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さらに巌窟ホテルに並んで建てられていた「懸造り」の建築物です。「懸造り」とは、京都清水寺の観音堂のように山の崖(がけ)や河の岸に張り出してつくられた建造物のみことを言います。ここは岩室(いわむろ)観音堂(→→→こちら)という真言宗智山派岩室山龍性院の境外仏堂になります。この仏堂の始まりは、弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4センチメートル)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられているそうです。観音堂からも背後の武蔵松山城址に登って行けそうですが、バリケードが置かれていたので、危険なのかもしれません。札所巡りとして有名なものは「西国三十三ヵ所」「坂東三十三ヵ所」「秩父三十四ヵ所」ですが、江戸時代になると、遠隔地を巡礼できない人々のために、地域ごとに完結する札所めぐりが創設されるようになり、埼玉県の比企郡内には「比企西国三十三ヵ所」というものができたそうで、この岩室観音は比企西国三十三所の第三番札所になるそうです。凝灰岩を堀って作った穴には、88体の石仏が収められており、これは四国八十八ヵ所の霊地に建てられた本尊を模したもので、札所巡りに加えて、弘法大師が修行した四国八十八ヵ所を巡拝することを「遍路」もできるという趣向です。このように岩をくり抜き、石仏が祭られています。しかし、巌窟ホテルといい、この岩室観音堂といい、そしてこれから訪れる吉見百穴といい、ここは岩山をくり抜くのが流行していた場所なんでしょうか。(吉見百穴の周辺)【つづく】人気ブログランキング吉見百穴(その3) 岩室観音堂
May 31, 2023
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吉見百穴の手前には、まだまだ興味深いものがありました。フェンスに囲われた木々のすき間からコンクリートの建物のようなものが見えます。コンクリートの建物のあたりをズームで撮影してみると、コンクリートではなくむき出しの岩肌が見えました。こちらが、幻の名所「巌窟ホテル」(→→→こちら)だそうです。巌窟ホテルとは、この近くに住んでいた安政5年生まれの高橋峰吉という農夫が、明治37年から大正11年までの21年間、ノミ1つで掘り続けたものでだそうで、また峰吉の死後は、昭和の初めから息子の奏次が作業を引き継ぎ、昭和39年ころまで2階部分の掘削やペイントの補修作業が続けられたそうです。正式名称としては「巌窟ホテル高壮館」と名が付いているそうですが、ホテルとして使われたことはなく、峰吉氏はワインなどを作るための醸造用の施設を作る予定だったそうですが、「岩窟掘ってる」が訛って「岩窟ホテル」と呼ばれるようになったとか。その一方、内部には大広間や通路、科学実験室などがあり、階段を上って2階に上がることができた。岩を削り出した花瓶台なども。当初は3階まで作る構想だったそうです。 峯吉の死後、2代目の泰次が引き継いだが、岩壁が崩れやすい凝灰岩質のため、保守・管理が中心だったそうです。一時は観光地になったのですが、今では立ち入り禁止になっています(→→→こちら)。なお、この巌窟ホテルの向かいにある巌窟売店は、高橋さんの家族が運営しており、往時の写真や使用していたノミなどの資料が展示されています。うどんも美味しいと評判のお店だそうです。(吉見百穴の周辺)【つづく】人気ブログランキング吉見百穴(その2) 巌窟ホテル
May 30, 2023
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埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴(よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ)を訪れました。地元では「ひゃくあな」と呼ぶことが多いそうですが、国の史跡に登録されているのは「ひゃっけつ」となっているそうです。名前の通り、岩山の斜面に多数の穴が空いています。さて、その前に吉見百穴(→→→こちら)の周辺にある観光スポットを紹介します。まず、紹介するのは「武蔵松山城跡」(→→→こちら)です。武州松山城または武蔵松山城とも呼ばれており、国の史跡「比企城館跡群」の一つになるこの松山城は、。戦国時代には上杉謙信、武田信玄、小田原北条氏などの名将が激しい攻防を繰り広げました。その中には、松山城風流合戦というのがあり、扇谷上杉氏と北条氏の間でこの城をめぐって起こった合戦において交わされた和歌問答が知られています。扇谷上杉軍の城代難波田弾正憲重が味方の戦況不利なのを見て城に引き上げる途中、北条方の山中主膳に和歌で、あしからじ よかれとてこそ戦わめ など難波田の崩れゆくらん(主君のために良かれと思い闘ったのではないか、なぜそれなのに難波田弾正ほどの名のある者が逃げるのか)これに対して、馬を停めて踵を返した難波田弾正は、君おきて あだし心を我れもたば すえの松山波も越えなん(幼い主君を置いて自分が死せば、しまいには松山は荒波の中に呑まれてしまうであろう。そういうわけにはいかんのだ)と返したのだとか、まあ合戦中にこんな優雅なひと時があったとも思えませんが。そのほかにも、武田・北条連合軍が永禄5年(1562)11月に上杉憲勝が守るこの城を攻めるため甲斐から金堀人足を呼び寄せ、城内に向かってあらゆる方向から掘りすすめたそうです。残念ながら、この作戦は失敗に終わったそうですが、上杉憲勝は北条氏の和睦交渉により越後から来る上杉政虎(のちの謙信)の援軍を待たずに開城し、以降松山城は北条氏の勢力下に入ったそうです。しかしながら、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐の際、前田利家・上杉景勝などの軍勢に攻め落とされました。こちらが本曲輪裏手になるそうです。この石段を登って、少しだけ城跡に入ってみました。かって曲輪だった広場も鬱蒼とした木立が覆っていました。城跡からこちら市野川の方に出てみました。松山城を囲むように流れるこの川は、城を守る天然の堀だったようですね。河岸の土手には一面にクサフジ(→→→こちら)の小さな花が咲いていました。これは食べられる野草だそうです。松山城で戦った戦国時代の兵(つわもの)たちも、このクサフジを茹でてから水にさらし、和え物やおひたし、酢の物にしたりして食べたのでしょうかね。(吉見百穴の周辺)【つづく】人気ブログランキング吉見百穴(その1) 武蔵松山城跡とクサフジ
May 29, 2023
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五月も下旬になると、もう暑くなってきたので、お昼はあっさりと、富士そばで冷やしたぬき(490円税込み)を頂きました。夏になると、こんな食事が増えてきそうですね。人気ブログランキング孤独のグルメ 冷やしたぬき
May 28, 2023
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ダムの湖面がキラキラと光を反射しています。奥多摩湖は蛇行しながらこの山々の奥深くまで広がっています。湖面には浮橋が架かっていますね。浮橋には船が係留されています。この船は遊覧船ではなく、水道水となる奥多摩湖の水質を監視する船だと思われます。小河内ダムの堤体の上は人が歩いて対岸まで行けるようなっていました。堤体には2つの塔があります。この塔はダムの堤体の中を点検するためのエレベーターや階段があるものでしょう。ダムの竣工年月が記された銘板が堤体の柵の親柱に埋め込まれています。重力式コンクリートダムの下流側です。勾配が急ですが、重力式コンクリートダムの下流側の勾配、大抵のダムは1:0.8の勾配(垂直に1メートル上がると、水平に0.8メートル進む)になっているケースが多いです。これはダムの転倒に対する安定計算の結果です。堤高は149メートルです。大体ビルの50階から見下ろす感じです。ダム下流のダム直下には水力発電所があります。2つある塔の一つは、小河内ダムの展望塔として中に一般の人が入れるようになっています。展望塔の2階には小河内ダム周辺も含めた航空写真が床に置かれていました。3階からは小河内ダムとその貯水池が展望できます。窓ガラス越しに奥多摩湖を撮影したので反射して撮影者の手が写り込んでいます。ダム下流側の多摩川の渓谷です。この渓谷の中に奥多摩むかし道があり、そこを歩いてきました。次にダムのこちらを歩いて右岸側まで行ってみます。右岸側にの広場にこんなモニュメントがあります。ダムの工事で87名の尊い命が失われました。その慰霊碑です。ダムの上流側です。一直線に延びたダムの堤体です。こちらには、錆びた金属製の物が置かれています。こちらはダムのコンクリートを打設するのに使われたコンクリートバケットです。今は色んな工法が開発されているようですが、小河内ダムが建設された時代はダムの両岸に鉄塔を建て、その間をケーブルで結び、そのケーブルにこのコンクリートバケット吊られていて、必要な場所にコンクリートを打設する方法が一般的でした。しかし、どうやって両岸の鉄塔にケーブルを掛けたのでしょうか?ドローンにケーブルの端をつけて、対岸に飛ばしたんでしょうか。その頃からドローン使われていたんですかね。考えてみて下さい。こちらは浮橋を浮かべるために使われたドラム缶の浮具です。というわけで、歩き疲れたので、帰りはバスに乗ってJR奥多摩駅に戻りました。このバス奥多摩湖が始発バス停というのではなく、ダム上流の集落からやって来るようで、バスの座席はもう埋まっていましたから、駅まではパスの中で立って帰りました。ちょっと疲れましたが、なかなか山の緑が楽しめたハイキングでした。(奥多摩むかし道を歩くコース)【了】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その20) ダムの上から
May 27, 2023
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ここまでやってきて、小河内ダムとダムによって生まれた小河内貯水池(通称「奥多摩湖」)(→→→こちら)も見学してみました。山あいに広がるエメラルドグリーンに輝く湖。しかし、普段からこの水を都民が飲んでいるわけではないようです。小河内ダムの完成当時、東京の水源は主に多摩川水系に依存していましたが、現在は都の水源の約20%となっています。 しかし、小河内ダムは東京都の独自水源として、利根川水系の渇水時や事故時には放流量を増やすなど、住民の安定給水の確保に重要な役割を果たしています(→→→こちら)。正面に見えるのが小河内ダムの堤体です。小河内ダム について簡単に諸元を記すと 所在地:東京都西多摩郡奥多摩町 河川:多摩川水系多摩川 目的:上水・発電 ダム型式: 重力式コンクリート 堤高:149m 堤頂長:353m 堤体積: 1676千m 流域面積:262.9km2 ( 全て直接流域 ) 湛水面積:425ha 総貯水容量:189100千m3 有効貯水容量:185400千m3 着手:1936年(昭和11年) 竣工:1957年(昭和32年) ダム湖名 奥多摩湖 (おくたまこ)我が国屈指の大ダムで、世界最大の水道専用ダムといわれることが多いそうです。「東京水道~企業の森(ネーミングライツ)」の取り組みが紹介されていました。ダムの水を生み出すためには、ダム流域の森林を育むこちが大切で、東京都水道局が企業と連携した森づくりとして水道水源林の一部の森林にネーミングライツを設定し、企業からの寄付をいただき、森づくりを行っているそうです。こちらは人間日時計というもので、この日時計の中心部を通るライン上に日付の目盛りがあり、その位置に立つと日時計のように時刻がわかるようになっています。日時計の周囲には、小河内ダム建設の歴史を記した説明板が展示されています。小河内ダム建設には長い道のりがあり、ダムに着手したのが1936年(昭和11年)で、途中戦争による中断をはさみ、完成したのは1957年(昭和32年)という21年間もの時間を要しています。「湖底の故郷」と刻まれた石碑がありました。揮毫は日本におけるスポーツ医学の草分けとなった医師であり、1959年(昭和34年)~1967年(昭和42年)の二期にわたり東京都知事を務めた東 龍太郎氏です。IOC委員を務め最初の東京オリンピック開催への功績も大きい方です。石碑の裏側には、歌手の東海林太郎さんが歌う「湖底の故郷」(作詞・島田磬也、作曲・鈴木武雄)という昭和12年に発表され、全国的に愛唱された歌が刻まれた歌碑となっています。ダム建設に伴い、東京都の小河内村、さらに山梨県丹波山村・小菅村を合わせ、945世帯6000人(小河内村は600世帯、3000人)ほどが移転を余儀なくされ、村を離れることの思いを歌にしたそうです。夕陽は赤し 身は悲し 涙は熱く 頬濡らすさらば湖底の わが村よまた、小河内ダム建設のため水没する村から三多摩地域の代替地に移住した人々のその後を描いた石川達三氏の小説「日蔭の村」(→→→こちら)をはじめいくつかの書籍もあるようですね。こちらは、ダムの洪水吐です。最大洪水量1,500m3/sを流下させることができるようです。仮面ライダーシリーズ第1作「仮面ライダー」の第1回に登場した怪人、蜘蛛男とライダーが戦った場所であり、最近公開された映画「シン・仮面ライダー」でも、人間とクモの合成した怪人のクモオーグとライダーはこの場所で戦っています。この洪水吐のゲートの上を越えてダム本体の方に向かいます。この湖底にも、人々の営みがあったという、その重みを感じて、これからは水道水を使わせていただきます。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その19) 奥多摩湖と湖底の故郷
May 26, 2023
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奥多摩むかし道を歩いていると、所々で見かけた看板です。地球の環境を守るために森林再生間伐事業をやっいたのですね。ところでここで出てくる林班とは、林野庁のホームページによると、森林の区画の単位で、都道府県が作成する地域森林計画の森林計画図において定められます。行政上の字界、尾根や川などの天然地形又は道路などの地物をもって区画して設定されています。市町村ごと(又は一定地域ごと)に一連の番号が付けられており、森林計画図でその区域を確認することができます。ということでした。奥多摩湖まで600mのところまでやって来ました。ここから先の道は舗装された道です。国道411号線、青梅街道に出ました。ここは秩父多摩国立公園なんですね。そして、ゴールの奥多摩水と緑のふれあい館(→→→こちら)に到着しました。この施設は、東京近代水道100周年と小河内ダム竣工40周年の記念事業として、 東京都水道局と奥多摩町の共同で、1998年に開館した施設です。郷土の歴史・文化、都民の水源地である奥多摩の豊かな自然や、ダムの仕組み、水の大切さなど3Dシアターやジオラマ・ビデオなどで紹介しています。しかもMoMo太郎の大好きな入館料無料なんです。水と緑ふれあい館の前にあった変わったモニュメント。2013年9月29日に行われた東京国体(スポーツ祭東京)自転車競技ロードレース本番の、前年のプレ大会(第2回東京ヒルクライムHINOHARAステージ)を記念して設置された自転車ゆりーと像というそうです。ちなみに「ゆりーと」とは、第68回国民体育大会及び第13回全国障害者スポーツ大会を応援するための「ゆりかもめ」をモチーフしたキャラクターです。また周辺には、「登々、極水源 隔谷、幾村々 崖峻、泉鳴筧 岳高 雲入軒」昭和六稔二月廿二日武州小河内宿舎即興蘇峰老人と刻まれた石碑がありました。徳富蘇峰(→→→こちら)の詩碑「登々、水源を極め 谷を隔て、幾村々 崖けわしく、泉は筧(かけひ)を鳴らし 嶽高く、雲軒に入る」というもののようです。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その18) 奥多摩水と緑のふれあい館
May 25, 2023
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いよいよ奥多摩むかし道を歩く行程も大詰めで、奥多摩湖(小河内ダム)に近づいてきました。そして、奥多摩湖へ向かって、この山道に入ります。やがて木立の隙間から小河内ダム(→→→こちら)の姿が見えてきました。言うまでもないことですが、小河内ダムで堰き止められてできた貯水池が「奥多摩湖」と呼ばれています。そして、奥多摩湖まではあと2.5kmとなり、いよいよゴール間近かと思いましたが、よく考えてみれば、ダム両側の山というのはダムの高さより高くないと水が貯まらないわけですから、急な山道を登り続けないといけません。ここでギブアップも思いましたが、こんな山の中にタクシーは来てくれない。ということで歩きます。見晴らしのよいところで多摩川の下流側を撮影しましたが、本当に山深いところだと改めて思いました。山の斜面にへばりついたような未舗装で細い山道が続きます。防護柵があるので安心ですが、なければとても危険です。奥多摩むかし道は旧青梅街道だったといいますが、こんな険しい道だったんでしょうか?思うにダムができる前から旧青梅街道として人々が利用していた道は、ダムが出来て使えなくなったので、ダムの横を大きく迂回して山を越えていくようになったので、このような登山道が「奥多摩むかし道」として作られたのではないのでしょうか。そして、木立の隙間から見える小河内ダムの洪水吐です。大雨の時は洪水がここを越流していくのですね。「青目不動尊」なかなか有名なお寺があるみたいでしたが、かなり足にきていたので参拝は諦めて素通りしました。青目不動尊のあたりから見下ろした奥多摩湖です。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その17) 山道続く、未舗装・道細い
May 24, 2023
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別に歌舞伎とかに詳しくはないんですが、市川猿之助さんの自殺未遂。色んな憶測があるみたいですが、猿之助さんの両親は向精神薬の過剰摂取による中毒死で、猿之助さんも薬物中毒の形跡があり胃の洗浄を受けたそうです(→→→こちら)。どのような理由であれで、亡くなられたご両親には哀悼の意をささげます。しかし、市川猿之助の屋号は澤瀉(オモダカ)屋というそうですが、オモダカ(→→→こちら)という植物は水田や湿地、ため池などに自生して白い花弁を3枚つける植物ですが、どちかと言うと、雑草に近い認識らしいです。しかし、近縁のサジオモダカの塊茎は沢瀉(タクシヤ)と呼ばれ、利尿効果などのある漢方薬として利用されているそうです(→→→こちら)。ということで、澤瀉という屋号の家の方が薬物で亡くなるって、なんか皮肉な感じもしますね。人気ブログランキング澤瀉屋(オモダカヤ)って名前に引っ掛かりました
May 23, 2023
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奥多摩むかし道にある川合玉堂(→→→こちら)の歌碑です。「山の上のはなれ 小むらの名を聞かむ やがてわが世を ここにへぬべく」明治36年夏奥多摩中山郷付近にて詠みし奮作を志とする 玉堂と記されていました。こちらの看板も解説文がありましたが、文字は判読できませんでした。川合玉堂は、1944年(昭和19年)にかねてより写生で頻繁に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市御岳)に疎開し、1957年(昭和32年)、89才で他界するまで、奥多摩を離れることなく山や村などを描きつづけたそうです。小河内ダムに向かって更に歩いて行くと、また吊り橋がありました。道所橋という橋です。この橋も同時に渡れるのは2人までとなっていました。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その16) 玉堂歌碑と道所橋
May 22, 2023
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昔は馬だけではなく牛も運搬の手段として使われていたそうで、牛馬の息災を祈る牛頭(ごず)観音が祭られているそうです。こちらの小さな石仏が牛頭観音です。素朴な感じがする石仏ですが、それだけに当時の人たちの祈りの気持ちが伝わってくるようです。石積みの中に目立たないように祭られている石仏がありました。むし歯地蔵尊だそうです。この目立たない石仏が、「むし歯地蔵尊」だそうです。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その15) 牛頭観音とむし歯地蔵尊
May 21, 2023
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道の切羽面に説明板がありました。説明板には「縁結びの地蔵尊」とありましたが、お地蔵様の石仏、どこにも見当たりませんでした。切り立った崖にそって奥多摩むかし道は続きます。こちらにも説明板がありました。馬の水のみ場だそうです。茶店は今はありませんでした。馬の水のみ場にはまだ、清水が僅かですが、湧き出していました。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その14) 縁結びの地蔵尊はなかったけど馬の水飲み場はありました
May 20, 2023
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多摩川沿いを歩く奥多摩むかし道、川に沿って渓谷があるようです。このあたりが惣岳渓谷と呼ばれるているそうです。渓谷美が木立の間からのぞき見えています。しばらく行くと大きな吊り橋があります。しだくら橋と呼ばれているみたいです。同時に渡れるのは2人までだそうです。全長は約67mだそうです。歩くとこの橋、よく揺れました。橋の上からは、「惣岳の荒」と呼ばれる渓谷美を見下ろすことができました。巨岩がゴロゴロとした荒々しい渓谷美です。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その13) 惣岳渓谷としだくら橋
May 19, 2023
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駅からハイキング「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」、中間点を過ぎていよいよ後半戦です。石柱の道標を確認してみると、右 さかい村 奥多摩駅左 惣岳渓谷 小河内温泉と刻まれていました、しかし、温泉があるとは知りませんでした。前を向いても山。振り返っても山だけの道になりました。信仰の厚い山の暮らしなのでしょうか、また鳥居がありました。惣岳の不動尊と説明板に書いてありましたが、不動尊って仏教の神様では? とすると、神社を示す鳥居は謎ですね。そんなMoMo太郎の愚問に関係なく、道端の観音像が静かに微笑んでいました。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その12) 惣岳不動尊
May 18, 2023
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たまにはファミレスでお昼を食べることもあります。これはガストの月曜日の日替わりランチ 「ハンバーグデミソース&チキングリル醤油ソース」(700円税込み)です。ライス大盛無料・日替わりスープおかわり自由というのも魅力的でした。しかし、ファミレスのランチというと、なんかハンバーグが多いような気がしますね。人気ブログランキング孤独のグルメ ガストの日替わりランチ
May 17, 2023
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奥多摩むかし道を歩いています。緑に囲まれた山道を歩いていくと、また説明板を見つけました。樹齢約200年のもみじの木だそうで、「いろは楓」というそうですが、「楓」という漢字なら「いろはかえで」と読むべきでは。そこで、もみじ(紅葉)とかえで(楓)の違いについて、Microsoft BingのAIに聞いてみました。かえでともみじの違いについてお答えします。かえでともみじは、どちらもムクロジ科カエデ属の植物で、植物学上では同じ分類です。しかし、一般的には、葉の切れ込みが深いものがもみじ、切れ込みの浅いものがかえでと呼ばれます。また、名前の由来にも違いがあります。もみじは、秋に草木が赤や黄色に色づくことを意味する動詞「もみず」からきています。かえでは、葉の形がカエルの手に似ていることから「カエル手」が変化したものとされています。日本では、紅葉の代表として「イロハモミジ」「ヤマモミジ」「オオモミジ」などの品種があります1。これらは葉の大きさや形、紅葉の色などで見分けることができます。ということです。葉っぱの形で見分けてみると、切れ込みが深いので「もみじ」ですね。そして、このあたりが今回の駅からハイキング「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」の中間地点になります。まだ、道半ばです。ここからもうひと踏ん張り、と思ったら、沿道のお宅によもぎ大福の無人販売所があったので、100円払って1個いただきました。こういう時の甘いものいいですね。MoMo太郎がお餅を食べ終えた時、3人連れのおば様方が来て、大福餅を見つけると、「500円硬貨しかないから、5個買うわ」と言って、3人で5個のよもぎ大福を買っていきました。3人で5個どうやって分けるのか気になりました。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その11) 中間点でよもぎ大福
May 16, 2023
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奥多摩むかし道に沿って、また神様がおられました。耳神様というそうです。確かに穴の開いた小石が置かれていました。奥多摩の山村の人々の暮らしがうかがえる貴重な遺産ですね。そしてこの耳神様の頭上には、新たに整備された青梅街道のトンネルと、さらにその上にはかっての東京都水道局小河内線(→→→こちら)の廃線跡の橋梁がありました。天高くそびえる橋脚と橋桁、ダムを造るための鉄道建設も、本体のダム並みに大変な難工事だったのではないかと思わせますね。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その10) 耳神様と廃線の橋梁
May 15, 2023
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白髭神社を過ぎて、少し行くと、ちょっと変わった岩がありました。この説明板によると、「弁慶の腕ぬき岩」というそうです。ごつごつとしたこの大きな岩の下側に、なるほど、大人の腕がちょうど入るほどの穴が巨石を貫いていました。先ほどの白亜の巨岩といい、大地の不思議な力を感じる奥多摩むかし道です。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その9)弁慶の腕ぬき岩
May 14, 2023
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奥多摩むかし道沿いにある白髭神社です。神社はこの石段を登ったところにあります。巨岩が信仰の対象として祭祀されているそうです。MoMo太郎の知っている向島の白鬚神社の御祭神は猿田彦大神ですが、この奥多摩の白髭神社の御祭神は「巨岩」?石段の上はこのような崖に沿った細い道。そして木立の間から巨岩と社殿が見えてきました。大きな白亜の巨岩の陰にある、ここが白髭神社です。この石碑によると、社殿は昭和56年に再建されたようです。この白亜の巨岩は、約6000万年前の三世紀石灰岩が白亜紀泥質岩の上に急角度でせりあがってできたものだそうです。つまり、逆断層ですね。この大地が動かす力が祭られている白髭神社こそパワースポットではないでしょうか。【正断層と逆断層】正断層と逆断層の違いは、地殻の変動によって生じるひずみの方向にあります。正断層は、ひずみが引っ張りになるときに発生し、上部のブロックが下部のブロックよりも低い位置に移動します。逆断層は、ひずみが圧縮になるときに発生し、上部のブロックが下部のブロックよりも高い位置に移動します。正断層と逆断層は、地震や火山活動などの自然現象に影響を与える重要な構造です。(この解説は、Microsoft Bing のAIによって作成しものです)(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その8) 大地の力が宿るパワースポット、奥多摩の白髭神社
May 13, 2023
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奥多摩むかし道からまた廃線跡が見えてきました。このあたりはちょっとした集落になっています。これも小河内線の遺構ですが、なんか今でも機関車にけん引された貨車か走っていてもおかしくはないような景色でした。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その7) 天空に架かる廃線跡の鉄橋
May 12, 2023
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奥多摩むかし道には、このような石柱でできた道しるべも建てられています。槐木の地点を過ぎると、林道も兼ねているのでしょうか、このような舗装された道が続きいています。こちらの道しるべでは、奥多摩湖までまだ7.7Kmです。このまま舗装した平坦な道が続くことを願いました。と思ったら、この階段を上るのですね。階段の後はこのような舗装した道がありました。奥多摩むかし道、サイクリングで楽しんでいる人もいるんですね。初夏のこの時期、藤の花も咲いていました。しかし、藤の木って、他の自立している木に蔓を巻き付けて成長しているのですね。まるで自立せずに実家の親に居座って寄生しているパラサイトシングルみたいな植物ですね。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その6) 舗装した道もありました
May 11, 2023
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旧青梅街道であった奥多摩むかし道に沿って石仏が並んでいました。随分、沢山の石仏が並んでいました。やはり、険しい旧青梅街道を往来した人たちが道中の無事を願って建立していたんでしょうか。奥多摩むかし道はハイキングコースとして整備されている面もあるのでしょう。所々にこのようなトイレと休憩スペースが設置されていました。また、このトイレの近くには祠が建てられており、小さな石仏と大きな馬頭観音像が祭られていました。花や吊し雛が供えられていて、地元の人たちの信仰を集めているようです。さらに大木があり、説明板も設置されていました。ここは、槐木(さいかちぎ)という場所で、ここにあるサイカチの大木が地名の由来となっているそうです。また、羽黒坂と桧村からの坂道を登りつめたところにありも休み場として賑わった場所だったようです。こちらが地名の由来となったサイカチの木です。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その5) 石仏に込めた思い
May 10, 2023
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奥多摩むかし道、道標があるのでそれに従って歩いていけます。この日は奥多摩むかしみちセラピーウォークというイベントも開催されていたので、大きな案内看板もあってわかりやすく歩けました。この道が奥多摩むかし道。コンクリートですが舗装もしてあり歩きやすそうと思いましたが、・・・。旧青梅街道では羽黒坂と呼ばれる坂道だったそうです。昔の人たちの苦労を少し感じるウォーキングも悪くはないかと思いましたが、・・・。結構、本格的な山道になっていて、普通のスニーカーでやってきたMoMo太郎、この時点で、ちょっぴり後悔。そして、この後はもっと後悔、リタイアも考えることになりました。途中にあった立ち入り禁止のバリケード。奥多摩工業が設置したものです。草に隠れていましたが、よく見ると、線路の跡が、これも奥多摩工業が管理している東京都水道局小河内線(→→→こちら)の廃線跡ですね。さらに山道の木立に隠れてわかりにくいですが、廃線跡の橋梁とトンネルがあるのが見えました。トンネル後の坑口の真上から廃線跡を撮影しました。現在も東京都民の水道水源として重要な役割を担っている小河内ダムの建設用資材輸送用に東京都水道局が敷設・管理した小河内線。1952年(昭和27年)に開通し、1957年(昭和32年)までのわずか5年ばかり利用された仮設備のようなものだと思っていましたが、遺構としてかなりしっかりと残っているんですね。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その4)羽黒坂と廃線跡のトンネル
May 9, 2023
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このあたりは交番(派出所)ではなく駐在所なんですね。二階建てになっているので、警察官やその家族の人が住んでいるんでしょうね。寺島進さんのような駐在刑事(→→→こちら)の方もいるのかな。日原街道入口の交差点に戻ってきました。ここからこちらの道、青梅街道に沿って歩いて行くのかと思ったところ、こちらの大きな木製の看板に示されている奥多摩むかし道(→→→こちら)を歩いてゆきます。「奥多摩むかし道」は旧青梅街道にあたり奥多摩町氷川地区から小河内地区を結んでいます。今の青梅街道ができて車での移動が楽になる以前の山村の生活道を歩いてみます。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その3)奥多摩むかし道
May 8, 2023
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5月2日に行った駅からハイキング「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」の報告です。こちらが奥多摩駅です。山小屋を思わせる意匠のオシャレな駅舎です。撮影している時は気が付かなかったのですが、ちょっと愛用のCanon-SX720HSのレンズが汚れていてようで、これから時々お見苦しい写真が出てきますがご容赦願います 。駅から北に向かって歩いていくとあったこの建物。奥多摩町役場でした。さらに進むと、工場が見えてきました。こちらは奥多摩工業という会社の石灰石の選鉱、生石灰の製造・出荷、石灰石系砕石の製造・出荷を行っている工場です。かってはここで採掘された石灰岩が青梅線を経由して川崎などにあるセメント工場へ貨物輸送されていたそうです。多摩川の支流、氷川にかかるこの橋を渡ります。橋の上から新緑の山々が、このあたりは氷川国際ます釣り場として利用されています。橋を渡って行くと、この日原街道がありました。なるほど、この道を行くと日原鍾乳洞に行けるのですね。だから石灰岩の工場があるんですね。さて、この駅からハイキングのタイトルが「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」ですから、廃線跡を見るのがこのハイキングの目的ですから、廃線跡のアーチ橋が見える場所がコースに入っています。これは小河内ダムの建設用資材輸送用に東京都水道局が敷設・管理した貨物線した、東京都水道局小河内線(→→→こちら)の廃線跡です。ダム竣工後は西武鉄道へ譲渡され、さらに奥多摩工業へ譲渡され、現在は「水根貨物線」として遺構が残っているそうです。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その2)東京都水道局小河内線の廃線跡
May 7, 2023
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ゴールデンウィーク、真っただ中の5月2日、JR東日本が主催する駅からハイキングの「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」に参加してきた報告です。新宿から青梅行快速に乗って1時間余りでここ青梅駅に到着しました。青梅線青梅駅から奥多摩駅間は、東京アドベンチャーラインの愛称がつけられています。この奥多摩行きの各駅停車に乗りこみました。奥多摩行きは一時間に一本くらいしか運行されていないので青梅駅で30分くらい発車まで待ちました。ヘッドマークにも「東京アドベンチャーライン」。青梅・奥多摩間の18.7キロの間を45分掛けて、終着駅の奥多摩駅に到着しました。ホームには本格的な登山をする姿の人でいっぱいでした。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その1)奥多摩にやって来ました
May 6, 2023
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晴天に恵まれたゴールデンウィーク、高速道路、どこへ行っても混んでいましたね。そんな中、MoMo太郎も高速道路を使ってドライブを楽しんできました。ドライブへ行った所のご報告は、後日改めてさせて頂きますが、途中立ち寄ったPA(パーキングエリア)をご紹介します。こちらは圏央道(正式名称は「首都圏中央連絡自動車道」)ある菖蒲PA、一般道からも利用できる施設です。そして、端午の節句の今日にふさわしい名前のPAです。こちらは首都高速にある川口ハイウェイオアシス。こちらの施設も一般道からも利用できますが、高速川口線を利用した場合は、上り線からのみ直接入ることができます。レストランやカフェ以外にも、イイナパーク川口という、芝生広場などを備えた公園もあり、ここを目的地に遊びに来てもいいかも。人気ブログランキング高速道路のPA
May 5, 2023
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今日からはしばらく文京区散策シリーズをいったん休ませて頂きまして、ゴールデンウィーク中に訪れた場所の紹介をします。やってきたのは、総武線の平井駅。駅の南側にある平井親和商店街です。いわゆる下町の商店街という庶民的な雰囲気です。この商店街を通って住宅街の中に入っていくと、目的地のこのお家がありました。なかなか小奇麗な住宅ですが、ここが「ひらい圓蔵亭」(→→→こちら)です。「ひらい圓蔵亭」は、墨田区本所の生まれながら、生後すぐにこの江戸川区平井に引っ越してきて、生涯を通して平井に在住していたため、「平井の師匠」という通り名があった落語家の8代目橘屋圓蔵(1934年 - 2015年)(→→→こちら)さんの自宅を江戸川区が買い取り一般公開されている建物です。考えてみれば、貧乏長屋のことなどを話題にしている落語家なんですから、師匠と呼ばれるような人気者になってお金持ちになったとしても、やっぱり六本木や青山のような高級住宅街にお屋敷を建てて住むようなわけにはいかないでしょうね。ところで、橘屋圓蔵という名前よりも、襲名前の若手の時代に月の家圓鏡としてテレビ・ラジオで活躍していた頃の方が印象が強い方の方が多いかも知れませんね。「ひらい圓蔵亭」は、落語文化の発信拠点として一般公開している施設で、橘屋圓藏師匠の映像や音声の放送、師匠ゆかりの品などの展示をしています。また、毎月、落語会を中心に、子どもむけおはなし会、講座などのイベントや各種教室を開催していているそうです。落語会などはさすがに料金が必要かもしれませんが、展示品を見るだけならMoMo太郎の好きな「入場無料」です。この建物の通りを挟んだ向かい側には、大きな公園があって、そこには、「ひらい圓蔵亭」で開催される催し物の告知があったり、公園の片隅には、橘屋圓蔵師匠を紹介する案内板がありました。そんな圓蔵師匠ですが、月の家圓鏡時代から、七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、三代目古今亭志ん朝と共に「落語四天王」と呼ばれた人気と実力を兼ね備えた落語家で、MoMo太郎の印象では、うまい落語家は談志と圓楽、達者な落語家は志ん朝、そして、おもしろい落語家は圓鏡という風でした。そういえば、月の家圓鏡の頃のなぞかけなんて、下らないのもあったけど、それがまた面白かったんですよね。人気ブログランキングひらい圓蔵亭に行ってきました
May 4, 2023
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最近は、中華料理チェーン店の福しん(→→→こちら)でラーメンを食べることが多い。食べに行くと、いつもサービス券をもらえて、麺の大盛り、定食の時はご飯大盛り、チャーシュー2枚、ミニ杏仁豆腐、冷奴のどれかを選べるようになっているので、サービス券を使いたいがために、また、食べに行くというサイクルを繰り返しています。今日も食べたのは、「手もみラーメン」(450円税込み)で麺大盛りにしています。ついで言うと、餃子(240円税込み)もつけていますが、焼き上がってないので、とりあえずラーメンだけ撮影しています。ちなみに、味玉ラーメンというのもあるのですが、昨今の鶏卵価格の高騰と品不足でしょうか、メニューの味玉ラーメンのところはマジックで×がつけられていました。考えてみると、卵にかかわらず、食料の価格が安定して供給されるっていうことは、当たり前のようで当たり前でないのかもしれませんね。生産者の皆さんの努力には本当に感謝しないといけないなと改めて思う次第です。話は変わって、元ジャニーズの男性「ジャニー喜多川さんから性的行為」(→→→こちら)というニュースを聞いて思ったのは、今ドラマで敏腕刑事の役をやっているジャニーズのタレントさんなんかも、そういう被害を受けていたんでしょうかね。ちょっとドラマ見ながら複雑な気持ちです。NHKの大河ドラマで、ジャニーズ所属の俳優が、もう一人のジャーニーズ所属の俳優の耳を甘噛みするシーンなんか、二人ともそういう経験していたのかなとか想像して見ていました。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 福しんの手もみラーメン
May 3, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。神田川を上流に向かって歩いて行きます。川沿いにあるのは首都高速道路です。このビルの前を通ると、離れていてもウナギを焼くいい匂いがしました。実はこのビルのお隣が「うなぎ はし本」(→→→こちら)という、天保六年(1835年)に創業して以来、同じ場所、同じ味で暖簾を掲げ続けているうなぎの老舗です。そして、高速道路が大きくカーブし神田川から離れていくあたりに来ました。神田川に流れ込む大きな暗渠の流出口がありました。これは今は暗渠化された東池袋から流れてきている水窪川(→→→こちら)の暗渠だと思われます。この橋の名称は、「江戸川橋」。かっては、神田川の中流域の中でも都電荒川線早稲田停留場付近から飯田橋駅付近まで約2.1キロメートルの区間は「江戸川」と呼ばれていたそうです。だから江戸川橋とい名称で、東京メトロ有楽町線の駅も江戸川橋なんだそうです。しかし、この区間も1970年8月に「神田川」に名称が統一されたそうです。こちらの暗渠の流出口は、豊島区立元池袋史跡公園の西に接する池袋デュープレックスタワーの敷地内にあった丸池が源泉として神田川に合流していた弦巻川(→→→こちら)が暗渠化されたことによるものでしょうか。そして、川に沿ってあるのが、文京区立江戸川公園(→→→こちら)です。神田川沿いにソメイヨシノが植えられており、春には多くのお花見の人が訪れます。訪れたのは2月の中旬なので、桜には早過ぎましたね。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね文京区散策(その15) 神田川から江戸川
May 2, 2023
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。凸版印刷の本社ビルには、この印刷博物館(→→→こちら)があります。こちらが入り口になります。入場料は大人400円でしたが、興味があってわざわざやってきたので、入場してみました。博物館はビルの地下一階。こちらは博物館のプロローグというのか、過去からの印刷物紹介でした。展示室にあった印刷の機械。なかなか興味深い展示があって、印刷と人間の文化発展の関わりみたいなものが、うっすら理解できました。やっぱり本は読まないとね。【つづく】文京区散策(その14) 印刷博物館
May 1, 2023
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