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ども。倦怠期の「謎作家」、船沢です。m(_ _)m というわけで、見ての通りこの 「鵡鷺愚《ぶろぐ》」も、2006年の執筆開始から何だかんだで3周年を迎えてしまいました。\(^o^)/ 今日までしつこく食い下がるこの私にこれまでおつき合いいただいている読者の皆様に、心より御礼申し上げます。m(_ _)m * * * * 最近はだんだん書くのも、お気に入りをチェックするのも面倒になってきてますが、最大の問題は「スパムの処理がすこぶる面倒」というその一点に尽きますな。本当は幅広くコメントを受け付けたいのですが、そうすると工口業者とおぼしきメッセージがモリモリと送られてくる。で、やむなくコメントを制限せざるを得ないのです。 ってか、これでは何のためのブログなのかわからんではないですか。せめてコメント投稿やトラックバックには認証システムを設けるとか何とかさ(最近では画像認証システムをクラックしやがる輩も出てきているそうですが……)。少なくとも、手作業によるフィルタ処理というのは明らかに面倒な作業なので、そういうことを意識させないようなシステムを実装するのが本道だと私は思うのですがね。 * * * * まあ、ここもいつまでいられるか分かりませんが、今後とも引き続きのご愛顧をよろしくお願い申し上げます。というか、読者の皆様が某SNSの方に来ていただけると手っ取り早くてありがたいのですが。というわけで、それではまた。\(^o^)/
2009.05.10
ども。楽天ブログの反応なんぞ、正直どうでもよくなってきた「謎作家」、船沢です。m(_ _)m ただいま、「鵡鷺愚《ぶろぐ》」の引越しを検討しています。理由は……まあユーザの皆様なら見当がつくかと思いますが、 (1) 正直言って、いろいろと面倒くさい。 特に、HTMLを書くのがすごく面倒。システムがあまりにも技術偏重で、ユーザビリティ(使い勝手)を完全に軽視している。 誰もがHTMLを使いこなせているとは限らないし、そもそも事業者やクリエイターには忙しい人が多いのだから、彼らにいちいちHTMLを学ぶ時間や手間をとらせるのは酷というものだろ? はっきり言って、時代遅れもいいところ。ぶっちゃけ、WikiやSNSのほうが、はるかに使い勝手がよい。 自分も含めた大多数のユーザは、言っちゃ何だけど“素人”だ。そういう人たちは、単純に「コンテンツをつくりたい」もしくは「情報を発信したい」のであって、「エンジニアやプログラマーになりたい」わけじゃあないッ! 俺たちには「技術」を使わせるのではなく、「しくみ」を使わせてくれ!(2) 管理画面のUIが使いにくい。 まさかこのご時世に、楽天のエンジニアは「AJAX」を知らないとかいうんじゃないだろうな?(今見たら「絵文字パレット」がAJAX対応だった。が、もっと他にも使うとこあるだろ!) ってか、君たちもたまにはGoogleを見習え! それと、毎回投稿後にレイアウトが崩れるのはなぜだ?(3) スパムの処理がいちいち面倒。 せめて1クリックで、削除なり通報なりできないものだろうか? いちいち手書き(orコピペ)でアドレスを記入しなければならんうえ、登録数にも制限があるのはどう考えても不便だ。 Gmailなどでやっているように、スパムやフィッシングのアドレスを自動的にデータベース化して、全ユーザが無制限に利用できるようにするべきだと私は思うのだが。 まあそういうことですので、おすすめのASPがありましたらぜひ教えていただきたいものです。もし引越しができましたら、改めてお知らせいたします。m(_ _)m もう正直なところ、シナジーやダイナミズムの点で言ったら、現在利用中の「GREE(グリー)」の方がずっとましですよ。そちらのシステムもいまだに賛否両論ありますが、何といっても反応が違う。一般的なブログと違って覚えることも少ないので、簡単に使いこなせます。まあ、会社やお店のポータルとか宣伝には必ずしも向きませんが……。また、自動リンクも備えているので、特に「他ユーザの紹介記事」や「コミュニティとの連携」といった局面においてバツグンの機動性を発揮します。何より、携帯ユーザを取り込むことを念頭に置いた設計なので、読者層の幅や質も圧倒的に広いです。 まあその、なんと言うか、めんどくさいの嫌なんだよね。実はWikiも少し面倒だったりするし。なおかつ使用中のマシンも遅い。……こんな状況下で、凝りに凝ったダイナミックコンテンツなぞ作れと?いまの俺様に、そんな余裕はないわ!まあそれに、たぶん読者もこのブログや私のことを忘れていると思うので、こちらとしてもあえて深追いする気はありません。より効果や反応率の高いセグメントに資源を集中するのは、ビジネスをやる者としても当然のことで。 * * * * そういうわけで、放置状態はもうしばらく続きます。それではまた。\(^o^)/
2009.03.18
ども。マシンの"疾さ"と"強さ"を追求したくなるエンスージアスト「謎作家」、船沢です。m(_ _)m とはいっても、お金がないのよさ(号泣)。 (ToT) というわけで今回は、パソコンの現状と未来を少し考えてみる件について。 * * * * PCトレンドを追いかけているユーザには実感があるかと思いますが、現状におけるパソコン市場の流れは"二極化"しつつあります。 すなわち、現在のパソコンは「はやい(=高速化・高機能化)」と「やすい(=低価格化・低機能化)」の2種類の流れがあるといえます。もちろん、どちらも「うまい(=使いやすくて付加価値がある)」ことが大前提ですが。 † † まず、「やすい」パソコンの代表格ともいえるのが、現在主流になりつつある「ウルトラモバイル(UMPC)」や「ネットブック」と呼ばれるカテゴリです。 これらはおもにインテル社の低消費電力CPU「Atom」を搭載したチップセットを使うことで、機体の小型化・省電力化・低価格化を実現したもので、その主力価格帯は実売で5万~7万円前後とされています。最近では4万を切るものや、グラフィックチップの搭載で高付加価値化した機種(それでも実売6~7万)も登場するようになりました。 その先鞭をつけたのが、2007年に台湾のASUS(アスース)社が海外で先行発売した「Eee PC」でした(※初代機にはAtomは入っていない)。 その開発の契機となったのは、2005年ごろに提唱された学童および途上国向けパソコン教育支援プロジェクト「OLPC (One Laptop Per Child:すべての子どもたちにノートパソコンを)」(http://laptop.org/)において開発された製品「XO」にあります。 OLPCの掲げる要件「コストは1台あたり100ドル前後」を満たすことから"100ドルパソコン"と称される「XO」は、子どもたちがどこでも使えるようにと高い堅牢性と使いやすく分かりやすいインターフェイスを備え、OS(実行システム)には同じく安価で堅牢性に優れたLinuxが採用されています。 アスース社はこのマシンの持つポテンシャル(潜在能力)にいたく感服したのか、それともこの低価格路線に商機を見い出したのか、とにかく自社の高い技術力・調達力をフル活用して、「低コスト・省電力」という新しい路線の開拓に挑んだのでした。そのチャレンジの顛末については、皆様も家電量販店などですでに目の当たりにされている通りでしょう。 また昨年(2008年)からは、同じ設計思想で作られたデスクトップ型パソコン、通称「ネットトップ」と呼ばれるカテゴリが登場し、さらにユーザの裾野を広げつつあります。 これらの製品群は、これまで「パソコンが高くて買えなかった」ユーザ層はもちろん、「最低限、ネットやメールさえできれば余分な機能は要らん」というシンプルさを求めるユーザ、セカンドマシン(2台目)として購入するヘビーユーザ、そして案の定「子どものおもちゃとして買い与える」親御さんなど、幅広い客層を取り込むことに成功したのです。 そして今後はこの流れが加速化・分化し、「より安くて長持ちする」か「安くて長時間はそのままに、高速動作とグラフィックを強化」の"二極化"が同カテゴリ内でも進むと見られています。 † † 一方の「はやい」パソコンといえば、その筆頭に挙げられるのがいわゆる「ゲーミングモデル(ゲーミングPC)」と呼ばれるものです。 すなわち文字通り、パソコン専用のゲーム--特にオンラインゲームや一人称シューティング(FPS)に最適化された、高速処理・高速度応答・高次元グラフィックスを備えるパソコンを指します。 仕様および価格帯としてのカテゴリは、ミドルレンジ(中堅)からハイエンド(高級)に位置づけられており、安いものでも直販で10万円台から、高いものだと30~40万円以上するものまでさまざまです。 高価格化の要因の大部分は、いうまでもなくその搭載されているパーツにあり、CPUもデュアルコアは当たり前、メモリやハードディスクは大容量かつ高速、さらに専用メモリを搭載したグラフィックボードを追加実装しているのが基本です。そのスペックや筐体を見るだけでも「どんなゲームでも遊び倒してやるぜ!」という気概がこれでもかと言わんばかりに全身から溢れ出しています。 また近年は、予算に糸目をつけずに最高速・最高級のパーツを付加し、徹底的に疾さとパワーにこだわりぬいた「エンスージアスト(エンスー)モデル」も注目されてきています。要は自動車のエンスーモデル(走り屋仕様のクルマ)と同じで「でたらめに高馬力で疾い」パソコンだと思ってください。 かつては自力でこれを組みあげるのがステータスみたいなものでしたが、最近はそれと同等の性能を"完成品"として買えるようになったわけです。ちなみにお値段もそれなりのもので、構成によっては50~60万は軽く越えてしまいます。 もちろん、これらのマシンはあくまでも「ゲーム用に最適化されている」というだけであって、普通にさまざまな用途に使っても、バツグンに高いパフォーマンスを発揮できます。 特に、動画も観ながらゲームもしながらネットをやりながらワープロと表計算もやって、さらにウィルスチェックまで......という、マルチタスク(複数同時処理)を越えた「メガタスク」環境を導入するにあたっては、ゲーミングパソコンはまたとない選択肢といえます。 もし、ビジネスやクリエイティブワークに適したパソコンをお探しなら、ぜひご検討されてみては? † † ところで、多くの読者にとっては上掲の「高速度応答」がいまいちピンと来ないと思われますので、少し補足を。 ゲームにおいて最も重要なのは、もちろんゲーム性自体もそうなのですが、もうひとつのポイントは「いかにキャラクターやカーソルが自分の思ったとおりに気持ちよく動いてくれるか」という点にあります。これを「応答性」と呼ぶわけですが、その半分はプログラム上の処理によって技術的に高めることができるものです。 で、残りの半分は何かというと、プレイヤーがキャラクターを動かすための道具、すなわち入力機器で決まります。 どんなにスムーズに動くプログラムを実装したとしても、肝心の入力デバイスの動きがぎこちなかったり、反応が甘かったりしたら、どんな歴戦のゲーマーであっても即座にゲームオーバーになってしまうでしょう。まして普通の人であれば、「操作どおりに動いてくれない」こと自体が猛烈なストレスとなって、とてもゲームどころではありません。 ゲーマーが心置きなくゲームに集中できるようにするためにも、またドット単位の精密な操作を可能にするためにも、おなじみのジョイスティックだけでなく、キーボードやマウスなども高い反応速度や応答性が必要とされているのです。また、これらの恩恵を長期にわたって維持できるよう、高い安定性や堅牢さも必要とされます。 つまり、これらの入力機器をゲーミングモデルに置き換えるだけで、「スムーズに動いて、狙ったところで止まる」「実際の入力と画面上での動きにズレがない」といった高い操作性が実現するわけです。 もちろん、ビジネス文書作成やプログラミング、画像編集、お絵かき、CG制作など、さまざまな用途においてもその入力しやすさや使いやすさを実感していただけることでしょう。 * * * * とまあ、今回はこんな感じで。まあ要は、私自身が「速いパソコンが欲しい」からというか、「速いパソコンを持つことがいかに素晴らしいか」を伝えたかったというだけなのですが。 さりとて、「安いパソコン」も捨てがたい......。 読者の皆様は、どっちを買いますか? ってことで、それではまた。\(^o^)/
2009.02.24
ども。久々の「謎作家」、船沢です。m(_ _)mところで、なんで「楽天ブログ」のスパム処理ってのはこんなにも面倒なのかと。正直なところ、実に使い勝手が悪すぎる。かといってコメント制限をしていては、SNSなどをたどって遊びにきてくれた方がコメントを残せないし、わざわざ楽天アカウントを取得させるのも面倒だし……。 これでは、何のためのブログなのか分かりませんて。このままいくと、ブログプロバイダを乗り換えることも検討させていただくかもしれません。せめて、コメント承認機能をつけるとか、コメント投稿時にパスワードを入力させるとか、何かしら打つ手はあるはずでしょう。それすらしないのであれば、楽天さんは「ショッピングモールにばかり注力して、他のサービスに手を抜いている」と思われても仕方がないのではないかと。SNS「楽天リンクス」もいまいち使いにくいですし。 ついでに言ってしまうと、 携帯ではトップページが表示されないのですが、ありゃ何なんですかね。トップページにこそ主要な情報を詰め込んでいると自負する多くのユーザにとっては、その情報を携帯ユーザにだけは見てもらえないわけで、いってみれば大きな機会損失です。 これはおそらく私だけの意見ではないかもしれませんがね。 何にせよ、しっかりしていただきたいですな。でないと、本当に見限っちまうかもしれませんぜ。まあ、技術陣の方々にはそのくらい期待感がある、ということで。 ――まあ、今回はこんな感じで。
2009.02.20
ども。今年はどういうわけか初夢を見なかった「謎作家」、船沢です。m(_ _)m まあそんなわけで、今年は何とかこちらのほうも進めていきたいと思っております。よろしく。 * * * * ということで今回は、SNS「GREE(グリー)」で知り合いになった、こちらの方をご紹介いたしましょう。 クライアントの問題解決に寄与できるコーチやコンサルタントを目指し、日々尽力されている「ドリーム・ファシリテーター」、miyadai氏です。GREEでは「ばぐばぐ」というハンドルネームでもご活躍されています。 詳しくは彼のブログをご一読いただきたいのですが、今日に至るまでの人生は、きわめて壮絶なものでした。交通事故で死の淵をさまよい、奇跡の生還。その後、みずからの体験から、『偶然』を『必然』に変えるすべを学ぶため、数多くのセミナーに参加。自分自身も“夢”を喰らって成長する一方、人々の“夢”を形にし、その成功をお手伝いする「ドリーム・ファシリテーター」としての躍進をいまなお続けています。 そんなmiyadai氏のブログはこちら。↓ ◆夢実現ブログ「インスパイア・プロブレム・ソルバーへの道」 ↓ http://blog.livedoor.jp/miniminimiyadai/◆天才に学び、一歩でも近づく。その道を模索し、実践するためのブログ「ジーニアスの階段」 ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/miniminimiyadai これからコーチやカウンセラーを目指しておられる方は、ぜひご覧になってみてください。 * * * * というわけで、それではまた。\(^o^)/
2009.01.08
ども。久々に、人呼んで「謎作家」、船沢です。m(_ _)m遅ればせながら、あけましておめでとうございます。\(^o^)/相変わらずの放置プレイですが、本年もよろしくお願い申し上げます。 今年は「プロジェクトKWS」など、さまざまな企画を何とか形にしていきたいと考えております。もし興味をもたれましたら、ぜひご一報を。まあそんなわけで、今年もキバっていくぜ! \(^o^)/
2009.01.08
ども。将来の嫁はウーマン・イン・トーキョーと決めている、バッド・メディシン「謎作家」、船沢です。m(_ _)mさて、一部読者と“ふなマニア”の皆様はすでにご承知かと存じますが、本日6月20日は私、船沢荘一の誕生日であります。\(^o^)/おかげさまで、今年で17歳と6,210日目(←おいおい)の誕生日を迎えることができました。そういや今年は、何やら更なる飛躍の予感がしています。何だか、楽しいコンテンツをモリモリと作れそうな気がしてきましたぜ。まあそういうわけですので、読者&ふなマニアの皆様、改めてこれからもご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 m(_ _)m
2008.06.20
ども。放置大魔王こと「謎作家」、船沢です。m(_ _)m すでにご覧いただいているとおり、ほったらかし状態でもいつの間にか1万アクセスを突破してしまいました。 そして、本日5月10日は、皆様がこうしてご覧になっている、この「鵡鷺愚《ぶろぐ》」の開設記念日でもあります。このブログも、やたらと中断が多かったものの、おかげさまで2年も続けることができました。 これも読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。m(_ _)m だからってわけでもないのですが、読者の皆様に何かお礼ができないだろうか……と以前から考えておりました。 まあ、正直いって大したものではありませんが、「あれば便利かもしれない」程度の粗品をご用意させていただく予定です。 まあそういうわけで、あまり期待せずにお待ちいただければということで、ひとつ。 それではまた。 \(^o^)/
2008.05.10
……はい、本日はそーゆー日です。今年も日暮さん復活しないかなぁー@こち亀。 ども。最近、“北京オリンピックやばいかも”というジュセリーノ氏の予言が、俄然真実味を帯びてきたと感じる「謎作家」、船沢です。m(_ _)m そんな特別な一日であるにもかかわらず、取り立てて書くネタがないことに気がついてしまった今日この頃、読者&ふなマニアの皆様はいかがお過ごしでしょうか。つまりは「いつもと変わらん一日じゃねぇか」って感じで。 * * * * しかし、特定の人々にとっては、やはり“特別な一日”でもあるわけで。 周知のように、この日に生まれた人は、4年に一度しか「誕生日」が訪れません。 そして、不覚にもこの日に命を落としてしまった人は、「命日」が4年に一度だけ訪れるわけで、故人を偲ぶ機会を著しく制限されているのも同然の状況に陥るといえます。 どちらにしても、それ以外の年度では、とても宙ぶらりんな、もどかしい感情を抱くであろうことは想像に難くないでしょう。 そんな感じですから、この日に生まれた人々が自分自身のアイデンティティに対して持つ感情は、おそらく私たちには及びもつかないものだと思われるのです。 2月29日――。それは、4年にたった一日だけ生じる、人生のエアポケット。 そこに迷い落ちてしまった人々の、胸中やいかに。 * * * * というわけで、それではまた。
2008.02.29
ども。そんな感じでPCからのネット環境が復活した「謎作家」、船沢です。m(_ _)mそんなわけで、これまで通り「 鵡鷺愚《ぶろぐ》」をご覧いただいている皆様も、また新たにSNSからお越しいただいた方々も、改めていっそうのご愛顧のほどよろしくお願いいたします。あと、こちらはぼちぼちブログ開始2周年を迎えるということで、辛抱強く応援していただいた読者&ふなマニアの皆様のために、ちょっとした“何か”を企画しています。――つーことで、皆様、ヨロシクドーゾ。m(_ _)m
2008.02.01
ども。あけましておめでとうございます。 \(^O^)/ ついに飛躍の年を迎えた「謎作家」、船沢です。m(_ _)m 去年はすっかり過疎気味の一年でしたが、今年もたぶん過疎になるかもしれません。 まあそんな感じですが、本年もよろしくお願い申しあげます。 m(_ _)m
2008.01.01
どうも。引っ越したり更新が滞ったり某SNS(二番手くらいに有名)に潜伏したりと、すっかりレジスタンスの様相を呈してきた「謎作家」、イフリートの船沢です。m(_ _)m ただいま年末進行中ということもあって、年内の「楽天ブログ」はおそらく本日が最終日となります。 ちなみに某SNSユーザの方は引き続き、年越しまでお付き合いのほどよろしくお願いします。 m(_ _)m というわけで、それではよいお年を。 \(^O^)/
2007.12.29
久しぶりの、船沢です。m(_ _)mつい先日、業界関係者(ファン)との間にちょっとした問題を抱えてしまいまして、正直かーなーり凹んでいます。コンサルタントとしての交渉力の弱さ、作家としての表現力の不足を、いたく痛感させられました。クレーム、というよりコンプレインに対処するのに、これほどの労力を費やすことになるとは。orz ……俺って、弱い生き物だなぁ。
2007.11.12
更新再開できたのはいいが…………やはり携帯からでは手間が多すぎる!ものぐさです。いや、船沢です。m(_ _)m そういや、いまCX系の特番『たけしの教育白書』を観ているのですがね。 実に嘆かわしいというか、腹立たしいというか、 「俺たち一体何やってんだろう」みたいな感じです。 っつーか、人情の機敏に疎いお役人なんぞにすがるより、 もっと他に頼るべき人材がいるだろーが!! 一体何のために、コンサルタントやシンクタンクが存在していると思っているんだ?! 何のために、人類は心理学や神話学などを研究しているッ!! 近視眼的・極専門的な現代人(というより前世紀)のパラダイムでは、 親も教師も、もちろん子どもたちも救えない。 組織のトップやリーダーが変わらなかったら……、 トップやリーダーが守らなかったら……、 他に誰が彼らを、彼らの心や魂(こころ)、璞(たましい)を救えるというんだ! そしてそのためにこそ、俺たちがいる! 古来の叡智と最先端の人間科学をフル活用して ビジネスリーダーを変え、人々を変え、社会を変えていき、 やがて世界に真の豊かさと幸福をもたらす。それが俺たちのミッションだ! ――だろ? <hr> ……おおお、私としたことが。 つい熱くなってしまったぜ。 まあそんなわけなので、個人的にもいろいろな本を読ませて 「国民よもっと勉強しろ」と言いたいですな。 知恵を巡らせ、頭を使え。悩み抜け抜け、漢(おとこ)なら。 勝つも敗けるも決断ひとつ。それではまた。\(^O^)/
2007.10.27
かくして5ヶ月ぶりに復活した船沢です。m(_ _)m 埼玉に引っ越してからというもの、ネットが使えなくて大変困っていたのですが、このたび新しい携帯を導入したおかげでどうにか再開できる運びとなりました。皆様にはご迷惑をおかけ致しましたことをお詫びするとともに、改めてご愛顧のほどよろしくお願い申しあげます。m(_ _)m 今日はこんなところで。それではまた。m(_ _)m
2007.10.23
ども。船沢です。 m(_ _)mヴァイオレンスかつスリリングなものを見てしまいました。いろいろとツッコんでやろうかと思いましたが、事態が余計に悪化しそうなのでやめました。堪えるのって、勇気が要ります。 ……ちょっとオトナの階段を上りました。俺はまだシンデレラですがね。でも、「幸せは誰かがきっと運んでくれる」とはもう思わなくなりました。思い出がいっぱいの、船沢です。m(_ _)mきょうもこんな感じということで。 ◆最近気づいた法則 喧嘩を仲裁しようとあれこれ言いにきた奴が、 余計に事態をこじれさせる。 お知らせ★何の因果か、『船沢荘一 「鵡鷺愚《ぶろぐ》」』の記事が、なんと羽富都史彰社長のブログで取り上げられました! 引用された記事はこちら→ 羽富都史彰:「翔(はばた)く女性を応援するには???」 そもそもは、羽富社長のブログへのコメントとして書いたものだったのですが、そのままコメントとして終わらせるにはもったいない文章だったので、せっかくだから皆様にも見ていただこうと、件の記事の引用も含めて、丸々一本の記事に仕上げてみました。(要は“present”という駄洒落が書きたかっただけ……) そうしたらなんと、逆に私の記事が向こうに引用されるという、自分でも予想外の事態に! 箸にも棒にも、歯牙にもかからないと評判の私のブログに、ようやくスポットライトが当たった瞬間でした。 もうひたすら、「感謝、感謝、感謝」(by羽富社長)です。 そんな“掟破りの逆DDT”を喰らった前回の記事はこちら。 特にネタもないので、今回はここまで。たまってるネタ、何とか形にできるといいなあ。それではまた。 \(^o^)/
2007.05.27
お元気ざますか。船沢です。 m(_ _)m今回の話は「プレゼント」について一席。 ときに皆さん、「プレゼント」ってもらったことはありますか? 読者の大半は、一度くらいは誰かから何かを“お祝い品”として受け取ったことがあるのではないでしょうか。 私は……ここ10年くらいは、誕生日プレゼントを含めて、そういうのはもらった記憶がないですな(泣)。兄者たちから飲みに連れて行ってもらったり、そういうことは毎年あるのですがね。 ちなみに、自衛官時代に所属の中隊から渡された誕生日プレゼントは「バインダー」。 ……し、しょぼい。 orz 何でまた、唐突にこんな話になったのかというと、“女性の心をつかむ”ことで評判のワクワク系衣料品店、株式会社ロコレディの羽富都史彰社長が、ご自身のブログでこんな話をされていたからです。 彼女たちが働きやすい環境を整えるためには、徹底した「配慮」が求められる。 だが、「遠慮」はしなくていい。 女性が就業しやすいように、いかに現場の環境を整えるか? その一環として、彼女たちの考え方をいかに理解し、どう心理を読むか? それらを踏まえたうえで、従業員に指導を行う必要がある。 「配慮」はするが、「遠慮」はしない。 就業シフトや備品、室内の空気、果ては化粧室(便所)に至るまで、徹底的に気を遣う。そうすることで、彼ら(この場合は彼女ら)は自己の存在意義を会社から認められたと感じ、就業モチベーション(やる気)と会社に対するロイヤリティ(忠誠心)が高まり、ひいては部門もしくは企業全体の業績向上に寄与する。 だが、気後れすることはない。気にしすぎて、下手に遠慮してしまうと、ある者は不安になり、ある者は上司やトップ、会社そのものをナメてかかってしまうだろう――。 従業員の対人マネジメントにおいて、必要不可欠なファクターですね。 ……が、私が注目したのは、じつはそこではありません。 上記の一環として、羽富社長が従業員や採用希望者に対していつも行っている「魔法の人心掌握トーク」に、私がある“想い”を感じたからです。 それは「一期一会」。 いうまでもなく、「たとえ一時でも、竹馬の友、生涯の盟友、高貴なる傑物に接するのと同じように、その出会いを大切にせよ」……という意味ですね。 念のために言っておくと、“いちごいちえ”と読みます。“いっきいっかい”じゃありませんぜ。 さて、先述の「魔法の人心掌握トーク」(ついさっき私が命名)は、お察しのとおり、マーケティングトルネードの佐藤昌弘先生が開発・指導している、わずかなステップのダイアログ(対話)で短時間のうちにクライアントの心に入り込み、悩みの原因や、真の欲求をあぶりだす「魔法のセールストーク」と似たようなものです。 もうお気づきかとは思いますが、両者の共通点はまさしく「一期一会」にあるといえます。 いま、このときの出会いに感謝する。 その上で、目の前のクライアントに全身全霊を傾けて、その人の問題を解決する。 正直、解決できるか否かは問題ではありません(そりゃ解決できたほうがいいに決まってるが)。 でも、クライアントにとってみれば、「わざわざ貴重な時間を割いて、自分のために親身になってくれている」――そのことだけで、十分にうれしいのです。 なぜなら、「相手の心に深く入り込み、本当の悩みを聞きだす」というプロセスは、聞き手に極度の忍耐と寛容を強いるからです。そしてそれゆえに、このプロセスに全力を傾けている聞き手(コーチ)の姿を通して、クライアントは彼の「誠実さ」を感じ取ります。 こうした誠実な行動が、クライアントに絶大な感動体験=「ゴールド エクスペリエンス」をもたらすのです。 さて、本題はここからです。 「魔法のトーク」を通じて、話し手であるクライアントは、あれこれ話しているうちに“あること”に気がつきます。 自分自身を掘り下げるダイアログを通じて、自分の「過去(ルーツ)」を知るのです。 その中には、話してみるまで本人でも気がつかなかった、あるいは忘れていた、数々の思い出が含まれています。 自分をぎゅっと抱きしめてくれた、母の胸のぬくもり。 産婦人科の病室での、新しい家族との出会い。 はじめて親に買ってもらったおもちゃ。 遊園地に連れて行ってもらったこと。 テストでいい点をとって、頭をなでてもらったこと。 心配のあまり、今にも泣きそうな顔の親父にぶん殴られたこと。 夏休みに家族で見た、あの山から見下ろす壮大な風景。 自分の将来の進路を話したら、その場で正座させられ、親父に何時間も絞られた。 何もかも投げ出したくなって、ふと見上げた夜空に、やさしく輝くまあるい満月。 中には、親が働いていたり、片方しかいなくて、そういった思い出の少ない人もいるでしょう。 あるいは、いやな思い出しか残らなかった人もいるでしょう。 けれども、それらすべてが、その人のパラダイムを形作る“もと”となっているのです。 つまり、考え方や言葉、対人態度の規範となるものが、この時期――具体的には6~9歳前後に形成されるといわれています。 このように、ダイアログを通して相手の過去の話題へとさかのぼっていくことで、まるでタイムマシンに乗るように、その人の「ルーツ(起源)」を知ることができるのです。 重要なのは、「過去」を知ることで「現在」の姿を理解し、「未来」をつくっていくこと。 余談ですが、「未来(future)」や「過去(past)」に対応する、時間軸としての「現在」を、英語では“プレゼント(present)”といいます。 そう、「(贈り物を)贈る、手渡す」という意味の“present”と同じ言葉です(実際の発音は違うが)。 いま、そこにある現在。 私が、ここにいるということ。 あなたが、そこにいるということ。 私とあなたが、この場で出会えたということ。 この日、この瞬間まで生きてこられたということ。 ――そのすべてが、神様からの“プレゼント”ってわけです。 誰かの「過去」を知ることは、その人の「現在」までの恩恵(プレゼント)に気づかせ、豊かな「未来」へとつなぐためのプロセスでもあります。 自分が受け取った、たくさんの“贈り物”に気づけば、他人にも“贈り物”を与えられる、豊かな自分になれる。 人との出会いや、企業での面接、コンサルティングやカウンセリングには、そんな意味合いもあるのです。 そしてまさに、これこそが「一期一会」の真髄だといえます。 われわれは探求をやめてはならない。そして、われわれのすべての探求の最後は、はじめにいた場所であり、その場所をはじめて知ることである。 ――トーマス・スターンズ・エリオット「『言葉』でなく『心』で理解できた!」(『ジョジョの奇妙な冒険』第5部より) 体験、思い出、人との出会い。いいことも、悪いことも。そのすべてが、あなたに与えられた、神様からの「プレゼント」。それらを丸ごと愛したとき、あなたはもっと、豊かで幸せになれる。 こんな感じでしたが、いかがでしょうか。ついでといっては何ですが、形のある「プレゼント」をお求めなら、こちらのお店へどうぞ。それではまた。 \(^o^)/
2007.05.25
船沢です。 m(_ _)m誰とは申しませんが、まあ昔の人々にちょっとした私信を。見ているとも思えないけど、なんか見てるっぽいので。現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。 あるべき姿を見て接すれば、人はそのとおりになるだろう。 ――ヴォルフガング・ヨハン・ゲーテ いろいろと言いたいことはあるが、まずはそれだけ。10年あれば、家庭にもよるが、生まれた子供もお赤飯を炊いて祝うお年頃だろう。にもかかわらず、「過去」のものさしで、その人の「現在」を見ようとするのは、あまりにも杓子定規に過ぎないだろうか。もっと簡単に言うと、相手を見る側に、あまりにも進歩がなさ過ぎる。私自身、ここに来るまでに、捨てたものも、失ったものもある。新しいステージに行くために、自分から捨ててしまったものもある。けれども、それ以上に得たものも多い。そうやって、いまの自分があると思っている。おそらくこれからも、人生におけるこうしたトラッシュ&ゲットは続いていくだろう。まあただ、自分自身、そんなに進歩のある人間だとは思えない。払拭したい過去、消せない過ちなど、いくらでもある。しかし、おのれ自身を省みて、少しずつ自分を変えていけるのが「人間」なのだから、いまそこにいるのは、昨日の、1年前の、3年前の、5年前の“あいつ”とはどこか大きく異なっているはずなのだ。そのことを踏まえていないと、かつて鼻で笑っていた相手に、いつか大きく足元をすくわれるかもしれない。「俺」も「君」も「あいつ」も、誰もがみんな、お互いに……だ。 少なくとも、確実に言えることがいくつかある。小さなコミュニティだけが、世界のすべてではないこと。その中で大きなことをやろうとしても、結局世界は何も変わらないということ。何かを啓蒙しても、構成員のパラダイムがすぐに変わるとは思えないし、構成員のプライベートにかかわることまで、コミュニティは何もしてやれない。自分自身が新しい世界を体験して、過去の世界から脱却し、自分自身を変えていくことでしか、自分を取り巻く世界は変えられないのだ。旧世界のパラダイムにしがみつく人は、そのまま取り残されるだけだし、変化が異なる者は、ある変化をした人とは別の世界軸を生きることになるだろう。ひとたび「新世界」を見て、新たな視点を手に入れてしまった人間は、もう過去のステージとパラダイムには戻れないのだ。たとえそのために、身内や友人から「奇人変人」のそしりを受け、あるいは衝突することになろうとも……。 そう考えると、古い世界の色つきメガネでしかモノの見えてない人々の、なんと多いことだろう。誰かの過去の不祥事をいつまでも蒸し返して、掲示板でクダを巻く者も、部下の失敗をあげつらって、ネチネチと何時間も説教する管理職も、居酒屋で酔った勢いで、上司や社長の悪口をまくし立てるサラリーマンも、寄り合いの席で、親戚や町内会のあの人の悪口を言う主婦も、みーんな「同じ穴のムジナ」だ。他人の悪口を言って、余計に胃の中がモヤモヤするくらいだったら、遠出したり、本でも読んでいたほうが、よっぽど頭にも健康にもいい。 というか、そいつの名前を思い出すのもイヤなら、むしろいちいち反応せず、名前も出さずに放っておくべきでは?なぜ彼らは、過去の傷口を、みずからの手で広げるマネをするのか?スティーヴン・コヴィー博士も名著『7つの習慣』で言っているが、「“刺激”に対する“反応”」は、自分の意思で選択できる。そこには、「相手に対する期待」=ビジョンも含まれている。その人の「過去の悪い姿」しか頭にないのならば、みずからが望む「相手のあるべき姿」=理想のビジョンを相手に投影すればいい。誰かを王様にしたいなら、その人を「王様」だと思って接し、それにふさわしい言葉をかければよいのだ。あの娘を一流のレディにしたいなら、自分からそのように振舞うべきだし、よい親、よい子であることを望むなら、その希いを日常生活で示せばいい。心理学で言うところの「ピグマリオン効果」である。それほどまでに、その人を「ダメな奴」と思っているのなら、変わってほしいと思う部分、理想の姿を希い、その人が「すばらしい人」になることを常に祈ることだ。やがてその人は、内側から静かに変化を始めるだろう。 変わらないものをいつまでも嘆くより、変えられるものを変えることからはじめよう。まずは毎日の言葉を、明るくハッピーなもの、誰かの豊かな幸せと成功を心から励ますものにすることから。身も蓋もない言葉を投げかけて、相手を落胆させるのは、もう終わりにしよう。本気で成功したいなら、成功者の言葉を選んで使い、成功者と同じマインド(考え方)を身につけることだ。それでも周囲が変化を拒否し、現状維持を望むのなら、彼らに足を引っ張られ、エネルギーを吸い取られる前に、「あれはそういう人種なのだ」と割り切って、自分から遠ざかろう。他人の愚痴や悪口は、悪いオーラを溜め込み、心身を害することはあっても、いいことなんか何一つない。むしろ本人の眼前で直接指摘するほうが、まだお互いのためになる。 ……まあ、そういうことだ。これ以上は何も言うまい。現在のペンネームに決めたときから、旧縁が切れることも覚悟の上。逃げた魚を追いかけるほど、自分も野暮じゃない。とりあえず「達者で生きろ」とは言っておこう。では。以上、私信終わり。それではまた。 \(^o^)/
2007.05.24
どうも。船沢です。 m(_ _)mこれから法事があるので、今週いっぱいまでお休みさせていただきます。留守中のご用件はメールで。それではまた。 (^o^)/
2007.05.16
ジャンボ!(スワヒリ語) 船沢です。m(_ _)m 今回は経営者や組織のリーダーにも、ぜひオススメしたい「萬画」をひとつ。 ネオ・スポ根の新しい形『おおきく振りかぶって』 今回取り上げるのは、「アフタヌーン」(講談社)で好評連載中の、ひぐちアサ原作による野球萬画『おおきく振りかぶって』(略称「おお振り」)。【重版予約】 おおきく振りかぶって 1~7巻セット 楽天オリジナル特典付き これがただの野球ものとはわけが違う。いまやその人気が高じ、4月からTBS/MBS系列でアニメ化もされています。◆あらすじ かつて存在した軟式野球部を復活させ、埼玉県立西浦高校に新設された硬式野球部。そこに集まったのはたった10名、しかも全員が今年入学したばかりの1年生。 そこでエースピッチャーを張ることになった、実力はあるのにものすごくヘタレた少年・三橋廉と、その才能を見抜き真のエースにしようとするID捕手・阿部隆也。これら実力ぞろい(?)の個性的な面々をまとめる巨乳(!!)女性監督・百枝まりあ(通称モモカン)。 おたがいに成長していく部員たちと共に、阿部は三橋の心に救う根深いトラウマを解決しようと尽力し、三橋もまた気弱で卑屈な自分から抜け出そうとしていく……。 それぞれが数多くの問題を抱えながらも、彼らは甲子園を目指すのだった。◆まったく新しい「スポーツメンタル」という切り口 本作がこれまでの野球マンガと一線を画している点は、精神論や技術ではなく、「スポーツ心理学」という観点から、ライバル校のそれをも含めた選手たちの「メンタル面」を描いたことに尽きます。 各選手のバックボーンに起因する性格描写や葛藤、それらが生み出す息詰まる心理戦。 主人公・三橋のヘタレ化の原因となった、みずからの境遇、それによる中学時代のチームメイトの不信。 部員たちを本気で甲子園に行かせるべく、モモカンと顧問の志賀先生が繰り出してくる数々のトレーニングメニュー。 ことに注目に値するのは、志賀先生が唐突に提案する、セミナー仕込みのメンタルトレーニングの数々でしょう(ただし話の振り方がおかしいのか、部員たちは毎度、面食らっています)。 中でも最初の合宿で、先生が右脳の働きを理解させるためにフォトリーディング®(作中では単に「速読術」と呼称)について取り上げたシーンを見たときには、私は「この作者、間違いなくやってるな」と思ったものです。 また、登場人物のダイアログ(会話)――特にモモカンが部員たちにアドバイスを行う各場面、あるいは阿部が三橋の過去に触れようとするシーン――において、心理学やコーチングのメソッドを応用した(と思われる)やり取りが用いられていることも見逃せません。 こうした一連の心理描写から、作品の舞台や世界観に至るまで、すべてが忠実かつリアルに作りこまれているのが、本作の大きな魅力といえます(ちなみに舞台となる高校は作者の母校がモデルになっています)。 この面白さを裏付けるかのように、本作は2006年に第10回手塚治虫文化賞新生賞を、2007年には第31回講談社漫画賞一般部門を受賞しています。◆人を描くには、まず「人を知る」こと それもそのはずで、作者のひぐちアサ先生は、法政大学にてスポーツ心理学を学んだという、クリエイターとしては異色の経歴を持っています。 在学中より体得した心理学やコーチング理論などを、キャラクターの描写やダイアログに織り込むという独特の作劇術によって、彼女はそれまでの根性論や技術向上を謳ったスポーツマンガとは異なる、新しい境地を開拓したのです。 何よりそのメソッドがもたらす最大の利点は、「読者はほぼ必ず、登場人物の誰かに感情移入できる」ところにあります。 登場人物の性格や心理、行動原理などを、その基盤から逆算して作りこんでいるので、彼らはみな、とても生き生きとリアルに描かれているのです。たとえ端役でも「こいつは俺に似ている」……そう思わせるキャラクターがいても、なんら不思議ではありません。 またそのことによって多くの葛藤が生じ、実に深みのあるドラマ(劇)がつくり出されています。 ドラマとはダイアログの積み重ねであり、同時にそれは制約と葛藤の中からしか生まれないので、登場人物たちの葛藤や断絶が大きくなるほど、物語のドラマが転がりやすい(=先の読めない、面白い展開になる)ということがいえます。感性や画力・文章力だけではクリエイターになれない ところで登場人物の作り込みは、クリエイターなら誰もがやっていることでしょう。 しかしながら、そのための体系的・実践的な理論を知っているのとそうでないのとでは、人物像や世界観のリアルさに雲泥の差が生じます。 たとえ実体験が豊富でも、その再現性が著しく異なるのです。 もっともわかりやすい例でいくと、たとえば「身内が死んだとき」。 ステレオタイプな場面描写では、こんな感じでしょうか。「心電計が止まると共に、パタリと落ちる患者の手」「すがり付いて泣き崩れる親族」「親族や友人に報告の電話をするが、絶句してそれ以上声にならない」 ……あー、これってよくドラマで見かけますねぇ。こうした作劇上の“落としどころ”によって、観客の涙を誘おうってわけです。 でも、じつはここからすでに、物語などでは決して描かれることのない「真実の瞬間」があるのです。 実際に当事者として立ち会ったことのある人ならおわかりになるかと思いますが、実際には必ずしもあんなふうにはなりません。 とても繊細な人だったり、不慮の事故などで「突然に死なれた」などの状況だったらたぶんそうなるのでしょうが、多くの場合、むしろ逆にとても冷静になってしまいます(一方、極度のストレスで心拍は上昇し、血流や血圧も高まっています)。 「死」という非現実的な状況を自分の中で何とか受け止めようとするために、脳がフル回転を始めるのです。 まあちょっとしたプチパニック状態、すなわち「ブレインストーム」ですね(心の弱い人は、この時点で現実を消化しきれずに大パニックを起こし、廃人化します)。 ちなみに5年くらい前に私が見たよそ様の事例では、「目の前で夫が倒れ、そのまま逝ってしまった」ことを奥さんが家族に電話していたのですが、そのときの話しぶりは妙にテンションが高く、努めて平静さを保とうとするあまり、本人はむしろ嬉々として夫の最期を伝えていました。 その光景が傍目にはとても奇異に見え、またかえってそのことが「日常に潜む非日常」を浮き彫りにしていたのです。 こうした現実にもっとも近いシチュエーションを描いた萬画作品といったら、まず間違いなく『タッチ』(あだち充/小学館)を挙げることができましょう。 仄暗い病院の霊安室で、上杉達也が朝倉南に淡々と語りかけるあの名シーンを引き合いに出すまでもなく、同作は登場人物たちにとっての現実をある日突然打ち砕く“身近な者の「死」”を極めてリアルに描いたという点で、ある意味歴史に残る傑作といえます。◆人間の「しくみ」を知ると、“人間”がわかる どうしてこのようなことが起こるのかというと、人間はパニックに陥った場合、少しでも理想と現実のギャップを埋めて心の平安を取り戻そうとするべく、その問題を解決しようとする行動や、思ったこととは正反対の行動を取ってしまうという性質があります。 いわゆる「振り子の法則」と呼ばれているものです。 ちなみに神田昌典先生が提唱されている「感情マーケティング®」では、こうした心理的事象に着目し、顧客の潜在的な不安を取り除くことで企業との間に長期的・永続的な信頼関係を構築していきます。 一般に「お客を心理的に操作する」などといった誤解を招いていますが、実際はお客の心理状態の流れを「読み」、その悩みや不安の根本を探ることで、その人を何としても救いたいという“心からの希い”としてお客の悩みを解決に導く――というのが本質です。 このように、一見して複雑多面に見える人間の感情には、ある“スイッチ”を刺激することで特定の行動をとってしまうというメカニカルな一面があります。 心理学や神話学は、人間の心の機微や物語の展開、登場人物の役割などをパターン化し、体系化することで、より深いレベルでの理解と実践的活用に寄与しようという学問です。 その意味で両者は、古来より変わることのない普遍的な「人間のメカニズム」を学ぶ学問であるといえるでしょう。 これらを昨今のマーケッターやクリエイター、デザイナーがビジネス上の必須科目としているのも頷けます。 「人間が、機械的にコントロールできるはずがない」「人の性格や人間関係はもっと複雑なもので、パターン化できるとは思えない」 ……本当にそう思います? 現実もフィクションも、役者や舞台装置、セリフなどが異なるだけで、じつは同じ状況が何千年にもわたって繰り返されているのだとしたら……? さらにこれを逆手に取り、ビジネスや教育、日常生活での問題が解決できるとしたら……? これを使わない手はないですよね。⇒以前の記事『神話から学ぶ、パターン(お約束)を読む力』もあわせてどうぞ。 この調子でいくと、「おお振り」の作中にマインドマップ®が登場するのも時間の問題かと。 それにしても、いいすね、モモカン。 もう、お乳様に足を向けて寝られない!(笑) ではまた。 (^o^)/
2007.05.14
どうも。船沢です。m(_ _)mお久しぶりというかそんな感じです。忘れてる人もそうでない人も、懲りずによろしく。見てのとおり、ダラダラやっていたら、いつの間にか丸一年勃ちました。もとい、立ちました。思えばこの間、いろいろなことがあったものです……(遠い目)。でも何割かは書き込み自体がめんどくさいので省略。あと、何やら新しい(怪しい)動きがあった模様です。詳細は決まり次第、追って連絡したりするかもしれません(やや弱気)。これからのキーワードは「おもしろまったり」――つーことでどっすか?ちなみに「まりもっこり」とは関係ないですよ(笑)。面白きことなき世を面白く。そして人生をまったりと。……ええ、ロハスですよLOHAS。そゆことです。書きかけのネタがやたら溜まってきているので、そろそろどうにかしたい。何か頭をスッキリさせる方法はないものでしょうか。……などと文句のひとつも言いつつ、それではまた。\(^o^)/
2007.05.10
オイッス!(オイ~ッス)元気がないなもう一丁! オイッス!!(オイ~ッス!!)……おっしゃー、2ヶ月ぶりに帰ってきたぜ! というわけで、公私共に「ものぐさ太郎」としても知られる、船沢です。 m(_ _)mなんか「ものぐさな人のための成功法則」とか「ものぐさマーケティング」とか「ものぐさセールス」なんてどっかにないものかと考えてしまいますが、皆さんどうですか。まあ万事がこの調子なのですが、どうやら私を含めた「緑色オーラ」の人は、夢や計画はあっても野心が足りず、プロジェクトの完成にも最後まで付き合う気力がないのだそうです。要するに「凝り性だが飽きっぽい」性格であるといえます。そのため、周囲からは「やる気がない」「根性が足りない」と誤解を受けることがあるようです。また「外界に惑わされず、自分のペースでのんびりじっくり取り組む」ことで最大のパフォーマンスを発揮しますが、周囲から急かされたり、ゆっくりであっても常にフルパワーを要求されたりすると短期間でエネルギーが枯渇し、行動意欲を失ってしまいます。本当は単に“自然との調和を図りながら、心穏やかにすごしたい”だけなのにね。そして、彼らは抽象的かつ分析的な思考に優れているため、アウトラインを観察してその攻略パターンやシステムを解析したり、それらを再利用した新しいビジネスモデルや事業を開発することに長けています。さらに、元来人にモノを教えることが好きなので、そうしたシステムやメソッドを人々と分かち合うことを厭いません。彼らをプロジェクトのリーダーやブレーンとして活用し、その配下にイメージを具現化する実行部隊を配置すると、良い成果が期待できるでしょう。もちろん、教師やカウンセラー、コンサルタントとしても活躍できます。ところで、あなたの周囲に、つまらない誤解を受けて、いじめられている人や、会社で働けなくなった人、病院で誤った診断を下された人はいませんか?もしくは、あなた自身、そのような目に遭っていませんか?もしかしたらその人は、現代社会や既存のビジネスとはまったく異なる分野・場所においてきわめて高いパフォーマンスを発揮する、優れた能力と感性の持ち主かもしれません。ご本人だけでなく、ご家族や友人、教育関係者や事業者の皆様にも、そのことを十分にご理解いただき、彼らがよりよいパフォーマンスを引き出せる人生の道を共に模索していただければ幸いです。勉強や部活だけが子どもの本分ではない。サラリーマンや肉体労働だけがビジネスじゃない。本来、高い技術や感性が要求されるカタカナ職業や人文学系の職業を「水商売」扱いされるのはとんでもない誤解だ。同じ「士業」なのに、教師や医者、弁護士などが“立派な仕事”で、コンサルタントやカウンセラー、セラピストが低く見られるのは、どういうことだ?親自身がろくに勉強もせず、自分の学歴や学力の低さ、無知を棚に上げて、「勉強しろ」「いい大学に行け」と連呼するのは、あまりに虫が良すぎる。子どもにあれこれうるさく口出ししたり、思わず手を出したり、ほしがるものを何でも買ってあげたり、将来の進路や職業を勝手に決めつけるのだって、「すべて子どものため」だと言い張りながら、結局は自分の虚栄心を満たして、自分(だけ)が救われたいだけじゃないのか。旧世紀の常識と価値観で育てられた子どもが巣立っていけるほど、いまの世の中はそんなに甘くはない。「あんたがなりたかった自分」に子どもを育てるんじゃない。「その子がなりたいと希う自分」に進むよう見守るのが、正しい教育のあり方だ。その子が、別に何になったっていいじゃないか。周りの人々が幸せになって、その子自身も幸せになれるのなら。――まずはすべての方々にこの考え方をご理解いただき、その上で、ご本人に決めさせるのが、上策かと存じます。「世間の常識」や「人並みの人生」、「果たせなかった自分の夢の代理」を一方的に子どもに押し付けるなど、バカバカしいことこの上ありません。とまあこんな感じで、これからも企画事務所 イフリートと船沢荘一は、「心の病」と「璞の危機」に立ち向かう皆様を応援します。そのためにこそ、作家(アーティスト)とコンサルタントは存在するのですよ。 ――てな感じで、これからもよろしくドーゾ。 m(_ _)m
2007.03.26
自らの意志が、強固であるほど様々な試練に苛まれるものだ。無論、試練を目前に避ける事も出来れば、逃げる事も出来る。だが、試練の真意は、そんな己の心を克服することにある。 ――『斑鳩』(トレジャー) chapter 02「試練」 オープニングデモよりというわけで船沢です。 m(_ _)m前の記事でボソッと告知したのですが、東京ビッグサイトで行われた、リクルートの企業情報誌「アントレ」主催による『FC&独立支援フェア』を視察、というか見学してきました。もちろん、いつものようにパンフをどっさり抱えて帰ってきましたよ。ブースの約半分を回り、10数社からお話を聞かせていただいたのですが、中でも特に私のハートを釘付けにしたのは……学習塾でもラーメン屋でもハンコ屋さんでもありません。 贈答品や生活雑貨の卸を本業としている株式会社プレゼンターのオーラカラー写真機「オーラの神秘」!これは、生体から発せられるオーラを視覚化する「キルリアン写真」と、人体のGSR(皮膚発汗電気抵抗)を感知する「バイオフィードバックセンサ」を組み合わせたもので、その人の心・身体・精神を全体的に診断するという、画期的な装置です。個々の技術そのものは、15年前の「ムー」にも載っていたくらい、さして目新しい技術ではありません。しかし、この両者を組み合わせることで、人体をよりホリスティックに診断するという、新しいアプローチを生み出した、そのアイディアの秀逸さにいたく感服しました。まさしく、故・横井軍平氏の言う「枯れた技術の水平思考」を体現していたのです。もちろん、会場内でのインパクトも絶大。出展企業の社員さんも「あれにはかなわない」と脱帽していました。だって、一般客に混じって、出展企業の社員たちも続々と行列をつくるんですよ!今回のMVPは、もうアレで決まりですな。◆きょうの「美事熱遂《びじねす》」語録 周囲が変化しようが、外見が変化しようが、 決して変わらないものがある。 それが「本質」だ。 即応性や汎化能力とは、「本質を見極める」能力ともいえる。 見た目の変化に惑わされて、本質を見失うな。細木数子先生も言っていました。「璞(たましい)の本質を見極めることが重要だ」と。孫子の兵法にもありますね。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」と。 本質とはすなわち、「自分の分を知る」ということ。自分のタイプ、レベル、キャパシティを把握し、どうすれば自分自身を生かすことができるか、ということです。 私はこの手の話をするとき、よく航空機や重火器、あるいはシューティングゲームのプレイヤーキャラ(自機)を引き合いに出します。どこかの書き込みでご覧になった方もいるかもしれませんね。 すなわち、機体や兵装、およびその使い手も、個々に能力特性が異なる。そのことを熟知し、それに見合った一品を選択することで、最大のパフォーマンスを発揮することができるのだと。 たとえば、F-16ファイティングファルコンは、小型で小回りが利き、空中戦に優れています。しかし、航続距離が短く、爆弾搭載量も少ないので、遠方や地上への侵攻には不向きです。(そのため、空中給油機が随伴することもあります)片や、A-10サンダーボルトも小型ですが、頑強な装甲と戦車をブチ抜く30mmチェーンガンを装備し、大量の爆弾を積んで敵施設を一掃できる、最強の戦術攻撃機です。でもその分鈍重で、敵戦闘機(ハエ)にたかられると、手も足も出ません。このように、機体性能、兵装の攻撃力、操縦者の技量などを把握し、より適切な戦地へと派遣する。これこそが指揮官、そしてその手足となる兵士たちに求められます。 「自分は何者か」「自分の強みとは何か」「自分はどこまでやれるのか」「自分はどこへ向かい、何を目指すのか」これを知ることから、すべての戦略は始まります。 ちなみに、先ほどのオーラ写真を撮られた結果はというと、私のオーラは「緑色」でした。その性質は「社交的、自然的、気楽、調和、交際・もてなし上手。他社とのコミュニケーションや分かち合いを好む。健康的で活動的。心と体のバランスを重視し、それへの意識が高い。親しみやすく、心を自然に表現する。高い理想を持ち、創造的で、詳細まで考えるが、飽きっぽくて保守的。家族やわずかな親しい友人をとても大事にする。お金儲けや目的達成よりも、裕福で自由な人生を送ることを第一と考え、肉体的・精神的に過酷な労働には不向き。環境・自然学者、ソーシャルワーカー、農業、カウンセラー、心理学者、教師、秘書、コンサルタントなど、人と心、自然と動物に関わりのある仕事が天職」。実はもっと詳細なレポート(全22ページ)を渡されたのですがね。…………すげえ、全部当たってるよ!明日は仕事です。もう眠い。というわけで今回はここまで。ではまた。\(^o^)/
2007.01.19
というわけで、本日はこれから有明に出かけます。君たち東京ビッグサイトで僕と握手!
2007.01.19
皆さん、生きてますか? 私も生きてますよ。というわけで船沢です。お久しぶりですな。長いことほったらかしにしてしまって実に申し訳ない。m(_ _)mそもそも、今日まで腰が重かった理由はいろいろありますが、そのほんの一例を挙げると......★仕事がにわかに忙しくなった。★軽くノイローゼになった。★他サイトでのコメントに全力を傾けてしまい、 自分のサイトで書くことがなくなってしまった。★ただ単に、書くのが面倒になった。★情報収集や事例の研究に忙しく、とてもブログを書いている暇がない。その実態は、皆様のご想像にお任せします。……ああ、まさに放置国家ニッポン。マリアナ海溝より深~く反省。↓↓↓↓↓↓↓↓ o↓ o↓ 。↓ 。↓ . m(_ _)m ズブズブ...... い、いや、こんなところで沈殿している場合ではないッッッ!俺様にはまだ、やらなければならぬことが山ほどある!! ってことで、2007年はいよいよ本格始動の一年となりそうな気配です。そこで今年のキーワードは「斗い」。まあ私の人生自体がすでに“斗い”の連続みたいなものですが。まあそういうことなので、今年も……人生を斗え!! ◆きょうの「美事熱遂《びじねす》」語録 自分が得をするだけでは、真の成功とは呼べない。 自分が得をしたのと同様の方法で、他人を成功させてこそ、 はじめて生きた成功メソッドとなる。 さて、最近、私はよくこんなことを考えています。どうすれば、自分だけでなく、相手もまた・儲けさせることができるか?・ノウハウやテクニックが身につけられるだろうか?・世の中の役に立てるのか?・豊かに、自由に暮らすことができるだろうか? 難しいと思いますか?まあ普通は難しいでしょうね。私もそう思いますわ。――自分「だけ」にフォーカスして考えている限りはね。 元ニートから、わずか2年余りでカリスマ情報起業家となった、菅野一勢氏はこう言っています。「自分で稼ぐのは得意だけど、人を儲けさせることは不得意な人が、世の中には、非常に多いのです。 (中略)情報起業ノウハウを販売している本人が、いっくら儲かったって、そのノウハウを購入した人が儲けていなければ、それは、本当の使えるノウハウではないのです」セールスやマーケティングのメソッドばかりではありません。従業員のマネジメントもしかり、物流や製造の現場における作業プロセスもしかり、町工場での「モノづくり」もしかり。クリエイターだってそうですし、医者やコンサルタントなどの「士業」にしてもそうです。あなたも私も、この世にただひとり、ほかに代わりのいない存在ですが、現在に至るまでには、ほかの多くの人々と同様に、「誰もが受け継ぐことのできる」ノウハウやテクニックといった数多くのナレッジを学んできているはずです。けれども戦後以降、セールスやマーケティングを筆頭に、さまざまなビジネス本が出回っていますが、購入者のほとんどは読んでも肚に落ちないか、分かっても使いこなせずに終わってしまいます。あるいは、異業種に参入、または再就職してみたものの、「その技術や知識は、うちの会社(現場)には必要ない」と言われ、これまで培ってきたものが、まったく無用の長物と化した。なぜそうなってしまうのか。その理由の大半が、まさしくここにあります。 そうです。ノウハウ提供者あるいはメンターであるその人が、自分「だけ」の“ものさし”で世界を見ている限り、その“ものさし”を他人に貸し与えても、使いこなせるわけがないのです。 私たちは日常、メートル・キログラム法という計測単位にのっとり、それらを使いこなしています。そこへいきなり、「うちの職場ではヤード・ポンド法が基本だ。いますぐ、このインチ刻みのものさしに慣れてもらうぞ」って言われても、いまいちピンと来ないでしょう。普通なら、「1インチ=約2.54cm」と、相手にもわかるように単位を置き換えた上で理解してもらおうとします。もしくは、多少コストがかかってでも、デファクトスタンダード(事実上の標準)であるメートル法に乗り換えるはずです。この程度の理屈は、小学生にでも分かりますよね。 では、今のあなたはどうでしょうか?あなたの持っているナレッジは、誰にでも理解できるもので、しかもすぐに活用できるものでしょうか?答えは実に簡単です。自分の持つナレッジを、他人に教えてみればすぐに分かります。 もし、その人が不安な態度を見せていたり、反発したり、首を傾げて考え込んでいたりしたとしたら、あなた自身の教え方そのものに問題があるか、あなたの持っているナレッジが、他人には通用しないということです。逆に、まったく畑違いの人種・職業の相手が、「目からウロコ」的な反応を示したら、その人は、その「アイディア」をいたく気に入って活用する可能性があります。自分たちにとっては「当たり前」「常識」の知識や方法論でも、別の世界の人々にとっては、まったく異なる切り口による発想だからです。もし、その技術や方法論が「つぶしの利かない」ものであれば、多くの人が「とても自分にはできない」と答えるでしょう。その場合、ほとんどは本人の体質や性格、思考スキームなどに依存しているので、いきなり「マネをしろ」といわれても、土台無理な話です。すでに自分専用の“ものさし”をつくってしまっているので、尺度の異なる他人にはどうしても使いこなすことができないのです。まあだからこそ、その人はオンリーワンの存在でいられたのかもしれませんが。はっきり言って、自分自身にしか通用しない知識や技術では、ほとんど使い物になりません。であるのに、メートル単位に慣れた人々に、何の説明もなしに、ほいほいとインチやフィートの、または「俺単位」の定規を渡すようなバカげた事をしている方が、あまりにも多すぎます。そもそも知識や技術が体系化されているのは、「俺以外の人にもできる」「安心して人に任せられる」そういう作業環境を作って、教育にかかるコストを低減し、新人くんを一刻も早く即戦力のプロフェッショナルへと成長=《変身》させるためなのです。 すなわち、業種・業界・内容を問わず、いつでもどこでも事が進み、定期的に新しい成果を生み出し、自分の考えやメッセージを伝道できる、自分の「分身」を大量生産できること。あなたがゲーマーなら「オプション(マルチプル)」と言い換えてみてもいいですね。最終的には、たとえ自分が何らかの原因で職場、もしくはこの世から消えてしまったとしても、常に手入れを怠らない限り、自分の考えたものが恒久的に「富」を生み出し続ける。そういうものこそが「本物」のノウハウやテクニックであり、真のナレッジであるといえるのです。ところで、今年はいわゆる「2007年問題」が取りざたされていますが、昨今、製造工場や伝統工芸などの「ものつくり」の世界で、職人の高齢化による技術・技能・ノウハウの途絶が懸念されています。旧来から職人はノウハウの流出を恐れ、その奥義を非公開としてきた閉鎖的な世界であることも問題なのですが、その蚊帳の外にいる私たちはといえば、その流れを食い止めるためにいったいこれまでに何をしてきたでしょう。ただ遠くから指をくわえて、消えるに任せる光景を眺めているだけなんて、これではバカの所業としか思えません。 優れた技能やノウハウを、その人の代で終わらせたりしない。そのためにこそ、最先端のナレッジが存在しているのではありませんか。具体的には、最先端の工学や技術をフル活用して、定量化できないはずの「職人の世界」を目に見えるようにするとか。たとえば、作業プロセスを細分化し、個々のプロセスを計測して、ガントチャートに落とすことで、特定のプロセスを伝達可能にしたり、作業機械に代替・移行させる……といった試みが、実際に行われています。 あなたの周りにも、埋もれ行く「叡智」が眠っていませんか?そいつを掘り起こし、ピカピカに磨き上げるだけで、とんでもない「お宝」に大化けするかもしれませんよ。もちろん「設備」や「人材」などの資産もまたしかりです。4ヶ月ぶり&新年明けての1発目、いかがでしたでやんしょか?これからもビジネス&ヲタ話に終始するかと思いますが、ぜひ振り落とされないように喰らいついて来ていただきたいと存じます。まあとりあえず倒れない程度にがんばりまさぁ。まずは今回はこんなところで。ではまた。 \(^o^)/
2007.01.18
天の道を往かないし、総てを司らない男(笑)、船沢です。m(_ _)m 高岩成二と中屋敷鉄也(現・哲也)の後ろ姿には、いつ見ても“男の色気”を感じます。まさにヒーローって感じです。 今回の『仮面ライダーカブト』は、先週と今週、2回にわたって、なぜか料理対決に終始していました。全編にわたって炸裂する井上節&石田マジック。そのうえ、いくら待ってもなかなか戦闘シークェンスに至らないことから、「これ『仮面ライダー』だよな? っつーか『仮面ライダー』だよな?(念押し)」とツッコまずにはいられないほどの過剰な暴走っぷりでした。 特に料理シーンにおけるすさまじいばかりの気合の入れようには、あのお方もたいそう悦ばれたことでしょう。というより、彼の妄想が具現化したと見るべきなのでしょうか。どういうわけか、光と闇の料理人たちの斗いが語られるところから始まり(もちろん本編は完全無視)、“黒い包丁”を受け継いだ流しの料理人・生簀一郎が次々と名店をつぶして回る。(演じるはインパクター・ロギアこと阿部進之介!)この時点でも十分にヘンなのに、スタッフとキャストの暴走は止まらない。天道兄妹がいきなりイタリア語で料理を注文したり、ZECT総帥(加賀美パパ)はなぜかキッチンスタジアムの主宰になってるし、田所チーフは実家がそば屋で、しかも弟がいる(大きくて人相も悪い)し、天道はスランプに陥ってまずい料理を作ってしまうし(視線も虚ろ)、じいやには山奥で暮らす双子の弟(もはや仙人と化している)がいたし、果ては天道と生簀の料理を食べた人々が、誰彼構わず天使と化して昇天する……。もうわけが分かりません。何なのでしょうかこの人たちは。しかも、闇料理人・生簀につぶされた料亭の名前が「しらくら」(同番組のプロデューサーと同じ名前)。芸が細かいです。今回のエピソードでオールドファンの何割かはドン引きしたかと思いますが、まあ面白かった(というかバカバカしかった)ので良しとしましょう。何より、“時代とともに常に変化し続けること”こそが『仮面ライダー』の命題のひとつですしね。……天国の石ノ森先生がその変化に満足しているかどうかは別ですが。ちなみに私はこういう「本編を完全無視した寄り道」とか、メタフィクション(本編中に別の作品を流したり、現実世界に干渉したり、内輪ネタを流すことなどでフィクションと気づかせる演出手法)とかといった、きわめてバカバカしいお話が大好きなのですよ。また、マニアやおたくが思わずニヤリとするような、ファンサービス的な小ネタも大好きです。このように(時には本編や世界観とのギャップを無視して)、視聴者や読者の不意を突いて展開されるドラマや小ネタ、コントなどを、私どもは「飛び道具」と呼んでいます。特にしばしば、“ベタなネタ”を指す「直球」とセットで用いられることが多く、私は何の脈絡もなく王道ネタをぶっ放す“直球の飛び道具”が好きです。この技の巧拙いかんによって、作家の技量(と、おたく度)が問われるといっても過言ではないでしょう。なぜなら、使い方を誤ると、ストーリーそのものが破綻してしまう危険性をはらんでいるからです。マンガでいえば、吉崎観音『ケロロ軍曹』や空知英秋『銀魂』、澤井啓夫『ボボボーボ・ボーボボ』(この場合はむしろ全編飛び道具)などが“飛び道具”の典型例といえます。脚本家で言えば井上敏樹や大和屋暁、浦沢義雄あたりがこういう作劇を得意としているようです。今回採り上げた『仮面ライダーカブト』なんかは、第1話からすでに飛び道具のオンパレードそのものですね。 ところで、仮面ライダーガタックのガタックエクステンダーライダーキック(仮称、しかも長い)は、『仮面ライダーSPIRITS』への逆リスペクトでしょうか。そう思ったのはおそらく私だけではないはず。そんなわけで、今回はこんなところで。ではまた。m(_ _)m
2006.08.27
大都会のやさぐれ男、船沢です。m(_ _)mとりあえず抜き打ち作戦失敗。 。・゚・(ノД`)・゚・。外出するのが遅くなったため、あえなく熱海でUターン。といふわけでまた今度です。(ToT)ちなみに熱海にもコンビニはありました(笑)。しかもゲーセンまで!(爆)でも食堂街のメニューはやけに単価が高かったです。流通コストがかかるからなのか、客足が遠のいているからなのかは分かりませんが、こうでもしないと店を維持できないのでしょうね。……でも、やっぱ高ぇよ! ――つうことで、熱海商店街の皆さん。マーケティングの観点からも、ぜひご再考を。 ……え、私がどこに行こうとしていたかって?とりあえず、カレーとハヤシのうまいところ、とだけ言っておきましょう。ちなみに、のぼりと印刷屋と線香屋で有名なところは、鈍行で1日強(実質2日)もかかります。てなわけで、それではまた。(^o^)/
2006.08.19
船沢です。m(_ _)m長いことHPをかましてすんまそんです。というわけでごたぶさしてます。猛暑ですでに脳もバグっています。なおかつ、そのまま夏休みに入ってました……。m(_ _)mちなみに「青春18きっぷ」が1日分あまったので、きょうはとある場所に行こうかと思ってます。抜き打ちで。 むう、今から間に合うかのう……。 さて、漏電充電も終わったことだし、次からがんばるべぇ。それではまた。m(_ _)m
2006.08.18
◆しみじみと、時代の流れを感じる瞬間。 テレビ番組を観ていたら、内山君が 「内山さん」と呼ばれていたとき。 船沢です。 m(_ _)m 19日ぶりの御無沙汰です。世露死苦です。「ござぶた」というネタが二度も出せないのが残念です。他社のサービスで誠にアレなのですが、最近「livedoor Wiki」はじめました。 ♪うぃーっき うぃきうぃき うぃきてつやっ……という一部の人しか分からないネタはさておき。Wiki(MediaWiki) とは国際的非営利団体・ウィキメディア財団(解説はこちら)によって開発された、オープンソース コンテンツを実現するサーバサイドウェア(サーバ組み込み型ソフト)で、同財団が管理・運営する「ウィキペディア」をはじめ、法人・個人を問わずさまざまなサイトに活用されています。Wiki の製品群およびサイトは、ブログと同じコンテンツ マネジメント システム(CMS)の一種で、「ウィキエンジン」またはその互換品「ウィキクローン」と呼ばれる、コンパクトなプログラムによって動作します。その最大の特長(メリット)は、サイトを管理する側と、記事を書き込む側が、完全に独立しているという点にあります。「ウィキペディア」を例にとれば、デザイン・機能の制定や各種権限は運営者側にあり、サイト内の各ページの体裁はすでに整っている。個々の記事を作成・更新する権限は、基本的に閲覧者でもある私たちにあります。それを可能としたのが、各種の半角記号で文字列を挟むだけの、独特のマークアップ構文であります。このシステムにより、HTMLを知らなくても、ドキュメント(文書)の作成・更新が簡単にできます。また過剰な機能・装飾をあえて排除することで、システム自体の運用や改良も容易になり、不特定多数のユーザがドキュメント作成・更新に関与できる、オープンソース コンテンツを最小限の労力で提供することが可能になりました。もちろん、設定の変更により、特定の人物以外の更新・閲覧を禁止したり、個人の日記やメモ帳といった完全にクローズド(非公開)な仕様にすることもできます。そして今回、私がブログサイトに続いてウィキサイトを立ち上げさせていただいた、「livedoor Wiki(ライブドア ウィキ)」は、そんなウィキのスピリットを受け継ぐ、あまたあるクローンサイト(Wiki互換エンジンによるサイト)のひとつであります。ただこちらは、仕事で使う関係上、関係者以外の方には公開できません。おもにコンテンツの企画作業で運用することを想定していますので、個人・法人を問わず、私たちの企画に興味を持ち、実践的なノウハウの研究に熱心で、異業種からも学ぶことができ、マンガ・アニメ・ゲームなどでユーザを感動させることに真剣である方のみ、当事務所のウィキサイトの閲覧・投稿を許可いたします。もし「船沢と一緒に熱い作品を創りたい」「究極の格闘ゲームを作りたい」「美少女マンガで世界中のおたくを悶死、いや萌死させたい」とお考えの方は、サイドバーの私書箱、またはこちらまでどうぞ。折り返し、イフリートのウィキサイトとメーリングリストのご案内をさせていただきます。さらに本日、またも調子に乗って、新しいサイトを立ち上げました。その名も「キャスティング総合研究所」。実は以前からあった部門なのですが、以前はウェブ上でネタの公開や意見を集めるに当たって、メーリングリストを使っていました。ところが、これが予想外に使いづらい。「ウェブサイト作れよ」という意見もあるでしょうが、そうもいかんのですよ。だって、めんどくさいんだもーんだもーんだもーんだもーんだもーん。なので、これにとって替わるシステムを探していたわけです。新サイトのおたく濃度は、当サイトの5倍以上と推定されますが、当サイト 「鵡鷺愚《ぶろぐ》」ともども、長い目でかわいがってやってくださいまし。ひとまず今回はこんなところで。次回も見てくだちい。 \(^o^)/
2006.07.30
船沢です。 m(_ _)m更新がやけに滞るのはなぜなのでしょう。先日、東京ビッグサイトで開催された「デジタル パブリッシング フェア 2006」に行ってきましたよ。……自転車で。 このイベント、簡単に言えば、印刷・出版・コンテンツ制作に関する見本市です。さらに会期中は、同じホール内で、国内外の出版社が集う「東京国際ブックフェア」、編集プロダクションを紹介する「編集製作プロダクション フェア」、専門書の展示会「人文・社会科学書フェア」「自然科学書フェア」「児童書フェア」「学習書・教育ソフトフェア」も同時開催されます(ました)。 私は何度かこのイベントを見に行っているのですが、今年は以前に比べ、特に珍しく斬新なものがないように感じました。おそらくはIT技術がこなれてきて、パブリッシャとユーザ双方で一般化が進んできている(つまり、もう慣れてしまった)ものと思われます。以前は製本技術や印刷技術で、画期的なものが見られたのですがね。たとえば、「表紙の中にCDを入れ込む技術」や、卓上型の背綴じ製本機、オフセットを超える業務用超高精細印刷とか。また、中小企業向けの卓上光ディスク(CD/DVD)印刷・プレスマシンも、市場が広がったのか、今年は展示を見かけませんでした。その代わり、今年の展示で目立ったものは……電子ブック以前はビューア/PDA/パソコンを使っていたものが、携帯電話でも閲覧できる技術が確立された。ただ、そもそも画面が小さい上、スクロールさせないと全体が見えないことから、本格的な普及には、携帯電話のさらなる技術革新が求められる。ネットワークを介し、マンガの組版~入稿~印刷を完結できるシステム『コミックスタジオ』(セルシス)に代表される、デジタルマンガ製作ソリューションは以前からあった。もちろん、オンライン入稿や、マルチユースなどのソリューションも確立されている。ところが今年の展示では、共同印刷(株)によるマルチ展開システム「COMIC COMBO RELEASE」が発表された。ASP(アプリケーション提供者)ではなく、印刷会社の主導で、ソフトを含めた一貫自己完結型の出版コンテンツソリューションが開発されるというのは、新しい動きといえるだろう。大型オーバーヘッドスキャナ(OHS)スキャナとは紙媒体やフィルムなどの画像・文字を取り込むために使う周辺機器である。一般的なものに、媒体を受像部に伏せて撮影するフラットベッド型、媒体を透明な筒に入れて輪転機のように撮影するドラム型などがあるが、マイクロテックが開発したオーバーヘッドスキャナは頭上のCCDカメラにてこれを撮影する。プレゼンでおなじみの「オーバーヘッドプロジェクタ(OHP)」のスキャナ版だ。その最大のメリットは、本を伏せることで綴じ部や紙にダメージを与えることなく、見開き撮影が可能なことにある。つまり、本を折り曲げたり、潰したりする必要がないので、昔の書籍や古文書などをアーカイヴ(収蔵)するのに最適といえる。印刷メディア マルチユースソリューション「RealRead®」米国のITベンチャー、リアルリード社が開発したこのサービスは、カタログ、パンフレット、マニュアルといった印刷媒体を、PDF/JPEGデータを元に、WEB上で閲覧できるようにするというものだ。閲覧者たるユーザは、特別なソフトを導入することなく、まるで実際にページをめくる感覚で、このサービスを使うことができる。また、ダウンロードされないので、ユーザはすぐに閲覧でき、かつ安全性も高い。さらにコンテンツに制限をかけたり、アクセス記録を採取することも可能。ねんどアニメ コマ撮りソフト「CLAY TOWN」本製品は、マンガ製作ソフト「コミックスタジオ」、アニメ製作ソフト「RETAS!」でおなじみの、セルシスの最新作だ。これは、カメラを用意するだけで、技術的・時間的に困難とされてきた、クレイアニメや立体アニメが誰でも簡単に撮影できるというソフトである。しかも、おまけとして小麦ねんどがついてくるので、買ったその日からアニメが創れてしまう。もちろん、手持ちの人形・おもちゃで撮影も可能。……とまあ、こういったところです。しかし、もう少し早めに出かけていれば、ほかの展示会も見られたのになぁ。 _| ̄|○ ちなみに池袋~有明(ビッグサイト)間は、自転車(ママチャリ)で行くと、片道およそ2時間15分。正直しんどいです。というわけで、今回はこれにて。 (^o^)/
2006.07.12
♪大人になれない僕らの強がりをひとつ聞いてくれ 逃げも隠れもしないから 笑いたい奴だけ笑え せめて頼りない僕らの自由の芽を摘み取らないで 水をあげるその役目を果たせばいいんだろう? ――千綿ヒデノリ『カサブタ』 2週間のござぶたでした。もとい、ごぶさたでした。お元気でしたか。船沢です。m(_ _)m一部の読者には、ご心配をおかけしております。実に申し訳ない。m(_ _)m「自由な国がいいね」とワシントンが言ったから、7月4日は独立記念日。思えばこの間、いろいろなことがあったような、なかったような。ネットは突然つながらなくなりやがるし(再設定であっさり解決)、パンダマシンに乗せられて、おまわりさんと5時間もステキなトークをするし、最近胃とか腸が痛い感じがするし、なんなんでしょうか、これは。そろそろ潮目が変わって、波が来る前触れなのでしょうか。何はともあれ、できるところからやっていきますか。ということで、今回の記事は特になし。すんまそん。m(_ _)mネタだけはうなるほどあるのに……。ではまた。お便りもよろしく。 (^o^)/
2006.07.04
「オバジC」という化粧品は、“おばば”と“おじじ”のためにあると思ってました。(実話) そろそろ「おじいちゃんの匂い」がするんじゃないかと戦々恐々としている、船沢です。 m(_ _)m さて皆さん、「年齢」って、どのように増えると感じていますか?自分や誰かの年齢が一歳上がるたびに、そのことをどう表現していますか? 「食う」ものですか?「取る」ものですか?「経る」ものですか?「重ねる」ものですか? 年を「食う」というと、ただ時間のみを無駄に食い散らかす=“消費する”という、そんなイメージがあるかと思います。自分の人生に不満のある人、夢や目標のない人ほど、この言い回しを使う傾向が高いようです。同様に、年を「取る」というと、「ジェンガ(R)」のブロックを一本一本引き抜いていくような、あるいは死神から“若さ”を少しずつ抜き取られているような、そんな気分がつきまとうのではありませんか。年を「経る」というと、歳月という名のボーダーラインを大きくまたいでしまい、楽しかった“あのころ”にもう戻れないことに気がついて、すごく胸が苦しく、悲しい気持ちになると思います。年を「重ねる」というと、一年経つごとに、天から鉄板や重石が降ってきて、あなたの頭上にズッシリとのしかかり、今にも押しつぶされるような気分になるかもしれません。 こんな風に、年のことを考えるたび、毎日気が滅入ってきて、ぶつくさ文句を言ううちに、やがて年齢の話題そのものがタブーになっていく。俺は年を取らないぞ。俺だけは特別なんだ。――まるで、自分にそう言い聞かせているかのように。 ことに、“美”を追求する女性陣はこのことに無関心ではいられないでしょう。しかし、美しさにすがりつくあまり、視線が野獣のごとくギラついている女性におびえている男性たちがいることもまた事実です。そして誰もが、口をそろえてこういいます。「ああ、また一年、年を食った。 俺はこのまま、平社員で終わるんだろうか?」「いやだわもう、また誕生日なんて。 彼氏もできないのに、これ以上、年なんて食いたくないわ!」けれども、私たちは「現実世界」の「人間」です。ネバーランドに住んでいる、ピーターパンではないのです。中つ国のはずれに暮らす、美しく聡明なるエルフの方々とも違うのです。正直、私だって、老いたくも死にたくもありません。もし許されるのなら、不老不死の秘術がほしいとか、仮面ライダーや、サイボーグ009のような改造人間になりたいとさえ思います。ですが、「老い」と「死」はどうあがいても不可避です。そして私たちは知っています。だからこそ、人は生きていけるのだと。限りある命だからこそ、人は輝けるのだと。実りある家族の晩餐を照らす、燭台の上の一本のろうそくのように。火中に投じることで閃光を放ち燃え上がる、マグネシウムのように。空気に触れて激しく燃焼する、ナトリウムのように。 そこで、どうせ年齢がかさんでいくのだったら、せめて「表現を変えてみましょうよ」というのが、今回の話です。たとえば、「年を食う」という表現を、別の表現に変える。あるいは、「年を食う」という言葉に対する“イメージ”そのものを変える。まずは、言い方を変えてみましょう。 年を「取る」というと、何だかムシキングカードやポケモンカードがベンダーから出てきて、それを“取って”集めているような感じがします。神様のところから、年に一回だけタダでもらえる「年齢カード」を引いて、それをストックしていくような感じです。これを毎年ためていくと、死んだときに、集めた枚数に応じて「何がもらえるんだろうか」とワクワクしてきませんか?おじいちゃん、おばあちゃん、めっちゃお得ですよね。葬儀に参列者がいっぱい来て、大きなお墓まで建ててもらえた人は、きっとゴールドカードやレアカードを手に入れた人かもしれません。 年を「経る」というと、人生の道路や航海図の上に、子午線や日付変更線みたいなのがあって、それをまたいでいるような感じがします。まるで、人生という冒険の目的地で得られる「財宝」を目当てに、航海を続けている海賊のような気分です。そう考えると、「人生の“海賊王”」を目指してみたくなりませんか?新しい国や、未開の地へと足を踏み入れるのが、そして仲間と出会い、旅をするのが、何だかとても楽しくなります。そしたら、今わの際には、子供や孫にこう言ってやりましょう。「おれの財宝? 欲しけりゃくれてやる。 ……探せ! この世のすべてをそこに置いてきた!!」 年を「重ねる」というと、自分の人生が真っ白な原稿用紙につむがれて、ペーパートレーの中に折り重なっていくような感じがします。そう、あなたは自分の人生をプロデュースするクリエイター。いつくるか分からない“締め切り”と斗いながら、毎年一枚、神様兼編集者に原稿を渡していくのです。人によって、シーズンによって、びっしり書き込まれた原稿もあれば、白紙の中央にどーんと一行、大きいコピーを書いただけのものもあります。文字の代わりに、絵や五線譜を描いている人もいます。筆やサインペン、クレヨン、デザインマーカーを使った人もいるでしょう。さらに、途中で紙の色や質感が違う人もいます。いずれにしても、オチはまだ見えてきません。……なんだか、大作を書き上げてみようという気がしてきませんか?いつの日か、最後の一枚が投じられ、原稿がトレーの中を満たしたとき、あなたの物語はどれほどの厚みを持つのでしょう。その原稿に目を通した読者は、学び、胸打たれ、感動し、励まされ、エンディングのラストシーンに涙してくれるでしょうか。 ――別の言い方というのは、まあこんな感じです。言葉自体は元からあるものですが、その定義が違います。同じ言葉でも、こうして再定義すると、何だかとても美しいもののように思えてきませんか? このことを踏まえて考えると、年を「食う」ということは、暴飲暴食で大量の“まずい時間”を食いつぶすだけの「大食家(グラトン)」であってはならないわけです。どのみち、毎年食べなくてはならないのですから、どうせだったら、おいしいものを食べましょう。 成功者というのは、人生において“おいしい時間”ばかりを食べてきた、まさしく時間の「美食家(グルメ)」であるともいえます。特にアンドリュー・カーネギーやナポレオン・ヒル、松下幸之助なんかは、“おいしい時間”をたらふく平らげた「美味しんぼ(グルマン)」です。時間の味わい方に関していうなら、北大路魯山人といい勝負です。 だから時間は、お茶漬けや重湯(おもゆ)のようにサラサラと流し込んではダメなのですよ。また、おなかが膨れるほどに詰め込んでもダメなのです。少し歯ごたえのあるものを、ゆっくりと、よくかんで、じっくり味わいましょう。かみしめているうちに、やがて、じんわりと素材の甘みや旨みが引き出されてきます。 そうです。正しい「年の食い方」とは、ゆっくりと味わうように年齢を経ていくものなのです。どんなに生き急いでも、夢を哀れみ、肩を抱きしめてくれる人がそばにいるとは限りません。スローなブギを求めるなら、等しく流れる歳月を、ともに分かち合える人がいなくては。それは親友でも、伴侶でも、家族でもいいのです。 どのみち年を取るのなら、日ごとに刻まれゆくシワにおびえるのではなく、美しくゆっくりと年を重ねていきたい。最近は、そんな風に思うのです。 そうは言っても、やはり気になります、アンチエイジング。今回はXデーを祝っていただきどうもありがとうございました。うちの家族も祝ってくれましたよ。てなわけで、今回はこんなところで。それでは。 m(_ _)m
2006.06.20
「テポ●ン娘」 テポドン娘〔「ワンサカ娘」(レナウンCMソング)のふしで〕♪米朝間に冬が来りゃ イェイェイェイェイイェイ イェイェイェイェイ 将軍様のひと声で イェイェイェイェイイェイ 「万歳(マンセー)!」 テーポ●ーン テ●ドン ●ポドン テポド●娘だ おしゃれでシックなテポ●ン娘だ ワンサカ ワンサカ ワンサカ ワンサカ イェイイェイ イェイェイ~♪もしかすると、このネタ(↑)で、命を狙われるかもしれません。船沢です。 m(_ _)mそれにしても、いつも思うのですが、「文章を書く」というのは、なかなかに大変なものです。テーマ(ネタ)しだいでは、ほとんど脊髄反射で書ける場合もあれば、十分に調べ物をしたり、構成や表現を吟味しないと公表することさえはばかられるときもあります。まあごくたまに、そんなのどうでもよくなってる場合もありますがね。 中でも厄介なのが、「ターゲットの裾野がやみくもに広がってしまったとき」です。よく「万人に受ける」ことを目指す商品やコンテンツ作品を作る方が多くいますが、そんなことは実質的に不可能です。仮にできたとしても、水や空気のように無味乾燥で、とても多くのファンを獲得できるとは思えません。ドキュメント(文書)というのは、「誰に向けて、何を書くのか」が重要なのです。そうすると、必然的に、考え方の合わない人や、知識不足で置いてけぼりを食う人が出てきます。何事においても「個性」というのは、図形パズルのようなもので、角やへこみの形が合うものもあれば、逆にぶつかったり、スカスカだったりして合わないものもあるものです。マーケティングやセールスプロセスでもそうですが、その“はじかれた人々”を、意識して切り捨てるか、多少無理してでも拾うかによって、コンテンツやブランドの“質”は大きく変わってきます。 たとえばこのサイトも、本来のターゲットは団塊ジュニア世代の「ビジネスマン」と「おたく」なのですが、予想外に読者の裾野が広がってしまった(自業自得)ため、今度はいかにして「“カタギの衆”を巻き込むか」にも腐心しています。普通なら、「このネタについて来られない人はお断り」というように、“一般人”に対して排他的な姿勢をとるものです。「この“道”を分かっている人だけにサービスしますぜ」みたいな。おたくだけでなく、ビジネス(特に技術系)や学術の世界でもそうです。すると、こういう人たちを中心にして、閉鎖的なコミュニティがつくられます。でも、そういう場では“シャバ(外界)”の空気を吸わないため、往々にして新しい発想が生まれにくいのが難点です。 しかし当サイトでは、比喩表現や注釈などをフルに使って、逆に“一般人”を「啓蒙」するというスタイルを選んでいます。先の例で言えば「拾う」方をとったわけです。しかもただ拾うのでなく、徐々にビジネスマインドやおたくマインドを植えつけ、“即戦力”(←何のだ?)へと仕立て上げるというおまけつきです。「普通の主婦が、亭主や子どもの使っている言葉を理解できたら、なんだか楽しい」ということもありますが、むしろ単純に「話の分かる同志(眷族)が増えるとうれしい」というきわめて私的な理由もあります。お店にたとえるなら、「素人さんお断り」の看板を出して追い返すのではなく、知らずに入ってきたお客にも、自分の店の流儀や作法、歴史や知識などを教え、しっかりと学んで帰っていただく。最初は別に何も買ってくれなくてもよろしい。もしお客がその店に惚れたら、必ず次も話を聴きに来ます。そうやって何度も教わっているうちに、「おやっさん、これちょうだい」となる。そうしたらそのお客はもう、そのお店の“弟子”ですよ。まあこのプロセスは、小阪裕司先生の「ワクワク系」ではすでにおなじみのものです。 といっても、最初から狙ってやっていたわけではなく、「どう考えてもおたくじゃなさそう」な読者が意図せず増えてしまい、追い返すわけにもいかなかったので、いちいち説明をつけるようになったのがそもそもの流れ(というか、運のつき)です。まったく、お人よしにもほどがあります。 で、せっかくなので、そんな“想定外”のかたがたにも、イフリートと「ミリオンアート研究会」(仮称)のノウハウや研究事例、マインドセット(考え方)を学んでいただこう、という羽目になってしまいました(すでにそうなってます)。いわば「一億総実業人化計画」であり、「一億総おたく化計画」ともいえます。 なぜそんなことを考えているのかというと、この日本は、今までどおりやっていたら、10年もしないうちにグダグダになってしまうからです。(※その衝撃の詳細は、神田昌典先生や大竹愼一氏の著書をご覧ください)私見ですが、自給できる資源に乏しいわが国では、産官学農、あらゆる業種業態がこのマインドを取り入れ、活用しない限りは、将来の発展に至る道はない、とまで考えています。わが国はおたくメディアを製作・販売・輸出して内需を広げ、消費を喚起し、外貨まで獲得する「コンテンツ立国」となるだけでなく、閉塞感のある旧来の「ものつくり立国」もまた、おたくやビジネスエリートの最先端ツールやマインドセットを導入して“進化”していく必要があるのです。つまり、「製造業も農業も、観光業界ですら低迷している日本には、もはや“おたくネタ”しか残されていないのだから、もうそれで行こうよ」ってことです。 そのうち、町工場や農家を舞台にしたマンガやアニメが登場して、将来、その道を目指す若者が増えたりなんかするかもしれません。それはそれでまたラッキーな話です。たとえば町工場マンガで、「おおお、このフライスさばき……まさに神業だ!!!」「ボール盤の動きが見えない! いったいいつ穴を開けたんだ?!」「なんだこのアクリル什器は?! 今まで見たことのないデザインだ!」とか。農業マンガなら、「いいか。大根てのはなぁ……、こうやってつくるんだよッ!!」「この土…………哭いている!」「おまえには聞こえないのか? この野菜たちの悲鳴がッ!!」とか。……う~ん、ちょっと見てみたいかも。いかがですか、週刊少年誌編集部の皆さん?特に、その方面に実績のある『少年マガジン』あたりがやりそうな気が(笑)。 閑話休題。とにかくまあ、このようにして皆様を、“おたくの道”、略して「ヲの道」へと引きずり込んでいくわけです。「尾道」といえば、大林宣彦監督ですが、「ヲの道」なら、船沢荘一ということで。「書くのが大変」とかぬかすわりには、3時間でできてしまいましたが(しかも強引に話をつなげる力技込み)。別にそこはマネしなくてもいいです。っつーか、何だこの「ヲの道」って(笑)。どうやら「おこさま向けコンテンツ」は、まだまだ先のようです。それではまた。m(_ _)m
2006.06.17
シンドラー社のエレベータで、人が死んどらー!!(不謹慎)……船沢です。 (((((゚Д゚;)))))) ガクガクブルブルのっけから神をも恐れぬ所業をかましていますが、今回は当サイト内でもひそかに宣伝しているあのソフト、『StringCounter』をご紹介します。 この『StringCounter(ストリングカウンタ)』とは、アートワーク中心のサイト「Lots of LEMONs」と、ゲーム系フリーフォント&イラスト「Unfinished Globe」を主宰されている、D.O.D.氏が開発されたフリーソフトです。 まずは、こちらのスクリーンショットをご覧ください。(画像をクリックすると別窓で拡大します)何か、見慣れないメモ帳……のようなものが写っていますね。実はこれこそが、かねてから私がオススメしている超絶便利ソフト『StringCounter(ストリングカウンタ)』なのであります。 何が便利なのかってえと、これはその名の通り、“文字列の字数を数えることができる”という、実にありがた~いソフトなのです。 たとえば、皆様もご承知の通り、ブログの記事やBBSなどの投稿には、「一度に使用できる文字数の制限」がつきまといます。そのため、せっかく気合を入れて書き上げた文章を、泣く泣く削らなければならない羽目に陥る状況が、多々発生します。 実はこの「文字数」とは、“半角文字に直したときの文字数” すなわちデータ量としての文字数 = 「バイト数」を指しています。この中には、ホームページの装丁を構成する、HTML(HyperText Markup Language :すごい文章の目印言語)の命令文「タグ」も含まれています。ソースコード(プログラムの本文)を見たときに、コマンドを半角の山カッコ〈 〉で囲んである、例のアレです。 実は、このタグが意外と曲者で、「楽天広場エディタ」や「ホームページ・ビルダー」などで書いている場合、色をつけたり、改行やスペースの挿入などをしているだけでも、知らないうちに総文字数が増えてしまう場合があるのです。(※Windowsユーザで「楽天広場エディタ」をお使いの方は、 ためしに、通常の「エディタ」に切り替え表示してみてください)このことによって、たいした文章量でもないのに、たちまち制限字数をオーバーしてしまい、投稿した本人はなんだかよく分からないまま、文章の手直しを求められることがあります。HTMLを理解している手馴れた人なら、不要なタグを削ったり、短い字数で同じ効果を出すタグに取り替えたりできますが、ホームページやブログを始めたばかりの人にとって、それは少々難度が高く、根気の要る作業といえます。また、上級技として、特定の文字を表示させる「文字コード」があります。ページの本文に、“&n”で始まり“;”で終わる半角のコードを書き込むと、通常は命令文扱いされたり、無視される文字を表示させることが可能になります。しかし、当然ながら、実字数に直すと通常の4~5倍の文字数を消費するため、その分、文章の記述にも影響を与えかねません。 ちなみに「楽天広場」の日記の場合、文字量の制限は“半角で10000文字以内”となっています。前述のように、HTMLタグ込みの文字量ですので、実際に文章として書ける部分は、このうちのおよそ9割前後と見てよいでしょう。さらに、日本語の全角文字は“半角2文字分”に相当しますから、目に見える文字数としては、これよりさらに下回る可能性があります。仮に9割を、すべて全角文字で記述したとすると、実際に書ける字数はなんと約4500字にまで減ってしまいます。♪言いたいことも言えない こんな世の中じゃ……ではないですが、数字にだまされていては、書きたいこともおちおち書けなくなってしまいます。 そこで! ピカピカピーン!!チャチャチャチャッチャチャ~ン♪(音楽:菊池俊輔)『ストリングカウンタ』~!(大山のぶ代の声で) このソフト、使い方はとってもカンタン。しかも、手に入れたその日のうちに、スグ使える!《使い方》1)このあとのリンクからダウンロードしたあと、 昨日の日記で紹介した、 各種アーカイバ(圧縮展開ソフト)を使って解凍します。2)あとは起動して、 文字列をコピーするか直接入力し、 [Count!]ボタンをポチッと押すだけ。※上部のラジオボタンで、 「Letters」(文章としての文字数)と 「Bytes」(データとしての文字数)を 切り替えられます。詳しいことは、添付されている「readme.txt」を読んでね。《ダウンロードはこちらから》「StringCounter」(6.54KB)リンクを右クリックしてコンテキストメニューを開き、「対象をファイルに保存」を選択(左クリック)してね。 本日の記事の執筆に当たり、同ソフトの開発者であるD.O.D.氏から再配布の許可をいただきました。この場を借りて篤く御礼申し上げます。 m(_ _)m※現在、愛用者の皆様のリクエストに応え、新バージョンを鋭意開発中とのことです。完成時には皆様にもお知らせする予定となっておりますので、首を長くして待ちましょう。ちなみに昨日、風が吹きました。5月10日のアクセス数が、なんと開設時以来、最高記録の104アクセスを達成!いつも遊びに来てくれて本当にありがとう! \(ToT)/今回はこんなところで。それでは。m(_ _)m
2006.06.11
なんか韓国の2大人気映画が混ざったようなタイトルだな。(元ネタわかる?)船沢です。m(_ _)mおかげさまで、1ヶ月が勃ちました。じゃなくて、経ちました。皆様のおかげで、どうにか長続きしております。本当にありがとう。 m(_ _)mプレゼントといっては何ですが、今回は以前からのお約束どおり、私がいつも使っているブックマーク(インターネット ショートカット)の豪華詰め合わせを皆様にお届けいたします。 実は、全ファイルのサイズが2MB以上もあるため、一度にアップロードできませんでした。なので、一度、用途別に分類し、その上でLHA形式で圧縮をかけてあります。もし、お気に召しましたら、ご感想のひとつでもいただければ幸甚です。また「あのサイトはないのか」「これはいらんだろ」「リンクが切れてるよ」などのご意見もお待ちしております。リクエストしだいでは、改訂版を公開するかもしれませんよ。《使い方(Windows)》1)ダウンロードした圧縮ファイルを、解凍ソフトで 任意のフォルダ上に展開します。 ※展開先はデスクトップ上が一般的ですが、 ダウンロード専用のフォルダをつくってもよいでしょう。2)別のエクスプローラ(フォルダ ウィンドウ)から、 IEの「お気に入り」を開きます。 標準の場合、場所は以下の通りです。 C:\Documents and Settings\Owner\Favorites (※Ownerは任意のユーザ名になっていることがあります)3)展開済みのリンクファイル一式を「お気に入り」にコピーする。 無理に全部コピーする必要はありません。必要なものだけ、 移し替えるといいでしょう。《ふなしょんのお気に入り 豪華詰め合わせセット》リンクを右クリックしてコンテキストメニューを開き、「対象をファイルに保存」を選択(左クリック)してね。船沢荘一のお気に入り 詰め合わせ(標準セット)船沢荘一のお気に入り 詰め合わせ(ビジネス用)船沢荘一のお気に入り 詰め合わせ(おたく・娯楽・遊び用)船沢荘一のお気に入り 詰め合わせ(IT技術者・パソコンユーザ向け) 《圧縮展開ソフトあれこれ》これらの圧縮ファイルを解凍(展開)するには、アーカイバ(書庫ソフト)が必要になります。雑誌の付録についてくる無料ソフトを使うためにも不可欠なので、ぜひ持っておきましょう。圧縮解凍ソフト「+Lhaca」http://park8.wakwak.com/~app/Lhaca/Microsoft 圧縮 (LZH 形式) フォルダhttp://www.microsoft.com/genuine/offers/Details.aspx?displaylang=ja&countrycode=JPN&offerid=1c76bfa5-7f1b-420b-a8c0-eba75dd6c2bakMonos.NET(圧縮解凍ソフト「Noah」、アーカイバDLL自動取得「Caldix」)http://www.kmonos.net/今回のプレゼント、どうぞ末永くご活用ください。皆様からのご感想もなにげに待ってます。今回はこんなところで。ではまた。m(_ _)m
2006.06.10
ファイル交換ソフトは、落とさない、持たない、勧めない。この標語を守って、安全なインターネットライフを送りましょう。 というわけで、こむばむわ。船沢です。m(_ _)m読者の皆様も、ニュースなどで「ファイル交換ソフト」という名を聞いたことがあるかと存じます。でも、それがいかなるものか、よく分かっていないという方もいらっしゃることでしょう。下手をすると、「音楽ファイルや画像ファイルがタダで手に入る」という、とんでもない誤解をしている輩(特に若年層に多い)が増えているので始末に負えません(その誤解している連中が、今回の一連の悲劇に拍車をかけているとも言える)。というわけで、いまこのサイトをごらんのあなたが、そんな悲劇に巻き込まれないようにするためにも、ここでおさらいをしておくことにしましょう。 ファイル交換ソフト(ファイル共有ソフト)とは、その名の通り、ネットワークを介して、個人ユーザ同士のデータを交換するためのアプリケーションのことを指します。このソフトを介して、音楽ファイルや映像・画像ファイルがやり取りされているわけですが、もちろん、タダでというわけにはいきません。相手の持っているファイルを無償でダウンロードできる代わりに、自分の持つファイルを公開し、相手(もしくは誰か)に譲る必要があります。これこそが「ファイル交換」と呼ばれているゆえんです。このプロセスにあたって「共有フォルダ」を使用するのですが、LAN(局地的ネットワーク)内でなく、インターネットを経由して世界的に共有しているため、「ファイル共有ソフト」とも呼ばれています。ファイル交換ソフトには、専用サーバをホスト(親)サーバとして、ユーザのファイルリストをデータベース化し、ホストサーバが専用ソフトを組み込んだユーザ同士を仲介する(リストから目的のファイルを見つけたら、P2P〔Peer to Peer:一対一〕接続に切り替わる)「中央サーバ型」と、専用ソフトを導入済み、かつログイン(接続)中のユーザ同士を探索し、終始P2P接続してデータのやり取りを行う「純粋型」の2種類が存在し、それぞれ一長一短があります。中央サーバ型は、トラフィック(データの交通量 = 通信量。混雑すると通信速度や品質が低下する)の心配をしなくてすむ代わりに、サーバダウン(停止)してしまうと機能がストップします。一方、純粋型交換では、一度に多数の利用者が同時にログインしていると、トラフィックが混雑し、通信品質が低下しますが、ユーザがお互いを接続する方式のため、通信障害は問題となりません。万が一、相手方のPCを認識・接続できなかった場合は、別のユーザを探しにいくだけのことです。中央サーバ型ソフトの代表格は、1999年に発表された古参「Napster(ナップスター)」や、その後継ともいえる「WinMX」が有名です。また純粋型には「Gnutella(グヌーテラ)」や「BitTorrent(ビットトレント)」、WinMXを超える意味で命名された「Winny(ウィニー)」があります。(※「MX」のアルファベットをそれぞれ1字ずつ後ろにずらすと「NY」。 つまり WinMX → WinNY → Winny となる)このうち日本国内では、WinMX とWinny がもっとも一般的に普及しているとされています。このように、ファイル交換ソフトとは、ごく大雑把に言うと、個人間での貸し借りや交換、又借り・又貸しなどが、インターネットを介し、全世界規模でできてしまうという、とんでもないソフトなのです。では、これらの一体何が問題なのか? その第一の問題は「セキュリティの脆弱化」。それも、ユーザの不注意から、ほんの2アクションで、あなただけでなく、家族や職場のパソコンまでもが「ザル」と化してしまいます。ファイル交換ソフトが扱えるのは、実は映像や音楽のデータだけではありません。ソフトにもよりますが、これらは正規のデータファイル(.jpg、.wma、.mp3など)や圧縮ファイル、自動実行形式の圧縮ファイル(.exe)を扱うことができます。なんとなく気づいた方もいるかもしれませんが、拡張子さえ書き換えれば、事実上、どんなファイルでも流通が可能です。さらに実行ファイルについて言えば、外見上は「圧縮ファイル」なのか、「アプリケーション ソフト」なのか、区別がつきません。……はい、ここまで書けば、もうわかりますよね。これらのファイルを知らずにうっかり実行してしまうと、ウィルスソフトやスパイウェア、マルウェアなどが展開・起動し、あなたのコンピュータのデータを改ざん・破壊したり、背後でデータを勝手に収集・流出させるなど、既知あるいは未知の脅威にさらしてしまう場合があるのです。多くの場合、ファイルの名前にだまされ(有名人の名前やエッチな単語など、ユーザの大半を占める男性の興味をそそる仕掛けになっている)、「そうとは知らずにファイルを開いてしまった」粗忽な連中が、一連の悲劇の引き金となることが多いようです。ことに、もっとも厄介なのが「自己増殖型ウィルス」と呼ばれるもので、実行すると、上記のプロセスを背後でこっそりと行うだけでなく、自分の"クローン"を生成し、電子メールやフォルダ共有、リモート接続などを介して次々と眷属 = "感染者"を増やしていくのです。 もうひとつの問題は、データの流出・収集がもたらす、「知的所有権の侵害」です。もし、これらのソフトを使ってダウンロードしたファイルが、著作権・肖像権・商標権・知的所有権などを侵害するもの(つまり、違法にコピーされた)であった場合、ダウンロードしたり、持っているだけでも犯罪になります。実際に、ソフトの利用者および開発者が、著作権法違反などで逮捕されるという、大きな事件にまで発展しました。 さて、このファイル交換ソフトによる情報流出・改ざんなどの被害。報道でもご承知の通り、民間企業・官公庁などでも、大きな問題となっています。こうした問題が起こる最大の要因は「リスクに対する認識不足」と「公私の境界のあいまいさ」、これに尽きるでしょう。簡単に言うと、パソコンの運用状態がきわめて杜撰(ずさん)なのです。当該のパソコンは、だいたい、こんな形で運用されていました。1) 私物のパソコンを、仕事先でも使っている。2) 職場から支給・貸与されたパソコン = 「俺のパソコン」と勘違いしている。おそらく、社長も役員も、管理職も忙しかったのだと思います。忙しさにかまけて、勉強をしてこなかったのかもしれません。あるいは、「うちには関係ない。そんなこと、起こりっこない」と、高でも括っていたのでしょうか。ともあれ、そのことで、取り返しのつかない事態へと発展する可能性があります(もしくは、すでにそうなっている)。組織のトップや現場リーダーが、もう少し早くことの重大さを知っていれば、悲劇を未然に防ぐことができたかもしれないのです。こんな感じですが、ファイル交換ソフトの恐ろしさ、理解していただけましたか?では冒頭の標語を、確認のためにもう一度。ファイル交換ソフトは、絶対にネットワークから落とさない(ダウンロードしない)。ファイル交換ソフトは、たとえ友人・家族から勧められても、絶対に持たない。ファイル交換ソフトは、感染の拡大を防ぐためにも、絶対に他人には勧めない。以上の標語を守って、楽しいネットワークライフをお過ごし下さい。※ただ、個人のパソコンで、一般回線を介し、私的にやり取りする分には、ファイル交換ソフトは「便利」であるともいえます。何より、探しても見つからなかったレア(稀少)な映像・音楽がデータ化され、出回っていることを考えると、その有用性も理解できます。違法なデータを入手してパンダ車のご厄介になったり、「お宝ファイルだと思って、ウィルスファイルを開いてしまう」愚行をやらかさない限り、使う人によっては、パソコンライフを楽しくする一品といえるのではないでしょうか。(と、やんわり擁護派もフォローしてみる)けれども、念を押しますよ。仕事で使うパソコンには、絶対に導入しないでくださいね。今回はこんなところで。ではまた。m(_ _)m
2006.06.08
こんばんは。思考は水平でも、経済的に傾いている、船沢です。m(_ _)m当ブログの読者の皆様はすでにご承知でしょうが、中津川市(岐阜)でワクワク系ごほうびショップ「ほっとはーとやまだ」を経営しておられる、山田さんという方がいます。そんな彼女と肩を並べて斗う盟友が、同店の公式ブログ上でもすっかりおなじみとなった、店員の熊谷さんです。ご覧になった方はご存知かと思いますが、熊谷さんはやまださんですら思わず首をひねってしまうほどの、強烈なジャンプシンキングの持ち主としても知られています。 かねてよりの腹案が、周囲には「突然降って湧いたアイディア」に見えてしまう、松下幸之助や井植歳男(三洋電機創業者)らとは別の意味で、発想力が豊かであるといえるでしょう。(……というか、飛びすぎ?)ところで「ジャンプシンキング」とは、パスメディアの主藤孝司会長兼CEOが、自著『お金がないから成功できる「波乗り」経営』(フォレスト出版)にて提唱している、柔軟な思考プロセスです。その思考モデルは直線的ではなく、並列的・感覚的で、問題の定義(入力)から導き出される結果(出力)までのプロセスが飛躍しているのが特徴です。(つまり、どう考えてその結論に至ったか、本人もうまく説明できません)一般的には非連続・非論理的・非常識・支離滅裂といった言葉で表現され、論理的・直線的な思考である「チェーンシンキング」とは対極でありながら、いずれか一方に偏ると、戦略として機能しない"車の両輪"でもあります。一方、最近では現代人の論理力・思考能力・説明力などの貧困化から、前述の「チェーンシンキング(連鎖思考)」や「ロジカルシンキング(論理的思考)」を学ぶための書籍が、次々と刊行されています。しかし、先にも言ったように、論理的な思考と並列的・非論理的な思考は、隣り合わせの関係です。論理的な考え方を学ぶことで、確かに説明やプレゼンはうまくなるでしょう。プロローグからエピローグまで、きちんと筋の通ったドキュメントが書けるようになるかもしれません。けれども、古来より日本人がもともと持っていた、美しい感性や着眼点とか、大胆な発想力などが損なわれてしまうのではないかと、少し心配です。実はジャンプシンキングを唱えた主藤氏からさかのぼること40年近く前、同様の思考法を提唱した科学者が、すでにイギリスに存在していました。そこで今回の一席。皆さんは「水平思考」という言葉をご存知でしょうか?50代以上の技術関係者、および彼らの薫陶を受けた方なら、一度は耳にしたことがあるでしょう。若い方(俺含む)は知らないでしょうが、当時はこの言葉が大変なブームになったものです。水平思考は、脳科学と情報処理の権威である、医学博士エドワード・デ・ボノ氏が提唱した思考概念のひとつで、1967年に発表された著書"NEW THINKING"によってその名を知られることとなりました。その後、1969年に同書の日本語版『水平思考の世界』(講談社)が発売されるや、効率重視主義(いわゆるモーレツ)に反発するビジネスリーダーやエンジニア、知識人を中心にベストセラーとなり、国内には「水平思考ブーム」が巻き起こりました。そして現在、水平思考や「シックスハット(6つの帽子)」などの思考ツールは、これまでに34言語に翻訳され、52カ国で発表されています。《公式サイト(英語)→ http://www.edwdebono.com/》(※現在、単行本は絶版状態で、古書店でも発見は困難と思われる。のちに同書は1971年に講談社ブルーバックスから新書版として再発表。ちなみに船沢は何の因果か、新書版第1版を所有している。)ファミコンやゲームボーイ、「ゲーム&ウォッチ」を開発・設計し、画期的な入力デバイス「十字キー」を発明したことで知られる伝説の技術者、故・横井軍平氏は、デボノ博士の熱心な信奉者としても有名で、自社で開発されたゲーム機以前にも、数々のヒット遊具を水平思考によって生み出し続けました。生前、ことあるごとに口にした「枯れた技術の水平思考」という名言は、氏の思想を端的に表現しているといえます。つまり、すでに完成された古い技術、当たり前となって久しいノウハウを、まったくの異分野・異業種で活用することで、画期的で役に立つ商品が生まれる、と。たとえば「ゲーム&ウォッチ」も、当時の電卓ブームに乗って余ってしまった液晶画面を、「ゲーム機の画面として活用する」という水平思考的発想から生まれたものです。そして、あの「十字キー」も然りです。スティックではコストがかかるし、方向ボタンを4つつけたのでは操作性が悪い。"なら、最初から4方向入力できるひとつのボタンを作ればいい"もしこの発想がなければ、ゲーム業界の発展はあと30年遅れていたでしょう。本書の発表される以前、1960年代の米国では“科学技術”が礼賛され、論理的・直線的な思考(デボノ博士は「垂直思考」と呼称)による、発想力の低下・硬直化が深刻な問題になっていました。たとえばホバークラフトの技術そのものは、実にシンプルで古典的です。なのにどういうわけか、実用化されたのは航空機よりもずっと後の、戦後になってからでした。技術者たちは視野が極端に狭くなりすぎて、「真下に風を送れば地上から浮いて走れる」という単純な発想にすら気づけなかったのです。デボノ博士は、脳医学および哲学の観点から、この問題に一石を投じました。論理的な垂直思考は、ひとつの事柄について、穴を深く掘り下げていくようなものです。しかし、掘りすぎてしまうと、なかなか次の新しい穴を掘ることができません。これに対し水平思考では、同時並行的にいくつもの穴を掘っていきます。もし宝の脈(問題解決策や解答)があるとわかれば、そこを深く掘ればいいし、掘削のパフォーマンスを高めるために、いくつかの穴同士を横穴で結ぶこともできます。 では、あまりにも有名な、水平思考の実践例をひとつご紹介しましょう。 昔、ロンドンのある商人が、年老いた醜い金貸しから高額の借金をして、頭を抱えていました。 あるとき、この金貸しのじじいは、まだ10代の美しい商人の娘に目をつけました。「おまえさんのそのべっぴんな娘を、わしに譲ってはくれんかね。 そうすれば、おまえさんとこの借金は帳消しにしてやろう」 途方にくれた商人に、ずるがしこい金貸しはひとつの提案を持ちかけます。「そうじゃな、それではおまえさんもかわいそうじゃて。 よろしい、では運を天に任せるとしよう」 そういって金貸しは、財布に白黒ひとつずつ、2個の小石を入れたくじをつくりました。「よいかね、娘さん。おまえさんにはいまから、この中の小石を引き当ててもらおう。 どちらを選んでも借金は帳消しにしてやるが、もし黒い小石を引いたら、おまえさんにはわしの嫁になってもらう。 しかし逆に、もしおまえさんが白い小石を引いたら、いままでどおり、親父さんと一緒に暮らすことを許してやろうではないか。 それができんのなら、いますぐに耳をそろえて払ってもらおう」 もし、この勝負を拒否すれば、父である商人は監獄送りにされてしまいます。 当時のロンドンは、借金を返せないと、問答無用で逮捕された時代だったのです。 商人は仕方なく、この賭けに同意しました。 金貸しは地面から小石をふたつ拾い、大きな革の財布に入れました。 ところが、娘は見てしまったのです! 金貸しが、ふたつとも黒い石を入れているところを……!「さあ、準備はできたぞ、おまえさんがた。いますぐ、小石のくじを引くがいい」 そういって金貸しは、商人と娘に迫りました。ここでデボノ博士は、あなたに問いかけます。さて、もしあなたが娘だったら、あるいは彼女に助言できるとしたら、いったいどうしますか?垂直思考、つまり論理的な考えでは、以下の3通りの結論を導き出すことになるでしょう。「石を選び、くじを引くこと」を拒否する。財布の中身を空け、金貸しのインチキを暴く。勝負をあきらめ、父のために金貸しに身を売る。しかし、これらの方法は彼女にとってなんの役にも立ちません。この場合においては、「必ず色を選び、くじを引かなければならない」という行為にこだわってしまっています。これに対し水平思考では、視点の角度を変え、小石そのものに目をつけます。では娘がどうなるか、続きを見てみましょう。 娘は財布から小石を取り出しました。 ところがなんと、彼女はその色を確かめる前に、ぽろっと地面に落としてしまったのです。 小石はそのまま、庭の敷石にまぎれてしまいました。 おどろく金貸しを前に、娘はあっけらかんとして、こういいました。 「あらまあ、わたくしって不調法ね。でも大丈夫ですわ。 お財布の中に残った小石を見れば、いま落とした小石の色がわかりますものね」 これを聞いた金貸しは、ぐうの音も出ませんでした。 財布の中には黒い石が残っているので、必然的に引いたのは「白い石」ということになってしまいます。 それにいまさら「両方とも黒だった」と不正を認めても仕方ありません。 金貸しはしぶしぶ負けを認め、娘は嫁入りをまぬがれることができました。 そして商人の借金も帳消しになり、娘と一緒に暮らすことができたのでした。実はこの方法だと、金貸しが正直者だった場合に比べ、ずっと成功する確率が高くなります。正直金貸しの場合、財布には約束どおり、白と黒の小石がひとつずつ入っているので、当たりを引き当てる確率は五分五分、つまり50%です。が、リスクファクターそのものを排除し、悪徳金貸しの不正自体を"うやむや"にする上記の方法では、勝率はなんと100%となります。引いたはずれくじを証拠隠滅し、残ったほうが"はずれ"と規定してしまえば、当然、娘が"当たり"を引いたことにせざるを得なくなるからです。 行為や行動ではなく、アプローチそのものを変える。押してもだめなら、引いてみる。別なものを流用してみる。最初からやらなくてもすむ方法や、無効にする方法を考える……。これが「水平思考」です。青い地球の水平線に、誰かがきっと待っている。それではまた。 m(_ _)m
2006.06.05
『キャプテン翼』に出てくる「南葛市」が実在すると思っていたやつ、手を挙げろ! (゚o゚三゚o゚) ……あれ、誰も挙げてないぞ。もしかして、俺だけ? 伊豆の極上わさびを使った「サビの握り」が食べてみたい、船沢です。m(_ _)m最近、なんだか静岡方面の読者が多いなと感じてきたので、今回は「静岡県」をフィーチャー。……いや、「チャフィー」じゃなくって(笑)。お茶とうなぎ、わさびの産地として知られ、有数のサッカー王国でもある静岡県。古くから江戸(東京)と名古屋、加賀(金沢)を結ぶ交通の要所として栄え、また富士山や熱海、浜名湖などを擁することから、観光の拠点としても大きく発展を遂げてきました。さらに山間部の伊豆高原を背にする一方、開けた沿岸部には焼津港があり、かつおをはじめとする魚介類の産地としても知られています。海の幸と山の幸に恵まれ、交通の便もよく、 中央集権型の都市とはまた異なる「何でもあり」の街、それが静岡なのです。 ところで、地方から発信され、一気に全国区に広がって、高い認知度や人気を得た商品ってありますね。ご当地ラーメン、スープカリー、もつ鍋、本格焼酎……。では、当初から全国展開を視野に入れて開発される商品の場合、真っ先にモニタリングテストに選ばれる地域って、どこだか知ってます? そう。静岡県を中心とする、東海エリアです。それはなぜか? 前述のように、静岡は古くから交通と観光の拠点として発展してきました。いわゆる「ハブシティ(車軸都市)」です。そうすると、方々(ほうぼう)から人々が大勢やってくるわけですが、当然、考え方も、味に対する好みも違います。一般に、関東以北は土壌にミネラル分が多く、それゆえに水も「硬水」で、野菜や魚を煮ると味が負けてしまう。また、温帯湿潤気候の特徴を色濃く持つ土地柄ゆえ、夏場は蒸し暑く、発汗量が増えるため、ナトリウムやカリウムなどを摂取し、代謝をコントロールしなくてはならない。そこから、しょうゆやみりん、塩を使った、濃厚な味付けの料理が発展してきたとされています。たとえば、煮付けやおでん、江戸前そば、寒干し、塩蔵による発酵食品(塩辛やぬか漬けなど)といったものです。反面、冬場は降雪量も多く、日照時間が短い、寒冷な気候となる。すると発汗量が低下し、さらに体内の熱産生のためにエネルギーを大量に消耗します。事態の打開のためには、温かいものをたらふく食べたい。しかし、調理に使う光熱費は節約したい……。このことから、囲炉裏や焚き火でも調理が可能で、器具も少なくて済み、多人数でも量を多く食べられる料理法、すなわちエネルギー源となるでんぷんや脂質、アミノ酸やビタミンを、汁ごと温かいまま摂れる、鍋料理が生まれました。一方、関西では土壌に石灰質などが多く、ミネラル分が濾過された「軟水」が採れる。そのまま飲んでも味気ないが、お茶を淹れるのに最適なだけでなく、料理に使うと、野菜や白身魚がおいしく感じられることがわかった。これなら、わざわざ調味料で、味をごまかす必要もない。それに、関東に比べると気候も安定しており、あまり塩辛いものを食べたくならない。そこで、塩分を控え、濃厚なだしを効かせた、素材の持ち味や彩りを活かす料理が発展してきたといいます。お吸い物や関西風うどんなんかは、まさにそのものですよね。言い換えるなら、関東以北は「塩としょうゆと鍋(=濃味)の文化」であり、関西以南は「だし(=薄味)の文化」だといえます。ということは、静岡の旅館や食堂は、この両者の味覚を満足させることのできる、中間的な味の料理を作らなければならない。もし、このハイレベルな要求に応えられなければ、旅人たちはこの地を素通りし、街はたちまち寂れてしまうでしょう。塩辛くてもダメ。淡白では味気ない。でも、だしはきっちり効かせなくては。それでいて、万人に好まれる、この地だけの「売り」も必要だ……。かくして静岡の料理が独自の進化を遂げ、同時に味覚やパラダイムが均質化していったのは、むしろ当然の流れといえます。スピードとパフォーマンスを両立させるために開発された調理技法、いわゆる「熱海の煮米」なんかは、その際たるものでしょう。そうです。もうお分かりですね。関東・関西・北陸の中間地点に位置し、モノや味覚に対する好みも中立的な静岡県の人々は、まさに新製品のモニターとしてはうってつけなのです。言い換えれば、「静岡人を満足させることのできた商品は、全国どこでも売れる」ということになります。全世界に向けたトレンドは、中央都市である東京・名古屋・大阪・京都から発信されます。しかし、国内に通用する――国民の"文化"を左右する日本のトレンドは、ここ、静岡から生まれているのです。…………なんだかすごいぞ、静岡!ああ行きたい。静岡に行きたい。新鮮うなぎの白焼きを食うために。今回はこんなところで。ではまた。m(_ _)m
2006.06.03
♪昔アラブのえらいごぼうさんが~ (惜しい) 船沢です。昼飯まだです。 m(_ _)m いま、これをごらんになっているあなたは、どこでこれを読んでいますか?会社のデスクですか。それともお茶の間。あるいは自分の部屋ですか。そして、いつも何を飲みながら仕事をしていますか。というわけで今回は、あなたのビジネスやプライベートのお供「コーヒー」について一席。 じつは私、無類のコーヒー好きなんです。もしかすると、これをごらんになっているあなたもそうだと思いますが。どのくらい好きかというと、「血管の中にコーヒーが流れている」と揶揄(やゆ)されている、ウォール街のビジネスエリート並みに好きなんですな。あるいは、10年以上前、シアトルで女性変死事件を追っていた某刑事(笑)と同じくらいに好きだともいえます。そう、「双子の丘」がある、ひなびた町で起きたあの事件ですよ(このネタがわからない人は、洋画ファンや海外ドラマファンにでも訊いてみてください)。まあとにかく、そのくらいにコーヒーが好きだっつうことで。 私は基本的に、どんな種類の豆でもOKです。何しろ、あれこれ試してみたいお年頃ですから(笑)。定番はモカ系とキリマンジャロ系ですかね。おかわり用として常用するなら、できるだけクセの少ない種類の豆でブレンドしたものがいいですね。起床時や残業・徹夜には、酸味と苦味のあるキリマンジャロのシングルコーヒーをきゅーっと一杯……。え、ブルーマウンテン? ……高ぇよ!もちろん、レギュラーコーヒーなど毎日淹れられるわけがない(っていうか面倒くさい)ので、普段はもっぱらインスタントコーヒーです。おかわりする人にとっては、便利ですよ、ほんと。そして......ここが重要。おかわりするときはブラックで!加糖だと、飲んでいるうちにだんだん口の中が砂糖でくどくなっていくんですよ。もう口内が砂糖でベタベタして、渇いた感じがするから、水や緑茶など、ほかのものが飲みたくなってしまうんです(いや、緑茶なども確かに好きなんですが)。だから、砂糖を入れるのは最初の1~2杯までで、2杯目では砂糖の量を半分に減らします。さらに3杯目からは4分の1に減らすか、あるいは完全にストレートにシフトしてしまいます。以前、コーヒーに砂糖をティースプーンで2杯以上入れている人を見たことがあるんですけど、「もう何考えてんの、信じらんない」って感じです。「おまえ死ぬ気かよ」と言ってやりたいですな。そりゃコーヒーじゃなくて、「コーヒー味の砂糖水」じゃねえのか?少なくとも、ギンギンに砂糖をブチ込んで飲む輩に、「コーヒー通」を気取ってほしくないですね。砂糖ブッコミ系が許されるのは、育ち盛りの子供のうちか、エネルギーを大量に消耗するスポーツアスリートくらいのもんです。よい大人はマネしないでくださいね。 ところで、コーヒーと砂糖……といえば、そう、アレです。イタリアが生んだ不世出の名作、エスプレッソコーヒーを忘れちゃあいけません。まあ、ぶっちゃけて言うと「濃くて少ないコーヒー」ですが。専用の抽出機に、これに合わせて挽いた豆をセットし、高圧のジェットスチームを当てて一気に成分を抽出するのですが、こうすることでコーヒーが持つコクや香り成分が、通常のドリップに比べて多く、濃厚に出てくるんです。しかも、ドリップよりも短時間でできてしまう。私たち日本人は、これをストレートで飲むものと教わっていますが、本国イタリアでは朝になると、ビジネスパーソンがカッフェ(イタリアでは「カフェ」をこう呼ぶ)に駆け込み、砂糖をブッ込んだエスプレッソをくいっと呷って、そそくさと出て行ってしまうのだとか。淹れるのも速けりゃ、飲むのも速い。"Espresso(イタリア語で「特急」を意味する)"という名前の由来がよくわかりますね。スキッとした苦味が眠気覚ましにもいいし、まさにビジネスパーソンの忙しい朝にピッタリです。 あと、最近ラジオの番組で知ったのですが、フランスにはアイスコーヒーがないのだそうです。もう文化的に、「コーヒーを冷やして飲む」という概念自体が存在しない。どこに行っても置いてなくて、まるで「ホットじゃなければコーヒーじゃねえ」と言わんばかりの扱いようですよ。アイスコーヒーだけに、冷遇されている……って、ちょっとシャレにならない事態です。今度の夏休みに、西欧にお出かけの方は注意してください。まあ、ほかの冷たいジュースとか、ミネラルウォーターならばあるかもしれませんが。そういえば、知ってました?コーヒーやお茶を飲みすぎると、腸の内壁が黒くなるんですよ。カップや湯飲みみたいに、渋がついて。 じゃ、今回はこんなところで。くれぐれも飲みすぎには気をつけましょう。ではまた。m(_ _)m
2006.05.31
ごはん食べてますか。船沢です。 m(_ _)mああそうでした。緊急のお知らせです。私ではなく、ある人がものすごくピンチに陥っています。演劇のメソッドを使って、リラクゼーションや子供たちへの「創造的な情操教育」を実践している、かめおかゆみこという方がいらっしゃいます。かめおか先生は、「かめわざ快心塾」を運営されている一方で、横浜市内の中高生による演劇集団「アースプロジェクト」の企画・運営にも携わっておられます。実は、近日海外にて開催されるそのアースプロジェクトの公演が、財政危機で中止になるかもしれないのです。(追伸:中止だけは現在のところないそうです。お騒がせしてすいません)詳細はこちらをご覧いただくとして、かいつまんで説明すると、予定では受けられるはずだった、行政や自治体からの助成金が下りなかった。そのため、このままでは海外公演が困難になってしまう……というものです。いつも思うのですが、お役所って、どうしてこんなにもアホなのでしょう。国民の血税を、建造物や、自分たちの飲み食い・贅沢に使うくらいなら、こういう、社会の人々の心を潤し、文化を育むための事業に使っていただきたいものです。……とグチを言っても仕方がありません。こちらが語気を強めても、連中が一銭も出しやがらないのなら、自分たちで何とかするしかないでしょう。そこで、当サイトをご覧の皆様にお願いがあります。かめおか先生が緊急発行されたこちらの小冊子「こころが元気になる20のエクササイズ」(頒布価格¥800、B6版・80ページ)を、ぜひお手に取っていただきたいのです。 (→お申し込みはこちらからどうぞ)普通、コンサルタントやクリエイターが、同業者の作品や刊行物、まして小冊子を紹介するなんて、めったにないことです。そんなことをすれば、自分の商材が売れなくなる、と考えますからね。でもそれは、みみっちい三流のコンサルや作家のすることです。私は、本当に価値のある情報は、たとえ赤字を覚悟してでも人々にシェアすべきだと考えています。実は今回、かめおか先生が執筆されたこの小冊子、売り上げはすべて、劇団の公演費用に充当されます。ですから当然、作者であるかめおか先生には、ギャラは1円も入ってきません。しかし、たとえ小冊子が完売したとしても、まだまだぜんぜん足りません。そこでもし、この活動にご協賛いただける方は、こちら(アースプロジェクト)もご覧下さい。さて、演劇で心が豊かになった子供たちの危機を救うため、かめおか先生が必死に書き上げた今回の小冊子「こころが元気になる20のエクササイズ」ですが、すべてご自身の演劇メソッドの実践に基づく内容になっています。これを毎日続けていくことで、あなたの心、行動、そして輝きが、内側から変わっていくのを実感できることでしょう。 (→お申し込みはこちらからどうぞ)その20項目ある内容の、ほんの一部をご紹介すると……自分の魅力を書き出すあいづちとうなずき魔法のことば内なる水を感じる他者を感じる自分の軸を感じて立つ「ありがとう」の魔法「ノー」と言う練習素直になる起きてきた意味を考えてみるスピットファイヤーアニマル・レッスンetc... ……???「これって、本当に演劇の練習方法なの?」そう思った方もいらっしゃることでしょう。特に、「アニマル・レッスン」なんて、いったい何をするのか、ちょっと見当もつきません。「スピットファイヤー」に至っては、一瞬、戦闘機かと思ったくらいです(笑)。でも、私には「匂い」で分かります。この本は使える!もちろん、癒し目的だけでなく、これから俳優・女優、そして声優を目指している若い皆さんにも、きっと参考になると思います。役者って、予想以上に身体能力を酷使する職業ですからね。たとえ声だけの演技でも、やはり基本は「身体」です。名うての声優に舞台役者が多いのは、その演技力もさることながら、舞台から後方の観客席へと声を届かせることができる「発声力」を鍛えているからです。そしてその力は、全身をくまなく“鍛える”ことによってしか磨かれないのです。なぜなら、遠くまで“届く”声は、のどからは決して出てきません。楽器と同じように、演者の全身を「震わせる」ことでしか生み出されないのです。(ちなみにドイツオペラでは「腹」から、イタリアオペラでは「胸」からといわれています)ですから、演技力・発声力などに伸び悩みを感じている方にもおすすめできます。ここまで幅広い効果があり、しかもそれが20項目も学べてしまう、そんな小冊子が、なんとたったの800円!!……高いと感じますか?でも、実践して効果が出れば、きっと気づくでしょう。「安い買い物だった」と。おそらく、一度ページを開いたら最後、あなたは寝食を忘れ、家事も放り出し、目は充血し、喉もカラカラになると思います。注文から数日後、本書の入った小包が届いたら、すぐに飲み物とおやつを持って、部屋に入って内側から鍵をかけ、部屋のカーテンをすべて締め切り、自宅の電話を留守電に設定して、携帯電話の電源も切ってから、こっそり読むことをおすすめします。もちろん、寝るときには、枕の下に隠すのを忘れずに。かめおか先生が心血を注いだ、赤字覚悟の渾身の小冊子「こころが元気になる20のエクササイズ」を、あなたも一冊、お持ちになってみては? (→お申し込みはいますぐ、こちらからどうぞ) さらに! 今ならもれなく、小冊子の一部を音声収録した、かめおか先生のボイステキストが、なんと無償でダウンロードできる特典つきです!しかし残念なことに、予算の都合上、今回の小冊子は1500部限定です。今ならまだ間に合います。 お申し込みはいますぐ、こちらからどうぞ! 《おことわり》今回の記事は商業目的ではありません。民間団体のボランティア活動を支援する人がいて、筆者である船沢がたまたまそのことを知り、皆様にご紹介しているものです。この記事の掲載により、筆者ならびに関係者に利益が発生することはありません。また、 本小冊子の発行の目的・活動内容の関係上、冷やかし・転売目的でのお申し込みは御遠慮下さい。 あわわ。楽天、怒らないかなぁ。ってことで今回はこれにて! m(_ _)m
2006.05.26
♪口笛はなぜー 遠くまで聞こえるの~「それは音の速さが……」「山田くーん、楽太郎の座布団一枚持ってってー!」てなわけでお元気ですか。船沢です。 (((゚д゚;)))) 今回はダントツな成功を目指す経営者&ビジネスパーソンに、またクリエイターを目指すヤング&ミセス(どっちも死語)に、ちょいといい話を。 当サイトの読者ならばご存知かと思いますが、私の“心のメンター” 神田昌典先生は、コンサルタントとしてのノウハウを駆使して、起業家小説としては異例のベストセラー『成功者の告白』(講談社)を発表しています。また最近では月刊小説誌「文蔵」(PHP研究所)にて、近未来小説『フリーター五右衛門』を好評連載中です。多くの人は、小説や脚本を書く……といったクリエイティブな作業は、感性の領域であり、凡人とか、堅苦しい文章を書く学者やエリートビジネスマンなどとは無縁のもの――そう思っているのではないでしょうか。実は私自身もそう思うと同時に、その一点のみを重視する文学界・クリエイター業界の考え方にも常に疑問を抱き続けていました。まあ確かに、さながら「お筆先」よろしく、感性の赴くままに原稿を書ける作家もいますが、そんな人材はほんの一握りです。神田先生も「そんな芸当、とても自分にはできない」と言っています。 ではなぜ、本職の小説家でもない神田先生が、小説を書くことができたのか?その鍵を握るのが「汎化能力」。つまり「パターンを認識する能力」です。一見何でもないような事柄や、抽象的な事物などから、何らかの共通する特徴、あるいは普遍的な要素を見極め、抽出できる能力のことを言います。「コツをつかむ」「波を読む」といった抽象的・感覚的概念も、この汎化能力によるものです。いわゆるノウハウ本を書くことのできる人は、おおむねこの能力が人より優れているといわれています。ところが、成績重視・減点評価主義による近代日本の学校教育においては、この能力はほとんど評価されることがありません。というより、この能力を問うカリキュラム自体が存在しません。そのため、多くの子どもたちが、この能力がなんの役に立つのか分からないまま大人になり、そして死んでいきます。(※実社会では役に立たないとされる能力、評価されない能力を持つがゆえに、悩んでいる子供や大人は数多く存在しています。またニート・引きこもりの中には、そのことで社会・組織から疎外感を感じている者も少なくありません。この問題については、いずれ日を改めてご紹介します。) 話を元に戻しましょう。神田先生は、「顧客獲得実践会」(現在は休会)の会員1万社に儲かるためのノウハウを授け、一方で年間2千社からの経営相談を受けています。その過程では、人となりを知るために、またトラブルの源泉を探るために、家庭内の事情にも踏み込むこともあるわけです。これだけのクライアントを相手にしていると、そうしているうちに、ある種のパターンのようなものが見えてきます。実はそのパターンが、いにしえより連綿と続く、神話や物語のパターンとあまりにも酷似していたのです。 ほとんどの人が、「自分だけは特別だ」「うちの環境は特殊だから」と思い込んでいます。しかし、要点のみを抜き出していくと、見事にある種のパターンに合致するのです。これは現実の人生のみならず、どんなマンガやアニメ、文学であっても例外ではありません。まあ多少はあるかと思いますが、それもほんのごく一部です。ただ、物語の舞台・世界観・登場人物・セリフが違うというだけで、本質はほとんど変化しません。その見た目の違いを、私たちが勝手に「多様性」と呼んでいるにすぎないのです。にもかかわらず、見た目にとらわれているばっかりに、多くの企業や家庭が「神話のパターン」にはまっています。それこそが、近代以降の社会の現実であり、多くのひずみを生み出している要因になっているのです。私たちが「運命」とか「宿命」と呼んでいるものさえも、実は神話的な人生のパターンの繰り返しに過ぎないのです。 この話を聞いて、「信じられない」「気分が悪い」という人もいるかと思います。「そんなに簡単に予見されるほど、俺の人生は安っぽくない」そういう人もいるでしょう。……でも、これが真実です。 神田先生は、まさにそのことを伝えるために、小説『成功者の法則』を書き上げたといっても過言ではありません。なぜなら、パターンを知ることができれば、パターンを超える行動を起こすことが可能だからです。物語の「お約束」の、その先や裏を行く展開を、人生の中で生み出すことができるようになります。トラブルとは無縁の、波風のない人生を送ることは、残念ながら不可能です。山があれば、谷があります。光が当たれば、必ず影ができます。これはどうしても避けることができません。でも、その谷間や影をできるだけ最小化して、ダメージを減らすことはできます。こうして神田先生は、神話のパターンを用いて、多くの企業だけでなく、崩壊の危機にあったご自身の家庭さえも救うことができたのです。そしてその極意を本に託して、より多くの人々と分かち合うことができたのです。 さて、神田先生が小説を書き上げることを可能にした、そのメカニズムを探ってみましょう。前述のように、神田先生は本職の作家とは違い、感覚のみを頼りに筆を走らせることはできません。また本来の仕事もある中、限られた時間で世界を構築し、話を進めながら、何人もの登場人物を生き生きと動かすことが要求されます。そこで、登場人物や舞台の設定に、神話学・心理学・占星術などを応用した、先進的な方法が使われています。 たとえば、登場人物それぞれに、3世代に渡るバックグラウンドストーリーが用意されています。本編には描かれない、バックグラウンドストーリーや舞台背景などのコンテキストをつくるのは、名うての作家なら誰でもやっていることです。でも、それを3世代にさかのぼって積み重ねるとなると、ちょっと事情が違います。その人はどんな母親の元で育てられ、父親から何を教わって育ってきたか。その結果、どのように成長し、どういうパラダイムを持ち、現在に至ったのか。そして、父母の両親はどういう性格で、どう彼らを育ててきたのか……。それぞれがいかなる葛藤を経て、どう成長し、どんなゴールに到達するのか。そこまで細部にこだわって、考証がなされています。もうひとつのメソッドは、シーンの設定に、登場人物の深層心理を反映しているということです。場所、気温、湿度、時間、明るさ、音、空気……人物のセリフをあえて使わずとも、これらのコンテキストによって人物の内面を舞台そのものに「語らせる」ことができるのです。 特に、登場人物に対してどのようなゴール(達成目標と、人生における学び)を期待するのかという点は、ものすごく重要です。なぜなら、作家を目指す人々――特に40代以下の若い世代は、ストーリーや人物、世界観、ガジェット(可動式の小道具)などにはやたらと力を入れますが、登場人物にどんな結末を迎えさせたいのか、また彼ら(と読者)がどのような学びを得るのかについてまでは、ほとんど考慮されていないことが多いからです。 どんなドキュメント(文書)もそうですが、読者が理解・気づき・学びを得ることができないコンテント(文書の中身)は、往々にして書き手が酔ってしまい、独りよがりになってしまっています。その原因は、ドキュメントのプロセス(構成)とゴール(文書の目的=読者が得る学び)が明確になっていないことにあります。そのため、当初の目的を見失い、迷った挙句、収拾がつかなくなるのです。 かく言う私自身も、その泥沼にハマっていた一人でした。今でもよほど注意していないと、すぐにやってしまうかもしれません。ちなみに、「広げた大風呂敷を元に戻せない」といわれている、朝のヒーロー特撮でおなじみの某ドラマプロデューサーも、きっとこの呪縛にやられていると思います(実はその人の本も買いました。それだけにこの評価は惜しい)。ありゃたぶん、脚本家のせいじゃありません。もう製作陣以下、スタッフ全員「フォトリーディング」(R)と「マインドマッピング」(R)を必修にすべきです。 (※参考文献はこちら) 今回の内容をもっと深く知りたい方のために、おすすめ図書も挙げておきます。『昔話の形態学』 ウラジーミル・プロップ著 北岡誠司、福田美智代訳(水声社)『千の顔をもつ英雄』 ジョゼフ・キャンベル著 平田武晴、浅輪幸夫監訳(人文書院)『神話の法則 ライターズ・ジャーニー』 クリストファー・ボグラー著 岡田勲監訳 講元美香訳(愛育社)余談ですが、私のIEの「お気に入り」(メニューバーの★マークを押すと開くやつ)が大変なことになっています。調べてみたら、ショートカットの数が2,134(重複含む)、フォルダの数が428、サイズが8.3メガバイト(フロッピーディスク約7枚分)でした(5月21日14:00現在)。左側にペイン(小窓)を開くと、いきなり全部がフォルダです。実を言うと、そのこともあって、ブログ上の「日記お気に入り」や「ブックマーク」にはかなり制限を加えています(どう考えても入り切らないのが目に見えている)。すぐ使うものですから、ぼんぼんとこっち側(←左ペイン)にマークを放り込んでいます。このブックマークを「詰め合わせ」にして送ろうかな、と考えていたりしますが、どうですか。春風亭昇太が、初大喜利してはなかなかの大活躍でした。 \(^o^)/今回はこんなところで。ではまた。 m(_ _)m
2006.05.21
がんばれ菜月タン! >ボウケンイエローおはようございます。船沢です。 m(_ _)m(※次回の記事の内容が変更されたので、本編の内容は削除されました。) 朝は忙しいです(何が?)。ではまた。
2006.05.21
おばあちゃんが言ってた。ほうきで畳を掃くときは、水でぬらした新聞紙をちぎって床にばら撒き、新聞紙ごと掃いて集めるのがいいと。 お元気ですか。船沢です。 m(_ _)m TVを観ていてひっくり返りました。なんと! 私の幻の好物、キリン「ポストウォーター」が復活するじゃ、あ~りませんか!しかも、食物繊維やダイエットに関する機能を付加して、さらにパワーアップ!いやっほう! さて我々おっさん世代はともかく、「そのなんとかウォーターなんざ知らねぇ」という若い世代の方へ、かいつまんで説明しましょう。1990年に麒麟麦酒(現、キリンビバレッジ)が発売した「ポストウォーター」とは、大塚製薬(現、大塚ベバレジ)の「ポカリスエット」によって先鞭をつけられ、コカ・コーラ ボトラーズ(現、日本コカ・コーラ)の「アクエリアス」が参入したことで火がついた、スポーツドリンク市場の真っ只中に颯爽と現れた新しい機能性スポーツドリンクなのです(詳細はこちら)。そのキャッチコピーは「人間科学飲料」。では、どこがどう「科学」なのか?体液に近い浸透圧人体の浸透圧、2855mOsm/Lに近い値に調整された「等張圧」です。低カロリーナトリウムフリースポーツドリンクの基本機能である、浸透圧のコントロールに必須とされる塩化ナトリウム(食塩)、調味用に加えられるクエン酸ナトリウムやL-グルタミン酸ナトリウムといった、ナトリウム塩を含みません。大豆サポニン配合ミネラル・ビタミンC添加このように、他社とは一線を画した、徹底的に「機能性」にこだわったスペックが売りとなっています。 しかし、マーケティング戦略よりも商品力や機能性に偏重していた当時のキリン製品の例に漏れず、スポーツ飲料らしからぬその独特のフレーバーによって、ついにトップ2の牙城を崩すことすらままならずに市場から姿を消していきました。 同製品の特徴とも言える、あのマスカットフレーバー。こう書いた時点でも分かると思いますが、味に関する評価は真っ向から分かれています。おそらく、最大手に比べて「まずい」という意見が大半を占めるのではないでしょうか。 実は、私も最初はそう思ってました。……でも、あの味は、一度飲んだら病みつきになるんです。忘れたと思っていても、俺の中の味蕾の一粒一粒が、ふと、あのマスカットフレーバーを求めるんです。……ああっ、何故だ!なぜ神は、ポストウォーターを地上より消し去り給うたのか?!・・そして2006年5月。あの伝説が、ふたたび僕らの前によみがえる! というわけで、こちらが新生「ポストウォーター」です。(プレスリリースはこちら)お求めはスーパーまたはコンビニで。おちこんだりもしたけれど、わたしは便器です。 ――魔女の清掃社そんなわけで今回はこれにて。ではまた。 (^o^)/シ
2006.05.19
はよーん。(わぴこ語)つみれ汁おいしいです。出汁(だし)が。 ところで皆さん、牛乳飲んでます?私も以前は飲んでたんですがね、今では料理以外、めったに飲用しなくなりました。実は去年の秋から、やめたんですよ、牛乳。端的に言うと「身体によくない」からなのですが、新谷弘実教授の『病気にならない生き方』(サンマーク出版)によれば、市販の牛乳は高温・短時間で加熱殺菌されている。そのため、雑菌だけでなく、有用な酵素(ラクトフェリンなど)も死滅してしまう。また、方々の農場より集められた牛の生乳は、攪拌機によってホモゲナイズ(均質化)される〔「○○ホモ牛乳」なる商品名はここから由来している〕。ところが攪拌により空気が混ざってしまうため、乳脂肪分が酸化してしまう。酸化物(錆びた成分)は体内の活性酸素を増加させ(つまり、身体が錆びる)、肉体の疲労や老化、がんなどの原因となる。また、牛乳とは本来、仔牛が飲むべきもので、人間の飲み物ではない。まして、乳離れした成人にははっきり言って不必要である。さらに、牛乳を飲み続けると、体内のカルシウム分が減少してしまう。牛乳を摂取すると、血中のカルシウム濃度が一時的に増加するため、見た目には吸収されているように見える。しかしその後、在来のカルシウム分とともに排出されてしまうので、結果的に飲用前よりも減少してしまう。ちなみに、市販のパック牛乳を牛に飲ませると、なんと3日で死んでしまうそうだ。以上の点から、健康にも栄養的にも牛乳は好ましくないといっていいでしょう。そういえば、牛乳が「くさい」といって飲めない子供や、飲むと激しく嘔吐する(牛乳アレルギー)子供がいますが、ドクター新谷によれば、これらは「きわめて自然な反応」だといいます。むしろ、身体に悪いものを摂り続けているにもかかわらず感覚が麻痺している、我々大人のほうがどうかしています。人体にとって害のある食品をムリヤリ子供に勧めるなんて、まさに悪魔の所業以外の何物でもありません。それでも「いや、俺はどうしても牛乳が飲みたいんだ」「そうは言っても、お料理に必要なのよね」という方は、一部のファームで製造している、低温長時間殺菌の牛乳をおすすめします。少々値は張りますが、生乳のコクや酵素がある程度生き残っていますので、大手メーカーのパック牛乳よりは、多少はマシになるでしょう。お子さまの成長と家族の健康のためにも、ぜひ。余談ですが、哺乳類の乳汁(母乳/おっぱい)は、母親の血液から作られています(詳しくはこちら)。母乳にはラクトフェリンをはじめとする、乳児の成長と免疫機構の獲得に不可欠な酵素が豊富に含まれています。ところが、市販の脱脂粉乳(粉ミルク)はそのほとんどが加工の過程で失われてしまいます。最近では人工的に精製したラクトフェリンなどを加えたものも出回っていますが、やはり“生きた母乳”にはかないません。赤ちゃんの健やかな成長のためにも、ぜひ母乳で育てましょう。ああそうさ、俺は「をっぱい星人」だ。……けど、あんたもだろ?そんな涯(おとこ)のロマンに夢を馳せつつ、今回はこんなところで。
2006.05.18
皆さん、夢はありますか? 「なりたい自分」や「自分を活かせる天職」を探していますか?いや、それなんですがね。まだ夢を実現してもいない人間が言うのもなんですが、そういうのって探すものじゃないと思うのですよ。というか、探しているうちに一生が終わってしまう。正直言って、普通に探しても、そんなの見つかりません。小阪裕司先生も言っています。「天職は探すものではない」と。 そう。「夢」や「天職」は別に探さなくていいのです。虹の橋や、青い鳥と同じで、実はあなたのすぐ目の前に転がっている。ただ、そのことに気がつかないか、気づかないふりをして見ようともしないだけだ。そしてこちらが追いかければ、逆にどんどん遠ざかっていく。もちろん、無為に待っているだけでは論外だ。いま、あなたが「天職」だと思っている仕事や事業が、実は天職ではなかった、という事態は十分に考えられます。逆に、「こんなの天職じゃないや」と思ってしぶしぶ続けている仕事が、何かのきっかけで「一生続くライフワーク」に大化けしてしまう可能性も否定できません。だいたい、20代や30代そこらで、自分の「一生の仕事」を決めてしまう、という考え自体がそもそもおかしいと思いませんか。年を取れば、それなりに考え方や趣味、好みなども変化します。立場や視点だって変化しているでしょう。前はあんなにつまらなかった作業が、今では楽勝でできるようになった、新人にも教えられるようになった……とかね。それに、仕事を部下に任せて、自分の時間に余裕ができるようになったら、新しい事業をいくつも始めることもできます。いまの時代、電話とパソコンさえあれば、何にだってなれるのです。昼はサラリーマンをしながら、夜間や週末に自分の会社をやっている人もいます。小説家やマンガ家、ゲームクリエイター、ウェブデザイナーをやっている人もいます。極端な話、専業である必要すらありません。物理的条件さえ見合えば、何足でもわらじを履けます。いいですか。ここからが本題です。もし、このサイトを見ているあなたが10代、20代で、「やりたいことが何もない」「天職や夢を探しています」と悩んでいるのでしたら、いますぐに探すのを中止して下さい。そのかわり、紙とペンを用意して、自分の年表を作ってみてはどうでしょう。特に、6~9歳の頃を思い出すのが重要なポイントです。実は、この時期に体得した経験や考え方が、その人の一生のパラダイム(価値観・尺度)を左右するといわれています。すなわち、あなたの発想や行動の「原点」といえます。原点を知れば、自分が本当は何をしたかったのか、何になりたかったのか、何にあこがれていたのか、などが見えてきます。 もうひとつのポイントは、「あなたが最も多くの資産をつぎ込んできたものは何か」ってことです。お金、時間、手間、人手……これまであなたは何に対して、より多くの資源(リソース)を費やしてきたのでしょうか。株の投資? 実家の家業? ゲーセン? パチンコ? 声優やアイドルの追っかけ?同人誌? ソフト開発? それとも学校の勉強?とにかく、何でもいいのです。それらは将来、あなたのビジネスにとって大きな「武器」となる可能性があります。たとえば新しいコンテンツやビジネスモデルを築くことができるとか、同じ悩み・苦しみを抱えている人々に福音をもたらすコンサルタント=伝道師になるとか、発想のアプローチ(切り口)はいくらでも存在するのです。 だから、焦って転職・独立することも、代々続く家業を「ダサい」の一言で切り捨て、自分の代で拒否することもありません。まして、親の言いなりになって進学先や就職先を勝手に決められる必要もないのです。「上司がいや」「この仕事がいや」と文句を言って早々に転職しても、きっと同じことの繰り返しです。何も学ばなければ、またいやな上司、いやな仕事が回ってくるだけです。下準備なしでいきなり独立しても、客なんか向こうから来ません。あなたにお世辞を言っていたお得意様は、たぶんあなたのことなど忘れて、新しい担当者と取引をしていることでしょう。そうならないためにも、まずは現在の職掌、現在のタスクに、全力で取り組んでください。上司がいやなら、いいところを探してみる。それができないなら、「なぜ、どこが嫌いなのか」「いつから嫌いになったのか」と自問自答してみる。仕事がつまらなかったら、どうすれば面白くなるかと考えてみる。毎日のワークフローを、ゲーム化してみる。またそこに仲間を巻き込んでみる。「俺とどっちが疾いか、競争しねーか?」とかね。親の仕事が「古くてダサい」のだったら、どうすればいまの時代に合うのか、どうすればスタイリッシュになるのか、何をどう売ればターゲットをシフトできるのか、自分の家業を自分なりにカスタマイズすればいいのです。実際、カスタマイズによって成功を収めている老舗・名店も存在します。たとえばこんな感じです。夢や天職が見つからないのなら、別に見つからないままでかまいません。その代わり、どんな行動でも、どんどん自分で決断していってください。自分で決めたことなのですから、親や他人にグダグダ言われる筋合いはない。けれども、自分で決めたのだから、万が一の不祥事には自分で落とし前をつける。行儀よく真面目にやらなくても、夜の校舎の窓ガラスを壊して回ってもいいけど、損害分はきちんと弁償して、自分から白黒の車に乗りに行く程度の覚悟は持てよ、ってことです。赤ランプしょったパンダ色の車に乗るのがいやなら、窓ガラスを割らずに済む方法を考えろ、ってことです。「大人」とか「社会人」になる……ってのは、きっとそういうことだと思うのです。一度や二度の失敗で、親に泣きつくようでは、まだまだ半人前以下です。ましてや、何でもかんでも親のせいにするのは筋違いでしょう(たとえ本当にそうだったとしても)。最近、未成年者の不祥事や犯罪が多発している、とよく騒がれています。実は別に多発しているわけでもなんでもなく、はるか以前からあったのですが、メンタリティやパラダイムの変化によって、犯罪の性質や動機が変化してきているだけなのです。それをマスコミや教育関係者、他人の親たちが、勝手に騒ぎ立てて事を大きくしているに過ぎません。いずれにしても言えるのは、親や祖父母の代(あるいはそれ以前)を筆頭に、「その場の勢いだけで何も考えずに実行してしまい、自分で落とし前をつけられない」人々があまりにも多すぎる、ということです。ビジネスや戦争で言えば、戦略を立てずに作戦を仕掛けるようなものです。子供の不祥事ならば、親が方々に頭を下げたり、罰金を払うことでどうにか事態を収拾できますが、いい大人、それも組織のトップではなかなかそうも行きません。それで最終的に落とし前もつけられなくなり、いっぱいいっぱいになった人が、駅のホームやビルの屋上から落っこちたりしてしまうのです。ところが、「俺はこれはやらない。でも、これだけは絶対にやる」という明確な戦略があれば、自動的に「次は何をやるか」も決まってきます。そうすると一連の決断や行動におけるスタンスやプロセスがぶれないので、成功と失敗の要因を見極める事が容易になり、不測の事態に対する対処もできます。こうしてビジネスのプロとなっていくプロセス(過程)の中で、愛するものを守ろうとする意志、夢を形にするための知識、そしてそれを実現するのに必要な強さを獲得するのです。これらを成し遂げようとする強い心と、その約束を果たそうとする決意によって、やがてあなたの中に「責任感」が芽生えてきます。つまり戦略を持つと、自分で自分の人生や仕事に、落とし前がつけられるようになるのです。 「夢」は人生における「戦略」と同じです。夢を持っている人の一連の行動や発言は、外からは不合理・非常識に見えても、実はすべて本人の中ではつながっていて、その夢を具現化するという一点に集約されています。逆にいえば、「これだけは絶対にやる」「これだけは拒否する」という戦略を先に決めてしまえば、たとえ夢や天職を持たない現在のあなたでも、プロ意識を持つことができます。そこを突破口に、「○○したい」「△△になりたい」という、夢や天職に発展するかもしれません。それに、決断を続けていくことで、ドミノ倒しのように、いろいろなものにぶち当たります。悪いことやいやなことだけでなく、大きな「喪失」を経験することもあるでしょう。けれども同時に、あなたがこれまで見たこともないような、より高い次元(ステージ)へと連れて行く、強い「運命の糸」を感じることがあるかもしれません。海外へ行く、憧れの人と出会う、新しい仕事を任される、新事業を興す……。ほんのちょっとの勇気だけ、最初のワンプッシュだけでいいのです。ドミノを倒さなければ、人生やビジネスは何も前へ進みません。倒れないドミノは、いつまでもそこで突っ立っているだけです。ちっとも変化がないので、失敗もしない代わりに、成功もしないのです。 もし、決断に悩んだときや、道に迷ったときは、自分の胸に手を当てて、意識を後頭部の後ろに持っていき、目を閉じて深呼吸し、「内なる良心」の声に従ってください。 「自分は今、これをやるべきなのか?」 「これをやることで、自分と家族、友人たちに、どんないいことがあるのだろう?」 「これができないことで、今の自分は、どんなメリットを得ているのだろう?」 「もし、これをしない人生を選択した場合、自分たちの未来はどうなっているだろう?」 「この人物やツールは、本当に自分の人生を豊かにしてくれるに足る存在だろうか?」どうですか?スッキリした? それはよかった。 ……え? 「それでも、まだよくわからない」って?ではそちらのあなたには、私が見つけてきたこちらのサイトはいかがでしょうか。 ホントの夢を探すお手伝い「ドリームコンサルタント」 → http://inexpand.web.infoseek.co.jp/index2.html そういや、安室奈美恵が歌ってました。 夢なんて見るもんじゃない 語るもんじゃない 叶えるものだから夢は実現してなんぼのものです。1970年代に「ダイナブック構想」でノートパソコンの到来を予見したコンピュータ技術者、アラン・ケイもこう言っています。 未来を予言するもっとも確実な方法は、 未来を自分でつくってしまうことである。「俺には未来がない」と嘆くのだったら、自分で作ってしまえばいいのです。人生なんて、ガンプラや自動車や単車と一緒です。あなたの好きなように、いくらでも改造できます。……なんか、書き上げるのに半日もかかってしまいました。 (ToT)仕事や休みの合間にやるのは、実に難しいもんです。じゃ、今回はこんなところで。 (^o^)/ またね!
2006.05.15
そうなのです。実は自分のサイトを持っているのですよ。 ではどうして使わないのか? 更新がめんどくさいこともそうですが、何より商業利用ができないCGIが使えない(レンタルに頼る必要がある)俺自身が、作成ソフトをいまいち使いこなせていないというトホホな事情が挙げられます。 まあ友人に作らしておいて言うのもなんですが「正直これじゃ、客、来ないよな……」とため息が出てしまいます。 それもこれもすべて、私自身が不甲斐ないからなのですが。 いわゆる「はひへほ」ってやつです。 ……「ふ」が、いない。 おそまつ。 m(_ _)m ともあれ、コンテンツ制作力も、技術力も、圧倒的に不足しているへっぽこぶりで、「いったいどーやって営業するんだ」という感じです。 そんな人間が、クリエイター兼コンサルタントを名乗ろうというのです。ほんとにもう、どうしてくれようか。
2006.05.10
それはノストラダムスの大予言もあっさりと通り過ぎた1999年の年の瀬だった。 運送会社の夜勤が終わり、ふらりと立ち寄った品川駅の書店。 そのときふと目に飛び込んできたのは、平積みにされたショッキングピンクの表紙の本だった。 軍人崩れのおたく青年であった私の人生は、ここから変わり始めたといっても過言ではない。 それは言うまでもなくこの本である。もはや説明の必要もあるまい。 >『あなたの会社が90日で儲かる!』神田昌典/著(フォレスト出版) かねてより小説家やゲームクリエイターを目指していた私は、「どうすれば人々を惹きつけることができるのか」「どうすれば作品が売れるのか」「どうすればウケるのか」といったことを考え、悩んでいた。 また、もし仮に売れることになれば、どうしても弟子や事務員などを雇う必要が出てくる。だからリーダーシップやマネジメントに関する知識や技術も必要だった。 と同時にわかったことは、「いま世に出ている作家やクリエイターのための本は、読んでも大して役に立たない!」という、さらなる悩みだった。 作家や大学教授、経営者、コンサルタントに限らず、ほとんどの人が本に書いているノウハウは、経験則に基づいている。 ところが、誰もその効果やメカニズムを、体系的に説明できない。 その結果、書いている本人もいまいちよくわかっていないので、読む(読まされる)側の人間も何だか煙に巻かれたような気分になってしまうのだ。 私には、そのことがとても歯がゆかった。それこそ、カンタンでわかりやすく、小学生でも使えるようなノウハウが、どうしてこの世に出回っていないのかと。 そんなときに衝撃をもって現れたこの本は、まさに神の福音に思えた。 気がつくと、本をつかんでレジにもって行き、ポケットにねじ込んだ当日の日当から1300円を払っている自分がそこにいた……。 本書にも書いてあるが、神田先生は売り込みは一切かけていない。むしろ「買うな」とまで言っている。 にもかかわらず、私はものの見事に軍門に下ってしまったわけだ。 かくして私の「売れるしくみ」を探す旅が始まった。
2006.05.10
堅気もすなる日記といふものを、俺様もしてみむとて、するなり。……むう。これが連邦の新しいブログか!よし、これでいろいろ遊んでみよう!
2006.05.10
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