全31件 (31件中 1-31件目)
1

雑司ヶ谷霊園を出てこの細い道を歩いて行くと、カラーブロックで舗装した道がありました。「旧宣教師館通り」という名前の道です。注連縄が飾られた雑司ヶ谷キリスト教会です。その隣にある建物には多くの人が訪れていました。門柱には、東京都ㇺ豊島区立雑司が谷旧宣教師館(→→→こちら)と書いてありました。ということでここへお邪魔させていただきます。(雑司が谷七福神巡りのコースです)【つづく】人気ブログランキング雑司が谷七福神巡り(その5) 旧宣教師館通り
Jan 31, 2023
コメント(26)

次の目的地である雑司ヶ谷霊園に向かって、イケ・サンパークから出て住宅街を抜けて歩くと、栃電荒川線(東京さくらトラム)の踏切がありました。東池袋四丁目の電停です。再び首都高速5号線の下を抜けて、細い路地を歩いて行くと、雑司ヶ谷霊園(→→→こちら)に着きました。1870年代前半に墓地に関する各種法律が明治政府より出され、共葬墓地が必要となり、明治7年(1874)に解説されたそうです。有名人のお墓があることでも有名ですが、これは日本人女性初の国家資格を持った医師、荻野吟子氏のお墓だそうです。しかし、こんな広くて沢山お墓があると、自分の所のお墓がどこにあったか、たまにお参りに来ると迷いそうですね。(雑司が谷七福神巡りのコースです)【つづく】人気ブログランキング雑司が谷七福神巡り(その4) 雑司ヶ谷霊園
Jan 30, 2023
コメント(25)

このあたり東池袋というエリアになります。ここに大きな公園があります。「イケ・サンパーク」(→→→こちら)と呼ばれている公園です。お役所的には「としまみどりの防災公園」というそうですが、「IKE・SUNPARK(イケ・サンパーク)」との愛称で、多くの人に親しまれるようにしてしています。このイケ・サンパークに隣接して「としまキッズパーク」(→→→こちら)もあります。遊具や施設が「真っ赤」に塗られていて、子供向けの「真っ赤」な公園ですね。訪れた時に園内の樹木は毛糸のセーターを着せられていました。毛糸を使って公園の樹木や建築物を編みくるむ「ヤーンボミング(Yarn bombing)」(→→→こちら)というものだそうです。「としま編んでつなぐまちアート2022」というイベントの一環だそうですね。こちらの樹木には編み物のフクロウが枝にぶら下げられていました。「ヤーンボミング(Yarn bombing)」、直訳すると、糸爆弾、このフクロウが爆弾ということではないですよね。このイケ・サンパーク、元は旧造幣局関東支局の敷地だったそうです。池袋の街の中にこれだけのまとまった土地があるんですね。防災公園なので、゜非常時は避難場所やヘリポート、災害用物資の集積所として活用されるんでしょうね。でも、日常時は憩い、スポーツ、賑わいの場所として利用されているそうで、毎週末、園内でファーマーズマーケットが開催されているそうです。また、こちらの建物はカフェになってるようですね。(雑司が谷七福神巡りのコースです)【つづく】人気ブログランキング雑司が谷七福神巡り(その3) イケ・サンパーク
Jan 29, 2023
コメント(22)

仙行寺から豊島区役所の近くを通った時に見かけた真っ赤なかわいいバス。「IKEBUS(イケバス)」(→→→こちら)というそうです。このバスは、池袋駅周辺の4つの公園や賑わい施設を回遊するそうです。ちなみに、MoMo太郎はイケオジを目指しています。区役所から、首都高速5号線の高架下をしばらく行くと、変わったレストランを発見。喫茶、中華、うなぎ、和食と揃った町の食堂。なんでもできる料理人の方がいるんですね。そして、池袋のシンボルみたいなサンシャインシティの南端にやってきました。(雑司が谷七福神巡りのコースです)【つづく】人気ブログランキング雑司が谷七福神巡り(その2) IKEBUS
Jan 28, 2023
コメント(30)

2023年1月9日、最初のJR東日本の駅からハイキング「福来たる!雑司が谷七福神巡り 過去と未来をつなぐまち散歩」に参加してきました。七福神めぐりで今年の福にあやかりたいということで、ここ池袋駅から出発です。池袋東口というと、やはり西武百貨店ですね。「西武」と名乗りながら、セブン&アイ・ホールディングス傘下で、百貨店を展開するそごう・西武の百貨店なんですね。その上、そごう・西武はアメリカの投資ファンド、フォートレス・インベストメント・グループに売却が決定されたそうですね(→→→こちら)。また池袋の雰囲気も変わっていくのでしょうか。まず、朝の腹ごしらえ。池袋駅前のマクドナルドで、朝マックのベーコンエッグマフィンコンビ(270円税込み)をいただきました。やっばり人出の多い池袋のマック、お客さんが多くて、商品が出てくるまで結構待たされました。こちらが最初に訪れた、日蓮宗松栄山仙行寺(→→→こちら)です。お寺の本堂はビルになっていますが、壁面に様々な木々が植えられているのが、寺院という雰囲気を伝えているんですかね。土壁が使われているのが、ちょっと渋いですね。仙行寺さんで有名なのはこの「池袋大仏」です。木曽檜の木彫で、空中に浮かんでいます。やはり、名のある佛師と呼ばれる方の作品なんでしょうね。そして、ここにあるのが雑司ヶ谷七福神のひとつ「華の福禄壽」です。ちなみに、雑司が谷七福神は、南池袋1丁目町会長の渡辺隆男氏が、雑司ヶ谷の町おこしのために平成22年(2010)に七福神を定めたそうです。七福神巡りって、なにかのキッカケで制定するようなものなんですね。ちなみに歴史のありそうな浅草名所七福神巡りも今の9社(浅草寺の大黒天、浅草神社の恵比寿神、待乳山聖天本龍院の毘沙門天、今戸神社の福禄寿、不動院の布袋尊、石浜神社の寿老神、鷲神社の寿老神、吉原神社の弁財天、矢先稲荷神社の福禄寿)に定まったのは昭和52年(1977)だそうです。(雑司が谷七福神巡りのコースです)【つづく】人気ブログランキング雑司が谷七福神巡り(その1) 仙行寺(華の福禄壽と池袋大仏)
Jan 27, 2023
コメント(26)

駅近にあっていつも手軽に食べられる立ち食い蕎麦の「富士そば」で、今日は「紅生姜天そば」(税込み490円税込み)を頂きました。紅生姜のピリッとした味がなんとなく好きです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 紅生姜天そば
Jan 26, 2023
コメント(28)

1月19日、所用で仙台に行くときに大宮駅で新幹線に乗り換えたのですが、その時、蒸気機関車が停車しているのを偶然見かけました。スマホで慌てて撮ったので、上手くは撮影できませんでしたが、このディーゼル機関車DE10にけん引されていました。小型の蒸気機関車。C12-66とプレートが付いていたので、調べてみると真岡鐵道で「SLもうか」(→→→こちら)に使われている機関車だそうで、多分、大宮総合車両センターに定期検査にきたものなんだと思います。人気ブログランキング大宮駅でみかけた蒸気機関車
Jan 25, 2023
コメント(30)

JR中央線が高架橋に突き当り、国立駅の方へ向かいました。ゴールとなっていたJR国立(くにたち)駅に到着しました。国立という駅名は、国立一橋大学があったから、東横線の学芸大前と同じノリで国立という駅名にしたのかと思っていましたが、どうやら中央線の国分寺駅と立川駅の間に駅を設置するため両駅の頭文字をとって「国立駅」と命名されたそうですね。だから「こくりつ」とは読まずに「くにたち」だったんですね。駅の南側にある建物、丁度訪れた2022年11月19日は一橋大学の学園祭が行われていたようで、「一橋祭」という幟や幕が飾られていました。この三角屋根の木像の建物は、国立駅の旧駅舎で、平成15年(2003)から始まった中央線の高架化工事に併せて解体撤去されるところを、国立市が撤去されることを惜しんで解体し新たに駅前に復元して建てたのだそうです(→→→こちら)。【追補:もう一つの東京都の中心(重心)について】1月22日のブログで紹介した東京都の中心(重心)についてですが、紹介したのは、「東京都全体(島しょ部は除く)を平面と仮定した場合、ある一点でうまくバランスがとれる位置、つまり「東京都の中心(重心)」が国分寺市富士本3丁目になる」でしたが、もう一つ別の重心もあります。それが人口重心です。人口重心しは人口の一人一人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口が、全体として平衡を保つことのできる点をいいます(→→→こちら)。その最新のデータとして令和2年国勢調査に基づく人口重心が令和5年1月17日に総務省から公表されていて、それによると東京都の人口重心は 杉並区松ノ木一丁目にあるそうです(→→→こちら)。(秋の国分寺のコースです)【了】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その12) 旧国立駅舎
Jan 24, 2023
コメント(26)

東京の中心から住宅街の中を抜けて、国立駅方面に向かって歩くと、広い敷地を持った建物が見えてきました。公益財団法人鉄道総合技術研究所(→→→こちら)という施設です。文字通り、鉄道技術の研究・開発を行う日本の公益財団法人で、国鉄の鉄道技術研究所(鉄道技術に関する研究機関、新幹線開発やリニアモーターカーの研究などを行っていた)と鉄道労働科学研究所(人間工学・心理学・精神医学的見地から職員の労働管理を行う研究をしていた)等の業務を継承する法人として昭和61年(1986)設立された組織です。その鉄道総合技術研究所の前に展示されている新幹線の車両。これが新幹線資料館(→→→こちら)です。中に入れるようになっていますので、早速入ってみました。運転台の中にも入ることができます。運転席に座ってみてしばし、新幹線の運転手になった気分を味わいました。正直言うと、窓は広くなく視界は狭いです。展示されている車両の紹介です。この新幹線は、951形という名称で、昭和44年(1969年)に製造された2両編成の試験車両です。この車両は、昭和44年(1969)に製造され、昭和47年(1972)に開通前の山陽新幹線西明石から姫路間で時速286キロの当時世界最高記録をだした記念すべき車両ということです。その後、昭和49年(1974)に廃車となり、鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)に引き取られ、1両(951-2)は試験に使用された後、解体となり、残りのもう1両(951-1)が展示され、平成3年に現在の公益財団法人鉄道総合技術研究所から国分寺市に無償譲渡されたそうです。車内の様子です。座席は今の新幹線とは違って背もたれが分割になっていませんしリクライニングもしなかったのですが、後ろにあるグリーン車のシートはリクライニングできました。今の新幹線は普通車でもリクライニングできますが、倒す時、「倒してもいいですか?」と気を使って声をかけて下さる方がいて恐縮します。マックスまでリクライニングされるとちょっと圧迫感ありますが、MoMo太郎はいつもちょっと傾けるだけなので、後ろの人に声を掛けたことがありません。新幹線資料室の隣に建つビルです。国分寺市ひかりプラザ(→→→こちら)という施設です。教育関係の施設のようですね。「ひかり」というのは、ここが国分寺市光町という町名だからだそうです。この地域は、以前は大部分が大字平兵衛新田と呼ばれていましたが、昭和41年の「町名整理」および「地番整理」の実施によりそういう地名にしたそうです。これは、鉄道技術研究所で東海道新幹線の開発研究を行っていたことから、新幹線「ひかり号」にあやかり、「光町」と名づけられたそうです。確かに、ちょっとハイクラスな住宅街のこのあたりが「平左衛門新田」という町名だと、ちょっと引くかな。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その11) 新幹線資料館
Jan 23, 2023
コメント(32)

国分寺市の住宅街にあるこの小さな公園「富士本90度公園」というそうです。なんか変な名前ですが、その由来はわかりません。災害時の給水用の井戸があります。これがその井戸です。それ以外は何の特徴もない公園ですが、公園の入口に「東京都の中心(重心)」と記した看板が設置されていました。日本数学検定協会が認定し、2005年の「数学の日」(3月14日)にこの看板が設置されたそうです。東京都全体(島しょ部は除く)を平面と仮定した場合、ある一点でうまくバランスがとれる位置、つまり「東京都の中心(重心)」がこの公園のある国分寺市富士本3丁目であるそうです。これらの家屋が、東京の中心に住んでいる人達の住宅なんですね。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その10) 国分寺は東京の中心です
Jan 22, 2023
コメント(26)

国分寺市を歩くとよく目につきました。電柱に備え付けられた、防犯カメラ。勿論、どこの街にも設置されているんでしょうけど、特に国分寺では目につきました。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その9) 町の治安を守ります
Jan 21, 2023
コメント(28)

玉川上水から離れ南側の五日市街道に向かって歩いていきます。再び国分寺市のエリアに戻ってくると広々とした農地が広がっていました。こちらは農地と言うより庭木みたいなものを育てているのでしょうか。こちらはビニールでトンネルを作り、野菜を栽培しているのでしょうか。国分寺市にはまだ農業が残っているのには驚きました。野菜の無人販売所もありまた。この細長い土地は、砂川分水(→→→こちら)の用水路の跡だと思われます。砂川分水は、砂川用水とも呼ばれ、国分寺市付近では、五日市街道を挟んで南北に別れていますが、北側水路はほとんど空堀の状態となっているそうです。五日市街道を越えて、国分寺市立並木公民館の辺りに来るとこんな説明板がありました。、看板には、以下のようなことが記されていました。砂川用水(野中新田分水)の由来この水路は、八代将徳川吉宗の治世の享保14年(1729年)、新田開発が進みつつあった野中新田六左衛門組と榎戸新田(現在の北町・並木町など)の飲み水に利用するため、「野中新田分水」として玉川上水から分水してつくられました。この分水から飲み水を確保できるようになったことから、農民(新田開発者)の入植が進み、五日市街道に沿って新田開発が更に進むようになりました。その後、明治になって玉川上水に船を通すため分水口の統合が行われ、「野中新田分水」をはじめ九つの分水が「砂川村分水」(明暦3年、1657年開通)に統合され、「砂川用水」と呼ばれるようになりました。現在、「砂川用水」は、玉川上水にかかる松中橋(立川市と昭島市境)のたもとに分水口があり、羽村堰で多摩川から取入れられた水が流れる玉川上水より分水しています。国分寺市内では、立川市境で五日市街道をはさみ南北二本の水路に分かれて西から東に流れ、小平市境で再び一本の水路となります。南側水路は延長約2000メートル、北側水路は延長約1600メートルあり、多くが掘割として残っていますが、水量が少なく、北側水路は空堀となっており、この南側水路でしか用水の流れを見ることができなくなっています。このあたり、砂川用水の水路を中心に親水公園として整備されていました。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その8) 都市農業と砂川用水
Jan 20, 2023
コメント(22)

小平市ふれあい下水道館のすぐぞにあるのは、この水路、「玉川上水」(→→→こちら)です。玉川上水とは、玉川上水は、羽村取水堰で多摩川の水を取り入れ、新宿区四谷にあった四谷大木戸まで全長約43キロにわたって掘られた、素掘りの水路のことです。この先は地下に埋められた石樋や木樋により、江戸城や武家、町家にも配水され、主に飲み水に利用されていたそうです。江戸の町の飲み水確保のため、玉川上水以外にも5つの上水が建設され、これを江戸の六上水(→→→こちら)といったそうです。江戸の六上水とは、次の6つの上水のことです。神田上水:神田川の水を今の椿山荘の近くにある江戸川公園付近にあった関口大洗堰で取水し、後楽園、水道橋を経て日本橋あたりまで給水していた上水です。玉川上水:羽村取水堰で多摩川の水を取り入れ、武蔵野台地を東流し、江戸市中に給水されていた上水です。本所上水(亀有上水):現在の埼玉県越谷市付近の古利根川から取水し、亀有、四ツ木、そして今の東京スカイツリー周辺を通り、隅田川東岸の本所・深川へ給水されていた上水、後に曳舟川となった。青山上水:玉川上水の四谷大木戸から分水し、青山・赤坂・麻布・六本木から飯倉を経て芝方面まで給水した上水です。三田上水(三田用水):今の世田谷区北沢で、玉川上水から分水され、渋谷区を通り、恵比寿、目黒区目黒付近等を流れ、三田方面へ給水されてた上水です。千川上水:玉川上水を境橋(現在の東京都西東京市新町と武蔵野市桜堤との境界付近)で分水し江戸城の城北地域へ給水していた上水です。これら六上水のうち、玉川上水の一部区間は現在でも東京都水道局の現役の水道施設としては村堰から東村山浄水場への送水に活用されていますが、他の上水は廃止されています。また、玉川上水は沿岸の各村々へも分水が認められました。上水完成の翌年に野火止用水への分水、ついで小川、砂川、国分寺分水などが開かれ江戸後期には分水の数は30を超えました。羽村で取水された水量の約半分は途中の村々に分水として流されて、飲み水や田用水として沿岸の村々や多くの新田開発などにも使われていたそうです。恋ヶ窪村分水もそのひとつになります西武拝島線の玉川上水駅近くにある東京都水道局小平監視所から下流に水は流されていませんが、昭和61年(1986)東京都の「清流復活」事業が実施され、小平監視所から杉並区の浅間橋の区間に下水処理水ではありますが水が流されています。また小平市の玉川上水沿いには玉川上水緑道が整備され。この緑道から間近に玉川上水の水路を見ることができます。玉川上水緑道に咲いていたキバナコスモスです。西武国分寺線を越えてさらに東に向かいます。この踏切の付近が今回の駅からハイキング「水の歴史と実りの大地を廻る、秋の国分寺ネイチャーウォーキング」の中間地点になります。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その7) 下水の次は上水を勉強します
Jan 19, 2023
コメント(28)

小平市に入ってしばらく歩くと大きな円形の変わった建物が見えてきました。小平市ふれあい下水道館(→→→こちら)という施設です。日本で、唯一、誰でも自由に本物の下水道管の中に入れる。しかも、MoMo太郎の大好きな「入館無料」。これは見学するしかないですね。中に入ると、ちょっと何をイメージしているのかよくわからないモニュメントが。台座にある銘板を読むと小平市の公共下水道は昭和45年度に着工し、幾多の難工事に遭遇したが、多くの工事関係者の懸命な努力により平成2年度についに完成した。ここに工事関係者に感謝し、工事中に不慮の事故により亡くなられた方々のご冥福を祈り、長く後世に伝える記念碑とする。 平成7年10月吉日と記されていました。昭和45年から平成2年までというと、20年の長い歳月を掛けた大事業だったんですね。こちらに展示されているのは「礫泥水加圧セミシールド掘進機」の模型です。解説によると、長い溝を掘ることなく、立坑という、この機械を入れる穴だけを掘り、地中をこの機械で掘り進んでいくという機械だそうです。館内に入ると、トイレの中で新聞を読んでいる模型がありました。当然トイレで排泄したものは下水道に流れて込んでいくのですね。建物の中は地下五階まであり、階段を使って降りて行きながら、途中の階で下水道の役割や仕組み、歴史などを分かりやすく映像システムやパネルで展示しています。階段の中央には、土壌モノリスという、地面に穴を掘るなどして現れた断面を、そのままの姿で固定した標本が展示されていました。そして地下五階からはこの下水道の中に入って見学することができます。写真ではお伝え出来ませんが、水が流れる音と強いニオイがします。しかし、私たちの生活には欠かせない下水道、よく勉強しておくべきだと思いました。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その6) 下水道について勉強しました
Jan 18, 2023
コメント(25)

厳島大弁財天から更に府中街道を北に歩くと、大きな公園がありました。窪東(くぼひがし)公園(→→→こちら)という公園でした。国分寺市のホームページによると、窪東公園は、水と緑と芝生大広場と大型カラフル複合遊具の公園として、市民に親しまれています。広い園内には、すべり台・鉄棒・水遊びの川・ベンチ・トイレ・あずま屋休憩所などが設置されており、子ども連れにも人気のスポットです。ということでした。確かに、広い芝生広場がありました。公園を出てさらに北に歩くと小平市に入ります。小平市、MoMo太郎がこれまで足を踏み入れたことはない街です。何があるのでしょうか、楽しみです。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その5) 窪東公園
Jan 17, 2023
コメント(20)

府中街道(→→→こちら)は、JR・川崎駅付近と西武・所沢駅付近を結ぶ道路の通称ですが、東京都府中市はかつて武蔵国の国府が置かれていたところで、そこに行く街道だったので府中街道と呼ばれているのですが、鎌倉幕府が開かれると、各地の武将と鎌倉を結ぶ政治・軍事上の道「鎌倉道」が生まれ、府中街道の一部分もその役目を果たしていました。その歴史ある府中街道を北に進むと、「JA東京むさし国分寺ファーマーズマーケット」(→→→こちら)という、地元の農産物を直売する施設があります。こういうところで野菜なんかを買うのもいいですね。その近くにあったこの小さな祠は「厳島大弁財天」(→→→こちら)です。実はこの場所は、明暦3年(1657)に玉川上水から国分寺村へ水を通すために造られた用水路である国分寺村分水と貫井村方面へ通された貫井村分水の分岐点であり、更に付近には国分寺村分水と恋ヶ窪村分水の分岐点もあったそうです。そんな水の要所となっていたようなことから、このような石碑も境内に建立されているんでしょうか。ここで地図を確認してみると、丁度このあたりJR武蔵野線があるはずですが、線路らしきものが見えませんでした。調べてみると、この武蔵野線、西国分寺駅を出ると、西武国分寺線との交差地点から次の新小平駅までトンネルなんですね。武蔵野線一度全線乗ってみたくなりました。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その4) 厳島大弁財天
Jan 16, 2023
コメント(28)

西武国分寺線を走る西武鉄道の車両です。国分寺線は、今では、中央線の国分寺駅から西武新宿線の東村山駅までを結ぶ支線ですが、元々は西武鉄道で最も歴史の古い路線であり、明治27年(1894)に川越鉄道が敷設した国分寺駅と川越駅(現在の本川越駅)を結ぶ本線でした。この川越鉄道は甲武鉄道の子会社であり、現在の中央本線と直通する飯田町駅 - 川越駅(国分寺駅経由)間運転の列車も設定されていたそうです。しかし、昭和2年(1927)に東村山駅 - 高田馬場駅間の村山線(現在の新宿線)が開業すると国分寺駅 - 東村山駅間は分離され支線となったそうです。国分寺線を横切る府中街道の踏切を越えて、脇道に入ったところにある「仲よしばし」です。橋といっても、下は川ではなく草花が植えられた細長い土地となっていて、ここも恋ヶ窪村分水の水路跡になるようてす。この水路跡を北に辿ると、小さな公園になっていました。「東恋ヶ窪ライオン公園」とありますが、ライオンの形をした遊具もないのに「ライオン」とつけた理由がわかりませんでした。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その3) 西武国分寺線
Jan 15, 2023
コメント(30)

姿見の池から北へ向かって住宅街の中を歩いて行くと、こんもりと茂った緑地がありました。国分寺市重要史跡「恋ヶ窪村分水」(→→→こちら)という説明板がありました。恋ヶ窪村分水は、玉川上水の分水で明暦3年(1657)に国分寺村・恋ヶ窪村、貫井村(今の小金井市)の3つの村が幕府に願い出て開削した。玉川上水の分水にしては規模が大きく、緑地内の堀の幅は上端部で約6~9m、堀底で約50センチメートル、深さは約5mで、堀底は北から南に向かって低く傾斜しています。恋ヶ窪村分水は水田の灌漑用水として1970年代まで利用されてきました。現在は、大部分は暗渠となり姿を消しましたが、この恋ヶ窪用水路周辺緑地内に空堀の状態で保存されているそうです。左手の柵の向こう側が水路の跡になっています。これが空堀の状態で保存されている恋ヶ窪村分水の水路の跡です。江戸時代には、こうやって水を確保して地域の農業を盛んにし、江戸に住む人達の食を支えていたんですね。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その2) 恋ヶ窪村分水
Jan 14, 2023
コメント(22)

去年の11月19日の駅からハイキング「水の歴史と実りの大地を廻る、秋の国分寺ネイチャーウォーキング」の報告です。出発点の国分寺駅北口から出て少し行くと、元WBA・WBC世界ジュニアミドル級(現在はスーパーウェルター級)王者でカエル跳びパンチが代名詞の輪島功一さんが経営するだんご屋さんがありました。JR中央線と西武国分寺線が並行して走っている線路沿いを歩きます。右手のフェンスの向こうは日立製作所中央研究所です。西武国分寺線のガード下を潜ってさらに東に進むと、遊歩道があり、また遊歩道沿いには、小川が流れていました。そして「姿見の池」(→→→こちら)と呼ばれる池に出ました。姿見の池は、かつては付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えて、野川最上流の水源にもなっていたそうです。現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。恋ヶ窪という地名の由来の一つとも云われるのが、鎌倉幕府成立に活躍した武将・畠山重忠に関するものです。重忠が宿場町・国分寺の傾城(遊女)、夙妻太夫(あさづまたゆう)を気に入り、恋仲になった。しかし、重忠は、平家追討のため西国に旅立ち、夙妻に横恋慕する男が重忠のことを諦めさせるため、重忠が討ち死にしたと嘘をついたところ、悲しんだ夙妻は、この姿見の池に身投げした。という伝説があります。考えてみれば、遊女、つまり今でいう風俗で働く女性って、かなり昔からの伝統ある職業婦人なんですね。こちらは国指定史跡「東山道武蔵路跡」(→→→こちら)の説明板です。これによると、恋ヶ窪谷低地は、古代も湿地が広がる地域だったのですが。恋ヶ窪地区では、東山道武蔵路を直線でつくるために敷粗朶工法と呼ばれる葦の茎や枝葉を敷いて地盤の滑りを防止し、さらに土を交互に重ねて基盤強化した痕跡が見つかっているるということでした。看板には畠山重忠と夙妻太夫のイラストによる解説もありました。このような伝承に彩られた姿見の池ですが、昭和40年代に埋め立てられました。しかし、平成十年度、環境庁及び東京都の井戸・湧水復活再生事業費補助を受け、昔の池をイメージて整備したたそうです。また、ほかに湿地、用水路、水辺林等を、周辺の東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」の雑木林等と一体になるよう整備されたそうです。かつての武蔵野の里山風景を見ることができようになっています。一度は埋め立てた池なのに、再び整備されるとは複雑な感じがしますが、自然に親しめるように整備されたのは、いいことですね。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その1) 姿見の池
Jan 13, 2023
コメント(32)

昨今は働き方改革というので、残業も減らさないといけないのですが、昭和生まれのMoMo太郎、仕事の処理能力も落ちてきて、また、サービス残業当たり前だろうの時代で生きてきたせいか、とかく定時に仕事が終わらないこともあります。そうすると、空腹で家までもたないことも多々あって、途中で夕飯を食べてしまうこともあります。今回食べたのは秋葉原の駅の総武線ホームにあるそば屋さんの「新田毎」の海老天丼セット(550円税込み)です。この値段で天丼に海老の天ぷら3本はなかなか食べ応えありますが、このあと家に帰って折角用意してくれた夕食も食べないと思うと、ますますメタボが止まらないです。(^_^;)人気ブログランキングへ孤独のグルメ 空腹で家までもちません
Jan 12, 2023
コメント(22)

また、秋川を渡ります。渓谷を流れる滝のような秋川の流れです。秋川に架かるこの吊り橋が石舟橋です。この橋を渡ります。全長96mの吊り橋です。橋の上からは、渓谷美と紅葉が楽しめます。落差があり激しい流れとなっています。石舟橋を渡ると「秋川渓谷瀬音の湯」(→→→こちら)という温泉施設があります。ハイキングはここで終わり、このバス停から武蔵五日市駅に戻りました。帰りは、拝島駅で、西武線に乗りかえて、家に帰りました。(秋川渓谷のコースです)【了】人気ブログランキング秋川渓谷を歩く(その7) 石舟橋
Jan 11, 2023
コメント(22)

かなり紅葉が進んだ秋川渓谷をまた渡って、道端にあったお地蔵さん。せせらぎ通りと名前のある道を山に向かって歩いて行きました。山の中のせせらぎ通りから見下ろす秋川の流れ。途中にあったお宅の門に飾られた鹿の骨。ちょっとビックリ!。こちらの蔵造り建物は、「一穂のコンニャク池谷」(→→→こちら)といって結構、有名店のようです。コンニャクには多くの水が含まれているので、清流秋川の水が豊富なこの土地ならでは名産かもしれませんね。(秋川渓谷のコースです)【つづく】人気ブログランキング秋川渓谷を歩く(その6) 山道を歩きます
Jan 10, 2023
コメント(20)

造り酒屋さんから山を登って行くと、いかにも小学校という建物がありました。ここは閉校したあきる野市立戸倉小学校を活用した「戸倉しろやまテラス」(→→→こちら)という、団体向け滞在型観光施設です。あきる野市立戸倉小学校は、平成25年3月、139年の歴史をもって閉校したそうです。敷地内にはその歴史を偲ばせる石碑がありました。戸倉小学校の石碑。地元の人達の思いでの詰まった小学校なんでしょうね。石碑の横にある学校の沿革を記した石碑です。小学校の正面玄関です。小学校にあった水の出口の向きを変えられる蛇口、万能ホーム水栓というそうですね。小学校から見えるあきる野市戸倉地区の風景。結構、住宅もありますが、昔は静かな山里だったんでしょうね。施設の中にあった里山の学校レストラン「食飲室(しょくいんしつ)」で売られていた揚げパン。230円はちょっと高かった。校庭の中にあったモミジの大木。あきる野市保存樹木だそうです。見事に紅葉していました。葉の切れ込みが深いカエデを「 モミジ」、葉の切れ込みが浅いカエデを「 カエデ」と呼ぶそうですね(→→→こちら)【追伸:こんな意見もあったとは】先日、投にした「秋川渓谷を歩く(その3) 法務大臣の心は」について、このようなコメントを頂きました。>犯罪を犯さなければ死刑にもならないのですから、弔いとは可笑しな事です。>日本では終身刑は無いし>それだけの事をしたんだから死刑もありだと思ってますこういう人の心がないような、鬼畜に近い考えをお持ちの方もいるのだなと改めて思いました。死刑という刑罰があるのは、人の命を奪うことが最も残酷で、そのことが人間社会の秩序(人と人が殺し合うことを避ける)を維持するために効果があるからだはないかと考えています。死刑を廃止すべきかどうかは、意見が分かれるとは思いますが、この人の命を奪うという最も残酷な権限を行使する時になんの疑問を持たず、躊躇しないというのは、死刑囚の家族の気持ちや、刑の執行が社会に与える影響などについて思いを巡らせないということで、それは、想像力或いは思いやりといってもいいような知能が欠如しているのではないかと思います。英国のヘンリー王子は「タリバンの戦闘員25人を殺害した、満足を覚える数字ではないが、恥じ入るものでもない」と述べたと言われますが、戦争とはいえ、タリバンの戦闘員でもその帰りを待つ家族もいたでしょうし、イギリス軍が単なる人殺したちの集団だとも思われかねませんね。人の命について語る時は、やはり慎重さを心がけて、思慮深くありたいものです。(秋川渓谷のコースです)【つづく】人気ブログランキング秋川渓谷を歩く(その5) 戸倉しろやまテラス
Jan 9, 2023
コメント(28)

ここからぱ東京都檜原村に向かう檜原街道(→→→こちら)に沿って歩きます。この付近が今回の駅からハイキング「~秋川渓谷~都心から約60分の大自然ので紅葉巡り」の中間点です。秋川にかかる沢戸橋です。このあたりになると、五日市の町はずれ、檜原村への山道にさしかかってきたという雰囲気です。この橋から見えた紅葉。見事に色づています。沢戸橋付近から下流にある佳月橋までの間は岩瀬峡とも呼ばれ、大中の岩が数百個以上集中して川の流れに変化をつけています。この辺りまで来ると、本当に檜原街道を更に進むと、こちらの建物が見えてきました。ここは「喜正(きしょう)」(→→→こちら)という東京の銘酒を作る造り酒屋さん。このような山と森に囲まれた山里の中で「喜正」というお酒が造られています。(秋川渓谷のコースです)人気ブログランキング秋川渓谷を歩く(その4) 岩瀬峡と山里の造り酒屋
Jan 8, 2023
コメント(24)

あきる野市は、江戸時代から林業が盛んで、このように植林した山もあるんですね。そして、再び秋川沿いの道に出てきました。このあたりはあきる野市でも旧五日市町で小和田という地区になります。このような自然に恵まれた所ですが、この五日市町小和田出身者の中に、「オタク」という人達にネガティブな印象を与えただけではなく、おそらくかってないほど凶悪な事件として多くの人の記憶に残っている東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人だった宮崎勤(→→→こちら)という方がいます。宮崎は平成20年(2008)に死刑が執行されたそうです。最近「法務大臣は死刑のはんこを押したときだけニュースになる地味な役職だ」という発言で大臣を辞任された方がいますが、宮崎の死刑執行を決裁したのは当時の法務大臣の鳩山邦夫氏です。MoMo太郎が福岡県久留米市にいた時のお客様で、この鳩山邦夫氏の熱心な支持者だったご高齢の婦人がいましたが、この方の語るところでは、「鳩山先生はいつも手首に数珠をつけていました。先生は法務大臣をしていた時に死刑にした人達への弔いの心で数珠をしていると言われていました」ということでした。鳩山邦夫という方を直接は知りませんが、それなりにこの人は職責の重さのようなものは感じていたんでしょうね。古くからある道標の石柱がありました。「向右五日市御嶽山道」と刻まれていました。この近くに「御嶽神社(→→→こちら)があるのでしょうね。秋川にかかる小和田橋から見た下流の景色です。こちらは上流側の景色です。渓谷と紅葉があって、東京都内でもこういう場所があるんだなと改めて実感しました。ちなみに秋川ではアユやヤマメが放流されていて、魚釣りをするには遊漁証を購入する必要があります。武蔵五日市駅前のセブンイレブンでも遊漁証は購入できるようです。(秋川渓谷のコースです)【つづく】人気ブログランキング秋川渓谷を歩く(その3) 法務大臣の心は
Jan 7, 2023
コメント(34)

東京都あきる野市にある五日市駅前から東京都檜原村に向かう檜原街道を歩くと、秩父多摩甲斐国立公園(→→→こちら)秋川渓谷という看板がありました。とはいえこの辺りはまだ国立公園の区域には入っていないとは思います。国立公園の地域に指定されると、多分、最も緩い規制の普通地域になっても、基準を超える工作物の建築、広告の表示、土石の採取、地形の変更などには届出が必要になります。特別保護地区になると落ち葉や枯れ枝を採取することさえ禁止になるようです。多摩川の支流の中で最大の川 「秋川」沿いに あきる野市網代付近から、檜原村の北秋川・南秋川まで20kmにも及ぶ範囲が「秋川渓谷」になります。写真に見える範囲は秋川橋河川公園になります。訪れた11月中旬はそろそろ紅葉が見頃となる時期のようで、色づいた木々もありました。最初に訪れたのは都立小峰公園(→→→こちら)です。小峰公園は、都立秋川丘陵自然公園内にあり手軽にピクニックやハイキングを楽しめる公園です。駐車場もあって、ドライブがてらにやってきても良さそうですね。こちらの建物が小峰ビジターセンターです。ここでは、自然や地域の里山文化などの案内解説や体験プログラムの提供など、さまざまな活動を行っているそうです。里山の自然と言うことで、秋川丘陵に棲んでいる動物のはく製なんかも展示されていました。二ホンアナグマ(→→→こちら)だそうです。クマといいながらイタチの仲間だそうです。こちらはホンドタヌキ(→→→こちら)はイヌ科の動物だそうです。本土といっても四国や九州にも棲んでいるらしく、北海道にいるタヌキはエゾタヌキと言うそうです。タヌキにしてもアナグマにしてもどちらも同じ穴のムジナ(貉)ですね。(秋川渓谷のコースです)【つづく】人気ブログランキング秋川渓谷を歩く(その2) 都立小峰公園
Jan 6, 2023
コメント(26)

昨年の11月12日、JR東日本の駅からハイキング、「~秋川渓谷~都心から約60分の大自然で紅葉めぐり」に参加するために武蔵五日市駅にやって来ました。駅の構内は、高い天井になっていました。JR東日本五日市線の終着駅なので、線路の先は行き止まりになっていますが、まだまだ、この先に延伸できそうな雰囲気を残しています。この先の桧原村まで線路を延ばす計画があるのかな。駅の南口に出ます。駅舎は、なかなか重厚感のある雰囲気の建物になっています。木製の駅名の看板もなんかいい味を出してます。この五日市観光案内所で駅からハイキングのルートが記載されている地図をもらいました。上皇后・美智子さまが奥多摩視察の際に詠まれた歌を青梅市出身の元防衛庁長官・石川要三氏の筆でしたためた歌碑てす。そして、いよいよ武蔵五日市駅から出発です。(秋川渓谷のコースです)【つづく】人気ブログランキング秋川渓谷を歩く(その1) 武蔵五日市駅
Jan 5, 2023
コメント(36)

JR山手線御徒町駅近くにある銭湯「燕湯」(→→→こちら)です。開業時期は不明ですが、店主が新潟県の燕三条地方出身だったため「燕湯」という屋号になったとそうです。普通、銭湯は午後3時半くらいから営業ですが、ここは朝6時から営業しています。これは秋葉原駅の辺りにかつてあった野菜市場や上野駅まで出かけてきた行商など、夜中から早朝まで働く人々に向けて早朝営業をしていた名残だそうです。でもここで働いているとお昼休みは交代制ですかね。燕湯さん、登録有形文化財だそうです。というのは、浴場のなかにあるペンキ絵の横にある岩山が、実際に富士山の溶岩で造られており、現在では富士山が国立公園となって溶岩などの岩石を持ち出すことは当然できないため、大変貴重なものであるという理由だからとか。人気ブログランキング登録有形文化財の銭湯
Jan 4, 2023
コメント(30)

今戸神社に行ったなら、近くの待乳山聖天(まつちやましょうでん)様(→→→こちら)にもお参りしないといけません。特にMoMo太郎の祖父は商店を経営していたせいか、聖天さまへの信仰が篤かったので、これを忘れてはご先祖様に顔向けできません。待乳山聖天は、浅草寺の子院のひとつで正式には、「待乳山本龍院」です。待乳山の「まつち」とは真土とも書き、周囲が見渡せる土でできた山という意味でそうです。伝承では、推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられており、それが金龍山浅草寺の山号の謂れだということです。普通は、こちらの山門から小高い丘のうえにある本堂にお参りするのですが。今回は、こちら「さくらレール」というケーブルカーで登ってみました。こちらが本堂、こちらでは大根をお供えする習わしとなっています。その理由は以下の通りだとか。大根は清浄、淡白な味わいのある食物としてすべての人に好まれ、しかも体内の毒素を中和して消化を助けるはたらきがあるところから、聖天様の「おはたらき」をあらわすものとして尊ばれ、聖天様のご供養に欠かせないお供物とされているそうです。また、お供えされた大根は、お下がりとして信者に無料で配られます。また「大根まつり」という行事があり、お供えされた大根を、フロふきにし調理して、御神酒と共にご参詣者に食べさせてくれる行事もありますが、今年も新型コロナのためにフロふきはいただけないようです。お正月らしく、神楽が奉納されていました。人気ブログランキング待乳山聖天様にも初詣
Jan 3, 2023
コメント(30)

初詣に浅草にある今戸神社(→→→こちら)へ行ってきました。縁結びにゆかりのある神社として知られているせいか、若い女性の参拝が多いように感じました。この今戸神社は、康平6年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれています。また新選組の沖田総司の終焉の地であるとも言われていますが、これは、当時結核を患っていた沖田を診ていた松本良順が、当時今戸神社を仮の住まいとしていたということからきています。しかし、沖田は今戸八幡神社に間借りしていた松本の手引きにより、千駄ヶ谷の植木屋の柴田平五郎宅の納屋に匿われており、同地で死亡した、というのが定説となっているそうです。招き猫発祥の地のひとつとしても知られています。これは嘉永5年(1852年)に記された地誌「武江年表」の記述によるもので、浅草花川戸に住む老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れて「自分の姿を作り祀れば福徳自在となる」と告げたので、その通りにしたところ利益を得たことが評判となり、今戸焼の土人形にして浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居辺りで老婆によって売り出され大流行になった、ていうことが根拠になっているとのことですが、招き猫を売り出したのは浅草三社様で、今戸神社が売り出したというわけではないのんですね。人気ブログランキング今戸神社へ初詣
Jan 2, 2023
コメント(34)

あけましておめでとうございます。ロシアによるウクライナ侵攻、急激な円高、おぼつかない政権運営等々、諸々不安が山積している年明けですが、本年も宜しくお願い致します。人気ブログランキング新年おめでとうございます
Jan 1, 2023
コメント(37)
全31件 (31件中 1-31件目)
1