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夏といえば、冷たいお蕎麦がいいですよね。ということで、今日のお昼は小諸そばの二枚冷しきつね560円(税込み)でした。普通の冷やしきつねだと500円(税込み)が、お蕎麦の量が2倍で560円はかなりお得でしょう。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 小諸そばの「二枚冷しきつねそば」
Jun 30, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。新宿の超高層ビル群のある一帯は, かって都民の生活を支えた淀橋浄水場のあったエリアです。そして、こちらの三角ビル(新宿住友ビル)の三角広場には、淀橋浄水場の名残が残っています。浄水場で使用された鉄管に蝶型(ちょうがた)の止水弁(しすいべん)を取り付けた配水バルブで、この止水弁の前には銘板がありました。銘板の碑文です。東京水道発祥の地首都東京, この大都市の発展のかげには, 古くから その生活をささえる 水の確保に大変な努力がはらわれてきた。すでに300年も前の 江戸時代初期(1654年), ふくれあがる江戸の水不足をまかなうため, 玉川上水が開かれ, 江戸から おおよそ50キロメートルも離れた羽村から 玉川の水が市中に引かれた。時は変わって明治となり, 首都が東京に移されるや 発展する都市に不可欠な 近代水道の建設が急務となった。そして, 明治23年(1890年), ここ 旧東京府南豊島郡淀橋町に 34万平方メートルの敷地を求め, 玉川上水によって導かれた多摩川の水を ここで沈でん・ろ過のうえ, 200万人の市民に上水を供給できるという, 当時としては, 画期的な規模の 淀橋浄水場が建設されることとなった。明治31年 その一部が完成し, 神田, 日本橋地区へ給水が開始され, ここに東京の近代水道が誕生した。以後, 明治, 大正, 昭和と東京の歴史とともに歩み続けた 淀橋浄水場は, 昭和40年(1965年) 東村山浄水場にバトンを渡し, 給水開始以来 60数年の歴史を閉じ, その跡地は, 新しい東京の象徴ともいうべき 超高層ビルの街に生まれ変ることとなった。ここに展示されているものは, 内径1,000ミリメートル蝶型弁といい, かつて 淀橋上水場で使用されていたものである。東京は, 今, この超高層ビルの街が象徴するように, ますます発展しようとしている。 そして, この大都市が必要とする水も, 遠くはるか20キロメートルも離れた 利根川上流にまで求めている。ここに展示された蝶型弁から, かつてここに都民の水をかなかうため, 満々と水をたたえた浄水場のあったことを, 想いおこしていただき, あわせて 大都市における水が いかに大切なものであり, またその確保が大変困難なものであることをご認識いただれば, はなはだ幸いです。1974.4 元東京都水道局長 元淀橋浄水場長 小林重一人気ブログランキング新宿彷徨(その83) 東京水道発祥の地
Jun 29, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。「策の井」があった新宿駅西口に面した高層ビル、新宿エルタワー裏手の植栽の中にはもう一つ、気になる石碑がありました。ひっそりと建つ、この赤大理石で造られた「淀橋浄水場趾」の記念碑です。ここは当時の淀橋浄水場の正門の跡で、ここから現在の新宿中央公園の東半分を含む広大な区域がかつての淀橋浄水場(→→→こちら)だったそうです。しかし 昭和29年(1954年)に新宿区総合発展計画促進会が設立され、新宿副都心計画と淀橋浄水場移転が決定された。浄水場は昭和40年(1965年)に東村山に移転され、跡地は新宿副都心として超高層ビル群が建ち並び、平成3年(1991年)には東京都庁も移されました。なお、超高層ビルの多くが、車道より低い面から建ち上っているのは、浄水場の沈澄池・濾過池の底から建っているためで、碁盤の目のような区画も当時の地割のなごりになるそうです。碑文です。淀橋浄水場趾この地は明治31年東京水道の創設時から昭和40年までの67年間首都給水施設の中心であった淀橋浄水場の正門あとです浄水場の総面積は34万500平方メートルで、いまは新宿中央公園と11の近代的街区に生れかわっています昭和45年3月 東京都水道局人気ブログランキング新宿彷徨(その82) 淀橋浄水場趾
Jun 28, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。かってあった小田急百貨店が取壊されて新しいビルの建設が始まった新宿駅西口です。この新宿駅西口にある「新宿エルタワービル」付近にあるこのモニュメントが、東京都指定旧跡「策の井(むちのい)」(→→→こちら)です。かっては井戸だったのでしょうが、現在は蓋をされて植栽の一角にこのモニュメントだけが残されています。「策の井」といわれるゆえんは、徳川家康が鷹狩りの帰途、汚れた「策(むち)」を洗ったという伝承によるそうです。こちらにもかなしり文字が薄れて読みづらくなった説明板がありました。策の井について、新宿人家観光資源案内サイト(→→→こちら)より引用。江戸時代に徳川家康(1543~1616)が鷹狩りの途中で立ち寄り、策を洗ったという伝説をもつ井泉。享保17年(1732)に刊行された『江戸砂子』の記載によると、元和年間(1615 ~24)に徳川家康が鷹狩りの途中この名井を知って立ち寄り、水を飲み、策を洗ったという。明治維新後一帯が開発され、明治16年(1883)に女子独立学校(後に精華高等女学校(精華学園)と改称)の校地となったが、井戸は中庭に残され、大変良質な水が湧き飲料水として利用したという。昭和48年(1973)には精華学園の移転により朝日生命保険の本社駐車場となり、井戸は残された。しかし、水は次第に枯れていったため、ポンプでくみ上げる方式に改良した。その後、昭和60年(1985)には、新宿エルタワービルを新築するため井戸は空気抜きを設けて蓋をし、地上はビルの車寄せとなった。現在はこれに代わり、約15m南に策の井のモニュメントと説明板が建てられている。なお、新宿区荒木町の「策の池」(新宿区地域文化財)も徳川家康が策を洗ったと伝えられる井泉である。ふたつの井泉に共通することとして、後に美濃高須藩松平摂津守家の屋敷となったことがあげられる。ということなので、今度四谷荒木町の方も歩いてみたくなりました。人気ブログランキング新宿彷徨(その81) 策(むち)の井
Jun 27, 2025
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立ち食い蕎麦の「ゆで太郎」で食べたかき揚げ丼セット(690円税込み)です。かき揚げの色が黒くて、揚げ過ぎではないかと思いましたが、美味しくいただきました。人気ブログランキングへ孤独のグルメ かき揚げは揚げ過ぎでは?
Jun 26, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。今は再開発されて高層ビルの立ち並ぶ、十二社通りと神田川に囲まれたエリア。ザ・パークハウス西新宿タワー60前の信号付近に入り口があった、けやき橋商店会という商店街がありましたが。今は再開発でできた公園にこの石碑があるだけです。石碑には、かってあったけやき橋商店会の入口にあったアーチの写真ともに、旧けやき橋通り商店街西新宿の高層ビル群から数百メートルという近距離に位置しながらも、昭和の面影を色濃く残していたけやき橋商店街がかつてここにあった。十二社通り、方南通り、山手通り、神田川、青梅街道に囲まれた地域、方南通りを境に北側は西新宿五丁目になる神田川が地域西境を流れており、中野区と当地域の境となっている。新宿周辺が次々と再開発されるなか、最後迄残っていた西新宿のけやき橋商店会もついに再開発の波に飲み込まれる。2017年に日本最高階数の60階建てタワーマンション ザ・パークハウス西新宿タワー60が竣工された記念として設立する。平成28年3月吉日と記された碑文がありました。人気ブログランキング新宿彷徨(その80) けやき橋商店街跡
Jun 25, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。西新宿淀橋付近の東京電力の変電所の近くにあった石碑です。なにやら歴史の深そうなこの石碑に刻まれた文字を見てみましょう。渡邊文雄君頌徳碑(しょうとくひ)と大きく刻まれていました。細かい文字で刻まれていて、所々読めないところもありました。なんとなくわかったのは、この渡邊文雄君という方、このあたりの有力者で、淀橋町会議員、東京府会議員を務められてこの地域の発展に尽くした人が渡邉文雄ということのようでした。人気ブログランキング新宿彷徨(その79) 渡邊文雄君頌徳碑
Jun 24, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上のこの橋を淀橋(→→→こちら)です。淀橋の由来は諸説あるようですが、新宿区のホームぺージ(→→→こちら)では、成子村と中野村の間を流れる神田川にかかっている橋を餘戸、あるいは四所橋と呼び、これから転じたものか、また、寛永年間3代将軍家光が橋のそばで休息したおり、川の流れがよどんで見えるから淀橋にせよといったとか、さらに亨保年間8代将軍吉宗が山城国(現在の京都)淀にその景色が似ているので名づけたとか、そのほかいろいろの説があり、いずれも橋の名からその地名が生まれたようです。とありました。親柱には大正13年12月と刻まれていますが、この親柱は昔あった物を今の橋に再利用しているんでしょうね。淀橋から神田川沿いに気持ちのいい公園が広がっています。淀橋さくら公園(→→→こちら)です。この公園は、再開発事業により設置された公園で、開園は令和5年4月18日だそうです。人気ブログランキング新宿彷徨(その78) 淀橋
Jun 23, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。成子坂と公園通りの交差点にポツンと立っているこの金属製の板ですが、近くで見てみると、落書きされた跡がありますが、成子坂と書かれています。東京都が設置したもののようです。また、この上部には、成子坂についての説明が記されていました。豊多摩郡誌によれば,「成子坂は,成子神社前の緩斜路をいう。石地蔵は其南側にあり,年月を刻せず,古きものとも見えざるが,香火常に絶えず 稚児を喪いしもの供養するところなるにや,傍に庚申塔数基あり,延宝八年(1680),同五年(1677)の文字を読む,毎月十一日,二十二日はこの石地蔵の縁日,また毎月二十五日は 成子神社の縁日として店多く並び・・・」とあり,成子坂一円は 非常に賑わったことがわかる。人気ブログランキング新宿彷徨(その77) 成子坂の碑
Jun 22, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。青梅街道を東京医科大学前から淀橋方面に下っていく坂道を成子坂といいますが、成子坂と公園通りとの交差点には、この地蔵尊があります。この地蔵尊は、成子子育地蔵尊(→→→こちら)というそうです。この地蔵尊は、享保12年(1727年)勝厭という道心者が、回国巡礼を終えた帰路に建てたものといわれています。地蔵尊を建立した由来については、以下のような話が残っているそうです。中野に住む貧しい農民が一人息子を江戸に奉公に出しました。その息子が藪入り(やぶいり。旧暦の1月16日と7月16日に奉公人が実家に帰れる日)で帰ってきますが、迎えるための支度が何もありません。そこで父親は悪心を起こし、青梅街道を通る旅人から物を奪おうとし、夕闇にまぎれて成子坂にやってきました。そして通りがかりの旅人を殺して財布を奪い、急いで帰宅しました。帰宅してその財布をあらためてみると、何とそれは奉公に出る時に息子に持たせてやったものでした。父親は息子を手にかけたことを知り、悲痛のあまり自らも命を絶ったと伝えられています。村人たちは、親子の死をあわれみ、その供養のために建立されたのが、成子地蔵尊だということです。人気ブログランキング新宿彷徨(その76) 成子子育地蔵
Jun 21, 2025
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最近は松屋で朝食を食べる機会が増えたような。今朝食べたのは、こちらの松屋の半熟たまごかけご飯(350円税込み)です。お米が値上がりしている中で、ご飯を大盛りにしても値段は変わらないのはうれしいですね。また、小鉢はミニ牛皿にしましたが、他に納豆、冷奴、そしてとろろ等から選べます。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 松屋の朝食
Jun 20, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。西新宿の成子天神社の裏側、住友のグランドタワーにある公開空地です。ここに、「有隣園記念の碑」(→→→こちら)という銘板が設置されています。有隣園とは、明治44年(1911年)に創設された、総合福祉施設だったそうです。創設者の大森安仁子(アニー・バローズ・シェプリー、1856~1941、米ミネソタ州生まれ)は、夫の大森兵蔵(1876~1913)と共に日本人の体位向上のため、体育の啓蒙と指導、セツルメント(地域社会奉仕)創設による社会事業を目指し、これを実現するため有隣園を創設したそうです。妻の大森安仁子は夫の大森兵蔵はより19歳も年上だったんですね。でも、兵蔵は妻より早く亡くなっているんですね。その有隣園は、昭和20年(1945年)5月の空襲で全焼し、再建はされなかったそうです。しかしながら、生涯学習開発財団が大森安仁子が晩年を過ごした地、山梨県南都留郡富士河口湖町に社会のために学ぶ方々を支援する研修施設としてセミナーハウス有鄰館(→→→こちら)を運営しているそうです。人気ブログランキング新宿彷徨(その75) 有隣園記念の碑
Jun 19, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。大久保通りから西新宿への抜け道になっている道を西新宿に向かって坂を下っている坂道があります。坂の名称が「蜀江坂(しょっこうざか)」。標識の説明書きによると、かつてこの辺りが 蜀江山 と称されていたため こう呼ばれる。蜀江山の由来は,天慶の乱の時 平将門(あるいは弟の将頼)が蜀江錦の衣の袖を落としたから,あるいは江戸時代に3代将軍家光が鷹狩りでこの地を訪れた時,紅葉の美しさを 蜀江の錦のようだと賞賛したからだという。だそうです。この近くにあった建物も、勤務時間外において、地震、災害等の非常事態が発生した場合、災害対策業務が円滑に遂行されるまでの間、発災初期における情報収集及び連絡応急活動を実施する態勢を確保するために必要な災害対策要員の居住の用に供するために設置する職員住宅である東京都災害対策職員住宅(→→→こちら)でした。人気ブログランキング新宿彷徨(その74) 蜀江坂
Jun 18, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。神田川といえば、かぐや姫の歌う往年のヒット曲「神田川」ですね。その歌碑が末広橋のたもとにある桃園川緑道の終点の広場にあります。「神田川」で歌われて銭湯は、新宿区西早稲田3丁目にあったそうですが、この歌碑は中野区中央1-13-9にあります。こういうことを歴史の改竄とでもいうのですかね。人気ブログランキング新宿彷徨(その73) 神田川歌碑
Jun 17, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。神田川沿いの散歩道を歩いてゆくと、繁みに隠れた銅像がありました。近づいて見てみれば、下半身が魚になっている、いわゆる人魚でした。東京湾から神田川を遡ってきたんでしょうか。胸を腕で隠してるのは、少女の恥じらいなんですね。神田川へ流れ込む水路です。この水路は地下を流れていますが、元々は桃園川(→→→こちら)という川で、杉並区荻窪にある天沼弁天池公園の湧水を水源に、杉並区、中野区を流れる川だったのを、昭和40年代に蓋をかけて下水道としたものです。ちなみに川の名称は高円寺の境内に昔桃の木があったことに由来するそうです。下水道となった桃園川の放流口近くにある末広橋から下流を臨んだ写真です。人気ブログランキング新宿彷徨(その72) 人魚の像と桃園川
Jun 16, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。校名に「淀橋」を冠した小学校をもう一ヵ所見つけました。京王プラザホテルと道路を挟んで向かい側に立つこちらの新宿ファーストウエスト(→→→こちら)という高層ビルのある場所に、このような石碑が建立されています。石碑には「東京都新宿区立淀橋第二小学校の跡 大正四年五月開校昭和六十一年三月閉校」の文字が7刻まれていました。そして、このビルの3階の一角には、展示スペースが設けられていて、淀橋第二小学校の看板や併設されていた淀橋第二幼稚園の看板が展示されいてるほか、小学校に飾られていた額やトロフィー、思い出の写真などが展示されています。この写真に写っていたビジュアルがいかにも昭和の小学生の女の子、今頃どうされているんでしょうかね。こちらは淀橋第二小学校の年表です。こちらは校歌です。旧淀橋第二小学校の卒業生の方なんかは、こういうのを見て、母校の校歌を口ずさんだりするんでしょうね。人気ブログランキング新宿彷徨(その71) 旧淀橋第二小学校
Jun 15, 2025
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任期満了に伴う東京都議会議員選挙が13日に告示され、9日間の選挙戦に入りました。投票日は今月22日です。この後には参議院選挙が控えていて、政治家の皆さんには厳しい試練の時でしょうね。でこれが今回のポスターの掲示板。なんかブルーシートで覆われたところがありますが、都議会議員選挙のポスターを貼るところはねじ止めされているので、ここを外して、ブルーシートを外して、参議院選挙用のポスター掲示板になるようです。皆さん、投票には是非行きましょうね。人気ブログランキング東京都議会議員選挙始まりましたね。
Jun 14, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。校名に「淀橋」を冠した小学校を訪ねてみることにしました。こちらの西新宿にある東京医科大学の近くの高層ビルに囲まれた区画にあるいかにも小学校を思わせる建物もかっては小学校という雰囲気ですね。門柱には「芸能花伝舎」(→→→こちら)という看板が掲げられています。芸能花伝舎とは、「日本芸能実演家団体協議会(芸団協)」が開設した文化拠点だそうで、新宿のまちづくりと文化芸術振興を目的として廃校になった公立小学校舎を改修して造られた施設だそうです。廃校になった公立小学校舎ということであれば、多分淀橋第なんとか小学校と思い、裏側に回ってみました。こちらの門柱には、渋い書体で書かれた芸能花伝舎の看板が埋め込まれていました。この横に設置されていた避難場所の案内図には芸能花伝舎(旧淀橋第三小学校前)と記されていたので、ここは旧淀橋第三小学校があった場所なんですね。人気ブログランキング新宿彷徨(その70) 旧淀橋第三小学校
Jun 13, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。鎧神社と圓照寺の近くにあるこの小学校。新宿区立第四小学校(→→→こちら)と淀橋第四幼稚園です。新宿区は、昭和22年(1947年)四谷区・牛込区・淀橋区の3区が合併してできた区なので、合併前の区の名称を残した学校名になっているのでしょう。そうすると近くに淀橋第一小学校やら、淀橋第二小学校、淀橋第三小学校など校名に「淀橋」を冠する小学校があってもおかしくないと思って、近くの小学校を探してみました。こちらの小学校は、新宿区立柏木小学校(→→→こちら)でした。調べてみると、柏木小学校は旧新宿区立淀橋第一小学校と旧新宿区立淀橋第七小学校の統合新校なんだそうです。ちなみに淀橋第一小学校出身の著名人には、お笑いタレントの玉袋筋太郎(→→→こちら)さんがいるそうです。人気ブログランキング新宿彷徨(その69) 淀橋第四小学校と柏木小学校
Jun 12, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。鎧神社の近くにあるこのお寺は、医光山瑠璃光院圓照寺(えんしょうじ)という真言宗豊山派のお寺です(→→→こちら)。もと鎧神社の別当寺であったといわれています。お寺の由緒としては、平安末期、関東一帯で起こった「平将門の乱」を平定した伝説の武将、藤原秀郷によって建立されたいわれています。また、この石柱にあるように、豊島八十八ヶ所霊場の8番です。ちなみに豊島八十八ヶ所霊場(→→→こちら)とは、旧豊島郡にある弘法大師ゆかりの八十八ヶ所の寺院を、祈願のために参詣するもので、明治40年(1907年)に開かれたそうです。その隣には、「柏木右衛門桜ゆかり地」と刻まれた石柱があります。これは、この圓照寺が、一説では、このあたりを支配していた地頭の柏木右衛門佐頼秀の館跡であったとも伝えられており、その由来に基づいた右衛門桜が植えられいるそうです。こちらが境内で、この境内の庭に植えられているのが、右衛門桜なのでしょうか。これが本堂ですが、この圓照寺は、有名な写真家の篠山紀信(→→→こちら) の父の篠山明信がこの寺の住職であったそうで、篠山紀信もここで暮らしていたそうです。こちらの鐘楼にある梵鐘は、新宿区登録有形文化財に指定されているそうです(→→→こちら)。寛政2年(1790年)の銘があり江戸時代に作られたものですが、江戸時代以降の梵鐘は、太平洋戦争中供出されたことから現存数は少なく、江戸鋳物師の鋳造技術を知る資料として貴重であるばかりでなく、銘文からは寺の歴史や鋳造の由来等を知ることができ史料的価値も高いものだそうです。こちらがその梵鐘です。人気ブログランキング新宿彷徨(その68) 圓照寺
Jun 11, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。淀橋市場から中央線の高架を抜けると、閑静な住宅街の中に大きな神社がありました。鎧(よろい)神社(→→→こちら)というそうです。こちらの御由緒を読むと、東国の平定に向かったとき、当地に甲冑六具を蔵めた(しまいかくした)という伝承と関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947)、将門公の鎧を当地に埋めたと言われているそうです。そんなわけで、この神社には、日本武命、大己貴命(大国主命)、少彦名命、そして平将門が祀られているそうです。まさに、伝説の社という感じの鎧神社でした。人気ブログランキング新宿彷徨(その67) 鎧神社
Jun 10, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。さて、小滝橋から新宿西口の方へ小滝橋通り(→→→こちら)を歩いて行くと、この建物があります。「東京都災害対策職員住宅 柏木住宅」だそうです。東京都災害対策職員住宅(→→→こちら)とは、東京都職員住宅管理規則によれば、二 第二号住宅イ 勤務時間外において、地震、災害等の非常事態が発生した場合、災害対策業務が円滑に遂行されるまでの間、発災初期における情報収集及び連絡応急活動を実施する態勢を確保するために必要な災害対策要員の居住の用に供するために設置する職員住宅(以下「災害対策職員住宅」という。)ロ その他本来の職務に関連して勤務時間外においても都民の生命若しくは財産を保護するために一定の業務に従事する者、通常の勤務場所に比してへき遠な場所にある公署に勤務する者又は職務の執行上一定の場所に居住する必要がある者の居住の用に供するために設置する職員住宅なんだそうです。そのため、入居すると災害時に出勤が義務付けられるとともに、訓練参加や4週に1回の待機当番があり、外出範囲(徒歩30分圏内)が縛られるなど生活への制限が課せられるということですが、いざという時のためにこういう職員住宅も必要なんですね。ところで、家賃はどれくらいなんでしょうかね。さらに歩いて行くと、こちらの巨大な建物がありました。建物の中へ車で入っていける建物です。ここが、東京都中央卸売市場「淀橋市場」(→→→こちら)です。淀橋市場は毎日の都民の生活を支えるのに必要な青果物卸売市場です。人気ブログランキング新宿彷徨(その66) 淀橋市場
Jun 9, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。こちらの橋が、神田川に架かる。小滝橋(おたきばし)です。小滝橋の名前の由来は、昔はこの橋の下に小さな堰が存在していて。そこを流れる水が小さな滝のようになっていたことからだそうです。この川が神田川です。そして、この神田川沿いにあるのが「神田上水公園」(→→→こちら)です。神田川沿いの遊歩道に沿って整備された公園です。公園内にあった道標です。「みなもと」まで14キロ、ちなみに「みなもと」とは井之頭池のことです。また河口の「すみだがわ」までは10キロだそうです。園内には流れを再現した水路がありました。人気ブログランキング新宿彷徨(その65) 小滝橋と神田上水公園
Jun 8, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。この大きな交差点は、小滝橋交差点です。ここは早稲田通りと諏訪通り、そして小滝橋通りの3本の幹線道路が交わるところです。諏訪通り(早稲田通りの支線道路になります)に面してあるのが、この小滝橋延命地蔵尊。地蔵尊と宝篋印塔が並んで建てられていました。おそらく降るから信仰を集めていたのでしょうね。傍らの石柱には「弘法大師」の文字が刻まれていました。小滝橋通りに面したところにあったのが、この三角錐の形をした小滝橋の碑です。沢山のことが書いてあるようでしたが、この辺りに伝わる、わらしべ長者こと中野長者の話と、井の頭池の大蛇の話がかなり詳細にこ書かれていました。人気ブログランキング新宿彷徨(その64) 小滝橋交差点
Jun 7, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。早稲田通りを高田馬場駅から小滝橋へ向かって歩くと、寺号碑のある小路を発見しました。寺号碑には「大悲山観音寺」(→→→こちら)とありました。こちらが観音寺の山門になります。なんかモダン過ぎていかにも都会の中のお寺という感じでした。観音寺は真言宗のお寺だそうですが、こんな立派な本堂があるということは、信徒の数も相当いるのか、それとも所有している不動産を活かした別の事業もされているのか、なかなか財務はしっかりしているのかも。本堂の横にあるのは、庫裏になると思うのですが、なんか高級なマンションのような外観でした。その境内の中にあったのがこの「呼潮へんろ塚」です。色々調べてみると、大正時代にちょっと活躍した淡路呼潮(あわじこちょう)(→→→こちら)という作家に関する石碑で揮毫は吉川英治だそうです。淡路呼潮は昭和10年、四国遍路に赴き、6年間、遍路行を繰り返した後、作家生活に戻ることが叶わず、この観音寺で修行をし、僧侶となつたそうです。また、境内からは少し離れて駐車場となっているところには、弘法大師一千五十年供養碑と記された石碑がありました。これも観音寺と関係したものなんでしょうか。人気ブログランキング新宿彷徨(その63) 観音寺の呼潮へんろ塚と弘法大師一千五十年供養塔
Jun 6, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。久保前橋から神田川沿いに上流に向かって、この緑道を歩いて行くと、紫のののれんが架かったお店がありました。寒天工房讃岐屋(→→→こちら)さんです。大正3年(1914年)創業とある老舗ですね。こういう老舗って、東京だと銀座とか日本橋にありそうなんですが、先々代の岡照一は、四国香川県から上京して、現在の雑司ヶ谷で創業したそうです。戦前は高田馬場駅周辺で、和菓子・洋菓子を手掛け職人も30名ほどいましたが、昭和62年に現在の地に卸中心に行う事を決意して移転したそうです。卸売り中心にしていると言いながら、店内であんみつを食べられるみたいですね。デパートなんかでも売っているのかな?人気ブログランキング新宿彷徨(その62) 寒天工房讃岐屋
Jun 5, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。「大正拾五年六月竣功 久保前橋新設記念碑」(→→→こちら)と刻まれた石碑がありました。こちらの神田川に架かる橋が、久保前橋です。橋はおそらく改築された新しい物のようですが、記念碑が建てられるほど、この地域の人にとっては、大切な橋だったんでしょうね。久保前橋の東側一帯に、古くは「久保田」の小字があったことから、この名称になったそうです。人気ブログランキング新宿彷徨(その61) 久保前橋
Jun 4, 2025
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を時々書いている「新宿彷徨」です。時々といいながらほぼ毎日書いていますが。新宿区内を流れる神田川です。神田川沿いの緑道を上流に向かって歩いて行きました。緑道からそれて、高田馬場の住宅街の中を歩いて行くと、茶道会館(→→→こちら)という施設を発見しました。こちらが茶道会館の入口のようです。ここでは裏千家茶道教室があるようですね。また茶会などもあるようです。やっぱり関係者以外は立ち入り禁止の施設なので、入り口から中の様子だけ撮影しました。なかなか静かなたたずまいのある場所でした。人気ブログランキング新宿彷徨(その60) 茶道会館
Jun 3, 2025
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最近、ブログの背景を白地から黒地に変更しました。ある人から、背景を暗くして文字を白くした方が目に優しいという話を聞いたので、それならば、その方がいいかなと思って変えてみたところです。確かに、文字は読み易くなったような気がしています。さて、電車の中で見かけた、背も鼻も高くて金髪のきれいな外国人女性に見とれて、降りる駅を乗り過ごしてしまいまったMoMo太郎が電車の中で出会った事を紹介します。【役満女子】最近は、通勤電車の中でスマホをずっと見ている人が多いですね。この間、昼間に電車に乗った時、左隣に座っている若い女性の方がスマホでなにかやっていので、何気なく覗いてみると、麻雀ゲームをやっていました。最近は、「役満ボディ」で人気の女性プロ雀士の岡田紗佳(→→→こちら)さんもおられたりするので、麻雀を嗜む女性も増えているのでしょう。すると、今度は左隣に座ってきた若い男性も同じようにスマホの麻雀ゲームをやり始めていました。しかし、昭和生まれのおじさんとしては、おじさん達4人が雀荘で雀卓を囲んで、グダグダ言いながらやるのが麻雀だと思っていたので、スマホのゲームで楽しむのは、なんとなく麻雀本来の背徳感を伴う醍醐味に欠けるなと思っています。【将来は魔性の女と呼ばれるかも】昼下がりの山手線に乗っていると、高校生と思われる制服を着た男子と女子のカップルが立っていた。何気に見ていると、二人で手をつないでいたのが、次第に身体を寄せ合って、女子の方が男子の腰に手をまわしてさらに密着させようとしていた。この子はきっと将来、魔性の女になるのかも。【ケンカを見かけた時】満員の通勤電車の中で、座席の奪い合いで、ケンカしている男性二人。一人がもう一人の男性の胸ぐらをつかんで、大声で罵っていました。こういう場面に出くわした時、周りにいる人はどうするのが正しいのでしょうか。MoMo太郎は卑怯にもその電車を降りて、次の電車に乗って出勤しました。人気ブログランキング通勤沿線 気になるあの人(その11)
Jun 2, 2025
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吉野家、時々利用しますが、大抵食べているのはこの牛丼並盛とサラダ味噌汁セット(715円税込み)です。紅ショウガと七味唐辛子は、遠慮なく使わしてもらっています。ところで、MoMo太郎がお気に入りに登録している方のブログにもコメントした内容でもあるんですが、テレビで紹介している色々な飲食店について検証するテレビ番組ってないんですかね。例えば、ここのお店は、店主のこだわりでいいそば粉を使っていますとか、女将さんが優しく接客しています。みたいなお店、実際はどうなんだ、テレビ向けではなかったのか。を検証する番組です。例えば、テレビ東京でやっているタクシーの運転手さんが美味しい店を紹介する番組。美味しい店を知っている運転手さんに出会えなければ、番組を作れないから、仕込みで店を準備していて、そこを〇〇が美味しい店なんてやっていないんだろか。「テレビ東京で紹介したお店へ覆面調査員が行って調べてみました。」なんていう番組をコンプライアンス重視のフジテレビが放映すると面白いのに。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 牛丼とサラダ味噌汁セット
Jun 1, 2025
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