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今更ですが、6月に観た映画を紹介します。8作品でした。二回に分けて。 「コンフィデンスマンJP」誰が最後に勝つかではなく、どう騙すか、が問われる作品。惜しかった。おかしいと思っていたのに!伏線を疑っていた場面を物語が進むにつれてつい忘れてしまった。「みんな見事に騙されたでしょ!」結局これが長澤まさみの代表作品になるだろうか?ちょっとかわいそうだ。(ストーリー)詐欺師のダー子(長澤まさみ)、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)は、欲にまみれた者たちから大金をだまし取ってきた。香港の裏社会を牛耳る女帝ラン・リウ(竹内結子)を新たなターゲットに定めた三人は、彼女が持っているはずのパープルダイヤを奪うために香港に行く。なかなかランに近づけずに苦戦する中、天才詐欺師のジェシー(三浦春馬)が同じく彼女を狙っていることがわかり、さらにダー子に恨みを抱くヤクザの赤星栄介(江口洋介)が不穏な動きを見せる。(キャスト)長澤まさみ、東出昌大、小手伸也、小日向文世、織田梨沙、瀧川英次、マイケル・キダ、前田敦子、佐津川愛美、岡田義徳、桜井ユキ、生瀬勝久、山口紗弥加、小池徹平、佐藤隆太、吉瀬美智子、石黒賢、竹内結子、三浦春馬、江口洋介(スタッフ)監督:田中亮 脚本:古沢良太 音楽:fox capture plan 主題歌:Official髭男dism上映時間116分2019年6月2日ムービックス倉敷★★★★ 「風と共に去りぬ(午前10時からの映画祭)」もう「午前10時からのー」でだけでも、3回目の鑑賞。それ以外を数えると何回見たかわからない。ひとえにマイルを貯めるためなのだが、それでもいったん見始めると、正味4時間最後までほとんど寝ずに観てしまうのは、我ながら不思議だ。改めて、究極のメロドラマだと思う。前半こそはスカーレット視点で物語が進むが、後半は4人平等に視点が変わる。特にレットバトラーの視点が多くなり、彼のミスで2人も子供を殺してしまっているのは、前半の万能選手的な扱いからいえば彼らしくないといえばいいのか、より人間味が増したといえばいいのか。それにしてもレットは、スカーレットの涙を拭くために3回もハンカチを胸ポケットから取り出す。無頼派を気取っているレットだが、ハンカチをそんな風に常備できる男なんて、現代ではもはや絶滅種だろう。CGがない時代のセット撮影を存分に楽しめる映画。何度か出てくるし、ポスターにも使われているタラの夕焼けは、ホントの夕焼けなのか?それとも絵画なのか?大画面で観ても分からなかった。誰か知っている人は教えて欲しい。本物だとすれば、どのくらい撮影待ちをしたのか気になるし、絵画なのだとしたら、ほとんど芸術!もう「10時からの」も終わるし、これが映画館で観る最後かもしれない。著者を代えて続編が出版されているらしいが、とうとう読んでみたくなった。←しかし、レビュアーのあまりもの酷評に、やはり読む気が失せた。2019年6月6日TOHOシネマズ岡南★★★★ 「長いお別れ」中野量太監督なので、もっとドラマチックな展開かと思いきや、まるで是枝監督のような展開。それはそれで中野監督のもう一つの一面なのだろう。普通のドラマならば、動物園場面で終わらせるところだけど、その2年後の話を描くことで、ドラマを見せたいのではない、ゆっくりと家族がお互いお別れをしたのを描きたかったのが判る。病状の判断、距離の取り方、デイサービスの利用、ヘルパー・ショートステイの利用など、現代介護状況を余すことなく描く。蒼井優と竹内結子は中島京子の分身だ。遠距離と家族問題で悩む竹内と仕事と恋人との関係で悩む蒼井。それでも、現代の介護をつかいながら、最初からきちんと病状を理解して、最も普通の70歳発症アルツハイマーお父さんの病状を見せてくれた。たいへんだけど、決して不幸ではない。と言うことを見せる、それなりの意義のある作品。「湯を沸かすほどの熱い愛」ほどの傑作ではない。(見どころ)直木賞作家・中島京子の実体験に基づく小説を、『湯を沸かすほどの熱い愛』などの中野量太監督が映画化。認知症の影響で徐々に記憶を失っていく父と、彼と向き合う家族を描く。認知症の父を『モリのいる場所』などの山崎努、家族を『彼女がその名を知らない鳥たち』などの蒼井優、『春の雪』などの竹内結子、『ゆずの葉ゆれて』などの松原智恵子が演じるほか、北村有起哉、中村倫也らが共演。(あらすじ)2007年、父・昇平(山崎努)の70歳の誕生日で久々に帰省した長女の麻里(竹内結子)と次女の芙美(蒼井優)は、厳格な父が認知症になったことを知る。2009年、芙美はワゴン車でランチ販売をしていたが、売り上げは伸びなかった。麻里は夏休みを利用し、息子の崇と一緒に実家へ戻ってくる。昇平の認知症は進行していて、「帰る」と言って家を出る頻度が高くなっていた。2019年6月6日TOHOシネマズ岡南★★★★ 「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」監督は、日本のゴジラ映画のファンらしく、ゴジラやモスラの主題歌も編曲しながら使っているし、ゴジラが神に近い存在だということも描いている。けれども、ハリウッドはどうしても家族の話を大きな軸に据えないといけないらしい。それでどうしても違和感を覚える。この話で無理矢理入れなくてもいいでしょ?キングギドラやラドン、モスラの造形は素晴らしいのだけど、なんかB級映画感が拭えない。この地球的な未曾有な話をたった130分少々で終わらせてしまうのですか?本来地球政府ができるとか、いろんな人類側のドラマがあるんじゃないですか?そもそも未確認生物特務機関モナークって何?何処から金が出ているの?そういうツッコミを入れるときりがないくらいいろんなところが謎の作品。決定的なのは、ゴジラが神々しくないということ。(ストーリー)神話の時代に生息していた怪獣のモスラ、ラドン、キングギドラが復活する。彼らとゴジラとの戦いを食い止め世界の破滅を防ごうと、生物学者の芹沢(渡辺謙)やヴィヴィアン(サリー・ホーキンス)、考古人類学者のアイリーン(チャン・ツィイー)らが所属する、未確認生物特務機関モナークが動き出す。(キャスト)カイル・チャンドラー、ヴェラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン、サリー・ホーキンス、渡辺謙、チャン・ツィイー、(日本語吹き替え)、芦田愛菜、木村佳乃、田中圭(スタッフ)監督・脚本:マイケル・ドハティ脚本:ザック・シールズエグゼクティブプロデューサー:バリー・H・ウォルドマン、ザック・シールズ、坂野義光、奥平謙二2019年6月8日ムービックス倉敷★★★★
2019年07月27日
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(平和新聞7月25日号4面特集) 自衛隊は7月1日に一斉に高校三年生にダイレクトメールを送っている。 何故そんなことが出来るのか? この名簿は自治体から提供されたものだからだ。 日本平和委員会がこの度、全国の自治体へアンケートを行い、自衛隊に名簿を提出しているか否かの調査を行なった。まだ中間報告ではあるが、67%の自治体が名簿は提出していないことがわかった。提出は33%。それでもダイレクトメールは届く。そのカラクリは後で述べる。 自衛隊が名簿提出を求める根拠は、自衛隊法97条と自衛隊法施行令120条。しかしよく読めば、「(政府は)名簿提出を求めることが出来る」と書いているだけなのである。67%の自治体は「法的義務はない」「個人情報保護の観点から」「市民感情に配慮」と拒否している。自治体に名簿を渡す義務はないのである。一層の自治体への監視が必要だ。 それでも、自衛隊がきて名簿を閲覧することを拒否することは出来ない。だから岡山は基本的に閲覧だけを認めているようなのだが、今年も高校三年生に自衛隊からのダイレクトメールは届いたようだ。悩ましい。 法改正を含む運動が必要だ。
2019年07月26日
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7月22日、今年も恒例の平和行進を歩いた。昨年の今頃は、殺人的な酷暑の中であり、今年の平和行進実行委員会は、いかに犠牲者を未然に防ぐか、を大いに議論をし、昔は何時間も人気のないところを歩こうとも何が何でもコースを通すのだとずっと作ってきたのだが(ちなみにそういうコースの作り方はもう岡山県ぐらいになっていたらしい。他県はずっと昔からワープ行進を導入している)、もう背に腹は変えられないし、去年はいくつも途中で午後から取りやめとかやったので、今年は初めからコースの短縮が図られた。また、その他の対策もバッチリだった。 ところが、蓋をあければ未だ梅雨明けならずの平和行進になった。まあ、だいたいそんなもんだろう。しかし、今年も東京からの通し行進者はみんなの尊敬をもらっている。特に87歳の山口さん(挨拶している人)は、これで7回目の通し行進で、岡山は3回目らしい。すごいことだと思う。 小雨降る中たどり着いて、恒例のリハビリテーション病院での患者さん、職員からの熱烈歓迎を受けた。 休憩場所での「接待」は毎年のお楽しみである。特に、水島コース、連島支所の接待には毎年手作りシソジュースが出る。今年はそれに加えてトマトやキュウリの漬物が出た。このキュウリの漬物が絶品! 誰かがレシピを聞いたらしい。「私も教えて!」ということになり、このメモ用紙が公開された。「ビールを入れるの!」とみんな驚いていた。機会があればやってみたい! この日の歩数は約2万歩!
2019年07月24日
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「凪のお暇」(1ー5巻)コナリミサト 秋田書店 5巻まで出ている。「このマンガがすごい!オンナ編」第3位。今度、黒木華さん主演でドラマ化される。ということで、その直前に読んだ。映画の黒木華も好きだけど、ドラマの黒木華は「重版出来」や「獣になれない私たち」等々、役になりきっていて好きなのだ。ちなみに、「お暇」は「おひま」ではなく「おいとま」と読む。空気を無駄に読みすぎて、メンヘラになる直前に退職した凪という女の子の話。元カレや隣の距離が近すぎるイケメンに依存体質になりメンヘラになる直前の卒業とか、「人との距離の取り方」が様々に描かれる。5巻目になっても、まだ退職して3ヶ月ちょっとしか経っていないので、彼女はほんのすこしモラトリアムしているだけなのである。現代の若者は大変だ。若者たちが、いかに社会の中で対人関係に悩みもがいているのか、よくわかる話になっている。漫画の中で、様々に描かれる節約生活は、『きのう、なに食べた?』の提案レシピの再現になるだろうか?テレビではどう描かれるだろうか?、黒木華には何の心配もない。問題は、高橋一生(我聞)と中村倫也(ゴン)、市川実日子(坂本龍子)、凪の母親(片平なぎさ)がみんなミスキャストに思えることである。脚本も、良いと感じたことが一回もない大島里美。心配だ。(7.18記入)(追記)7.19のテレビドラマ第1話を観た。やはり高橋一生と中村倫也2人が入れ替わったらいいのに、と思ったり、「空気」の描き方が違和感ありありだったり、でイマイチだった。
2019年07月23日
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「生死の覚悟」高村薫 南直哉 新潮新書高村薫の転換点が阪神大震災だったということは聞いていた。そこで体験した「自分が死ぬということを覚悟する」ことが、その後の「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」の福澤影之3部作に結びつく。影之は高村薫の分身であったことを新書の中で告白している。そうやってみれば、生い立ちやライフストーリーは全然違うが、いくつか思い至るところがある。南直哉は、禅僧であり、道元の生き方の体現者である。どこから私淑したのかはわからないが、高村薫は彼を「師」と呼ぶ。びっくりしたのは、高村薫の小説作法である。「マークスの山」の水沢がフォークリフトを手足のように扱う様や、「柿照」の野田の熱処理加工管理の頭の整理の仕方など、もう自ら体験するほどに取材を徹底したのだとばかり思っていた。この「仕事」の描写が高村薫の魅力のひとつだった。ところが、高村薫は「現実の企業や組織を描くときに、現実だから迷惑をおかけしないように、直接の取材は絶対にしない」と決めているのだそうだ。信じられないが、どうもホントのようだ。南直哉は、取材もされていないのに、福澤影之が4ー5点にかけて自分とソックリで「小説のネタ元」疑惑をかけられたらしい。高村薫は、芝居ではなければ(^^;)、その事実をこの対談で初めて知り、大いに恐縮するのである。阪神大震災から13年間迷いに迷って、たどり着いた境地が、「太陽の」のラストらしい。期待して読みたい。南氏のいう。人は「死んで物体としての『死体』となり、あるときから『死者』となってあらわれる」という死の表現はピッタリくる。死とは何か。生とは何か。ここで、宗教の観点から展開される「オウム批判」は、決してメディアでは展開されていない部分だが、重要な部分である。直接言及以外、この本そのものがオウム批判になっている。内容全体が禅問答みたいなところがあるので、読む人を選ぶと思う。私は道元を体現したかのような南さんの境地に至りたいとは思わないが、唯一「(信じるとは何かという問いに対して)私は賭けだと思ってやっている」(126p)という説明には、納得するものがあった。私は私の信条が「絶対正しい」とは思ってやっていないが、やはり「これは賭けだ」という意識が何十年も前からあったからだ。「私は今、次の小説の準備もあって、ずっと歴史の本を読んでいます。中でも仏教の歴史を振り返るにつけ、日本人はこれまで「宗教」とどのように対峙してきたのか-ということを考えざるを得なくなりました」(122p)と言っているのは、まさに新著「我らが少女A」の話だろう。だとすれば、やはりかなり思弁的なお話になるはずである。先ず次に読むのは、「太陽を曳く馬」だ。暫く後のことになる。
2019年07月22日
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「99.9%は仮説」竹内薫 光文社新書90%は当たり前のことを書いているのに過ぎない(99.9%でない理由をこの後延々と述べます)。けれども何故この本を読む気になったのか?それはオウム事件死刑囚(故)広瀬健一の手記を読んだからである。広瀬が何故そこまで思いつめてしまったのかは、今はもう聴くことは出来ない。けれども彼は高校生から大学院生になるまで、ずっと「生きる意味」を探していた。「宇宙論のように、全ては無に帰してしまうのではないか。絶対的な価値はあるのか」と探し求め、いったんは無いと諦め、この早熟な知性はそのことにより「生きる意味」さえ見失っていたのである。ところが、たまたまの「宗教的体験」が「絶対的価値」だと勘違いしてしまったのが彼の悲劇の始まりだった。この本の題名で言えば、「0.1%」が麻原彰晃の言うことだと信じて仕舞えば、貴方でさえもポア(殺人)するのに、何の躊躇いも無くなるのかもしれない。私がそう思うのには、根拠がある。麻原彰晃に出会う前の広瀬のように「世の中の真実は、相対的でかつ不可知なのだからわかりようがない。変えようと努力することは無駄である。生きる意味もない」という諦めは、広く広く若者の中に浸透していると思うからである。この本のレビューを見ても、「全て不可知だ」で感想をまとめている人が多い。どうも竹内薫はそう言う考えに結びつく事を書いているようだ、と「仮説」を立ててみた。99.9%は仮説だから、思い込みで判断しないようにしましょう、と竹内薫は言う。「飛行機が何故飛ぶのか?実はよくわかっていない」という説明はとてもわかりやすく書いていた。「土地の値段は絶対に下がらない」という仮説が間違っていた、という説明は歴史的事実だからとてもわかりやすい。では、109-110pにこういう文章があります。「この世には『正しいこと』などなにもない」「時代と場所によって『正しいこと』は変わるのです」。相対性理論は視点の設定らしい。つまり「ある意味、諦めることが肝心なんです」。(190p)それを突き詰めると、著者は「誤解を恐れずにいうと、人殺しですらある意味では悪じゃない可能性がある」(199p)という「仮説」を立てます。「ある意味」という条件として戦争を引き合いに出している。しかし、反証手続きは一切やっていない。もしやろうとすれば、この本の倍以上の分量は必要(それでも反証は難しい)なので、「諦めた」のかもしれないが、私はものすごく「無責任な文章」だと思った。「世界は数秒前に誕生した仮説」を否定する証拠はないから、この仮説は有効なのだという(241p)。この本の1番の問題は、自然科学や物理科学と、歴史科学や経済科学(反証できないから科学と言ってはいけないと言っている)を、言っている端から「同じ土俵で」論じている点である。自然科学と社会科学を同じ土俵で論じてはいけない。これは論理的な問題であると私は思う。人は明日の天気を予測できるけど、明日のニュースを予測出来ない。こんな思想の竹内薫だから「戦争による殺人は許される」ということに結びつきかねない文章を平気で書けるのである。それは人間としての教養の問題だと思う。上で私が出した「仮説」は証明された。竹内薫は、「ホントに書いていた」。よって、この本を読んで納得した若者から「広瀬健一」が出てきても全然おかしくはない。私の仮説で言うと、オウム真理教よりも質(たち)がわるい本だと思う。竹内薫が広瀬健一にならなかったのは、竹内薫が広瀬ほどは真面目ではなかったからだ、という仮説さえ成立するかもしれない。私はそれでも世界を諦めたくはない。何故ならば、竹内薫ならば「諦めて」も全く生活に支障はないだろうけど、私の生活は諦めた端(はな)から壊されていくからである。私たちは、社会の全てに「優先順位」をつけて「白い仮説」を信じて生きていかざるを得ないのである。
2019年07月21日
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「悔悟 広瀬健一の手記」(朝日新聞出版) 高村薫の合田雄一郎シリーズ新作が出版された。「冷血」文庫化で予想した通りだ。それに挑むためには、未読の「太陽を曳く馬」を読まなくてはならず、そのためには最近の新書「生死の覚悟」も紐解かなくてはならず、その準備として高村薫が序文を寄せている本書を手に取った。 何故ならば、「太陽」はおそらくオウム事件を契機に書かれたものだし、その根幹には仏教の死生観があり、オウムの真実に近づくためには、やはり犯行者本人の肉声に触れておいた方がいいからである。 「(オウム犯人の死刑は)裁いた側にも裁かれた側にも大きな不全感をのこした。なぜなら、私たち一般社会の側は事件の本質が宗教行為であった事実に蓋をするほかはなく、一方の信者たちは宗教の側からの弁明がほとんど社会に届けられないまま、一般の犯罪者として処断されたからである」(高村薫序文より)「宗教の側からの弁明」とは何か? 主な構成は4pの自筆の「被害者への謝罪文」、約55pに渡る女学院大学生に対する「カルトへの入会防止講義」への冊子原稿、100p以上に渡る武装化の経緯を書いた手記(未完)である。いくら時間があったからと言っても、私は先ず、内容よりも先に、論理的に真摯に文章を書いている広瀬の知性に瞠目した。それが何故、この狂気の所業に結びつくのか? 重要な事を箇条書きする。 (1)高校生時点で「真理は何処にも無い」と、早熟な知性は諦めていた。 (2)大学院の時に、麻原彰晃の本を読んだ後に「宗教的体験」をすることにより、真理はあると確信してしまう。 (3)「ヴァジラヤーナの救済の教え」(救済出来ない人を呪殺し、仏国土に導引する)を実行することが使命になってしまい、ポア(大量殺人)もそのための手段となってしまう。 ザクッと書けばそういう経緯で、一連のオウム事件が起きたのだと私は理解した。「手記」は、しかし武装化、サリン事件、逮捕、獄中生活、脱会の経緯については書かれていない。昨年に死刑執行されてしまったたからである。「手記」の多くは客観的な教義批判になっていて、私はスルーした。しかし、「弟子の暴走説」と「洗脳で思考停止になっていた説」をキチンと批判していたのは貴重である。 この優秀な知性でさえ、ボタンを掛け違えれば、ここまでの事を犯す。そこには「カルトだから」の一言では済ませてはいけない内容があると思う。
2019年07月20日
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今月の「県労会議」という機関紙に投稿した映画評です。 「1987、ある闘いの真実」 今年1月号で光州事件を扱った映画「タクシー運転手」を紹介しました。今回はそれから7年後の1987年ソウル市内が作品の舞台です。全斗煥大統領の独裁は頂点に達していました。あの外国人記者が撮影したと思われる軍隊の市民殺戮映像が、作品の中盤、大学の新入生歓迎企画で流れます。新入生のヨニ(キム・テリ)は普通の若者として登場し「デモなんかしても世界は変わらない」とうそぶきます。それに対してイケメンの大学生(カン・ドンウォン)は「僕も初めは逃げた」「でも(反対運動を止めることは)出来ないんだ。胸が痛くて」と答えるのです。 この若者の名前は、最後まで巧妙に伏せられていました。なぜならば、日本人は先ず知らないけれども、韓国ではかなり有名な人物で、名前がわかればその時点で後半部分のネタバレになるからです。 冒頭では1987年1月に、これも韓国では有名なソウル大学生パク・ジョンチョルが、対共分室刑事(アカ狩を専門にする集団)によって拷問死される事件が起きます。無法に市民が殺され、人権が犯されている。活動家は言います。「我々に残された武器は真実だけです。それが政権を倒すのです」検事(ハ・ジョンウ)、医師、新聞記者、刑務所看守(ユ・ヘジン)、刑事、活動家(ソル・ギョング)、神父へと次々と真実のバトンが手渡されて行きます。決定的な真実が明るみになり、最後にはあの延生大学生が催涙弾に倒れたところで、闘いは大きな転換を迎えるのです。 去年の秋に、私は韓国に行きました。そしてパク・ジョンチョル記念館で当時のままに残された対共分室拷問部屋を見学、あの延生大学生の遺物を展示しているイ・ハニョル記念館に行き、遺された運動靴を確認してきました。その記念館で、繰り返し「30年経ったいま」とテロップが入ったビデオが流されているのです。2017年朴槿恵大統領を平和裡に失脚させたろうそくデモの映像です。時の政権が間違った事をすれば、市民が倒す。それを実現させたのは、正にこの1987年の血で勝ち取った成功体験があったからだという事を、私はひしひしと感じました。勇気をもらいました。 主要登場人物で唯一の架空の女学生ヨニは、最後には政権打倒のために拳をふります。イ・ハニョルのために集まった100万人以上の集会の映像も映されました。見事な社会派、見事なエンタメ。韓国映画の真骨頂でした。(20189年チャン・ジュナン監督作品レンタル可能)
2019年07月19日
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個人的な話から始めて申し訳ない。「東京の子」を読んで思い出した。私の奨学金の話をすると、最近の人たちはみんな「ウソでしょ」という顔をする。「私の貰った奨学金は当然無利子だったし、半分ぐらいはタダだった。だから、確か年間9万円ぐらいしか返さなかったし、ボーナスの一部を充てるだけで済んだし、最後の3年はいっぺんに返したから30歳前後で返し終えた」「月いくらもらっていたの?」「確か5万円だったと思う」「それ!よっぽど優秀だったんでしょ?」「そんなことないのは、今の私見たら分かるでしょ」「家はそんなに貧乏だったの?」「確かに汲々だったけど、苦学をした覚えはないよ。あと3万円も仕送りをしてもらっていたし、月1万円の借家に住んで一切バイトはしなかった」(どうやら80年代始めの日本育英会特別奨学金制度・国立大自宅外通学の枠に潜り込めたらしい)この無利子給付型奨学金が今は無くなっているのは、最近姪のために奨学金保証人の判子をついたことで思い知った。現在の奨学金制度は、もう完全にサラ金じゃないか!奨学金って、国民の教育の権利を守るための制度じゃないの?教育の保証は国の根幹制度じゃないのか?現在国立大の学費は四年間で242万円、私立系大学は395万円、私立系理系大学に至っては538万円だ。私の時は、四年間で30ー50万円だったと思う。それでも、両親にとってはかなりの負担だったはずだ。私の大学3年の頃に、学費値上げ反対運動があり、13数年ぶりに大学教授会と共闘をしたことがある。何故覚えているかというと、その時私は新聞会部長として、生涯初めて人前で演説をしたからである。それなのに、なんとかなるだろうと思って一切原稿を用意しなかった。グダグダになって、教授会からかなり叱責された。もう二度と演説なんて止めようと思った。教授の誰かが、「初めてなんで仕方ないよ」と言ってくれたのを覚えいなかったら、ホントに全ての運動から手を引いていたかもしれない。閑話休題(^^;)。それでも、そのあと学費値上げは実行に移され、そのあとどんどん値上げされて現在に至る。あの時の、値上げ反対運動は、ものすごく重要だったのだ、私は事前にきちんと準備して演説しなくてはならなかったのだ、と今更ながらに思う。自公政権が続けば、本気で教育を受ける権利を保障するという政策はとらないだろう。もしあるとすれば、政府の都合のいい人間を作るための奨学金制度しか作らないだろう。こういう政府は変えなくてはならない。その意味でも、若者いや全ての国民は、自公維以外に投票して欲しい!
2019年07月17日
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「東京の子」藤井太洋 角川書店 2023年の東京が舞台、近未来小説である。背景には、移民問題、特区における労基法問題等々、現代の様々な問題が出てきているが、その1番のテーマは奨学金問題かもしれない。ヒロインは言う。『借金をたてにして働かせるのは人身売買よ』。これらの設定に興味を持って紐解いた。オリンピック有明会場跡地の巨大なポリテクセンターで、偽戸籍の子仮部は、行方不明になったベトナム女性を探し始める。最後まで読んで、作中でいろいろ匂わせている「ホントらしさ」は、信頼出来ないものになった。決定的なのは、政府が三橋社長に示したある「約束」とその後の三橋の対応である。あの約束が実現するような社会ならば、デモがあんなに大きくなるような事はなかっただろう。三橋の言うことは、小説の中だけのファンタジーである。作者は承知でウソを書いたのか、それともそう言うファンタジーを信じているのか。どうも後者のような気がする。作者自身が東京の「子供」のように感じる。どこかの経営者に丸め込まれたような理屈が、最後まで大手を振るっているのだ。始末に負えない。その他、オリンピックからたった2-3年で此処までの異世界が出来上がるとか矛盾もたくさんある。また、「首都青年ユニオン」という胡散臭い団体が出てくるが、現存していて地道に頑張ってきて「派遣切り」「ブラック企業」という言葉を社会的認知まで持ってきた立役者である「首都圏青年ユニオン」を揶揄する命名は許せない。
2019年07月16日
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「蜘蛛の糸・杜子春」芥川龍之介 新潮文庫「お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終を、じっと見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、又ぶらぶら御歩きになり始めました」(「蜘蛛の糸」13p)文章として1番洗練されていたのは、やはり「蜘蛛の糸」であると思う。鈴木三重吉に頼まれて初めて書いた芥川の童話集である。研究によって、元ネタが判明し、更にはトルストイも同様の話を紹介していることが判明した。芥川の凄いのは、その2つとも最後に小難しい教訓をつらつら述べているのに、芥川はラストをお釈迦様の顔でさらりと流したことである。私が20世紀最大の知識人と評価している加藤周一の「青春ノート」を覗き込むと、青年加藤は芥川に影響を受け、かつそれを如何に超えるか苦心していた。よって、単なる短編小説家と思っていた私の芥川龍之介評価は変わりつつある。確かに芥川の知識は、当時の日本の知識人の水準を遥かに超えていたと思う。この小さな童話集だけに絞っても、インド、中国、日本古代の知られざる典籍が元になっていて、更に短編小説の手法はヨーロッパ文学が基になっている 。それでも彼は自殺せざるを得なかった。大きな課題が、加藤周一の前に立ちはだかっていたとしても不思議はないと思うのである。 「アグニの神」は、在り来たりなジュブナイル・ストーリーなのだが、驚くことにその発端は「いったい日米戦争はいつあるか」という占い師への問いかけだった。日米開戦の16年前の記述である。約40数年振りの再読。320円で、お釣り調整のために買ったのだが、下手な現代小説よりも考えるところがあった。
2019年07月15日
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「自炊力」白央篤司 光文社新書 副題は「料理以前の食生活改善スキル」。よって詳しいレシピは無いけれども、応用出来るヒントがたっぷり。「料理をするのは今のところ難しいけれど、そりゃ食生活は少しでもより良いものに変えたい」人向けに書かれた意識改革の本。 私は、それよりもう少し意識はある方だとは思うが、面倒くさくて「まぁいいか」と思うこと多々。思ったよりも参考になるところがあった。以下に箇条書きで記す。 ・冷凍野菜食品の活用。なんと、生鮮野菜よりも栄養価高いことがある。でもパッケージの注意書きは絶対守る。 ・アボカドみたいな「ときめきの食材」を簡単料理にミックスさせる。 ・冷凍チャーハンにコンソメの素をお湯で溶いてかけて「スープかけごはん」にするのも美味しい。 ・スープはとても自由度の高い料理。何を入れてもいい。失敗しにくい。 ・何か食材が余ったら、まずは味噌汁に入れれば大体片付きます。肉や魚(鯖缶など)など、動物性のが入れば基本出汁を用意する必要もありません。 ・スープはコンソメ。クノールチキンコンソメはキューブ1つで水300ミリリットル。白菜、チンゲン菜、ほうれん草、豆腐、卵、プチトマトなど入れてオーケー。 ・より良い食材の選び方。ナス・ピーマンは表面がつややかでみずみずしいもの。カボチャは表面のデコボコがはっきりしているもの。キュウリは太さが均一なもの。ブロッコリーは淡い緑色でつぼみが硬く締まっているもの。 ・揃えたいものリストで私に不足しているもの。ボウル大小、軽量カップ、キッチンタイマー、スケール、おろし金、保存容器(130、480、1100)。 ・片栗粉のとろみつけは一対一で。 ・最初は豚しゃぶサラダがおススメ(切る、加熱、和えるの三行程があるから)。野菜を切って、肉を茹でて、ポン酢かドレッシングで和えれば完成。 ・冷凍庫常備菜は、きのこ類(石づき取って)、油揚げ(油抜きして切って)保存する。練り物類(スライスして煮物に利用)、ソーセージ・ハム・ベーコン(出汁要らずの味噌汁やスープに)、トマト(流水に当てれば皮がむける、スープに)に活用する。
2019年07月14日
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「ビジホの朝メシを語れるほど食べてみた」カベルナリア吉田 発行ユサブル発想は面白いので、リクエストしてまで借りて読んでみた。面白くなかった。行ってなんとしでも食べたいと思う朝メシが66軒中2軒しかなかったのが一つ。特色は朝メシそのものではなく、朝メシあるあるネタ集でしかないのが一つ。しかも、写真は美味しそうに撮れてはないわ、文章は素人のブログより品がない。しかも、東横インの朝メシが15軒。載せ過ぎでしょ。昔よりも改善されて感動したからといって、東横のポイントが貯まるからといって、何なの?「ビジネスホテル朝食評論家」と自負しているようだけど、「マツコの知らない世界」にだけは出ないでね。
2019年07月13日
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「遅読家のための読書術」印南敦史 ダイヤモンド社「ここで1つの結論めいたことを言っておけば、つまるところ、遅読家というのは能力の有無ではなく、読書の捉え方に由来しています。『本を速く読める人』と『遅くしか読めない人』がいるのではありません。『熟読の呪縛から自由な人』と『それにとらわれている人』がいるだけなのです」(扉表紙の裏側にあるリード文)まぁそうなのでしょう。特別な事は書いていない。私の関心は、この人はどのように本を選んでいるのか、ということぐらいだな。メモを書きながら読めば、数時間で読み切り、書評も書けるだろう、と見通しを立てる。読み進めるうちに、反感ばかり覚えてくる。著者は反感を覚えるような本は読まなくていいという。でも、ここまで読んで書評を残さないのも何だし、書評を残すならばきちんと根拠を示すのが礼儀というもんでしょ?著者は9割は「速く読める本」を選べという。でも、それは著者の書評家生活に特化する理由だ。あんたの生活に合わせる理由が私にはない。「速く読む必要がない本」はエッセイ、小説などらしい。根拠は「筋が重要だから」。バカ言ってんじゃない。小説は文体こそが重要なのだ。或いは細部こそが重要なのだ。この時点で、価値観がまるきり違うことが判明する。LGBTを生産性がないから不要だと言った政治家を思い出した。あとは冒頭のかなり詳しい目次を見たら、この人の書いた内容の大体は分かった。半分くらいは既に私が実践してることか、実践したいと思っていることであり、半分は私とは関係ないことのようだ。この時点であとの2/3は読むのよを止める。ここまで書きながら読んで掛かった時間は30分である。流石、素晴らしい!この調子で読めば、この人のように年間700冊は読めるかな(笑)。(追記)何でこんな本を選んだかというと、ブクログ書評を読んで興味を持ったため。直ぐに図書館に予約しました。印南さんじゃないけど、そういう本の選び方は重要だと思う。
2019年07月12日
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参議院選挙が始まった。私は始まる前に「選挙で棄権しようと思っている貴方に 」と題し、ともかく投票に行ってほしい、と訴えた。「誰に投票していいかわからない」という方は、「安心して」自民党、公明党、維新の党以外の政党に、「目をつぶって」投票して欲しい。と、訴えた。もちろん、インターネットで政策を比較検討できる人はぜひそれをしてもらいたいが、それがどうも面倒で結果投票に行かない、という方にむけて再度お願いする。わかりやすい表を手に入れたので、お見せする。現在の国政選挙の投票率はずっと52-53%で低迷している。それでどういうことが起きているのか。事実を見てほしい。自民の「絶対」得票率はわずか17%で自民の議席獲得率は60-61%とおおきく過半数以上を獲っているのである。結果、自民の大勝が続いている。もう一回見てほしい。自民党に対しては83%の投票者は投票していないのだ。それなのに、この7年間自民党の圧倒的多数の議席に依拠した強行採決に次ぐ強行採決の暴力的政治が続いているのである。貴方はこれをおかしいとは思いませんか?この不思議なからくりのネタは小選挙区制度というもののせいである。詳しいことは、インターネットの中にいくらでも解説がある。注目すべきは2009年だ。投票率が69%と17%高いだけで、自民党の絶対得票率はほぼ変わらないのに、議席獲得率は24%と激落ちしているのである。貴方の一票一票が得票率を上げる。できたら、貴方だけではなく恋人や家族を誘って投票してい欲しい。現在は期日前投票はかなり気楽にできるようになっている。その一票一票は「投票していも政治は変わらない」と思っている貴方の価値観を大きく変えるだろう。ぜひともお願いしたい。投票場に行ってほしい。こんなに減った会社員の手取り(ニュース23 より)7党の党首討論において、冒頭安倍首相の発言「現役世代の勤労世帯については、月、3万円増えてますから」 ホントか?
2019年07月10日
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「三鬼」宮部みゆき 角川文庫「人は語りたがる。善いことも、悪いことも」。そうだ。だから、江戸時代に井戸端会議があって、現代にSNSがある。しかし、三島屋の〈黒白の間〉は特別だ。現代ならば、どこかに厳重にパスワードで守った告白の部屋を置くようなものだ。そしてどの時代にも、そんな秘密の物語も「ホントにあったことのように」伝えてくれる語り部のような人がいるものである。現代では、例えば宮部みゆきという。今年の宮部みゆきの「夏の文庫本」は、これ一冊で打ち止めのような雰囲気だ。仕方ない、仕方ないと思いながら読み終わってしまった。今回も、私の人生の何処かで、いつか出会った者たちや、これから出会いそうな者たちが現れては消えていった。「迷いの旅籠」のような、懐かしい人たちには、夢の中で何度も出会った気がするし、「食客ひだる神」は子供のころ仲良しだった気がするし、「三鬼」の怖い話は、私の遠い遠い祖先の話のような気もする。「おくらさま」ではおちかさんの若い将来を願い、あの若者と同様の言葉を送りたい。とは言っても、百物語、未だ78話が残っている。現代の語り部宮部みゆきさん、人生百歳時代、まだまだですよ。
2019年07月09日
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「図書7月号」岩波書店「図書」7月号が届いた。大きな本屋では無料で置いているところもあるので、読んでみてはいかがでしょうか。一般的に雑誌は7月号というと、6月初めに発行、7月には古くなっていることが多いが、「図書」の場合は正真正銘7月1日発行です。7月発売の本を宣伝する内容なので、当然なのかもしれない。今回目を引いたのは、特別寄稿ではなくて、連載ものでした。地味なのでしっかり読んでいなかったのだが、読むと楽しい。「漢字の植物園ln広辞苑」(円満字二郎)は、植物名の由来を述べていくというもの。「百日紅」を「さるすべり」と読み、7月から9月まで百日咲くからという説明は有名です。実際私は近所の花が何日咲き続けたか、確かめたことがあります。7月3日から10月5日までホントに百日近く毎日咲いていったので、よくぞ名付けたと感心しました。ところが、名前は中国由来なのですが、17世紀の「二如亭郡譜」によると、150日咲いていたらしい。「中国と日本とでは気候が違うからなのでしょうか」とは円満字氏。何故この名前になったのか不思議です。実は「猿すべり」も中国に「猿が登れない」という説明があるらしい。完璧に和名だと思っていたので、これも意外です。意外といえば、「合歓木」と書いて「ねむのき」と読む花。エッチな妄想が膨らみますが、元の意味は違うらしいです。私の好きな古代の話なのですが、三浦佑之「風土記博物誌」は、出来るだけ読まないようにしていました。何故なら、風土記の世界は、基本的に8世紀成立の文学であって、何百年も昔の実態からは歪められて表現されているので、あまり染まりたくはないのです。但し今回「ワニ」の説明で、「古事記ではワタツミ(海の神)の娘トヨタマビメがワニになって子を生んだと語られているように、ワニは、海の神が人の前に現れる時の姿と考えられていた」と書いているのは、諸星大二郎「海神記」を読んだ直後だったので、おゝとなりました。ワニは鮫のことですが、「海神記」では下関の一族は鮫の顎を兜代わりにしていました。諸星大二郎は、8世紀の風土記の世界を換骨奪胎して4世紀世界を作り変えたのだと改めて思いました。1936年映画「一人息子」で、当時の最先端の呼称で「ラーメン3つ」と台詞に言わせた小津安二郎は、戦後もずっと支那そばの呼称を続けたらしい。「支那」という呼称を巡って、6ページに渡り山室信一は「モダン語の地平から」で分析しました。憧憬が侮辱に変わる過程を解説した後で「憧憬と侮辱の間で今も捻れ続ける日中関係。その捻れを解(ほど)くためにも、言説の背後に潜む事実を確認し続ける他はない」と結ぶ。私も「支那は差別語だから、中華そばと言った方がいいですよ」とわかったような大人にはなりたくない。
2019年07月08日
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「海神記3」諸星大二郎 潮出版社第五章「豊玉姫」は、スペクタクル場面が相次いだ。非常に激しい戦闘を行う。90年代の諸星大二郎は「西遊妖猿伝」でも、かなりスペクタクル巨編を作るようになった。2000年代は一転して箱庭のような世界を作っていく。出雲大社を彷彿させる一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)や、盟神探湯(くかたち)神事などがイキイキと描かれる。どちらにせよ、海神記の世界では、わたつみの言葉(言霊)が、世界を導いていくのである。私は、ここまでの激しい戦闘は有り得ないと思っていた。闘いでなくとも、もっとほかの要因と結果的に宣託によって、人々を動かすことができるはずだと、思っていた。その私の思いを汲んだように、穴門の闘いの後に、海神のミケツを保護するオオタラシ姫は嵐の中で「海神よ、怒りを鎮めたまえ。何故、行く先々で戦を起こし大勢の海人や土地の人々を死なせなければならないのですか。常世はそうしなければ到達できない所なのでしょうか」と問う。そして最期の誓約(うけい)で、オオタラシは「戦あるときは海神の荒魂を戴き、戦なきときは日の神の恩頼を戴き」と宣う。正に、縄文と弥生の神の合同のような気がする。そしてオオタラシは言う。「海神は戦をせずとも常世に行ける道を示してくださった」。私は、これも倭国大乱から倭国統一に至る道筋の1つだと思っている。諸星大二郎に賛成だ。しかし、それでも著者の結論は出ていない。この本はこれで第2部が終わる。著者の構想は、この後吉備国を通り、大和にたどり着くという。七支刀が結果大和に保護されていた歴史がある限り、それは必然なのだろう。しかし二十数年間それは描かれないままだ。邪馬台国がどうなったか、百済や新羅との同盟関係はどうなっているのか?作者は「それは興味の範囲外だ」とは言っているらしい。しかし、第3部では、必ず「倭国の精神的統一」が描かれるだろう。私は何年でも待つ。
2019年07月07日
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「海神記2」諸星大二郎 潮出版社第2部第1章「神懸かり」では「誓約(うけい)」が描写される。矛を持った巫女が、軍事的な同盟・協定を、巫女の言葉として宣託する。風俗が違う南洋族の海人族も、渡来人の一族も、その点では従うのである。第2章では「漢倭奴国王」の金印埋蔵の場面から、本格的な戦争場面に移る。しっかりと鎧をまとった百済の将軍、むなかたの国の隣国「岡」を攻め取った奴国。穴門(現在の関門海峡)の豊浦宮では、鰐(サメ)の頭を鎧にした審神者がいる。または、鵜を自分の魂として憑依する巫女もいる。学術的根拠もあるが、ほとんどは諸星大二郎の想像だ。この創造力に驚嘆する。海神(わたつみ)は海童とも呼び、少童とも呼ぶ。わたつみに率いられて、西海の海人たちは常世を目指す。常世とはいったい何なのか?明らかにせぬまま、韓の日矛と七支刀の2つの宝剣が、登場人物たちを東に導くだろう。こういう世界は、200年前の弥生時代とほとんど地続きだ。私の好きな世界だ。
2019年07月06日
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「海神記 1巻 」諸星大二郎 考古学ファンとして、諸星ファンとして、ドキドキしながら読んだ。約40年前に書かれた本とは思えなかった。ダイナミックな古代の「仮説」として、ここまで具体的かつ総合的に描かれた「倭国」の姿は、小説でも映画でも、もちろん研究書でも未だ現れていない。 コトバンクによるとこう説明している。「諸星大二郎による漫画作品。4世紀後半の日本を舞台に、良い漁場を求めて移動する海人たちの姿を描く。『週刊ヤングジャンプ』1981年4月23日号~7月9日号に第1部を連載。潮出版社希望コミックス全3巻。1990年、『月刊コミックトム』にて第2部の連載を開始するも、未完のまま終了。」 実は90年に雑誌形態で第1部が出ていて、私は長いこと所持していた(紛失)。ともかく「暗黒神話」のようなファンタジーを期待していたので、それとあまりにもテイストが違って戸惑った覚えがある。末盧国などが出てくるので、ずっと「魏志倭人伝」の世界、つまり邪馬台国時代の話かと思っていた。それよりも200年後の4世紀後半の話なのである。この後に私は考古学の門を叩いたので、今回は見方が180度変わった。 全体の物語評価は、別の巻に譲るとして、絵としての評価をしておきたい。当時の学術研究を活かしながらも、おそらく著者の想像を駆使してかなり大胆な絵を描いている。海人が使う舟はくり抜き船ではあるが、隼人族の操る舟は準構造船だ。そして百済の将軍が乗る構造船さえ現れる。海人や隼人は顔に刺青を施し、装飾古墳に採用されている模様を船にも全体的に施している(南洋民族)。また、海の戦闘で、個人用の盾付き漕ぎ舟を描いている。海神(わたつみ)信仰も、火の国と隼人の国では微妙に違う。時には海神は祖霊信仰と対立する。海の彼方に常世(とこよ)があるという信仰は共通している。一方、伊都国には、渡来人が支配する日矛族がいる。太陽神を崇める彼らは全く違う宗教がある。彼らと大和政権の関係は未だ未詳だ。これらの関係をここまでビジュアルとして見せてくれている素材は、寡聞にして私は知らない。 未だ倭国は、混沌として日本国の形さえ為していない。とってもドキドキする(書いてみて、わかりやすく書いたつもりだったのに、かなり専門用語がならんで一般人にちんぷんかんぷんかと思う。以下続く2巻も私の覚えのために書いているので、もちろんスルーしてください)。
2019年07月05日
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「書標6月号」「書標」と書いて「ほんのしるべ」と読む。丸善のカウンターに置かれている宣伝誌である。全国78の丸善ならびにジュンク堂書店に置かれている他、定期購読も受け付けているが、定期購読は年間1680円と高い。調べたら、なんと「全ての書標はweb版でも読むことが出来る」らしい。早く言ってよ。 ジュンク堂書店は、2015年に丸善と「合併」して、「丸善ジュンク堂」になったらしい。イラストレーターの佐藤ジュンコさんは2014年4月にジュンク堂を辞めているから、この事実上の吸収合併に反対して辞めたわけではないようだ。「書標」の後には、いつも佐藤さんの4コマが付いているから、余計そうだろう。 長い記事は無くて、無著名の本の書評・紹介が中心。ということは、本屋さん店員の書評だろうか?そういう「素人の本気書評」が私的には、嬉しくて、しかもチョイスが、売れ線がほとんど無くて、本屋さんが「発掘しました」感がたくさん出ていて、私には嬉しい。 丸善やジュンク堂で手に取るか、web版で読むか、オススメです。
2019年07月03日
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「町田くんの世界(全7巻)」安藤ゆき 集英社コミックス全7巻完結。ほしよりこ「逢沢りく」と違って、絵柄は極めてオーソドックスな少女マンガ。ボーイミーツガールに至るまでの、ゆっくりとした学園ものなのだが、これがなんと玄人受けする第20回(2016年)手塚治虫文化賞新生賞を受賞している。何故か。りくと同じように、主人公の町田くんは一歩間違えれば極めて危険な人物として描かれているからである。成績も中以下で運動神経もない町田くんは、老若男女を問わず周りからは愛される。町田くんはちょっと知り合ったおばあさんに「あなたに恋をあげることはできません。でも、愛ならあげられます。愛は知っているんです」と臆面もなく言うことのできる危険な少年だからである。詐欺師が言えば天才的な「人たらし」だけれども、町田くんは有言実行の高校生だ。本気で、全力で、不器用だけど一生懸命に、周りの人すべてを家族を愛するように愛するのである。だから、始末に負えない。愛とはなんだろ。ホントに優しいとはなんだろ。愛と恋はどう違うんだろ。ホントはとっても難しいこの課題、この「天然人たらし」を通じて、7巻かけて描ききっている。2015-2018年別冊マーガレット連載。因みに、石井裕也監督作品「町田くんの世界」は失敗作だった。
2019年07月02日
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「ビッグイシュー361号」ゲット!今回の表紙は、私の生涯ベストのひとつである「パピヨン」リメイク版のかつてダスティン・ホフマンが演じたルイ・ドガ役をやるラミ・マレック。演技者としては、これで評価が定まるだろう。特集は「生きやすくなる方法」。リード文は以下の通り。なんとなく「空気」や「雰囲気」に引っ張られ、なぜこんなに生きにくいのか?と自問したことがありませんか? そんな「生き苦しさ」がどこから来るのか? を考え続けたのは、鴻上尚史さん(作家・演出家)だ。日本には「世間」と「社会」の二つの世界があって、基本的にあなたが「世間」に生きているから苦しいので、このことをわかれば生きるのが楽になると言う。また、なぜか、少し大人になれば「生きやすい」のにと思ったことはありませんか。そして、もはや「若者」ではないのに、どうすれば「大人」になれるのかと考えたことは?熊代亨さん(精神科医)は、「若者」をやめて「大人」を始めた頃の自分の体験を生々しく覚えている。誰もがいつまでも「若い」ままではいられない。あなたが「大人」を始めようとする時、何が必要なのだろうか?鴻上さん、熊代さんのお二人に、「生きやすくなる方法」を語ってもらった。鴻上さんはおそらく『「空気」を読んでも従わない(岩波ジュニア新書)』の中身をかいつまんで話したのだとおもう。実は私には「いじめた」のも「いじめられた」のも、記憶の中では認識はないのだ。どころか、同級生の中で、そういうことがあったのは、結果的にチンピラになって大阪に行って若死にしてしまった中学ニ・三年で同級だったYくんのことしか思い当たることがない。Yくんからは変に懐かれたが、付かず離れずの関係のままに終わった。大人になると、私はいろんな場面で戸惑った。そこで初めて生きづらさを感じていたのかもしれない。私の時代は、ちょうどムラ社会が音を立てて壊れて行く時代だった。音は聞こえなかったが、ムラと都会の両方の景色を見ながら育っていった。ムラという「世間」がなくなり、「社会」の中でも生きられず、新しい「世間」(スマホや会社)の中で流動化してるのが現代らしい。最近千歳楽の記事を巡って、千歳楽の地元の人からクレームのコメントが来た。いくつかやりとりをして、ある程度はわかってもらえたと思っているが、多分全面的には納得していないだろう。あれば、「世間」の話をしようとしているコメント主に対して、こちらは「社会」の話をしようとしたことから起きた軋轢だと思う。「異世代ホームシェア」の記事があった。とても魅力的だと思う。「今月の人」で、東京都のビッグイシュー販売者さんが、将来のことを尋ねられて「とりあえず、東京オリンピックの間、生活や販売ができるのかが心配。あとはもう、どうしたいと欲を言う年齢でもないかな」といっていた。まさか、そんなことが!と私などは思ってしまう。でも絶対にないとは言い切れない。販売者さんたちにとっては、ホントに死活問題なのだ。
2019年07月01日
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私はなかなか世間話として選挙の事を話すことが出来ない。社会に関心ない人にも、社会は容赦なく影響を及ぼす。それをなんとかすることができるのが「選挙」という制度なのだが、そういう事をストレートに言いそうになって、何度か「白けた」経験があって、つい言葉が少なくなるのだ。けれども、最近2度ほど「選挙はいつも棄権している」という人の意見を聞いた。何故行かないのか。「だって、選挙に行っても何も変わらないでしょ」。やはり、私は「それは現政権を追認することなんですよ」と言った。場は白けた。あと議論も含めて、10-15分時間あれば、有意義な時間が持てたとは思うが、それが出来そうにないので悩ましい。以前にも同じことをこの場で書いたことがある。この時は選挙の後に書いた。今回は、選挙の前に書く。5分私に時間をください。棄権あるいは白票を投じた人たちへ(2017年10月23日 )この棄権有害論については、今も同意見だ。 また、白票についても「白票で政治家を変える」というツイッターアカウントでは、以下のように主張しているのを最近読んだ。投票しなければ意思は伝わらないのに、若者の棄権者は多い。それは投票のハードルが高いから。もし棄権者全員が白票を入れれば、選挙への関心が政治家に伝わり、政治家は若者向けの政策を打ち出すだろう。その結果、若者にとって政治は親しみやすいものとなる。それからでも政党を選ぶのは遅くない。だから、白票は意味があるのだ、ということだ。もちろん、意味がないわけではない。でも、「白票のおかげで」棄権者の投票率が目に見えるように向上しない限り、「政治は一切変わらない」ことも知って欲しい。私は白票は、反対だ。今回、47%という投票率を絶対に下げさせてはいけない。必ず自公政権の勝利に繋がり、それは「年金以外に2000万円用意」を追認すること、その他「最低最悪の自公政権」を追認することになるだろうと思うからである。投票率は絶対あげなくてはならない。「入れる政党がない」という気持ちもわからないでもない。でも、少し考えて欲しい。安倍晋三とメディアは、「民主党の最低最悪の3年間」と言って、根本的な検証もしない。多くは、自民党政権時代の負の遺産を3年間では解消できなかっただけというのに。残念ながら、「今回の選挙では」いくら野党が勝っても、政権交代の可能性はない。それは私が保証する。もし、今回の選挙で政権交代が起きたならば、このブログを閉鎖してもいい。だから、「誰に投票していいかわからない」という方は、「安心して」自民党、公明党、維新の党以外の政党に、「目をつぶって」投票して欲しい。それで、投票率が60%を越えれば必ず「選挙に行けば政治は変わる」ことが経験できる。貴方は歴史に爪痕を残せるのです。市民連合のパンフレット表紙があったので、それを付す。
2019年06月30日
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6月22日は、1945年に水島航空機製作所を目標にして、水島空襲があった日でした。私たちは毎年この前後の土曜日に「ピースサンセット」と銘打ち、「水島空襲を考えるつどい」を開いています。今年は、土曜日がちょうど22日当日に当たり、しかもこの日はこの集いの大きなテーマの1つである「亀島山地下工場」の事を歌った「亀島山の歌」の完成披露もあり、特別な会になりました。第1部は「亀島山地下工場見学」です。私は15年前に参加して以来でした。亀島山は、倉敷市水島コンビナート入口にある標高78メートルの小山です。その地下に、全長2000メートルの横穴が掘られているのです。戦争末期に国策で建設された三菱重工水島飛行機製作所(現・三菱自工)は、空襲の被害を少なくするために、工場を疎開分散させました。その疎開先の1つが亀島山地下工場です。この日だけ、個人の土地を通らせてもらって普段は安全のために閉めている南側入り口から入らせてもらいます。中に入ると、70数年前のままの姿が巨大な規模で見学者を圧倒させます。入口こそはコンクリートで固めていますが、他は岩肌がそのまま残る掘りたての岩壁。それは即ち、いつ崩れてもおかしくはない状況という事です。「亀島山地下工場を語りつぐ会」は、この工場の補修・保存を求めてずっと運動しています。戦争の生き証人が次々とリタイアしていく中で、大切な戦争遺跡であるからです。もはや危なくて行くことは叶わない奥のトンネルは朝鮮人労働者によって掘削中でした。完成部分と未完成部分がそのまま残されている。工場内で完成品はなかった。6月22日の空襲で部品が不足していた。数ヶ月稼働した。朝鮮人労働者何人働いていたか不明。生き残り何人かに聞いたが、周りのことしかわからない。事故人、埋葬はしたが、全容わからない。これは全国的にも同様です。広島(にしまつ建設)の中国人の労働者は、名前も犠牲者360人もわかっている。それ以上の500人とも言われる朝鮮人も働いていたが、全くわからない。これは、戦後直ぐに調査したかどうかの違い。朝鮮人は国籍はみんな日本人だった。そのあと戦後、みんな在日朝鮮人となり、北南に分裂し、戦争が始まり、朝鮮人の犠牲・補償は全く出来ていない。日本人は韓国と補償のことでも決着つけたと言っているが、当時の独裁者・朴正煕は犠牲者に補償金を渡していない。現在、労働者の生き残りが補償を求めて提訴するのは、そういう意味もある。第2部では、水島労働者福祉センターに会場を移して集いを開催しました。元ミュージカル女優で岡山を拠点に活動しているプロの歌手・清水ゆきさんによって「亀島山の歌」が初めて披露されました。圧倒的な歌唱力と、地下工場の歴史を乗り越えて平和を願う歌詞が見事に調和しして、会場に詰めかけた60人の参加者に深い感動を与えていました。その後、空襲同時に学徒動員で働いていた85歳の小川さんの体験談を聴き、「2019年ピースサンセットアピール文」を採択して閉会しました。
2019年06月29日
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「逢沢りく(全2巻)」ほしよりこ 文藝春秋社 まるで芥川賞作家の小説のような、単館系映画の作品ような雰囲気を持っているが、流暢な文体も無ければ、凝った映像と編集もないマンガで、コレを表現出来たことに驚いた。 仮面夫婦の両親のもと、感情を無くした14歳の美少女りくを気持ち悪くなった母親が、大阪の親戚に一時的に預けるという話。ある意味母親が1番のモンスター。りくは合わせ鏡に過ぎない。 第19回(2015年)手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。島本和彦『アオイホノオ』、松井優征『暗殺教室』、荒川弘『銀の匙 Silver Spoon』、大今良時『聲の形』、漫画・近藤ようこ/原作・津原泰水『五色の船』、コージィ城倉『チェイサー』、岸本斉史『NARUTO-ナルト-』、洞田創『平成うろ覺え草紙』を抑えての受賞だ。どんな傑作なのか見てみたかった。どうやら私と同様、審査員はまるきりの変化球にきりきり舞いしたようだ。見たことのない異作だった。 本来のペン描きを捨てて、鉛筆描き一つに絞った世界観。それは、小学生や中学生が漫画を描き始めて、最初にノートに始めたあの手触りである。そういう意味では、私も未だに持っているノートがある(少年の頃はマンガ家志望だった)。稚拙だけど、1番本気の魂が入った作品になる。 もちろん、ほしよりこは大人だから、逢沢りくから見た世界だけではなく、次第とお父さんやお母さんから見た残酷な世界観をも描き、反対に大阪のコテコテの世界も対になるように描く。「号泣必至」と宣伝文は書くが、途中で涙を忘れたりくのように、私の涙はなぜか出て来ない。自由自在に涙を出すことができていたりくは「大人ってとんでもないウソつきなんだから」と、5歳の時ちゃんに繰り返し云う。私の涙が出ないのは感動しなかった「印」じゃない。りくが途中で出せなくなったのも、心が動かなかったわけじゃなくて、反対に心が動かされてそれを表現する手段が見つからなかったためだと、誰でもわかるように、世界を作っていた。 人間は嘘をつく動物だと知っているりくは、いつの日か愛情表現でウソ(ギャグ)を言い合っている関西弁を自由自在に操れるようになると思う。
2019年06月28日
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「五日市憲法」新井勝紘 岩波新書今からおよそ50年前、旧家の土蔵から未発見の自由民権期の憲法草案が見つかった。その時、最初に手に取った色川大吉ゼミ学生の新井勝紘氏は、その後50年ずっとこの憲法の研究に携わることになる。 明治の歴史を紐解けば、自由民権運動の創憲の時代は、近代日本でも数少ない下からの政治体制創出の時代だったと私は思っている。一年ごとどころか、数日ごとに民衆と政府との力関係は逆転し、最後にはまだ力の差が大きかった明治政府が欽定憲法を作って大日本帝国を築いてしまったのではあるが、ほんの数%は逆転の機会があったのではないかと私は思う。その時に、のちの日本国憲法よりもある意味民主的に徹底していた憲法草案を作ったのが、一つは植木枝盛の私擬憲法草案であり、それに次ぐのがもしかしたら五日市憲法だったのではないか。全体の構成は、立憲君主制、天皇と民選議院と元老院で成り立つ三部制の国会、三権分立主義の性格を持つ。これらは他の私擬憲法と同じではある。国民の権利保障と、行政府に対する立法府の優位性、国民の権利を周到に保障するための司法権の規定は、他を圧倒していた。「憲法は為政者を縛るためにある」憲法を作り始めた最初期、現在東京都あびるの市の片田舎で始めた小さなサークルが立憲主義の原則をキチンと法文に落としていた。彼らは、ここまでの高みまで登っていたのだ。現代の政治は、彼らに胸を張ることができるだろうか。文中に憲法草案全葉の写真と、付録として五日市憲法草案全文が載っている。現在では名前も知られている起草者の千葉卓三郎の生涯を如何にして発掘していったのかを、回想形式で書いている。とても読み易い。また近代歴史の研究指南にもなっていて興味深い。実際千葉の人生がここまで波乱万丈とは思わなかった。充分に映画化できる。また、憲法草案以外にもいくつかの文章があるようなので、「千葉卓三郎著作集」の刊行も可能なのではないか。新井氏の調査によれば、当時の自由民権の結社は全国で2189社である。会員は1万人を超えていたという。もちろん多くはない。しかし、当時の日本の人口が5千万人程度であり知識人は希少だったことを考えると、決して少なくもない。しかるに、現在の「9条の会」の数は7500団体を超えているといわれる。思うに、五日市憲法を現代に再び蘇らせる意義はあると思う。
2019年06月26日
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「百年の手紙 ー日本人が遺したことば」梯久美子 岩波新書岩波「図書」6月号に、梯さんは若松英輔との対談の中でこう言っている。「手紙でも日記でも原稿でも、手書きの資料や遺品には時間が蓄積している。たくさんの人の人生の時間です」。ましてや、手紙は相手に届けられるまでが大仕事であり、しかもそれが他の人が目にすることができるまで多くの想いが蓄積されるのである。この新書は、2011年の7-8月、そして翌年の同月に地方新聞に連載された。作家、政治家、無名の兵士、女性の20世紀の百年間の手紙が百通選ばれている。2011年、書かれた年のこともあり、原発事故を告発しているようだとも言われた田中正造の天皇への直訴状から始まり、大逆事件で死刑執行を覚悟している菅野すがの幸徳秋水の冤罪を訴える手紙、逮捕虐殺される前日の伊藤野枝が関東大震災で夫の妹の子供が行方不明になっているのを心配した手紙。これらは著者が現代との相似性を訴えているのは明白だが、抑えた筆致で簡潔に書れていて、読者の胸を打つ。また、宮沢賢治は昭和三陸地震の後、近況を心配してきた友人宛に返事をしたためる。つい最近見つかった書簡だ。「被害は津波によるもの最も多く海岸は実に悲惨です。私どもの方、野原は何事もありません。何かみんなで折角、春を待っている次第です」岩手県内陸部の花巻市は、2011年もそんな状況だった。7-8月、書かれた月のこともあり、戦場から、又は戦場へと書かれた手紙も多く採用された。映画監督山中貞雄の遺書の一節「『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず」『人情ー』は戦前が産んだ大傑作だと私は思っている。戦争は残酷だ。『硫黄島 栗林中将の最期』は梯の代表作だが、それとは別に市丸利之助少将が部下の腹巻きに持たせ死んだ時にルーズベルト大統領に届くようにした書簡がある。冷静に戦況と米国の戦術を批判した、同等の立場からの手紙である。それが米国では直ぐに報道されて、今は彼の国の博物館にある。岸壁の母のモデルになった母親に宛て息子の手紙がある。「我慢できずに川に向かって、母さん、母さん、母さんと三回も大きな声で呼びました」。ところが2人は養子縁組みの関係だったとは、初めて知った。昭和天皇から11歳の皇太子への昭和20年9月の手紙がある。「敗因について一言いはしてくれ」と書き、かなり冷静な分析をした後、「(終結を決断したのは)戦争をつづければ、三種の神器をまもることも出来ず、国民をも殺さなければならなくなったので、涙をのんで、国民の種をのこすべくつとめたのである」。著者は「歴史的な書簡」と評価している。もちろん、ラブレターも友愛の手紙も数多く紹介される。手紙がおおやけになるまで、多くの時間と人の手が費やされている。それを私たちに見事に手渡してくれた著者の名は梯(かけはし)久美子という。
2019年06月25日
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「海の見える理髪店」萩原浩 集英社文庫 2005年に「神様からひと言」を読んだ時に、直木賞候補作家として周りに公言していた。まさか、それから10数年かかるとは思わなかった。まあ、考えるとそういう作家は多い(北村薫とか)。やっと文庫化したので読ませてもらった。 表題作は、文脈から計算すると85歳という老齢の理髪店主の、殆どが独り語りで構成される短編である。店主はコミュケーションも仕事のうちだと云う。休みの日は一日中落語を聞きに行っていたという床屋店主の父親の背中を見て、昭和30年代にやっと独り立ちした。落語よろしく、こういう構成ならばまさかあのオチじゃないよね、と思って読んでいくと正にそのオチだった。でも、落語を聞いたように満足感がある。正に職人技である。随所に置いている小道具が素晴らしい。 解説は斎藤美奈子女史だった。彼女は荻原浩と同じ大学で同学年だったらしい。荻原が広告研究会、斎藤女史は新聞会、2つの会は一見似ているようで実は水と油の性格、お互い見識は無かった。でも同じ時代の空気(バブルの中で仕事を邁進して、はじけた後に現在の職業に就く)を吸っていたので、荻原浩の職人技的な短編料理をよく理解し見事に解説していた。因みに、彼らから3年遅れて私も大学に入学した。入ったのは新聞会である。
2019年06月24日
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「知られざる弥生ライフ」誉田亜紀子 イラスト・スソアキコ 誠文堂新光社現在の縄文ブームを牽引した「知られざる縄文ライフ」のコンビが、弥生ライフを出してくれた。弥生ファンとしては、有り難いことです。現在は縄文時代入門編は多々あれど、弥生時代は少ない。弥生といえば、みんな邪馬台国ぐらいと思っている。でも、当然生活の隅々を見てみれば、現代の生活を準備したワンダーな(驚きの)遺物がたくさんある。古墳のように現在に形として残っているのは少ないけど、とっても面白い遺跡がたくさんある。見開きページで一つのテーマを誉田さんが書いて、スソアキコさんがとってもわかりやすいイラストで補ってくれる。「住居は円から四角へ」や「弥生のイチオシ便利グッズ」や「バラエティ豊かな祭祀道具」など、トリビアな情報満載で、入門編から少し踏み込んだ弥生通にもなれる。避けて通れない邪馬台国についても少し解説している。唯一不満だったのは、様々な祭祀道具の中に、分銅型土製品がなかったこと。この遺物出土が中国地域に集中していたからかもしれないが、初期のコレは殆ど赤ちゃんの顔をしていて、ホント可愛い!もう、絶対ビジュアル向きだったのに!
2019年06月23日
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「静かな雨」宮下奈都 文芸春秋社この一年で人気作家のデビュー作を立て続けに読んだ(高野秀行「幻獣ムベンベを追え」上橋菜穂子「精霊の木」メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」藤沢周平「無用の隠密」)。デビュー作には、作家の全てが備わっている、ということは、その度に思ったことである。2004年に文学界新人賞佳作に選ばれた本作も然りである。宮下奈都の作品は未だ3作目だけど、「静かな雨」「スコーレNo.4」「羊と鋼の森」と見事に洗練されてきたのが、これを読んでわかる。ボーイミーツガールものを装いながら冒頭こそは平凡な描写だったが、こよみと行助との会話のところで、おや、普通の恋愛譚とは違うと思った。行助はこよみから「(あなたの瞳の半分は)あきらめの色」と言われて、少年の頃の気持ちを思い出すのである。地球が高速で自転していると学んで少年は寝込んでしまう。でも、「(秒速463キロで突き進んでいる)地球が回るのを止めることはできない」「あきらめるしかない」と思ったら高熱もおさまったらしい。私は宮崎駿「風立ちぬ」にも出てきた良寛の「天上大風」の語句を思い出した。途中でこよみさんが1日しか記憶がもたない女性になってしまうけど、それは難病ものにしたいわけではなく、2人の会話に変化をつけたいだけだった気がする。ある日、記憶力をなくした数学者を描いた本のエピソードが出てくる。調べると小川洋子「博士の愛した数式」は、この中編が書かれた一年前の発行だ。第1回本屋大賞にまでなって仕舞う著作を読んで、テーマもストーリーも全然違うけど、雰囲気がよく似た物語を書いた著者が、12年後に本屋大賞を獲るとは本人は想像していただろうか。
2019年06月22日
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「死を悼む動物たち」バーバラ・J・キング 秋山勝訳 草思社動物が或る対象の「死を悼む」。これはペット愛好者の間では、自明のことかもしれない。けれども、ペットを飼わない私などは違和感がある。例えば「ネアンデルタール人が死者のために花を添えた」ということが大きなニュースになる。それは、即ち「類人猿など人類でない者は、死を悲しみ、相手を愛する心を持っていないし、そのための文化も発達させていなかった」という認識が前提としてあったからである。では、動物たちにはその「こころ」は無かったのか?それはキチンと科学的に検証されなければならないだろう。著者は自然人類学学者である。「プロローグ」に結論は書かれている。「人間がそうであるように、動物も相手に愛を抱いていたから悲しむのだとわたしは考えている」(23p)科学的根拠は何か。必要条件(相手が側にいることを選んだ積極的働きかけ)と同時に十分条件(相手の死を悼む)の行動をとっているから、という点に過ぎない。著者も、これがキチンと科学的に認められた定説とは思っていない。しかし、こういう推論によってこの本の大部分は、それらの行動記録を丹念に拾うことに費やされている。著者本人も、「現時点ではまだ完璧とはいえない」と言っているように、私は著者の結論には懐疑的である。「ある」とも「無い」とも、私は言えないと思っている。非常に多くの例が綴られる。しかし、それが本当に悲しみからくる行動なのか、愛からくる行動なのか、はっきりしない。統計的資料もない。そもそも「愛」とは何か、人間自身もまだわからないのだ。こんな言葉を、著者は意識的に学術的論文に使っているのである。犬や猫、熊や象、チンパンジーなどの行動を記すのはまだいい。しかし、カラス、コウノトリにもそれらしき行動があると書いてほかの動物と同等の位置に置いている。脳の大きさが明らかに違うのに、そういう事をやっていいのだろうか。承認できないのは、和歌山県太地町のイルカ漁を告発する映画「ザ・コーヴ」を無批判に受けいれる一方で、「悼む」動物の中に、豚も牛も例示しないのだ。イルカ漁を残酷と言うのならば、牛豚を食べることをどう思うのか、著書の中で一言は書かなくてはならないと、私は思う。はっきりしているのは、「埋葬」等の著者言う所の「芸術的」行動は、ネアンデルタール人が最も古い、ということだ。それ以前の人類の遺跡からは出ていない。霊長類も動物たちも芸術的行為はしない。だからそこは、現代の人類は動物たちとは違うと、著者も認める。だからどうなんだ、ということは展開されない。人間とは何か。ということを知るためにも、「動物たちは本当に死を悼んでいるのか」の問いそのものは重要だと私は思うが、立証されないことをダラダラと述べただけの著作であり、忘れるべき本だと思う。
2019年06月21日
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電車を乗り継いで、京都国立博物館に来た。やっと平日に来ることができた。現在は新館が立っているので使われていないが、明治古都館である。明治28年建築。この意匠。ものすごく安直な和洋折衷。国立博物館は『国宝一遍上人絵伝と時宗の名宝』であった。お陰で、考古展示はなくなった。いつもこんな感じだ。もちろん、一遍上人絵伝は全て見ることができる。途中でうとうとしていたのもあったが、思いもかけず、1時間40分もここにいた。六波羅蜜寺の空也上人像を40年ぶりに見たいと思っていたが、諦める。感想は、美術品的に傑作では無い。人はあらゆる階層が出ていない。構図も単調。テレビを見て気になっていた三十三間堂に行く。中身はお見せ出来ないが、仏像の奉納という文化と、それに応える名人を含めた職人集団の存在、それを支える社会素晴らしいと思った。少しお寺の周りを回る。最後の晩餐は、柏井さんお勧めの店を探したのだが、結局時間的に間に合わない。駅前の「夜カフェ」に入る。前菜。メイン。デザート。ワインも飲めて値段的にも満足できる晩餐だった。というわけで京都旅、それなりに満足いく三日間だった。22081歩
2019年06月19日
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なんとか、柏井さんのおススメのランチを食べようとして、思いついて伝説のタマゴサンドを作っている喫茶店に向かう。すると、予約で既にいっぱいという。諦めて、マンガミュージアムに向かった。旧小学校を改築したミュージアムだ。だから広い。二階にメイン展示の「マンガって何?」があった。今まで見た中で、もっとも総合的に説明していた。外国に向けた展示にもなっていて、これだと総合的に日本のマンガを紹介できたと思う。しかし、残念ながらガイドブックが一切無い。これではいけない。写真撮影もできないのに、この内容をどうやって外国に持ち帰るというのだ。絶対おかしい。1960年代の「夕焼け番長」最終巻があったので、見る。怪我をして、スポーツマンになるきっかけもなくし、去って行く。最後は夕焼けをバックにしていない。意外だった。実際に作っているのを見せるコーナーなどがあった。午後一時前になっていた。もう一度、タマゴサンドの喫茶店に行ってみる。なんと、今度は2時半まで満杯という張り紙があった。バカにしている。もう柏井さんの店には行かない。来る途中に見たおばんざい定食の店に寄る。日替わり定食。豚肉とキャベツの煮付けとおばんざい二品。750円。美味しかった。なんと私が入って、五人ほど後で、ソールドアウトになってしまった。おばんざいのうち、これは麩を使ったサラダだ。京都らしく、岡山ではまず出ない。カウンターの前に、「京都めし」という情報マンガがあって、さぞかしここも出ているのかなと思って探してみるけど見つからなかった。ところが、よく見ると鯖定食のコーナーの絵がここのお品書きにそっくり。後書きを見ると、店の名前をナイショにしていた。奥床しくも、「名店」なのである。流石、私。ちゃんとカンでこういう店を見つける。
2019年06月18日
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長くお休みしました。京都の旅の続き書きます。今までの一覧はカテゴリー旅の記録をご覧下さい。4月23日(火)晴れ 3日目朝、どこかの知らない偉いさんから「○日までに書け」と言われてその気になる夢を見た。どうやら旅日記が全然追いついていないことが影響しているらしい。疲れて毎夜直ぐに寝てしまうのだ。朝少し書く。朝食は、結局昨日のに少しボリュームを足した。今日は博物館巡り(昨日は月曜日なので、どこも閉まっていたから)なので、9時過ぎに出発だ。京都駅に行ってコインロッカーに荷物を置いて、烏丸御池まで行って、国際漫画ミュージアムを見ようとしたら、10時開館という。まだ30分もある。仕方ないので、京都文化博物館に行くと、ここも10時開館だった。ちょっと周りを回る。この辺りは、歴史的建造物が多い所らしい。この町屋は明らかに普通の家だけど、とても良くできている。コープ京都の宅配がやってきた。対応している家人を見ると、おばあちゃんだった。一人で家を守っているのだろうか。この家はもう少し格式が下った町屋形式。しかし、隣の路地は行き止まりのある、長屋の連なる路地だった。お地蔵様が約束のようにある。その御顔がとても良かった。老舗の京都お菓子屋。柚味噌の店。商品は1番小さいもので2000円以上。とても手が出ない。文化博物館にやっと入る。旧日本銀行を使った施設。展示替えで、考古遺跡展示は無い。私の博物館巡りの目的は古代の見聞を広めることにあるのだが、滅多に上手くはいかない。いつもこんな感じだ。京都の歴史をざっとなぞる、直ぐ忘れてしまう常設展示。ただし、特別展示で祇園祭が始まるまで、函谷鉾の名宝展をしていた。前掛けは、ペルシャから取り寄せた「イサクに水を供するリベカ」の絨毯らしい。これを1839年に復活した時に掲げたというのだからすごい。しかも現役で活躍している。雨の時はどうするのか?それが1番気になった。こっそり撮ったのでナイショでお願いします。三階は映画名画をしていて、今日は「喜びも悲しみも幾年月」をするらしい。生ポスターがあった。また、羅生門のアカデミー外国語映画賞とベネチア映画賞を取った時の像のレプリカがあった。撮っていたら、これも撮影不可という。これもナイショでお願いします。(こんなモノまで撮影不可の意味がわからない)文化博物館の通りは、古い建物が多く残っているそうです、明らかな明治風。現役のみずほ銀行。立椿ビルディング。大正9年建築。和洋混成らしい。
2019年06月17日
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今月の映画評です。 「葛城事件」川崎殺傷事件というなんともいやな事件が起こりました。明確な殺意を持って、20人をも切りつけ、そして自殺をはかった犯人。その数日後に農水相元事務次官というエリートが、「息子が同じような事件を起こすかもしれない」と言って殺すという事件も起きました。そのような時に思い出したのが、この映画です。観た時、ものすごくいやな気持ちになりました。葛城稔という青年が、死にたくて死刑にしてもらいたくて無差別殺傷事件を起こした、その顛末を描いた作品です。そこに至るまでの家族の数年間を描いています。青年の父親を三浦友和が演っていて、家父長的なその抑圧が稔に事件を起こさせたかのように描いています。父親は一切法律に反することはしていないし、暴力もほとんどふるいません。けれども、ホントにいやな男なのです。中国料理店で店員にクレームをつける場面でそれが見事に表れていました。あんまり嫌すぎて、この作品を忘れたくて、その年のベスト10にも数えませんでした。あれから3年。こんな事件が起きると、直ぐに思い出す。やはりものすごく力のある作品だったなあと思うのです。今回の2つの事件と、この作品が似ているわけではありません。断じて似ていません。でも、この作品を紹介するのは、引きこもりといい、家庭内暴力といい、父親の抑圧といい、本人たちでないとわからない実情が描かれているからです。「死ぬのならば1人で死んでくれ」とか「お父さんは正当防衛だ、殺されても仕方ない」とか、軽々しく呟いてはいけないと思うのです。映画は本人たちでないとわからない心情を想像する力をくれます。シネマ・クレールで観ていて、中途で1人の老人が退館しました。父親のせいで葛城稔だけが壊れていくのではなく、長兄も妻もぐにゃぐにゃに潰れていくのが見えてきた頃でした。その先に無差別殺傷事件が描かれるのは必然でした。私も出て行きたかった。そんな気持ちになったのは初めてです。でも、座っていました。後悔しました。葛城稔役に若葉竜也、妻役に南果歩、長兄役に新井浩文、稔に押し付け獄中結婚をした若い女性に田中麗奈が演じています。登場人物で1番まともなのが、現実には犯罪を犯した新井浩文だったというのは、何かの符号なのでしょうか?(2016年赤堀雅秋監督作品、レンタル可能)
2019年06月16日
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「マンガのDNA」手塚治虫文化賞20周年記念MOOK 朝日新聞出版社「手塚治虫文化賞20周年記念MOOK」であり、25人もの受賞作家が、手塚治虫関係で描き下ろしマンガを描いているという豪華な一冊。個人的に面白かったのは、山岸涼子が手塚治虫本人に押しかけ持ち込みをした顛末の一遍。「神聖喜劇」とアトムのコラボ的な短編を描いたのぞゑのぶひさ。「テルマエロマエ」の後日談を、手塚治虫家のお風呂場面で描いたヤマザキマリ。小学館マンガ賞受賞パーティーで「(締切に追われて)糸の切れた操り人形のようなおじきをした」手塚治虫に終に言葉を交わすことなく終わった村上もとか。松本大洋の小学校時の事実と思えるが、見事にリアルな独立短編になっている「5時間目のブラック・ジャック」。山科けいすけが手塚を超えようとして火の鳥の生き血を飲むのだが、結局超えられないというオチの「火の鳥2016」。短編なのに、長編を読んだ気になる原泰久の「鉄腕アトム」。業田良家が「平成編火の鳥」を描いて、それなりに面白いオチを描いたのだが、手塚治虫本人が「つまらん!僕が描く」と乗り出して、業田が「手塚先生、締め切りが過ぎてます」と言うオチ。知らない作家だったのだが、詩情豊かに核戦争後の地球を描く、今日マチ子「ウランの子」。本のウンチクでギャグを構成する「バーナード嬢曰く」の「火の鳥編」で、久しぶりに笑わせてもらった施川ゆうき。私は数あるマンガ賞の中でも、この手塚治虫文化賞が最高峰だと思っている。それでも6割が未読の受賞作だった。どうも知らない作家が多すぎると思ったら、出てきていたのは第11回から20回までの受賞作家のみ(第10回までは既にアエラムックとして出版済み)。人生の中で私が最もマンガから離れていた15年間と被る。しかも、この賞はわりとマイナーな作家が多いので尚更。今回の副題「マンガの神様の意思を継ぐ者たち」は、そういう意味で妥当である。よしながふみ「大奥」、伊藤悠「シュトヘル」、業田良家「機械仕掛けの愛」、今日マチ子「アノネ、」「みつあみの神様」、ほしよりこ「逢沢りく」は読んでおくべきだと思った。鳥山明を育てた鳥嶋和彦の編集者論は傾聴に値する。但し「手塚治虫の後継者は浦沢直樹、ちばてつやの後継者は森川ジョージ」と言う説には同意出来ない。その他、このムックには受賞者一人一人に短い批評が付くが、概ね妥当だと思えた。値段にしては、発行後3年経っているけどお得な一冊。山岸涼子が手塚治虫本人に押しかけ持ち込みをした顛末の一遍松本大洋の小学校時の事実と思えるが、見事にリアルな独立短編になっている「5時間目のブラック・ジャック」。短編なのに、長編を読んだ気になる原泰久の「鉄腕アトム」。
2019年06月15日
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「無用の隠密 未刊行初期短編」藤沢周平 文春文庫藤沢周平が『オール讀物』新人賞を獲得するおよそ9年前、無名の中間小説誌に書いていた短編15編が発掘された。藤沢周平の真のデビュー作だろう。びっくりするのは、一作毎に明らかに上手くなっていくのである。それで、あえて最初の連作二編について詳しく感想を述べる。藤沢周平にしては拙いその作品に、後世の時代小説を塗り替えた作家の原石が見えるからである。「暗闇風の陣」(S37.11)と「如月伊十郎」(S38.3)。隠れ切支丹の事件に臨む公儀隠密如月の活躍を描く。この題名の付け方は、きっと黒澤明「用心棒(S36)」「椿三十郎(S37)」に影響を受けていると推察する。内容もテーマも全く違うが、飄々とした如月のキャラはどことなく黒澤明の浪人キャラと被る。藤沢周平が切支丹ものを描いたのはこの時だけだった。また隠密や不良剣士、忍者が暗躍する世界は、当時の流行りではあるが、我々の知っている藤沢周平ではない。藤沢周平は読者の喜ぶエンタメから始めたのである。ストーリーは、粗さが目立ち成功しているとは思えない。唯一活き活きと描けたのは、元結いの亭主、実は泥棒の新吉という庶民だった。また、時々見せる透明度溢れる情景描写に、原石を私は見た。その後、「霧の壁」のようにムショ帰りの使用人がお嬢さんを助けて去って行く高倉健映画のような構造の小説もあるにはあるし、読者を意識してほとんどの短編に濡れ場を用意してはいるが、総じて男女の哀歓を詩情豊かに描く藤沢周平の世界を、特に15編の終わりの頃には確立してしまう。忘れてはならないのは、これらが描かれた時期と並行して、長女展子さんの誕生、妻悦子さんのガンの発覚、手術、再発、死亡という人生の激動が起きていることである。子供をあやしながら描き、病室で描き、締切に追われて安易な結末を描きながらも、悦子さんが「小説掲載を喜んでいた」ことを励みに、藤沢周平はいっとき生き甲斐を見出していたのかもしれない。最初の十五編で、藤沢周平はここまでの高みに登った。私には、ほとんど奇跡のように思える。2019年6月14日読了
2019年06月14日
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「ビッグイシュー360号」ゲット!今回の特集は「台風最前線」(表紙はまるで絵画のようだけど、ホントの写真だそうだ)。リード文は以下の通り。台風の季節がやってくる。1950年代までは1000人以上亡くなる台風被害が頻発した。けれども1959年の伊勢湾台風を境に死者・行方不明者は100人を超えることがほぼなくなった。これは台風予報の精度が飛躍的に向上した結果だ。しかし、今も台風発生のメカニズム、台風が急激に発達する理由などについては多くの謎に包まれている。そんな謎の一つ、台風の強さの“正解”を求めて、17年10月、鹿児島空港を飛び立った飛行機は台風21号の目の中に侵入、日本初の“中心気圧の直接観測”に成功した。このような台風研究の最前線を知るため、3人の新進気鋭の台風研究者に取材した。筆保弘徳さん(横浜国立大学准教授)には「日本に来る5タイプの台風」、山田広幸さん(琉球大学准教授)には「日本初の台風飛行機観測の成果」、伊藤耕介さん(琉球大学准教授)には「強め合う台風と海の関係」などについて聞いた。台風を知り、減災対策に役立てたい。台風は日本のどこにでも来る時代になった筆保弘徳さんは、昨年の自然災害がもたらした損害額は東日本大地震の損害額(1兆2000億円)を超えたと指摘する(1兆3000億円)。大阪北部地震、西日本豪雨、東から西に進んだ台風12号、大阪に暴風をもたらした台風21号、北海道胆振東部地震。台風のメカニズムの解明はまだ完全ではないが、かなりわかってきたらしい。筆保弘徳さんは岡大出身、少し誇らしい。今回インタビューに答えた3人の共著「台風についてわかっていることいないこと」(ベレ出版)は是非紐解いてみたい。リレーインタビューでは東ちづるさんが出た。「私の分岐点」、東さんは「ある日、テレビ番組に出演した17歳の白血病の男の子を見かけたことでした……。」という。単に「頑張ってください」と番組を終わらせたテレビの姿勢に「違う」と。骨髄バンク普及のボランティアに関わって行く。それは、言われるままに動いてきた東さんの社会的な目覚めだった。2012年には、誰のことも排除しない“まぜこぜの社会”の実現を目指す一般社団法人「Get in touch」も設立した。同世代として、共感する。
2019年06月12日
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後半の三作品を紹介します。「空母いぶき」佐藤浩市アベ揶揄表現は、むしろ反対だった。でも、9条改憲論にも水を差す内容にもなっていた。と、私の書いていること読んでも意味わからんとは思いますが、結論から言えば駄作です。そもそも冒頭で、突然の侵略国家の正体が明らかになるのですが、北とか中国とか描けないのはわかるけれども、あの国はあまりにも非現実的であり、前提条件からして、この作品が左翼からも右翼からも非現実的と言われるのは明らかな作品になっています。速やかに作品自体を忘れ去るのが正しい日本国民の対応だと思う。自衛隊の装備と技術は、素晴らしいものがあって、ホントかなとも思うのですが、もしホントだとしても、これは基本急襲であり、敵があんな間抜けな攻撃しか出来ないのならば、そもそも攻撃しない方がいいでしょう。そういうこともあり、中国の尖閣諸島攻撃を描いていると言われる原作も、私は読むまでもなく絵空事だと思う。(ストーリー)20XX年。日本最南端沖で国籍不明の漁船20隻が発砲を開始し、波留間群島の一部を占領して海上保安庁の隊員を捕らえる。日本政府は、航空機搭載護衛艦いぶきをメインにした艦隊を派遣。お互いをライバルとして意識してきた航空自衛隊出身のいぶきの艦長・秋津竜太(西島秀俊)と海上自衛隊出身の副長・新波歳也(佐々木蔵之介)は、この未曽有の事態を収束しようとする。(キャスト)西島秀俊、佐々木蔵之介、本田翼、小倉久寛、高嶋政宏、玉木宏、戸次重幸、市原隼人、堂珍嘉邦、片桐仁、和田正人、石田法嗣、平埜生成、土村芳、深川麻衣、山内圭哉、中井貴一、村上淳、吉田栄作、工藤俊作、金井勇太、中村育二、益岡徹、斉藤由貴、藤竜也、佐藤浩市(スタッフ)監督:若松節朗原作・監修:かわぐちかいじ企画:福井晴敏脚本:伊藤和典、長谷川康夫音楽:岩代太郎2019年5月27日ムービックス倉敷★★「居眠り磐音 」豊後藩国許家老奥田瑛二の(ピエール瀧との)代替シーンに、松坂桃李は出演していないが、芳根京子との重要なシーンがある。芳根京子一世一代の迫真の演技と言ってよく、元の映像はどうだったのか、気になって仕方ない。動の木村文乃、静の芳根京子。続編があるとすれば、2人の演技に期待ができる。平成の時代劇ではなく、まるで「キングダム」のような歌舞伎漫画だ。登場人物全員が見栄を切って、見せ場を作る。結果、主人公の磐音は、一度や二度ならずも、5ー6回も立ち会いをする。時代劇としては異常と言って良い。ただし、全員が、それをわきまえた上で節制を持って演技する大人の役者、いわば歌舞伎俳優だった。時代劇ということもあり、こちらは魅せる。また、テーマもいい。全く磐音の本心を知らぬはずの有楽斎が今際の際で「あんたはこの先も人を斬る。そのたびに思い出すんや、竹馬の友を斬った手触りを。地獄やで」といかにも歌舞伎の悪人化粧で言う。磐音は答える。「地獄であることなど、もとより承知じゃ。友のおらぬ世で。愛おしい女に二度と会えぬ世で。生きてゆくなど、死ぬよりも酷ぞ。だが、それがしは選んだのだ。生きることを」さて、決定版ではその後の重要な台詞をカットしている。幸いにも、劇場特典で脚本が付いていた。それで確認してもらいたい。なぜカットしたのか、謎である。(解説)坂崎磐音は、故郷・豊後関前藩で起きた、ある哀しい事件により、2人の幼馴染を失い、祝言を間近に控えた許嫁の奈緒を残して脱藩。すべてを失い、浪人の身となった―。江戸で長屋暮らしを始めた磐音は、長屋の大家・金兵衛の紹介もあり、昼間はうなぎ屋、夜は両替屋・今津屋の用心棒として働き始める。春風のように穏やかで、誰に対しても礼節を重んじる優しい人柄に加え、剣も立つ磐音は次第に周囲から信頼され、金兵衛の娘・おこんからも好意を持たれるように。そんな折、幕府が流通させた新貨幣をめぐる陰謀に巻き込まれ、磐音は江戸で出会った大切な人たちを守るため、哀しみを胸に悪に立ち向かう―。監督 本木克英出演 松坂桃李、木村文乃、芳根京子、柄本佑、杉野遥亮、佐々木蔵之介、陣内孝則、谷原章介、中村梅雀、柄本明、奥田瑛二[上映時間:121分 ]2019年5月21日TOHOシネマズ岡南★★★★「ゴッドファーザー」1972年作品。パート1の終わりは、1955年くらいだろうか。パート3の終わりは、79年くらいだとすると、マイケルの息子は、最後はかなりいい歳になっていたはず。この作品は、観客すらもアメリカの歴史の中で翻弄された稀有な作品ということになるだろう。どうもおかしいと思っていたら、パート1だけが未見だった。どうりで今まで登場人物たちが頭に入らなかったはずだ。今回かなりスッキリした。これはアメリカマフィアの歴史は、表面上だけで、ほんとは家族の歴史であり、イタリア移民アメリカンの歴史でもあるのだ。(解説)1282年、当時フランスに支配されていたシシリー島の住民が秘密組織をつくって反乱した時の合い言葉だったといわれる“MAFIA”は、19世紀に入り、“犯罪組織”としてイタリアの暗黒街に君臨するようになった。そしてイタリア系の移民として、この組織もアメリカに渡りアメリカ・マフィアが誕生した。その組織はシシリーやナポリ出身者またはその子弟で構成されており、組織の頂点にファミリー(家族)がありボスがいる。アメリカ・マフィアの年収は200億ドルといわれ、ギャンブル、合法企業の金融、運輸、スーパーなどを経営している。「ゴッドファーザー」はそうした巨大なマフィアの内幕を描いたマリオ・プーゾのベストセラーの映画化である。製作はアルバート・S・ラディ、監督は「雨のなかの女」のフランシス・フォード・コッポラ、脚本はコッポラと原作者のマリオ・プーヅォ、撮影はゴードン・ウィリス、音楽はニーノ・ロータが各々担当。出演はマーロン・ブランド、アル・パシーノ、ジェームズ・カーン、リチャード・カステラーノ、ロバート・デュヴァル、スターリング・ヘイドン、ジョン・マーレイ、アル・マルティーノ、モーガナ・キングなど。(ストーリー )コルレオーネ(マーロン・ブランド)の屋敷では、彼の娘コニー(タリア・シャイア)の結婚式が行なわれていた。一族の者を始め、友人やファミリーの部下たち数百名が集まった。ボスのドン・ビトー・コルレオーネは、書斎で友人たちの訴えを聞いている。彼は、相手が貧しく微力でも、助けを求めてくれば親身になってどんな困難な問題でも解決してやった。彼への報酬といえば、友情の証と“ドン”あるいは“ゴッドファーザー”という愛情のこもった尊称だけだった。そして彼の呼び出しにいつなりとも応じればよいのだ。これが彼らの世界であり、その掟だった。ドンのお気に入りの名付け子で、歌手として成功したが今は落ち目になっているジョニー・フォンテーン(アル・マルティーノ)もその1人だった。新作映画で彼にきわめつけの役があり、俳優として華々しくカムバックできるに違いないのだが、ハリウッドで絶大な権力を持つプロデューサー、ウォルツ(ジョン・マーレイ)からその主役をもらえずにいた。フォンテーンの窮地を知ったドンは静かにうなずいた。ある朝、目を覚ましたウォルツはあまりの光景に嘔吐した。60万ドルで買い入れた自慢の競走馬の首が、ベッドの上に転がっていたのだ。それからしばらくしてフォンテーンの許に、その新作の大役があたえられた。ある日、麻薬を商売にしている危険な男ソロッツォ(アル・レッティエーリ)が仕事を持ちかけてきた。政界や警察に顔のきくドンのコネに期待したのだが、彼は断った。だがソロッツォは、ドンさえ殺せば取引は成立すると思い、彼を狙った。早い冬の夕暮れ、ドンは街頭でソロッツォの部下に数発の銃弾を浴びせられたが一命はとりとめた。これはドン・ビトー・コルレオーネに対する挑戦だった。ソロッツォの後にはタッタリア・ファミリーがあり、ニューヨークの五大ファミリーが動いている。こうして1947年の戦いが始まった。末の息子マイケル(アル・パシーノ)は、一族の仕事には加わらず正業につくことを望んでいたが、父の狙撃が伝えられるや、病院に駈けつけ、咄嗟の策で2度目の襲撃からドンの命を救った。ドンの家では長男のソニー(ジェームズ・カーン)が部下を指揮し、ドンの復讐を誓ったが、一家の養子で顧問役のトム・ハーゲン(ロバート・デュヴァル)は、五大ファミリーとの全面戦争を避けようと工作していた。やがてソロッツォが一時的な停戦を申し入れてきた。だがソロッツォを殺さなければドンの命はあやうい。マイケルがその役目を買ってでた。ソロッツォ殺しは危険だが失敗は許されない。彼はこの大役を果たし、父の故郷シシリーへ身を隠した。タッタリアとの闘いは熾烈をきわめ、ソニーは持ち前の衝動的な性格が災いして敵の罠に落ち、殺された。シシリーでもマイケルが危うく暗殺から逃れた。そんななかでドンの傷もいえ、和解が成立した。ドンにとっては大きな譲歩だが、マイケルを呼び戻し、一家を建て直すためだった。2年後、アメリカに帰ったマイケルは、ドンのあとを継ぎ、ボスの位置についた。ファミリーは縄張りを荒らされ、ゴッドファーザーの過去の栄光がかろうじて崩壊をくいとめているという状態だったが、マイケルの才能は少しずつ伸び始め、勢力を拡大しつつあった。ある日曜日の朝、孫と遊んでいたドンが急に倒れた。偉大なるゴッドファーザー、ドン・ビトー・コルレオーネは穏やかな死を迎えたのだった。父の死を受け、マイケルは遂に動き出す。その天才的な頭脳で練られた計画によってライバルのボスたちは次々に殺され、コルレオーネ・ファミリーの勢力復活が為された。マイケルの横顔は冷たく尊大な力強さにあふれ、部下たちの礼をうけていた。“ドン・コルネオーレ”と。(スタッフ)監督フランシス・フォード・コッポラ、脚本フランシス・フォード・コッポラマリオ・プーゾ、原作マリオ・プーゾ、製作アルバート・S・ラディ、撮影ゴードン・ウィリス、音楽ニーノ・ロータ(出演)マーロン・ブランDon_Vito_Corleoneアル・パチーノMichaelジェームズ・カーンSonnyリチャード・カステラーノClemenzaロバート・デュヴTom_Hagnスターリング・ヘイドンMccluskeyジョン・マーレイJack_Woltzリチャード・コンテBarziniダイアン・キートンKay_Adamsアル・レッティエSollozzoエイブ・ヴィゴーダTessioタリア・シャイアConnie_Rizziアル・マルティーノJohnny_Fontaneモーガナ・キングMama_Corleone2019年5月21日TOHOシネマズ岡南★★★★
2019年06月11日
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中盤の四作品を紹介します。「アベンジャーズ/エンドゲーム 」(後半ネタバレあり。気になる人は読まないように)何故三時間必要かというと、もちろんいろいろややこしい設定になっているからでもあるんだけど、30分ぶんは、2つのヒーロー物語にケリをつけるために時間をとったのだろう。実際には、あと2つの物語も、これで締めてもいいと思う。ガモーラは、サノス側として消えたのだろうか?(消えたという説が有力)まさか、アントマンがあんなにもカギになるとは!まさか、ストレンジマンは全て見えていたとは!スタークスは、どうやってすり替えたのか?見えなかった!最後に想定外の予告編なし!サノスって、あんなに強いんだ!そんなに最初から強かったけ。今度のスパイダーマンは、時間軸で何処に入るのか?全然わからない。(どうやら時間軸では次の話らしい)ナタリー・ポートマンは、カメオ出演なのか?それとも昔の映像の使い回しなのか!ついつい他のシリーズも見直さなくちゃという気にさせる、ものすごく上手い商売!(この後4-5作観た)マーベルの次の戦略はどうなのか?等々色々疑問が湧きました。(ストーリー)破格のメガヒットによって映画史を塗り替え続ける「アベンジャーズ」シリーズが、この春ついに完結。最凶最悪の敵"サノス"によって、人類の半分が消し去られ、最強チーム"アベンジャーズ"も崩壊してしまった。はたして失われた35億の人々と仲間を取り戻す方法はあるのか? 大逆転へのわずかな希望を信じて再び集結したアイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソーたちに残されたのは、最強の絆だけ──。"今はここにいない"仲間のために、最後にして最大の逆襲が始まる!監督 アンソニー・ルッソ出演 ロバート・ダウニー・jr、クリス・ヘムズワース、マーク・ラファロ、クリス・エヴァンス、スカーレット・ヨハンソン、ジェレミー・レナー、ポール・ラッド、ブリー・ラーソン[上映時間:182分 ]2019年5月7日TOHOシネマズ岡南★★★★「ずぶぬれて犬ころ」岡山が産んだ夭折の俳人、住宅顕信の半生を、いじめにあって悩んでいる15歳の中学生のドラマと並行して描く。元担任だったという教頭先生からもらった句集を読んで中学生は呟く。「気の抜けたサイダーが僕の人生」尾崎放哉が好きだと言う顕信は、そういう淋しい気持ちを切り取るのが、最初から上手く、中学生もそういう日常句に共感して読んでいく。けれども、中学生のいじめはエスカレートし、顕信の病気は深刻化してゆく。顕信の句が素晴らしいのは、やはり以下のような句が見事に死を意識しつつある人間の感情を表しているからだろう。洗面器の中のゆがんだ顔すくいあげるレントゲンに淋しい胸のうちのぞかれた陽にあたれば歩けそうな脚なでてみる最後の句は、映像で見たからその哀しみがよくわかる。映画の中の顕信は、決して人間的に突出していたわけではない。けれども、句に向けた純粋な心は本物であり、だからそこから紡がれる日常句に光がある。そこが放哉とは違う。抱きあげてやれない子の高さに座るずぶぬれて犬ころ地をはっても生きていたいみのむし中学生は生き直す。それは、放哉とは違う顕信の個性であり、可能性だった。潤沢な資金を用意できなかったために、ドラマの完成度はイマイチのところはあるが、ストレートないい邦画だったと思う。(解説) 5・7・5の字数にとらわれない自由律俳句を詠み、生涯に残した俳句はわずか281句。22歳の時に得度し浄土真宗本願寺派の僧侶となった。空前の俳句ブームと言われる現在、その死後に日常をテーマとした俳句と生き様が脚光を浴びている。 その俳句と共にいきた稀有な人生を、生きづらさを感じながら生きる現代の中学生と重ね合わせて描いた『ずぶぬれて犬ころ』。 ドキュメンタリー映画『船、山にのぼる』『モバイルハウスのつくりかた』の本田孝義監督が初の劇映画に挑む。同郷の住宅の俳句と人生から「生きろ」というメッセージを感じ、オール岡山ロケと地元の熱い協力で本作を完成させた。 主演は『おんなのこきらい』『21世紀の女の子』で注目される木口健太。住宅を演じるために髪を短く切り、鬼気迫る演技で新境地を開いた。住宅の俳句に励まされる中学生・小堀を演じるのは岡山出身の新鋭、森安奏太。オーディションで見出された、繊細ながら力強い眼差しが印象深い。また『アウトレイジ 最終章』など数多くの作品で個性的な役を演じる仁科貴や、特別出演の田中美里ほか、実力派ぞろいが短くも強烈なひとりの人生を彩る。 撮影は『人のセックスを笑うな』『ニシノユキヒコの恋と冒険』の鈴木昭彦。息の長いカットが過去と現在を鮮やかに繋いでいる。音楽は“あらかじめ決められた恋人たちへ”のリーダーで、近年は『モヒカン故郷に帰る』、『武曲 MUKOKU』、ドラマ『宮本から君へ』など数多くの映画やドラマを手がける池永正二。音数の少ない旋律が強い印象を残す。 人はどのように生き、そして去っていくのか。どの時代にも通づる普遍的なテーマが貫かれる。2019年5月19日シネマ・クレール★★★★「ある少年の告白」ラッセル・クロウが、衝撃の姿形をしていて、最初誰だかわからなかった。ニコール・キッドマンがどうしてこんな保守的なキリスト教徒を演じるのか不思議だったけど、ラストで合点が行く。信仰を持たない日本人にはわかりにくいけど、キリスト教原理主義者はアメリカでは大統領選に決定的影響を与えるほどに存在していて、大きな要望はLGBT規制である。何故ならば、キリストが認めたのは、聖書にある通り「男女による結婚のみ」であるから。それ以外の結婚では天国には行けないのだ。それを否定するのは、生きる意味を否定するのと同じことになる、と、彼らは固く信じている。実際は、この映画にある通り医者はそうは思っていないし、ある人は信仰を保ちながらも大きく意見を変える。こんな中だから、矯正施設が未だに影響を持っている、未だに70万人が影響下にあるというのは、極めてアメリカ的な現象なのだろう。そこに一石を投じる作品。なおかつ、キリスト教とLGBTとの、現代での関係を正面から描いた作品として、アメリカ理解のためにはとても役に立つ作品であると思う。ところで、ラッセル・クロウのアレは役作り?それとも生活習慣のため?(解説)アメリカの田舎町。牧師の父と母のひとり息子として愛情を受けながら、輝くような青春を送ってきたジャレッド。しかし、”自分は男性のことが好きだ”と気づいたとき、両親に勧められたのは、同性愛を”治す”という危険な矯正セラピーへの参加だった。〈口外禁止〉だという驚くべきプログラム内容。自らを偽って生きることを強いる施設に疑問と憤りを感じ、ジャレッドは遂にある行動を起こす…。原作は、NYタイムズ紙によるベストセラーに選ばれ、全米で大きな反響を呼んだ衝撃の〈実話〉。親と子はなぜ、互いの幸せを願うほどにすれ違ってしまうのか――。本当の自分を見つめた先に、誰にも奪うことはできない真実の愛が浮かび上がる。一筋の希望が胸を震わせる、圧倒的な人間ドラマが誕生した。ジャレッドを演じるのは、本作で初主演を飾るルーカス・ヘッジズ。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』では弱冠20歳にしてオスカー候補となり脚光を浴びた。本作では、葛藤を抱えながらも信念を貫こうともがく主人公を熱演、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。さらには両親役には二コール・キッドマン、ラッセル・クロウらベテラン俳優陣が出演。また、奇才グザヴィエ・ドラン、本作へ楽曲提供もした注目のシンガーソングライターのトロイ・シヴァン、ロックバンド“レッチリ”のフリーら個性的な面々が脇を固める。メガホンを取ったのは、俳優としても活躍するジョエル・エドガートン。監督としては『ザ・ギフト』(15)以来2作目の長編作で、本作では監督、脚本、製作、出演とマルチな才能を発揮している。原作者のガラルド・コンリーが実際に体験し、回顧録として実態を告白した「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」での出来事。強制的に性的指向やジェンダー・アイデンティティを変更させようとする科学的根拠のないこの治療は、鬱や深刻なトラウマをもたらすだけでなく、自殺率の高さも指摘されている。米国では、規制は進んでいるものの現在も施され続けており、これまでに約70万人が経験、そのうち約35万人が未成年のうちに受けたといわれる。2019年5月19日シネマ・クレール★★★★「荒野にて」「さざなみ」の監督・脚本らしく、クセのある構成だった。普通ならば、旅の最初に厳しい現実を見せて、最終盤で総てを解決する、という展開がわかりやすく、感動を与える。ところが、善意は旅の序盤で何度も現れ、悲劇は中盤に、悪意は最終盤で現れる。しかも、同じ人間が善悪の部分を見せる。しかも、主人公自身は全然ピュアじゃない。正に、これこそが人生なんだと言わんばかりである。少年の違法行為は、簡単に数えるものだけで大小4つほどある。そのどれも、最終盤まで彼は裁かれない。日本映画だと、なんらかの裁きがあるはずだが、米国作品では、裁きは基本的に神が行うものだから、これでいいのである。日本人にとってはどうなんだろう?まんまと逃げ果せたとしても、彼自身は罪の意識をもっているのだから、いいことない、と思うはずである。そういう意味で座りの悪い作品かもしれない。そういうことを含めて余韻の残る作品だ。悪くはない。(ストーリー)天涯孤独な少年と、走れなくなった競走馬。彼らは居場所を求め、希望と絶望の境を進んでいく。それは人生という名の長い旅路―。 チャーリー(チャーリー・プラマー)は15歳にして孤独だった。仕事を変えては転々と暮らす父親(トラヴィス・フィメル)と二人でポートランドに越してきたのだが、父は息子を愛しながらも自分の楽しみを優先していた。母親はチャーリーが赤ん坊の頃に出て行ったので、もちろん覚えていない。以前はマージー伯母さん(アリソン・エリオット)が何かと面倒を見てくれたが、チャーリーが12歳の時に父と伯母さんが大ゲンカをしてしまい、以来すっかり疎遠になった。チャーリーは寂しくなると、伯母さんと一緒に写った写真を眺めるのだった。 ある日、家の近くの競馬場で、デル(スティーヴ・ブシェミ)という厩舎のオーナーから競走馬リーン・オン・ピートの世話を頼まれたチャーリーは、食べ物も十分に買えない家計を助けるため引き受ける。素直で呑み込みが早く、馬を可愛がるチャーリーは、すぐにデルに気に入られた。 その夜、チャーリーは男の罵声で目を覚ます。「女房と寝たろ!」と、以前父が家に泊めた女の夫が怒鳴り込んできたのだ。殴り飛ばされた父はガラス窓を突き破り、大ケガを負ってしまう。恐怖に立ちすくみ何も出来なかったチャーリーは、自らの非力さにショックを受けながらも手術を終えた父に「ごめん、助けてあげられなくて」と謝り、マージー伯母さんの電話番号を教えてほしいと頼むが、「人の手は借りない」と跳ね付けられる。 唯一の家族であり、予断の許されない状態の父の傍を離れるのは怖かったが、入院費を稼ぐためにピートの遠征に付き添うチャーリー。騎手のボニー(クロエ・セヴィニー)からは「馬を愛しちゃダメ。競走馬は勝たなきゃクビよ」と忠告されるが、今やピートはチャーリーが唯一心を許せる存在だった。翌日、仕事から病院へ戻ると父の姿がない。容体が急変して亡くなったという。引き取り手の居ないチャーリーを心配し、養護施設に連絡しようとする医師を振り切り、彼はピートの厩舎へと走る。 だが、老いたピートの競走馬としての寿命も尽きかけていた。レースに惨敗したピートを、デルは売り払うと決める。それは殺処分を意味していた。今度こそ自分の手で友を助けると決意したチャーリーは、ピートを乗せたトラックを盗み、かつてマージー伯母さんの住んでいたワイオミングを目指して逃走する。 やがてトラックがエンストを起こし、ピートを連れて荒野へと分け入るチャーリー。日中は黙々と歩き続け、夜には野宿し、父から聞いた母のこと、楽しかった学校生活やマージー伯母さんとの思い出をピートに語り続けるチャーリー。けれども現実は厳しく、チャーリーはあまりに非力だった。残酷にもチャーリーを襲う再びの別れ。チャーリーは孤独を抱きしめ、愛と居場所を求めてひたすら前へと進んでいくが─。監督・アンドリュー・ヘイ2019年5月26日シネマ・クレール★★★★
2019年06月10日
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5月に観た映画は10作品でした。3回に分けて紹介します。「バースデー・ワンダーランド」観客は、私以外に2組しかいなかったかけど、とってもステキなアニメでした。原監督は、この数作、アニメのカラーの可能性にかけているようです。造形美は素晴らしい。原作はあるけど、映像は完全に原監督の創造でしょう。ただ、人物の表情が人形みたいで、あれだとなかなかキャラに自分を託せない。言いたいことはよくわかる。産業革命以来、私たちはたしかに美しい世界をなくしているのかもしれない。でも、それを体現すべき人間も描いてくれないと、やはり弱い。ステキな作品なのに、残念です。(ストーリー)自分に自信のないアカネは誕生日の前日、突如現れた謎の錬金術師ヒポクラテスと弟子のピポから世界を救ってほしいと言われ、骨董(こっとう)屋の地下室からつながるワンダーランドへ連れ出される。幸せな色に満ちたワクワクする世界は、色が消えてしまうという危険にさらされていた。ワンダーランドを守る救世主として期待されるアカネは、世界を救うための冒険に出る。(キャスト)松岡茉優、杏、麻生久美子、東山奈央、藤原啓治、矢島晶子、市村正親(スタッフ)監督:原恵一2019年5月2日ムービックス倉敷★★★★「映画 賭ケグルイ 」テレビシリーズが続いている中で、映画を上映する意図をちゃんと計算に入れておくのだった。まさかの、あそこで終わり。賭けに負けました。新人俳優の表情変化を楽しむことはできました。支持率がある程度高いのは、ドラマの完成度よりも、賭けグルイ観客の「程度」に、製作者が勝ったからだろう。(ストーリー)創立122年を迎える私立百花王学園。この伝統ある名門校で生徒の階級を決めるのは“ギャンブルの強さ”。勝者には地位と名誉が与えられ、敗者は財産も尊厳も奪われる。この学園に、一人の少女が転校してくる。彼女の名は蛇喰夢子。一見するとお淑やかなこの美少女は、いかなるリスクもいとわない常軌を逸したギャンブル狂だった。学園を支配する生徒会は、夢子を危険な存在と判断し、百戦練磨の刺客を送り込むも次々と撃破。学園は夢子を中心に大きく動き出そうとしていた。生徒会はついに、全校生徒を巻き込んだ百花王学園史上最大のギャンブルバトルの開催を宣言する―監督 英勉出演 浜辺美波、高杉真宙、宮沢氷魚、福原遥、伊藤万理華、松田るか、岡本夏美、柳美稀、松村沙友理(乃木坂46)、小野寺晃良、池田エライザ、中村ゆりか、三戸なつめ、矢本悠馬、森川葵2019年5月7日TOHOシネマズ岡南★★★「E.T.」実は初めて観た。1982年の年末映画なので、大学時代、卒論に追われてそれどころではなかったようだ。ヨーダも出てくるあたり笑える。序盤はずっとE.T.の手しか出てこない演出や、ジョンウィリアムの見事な音楽と映像がピッタリ合っている様や、最終盤のCIAぽい大人たちが、実は科学者集団だったという種明かしや、上手い演出だと思う。有名俳優を使わずにヒット作を連発したスピルバーグの才能が光っている。指と指を合わす仕草や、月明かりを背に自転車で飛翔する影や、その後のアイコンとなる映像も、実は怪我を治す映像だったり、そのあと夕陽を背にもう一度同じ映像を作っていたり、とか意外な場面もある。最初は野蛮な動物、そして未開人、そして人間、やがて知性豊かな超能力者と、印象が2日で変わって行くE.T.のクリエイティブな姿は、その後の人類の進化に大きな影響をを与えたに違いないと思う。ただ、人類の大きな特徴は、食物の共食にあると私は思っているので、エリオットがそれを最初にするのは理解できるが、E.T.もそれに倣うのはおかしいかもしれない、とは思った。出演者の中で、出世頭は、結局紆余曲折のあったドリューバリモアだけだったというのは、アメリカという国の不思議だろう。(解説)宇宙人と地球の子供たちの交流を描くSFファンタジー。スティーブン・スピルバーグとキャスリーン・ケネディが製作に当り、スティーブン・スピルバーグが監督。脚本は「マジック・ボーイ」のメリッサ・マシソン、撮影はアレン・ダヴュー、音楽はジョン・ウィリアムス、E・T創造はカルロ・ランバルディ、視覚効果はデニス・ミュレンの監修によりILMが担当。出演はディー・ウォーレス、ヘンリー・トーマス、ピーター・コヨーテ、ロバート・マクノートン、ドリュー・バリモアなど。ストーリー アメリカ杉の森に、球形の宇宙船が着地し、なかから小さな宇宙人が数人出てきた。彼らは地球の植物を観察し、サンプルを採集する。1人だけ宇宙船から遠く離れた宇宙人が、崖の上から光の海を見て驚く。それは郊外の住宅地の灯だった。突然、物音がした。宇宙船の着陸を知った人間たちが、宇宙船に向かってきたのだ。宇宙船は危険を察知して離陸する。先ほどの宇宙人1人は、地上にとり残された。その頃、住宅地の1軒では、少年たちがカード遊びをしていた。10歳のエリオット(ヘンリー・卜ーマス)は、小さいという理由から、兄マイケル(ロバート・マクノートン)らの仲間にいれてもらえず、くさっていた。ピッツアの出前を受け取りに外へ出たエリオットは、物置小屋で音がしたことに気付いて、みんなを呼びよせた。しかし、中には誰もいなかった。深夜、エリオットはトウモロコシ畑で、宇宙人を目撃。翌日、夕食をたべながら、エリオットは宇宙人を見たことを話すが、誰も信じない。「パパなら…」というエリオットの言葉に、母のメリー(ディー・ウォーレス)は動揺する。パパは愛人とメキシコに行っているのだ。その夜もふけ、エリオットがポーチで見張っていると、宇宙人が彼の前に姿を現わす。エリオットは宇宙人を部屋に隠した。翌日、エリオットは仮病をつかって学校を休み、宇宙人とのコミニュケーションを試みた。そして帰宅した兄、妹ガーティ(ドリュー・バリモア)に紹介する。宇宙人は太陽系を遠く離れた星からやって来たことを、超能力でボールを宙に浮上させて説明した。次の朝、エリオットにマイケルの友達が、「怪物がいたか」と尋ね、宇宙人だと聞かされると、「ではエキストラ・テレストリアルだな」という。こうして宇宙人は以後、エキストラ・テレストリアルを略してE・Tを呼ぱれることになる。学校で授業をうけるエリオットと家にいるE・Tとの間に心が通いあい、E・Tが冷蔵庫からビールを取り出して飲むと、学校のエリオットも酔っぱらう。E・TがTVで「静かなる男」を見て、ジョン・ウェインとモーリン・オハラのキスシーンに見とれていると、学校でエリオットがかわいい女の子にキスをする。E・TはTVの「セサミストリート」を見ながら、英語を覚え、家に電話したいといい出す。E・Tはノコギリや傘を使って通信器を作る。ハロウィーンの夜、子供たちはE・Tに白い布をかぶせて森に連れ出し、E・Tは故郷の星に連絡をとる。翌朝、E・Tは瀕死の状態となり、エリオットが彼を家に運ぶ。E・Tを始めて見て、驚くメリー。突然、宇宙服を着た科学者たちが家にやって来た。NASAの科学者キース(ピーター・コヨーテ)がエリオットに「私も10歳の時からE・Tを待っていた」と話しかける。E・Tは死亡し、最後のお別れをエリオットがしていると、E・Tの胸が赤くなる。彼は死んでいなかったのだ。エリオットは兄妹、兄の友人グレッグ、スティーブ、タイラーの協力を得て、E・Tを森に運ぶ。後を必死に追う科学者の一団。森の空地に着地した宇宙船に乗り込むE・T。宇宙船が消えたあと、空に美しい虹がかかった。スタッフ 監督スティーヴン・スピルバーグ脚本メリッサ・マシソン製作スティーヴン・スピルバーグキャスリーン・ケネディメカニカルデザインラルフ・マクウォーリークリーチャーデザインカルロ・ランバルディ撮影アレン・ダヴュー美術ジェームズ・ビッセルフランク・マーシャル装飾ジャッキー・カー音楽ジョン・ウィリアムス音響効果ベン・バート編集キャロル・リトルトン衣裳/スタイリストデボラ・スコットメイクロバート・シーデルMA(音声編集)ケネス・ホールアソシエイト・プロデューサーメリッサ・マシソンSFX/VFX/特撮インダストリアル・ライト・アンド・マジッククリストファー・エヴァンズフランク・オーダスSFX/VFXスーパーバイザーデニス・ミューレンケネス・F・スミスローン・ピーターソン字幕戸田奈津子アドバイザーチャールズ・L・キャンベルキャスト 出演ディー・ウォーレスMaryヘンリー・トーマスElliottピーター・コヨーテKeysロバート・マクノートンMichaelドリュー・バリモアGertieK・C・マーテルGregショーン・フライSteveトム・ハウエルTylerエリカ・エレニアックPretty_Girlリチャード・スウィングラーSchool_Teacherフランク・トスPoliceman2019年5月7日TOHOシネマズ岡南★★★★
2019年06月09日
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「いま、〈平和〉を本気で語るには」ノーマ・フィールド 岩波ブックレット米国の日本文学研究者が北海道宗教者平和協議会の招きで講演した内容を加筆・修正したのが、岩波ブックレットで出ていた。彼女の著書は読んだことはないが、概して米国の研究者は日本のそれよりも的を得た事を指摘することが多い。考えの概要を知ろうと思い紐解いた。・なぜ〈平和〉を語ることが難しく感じられるのか?戦争にせよ、深刻な病にせよ、命とは奪われそうにない限り、その価値を実感し続けることが不可能に等しいから。これを人類的原理だと彼女は言う。日本人の特性だと私は思っていたので少し安心するとともに、その根の深さにおののく。・「逆さまの全体主義」とは、名も顔もない企業国家体制下で、選挙、憲法、公民権、報道の自由、司法の独立など、建前としては維持されているようで、実質的には市民は無力に苛まれている状態のことらしい。米国にしてそうならば、日本は更にそうだろう。よって、それは容易に「顔のある全体主義」になり得ると彼女は言う。この時はトランプ大統領が誕生する直前の講演だった。・福島原発災害に戦後70年の問題が凝縮されている。国、行政、大企業は「無責任」ですまされる。しかし「自主避難」を余儀なくされた人たちは「自己責任」を突きつけられる。この体制は、戦争法であれ、基地問題であれ、原発再稼働であれ、地域で声を上げることを困難にする枠組みを支えている。・日常の平穏を支える仕組みと価値観は、まさしく平穏が脅かされ、取り戻そうとした時に顕在化するものだ。平穏の条件を観ずに、ひたすら平穏を望むことは「逆さまの全体主義」を支える願望にほかなりません。そして「逆さまの全体主義」がいかにたやすく逆さまではなく「正規」の全体主義になり得るか、(朝日新聞記者が公的支援も得られず学園講師の職場を追われる)この会場の北星学園の例が鮮やかに示しています。・ファシズムは一時に社会を均等に覆うものではない。言い換えれば、全体主義は「逆さま」な姿とそれを正したものが重なることで、勢力を増していくのではないか。そして、余裕を持つ、油断が許される立場のものは手遅れになるまで油断し続ける。でも、決して忘れてはならないことがある。「逆さま」の全体主義にはまだまだ抵抗の余地がある、非暴力の。ノーマ・フィールド氏の日米両国を見渡した〈平和〉への思索は、確かに的を射たものだった。
2019年06月08日
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「フランケンシュタイン」シェリー 小林章夫訳 光文社古典新訳文庫今年の1月に映画「メアリーの総て」を観て、俄然読む気になった本作をやっと読んだ。本当の題名は「フランケンシュタインーあるいは現代のプロメテウス」である。神話で人類を創ったプロメテウスをなぞり、今から約200年前に人造人間を造ったフランケンシュタイン博士の悲劇と、名前のない人造人間の悲劇を描く。巷間に有名なストーリーは、後々の映画によって広まったものだ。一般イメージを忘れて人造人間を単に「怪物」とだけで読んでいくと、まるで感覚を持ち、知恵をつけ、文学を理解し、愛と憎しみに揺れる「近代的自我」に目覚めた19世紀英国人の精神史をなぞっているようにも読めるし、科学文明批判のようにも見える。女性差別は出てこないが、凡ゆる差別されるものに寄り添った悲劇のようにも見える。また、夫のシェリーについて旅した見聞を生かしたヨーロッパ旅行記のようにも見える。様々な要素を、それこそ古い映画の中のフランケンシュタインの容貌のように「継ぎ接ぎ」しながら、二重入れ子状態の小説構造を持って描く。解説子の言うように、クローン人間が現実的になった現代、更にいろいろな読まれ方が可能だろう。この長編小説を仕上げた若干19歳の才媛の存在は、確かにビックリ以外の何者でもないだろう。一方で、人造人間の成長部分は大変面白いのだけど、そこに至るまでの導入部と、物語の閉め方は、現代の我々から見ると退屈である。ただ、あの当時に手紙形式や告白形式が流行っていたのだとしたら、若い彼女に作品の完璧を求めるのは酷なのかもしれない。アニメの名作「人造人間ベム」は、虚心坦懐に原作を読んだ人が、もし人造人間が望んだように伴侶と息子を手に入れたならばどんな物語になっただろうか?と想像して作られたのではないかと、私は推察した。
2019年06月07日
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6月4日から始まった県立博物館の「岡山の三角縁神獣鏡」展を観た。とても貧弱な陳列だった。一階を全て使って陳列してるのかと思いきや、通常陳列。一階では、宮山遺跡の宮山型特殊器台がある。文様帯には、巴型や三角の透かし穴とS字状の渦紋をヘラ描きで飾り、その上を赤色塗料で塗っている。特殊器台終わりの時期の極めて派手な特殊器台だ。操山辺りで出土したという袈裟襷文銅鐸も展示している。百間川遺跡という日本を代表する弥生遺跡が近くにある。古代遺跡ではないが、正阿弥勝義(1832-1908)の凄い金工作品を展示していたので、パチリ。まるで本物のようなトンボが止まっていた。明治廃刀令で刀装具職人だった勝義が香炉や置物の金工作品に活路を見出したという。この作品ではないかもしれないが、明治37年のセントルイス万博での一等賞を獲得したらしい。さて、目的の「特別陳列」を観る。なんと3面の三角縁神獣鏡しか展示していなかった。このためにあんな大仰な立て看を各地に立てていたのか!写真撮影不可なので、説明だけ書くと、「本館所蔵」の三角縁神獣鏡は流石に保存状態がいい。同范鏡は京都西山二号墳。三角縁天王日月獣文帯四神獣鏡(総社市秦上沼古墳出土?古墳時代前期個人蔵)数少ない備中出土である。出土古墳の詳細は不明確。戦前出土。同じ鋳型は、京都椿井大塚山古墳から出土。三角縁波紋帯二神四獣鏡(一宮付近出土。前期。個人蔵)江戸時代、吉備津彦神社付近の古墳から出土。中央に鋳型のキズあり。ほかに関連遺物の展示があっただけだった。三角縁神獣鏡は、中国地域87(県内25)も出土しているが、備前20播磨19(この数は中国地域で突出している)に対して、備中は2と楯築遺跡を擁する吉備中央にしてはあまりにも少ない。これは何を意味するのか?弥生中枢部だからこそ、後世の人間が何かの思惑で持ち出したのか?そもそも、弥生から古墳時代にかけて、三角縁神獣鏡などはあまり意味を持っていなかったのか?何度も書いているが、岡山県立博物館の古代遺物の展示は、非常に貧弱である。私は、岡山県、つまり吉備の国は日本有数の古代大国だと思っている。本来なら専門博物館を建てるべきなのである。それが無いのは、ひとえに為政者の教養がないためだ。こんな小さなブログ、何の影響も持たないけれども、何度でもここで叫んでおきたい。ちなみに、今回初めて「岡山県立博物館展示ガイド」を買った。全16ページの薄い400円の冊子。これで岡山県約3000年の歴史を網羅してる。これが、古代だけでなく、この博物館の水準である。情け無い。どこが教育県だ!
2019年06月05日
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「図書 6月号」岩波書店数年ぶりに定期購読を始めました。別に狙ったわけではないのですが、最近の読書に関連する短文が多数あり、参考になりました。いつか読みたいと思っている『眩』を上梓した朝井まかてさんが「北斎のたくらみ」を書いている。北斎の娘、葛飾応為を描いた朝井さんは、その娘の視点で、最近の岩波文庫のヒット(現在ゆっくりと愉しみ中)『北斎 富嶽三十六景』を解説している。「これは活き活きと自由に虚構を用いた、壮大な物語なのではないか」という。全てを見渡して、初めてわかる、様々な実験、リアルな描写、その中に入れ込む大嘘。「どうだ、面白ぇか。え、こっちはどうだ」。いやあ、面白い!最近著者のファンになったばかりの梯久美子さんと若松英輔氏の対談も載っていた。彼女の評伝を書く際の心構えや過程を赤裸々に語っていて、とても貴重な対談だと思う。この前の京都旅をした時に下鴨河合神社で、鴨長明が建てた方丈庵の復元を観たばかし。詩人の新井満が、自ら翻訳した「方丈記」に刺激されて、21世紀の方丈庵を作った経緯を書いていた(「火と水と生きる喜び」)。友人の建築デザイナーが作ったのは、森の中に高床式のデッキがある小さな木造の家。中には薪ストーブと水道を引いたシンクがあるだけ。あとは楽器(長明は琵琶、満はギター)を思いっきり弾ける空間になるのだという。確かに「現代の方丈庵」なのだが、現代の新井満はこの別荘で満足できるだろか。
2019年06月04日
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「NHKスペシャル 人類誕生」学研Nスペの番組は、愉しんで観させてもらった。某CMの原始人ではなくて、最新学術的研究に裏打ちされたリアルな原始人並びに旧人類や新人類の姿は、録画に値する映像だった。私ももちろん録画した。ところが、残念ながら機器の不調で全て消え去った。でも大丈夫。大型Nスペは大抵本になっているということに最近気がついた。しかも、番組に盛り込められなかった情報満載である。いろんな切り口があるのだが、私の最大関心領域は、実は弥生時代だ。縄文時代の技術や習俗が弥生に引き継がれているように、人類学の知見も弥生に引き継がれているものもあるはずだ。というわけで、それに限って以下にメモしていく。・アウトラピテクス・アレファレンシス(370-300万年前)で、男女の体格差が起こる。食物を獲得するのオスと比べて、メスは子供を産み育てられる大きさがあれば良く、小さいとエサの消費を抑えることができる。大きいからといってオスの暴力性が増したわけではない。犬歯は小さいままだった。・ホモ・ハビリス(240-160万年前)。最初に石器(オルドヴァイ型石器)を作った可能性がある。狩に使っていない。動物の死体から皮を剥ぎ、肉を削ぎ落とし、骨から脊髄を取り出すために使ったと思える。これが出来るのは人類だけだ。・ホモ・エレクトス(180-5万年前)。握斧(アシュール型石器)を作成。現代人とほぼ変わらないプロポーション。体毛はなく、全身の汗腺から出る汗で体温調節ができて、長距離走が得意、それで狩を行う。頭髪で直射日光を避け、溜めた汗で脳を冷却させる。常に白目を見せ、視線でアイコンタクトが出来た。唇がめくれて、性的魅力に繋がった。また、肉食を始めたので、出アフリカを180万年前に果たして黒海東のドマニシ遺跡(ジョージア)にたどり着いた。・ドマニシ遺跡に30-40代の歯のない老人骸骨化石がある。歯が無くなっても数年間は生きていた。人類史初の介護老人の証拠である(180万年前)。彼らは「心」を持っていた。・ホモ・エレクトスはアジアに出て、北京原人とジャワ原人になって行く。一方、アフリカのエレクトスはハイデルベルゲンシスに進化、ヨーロッパや一部アジアへ。ヨーロッパのハイデルベルゲンシスはネアンデルタール人に。アフリカに残ったハイデルベルゲンシスはホモ・サピエンスへ。・ホモ・サピエンス(新人20万年前-)で初めて人類は複雑な石器や道具を作った。七万年前に埋葬やおしゃれの貝殻アクセサリーを作って、想像力と芸術性があることを証明している。巧みに話すことの出来るサピエンスは物語も作っただろう。・ネアンデルタール人(旧人30ー4万年前)が滅亡したのは、「ハインリッヒ・イベント」という氷河の滑落による海流変化のヨーロッパ気温の乱高下のせいだ。極端な暑さと寒さが10年単位で入れ替わる(最終氷期は1万年前に終わり、現代は間氷期)のについていけなかった。最高20人ほどの集団しか作れなかったために、数百人の集団を作って協力して食料を確保したサピエンスに負けてしまう。・約7.3ー6.3万年前には、少なくともホモ・サピエンスはスマトラ島まで達していた。そこから、氷期で100m低い海水面を利用してオーストラリアまで海を渡りアボリジニの祖先になる。・約4ー2.5万年前、大陸と北海道は地続きだった。大型動物を追って、日本人の祖先は寒さを乗り越えて歩いてやってきただろう。4万年前にサピエンスがシベリアに到達できたのは、骨製の縫い針を発明していて革製の防寒服を作っていたから。
2019年06月03日
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「調べる技術書く技術」佐藤優 SB新書インプット・アウトプットの両輪が揃うことによって、真の教養と使える知識が身につく。玉石混淆の情報から、適切なものを効率的に選び取り、深く理解する。そんな技術で「どんな人でも確実に実践することができる」のが本書らしい。どうなんだろ。一応ある程度は既に実践していることなんだけど、おゝと思ったところだけ、メモする。・教養としての数学を学び直すのには「生き抜くための高校数学(日本図書センター)」を勧める。それが難しければ「生き抜くための中学数学」がある。理科4科目に関してはブルーバックス「新しい高校物理の教科書」(以下、化学、生物、地学)。←文系の私は、これらが不足しているはず。・ネットでの情報収集は「NHK ニュースWEB」、新聞のWEB版、オンライン辞典・辞書サイトである「ジャパンナレッジ」の3種類に絞る。気を抜くとネットは直ぐに「時食い虫」になる。←そうそう!・「iTunes U」は、大学授業を無料で視聴できる。アップル限定。←私はアップルなので、チラリと見たが、英語バージョンが多い。もう少し精査します。・ニュースサイト(Yahooニュースなど)は読むべきでない。←頭が痛い。その通りなんだけどなあ。・SNSは時食い虫、しない方がいい。それとメッセンジャーやラインなどのメッセージツールは使わない。少なくとも通知機能をオフにする。←頭が痛い。その通りなんだけどなあ。・アウトプットでは、手書きノート1冊へ全部書いて行く。予定管理は2年手帳へ。←デジタルのデメリットと、この方法のメリットを書いているが、私はそこまで手書きに拘らなくてもいいと思う。・期間を限って、自分の仕事遂行能力を測ってみる。(集中して何時間読書できるか等々)←これは試してみよう!・そのあと、お金の貯め方、使い方、まで筆を伸ばしているのは如何なものかと思ったが、「おわりに」において、この本は「知的生産のための知的生産」を書いたのではなく「人生を充実させるための知的生産」のためだと書いていて、なるほどと思った。この本は具体的な技術はあまり書いていない。それを望む人には向かないだろう。・ここまで読みながら同時に要約するのに、約2時間と少ししかかからなかった。実は初めての佐藤優。佐藤さんは短時間で本を書いているようだが、読む方も簡単に読めるように工夫している。なるほど、売れるはずだ。2019年5月31日読了
2019年06月02日
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「ビッグイシュー359号」ゲット!表紙は「セレニティー平穏の海」公開を控えているアン・ハサウェイ。特集は「紙の力」。リード文は以下の通り。アナログ文化の「強く、深い」つながりを築く力が発見されつつある。SNS、AI、電子マネー、ブロックチェーン……。社会のあらゆるものがデジタル化される今、若者世代を中心に「古い」と思われているアナログの魅力を再発見するムーブメントも起きている。そんなアナログを代表する“紙”がもつ新たな可能性を研究する柴田博仁さん(「富士ゼロックス」研究技術開発本部)に「電子メディアより深い読みをもたらす〝紙の力の秘密〟」について聞いた。また、大阪で「桜ノ宮 活版倉庫」を営む小瀬恵一さんに「人と人をつなげる、活版印刷の世界」についてインタビュー。デジタルとアナログ、それぞれの良さを両立させて未来を築く、ポストデジタルの時代へ。その手がかりとなるレコード、フィルム、ボードゲームの復活にも触れながら、紙が秘める力に迫りたい。電子メディアより「深い読み」や「発見力」紙の秘められた力とは?柴田博仁さん〈コラム〉レコード、フィルム、ボードゲーム……身体と魂を使い、不安こえる魅力効率悪くても気持ちいいコミュニケーションデジタルも融合した「21世紀の活版印刷」桜ノ宮 活版倉庫柴田さんのお話は興味深かった。紙の方がデジタルよりも「読書に没頭でき、記憶に残りやすく、誤字・脱字を検出しやすい」結果が出たようだ。科学的にも検証していて、納得する。電子本が出回った頃に、本は無くなるのかという議論がたくさんされていたが、今はそのように主張する人はいない。あの頃多くの人が言っていたように、「棲み分け」を実感しているのだと思う。パピルスではなく、現状の紙・放馬灘紙(ほうばたんし)を発明したのは、BC170年の中国らしい。それ以降、約2200年間、人類は紙と付き合ってきた。もはや遺伝子レベルに組み込まれているのかもしれない。また、「桜宮 活版倉庫」の記事については、私は実感がある。昔、大学新聞を作っていた。あの頃の私の生活は、大学と下宿と印刷所がそれぞれ1/3で存在していた実感がある。奇跡のように活字を拾う人、「ごめん!急いでこれ作って」と言ってイラストを渡す私たちに向かい「仕方ないなあ、今回だけだよ」と言いながら、拙い絵が鉄の塊に映しとられる不思議。最終段階で、急遽その場で記事を書いて割付の中に組み入れる。PCでの割付変更ではないのだ。これには、ものすごい技術がいったはずだ。活字を拾う人、特殊凸版を作る人、割付る人、印刷する人、会計のおばちゃん、印刷所にはかけがえのない技術を持った人たちがいた。「5面の校正出来たよ」薄暗い印刷所で赤を入れる私。組み終わるまで、時間がかかるけど、印刷が始まると数時間で出来る。あゝあの頃。それが、今は次々と印刷所が潰れて、使われていない機械がスクラップになって捨てられているというのだ。それを活かして、若い小瀬さんがデザイン的な印刷所を再生させた。あのインクに匂い、機械の手触り活かしてもらいたい!
2019年06月01日
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「ビッグイシュー358号」ゲット!特集に入る手前の「世界短信」に、メキシコシティの巨大壁画が「エアライト」という光合成をする塗料で描かれている、と書いていた。その洗浄効果は同じ面積に植えられた樹木と一緒らしい。これが世界に広がればいいと思う。特集は「森の時間」。リード文は以下の通り。なぜだろう? 森に入れば心が安らぐ。日本列島の約3分の2は森林、私たちは古来、樹脂、木炭、山菜、薬木、薬草……と森の恩恵を受けてきた。今、森は遠くなったのに、きりりとした空気やかすかな樹木の香りは気分をさわやかにしてくれる。新緑の5月、森へ分け入り、身体の記憶をひも解いてくれる3人に教えを受けた。東北地方の森の写真を撮り続ける南日伸夫さん(写真家)からは、5月の「森時間」が流れる写真とエッセイが届いた。森林資源や森林浴などについて研究してきた谷田貝光克さん(東京大学名誉教授)には、“月に1~2度の森林浴でがん予防効果が期待できる”など知られざる樹木の香りについて聞いた。中川重年さん(玉川アルプホルンクラブ)は30年間、森の間伐材で楽器アルプホルンを手作りし仲間とともに国内外でコンサートやイベントに参加してきた。森に響くアルプホルンの魅力を聞いた。森を身体で感じ、楽しむ方法を知りたい。この中で興味深かったのは、ガン予防に効果があると説く谷田貝光克さんのお話。とは言っても、劇的な効果を持つものではない。昔ながらの生活は、ちょっと身体にいいよ、と思うぐらいでいいのかも。「ビッグイシューEYE」では、東京あきる野市「五日市憲法」を見つけた1人である新井勝紘の人生が興味深かった。明治100年に、色川大吉のゼミで行った土蔵調査で見つける。新井氏は、その後50年間五日市憲法にこだわり続けて研究を続けて、専修大学教授になっている。一つの謎から広がる世界と人生。氏の最近の著作「五日市憲法(岩波新書)」を読みたくなった。
2019年05月31日
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