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シネマクレールにて鑑賞。監督・脚本 : ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ 出演 : アルタ・ドブロシ 、 ジェレミー・レニエ 、 ファブリツィオ・ロンジョーネ 、 アルバン・ウカイ 、 オリヴィエ・グルメ 少し粗筋アルバニアからベルギーへやって来たロルナは、この地で国籍を得て暮らしていくため、ブローカーのファビオの手引きで、ベルギー人青年クローディと偽装結婚し、共に暮らしている。クローディは麻薬に溺れる生活から抜け出そうと、ロルナに希望の光を見出していた。だが、ロルナを使って国籍売買しようとしているファビオには、ロルナが国籍を取得したら彼女を未亡人にしてしまう計画があった…。営業力強化研修なるものを受けたときに、人は良いとか悪いとかではなくて、四つのタイプがあることを学んだ。人はセールスを受けたときにどのように反応するのか。正確ではないかもしれないが、こうである。ひとつは、協調型。非常にフレンドリーに接してくれる。けれども買うというところまではいかない。ひとつは、攻撃型。批判もするし、さっさと拒否をしてすぐに結論を出す。ひとつは、優柔不断型。もうちょっとで買いそうだと思ってずっと話をして時間を無駄にしてしまう。そして、ひとつは、むっつりスケベ(名前を忘れた)型。表情をまったく変えない。興味を持っていないのか、失敗だな、と思っていると「じゃあ買います」と言うタイプ。ロルナはむっつりスケベ型である。表情を表に出さない。一見すると、彼女は彼を嫌っているようにしか思えない。しかし、冒頭から私はふとびっくりする。偽装結婚の二人だから、部屋が別々なのは当たり前だ。しかし彼女は着替えると、下着のまま彼の前を通るのである。彼女は彼のことを芯から嫌ってはいないのである。ヤク中で生活力のない彼のことをどうやらいやいやながらも更正させようといろいろと試した節がある。彼はそんな彼女を信頼している。彼女はいやいやながらも彼のために食べ物も買ってくれば、薬も真夜中の薬屋を起こして買ってやったりする。彼女にも恋人はいる。アルバニアから一緒に流れてきた恋人とこのベルギーでお店を出すのが夢なのだ。こんな男のことをかまっていられない、そう思っていたのだろう。けれども、無表情の奥でしだいと「情」あるいは「恋」が育っているのを彼女はうすうす気がついていたはずだ。あともう一歩で彼を救うことができる。それを確信したときに、彼女は恋を自覚する。むっつりスケベが行動を起こすときは大胆である。予告を見る限りは、彼女が彼を救うために奇跡を起こすのだと思っていた。だから後半の展開は、びっくりである。「奇跡」とは何なのか。重ねて言うが、むっつりスケベは動くときには大胆である。いうまでも無いが、「むっつりスケベ」は人間の型の仮の呼称であって彼女がスケベであるということではない。営業はその彼女のわずかな反応を見逃してはいけない。でもほとんどの男はその変化には気がつかない。部屋を出るときに彼女のまっすぐな瞳が少し潤んでいることに気がつかない。東欧の出稼ぎ、偽装結婚をしてまでベルギー籍を取ろうとする若者。アルバニアの彼が金を手っ取り早く稼ぐために原子力発電所のバイトに出るような、ヨーロッパを覆う現実を背景に、決して甘口ではなく、ダルディンヌ兄弟らしくリアルに、この恋の行方を追う。決してハッピイエンドではない。けれどもはじめて使ったという音楽効果は抜群であり、静かな彼女の「決意」を知るのである。「かれら」のしあわせを私たちはベートーヴェンピアノソナタ「アリエッタ」と共に祈るのである。
2009年04月16日
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映画館大賞なるものが作られているそうだ。映画館スタッフが選ぶ第1回映画館大賞、1位「ダークナイト」2位以下は次の通り。カッコ内は監督。 (2)ぐるりのこと。(橋口亮輔)(3)おくりびと(滝田洋二郎)(4)歩いても 歩いても(是枝裕和)(5)トウキョウソナタ(黒沢清)(6)イントゥ・ザ・ワイルド(ショーン・ペン)(7)実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)(若松孝二)(8)ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(ポール・トーマス・アンダーソン)(9)ノーカントリー(ジョエル&イーサン・コーエン)(10)崖の上のポニョ(宮崎駿) そこで選ばれているベスト10は、私のマイベストとかなり重なるところがあり、私なりに「やっぱりね」という感じであった。映画館大賞は、北海道から沖縄まで全国110館の独立系映画館のスタッフが「映画ファンにぜひスクリーンで見てほしい作品」を選ぶ賞。なのだそうだ。つまりそれだけ、地域の映画館にとり観客減は深刻なのである。。先日恒例「映画を語る会」があって、その会が終わったあとも恒例、中華料理屋に集まっておそくまで四方山話をした。そのときの話題の一つが岡山唯一の独立系映画館シネマクレールの話である。現在全国のスクリーンの8割がシネコンによって独占されている。地域の映画館は今苦境にたたされている。シネマクレールも例外ではなく、むしろ典型と言っていいだろう。「語る会」は岡山老舗のシネマサークルなので、ここでは書けない色々な情報が入ってくる。去年は二館あったうち一館が閉鎖に追い込まれた。いまシネマクレールを愛する(それは即ち映画を愛する)人たちが集まっていろいろなアイディアを出して映画館を盛り上げているらしい。最近は期間限定で金曜日カップル2000円サービスも始まっている。18日の「スラムドッグ&ミリオネア」の初日ではミリオネアクイズを出して割引券が当たるイベントもする予定である。それを聞いて、ボクは批判する。「カップルデーはいいアイディアだと思う。けれども、それは結局映画館のロビーに書いているだけじゃないか。たぶん、突然思いつきで始めたんだろうけど、こんなのは急に始めて急に止めちゃだめだ。カップルで映画に行こうと思ったならば、少なくとも三ヶ月前から宣伝しなくちゃ。それで男の子は一ヶ月思い悩んで、(ここで一ヶ月も思い悩むのかよ、とツッコミが入りました)一ヶ月で何とか女の子を誘い、デートは一ヶ月前に決定しなくちゃいけないんだ。だから今度するとしたら、12月初めから宣伝を始めて、バレンタインデーからホワイトデーまでの期間にカップルデーを設けるべきだね。」「ミリオネアクイズも、映画館の中での宣伝じゃダメだ。いったい何のために宣伝しているのか。普段映画館に来ない人たちに来てもらいたいんだろ。だったら、せめて映画館の外にイベント告知をしなくちゃ」いつも、シネマクレールのためを思って、どうやったら映画館に来る人が増えるのか、いつもこの話題で盛り上がります。岡山から独立系映画の灯を消してはいけない。みんな切実に思っているからです。私のマイベスト作品はたいてい7割くらは、このシネマクレールで鑑賞した作品なのである。この日も、地域商店街への宣伝や、外壁の活用などいろんなアイディアが出たのでした。(支配人に伝えるルートはあるんです。でもそれがなかなか採用されない。)岡山関係者は少ししか読んでいないとは思いますが、出来るだけシネマクレールの映画を見るようにしましょう。傑作に出会う確率はシネコンよりは絶対に高いです。
2009年04月15日
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非常に見応えのある経済クライムサスペンス国際映画!少し粗筋インターポール捜査官のサリンジャーは、ニューヨーク検事局のエレノアと共に、国際メガバンクのIBBC銀行の捜査を続けていた。内部告発をしようとした銀行幹部との接触のためにベルリンを訪れたサリンジャーだが、検事局員を目の前で殺され、また告発者も事故死に見せかけて殺されてしまう。証言を得るためミラノを訪れたサリンジャーとエレノアは、軍事メーカーの社長から銀行が武器取引に関与していることを聞きだすが…。監督 : トム・ティクヴァ 出演 : クライヴ・オーウェン 、 ナオミ・ワッツ 、 アーミン・ミューラー=スタール 、 ブライアン・F・オバーン 経済評論家の森永卓郎氏が「金融の裏の顔を人々に知らせることができる唯一の方法は、実名を出さずに描くということ」と言っている。この映画にあるように、その全体像を描こうとすると、必ず大国との関与が問題になり障害があるからである。このようにフィクション然とした描き方は正解なのだろう。 この映画に出てくるメガバンクにはモデルがある。世界有数の金融都市、ルクセンブルグに本店を置いていた国際銀行「バンク・オブ・クレジット・アンド・コマース・インターナショナル(BCCI)」である。1972年にパキスタンで設立された巨大銀行だ。その勢力拡大の裏には、犯罪組織や独裁政権、テロリストなどとの不穏な結びつきがあった。BCCIが手を染めていた、マネーロンダリング、武器の密売、贈収賄、テロリストへの資金提供などの行為は、アメリカとイギリス当局によって明らかにされ、営業停止を受けた後、当銀行は1991年に経営破たんに陥った。CIAの活動の資金源になっていたと言われるBCCIは、サダム・フセインなど開発途上国の独裁者の私腹を肥やすために重宝されていたことも指摘されている。しかし、作品自体は難しくなく、ベルリン、ニューヨーク、ミラノ、イスタンブール、と次々と舞台が移り、緊迫した場面も多く、エンタメとしても優れている。特に優れているのが、NYグッゲンハイム美術館での銃撃戦、前衛美術館の中をむちゃくちゃに壊すような銃撃戦が10数分間続く。そして次に見事なのが、この銃撃戦のあとに行なわれるクライヴ・オーウェンと元東ドイツ秘密警察大佐の会話である。ここに、現代の闇と光が、そして課題が映されている。この映画の副題は疑問である。果たして「堕ちた巨像」を描こうとしたのであろうか。現実のBCCIは確かに堕ちた。しかし、オーウェンは司法の外でこのメガバンクと対決しようとする。まさに象に抵抗するアリの様なその無力さがこの映画の真骨頂なのである。最後の場面はだからあれでいいのである。エンタメ社会派映画の良作である。
2009年04月14日
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アイロニーに優しいチェコ映画監督・脚色 : イジー・メンツェル 原作 : ボフミル・フラバル 出演 : イヴァンン・バルネフ 、 オルドジフ・カイゼル 、 ユリア・イェンチ 少し粗筋(goo映画より)ヤンは、1963年ごろ、共産主義体制下のプラハで出獄し、ズデーテン地方の山中に向かい、廃屋でビールのジョッキを発見する…。ヤンの人生は給仕人の人生だった。田舎町のホテルのレストランでのビール注ぎの見習いから、高級娼館“チホタ荘”に、そしてプラハ最高の美しさを誇るホテル・パリで給仕の修行をする、古き良き時代。しかし1938年、ヒトラーのズデーテン侵攻でチェコスロヴァキアはドイツに占領され、その時、ヤンは自分よりも小さいズデーテンのドイツ人女性リーザに恋をしてしまう…。戦闘場面の一切無い、けれどもチェコがドイツに併合された歴史を背景に一人の給仕人の「塞翁が馬」の人生をコンパクトにまとめたコメディファンタジー。侵略された側なのに、声高にドイツを糾弾するのではなく、むしろ自国の金持ちたちを優しく皮肉を持って描いている。なかなか凄い作品なのだと、鑑賞直後は思ったのであるが、日にちが経つにつれて印象がほとんどなくなった。こういう作品好きなんだけどなあ。どの人物にもコメディだから仕方ないのだけど、表層的に描かれている気がしてのめりこめなかったせいだろう。チェコで生まれ育った人にとっては、どう映ったのだろうか。
2009年04月12日
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サスペンスタッチな歴史もの。【監督】ブライアン・シンガー【出演】トム・クルーズ/ケネス・ブラナー/ビル・ナイ/トム・ウィルキンソン/カリス・ファン・ハウテン/トーマス・クレッチマン/テレンス・スタンプ/エディ・イザード/他勉強になった。ヒトラーは最後こそはベルリンのあの地下基地で最後を迎えるわけであるが、戦局が緊迫するまではベルリン郊外のあんな森の中で指令を送っていたのだなあ、とか、ワルキューレ作戦に加担した幹部たちはあれほど多かったのか、とか、たんに10分間の暗殺作戦ではなくて、その後の政権掌握まで綿密に練られた作戦だったのだなあ、とか‥‥‥。しかし、どうも中途半端な作品。テンポを重視したためかサスペンス描写に時間をとっているために、人物の心理描写がほとんど無い。あるいは、トムクルーズを始め演じ切れていない。「何故失敗したのか」という歴史の教訓を引き出そうにも、ヒトラーが爆発を免れた決定的な場面が無いために、歴史の教訓もよく分らない。エンタメにも重厚な物語にもなりきれない、意気込みだけは伝わってくる作品である。
2009年04月12日
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監督 : キャサリン・ハードウィック 出演 : クリステン・スチュワート 、 ロバート・パティンソン 、 エリザベス・リーサー 、 ニッキー・リード 、 ピーター・ファシネリ 、 ジャクソン・ラスボーン 菜食主義(ベジタリアン)の吸血鬼(バンパイア)と内向的な女の子との青白い顔のカップルが誕生!萩尾望都の「ポーの一族」のエドガーやアランは人間の血を飲むことはほとんどない。この映画のエドワードのように動物の血さえ飲むことはなかった。基本的には薔薇の生気を吸い取るだけで彼らは生きていけたのである。キリスト教は全く畏れないから、作品世界では、独特の恋愛と哲学が語られたのである。この作品も、宗教と吸血鬼との対決は全く無い。昼間でも大丈夫だし、たまねぎでも大丈夫。ただし、太陽の光の下では少しだけ不都合。いわゆる親バンパイヤも問題ない。人間に恋した末っ子を邪魔するような家族でもない。それどころか、家に招待した彼女のために家族総出で料理を作る「いい人たち」なのである。要は彼は「人間ではない」ということだけが問題なのである。では退屈な映画だったかというとそうではない。女の子は恋に落ちたならば猪突猛進すべてをゆだねようとするし、男の子は「食べてしまいたい」自分の欲望を必死に抑えようとする。このように一つの異作用を加えるだけで、10代の初恋を見事に描く。ヒーローヒロインのアップを多用し、正統学園恋愛ものになっていて、しかも幾つかの謎もそのまま残している。いわゆる恋愛初期の描写を「バンパイヤとの恋」という仕掛けで客観的に見ることが出来るのである。女性たちはエドワードの顔が好みで無いということで相当違和感があったようだが、男の私にとっては女の子が可愛ければOKだし、エドワードの「目力」はけっこう魅力的だったりはする。少女趣味的な作りだというのは承知の介で、私はけっこう嵌ってしまったかもしれない。次回作が楽しみである。
2009年04月11日
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勘違いしながら見た私がよくなかったんです。退屈でした。監督 : ザック・スナイダー 原作 : アラン・ムーア 、 デイヴ・ギボンズ 出演 : ジャッキー・アール・へイリー 、 パトリック・ウィルソン 、 ビリー・クラダップ 、 マリン・アッカーマン 、 マシュー・グード いつイケメン君はバットマンになって、いつマンハッタンはハルクになるのか、という全く「勘違い」の見方をしながら終盤まで行ったし、最後までこのパラレルワールド(アメリカはベトナム戦争に勝利し、ニクソンがそのまま大統領に)がどのように現実のワールドに繋がるのか期待していた。伏線をチェックしながら見ていたのである。ところが、全くそういうことも無く終わってしまって、長々と相変わらず、アメリカのヒーロー期待失望症候群につき合わされただけであった。それを「ダークナイト」のように上手く描いてくれればいいのだが、私には自己満足な映画にしか思えなかった。
2009年04月11日
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英エンパイア誌が「落ち込む映画」ランキングを発表したという報道があった。見てみると以下の通り。1.「レクイエム・フォー・ドリーム」(00)2.「ひとりぼっちの青春」(69)3.「リービング・ラスベガス」(95)4.「道」(54)5.「21グラム」(03)6.「火垂るの墓」(88)7.「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)8.「冬の光」(62)9.「リリア 4-ever」(02)10.「ミリオンダラー・ベイビー」(04)実はこのうちの半分しか見ていない。しかし、確かに落ち込む。請合います。ただし、私の中では順番が違う。私が見た映画だけで順番を作ると、1.「ミリオンダラー・ベイビー」(04)2.「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)3.「火垂るの墓」(88)4.「道」(54)5.「リービング・ラスベガス」(95)となる。「ミリオンダラーベイビー」はやりきれなかった。しかも、見たあと数日して、映画仲間でこの作品のことを話し合っていると、クリント・イーストウッドは注射を二本もっていたというのである。ということは、あのあと彼も死んだということなのである。それを訊いてさらに落ち込んだということはいうまでも無い。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は彼女の伸びのある歌声が耳に付いて離れなくて、だからこそ最後の場面は歌声とともに何度も何度も甦る。いたたまれません。「火垂るの墓」がイギリスで選ばれたことに驚きと喜びと、そしてあの結末がなんともやりきれない思い出として甦ってきて、いやになる。「道」は彼女の最後の場面が出ていないからこそ、余計にいたたまれなくなり、「リービング・ラスベガス」はN.ケイジの酒びたりの顔がまた甦ってくる。結局、どの作品も希望のあとにどよーんと悲劇が待っているという点で同じ展開であったということ、落ち込むのだけど、みんな映画史に残る傑作であるということが共通点である。今度ミッキー・ロークがアカデミー賞にノミネートされた「レスラー」も落ち込む映画らしい。一人で見ると後悔するらしいが、やっぱり一人で見るのだろうな‥‥‥。
2009年04月09日
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「そして、私たちは愛に帰る」この題名はよくないと思う。また、宣伝用のあおり文句もよくないと思う。こんな文句だ。「幸せと不幸せは、背中合わせ。だから人生はいつだってやり直せる」「ドイツ・ハンブルグ、トルコ・イスタンブール。2000キロにわたってすれ違う、3組の親子が、人生の旅路をさすらいながら見出す愛と希望の光」ちょいと粗筋ハンブルクに住む大学教授のネジャットの老父アリはブレーメンで一人暮らしだったが、同郷の娼婦イェテルと暮らし始める。ところが、アリは誤ってイェテルを死なせてしまう。ネジャットはイェテルが故郷トルコに残してきた娘アイテンに会うためにイスタンブールに向かう。そのアイテンは反政府活動家として警察に追われ、出稼ぎでドイツへ渡った母を頼って偽造パスポートで出国し、ドイツ人学生ロッテと知りあう。監督 : ファティ・アキン 出演 : バーキ・ダヴラク 、 ハンナ・シグラ 、 ヌルセル・キョセ 、 トゥンジェル・クルティズ 、 ヌルギュル・イェシルチャイ 、 パトリシア・ジオクロース まるで「愛と希望」がこの映画のテーマであるかのようなあおり文句である。しかしそうではなく、「家族」あるいは「死に別れ」がこの映画の主題なのである。離れ離れになっていても、冷たくしていても、知り合いの息子が入院中の父親にのことをふと思ってアパートで栽培している「トマトを持っていこうかな」と呟くだけで、トルコ人娼婦イェテルは郷里に残してきた娘のことを思って泣き崩れてしまう。しかし、親子ならばいつかは別れ別れになるという運命も背負っている。親子はよっぽどのことがない限り、同時には死なない。突然の死、それをどう受け止めるべきなのか。俊英ファティ・アキン監督は背景にドイツのトルコ移民問題を巧みに織り込みながら、親子の「運命」を描いてみせる。ただ、欲張りすぎたせいか、少し説明不足のところもある。確かにロッテの母親役のハンナ・シグラは存在感のある演技を見せた。それでも最後の彼女の選択は少しやりすぎだろう、と思う。希望の一歩手前で終わらせるエンドクレジットもよくある手法で新鮮味は無い。ただ、作品中三度も流れるチェルノブイリの影響で死んだといわれるトルコ歌手の歌は、最後のエンドクレジットで最後まで歌詞付きで歌われ、非常に意味深である。何がいいたかったのか、誰か教えて欲しい。原題は「The Edge Of Heaven」(天国のほとりで)。家族はいつ死に別れるか、分らない。けれども天国のほとりで、ギリギリのところで、あるいはギリギリ間に合わなくても、「分かり合える」ことがある。「死に別れ」の意味のこもったこの原題の方がよっぽとこの映画にふさわしい。
2009年03月26日
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「悪を駆逐するためには、ときには神から遠ざかることもあります」一つだけ明らかになったことがある。メリル・ストリームのような上司とは決して一緒に働きたくはない。いつも上の方から監視している、唯一つのミスも見逃さない厳格なカトリック学校の校長。その目配りのさまは、超人的であるし、人のミスを指摘する以上、おそらくそれを納得させる武彼女はミス一つ無いのだろう。ちょっと粗筋。1964年のニューヨーク。ブロンクスにあるカトリック学校セント・ニコラス・スクールでは、校長のシスター・アロイシスが厳格な指導を信条に日々職務を果たしていた。一方、生徒の人気を集めるフリン神父は、ストイックな因習を排し進歩的で開かれた教会を目指していた。しかし、唯一の黒人生徒ドナルドと不適切な関係にあるのではないかという疑惑が持ち上がり、シスター・アロイシスによる執拗な追及が始まるのだった…。 (goo映画より)監督・原作戯曲・脚本 : ジョン・パトリック・シャンリィ 出演 : メリル・ストリープ 、 フィリップ・シーモア・ホフマン 、 エイミー・アダムスこれは9.11が生んだ映画の一つではある。イラクは確かに疑わしかった。いや、アメリカにとっては核を持っているという確信があった。その証拠に国際世論を無視して軍事攻撃したら、情報公開して世論に訴えるのではなくて、攻撃を返してきたじゃないか。(この際ややこしくなるので、もし本当に核を保有していてもそれだけで軍事攻撃が正当かどうかという議論はしない)アメリカは正しかった。たとえ結果がどうであろうとも‥‥‥。と、思っていたのに次第と自分自身の確信に「疑い」がひろまって来て仕方がなくなってきた。最後の彼女の慟哭はそういうことなのではないか。ブッシュは敬虔なキリスト教信者だった。ブッシュを支持していたのは、ネオコンだけではなくて、真面目な信者たちだった。石油とかどうかは棚に置いといて、国際法とかどうかは棚においてといて、純粋に神の関係であの戦争はどうだったのか、アメリカの国民は何度も何度も自らを問い直す必要があるのだろう。この映画が、倫理的な成否に答を出していないのは、その意味では当たり前なのである。けれども一方では、メリル・ストリームの「不寛容」は限りなく神に背いているように、信仰心の無い私にでも思える。ちょっと突っ込んだネタバレになるので詳しくはいえないが、黒人の生徒に相談に乗っていたのは、十分な理由があるように思えるし、ほんとうに「相談だけに乗っていた」可能性は高いと思う。けれども100%そういいきれないのは、ひとえに相手がF.S.ホフマンでああるからに他ならない。彼の自信がなさそうな演技が全く私に確信を持たさないでいる。全く二人とも凄い俳優ではある。メリル・ストリープは(ブッシュとは違い)冒頭のセリフのあとに「もちろん、その罪は贖います」という。思うに、真面目なカトリック信者たちのいまの心情だろう。※この映画で、神父は三回説教をするのであるが、一番分りやすかったのは、二回目の説教「噂について」だった。不吉な夢を見て、噂を広めた主婦が罪があるかどうかある神父に告白しに行く。「もちろん罪はあります」そして続けて言う。「あなたは今すぐにその夢を見たまくらを持って屋根の上に登り、そのまくらにナイフを突きつけなければなりません」その主婦は言われたとおりにして戻ってくる。「どうなりましたか」神父は聞く。「羽毛がまるで雪のようにあたりいっぱいに広がりました」「あなたはその羽をこれからすべて拾わなければなりません」主婦は始めて口ごたえをする。「それは無理です」「それが噂の正体なのですよ」‥‥‥なるほどねー!
2009年03月22日
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かっこいい、としかいいようが無い。5人の関係の詳しい説明は無い。そもそも何故ウーがボスのフェイを殺そうと企てたのかは語られない。(しかし実際ひどいボスなので誰もが納得はするだろう)フレイズとファットは元同僚でウー暗殺を命じられて逡巡している。タイとキャットは何処からやってきたのだろうか。この5人組はもともと知り合いだったようだ。そのあたりも語られないが、途中からそんなことはどうでもよくなる。監督・製作 : ジョニー・トー 出演 : アンソニー・ウォン 、 フランシス・ン 、 ニック・チョン 、 ジョシー・ホー 、 サイモン・ヤム弛緩したような場面から一瞬の間に縦横無尽の銃撃戦に移る展開は、映画が久しく忘れていた空間を思い出させる。命を削る銃撃戦のあとに平気で食卓を囲む神経に彼らの絆の強さを感じる。実は脚本的には、「どうだかな」という部分はある。けれどもそれは「男の美学」が超越する。当初私はブレイズやタイは頭脳の役割で、キャットは技術、ファットは和みを役割として持っているのかと思っていた。「インファナルアフェア」のように、こりこりに固まったルノワールを作っているのかと思っていた。しかし途中で「どうも違う」と感じ出す。そもそも相手方のボスでさえ、宿敵と同じ部屋に入ったのに、瞬間に遭遇したと気がつかないおバカ振りである。一トンの金塊が何斤か4人とも計算できない(私もわからないけど)場面で、そうか彼らはみんな(腕のいい)チンピラとして生きてきたのだということが分る。みんな計算高くない。だから、ある程度「脚本上の無茶」も許される。これは正真正銘の昔のヤクザ映画だ。現代最高の映画技術と硬質な映像で語られたびしょ濡れの心情(こころ)の世界なのだ。アンソニー・ウォンが次第と鶴田浩二の貫禄を持ち出した。高倉健も、富士純子もまだ香港には生まれていない。監督の次回作の「仁義」が楽しみだ。ボスのフェイが日本の某首相に似ていると思ったのは私だけだろうか。
2009年03月16日
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もちろんこれはマンガ版とは別物だ、そう何度も自分に言い聞かせる。カンフー少年の成長物語なのだ、と言い聞かせる。でもそれは無理な相談だ。なにしろカンフー少年が世界を救うのだから。そこはやはりマンガ世界が持っている「仕組み」を借りないととても二時間弱の時間枠に収めきれないだろう。監督 : ジェームズ・ウォン 製作 : チャウ・シンチー 原作 : 鳥山明 出演 : ジャスティン・チャットウィン 、 エミー・ロッサム 、 チョウ・ユンファ 、 ジェームズ・マースターズ マンガでの仕組みとは、一つ、悟空に「世界を救う」という認識はない。ただ、強いものと対戦して勝ちたいという「子供の心」だけ突き進むので、本来の深刻な物語がからっとした冒険物語に昇華できる。しかし、この悟空はそんな子供でもなく、恋愛もする。だからピッコロと対戦するとき、その理由が結局「復讐」だけになってしまい、少しも爽快感が無い。一つ、強さの描写がやっぱり中途半端。CGの使い方を間違っている。マンガではひとつひとつ「強さ」のレベルが上がっていくさまを見事に表していた。喩えで言うと、サッカーのJ2からJ1にあがり、そのあとワールド予選、ワールド本選、決勝リーグに上がって行く違いである。スピードと力の差をマンガは見事に表していたが、映画では失敗している。‥‥‥というような不満ばかり思いつく。もちろんそんなことをいろいろと思いながら観ていたので退屈はしなかった。基本的に最後の方は惰性で読んでいたので、マンガに思いいれは無いということは言っておきたい。最終回がどのように終わったのか、まるきり記憶に無い。チョウ・ユンファはちょっと遊びに来ましたという感じ。エミー・ブロッサムが案外とブルマって感じでよかった。でも関めぐみをあのような使い方をしているのには、少しショックを受けた。いやあな思いで終わってしまった。せめて最後の場面は「赤ん坊」にしてくれれば少しは「続き」を許してもよかったのではあるが。
2009年03月15日
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男性1000円の日ということで、時間が上手く合ったので観てみた。シネコンで二週間限定上映。事前情報は全く無かったけど、こういうときには時にはいい映画にぶち当たる。果たしてこれはどうだか‥‥‥。監督・脚本 : ゾエ・カサヴェテス 出演 : パーカー・ポージー 、 メルヴィル・プポー 、 ジーナ・ローランズ 、 ドレア・ド・マッテオ 、 ジャスティン・セロー 行き遅れた30代アラフォーのNYキャリアウーマンの日常を描写した映画。コメディなのか、真面目映画なのか、よく分らない中途半端さ。クスッとしか笑えないし、泣きもできない。主演のパーカー・ポージーはよく知らないけど、どこかの脇役に出てきたような気がする。少しだけ調べたら、出演作は多い。ブレイド3(2004) みんなのうた(2003) クリスティーナの好きなコト(2002) スクリーム3(2000) ドッグ・ショウ!(2000) ユー・ガット・メール(1998) ヘンリー・フール(1997) バスキア(1996) FLIRT フラート【ニューヨーク編】(1995) パーティーガール(1995) スリープ・ウィズ・ミー(1994)これだけあってもまだどの役で出ていたのか思い出せない。 つまりたたき上げの女優で、しかもヒットは無しというところ。そういう女優の「物足りなさ」はよく出ていたとは思う。アラフォー世代が見たら、身につまされる映画かもしれない。観客は10人ちょっとだった。男の日ということもあるのだけど、八割がたは何を勘違いしたか、私のような男ばかり。
2009年03月12日
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監督・原案・脚本 : バズ・ラーマン 出演 : ニコール・キッドマン 、 ヒュー・ジャックマン 、 デヴィッド・ウェンハム 、 ブライアン・ブラウン 、 ジャック・トンプソン シネコンの中でも割と小さめの部屋で見ました。公開一週間目にしてこれですから、後の推移は知れたものです。おそらく日本軍が悪者になっているとか、長い上映時間がそうさせているのだろう。これがオーストラリア本国になれば超拡大公開という扱いなのは間違いない。てっきり二人の半生を描く大河ドラマなかのかと思っていたら、1939年から1942年にかけての話でした。前半と後半では大きく話が分かれていて、気持ちは分からないでもないけど、無理やり感は否めない。親子愛かと思ったら、そうでもなく民族の自立の話だったり、敵キャラがステレオタイプでつまらなかったり、ニコールキッドマンの表情は豊かなんだけど、なんか大河ドラマ用に演技しています、って感じでいまいちだったり、なんか昔よくあった「失敗大作映画」を見てしまった様な気がする。もちろん、いいところはある。新人のナラ少年はなかなかいい。オーストラリアってこんなにも雄大で美しいんだってことが嫌というほど分かる。自然を堪能するにはいい映画です。
2009年03月08日
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少しあらすじ子ども時代を過ごした海辺の孤児院に30年ぶりにラウラが戻ってくる。閉鎖されて久しい古い屋敷を買い取り、障害を持つ子どもたちのホームとして再建する計画だ。気がかりなのは、難病を抱えた7歳の息子シモンが空想の友だちに夢中になっていることだったが、怪しげな老女ベニグナの突然の訪問がラウラの不安を一層掻き立てる。そして、子どもたちを集めたパーティの最中にシモンは忽然と姿を消してしまう。(goo映画より)監督 : J・A・バヨナ 製作総指揮 : ギレルモ・デル・トロ 出演 : ベレン・ルエダ 、 フェルナンド・カヨ 、 ロジャー・プリンセブ 、 マベル・リベラ 、 モンセラット・カルージャ 実は『チェンジリング』を見た二日後にこの作品を見たものだから、どうしても比較してしまう。もちろんラウラは社会と戦う必要はないからテーマは大きく違うことになるのではあるが、しかし失われた息子を取り戻そうとする母親を同じように見て、どうしてこうも感動が薄いのだろう。単に演技者の力量だけではないと思う。07年、洋画では最高の評価を与えた『パンズ・ラビリンス』の監督がプロデューサーを務めているという点で少しは期待があったのだが、この監督は映像部分だけをギルデモに指導されたみたいである。つまり、せっかくいい題材を与えられても、命と運命、子供のファンタジーと現実との関係、親とは何か、という事などにあまりきちんと向き合わずに、エンタメとして『サスペンス』のつじつまあわせに努力しているのである。最後に謎解きはきちんとできました。ただそれだけの映画になっている。あまり詳しく書こうという気が起こらないから、どこがどうだとか分からなくてこれを読んでいる人は何がなんだか分からないと思う。申し訳ない。
2009年03月08日
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登場の半分くらいは泣いているのではないか。母は弱い。息子という弱みの前ではあまりにも無防備である。監督・製作・音楽 : クリント・イーストウッド 出演 : アンジェリーナ・ジョリー 、 ジョン・マルコヴィッチ 、 ジェフリー・ドノヴァン 、 コルム・フィオール 、 ジェイソン・バトラー・ハーナー 夫のオスカー無冠は当然だけど、どうしてアンジェリーナー・ジョリーが主演女優賞を取れなかったのか、不思議に思えるほどの熱演である。(ケイトの演技にも期待したい)夫とは当の昔に別れたシングルマザー、責任ある部署を任されている判断力のあるいい上司なのだろう。しかし、息子が行方不明になると、すべての価値観は息子の帰還に合わし、警察批判も止め、精神病棟に強制入院させられる隙も見せる。その弱さの演技が凄い。ここまで人間は弱くなれるものだろうか。もちろん、芯の強さがあるからこその弱さなのではあるが。権力の保持のために、さらに権力の厚塗りをしていく過程をイーストウッドは淡々と描く。弱い個人と強い権力、しかし、事実と嘘との関係をも描いて、「歴史的な事実」だからこそ描ける説得力ある結末に持っていく。最後の晴れやかなジョリーの表情がいい。やっぱり女は強いと思う。
2009年02月28日
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やっぱりミュージカルは苦手な私です。歌の中に演技者の感情も、見どころもすべて入っているのでしょうが、私には間延びしたセリフにしか聞こえない。ギリシャの海はきれいです。監督 : フィリダ・ロイド 出演 : メリル・ストリープ 、 アマンダ・セイフライド 、 ピアース・ブロスナン 、 コリン・ファース 、 ステラン・スカルスガルド 、 ドミニク・クーパー
2009年02月25日
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実は2月7日初日に見ました。監督 : デビッド・フィンチャー 脚本 : エリック・ロス 出演 : ブラッド・ピット 、 ケイト・ブランシェット 、 ティルダ・スウィントン 今まで映画評を書かなかったのは、この映画をあんまり悪く書きたくなかったから。まじめな映画だと思う。「数奇な人生」とはいえ、人と反対の身体の成長をするだけであとは同じ。マスコミも注目しないし、周りの人間も不思議なほどに偏見を持たない。もちろん都合よく注目されないような仕掛けは作られている。だから描かれるのは、そういう「仕掛け」で浮き彫りになる「人間の一生」である。 確か加藤周一がどこかで「源氏物語」がなぜアジアで最初の長編小説になったのか。ということで、こういう意味のことを言っていた。「光源氏の色恋を描きたかったのではない。人の一生とそのあと血のつながらない息子の運命、時間を描きたかったのである。だから必然的に長編になった。(違っていたらごめんなさい)」 この映画がなぜこんなにも長いのか。それも必然的なのだ。時を描きたかったのである。人生とは1日1日の積み重ねである。波乱万丈でもやはり平凡な1日の積み重ねに過ぎない。それを描くのは、2時間40分という「尻の痛くなるような時間」が必要だった。退屈だ、しかし面白い。これが監督の思い描く理想の見方だったのだろう。けれども、退屈だ、尻が痛い。ずっと私は思っていた。きっとブラッド・ピット も ケイト・ブランシェットもあまりすきでないからだろう。きっと、仕方ないとはいえCGで作った表情に感情移入できなかったからだろう。これは微妙な好みの問題である。だから私は早々に感想を書きたくなかった。けれども、昨日この作品が13部門にノミネートしながら三部門の非主要賞に落ち着いたことで、私の見方もあまり的外れではないのだと木を浴した次第である。どうでもいいことではある。
2009年02月24日
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米国アカデミー賞外国映画部門で「おくりびと」が受賞した。こんぐらっちゅれいしょん!素直に喜びたい。前々回で日本アカデミー賞独占で厳しいことを書いたけれども、それはそれ!(^_^;)イヤ全然矛盾はしていません。「おくりびと」の何が評価されたのか。それを考えると、おめでとう!と心から言いたい。同時受賞の短篇アニメ「つみきのいえ」が象徴的にそれを表していると思う。大げさな事件が起きるわけではない、日常をたいせつにする、「今=ここ」を大事にする、彼岸(神の世界)ではなく此岸(現実の世界)をたいせつにする、だからこそ「手作り」をたいせつにする、だからこそ細部を丁寧に作る、大げさに言うと、そういう日本映画の「水準」が評価されたのだと思う。「つみきのいえ」はCG全開の映画の中で、鉛筆画の手作りで作られ、日常の延長の中で「人生」を感じるものであった(らしい)。「おくりびと」も納棺師の仕事は別に道具が要るわけではない。本木さんの半年間に渡る「勤勉」な修行の賜物による手作り感溢れる作品なのである。作品感想のときに書いたが、脚本はあまりにもオーソドックス、それが映画のプロに認められるのか、それだけが不安であったが、その「型にはまった」ところがもしかしたらよかったのかもしれない。(オーソドックスとは、「死」のテーマに「笑い」と「食べ物」を入れるところ、妻や世間の偏見(想像)を仕事(実見)が駆逐するところ、父と息子の和解の場面等々、教科書的で破綻が見られないというところ)多かれ少なかれ、日本映画にはこういう話が多い。その多くは中途半端だったり、物語が破綻していたり、役者の力量不足だったりするけど‥‥‥。ともかく、こういう映画が世界最高の栄誉を撮るとすれば、やはり日本映画にとっては大変喜ばしいことではある。13部門でノミネートされた「ベンジャミンバトン」は実は「日常」をたいせつにする話であった。しかし、使われていたのは役者の演技の上塗りにCGを使うことだった。細部も丁寧には描いているが、結果的に終わりと始めが決まっている「全体」が重視された話になった。アカデミー会員たちはたぶんそのあたりに「退屈」さを感じたのではないだろうか。私は日本アカデミー賞は信頼していないけれども、米国アカデミー賞は信頼している。その受賞歴がその証だ。よっぽどのことがない限り、主要七部門独占ということはない。その秘密の一端が今日ネットサーフィンしていると見つかった。会員たちはどんな活動を? どう選ぶ? 2009年は……!?あるアカデミー会員の“胸の内”1票のゆくえを追って、直撃インタビューこれを読むと、投票権を持つアカデミー会員たちはその資格を得るのも難しいし、本当に献身的に365日映画を見続けないと投票できない。本当に「映画好き」な人間しか会員として続けられないことが分る。その人たちが選んだ「スラムドック$ミリオネア」期待したい。
2009年02月23日
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「エデンの東」以来、米映画の伝統のひとつである兄と弟、子供と父との葛藤の話。ひとつのおそまつな強盗殺人事件の顛末を描く。監督 : シドニー・ルメット 出演 : フィリップ・シーモア・ホフマン 、 イーサン・ホーク 、 マリサ・トメイ 、 アルバート・フィニー 、 ブライアン・F・バーン 視点の切り替えをすることで、しだいと事件の本質が見えてくるという仕組み。サスペンスではよくやるし方法ではあるが、効果的であった。監督の手際と編集がいいのだろう。兄、弟、父ともどもコンプレックスを抱えており、お互いに憎みあい、お互いに愛し合っている。この三人の俳優が、熱演していて、飽きさせない。「エデンの東」では、兄のアロンをジェームス・ディーンは戦地という死地に追いやる。ショックで父は脳内出血を起こし、いつ死んでもおかしくないじ容態に陥る。医者はディーンに向かってこういうのだ。「 " カインは立ってアベルを殺し"" カインは去ってエデンの東ノドの地に住めり"お前も去れ.」いったんは去ろうとしたディーンは恋人勧めで、ベッドにいる父と和解をする。「ぼくは生まれつきこうだから仕方がないと信じていました。でもそうじゃなかったんです。人間は道を選べる。そこが動物と違うところだと父さんはいつもおっしゃってた。ねえ、覚えてますよ。人間は道を選べる。それが人間の人間たるところなんだと。ねえ、よく覚えていますよ。」この映画でも、最後はベッドにいるF.S.ホフマンは父にA.フィニーに初めて正直に告白する。結果は……。原題は「Before the Devil Knows You're Dead」意味はアイルランドの諺、May you be in heaven half an hour before the devil knows you're dead.(悪魔があなたの死に気付く30分前に天国にあらんことを)から持ってきたらしい。実際、冒頭にその言葉が出てくるので、大きい意味を持っているのだろう。この原題の解釈については、はっきり書いているブログがない。確かに大きなネタバレなので、仕方ないとはいえ、この映画の評価にかかわるところなので、やはり書いておきたいと思う。(以下ネタバレ。すくろーるすれば文が出てきます。)父親は、今でこそ堅実な商売で信用を得ているみたいだが、過去にはいろいろ犯罪的なこともしたみたいだ。だからこそ、兄が宝石の盗品売買をしていることに気がついたし、その意味もわかり、これからの運命もわかったのだろう。だから父親が、兄を殺すのは、妻を殺されたからではない。まさに、兄を救うために殺したのである。あのベッドのシーンは、だから私は「和解」の場面だと思ったのであるが、甘いだろうか。世評は、父は息子をにくくて殺したのだというのが多いみたいである。そして、これから父親が向かう先は、イーサン・ホークの元でしかないだろう。弟に決着をつけるまで、父親は死ぬこもできない。それが父親の贖罪の方法なのだろう。「エデンの東」と大きく変わった結果に、このラストに、50年代アメリカと現代アメリカの違いがある。ディーンは行かなかったが、エデンの東ノドは人類の「再出発」の場でもあるのである。
2009年02月16日
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「フィデルへ。今この瞬間、僕はたくさんの場面を思い出している。マリア・アントニオの家で初めて君に会ったときのこと。君が、一緒に来ないかと僕を誘ったときのこと。そして、キューバ解放の準備を進めているときのあの緊張の日々のことを‥‥‥。あの日、死んだときには誰に知らせればいいのかと君は訊いたね。そのときの僕は、正直言って打ちのめされてしまった。そして僕は、そういう現実は充分に起こりうることであり、それが真の革命であれば、人は勝利するか死ぬかの二つに一つしかないことを学んだのだ。」監督・脚本・撮影 : スティーヴン・ソダーバーグ 出演 : ベニチオ・デル・トロ 、 カルロス・バルデム 、 デミアン・ビチル 、 ヨアキム・デ・アルメイダ 、 エルビラ・ミンゲス カストロに宛てた別れの手紙から後半は始まる。せめてカストロとの会話の場面はあるかと思ったのではあるが、それは一切映らない。あとはずーとボリビアでのゲリラ活動が続く。幾つかの戦略上の誤り(ボリビア共産党との意思疎通が図られぬままゲリラ戦を始めたこと、ボリビア人民との友好をキューバのようには構築できなかったてこと)戦術上の失敗(連絡係りタニアの正体が早々にばれて炭鉱ストとの連携等が取れなかったこと、外国人組織が海外に行く前に捕まったこと)で、結局ゲバラたちは追い詰められていく。しかし戦闘と飢えに苛まられても、チェは最後まで毅然として「キャプテン」であり続ける。それだけを写した映画である。最後までドキュメンタリーのような創り方は変わらない。意識的に派手さは避けている。しかし、物足りない部分もたくさんある。たとえば、彼の口からもっと「愛」を語ってほしかった。最後は「早く撃て。それが君の仕事だろう」と言ってほしかった。しかし「私は宗教を信じない。人間を信じる」という言葉には堂々とした風格があったので、チェという人間を演じきったベニチオ・デル・トロに敬意を表したいと思う。
2009年02月03日
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その日、前作をDVDで見て復習をして臨んだというのに、何てことだろう、途中何回も睡魔が襲ってきてぶつ切りになってしまった。というわけで正統な論評は出来ません。監督 : マーク・フォースター 出演 : ダニエル・クレイグ 、 オルガ・キュリレンコ 、 マチュー・アマルリック 、 ジュディ・デンチ 、 ジャンカルロ・ジャンニーニ 、 ジェマ・アータートン 、 ジェフリー・ライト リアル路線のボンドはいいと思う。けれどもホワイトは結局どうなったの?グリーンはあまりにも小物のような気がする。前作の目から血の涙を流すやつの方がよっぽどよかった。ボンドにとって前作の彼女の「しこり」はどのように解消されのか?と、まあ一応そんな疑問を持ちつつ、もやもやして終わりました。
2009年02月02日
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思いもかけず、いい作品だった。少女ときつねの交流と別れの物語というと、使い古されたお決まりの物語を思い浮かべる人は多いかもしれない。そう、今までのこの手の話はたいていは、大自然を背景としてその物語(フィクション)で人を感動させるというのがパターンだった。それはそれで意味はあるのだろう。人間の死を介することなく純粋に「命」と向き合うことが出来るからである。この映画は発想の転換をしている。フィクションという視点を借りて、むしろ大自然を描くことに主眼を置いているのである。何も何年もかけて全世界を回って自然の驚異を映さなくてもいい。フランスの山奥の一年をじっくりと撮る。その中に、か弱い一人の少女をぽつんと置く。それだけで、こんなにも豊かに自然の厳しさ、恐ろしさ、そして美しさを撮ることが出来るのか、驚きの映像が連続する。監督・原案 : リュック・ジャケ 出演 : ベルティーユ・ノエル=ブリュノー 、 イザベル・カレ 、 トマ・ラリベルテ 少女は狐に導かれて、子供では決して行ってはいけない山奥に彷徨い込む。少女は楽天的で、ある程度の山の知恵と脚力を持ってはいるが、それでも明らかに無謀なことを何度もする。少女の表情がいい。面白いもの、美しいもの、怖いものに素直に反応する。山の主の熊にであったり、一歩足を踏み外せば命の無い峡谷に入っていったり、複雑な洞窟の中に入り迷い何とか出口に出れば野生の動物の目が光る真っ暗な闇の森。自然と人間は本来、命と命との対話をする処であったことを思い出す。怖く、厳しく、恐ろしい処なのだということを、少女と弱小肉食動物である狐の視点で見せてくれる。その一方で、紅葉の山、真っ白な雪山で満月を背景に見せる狐の交尾の踊り、春の花々‥‥‥はっとするような自然美をいたるところで見せてくれる。狐の表情もいい。今まで日本の自然が一番表情豊かだと思っていたけど、いやいやフランスの自然も侮れない。自然って、凄い、美しい。
2009年01月23日
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エルネスト・チェ・ゲバラに興味を持ったのはつい数年前だ。『モーターサイクルダイアリーズ』はゲバラが中南米の統一を夢見るようになるまでを描いた素晴らしい作品であるが、この映画はある意味その正統続編になっている。監督 : スティーヴン・ソダーバーグ 出演 : ベニチオ・デル・トロ 、 デミアン・ビチル 、 サンティアゴ・カブレラ 、 エルビラ・ミンゲス北方謙三はキューバ革命を中国の古典に移し変えて『水滸伝』を書いた。中国全土を支配している宋王朝の転覆のために、梁山泊という一地方を自分たちの城にして、そこからそう王朝に挑む話である。精神的な支柱である宋江はカストロ、前衛軍を指揮し宋江と同等の将軍であった晁蓋をゲバラに見立てたのだという。(もちろん発想だけであり、ストーリーとはまったく違う)宋江と晁蓋は強い友情で結ばれるとともに、時には政策上敵対をし、時には敵を騙すために敵対をした。そうして晁蓋は志半ばで戦死するのである。ゲバラにとって宋は米国、中国全土は中南米だったのだろう。『チェ・ゲバラの遥かな旅』戸井十月著 集英社文庫という本がある。映画のかなでは省かれているが、超楽天主義に夢を語るカストロとの出会いや、グランマ号で無謀なキューバ上陸を試みて82人の兵士は12人に減ってしまう経緯が詳しく書かれている。映像にするとうまくいきそうな場面なのではあるか‥‥‥。ゲバラとカストロが別れ別れになる経緯なども書かれている。それは映画では次の話になる。その代わり映画では、ゲバラが約3年間のゲリラ生活の中で、どうやって寄せ集めのゲリラ軍を組織していったか、成長していったかがわかる。国連演説のあとに米国や米国よりの国々の反論に対して、ユーモアを持ちながら的確に再反論しているのは、この本の中では分らないことだったので、新鮮だった。あるインタビューでゲバラは答える。「愛の無い革命なんて想像することは難しい」なぜ、チェのみがカリスマとなっているのか。なぜ、ゲリラ戦という現代社会変革では取りにくいたたかい方で成功した人間が、例えば米国、日本、欧州、議会制民主主義の国々の国民からも支持されているのか。その秘密がこの映画を最後まで見れば明らかになるのかもしれない。いまのところ、私の仮説はこうである。彼のみが、『理想』を全面に据えた革命家であり、そうやって生き、一度みごとに成功し、そして失敗し、死んでいった。つまり最後まで『純粋』だった。後半『チェ 39歳 別れの手紙』を見てコメントしたい。
2009年01月21日
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クリントン大統領が京都議定書に反対のサインをしてから約11年、その当時の赤ん坊は今では立派な意見も言える子供になっている。彼らに向かってやっと大人たちのコメントが届くようになった。みごとなクオリティのアニメとして、ウォーリーとイヴの愛の物語として。今年の最初の鑑賞映画はこれでした。監督・原案・脚本 : アンドリュー・スタントン 声の出演・サウンドデザイン : ベン・バート 声の出演 : エリッサ・ナイト 、 ジェフ・ガーリン 、 フレッド・ウィラード 、 キャシー・ナジミー 、 シガニー・ウィーバー 途中少し眠っちゃったけど、いい映画だったと思います。
2009年01月11日
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