MoMo太郎日記

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2023年12月03日
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カテゴリ: 駅間歩き
坂道を登って行くと、またなにやら史跡を示す看板が建っていました。

その手前に旧東海道、保土ヶ谷宿、戸塚宿と記された石碑もありました。

こちらが説明板。「品濃一里塚」(→→→こちら)とありました。
一里塚は、江戸の日本橋を目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)である。多くは塚の上に榎や松を植えて、旅人の目印にしたものだそうです。

説明文を書いてみました。
江戸から数えて九番目の一里塚です。神奈川県内では、ほぼ完全な形で残る唯一の一里塚で、県の指定史跡となっています。旧東海道をはさんで道の両側に二つの塚があり、品濃側(西側)には昔大きな榎が植えられていたそうです。現在は品濃側(西側)平戸側(東側)共に、塚とその周辺が公園として整備されています。


こちらの説明板にはもう少し詳しく色々と書かれていました。

考えてみると、江戸日本橋から京都三条大橋までの距離は約492kmだそうです。それを一般的に、徒歩で13日から15日前後で歩いたそうですから、平均すると一日平均約33km歩くことになります。
ということは、人の歩く速度は時速4kmくらいだそうですので、単純計算で1日に約8~10時間は歩くことになります。
そうすると江戸から数えて九番目の一里塚になる品濃一里塚で江戸から約32kmの地点になるので、最初の一泊は保土ケ谷宿か次の戸塚宿のどちらかになるのでしょうかね。(→→→ こちら

だから、江戸時代後期の戯作者、十返舎一九の代表作「東海道中膝栗毛」では、江戸を出発した弥次さん、喜多さんの一泊目は戸塚宿になっていたというわけですね(→→→ こちら )。

ちなみに江戸時代、手紙などを運んでいた飛脚は東海道を3~4日で結んでいたそうです。

さて、道の両側に二つの塚があるということで、この説明板の向かい側も、なにやらありそうです。

こちらも一里塚の痕跡のようですね。

やはり説明する道標が建っていました。

(保土ケ谷から東戸塚へ歩いたコース)

【つづく】

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駅間歩き 東海道線(保土ケ谷~東戸塚)(その13) 品濃一里塚





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最終更新日  2023年12月03日 00時10分14秒
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