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ところで、少し話は飛躍しますが、問題の範囲をもっと、広げて、地域における、いわゆる村八分や相手が国の場合は、どうでしょうか。こういう問題も最近は他人事でなく、始終私たちの周りで起こっているからです。地域で、たとえば、公害問題の発生に異を唱えて、村八分にされたり、市の役人が業者の息のかかったと見られる犯人に殺されるという事件も起きています。 相手が国家の場合、たとえば、戦前、戦中の徴兵拒否や戦争反対の場合は、「亡命」ということになりますから、非常に深刻です。この問題については、別の場、HPやメルマガ、拙著「自己実現の手帳」で述べていますので、そちらを参照してください。 ここでは、最近アメリカでイラク戦争に抗議してアメリカの若者が、カナダに脱走するケースが増えていること、ベトナム戦争のときも、脱走兵が5万人に達したことをご報告しておきます。一般に兵役拒否や敵前逃亡は、国家や公に対する反逆罪という烙印を押され後ろめたい行動と見られてきました。しかし、ベトナム戦争やイラク戦争は国家、政府の決断そのものが、正しいとはいえない状況で、その国家の命令に反する行動が、果たして違法なのかどうかということが問題です。太平洋戦争における日本の国家や軍部の決断が国際的に戦争犯罪と見られ、当時の国や最高権力者であった天皇の命令に反する行動のほうが、人道的には正しかったという見方もあります。 このように集団的な圧力や国家権力による圧力がかかった場合は、基本的には『人道的な見地』に基づいて決断を下すべきだと思います。 ただ、権力に逆らったり亡命した場合、特に独裁国家ではその家族に害が及ぶことも十分考えられるので、これは大変難しい問題です。ここでは、そういう事態にならないように、日ごろから、権力を監視する姿勢が必要であること。また、そうでない現状に感謝して、その体制の維持、発展に、個人としてできることは実行し、協力すべきことは協力することを確認しておきましょう。
2018.01.31
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そこで、やはりこういう場合も『状況判断』が決め手です。 どうしても、逃れられない相手なら、「場を変える」つまり転校するしかありません。社会人の場合は『転職』です。ただ、ここで考えなければならないのは、職場や学校を変えて、それで問題が本当に解決できるか、ということです。 まず、正攻法 そして、最後の手段は、『場』を変える? もちろん、その前に、正攻法で攻めて、先方の非を認めさせ、行動を改めさせることはできないか、何もしないで、こそこそ逃げ出すことはよくありません。また、もし、『場を変えても同じ問題が起きるようなら』こちら(いじめ、迫害を受ける側)にも問題があると考えざるを得ないのです。 *最後の手段をとる前に『場を変える』対策をとる場合は、(「正論が通用する相手か」「場を変えて問題が根本的に解決するか」)この2点が判断のキーポイントになります。 そもそも、いじめや嫌がらせをする人間は精神的に『満たされないもの』があるから、その代償に他人をいじめている哀れむべき存在=精神的な病人です。心の健康な人たちは決してそういうことはしないのです。昔はそういう事件やトラブルが稀だったのに、今急増しているのは、社会全体が、精神的な病気に冒されて、病が進行している証拠です。ですから、健全な精神を回復させるように、指導できれば最高の解決法といえるのですが、それは、理屈で考えるほど容易ではありません。なぜなら、それが簡単にできるなら、世の中はそもそももっとよくなっているし、混乱も戦争もなくなり、警察も裁判所も不要な楽園になるはずだからです。
2018.01.30
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そのひとつが、最近学校などで見られる、集団のいじめ。相手は集団で、あるターゲットを定め、集中的に襲ってきます。ターゲットにされた相手がいじめやすかったり?反対に、成績がよい優等生タイプの人の場合もあるようです。あるいは、もっと、始末の悪いのは、理由もなく「たまたま、そこに居合わせたから、狙われた」ということもあります。そして、やり方が陰湿で、たとえば、いじめの事実を親や教師に訴えて改めさせようとしても、いざ、アクションを起こすと、見つからないように、巧妙にごまかして証拠を残さないのです。 堂々と相手に抗議して、意外に怖気(おじけ)づいて、引き下がればよいのですが、中には開き直って、集団で暴行を加え、殺傷事件にまでエスカレートしたケースもありますから、予断は許しません。
2018.01.29
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そして、「人を見る目」は、人を毛嫌いして、敬遠しても養われることはなく、いやでも人間関係を通じて磨くしかないのです。とはいえ、現実には、周囲の人の意地悪やいじめが嵩じて、自殺に追い込まれたり、傷つけたり、殺したり、痛ましい事件もあちこちで起きています。新聞やテレビで取り上げられない潜在的な問題を含めると、数え切れない多くの人々が、いじめ、意地悪の犠牲になっています。 どうしたらいいでしょうか。 いやな相手との人間関係は、前に紹介した私の体験でもおわかりように、こちらが心構えを替え、こちらが変われば、克服できることも多いのですが、中には一筋縄でいかない場合もあるでしょう。
2018.01.28
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ここまで> これで、『予兆』を察し、備えることは可能であることがわかっていただけるでしょう。そのうちの失敗談と成功談。いじめ、トラブルを総括するつまり、以上で、何事においても・ 人を見る目 と同時に・ 自分を見つめ直すことがいかに大切かがお分かりのことと思います。「今の夫(妻)としっくりいかない。別れるべきか、もう少し様子を見るべきか」という悩みにしても結婚する前に、『人を見る目』『自分を見つめ直す』心構えがあったら、問題は起きなかったに違いありません。 とはいえ、ここで述べた『解決の鍵』をすぐに手に入れることは、至難の技、最初は、うまくいかないかもしれません。人生には、失敗もあるでしょう。ですから、・ 状況判断、決断力そして『人を見る目』を養うことを『目指して』毎日を送るように心がけるのです。なんとなく日を過ごしていたときより、変化があるはずです。それだけで、きっと、心が生き生きしてくるのを感じるに違いありません。
2018.01.27
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次に、もう一つ、もっと積極的に「苦手上司」を克服したケース(成功体験)を紹介します。 その後別の職場で「苦虫」というあだ名をつけた部長としばらく一緒に仕事をしたことがあります。 こちらが朝、『おはようございます』と挨拶しても返事もせず、『苦虫を噛み潰したような顔』をしているのです。私はあるとき『作戦』を考えました。この苦虫部長が、ニコニコしているイメージを思い浮かべ、出社し顔を合わせたとき自分もニコニコして『おはようございます』と挨拶をしたのです。するとどうでしょう。『苦虫部長』が、にこっと笑って『おはよう』と答礼したではありませんか。この部長は私に悪意を持って『苦虫を噛み潰していた』わけではなく、売り上げ目標を達成するのに必死で、厳しい顔をしていたのです。以後、上司と私の心は急接近し、私に何かと作戦上のアイデアを求めるようになりました。 『苦虫部長』は私を憎んでいるという『思い込み』が二人の心の間に『壁』を作っていたのです。そして壁を作っていたのは先方でなく、ほかならぬ、自分だったことに気づきました。人間関係は『お互い様』思い込みを改めることによって、道が開けることが多いものです。
2018.01.26
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失敗談は、右の職場よりも前の話、社会人になって、4年目の頃です。私は仕事にもなれ張り切っていた頃、課長が交代しました。新任の課長は、課長になったばかり、といってもかなり年をとってから、やっと、課長になった人でした。私は4年間培った経験を生かして、意欲的な提案をするのですが、「イエスともノーとも」いってくれないのです。そのうち、私はすっかりヤル気をなくしてとうとうノイローゼ気味になり、体調を崩してしまいました。問題が解決したのは、私が職場替えになって、新しい職場に移動してからでした。「風が頭の上を通り過ぎる」のを待つ、という解決法でした。 しかし、この解決法はあまり感心しません。では、どう、考えたらよいか。あの頃の上司は、出世が遅れ、やっと手に入れた課長のいすを部下のリスキーな提案で失いたくなかったのです。そう考えれば「かわいいもの」ではないですか。そういう考えで、この上司と接していれば、自分も上司もあそこまで追い込まずに済んだと思います。
2018.01.25
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私が若い頃、職場替えがありました。新しい職場の上司はみんなから煙たがられていました。「新しい職場へいくことになった」と同僚たちに話すと一様に(気の毒そうな顔)をするのです。中には口に出して「気の毒に、あの職場のY管理職は、厳しいぞ、ご苦労様」と口に出して、同情したり、脅かしたり、哀れんだり?する人もいました。 私は戦々恐々として新しい職場へ着任しました。ところがYさんは、基本をキチンと守ることには厳しいが、思いやりもあるやさしい人でした。私とはウマがあって、いろいろと仕事の基本については彼から学ぶことも多く、充実した職場生活を送ることができました。逆に、Yさんは、字を書くのが苦手、文章も苦手、口も重い職人気質の人、彼が苦手なことを私が得意としていたので、文章を清書することから始まって、お互いの信頼関係ができるに従って、幅広く仕事を任せてもらえるようになり、社長や役員の挨拶の原案などもYさんの仕事でしたが、そのほとんどを私に任せ、私が彼のこの部分の仕事を代行するようになって、重宝がられました。Yさんが煙たがられたのは「基本に忠実」だったからで、煙たがっていた同僚たちがいい加減な仕事をすると、関連部署のYさんから厳しく注意されていたのが原因だったということが間もなく、わかりました。これは上司に恵まれたケースですが、もちろん、もっと悩まされた上司も大勢いました。むしろ、ほとんどの上司に悩まされた、といってもよいほどです。
2018.01.24
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周りにいる「いやな奴」をどうする? 今も昔も、周囲の「いやな奴」に悩まされる人は非常に多いようです。職場では、上司や同僚や部下の『いじめ』『嫌がらせ』学校でも『意地悪』『いじめ』… 家庭では、嫁と姑の確執は、『古くて新しい問題』です。嫁、姑の問題は当事者はもとより、『板ばさみ』になる男性(夫、息子の立場の)にとっても、深刻な悩みといってよいでしょう。いわゆる『あちらを立てればこちらが立たず』という状態です。
2018.01.23
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「鑑識眼」を磨く―まず、『だまされないこと』最近、「だまされる」事件やトラブルがあちこちで起きています。振り込め詐欺から、いかさま占いやインチキリフォーム、邪悪な宗教、金権体質の政党や危険な暴力組織などが、心の弱い人たちを狙っています。そういう『狼』が、迷える子羊たちを狙って『真っ黒な口』をあけているのです。振り込めさぎや、インチキ・リフォーム会社もその類でしょう。人にだまされないようにする「鍵」は「平常心」をもつことですが、悪い奴らはアノ手、コノ手で、平常心を「乱そうとする」のです。あるいは、何らかの事情で「心が傷ついた人」「弱気になっている人」に狙いをつけます。「人の弱みに付け込む」のです。あるいは、「儲けたい」「偉くなりたい」「有名になりたい」と思っている人々の「強欲」を「餌食」にすることもあります。自分が今「心が傷ついている、弱気になっている」、逆に「欲張りになっているな」と感じたら、要注意、初心に戻って「クールになるように」心がけて下さい。こうして「だまされない態勢を整えたら、改めて、クールな目で周りの人を観察?するように心がけましょう。うまい言葉で擦り寄ってくる悪い奴らの魂胆を見抜くことも大切ですが、反対に、「いやな奴」と思って毛嫌いしていた人々にもいろいろな人がいることがわかってきます。
2018.01.22
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3章 荒んだ世の中でも、『自分を見失わないで』生きる人間関係の悩みは、毎日の生活の中の悩みの大部分を占める、といっても言い過ぎではないでしょう。営業は、人を見る目を養うのに役立ちますが、逆に、中にはお客を騙す、よくない営業マンもいます。営業マンに限らず、世の中がせち辛くなり、あの手この手で、人を騙すトラブルがあちこちで発生しています。広義には、人間関係の悩みも「人が信頼できるかどうか」という問題に置き換えることができるかも知れません。いずれにせよ「人を見る目」を養えば、人にだまされ裏切られる恐れもないはずです。ではどうしたら、人を見る目を養うことができるでしょうか。原則的には、こちらが「自然体」で臨むこと。今も昔も、人をだまそうとする悪い奴はいるものです。「儲かります」「不治の病も治ります」「必ず美しくなります」「必ずやせます」「すばらしい交際(結婚)相手を紹介します。」こういう甘い言葉にだまされて、虎の子の貯金をだまし取られたり、インチキ医薬品や化粧品を売りつけられたり、交際相手に裏切られる人などが後を絶ちません。が、これらの場合騙すほうが悪いのは間違いありませんが、騙されるほうにも隙があったのです。つまり、「勝手に甘い夢を見て」相手のペースにはまり、冷静に相手を見きわめ、状況を見極める判断力を失っていたと考えられます。もっとも、最近では、グループで危機状態を演出する悪質な『振り込めさぎ』など、巧妙で悪質なケースも増えているようです。だからこそ『クール』になることが必要で、どんな人にとっても① 今、自分はどういう状況にいるかを判断する力② 決断すべきか、耐えるべきかを判断する能力③ 人を見る目など、物事の本質を捉え、見極める目=『鑑識眼』を養うことがもっとも大切、これこそ「魔法の杖」だといったのです。(前出)逆に、いくら勉強しても、鑑識眼が身につかない「勉強」は、役に立ちません。高学歴でIQが高いはずのエリートたちがカルト集団に捕まって平気で人を殺したり、官僚や政治家になって、汚職に手を染めて、一生を誤るーこれは、鑑識眼が身につかない「記憶」だけの勉強をした結果に他なりません。こんな勉強は、役に立たないどころか、世に害を垂れ流し、人に迷惑をかけた上に、自分も不幸になるー全く、有害無益な勉強、というべきでしょう。 世の中の混乱の原因は、責任ある立場の人々が、役に立たない勉強ばかりして、鑑識眼を養うことを忘れているからです。 「鑑識眼」を養う「大原則」―それは、「平常心」をもつことです。
2018.01.21
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「ツイてる人」は『謙虚』である ー一時的には、不遇に見えても、「出番」がめぐってくるまでジッと耐え、備えるツイてる人は謙虚だから、多くの先輩や専門家から『学ぶこと』ができる。少しくらい成長しても『天狗』になって研鑽を怠るようなことはありません。ちょっとうまくいっても『思い上がる』とか「威張る」ようなこともないのです。 人間一人でできることはたかが知れているのです。だから、私たちは何らかの形でチーム、グループを編成して仕事をしているわけでしょう。組織、チームは一般に有能な人、あまり有能でない人、年齢や性別も違ういろいろな人々で構成されています。 社会が、最高の技能と人間性をもった人たちだけで構成されれば理想的かもしれません。しかし、そんなことは実際には皆無に等しいのです。どんなグループでも優秀な人と力の劣る人がいるでしょうが、そういう人はごくわずかで、大多数の人は可もなし不可もなし、あるいは一長一短の人たちがほとんどです。 あなたがグループの中で最優秀の人材であったとしましょう。チームメートは気が利かず間が抜けていると感じるかもしれません。中小企業の創業社長にはこういう傾向が見られます。商品知識、仕事上の技能、営業力、人脈―何をとっても社内ナンバーワンであることが多いのです。そういう社長は「うちの社員は屑ばかり」といって嘆きます。確かにそうかもしれません。しかし、社長一人では何もできないはずです。目に見えないところで社員に支えられて会社は成り立っています。 自信過剰のワンマン社長をはじめ有能を自認する人材に限って自分を凌ぐような優秀な人材を敬遠するようなところがあります。自分が人材開発の「芽」を摘み取るのだから、自分以上の人材が育たないのは当たり前です。平凡な人が成長しようとするのを邪魔しているのはほかならぬワンマン社長です。 ワンマン社長に限らず有能を自認する人材は「自分が業績を上げるためには、平凡な人々の協力の上に成り立っていることを、もっと認識すべきです。 「人が馬鹿に見える」ーこういう気持ちになったときから「自分は多くの協力者や支持者に支えられていることを思い起こすことが必要です。この気持ちを忘れると協力者や支持者はその人から離れ、気がついたときは「孤立無援」で誰も協力してくれず業績も急落するのです。 ただし、「謙虚でさえあればよい」というわけにはいきません。何事も引っ込み思案で責任を回避することを「謙虚」と勘違いしてはならないのです。 ついてる人は謙虚ですから、『時代の流れ』『予兆』をとらえる『感覚』を磨いています。ですから、一時的には「ツキに見離された」ようでも、後から振り返れば、それが、正しい『選択』であったことが分かります。 もちろん、時代の流れが変わっても、『不変の法則』はあり、一時的には、ついてる人が不遇で恵まれず、埋もれて目立たない時期もあります。でも、埋もれているように見えても、それは、天が『今は時期ではない。今は耐えて勉強しなさい』と諭していたのだ、ということが本人も、後になって、気付くのです。 世間から忘れられたように見えても、そのときは、注目されないほうがよかったのです。天がそして、世間が必要とする人には、必ず、「出番」を 設けてくれるのです。一例を挙げれば、太平洋戦争中に活躍の場がなかった政治家、作家や作曲家、芸術家は、「間違った戦争に加担すべきでない」と天が教えてくれていたのです。そういう人たちは、戦後、多くの人を慰め、廃墟から立ち上がる勇気を与え、本人たちも「わが世の春」を謳歌したのです。 戦後バブル時代に過剰な投資を控えた実業家もバブルが去るのをジッと待ち、バブルが去って、満を持して登場した若手経営者はその後、飛躍的に発展することになったのです。 一般の人が普段から、「どう、備えるか」は後の章で具体的に取り上げます。
2018.01.20
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不安の時代に、過去の映画、名画を楽しむ。ローマの休日、断崖、旅愁、第3の男、シェーン、風と共に去りぬなど、どれを見ても人生を感じさせる。
2018.01.19
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弱肉強食、掠奪、犯罪、疾病等々、あらゆる不穏なことが予想される。いわゆる、弱り目に、たたり目」という現象である。幕末の黒船来航をキッカケとして幕府が弱体化して尊王攘夷論が吹き荒れた頃、浅間山が大噴火を起こしたり、大地震や大津波、そして大飢饉などが起きているのである。よくないことは、重なるものである。 願わくは、そういうことは起きて欲しくない。しかし、普賢岳の噴火や伊.豆半畠伊東沖や大島や奥尻島の地震は不気味である。今のところ、地震の災害は、最先端の技術をもってしても、不可能といわれている。まして、人問の考え及ばないような天災をいたずらに心配しても始まらないだろう。が、いずれにしても、国内における人心の荒廃と、自然界の異変、それに、不穏な世界情勢これらを考え合わせると、とう考えても、・21世紀を迎えるには、1波乱、2波乱あることは覚悟してかからなければならないと思う。その波乱の中で、私たちは、生き延び、繁栄していくことができるだろうか。私には、分からない。私たちの世代は、人類史上稀にみる「平和な時代」に人生の大半を過ごすことができた。 何十億、何百億の人類がこの世に生存したかは分からない。が、その中で、私たちは、きわめて恵まれた人生を送ることができた部類に属することになる、といってもよいだろう。たとえ、これから起きる波乱の中で一生を終わることがあろうとも。だが、問題は若い世代、そして次の世代である。その人たちにとって、どんな世界が待ち受けているのか。できれば、平和で、心豊かに人生を送ってもらいたい。そういう社会を私たちは、次の世代と共に楽しみ、残してやりたいと思う。そのために、今こそ、何をすべきかを真剣に考えるべきなのだ。(以上15年前までに書いた一連の『感性』シリーズから引用。
2018.01.18
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親殺し、子殺し、虐待、放火、無差別殺人、無謀操縦による交通事故多発無差別殺人では「誰でもよかった」「人を殺してみたかった」という犯罪者の言葉は、狂気としか考えられない。こういう分子が一人いれば、何万、何十万の人が危機、不安に晒される。
2018.01.17
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人や家族にとっても悲劇となるのだ。そして、悲劇はあっという間に広がることを示唆している。◎次の世代に、何が待ち受けているか? もう一つ、気がかりなことは.天災地変、そして、高齢化である。天災地変とは、地震や火山の噴火、風水害、それに地球環境の汚染によってもたらされる異常気象、さらに、天災ではなく明らかに人災なのだが、核兵器や原子力発電などによってもたらされる大災害などーその結果としての、凶作と食糧難。人心が荒廃し、しかも、社会が高齢化したところへ、このような大災害か追い討ちをかけると、何が起きてくるか。既に東日本大震災の際に、福島で、原発事故が起き、いまだに収拾がつかない状態だ。それなのに、現政権は原発再稼働という。 一方で、イルミネーションを派手にやり、電力の無駄遣いをする。小泉、細川両元総理が原発の廃止を唱えている。もっともだ。
2018.01.16
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社会が混乱し、一方に多数の不満分子、他方にピント外れのリーダーがいるーこれは、昔の大阪夏・冬の陣、あるいは、明治初期の西南戦争前夜に似ている。リーダーは、心の病んだ不満分子に、「武器をもって起ち上がれ。これこそ、日本の国際貢献だ」などと煽動するだろう。だが、これに踊らされてはいけない。いっておくか、私は、イデオロギー的に右でも左でもない。しかし、私には分かる。今の状態が、国際情勢、国内情勢も含め、あらゆる角度から見て、ここで述べたようなプロセスを経て、日本が再び、戦乱に巻き込まれる危険をはらんでいることが。もっとも実際に、事態は一挙にそこまでは行かないかも知れない。はじめは、アジテーターの甘言に乗せられた若者(時には、中高年)が犠牲になる。
2018.01.15
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精神の荒廃はますます進み、心の病んだ人々が、仕事を失い、暇をもて余す。それでも、日本は、まだ、いい方だ。世界を見渡せば、ロシア、東欧、アジア、中近東、アフリカ、中南米、あらゆるところで、不隠、紛争、不和、インフレ、失業、そして、テロ、内乱と、まさに、どこもかしこも一触即発の状態だ。 アメリカや中国も決して安定しているとはいえない。日本は、四方を海に囲まれ、そのことが、平和と繁栄に大いにプラスをもたらしてきた。しかし、「ボーダーレス」といわれる今日、日本もこれからは決してこれら諸外国と無縁で、安泰のままでいられるとはいい切れない.しかも、混沌の時代、何をやるべきか分からず、心を病んだ人がますます暇をもて余してくる。これは、きわめて危険だ。
2018.01.14
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「心が荒んだ社会」で、何が起きるか?(30年前に予測したこと)社会ではどんなことが起きてくるか。あまり、いいたくないのだが、・無秩序、混乱、無責任が横行するであろう。無秩序、無貢任の傾向が見られ、「混乱」するのは、政界だけではない。政界は、時代を先取り(?)し、社会の傾向を象徴的に表わしているに過ぎないのである。この傾向は、企業、組合その他の団体にも、これからますます顕著となる。特に、これまで、我が世の春を謡歌してきた「大企業」に、この傾向が出始める.経営が行き詰まり、大量の人員整理、在庫整理で、この危機を乗り切ろうとするもの、それもできずに、倒産するものが、かなり出始めるだろう。それに加えて、・仕事はない、時間はある、金はない。こういう状態で、「やり場のない空しさ」が人々の心を襲う。
2018.01.13
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「挫折」は、「もっと他に相応しい場がある」と、高い視点から教えていると心得よ 以上、私の挫折経験談を長々述べましたが、こういうときは本人も、当面の願いが実現せず気がついていないのですが、「大きな流れ」「広い視野」から見ると、実現しなかった「願い」は、あなたに相応(ふさわ)しくなく、「もっと、あなたにピッタリの理想=「ゴール」や「プロセス」があったのに、「本人には見えていなかった」だけだった。そのことが、後になって本人にも分かるのです。 たとえば、「タレントになりたい」「プロ野球の選手になりたい」と思っていても、その願いが実現しなかった場合、「君にはもっと相応しいことがあるよ」あるいは「そうなるためには、もっと努力や経験が必要だよ」という天の「啓示」と考えるべきです。その証拠に、歌手でもスポーツマンでも、たまたま最初はうまくいっても、その後ジリ貧になって消えた人は大勢います。初め苦労して、下積みが長かった人は、頭角を現すと、長く、その世界で活躍し、貢献し人を喜ばせ、感動させるものです。 以下は、15~20年前に、私が発表した単行本で、『予兆』を感じて書いたものなので、参考までにその一部を紹介します。ここには、『現在そして、これからの日本と世界の重要な課題』を示唆する内容が書かれているからです。そして「心がけ次第で、先を見通し、それに備えることができること」を私は確信し実感しているのです。このように、古い話を引き合いに出したのは、自慢話を披露したいからではなく、この問題が、今なお日本の「重大な社会問題」だからです。日本は今も昔も・ 『人を大事にしない社会』です。・ 社会のリーダーがビジョンを持たず、・ 国家百年(といわずとも、10年のビジョンさえなく、)の計がなく、姑息な手段で、折角の市民の努力と汗の結晶を生かそうとしないから・ 個人、一市民としては、自分の身は自分で守り、備えなければならいからです。・ 「失われた10年」の政権下では、高度成長、バブル経済で獲得した日本の蓄積をいたずらに、無駄遣いし、『水ぶくれした国や企業(特に金融機関)の体制建て直しに何らの手を打たず、世界市場から取り残されました。さらに・ 『改革』に名を借りた5年間の小泉政権下では、本当に改革すべき官僚の汚職、保身、天下り体質には何らの手を打たず、ひたすら「郵政民営化」というピンと外れの政見とパーフォーマンスで国民を誤った方向に誘導し、『人間性軽視』の傾向には拍車がかけられ、事態はますます『悪化』し、ました。以下は、「失われた10年」―今から20年~15前に出版した拙著からの抜粋でこの部分は、文体が「である」調になっています。私は、1980~90年代「感性」に関する本を執筆し、産能大学出版部から刊行されました。①『感性の麟き方」(1988年)②「ちょっと先が見えてくる本』(1989年)⑨『感性で人を動かす」(1990年)④『「生き方を変える」17の視点」(1991年)⑤「感性」を磨くにはどう「行動」したらよいか」(1992年)⑥『先が見える感性の磨き方』(1993年)これらの本で、私は主として感性を磨くための心構えや行動、そして人聞の究極の幸福を実現するために必要なものは何かをテーマとして、考え、行動し、そして執筆してきた。こうなってくると、この研究はライフワークといってもよい横み重ねとなったが、このブロセスを通じて、私は、感性を磨くと、先が見えてくることを発見した。第1作『感性の磨き方』で思いがけずリクルート事件を示唆した。第2作『ちょっと先が見えてくる本」の中では、バブル崩壊を大胆に予言していたことに気付いてから「先が見えること」に気付いた。それらの示唆や予見がどんな形で行われていたかは、割愛して、ここではまず、●これから、どうなるかについて、私なりのノウハウを使って、近未来の予見を試みようと思う。 私は政府筋の楽観論は、『甘い』と思う。経済企画庁は「なお未曾有の好景気が続いている」と発表していた。当時の長官が〇〇氏であったことを私は、はっきり記憶している。長期不況が本格化したのは、この見解が発表された直後であった。社会が衰退する三条件今の日本には、本質的に「望ましくない底流」が流れているからなのである。「望ましくない底流」とは、①精神の荒廃②勤勉の精神が失われる風潮③責任感の欠如である。私の同志で「マズローの心理学』『苦悩と温迷を超えて』の著者・ゴーブルによれば、「勤勉と責任が忘れられた社会は衰退する」のである。ゴーブルはこれを数十年のアメリカ社会への警告として述べたのであるが、これはそのまま、今の日本の社会に対する警告といっても、ちっともおかしくない。いや、恐ろしいほど、今の日本の社会にピッタリなのである。こういう底流があるが故に、かりに景気が一時的に回復したように見えても、予断を許さない、と私はいいたいのである。むしろ、景気が低迷し、混沌とし続けた方が社会は健全性を取り戻すかも知れないのだ。これからの世界で、心配なのは『核戦争の脅威』、これは人災にせよ、「そこに居合わせたら、運命」とあきらめるしかない。「そしてそういう災害から身を守るように祈るしかない」のである。かりに『核シェルターに隠れて、一時的に難を逃れたとしても、死の灰の世界、猛烈な残留放射能の中で、どうやって生きながらえようというのか。一瞬で灰になるか、1、2ヵ月放射能を浴びた後の後遺症に苦しみながら果てるかーどちらかのちがいにすぎないのではないか。というわけで、私には、核戦争の脅威について、一個人が恐れおののいていても、あまり意味があることとは思えない。もちろん、唯一の被爆国の一員として核の悲劇を訴え続け、それを阻止するためにあらゆる努力をすることはぜひ必要であるが。次に、天変地異による大災であるが、かなり大規模な災害があっても、それは局地的なものであろう。局地的な災害の当事者になってしまえば何をかいわんや、である。それ以外の社会、経済の大変動に関して、私がおすすめしたいのは「究極のシンプルライフ」のすすめである。*究極のシンプル・ライフ5力条1身軽になっておくこと2粗衣、粗食に耐えられること3政府、自治体、年金、預金などにあまり頼り過ぎないこと4イザとなれば、自給自足できるか、食横供給ルートをもっていること5健康法、特に「心」の健康法をマスターしておくこと(後略)1993「先が見える感性の磨き方」(産能大学刊)より ◎精神の荒廃は、こんな形で望ましくない日本社会の底流について、もう少し述べよう。「精神の荒廃」である.これを指摘して、何も感じないようではその人の精神、感性ももはや健全とはいいがたい。いうに及はないことだが、政界の腐敗、堕落は論外である。この世界では、、何が正しく何がまちがっているか」さえはっきりしなくなっている。小学生でも分かること、これはやってはいけないこと」「これは人のすべきことではないこと」が、この世界では分からなくなっているのではないか。だが、果たして何割の人が、胸を張って政治家を批判することができるか、と考えた時、愕然とする。彼らが政冶家でいられるのはだれのお陰か。あのような政治利権屋をはびこらせきたのは、ほかならぬ、選挙民つまり我々一人ひとりではないかと。まあ、政冶家の話はしばらくおくとして、私たちのまわりに,生き生きとして暮らしている人がどれくらいいるだろうか。仕事に押しつぶされそうになり、あるいは職場の人間関係にウンザリしている人、お金の工面にやたらに忙しい人、何もこれといった問題もなさそうだが、その反面、燃える心、感動を忘れてしまった人一もしかすると、あなたもこの中のどれかに入るかも知れない、精神の荒廃は、まず・家庭の中でみられる.それはますます進むだろう。特に、比較的、経済的に恵まれた東京や関西など大都市の家庭で、この傾向が強いのではないか、と私は懸念している。それら、精神の荒廃が顕著な家庭に見られる共通の現象、傾向を描いてみよう.・ 家の夫(子の父親)は、「仕事、仕事」で家庭を顧みないか、あるいは、本人は家庭を顧みようとしても、『家の中に身の置き所を失って。彼(夫、父親〉の存在価値があるのは、単に、「お金を稼ぐ」からであり、それ以外には、家族は彼の存在価値をほとんど認めようとしないようになっている、ひと頃はやった「亭主元気で留守がいい」という言棄に象微される状態である。一方、・ このような家庭の主婦(妻、子の母親)は、一般に、子どもの教育(といっても、単に、名前の通った学校へ入れるための受験に過ぎないのだが)に熱心であるか、あるいは仕事―それが一段落した世代の場合は,遊びに余念がない。が、本当に彼女が、子どもの教育や遊びや仕事に生きがいを見出しているかというと、必ずしもそうではない。そして、彼女たちは、経済的には、なお夫に依存していることが多く、夫の収入や社会的地位に一変化」が起きると、彼女たちの心は大きく動揺する。もっとも、最近では、経済的に夫から自立する女性も見られるようになり、そうなると、離婚の危機が訪れる。事実、中年以上の夫婦の離婚は、近年増加傾向にあるといわれている。◎荒んだ家庭から荒んだ心が育つ?●このような家庭の子どもは、一般に、利己的で、要領がよく、精神的、肉体的に「ひ弱」である。社会人になると、職場でいわれたことはどうにかやるが、「自分で考えて仕事をする」ということができず、「責任を回避する」傾向がある。人生の目標が不明確で、心を燃やすものがない。なんとなく、その日その日を生きているのである。このような精神の荒廃した家庭では、温かみや信頼関係が薄く、家族の気梼はバラバラである。そして、こういう家庭を形成している人々の作る社会は、温かみも信頼関係も薄く人々の「心が荒む」のは当然であろう。
2018.01.12
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こうして挫折を繰り返したのは、天が「まだ、修業が足りない。もっと、試練に耐え、経験を積むことが必要だ」と戒めていたことが後になって分かりました。つまり当時の私の心には、「楽をして早く大きな成果を得たい」という期待がどこかにあったものと思われます。もし、あのまま、すんなり、経営指導や本の著者としてデビューしていたら、恐らく、どこかで、つまずいて後で大変な苦労をすることになったか、立ち上がれないほどのダメージを受けていたに違いありません。「大きな力」がそうならないようにブレーキを掛けていてくれたのです。
2018.01.12
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私は腹をくくり、勤め先の屈辱的な処遇(私が採用、教育した若手社員の「下」に所属させて彼の指示に従うなど)にも耐え、生活の基盤を整えるとともに、休日、時間外を利用して、ヘッドハンターに声をかけて、コラボレーションを提案し、着々創業への準備体制=開店休業となっていた研究所の再構築に乗り出しました。この間研究所の経営戦略を練り、子供や主婦など一般人対象にしていたのでは到底、一家を支えるビジネスにはなりにくいこと、もともと1ビジネスマンとして社会人のスタートを切った私としては、ビジネスマンに焦点を絞り、ビジネスマン、経営者にターゲットを絞り、産業臨床心理研究所と名称も変更して再スタートすることにしたのです。人材の紹介を行うヘッド・ハンターと能力開発は、接点があると踏んだからでした。 ヘッドハンターとコラボと言っても事実上は、母屋の軒先を借りてのスタートとなりました。しばらくは、共同事業を展開、売り上げも多少上げましたが、経費負担の点で折り合いがつかず、間もなく袂を分かち、SOHOで自宅のライティングデスク一つで、独り歩きを始めました。
2018.01.11
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そのころ、私の友人のY君は自社の経営顧問として私を迎え、私の宅地建物取引主任の資格を彼の会社に提供する代わりに、週3日を休日として認め、研究所の活動を認めてくれました。研究所の活動では生活費を稼ぐことができなかったからです。この体制は、足かけ2年続き私と家族の生計を支える重要な収入源となったのです。なお、この間、個人的なアイデアや情報、モノの考え方に指導を仰いでいたY先生からもまとまった「資金」の提供を受けましたが、ご期待に沿うことはできませんでした。やがて、双方の思惑、この事業計画に対する「相互理解」の不足と、私にとって魅力的な別の話が舞い込んで、やがてこの体制は終止符を打つことになりました。そのころ、百人以上のコンサルタントを擁する当時民間では最大級のコンサルタント会社の社長だったS先生は私の考えを聞くと、私の構想に共鳴し、「君の考えは優れた先見性に基づくものだ。日本も各個人の個性を大切にし、人間の潜在能力を開発する専門家が必要な時代が来る。近い将来『メンタル・トレーニング研究所』を別組織として発足させ、その所長=責任者として君を迎える。今は残念ながら、すぐには社員として生活を保障するわけにはいかない。ちょうど友人が社長となってスタートさせる外資系の会社がある。そこで、採用、教育、訓練のスペシャリストとしてしばらく、助っ人管理職を務めて欲しい。現在までの収入レベルは保障させる。そして、3年以内には君を迎えるから」と約束してくれたのです。実際に、予想外の高収入でこの会社は私を迎えてくれました。この話に私は希望を抱いて友人の会社に別れを告げました。(友人の会社では、別の常勤社員が取引主任の資格を取得し、私が主任者として彼の会社に在籍することは不要となったので私がこの会社から身を引くには、ちょうどいい、潮時と考えたのです。)こうして、この外資系会社に入社しました。ところが、メンタル・トレーニング計画の母体となるはずのS先生のコンサルタント会社があるクライアントとの訴訟問題(百人もいた、コンサルタントの一人がクライアント会社でトラブルを起こしたもの)に敗れ、会社は倒産に瀕したのです。そしてS先生の会社は、最後には先生一人になってしまいました。とても新しい組織を発足させ、私を迎え入れるどころではなくなりました。(なお、当時この会社でコンサルタントだった宮本義臣氏が後に独立し、コンサルタントの企業として業界でもトップクラスの(株)ジェックを創業、成功を収めていたことを後で知りました。これは、その後私が同志と自己実現塾をスタートさせた時の発起人の一人、自称元祖フリーター、後に母校の東京経済大学や東京国際大学、早稲田大学、淑徳大学などの社会人向けのいわゆるオープンキャンパスのドラッカー経営学講座で人気講師となった故宗初末さんが開眼し、伝説の営業マンに脱皮した会社です。これも不思議な因縁ですね。)さて、私が、腰かけ、一時の助っ人管理職として勤めた外資系会社の社長は、私に関するS先生との取り決めなどは全く聞いていなかったことが判明しました。私は妻子を抱えて、5年間「中途半端」な状態で、『島流し』に遭った囚人のような存在になり、しかもこの囚人にはいつまでたっても、迎えがこなかったのです。この間の行き違いで同社の社長はじめ幹部社員の私に対する心証は悪くなり、私は、「就業規則違反」を理由に、せっかく開所していた研究所を開店休業状態にせざるを得なくなりました。私の「計画」は足元から崩れ去ったのです。
2018.01.10
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こうして私は催眠カウンセリングに一方で、大きな自信を持ち、他方で、M先生とその研究所に失望して自分一人で、この道を歩き始めました。夢が現実化され、「私の中の構想が具体性を帯びてくる」と「耳を傾ける人」も多くなり、中には、「支援」や「協力」を申し出てくる人も多くなったのです。日本社会事業大学のキャンパスが原宿にあったころ同大学の「心理相談室」の看板を見て飛び込んで、同大学教授の石井哲夫先生と知り合いました。石井先生に私の熱い思いを話すと、自分が経営している社会福祉法人子どもの生活研究所(世田谷区千歳船橋)の一角を解放して、無料で私の研究所の場所=臨床心理研究所=カウンセリング・ルームを提供して下さったり、その研究所を発展させる手段として、子供の学習塾のプランを提案して下さったりもしました。この計画は、実行されましたが、私の心理指導に対する理解が未熟で挫折することになりました。それは、催眠カウンセリングの方法が「クライエントの主体性を無視して、施術し、相手の潜在意識を一方的にコントロールする」という点に根本的な問題があったからです。あるとき、家庭内暴力と登校拒否で、手を焼いていた母親が問題の息子を連れて私の研究所を訪れました。私は自信をもって彼にメンタルリハーサルを指導し、症状は劇的に改善し問題は解決したように思えました。ところが、新たな問題が発生したのです。彼(N君と呼びましょう)は、私がいないと、どうしようもなくなった、のです。一種の「カウンセリー=カウンセリングを施す者への依存症」です。私と彼の母親は困惑しましたが、春休みを利用して、たまたま、友人が経営していた八丈島の、体験農場の彼を預かってもらうことにしました。島なら、なかなか家に戻れないし、本人の「依存症」も治り、『自立心』も養われると考えたからでした。この作戦は見事に成功しました。この時、私は、催眠術は他人に施術すべきものではなく、あくまで、補助手段として活用し、自立をすすめる自己催眠が王道だと認識するようになりました。
2018.01.09
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迷走」その②私の志が陽の目を見るまで、その萌芽は,既に、現れていたのですが、私はそれを見逃すか、ご厚意に報いることができなかった「出会い」がいくつかありました。その辺りからお話ししましょう。昔の職場で先輩や同僚に私の「夢」―「気付いた問題点」を語っても、まじめに取り上げようとする人は、最初は「皆無」と言ってよかったと思います。 まず、私は、前述のように一般のビジネスにおいて、人間の心理、とりわけ「潜在意識の不思議さ」に興味をもち、時間外や休日の時間を利用して、ある著名な大学教授の研究所で、実践的な心理学の講座が開講されているのを知り、講座を受講した後に臨床指導(催眠「カウンセリング)を開始しました。その研究所を実質的に主宰し、催眠カウンセリングを実施していたM先生の助手として実際に尋ねて来るクライエントを対象に心理相談に乗るサイドビジネスを始めたのです。そのM先生は著書もありテレビでもレギュラー番組を持っている売れっ子カウンセラーでした。大学教授はほとんど顔を見せず、社会的信用を得るために、名義を使わせてもらっていたことが後で分かりました。 テレビや著書を通じて、心の悩みを解決してもらおうと大勢のクライエントが詰めかけます。(患者と言うと医師法違反となるので、この研究所ではそういう呼び方をしていました。) 最初は恐る恐るでしたが、クライエントの問題に催眠を応用すると、面白いほど効果があるのです。やがて、私の腕?は、技術的にはM先生を凌ぐほどになっていました。 車酔いに始まって登校拒否、夜尿そのほか心の病で悩む人を対象に催眠誘導をしてメンタルリハーサルという技法を使うとそれまで病院で投薬を受けても治らなかった心理的な症状が、劇的に効果を発揮する―これは、驚きであり、感動でした。ある時期から勤務時間を出来るだけ都合をつけて、この研究所に多くの時間を割いて通い始めたのです。一時はこの道で、一生人助けをしたいと思ったこともありました。 ところが、ある月末、M先生から突然『今月いっぱいで来ないでほしい』と実質的な解雇通告を受けたのです。別に悪いことをるやっているという自覚はなかったので「どうしてですか?」と尋ねました。すとM先生は「君は僕のクライエントを横取りした」というのです。これは先方さんが勝手に私を指名してくれたからやったことで、先生のクライエントを横取りするなどという悪意を持ったことはありませんでした。が、どう弁明しようと、後の祭りでした。
2018.01.08
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私は、当時としては未知の産業であった自動車会社に入り、固いビジネスの道を歩き始めました。しかし、どうにも、心が落ち着かないのです。人の使い方、人間はどんな時、やる気を起こし、どんな時失うか、今の日本は経済優先だが、何か大切なものを忘れている。人間の生きがいは、生きる目的は?私は、実践を通じて人間心理の不思議さを探求しようと心にきめたのでした。本物の天命か「幻」なのか、それを見分けるのは大変な難しいですが、「単なる憧れ」では「夢」ともいえず、まして天命とはならないのです。私の場合、「マズローの心理学」と言う本が人生の転機となったのですが、その本で確信した「志」が陽の目を見るまでにはかなり、曲折もあり、まだ、しばらくは「迷走」が続きました。
2018.01.07
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幣原首相がGHGと会談し9条を発案したことが記録として残っている。これは、安倍首相らの占領下の押し付けられた憲法という主張と正反対で、かねてから提唱しているように、日本が世界に誇る自主憲法なのだということを裏付けている。このことは鮎川義介が自伝「百味箪笥」で、GHQと交渉にあたった白洲次郎を推薦したのも幣原首相でその首相が中心になって自主的に憲法を制定したことをも裏付けている。かりに占領軍から「押し付けられた」という主張が正しいということを百歩譲って認めたとしたら、逆に、世界に誇る憲法、戦争放棄を中心に主権在民、基本的人権の3原則をえた素晴らしい内容を押し付けたことになる。それなのに、なぜ、あえて改憲を主張するのか。大変な矛盾ではないか。世界から戦争なくす最強の武器」という見出し(東京新聞2018年1月6日朝刊トップ記事より)
2018.01.06
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なお、その後も素人芝居は大学の演劇部やその他の集団で続けました。大学演劇部の後輩の中からは、細川俊之、角野卓造など、プロの世界で活躍している人たちもいます。(細川俊之氏は、2011年1月急逝されました。ご冥福を祈ります。)その後、無名時代の水野久美(本名麻耶)さんと、学友だった山本學君との縁で知り合い、素人芝居に共演したことも懐かしい思い出として残っています。なお、藤本真澄氏が引き合いに出した津島恵子さんは寿退社するどころか、最近急逝するまで現役で活躍していたこと、水野久美さんはスリービューテイ―ズの他の二人がいち早く引退した後も未だに活躍しているのは嬉しいことです。また直接の関わりはありませんが、児玉清や田宮二郎も、同じ大学からニューフェイスとなって、その後、成功した人たちです。何れも、故人になってしまい淋しいことです。ご冥福を祈ります。芸能界や舞台、映画の道、作家、漫画家などアーティストの道に憧れる人は後を絶ちません。この後東宝には、奇しき因縁というか、私がたった1日撮影で一緒に過ごし、気さくに声をかけて下さった大スター上原謙さんの息子、加山雄三が若大将シリーズで一世を風靡し、作詞作曲、シンガーソングライターとしてまた、スキー、ヨットなど体育会系の分野もこなす、まさに万能選手として大活躍することになったのは読者もご存じのとおり。つまり、私などの出る幕は全くなかったのです。プロの俳優になってもせいぜい大部屋のその他大勢で過ごすことになったでしょう。事実、私と同時期に、東宝ニューフェイス候補としてデビューした人が何人かいましたが、誰も残っていないことを見ても、この道がいかに、難しいかが、分かります。
2018.01.06
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この体験の後、私は東宝会館に会社の専務の森岩男さんと当時(というより日本映画史でもその名を残す)菊田一夫さんと双璧と言われた大プロデユーサー藤本真澄さんに呼ばれて、今後の進路についいて話しあいました。藤本さんからの話は次のようなものでした。「今、当社は新しい青春スターを探している。社長夫人からの推薦もあり、お金をかけて、あなたをわが社のスターに仕立てることは可能だ。しかし、一たんスターになってから先は、あくまで、実力次第、女性ならこの森専務の子息と結婚する津島恵子さんのように寿退社、という手もあるが、男の場合、一端俳優になってから、よその道へ転身を考えても非常に難しい。つまり、落ち目?になった男優はつぶしがきかないのだ。あなたは、固い仕事に就いた方がいいと思うが、どうしても、というなら、それなりの覚悟が必要だ」と。なにしろ、小学校からずっと好きだった道、その業界の社長夫人から、声をかけて頂いたので、これは、何か「天の声」のようにも思われたのも無理はないでしょう。しかし、よくよく考えれば、藤本さんの助言は適切で親切でした。 私は多少の未練を残しながら、間もなく、映画への道は断念することを決意したのです。
2018.01.05
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(中略)大学にどうにか進学が決まり、その年の夏休みに東宝砧撮影所へ行って、エキストラ出演しました。映画は「大学の人気者」という学生モノ、宝田明主演で池部良、上原謙、越路吹雪といった錚々たるメンバーも出演していました。私が参加したのは、越路吹雪のママさんが経営するバーでお客の上原謙とダイス遊び(皮製の器にサイコロを入れて、目を競う)をしている、という設定。ダイスなどやったことがなかったのですが、上原謙さんは親切に教えてくれました。往年の大スターといった高慢な態度はどこにもなく、気さくな初老の紳士という印象でした。(中略)
2018.01.04
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その後、高校の頃兄の結婚披露宴があり、映画会社(東宝)の社長(創業者小林一三の長男、小林富佐雄)夫妻が仲人を務められました。私がその宴でスピーチをすると社長夫人(小林富士子さん)のお目にとまったようで、『あなた、映画に興味ある?やってみない?』と言われました。今でいうスカウトでした。「一度、進学が決まったら、様子を見ながら撮影所にいらっしゃい」と社長夫人はいって下さったのです。私は「夢見心地」でした。
2018.01.03
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東京の学校へ復学する期限が来て、私は後ろ髪を引かれる思いで元の東京の学校に復学し、東京の学校では、演劇部がなかったので、自ら演劇部を立ち上げ、役者や演出担当として参加していました。 「泣いた赤鬼」の青鬼役「悪太郎」などが印象に残っています。
2018.01.02
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明けましておめでとうございます。 天命と出会うまでに経験した「迷走」と「挫折」の話。 迷走その①ここでは、まず、私が学生時代に、「夢」を描き、それが社会人になるときに実現しかけたが、諦めて正解、幻に終わった話をしましょう。私は戦時中に鎌倉の叔母の家を頼って、空襲の激しくなった東京を避け、1年半ばかりを鎌倉に疎開、現地の小学校に通っていた時期がありました。小学3年―4年のころのこと。転校先で、NHKのラジオ放送(テレビはない時代)児童劇「一寸法師」をやることになりました。全校生徒の中から、転校生だった私が主役の一寸法師の役をすることに決まり、内幸町にあったNHK放送会館から全国に向けて放送され、成功裡に終わりました。この時指導に当たった先生が後にテレビ局のプロデユーサーになり、私もそのまま付属小学校にいたら、そちらの道へ進んだかもしれません。
2018.01.01
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