息子が帰ってしまい、がっかりというか話し相手がなくなって残念である。こちらにいる間にもっと話すことがあったのに、すぐに日が経ってしまった気がする。 澁澤龍彦の『高丘親王航海記』(文藝春秋)を図書館で借りてきた。この本について柳田邦男は「起き上がるのも困難なほど体力が弱っていた中で、書き上げることができたのは奇跡的と言ってよかった」といっている。このようなことは作品の本質とは関係ないのだろうが、そんな状況で書かれた作品がどんなものか関心を持った。自分の未来を暗示するような言葉が書かれている。後の人はそれを見て、死の予感があったであろう、と思うかもしれない。それがまちがっているわけではないが、人は誰でも死ぬわけだから、死後にそんな言葉が作中にあるのを見出しても不思議ではない。作者は生き続ければ、誰もこの言葉は自分の命が長くないのを知っていたのだろう、とは思うまい。 占いがなぜ当たるか。人間があまりに不幸だからである。 図書館では澁澤の他、重信メイの『秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』(講談社)を借りる。Paul AusterのThe Brooklyn Follies(faber and faber)を昨夜から読み始める。 実のところあまり時間がないので、どこまで読めるかわからない。誰もいない静かな昼間に今日はDer Sinn des Lebensの訳稿のチェックを進める。