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きよみさん(60歳)は母の短歌のお友達です。 ご近所のお友達のともえさん(65歳)が亡くなりました。 きよみさんはすぐにお手伝いに行きました。 すると、ともえさんのお家では皆がテーブルいっぱいに写真をひろげて、なにやら相談の真っ最中。 「どうしたの?」と聞くと、祭壇にかざる遺影の写真、良いのがなくて・・・というのです。 「ああ、それならば・・・」ときよみさんが言いました。 「前にいっしょにチューリップを見に行った時にふたりで撮った写真がとてもよく撮れていて、ともえさんも気に入ってました。」 「それじゃそれにしましょう。それどこにあるんでしょう。」と皆に言われ、きよみさんは 「探すより、ウチのを持ってきたほうが早いから・・・」と、すぐ家に取って返して、アルバムから写真をはがしてきました。 一面の赤やピンクや黄色のチューリップ畑を背に、ともえさんときよみさんが並んで微笑んでいます・・・ 「ああ、これはいい。きよみさん、ありがとう。」 とご主人や子供さんは感謝して、葬儀屋さんに 「右の人です。よろしく。」とそのスナップ写真を渡しました。・・・そして、 「でき上がりました。いかがでしょう・・・」 黒いリボンをかけた、白菊と白いカトレヤを飾った額のなかで微笑んでいるのは・・・きよみさん・・・でした・・・ 「これ、私じゃないの!なんで、どうして・・・」 そばにいた町内会長さんがすぐに葬儀屋さんを呼びに走り、葬儀屋さんは写真屋さんに電話をかけました。 その結果わかったことは・・・ ともえさんのご主人は「右の人です。」と言って写真を渡しましたが、これは向かって右、という意味でした。 ところがプロの写真屋さんの解釈では、ただ右、という場合は写っている人から見ての右、なのだそうです。 つまり、右、と、向かって右、では逆になってしまうのです・・・ 「なるほど、専門家はそういうんですか。」 と一同感心納得したのですが・・・ しかしこの遺影・・・ 「きよみさんのほうが別嬪さんだから、これ飾りますか・・・」 町内会長さんがその場のきまずい雰囲気を救おうとして言ったのですが・・・ ・・・よけい悪い・・・ 結局、写真屋さんには訳を話して改めてやり直してもらうことになったのですが、スナップ写真からトリミングして背景真っ白の、不自然に大きく引き伸ばした、ちょっとぼやけた、どう見ても葬儀の祭壇用のきよみさんの写真は・・・ ともかく、白菊と白カトレアと黒リボンのワクからはずされて、「よろしかったら・・・」ときよみさんに渡されました。 きよみさんはそれを家に持ち帰り、一部始終を話した後で、ヤケクソで 「これ、私の時に使ってよ。もう出来てるから、手間が省けていいでしょ。」と言いながら、ご主人に見せました。 すると、ご主人 「だけど、これ、はやく使わないと色が変わってしまう・・・」 と、いいかけて、はっと口をつぐむと、そのまま2階に上がって早々と寝てしまいました。 ・・・という話を母はきよみさんからの電話で聞き ・・・私は母から聞きました・・・
2005.04.26
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きよしセンセイ、58歳、開業医、論文多数発表。地元では名医といわれ患者さんからは絶大な信頼、学会でも尊敬されています。 子供さんは上が女の子、下が男の子です。 上の娘さんは10代にヒップホップにはまり、練習に練習を重ねて、コンクールで上位入賞を重ねること0年。ついに優勝してタイトルを獲り、0崎0ゆみのバックダンサーをつとめています。 「すごいですね~」と言うと、「でも、あれで食べて行くのはなかなかなんですよ。30歳にもなれば引退ですしね~どうしますかね~」と答えました。 そして下の息子さんは高校時代から「お笑いの世界に入りたい。」と言うので「それもいいかもしれない。」とお笑いの専門学校に入学させました。 卒業しても駆け出しの身ではそんなに仕事があるはずもなく、アルバイトをしながら修行にはげむ毎日でした。お母さん、つまり、きよしセンセイの奥様は息子さんのことが心配で、時々お米や野菜をダンボール箱に詰めて息子さんに送っていました。 「・・・でもねえ、私、冬になると心配で・・・『おかあさん、寒いからダンボールだけ、もっとたくさん送ってくれ』なんて言ってきたらどうしようか、と・・・」と奥様 「それにビニールシートも・・・なんていって来られたら、ねぇ」と言うと 「ほんと、ひやひやしてました・・・」 息子さんはアルバイトにたこ焼き屋の手伝い(いかにも大阪ですね~)をして、そこで3歳年下のゆかりさんと知り合い、やがて結婚を決意して、両親に紹介するため、ゆかりさんをつれて、ある日故郷に帰りました。 ゆかりさんは「お笑い芸人の見習いなんて、ほとんどプー太郎。一人前になれるのは何年先かわからないけど、自分が働いて支えてゆこう。」と決意していたそうです。 そして来てみると、大繁盛の大きな病院で、息子さんによく似た院長が「やぁやぁいらっしゃい。」と奥様といっしょに出てきました。 応接間に通されてまだ半信半疑のゆかりさんが、 「あの、ご兄弟は?」とたずねると お母さんが「姉がヒップホップやってましてね。今は0崎0ゆみのバックで踊ってるんですよ。」と言って写真を見せてくれました。 ゆかりさん、つくづくご両親と息子さんの顔を見て 「皆、変わってるんですね~」と言ったそうです。 息子さんは、結婚して家族を養わなくてはいけないのだから、とお笑い芸人の道はあきらめて、就職することにしました。 「でもねぇ、履歴書の最終がお笑いの専門学校、ですから・・・採用してくれるところあるのか、と心配だったんですよ・・・」きよしセンセイ談 ところが、履歴書を見たある会社の社長さんが、興味を持って面接してくれ、気に入られて、採用、となったそうです。 「これで私も安心しました。しかしふたりともそちらの道に進むとは・・・不思議なものですね~」ときよしセンセイ 「私が日本舞踊が好きで、何回か舞台に立ったりしておりますし、主人も絵が好きでヒマな時に描いておりますし・・・遺伝ですか・・・」と奥様。 ・・・このはなしを東京でたまたまお隣の席に座られたきよしセンセイご夫妻から聞きました。 「よかったですね~いや、いいご家族ですね~すごいな~」と思わず叫んでしまいました。
2005.04.25
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帰ってきました。金曜午後2時すぎの出発。日曜日午後2時半の帰宅。 聞いたもの・・・サントリーホール 東京管弦楽団定期演奏会 ニーベルングの指輪 飛行機が遅れて開演ギリギリに駆け込む。 ・・・良かった! 見たもの・・・東京都美術館 アールデコ展 いっしょに行った人・・・友人のきよみさん 東京在住 古美術研究家・・・西洋古美術と料理に詳しい。パリ、コルドンブルー修了 感想・・・来てよかった。来た甲斐あった。 ガラスにずっと顔くっつけていたので首が痛くなった・・・ 食べたもの、サントリーホール前のオープンカフェでアメリカンクラブハウスサンドウィッチ。 ホテルの朝食・・・パンケーキ、ミルクティー、オムレツ、パインアップル、メロン、プラム きよみさんと銀座の最近開店した「夜上海」で飲茶 持つべきものは食に関心と知識のある友人。 夜は東京會舘で主人がお世話になった教授の奥様を囲んで(教授は10年前に亡くなったので)教室員一同の同門会で懐石料理。 ご夫妻に仲人をしていただいたので、私も呼ばれました。 ソラマメ、鮎、たけのこ、・・・春ですね~帰りに空港で空弁の「若狭の焼鯖寿司」・・・これが今日の晩御飯。 歩いた距離(土曜日)9:30~17:30まで 日比谷ー上野ー銀座ー日比谷・・・8時間休憩は昼食1時間、お茶30分、地下鉄30分・・・ 買い物 サントリーホールのトートバッグとストラップ(これはおみやげ)・・・ピンクがきれいだったので・・・ミュージアムショップ好きなもので・・・ ネクタイ・・・主人のネクタイ、楽しくて色のいいのがなかなかないので、上京したときまとめ買いしています。 デメルのチョコレート、トルテ、半生クッキー オッジのチョコレート、鎌倉五郎の半月、とらやに榮太楼にウエストに・・・ 食べ物ばっかり・・・おみやげ用です・・・ それで・・・疲れました・・・ でももっと見たかった・・・ 時間が足りなかった・・・ 歩きすぎ、かな、足がだるい・・・ 今日ははやく休みます。また明日からいつもの生活に戻ります。
2005.04.24
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今日の午後から日曜まで東京です。あちこち行きたいし見たいのですが、はしるはしる、だからどのくらい行けるかな? では、日曜の午後まで失礼します。
2005.04.22
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6年前の6月のある夜、外出から帰ってくると、母の家の門柱の下にダンボール箱がおいてありました。 時々野菜を持ってきてくださる方が、玄関や門柱の陰に黙って置いていってくださることがあるので、それかな、と思って近寄ってみると、箱の上に猫用の缶詰がふたつ。 家にあわび、と、わさび、の2匹の猫がいるので、猫にまで下さるのかな、と思いながら箱をよいしょ、と持ち上げると、あれっ・・・スカッ・・・軽い・・・ 玄関で箱を開けてみると ・・・タオルを敷いた上に灰トラの仔猫が一匹。 丸顔に真ん丸い目を見開いて「ウにゃ」・・・ 捨て猫か・・・ウチの2匹が時々塀の上で遊んでるのを見て、「ここなら飼ってくれる。」と思われた・・・らしい・・・ あわびとわさびが「何事ですか~」と駆け下りてきて、箱を覗き込みました。「にゃぁ」という声にあわびは驚いて後じさりしましたが、わさびは首を伸ばして顔をなめてやりました。仔猫は親を思い出したのか「にゃぁにゃぁ」と鳴きながらわさびに顔をこすりつけました。 「わさびも、いい、って言ってるみたいだし・・・」とその夜から仔猫はウチの子になりました。 その頃ウチに御飯だけ食べに来る「ついたて」という大きな猫がいましたので(あまり大きいので、ついたてみたい、と思わず言い、それが名前になりました。飼い猫らしく、本名はほかにあるようです。)夏に来たことだし、「すだれ、でどう?」と母が言い、仔猫はすだれ、という名前になりました。 それから6年、すだれは大猫に成長しました。両親のどちらかが茶色の毛色だったらしく、灰トラにぼーっと茶色のぼかしが入り、なんとも複雑な色になりました。 食欲旺盛で際限なく食べ、上からみると、背中が広々としてなんだか航空母艦を連想させる景色。ペルシャの血が混じっているらしく、顔は丸顔で尻尾の毛がことに長く、いつも機嫌がいいのか尻尾をピンとたてているので、猫、というよりタヌキに見えることも多く、「これ、タヌキが猫に化け損なって戻れなくなってるんじゃないか?」などと言われ、母も時々「たぬ~」と呼んでいます。 そのすだれ、からだが大きいので幅が利くのか、よく夜遊びに出るようになりました。 どうも近所の猫達の集会に参加しているようで、晩御飯が終わると、近所で評判の美猫のわさびといっしょに玄関を飛び出します。 あわびは内気でたまにしか外出しませんが、わさびとすだれは、ことにこの頃のような気候の良い時期になるとほとんど毎晩出かけて行きます。 わさびは比較的はやくに帰ってきて、我が家へお風呂に入りに来る母についてきてそのまま私のところに泊まったりするのですが、このすだれは出たっきり。 好きなだけ遊んで、帰ってくるともう門限過ぎで母の家の玄関には鍵がかっています。 すると、この門限破りの不良猫はするするとざくろの木を登って、我が家の2階ベランダにたどりつき、ベランダのてすりのあいだをむりやり通り抜け、 ・・・頭が通れば大丈夫だと聞いたことがありますが、どうやって通り抜けるかわからないほど太っています。・・・ ベランダで私か主人が目を覚まして、母の家に連れて行ってくれるまで(母の家と我が家は玄関は別ですが中で階段でつながっています)ニャーニャーと鳴き続けるのです。 12時頃ならばまだ起きているのですが、最近のように暖かくなると、朝帰り、ということもよくあり、そうなると早朝4時、5時・・・ こちらはまだ夢のなか・・・そこにニャーニャーニャゴニャゴの声が侵入して目が覚めてしまい、 「またあいつだ・・・タヌだ・・・」と起き上がってサッシを開けると、(開けるまで騒ぎますから)全く罪の意識もなく、平然と尻尾を立てて航空母艦のたぬき猫が立っているのです。 「なんで門限までに帰ってこないのよ・・・」と言いながら猫を抱えて階段を下り、部屋や廊下を通り抜け・・・送り届ける、ということがここしばらく続いています。 それでちょっと睡眠不足です。 今日は雨が降っているから猫の集会もお休みだな、って思っていたら夕方から晴れ上がり、美猫とたぬき猫はまた連れ立ってでかけました。 今日もまた朝帰りかしれません。
2005.04.20
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時々ここに登場する歯科医の叔父です。 叔父は常々「自分は普通ではめったに乗れないものに4つも乗ったことがある」、と自慢していました。 その1・・・戸板 子供の頃、近所のお寺の塀の上で遊んでいて、足を滑らせて落ち、気絶して戸板に乗せられて外科へ運ばれた・・・最近は戸板なんてめったにないから、乗りたくても乗れないだろう、と自慢しています。 その2・・・アメリカの軍用機 成長して歯科大学へ入学したよしお叔父は離島の医療救援活動に参加。その時、南の離れ小島に渡るのに米軍の軍用機に乗ったそうです。 パラシュートを背負って、雲をつくような大男のアメリカ兵の間に挟まれて軍用機の狭いシート(というより腰掛)に座り、ひどく息苦しかった、でも、後で賞状や記念メダルもらった・・・どこへ置いたかわからなくなってしまったけど・・・と言っております。 その3・・・パトカー 群馬で日航のジャンボ機が墜落した時、叔父の患者さんも乗っていたのです。 歯型で判別しなくてはいけなくなり、警察から叔父のところへ「ご協力お願いしたい」と、電話がかかってきました。 ところが叔父の病院は郊外、家は繁華街の真ん中。その日は夏の阿波踊りの最中で市内は交通規制で自動車の乗り入れ禁止。特に叔父の家のあたりは自転車の通行もできないくらいのぎっしりの人。 「協力したいけど、車が出せないのです。」と言うと、やがてファンファンファンとサイレンを鳴らしてパトカーが迎えに来ました。 パトカーのサイレンはモーゼのように人の海を二つに割り、叔父はその分かれてできた道を警察の人に導かれて、パトカーに乗り込みました。 そして無事、病院に着き、カルテを見て、協力することができたのですが、ご近所で「**のセンセイ(叔父のことです)がパトカーで連行された。」といううわさが広がっていたそうで・・・「なんの容疑で連行されたことになってたんだろう、知りたかった・・・」と言っております。 その4・・・救急車 パトカーに乗った0年後、よしお叔父は心筋梗塞の発作に見舞われ、救急車で運ばれました。 幸い手当てが早かったので、命はとりとめ、絶対安静の後、面会も許されるようになったので、お見舞いに行きますと、 「死ぬまぎわに、これまでの一生が走馬灯のように・・・っていうのは、あれホントだぞ、見えたもんな~それから両親の顔が出て、子供やヨメサンの顔が出て・・・吉祥天の顔も出てきたぞ。」・・・この話になんとなくカンドーして私は退院までの50日間病院に通い(病院近いので・・・)病院の人達からは叔父の娘と思われていたそうです・・・(ほんとうの娘は東京にいたので) 全快して仕事にも復帰したよしお叔父「戸板に軍用機にパトカーに救急車に・・・後は霊柩車だけか・・・この前、もうちょっとで乗るとこだったけど・・・」と言っておりましたが・・・ 2年前、叔父の義母が92歳の天寿をまっとうしました。 叔母がひとり娘だったので、叔父は養子に入っていましたから、叔父は位牌を持って、金の龍を屋根に乗せた霊柩車の運転手の横の席に乗りました。 「これで霊柩車も乗った。あれは中は普通の車といっしょだけど、広いな~」というのが、感想でした。 先日、会った時、 「消防車、まだ乗ったことない。あれはどうやったら乗れるんだろう。」と尋ねられました。 「う~ん・・・普通の人は乗せてくれないと思うけど・・・そうだ、消防車寄付したら乗せてくれるんじゃない。」と答えると、 「消防車、一台、いくらするんだろう・・・」 私も知りません。 それにあれはどこで売ってるんでしょう・・・
2005.04.17
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*年前、まさこ先生の店に行くと、先生黄色い円筒形の箱を取り出し、 「これ、見てください、いいでしょう?」 中から現れたのは黒い絹の帽子。 円盤型で前には黒いチュールのベールが下がっています。 「はぁ~これ先生の?」 「喪服作ったんですけどね。服と同じ生地で帽子も作ったんです。いいでしょ?吉祥天さんも作りませんか。ちょっと試してみてください。」 楕円形の円盤の両側には小さな櫛がついていますから、それを頭の両脇の髪にからませて、前のベールを下ろすと・・・ 「お~いいわ~皇后様みたい・・・」 「いいでしょ。吉祥天さんの時にもこれかぶって行きますから。」 ・・・まだ死ぬ気はありませんが・・・ 「でもこれかぶっただけで、なんか正式な感じになりますね~」 「でしょ。お作りになりませんか?服と同じ生地を神戸の店に送りますから。」 「それじゃ、私も皇后陛下・・・」ってわけで、つい勢いで、注文しました。 生地はウールレース。服は修道女さんのようなデザインのワンピース。 ・・・0ヶ月後、私にも黄色い円筒形の箱が届きました。 それからお葬式には帽子をかぶって参列していますが・・・ 帽子かぶってチュール下ろすだけでいかにも正式な感じがするのはいいのですが・・・チュール下ろすと、口元まで隠れてしまうのでなにも飲めない・・・ 飲むときは左手でそーっと持ち上げてカップを口に運ばねばならないのです・・・ま、これが優雅に見える、といってくださる方もありますが。 それに、いかにもめずらしそうに見られる、ということがあります。実際、めずらしいようです。ずいぶんお葬式に参列しましたが、帽子かぶった人にはまだ一度も会いませんから・・・ 「いいわ~宮様みたいよ~」なんて言われるので 「あなたもかぶってみたら?」と言うと 「いや、わたしは・・・」髪が短いから、とかセットがこわれるから、とか言って、逃げてしまいます。 「センセイ、私とセンセイ以外に作った人あるの?」とまさこ先生に聞くと、 「い~え、私と吉祥天さんだけ・・・喪服作られた方はおおぜいいらっしゃるんですが、帽子はおすすめしても、皆さんいえ、それは・・・って。どうしてでしょうね~」 え~っ私だけ・・・どうりで会わないわけだ・・・後に続く人が出ると信じて作ったのに・・・わたし、どうもよほど乗りやすいお調子者らしい・・・ 「でも吉祥天さん、お客様によく言われるんですよ。服とおそろいの帽子かぶった人とお会いしたけど、あれ、ここでこしらえたんでしょ、って・・・よく宣伝していただいて・・・」 「あのね~・・・」葬式で宣伝員してるの~ワタシ・・・ ・・・そして2年前夏用の喪服をつくることになったとき、まさこ先生はまた「お帽子、どんなのにいたしましょう?」「今度は前のとデザイン変えてみましょう。お写真送ってデザイン考えてもらいましょう。」 また、勢いで・・・ スナップ写真送ってから1ヶ月、デザイン画が来ました。 こんどは幅の広いカチューシャ型、片方に共布で作った花が2つ。OKの返事をして1ヶ月半・・・届きました。絵のとおりのが。 それからは秋冬は円盤型、春夏はカチューシャ型をのせて参列しています。 ・・・帽子をのせた人にはまだ会いません。
2005.04.15
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鏡餅、菱餅、桜餅・・・そしてこんどは柏餅。鏡餅ーめでたい菱餅ーピンク、白、若草色の三色がなんとも華やかで美しい。春!という雰囲気。桜餅ー華やか、香り高くて、今だけ!桜の季節だけ!という季節限定感がいい。そして柏餅ーなんというか・・・華やかさに乏しいどうもハレの特別な食べ物、という感じがしない・・・親しみやすく庶民的といえばいいのかな・・・おいしいんですけどね・・・男の子のお祭りですから・・・ ちまきは形はいいんですけどね、香り高い菖蒲の葉で巻いた無駄の無いすっきりとしたあの形、三宝に盛って端午の節句に鎧兜なんかの前に供えている写真なんかを見ると、いかにも爽やかで、凛々しく、瑞々しく、いちどあれを食べてみたいものだと憧れていました。 実際にちまきを食べるチャンスが巡ってきたのは11歳の時。ご近所の初節句の配り物でした。普通はお赤飯と柏餅なんですが、その時は、なぜかちまきでした。・・・もしかしたらそこのお家のだれかが、ちまきにあこがれていたのかもしれません・・・。 わくわくわく、とちまきを解きにかかる11歳のワタシ ところが・・・くっつくんですね、餅が、葉っぱに・・・ 苦心惨憺して葉っぱを1枚ずつはがして残ったのは・・・細い指ほどの白い餅。 ほとんど葉っぱにくっついてしまった・・・ 食べてみると、薄甘い柏餅の皮の味。 失望というものを身をもって学んだ・・・様な気がする・・・ 後年、川端道喜のちまきを食べてはじめて満足しました。 そして今年もまた柏餅の季節になりました。 こちらでは、柏餅、というとなぜかサンキライのハート型の葉っぱで包むのですが、中身は蓬餅か白餅、あんはこしあん、つぶあん、これは全国共通のようで、それに白餅にこしあんを練りこんだ、練りこ、というのがこちらにはあります。 ・・・ということで、柏餅を買ってきました。 桜餅の時のような華やぎも心のときめきもなく 「柏餅ください。白を6個」 でも家に持って帰ると 「季節よね~」と喜ばれ、 「こしあんがいい・・・」 「いや、つぶあんが・・・」などと言いながら、お茶をいれていただきました。 ころんとした、飾り気のない素朴な餡餅。かすかに葉っぱの香りがする。・・・これもいいもんだな・・・・・・これで窓から鯉のぼりが泳いでいるのが見えたりしたらもっといいんだけど・・・しばらく柏餅で楽しみます。
2005.04.13
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ご心配いただいてありがとうございました。 だんだんもとにもどってきました。 むくみも取れたらしく、いつもの指輪がするりとはいりました。 展覧会も今日で終わり。 仙台からの作品をもとどおり梱包して、保険もかけて送り返し、・・・ああ、やっと終わった・・・体休めて、心も休ませて、本も読んで・・・と、思っていたら ガタガタピー・・・グルグルピー・・・と音がして やってきました、ファックスが・・・ なんだなんだ・・・ん・・・ 「謹んでお知らせいたします・・・」いや~な予感 「**00氏が@月+日、ご逝去・・・ご葬儀は・・・」あらららら・・・ あさってがお葬式らしい。いかなきゃならないんでしょうね。 喪服はどこだ・・・数珠もバッグも出さなきゃ・・・ そんなことはいい! 困るのは・・・ この**氏、かなりの御高齢なんですが、市内の豪邸に住んでいるにもかかわらず、なぜか市内のホテルに行って、そこでバイヤグラ飲んで、心臓発作起こして、救急車で運ばれて、そのまま入院中だった、ということで・・・そしてそれはみんな知ってる有名な話だということで・・・ こういう場合どんな顔して、なんてご挨拶すればいいんだか・・・ やっぱり参列するゆみこさんが、「車で行くから、いっしょに乗っていかない?」と電話で誘ってくれました。 「奥様になんてご挨拶すればいいんだろう。みんなが知ってる話だから、ワタシ知りません、という顔もできないし・・・」 ゆみこさんも気が重いと言う。 「下むいて、黙ってお辞儀だけして帰ってこようか。」 う~ん・・・実際、なんて言えばいいんでしょう。 喪服とバッグは出しました。 ・・・なかなか休めそうにありません。
2005.04.12
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お久しぶりです・・・ ドトーの4日間が終わりました。 木曜日の搬入にはじまり、構成、飾りつけ、翌日のテープカットの準備、夜のパーティまでのお接待、会場の準備・・・ パーティの出し物のタヒチダンス、フラメンコ、フラダンス、・・・そして最後はみんなが踊れるようにマツケンサンバ・・・ 最後には来賓の両市市長もキンピカの衣装(これも用意しました)で踊り狂い、めでたく盛り上がってお開きになりました。 そして土曜日は招待旅行。 この日のために買い込んだビール2ケース、ペットボトルのお茶、ジュース、おつまみいろいろ、チョコやクッキー、キャンディー・・・ れいこさんの家がホテルに近いからと全部預けてあったので、これを受け取りに朝8時にれいこさんの家に集合。 「よかった~お父さんがビール飲みながら、積み上げてあるおつまみ見て『するめくれ~』って騒ぐのよ。『だめ~』って言いながらするめ守ってたの。」とれいこさんは語る。 ようこさんの御主人が釣りに行くついでだから、と車をまわしてくれたので、うんしょうんしょ、とビールや御菓子を積み込んで、出発地のホテルまで直行し、「ありがとう、いってらっしゃ~い、いっぱい釣ってね~」とようこさんの御主人の車に手を振り、またうんしょうんしょとバスに積み込み。 「おはようございます。」とあいさつをして、出席をとり、全員そろったところでしゅっぱ~つ。 行き先はイサム・ノグチ庭園美術館と猪熊弦一郎現代美術館。 桜は満開。遠くの山がぽうっとピンクに霞む・・・ 近くの桜は枝が垂れるくらいの花盛り。薄いピンク、濃いピンク、ソメイヨシノに枝垂れ桜に山桜の赤い若葉。 ゆき柳に椿に桃に菜の花・・・芽吹いた浅緑の柳。 北国のお客様たちから歓声があがる。 出発して20分でコーヒーのサービス 1時間でそろそろ車内頒布・・・このときのためにバスの最後尾のサロンに陣取る私達。 先ず、小分けしたおやつを配り、さてそれから・・・先頭のかごにビールにお茶にジュース、後のかごにはイカゲソの串刺しの入ったびん、串カツのびん、貝のつくだにの串刺しのびん、を入れて めぐみさんとれいこさん、それにようこさんの4人で 「ビールいかかですか~」 「お茶にジュースはいかが~」 「おつまみいかが~」 「え~するめにカツ天・・・貝の串焼き~」 と通路に繰り出すと「わ~車内販売みたい~」「新幹線に乗ってるみたい」「花見酒だ~」 と喜ばれて、あちこちから 「ビールくださ~い」 「するめくださ~い」 「こっちにも来て~」 と大盛況。たちまちかごはカラになり補充に走ります。そうこうしているうちに、のたりのたりの春の瀬戸内海が見え、車はイサム・ノグチ庭園美術館。ここは予約が必要でそのうえちょっと不便なところにあるので、こんな機会でもないとなかなか見られない、と楽しみにしていた人も多く、約2時間、山里の江戸時代の建築の中、白壁や芽吹いた柳や盛りの椿のなか、つくしやスミレの芝の上に置かれた石の作品群をゆっくり楽しみました。 それからお昼はさぬきうどん、北の国の方々は楽しみにしていてくださったようです。桜が咲いて、水車がまわって、大変な人出。 次は丸亀、猪熊弦一郎美術館。 ここは何度来ても、作品も建物も楽しい。作家の好奇心、遊び心が生き生きと伝わってくる。 作品を楽しみ、建物を楽しみ、3階のカフェーに寄るのが楽しみ。細い無数の滝の流れる壁をバックにいかにも楽しい石の作品を置いた広場を見ながらお茶を飲むと心がうらうらとしてくる。 仙台の方達は今夜は金毘羅泊まりだとか。金毘羅のホテルまで送って、ここでお別れ。 「ありがと~」 「楽しかった~」 「おいしかった~」 「来年は仙台いらしてね~」 「きっとよ~」 「待ってるから~」 バスの窓とホテルの玄関と手を振り合う。 それから夕桜を見ながらお茶を飲み、ビールを飲み・・・帰ってきました。 次の日は別の会があって早朝からお出かけ。帰宅は5時過ぎ。これはおもしろくなくて、疲れるだけの会なので割愛。 こうしてドトーの4日間は終わりました。 結果・・・目が回る・・・指がむくんだ、指輪が抜けなくなった・・・過労だそうです。 普通の暮らしにもどればむくみはとれるそうですが・・・ 今日から普通の暮らしに戻ります。 はやくむくみとれないかな・・・ でも3日間楽しかった・・・
2005.04.11
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わが市と仙台市は姉妹都市です。 文化交流、ということで、両市の女流美術家協会が、1年毎に交互に作品を送りあい、それぞれの市で美術展を開いています。 そして、作品といっしょに人間もお互いに行き来し、交互に訪問しあって、交流を深めています。 昨年はこちらから仙台市へ作品を送りました。 そして、今年は仙台の作品がこちらに送ってこられ、仙台の代表の人達がこちらを訪問されるわけです。 美術展が開催され、初日のテープカットを両市の市長や代表とともに行ったその夜は親睦パーティが開催され、翌日は仙台の方達を招待しての、交流旅行があります。今年は仙台の方達のご要望で、イサム・ノグチ庭園美術館と猪熊弦一郎美術館見学、ということになりました。 私はそのパーティと旅行の責任者なのです・・・ 昨日、バスに積み込む飲み物とおやつを買いに行きました。 同じパーティと旅行の係をしているめぐみさんとれいこさんがいっしょです。 めぐみさんが、「ウチの近所の**屋が広くって、なんでもあって、安くって、駐車場も広いから、そこに行きませんか。ワタシが車出しますから。」というのでめぐみさんの赤い車に乗って郊外の**屋へ・・・ なるほど大きい・・・広い・・・能率を上げるため、3人で手分けして買い物することにしました。 めぐみさんビール、れいこさんおやつ、ワタシお茶、ジュース。 1時間後にレジ前ね。早く終わったら手伝うから、と3方に散る三人 お茶・・・ペットボトル・・・350ccが108円で同じもの500ccが98円・・・どういうこと?・・・迷わず500ccを買う。 2ケース、よろよろ、っとしながらカートに入れる。ジュース・・・本日の目玉商品・・・これこれ、・・・リンゴ」、オレンジ、グレープフルーツ・・・数えながらカートに入れる ウンセウンセ・・・ズズズ・・・とカートを押してレジの前に行くと、山のように積み上げたカートを2台押して二人がやってくる。 「ビール、すぐに決まったからおやつ選ぶの手伝ってたの。」それぞれレジに並んで30センチもありそうなレシートをもらい、めぐみさんの車に押し込み、余ったところに座って、こんどはれいこさんの家に・・・ れいこさんの家はバスの出発場に近いので、人数分小分けして出発日まであずかってもらうことになっている。 それでは・・・30余人分に仕分け開始・・・ん・・・ん・・・ん・・・ ピーナッツ、おかき、豆菓子、チーズ、のしいか、昆布の揚げたの、小魚の揚げたの・・・ なんだこれは・・・お酒の肴ばっかし・・・ 極めつけは大きな透明プラスチックの筒が3つ・・・イカの煮たのに串をさしたのがぎっしり入ったの・・・カツに串をさしたのがざっと見たとこ50本、貝のつくだにに串をさしたの・・・これはもっとたくさん・・・ これ、どんなにして分けるの~? 忘れてました・・・ふたりとも美術協会きっての酒豪・・・ 「あの、お酒だめな人やお年召した人のために甘いお菓子もあったほうがいいんじゃない?」 「甘いお菓子って・・・羊羹とか・・・ケーキとか・・・」 「羊羹だったら**屋がいいって@さんが言ってた。」 「ケーキだったら&&が・・・」 ・・・甘いもの、といったら羊羹とケーキしか思い浮かばないらしい・・・ ・・・羊羹1本、ショートケーキ・・・バスの中で配られたら困るだろうな・・・それに出発まで6日間、どこへ置いとくの・・・ 結局、3人でもういちど近くのスーパーへ行って、チョコレートだのクッキーだのキャンディーだの買ってきました。 それを入れたして人数分のおやつをこしらえたのですが・・・ さて、あの3つの串刺しのぎっしりつまった筒はどうする・・・「ビールによく合うんだよね~」「あの串刺し、いっぺん筒ごと買ってみたかったの。」「そうだ、」とめぐみさんが大きな声をあげました。「ウチに大きな籐のかごがあるから、あの筒それに入れて、おつまみいかがですか~って新幹線の車内販売みたいにバスの中まわったら?」「それいい、私子供の頃、いっぺん、あれしてみたかった。わたしその後ろから、ビールかごに入れて、ビールいかがですか~っていっしょにまわるから・・・」 結局、めぐみさんの家の籐のかごとれいこさんの丈夫なプラスチックのかごでビールとおつまみの車内販売(売らないから販売じゃなくて配布、ですか)をすることになりました・・・3人交代で・・・ バス揺れなきゃいいんですが・・・
2005.04.04
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日本画家のゆうさんは、仲間内でうっかりもの、で知られています。 海外旅行、十数回のうち、無事故で帰国したのは1回だけ・・・ 後はスリ、置き引き、忘れ物、・・・ものを盗られるか無くすか壊すか・・・ 財布、ポーチ、イヤリング、・・・指輪、時計・・・ブラウス、傘・・・帽子、買ったばかりのおみやげのはいった袋・・・このときは、「み~んな盗られたんでおみやげ無いの、ごめんね。」と皆に電話がありました。 ただ一度無事故でスペインから帰国した時は 「私、今度はなにも盗られなかった。指輪一つ、忘れてきただけよ。」と、おお威張りでおみやげのスペイン扇子を持ってきてくれました。 「でも、指輪・・・」と言うと 「あ、あれはいいの。ガラスのにせものだから。」・・・ということは、今までのは本物? そのゆうさんの娘さんのさなえさんは耳鼻科の女医先生で隣の県の総合病院に勤務しています。 ・・・さなえさんが空き巣にはいられました・・・ 「私に似て、ちょっとおっちょこちょいのところがあるからね~・・・そういえば、以前、ゆうさんが4月、さなえさんが6月に別々のツアーでイタリア旅行をし、ふたりともツァーのなかのただひとりのスリ被害者になったことがあり、さすが親子、と我々を唖然とさせたことがありました・・・ 鍵掛け忘れたかもしれないのよ。 盗られたのは現金ちょっとだけだけど、気持ち悪いから鍵取り替えたい、って言ってるのよ、 でも昼間は勤めがあるから、私、かわりに立会いに行ってくるね。」とゆうさんはとなりの**県へでかけて行きました。 「どうしよう、鍵屋さん怒って帰ってしまった・・・」 午後ゆうさんから電話がありました。 「どうして怒ったの?」と聞くと、 「鍵屋さんが来てくれたから、私立ち会って、見てたんだけどね・・・ すごいよ~あざやかなの~ちょこちょこ、ってすると鍵、簡単にはずれてね・・・5分かからないのよ~そしてまた新しい道具出してささっと・・・ 見てるうちに、私、ピンときてね・・・ 『あなたに違いない、やったのあなたでしょう?正直に言ってくれたら表ざたにはしないから』 って言ったのよ・・・そしたら怒って帰ってしまった・・・どうしよう」 「なんでそんなこと言ったのよ。それにどうしてそんなこと思いついたのよ。」 と聞くと 「だって、そりゃ~あざやかなのよ・・・5分かからないんだから・・・見てるうちに、この人しかない、この人に違いない、って思ったのよ・・・」 「鍵屋さんなんだから、プロなんだから、早いの当然よ・・・そんなことするはずないじゃないの。それに空き巣にはいったとこに、また戻ってきたりする?」 「そうかな~吉祥さんだってあれ見たら、この人に違いない、って思うわよ~・・・でもどうしよう・・・」 「とにかくあやまらなくちゃ・・・電話知ってるんでしょ?」 「う~ん、それじゃ電話かけてあやまるわ。 いろいろ考えたけど、どうもあなたではないようだ、って言えばいいの?」・・・そうじゃなくて・・・もっとほかに言い方が・・・しかし、こういう場合なんて言ったらいいの・・・ ・・・翌日、無事に鍵付け替えられた、と電話がありました
2005.04.03
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ともみさんは短歌が趣味で、「**」、という短歌結社の会員です。 「**」では時々、作歌と会員の親睦のため、小旅行をします。 バスを借り切って、花の名所や山や庭園に行って、歌をつくるのです。 先日は梅見が計画され、男女三十数人が参加して、県南の梅林を散策して帰りには温泉に立ち寄り、宴会して楽しく過ごしました。 会員のなかに、高校の校長を退職した@さん(65歳、会員は@先生、と呼んでいます)がいて、カメラを持参して、皆のスナップを撮ってくれました。 「できあがったら送ってあげましょうか?」と聞かれたのでともみさんは 「お願いします。かかった費用はそのときお知らせくださいね。」と答えました。 2週間後、ともみさんのところに、@先生からの大きな封書が届きました。 開けてみると・・・梅見旅行のスナップ写真が6枚、これはサービス判の大きさ、それにB5判の大きな写真が1枚・・・ その大きな写真は・・・ 背景に日の丸、横には「式次第・・・00祝辞・・・在校生祝辞・・・卒業生答辞・・・」などと書かれた大きなボード・・・どうも卒業式の写真のようです。 そして大きな演台を前に白ネクタイの式服に身を包み、散髪したての半白の髪を光らせて、右手にこぶしを握り左手は演台に掛け、背中をそらせて、ぐっと聴衆をにらんで、見得を切っているのは、@先生・・・ ???なんだなんだこれは・・・しばしあっけにとられて口をぽかんとあけたままのともみさん、 5秒後、「あ、これ間違って入ったんだ・・・」と思いついて、口を閉じました。家に置いてあった写真が間違って混入したんだ、と思ったのです。 ・・・しかし・・・それじゃなぜこんな大きな封筒で来たんだろう。この大きな封筒はその@先生の大見得写真のためだけのものです。 ・・・???ともみさんは考え込んでしまいました。 その時電話が鳴りました。 同じ結社のみちよさんです。「ともみさん、@先生から写真送ってくださったんですが、なかに大きな@先生の写真があって・・・間違えて入れたのかと思ったんだけど、どうもそうじゃないみたいで・・・ともみさんとこにも、入ってなかった?」「え~みちよさんとこも・・・」「なんだってまた・・・」とふたり同時に言いました。「もしかすると・・・他の人にも・・・」とまた二人同時に思い当たり、二人でそれとなく、梅見に参加した人達に聞いてみることにしました。 その結果わかったことは スナップ写真は梅見旅行に参加した女性(27歳~80歳、19人)全員に送られ、その全員に卒業式の勇姿、大見得写真が付けられていたこと 男性会員(57歳~76歳16人)には何も送られていないこと、 でした・・・ 「なんだってまた・・・」 「どうすればいいの・・・」 「こんな大きな写真・・・」 結局、ともみさんが代表して、事務局をしているヤスオカさんに相談し、ヤスオカさんは主宰のタケムラ先生に話しました。 タケムラ先生、「う~ん・・・」としばらく考えた後、「自分のいちばんいい格好のところを皆に見て欲しかったんでしょう・・・たぶん・・・返さずに持っていてあげてください・・・」と答え、「はぁ~・・・」とため息をつきました。 「ブロマイドのつもりだったんでしょうか・・・」 「それじゃこれ写真立てに入れて飾らなくてはいけないんでしょうか」 「女の人だけに、っていうのはまた・・・」 「ファン、と思われたのかしら・・・」 「私達が喜ぶ、って思ったんでしょうね・・・」 「何を根拠に・・・こんなの飾ったら主人がなんて思うでしょう。」 「お礼状、なんて書けばいいの?」 「それにしても、なんだってまた・・・」 結局 男のすることは、どうもよくわからない、という結論でした。 ともみさんは、その写真、捨てるわけにもいかず、写真ファイルの最後に挟んでいるそうですが(ポケットには入らないので)、はみ出だしているので、カドが痛んできた、と言っていました。
2005.04.01
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