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湯浅誠さんが最近連続ツィートしている(約半年音沙汰なかった)。ほとんどが読書記録なのだが、それなりに意味あるツィートだと思っている。過去連続ツィートしたときは、例えば独身の結婚率などの行政調査結果だった。それが例えば去年の講演の「シューカツ、婚活、そしてその次にくるのは、生活です。」という主張に繋がったのはあとで分かった。今回紹介されている著者はおそらく全面的に同意されているわけではないと思う。でも、多分今年の湯浅誠さんの活動にリンクしているのではないかと推測出来る。ちょっとどう関係するか考えてみようと思う。12/01/02 2:25萱野稔人『ナショナリズムは悪なのか』読了。「ネーションの成立とは、国家ありきの歴史的プロセスなのだ。ネーションの成立にとって、国家がみずからの領域を資本主義経済が発展するための社会空間へと再編成したことは決定的なのである」(P174)同上。「国家が国民化してきた歴史的プロセスを前提として、それを改良するか拡大するかという方向にとどまるほかない」(P200)12/01/02 2:35橋下徹『体制維新』読了。「政策はもちろん大事です。しかし、政策は政治家がひとりで考えるよりも、しかるべき専門家の知恵を結集して案を練ってもらうほうがよい。・・・僕は知事になったとき、現行の体制を変えることが使命だと考えました。・・・体制の変更とは、既得権益を剥がしていくことです。(つづき)・・・これはもう戦争です。・・・議会についてもそうです。・・・民主主義の政治にとって、話し合い、議論は大切ですが、最後は選挙によって決着をつけなければニッチもサッチもいかない、そういう局面がやってきます」(P74-75)これは何らかの政治闘争を想定していると考えたほうが自然ではないかと思うのです。どういう方面か。それは一つは次のツィートが参考になる。12/01/04 0:35「話題」の生活保護問題について、NHK視点論点で話しました。どなたか存じ上げませんが、アップしてくれている方がいるので、紹介します。amba.to/vb08hi12/01/04 0:42視点論点では詳しく取上げられませんでしたが、これも「話題」の生活保護医療費問題。医療費の内訳はこちら。bit.ly/pQVV1M 。医療費の約25%(3200億円。H19年度予算)を使っているのが精神入院費。日本の精神医療は地域生活移行が立ち遅れていることで有名。生活保護受給の精神疾患入院患者6.3万人のうち、約25%の1.4万人は「受入体制整えば退院可能」。医療費問題は、だれでも住める地域・まちづくり問題と考えるべきと思う。12/01/04 0:53阿部彩『弱者の居場所がない社会』。(「現在の日本の社会において、ある家庭がふつうに生活するためには、最小限どのようなものが必要だと思いますか」と項目別に聞いた調査の結果について)「特に、際立つのが、子どもの必需品に対する支持率の違いであった。・・・イギリスでは55%の支持を得た自転車は日本では20.9%。誕生日のお祝いは、イギリスでは93%、日本では35.8%であった。イギリスの人々が、「すべてのイギリスの子どもたちに与えられるべき」と考えるものの多くについて、日本の人々は「すべての日本の子どもに与えられなくても、しょうがない」と答える。ちなみに日本でも、自分の子どもに自転車を与えている親の割合は87%、誕生日のお祝いをあげている割合は95%である。自分の子どもにはほぼ100%与えているものでも、日本に住むほかの子がそれを欠いていても「いたしかたない」と考えるのである(P76-80)。以下の抜き書きがあるのは、よく分からない。「独裁者はこの様に論理を展開するのか」と感心して出したのか。12/01/05 1:08石原慎太郎『新・堕落論』。「アメリカによる日本統治は実に巧みに、実に効果的に運ばれてきたものだとつくづく思います。その象徴的な証左は広島の原爆死没者慰霊碑に記された『過ちは繰り返しませぬから』という自虐的な文言です。これでは主語は我々日本人ということになる。過ちを犯したのは、彼らアメリカ人ではないか。・・・慰霊碑に記されている『過ちは繰り返しません』という自虐的言葉の呪縛は、日本が持てる技術力によって核兵器を製造保有することをタブーにしてしまいました」(P66-67)やはり、この間医療問題に相当興味を持っているようだ。12/01/05 1:16映画『医す者として』を見ました。農村医療の記録としてだけでなく、現在の医療・福祉の課題につながっているところがさらに興味深く、考えさせられました。iyasu-mono.com 近くコメントが載る予定です。12/01/06 0:48映画『医す者として』のコメントがアップされました。bit.ly/yz09Fj12/01/06 1:02中野剛志『国力とは何か』。「経済ナショナリストの真の目的は、ネイションの維持と発展にある。それゆえ、経済成長や産業競争力強化のために、貧富の格差が拡大し、ネイションが分裂することを許容しない。・・・一般に社会政策や福祉国家の理念は左派のイデオロギーに近いものとされ、他方、ナショナリズムとは右派の主張であるとみなされている。しかし、資本主義のもたらす破壊からネイションという共同体を守ろうとする点において、経済ナショナリズムは、イデオロギー上の翼の左右を超えて、福祉国家の理念に共鳴するのである」(P170-171)。12/01/06 1:11中野剛志・柴山桂太『グローバル恐慌の真相』。柴山「自由貿易と保護貿易というのは断絶しているのではなく、程度問題」、中野「自由貿易といっても・・・得意なものに特化して輸出で稼ぐということになると・・・ほとんど重商主義に近くなっている」(P179)。新自由主義≒重商主義≒国家資本主義12/01/07 0:35野口雅弘『官僚制批判の論理と心理』。「後期資本主義国家においては、経済へのいかなる政治介入も、市場の論理を踏みにじり、特定の人々の既得権益をつくりだし、擁護するものに見えてしまう。これを回避するには、介入をミニマムにする、つまり「小さい政府」が有効な方向性として浮かび上がってくる。「このとき「民意」は、容易にそちらの方向へと誘導されていく。「より多くのデモクラシーを」という方向性と、「より小さい政府を」という新自由主義の共闘による官僚制批判は、「正当性」をめぐる争いに直面して、後者に絡め取られていくのである。/もし「正当性の危機」が新自由主義に絡め取られない条件があるとするならば、そもそもきれいで、わかりやすい解決策など不可能であるということを、別の言い方をすれば、形式合理性と実質合理性の相克は原理的に解きえないということを自覚したうえで、モデレートに、粘り強く合意を積み上げていくというのがそれになるかもしれない。・・・それはネゴシエーションやブレや迷いなどの不透明な状態を必然的に抱え込んだ選択肢であり、明確な方針(「哲学」)と強い姿勢(「本気」)を是とする人たちからは好まれようがない政治のあり方となる」。(P94-95)此処から浮かび上がってくるのは、やはり生活保護制度の抜本改悪が狙われている今年、本格的な闘いを覚悟しているということなのではないかと思うのです。その時、それは「ネゴシエーションやブレや迷いなどの不透明な状態を必然的に抱え込んだ選択肢」なのではないかと思うのです。
2012年01月07日
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今日は「寒の入り」だそうです。韓国から戻った直後はジャンパーを開襟しても大丈夫な気候に「日本は暖かい」とつくづく思ったものですが、やっぱりこの時期になると朝夜は暖かいものが欠かせません。けれどもまだ、湯たんぽだけで凌いではいます。春の七草もこのときに食べるわけですが、「芹乃(すなわち)栄う」というのがこの時期でもあるそうです。あかねさす昼は田賜びて ぬばたまの夜の暇(いとま)に摘める芹これ万葉の時代は、日中仕事で忙しい男が夜に摘んでくるほどのプレゼントだったらしい。当然昔は精進料理のようには七草は食べられなかったはずだ。秋の実りの米を使いながら、海や山の幸をぐつぐつ煮て私は美味しい栄養汁を作っていたはずだと想像する。さて今晩の雑炊は、2-3日前から使いまわしている白菜と鶏肉の鍋汁におせちの残り物や練り物、そして韓国から持って帰ったコチジャンを入れて闇雑炊。辛いけど温まりました。この凍てつく空の下、日本全国のホームレスの人たちは生きているだろうか。生活保護世帯が過去最高の205万人を超えたということがニュースになっているが、単に最後のセーフティネットであるこの制度が多くの人に知られただけに過ぎない。今年はこの制度の骨抜きが狙われている。湯浅誠さんが12月16日に毎日新聞に投稿した内容が静かな反響を呼んでいる。途中までわざと「件の新市長」のことを勘違いさせるように書かれている。やっぱり湯浅さんはなかなかのアジテーターではある。私の社会保障論 興味深い新市長のあいさつ=湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長)福祉は最高収益の投資 「深刻化する住宅難、減少し続ける働き口、憂いが深まる伝統市場や路地商圏、競争力が低下している自営業や中小企業。増える非正規職。そのどれもが、新しい解決策を求めています」 先ごろ当選した新市長の就任あいさつ文の一節である。新市長は、現政権や既成政党に不満を持つ多くの市民の支持を集めて当選した。「圧勝」とは言えなかったが、それでも対立候補に7ポイントの差をつけた。弁護士出身でアイデアマンとしても知られ、旧来の政治家像とは異なる雰囲気に、市民は「やってくれるかもしれない」と期待を抱いたのかもしれない。政策は十分に練りこまれているとは言えず不確実な部分も少なくないが、今回の選挙結果は既成政党に大きな衝撃を与えており、すでに新市長を「台風の目」とする政界再編が始まっている。 新市長のあいさつ文は次のように続く。 「1%が99%を支配する、勝者が独占し多数が不幸になるという現象は公正な社会ではありません。過度な競争で皆が疲れ弱っていく生活は、公平な世界ではありません」たしかに、過度な競争は多数の人々を疲弊させ、社会の活力を失わせるだろう。それは公正ではないだけでなく、効率的でもない。だから新市長は次のようにも言う。 「福祉は人間に対する最も高利回りの貯蓄であり、将来に対する最高収益の投資です。福祉か、成長かの二分法はもはや通用しません。過去10年の間に、成長かのが必ずしも福祉をもたらすわけではないということが明らかになりました。むしろ、福祉が成長を牽引する時代になったのです。何よりも我々は、OECD(経済協力開発機構)加盟国で最下位の福祉水準という不名誉から抜け出さなければなりません」* 投資とは、何も企業に対するものを指すわけではない。新市長がさっそく実現した公約は大学の授業料半額化だった。授業料負担に耐えられず疲弊していく若者の存在は、生産年齢人口が減る中、端的に社会の損失である。それを回避し、人を育てる費用は、貯蓄であり投資だろう。福祉のない成長を、結果的に将来世代の可能性を食いつぶす。それゆえ新市長は宣言する。 「福祉は施恵ではなく、市民の権利である」と。 新市長とは、朴元淳(パクウォンスン)。10月26日に誕生した韓国の首都ソウルの新市長である。途中まで「あの人」と似ていると思った方がいたかもしれないが、全然違う。そもそも朴氏は「市長こそが市民であり、市民こそが市長なのです」と言い、独裁を掲げてはいない。
2012年01月06日
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「活動家一丁あがり!社会にモノ言うはじめの一歩」湯浅誠 一丁あがり実行委員会著 NHK出版新書この新書が出たのが、ちょうど震災直前だった。よって、まったく注目されないまま五ヶ月が過ぎている。ここには湯浅誠の『活動家論』が書かれている。それと同時に、NHKスペでも一度やったと思うが、もう三年目を迎えている湯浅たちが始めた「活動家一丁あがり!講座」の活動記録が残されている。会社人間に疑問を持った女の子、派遣切りされた青年、人工授精によって生まれた子供の声を伝えたいと明確な意思を持って講座に参加した女性、等々さまざまな『若者』が参加しているこの講座の内容よりも、彼らの『成長』がまぶしい。この本は注目されなかった。けれども、世の中は確実に「活動家」という意味の『転換』がなされているきがする。湯浅たちがこの講座を立ち上げた動機は、単純である。かって学生運動をしてきた年配の人たちは「今の若者はこんなにひどい目に遭っているのにデモのひとつも出来ない」と嘆く。しかし、若者たちはそのデモのやり方さえ知らないのである。だから、居酒屋で管を巻くこともできなくなった若者たちはネットにはけ口を求める、それさえも求められなくなったとき秋葉原事件が起きる。私は別に活動家じゃないけど、幸いデモ申請をしたことがある。する前とした後ではデモに対する認識がまったく変わった。この本はデモ申請マニュアルはまったくか書かれていないが、私の経験を少し書く。デモは多くは権力に対して『もの言う』行動である。もちろん憲法が保障する「発言する権利」である。だからそもそも、警察に申請に行くということさえ知らなかった。でも、デモは車道を占拠して歩く行動だから申請をしておかないと「違法」になってしまうのだ。先ずは地元警察の『交通課』に行くのである。親切な課長さんならば、丁寧に申請の仕方を教えてくれるだろう。お役所なので、書式に乗っ取ってひとつのミスも無く書かねばならない。けれどミスはたいていあるから、印鑑を持っていくのは必須である。ちょっとしたデモならば、数十人の警官が動員される。けれども、デモは無料である。いやあ、憲法ってすごいんだ、と思う瞬間である。ところが、ビラまきでたった30分街頭を利用するには何千円もお金が必要になるという矛盾にも、やがて気がつくのではあるが、それはまた別の話。課長さんが対応する。世間話の合間にデモする組織の様子それとなく訊いてくる。こちらも愛想よく応対しながら、大丈夫な情報だけは教えてあげる。警察と敵対していては、デモは出来ないからそれぐらいはサービスだ。びっくりするのは、デモ申請をして『それを許可する』のは警察ではないのだ。課長さんが「ちょっと待ってね」というので別室で待つ。課長さんが私の申請書をファックスをして許可を待つのは、その県(?)の『公安委員会』である。課長さんが電話を受けてまるで部下のようにぺこぺこしている。どうして公安がそんなにえらそーにしなくちゃならないのか、と私は思う。マスコミ対策は大切だ。マスコミには絶対こちらから情報を流す。マスコミがあっちから情報を拾って取材に来ることは絶対にない。記者クラブにチラシを置いてくるくらいはしておいたほうがいい。でも、取材にさえ来ない確率は高い。等々のことは、知っている人は知っているが、知らない人は発想さえもしない。そういう技術的なことはおそらくこの講座で出てくるに違いない。でもこの本はそれ以前のこととそれ以後のことを書いている。そもそも「活動家とは何か」「活動として何をしたいのか」「活動してどうだったか」。湯浅さんは「活動家」をこのように定義する。私は一言で言えば「場をつくる人」だと定義している。活動家といえば、デモ、ストライキ、集会、街宣……と、経験のない人は物騒に感じ、どうしても敬遠したくなる言葉を連想するだろうが、それらはすべて、場をつくり、場への参加を呼びかける行為にほかならない。その「場」とは、人々が受け容れられる場、立ち上がる力を身につける場、自由な意見交換が担保され、アイディアが湧き出す場だ。「活動家」という言葉を使いながら、そのイメージを変えようと思った。と、述べているように湯浅が「活動家」を名乗るのはかなり「自覚的」「戦略的」である。私は湯浅のこのような発想が大好きだ。この講座は、(当たり前だが)松下政経塾みたいな「活動家のエリートを育てる」塾ではない。みんなすこしづつ何かを掴み、卒業していく。かつて加藤周一は、日本社会の特徴を労働組合や政党など大きな社会批判組織は弱いが、一方では無数のコミュニティ組織があることの強みを指摘した。そして、それを活かす方法として「九条の会」を立ち上げた。日本には若者組等々の伝統もある。「活動家」はいつでも育つだろう。もうすこし「自覚的」になれば。
2011年09月05日
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7月30日(土) 夏旅一日目日にちを入れるのを忘れていました。昨日の続きで母親大会のメイン講演、湯浅誠さんの話を紹介します。昨日のある会合で「母親大会の湯浅さんの話は思ったよりはよくなかった。やっぱり彼も政府側の人間になったということなのかな」という世間話が耳に入った。おそらく、政府批判が一切なかった為にそう思ったのではないかと推測した。私は違うと思う。彼は政府参与になる前も後も、政府にしろ、その他団体にしろ、利用できるものは利用する、という態度で一貫している。彼の目的は政府批判ではない。他にある。湯浅誠は学者でもなく、政治家でもなく、広い意味での活動家なのだと思った。彼女は湯浅さんから「求める人は求めるばっかりで、作るのはおろそかにしがちです」と批判されたことに気がつかなかったのか。それとも、批判されたから反発したのか。以下私なりの講演の内容を「まとめ」てみたい。文責はもちろん私です。「貧困をなくし、人間らしく生きられる社会をつくる」皆さん、子供は何人おられますか?(手を上げてもらう。2-3人が一番多い)私の父は13人兄弟だった。今日のテーマのなかの「人間らしく生きられる社会をつくる」誰が作るのか。私たちが作る。どうやって作るのか。このとき二つ大事なことがあります。「つくる」ことと「求める」ことです。つくる、それは地域、状況、時代によって違うでしょう。障害を持った人が社会参加をするために作業所を「つくる」。誰に言われてするのではない。仲間に話して「あなたも困っている。私も困っている」と、そういう広がりががあって、政策支援、制度的なものを「求める」ということがあって、社会に求めていくのでしょう。私はホームレス支援を95年からはじめた。きっかけは単純で友達がしていた。誰かにしろ、といわれたわけじゃない。「つくる」と「求める」はセットです。言うは簡単だけど、難しい。作る人はただそれだけで一生懸命で手一杯でなかなか求めることが出来ない。求める人は求めるばっかりで、作るのはおろそかにしがちです。二つはセットにしないと活かせない、説得力がない。私はホームレス支援をしてわかったことが一杯ある。作らずして求めるのは弱い。求めずして作るのも社会状況が変わる中でだんだんと疲弊していく。いま、高校中退の問題をしています。高校中退は増えています。私はホームレス問題で早く対応することが大事だと気がつきました。彼等は小中で躓いた人が多い。そこでつながりが切れる。ずーと低空飛行を10-30年間した人が大勢いる。そこから回復するのは、とても大変。個人的にも、周囲もそうです。前、講演の後定時制の先生が言って来ました。「外国の人が多くて、彼等は日本語が喋れない。家庭環境が悪くて、お母さんの対応までやっていられない」学校の労力がないからさよなら、じゃなく、サポート体制を地域でつくること、中退する手前でサポートする人、中退してもサポートする人が必要です。いま未婚率がどのくらいかご存知ですか。30代前半ではほとんど五割です。20代後半では六割です。ちょっと前の常識は常識ではないんです。結婚したくない人が増えたのでしょうか。そうじやない。九割の人が結婚したいという。みなさんの娘さんになぜ結婚しないか聞いて見るとこういう答が返って来るでしょ。「いい人がいない」。いい人とは何でしょうか。性格、容姿、経済力でしょう。こういうデータがあります。25-35歳の女性に相手にどのくらいの年収を求めるか聞くと、七割が400万円以上だという。贅沢でしょうか。一方、同年代の男性で400万円以上のひとは二割しかいないという現実があります。いい人がいない、というのは経済的なことに落ち着くのです。働きたいけど働けない人は失業者です。結婚したいけど結婚できない人にはまだ言葉ができていません。でも、バブルが弾けて就職氷河期になって出来た言葉「シュウカツ」というのがあって、いま「婚活」が必要になってきている。結婚するためには(結婚)活動家にならないといけない。生涯未婚率(50代での未婚率)は増えてきています。1950年代は1%、1970年代は2%、2005年は15%でした。2030年には30%になるといわれています。そこでふと気がつきます。就活、婚活とくれば、生活。生きるための活動です。ぼーと生きていけると思うなよ、生きていこうとするならば活動家になれよ、といわないといけなくなっています。笑い事じゃない。若い人の死因のトップは自殺です。三万人以上自殺するのが13年間続いている。国際的に見て日本より高いのは経済力が低くて、気候が厳しいところばかりです。ほんとに異常なのは、13年間続くと驚きがなくなってくること。異常なのが、異常と思えなくなってしまうのが、異常なのです。毎年の交通事故死は何人か。5000人です。毎年の他殺は何人か。減ってきていて600人です。日本は他人に殺されるより、自殺のリスクが50倍、交通事故死よりも自殺のリスクが6倍高いのです。子供さんが外に出るとき、「車に気をつけてね」と声かけるけど、その六倍のわりあいで「あんた、生きてね」と言わないとちゃんとリスクにあった声かけにならない。貧困率は2006年が15.7%、2009年が16%。子供の貧困率はその三年間に23万人増えた計算になっています。貧困状態が16%もあるような社会じゃ回っていかないのです。一人ひとりはそれぞれの力を持っている。それを出さないと回っていかない。3が出来て7が出来ない人に「おまえ7ができないのか」と言って切り捨てるのは3を失っているのです。私の兄は障害者で印刷の有限会社で働いています。キーボードを打つスピードは私の1/10ですが、幸にも兄はそこで25年間働いている。もし兄の働く場所がなかったら、ずっと家に引きこもっていただろう。母はいま社交ダンスをしていますが、それができるのも兄が働きに出ているからです。兄が働くのは、兄にとっても、母にとっても、そして私にとっても、社会にとってもプラスになっている。いま、これを社会的に換算できないのです。障害手帳がなくても求めている人はたくさんいます。貧困や自殺は人の心に傷を残します。震災でも生き残っている人は自分を責めますよね。13年間で40万人の人が自殺しました。遺族は100-200万人です。この人たちは自分を責めている。心の瑕は簡単には癒えない。気持ちが前向きにならない。そしてその気持ちは伝染します。自殺を一人阻止する、貧困を一人阻止する、一人であっても社会参加することに対する波及効果はおおきい。マイナスとプラスの差は、とても大きいものがあります。それが社会への活気を作っていく。人間らしく生まれる社会、それぞれが役割を持って社会を作っていく、それはつくり、求めることで果たされる。私も目指すし、みんなも目指してほしい。でもあまり頑張りすぎないで、やっていきましょう。(感想)湯浅さんは、講演上手だと思う。話す対象によって、話し方をみごとに変えている。お母さん相手に明るく、難しい言葉は一切使わず、笑いを何度もとって、言いたいことを言い切った。湯浅さんの関心が貧困から一歩進んで、貧困状態になる手前の社会をサポートする(言葉があるけど忘れた)方向に舵を切っていることがはっきりした。湯浅さんはこの五ヶ月ボランティアセンターの調整の仕事をしてきたはずで、彼から見た震災の姿を聞けるかと思っていたが、彼の引き出しは豊富で今回はまだ聞けなかった。今日の歩数 14430歩
2011年08月06日
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湯浅は自らを活動家と述べている。その原点はなにか。または、活動とはどういうことなのか。「なぜ活動家と名乗るのか」(09.8大田出版「atプラス」)には「すべては偶然だった」とのべている。兄が障害者だったということもあるだろう。私が注目したのは、大学院博士課程で戸坂潤や中野重治、三木清などを研究していたということだ。私はてっきり社会学部系だと思っていたので、日本思想史をやっていたのだと読んで、一気に親近感をました。彼の思想史的な位置づけをやりたいと思ったのは、ここを読んだからだ。湯浅は「90年代は後退戦だ」と時代を読んでいたので、玉砕タイプの宮本顕治や徳田球一には興味が無かったようだ。「状況を見つつ、一歩一歩引いていきながら、その都度戦線を立て直す」というのに惹かれていたようです。博士論文を書けずに途中退学をするが、ぜひとも試論でもあれば見てみたいと思う。「あうん」は当初は食べていけなかった。しかし「人間は希望のない作業を続けていると、それをなんとか希望のあるものに出来ないかと真剣に考えるものです」少しずつ形になっていく。私の場合、運動をつなげていくという発想は弱さの自覚から生まれています。我々は小さいので、自分たちだけでは何も出来ません。(略)相手を選んでは運動は広げられません。日本労働組合総連合会だって、680万人組織と言いますが、たいした強さではありません。(略)社会運動には、そういう弱さの自覚が必要だと思います。夢みる権利は誰にでもある。しかし他方、夢みる条件とうものがある。夢みる条件をととのえなければ、夢は見られない。(その条件を私は溜めと呼ぶ。)夢みる条件をととのえようとする夢、それが「活動」だ。モノを言える空間をどんどんつくっていくのが活動家の役割だと教えています。活動家は爆弾を作る人ではありませんと。自己責任論の最大の効用は、結局相手を黙らせることだったと思います。(略)自己責任論は人を黙らせるもの、活動は人をしゃべらせるもの。そういうふうに問題をつなげていきたいと思います。09年2月12日朝日に「まかり通る違法な借家追い出し」という記事を書いているとき、湯浅は怒りがわいてきてしようが無かったと、他の本で述べている。派遣労働者が、寮を追い出されるとき、「寮費が家賃相場だったときには、一般のアパート同様追い出される法的根拠は無い」というのが、法律関係者の常識であると彼は聞く。「じゃあ、どうして世の学者はそのことを社会に訴えなかったのか。」と彼は憤るのである。しかし、湯浅の秀逸なところは、そのとき怒りに任せて突っ走らないところである。いや、まて彼等は記者会見を開くという発想そのものもなかったのかもしれない。これは「活動家」がこの間育ってきていなかったからだ。と、すぐに冷静になる。熱いものを持ちながら冷静でいる人なのだ。それが「活動家一丁あがり!講座」につながったらしい。09年以降の活動については、また別の本を読みながら書きたい。
2011年06月04日
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「岩盤を穿つ 「活動家」湯浅誠の仕事」湯浅誠 文芸春秋社この本は、湯浅誠の2007年から2009年にかけての文章を集めている。湯浅は2006年の夏ごろから急に注目されるようになったと言っている。それは私にとっても印象的な時期だった。2006年11月朝日新聞で初めてネットカフェ問題が取り上げられて、(その直後にBEでも特集)、2007年は「ネットカフェ難民」が日本テレビで命名される。(1月28日放送)湯浅のホームレス支援事業「もやい」が注目されるようになった。私が蒲田のネットカフェに泊まったのは2007年3月。このころ、一挙に「貧困」が注目されるようになった。それはまた、湯浅の見事な「戦略」であったことがここに書かれている。2008年1月週刊「金曜日」の記事である。「いつの間にか、日本は「生存をめぐる闘い」が闘われる国になった。いや、生存をめぐる個別の闘いが、ようやく社会的に「闘い」として認知された、というべきか。三割が10年以上その暮らしを続けている「ネットカフェ難民」がようやく社会的に認知されることになったのは、その象徴だ。」(略)「言葉と状況の規定力を再度私たちが獲得しなおす必要がある。それは個々の運動が展開していった末に勝ち取られるものであると同時に、07年に出たもろもろの芽が育つために必要な条件である。手前味噌を承知で言うが、そのための「仕掛け」の一つが「反貧困」だった。格差論隆盛の中で、現在の状況を貧困問題として規定しなおし、その言葉によって個々の生活諸問題やそれに取り組む運動を、貧困問題との関係の中で位置づけること。もろもろの政策・事象がそれぞれの対象者を越えて「貧困」というフィルターを通じて共有化されること。それが一定の状況規定力を生む。」読者を考えたのか、難しい言葉を使っているが、この本(09年11月刊)の「まえがき」では意識して「貧困」という言葉を使ったと書いている。「その現実を名指さないと、それは可視化されない。「ない」ことになってしまう」圧倒的な資金力とマスコミ戦略の元、民衆の側の闘いは、戦略上いつも敗れてきた。非正規労働者がこの20年で急増したのはその象徴だ。政府財界の戦略に対して、民衆の側が「戦略」で勝ったのは、加藤周一が構想した九条の会とこの湯浅の「反貧困」戦略ぐらいしか思いつかない。今回左のカテゴリーの中に「湯浅誠」を追加したのは、そういう処から来ている。中江兆民、加藤周一論は私のライフワークであるが、「湯浅誠研究序論のためのノート覚書」ぐらいのためにやはりこのブログを利用していきたいと思う。次の一手は何か。「私の立場から08年の課題を述べるとしたら、それは"生きさせろ""反貧困"といった「生存権」をめぐる諸問題の普遍化・全国化ということになろうか。」「さしあたり労働運動・社会保障運動・生存権運動・消費者運動との連携、各地方都市での分野・政党横断的なネットワーク型組織の設立という形をめざすことになる。」(前述「金曜日」記事)これはその年にすでに「自由と生存のメーデー」「反貧困全国キャラバン」という形や、労働者派遣法や最賃法の改定が政治日程に上らせることにつながっていく。08年の末に彼が心残りにしていたのは「雇用保険」の問題だったらしい。出来るところから。しかし、柔軟に大胆にスパッと展望を持って動くフィールドを広げていったことが分かる。2009年8月、民主党は政権についた。その秋、内閣府参与に就任する。2009年末に湯浅は書く。「(民主党が掲げたマニフェストについて)私たちにとっては、これが民主党の最大の政権公約である。この理念が堅持され、実行に移されるなら、私は民主党を支持する。この現実が再び、これまで幾度となくそうだったように、再び放置されるのであれば、私はそれを最大の公約違反とみなす。」「この理念」とはこのような文章である。「母子家庭で、就学旅行にも高校にもいけない子供たちがいる。病気になっても、病院にいけないお年寄りがいる。全国でも毎日、自らの命を立つ方が100人以上もいる。この現実を放置して、コンクリートの建物には巨額の税金をつぎ込む。一体、この国のどこに政治があるのでしょうか」その後民主党の「この理念」のほとんどは放置され、或いは大きく変貌しているということはご存知のとおり。他のところでは湯浅は「一億層中流の幻想から目を覚ませ」(09.11「イミダス」)と書き、全世帯の30%を超える年収300万円未満の生活状況の改善を視野に入れる。民主党は可処分所得の増大を目に見えるし指標とすべきだ、と提言する。それが「子供手当て」「高速無料化」などのやや強引な政策ではあった。いまとなっては空しい。湯浅誠はしかし結局、内閣府参与を去ってはいない。柔軟に使えるものは使う、という主義だからだろう。今回の震災で彼はボランティアセンターの統括みたいな仕事に就いた。「震災関係は私の専門外ではあるが、政府との調整役は出来るのではないか」という考えからだという。これによって、来るべき「なにかの運動」のときに、震災関係その他のNPO団体と、その連帯のおおきな糧になるのかもしれない。では湯浅の明らかにした「貧困」とはどのようなものなのか。「反貧困」を08年の夏に出版し、その年に金融危機が起きる。既に「反貧困全国キャラバン」を成功させていた湯浅は、労組や反貧困弾田との連帯を基礎に派遣村を立ち上げる。「寄せ場化するニッポン」(国交労連中央労働学校08.11講演録)がある。ほとんどは私の聴いた講演と似ている。おそらくこの当時連続して労働団体から貧困について概論を述べてほしいという要請があったに違いない。そして多くは「反貧困」(岩波新書)という概論に繋がっていく。この本には私がその全文を載せた新書が大仏次郎論壇賞を獲ったときの朝日コメント(08.12)も載っている。「派遣村から見た日本社会」(09.4講演録)という文がある。「貧困は貧困状態に追い込まれた人だけの問題ではない、社会の問題なんだ」と彼は繰り返し述べる。それがおそらく核心である。セーフティネットから漏れてくる人が最後にたどり着く生活保護、しかしその補足率は15-40%。もし15%ならば、900万人近い人が、必要なのに生活保護も受けれていない日本の現実がある。生活保護受給者は景気が良くなったからと言って減らない。事実02-07年の戦後最長の好景気間に、一貫して増え続けている。社会全体の構造の転換が必要である。そもそもセーフティネット、社会保険的な立法は富国強兵のために行われた。(1930年代ドイツビスマルクの時代、1938年日本の国民健康保険制度)セーフティネットは社会のお荷物ではない。新自由主義は効率を求めているようで、じつは非常に不効率な考え方だったのだ。このような湯浅の思想の原点はナニなのか。それは後半で書きたい。
2011年06月03日
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