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17日付朝日に湯浅誠氏の文章が載った。大佛次郎論壇賞を受賞して「政治の監視、市民の責任」これは歴史的な文章である。gooブログ検索で「湯浅誠」と叩いてみて欲しい。もう何10人ものブロガーが、立場の違いそうないろいろなブロガーが、一様にこの文章は素晴らしいと絶賛している。今まさにこの時を得て、一番本質的なことを、一番鋭く言ってくれたと思う。記録のためにもここに全文を載せたい。 今回、大変栄誉ある賞を受賞させていただいたが、率直に言って、複雑な思いがある。 『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』 という本を書いて、貧困などないと言われきた日本の貧困の実態を告発し、それに抗する人々の奮闘を描いたわけだが、では状況が劇的に変化したかと言えば、大きくは変化していない。すでに大量の報道が出ているように、世界同時不況の影響で製造業の現場では「派遣切り」が横行している。単なる雇い止めを超えて、違法な予告手当なしの中途解雇も少なくない。もちろん被害は製造業非正規に止まらず、建設業・サービス業等にも波及し始めている。 私の所属するNPOもやい にも、相談者が訪れ始めている。キャノンのある工場で働く派遣労働者は、05年から偽装請負→派遣→請負とめまぐるしく雇用形態を変更させられながらも、3年以上まじめに働き続けてきたが、今月4日から待機を命じられた。期間満了を迎える25日には、あっけなく更新を拒絶され、仕事を失い寮も追い出されるのではないかと不安のどん底にある。今回の不況「人災」日本経済にとって、今回の米国発不況は「天災」のように言われることがある。しかし、アメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードと言い換えて、新自由主義的資本主義に無批判に追随してきた経営者団体、規制改革会議・経済財政諮問会議等の責任は大きく、その意味では「人災」である。にもかかわらず、反省の弁は聞こえてこない。結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ。私たちが、そんな下劣なものに引きずられる必要はない。 私たちの取るべき責任は他にある。それは、市民生活が健全に保たれるように政府・企業を監視し、法を守らせ、一人一人の命と暮らしを守る政治を行わせる、という責任である。「お金がないから仕方ない、不況だから仕方ない」と言って、結果的に弱者の命を削ることになる政策を採用しようとする政治家は、いくらでもいる。しかしそのとき、医者は「この患者を見殺しにしろと言うのか」と、介護ヘルパーは「この寝たきりのお年寄りを放置しろと言うのか」と、労働者は「今日まで一緒に働いてきたこの仲間を路上に放り出せと言うのか」と異議申し立てしなければならない。それが、市民としての責任だ。 私たちの毎日は、「この人、あの人」と名指せるような家族・友人・同僚らとの身、近な関係の中にあり、その一人が苦しんでいれば心ざわつき、死ねば悲しい。それが私たち市民の日常であり、その平凡な生活を守るのが政治の役割に他ならない。難しそうな顔をして国家財政の危機を語る政治家に、私たちは一瞬もひるむことなく、「この命、この生活を守れないならは、あんたは政治家失格だから退場しなさい」と言っていい。 そうするとすぐに「では財源はどうするのだ」と威嚇されることがある。2年前まで、私たちにとって「埋蔵金」など存在しなかった。しかしそれが「ある」ということになった。私たちに真実は伝えられておらず、したがって正確な判断もできない。それは私たちの責任ではない。「財源問題は、すべてがきちんと整理されて公開してくれるなら検討しますよ」と答えればよく、そんな威嚇にひるむ必要はない。主権は民にある 結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う。自らの責任を棚上げしたところでの自己責任論や、情報公開なき財政危機論で黙らせられる、と見くびられてきた。私たちに責任があるとしたら、そこにこそ責任がある。私たちは、どんな悪政にも黙って付き従う羊の群れではない、と示さなけれはならない。政権を担う人たちには、.私たちを恐れてもらわなければいけない。 そのとき初めて社会は健全となり、悪化し続けてきた世の中に、折り返し点がもたらされるだろう。主権は民に在る。私たちはもう一度、その原点を思い起こすべきだ。 「結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ」「あんたは政治家失格だから退場しなさい、と言っていい」「結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う」この言葉に多くの人が、目を覚まさせられ、勇気付けられている。 私は既に岩波新書「反貧困」については二回引用して記事にした。(「自己責任論」批判あるいは「反貧困」 「反貧困」あるいはなぜセーフティネットが必要か )または湯浅氏の講演をじかに聴いて、この人こそ現代の思想家にふさわしいと私の中で位置づけた。大佛次郎論壇賞の受賞むべなるかな。昨夜NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス2 非正規労働者を守れるか」の再放送を見た。内容の紹介は薔薇豪城さんが既にしているので割愛するが、大村厚生労働副大臣が「教育への投資はすぐに成果が出ない、ということで潰されてきた」と言い訳をしたとき、湯浅誠氏がすかさず「誰が潰してきたんですか」と突っ込んだのに対して、大村氏は全く同じことをいってそれに答えなかった。これはひとり大村某の問題ではなく、まさに「自己責任を棚上げする」人たちの問題である。そして主語を持たなくても成立する日本の「土着文化」の問題でもある。(加藤周一の問題意識)
2008年12月18日
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韓国大統領の李明博(ィ・ミョンパク)が95年に書いた自伝が文庫新装版で出た。95年だからまだ大統領候補のだの字もない。しかし、現代建設会長の座を退き、政界に打って出たところで終わっている。李明博自伝大変面白かった。彼は典型的なモーレツ社員であり、そして成功者である。しかし一方で、苦学生で苦労人であり、この自伝を見る限りでは清廉潔白な人間のように思える。このこの自伝はこの10年以上のベストセラーらしい。いわゆる韓国のビジネスマンたちがどういう人間を目標にしているのかがある程度分かる。李明博は大統領候補やソウル市長になる前から実はすでに「神話の人」になっていたらしい。1960年代後半に現代に入社して以降、20代で理事(取締役)、30代で社長、40代で会長を経て来ていたのである。このころすでに「野望の歳月」「火の鳥」と彼を主人公にしたドラマが二つも作られていたらしい。(粗筋を見ると恋愛ドラマなので見るつもりはない。)最近の「英雄時代」は李明博の上司である鄭会長とサムスングループ会長とのドラマであるが、李明博も後半には出てくるらしい。(これはいつか見てみたい)韓国では、大企業の社長とかが「英雄」とか羨望の的になる。日本とはかなり違う。日本では決してお手洗じゃなかった御手洗冨士夫がドラマの主人公になるということはない。(しかし、この人ホントドラマチックな事を言いますよね。自分の会社が派遣を首切りしておいて「あれは派遣会社が首を切るのであってうちがやったのじゃない」んだって。)閑話休題。たしか、私の小学校6年のときのクリスマスプレゼントは「田中角栄自伝」だった。もちろん母親は大真面目である。そういう時代だった。そこでも苦学をしていたというエピソードが語られる。しかし、李明博は正真正銘の苦学であった。毎日働きながら、生活費を稼ぎながら、夜間高校に通い、(学年トップの間だけ学費免除があるので通学を許され、その間ずっとトップだった)、同じように綱渡りをしながら大学に入学をする。そして大学で韓日国交正常化反対の学生運動にのめりこみ、政府から指名手配されて監獄に入れられる。全く田中角栄よりもよっぽどドラマチックではある。監獄では彼は友人を決して売らず、黙秘を貫いたと書いている。しかし、学生たちは決して日韓友好条約を資本独裁による生活防衛のための闘争として戦ったわけではない。というのは(李明博はそう書いていないが)すぐに分かることではある。「軍事政権が韓日国交正常化を現実的な必要で捕らえたのに対し、学生と大多数の国民はこの問題を民族史の悠久の流れの上で捉えた」と書いているように、あくまで民族問題だったのである。しかしここまで学生運動をしている政界人は、日本政府にはいない。(良くも)悪くも、日本の政界人はお坊ちゃまばかりだ。あとはビジネスマンたちの教訓的な話が延々と語られる。それが国家的プロジェクト共に、李明博の出世驀進談と共に、語られるのだから、韓国の人たちは大変面白かっただろうと思う。しかし、「ところで、一生懸命仕事をしなければならない理由はなんだろうか。私にとってその理由は、生まれたこの地、韓国という国にあると思っている。 この地に生まれたということは、一生懸命働かなければならない運命を背負って生まれたという意味だ。お金持ちの両親から生まれた子供と、貧しい両親から生まれた子供の違いと同じである。先進国で生まれた人は、一生懸命働かなくても、寝食に困るということはなく、病気になる治療してもらえる。しかし私たちが生まれ、暮らしているこの地は先進国ではない。韓国は山河が美しい錦秋山とはいうけれど、資源もなく、国土も広くない。その上南北に分断されている。寝る間を惜しんで働かなくてはならない理由がここにある。」日本も勤勉の国ではあるが、韓国は輪をかけて(良くも)悪くも、勤勉な国である。そのひとつの理由がここにあるのだろうと思う。何しろいまや大統領の意見ですしね。この意見を書いたとき、すでに彼は国会議員ではあった。だとすれば「お金持ちの両親から生まれた子供と、貧しい両親から生まれた子供の違いと同じである。」といってはいけない、と日本人の私は感じてしまう。一日18時間365日働いたことをさも当然のように強調する大統領の元で私は暮らしたくはない。ところで、決定です。来年1月2日から6日、釜山からソウルにかけて韓国ぶらぶら旅をしてきます。南羅道の青銅器鉄器時代の遺跡を巡りたいのと、ソウルの隠れたスポットを回りたいと思っています。ハンギョレの社屋にはぜひいきたい。どなたか、取って置きのスポットを教えてくれませんか。
2008年12月11日
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昨日か書き損ねた「12月8日」のことを書こうと思う。もちろん1941年12月8日のことである。このまえ古本屋で珍しい本をゲットした。松田完一著「岡山の映画」(岡山文庫)。ほとんどの人は知らないが、1921年生まれのいわゆる生粋の映画ファンで、昭和の初期から裕福だった家の助けを借りて、幼少から映画を見てみてみまくった人で、映画グッズの蒐集家である。その彼がこの日のことをこのように書いていた。「その朝のことを、今も私ははっきりと覚えている。12月8日は、文化ニュース劇場で、アメリカ映画「スミス氏、羅府(ワシントン)に行く」が上映される筈だった。監督フランク・キャプラ、主演はジーン・アーサーとジェームス・スチュワートで(わが家の楽園)の名コンビ、東京大阪でも大評判で、岡山上映を待ち望んでいた。当時文化劇場では外国映画の一本立てを時に上映していた。その朝の号外で、米国に宣戦布告を知った国民の驚き、とうとうやったかと、一瞬何かもやもやしたものが吹っ切れた感じは誰しもであったが、わたしはものも言わずに家を飛び出した。近くの文化劇場に行く気になったのは、戦争は戦争、映画は映画といった気持もあったのは事実であった。劇場の入り口の広いガラス戸が粉々に割られ、横のウィンドーの窓ガラスも壊れ、スチールが破られて風に舞っていた。鬼畜アメリカの映画を上映する館に対するイヤガラセではなく、その向こうにある目に見えない敵国に対する憎しみの果てであろう。フィルムなどどうなっているのか、気がかりは館主ばかりでなく、ファンの一人としても気になるのであるが、中に入る勇気はなかった。アメリカはついに敵国になってしまったと思うと、うすら陽のなかを胸が高ぶってくるのであった。」ごく普通の青年の感想は以上の通りであるが、しかし、この田舎の岡山でも「戦争の熱狂」はいち田舎の映画館のアメリカ映画のスチールさえ許せなくて窓ガラスまで割るものなのか、私自身は少しショックだった。松田青年の映画の知識は凄いものがある。しかし宣戦布告の報を聞き、「何か吹っ切れたような気が」するのである。映画館が壊されたのは悲しいけれども、仕方ないものだというように考えもしていたのである。昨日は67年前に戻ったかのようなインディアンサマーだった。天声人語(12.7)には加藤周一氏がこの日をどのように迎えたかを書いている。〈周囲の世界が、にわかに、見たこともない風景に変わるのを感じた〉と心境をつづっている▼それは、住み慣れた世界と自分とをつなぐ糸が突然切れたような思いだった、という。高揚と無縁だったのは戦争の行く末が想像できたからでもあろう。帰って母親に先行きを聞かれ、「勝ち目はないですね」と吐き捨てるように答えたそうだ。「高揚と無縁だったのは戦争の行く末が想像できたからでもあろう」何故それが可能だったのだろうか。知識の問題ではない。教養の問題である。「教養の再生のために」(影書房)で加藤は以下のように語っている。車を動かして遠くに行くにはテクノロジーと技術が必要ではあるが、その目的を決めるためには『教養』が必要なのです。教養の中からは『自由』と『想像力』を引き出すことが出来る。教養の再生が必要です。しかも新しい形で。この「教養」はある時代までは加藤は「文学」だとも言っている。科学では価値観を変えることはできない。それが出来るのは、一部の宗教、あるいは文学だけだ、と。松田青年は1945年6月29日、岡山空襲にであい、彼の家にあった多くのコレクションは灰塵に帰す。そして、はからずも2年前の12月7日、松田さんは火事でコレクションとともに焼死したのであった。
2008年12月09日
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楽天ブックスから、本が届きました。カムイ伝講義田中優子著 小学館もう29年前の話ですが、大学教養学部の日本史の講義でまだ若い講師(名前忘れました)が言いました。「本多勝一というジャーナリストがいる。彼は「事実とは何か」という文章の中でおよそこのようなことを言っている。客観的な事実というものはない。主観的な事実というものはある。だから、事実を選んで記事を書くとしたならば、どのような立場に立って記事を書くということが、まず一番に重要なことである。それならば、私は「殺される側から」一番弱い者の立場から記事を書こうと思う。その立場から記事を書くことが、一番世界のすべてを書くことができる。とね。これは非常に重要なことです。歴史とは何か、と問うた時にそっくり同じことが言えます。支配する側から歴史をみると、たくさんのことを見落としてしまいます。支配される側から、歴史を見ることが大切です。だから、支配をした武士の立場から見た書物だけで歴史を書くと、なぜ封建時代が生まれ、それが近代に移行したか、何も説明することができません。農民の生産力の向上、それを支える社会のありようを記述しないと江戸時代はわかりません。しかし、そのような論理を突き詰めると、農民よりもさらに下の階級から、世の中を見ることが、さらによくその社会が分かるということでもあります。それをしたのが、白戸三平の「カムイ伝」です。ここには、一番差別された非人の目から江戸時代を見ている。白戸三平の方法は歴史学としては、非常に有効な方法だと思います。」この説明は私に衝撃を与えた。その当時、大学新聞を作っていた私は、ちょうど本多勝一の「事実とは何か」をテキストにジャーナリズム論を勉強していたのであるが、実はこの方法はジャーナリズム論だけではなく、「世界の見方」の根本の思想ではないか、と思ったからである。たぶんその時から、「カムイ伝」を何度も何度も読み返したと思う。田中優子のこの本は、別に「カムイ伝」論ではない。しかし、まさに「もっとも支配された側から見た江戸歴史学」を叙述すればこのようになるのではないか、という感じがする。田中氏は江戸時代の生活の中に入っていけばいくほどに、豊富なテキストや図版では欠けているものが見えてきたという。「びょうぶ絵、浮世絵、黄表紙、都市図などは確かに多いのだが、これらは都市の人々を描くことによって、あるいは「素敵な田園生活」のように農村の人々を描くことによって、消費の対象になったものなのである。」「もっと問題なのは、農民をとらえる視点である。江戸時代の都市で消費されるメディアにおいては農民は武士とともに野暮の代表で、軽蔑はしないにしてもかわいらしくおかしく書かれる。逆に近代の歴史家の視点では、農民は惨めで哀れに書かれる。」「しかし私が農書や研究書や民俗学で知りえた農民はそんなものではない。「百姓」と呼ばれることに誇りを持ち、その名の通り、実に多様で、一人の人間にいくつもの技量があり、自治的な村落経営を行い、権力と渡り合って自らにふさわしい生活を獲得しようとする、そういう知恵者で会った」「その姿を伝えられるのは「カムイ伝」の花巻村ではないだろうか」じつはまだ、パラパラとしか読んでいない。読めば読むほど面白くて、一気に読むのがもったいない気がするからである。けれども、お勧め度は高い。早々に紹介するゆえんである。
2008年12月02日
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先の「図書」での巻末編集者座談会のなかで、編集者はいろんなところか新書のネタを探してきていると書いていた。著者に惹かれて依頼する、あるいは新聞・ラジオ・雑誌・テレビ・インターネットから、講演会やシンポジウムから、社内外のネットワークから、‥‥‥。だからすべては時事問題ではない。驚いたのであるが、これまで決まった企画でまだ本になっていない企画が400ぐらいあるのだそうだ。20-30年越しに作られる本も少なくない。すでに亡くなった藤田省三氏、水上勉氏の企画もあったそうだ。まえに紹介した小田実の短文「世直し再考」も元を言えば、「世直しの倫理と論理」の全面改稿だった。一方では、時期を捉えての新書も多くある。しかし残念ながら、あまりにも速い時の流れに追いつくのには、新書は作るのに時間がかかる。そこで岩波にはブックレットと言う体裁がある。ここでやっと本論。世界金融危機岩波ブックレットNo.70 金子勝 アンドリュー・デヴィット2008年10月7日発行、11月4日ですでに7刷である。(「BOOK」データベースより)サブプライムローンの破綻から、原油高や食料難が拍車をかけて進む世界的規模の金融危機―。いま、何が起きているのか。そして、どうすれば食い止められるのか。深刻な世界同時不況と言われる現在の状況を、詳細に解説する。 だ、そうだ。わからないところも多かったが、とりあえず手ごろな金融危機解説本である。あとがきの「脱出口を見失った日本」が実は一番わかりやすかった。小泉構造改革が、如何に無責任に今回の事態を招き、そして無責任にも、誰も責任を取らないか、を告発している。「つまり小泉政権は「構造改革」と言うブレーキをふみながら、インフレターゲットに基づく金融緩和制作と言うアクセルを踏むという異常な政策を続けてきたのである。」この構造改革が如何に、今回の危機を克服する体力をそいできたか、小気味いい文章でずばりと切っている。ではどうすればいいのか。著者のこの提言は耳をかたむけるべきだろう。 先ず、何より、雇用や年金・医療などの社会保障を立て直すことを優先すべきだろう。税制についても、所得の再配分を強化することを優先して組み立てなおす必要がある。そうしなければ内需がますます減少してしまうからだ。もちろんばら撒き公共事業ではいけない。知識経済の元手のインフラ投資は、道路ではなく教育である。 次に補正予算を組むのはいいが、小泉政権期に膨らんだ財政赤字がある以上、大規模なものは無理だろう。制約のある中での景気刺激策は、将来につながる有効なものでなければならない。そう考えると、石油や食料高の中で、それに対応しつつ将来につながる産業政策が必要である。欧州諸国に大幅な遅れを取っているが、大胆な自然再生エネルギーへの転換や食料自給率を高める農業支援を急いで強化しなければならない。 さらに、将来起こりうる大きなリスクであるドル暴落にそなえ、東アジアレベルで、通貨や貿易の連携を強めるべきである。かつてと違って、ユーロという対抗通貨が生まれ、地域通貨ブロックの動きも強まっており、ドル体制は危うくなっている。内需優先の経済政策、産業育成に重きを置いた補正予算、アジアとの連携を求める外交、何か間違ったことを言っていますか?どうして政府はその一つとさえ手をつけようとしていないのですか?
2008年11月27日
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07年夏に「私のすすめる岩波文庫」と言う「図書」の臨時増刊号について書いた。岩波文庫80周年。この本によって私は「アリランの歌」を読むことが出来たのである。今回宮崎駿の表紙の「図書」が平台で置かれていた。(もちろん無料である)「私のすすめる岩波新書」と言う臨時増刊号である。岩波新書70周年だそうだ。巻末特集に初代編集長だった吉野源三郎の「岩波新書創刊の頃」と言う短文がある。創刊は1938年であるが、計画が始まったのは盧溝橋事件のすぐあと1937年の秋ころからだったと言う。「とにかく私たち、日本人はこの現実を直視しなければならない。そのためには何よりも先ず、日ごとにつのる偏狭な国粋主義の思想に抵抗しなければならない」と考えていましたが、そのとき目にとまったのがほかでもない、ペリカン・ブックスでした。簡便な装丁、時期を得た一流著者の書き下ろし、創刊の岩波新書は大きな成功を収める。創刊の辞は社長の岩波茂雄が書いている。「吾人は非常時における挙国一致国民総動員の現状にすくなからぬ不安を抱くものである。」驚いたのであるが、岩波は赤版の巻末のすべてに付されるところにここまで書いていた。まあ、無料なので、みなさん手にとって持ち帰ってみていただきたい。私もまたぞろ、読みたい本が増えてしまって困っている。最近姿を見せないで心配している加藤周一がコメントみたいな薦める新書を紹介している。1.「万葉秀歌」2.「物理学とはなんだろうか」3.「昭和史新版」加藤ならば1は当然として、2については「敗戦後日本の散文の最も美しいものの一つ。」と書いている。3については意外にも「それによって小生が軍国主義を脱却した本です」とある。新版ではなく、旧版によって、ではあろうが、それにしてもそんなすごい新書だったのか、昔読んだような覚えはあるが、もう一度読んでみよう。218名からの回答のうち、一番多かったのは「日本の思想」(丸山真男)だったそうである。むべなるかな。意外だったのは、「羊の歌」(加藤周一)がベストテンぐらいに入っていると言うことだ。いろんなタイプの人が加藤周一という人間を愛している。他に多かったのは、意外にも「バナナと日本人」(鶴見良行)9人である。鎌田慧が「いまや世界認識の古典的な教科書であり、ルポルタージュの方法の入門書である」と書いている。之も未読である。今回増刷されたようなので読んでみたいと思う。「万葉秀歌」は7人。当然だろう。教科書裁判で関心が高かったのか、大江健三郎「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」ともに人気が高かった。「沖縄ノート」はまだ読んだことがない。読みたい。「歴史とは何か」(E.H.カー)も6人の人が挙げていた。これは大学のときの演習で読んだ。これはぜひとも再読したい。「自動車の社会的費用」(宇沢弘文)という本を5人もの人が挙げている。どうやら経済学の名著らしい。雨宮処凛は一冊だけ挙げていた。川田龍平も「豊かさとは何か」「法とは何か」の次に挙げていた。金平茂紀というTBS報道局の人も挙げていた。この本のなかに今年発行の岩波新書があがるのがそもそも異例なのではある。それはこの本だ。「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果)巻末に新書編集者の座談会があって、このように述べられている。A「今年の一月に刊行した「ルポ貧困大国アメリカ」が大評判になっていますね。夏には20万部を超え、今もよく読まれています」B「時代を先んじたところがよかったのではないでしょうか。アメリカ社会があのような深刻な問題を抱えていると、みんなうすうす感じ始めていたところに刊行されたわけです。日本でも「格差社会」と言われていたのが、「それどころじゃない。いまや問題は貧困なのだ」と言われ始めたときでしたから、アメリカの話は決して他人事ではないと感じられたのだと思います。書評がたくさんでましたが、それ以前から売れ行きがよかった。ネットでさかんに取り上げられたことが効いているようです。」この座談会で、編集者たちはアマゾンの書評やブログなどを参考にしていることを告白している。それはブログの書き手の私たちにとっても非常に励まされることではある。出来ることならば、出来るだけ多くのブログに目を通して欲しいと思う。そして発売当初だけでなく、一年くらい経ったあとの感想にも目を通して欲しい。読書は決して流行ではない。真面目に読んだ人の感想から、次の新書の企画のヒントを汲み取って欲しいと思う。
2008年11月24日
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ちょっと仕事が忙しくて、なかなか記事がかけません。書きたいことや、書評や、映画評は山ほどあるのですが、いかんせん遅筆堂なので一回の記事を書くのに2-3時間ぐらい確保しないとダメなのです。(実際の書く時間ではありません)勝間和代ならば、喋るようにパソコン入力できるようなのですが、そして本で得た知識はいつもパソコンを持ち歩いていて、タグをつけてすぐにブログにインプットしているらしいのですが、なかなか真似はできないようです。さて、取り急ぎ最近発見した本「読書進化論」小学館新書 勝間和代著の紹介です。読書進化論「はじめに」の最初の10行でこの本の魅力は書きつくしています。そのうちの後半5行を書き写します。この本を読んでもらえると、何故いま、本野立ち居地が難しくなっているか、ウェブとどのように棲み分け、関わっていけばいいのか、どうやって本を選び、読みこなし、アウトプットにつなげるか、さらにブロガーや著者になって自分のメッセージを発信するにはどうすればいいのか、本をより売るにはどうすればいいのか、さまざまなヒントがちりばめられているはずです。このようにいたるところにまとめの文章が入り、全体的にも難しい言葉は使わず、なるほどと言う発想が多いのは偶然ではなく、まさにそれを意図して意識的に著者が書いているからだろうと思う。売れている自己啓発本では、トップクラスであるというのはよくわかる。触発されてあと二冊本を買った。おいおい紹介していきたい。リブロ青山店や丸善丸の内店などの本屋ぶらぶら歩記もあり、本屋の見方も参考になった。Chabo!という印税寄付プログラムを発想し、実践してたった三ヶ月で1000万を超える寄付を集め、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に役立てるようにしているところもすごい。この本で、勝間和代と言う人を発見したのが、一番の収穫である。
2008年11月20日
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知る人ぞ知る韓国の全国紙「ハンギョレ」は特異な生い立ちを持った反権力の新聞である。2000年に伊東千尋が週間「金曜日」に連載したルポをまとめたブックレットであるが、今回初めて読んで、大学新聞会OBとしては少し血が騒いだ。たたかう新聞「ハンギョレ」の12年 岩波ブックレット1987年軍事政権がいよいよ末期症状を呈していた頃、70年代に軍政に反対した記事を書いて職を追われたジャーナリスト四人が、新しい新聞を作ることを決意する。何が新しいのか。先ずは権力と資本から真に独立するために、資本金は民衆からの寄付で集める。50億ウォン(当時約8億6千万円)。韓国ドラマ「砂時計」でも触れられていたが、当時はテレビや新聞の信頼度は地に落ちていた。その不信感はBSEのデモなどを見ていると、おそらく今でもある。政府の言いなりの嘘の記事を書かない新聞は求められていたのである。そして幾多の苦労と感動的なエピソードのあと、その金を集めきるのである。それでもギリギリの設備と情熱だけの報酬でスタートせずに入られなかったにもかかわらず、やがて「ハンギョレ」は10代全国紙のなかで影響力では4位、正確と公正さでは一位の地位を得るようになるのである。コンピューター版組みと言う最先端の技術と、化石のような印刷機のもとで創刊号が刷り上ったときには、大きな歓声に包まれる。ほかの新聞と違うところは例えば、「世論媒体部」。常に新聞の一ページをメディア批判に充てることにする。例えば、「国民記者席」。読者の投稿を積極的に載せるのである。学生は大学の学生運動の動きを書き、労働者は職場の不正を告発した。もちろん記者は一切賄賂を貰わない。そしてたとえ記者クラブの所属していなくても、次第とハンギョレの記事は信頼を勝ち取っていく。例えば、こんなことがあった。財閥である現代建設に労組が出来たとき、労組の委員長が行方不明になった。会社側に雇われた暴力団に拉致されたのである。だが、当時の韓国ではそれが日常的な出来事だったこともあり、ほかの新聞は無視した。しかしハンギョレはそれを調査して大きく報道したために社会問題になり、現代建設だけでなくほかの大企業も労組に対してこれまでのような好き勝手しなくなったのである。このことは日本のマスコミも他山の石としていただきたい。歩いただけで逮捕!! と言う事体があっても、ついにはマスコミは警察の一方的な発表以外は一切報道しなかった。6日に三人は釈放されたらしいが、もしもハンギョレのようにきちんと報道していたならば、かえって特ダネをものにすることが出来たに違いないのである。ハンギョレは徹底的に民主的な会社である。労組はもちろんある。むしろ記者評議会としての役割を担っている。さらにすごいのは、社長と編集局長を選挙で選ぶのである(97年より)。そして実際に選びなおされている。(元が反動的であったわけでは全然ない。)給料も、ほかの全国紙の三分の一。しかも、高卒と社長との開きは3.5倍しかない。副編集局長の金孝淳氏は日本についてこのように言う。「日本の新聞は韓国と比べて成熟していますが、それと正反対に社会は不正に陥っています。今の日本のマスコミには、先頭に立って闘う姿勢や勇気が弱いのではありませんか。韓国の新聞は、政府が悪いことをすれば突きます。日本の新聞は攻撃的な記事があまり見えません。日本の記者は礼儀正しすぎるのではありませんか。一般の読者に伝える義務を怠っているのではないでしょうか。」おおいに同意する。7日に数少ない「先頭に立って闘う姿勢や勇気」のある一人のジャーナリストが亡くなった。筑紫哲也氏である。私は彼の仕事のすべては支持しない。また、いつも注目していたわけでもない。けれども、アンカーや編集長を離れて個人に戻ったときに発する言葉や記事の幾つかには共感することが多かった。来るべき憲法改悪国民投票の折には、マスコミのなか苦しいだろうけれども護憲の立場で何らかの役割を果たしてくれるであろうことを期待していた。来るべき関が原で護憲側の有力な武将だった。突然ではあったけれども、かっこよく、みごとな戦死であったと思う。私はあくまで遊軍の中のしがない一兵卒に過ぎないけれども、噂に聞こえたかの大将の戦死を此処で悼んでいる。
2008年11月08日
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最初著者の半自伝「在日」の中で自分はうつ病にかかっていたと告白していたのでてっきりその体験を詳しく論じた本かと思っていた。ところが、それはほとんど書かれていない。あくまでウェーバーと漱石の著作を借りて一般論としてすすめる。そのストイックで頑固な書き方がいかにも著者らしいと感じた。悩む力この本は「悩み相談ハウツー本」としてよりは「夏目漱石読本」として読んだほうが、案外期待に応えることが出来るように思う。「三四郎」「門」「心」「それから」「行人」「明暗」等々漱石の「悩む力」をうまく引き出しながら論じている。この本は著者の誠実な生き方を反映してお勧めの本なのだが、この文章が素晴らしいと特別抜き書きするのが難しい。(私の理解力不足?)一方でこの本が売れているという。そのことに現代の深刻な状況があるのだと思う。答えは見つからないけれども、どうも不安だ。自分はダメな人間だ。本当にダメなのか?そんなときにはこの本は役に立つだろう。あなたの不安は実は漱石の不安でもあり、私の不安でもあると。例えば「精神医学者で思想家のV.E.フランクルは、人は相当の苦悩にも耐える力を持っているが、意味の喪失には耐えられないといった趣旨のことを述べています。」といいながら、アウシュビッツの強制収用所で、年齢の上でも体力でも劣る自分が生き残り、強健で若い人が死んでいったりした例を述べます。「命を粗末にしてはいけない」という素朴な「慣習」で自殺を食い止めていた昔とは違い、「自由」が進んだのと引き換えに個人は「寄る辺のなさ」を味をなくてはならなくなっている、著者は論じます。「心」のなかで先生は同じようなことをいいます。それでも最期には先生は「私」に手紙で打ち明けてくれた。そこに著者は「人と人とのつながり」の中に希望を見るのです。単純に「死んではいけない」とは、私には言えません。でも、「人との繋がり方を考えて欲しい」とは言いたいのです。繋がるためにはどうしたらいいかを考えて、その意味を確信できたとき、たぶん「生」も「死」も両方、同時に重みを取り戻すのではないかと思うのです。そう信じたいのです。閑話休題終章では著者の夢について語っている。なんと前に私が紹介した「アリランの歌」を映画化したいというのである。「南北統一の暁に日中韓米ロ共同で制作するのです。シリアスに作ると当たり前になってしまうので、ミュージカル仕立てにします。映画のオープニングシーンは、満州の原野のロングショットで、ひとりの男が歩いています。彼はアリランの歌を口ずさんでいて、そこにカメラが次第にズームアップしていきます。男と言うのは、もちろん私です。」著者はずいぶん鬱屈した人生を送っているので、開放された暁にはこれくらいのことはやりかねないと、私は思った。確かに「アリランの歌」で書かれていることは、歴史的な事実であるのと同時にキム・サンの波乱万丈のドラマでもあるので、映画化は私も夢想した。けれどもミュージカルはちょっとやりすぎだろうと思う。確かにシリアスになると、マイナー作品になる畏れはあります。それは避けなくてはいけないけど、南北統一と言う世界的事件がもし実現できたならば、そのとき日中韓米ロ共同が実現できて、有名監督が作り、そこそこ有名俳優が出演すれば、十分世界配給が出来る大作にすることが出来る。そのとき主人公はもちろん著者ではない。著者にはキム・サンの生涯の同志、金一教授をしてもらおう。
2008年10月17日
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昨日に続いて伊藤千尋の本です。この本はつい二週間前に買った本。今年の5月3日発行。値段は本体999円。このこだわりが素晴らしい、そうです、「活憲の時代」です。活憲の時代シネ・フロント社 伊藤千尋【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 活憲の時代―コスタリカから9条へ(世界一周の旅から―憲法を活かす世界の人々/9・11後のアメリカ/平和と空気を輸出するコスタリカ ほか)/第2章 戦後責任をどう果たすか―『白バラの祈り』より(ドイツ:ナチスの時代と現在/1980年代のチリを取材して)/第3章 どんな社会を目指すのか―『シッコ』より(交通事故に遭っても救急車に乗るな!/公的な健康保険制度もないアメリカ/戦争には金の糸目はつけないが、国民を助けるためには金をださない ほか)/かんそう 講演を聞いて/活憲の時代―あとがきにかえて 第一章の内容はおもにはすでに「勇気の源は何ですか」伊藤千尋講演会 で紹介したところとたくさんダブル。けれども話の種として使える話題ばかりなので、改めて本で読むと考えることが多かった。注目すべきは、第二章である。素晴らしい映画「白バラの祈り」論になっているのと同時に見事な平和運動論になっているのである。私はこの映画のことを未来を知る者「白バラの祈り」で、「彼らの情勢分析は正しかった。1943年2月19日時点で、スターリングラードで戦争の趨勢をはっきり定め、精神障害者やユダヤ民族の虐殺を明確に知っていた。ドイツ帝国の終わり前の2年3ヵ月前に正確に未来を予測していたのは、エリート将校たちではなく、これらの学生たちだった。情報が少ないからといって未来が見えないわけではない。」ということを中心に書いた。しかし「彼ら」は特別ではないということを、私はこの講演で知る。この映画は事実を元に作られたらしいことは知っていた。けれども監督がその事実を発掘したのだということは知らなかった。尋問記録を見たのはローテムント監督が初めてだったのだ。「ゾフィー・ショルというのは、すごい英雄かと思ったら、そうじゃないんだ。はじめは全く普通の女の子だった。その普通の女の子が4日間の尋問のなかでどんどん強くなっていった。」よく言われるけれども、ドイツは過去からの教訓をよく学ぶ。しかし日本は違う。そこが日本とドイツの大きな違いなのだ。それを著者が監督にいうと意外な答が返ってきたのだそうだ。「それは別に日本人とドイツ人と違うとか、そんなことじゃない。ドイツだって、実は前はそうだった。今から20年前、1980年代のドイツでは、昔のことは思い起こしたくもない。もうそんなことは忘れたいという風潮だったのです。」監督はだから、あと何十年か経てば、日本も自分の過去にきちんと向き合い、周りの国と一緒にやっていけるようになる、と言う。その期待に私たちは応えることが出来るのだろうか。
2008年09月23日
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茶番劇が一段落ついて、麻生自民党新総裁が決まったようです。最初の記者会見では、「景気がそこそこと思われるのに、全治3年と表現してきたが、3年ぐらいかかるのではないか。消費税増税を考えるのはそれから先だ」と述べている。つまりは3年後には消費税を上げますよ、と言っているのにひとしい。過去消費税の税収分がそっくりそのまま法人税の引き下げ分に使われたということもある。例えば消費税増税反対その一点だけでも倒さなければいけない内閣なのである。自民党がなぜ当初言っていた年明け解散や11月選挙をさらに早め、10月26日解散を言っているのか。まさか麻生人気がそれまで続くと軽く考えているわけではないだろう。(考えていたりして)私はアメリカ大統領選挙で民主党が勝つようなことがあれば、雪崩を打って大敗してしまうからだろうと踏んでいる。けれども日本で民主党が一人勝ちをしても私は嬉しくない。それと同じようにアメリカ民主党が勝っても私はそれほど嬉しくない。二年前の日本平和大会で草の根市民政治家T・J・Jonson氏が言っていたことを思い出す。ジョンソン氏は「ブッシュが破れたからといって、アメリカの外交軍事戦略の将来における変化を期待しないほうがいい」と言います。民主党はイラク戦争を支持しており、両党とも国防費の値上げに賛成、軍事政策の要石として核兵器に依存、イスラエルへの軍事援助を支持しているらしい。アメリカの方針を変えるには、政治家の頭が変わるのではなくて、この巨大帝国の環境を変えるしかないのだろう。そしてそれは徐々に実行されつつある。反米大陸そのことをうまく解説しているのが伊藤千尋の「反米大陸」だ。(やっと本題にたどり着いた)伊藤千尋の「反米大陸」について、少しさわりを紹介したことがある。明白な運命「ノーカントリー」ここでは、アメリカの「リメンバー方式」(「9.11を忘れるな」)はアラモの砦事件(1845年)のときから伝統であり、そうやって自国の愛国心を煽り、一気呵成に力で他国を制圧するというのが今も昔も変わらぬアメリカのやり方なのである。と言うことを書いている。この本はいろいろと反響のあった本だった。松竹伸行氏も褒め、それをうけてお玉さんは講演を聴きに行き、「猫の教室」 平和のために小さな声を集めようでも詳しい書評を載せている。あるいは、ヨーコさんが「侵略の先兵 海兵隊」について彼らが「グリンゴ」と呼ばれることの由来について紹介している。「グリンゴ」と言う言葉ですぐに思い出すのは、手塚治虫の未完の遺作「グリンゴ」である。漫画の中では一応「よそ者」と言う意味でグリンゴと言う言葉が使われている。南米でさまよう日本人商社マンが主人公。残念ながら、主人公が南米のいろんな社会を見聞きする最初の頃で終わってしまっている。けれども本来の意味は伊藤も言っているようにアメリカ人の呼び名であり、「緑の軍服を着た海兵隊の兵士に向かって、「グリーン・ゴー(緑よ、出て行け)」と叫んだのが日常化して、呼び名となったともいわれている。」なのである。手塚が生きていれば最後にはそういうアメリカと南米との矛盾に触れるまでに行ったのではないかと私的には思うのですが。伊藤氏は「アメリカはもはや「落日の超大国」といえる。」(206p)と述べている。このように言う人は最近とみに多くなった。『イラクの小さな橋をわたって』 の文庫版あとがきで池澤夏樹も言っている。「アメリカは頂点を過ぎた。テクノロジーが全てを加速する現代にあってはことの変化は速い。ローマ帝国が凋落するには数世紀を要したが、今は世紀を百年維持するのも容易ではない。最盛期は速やかに去る。そういう焦りが今のアメリカを動かすもっとも強い動機なのではないか。影響力を失い、資源を浪費する今の暮らしがこれからは維持できないのではないかと脅えるアメリカ。どう考えても合理性に欠けるここ数年のアメリカのふるまいを理解するにはこの説明がもっとも分かりやすい。」そして伊藤氏は言う。「こうしたなかで、アメリカにただ従うだけなら、日本は生き残るどころか、アメリカの餌食になるのが落ちだろう。それは中南米の歴史が示している。」そうならないために伊藤氏はアメリカだけでなく、外交の手をアジアに広げるべきだろう、と言う。同感である。さて、今年の秋には避けること能わず大きな歴史の分岐点がやってくる。2001.9.11、2005.9.11、2007.7.30は間違いなく高校生の歴史教科書に載せて良い年月日である。今年の秋、もうひとつそれが付け加えられるかもしれない。
2008年09月22日
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吉備人出版は岡山県の地方出版社で、吉備の古代遺跡の本を系統的に出版しており、大変お世話になっている。目に見えるし派手な古墳時代と違い、弥生遺跡の解説本は少ない。しかしこの「吉備考古ライブラリィ」では、すでに弥生時代の遺跡本が三冊、鉄や製塩などをテーマにした本を入れると、五冊刊行されている。この「吉備の弥生集落」は、県南の街中にあるために土地の名前は一番なじみが深くて、しかしそのわりには全体像がよく知られていない上東遺跡と百間川遺跡を中心に叙述されている。吉備の弥生集落特に上東遺跡は、その当時日本列島最大にして質的にも最高の弥生墳丘墓のある楯築の南側にある弥生住居遺跡であり、私がもし弥生時代をテーマに小説を書くとしたならば、主人公はここを故郷として旅をするようになるだろう、というくらい重要な遺跡なのである。この本で、イメージが大きく広がった。ありがたい。例えば、この遺跡は全国的にも珍しく船着場の遺構が見つかっているのであるが、そこで見つかった弧帯文や絵画土器などを元に出航の儀式をも想像できるようになった。また、全国数少ない製塩場があったところであり、どのくらいの塩が採れるか計算している。あるいは米の量も計算しており、余剰米と塩で、どのくらいの国力が持てるか想像できるようになっている。聖なる山の「中山」を背景に、吉備の表玄関としての上東遺跡。物資だけでなく、ほかの地域社会の動静やさまざまな情報の集約場所。大和、北九州、朝鮮半島。その様な情報基地としての機能などをいろいろと想像した。米と塩で鉄の輸入を可能とし、それを地域に分配することで、吉備を大きなクニとしてまとめることに成功していたのかもしれない。それから約400年後、吉備に「まがね吹く」という枕詞が与えられるようになる。私は相当早い時期からおそらく弥生時代から古墳時代に移る直前、吉備の若者が伽耶の国から製鉄技術を盗んだと見ているのだが、それは「未だ語られざる物語」なのではある。
2008年09月02日
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「在日」 姜尚中 集英社文庫姜尚中(かんさんじゅ)は90年代「朝まで生テレビ」で突如出現した在日の論客、というふうに一般には思われているらしい。私がこの人を知ったのは、ずっと遅く、テッサ・モーリス=スズキとの共著『デモクラシーの冒険』(集英社新書、2004年)からだった。それまでは彼の発言は一切知らなかったし、本も読んだことは無かった。この本で初めて、新自由主義の理論的な批判を読んだ。今から考えれば、その窓口に過ぎないのではあるが、そのころなぜ「ネオ・リベラリズムとネオ・ファシズムがうまく結合する」のか、不思議でならなかったのではあるが、うまいこと説明してくれて膝をうった覚えがある。その後彼が憲法調査会で「東北アジア平和構想」をぶち上げているらしいと聞いて、一挙に関心が高まったのである。姜尚中の強みは、日本人でもない、韓国人でもない、ちょっと外れた視線から日本と世界との関係を見る、その位置にあると思う。それがどこから来たものなのか、この本では赤裸々に書いている。貧しいながらも、情に溢れていた熊本時代。上京して早稲田に入学、しばらく逡巡したのちに「永野鉄男」から「姜尚中」になることを決意し、韓国文化研究会(韓文研)に所属する。そこで70年前半の朝鮮半島統一をめぐる「運動」に参加。やがてドイツに留学。そこで、たそがれのソ連、イラン革命、などを肌で感じる。アメリカ経由ではない、本当の社会主義像やいイスラム社会への見方、マックスウェーバー、大塚久雄経由の社会学の批判的継承などを受けたのが、姜尚中の強みである。「六カ国協議を通じて北朝鮮の非核化を成し遂げ、それに対応して南・北・米・中四カ国による朝鮮戦争終結宣言と平和協力体制の構築が実現されれば、米朝の正常化が進み、同時に日朝の正常化も前進するのではないか。そして「拉致問題」は日朝正常化の具体的な進展に合せて解決の糸口を見出すことが出来るのではないか。さらにこうした一連の経過とともに、東北アジア地域の平和と安定のメカニズムが作られ、それを通じて軍備の管理や軍縮が話し合われるようになれば‥‥‥」という姜尚中願いは、私自身の願いでもある。この人の文章を読んでいると、やはり「血と情」の韓国人なんだなあ、と思う。肉親を思う気持ちはやはり濃くて熱いのである。
2008年08月20日
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最後の言葉渡辺考 重松清 講談社文庫NHKの番組から出来た本であるらしい。渡辺プロデューサーが戦後60年、ワシントンの国立公文書館に保存されていた二十あまりの文書を見つける。太平洋戦争中、米軍は日本人のメンタリティや日本軍の戦略を分析するために、戦死した将校が書き遺した文書を集め、翻訳していたのである。その一つの文書の遺族を探し当て、案内人に重松清を充てて長田和美海軍大佐の日記を95歳のボケが始まったという妻のところへ届けに行くと言う企画である。当初、妻の静江さんは驚きながら意外にも「もう昔のことやから、思い出すのもつらかもん。いまさら、いない人に何もしてやれんけん。日記も見とうなかもんね」と拒む。渡辺プロデューサーも最もだと思い、静江さんの戦後の苦労物語を聞いて帰るのである。数ヵ月後、やはり「日記を見てみたい」という静江さんの気持ちを聞く。重松清が日記を携えて静江さんに逢いに行く。静江さんは補聴器を耳に当ててその言葉に聞き入っていたが、日記を受け取ると、表情が一変する。食い入るように文章を目で追っていたかと思えば、しばらくすると声をだして読み始めた。「「敵の戦闘機の砲撃や空襲が頭上を飛びかっている」大変な状況だったんだな」そして静江さんの息遣いが荒くなり、突然声を出して泣き崩れた。眼鏡を外し顔を両手で覆う。(そのとき、静江さんが呼んでいたのはこのくだりである。)わが妻、シズエへ。何も言い残すことが無い。君と結婚して17年がたった。幸せな思い出に満ちた17年だった。来世への思い出でこれ以上のものは無いだろう。君に何とか恩返しがしたかった。感謝の気持ちでいっぱいだ。わたしのぶんも子供たちを可愛がって欲しい。私が至らぬために、子供たちに迷惑をかけるかと危惧している。今後、日本はほんとうに困難な時期を迎えるだろう。日本はあらゆる勇気を奮い起こして、困難を乗り越えなくてはならない。君は優しすぎる。父親を亡くした息子たちのよい相談相手になってやり、彼らを強く、廉直な日本人に育ててくれ(静江さんはずっと泣き続ける。)重松さんが静江さんに語りかける。「夫婦仲は良かったんですか?」静江さんは満面の笑顔で、はっきりと答える。「よこどころじゃないですよ。やさしいんですもの、とっても」(略)「和美さんの一番の思い出はなんですか」重松さんの問いは続いた。静江さんは笑いながら答える。「一番なんて‥‥‥。思い出がいっぱいありすぎて。ほんとうに幸せでした。こげな幸せなことないっていうほど、幸せでした」死んで日本に届くかどうか分らないまま、つづられたその様な日記と遺族との邂逅はほかにも三組ぐらい続く。このような日記もあった。沖縄から出征した比嘉正陸軍上等兵の日記である。戦争は悲しい。妹が死んだといっても、世界は変わらぬままだ。朝になると太陽は輝き、風は優しく頬をなでる。しかし、雨は普段にまして多い。身の回りのものはすべて腐ってしまった。(略)飢えながら我々は行進している。兵士たちは青白い顔だ。日本刀を杖にして歩いている奴もいる。前進することは死を意味している。状況は考えられないくらい最悪なものだ。撤退命令も無く、我々の命は風前の灯だ。私は戦争を引き起こした人間が憎く思えてきた。(昭和18年8月10日)比嘉さんはソロモン諸島の一つコミロンパガラ島で戦死する。60年以上たってから日の目を見た日記はまさに「戦争は悲しい」ことを証明し、現代への警告になっている。今年は初盆(はつぼに)である。この三日間夕方に「おかんき」(仏前で拝む)しかしていないけど、比嘉さんの「私は戦争を引き起こした人間が憎く思えてきた」気持ちをしっかり受け止め、その目を早いうちから(しかしすでに芽は育ち始めているのかもしれない)摘み取りたいとは思う。
2008年08月14日
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報道によってわかるのは、切り取られた恣意的な部分でしかない。全体を見た上で評論するのがベストである。評論を見て、見た気になるのは非常に危険だ。だから、私は映画や本についての評論は、見たうえ、読んだ上でないと書かないようにしている。タモリが赤塚不二夫の弔辞を読んだ。「私もあなたの数多くの作品のひとつです。」それは一面タモリの思いを代表してはいるだろう。けれども、それでタモリの思いをわかったような気になってはいけないと思う。その場にいれば弔辞の全文を聞くことができた。タモリの思いはその「全文」なのだ。これは一般に人の思想を論じるときの基本姿勢である。必ず原文に当たる。ずっとあの全文を読みたかった。今日たまたまそれを見つけたので、紹介し、あの弔事について、「評論」したいと思う。「私もあなたの作品…」タモリの弔辞全文(日刊スポーツ)決して優れた文とは言えないけれども、想いのこもった名弔辞であると思う。あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。これは一方で、タモリの生き方そのものでもある。タモリと話す人はどんな人でも、笑いがとれる対談になってしまう。しかも決して人を貶める笑いは絶対に取らない。あの話術は後世に残るだろうと思う。その裏には強烈な反骨精神もありました。と赤塚のことは、いっているけれども、ついには具体的には述べませんでした。タモリの中にそれは入っていないので、当然でもあるのです。本当は全文をそのままコピーしようかと思いましたが、長くなるので省きました。
2008年08月08日
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人生の教科書「情報編集力をつける国語」著者: 藤原和博 /重松清 ちくま文庫かなり読み応えのある国語練習帳である。藤原先生の国語の授業をそのまま本にしているのだが、教材がいしいひさいちの「ののちゃん」だったり、重松清の中短篇だったりするので、最後まですこしづつ読ませてしまう。目次を拾うと以下の通り。第1章 重松清の『ワニとハブとひょうたん池』で、「表現法」をトレーニングする(自己紹介はドラマチックに/他人の気持ちを知る/比喩を使いこなす ほか)/第2章 重松清の『エイジ』で、「思考法」とトレーニングする(ものごとを立体的に組み立てる/“世間”に惑わされない/人間関係を図で表す ほか)/第3章 古典講座 日本語の文章はこうして生まれた!(男の文章と女の文章/「ひらがな」と「カタカナ」/「ふつうの日本語の文章」が登場する鎌倉時代は、日本文化の大転換期 ほか)/第4章 コミュニケーションの「わからなさ」について(乗り換え案内) ほんとうは私も、きちんと学生のようにレポートを事前に出した上で次の授業に進めば、もうちょっと文章も磨かれるのだろうし、コミュニケーション力も増すのだろうと思うのだけど、なかなかそうは行かなかった。重松が授業に乱入して、結論を出さずに帰っていったときなんか、生徒に対しては羨ましいなあ、と思った。いま、教育の現場ではどのようなことがおきているのだろう。私の知り合いの美術の中学教師にどのように成績をつけているのか聞いてみたが、結局試験の絵のうまさ、だけでは大きい点はつけられないのだそうだ。宿題の提出率等、数字で表されるもので点をつけざるを得ないのだそうだ。「そんなの、要領のいい奴だけが成績が良くなっていくじゃないか」「仕方ない。そうしないと上が納得しない。」「ボクなんか、絵のセンスだけで、いつも美術は一番上だったけどなあ。そんなんだったら、絵の才能を持ったものは埋もれてしまうよ。」仕方ないのだ、と言う。全国学力一斉テストの弊害なのかなあ、とも思う。生徒たちが自分で考え発信する、先生はそれを助けるために適切な教材と「時間」を与える。必要なのはそういう単純なことなのだけど、たぶん難しいことなのだろうと思う。
2008年08月04日
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生き地獄天国雨宮処凜著 ちくま文庫解説は鈴木邦男である。彼はこのように書いている。 これはもう現代の「聖書」だ。認めたくはないが、これは事実だ。苦しみ、悩み、絶望して死ぬ。そして復活した。奇跡の物語だ。彼女は語りかける。生きることに疲れ、生きる意味を見失い、居場所がないと思っている多くの人に語りかける。「悩むことはない。恐れることはない。私もそうだったんだ。涙に濡れた顔を上げなさい」と。やさしく慰め、ときには荒々しく叫ぶ。「私を見なさい!」と。(略)発想が限りなく自由だ。だから運動も自由だし、若者も集まる。僕は40年も右翼運動をやり、やっと分かりかけたことを、雨宮は数年でクリアーする。右翼も左翼も超え、新たな地平で運動を開始する。これは凄い。とてもかなわない。(略)二千年後も、悩みから復活したセイント雨宮として人々の記憶に残る。私たちは、その聖人と同時代に生きている。私たちも「使徒行伝」を書こう。そしてこの「聖書」を携えて、この世界を変えるのだ。 「聖書」であるかどうかは別として、これは「奇跡の物語」であり、私たちは彼女と「同時代に生きている」し、多くの人が読んで「世界を変える」きっかけになればいいな、と私も思う。 一番ショックだったのは、小中学校時のいじめられ、いじめ経験を赤裸々に綴っている部分である。 小学三年生の時だったと思う。 イジメられることが本格的に辛くなりだした私は、下校途中、近所の犬に無理やり石を食べさせたり、傘で殴ったりし始めた。そのうち、犬じゃ物足りなくなって、今度は自転車で遠くの町までいって、道端で遊んでいる見知らぬ小さい子供を殴ったり蹴ったりするようになった。 小学校も高学年になると、掃除の班が一緒だった、気の弱そうな下の学年の子を放課後理科室に呼び出して、殴ったり、理科室にあるいろいろな薬品を食べさせたりした。頭から白い粉をかけたら、次の日その子の頭頂部が禿げていたことがあった。その子の禿げあがった頭を見ても、自分が特別ヒドイことをしているとは思わなかった。だって、私がいつもやられていることだから。 中学生になって、下級生たちにもバカにされだすと、私は心の中で、自分よりも弱いものを徹底的にいたぶることばかり考えた。 一度、下校途中に子供を誘拐しかけたことがある。「おいでよ。一緒に遊ぼう」って言ったらほんとについてきてしまったのだ。学校と家の、ちょうど真ん中ぐらいにある駐車場で、うつむいて地面に絵を描くその白くて細い首に、わたしは手を伸ばしかけた。「アイツにこんなことができるなんて」 私を人間扱いにしないクラスメートたちが、初めて私を認めてくれるような気がした。 でも、やめた。私は震える手で、その子の頭をぎこちなく撫でた。そのまま手を下に伸ばせば、私は一人の子供を犠牲にして、「人間」になれたのかもしれない。それから一週間近く、そんな勇気もない自分に、ひたすら嫌気がさした。 ここに今現在の秋原事件に代表される「誰でも良かった殺人」の犯人たちがいる。雨宮は「奇跡的に」それをしなかっただけだ。「もうそうするしか、自分を保つ方法なんてなかった。ほかにどんな方法があったのか、今でもわからない」と雨宮自身が書いているように、何が彼女をしてそうさせなかったのかは、結局わからない。 けれども、たぶん、今、地獄の底にいる人には、何かのヒントがあるに違いないと私は思う。 その後も彼女は一歩間違えたら、自殺したり、精神病棟で隔離されたり、どこかの街角で惨めに死体になったり、朝鮮やイラクで事件に巻き込まれて死んでいたりしてもおかしくない人生を過ごすのだが、雨宮は奇跡的に復活する。 例えば右翼の方たちと付き合う中で、彼女は自分の言葉を見つける。 私は間違っていない!間違っているのは時代のほうだ!私を認めてくれない、必要ともしてくれない、時代のほうだ! そして今の活躍はご承知のとおりである。 9月に「同時代に生きる」生の彼女の講演を聴く予定である。この聖書を携えていこうと思う。もしうまくいけば、彼女の聖なるサインがもらえるかもしれない♪
2008年08月03日
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「ソウルの練習問題」関川夏央 集英社文庫韓国がまだ「近くて遠い国」だった時代、「ありがとう(カムサムニダ)」をちゃんと言えるだけで、「よく話す外国人」になれた時代、小企業社長のペーさんが、韓国のOLたちが焼酎を飲みながらくだを巻いているのを箸で指差して曰く「あれはなんですか。女どもも酒を飲みに来るですねえ。困ったもんですわ、全く。日本ではそうですか、いくら進んでいるといっても、日本ではまだあんなことはないでしょう?考えられんことですわ」と、苦々しく言えた時代、つまりまだ家父長制がはばを効かせることが出来た時代、80年代初め、何度も旅行人として、韓国に渡った日本の青年がいた。関川夏央である。このときの関川のように、まだカタコトしか韓国語を話せない、まだカタコトしか韓国の文化を知らない、それでも飽きずに一人旅をする、私のようなものに、うなずくことの多い本だった。例えば。朝鮮人にもむつかしい発音はあるのだそうだ。「これらの要素を全部ひっくるめて、日本人が残酷なゴーントレットとして使用したフレーズが、「15円50銭と言ってみろ」である。このために何人の朝鮮人が命を落としたか、分らない。」そして続けて、われわれが朝鮮人を無意識のうちにその様に差別しているように、異邦人の日本人は同じように差別されているのだ、と指摘するのである。「われわれも、かの地においては朝鮮語をどんなに自在に操ろうと、チュゴエンコチチッセンと叫んでいるのだということに気づかなくてはならない。両足の、親指だけが離れているという選別方法はすでに現代日本人には無効だろう。その代わりに、われわれは朝鮮語で、朝鮮語の「チュゴエンコチチッセン」を言わされ、嘲られるのだ。」去年の韓国旅行時、密陽のバス発着場のチケット売り場の人に「ボストォーミナルカジ」(バスターミナルまで)と言うと、簡単に日本人であると言い当てられたということはすでに書いた。もちろん売り場の彼は親切だった。しかし、異邦人として超えることのできない壁は、いつも必ず存在する。この本が最初に出版された1984年から比べると、関川のように旅する日本人は私を含めて溢れかえっている。だからこそ、反対に意味のある本でもある。
2008年07月28日
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今朝子の本音トークが小気味いい、「今朝子の晩ごはん」を読んだ。今朝子の晩ごはんポプラ文庫 松井今朝子どうやらあさのあつこの文庫書下ろしと並ぶ、ポプラ文庫の「売り」のためのシリーズらしい。新直木賞作家の日常生活をつづった公式ホームページの日記を文庫にしたのだそうだ。私としては、巻末に「解説漫画 萩尾望都」の文字を見て、購入。ガラパゴス旅行記になっていた。二人とも亀好きなのである。どうやら今朝子さんは京都祇園の老舗料亭の娘らしく、いくつかの晩ごはんは羨ましく、いくつかは試してみたいようなものになっている。彼女の趣味や嗜好の半分近くは私の嗜好と重なっており、特に石原嫌いのところなんか小気味良くてよろしい。あと、例えば映画「太陽」の簡単なコメントが載っていたが、「「人格」を奪われていた天皇を「子供みたいな人」としか描けない映画の不備」を指摘するなど、非常に鋭い。楽しみながら読めるエッセイ集だった。考えたら、ホームページがあるのだから、それを紹介すれば中味の紹介も出来る。と、いうことで、まだ文庫本になっていない部分ではあるが、適当に選んでコピーしてみる。安倍のドタキャン降板のところはこうかいている。2007年9月14日の日記次期首相はどうやら福田氏で決まりのようだが、同じ毛並みが良いだけのボンクラなら、人柄がいい分まだ前のほうがマシだったという結果を招いてはなるまいと崖っぷちに立った自民党は判断した上で、性根の歪みが唇にあらわれている幹事長よりは、シニカルな腹話術人形(みたいな顔である)を選んだに違いない。この「シニカルな腹話術人形」という福田像については、「まさにその通り」という感じであり、改めて、小説家らしい目の鋭さを感じた。「性根の歪みが唇にあらわれている幹事長」とは、もちろん麻生氏のことではある。鋭さに関していえば、つい数日前の7月14日の日記には、ここ連日TVの報道番組では大分県の教員採用をめぐる汚職事件が取りあげられているが、私自身は教職も取らなかったし、子どももいないので、正直言ってこれまで学校の先生にはどんな人がなってるのかという興味すら持ったことがなかったのだけれど、今日のNHK7時のニュースで「教師には世襲が多いから」という発言があって、それはすでに世間の常識なんだろうなあと思いつつ、へえ~そうだったんだ~と呆れてしまった。そもそも人から師と仰がれるべき人物がそう沢山いるはずはないので、近代を出発点とした学校教育というものに過度な期待をしてはならないし、すでにその本来的な使命は終了していると私は常々思っているが、近代を出発点にしているからこそ、議会の議員と学校教師は「世襲」からほど遠い存在で本来あるべきはずだったのではなかろうか。なぜなら「世襲」というシステムは狭く閉じられた社会を維持するのに有効な方法であり、閉じられた社会での特殊なコミュニケーションで成り立つのに対して、議員と教師はより広く普遍的なコミュニケーションを目指した職業だからであることは今さらいうまでもない。はっきり言って、まさかそんな人ばかりではないと信じてはいるけれど、ひょっとして親の職業以外の職業が思いつかないほど好奇心や発想力に乏しい人が議員だの教師だのになられてちゃたまらんぜ!という気持ちになりました。下線の部分は非常に鋭く、いかにも江戸時代を舞台にしたし小説を書いている方らしいコメントでした。
2008年07月20日
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土日と用事で京都に行っていました。現在京都の街中は祇園祭の準備で特別な雰囲気があります。こんちきんちん、こんちきちきちん、と音楽テープが流れ、四条通りには長刀鉾が大まか組みあがっていました。日曜日の京都新聞の祇園祭特集によると、かつての祇園祭は「祇園御霊会」と呼ばれる疫病退散、厄除けを祈願する祭りだったが、徐々に宗教的要素は薄れてきた。(たくさんある鉾のひとつの)伯牙山のテーマも、人間の行き方を問うたもの。(注 琴の名手伯牙が、自分の理解者の友人の死を嘆いて、大事な琴をかち割ったと言う故事ちなんだ。らしい)「祇園祭は、日常の世界と違って神々の世界。日本人の精神のあり方をいろんな視点で提示しているように見える。」と米国生まれのジャーナリストC.パワサライトさんは言う。のだそうです。そういえば、日曜の朝散歩していくつかの鉾を見ました。「鯉山」の鉾の説明書きには、黄河中流「龍門の滝」を登った鯉は龍と化すという伝説にちなんだらしい。水引・前掛け・胴掛け・見送はベルギー製の毛織で重要文化財。見送はホメロスの叙事詩「イーリアス」のトロイ王を描く。のだそうです。なんか鉾一つで複雑な精神世界を描いているようです。写真は、まだ組上げ途中の「鯉山」。朝早くから、地域の人たちがいろいろ準備に飛び回っていました。普段見ない京都の町の人々を見たようで興味深かったです。17日から各鉾の巡行が始まります。四条烏丸駅から地上に上がると、「THE BIG ISSUE」最新版を売っているお兄さんが佇んでいました。即買いです。都会に出ないと買えない雑誌。ホームレスの方の売人と出会わないと買えない雑誌。一期一会の雑誌なのです。この前に買ったのは去年の三月。この一年間に200円から300円に値上がりしていました。少しページが多くなったかな。このうちの160円が販売者の収入になるのだそうですが、そんなこと関係なしに相変わらず濃い内容の雑誌です。読み応えあり。詳しくはリンク先の記事を見ていただくとして、読者の声欄に「ちょっといい話」あるいは「考えさせる話」が載っていました。「こっそりビッグイシュー」母の付き添いで横浜の病院に行くのですが、待合室に本箱があって、ビッグイシューを私がこっそり置いています。この病院は年配の女性患者が多いので、社会問題や若者の気持ちなどを知ってほしいと思い、やりました。4ヵ月前から試していますが、病院はビッグイシューを捨てずにいます。これからもこっそり置いていくつもりです。(洋一/32歳/フリーター/東京都)「病院はビッグイシューを捨てずにいます。」と書くところに、彼のこれまでの人生までも垣間見えるような気がして、この全体にやさしさに溢れた投稿に感動しました。祇園祭特集に記事は、このように続いています。病にかかる不安を取り除く役割をになった当初の祇園祭は、もっと幅広い世界での精神の救済、豊かな社会の招来を願う祭り祭へと姿を変えている。それは京都市民だけでなく、万人の想いでもあります。
2008年07月14日
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講談社BOOK倶楽部というのがあって、そこのメーリングリストのアンケートに答えると、見本用の(要らなくなった)本のプレゼントがある。今まで二回当たった。けれども、ほしいと思っていた本に限って当たらないというのが玉に瑕。このアンケートの結果が、読書すきには興味深くて、例えば寝る前に本を読みますか? ・毎日読む…27% ・読むことが多い…39% ・読まないことが多い…20% ・ほとんど読まない…14% ・読んだことがない…1%ちなみに、私はほとんど読まない。中学生高校のころは毎日寝る前に読んでいた。たぶんその精で右目と左目の視力が違っている。片方の目が近視になるのである。コミックはどれくらいお持ちですか? (回答の多い順 BEST5)・0冊…62人 ・50冊…59人 ・100冊…58人 ・300冊…43人 ・200冊…41人 (以下 超省略)ちなみに、キリ番は⇒ 1,000冊…16人、2,000冊…2人、3,000冊…2人ちなみに私はたぶん1000冊としたはず。本当はもっとあるかもしれない。倉庫の奥底に眠っている。大学生のおり、古本屋巡りが趣味で、私の眼鏡にかなった漫画を片っ端から買っていった。社会人になってもしばらくは買い続けた。奇想天外コミックスの坂口尚シリーズとか、諸星大二郎とか、サンコミックスの鉄腕アトムシリーズとか‥‥‥。(もちろん薔薇豪城さんお勧めの「じゃリン子チエ」も30巻ぐらいまでは即買いしていたと思う。)やがてこの本が50万くらいの財産になると説得して倉庫に置かせてもらっているのだが、20年以上たった今その考えは甘かったと認めざるを得ない。坂口尚「たつまきを売る老人」のヤフーオークションで保存状態が良くて帯まで付いている本が未だに定価480円のところ300円の価値しかついていない。たぶん私のあのコレクションのほとんどは古本市場にもっていけば、一冊10円か、あるいは引き取ってもらえないようになっているのだろうな、と思う。このアンケートに答える人は、わりと本好きばかりが集まっていて、年間100冊は当たり前。200冊、300冊はざらにいたと思う。おっと、本題である。と、いうわけでアンケートに答えてこんな本が当たりました。がん治療の常識・非常識田中秀一(講談社ブルーバックス)医療技術の進歩は目覚ましく、「がんは治る病気になった」といわれる。私もなんとなくそう思っていた。しかしこの数十年間がん治療はほとんど進歩していない。のだそうだ。この数十年間、多くのがんの治療成績はほとんど改善しておらず、がんの死亡率もあまり変化していない。延命率が上がった、とかけばガンが治る率が上がったと思うかもしれないが、数ヶ月死ぬのが遅くなったのに過ぎない。しかもこの間のがん検診の広がりで、本来気がついていないがんが早期に発見されて、結果発見から死ぬまでの期間が以前より長くなったのは、早期発見が多くなったからに過ぎない、というデータ。あるいは、多くの臓器を摘出する拡大手術の試みも目立った成果を残すことができず、進行がんの、事実上唯一の治療法となる抗がん剤療法で治るがんは全体の数%にすぎない。一方で、手術に匹敵する治療効果のある放射線治療は冷遇されている。新聞記者らしいセンセーショナルな書き方で、すらすらと読める。これで、がん治療の基礎知識を得ようとすると、少し無理があるかもしれないが、まあ一つの見方を養う上では良かったと思う。
2008年07月12日
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ポンボさんに教えられて02年に「ソウルスタイル」と言う「大展示会」が国立民族博物館で開かれたことを知った。韓国のある一家の生活をそっくりそのまま醤油の小瓶一つさえも一つの展示物として、大阪会場に移したのだそうだ。知らなかった。まだ韓国にかぶれ始めた初期だからアンテナに引っかからなかったのか。図録みたいなものがあるというのでアマゾンで買う。2002年ソウルスタイル 普通の生活(INAX出版)図録ではなかった。その後の李さん一家を追った写真集だったのである。展示対象に選ばれたのは、生活水準中流の上くらいのおばあさん、父母、男の子女の子の五人家族。3DKアパート暮らし。しかし、今まで何度も韓国をいったけど、ぜひとも見たいと思って出来ていないのが、韓国の人たちの「普通の生活」の姿なのである。この写真集は幸いにも、02年の展示内容を一部分明らかにしている。それはそれで興味深かった。本当にありとあらゆる「モノ」が名前、商品記号コメント、使用頻度、購入か否か、取得年、値段とともに記録され、やがて寸分違わず展示されたらしい。楊枝入れと楊枝、詐欺にあったときの記録メモ、新聞の契約をしたときの景品電卓ペンたて、そして永遠と続くプレゼントの山々、髭剃り、タイツ、ポケツトティッシュ、筆箱、日傘。等々。家族みんなが誕生日プレゼントで、クリスマスや正月プレゼントで、異様な数のものを貰い、そして実際使っている。そういえば、二年前の韓国旅行のときに、親切にしてくれたモーテルのおばちゃんに日本から持ってきた安いそばのカップめんを清算の時「ソンムリエヨ」と渡したとき、ニコッと笑って素直に受け取ってくれた。韓国にお中元の習慣はないみたいだが、親しい者通しのプレゼントの習慣はきつくあるようだ。恋人たちがカップル成立100日目にプレゼントしあうという習慣もここから来ているのだろう。そういう「普通の生活」をしている韓国市民が今回非常にね強く立ち上がっている。ハムニダ薫さんが毎日新聞の記事が「ごくごく一部の逸脱行為を書き立てておきながら、何十万人もの人々が平和的なデモを行っていることや、何百人もの市民が警察の暴力鎮圧によって負傷したことについてはまったく触れていない」ことに怒っている。米国産牛肉輸入をめぐる韓国市民の怒りのけれども平和的な集会はまだまだ収まりそうにない。ああ、この時期韓国にいればよかった。そしたら、深夜まで青瓦台の近くまで行って、軍隊を経験している韓国の警察の水放射にやられ、棍棒で殴られ、足蹴にされてきて、立派なレポートを書いたのに。(もちろん半分冗談です。)
2008年07月02日
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前記事のコメント欄でMドングリさんが「派遣に対するセーフティネットを準備しないで、派遣を危険視するのは、本末転倒も甚だしい!ですね。」と述べられている。このセーフティネットの至る所に穴が開いていて、本来そこで救われるべき人がどんどん「貧困」におちていっている社会を「すべり台社会」と呼んで警告をならし、自らその人たちの貧困からの脱出のために尽力をしている湯浅誠さんの最新著書が「反貧困-すべり台社会からの脱出」という新書である。反貧困この本の中で、湯浅さんはセーフティネットは本来3層あるという。先ずは雇用のセーフティネット。働くことが生活を成り立たせる。けれども政府財界は「政策的に」労働者の非正規化を進めていった。働いても生活が成り立たない。また働く場そのものから追い出されるという形で、雇用のネットからこぼれ落ちてしまう人が増えている。その次にあるのが、社会保険のセーフティネット。たとえば、失業給付。けれども雇用されているにもかかわらず雇用保険に加入していない労働者が増えている。国民健康保険を払えない人たち。年金もしかり。そのさらに下に公的扶助のセーフティネットがある。「生活保護と言うと、すぐに「必要のない人が受けている」といわれることがあるが、生活保護の不正受給件数は2006年度で14669件である。必要のない人に支給されることを「濫給」と言い、本当に必要な人にいきわたらないことを「漏給」と言うが、14669件の濫給問題と600万~850万人の漏給問題と、どちらが問題の性質として深刻か、見極める必要があると思う。」そしてさらに問題は「3層といえば、一つをすり抜けても次で引っかかる三段構えの安全網をイメージするが、非正規労働者にとって三つのネットはワンセットであり、そこからまるごと排除されている。」と言うことだ。つまりいったん落ちると、すべり台のように、「どこにも引っかかることなく最後まで滑り落ちてしまう」のである。この本で初めて知ったのだが、私がおとどしの冬に紹介した、いまはもう読むことが出来なくなっている朝日新聞の「現住所 ネットカフェ」(山内深紗子記者)の記事が、ネットカフェ難民の存在を社会に知らせた最初だったらしい。この年の七月にNHKの「ワーキングプア」の番組があり、07年1月に日本テレビが「NNNドキュメント07ネットカフェ難民」を製作・報道した。日本の社会に溜めがなくなっている。と湯浅さんは言う。そしてそれに対すする自主的な「溜め」の構築を湯浅さんたちは行なっている。一人からでも入れるローカルユニオンの存在。「反貧困たすけあいネットワーク」という互助組織の立ち上げ。動き出した法律家たち。最賃底上げ運動。最低生活費切り下げ反対運動。(参照「最賃生活のすすめ」)湯浅さんは言う。なぜ「貧困」があってはならないのか。それは貧困状態にある人たちが「保護に値する」かわいそうで、立派な人たちだからではない。(略)それが社会自身の弱体化の証だからに他ならない。貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである。誰も、弱いものイジメをする子供を「強い子」とは思わないだろう。人間を再生産できない社会に「持続可能性」はない。だれに対しても人間らしい労働と生活を保障できる「強い社会」を目指すべきである。
2008年06月29日
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堤未果のルポの視点は非常に単純でしかも「真っ当」である。驚くべきなのは、彼女の視点で書かれたルポが、ブッシュ政権発足以降、誰も書いていないことの不思議だろう。現代はこれほどまでも英語能力Aクラスの人物が大量に居るというのに。ルポ貧困大国アメリカ昔、高校の世界史の先生がこんなことを言った。「アメリカが風邪をひけば、日本は肺炎を起こします。アメリカで起きたことは10年遅れで日本にやってきます」そのときには「大げさだなあ」と感じた記憶がある。だけれども、この言葉が真実であることは、このブログを見ている人はほとんど納得していることと思う。昔と違うのは、「10年」という単位がどんどん短くなってきており、5年、或いは出来事によっては、2~3年に縮んで来ているということである。ももたろうザブライさんがこの本の内容を非常にコンパクトにわかりやすくまとめてくれている。だからもうこれ以上は書く必要もないのだけど、「細部にこそ、参考になることはある」というのが、私の持論なので(^_^;)参考になったところの一部を抜書きしてみたい。曰く。「(2005年の)ハリケーン・カトリーナは自然災害などではありません。人災でした。」(略)「国民の命にかかわる部分を民間に委託するのは、間違いです。国家が国民に責任を持つエリアを民営化させては絶対にいけなかったのです。」(46p)日本で市場テスト化法が通ったのは、つい最近である。曰く。「医療保険未加入者の数は2007年の時点で4700万人。この数は年々増え続け、2010年までには5200万人を超えると予想されている。無保険者が増え続ける持つとも大きな理由は、市場原理の導入の結果、医療保険が低リスク者用低額保険と病人用高額保険に二分されてしまったことだ。」(91p)現在アメリカ資本の医療保険が、日本の保険を駆逐しつつある。いやあ、見事です。たぶんこの様子はのちに歴史の教科書に載るのではないか、と私は思っている。さて、その先にあるのはいったいなんなのか。医療保険未加入者の数で、堤さんは教えてくれています。曰く。2002年春。ブッシュ政権は新しい教育改革法(「落ちこぼれゼロ法」No Child Left Behind Act)を打ち出した。「アメリカでは高校中退者が年々増えてきており、学力テストの成績も国際的に遅れをとっている。学力の低下は国力の低下である。よってこれからは国が教育を管理する。」どうやって管理するか?競争を導入する。どんな競争を?全国一斉学力テストを義務化する。但し、学力テストの結果については教師および学校側に責任を問うものとする。良い成績を出した学校にはボーナスが出るが、悪い成績を出した学校にはしかるべき措置をとる。たとえば教師は降格か免職、学校の助成金は削減または全額カットで廃校になる。」つまり、これは5年遅れでみごとに日本にやってきた。日本の政治家はその意味では真面目である。このあとにやってくるのはなんなのか。この文章の続きをそのまま載せる。「教育に競争が導入されたことにより教師たちは追い詰められ、結果が出せなかった者は次々に職を追われた。だが、この法律の本当の目的は別なところにあったと言われている。「個人情報です。」そうきっぱりと言い切るのはメリーランド州にあるマクドナウ高校の教師、マリー・スタンフォードだ。「落ちこぼれゼロ法は表向きは教育改革ですが、内容を読むとさりげなくこんな一項があるのです。全米のすべての高校は、生徒の個人情報を軍のリクルーターに提供すること、もし拒否したら助成金をカットする、とね。」そうやって、個人情報提出を拒否できない貧しいものたちが多く通っている高校の生たちへ軍のリクルーターから軍隊に入れと「お誘い」があるわけだ。そのあとどのようなことが待ち受けるのかは、本を読んで欲しい。このように、日本がいまどのように危ういところに立っているか、突きつける本である。
2008年06月25日
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ロスジェネ宣言 一連なりの妖怪が ――「ロストジェネレーション」という名の妖怪が、日本中を歩き回っている。 就職超氷河期(1990年代という「失われた十年」)に社会へと送り出された20代後半から30代半ばの私たちは、いまだ名づけられ得ぬ存在として日々働き暮らし死んでいきつつある……、その数 20、000、000人。 「ワーキングプア」「フリーター」「ひきこもり」「ニート」「うつ病世代」「貧乏くじ世代」「負け組」「下流」「ロストジェネレーション」……。世間が私たちをさまざまなレッテルで一括りにする。しかし、私たちは、「レッテル貼り」によって目の前にある問題や矛盾が隠されたり、未解決のまま先送りされることをのぞまない。 そして、私たちが抱える苦しみと悲しみを、「自己責任」という言葉で片づけたくない。これまで感情を押し殺して黙って生きてきたけれど、いまになってやっと、自分たちが「怒ってもいいのだ!」と気づいたから。【中略】 「ロストジェネレーション=失われた世代」? ざけんじゃねえ! 「失われた」んじゃねえ。「われわれ」が生きていくために必要なsomethingを、誰かが「奪ってきた」んだろ。 全国のロスジェネ諸君! 今こそ団結せよ! 仲間に呼びかける者を尻目に、「どうせ無駄だよ……」と鼻で笑う者たちがいる。その暗がりに眼を凝らせば、疲れ果てて寝がえりをうつことさえ出来ず、「この苦行のような人生よ、早く終わってくれッ」と、昨日と同じ今日を告げる夜明けにうんざりしながら、このうぞうむぞうのロスジェネのるつぼをじっと見つめる、無数の眼差しが光っている。 私たち左翼が改めて思い知るのは、仲間たちが放つリアルな言葉が時代を牽引していくということ。そして、リアルな言葉は、いつも、私たちが日々働き暮らしている現実のなかから生まれるということ。 いま「ロスジェネ」は、ここに、左翼と現実とをつなぐ空間を設定する。 この空間から紡ぎ出された言葉が、あなたの心に少しでも届くことになれば、うれしい。 ささやくような小さな声が、しだいに大きなうねりになることを願う。 ロスジェネHPよりロスジェネ買いました。ロスジェネ(創刊号)思ったよりも小さな雑誌で、「論座」と同じ大きさで、厚さはその半分、値段はその二倍というものです。でも中を開いてみて、何かが違うなあ、と思うと、広告が塵一つもないのです。「戦う気だな」と思いました。誰に向かって売ろうとしているのだろうか。ロスジェネに対し、売ろうとしているのならば、彼らがこの高い雑誌を買うだろうか。最初は違和感を覚えた48歳の私です。(ロスジェネ世代よりも一回り大きい。けれども最近非正規に<落っこちた>という関係では彼らと連帯したいという気持ちはある。)けれども思いなおす。映画のためにはどんなに金のない時でも、1200円のレイトショー金額を何の違和感もなく出す私です。やはり要は「内容」なのだ。だからこの雑誌はまだ小金を持っている私ではなく正真正銘ロスジェネに対して売ろうとしているのだ。最初、違和感ありまくりだった表紙ではあるが、増山麗奈の革命鍋!のロスジェネ刊行~表紙撮影秘話などをたまたま見つけてみると、彼らの棲みかを見つけたようでほっとした。そういえば、日の出前にこのウサギちゃんの表情は随分と真剣だ。雑誌の中に大屋定晴氏が、政治とオタクを内面で共存させるドイツの若者に驚きながら、格差社会が進む中日本にもその可能性があるのではないか、と述べている。この雑誌がまさにその場を提供しようとしているのは、十分に見て取れる。冒頭対談、雨宮論文とみていくうちに感じるのは焦燥感なのです。浅尾「なるほど、ちょっと考えは違うけれども、状況は共有している今しかないということでお互い頑張りたいと思います。」雨宮「しかし、左派と呼ばれる人々の多くは、右傾化する人々の意見に顔をしかめ、時には罵倒するだけで話を聞こうとしない。耳を澄まして、聞いてほしい。きっとそこには、私たちが望むと望まざるとにかかわらず、「失わされた」何かが、絶対にあるはずなのだ。」どう連帯するのか、「失われた何か」は何なのか、それを一生懸命に探している。これほどまでに未完成の文章が続く論壇雑誌は久しぶりだ。次の号が12月だということが待ちきれない。
2008年06月02日
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