか、とある看護師さんにたずねたら、簡単なオペでとるということだった。簡単といっても、また痛い目に遭うのかと思ったら気が塞いでしまった。その後、ワイヤーのことは医師からは何も話に出なかったし、その後、今は外科から離れてしまった。またこのバストバンドはいつまでしていないといけないのですか、とある看護師さんにたずねたら、半年という答えが返ってきた。今は僕は外しているわけだから、結果的にいえば、そんな人もあるということであって、誰もが半年つけていなければならないわけではないことがわかったが、半年という言葉を聞いた時は、絶望的な気分になった。僕のケースではないが、術後出た不整脈について「しつこい」という一言が尾を引いたということを聞いたことがある。気にしすぎだといわれたら、それまでだが、悪く(いった人についていっているわけではないのだが)取ってしまったのは本当である。 写真はセセリチョウ。僕は知らなくて、ずっと蛾だと思いこんでいた。身体に不釣り合いな羽のこのチョウは仔細に見るとかわいく見える。
2007年09月21日
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何も心配することはないのに、あるいは、少なくとも心配することはないといわれているのに、ふいに不安が頭をもたげることがある。一天にわかにかき曇る。 これが、しかし、事後論理であることを知ってからは、いつも心が穏やかではない。本当は、不安をもたげなければならないわけがあるわけである。それはともかく、人のちょっとした言葉がいつまでも引っかかることがある。患者の立場でいうと、医師や看護師の何気ない言葉がたちまち不安に陥れるということは確かにあった。後にそれが本当ではなかった、あるいは、自分には当てはまらないということを知るまでは、この不安は止むことはない。 とにかく歩みを止めないで少しでも前に進むこと。これまで、うんと走って疲れ果てて、長く動かないというようなことばかりしてきたように思う。 いくつかの映画で、自分が本当は死んでいることを知らない人の話があった。時々、僕の生は去年の四月の段階で終わっているのかもしれないと思うことがある。
2007年09月20日
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連日の残暑でまいっている。昨日は日が変わるまで、一行も書けなかった。夕方早く帰ってきた息子が買い物に行って、夕食を作ってくれたのは助かった。 目下、解説原稿の完成を急いでいるアドラーの『人生の意味』(Der Sinn des Lebes)の最終章を読んでいて、アドラーが自分の創始した心理学は形而上学であるということの意味を明らかにするために、一冊の本を書いたのだ、と思った。アドラーがもしも後二十年生きていたらということがよくいわれる。十分、思想を体系化する前に早世したからである。Adler said~(僕の場合は、Plato saidも)というだけに留まらず、もしも今の時代に生きていたら、アドラーやプラトンは何を語っただろうかということを考えていかなければならない。劇場政治を批判するプラトンの著作を読んでいたら、紀元前五世紀に今の時代を予言しているように見える。 シャープのWS011SHを手に入れたことは前に書いたが、EBPocketという辞書検索ソフトがあることがわかったので、リーダーズ英和辞典、広辞苑、ロワイヤル仏和中辞典などを入れてみた(ロワイヤルはデータをEpwingに返還する必要がある)。これで外で本を読む時に助かる。もっとも外に出かけることはもうあまりないのだが。 これはaffluent curiosity(溢れるばかりの好奇心)と題した写真。
2007年09月20日
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在来線を乗り継いで10時間かけて東京から深夜に帰ってきた息子と遅くまで話し込んでしまった。娘は何やら息子からおみやげをもらったようで、はしゃいでいた。 時間に気づいて、息子が、こんな時間まで起きてたら、また死ぬぞ、といわれ、たしかにまた死にたくないので、寝ることにした。しばらくいるようなので急ぐことはないわけだ。 朝、撮った写真をコンピュータで見たら、産卵中だったことがわかった。
2007年09月19日
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いつも近くでばかりでしか写真を撮らないので今日は少し遠出をしたが、暑い日で山道を歩いたら疲れてしまった。 写真は、近くに住む進鷺。手術前からずっと追いかけている。いつもコンパクトデジカメの限界を感じるがしかたない。でも、かなり近づけた。むこうは僕を知らない。天を仰いだ鷺は、明きの青空の中に飛んでいった。 息子が明日帰ってくる。
2007年09月17日
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近くの植物園に出かける。花の名前についてたずねると、わざわざそこまでいって教えてくださる。ルーペを出して、これは何々です、と次々と答えられるのは、さすがに専門家である。「植物は深いです。長年、学んで学んできて、わかったのは植物については、私は〔植物について〕何も知らないということです」とソクラテスのようなことをいわれる。 写真は、アザミかと思ったが、棘がない。タムラソウという。 朝、早く出かけたのに、帰る頃には汗ばむほどの暑さになった。疲れてしまって、長く休むことになってしまった。 文藝春秋に連載されていた柳田邦男の『新・がん50人の勇気』は今月号(10月)で完結。「確かに死は終わりではない」と柳田はいうが、そんなに簡単にはいいきれることではない。もしもそのように思えれば、この連載に登場した数十人の人や家族の苦悩はないだろう。命は、残された人の心の中に生き続け、そういう形で継承されるというが、死にいく人自身にとっては終わりではないのか。もはや何も感じることも、思うこともなくなるのではないか。手術を受けて以来、いよいよそんなことを思うようになっている。僕が前に書いた本では、たとえ死がそういうものであっても、あるいは、死がどのようなものであれ、幸福に生きるためにはどうすればいいかということを考えてみた。
2007年09月16日
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寝ている間ずっと考えているとは思わないのが、目が覚める直前に考え事をしていて、目が覚めた途端、それを書き留めないわけにいかないというのは、なかなかつらいものがある。すべてを思い出せたらそれはそれでありがたいのだが。 何となく、退院来、走り続けてきたような気がする。何もしていなければ、こんな事をしている場合ではないのに、と思ってしまう。とはいえ、たしかによく眠れるようになったわけで、ありがたい。去年、心筋梗塞で倒れる前は、何日も眠れないようなことがあったのだから。 今日も原稿の読み返し。もうずいぶん前から手がけていることは前に書いたが、書き込みを見ると、これは去年入院する前の晩に書いたものだというようなことがわかって、胸が詰まる。 写真は樹液のマクロ。水滴とは違う反射の仕方がおもしろいと思った。
2007年09月14日
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夜、なかなか眠れず、起き上がって、しばらく考え事をしていた。亡くなった藤澤先生の夢を見る。朝、涼しかったので、常と違って9時頃まで仕事をしてから、散歩に出かけた。休みの日にしか行かない、近くの植物園に行く。今年初めての彼岸花。きれいな花だったので、学校の帰りに持ち帰ったら、母が家が火事になるから捨てるように、といったことをふと思い出した。小学生の時のことだった。そんなのは迷信だ、とつっぱねなかったように記憶している。彼岸の頃に突然、咲き出すように見えるこの花を見ると、こんな花があの世、彼岸で咲いているのか、と思った。 今日も翻訳原稿の読み返し。ようやく半分ほど。解説を書くのは、いつも骨が折れる。
2007年09月13日
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この頃、自分が書いたか、翻訳したものしか、読んでない。先週、病院の帰りに本屋に行って、何冊か手に入れたのだが。少し疲れているようだ。出版に向けて力を残しておかなければならない。
2007年09月12日
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トンボの写真はこれまで何枚も撮っていたが、これはかなり満足できる。難点はなおあるのだが。コンパクトデジカメでここまで撮れるのは嬉しい。これを書いたのは、写真のことではなく、この写真の説明にも書いたのだが、写真を撮ろうと思っていると、僕がよくいうmagical momentに出会えなくて、トンボや蝶々に出会っても、写真を撮るということを考えず、その時間(といっても長くて数分、すぐに飛んでいなくなる)を楽しむことに徹すれば、結果として写真を撮れることもあれば、撮れないことがあるようだというようなことを漠然と考えていた。ある時間を何かの目的のために使うのではなく、その時間を楽しむために過ごせたらどんなにすてきだろうといつも思う。 翻訳の解説原稿を書こうとしている。これはかなり前から手がけているのだが、昨年来入退院を繰り返す中、まだ解説が書けないでいる。今年中に出版することになっているので急がなくてはならない。
2007年09月11日
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日曜日の朝、近くにある花明山植物園に行った。雨が降ったこともあり、前にきたきた時には見なかった花がたくさん咲いていた。気がつかなかっただけかもしれないのだが、まだまだ暑い日が続いていても、季節は確実にめぐっているようである。 突然、大きな音と共に、木の枝が折れて落ちてきたことに驚く。こういう時は、まったく身体が動かず、スローモーションの動画を見ているような気がした。 今日はつかの間の休息。娘に頼まれた用事を果たすために外出した。電車が遅れていた。車掌は、何度も電車が遅れた理由を放送するのだが、聞き取れなかった。**駅で特急列車の< >で車両点検をしたために…< >のところが聞き取れなかった。現に遅れているので今更遅れの原因を聞いても仕方がないともいえるが、自然災害によるものなのか、人為的なこと(故障、人身事故など)によるものなのかで気持ちは違ってくる。おかげで、電車の中で仕事(翻訳)をしてしまった。休みにしたつもりだったのに。
2007年09月10日
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今日は読書会。もう一年以上続いているこの会ではずっと『心の病理を考える』(木村敏、岩波新書)を読んでいる。議論は常に白熱し、休憩時間も話は途切れない。金曜日の診察から始めて毎日用事があったので、さすがに疲れたが、充実した日々だった。恩師の藤澤先生の口頭試問を受ける夢を朝方見る。少しも緊張していなかった。精神的には目下、非常に健康な状態にあるようだ。
2007年09月09日
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原稿を書く仕事を根を詰めてやっていると無性にデジタルの世界にのめり込みたくなる。ずっと前から考えていたのだが、外で(あるいは、入院時に)今使っているPowerBookからインターネットにアクセスために、もう長くAirH"(PHS)を使ってきた。どう考えても、最近はめったに外出しないので、これを持っていることがあまり意味がなくなってきた。とはいえ、外からアクセス機会が全くないかといえば、そんなわけでもないので、スマートフォン(WSS011SH)に機種変更した。これは電話としても使えるので、そのうち今の携帯も使わなくなるかもしれないとも考えているが、さしあたって、これをマックと同期させ、これを使ってマックからインターネットにアクセスすることを試みている。スマートフォンはwindows用なので、これをモデムとして使うことは本来できない。ところがありがたいことに、マック用のドライバが公開、配布されていることを知った。データ(例えば、スケジュールなど)を同期させるためには、The Mising Sync for Windows Mobileというプログラムがあることも知った。今これをダウンロードして、データを同期し、今日帰りに(後述)電車の中で、書いていた原稿をPowerBookに無事移すことができた。外ではPHSだが、自宅では無線LANを使えるのもわかった。こんなことをしていると、精神の均衡が取れるような気がする。 今日は、ヴァイツゼッカーの研究会の日だった。木村先生からは多くのことを教えてもらっていてありがたい。参加している人の多くは大学で教えていて、皆、ひどく忙しそうである。今後、常勤の仕事に就くことはできないだろう。時間があるから、原稿が進むわけでは必ずしもないが、通勤などの時間がいらない分、疲れたら休むことができるのは、ありがたい。 昨日、心電図の異常のことを聞いてしまったので、油断してはいけないとあらためて思った。せっかく蘇生したのだから(おおげさに聞こえるだろうが、この言葉は僕にとっては実感である)、人に役立つことをしたいと思う。これまでしていなかったという意味ではないが。
2007年09月08日
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今日は病院へ。この一月ほどは電車にもほとんど乗らなかったような気がする。遠出をしたような気がする。予約は10時半から11時になっていたのだが、朝早く(5時)に目が覚めてしまったので、採血と心電図もあるので早く出かけることにした。心電図の異常を指摘されたが、薬の方は減って、朝に二種類の薬を一錠ずつでいいことになった。退院直後、膨大な数の(と思えた)薬を飲んでいたことを思うと、本当にありがたい。順番を待っている間、翻訳の仕事。コンピュータを外に出せる日がくるのだろうかと思っていたが、今は平気である。退院する日は、鞄を一つ持つのも大変だったのに。
2007年09月07日
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明日は受診。緊張する。薬を減らせるかどうかが一つの焦点なのだが、いい結果でないと減らない。手術に比べれば何でもないはずなのに、採血は痛くていやだな、と思ってしまう。肝臓の数値がよくなっていますように。 台風が近づいている。こちらはあまり影響はないのだが。前回の台風の時、朝、テレビを見ていたら、いつものように占いのコーナーがあって、**座の人は、今日は遊園地に行くといいです、というナレーションがあって、こんな強風、大雨の日でも行くといいのだろうか、と苦笑してしまった。 人工心肺に繋いで手術を受けている夢を見た。その様子を側で見ているのである。僕の胸はまったく動いていなかった。
2007年09月06日
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今日は雑誌原稿を仕上げて送る。短いものが楽なわけではない。原稿用紙で3枚だったのだが、この量だと書き始めたと思ったら、もう字数を超えることになる。手術前から原稿を書くことが決まっていて、4回連載なので大体の構想は立ててあったので、字数を超える問題をのぞけば、わりあい早く書き上げることができた。書き上げて外に歩きに行き、帰ってきたら別の雑誌原稿の依頼書が速達で届いていた。これは15枚。まだ締切は先なので、その頃は一体どうなっていることかと一瞬思ったが、引き受ける。仕事があるのは本当にありがたい。 写真の蜻蛉はこの角度からはよくわからないかもしれないが、羽の一枚が少しちぎれていた。自然界で生き抜くのは、厳しいことなのだろう。また暑い日が続き辛いが、季節は確実に秋に入っているようだ。
2007年09月05日
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夜になって、原稿を出版社に送ることができた。今朝はもう4時くらいになっていたが、4章を読み終わったところで(全部で5章)力尽きた。昼から仕事を再開し、もう一度、書き落としがないか調べた。もちろん、これで終わりではなく、書店に並ぶ前にはなお大変な仕事が待っているわけだが、大きな荷物を下ろせたようで、今は気持ちが楽になった。とはいえ、もうずいぶん前のことになってしまったが、修士論文を出した後の口頭試問を待つような思いでもある。
2007年09月04日
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虹の写真を撮る夢を見ていた。こんな時はホワイトバランスをどう設定したらいいのだろうかと思っているうちに、目が覚めてしまった。 何度目かの原稿の読み返し。プリントアウトしたものに手を入れると、後で入力するのが大変なので、画面上で読んでいる。もうこれで読み通したら、編集者にメールで送ろう。水曜日締切の雑誌原稿もあって、思いがけず逼迫してきた。厳しいチェックが入ることは必至だが、もともとピントが合ってない写真をPhotoshopなどで加工することには限界があるように、元原稿がきちんと書けてないと、話にならない。 言葉は、芸術のようにイメージを、音楽のように感動を、直接伝えることができない。もどかしい。しかし、今書いていることは、それにもかかわらず言葉が重要であることなのだから、投げ出すわけにはいかない。
2007年09月03日
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原稿追い込み(まだ、というべきか)。とはいえ、少し距離を置いてみないと、冷静に自分の原稿を見ることができない。考え事をしてぼんやりしていたのか、どこかに帽子を置き忘れてしまった。400字詰めの原稿用紙に換算すると300枚を超えるような仕事はエネルギーがいるので、数年に一度くらいしかできない。原稿を書くこともさることながら準備にかなり時間がかかるからである。中身の薄い本なら書けるだろうが。 昨日きれいに咲いていた蓮の花があって、今朝はどんなふうになっているだろうと楽しみにいったら、折られていてもうなかった。
2007年09月02日
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