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郷土史家の花嵐氏の案内で「不洗観音寺と松島観音道」の見学学習会(学びの広場岡山主催)に行って来ました。 不洗(あらわず)観音寺があるのは現在帯江から早島にある小高い山の上。ここは、江戸時代の中頃から、中世海の中の島だったところ。次第に周りは新田開発で発展し、寺も「安産の観音様」として隆盛を誇るようになる。同時にこの島は帯江銅山があったところだそうで、その関係かいい水が湧いたらしい。この観音様を信心すると安産で三日三夜洗わなくてもいいくらい綺麗な赤ちゃんが授かるのでこの名前がついたらしい。 こんな所に銅山があるのを初めてしりました。40年で掘り尽くしたらしいですが、この山には今は入れないトンネルが縦横に張り巡らされているらしい。新田と銅と。日本中からいろんな人がやってきたのでしょう。 観音様は仏様の中では如来になる前の修業中の仏で珍しく「現世」での「救い」を行う。観音様がこんなに人気があるのは日本のみ。今日も若夫婦がたくさん来ていました。 寺から5キロほど離れた(中庄駅の北側)旧街道から続く参拝道に沿い33観音の石仏が設置され、今日はそれを逆にたどりました。約150年前に無名の石工が造った観音様が33に1つのみ欠けているけど現在まできちんと残っている。田舎ではない、町中なのです。新興住宅街の中に、マスカット球場の駐車場の真ん中に(客はお地蔵様かと思っているかもしれない)、ゴルフ場の中に、多くの道は無くなり、場所は少しだけ移動されたけど残っている。 彼岸(抽象的な幸福)よりも此岸(現実的な幸福)を願う俗っぽい我々だけど、その姿は「誠実」です。(写真は24番観音石仏。ここはまだ昔の参拝道の面影があった。)
2007年02月17日
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1月12日の朝日新聞に「へぇー」ということを書いていたので、忘れないように内容をメモ。「貧乏ゆすりはなぜ起こるか」「貧乏ゆすりは悪いことなのか」貧乏ゆすりをするのは男が圧倒的に多い。(男59%女7%)これはしつけの問題だろうということです。これは個人の癖ではなく、生まれながら持っている原始的な動きである可能性が高いらしい。何かに集中しているときに無意識に出てくるのは脊髄反射の証拠。しかも「貧乏ゆすりはひえの解消につながる」らしい。貧乏ゆすりを3分続けるとふくらはぎの皮膚温度が一度近く上がった。これはウオーキングを20分間したのと同じらしい。これはいいこと聞いた。貧乏ゆすりの実害は、振動が周りの迷惑になることだけだ。後の実害は「目障りだ」というもの。しかし、それは認識を変えることで変化するだろう。これは「人類の本能であって、しかも体にいいんですよ」と認識することで、横でするのを見ても「がんばっているのね」ということにならないだろうか……。
2007年01月13日
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/~~\ 明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします。 毎年元旦は食っちゃ寝、食っちゃ寝で過ごします。去年と違うのは、こうやってすき間時間を使ってメール更新出来ることです。技術の進歩ですね。 去年は午前中に一升瓶を一本終わらせましたが、今年は二合終わらせたのみ。これも進歩か。 明日から連歌(れんが)を始めます。私がやるので、素人大歓迎。575と77を繋げていくのみ。「繋ぐ」ことに意味を見つけます。
2007年01月01日
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写真は平和大会閉会集会フィナーレの模様です。まだメール更新していますが大丈夫、ちゃんと家には帰り着いています。観たい映画が貯まっているので、いま劇場の前です。 あと2~3、この大会で書きたいことがあるのでお付き合いお願いします。 閉会集会の時、片岡某嬢(ごめん、名前忘れた)の唄がありました。「原爆許すまじ」と「イマジン」をピアノ伴奏で独唱。唸りました。初めて聞いたような「許すまじ」だったんです。いろんな感情が波のように押し寄せて来るような。みんなと一緒に歌う歌もいいけれど、「歌姫」の存在というものは貴重だと発見しました。ひとつの歌だけで、集団の感情をまとめる「力」がある。 いつか書くことがあるかもしれない、古代を舞台にした小説では必ず歌姫が登場するだろう、と私は思いました。大きい目をしている以外は、小柄でぶっくりした顔の平凡な女の子が、一声出した途端に観衆を黙らせる。声は二山渡るほどに通り、海のように低く高く波がやってくる。その歌は実は主人公の運命を変えるものだったーというような物語をいつか書きたいものです(^_^;)
2006年12月11日
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旅から帰るとPCが壊れていました。電源は入るのに、起動しないのです。こんなことがないよう、電源を切って出かけたのですが、インターネットを外さなかったのがよくなかったみたいです。大いな落雷等があったのかもしれません。調べた結果「ハードディスクを認識しない状態」だとわかりました。 直ぐに旅日記を連載しようとしたのですが、しばらく無理みたいです。安倍さんの「美しい国、日本」という連呼について等、書きたいことは、やまほどあるのに残念です。(これは携帯から記入) 日本に帰って今感じているのは、「日本って不思議な国だなあ」ということです。 一つの殺人事件がこんなにも詳しく報道される。 CMは多様で細切れ。 どの店に入っても、清潔綺麗、そして値段が高い。 そろそろそういう「旅の目」は消えつつあるので、メモ的に書いときました。
2006年09月22日
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本当は午後から出かける予定だったのだけど、本当は高校野球は大嫌いでこの数十年まともに見たことはなかったのだけど、ついつい二時ごろから投手戦(党首選ではない)とうことなのだなあ、と観始め、気がついたら、6時ごろまでぼんやりとしていた。なんだかクーラーをかけるのが悪い気がして、ずっと掛けていなかったら、座っているだけなのに、びしゃこになっている。肉体と精神とはあそこまで鍛えることが出来る。いいものを見させてもらいました。でもこれを機会に高校野球が好きになるまでは行かないけど。
2006年08月20日
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去年からお付き合いさせていただいている映画サークルの方が、自分のマンションのベランダから岡山の花火大会がよく見える、というので、宴会つきで見させてもらっています。花火を写真に撮るのはホント難しい。休憩をはさみながら二時間の5000発の花火です。この宴会、ソーメン流し、カキ氷、風船釣りまで用意してありました。毎年のことながら頭が下がります。街は深夜まで、どこから沸いてくるのでしょうか、華やかな色にまとった女の子、男の子がが絶えませんでした。
2006年08月04日
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2日続けて不規則な生活をしているので、少し頭がほーとしている。サッカーの準々決勝は、強豪同士が戦っただけあって、最後まで予測のつかないものになった。特に、実力的には上だと思われていたし、実際試合の局面局面では南米の選手たちが圧していたのに、結局アルゼンチンもブラジルも敗退した。明日の運命なんて誰も予測はつけられない。心情的には個人技に優れている南米を、そして決勝一回戦でみごとなフリーキックを決めたベッカムのイングランドを応援していただけに、どの試合も理不尽な仕打ちの様に思える。それにしても相手側のデェフェンスのみごとなこと。日本のレベルは、やはりあと10年は遅れている。そんなことを書こうとしたのではなかった。そのおかげて寝坊をしていた夢の中、朝からずっと太鼓の音が聞こえていた。だんだん近づいてくる。そうか、きょうは「なんめいだあよ」の日であった。近所の子供会が、毎年この時期に大きな数珠を携えて部落を回って「なんめえだあよ」「だあよお、だあよお」と唱えながら玄関に回ると、家の人はお布施(子ども会への寄付)とともに大きな数珠を触ると、一年息災で過ごせるというのである。この地域のどこまで広く行われているのか、私は知らないし、そのいわれも知らない。おそらく、時期的には全国的に行われている虫送り行事(害虫を追い出す行事)の変形なのではないかと思っている。明日のことは誰も分からない。おかげが在るかどうかなんてわからない。けれども、子供にとっては、集団で疫を退治したような気になるし(少なくともわたしが子供のころはそうだった)、これが貴重な子ども会の財源になって年一回の旅行やクリスマス会のプレゼントの元になり、子供の健全な成長に役立つのである。それこそが真の疫退治なのだということは実は今日思ったことではある。
2006年07月02日
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どうやら、明日ぐらいに私のブログが10万ヒットを達成しそうです。(^O^)/これもひとえに、TBをしまくった私のおがげ……ではなくて、こんなわけのわからないブログに付き合ってきてくださった皆様のおかげです。いやまじで。ちゃんと自覚はあるのですが、よくもまあこんなところへ一年近くで10万回も来てくださいました。誤字は毎度のことだし、文法は間違っているし、文章構成はめちゃくちゃだし……以下略。と、いうことで、思いつきで記念プレゼントを考えてみました。とはいっても、踏んでくれた方の住所もメールも聞く方法は思いつかないので、こういうのを考えました。10万ヒットを目出度くも踏んで頂いた方には、お好きな言葉を三つ言って貰って私が千字以上で記事を書かせてもらってTBさせてもらいます。三題話です。「W杯、共謀罪、初恋」など、とんでもないものでもいいです。でもたぶん10万ヒットに気がつかなかったりもしますので(自分で踏む可能性も大いにあるので)、もし、申し出がないときには、10万を越えた時点で、この記事にコメントくださった方(数字は申告してください)で、10万に一番近い方に二つのお題で記事を作るという条件で「記事をプレゼント」します。えっ、そういうプレゼントなんて全然嬉しくない?すみません。こんなんしか考えられないんです。
2006年06月22日
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寝不足の夜が続いている。オリンピックの時だって私は寝不足になる。でもそれは最初の一週間だけだ。柔道が終わったら、普通の生活に戻る。けれどもW杯は違う。日本戦で熱狂するのは当然として、予選の1~2回戦、決勝ラウンドに入ってからは見応えのある試合があまりにも多い。ついつい見てしまう。世界最高水準のプレーをするのは当たり前。変幻自在のディフェンス、ピューマのような走り、風のようなドリブル、テレパスのような心理戦、天使のパス、悪魔のシュート、そして運命。そしてそれぞれの選手の人生の悲劇と歓喜が、世界中の人々の悲劇と歓喜にシンクロしてしまう一瞬。その瞬間を見る、体験してしまうことへの誘惑の前には、やはりいろいろなことは犠牲にしなくてはならないのだろう。哲さんが「あらゆる立場や考え方の人がワールドカップへの熱狂の中で思考停止になっているのではないか」と危惧する気持ちもわからないでもない。けれどもアナン事務総長も言っているように「人気」「話題性」「平等な参加の機会」「人種間、国家間の交流」「到達すべき目標がはっきりと見える」等々のように、ここから学ぶことのほうが多いと私は感じる。まあ、もし選手が君が代を歌わなかったからとかいってパッシングでも始まったときには私も立ち上がりますけれどもね。サッカーファンは今宵のブラジル戦をどのように予想するのだろう。私はまかり間違っても「がんばれば日本は予選突破できる」などとは言わない。けれども絶対出来ない、とは絶対にいわない。「サッカーは何がおきるかはわからない」私の予想は日本はブラジルに2-1で勝つ。(理性は最高1-1だろうといっているのだけど)そして豪州VSクロアチアは2-2で終わり、豪州が予選を突破するのである。勝って負ければ、あと4年間はがんばれるだろう。
2006年06月22日
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30日付け朝日新聞のシリーズ「ニッポン人脈記柔道のこころ」の最終回はシドニー五輪100キロ超級決勝で「誤審」に負けた篠原信一とフランスのダビド・ドイエだった。私もまざまざとあの瞬間を覚えている。篠原の内股すかしが決まった。ドイエが背中から落ちた。私は「決まったか?金メダルだ。」とすぐに思った。しかしなんとドイエの方に有効のポイントがついている。審判の間違いか?そのうちに時間が迫る。ドイエに金メダルが行った。学生時代6年間柔道をした私にとっては悪夢の瞬間だった。篠原は公には「自分の一本だと思って気持ちを切り替えられなかった。心が弱かったから負けた」と言っている。ドイエも公式のメダリストである以上、この記事の中でも負けを認めていない。けれどももドイエは尊敬する柔道家山下康裕に「わだかまりを解きたい」と手紙を書く。シドニーの半年後、来日するが、篠原には遠慮して遠くで試合を見ただけだった。直接話をしたのはその三ヵ月後、ミュンヘン世界選手権の練習会場で「さりげなく」話をする。握手をする。「試合はこれで最後にしたい」と篠原。いちはやく引退していたドイエは「気持ちは分かるよ」。二年後会ったときには、笑顔でがっちり握手をした。これは、個人と個人はそのように和解が出来る、という一つの例えである。それでもドイエは自分が負けたとは言わない(「篠原さんの方が柔道家として上です」とは言っている)。同じ日の新聞に「ローマ法王、アウシュビッツ訪問」という記事があった。ドイツ人法王ベネディクト16世は「ここへ来ることは前法王の後継者として、ドイツ人として義務だ」と述べ、ホロコーストの犠牲になったユダヤ人らに祈りを捧げたらしい。そこでどんなことが行われ、どんな発言があったのかは全貌はわからない。法王は言葉では謝らなかったのかもしれない。しかし、自ら特訓したポーランド語とイタリア語でミサを行い、極力ドイツ語の使用を避けたその態度に地元のユダヤ人社会も好意的だという。世界は60年以上前どのようなことが起きたのか、まだ忘れてはいないし、少なくとも一つの団体の長は「誠実」な態度をとっている。日本の政治家は中国、韓国、北朝鮮、アジア諸国にそういう態度はとってきただろうか?安倍とかいう男はそういう態度をとれる人間だろうか?個人と個人の和解でさえ、非常に難しいというのに。日本という国が心配でたまらない。いつも、いつまでも、東の海の彼方の国の方向しか向いていない日本が。今年のカンヌ受賞作が決まった。パルムドールはケン・ローチ監督の「ザ・ウインド・ザット・シェークス・ザ・バレー」。アイルランド独立戦争を描く。監督は「独立と干渉、そこに存在する暴力は今日的な問題だ」という。今年のカンヌは奇しくもアカデミー賞と同じく、政治的な作品が揃った。9.11から5年後、世界はやっと語りだした。日本にその気配は未だに無い。
2006年05月30日
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ちょっとお家の事情で、コメントやTBの返しが出来ていません。ただ、今日は「記念日」なので、急ぎメッセージのみ。 今日でこの「再出発日記」も一周年経ちました。「何が再出発なの?」と聞かれるのですが、今となっては秘密です(^_^;)最初は身の回りのことをこつこつ書くつもりだったのですが、いつの間にか書評映画評を書き始め、平和は私の「卒論テーマ」「人生テーマ」であるため、自然と政治の記事も書くわ、趣味の考古学、旅の話は当然出て来るわ、で作って来ました。 無節操なブログなのですが、望外のアクセス、コメント、TBを頂きびっくりしています。年間二万アクセスが他のブログやHP見ての目標だったのですが、それをはるかに超える七万五千以上のアクセスを頂いています。原因は分かりませんが、ありがとうございます。取り急ぎ御礼まで。 あっそうそう。今日は私の誕生日でもありました。
2006年05月11日
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昨日と今日と花見でした。昨日は旧知の仲間と楯築遺跡(弥生時代最大の墳墓)の近くでしこたま食べ飲みして今日は毎月の「お話シネマ」の会の特別バージョン。天下の三大公園、後楽園の中で正徳年間につくられたという建物を借りてお花見です。(去年の今頃予約していたらしい)しこたま食べて飲んで、終わり近くのクイズ合戦で最後の問題。「落語の長屋の花見で、貧乏なので酒とかまぼこと卵焼きはほかの何で代用したか」というのに、私は二つ答える事ができたので、さくらソバをゲットしました。回答はここです。
2006年04月09日
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今日は、一年間の韓国語講座打ち上げです。還りの電車より携帯から。 今日の行く途中のバスの中、出発しようとすると、若い女性が「すぐおります」と言って入ってきました。「この前五千円しかなくて払えなかったんだけど、運賃払いにきました」と言って160円置いてさっさと出て行きました。 当の運転手では無いのでしょう「ありがとう」と苦笑いしていました。彼女にしてみればともかく金さえ返せば気の済む問題だったのではないでしょうか。 べつに感心したので紹介するわけではありません。若い女性は概して貧乏ですが、160円よりもプライドのほうが大問題です。(返しただけで御礼をいわなかったので私が勝手に推測)落語の「三方一両損」を思い出した。 財布をひろった貧乏Aは貧乏Bのところへ届けるのだけどBは「いったんおれの懐からでたもんだ。てめぇにやるからもってけ!」と受け取らない。Aも受け取らない。「持ってけ!」「とっとけ!」そこで仲裁にでた御隠居はーー どちらもプライドの張り合いだけど、それを仲裁する御隠居もプライドを持っているみたいです。 こういうプライドの張り合いをぜひとも政治に期待したい。 確か小泉首相がこれを言った時、政府は御隠居の役割さえ拒否したはず。こんな登場人物ほど憎らしい者はいない。 介護保険の大幅値上げ、「グループホームの値上げがあって今度から月二万円もあがるの」と今日の飲み会で誰かがこぼしていた 打ち上げは楽しく終わりました。美人のチョン先生は今週末韓国に帰るので、今日でお別れ。最後にいろんな話もできました。
2006年03月27日
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「Under the Sun -EQT-」第2回アンケートというのをしていて、クリックでもTBでも投票が出来るようになっている。今回のテーマは「2004年11月に紙幣の肖像が変わった時、1万円札の福沢諭吉も変えるべきだったと思いますか。」ということ。プログのアンケートというのは、上手いこと利用すれば、一定の世論つくりになると思う.なぜなら、プログにはTBという武器があるので、宣伝をしやすい。ただし、多重投稿の問題をクリアしなくてはならない。その点TBならそれをクリアできるが、いかんせん投稿数が少ないと意味が減少してしまう。難しいところだ。その意味で、こういう取り組みに参加することは意味があるだろう。アンケートは、結論から言えば、「続投でOK」ということになる。福沢諭吉続投に大きな陰謀があれば別であるが、わたしは聖徳太子でなければ、福沢諭吉で全然問題がないと思う。他の国のお札はあまり知らないのであるが、例えば、ドル札、たしかリンカーンとワシントン、だったと思う。中国の場合はいまだに毛沢東である。ほかの人間は出てこない。聖徳太子や伊東博文がしゃしゃり出ていたときよりか今のほうがよっぽど使える。文人シリーズというのは世界でも珍しい傾向なのではないだろうか。反対に言えば、他所の国はそれほど自分の国を作るとき国民的コンセンサスをつくっているということなのだろう。日本の場合は、どういう国を作るか、そのコンセンサスがまだできていないということなのだろう。その典型が憲法改正論議である。確かに福沢諭吉の思想に全然問題がないわけではない。彼は日本功利主義の先駆けである。彼が近代資本主義の思想を導いてきた。「脱亜入欧」がどこまで福沢の意見かは知らないが、彼の思想の中にはきちんと亜細亜蔑視はあるし、国権主義に傾いていったのも事実である。しかし、一方で「一身独立」して「一国の独立」があると訴えた彼の思想はまだまだ実現していない。彼は最初から西洋近代市民社会の基礎にlibertyとrightがあることに注目している。しかしいまだ日本の権利はお上から頂いたものだという感覚や自由とは「自由勝手」なものであるという解釈が残っている。正確に福沢を再評価する必要はあるだろうと思う。別の言葉で言えば、「福沢諭吉を恩賜の一万円札から回復の一万円札に変えていく」ことが必要なのであろう。
2006年02月13日
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昨日の雨とはうってかわって晴天。倉敷屏風祭を覗く。毎年この時期に倉敷美観地区の非公開の住宅も含めて玄関先を公開し所蔵の屏風などを見せてくれるのだ。普段見れない屋敷構造やそこに住む人と話が出来て、私は楽しみにしている。「加藤」家では、おばあさんの米寿の祝いということで金屏風と福の神の博多人形、おばあさんの県展入選の絵をだし、88歳とは思えない姿でかくしゃくとして入場者の相手をしていたのが、印象的であった。
2005年10月16日
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講演会を聞く前に三十分ばかし時間があったので、隣の国宝「閑谷学校」を見学した。数十年ぶりにやってきたが、周りの環境はともかく講堂内はあの時のままで、まるで時が止まったかのようであった。閑谷(しずたに)学校は1668年(寛文8年)岡山藩池田光政の命により、藩士・領民のための学校として設立される。現在の講堂(写真)が完成したのは1701年(元禄14年)。藩営の庶民学校としては例を見ない華麗な造りで、総備前焼の瓦で葺いてある。日本最古の公立の庶民学校で、かつ現存する最古の学校建築である。頼春水、頼山陽、菅茶山が来遊した。明治に山田方谷が経営を継いだ。ン十年前には、私も林間学校で、この講堂に座り拝講したが、当然何も覚えていない。痺れの感覚と今も変わらない鏡のような講堂を乾拭きした記憶だけがなんとも懐かしい。
2005年10月10日
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墓参りをする。墓地からは私が何十年も住んでいる町が一望に見える。人は死んだらどこに行くのだろうか。仏教は天国という「彼岸」に行くと教えてているが、実際は、ご先祖様は村が一望に見えるこの山の上で留まっているのだ。いわば「此岸」にいる。というようなことを柳田國男は言っていたかもしれない。この何十年間で景色は大きく変わった。一面の田んぼに大きな道路が通り、次々と家が建てられ、やがて田んぼは見えなくなった。遠くに見える水島工業団地の住宅地に変わったのである。亀の形をした山は亀島という。西日本最大の戦前の地下工場があった場所である。ということは以前に書いた。
2005年09月25日
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私が一番好きな「だて」のラーメンを食べる。岡山ラーメンの特徴が出た店をあえて言うと、此処か、「天神」か、「山富士」か……しなそば@550円元気のいいおばさんがいて、なんだか店のような気がしない。ところが今日いつものおじさんがいない。「どうしたんですか。」「いなくなったんよ、リストラされたというか……」「首になったんですか」「うちはそんなにたいした店じゃないのよ……」結局良く分からなかった。そのせいか、スープの味はいつもの味だけど、麺のゆで方が固い。半年くらい来なかったからなあ、またちょくちょく来させてもらいます。
2005年09月21日
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例によって映画鑑賞前のラーメン。今日は新店、札幌ラーメン。味噌ラーメン@630円。味は素晴らしい。自家製麺なのだが、ふと麺で縮れ、腰が強い。これが濃いスープによく合う。あとはコスト的にみんなに支持されるかどうかである。390円とちいう「昔ラーメン」もメニューの中にあるので、工夫はされていると思うのであるが、何しろ立地が昔から回転すし、うどんや、その他4~5回次々と潰れたところだからなあ。場所は駅西口から西へ警察署へ行く途中の左手。
2005年09月18日
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最近は映画を観る前後はラーメンを食べるのが習いになった。「天神」のラーメンを食べに行ったのだが、やはりもう閉店時間だった。夕方に店を閉めるというわがままで美味しい店が岡山には多い。仕方なく100mほど西の「龍や」に行く。あさうまラーメン、550円。とろりとした太肉が乗っている以外は変哲もない博多ラーメン。もう年なのか、こってりが鼻につく。
2005年09月14日
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高井も三位決定戦になったりしても気持ちも切れず、がんばったと思う。見事な銅であった。北田は期待通りには行かなかった。やはり谷は凄かった、というほかはないのか。谷なら、幾通りもの戦い方を身につけている。しかし貴重な世界の体験、来年再来年谷と対戦するときもしかしたら、彼女は化けるかもしれない。江種はひと踏ん張りがほしい。薪谷はすごい。怪我からの奇跡の生還。準決勝の逆転劇。決勝の地獄から生還。その後弱気にならず、しかも最後の最後で技が出た執念。もっとも価値のある金だった。アテネを越える11のメダル。しかし金の数は三つ。黄金時代前夜なのではあるが、課題は多い。えっ、明日もあるの?団体戦?以前もあったかしら。まあ、当然金でしょ。そうなれば私の予想はあたるということになるのか。
2005年09月11日
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宮本も、高松も、気持ちでは負けていなかったと思う。しかし、宮本は自分の柔道が出来なかった。それは相手の試合運びが上手かったということであり、技だけでは超えられない、世界の壁があるということだろう。高松の左右背負いでは世界は狙えないことが分かった。左右が問題ではない。古賀の様な技の切れがほしい。横沢由貴の三回戦はまれに見る死闘だった。最後にものを言ったのはまさに体力だった。凄い。あれが全てを決めたような気がする。ただ惜しい。本当にあと一ミリ足りなかった。決勝戦の最後の20秒もう一度技をかけていたら……。内柴は柔道家として自立するために大学卒業後すぐに結婚したのだという。彼の「金」には生活がかかっている。その覚悟やよし。このままでは終わらない。最後のコメントはよかった。「見て分かるように強くないんで……強くなくても勝てるところをみせたかったんですが……だめでした……」いや、内柴は強い。それより少し強い選手が登場しただけなのだ。がんばれ。私の予想はあくまで金四つ。明日は二つやってくれそうな気がする。
2005年09月10日
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今日は咽喉を枯らしてしまいした。「かけろー!」「いけー!」上野の初戦。「今はわくわくしているんです」とアナウンサーの声が出番を待つ彼女のアップに重なる。ところが彼女の顔が固い。少し不安になる。最初に相手が技をかけてかろうじてかわす。そのあとわりといい組み手になるのに上野の技が出ない。技が出ない。技が出ない。指導が入る。緊張しすぎている……しかも有効が入ったと上野もしばらくは勘違いしてしまった。そのあとも技が出ない。技以前。心が負けていた。これだから柔道はおそろしい。たいへん失礼な言い方だか、泉は右手をいためたのが返って良かったのかもしれない。最後まで挑戦者でいられた。見事な金だ。おめでとう。気持ちが勝っていた。小野の気持ちの切り替えは見事だった。最終戦。あれこそ日本の柔道だ。谷本の場合は……気持ちも充実していた。技も切れている。体力もある。けれども相手がほんの一ミリ上だった。もしかしたら10cm上だったかもしれない。見事な銀だったと思う。やはり日本はまだまだ技を磨かなくてはならない。しかし昔の山下や古賀、田村みたいにひとりのみが孤立していない。あともう少しという人材が日本中にいる。やはり黄金時代前夜だと思う。明日も声を枯らして応援しよう。
2005年09月09日
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世界柔道が始まった。民放が初めて中継。上手いこと繋いで、臨場感もって、テンポよく進んだ。柔道は投げるところだけ見たら意味がない。一回戦から、その試合の全てを見ないと、何しろ格闘技なんだから、心技体全てかける、特に心。此処に見所がある。今日は金一(鈴木)。銀二(棟田、中澤)。銅一(塚田)。全員がメダルである。鈴木はアテネのときの「イェ~イ」から一転、涙声。康生の気持ちをつくづく感じたのだろう。「康生先輩が……康生先輩が……」と心の葛藤が相当あったことを感じた。アテネのときのゴールドラッシュ。あれは理由があると私はおもっている。ソウルオリンピックの斉藤の金ひとつだけに象徴されるパワー柔道に負けた時代から、この間「投げ捨て」は反則を取るように規則が変わった。これによって相手が本気で技をかけるようになって来た。そうなると柔よく剛を制す、日本柔道の技の切れはぴか一なのである。アテネのときから私は日本柔道の「黄金時代」が始まったのだと思っていた。しかし今日三本の負けを見ると、明らかに三本とも相手の技のほうが切れている。塚田ではないが、日本の技はまだまだステップアップの「のりしろ」がある。アテネのときは相手が油断していただけだった。今は日本柔道「黄金時代前夜」である。と思う。予想は日本は金四つ。ガンバレ日本。(以上、中学高校と六年も柔道をやって初段で終わった男の感想でした。)
2005年09月08日
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三日月や荒ぶる風のあとの夕暮れ台風一過。いっぺんに秋が来た。西の空には天竺がある。
2005年09月07日
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4時になったとき、「早退してもいいよ」というありがたい指示。此処岡山市ではまだまだだと思っていたわたしではあるが、早退って初めての経験。ありがたくいそいそと出ました。外へ出ると、雲がすごい勢いで走っています。細かい雨が時折横殴りで吹き付けます。まるで観光みたいにパシャパシャ写真を撮っていました。そん時の一枚が右です。ところがそのとき事件は起きました。突風で傘が潰れたのです。私の傘はコンビニで600円で買ったものだから、骨が弱い弱い。いっぺんで使い物にならなくなりました。気に入っていたのに。そういえば今まで台風のときはいつも車で移動だったから、傘さしたことなんてなかったのだ。いつもテレビを見て、「この風では傘は役に立ちません」という説明は聞くけど、「いったん潰れたら、コンビに傘はその場で使えなくなります」という説明は聞いたことがない。(もしかしたら私の常識がなさ過ぎ?)でもこれは重要な情報だと思うのだけどなあ……。それにしても暴風雨圏に入っていない野良この風はすごい。と、いいながらせっかく出来た時間、フィットネスに行ってしまった私です。(^^;)それどころか、イオンが8時から臨時休業しなかったら、映画も観ていたかもしれない。
2005年09月06日
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今回も映画の帰りにラーメン屋に寄ってしまった。今日は新店である。福山の博多ラーメンらしい。味はそれほど特徴はないが、一杯500円というコストパフォーマンスと高菜とすりゴマとり放題というサービスが特徴。ところがそれを入れて食べると、特徴がなかった味がとたんに美味しくなった。この高菜は美味しい。お奨めです。
2005年09月05日
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急に「だて」のラーメンが食べたくなった。ところが、行くと九月一日まで長期休暇中。「ここはきっと趣味でやってんだ~」と、なんとなく納得しながら、岡山で一番権威のある「岡山ラーメン学会」(!?)で昨年評価がトップに返り咲いた「やまと」にいくことにした。やはりやっていた。ここはいい意味で商売気がある。店を新しくし、品数も増えた。しかし味は変わらない。ラーメン@650円。そのあたりが新興の「商人」の連覇を阻み、この老舗が勝利した要因だろう。この魚臭さに私は「嫌らしさ」を感じるのだが、旨いことは旨い。
2005年08月22日
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今日急に百万両のラーメンを食べたくなった。そういえば初めてここのラーメンを食べたのは、30年前の夏休みだったような気がする。相変わらずの店構え。相変わらず、カウンターにお金が置いてあって、かってに清算して帰るシステム。しょうゆベースのスープにしっかりつけたシナチク、昔ほどではないが、客は常時10数人は入っていて、次々とかってにカウンターに置かれたラーメンを食べては帰っていく。変わったのは主人の代変わり、値段も300円から450円に変わった。もっともこの10年値段変わっていないので、がんばっているほうだと思う。途中何度もテレビで紹介されたり、一日何百人という人が訪れたという時代があったり、支店を出しては失敗したり、この店にも幾星霜かの時代は流れたが、私はみんなが言うほどは味は変わっていないと思う。この味の濃さと案外のさっぱり感は、当時水島の労働者たちには必要な味だったのだろう。そして部活動で疲れた私たちにも。変わったのは私たちの味に対する好みなのかもしれない。
2005年08月13日
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今日昼過ぎ、私のオフィスに激震が走った。某氏が時事通信の次の情報を持って現れたのである。岡山2区に現職市長擁立=反対派への対抗馬第2弾-首相「全ブロックに女性候補を」 自民党は11日、衆院選岡山2区に萩原誠司岡山市長(49)を擁立することを決めた。小泉純一郎首相が萩原氏に直接出馬を要請、萩原氏も基本的に受諾する姿勢を示した。同選挙区からは、郵政民営化法案に反対した熊代昭彦氏が立候補を予定しており、東京10区へのくら替え出馬が決まった小池百合子環境相に続き、反対派選挙区での2人目の対抗馬擁立となる。 保守系同士がどう争おうと知ったことではない。(個人的には改憲派の問題点を明らかにするいい機会なのではあるが)しかし現職市長が選挙に出るということは、同時に市長選が始まるということなのである。過去国政選挙は労組の団体はタッチしてこなかった。しかし首長選挙は政策協定を結び、半年前から政策実現のために必死になってやってきたのだ。今回は一月しかないので、この一月が地獄のような日々になることが目に見えてしまう。いや、『絶好のチャンス』になるのだろうか。
2005年08月11日
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8月5日の夜、県庁所在地の花火大会に初めて行った。映画鑑賞会の仲間が、大会近くのマンションに住んでいて、毎年そこのベランダでパーティすると言うので(会費制)覗かせてもらったのだ。いくら会費を取っているからといっても、飲み物食べ物のほかにかき氷はあるわ、ところてんつきはあるわ、ヨーヨーつりまで準備しているわ、すごい!楽しんでいるなあ~。花火はすぐ目の前かと思っていたら、少し遠かったけど、全体像が見えたし、見下ろす形で見る機会なんてめったにないので、なかなか素晴らしかった。こんな大きい花火大会は10数年ぶり。前半は一発づつ趣向を凝らした花火。青い花火なんて初めて見たし、銀河みたいに楕円形の花火がいろんな角度で打ち上げられたり、ハート形の花火は一回観たことあったかな。花火って毎年進化しているんですね。写真はいっぱい撮ったけど、たぶんみんな失敗。携帯で撮ったのをひとつだけアップします。デジカメで撮ったのは取り込む機械が遠くにあるのでまた機会を捉えてアップします。
2005年08月07日
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『働くものの命と健康を守る中国ブロックセミナー』に参加。労組の学習だけではない、国立公園三段峡の散策やら美味しいものを食べてちと健康を養おうという企画。労働安全衛生法の学習やら、ずっと平机での学習でそれはきつかったのだが、自然は素晴らしく、さすが国立公園だけあって、宿からすぐすばらしい峡谷がずっと続いていて、夕方と早朝に散策した。ギバボウシだろうか。可憐な花が岩に棲みついている。
2005年07月24日
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先日の人麿の「淡海の海 夕波千鳥……」の歌での私の疑問について、gooの質問サイトで聞いたら、一日で返事が二つもやってきた。インターネットのすごさをまざまざと思い知った。ともかく答えていただいた方、ありがとうございました。
2005年07月22日
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今日朝日新聞で、レタスが少雨で出来すぎで余っていて、値崩れしているという記事を読んだ。(デュオで98円)買い物にハローズへいくと、チラシには載っていなかったのだが、なんと一玉78円だった。前、一玉98円のレタスを買って、あまりにも汚くて、半分以上捨てたことがあったので、試しに半玉38円というのを買ってみた。かえって、あけてみると非常にきれいな上玉。そのままちぎって、マヨネーズをかけて食べた。これ、あと数日はレタス「買い」ですな。お百姓さんは可哀想だ。
2005年07月03日
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アルバイト始めて、平日昼に初めて弁当を休む。行く途中、気になっていた「はなまるうどん」に入ってみる。たくさん人が入っていた。昼食に確かに「安い早い旨い」でピッタリかも。ただ、私この手のチェーン店は本場讃岐の味とつい比べてしまうので、敬遠していたのだ。ただ人がたくさん来るなら味が良くなるのがうどんというもの。美味しゅうございました。かけ中。半熟卵、野菜てんぷらトッピングで381円。
2005年06月22日
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長い有給消化が終わり、今日が正式退職日。正直何の感慨もないが、ただ最近しきりと「生きる」とはどういうことなのかなあ、と考えている。職場を去ろうとしていたときは偶然手に取った本が全て、「逃げていいんだよ」「私は逃げた」「人生にやり直りは効くのか」というテーマばかりだった。最近読んだ本は多くが、「人生に必要なのはどきどきする心である」「人には誇りが必要だ」というような本ばかりに出会う。別に選んでいるわけではないんだけど。正式な退職日は偶然にも、この前から始めている「県労」のアルバイトの給料日になった。なんと現金でくれた。(@@;)。20数年前の初給料以来かもしれない。この軽いような重たいような重み。忘れていた。東野圭吾「手紙」読み終える。ミステリーと思っていたわたしは少し肩透かし。でもいい作品だった。「生きる」ためにはやはり○○が必要なのである。
2005年06月16日
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今日は中執のあと、もとの労組役員たちが「ご苦労さん会」を開いてくれた。旧懐を懐しむような内容にはならなかったが(みんな今日明日の問題で頭がいっぱいなのだ)嬉しかった。明日もこの地で用事があるので泊まることにした。駅裏の日栄ホテル。初めてだが、素泊まり2700円ということで、目をつけていたのだ。風呂便所は共同だが、和室の清潔で落ち着いた部屋で気にいった。クーラー、テレビあり。韓国のモーテルはさがせば2000円のところがあり、当たり外れがある。そこの「当たり」に匹敵する宿をみつけた感じ。その後駅前の「丈(たけ)」のラーメンを食べに行く。白醤油味600円。老舗「丸天」の隣に店を構えたということで気にはなっていたのだ。少し高いが薄味でまあ合格。しかし従業員が多いのが気になる。先行投資多過ぎて潰れていった店多いからなあ。
2005年06月11日
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今日は午後から外回りする機会があり、旧知の人何人かと逢う。私の転身を知らない人や、いろいろ聞いてくる人がいて、そうとう後までこういうことはつづくんだろうな、と思う。照れたように話さないようにしよう。明るく話そうと思う。写真は今日の弁当。基本は電子レンジおかずの組合せ。無理しないことで一ヶ月以上とりあえず続いた。
2005年06月07日
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駐車場から歩いて15分くらいのところが職場。途中河沿いの公園を通るとちょこちょこ花が植えられてあり、楽しんでいる。野の花もすきなのだが、栽培用の花も変化あっていいものだ。写真はコクチナシ。色が初夏らしくていいですね。
2005年06月01日
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いつも簡単弁当なのだけど、今日はとくに簡単~。キムチ容器の残りにご飯を詰めて、冷凍野菜を温めてのせ、炊飯するときついでに作った茹卵を添えただけ。5分で出来る。
2005年05月26日
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なぜか今日はアルバイト休んで一日元いた職場の労組活動。 昼は中央執行委員会。夜は支部の茶話会に出席。あいさつは覚悟していたけど、パートさんは食事や景品の準備はしていてくれていたけど進行は正規職員任せ。「そこまでは私しらないよ~」でも支部長が遅れたので適当に進めた。確かに今はまだ有給休暇消化中なんだけど、まだえんが切れないかと思うと複雑な気分。
2005年05月25日
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仕事一週間目が過ぎた。まだまだ仕事の段取りが悪くて、ものすごく時間を無駄にしている気がする。だんだんとスピードアップしていこうと思う。初めて会議に参加。今週は生まれて初めて、ずっとカッターにスラックスで仕事していたのだが、(前は作業系の仕事していたので)このときだけはネクタイを締める。でもみんなラフなかっこうしていたので、今度からはネクタイもやめよう。出来たらカッターもやめたいのだが、どうもそうはいかないらしい。
2005年05月20日
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通勤途中に、出会った雲。高橋健二「空の名前」において、命名されている名前であるが、私はこの20年くらい見たいと思っていて、今日初めて見た。飛行機がたまたま薄い雲の中を飛ばないと出来ない雲である。
2005年05月19日
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仕事三日目。周りの人たちはみんな親切で、全然ストレスはないのだけど、そろそろ自分で仕事を見つけないと「役立たず」になりそうで怖い。節約生活に入っているので、生涯で初めて、毎朝弁当を作ってもっていく日々。レンジでチンするおかずばかりなのだが、いつまで持つことやら。でももたせないとなあ……。
2005年05月18日
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「県労おかやま」というところに初出勤。仕事の内容も何も聞かず、憲法共同センターの事務局というだけで決めたアルバイトなのだが、最初、おもむろに仕事の説明を始めたのが、もといた労組の副委員長であった。そうか、ここの副議長もしているので、この人が私の直接の上司になるのか……(ちょっと複雑)仕事時間は昼から夜に変わったり、駐車場がないため、安い駐車場を探さないと何のために長時間仕事するのか分からないとか、知らない固有名詞がたくさん出てきたりとか、初日特有というか、しばらく続きそうなすったもんだがあって、一日が終わったのでした。
2005年05月16日
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平日の休みは今日で最後。ふと思いついて、病院にいく。水虫の薬をもらいに行こう。病院だと安く買えるかも。甘かった!!医者に見せると有無を言わさず、飲み薬を出しましよう。血液検査をしましよう。それは確かに私の水虫は塗り薬だけではすまないかもしれません。でもどれくらいお金かかるか相談もしないで、それはないんではないの!!結局3割負担なのに、5500円もかかった。薬局で市販の塗り薬を買ったほうがよっぽど安く付いた。県立図書館だけではなく、今日は市立図書館のカードを作る。図書館で佐古和江「吉野ヶ里」を読み終え、大沢在昌「闇先案内人」を借りる。ついついガストで全部読み終えてしまった。眠い。寝ます。
2005年05月13日
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昨日結局いけなかった、社会保険庁、市役所、ハローワークに行ってきた。正式退職は一ヶ月先なので、いろいろ聞いておきたいことがあったためだが、やはり初めての経験、なるほど~ということが多くあった。年金はきちんと申請したら免除ということがありうる。健康保険は、厚生年金を任意継続(現在の倍額になるが)したほうが得。ただし私の場合。これは市役所で調べてもらう。雇用保険は退職して一年は有効なのでしばらく様子を見ることにした。来週から、県労岡山の憲法共同センターでアルバイトをすることになった。もともと、平和関係の仕事をしたいということでやめたので、これは渡りに船。しかし、週30時間労働ということで、ハローワークの人は20時間以上は就職です、と言われてしまった。アルバイトとかパートとか関係ないらしい。川田忠明「それぞれの「戦争論」」を読み終える。土曜日に本人と直接会える機会がある。いろいろと室質問を用意しておこうと思う。宮藤官九朗「真夜中の弥次さん喜多さん」を見る。「本当のリヤルをもとめて、お伊勢参りだぜい、ベイビー」という内容なのだが、なかなか、見事な飛びっぷり。もうちょっと、哲学的な「死」と考えるのかとと予想していたら、結局は愛(この場合は中村と長瀬の男同士の愛)なのね~荒川良良も見事なぬぎっぷり、もとい、怪演。
2005年05月12日
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誕生日なんだけど、何の行事もありません。まあこのプログをかき始めたというのが唯一の行事でしょうか。仕事をやめてから今日で三週間目。なかなか思う通りには行きません。さて、これからはローワークデビュー、社会保険庁デビューをしなくちゃいけないんだけど、なかなか腰が上がらない。
2005年05月11日
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