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よかった昔にこだわるな K社は、ある大手企業系列の中堅企業としてバブル崩壊頃までは順調に発展してきた。しかし、円高で輸出にブレーキがかかり、親会社が海外に拠点を移したのに伴なって受注は激減、親会社に追随する形で、東南アジアに進出した。しぼらくは、K社の海外事業も順調だったが、現地の人件費が上がるにつれ、業績も急に悪化し始めた。 それに、製造業の将来に不安を抱いたK社では、他社に後れをとらぬように、財テクを手がけ始めていたが、バブル崩壊後、地価下落、円安のあおりを受けて、多額の含み損、不良債権を抱えることになってしまった。 つまり、大手の傘下で、ぬくぬくとやってきたK社は、親会社の傘の下から離れては何もできない体質がしみついていたのである。 K社の首脳陣は、いろいろな対策、戦略を考え、実施してきましたが、何一つうまく行かなかった。それは、企業としてのK社を、自分たちの立場を、・ありのままに見ることができなかったために外ならない。 ありのままに見れば、K社のアイデンティティをはっきりすることもできるし、どういう路線をとるべきかもはっきり見えてきたはずである。 K社に限らず、これまでの路線が忘れられず、業績不振、低迷にあえいでいる会社、商店は、数多く存在するように思われる。 これまでの路線にしがみついている限り、道は開けない。 ありのままに見ることができれば、K社の場合も、これまで、いかに親会社に依存してきたか。他社に追随してきたか。ここへきて、その手が通用しなくなったのはなぜか。そうだとすれば、どこへ、活路を求めるべきか、が次第に見えてくるはずである。 これまで、規制や既得権の下に、手厚く保護されてきた業界、企業が、軒並み苦渋を味わっていることは何とも皮肉なことである。 米、牛肉、酒類、金融、漁業などがこれに含まれる。デパートも近年ジリ貧状態だし、中小の小売店も大型店、コンビニエンス・ストアに押されて存続の基盤を脅かされている。 そのコンビニが、新しい環境についていてなくなりつつある。
2018.03.31
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今、すべての環境が、時々刻々「激変している」のに、心のどこかで「過去を引きずっている」と、決して事態は好転しない。「ありのままに見る」と、「顧客は何を望んでいるのか」「自分たちは、何をすべきか」が見えてくるはずである。
2018.03.30
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ただ、ここでいえることは、それぞれの経営者、店主の方々は、自分の仕事、それを取り巻く環境のことなどは、百も承知、知り尽くしている(と思っている)。ここに、盲点があるように思われる。つまり、業界や会社、商店、消費者などを「ありのままに見ること」ができなくなっているのである。 仕事がうまく行かない会社やお店の人は「あんなに売れたのに、なぜ、今は売れないのか」という気持が、どこかにある。こういう気持がある限り、すべてがうまくは行かないのだ。
2018.03.29
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知り過ぎた人は、ありのままに見ることができない ここで、もう少し身近なところで、「ありのままに見る」ことを考えてみよう。 たとえば「商売(仕事)がうまく行かない」という問題を抱えている人は、今、非常に多いようだ。 自営業、経営者の方は、かつて、バブル崩壊後地価が急落して、資産が激減したばかりか、景気が低迷して、売上、利益が低迷している。それどころか、赤字転落という会社やお店も少なくない。 そういう会社やお店では「どうして、仕事がうまく行かないのか」「どうしたら、業績を回復することができるか」と考えるものである。 しかし、考えれば考えるほど、わからなくなる。従って何か手を打つと、すべてがウラ目に出て、ますます事態は悪くなる、ということになりがちである。こういう会社やお店では、どうしたらよいか。 もちろん、それぞれの業界、会社、お店には、それなりの事情があり、専門的なアドバイスは著者にはできない。
2018.03.28
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世の中で、だます人、だまされる人、その悲劇は後を絶たないが、外見や口車に乗せられてだまされるのは、ありのままに人を見ることができない証拠。他人のケースとして話を聞けば、「そんな人(Bさんのような人)を信用する方がおかしい」と思うかも知れないが、その場になってみれば、あなたも、コロッとだまされないとはいえないのである。 こういう場合、「人の言葉を頭から信じていいか」という『感性』があれば、ことは未然に防げるし、問題も早期発見、早期解決できる。
2018.03.27
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人は見かけによらぬもの、リュウとしたスーツに身を包み、黒塗りの高級車が迎えに来る、おだやかなものごし――これだけで、大ていの人は信用してしまったのだが、実は、これが、とんだ食わせもの。Aマンションの場合は、早く気がついたから傷は浅くてすんだ(数日中に二〇〇万円は返済されましたので)ものの、もう少し気がつくのがおそかったら、大切な管理費に大穴があいてしまうところだった。このように、ごく普通の平凡な暮らしの中にも多くの人に大きな影響を与える『危機』が潜んでいることがある。
2018.03.26
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ところが、その年に限って、Bさんという人が、理事長を引き受けてもよいと名乗りをあげた。Bさんは、最近Aマンションに入居したばかりだったが、かなり羽振りもいいらしく、役員会にもリュウとしたスーツ姿で出席していた。「私は新米ですが、これからみなさんにお世話になるのですから、私でよければ、理事長の仕事をお引き受けしてもよいのですが……」 Bさんは、大きな会社を経営しているらしく、毎日、ドライバー付きの黒塗りの高級車が、マンションの玄関に横付けされることをみんな知っていた。 だれもが嫌がる理事長の仕事を引き受けてくれるというBさんの奇特な申し出をみんな歓迎し、満場一致でBさんが理事長に選ばれた。 理事会としての初仕事は、マンションの改修工事代金の支払いだった。マンションの積立金は、銀行預金、債券その他の形で保管し、必要の都度、会計担当の役員が理事長印をもらって下ろし、支払うことになっていた。 「ちょっと立て替えていただきました!?」 会計担当のC理事がB理事長に印をもらいに行くと、「私はあした、銀行へ行くついでがありますので、私が通帳をお預りして、やって(支払いをすませて)きましょう」とB理事長がいうのである。 Cさんは、たまたまその時自分の仕事が忙しかったので、「それでは、お願いします」と理事長に通帳を渡したのだった。 それから何日か過ぎた。 会計のCさんは、ふと通帳のことを思い出した。〈そういえば、理事長に預けたままだった〉 Cさんの脳裡に、不安がよぎった。〈もしや?〉 Cさんは、さっそく、B理事長に電話をかけた。Bさんは留守。何度も電話してやっとBさんと会うことができた。「通帳をお返ししなくてはなりませんね」。Bさんの方からいってくれたので、会計のCさんは、ちょっと安心し、内心Bさんに疑いをもった自分を恥ずかしく思った。ところが、「すみませんが、通帳は私の会社の金庫に保管してあるので、もう二~三日待ってくださいませんか」とBさんはいったのだ。「Bさんの日頃からの服装、口ぶり、身のこなしからいって、まあ大丈夫。こんなことで早く返せといったら、これから毎日顔を合わすのに気まずい思いをする。この際、Bさんにまかせよう」とCさんは考えた。 とはいえ、Cさんも会計としての責任があり、一人では判断しかねると考え、庶務担当の役員Dさんに、このことを相談した。 Dさんは、「それは早く返してもらった方がいい」というのだ。そこで、二人は、B理事長に改めて通帳の返却を求めた。 Bさんは、「わかりました。すぐにお返しします」と答えた。 翌日、BさんからCさんの手もとに、管理組合の通帳が返ってきた。 ところが、通帳の残高を確認して、Cさんは、愕然とした。支払い予定額のほかに、二〇〇万円も余分に引き出されていたからである。さすがに、Bさんは、まともにCさんの顔を見ることができないようで、「すみません。会社の資金ぐりがつかず、一時立て替えてもらいました。一両日中に必ず、お返ししますので、どうか、このことはご内聞にお願いいたします」と言ったのだ。 人は見かけによらぬもの、リュウとしたスーツに身を包み、黒塗りの高級車が迎えに来る、おだやかなものごし――これだけで、大ていの人は信用してしまったのだが、実は、これが、とんだ食わせもの。Aマンションの場合は、早く気がついたから傷は浅くてすんだ(数日中に二〇〇万円は返済されましたので)ものの、もう少し気がつくのがおそかったら、大切な管理費に大穴があいてしまうところだった。このように、ごく普通の平凡な暮らしの中にも多くの人に大きな影響を与える『危機』が潜んでいることがある。
2018.03.25
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ある年の理事長選出も、難航することが予想された。 ところが、その年に限って、Bさんという人が、理事長を引き受けてもよいと名乗りをあげた。Bさんは、最近Aマンションに入居したばかりだったが、かなり羽振りもいいらしく、役員会にもリュウとしたスーツ姿で出席していた。「私は新米ですが、これからみなさんにお世話になるのですから、私でよければ、理事長の仕事をお引き受けしてもよいのですが……」 Bさんは、大きな会社を経営しているらしく、毎日、ドライバー付きの黒塗りの高級車が、マンションの玄関に横付けされることをみんな知っていた。 だれもが嫌がる理事長の仕事を引き受けてくれるというBさんの奇特な申し出をみんな歓迎し、満場一致でBさんが理事長に選ばれた。 理事会としての初仕事は、マンションの改修工事代金の支払いだった。マンションの積立金は、銀行預金、債券その他の形で保管し、必要の都度、会計担当の役員が理事長印をもらって下ろし、支払うことになっていた。 「ちょっと立て替えていただきました!?」 会計担当のC理事がB理事長に印をもらいに行くと、「私はあした、銀行へ行くついでがありますので、私が通帳をお預りして、やって(支払いをすませて)きましょう」とB理事長がいうのである。 Cさんは、たまたまその時自分の仕事が忙しかったので、「それでは、お願いします」と理事長に通帳を渡したのだった。 それから何日か過ぎた。 会計のCさんは、ふと通帳のことを思い出した。〈そういえば、理事長に預けたままだった〉 Cさんの脳裡に、不安がよぎった。〈もしや?〉 Cさんは、さっそく、B理事長に電話をかけた。Bさんは留守。何度も電話してやっとBさんと会うことができた。「通帳をお返ししなくてはなりませんね」。Bさんの方からいってくれたので、会計のCさんは、ちょっと安心し、内心Bさんに疑いをもった自分を恥ずかしく思った。ところが、「すみませんが、通帳は私の会社の金庫に保管してあるので、もう二~三日待ってくださいませんか」とBさんはいったのだ。「Bさんの日頃からの服装、口ぶり、身のこなしからいって、まあ大丈夫。こんなことで早く返せといったら、これから毎日顔を合わすのに気まずい思いをする。この際、Bさんにまかせよう」とCさんは考えた。 とはいえ、Cさんも会計としての責任があり、一人では判断しかねると考え、庶務担当の役員Dさんに、このことを相談した。 Dさんは、「それは早く返してもらった方がいい」というのだ。そこで、二人は、B理事長に改めて通帳の返却を求めた。 Bさんは、「わかりました。すぐにお返しします」と答えた。 翌日、BさんからCさんの手もとに、管理組合の通帳が返ってきた。 ところが、通帳の残高を確認して、Cさんは、愕然とした。支払い予定額のほかに、二〇〇万円も余分に引き出されていたからである。さすがに、Bさんは、まともにCさんの顔を見ることができないようで、「すみません。会社の資金ぐりがつかず、一時立て替えてもらいました。一両日中に必ず、お返ししますので、どうか、このことはご内聞にお願いいたします」と言ったのだ。 人は見かけによらぬもの、リュウとしたスーツに身を包み、黒塗りの高級車が迎えに来る、おだやかなものごし――これだけで、大ていの人は信用してしまったのだが、実は、これが、とんだ食わせもの。Aマンションの場合は、早く気がついたから傷は浅くてすんだ(数日中に二〇〇万円は返済された)ものの、もう少し気がつくのがおそかったら、大切な管理費に大穴があいてしまうところだった。このように、ごく普通の平凡な暮らしの中にも多くの人に大きな影響を与える『危機』が潜んでいることがある。
2018.03.24
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○ あなたは洋服や建物に敬意を表していないかーありのままに人を見ないとこうなる ○ 外見で人を判断してはいけない 「振り込めサギ」に引っかかる人が増えている。巧妙に「肉親の情」に付け込んでうっかり振り込んでしまう人。被害者は中高年が圧倒的に多い。 やはり・「クールになること」そして「慌てないこと」が、「騙されない」秘訣と言えそうだ。そしてもう一つ「外見や肩書きで人を判断しない」こと。その一例が次の話である。 紳士が、みんながいやがる仕事を引き受けた…… 素直な気持で、現実と周囲を「ありのままに見る」ことができれば、「人を見抜くこと」もできるようになる。 ごく普通の暮らしの中でも、「危機」と紙一重のこともある。あるAというマンションの管理組合で、こんなことがあった。 いうまでもなくマンションは、共同住宅だから、みんなが、それぞれ自分の住居、財産を維持・管理して行くことが必要。特に何十、何百世帯の大規模な団地やマンションの管理は大変である。 いろいろな種類のいろいろな性格の人たちが済んでいるから、みんなでそれぞれの主張や意見を述べたのでは、まとまりがつかない。 多くのマンションや団地では、役員(理事)を選んで、理事会でいろいろな問題を検討し、すすめて行くのがふつうである。ところが、役員といっても、無報酬だし、ほとんどの人がやりたがらない。そこで、Aマンションでも、一年任期の交代制で、役員を選任することになっていた。 そうして選ばれた役員の中から、理事長、副理事長、会計、庶務などの担当を決めるのが、また一騒動。何しろ、理事長などに選ばれようものなら、かなりの時間を組合のために費やすことになり、仕事もろくにやっていられない状態になるからである。
2018.03.23
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気持が空回りしている人々 第三に、自分や周囲、世の中のことなど、よく気づいて、何かをしなければならない、と思いつつ、空回りしているタイプがいる。こういう人は、時には、ノイローゼ気味になり、あるいは、周りとの協調を欠き、社会不適応になることもある。働き盛り世代に、自殺者が多いのは、その現れかもしれない。 この第三のタイプは、もう一歩で、幸せになれるはずなのに、どうしたらよいかが見えていないために、だれよりも不幸を背負っているように見えることもある。これも周囲がありのままに見えていないために起きることである。 最も望ましいのは、自分や周囲や世間のことが、よく見えている、それでいて、自分は何をすべきかも見失わない。実力不相応の過激なことをせず、そうかといって、長いものに巻かれるわけでもなく、自分らしく、着実に、何かを進めて行くことができることである。 あの松下幸之助翁は「素直になりなはれ」という教えを遺している。「ありのままに見る」というのは、松下さんの「素直な気持でものを見なさい」という言葉にいい換えてもよいだろう。「儲けたい」という気持が強いと、ありのままにモノを見ることができず、肝心なところを見逃して、結局は損をすることが多いものである。 たまたま幸運で成功を収めて、有頂天になると、自分の実力がわからなくなり、ありのままにモノを見ることができなくなる。そこで実力不相応のゴリ押しをして挫折したり、失脚する人も少なくない。ありのままに見る心構えを忘れたからである。 バブル期のエリートビジネスパーソン、自営業者にこういうタイプが多数見られた。 逆に、不遇で恵まれない時は、「なぜ、自分だけこんなに不運なのか」と悩むこともある。しかし、よく考えてみると、それは不運なのではなく、ありのままに見ることができていない結果であることが多いのである。かりに、不運であっても、ありのままに見ることができた時、不遇から脱出することができるはずだ。
2018.03.22
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第二のタイプとして、 世の中のよくない点や自分と周囲のことなど、いろいろなことに「気づいている」が、・自分一人がどうやっても、仕方がないと考える人たちが大ぜいいる。 これらの人々は、周囲とも協調してやって行くことができるので、悩んだりすることは少ないかも知れない。しかし、文字通り、「長いものに巻かれてしまう」ために「気がついた時には、とんでもないワナにはまっていた」ということにもなりかねない。何が問題かは、気づいているのだから、何も気づかない第一のタイプよりはまだましだが、これも、あまり望ましい状態とはいえない。 まず、「自分ならどうする?」と考えてみることだ。
2018.03.21
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身近なことでも普段と違う「異常」に気づくこと。工場など職場では「異常な音に気付く」「異音、異臭」などに気付く。家庭や職場の人間関係の雰囲気、事務職なら帳簿上の「異常値」―などを「当たり前」で見過ごさないこと。言い換えれば・気配を感じることだ。 そして気付いたら自分ひとりで抱え込まず周囲の人に相談する。「○○は少し変だがどうしたらよいか」と。 阪神・淡路大震災、そして東日本大震災、地震、津波に続き、原発事故が起きて、その始末もできないどころか、一旦停止した原発を再稼働し、使用済み核燃料の処理の方法も確立できず、放射能汚染、農業、漁業の危機…「これで目が覚めた」「人生観が変わった」という人も少なくないので、この「第一のタイプ=ノウテンキ」「気づかない人」はかなり少なくなったのかもしれない。が、ここで注意しなければならないのは、単に「絶望した」「希望を見失った」というのでは、「ありのまま」ではない。ここが肝心なところだ。これについては、後で考えることにしよう。
2018.03.20
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○ 気づいている人、半分気づいている人、全く見えていない人三種類の人々 ここでは、「偉大な力」に気づき「ありのままに見る」ことについて考えたいと思う。 「偉大な力」とは、特定の信仰を持っている人にとっては「神」とか「仏」という絶対的な存在だが、ここでは、もちろん特定の宗教をお勧めしたり、まして強要するつもりもない。が、ごく自然に考えてもこの地球や宇宙はなぜ、存在するのか、は誰にもわからない。それどころか、「種をまくとなぜ、芽生えるか」「犬の子はなぜ犬に育ち決して猫には育たないのか」など、日常の身の回りの自然や動植物の営みについてはわからないことばかりだ。ここで、科学を信奉するあなたは、「それはDNAが違うからだ」と答えるかも知れない。確かにこの辺までは説明がつくだろう。だが、その先になるともう答えが見つからない。すなわち、「では、そのDNAは誰がどのようにして作ったのか?」もう、どんなノーベル賞受賞者もお手上げだ。この「自然の営みをコントロールしている力」を認め、「素直な気持ちをもって周囲を見る」言葉を換えれば「なんでもわかったつもりにならない」謙虚さ、素直さのことを指している。「ものごとをありのままに見る」ということは、できそうでなかなかできないことである。特に高学歴で知識を増やし、自分の知識に自信を持っているいわゆるインテリには、物事をありのままに素直にみることができなくなっている。自分の知識に偏りがあることに気付かないからだ。だから、高学歴者こそ「素直な気持ち」を取り戻すことが必要だ。それは、幼子の「創造性」を取り戻し、問題解決や新製品の開発に威力を発揮することを意味する。素直な心構えができていれば、他人にだまされるということもなく、自分を見失って思わぬところで挫折することもないはずだが、ふつうの人は、それがなかなかできず、悩んだり、失望を味わったり裏切られたりする。 本書の読者には、いろいろな人がいる。第一に―― 「世の中どうかしてる」「これから日本はどうなる」といわれても、あまりピンとこないで、 ・けっこう幸せだと考えている人もいるだろう。最近の総理府の世論調査では、「今の生活を“まあ幸せ”と感じている人が約60%」という結果が出ているという。現状に感謝し満足することはいいことかもしれない。しかし、考えようによってはこれは考え物だ。今の世界でよくないことがたくさん起きていることは確かだし、日本の社会でも、国の借金は増える一方で、頼みの綱だったはずの貿易の経常収支は赤字続きだ。政治家をはじめ財界も各界の指導者も、現在の借金のつけを次の世代に遺して平気なのだろうか。景気の回復を前提に消費税のUPを断言しておきながら、数年たったら先送りにして、国家の借金がどんどん増えていく。政治、経済、教育、医療などあらゆる面で、問題も山積しますます複雑化している。素直に見れば、いろいろな問題に気づくはずなのに、そんなことには関心がなく、「自分さえよければそれでいい」と考えるのは、よくない。これでは、ありのままに見ていることにならない。自分さえよければ、で通っているうちはよいが、いつの間にか、自分をとりまく状況が悪くなっていた、ということも十分あり得る。 現に、地球環境はどんどん悪くなり、大ぜいの人が危機を訴えている。だから、これまでそういうことに無関心だった人たちにも、素直な気持で、自分自身と周りを見つめることをおすすめしたい。すると、自分自身にも至らないことが多く、やるべきこともたくさんあること。また、周りを見れば、不都合なこと、理不尽なこと、腹立たしいことなどいろいろあることに気がつくようになるだろう。また、自分自身が何かできることはないか、と考えるようになればなおよいことだ。 世の中には、ボランティア活動などに積極的に参加している人も大ぜいいるし、自分を磨くために一所懸命の人もいるのである。そういう現状と必要性に「気づくこと」が先決である。
2018.03.19
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第1章 危機管理と感性○ 政府、地方行政、警察、病院、消防、交通機関、学校などの公共機関をはじめ、企業でも「幹部職員」「一般職員」の「感性教育」を強化せよ大震災、大津波、原発事故など天災、人災―政府、地方行政、病院、警察、消防、など公共機関の対応は、担当者の『感性』~『直感』によって左右された。 大災害だけでなく、日常の職場や家庭における判断、行動においても危険を察知したり、何らかの処置、対応いかんで結果は大いに異なってくる。最近問題になったストーカー殺人も被害者家族から保護を求められた警察の『感性』が鈍かったために、犠牲者は大切な命を落とした。あるいは、都会の『孤独死』や「虐待」も担当者の『鈍い感性』が悲劇を招いた例は数多くある。 これらの問題は相談を受けた行政や組織の担当者が、ちょっと「機転を利かす」あるいは、「物事の重要性」に気づく、ということが出来ない、ところに端を発して起きた不幸な出来事であったということができる。逆に、規則や前例にとらわれて、自分の責任を回避する態度や責任転嫁、使命感の欠如などが複合的な原因となったと言ってもよいだろう。 だから、「危機管理」と改まったことを言わなくても、あるいは、高度な理論や技術がなくても・人間が「素直な気持ち」を持てば、人の安全を守り、災害や犯罪の犠牲から人々を守ることが出来るのである。 危機管理に必要な感性を身につけるには、「偉大な力」に気づき「ありのままに見る」ことだ。 それには政府、地方行政、警察、病院、消防、交通機関、学校などの公共機関をはじめ、企業でも「幹部職員」「一般職員」の「感性教育」を強化することだ。
2018.03.18
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そういう挑戦の障害になっているのは、『目先』の利益、結果に拘る風潮である。少しは、「我慢して将来の理想実現のために、辛抱して育てる」という心構えが政府にも企業トップにもあまり見られない。 この辺で『原点に返って』少しは『辛抱して人材や先行投資』に心掛け、少しは・世界中の人類の役に立つことをやったらどうか。 かつてはアメリカやヨーロッパの先行投資で生まれたものを借用して、特許料を払って、利益を稼いだ。その日本の「漁夫の利」が今、中国や韓国にとって代わられただけの話(もっとも中国などは特許のがれも得意のようだが)。 また、アメリカもいつの間にか先人の『基礎研究重視』『将来の希望の芽を育てる』気風が忘れられ、目先の利益追求から遂には、詐欺まがいの「金融商品」やファンドの虚業で見せかけの利益を追求するところまで堕落して苦しんでいる。日本は、繁栄の中で、日本独自の「育てる気風」「先行投資」に目を向け、投資すればよかったのに、当時の愚鈍な政治経済のリーダーはアメリカ追随の「愚行」を選択し日本を「慢性的デフレ」の沈滞社会に陥れてしまった。 ここで、深く反省し、・当面は苦しくても「先に希望の見える先行投資」「脱・原発」のクリーンエネルギー産業や、農林水産業の一次産業復活、ベンチャー起業家育成に力を入れるべきだ。目先の利益は度外視して、そういう産業やそれを担う人材に投資せよ。個人としてもいたずらに周囲と競って、ストレス社会に巻き込まれることなく、かといって社会から疎外されて「負け犬」になるのでもなく、「鋭い感性」「創造性」を磨き、開発力を高めれば、自己実現につながり、「独自の境地」を切り開き、心豊かな人生を実現できる。 これが私の提言である。最後に*80年の人生で忘れがたいこと=言い残したことを巻末に記した。
2018.03.17
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また、最近は、家庭内暴力、虐待、孤独死などの社会問題が日々報道されている。情報の高度化、複雑化、プライバシーの保護によって家庭内の問題に部外者が立ち入ることが難しくなっている。そのために右の諸問題の対処、初動が遅れ、犠牲者が出るケースも多い。適切な判断は、担当者の『感性』によって左右されることがほとんどといってよい。それは越権行為やプライバシーの侵害と紙一重で、責任問題とも絡んでいる。 2011年に長崎で起きたストーカー殺人事件の犯人の死刑判決が確定したが、この事件など類似の事件では、最初にストーカー被害の相談を受けた警察が、適切な対応をしていれば、事件を未然に解決出来たかも知れない。少なくとも、犯人が執拗に、被害者の実家の情報などを調べて、家族を殺害する、という悲劇は、未然に防げたはずである。というわけで、これからは特に公務員の感性が重要な時代である。今や、「マニュアル」「規則」に従って、無難に仕事をこなしているだけでは、「役に立たない存在」となったことは明かである。 もちろん企業や病院、一般家庭においても、打てば響くー「感性の磨き方」を習得することは、より良く生きる必須条件と言っても、差し支えないと思われる。 本書では『感性の磨き方』シリーズの著者が、このような今日的な職場環境、地域の環境、家庭環境を念頭において、改めて『感性の磨き方』について、一緒に考える手がかりを提供する。 今、日本の社会、政治、産業は大震災、原発事故、為替の乱高下、欧米の経済不調、金融不安に見舞われて苦境に立たされている。だが、ここで『目先』之利益に目を奪われて姑息な復活策を採用するようも、これを「天の啓示」として「基本的な方策」を講じるべきだ。それにはー これからの日本は世界のビジネスといたずらに競争するよりも、「独自」の境地を切り拓いていくべきだと思う。それはどこにもお手本がないので、明治時代、欧米を坂の上の雲とした時よりも厳しい試練が待っているかも知れないが、めげずにそういう「独特の境地」を探し当てて欲しい。
2018.03.16
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災害から身を守り・未来を拓く「感性」という特効薬―守る(まも)「感性」創る(つく)「感性」―「争わず」日本人の特色、独創性を生かせ日本人は、追随、争いをやめ「独自の境地を拓け」 ―浮世絵、武士道、以来の日本人の特性、独創性を生かせ国司義彦まえがき(企画趣旨) 大震災から7年たった。あれから『危機』「非常事態」への対処が、いかに大切かが見直されている。とっさの機転、決断力が人の生死の分かれ目となり、大災害の拡大を未然に防いだことを、大人から子供まで、目のあたりにしてきた。特に、政府要人、行政機関のとっさの決断によって、危機が未然に回避されたり拡大されたりする分岐点となった。
2018.03.15
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ここで、念のため「夢」「志」「理想」実現について要点をまとめておきましょう。・「夢」を描き、「志」を抱いたら、それを機会あるごとに語り、実現へ向けて「構想」を練ります。・構想を事業計画にまで具体化し、理解者、賛同者を募ります。・事業化はどういう形で進めるのか、営利事業の場合は株式会社の形をとり、非営利事業の場合は、NPOなどの法人の形をとります。そして、必要な「資金」を募ります。自己資金だけで賄える場合と多くの人の資金援助を必要とする場合があります。・株式会社の場合は、別に詳しい参考書も出ていますので、諸手続き等はそちらに譲ります。「キャリアが生きる相談業」(プレジデント社) 要は、「人から資金、知恵、労力」を提供していただき、協力を求めたのですから、どのように「報いるか」成算の見込みがなければいけません。株式会社の場合は「は配当という形を取ります。
2018.03.14
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参考2 ◎起業成功の三条件(自己実現の手帳第5巻「起業家への道」(非売品)より)①経済基盤を固めること②やりがいのある―つまり「ライフワーク」を見つけること③自分のやろうとしていることの意義を明確にすることつまり事業のビジョンをもつこと「経済基盤を固めること」と「ライフワーク」が一致すれば、それは「天職」を見付けことになります。が、後の事例でもご紹介するようにライフワークを求めていくと、経済的には収支が合わないーというケースも考えられます。こういう場合は、何か別の手段で、経済的基盤を確保しなければなりません。それが個人的「資産運用」であることも考えられますし、「アルバイト」であっても一向さしつかえないのです。この場合、アルバイト等は大切なライフワークを「支える重要な手段」という位置づけになります。つまり、本書でいう「自立」とは、「精神的自立」であり、たとえ形は会社に勤めていても、会社に従属していない状態をいいます。逆に、形は自営業を営んでいても、何か大きな力に従属しているのでは、あまり意味がありません。では、本書でいう「自立」を実現するためには、何が必要でしょうか。どうすればよいのでしょうか。それが前項で示した三力条なのですが、ここでそれらについて順を追って説明します。①経済基盤を確立すること大多数の読者は、「それができれば苦労はない。だから、再就職の口を探すのではないか」とお考えかもしれません。特別の利殖の才覚があって、既に一財産を築いたとかい、親譲りの財産があるという人は別にして「多少預貯金があったとしてもそれは不測の事態に備えるために確保しておかなければならない」と考えるのが普通です。 しかし、今の政治、経済の動きを見ていますと、どんなに資産があっても、「保証」は難しい。なぜなら年金はもとより、預貯金でさえも、どこまで保証されるか。今あなたが若ければ、若いほど、言い換えれば、「これから先が長ければ長いほど」経済的な見通しはつけにくいと考えるべきです。 そこで、これからの世の中では、「独立起業」できるだけの『プロの技能』を身につけ経済的、精神的な『自立』を目指すことが先決だと思います。これさえ出来れば、後は、自分の個性に応じて、開業してもいいし、場合によっては、再就職してもいい。その『選択』は自由です。そこで、この経済基盤の問題は、ちょっと棚上げしておくことにして、②「やりがいのあること」を見付けるについて考えることにしましょう。あなたにとって、やりがいのあること、生きがいを感じることとは何でしょうか。仕事ですか?本当に仕事が生きがいならよいのですが、この際ホンネで考えて下さい。これまで、いろいろな事情、制約があってできなかったこと、長い間夢見てきたことなどはありませんか。シニアの場合は、それをこれからの第二の人生で、ぜひ実現させて欲しいと思います。それは、すぐにはお金に結びつかないかもしれません。むしろ、お金が「出て行く一ことも考えられます。そこで生活を支える手段としてアルバイトや資産運用をすることなどを工夫するわけです。年金がもらえればなお好都合です。いずれにしても、趣味とかボランティア活動で何をやりたいか、焦点を絞っていくことがこれからの課題と考えて下さい。若い30代の人も、今のうちからそういう生きがい、ライフワーク探しをしておくことをおすすめします。後でご紹介するように、はじめはお金にならなくても、続けていくうちに、世間から認められ、お金に結び付くこともあるのです。③自分のやろうとしていることの意義を明確にすることこれが起業成功の第三の条件でした。はじめから、何か仕事を始める当てのある人は、●なぜ、その仕事をするのか●その仕事の意義は何かを明確にしておくことが大切です。お金のためだけに起業を始めることは、少なくとも第二の人生においては、おすすめできません。なぜなら、仕事の意義がはっきりしないまま仕事を始めると、いつの間にか「お金のために仕事をする」「始終お金に追いかけ回される」ライフスタイルになってしまうからです。これでは何のために、起業の道を選んだのか分からなくなってしまいます。起業は、●自分の夢が叶えられ●それをしていることが楽しく●自分の特性を生かしている感動が得られ●毎日が充実しているそんなふうにしたいものです。「なぜ、その仕事をするか」がはっきりしているとは、たとえば「その仕事によって、喜んでくれる人がいる」「自分を待っていてくれる人がいる」「その仕事が好きだから」「その仕事をすることが自分を生かす道だから」等々、いろいろ考えられます。どれでもいいのです。こういう、コンセプトがしっかりしていれば、厳しい時、辛い時にもそれが心の支えとなり、ピンチを乗り越えることができるものです。それに、「仕事に対する姿勢」がしっかりしていれば、それがお客の心を動かし、多くの賛同者を獲得することもできます。そういう賛同者はさらに多くの賛同者を呼び、仕事は順調に軌道に乗るでしょう。仕事が軌道に乗れば、保留にしておいた第一条件①経済基盤の確立もできるわけです。というわけで、自分の仕事の意義を明確にすることさえキチンとできればお金の面は、後からついてくるといってもさしつかえないと思います。ふつう仕事を始めようとする人は、お金をどうやって稼ぐか、どうやってお客を見付けてくるか、などが先に立つものですが、成功の秘訣は、むしろ、●仕事の意義を明確にすることなのです。仕事を選ぶ前にしておくこと「天職」が見つかれば幸せか?ここで、本当にやりたかったこと=「夢」と収入を得る手段=「仕事」との関係について、もう少し考えてみたいと思います。「夢」と「仕事」が一致すれば、それは「天職」になります。天職が見つかれば、こんな幸せなことはないのかもしれません。私自身は天職にめぐり会うことができて、その点では、大変幸せだと思っています。しかし、すべての人が、天職にめぐり会えるか、というと、もちろんそうとはいえません。むしろ、そういう人は、稀といった方がよいでしょう。また、かりに天職にめぐり会っても、かえってそれが、苦しみの元になることもあります。少なくとも、天職にめぐ会う人は、人並み以上の苦しみを味わうことが多いのです。私の場合もそうでした。「好きなことをして、それが生活の手段、収入に結びついたら、こんなにいいことはない」と多くの人は考えるかもしれません。しかし、「アマチュアで楽しんでいた間は、とても楽しかった。だが、プロに転向した途端、楽しみは苦しみに変わった」という人も少なくないようです。絵画でも音楽でも、趣味として楽しめば、この上ない喜びが得られます。が、それがひとたび生活の予段、収入を得るプロの仕事となった時の厳しさ、切なさは、想像を絶するものがあるといわれます。ですからシニアが第二の人生を考える時、夢と仕事を一致させる方がいいのかどうか、は一概にきめつけられないところがあります。a「夢」を「仕事」と結びつけて「天職」に力を注ぐのかb「夢」は夢として大切にし、その夢を支える手段として「仕事」を選ぶのかは、その人の「ライフスタイル」次第ということになるでしょう。aを選んだ場合、ひたすら天職に遇進するしかありません。
2018.03.13
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因みに、私の場合は、就職試験を一回だけ受けて、大企業への就職が決まったものの、人間関係や周囲の人々との人生観の違いなどで悩み、体調を崩した時もあり結局中途半端な形で、脱サラしたものの、そこでもうまくいかず、さ迷い歩くという有様でしたが、「マズローの心理学」と出会い曲りなりに人間性心理学の研究、普及、啓発のために産業臨床心理研究所という個人的な研究実践の機関を設立運営していました。これを、同志と総合的なコンサルタント会社組み込んで運営していく話が持ち上がり社名もそのように改めたのですが、能力開発部門だけが先に動き出し、独立した会社としてスタートする必要に迫られ株式会社JMC能力開発センターとして改組し、現在に至っています。 また、先に紹介した国司浩助の場合は、田村汽船漁業部の社員として、スタートし、後にこれが、共同漁業という会社として独立、代表者となる形を取りました。父の場合はあくまで出資者=オーナーとその一族をたて、自らは(一時的に社長に就任することはあり、また、代表取締役として代表権は持っていましたが、)名目上はあくまで専務取締役という立場で仕事をしました。 田村さんの場合は「金は出すが口は出さない」という立場をとって設立企画、執行役員の父を尊重してくださったわけです。この関係は、出資者と執行者の「信頼関係」がよほど強固でないと問題が起きるかもしれませんが、田村、国司の場合は、生涯変わることがありませんでした。 一般には「金は出すが口も出す」というスポンサー、名実共にオーナー経営をする人などが多いようです。*参考拙著近刊『理想・熟慮・断行 国司浩助伝―日本の道標社会貢献を貫いた事業家の伝記』(牧歌舎刊 ¥1890税込) いずれにしても、「夢」「志」をビジュアルに、かつ、数字的に事業計画に描き、多くの賛同者、支援者を得れば、形は後からついてくるものです。形に拘っても、中身が伴わないと「資金だけは集まったが、食いつぶして終わり」。発起人と出資者の間に気まずさが残ります。それだけでは済まず、サギなどで告訴され、裁判沙汰になる恐れもあります。出資者を募る場合は慎重を期すことが絶対に必要です。
2018.03.12
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理想を高く掲げそれを機会あるごとに人に話す。 こうした点に気をつけて、さらに情報を活用し感性を磨き、「理想」を高く掲げ、機会あるごとに人に話してみましょう。すぐれた人材のもとには「よい人」「よい情報」が加速度的に集まってきます。そうした人のつながりは、大きく広がるにしたがって、中身も急速に充実していきます。 不透明で変化の激しい時代の中で、ますます発展して成功するためには、経験と実績を積み重ねて、よい方向へ「雪だるま」を転がしていくことが重要です。 初めは小さくてもよいのです。情報と人脈を上手に使いこなしていきながら、だんだんと大きな「雪だるま」にしていけばよいのです。あなたの人生が幸せになるように、ビジネスに少しでもお役に立つように、期待してやみません。(『自己実現の手帳』第1巻第6巻参照)自己実現の手帳ご希望の方は bill@ae.auone-net.jp 国司義彦 まで
2018.03.11
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● 素直な心で軌道を修正しよう暇で小金持ちのシニアは若者支援を通じて「社会還元」を シニアの皆さん、自分に余裕が出来たら、志ある次の世代を見つけて「支援」しましょう。それは必ずしも経済的な援助に限りません。精神的な支援でも有形、無形のバックアップは、どれほど若い世代の励みになるか分かりません。グルメや自分だけの楽しみはほどほどにして、他の人々を「助け」「喜ばせること」「励ますこと」は本人にとっても『生きがい』にもつながるからです。 若者も最初の一歩を誤ったり、どこかで道を見失うと「雪だるま」はよくない形で大きくなるおそれがあります。苦労をひとりで背負ってきたような人は、そんなふうに「雪だるま」を転がしているのではないでしょうか。 しかし、人生は七転び八起きのたとえがあるように、雪だるまを間違っている方向へ転がしていると気付いたら、素直な心で人生やビジネスの軌道を修正すればよいのです。万一挫折したらー 天が、「修業が足りない」と教えているか、「そこは君の出番ではない」と軌道修正を示唆しているか、どちらかと考えて見るのです。(第2章)「どうも苦労がちっとも実らない」「人生が悪い方向へ進んでいる」「どっちへ向かっているのか迷ってしまった」 そう気付いたときがチャンスです。ちょっと立ち止まって、素直な心で自分と周囲を見つめ直してみましょう。自分の転がしてきた「雪だるま」が、使いものにならないとわかるかも知れません。そんなときには、ゼロから出直すのもひとつの方法です。シッカリと方向を見定めて、芯になるものを見つけることができれば、最初はかなりエネルギーを必要としますが、あとは転がしていくにつれて、予想以上に楽に大きく発展するのです。
2018.03.10
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経験と実績を積み重ねよう● 最初の一歩が肝心だ 今はらくらくと見えていても、かつては血の滲むような苦労があったのかも知れませんし、どこかで工夫を重ねてきたものだと考えられます。 決して小手先の器用さや要領のよさだけで、すべてがスイスイとうまくいくほど、世の中は甘いものではないのです。 人生やビジネスを充実させて楽しんでいる人は、行くべくしてそこに到っていると思ったほうがよいでしょう。決して単なる「棚ぼた」や「濡れ手に粟」ではないはずです。そうしたラッキーだけで富や幸せや成功を手にしても、単なるフロックでは長続きしないものです。
2018.03.09
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● 高碕達之助、鮎川義介、白洲次郎、出光佐三と国司浩助の「縁」後年、経済企画庁長官、通産相にもなり、日中国交回復の立役者ともなった高碕達之助。高碕氏は、アメリカへ留学し、製缶業を学んで東洋製罐を設立、父の日本水産と、戦前は非常に密接な関係がありました。国司は竹馬の友でビジネスパートナーでもあった*鮎川義介に高碕を引き合わせました。ところが、紹介の直後、父が急逝したため、高碕は、まるで、父の身代わりのように満州へ行くことになったのです。(高碕氏は満州重工業に赴き終戦を迎える。) このことを裏付ける文献を見つけたので、以下に引用しておきます。「日本水産創業時の功労者で実質的創業者国司浩助は『人を読む力の卓越した人物であった』であったと、鮎川義介(日産コンツェルンの総帥)が書いています。国司は、鮎川が日産をつくった時、三人の人物を紹介して次のように述べた。「これからはいろいろたくさんの会社を操縦されるだろうが、どうしてもいろいろのすぐれたトップ・クラスの人物がいることでしょう。それには、あなたの子飼いだけではできぬ相談だから、急いで各方面からスクープされねば間に合いますまい。ついては、今、あなたにぜひとも会っていただきたい三福対の人物がいます」そして名前を上げたのが白洲次郎、井野碩哉(後の農林大臣、法務大臣などを歴任)高碕達之助(東洋製罐創業者、経済企画庁長官、通産大臣を歴任、日中国交回復にも尽力。アジア・アフリカ平和宣言、バンドン国際会議の首席全権)の三人。いずれも国司が見抜いた偉材で、鮎川には未知未開の人たちであった(小島直記著「松永安左衛門の生涯と人物」より)「白洲君は一種の気骨のある男で、本当に尊敬しない人には、テンから従わないといった変人だが、海外事情に精通し、大所高所から物を見ることのできる高士です。だから普通の人なら手にはおえないが、あなたの下ならきっと犬馬の労をとるでしょう」といって紹介した。鮎川はのち述慨して語っている。「今にして思うと、国司はこの三人の組合わせ、いや国司を含めた四人のコンビナート、つまり、白洲の剛直、井野の円満、高碕の手腕、国司の誠実、以上の案配によって、私の新興日産に有終な美をなさしめようという深遠な配慮に基づいたものであったことに気付く」国司浩助は単に水産業界だけの偉材ではなかったことがこれで分る。(1987年5月11日 水産タイムス「青眼・白眼」水産タイムス社長 越川三郎記、原典は鮎川義介「百味箪笥」著者一部補筆)なお、国司浩助が田村市郎の支援を得て、下関で創業したころ、北九州を拠点に一旗揚げた出光佐三は資産家日田重太郎の支援を得て出光商会を設立、若い経営者として、燃料の販売を開始していました。が、重油の販売先として漁船への売り込みを試みていたましが、多くの漁船の船主たちは「重油は船のエンジンを痛める」といって取り合ってくれなかったそうです。 出光は、当時創業して間もない田村汽船漁業部の経営者国司浩助の許を訪れ漁船への売り込みを試みます。国司は「前向きに取り組みましょうと」と協力を申し出た、という話が「出光佐三語録」(61ページ)の中で伝えられています。国司は後に、ジーゼルエンジンを搭載した漁船を開発し、燃料費の節減に成功していることから見ても、国司と出光の協力関係が偲ばれます。後に出光商会は出光興産となり、出光佐三が敗戦後、敗戦国のハンディを克服して日本を代表する石油元売りとなる話はベストセラー「海賊と言われた男」として描かれました。このように、昔の日本では、志を抱いた若者を、各界の成功者やいわゆる有力者が支援したものである。そしてその青年たちが、やがて成功すると今度は、その人たちが後進の面倒を見るという人材の連鎖が出来上がっていました。 現代では資産家や成功者が後進の人材を支援することは少なくなったとはいえ、やはり、・ 心構えで大きく差が付くことはまちがいありません。志を語るだけでなく、「現状に甘んじないで」・段階的に理想に近づこうと努力することです。登山家が高い峰にアタックするときには、充分な調査や準備をしてトレーニングも積みます。そして、いよいよアタックするときにも、きちんとベースキャンプを築くのです。ビジネスや人生の目標を達成させるにも、これと同じ方法論が必要です。 理想と現実のギャップが大きく、すぐに実現できないときには、当面の目標を達成してから、次の段階へのベースキャンプを築いて、しだいに本来の目標に近付いていきます。 とりあえずは自分の気力・体力・知識・技能・人脈・情報で、手の届きそうなところを目指すわけです。そうしているうちに、理解者、支援者が現れて一気に高い目標を達成できるのです。 ビジネスも人生も「究極のゴール」と「現実の足元」をシッカリと見据えて、焦らずにベースキャンプを築いていくことが大切です。この心構えさえ忘れなければ、自分が予想していた以上に、事態が好転します。若者は『志』を抱け 若者よ、「志」を抱き、理想を高く掲げよう。 山の高さは決まっていますが、人生のゴールは定められていません。山に登るときは、頂上を極めたらそこから先はありませんが、人生やビジネスでは、知らず知らずのうちに自分の設定した頂上よりも、はるかに高いところに登ってしまうこともあるのです。・人生やビジネスの目標は「雪だるま」に似ているといってよいでしょう。人生でもビジネスでも、最初の目標を達成するときには、非常に大きなエネルギーを必要とします。しかし、あるレベルに達しますと「地盤」や「信用」ができますから、それを芯にして当初心に描いていたスケールよりもはるかに大きなものに発展する可能性が高いのです。 たいした努力はしていないように見えるのに結構うまくいっている人は、最初の一歩を踏み出すときにたいへんな苦労をしたり、いろいろな工夫をした人です。その結果が、雪だるまと同じように大きくなっただけ
2018.03.08
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国司浩助は、生前、自ら受けた「恩義」に対して、いろいろな後進を支援することによって報いることを心がけました。近年脚光を浴びてテレビドラマにもなった白洲次郎。白洲は吉田茂のブレーンとして、マッカーサーに直言したり、サンフランシスコ講和条約の際に吉田首相に助言したことなどで知られていますが、その人が若い日に留学先のケンブリッジから帰国して、英字新聞や英国系の商社で仕事をしていた時代がありました。その白洲を同じ英国留学帰国組の先輩という縁で、私の父が声をかけ、自分の会社にスカウトし、役員として抜擢したという「縁」はあまり世間に知られていません。つまり白洲次郎にとってこれが日本におけるビジネスマンとしてのデビューだったことになります。その後間もなく父が夭折したとき、当時の新製品として日本で初めて開発に成功した冷凍えびを携えて、担当役員の白洲が我が家を訪れた。夫人(私の母)に報告方々の弔問でした。「国司(浩助)専務の命で取り組んでいた冷凍えびが出来ました。専務の仏前に供えてください」といって白洲が我が家に届けてくれた話を母から聞いたことがある。その際、「えびは本来仏前の供え物としては、ご法度なのですが、この仏は例外ですから」と白洲は言ったそうである。母の感想は「随分若い重役さんね」でした。小説では「国司夫人は感激の涙うんぬん…」とありますが、講談師ならぬ小説家、「見てきたような嘘をつくものだ」と感心しています。父はこのほかにもいろいろな人物を支援しました。 初代水産庁長官となり、水産翁と言われた飯山太平は水産講習所(現東京海洋大学)在学中に創業間もない田村汽船漁業部を訪れ、同社に入社することを決意し、以後、国司浩助を支えました。戦中戦後の混乱期に日本の水産業が2百カイリ問題など存亡の危機を迎えた当時、国家的危機を救う人材として、日本水産取締役となっていた飯山は、水産庁長官に抜擢され初代長官となり、後述する藤永元作を招聘し、共に日本水産業の再建のために尽力しました。退官後も、国司浩助の事業への姿勢と人格を敬愛する気持ちが忘れられず、自ら私財を投じて、鈴木善幸首相をはじめ業界関係者に働きかけて浄財を募り、下関に国司浩助顕彰像を建立したことは前述の通りです。 今や一般的となった冷凍えびですが、その養殖を手掛けて、苦心の末に世界に先駆けて成功させエビ博士と言われた藤永元作は東大生の頃、下関の魚市場を訪れ、現場で陣頭指揮していた国司浩助と出会い、意気投合して日本水産に入社しました。国司の死後飯山太平水産庁長官にスカウトされて、水産庁の部長として、全国の水産試験場等の組織強化を計画、実現した人です。国司浩助の仏前に供えられた日本で初めての冷凍エビは、日本水産在職中、国司浩助の指令により、白洲次郎が具体的な企画をして、藤永が開発に成功したもの、というチームプレイを後付けすることができます。元ニチレイ社長でその後相談役となってからも、長く業界の要職にあり晩年は帝国ホテル社長も勤めた木村鉱二郎も、若き日、事業に失敗、借金苦にあえいでいた不遇時代に国司浩助が、日本水産に課長として採用したといういきさつを私は本人から聞きました。また、某代議士(農林水産大臣などを歴任し、既に勇退)は学校卒業後日本水産を受験したが不採用となりました。しかし、父は『この男見所あり』と、ポケットマネーで支援した時期があったそうです。 また、フランス留学し後年成功した洋画家も、浩助はポケットマネーで留学費用を支援していた(足ながおじさんだった?)ようです。これらは支援者(国司)が急逝して、送金が途絶えて明らかになったことをご本人たちから伺った話です。キューピーとアヲハタ缶詰の創業者中島董一郎や東洋製罐の創業者高碕達之助(後述)は国司浩助の水産講習所(現東京海洋大学)の同窓生で卒業後もいろいろつながりがありました。この人たちも、それぞれ強力な支援者を得てそれぞれの『志』を実現して大をなした。中島が日本初のマーマレードをアヲハタ缶詰で開発した、試作品を我が家に持参し、父に試食させたときのエピソード。父は『少し苦いようですね』といったそうで、これがわが国におけるマーマレード第1号ということになるが多分、マヨネーズもこうしたプロセスを経て商品化されたものと思われます。これは私の母の回顧談。
2018.03.07
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その後太平洋戦争の敗戦で日本の水産業も壊滅的な打撃を受けたましたが、やがて、国司の死後、数十年を経て彼の後輩で、国司を慕う初代水産庁長官飯山太平が中心に国司の遺徳を偲び顕彰を讃える銅像を建てる話がまとまり、創業ゆかりの地、下関市日和山公園に顕彰像が建てられました。 また、前日本水産社長垣添直也は、水産業界不況で永らく低迷していた日本水産の社長就任にあたり、会社再建のヒントとして、「国司浩助氏論叢」を『ニッスイの原点』として再編集し、この本は2000年に発刊されました。同社長は、本書を社員に配布するだけでなく、その精神を甦らせる経営を実践して同社の業績を復活させることに成功しています。「国司浩助氏論叢」も国司浩助自身が書き遺したものではなく、彼の後進、同社の取締役だった桑田透一が講演録や議事録などから国司の死後直ちに編集出版したものでした。(1939年)「ニッスイの原点」は、はるかに時を経て、国司浩助とは面識もない後の同社垣添直也が、課長時代に「国司浩助氏論叢」を読んで感銘を受け、後年副社長になってから、現代向きに再編集を命じて2000年に再販し、趣旨を経営に反映、応用、同社の経営再建を実現したものでした。また、顕彰像も決して彼自身が建ててほしいと望んだものではありません。が、彼の死後、誰言うとなく、国司浩助の生前の『生き方』が、人の心を動かす不思議なチカラをもっていることを示すものです。次に、著者しか知りえなかったエピソードをいくつかー
2018.03.06
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私は、国司浩助がトロールの勉強に留学してから約90年後1998年に英国ウェールズ、カーディフを訪れました。そして留学先だったニール家の末裔と会見する機会を得ました。その折、古いはがきのコピーを受けとりました。当主のジャック・ニールからの書簡と照らし合わせると、1904年ニール&ウエストが明治政府の要人をもてなしたことがあり、その会談で「日本の水産業の開拓者を英国に派遣したい。ついては有力なトロール業の、ニール&ウエストさんに受け入れをお願いしたい。」という内容のはがきだったようで、この記念すべきはがきをニール家では家宝のように大切に保管していたことが判明しました。このはがきは、ニール、国司両家はもとより日英両国の、特に水産業にとって由緒あるものではないでしょうか。そのようにジャック・ニールはみている、という書簡の内容を見て、私は思わず、はがきのコピーを見直していました。 1904年といえば、あの日露戦争が始まった年に当ります。因みにこの年、国司浩助は、水産講習所に入学した年で、こんなやりとりが日英両国にあり、やがて自分に白羽の矢が立てられることなどは知る由もなかったはずです。というわけで、苦労も多かったでしょうが、国司浩助は生涯のビジネス・パートナー鮎川義介と出会い、学業を終えた直後に事業のスポンサー田村市郎と出会ったことは確かに幸運だったというべきです。国司浩助が急逝したとき、仕事のパートナーだった鮎川義介は「二人の子供を代わりに差し出せといわれたら国司の命を救う」と神にいわれたら、子供を差し出したいほど惜しまれる]と国司の死を嘆いたといわれます。
2018.03.05
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こうして国司は田村の命を受け、再び渡英、最初のトロール船を現地で建造することになった。つまり国司は、卒業と同時に、現代風に言えば何十億円もするトロール船の建造を手掛け、自らの志を実現する会社設立のチャンスに恵まれたのである。彼は英国人漁労長をともなって建造したトロール船湊丸に乗船して帰国し、田村汽船漁業部を設立した。国司は帰国後も自ら船に乗って操業の指揮をとり、帰港すると市場で売りさばくまで現場中心の事業を展開し成功を収めた。 国司浩助は、やがて水産研究所を設立。世界初のディーゼル機関付きトロール船、船内急速冷凍装置の開発など数々の発明、アイデアを実現させた。国司の事業は魚を取るだけにとどまらず、水産物を保存し、加工、流通させるまで一切のシステムを効率よく、しかもフェアな事業にすることを心がけた。26年には「蟹工船」で知られるカニの母船式漁業などで成功を収める。国司の会社は共同漁業株式会社後に日本水産株式会社となり、その冷凍・冷蔵部門はニチレイとなり当時としては、世界一の水産会社だった。蟹工船というと小林多喜二の小説で描かれた過酷な労働を強いられる現場を連想する人もいるだろうが、国司は当時から従業員の福祉にも気を配り、社員食堂、社宅はもとより託児所なども設置していたといわれる。国司の理想は海洋資源を世界に求め、新鮮な状態で蓄え、世界市場の需要に合わせてあたかも水道のように供給することだった。また、海洋資源は、儲かるからといって乱獲することを戒め、計画的に利用することを提言している。このように、国司の事業への姿勢は常に、公的な視点に立ったものだった。 国司は、仕事熱心だったが決して、仕事人間、会社人間ではなく、親には孝養を尽くし、また、子供の教育にも熱心で家族を大切にしていた。残念ながら1939年51歳の若さで病没した。(「九州読売新聞『語り継がれる人々』を一部転載(一部事実に基づいて加筆)
2018.03.04
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こうして国司浩助は農商務省(現農林水産省、国立)水産講習所に学び、やがて鮎川の期待通り、明治政府から英国に派遣されて当時最先端の近代漁業を学ぶことになる。国司は、英国カーディフで当時ヨーロッパ有数のトロール漁業の会社ニール&ウエストで、近代漁業、中でも、トロール漁業の勉強をしやがて、帰国。早速、実業家田村市郎の支援を受けることができるようになった。田村は事業家として成功し、トロール漁業にも関心を示していたが、この分野では苦戦し、新しいノウハウと人材を求めていたのである。
2018.03.03
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すると井上侯からは「水産なんかやらずに貿易をやった方がよかろう」といわれて大いに悩んだそうである。しかし、結局親戚の木村久寿弥太翁(鮎川の義兄で三菱本社の重鎮、日本工業倶楽部第2代理事長)にも相談し、『国司君、君は一体何がやりたいのか』の一言で、水産の道を決意した由。このエピソードは『国司浩助氏論叢』でも紹介された話である。
2018.03.02
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同所の松原所長は水産の将来が極めて有望なことを熱心に説き、鮎川もすっかり、その気になって「浩助、君は実によいことを考えている。講習所は帝大のように卒業生も大勢いないから、水産業に携われば、きっと成功するに違いない」と彼の希望に全面的に賛成、その後生涯を通じて支援するビジネス・パートナーになったのである。水産講習所への進学にあたって国司浩助は、やはり一抹の不安があったのか、ダメを押すつもりだったのか郷土の大先輩で遠縁にあたる、明治の元勲 井上馨侯のもとを訪れ相談したそうである。井上侯は鮎川が学生時代から薫陶を受けていた人でもあった。
2018.03.01
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