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明日は雪だ、ぜったい雪だ、と天気予報が言っています。 テレビで見ると、地図のうえに雪だるまのマーク。 ほんとかな~ここは南国(と、観光案内には書いてある。駅前にはワシントン椰子がある・・・) 従って、雪には弱い。ひとたび雪に見舞われると、目も当てられない惨状になる・・・ 忘れもしない一昨年・・・ 所属する文化団体の前々回の会長(女性、65歳)が突然、この度、結婚しました、と発表した。 新郎は75歳の医師、病院は息子さんにまかせてボランティア団体の会長をしているという。 どちらも家族に賛同され、祝福され、これからマンションで二人暮しをするのだという・・・ ・・・しばし呆然とした後で、それはめでたい、快挙だ、仲間で披露宴をしよう、ということになった・・・ 会場は仲間のひとりが経営するジャズラウンジ。新婦のドレスはやはり仲間の貸衣装屋が提供するという・・・そして私は新婦のメーキャップとブーケの係になった・・・ そしてその当日、・・・雪が降った。 降って、積もって、凍って、固まって、・・・ 学校は昼過ぎに早々と休校。デパートも閉めた。夕方にはバスが運休。汽車も運転を見合わせた。 家の窓から下の国道を見ると、延々と続く車の列・・・ その車、30分たっても1メートルも動いていない。 運休したはずのバスも何台も混じって立ち往生・・・ 舗道は車をあきらめて歩く人達の群れ・・・自転車を押す高校生、中学生・・・ 「どうするの、するの?」と会場に電話すると、新郎新婦はマンションと店が近くだから歩いてくる、その他、歩いてこれる人達はみんな歩いて来るそうだから、予定通りやります、という。・・・そうだ、みんな街中の繁華街の人が多かったんだ・・・「行って来ます。」と覚悟を決めて家を出る。「大丈夫?無理しないで、危なかったら引き返すんだよ。」と主人と母の声。 花嫁のブーケとメーキャップの係なんです、私は。引き返すわけにはまいりません。 右手に化粧品のバッグ、左手にブーケを入れた箱。 凍りついた舗道を駅に向かって歩く人たちの群れに混じりこむ。 右手の国道では1分間に1メートルくらいの速度で車が動いている。前、後ろ、横でコテッという音と「あっ」「痛っ」「ウギャッ」と悲鳴が聞こえる。凍った道路ですべったらしい。 ふと横を見ると、個人タクシー、乗客はナシドアを叩いて「もしもし・・・乗せてください」 「雪だから、仕事やめてウチへ帰るとこなんだけど、どこまで行くの?」 「**町2丁目まで・・・」 「それじゃ、駅前まで乗せるから、そこからは歩いてくれる?」 「助かった~」 1分1メートルの速度もこのあたりでは2メートルくらい。いつもならバスで2分の距離を45分かかった、でも助かった。 「気をつけてな~すべらんようにな~」 ここから先はまた右手に化粧バッグ、左手にブーケ。 駅前を右に折れると橋。橋まではゆるい坂。 あちらでころり、こちらでどたり。自転車を押した高校生、自転車ごと坂をすべり落ちてゆく・・・ 八甲田山死の彷徨、ナポレオン冬のロシア撤退、なんて言葉を思い出す。 それから30分後に会場に到着。皆の拍手と新婦の「よくまあこんな雪の中を・・・」の声に迎えられ、「ドレスは・・・ドレスは来てる?」と第一声。携帯を耳に当てたままのみちえさんが「まっちゃん(ドレスの係)今@橋の上。車が止まったままらしい・・・でもちょっとずつ動いてるって・・・」 暖かい飲み物をもらって、かじかんだ指をほぐし、メーキャップにかかる・・・ 「こんな日に皆集まってくれて・・・」涙ぐむ新婦。 「ほんとにありがとうございます。」横で頭を下げる新郎。・・・その間にも刻々とドレスのまっちゃんの報告がみちえさんの携帯にはいってくる・・・ 「今、橋を渡りました・・・」 「右手に放送局が見えます・・・」 「今体育館・・・」 「もうすぐ駅が見える・・・」 「主人から電話が入って、帰りは危険だからホテルに泊まって明日帰ってくるように、と言われたから、ホテルに寄って、そこから歩いて行きます・・・」 1時間半後、メーキャップも仕上がった頃、まっちゃんがドレスのはいった袋を抱えて息も絶え絶え、といった格好で倒れこんできた・・・「よかった~ホテル満室。私が最後の1部屋取った~」 そこへやすよさん鼻をすりむいて血をにじませて「はい、ケーキ・・・ワタシころんだけど、ケーキは無事だからね~」「えらい!昔だったら教科書に載るよ!」・・・なんのことだ・・・ というわけで、6時半の開宴は大幅に遅れて11時。ジャズラウンジ経営者のみちよさんがピアノでウェディングマーチを弾いて、皆で「おめでと~!」 外は雪、地面は氷。繁華街の真ん中。人気のない道路にたまにタクシーが氷をかきわけて走るズザザザという音。 まわりの店は早々と閉めて赤々と明かりの灯るのはここだけ。 祝って騒いで、真夜中にお開き・・・「どうやって帰ろう・・・」「タクシー頼みましょう。」「何時になってもいいからお願いします。」 40分後に来てくれました。ベテランの運転手さん。 ズザザザーと言う音をたてて走る車。 無人の街・・・雪もやんで満天の星・・・ 車は右に左に車体を揺らせてすべるように疾走・・・ ソリに乗ってるみたい・・・乗ったことないけど、きっとこんな感じだろう・・・ 「お客さん・・・車、右左にゆれてるでしょう?」「ええ・・・」「これね、地面凍ってるから車すべってるの。」すべりながら家に到着しました。 二人は仲良く暮らしています。 雪が降る、っていうので思い出しました。 スノーウエディング・・・ロマンチックでしょ?
2005.01.31
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ゆうさんのおかあさんは90歳になります。 当時の女性としては珍しく大学に進学し、県下の最有名女学校で教鞭をとること0十年。女性解放運動にも力を尽くし、 東に不正があると聞けば行って糾弾し、西に虐げられている女性があると知れば、助けるために役場や県庁にも乗り込み、戦後初の女性参政の選挙が行われた時には、大勢の女性達に推されて、衆議院に立候補・・・しようとしたのですが、ご主人さん(病院長、養子さんでした)に「もう実家に帰らせていただきます。」と言われてあきらめました。 それでも社会運動への情熱は益々盛んで、自分の推薦する人が立候補すると、行って応援して選挙区を守り・・・ 「ここから先は通しませんー**女史(ゆうさんのおかあさんの名前)仁王立ち」という見出しでゆうさんのおかあさんがたすきがけで棒を持って選挙区の道路に立っている新聞記事を見せてもらったことがあります・・・ その一方で、自宅の広い敷地を地域の人たちのために解放したり町の発展に努めたので、80歳のときには勲章を戴きました。 ・・・叙勲の時、宮中の奥深く、陛下の前まで進めるのは、本人と配偶者だけだそうです。ただ、本人が車椅子の場合は付き添い、ということでいっしょに中まで進めるんだそうです。ゆうさんのおかあさんの配偶者、つまりゆうさんのおとうさんはもうだいぶ前に亡くなっていたので、ゆうさんが東京まで付き添うことになっていました。 このはなしを聞いたゆうさん、皇居のなかや、陛下が見たくて「おかあさん、私が押すから車椅子に乗ってよ。」と頼んだのですが、「自分で歩けるのに嫌だ」と断られ、ゆうさんは式典が終わるまで厚生省で待たされ、「ちょっとは娘のために車椅子に乗ってくれればいいのに・・・見たかったのに・・・」とぼやいていました。 このように紹介にたいへん手間のかかるゆうさんのおかあさんは、知らぬ人のない女傑、女丈夫であったわけです。 そのおかあさんがこのごろちょっとおかしい、とゆうさんが言うのです。 「昼間だって昔の教え子やら町の婦人会の人やら大勢尋ねてくるから、忙しくて疲れるはずなんだけどね・・・ 夜になったら、私や主人や娘達並べて源氏物語の講義するのよ・・・」 「昔00高女の先生だったんだものね~それに演説も上手だし、源氏物語もお手の物、なんでしょうね~教養の時間だと思って勉強のつもりで聞いたら?」と言うと、「夜の11時半よ~あちらは朝ゆっくりだからいいけど、主人は仕事があるし、娘だって学校(大学生医学部)あるし、それにみんな理科系でしょ~源氏物語、原文で言われたら眠くなって・・・」 はぁ~とゆうさんはため息をつきました。 2・3日前、ゆうさんと街でばったり会いました。 「源氏物語、どこまで進んだの?」と聞くと 「まだ若紫・・・」と答えました ・・・まだ先は長そうです・・・
2005.01.30
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先週マツケンサンバの衣装を作るのだと言って、ハギレ屋に案内させたりえこさんがやってきました。 来月、そのパーティがあって、お客さまは県内外から250人ほどいらっしゃることになったそうです。 衣装の縫製は洋裁の上手な会員が引き受け、手に持って振るキラキラの棒はりえこさんともうひとりの会員がつくることになりました。 そして肝心の踊り、20名ほどがダンスの先生にお願いして講習会を開いたのだそうですが・・・ なにしろふだん運動らしいことをしていないひとばかりで、基本のサンバウォークをするだけで1騒動。 ドタッドタッ、ボテッボテッととうていダンスのけいことは思えないような足音が響き、それに手の振りがつくともうお手上げ。 ダンスの先生は速度を半分以下にゆるめて曲をかけてくれたのですが・・・ひどく間が抜けて聞こえたそうです・・・それでもあっちでとちり、こっちでひっかかり・・・そのうち「もう、いけません~」と床に座り込んだり、「手が上がりませ~ん」と訴える人が出たり・・・ 1時間後、一応最後まで終えたときには、ソファーにくずれ込み、床に座り込み、柱に寄りかかってやっと立っていたり・・・死屍累々の有様。 それでも「これではいけない、もういちど復習を・・・」ということで、今度は知り合いの喫茶店を2時間借りきり、テーブルを壁際に片付けて、広場をつくって、そこで練習。 結局、踊りはダンスの心得のある3人がなんとか格好をつけ、後はまわりでキラキラの棒をふる、ということになりました。 そこで問題がひとつ。これだけでは時間が余ってしまう・・・なにかもうひとつ出し物を・・・ そのとき、大阪育ちのみさこさんが「ワタシ、河内音頭でしたら・・・」 「それがいい、お願い!」ということでずらりと行列して今度は河内音頭・・・ これはサンバよりだいぶ楽だったそうです。「ヤグラがあれば雰囲気でるんだけどな~」と言いながらみさこさんは教えてくれました。「マツケンサンバに河内音頭・・・どう思う?」とりえこさんが聞きます。 どう、と言われても・・・派手でしょうね・・・「もうこうなったら、ヤケクソの破れかぶれ、とにかくやってしまう。」とりえこさんは唇を一文字に引き結んで言いました。
2005.01.26
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今日の午前中は今年始まって以来の(といっても24日しか経っていませんが)忙しさでした。 銀行に電話から始まって、美術団体の問い合わせ打ち合わせ、別の団体の事務所から問い合わせ、調べて、書いてファックスして・・・電話が行きかうこと5度、6度・・・ 家の電話と携帯の着メロが同時に鳴る・・・ 11時、また電話が鳴りました。 ・・・昨夜、今日子さんが「木曜日の会の打ち合わせしたいから、11時に電話するね。」と言っていた・・・ ・・・今日子さんだ・・・ 「はい、吉祥です。」 「もしもし、吉祥さんのお宅ですね。こちらは**総合病院(主人が8年前まで勤めていた病院です。)の@@ですが・・・」 「あ、お世話になっています。(今もお付き合いは続いています)主人は今、診察中ですが。」 「奥さん、実はご主人が診察中に、誤って大量の薬を患者さんに投薬してしまい、患者さんが心肺停止に・・・」 ・・・はぁ~?・・・主人今ウチで診察してるよ・・・ あ~・・・「オレオレ詐欺」、改め「振り込め詐欺」か~ ウチにも来たか~この忙しい最中に~ ・・・もうすぐ今日子さんから電話が入る、って時に~ そんなことおかまいなしのサギ「それでですね、心肺停止の++症候群症状に・・・」 なんだ、そりゃ。 「++症候群症状」?もっともらしいこと言うじゃな~い どこで調べたの~サギマニュアルに書いてあるの~? 思わず「ぶふぁ」と・・・笑ってしまった・・・ すると、気を悪くしたような声で 「聞いていますかっ」 「はいはい、聞いていますよ。」 「それでですね、患者さんのご両親や親戚の人も駆けつけてきて・・・その人がマスコミの関係者で・・・このままでは明日の新聞に・・・」 あ~もう今日子さんの電話が入る・・・ 「あのね、その事故起こした吉祥先生、今私の隣にいるのよね。サヨナラ」と電話を切りました。 今日子さんからの電話はその1分後にかかってきました。 一応知らせとかなくちゃ・・・と診察室をのぞいて報告しました。 「なに~私が何したんだって?」-主人の吉祥先生 「私もそれ聞きたかった!」-職員達「昔の名簿見てあちこち電話してるんだろうから、一応届けておいたほうがいい。」と主人が言うので まず、医師会「振り込め詐欺が来ましたので、一応お知らせしたほうがいいと思いまして。」「はい、事務長とかわります。」「事務長の00です。お世話になっております。」「吉祥でございます。今・・・で・・・でしたので、一応ご報告を・・・」「ありがとうございます。どんなふうに言いましたか?・・・ほう・・・ほう・・・皆さん、いろんな手を考えるものですね~」「ここは、皆さん、じゃなくて、あいつら、でよろしいんでは・・・」「ほんとですね~まったく。いや、ご丁寧にありがとうございました。」・・・なんかのどか・・・ 次に**総合病院へ事務長を呼び出してもらい、「・・・という訳ですので、お宅の名簿があちらに渡っているようですので、他の先生方にもそんな電話がかかるんじゃないかと思いまして・・・」「そうですね~でもこれは防ぎようがないですね~でも、お知らせいただいたことを皆に伝えますので、ありがとうございます。・・・ところで吉祥先生はお元気でいらっしゃいますか?」・・・ここもなんかのどか~ 昼食の時このはなしをすると「なんで途中で笑ったりするのよ~」と、母に怒られました。「おろおろしてみせて、最後まで聞いていくら出せって言うか聞いてみればいいのに。」と文句を言うので「今日子さんから電話が入る時間だったんだから」と言うと「今日子さんは待ってもらって、そっち最後まで聞けばいいのに。こんなことめったにないのに・・・最後まで聞いて後で今日子さんに話してあげたら、今日子さんだってきっとおもしろいと思ってくれるのに・・・惜しいことした・・・おもしろい芝居を途中で帰ってきたような気持ちがする。」と言われました。 そう言われると、なんだか損をしたような気がする・・・ ヒマなときだったら最後まできっちりつきあったのに・・・
2005.01.24
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世間ではバレンタインデーなんて呼んでいるようだけど、私には楽しいチョコレート祭。 世界中のチョコレートのカタログが来る、 バレンタインデー限定のチョコが出る・・・ワクワク たのし、うれし、メリーさんありがとう ・・・日本ではじめてバレンタインデーを紹介し、バレンタインチョコを売り出したのはチョコレートメーカーの「メリー」だそうです。その日本初のバレンタインチョコは1枚しか売れなかったそうです・・・その1枚を買った人偉い! 12月頃からぼつぼつチョコレートのカタログが届き始めます。 「ふんふん、来年の傾向(12月の話ですから)は・・・」などとひとりでうなづきながらページを繰っていると・・・「ん・・・なにこれ・・・」 「全国うまいもの・・・うなぎ弁当、明太子、海老天弁当、たこやき、天むす・・・駅弁?カタログ、よそのが混入したんじゃないの・・・」 でもよく見ると横に小さく「チョコレート」の文字が・・・ チョコレートに明太子入れたか・・・それはこわい・・・うなぎ・・・脂っこいだろうな・・・海老天・・・間違いなく消化不良おこすな・・・たこやき・・・ソースはもしかしたらあうかも・・・天むす・・・どうやって入れるチョコの中から海苔とご飯粒・・・常日頃から気に入らない、喧嘩しかけたい相手に贈れっていうのかな・・・そういえば裂きイカチョコっていうのがあったな・・・でも、まさかね・・・バレンタインデーだものね 写真をよくよく見ると、駅弁を模したパッケージからうなぎが、海老天が、たこやきが半分飛び出しています。フェルトで作ったぬいぐるみのようです。 ・・・もしかしたらこのぬいぐるみの中にチョコが入ってるのかな?海老天のぬいぐるみ、明太子のぬいぐるみ・・・おもしろいじゃない・・・興味シンシンシン・・・ 買いましょ買いましょ1セット(1セットは各10個ー全部で50個!) 注文書書いて、発送は1月17日開始・・・はやくこいこい17日・・・ 来ました。ダンボール大箱。まず、海老天。開けて仔細にながめてみると、 駅弁を模した平たい箱から赤い海老が半身を乗り出しています。引っ張り出してみるとまるまる1匹の海老が胴体にふわふわしたきつね色の衣をまとって出てきました。立派なひげもよく動く目もついています。ひげの下にはどこにでも取り付けられるようにくさりがついています。つまり、海老天のキーホルダーです。 チョコは?・・・と見ると箱の隅にキャラメルほどの小さなちょこが4つ・・・これはほんのつけたしのおまけ、のようです。 海老天チョコ、じゃなくて、おまけのチョコつき海老天型ぬいぐるみキーホルダーなんですね。 海苔を巻いたおにぎりから衣のついた海老の尻尾が出ている天むす、丸いたこ焼きの上にはたこの形をしたソース、鰻はお腹にご飯を抱き、真っ赤な2本並んだ明太子の真ん中にはくるくる動く目がついています。 おもしろいじゃない! これをおもしろがってくれるのは・・・@と+と*と・・・友達みんなじゃない・・・ほとんど女・・・ 翌日から配りました。「わ~かわい~たこ焼きがいい」「天むす!この海苔巻いたところが・・・」「海老天!海老天!海老天好きだから・・・」 ・・・好みもいろいろです。 昨夜はダンス友達のさえこさんにあげました。「車のキーにつけました。会社で大うけ、楽し~ありがとう!」というメールが届きました。 本格的な正統派チョコの注文も忘れません。 しばらく私のチョコレート祭が続きます。
2005.01.23
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時々ここに登場する、歯科医の叔父夫婦のところにおこった話です。 叔母(叔母も歯科医です)の開業以来の患者さんのサトウさん(女性、62歳)が満面の笑みを浮かべてやって来ました。 「センセ、私今度踊りの発表会に出ることになったのよ。」 「え・・・何の踊り?」・・・145cm、70kgのサトウさん・・・今はやりのフラダンスかな?「日本舞踊、恥ずかしいからないしょにしてたんだけどね・・・こんどはじめて出ることになったの・・・まだヘタだし、一人で踊るのは怖いから、おんなじくらいの年季の人四人といっしょに踊るんだけどね。」 「へぇ~知らなかった。すごいじゃないの。」 「それでセンセイにも見てもらいたくて・・・来月の00日の日曜日、私の出番はお昼頃だけど、センセイその日空いてる?」 「なんにも無いし、行くわ~見せてもらいたいわ~」 「うれし~、これ切符とプログラム。絶対来てね。」とサトウさんは朱色と金と白の表紙のついた立派なプログラムと厚い和紙でできた切符を置いて、「絶対来てね。」ともう一度念をおして帰りました。 その日、叔母はスーツを着て、花束を抱えて、会場の**ホールの前でタクシーを降りました。 会場の玄関にはやはり朱と金と赤の立て看板。ずらりと並んだ花輪、ロビーには着物姿の人達が群れ集って、華やかな雰囲気です。 叔母はその中を抜けて、楽屋に向かいました。 演目と出演者を書いた札を入り口に貼った部屋が並び、姫や町娘や芸妓の扮装をした人やそのつきそいの人達があわただしく廊下を行き来しています。 「白扇」と書いた札のさがった大きな部屋の中から「**センセ~」と声がかかりました。 見るとサトウさんです。 島田髷にべっこうのかんざし、黒の松竹梅の裾模様の裾をひいてパイプ椅子にすわっています。 真っ白におしろいが塗られて、唇には小さく京紅。 「あら~みちがえてしまってわからなかった。きれいね~お人形さんのような・・・」と叔母。 「センセ~ありがとうございます。お忙しいときにすみません。・・・これ私の姉、となりが妹、それからイトコ、主人の妹、・・・」親戚だけで10人。 そこへ「サトウさん今日はおめでとうございます。いや~きれい。」と1団が入ってきました。 「ありがとう。センセ、これ近所の皆さんです。」 きれい、とほめられ、お祝いの胡蝶蘭やらお包みを受け取り、あいさつを交わしていると、また 「@ちゃ~ん(サトウさんの名前)おめでと~」とまた1団体・・・こんどは学校時代の同窓生・・・いったい何人呼んだの・・・ サトウさんの声は高く、瞳がひらいて、興奮しているのが、叔母の目にははっきりわかりました。 そのとき、「そろそろご用意ください」と係の人が知らせに来ました。 すると、サトウさん、「あ・・・」と言って「なんか胸が苦しくなった・・・どきどきする・・・」と言い始めました。 急に事態を理解して、あがったようです。「心配ないわよ。お姉さんよくお稽古したから。」「私達がついてる。」「みんなで応援してるからね~」 応援団の歓呼の声に送られて、サトウさん、立ち上がりましたがひざのあたりや扇を持つ手が小刻みに震えています。 気づかない応援団は「前の席にいるからね~」「がんばってね~」と、もういちど激励の歓声を送ってぞろぞろと客席に向かいました。 ・・・やがてブザーが鳴り、きのねが入り、しずしずと幕があがりました。 舞台の上は金屏風を背に5人が扇を前にお辞儀をしています。・・・ここぞと拍手する応援団。「@ちゃ~ん」という声も聞こえました。 ~白扇の~という歌詞とともに前の扇に手を伸ばす一同・・・しかしサトウさんだけはじっと平伏したまま・・・ やがてサトウさん以外の4人は立って扇を開いて舞い始めました・・・それでも扇子を前に頭を下げたままのサトウさん・・・ 応援団達がさわぎはじめました。「どうしたの」「聞こえないのかしらん・・・」「合図してみようか。」と客席から必死で手を振ってみる・・・「あかん、気がつかない・・・」「いっしょに踊ってる人言ったげたらいいのに・・・」「無理よ・・・どの人もあがってな~んも見えてない・・・」 ・・・そのうち、お師匠さんらしい人が舞台の袖のぎりぎりのところまで出てきて一生懸命合図したり、声をかけようとしているのが見えました。 依然として、舞台中央で扇子を前にお辞儀したままのサトウさん・・・まわりで固まったまま機械的に踊る4人・・・気づいてざわめく客席・・・幕で体を隠しながら、懸命に合図を送ろうとする師匠・・・ やがて曲は「松ヶ枝の~」と中盤にかかりました。 ふと、顔をあげたサトウさん・・・驚愕の表情・・・そりゃそうでしょう・・・ あわてて立ち上がる・・・おおきくざわめく場内・・・一応胸をなでおろす応援団と師匠・・・ ところが・・・完全にパニックをおこして踊りの振りは北極星のあたりまで飛んで行ってしまったらしく、まわりを見回しては、立ち止まって隣の人の振りを一拍遅れで追いかけて行き・・・ 客席の視線はサトウさんに集中・・・そのうちざわめきに押し殺した笑い声が混じり、最後には笑い声がざわめきを圧倒して・・・終わりました。 叔母は幕が下りたとたんに席を立って帰ってきました。「なんて言ったらいいのよ~。気の毒で、もう顔見られなかったのよ。来週、歯の治療の予約はいってるんだけど・・・私、顔合わせたら、なんて言えばいいの・・・」と叔母はため息をつきました。
2005.01.21
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よしこ先生が、今の場所に病院を開業したのは30年前のことでした。 そのころはまわりは普通の住宅ばかりで、ところどころに商店が点在する静かな地域でした。 ・・・ところが町の北方にあった繁華街、飲み屋街がどんどん広がってきて、民家はいつの間にか引っ越してして、かわりにバーや小料理屋さんに変わり、 ふと気がつくと、先生の病院はネオンの海に浮かぶ離れ小島になっていました。 お隣はソープランド、前は**シアターというストリップ劇場、裏はホテル・・・ よしこ先生がタクシーに乗って「**病院まで・・・@ソープの隣、**シアターの前、00ホテルの南側ね。」と言うと・・・時々おもしろがってわざと言っています・・・タクシーの運転手さんは一瞬息を呑み、振り返って「えらいところにお住まいですね~」と言います この「えらいところ」の関西弁の一言には感嘆、畏敬、親しみ、好奇心、のほかにいたわりとねぎらいの気持ちが込められています。 でも先生はきさくで親しみやすい人柄でおいしいものや楽しく騒ぐのが好きなので、このあたりは自分の庭も同様、人気者で、夜、いっしょにこのあたりを歩くと、ソープの客引きやキャバクラの呼び込みのお兄さんやホステスさんや料理屋の板前さん達から「センセ、こんばんわ~」「センセイ、今お帰り?」「たまには寄ってくださいよ」などと声をかけられます。 「夜明るいのはいいのですがね。酔っ払いの騒ぐのはちょっと困ります。」と言っていました。 その先生の庭の**街の、病院から50m程のところで、ある日工事が始まり、新しい店がオープンしました。 「それがね、0-ソンなのよ。よかった、助かるわ~夜ちょっとお腹がすいたとき、わざわざ店に食べに行くのもめんどう、って時とかに便利じゃない。一晩中開いてるし・・・これから夜中になにか食べたくなっても安心だわ~」とよしこ先生は喜びました。 ある晩、よしこ先生は急にアイスクリームが食べたくなりました。いきつけの喫茶店ももう閉める時間だし、アイスクリーム食べるだけに服きかえるのもめんどくさい(風呂上り)・・・そうだ、こんなときこそあの0-ソン。 部屋着の上にコートを羽織って、外へでました。 ここ、ここ、0-ソン・・・ なんだか様子が変です。白いドアはぴったりと閉じられ、中の様子が見えません。それにいくら繁華街とはいえ、間口が狭すぎる・・・ 張り紙が出ています。 「おにぎりコース・・・0千円」 「ヤキソバコース・・・0千円」 「サンドイッチコース・・・0千円」 なんだこれは・・・ ふと、看板を見直すと・・・ 「ローション」・・・なに、「0-ソン」じゃなくて「ローション」・・・さらによく見ると「ソープランド」の文字が・・・ 「もう、まぎらわしいったら・・・この寒いのに・・・夜中に前まで行って・・・大恥かいた・・・店のマークだって色も形もそっくりだったから・・・他にも間違えた人いると思いますよ・・・」 昨日のお昼、近くを通ったので見てきました。 深夜、酔っ払ってその気で見たら、そう見えるかも知れません。
2005.01.18
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りえこさんの所属するボランティア団体が2月の地方大会の出し物にマツケンサンバを出すという・・・ 稽古は専門のダンスの先生にお願いし、あのキラキラの衣装は洋裁の得意な**さんが縫うという・・・ それで、あんな布どこにあるんだろう・・・高いんだろうか・・・という話題になったとき、 「おまかせください。私の友達吉祥天さんが、そんなの専門です。(どこが!ヒカリモノの専門家・・・カラスか、私は・・・)布、きっと探してきますから。」と請け負ってきたという・・・ 「お願い!どんな遠いところでも車で乗せてゆくから・・・」と拝まれて、いっしょに布を探しに行くことになりました。 りえこさんがガソリン満タンにして迎えに来て、めざすは**町ー我が家から車で10分、江戸時代からの古い町並み、そこの通り300メートルがハギレ屋さん。昔はもっとたくさんのお店がひしめいていたのですが、この頃はだいぶ少なくなって、それでも狭い道路の両側にハギレ屋さんがずらりと並んでいます。 ハギレ屋さんにもそれぞれ専門があって、ウールの品揃えが多いところ、木綿の専門、化繊が主流の店、なかには和服の布を扱う店もあって、ここには民謡や新舞踊を習っている人がよく来ています。 私達の目指すのは0川商店ー化繊の変わったものがよくあります。 しかし・・・ひどくちらかっている。・・・繊維倉庫でに空き巣の団体が来て一仕事して引き揚げた後のような・・・ 入り口にはレース、ジョーゼット、冬にはボアのハギレがダンボールに山盛り、無造作に投げ込まれています。 狭い通路の両側は棚、長い芯に巻かれた布がビニールにくるまれて、天井まで、筒先をこちらに向けて積み上げられている・・・1番下のが欲しい時はどうしたらいいんだろう・・・ 買いに来た人も皆苦心したらしく布の端を引っ張った後が、まるで水道の蛇口のようにずらりと垂れ下がっています。 -こんな通路が二本。その行き止まりのところにここのご主人ーというよりおっちゃん、が裁断台を前にして脇にテレビを置き、まだ巻いていない布の山がいまにも崩れそうになっている谷間に座っています。 ーこのおっちゃん、片付けたり、整理したりするには関心がないらしく、1日中裁断台の前に座ってテレビを見ています。 お客は自力で布の山を書き分け、谷をはいずり、自分で、はしごをかけて峰のてっぺんの布を調べ、お目当てのものが見つかると、渾身の力で引っ張り出し、材木をかつぐように布の筒をかついで、息も絶え絶えにおっちゃんの前に持っていって「これいくら?」と尋ねるのです。 するとおっちゃんは「う~ん」と筒の端についた荷札のようなものをひねって「00円でええわ」などと言うのです。 りえこさんは、店の前に来ただけで「え~ここ~どうやってさがすの~ほんとにここにあるの~」と悲鳴のような声で言いました。 「あります。これが宝の山。後はこちらの根気と運次第。」 ・・・10年ほど前、私はここでようこ先生と縁の下(としか言いようがない)から*ブ・**ローランの布を一巻き掘り出したことがあります。おっちゃんはめんどくさそうに「いつ仕入れたか忘れたしな・・・その布素人さんには縫いにくいし・・・全部買ってくれるんだったらメートル0百円でどうじゃ?」「買った!」・・・おっちゃんの気の変わらないうちに、と二人でそのまま担いで帰りました。 その後もレースだのフロッキーだのいろいろなものをここで探し出しました。 めざす布、マツケンサンバの布はきっとある・・・(まるでエジプト探検隊)・・・ 「きっとあるから。さあ、りえこさん探そう。あなたはそっちから、私こっち調べるから。」 ・・・「吉祥さん、吉祥さん・・・あれなに?あの声・・・」りえこさんが私の服をひっぱりました。「え」と耳を澄ますと・・・ 「う・・・ん・・・はぁ・・・う~ふ~ううう・・・」 「どうしたんだろう。なんかあったんじゃない?」 ・・・そういえば、おっちゃんよく太ってた・・・お酒も好きらしい・・・血圧も高いかも・・・ 「吉祥さん救急車呼ぼうか、それともお隣の人に知らせようか」りえこさんはバッグから携帯を取り出しました。 「とにかくたしかめてみよう」と、二人で布のジャングルを掻き分けて 「おじさん、どうしたの!苦しいの?」と言いながら突き当たりの裁断台へ・・・ おっちゃん、「え?」と座椅子から振り向きました。手には白い紙を持っています。 「苦しそうな声が聞こえたから・・・」 「あ、あの、ワシ新曲の練習してたんよ・・・せっかくカラオケ教室通ってるのに、いつも一緒の曲では格好悪いと思て(おもて、と読んでくださいね。関西では思ってを、おもて、と短縮して言いますので)・・・新年会に間に合わせようと思て・・・」 ・・・歌・・・あれ・・・ウタ・・・アレガ・・・ ・・・でもよかった・・・苦しんでるのじゃなくて・・・ ・・・しかし・・・人騒がせな・・・ マツケンサンバのスパンコールの布、ありました。色違いで10種・・・ 「どれもメートル1030円」とおっちゃんは言いました。 「どれとどれにするか皆に相談してから、また来ます。」と言って二人で外へ出ました。 すこし歩いたところでりえこさんは 「カラオケ教室って効果あるのかしら?」と言いました。
2005.01.16
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ともみさんは花の教室のお友達で、市内から車で1時間の古い町に住んでいます。 お隣もお向かいも昔からの人達で助け合って仲良く暮らしています。 ともみさんの家から3軒むこうのイノウエさん一家がお正月明けにシンガポールに行くことになりました。 イノウエさんはお向かいのカワカミさんに郵便物と新聞の預かりを頼み、東となりのヤマダさんには、集金があったらかわりに払っておいてくださいとお金を預け、西となりのムラタさんには小鳥を預け、そのとなりのハタナカさんには、無用心だから夜になったら門灯のスイッチを入れてください、と頼み、そしてともみさんには花の水遣りをお願いして皆の「いってらっしゃ~い」の声に送られてまだ暗い早朝に出発しました。 「いいな~あったかいだろうな~」 と言いながらもう一眠りして、朝ごはんもすませ、掃除、洗濯も終わって、やれやれと新聞をひろげていると・・・ 「ともみさ~ん 大変!早く来て!」とカワカミさんがドアを叩いています。 「どうしたの」 「火事!火事!イノウエさんのところが・・・新聞取り込んどこうと思って郵便受けのところへ行ったら玄関から煙が・・・」 みなまで聞かず飛び出したともみさんの目の前に真っ黒な煙を噴き上げるイノウエさんの家が飛び込んできました。 「主人が鍵開けてヤマダさんとムラタさんと荷物出しに入ったの・・・ハタナカさんは消防呼びに・・・」 町の消防車が駆けつけ、さらに近隣の人も加わって騒然とする周辺・・・ 2時間後鎮火しました。半焼ですんだのですが、壁は真っ黒、家のなかは水浸しになりました。 手当たり次第にそのあたりのものを運び出して道路に積み上げたのですが、どうしたらいいのか・・・ 「どうしよう?知らせる?」 「せっかくあんなに楽しみにしてたのに・・・」 「今帰ってきてもなんにもならないから・・」 「気の毒だから知らせずにおこうよ」 「知らせずに楽しませてあげようよ・・・」 「でも帰りは4日後だよ。燃え残ったもので要るものだってあるかも・・・」 「親戚の人にも知らせないと・・・」 結局、旅行社に連絡して、知らせることにしました。 誰が言うの、ということになると、皆が嫌がったので旅行会社の人に頼みました。 「気の毒に、シンガポールの空港に降りたところに連絡が行ったんだって。・・・幸い、というかなんというか、2時間後の関空行きの飛行機がとれて、それで帰ってきたんだけど・・・気の毒にシンガポール滞在2時間よ。それも空港だけ。・・・それなのにこれ買ってきてくれたのよ。おみやげを。私なんて言ったらいいのやら・・・ 気の毒で食べる気にならないから皆で食べて・・・」と、ともみさんはマーライオンの写真のついたチョコレートを差し出しました。 言葉少なに私達はチョコレートを食べました。
2005.01.14
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ともこさんは7*歳。母の同級生です。市内の住宅地で息子さん夫婦や孫さんと暮らしています。いたって元気なのですが、年のせいか、足がちょっと痛いのであまり外へは出かけず、家のなかでテレビと大正琴を楽しんでいます。 そのともこさんのところへある日の昼下がり、電話がかかってきました。 「**高等女学校同窓会にいらっしゃる@@さん(ともこさんの名字)のお宅ですか。」と、その電話は始まりました。 「・・・このたび、**同窓会では、お世話になった恩師の方々に感謝の気持ちをさしあげるため、++新聞に全面広告を掲載することになりました。」・・・えっ、私同窓会の世話人してるけど、そんな話知らないわよ・・・ 「新聞の1ページ全部使いまして、上3分の1に恩師のお名前、下に同窓生の方々のお名前を掲載させていただきます。」・・・なんだそれ、なんのために新聞広告なんてするの?それより招待してなにか記念品差し上げたほうがいいんじゃないの・・・ 「つきましては、掲載料として2万円振り込んでいただきたく・・・」・・・毎日テレビのニュースとワイドショーを欠かさないともこさん、この「振込み」という言葉を聞いた途端、ひらめきました。・・・振込み詐欺! とっさに「そうですか、わかりました。本人は今外出していますので、帰りましたら伝えておきます。」と答えました。 あぁ~あぶなかった。と胸をなでおろしたともこさんですが、はた、と気づきました。 私に電話がかかってきたということは、テキは同窓会の名簿を持ってる・・・同級生達にも詐欺の電話がかかるに違いない・・・同級生達があぶない・・・ ともこさんは、すぐ親しい同級生何人かに電話をかけて知らせました・・・受けた人達はまたすぐ手分けして次の人達へ・・・翌日のお昼までに連絡網は行き渡りました。 またかかってくるに違いない・・・こんどはどこへ・・・ みんなわくわくしながら電話を待ちました。 結果・・・2日のうちに6件判明しました。 それぞれの対処はつぎのとおり まさみさんー「**まさみは死亡しました。昨日三回忌いたしました。生きておりましたら、喜んでさせていただきましたのに・・・」-ちょっと泣いてみせたそうです。 えいこさんー「呼んでまいります。ちょっとお待ちください、と電話機そのままにして郵便局行って、マーケット寄って帰ってきたら切れていた。」-このごろの子は忍耐力ないな~とコメント さだよさんー「恩師ってだれとだれですか、って聞いたら、先生の名前ずらずらって並べたから、亡くなられた方ばっかりですね。って言ったら切れた」ーまだ元気な先生もいたのに・・・ちゃんと調べろよ、とコメント まちこさんー「$$まちこはぼけて病院に入っています。と言ったら切れた」-本人がそういうんだから確かだ、とコメント やえこさんー「はぁ~なんですか~聞こえません。もっと大きな声で言ってくれませんか~この頃ちょっときこえにくくてね~・・・え~は~」と10分やったら切れたー根性なし、もっとがんばらんと・・・とコメント みつえさんー「まぁおせわになります。あなたはどこの人?新聞社?入って何年になるの?どこの部署?学校はどちら?おとうさんも新聞社?兄弟は?なにしてるの?学生?どこの?学部は?おかあさんはどこの人?実家の姓はなんていうの?おかあさんのご兄弟は?あなたは奥さんいるの?どこからきたの?実家はなんていうの?兄弟は?・・・」と息つくひまなく尋ねたら途中で切れた」・・・詐欺しようっていうんだったら、そのぐらいの答えは準備しとかないと・・・とコメント 結局、被害額0円。 先日のニュースで「統計によると、おれおれ詐欺ーこの頃は振込み詐欺というらしいですーの被害は関西が一番少ない」と言っていました。 今日の登場人物は、全員関西。、その統計、正しいと思います。
2005.01.12
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それは炎暑、8月の頃・・・ 熱帯魚屋のももさんがデパートの「世界の不思議な生き物」展に出品しました。 めずらしい昆虫や魚がたくさん見られるので、会場は夏休みの子供達でにぎわいました。 私もももさんから招待券をもらって、子供達に混じって見てきました。ちょうどおおきなトカゲの食事時で、ももさんは手招きして「ほい」と言ってとかげを触らせてくれました。ーとかげは冷たくありませんでした。 会場を出たところに、昆虫や貝や飼育道具を売るコーナーができていました。 クワガタムシもいたので、友人のちいさい子供さんにあげようと見ていると、いつの間にかそばに来ていたももさんが 「クワガタ、好きなの?」と聞くので、 「友達の子供さんにあげようと思って・・・」と答えると 「じゃ、よしなさい、クワガタは。カブトムシにしときなさいよ。」と言うので、 「なぜ?」 「値段票見てごらん。」 入れ物の横の小さなラベルを見ると・・・ 「7000」・・・ななせんえん・・・ナナセンエ~ン! ドドーンパリパリパリ・・・頭の中で3尺玉の大花火が上がった音 「クワガタが7000円・・・だれが買うの・・・」 「大人のマニアの人・・・」 「クワガタが7000円なら、もっと大きくて迫力あるカブトムシなら・・・1万円・・・」 「カブトムシのオスは500円、メスなら300円。」 「なんで~カブトムシのほうが大きくて立派じゃない。」 ・・・頭のなかでデンキクラゲが発光しながら漂う・・・・・・以下ももさんの話 「クワガタにはクワガタだけ集めるクワガタマニアの人がたくさんいてね。大きいのや、変わったの・・・たとえば突然変異でクワの形が変わっていたり、左半分がオス、右半分がメス、なんていう雌雄同体、なんていうのになるととんでもない値段がつくのよ。 ここに並んでいるのは普通のクワガタだから7000円、8000円だけどこれがもっと大きくなって・・・ 10センチを越すと、200万円くらいするの。 でも1ミリでも足りない9,9センチだったら、とたんに半値以下・・・80万円くらいかな・・・ だから、一攫千金をねらって、クワガタさがして山の中走り回る人がたくさんいるの・・・・・・それじゃ幼虫のうちから飼育してエサたくさん食べさせて大きくしたら、って思うでしょ。でもこれはエサと関係ないの。いくら食べさせても大きさはいっしょ。・・・長いこと飼ったら大きくなるんじゃ、って思う人もいるでしょうけど、クワガタは1年だけ。 大きさは生まれた時から決まってるの。10センチ以下のは時たまいるけど、10センチ越えるのっていったら、1000分の1、万分の1なんていうもんじゃなくて、広い砂浜から米粒を1粒探し出すくらいの確率なのよ。」・・・ももさんの知り合いに、その200万円のクワガタを手に入れた人がいるそうです・・・ ・・・頭の中の発光くらげは10匹に増えて赤や黄色や緑の光を点滅させながらふわふわと漂っていました・・・・・・漂わせながらカブトムシのオスの大きいのを買い、エサのハチミツもつけて、友人にあげました。・・・夜「子供がとても喜んで、水槽に土や木入れて飼育箱作って、ごはんも忘れて眺めてる。」とお礼の電話がありました。 思わず「クワガタじゃなくてごめんね。」と言ってしまいました・・・ そして・・・最近その200万円クワガタさんのお家に空き巣が入ったとか・・・ 被害は引き出しの中の現金と貴金属2,3点それに腕時計・・・カード類は身に着けていたので無事でした。 そして、200万円クワガタは触った様子さえありませんでした。 「あれが1番大切なものだから・・・値打ちのわからない空き巣でよかった・・・」と言ってたそうですが・・・ ・・・私だって・・・わかりません
2005.01.11
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時々この日記に登場する歯科医の叔父のはなしです。 ある日古くからの患者さんのシノハラさんが入れ歯の具合が悪いから、とやってきました。 入れ歯を調べるあいだ、シノハラさんは叔父のそばに座っていろんなおしゃべりをしました。 シノハラさんのご町内に賢いので評判の犬がいてその犬がお産をするたびに、子犬を欲しい、という人が殺到。あたらなかった人が順番待ちをしている状態。そしてまた、その賢い犬さんがお産をしそうだ、というのです。 叔父は動物好きで猫を飼っていますが、毎朝の散歩の時にいっしょに歩いてくれる犬が欲しくなりました。 ・・・自分のそばにぴったりついていてくれて、仕事から帰ってくると尻尾をちぎれるほど振って迎えてくれ、野原でボールを投げると飛び上がって受け止めて咥えて走ってくる・・・ 「もし、子犬がたくさん産まれたらうちにも一匹欲しいんだけど・・・」と頼みました。 2週間後、シノハラさんから電話がありました。待っている人は4人で5匹生まれたからセンセイなら(奥さんの実家が患者さんだったそうで)一匹ゆずってもいい、と飼い主さんが言っている、というのです。 「お願いします。」と叔父は電話の前であたまを下げました。 1ヶ月後に家に来ることになりました。叔父はペット用品の店に行って「ロイヤルパレス」というたいそうな名前のついた犬小屋と食器と首輪とブラシを買ってきました。 その日、叔父は金一封とビール1ケースを持って子犬を引き取りに行きました。 母犬はみるからに賢そうな「誰が見ても、これは賢い子だ、とわかる」-叔父談ー犬でした。叔父はその母犬に「大事にするからね。」と話しかけ、そして恐縮する飼い主さんに無理にビールと金封を押し付けて子犬をかごに入れて帰ってきました。 帰ってきて、頭をなでながら家族でよく顔を見てみると、・・・色は薄茶色、耳が垂れて、丸い顔目と目のあいだが離れて、口のまわりはこげ茶色・・・ つくづくと眺めていた叔母が「時代劇に出てくる雲助みたいや・・・」とつぶやき、一同思わず納得してクモスケという名前になりました。家族は縮めてクモ、と呼びました。 日当たりの良い、芝生の上にロイヤルパレスが置かれ、広い芝生はクモのものになりました。 半年もすると芝生は穴だらけになりました。 叔父は毎朝クモを連れて散歩に行きました。・・・それで判明したことはクモが全く父親似だということでした・・・ 家に来た人にはまんべんなく吠え掛かるので、番犬としてはいいのかもしれませんが・・・毎日来る新聞配達の人や郵便局の配達係、銀行の人、毎回ほえられ、私も10遍行っても覚えてもらえませんでした・・・ ただ食欲は旺盛で「散歩に行ったら、なんでも拾い食いするんだ。この前は畑の横の放り出してあるダイコンにまで・・・食べ物に不自由させた覚えはないぞ。いつだって新しいの入れて種類だって変えて、獣医さんに聞いたとおりのもの食べさせてるのに・・・情けない・・・」と叔父はこぼしました。 毎朝叔父と散歩し、後は芝生にねそべって、時々植木の下を掘って遊び、垣根のそばを通る人や尋ねてきた人に吼え、クモは大きくなりました。 叔父の家は庭が広く、庭の一角を電線が横切っています。 ある日、クモが芝生にねそべっていると、とんびがなにか肉のようなものをくわえて飛んできて、電線に止まりました。すると、カラスがそれを見つけて、横取りしようとして、とんびとカラスが争いになり、ギャァギャアバタバタと騒いでいるうちに、とんびは思わず口をあけて肉を取り落としてしまい、落ちた肉はちょうど下で見ていたクモの口の上に・・・こういうのを「棚からボタモチ」とかもっと高尚に「漁夫の利」というのか「待ちぼうけ」の歌の主人公というのか・・・はたまた「果報は寝て待て」・・・・・・ともかくクモはそれを実感したらしく・・・ 「それから電線にとんびやカラスがとまるたびに、下へ行って、口開けて待ってるんだ。・・・情けない・・・トリの上前はねるようなことさせた覚えはない・・・自分のものちゃんと持ってるのに・・・自分のは食べ残すから、鳥が取りに来てたじゃないか・・・不自由させてないのに・・・情けない・・・」と叔父はぼやきました。
2005.01.09
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じゅんこ先生ー31歳。独身。小児科医。**総合病院に 勤務。病院の独身者用官舎に住んでいます 12月半ば過ぎ、病院の忘年会がありました。最後に抽選会があり、同僚のトモユキ先生が、ゴジラの着ぐるみパジャマを当てました。 じゅんこ先生、そのゴジラパジャマが欲しくてたまらず、トモユキ先生にゆずって、と頼みました。トモユキ先生「それじゃこれ着て街歩いてくれたら、あげる。」と言いました。 するとじゅんこ先生、二つ返事で引き受けて、すぐ服を脱いでゴジラパジャマに着替え、皆と2次会の会場へくりだしました。トモユキ先生はじゅんこ先生の脱いだ服を持って後からついて歩きました。 それから10日あまり後・・・ じゅんこ先生が官舎で熟睡していると、突然電話が鳴りました。 早産で生まれそうな人が緊急で運ばれてきた、というのです。 じゅんこ先生、飛び起きてそのままスリッパをつっかけると病院に向かって駆け出しました・・・ゴジラパジャマを着て・・・着ぐるみのゴジラパジャマはフードがついていて、フードには大きな目玉と白い牙、頭から背中にはずらっと緑のギザギザのおおきな背びれが並び、その背びれはお尻から50センチほど突き出た尻尾の先までついています。そして先端の2枚のギザギザはあざやかな赤と黄色です。 目玉と牙のフードと緑と赤と黄色の尻尾を揺らせて、ゴジラは病院の緊急入り口を入り、内科、外科、整形の外来の長い廊下を抜け、産婦人科の分娩室へ・・・ そこには産婦さんに付き添ってきた、若い男性ー夫、中年すぎの夫婦ー舅姑 呼ばれてあわてて駆けつけた産婦の両親、妹らしい若い女性・・・ 「患者はどこですか!」一声叫んでじゅんこ先生は中へ飛び込みました。 その時、廊下に出てきた婦長さんに舅さんらしい人が、そっと袖を引っ張って、一同を代表して尋ねました。 「あれはなんでしょうか・・・」 「あれはここの小児科の**(じゅんこ先生の姓)です。」 不安そうな一同に 「優秀な先生です。安心してください。」と婦長。 やがて元気な産声が深夜の廊下に響き渡り無事にお産が終わりました。 安堵と喜びに沸く一同の前に現れたじゅんこ先生、無事に生まれた報告と説明をすませた後、「こんな格好していますが、私はここの小児科医です。けっしてあやしいものではありません。」 と挨拶して、ゴジラの尻尾を振りながら、官舎に引き揚げました。 追記・・・官舎に帰ってみると、自動ロックのドアが閉まっていました。出る時あわてて出たので鍵も持たずに出たのです。閉めていなかった風呂場の窓をよじ登って、部屋に入りました。閉め忘れていて助かった、というのが、じゅんこ先生の翌朝のコメントでした。
2005.01.05
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新年のカレンダーをかけました。毎年どこのカレンダーはどこへ、とかける場所は決まっているのですが、電話の横には予定の書き込みができるように、大振りで、全体におおきな升目が切ってあって、数字と曜日と先勝だの友引だのだけが印刷されているのをかけてあります。1つの升目は横4.8cm縦10.5cm、上から4,5cmに数字が印刷されているので、下6cm分が余白となって書き込みができるわけです。 書き込みがたくさんできるので、何年もこのカレンダーを使っているのですが・・・ ・・・この数字の下に毎日のご教訓が載っているのですが・・・これが・・・おもしろいというか・・・ 元旦は「心と心の対話が大切」・・・ごもっとも・・・以下「健康であることに感謝」「愛はあたえるもの」「視野を広く理想は高く」「友情は太陽である」「取ることよりも与えよ」・・・などと、全くごもっとも、が続いた後に、いきなり「水のがぶ飲みはやめよう」「寝冷え防止に腹巻」「もりもり食べよう生野菜」「うたたねは風邪のもと」・・・ などというのが出てくるのです。・・・なんだこれは・・・・・・ごもっともなことではありますが・・・この脱力感・・・ 「愛は与えるものである」・・・「寝冷え防止に腹巻」・なんて・・・ 第9の合唱を聞いていたらいきなり河内音頭にかわってしまったような・・・ 文字数にしてわずか10文字しかスペースがないのですから大変だとは思うのですが・・・ 考えた人は大変だっただろうな・・・「愛は」とか「友情が」とか「理想とは」などというのはきっとはやくに出来上がったのでしょうが・・・なにしろ365日ですから・・・「腹巻」だの「水のがぶ飲み」になるともうヤケクソというか・・・ご本人が考えあぐねて夜更かしして、水のがぶのみしてお腹こわした時の経験ではないかと・・・ ともあれ、このカレンダーと今年1年お付き合いするわけですから・・・日々のちいさな楽しみです。 因みに、今日のご教訓は「よく食べ、よく働こう」です。
2005.01.03
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あけましておめでとうございます。 新しい年が幸せをいっぱい運んでくれますように・・・ みのり多い年でありますように・・・ 元旦だからいつもの休日のように朝寝はせず、早めに起きて、お正月神様を拝んで、母といっしょにお雑煮食べて、いつもの5倍くらいある(ほとんどが広告)新聞をよっこらせと運んで来て仔細にながめ・・・あまり読むところないな・・・ そのうちに年賀状が到着。 不思議な年賀状がありました。 きれいな手作りの版画、「おもしろい話があったら必ずご一報を!」と書いてあって、あて先もきっちり書いてあるのに差出人の名前がない・・・郵便番号だけ書いてある・・・だれだこれは・・・郵便番号、おもしろい話を聞きたがる、ついうっかりの癖・・・から推測すると++子さんかな。 3が日過ぎたら電話かけて聞いてみよう・・・ お返事書かなくてはいけないものを選り分けているとそろそろお昼。 お昼は車で10分の姑のところへ行って義兄一家と食事することになっています。 街中の商店はほとんどシャッターを下ろしていましたが、コンビニ、レンタルビデオ、ゲームソフトショップ、ファミレスは開いていて、どこもにぎわっていました。・・・そろそろみんな退屈してきたのかな・・・ 姑の家では庭に水仙が咲き、山茶花が濃いピンクの花盛り。蝋梅もいい香りを漂わせています。 空は青空、部屋は南向き。 ・・・食事が終わるといい気持ち。うらうら・・・うつらうつら・・・ 「ちょっと昼寝していったらいいよ。ここは日当たりがいいから・・・」と姑が言います。 毎年思うのですが、元旦ってなぜか時がゆっくりと過ぎるのです。時計がふだんの半分の速度で回っているような気がします。 クリスマス、年末、全速力で疾走していたら、いきなりポ~ンと鼓が鳴ってお能の舞台になって「四海波静かに~」なんて謡いが聞こえてきたような・・・とまどってしまいます ・・・これがお正月マジックというものかな・・・ それでも年賀状のお返事を書いているとゆっくり(いつもはあっ、という間なのに)夕暮れになり 恒例のウィーンフィルのニューイヤーコンサートが始まりました。 これを見ると毎年「あ~新年だ~」と実感するのです。 毎年趣向をこらした花飾りー今年は赤と白、赤はアマリリスのようですね・・・ーを見るのも楽しみのひとつでー ワルツ、ポルカ、マズルカ・・・聞いて、見ているうちに少しずつ頭のねじが回って、自分を取り戻せるーような気がします。 明日からは普通の生活に戻りたいと思います。 ところで、初夢は2日に見た夢、だそうですが、今晩眠って日付が2日に変わってから見たのか、2日の夜12時までに見たものか、どうやって判断したらいいのでしょう。 2回夢が見られたらいいほうを取ろう、と思っていますが・・・
2005.01.01
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