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もう如月、二月も終わりですね。時の流れは早いもの、逃げるように二月は終わりました。今日、気になったのは「はだしのゲン」有害図書に 新しい歴史教科書をつくる会神奈川県支部が陳情なるほどね、こちらの方の犯人は、「アンネの日記」破損、山手線西側の沿線に集中すでに「アンネの日記」を有害図書に指定されたのですね。さて、伊仙町「長寿の道」をたどって本郷かまとさんの生家へやってきました。まだ、人が住んでいるような雰囲気です。人気ブログランキングへ
2014年02月28日
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浅田真央選手のことを「あの子、大事なときにすぐ転ぶ」と発言した森元首相「孫と娘からも怒られている」という記事が目に留まりました。森元首相「孫と娘からも怒られている」そりゃ、あの年齢だから娘と孫くらいはと思いながら、思い出しました森元首相には、2010年8月7日、飲酒運転で県会議員を辞職した息子さんの森祐喜という方がおられたことを。この方、調べてみると、なんとの2010年10月31日に自宅で倒れ、闘病されていたそうですが、2011年7月25日享年46歳で亡くなられていたんですね。いや、若死にですね。また、娘さんも一人いるようです。また、息子さんか娘さんかどちらのお子様かわかりませんが、お孫さんは二人いるそうです。ここでお孫さんの話題を出したということは、いずれお孫さんを政治家へという布石でしょうか?さて、森元首相の息子さんのように若死にされる方がいる一方で、徳之島といえば、泉重千代(享年120歳?)と本郷かまと(享年116歳?)というギネスブックに登録されたこともある長寿の方で有名です。しかし年齢に?がついているのは、戸籍に不明な点があり、生年が確認できないためです。というわけで、ギネスブックからは登録が消されているらしいですが、まあ、世界一の長寿かどうかは別として長生きしたことには間違いない。また、両名とも伊仙町のいうことで、伊仙町にはこんな道があります。この道を歩くと、泉重千代さんの生家があります。またこの家のそばには、銅像が建立されています。、その上、徳之島三十三聖地、旧跡にも指定されています。次は本郷かまとさんの生家に向かいましょう。【つづく】人気ブログランキングへ
2014年02月27日
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奄美群島の魅力を五感で楽しむ「あまみシマ博覧会2014」が2月1日~3月17日まで開催されています。あみまシマ博覧会のホームページは、http://amamishimahaku.com/です。そこで紹介されている我が徳之島のイベントは、例えば、この伊仙町阿権にある民泊「幸ちゃんの家」で、開かれている「おじいちゃんとわら草履を作ろう!」>、参加料が2,000円だとか。さらに、面白いのは、この徳之島町亀津にある南区会館で、シマの音色に触れる90分。90分間、三味線の演奏を教えてもらって参加料は500円とお安いですね。この指導をしてくれる人、よく夕方に海辺の防波堤の付近で三味線の練習している人で、MoMo太郎も何度か立ち話をしたこともあるんですが、東 博光(あずま ひろみつ)さんというお名前だったんですね。そして、徳之島が誇るおやじバンドの「まぶらい」のこの人が指導してくれる指笛教室。まるちゃんの指笛教室と島スイーツは参加料が大人2,000円(小人1,000円)島のカフェでスイーツが食べられてこの料金は?、まあ、この人は話が面白いので漫談を楽しむつもりで参加してみたら。でも、わざわざ飛行機代払って、来る人がいるとは思えない博覧会のイベント情報でした。人気ブログランキングへ
2014年02月26日
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徳之島関係で今日のニュースは、やっぱりこれですね。徳田毅氏が議員辞職願を提出 「政治への不信招いた」そんな徳之島ですが、徳之島で栽培が盛んなのは「サトウキビ」。ジャガイモよりも栽培面積は多いそうです。サトウキビは島で加工され砂糖になります。製糖工場には白砂糖(分みつ糖)の工場と黒砂糖(含みつ糖)の工場がありますが、徳之島では、下の写真に示す分みつ糖を作る南西糖業の工場の生産量が圧倒に多いのですが、小規模ながら黒糖と呼ばれる含みつ糖を作っている工場もあります。下の写真が伊仙町にある徳南製糖の黒糖工場です。工場で黒砂糖を直売もしていますが、和歌山県を代表するお土産、那智黒飴の原料として出荷されているそうです。人気ブログランキングへ
2014年02月24日
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今日の徳之島は穏やかな晴天。徳之島の畑では、「春一番」というブランド名で出荷されるジャガイモの収穫をしている畑があちらこちらで見られました。人気ブログランキングへ
2014年02月23日
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徳之島町山(サン)地区にある「親墓(オヤバカ)」です。親墓とは、山地区にある4ヶ所の共同墓地のそれぞれにある自然性の墓のことで、死者がでると、送葬に先立ち親墓の許しを得て入籍する意で「付口(つけぐち)」の神事が行なわれるそうです。また、死者がでると墓地に白旗が立つそうです。そんな解説が看板に出ていました。この山地区は、奄美大島へ距離的に最も近い港で、戦前は砂糖の積出などで賑わっていたそうです。また、戦争中は奄美大島からの軍需物資の受け入れ港でもあったそうで、軍隊の慰安所も設置されていて、韓国人の女性が働いていたとか。まあ、最近なにかと話題と「従軍慰安婦」というやつですね。公的な権力で無理矢理強制されたのか、それとも親や夫の作った借金の返済のために慰安婦になったのか、事実は知りませんが、NHK会長さんの言う通り、そういう施設はこの島にもあったということです。人気ブログランキングへ
2014年02月22日
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最近、徳之島は天気が良くないです。写真は、徳之島町亀津の海です。人気ブログランキングへ
2014年02月13日
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徳之島町の亀徳港に貨物船が入港していました。港へ行ってどんな船か見学してみました。それほど大きな船ではない感じです。後ろ姿は結構、優美な感じがしました。人気ブログランキングへ
2014年02月03日
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鹿児島に来ると、パチンコ店のテレビコマーシャルが多いように感じます。それで、都道府県別パチンコ店数の比較をしてみました。総務省統計局『人口推計』による。平成23年10月1日現在の人口と(社)日本遊技関連事業協会ホームページから警察庁資料2011年12月31日時点のパチンコ店の数を比較してみました。 人口(千人) パチンコ店舗数 10万人当たり店舗数 全国 127,799 12,149 9.51東京都 13,196 1,091 8.27長崎県 1,417 175 12.35大阪府 8,861 943 10.64鹿児島県 1,699 260 15.30というところで、実は鹿児島県が10万人当たりのパチンコ店舗数15.30店と全国で一番多かったのです。しかし、それを超えるのが徳之島です。人口2万5千人のこの島に、パチンコ店が7店あります。これは、天城町平土野に古くからあるパチンコ店です。こちらは徳之島町亀津にあるパチンコ店これは、ちょっと市街地から離れたところにあるパチンコ店です。ちなみにこの店の前にはバス停があり、その名もパチンコ店名前が停留所名になっています。人気ブログランキングへ
2014年01月24日
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徳之島ではサトウキビの収穫が始まっています。刈り取られたサトウキビがネットに入れられて畑の脇に置かれています。刈り取られたサトウキビです。サトウキビが刈り取られた後には、シラサギ(白鷺(しらさぎ)とは、コウノトリ目サギ科のうちほぼ全身が白いサギ類の総称です、多分、この鳥はダイサギ)がのんびりと歩いていました。集められたサトウキビは大型トラックで製糖工場へ運ばれます。写真は徳之島町徳和瀬にある製糖工場です。サトウキビを運ぶトラックが、工場の中に入っていきます。そして、まず搬入するサトウキビの重量を量ります。それと同時にサトウキビのサンプルが取られます。これはサトウキビの代金が、重さと糖度で決まるため、サンプルを取って糖度を計るためです。それが終わるとサトウキビをヤードに置きます。人気ブログランキングへ
2014年01月21日
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徳之島警察署の近くにあるエスニック風な商品を売っているお店です。徳之島のような所で、アジアンテイストの民芸品など売れるものかしら?人気ブログランキングへ
2014年01月14日
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今、徳之島空港が建っているあたり、むかしは、この石碑にあるように、塩田があったようです。簡単に歴史もしるされています。最近は、塩分の取りすぎがうんぬんと言われますが、やはり塩は貴重な食品ですね。人気ブログランキングへ
2014年01月09日
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徳之島でよくみかける石垣です。石灰岩を積み上げたものですが、ハブがこの石垣のスキマに居ることがあったりして、最近はこういうものも少なってきたようです。人気ブログランキングへ
2014年01月07日
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今日は大抵の職場では「仕事初め」でしたね。今のMoMo太郎の職場はコンビニみたいなもので、そういう区切りがあるようなないようなそんな感じです。今日は徳之島の隠れた初詣スポットの最後で、徳之島町花徳(けどく)地区にある菅原神社です。この神社、去年の11月7日の「徳之島町花徳地区里久浜あたり(その2))で紹介した神社ですが、その時は参道が草むらとなってとても参拝できるような状況ではなかったのですが、お正月になると合格祈願の参拝者のために草が刈り取られていました。とはいえ、次の写真のように、ちょっとした登山道のようでした。そして山頂には祠らしきものはなく、このような石神様があるだけでした。しかし、よく観てみると、石上様の手前にあるのは天神様(菅原道真公)の石像でした。また、この山の上から眺める花徳の海岸は見事でした。さて、参拝を終わって途中、天然記念物のアカヒゲという鳥を見かけました。なお、菅原神社の位置は下の地図を見て下さい。人気ブログランキングへ
2014年01月06日
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今日1月5日は徳之島の各町で成人式が開催されました。島外に出ている若者が多いので、正月休みに帰郷するタイミングを見計らって、1月13日の成人の日を待たずに開催するのでしょうね。人気ブログランキングへ
2014年01月05日
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徳之島のキャッチフレーズといえば、「長寿と子宝の島」だそうです。その子宝に恵まれたいという人におススメの初詣場所は、伊仙町喜念地区にある新田(あらた)神社です。場所は、下の地図を参照して下さい。最近は、この神社の由緒を記した看板が建てられています。この看板によれば、「新田神社( 町指定名勝史跡 昭和53 年2月23 日指定)喜念集落の霊験あらたかな聖地となっている神社です。別称で新田権現とも呼ばれますが、古くは喜念御岳( うたき) と言われ、鎮守の神として森全体が信仰の対象となっていました。祠( ほこら) には神道の神が祀られ、御神木( ごしんぼく) には、安産を願うため海砂が貢納されます。 新田神社にまつわる伝説があります。喜念集落の娘が太陽の光を強く受けたと感じて懐妊しました。娘は親、親戚、集落の人たちに恥ずかしく思いこっそり家を抜け出しお産を終えて自ら命を絶ってしまいました。その霊が神となって権現として信仰されるようになったと言われています。」とありました。祠は次の写真のようにシンプルです。祠の脇にある御神木とはこれです。そして、子宝のシンボルと言えば、やっぱりこんな形の石があるんですね。人気ブログランキングへ
2014年01月05日
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徳之島の隠れた初詣スポットを紹介します。まずは、徳之島町亀津にある金毘羅神社です。写真の場所は、亀津にある殿地墓(トーチ墓:唯一徳之島の代官(第128代本田孫次郎 文久元年(1861)12月14日没)が葬られている墓地)とよばれる徳之島にある墓地の中でも大へん格式の高い墓地です。金毘羅神社はこの近くにあります。詳しい場所は、下の地図でマークしているところです。殿地墓には、このような立派な案内板もあります。これが殿地墓ですが、知っている人が葬られているわけでもないので、先に急ぎます。金毘羅神社の鳥居です。この参道を登っていきます。神社の由緒です。1659年に薩摩藩が検地竿入(けんちさおい)れを行った際に、地元でコンピラサンと呼んでいた地名を現在の金比羅山に書き改めたそうで、海上の守護神「金比羅」様が奉られるようになったそうです。江戸時代、本土に帰る薩摩藩の代官たちはここで航海の無事を祈ったと伝えられています。なお、現在のコンクリート建の祠は、戦後前田村清氏が寄進したものです。さて、この祠を建立した前田村清氏とは、徳之島町のホームページによれば、「明治41(1908)年3月25日生まれ、尾母尋常高等小学校卒業後、上阪、川崎車両の溶接工として技術を磨く。昭和25年、関西金属工業株式会社を設立し、発展の一途をたどる。当時の奄美出身者の就職希望者を多く受け入れ、郷里への善意や奉仕も怠ることなく、図書館、公民館、神社再建、島内の各学校へ文具や書跡等の寄付も数多くある。更に奄美の日本復帰や観光、農業、畜産振興にも貢献した。 昭和59年1月7日76歳で没す。」となっており、徳之島町の名誉町民第6号に選ばれています。なお、徳之島町の名誉町民は今のところ12名選ばれていますか、徳田虎雄元衆議院議員も名誉町民第11号に選ばれています。金毘羅神社のある丘からはこのように徳之島町の市街地と遠く太平洋までが一望でき、まさに海上交通の守り神である金毘羅神社にふさわしいロケーションに鎮座しています。人気ブログランキングへ
2014年01月03日
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今年の元旦は、徳之島町亀津にある高千穂神社に初詣に行ってきました。かなり多くの人が初詣にやってきています。みなさん今年もよいお年でありますように。高千穂神社の由緒を示す看板もありました。この神社は、明治の初め、政府による神仏分離令を受けて全国に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起きた流れの中で、明治2年(1869)に薩摩藩主から命が下り、奄美地方では寺を廃し12の神社を建てました。そのひとつだそうです。この亀津高千穂神社は、村の聖地であった麦穂峯(むぎほみね)と呼ばれる地に、大隅国霧島神宮の祭神ニニギノミコトが分奉され建立されたそうです。この神社にお参りした後、天城町にある天城高千穂神社へも参拝しました。こちらの方は、初詣を迎える神社という雰囲気がありました。人気ブログランキングへ
2014年01月02日
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天城町にある高千穂神社です。なかなか、場所を転々としてきたみたいですね。でも徳之島の名所に選ばれています。朱塗りの鳥居も立派です。初詣に行ってみてもいいかもしれませんね。人気ブログランキングへ
2013年12月26日
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世界自然遺産登録を目指す、徳之島の天城町当部集落内にある「アマミノクロウサギ観察小屋」より観察用カメラ映像を動画共有サービス"USTREAM"を通しての生中継が開始されました。ここでご覧ください。↓↓↓
2013年12月25日
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今日は天皇誕生日ですが、実は陛下も徳之島には行幸されています。まだ、皇太子殿下の頃、昭和47年に美智子妃殿下とともに訪れたそうです。この畔プリンスビーチは、陛下と皇后が、来島された時に散策されたことから命名されたそうです。ビーチは、周りをサンゴ礁に囲まれた約1.5kmの砂浜で、波もおだやかでゆったりとナマコを踏みながら海水浴を楽しむことができます。人気ブログランキングへ
2013年12月23日
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今日は、2012年3月12日の第15回NHK「熱血!オヤジバトル」で優勝した徳之島のバンド「まぶらい」のライブを見てきました。こんなポスターまで作っています。さらに、調子こいているのか、CDまで作っています。CD発売日が12月20日、つまり今日です。CD発売記念のクリスマスライブというわけですね。入場料は2,000円、ゼニをドブに捨てるとはこのことかもしれません。しかし、買わないといけないのが浮世の義理。このサックスを吹いているおじさん。奥さんはフィリッピン人という噂のある徳之島町長のHIDEKI。いつもお世話になっているこの方が出られるので、2,000円でチケット買いました。会場は満員、親戚が多いのですかね。こういうものに興味があるとは思えないおじさん、おばさん、そして小学生なども来ていました。もちろんHIDEKI以外にも、やたらファズを効かせたギターを弾くお兄ちゃん。カラオケの趣味が高じて歌を歌うおねえさん。そして、島口と呼ばれる徳之島の方言の歌を歌うシンガーソング・ライター気取りのおねえさんなどが、前座として会場を十分冷した上で、登場しました「まぶらい」。音楽のことはよくわかりませんが、MoMo太郎は、このバンドが優勝した時の「熱血!オヤジバトル」で見ていたのですが、単なる勢いだけのバンドかなと思っていました。bkこの人がMCと打楽器担当の丸野清さん、普段は結婚式の司会をやっているとの噂ですが、本職は何かわかりません。この人がリーダーの加川徹さん。お孫さんもいるそうで、オヤジというよりお爺さんです。本業?は写真屋さん。これがお店。その他のメンバーは余りキャラが立っていないので、よく知りません。やっぱり、盛り上がるのはロック調にアレンジしたわいど節を演奏する時です。まあ、おじさんだけど元気があって大変よろしいライブでした。人気ブログランキングへ
2013年12月20日
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天城町役場の敷地の中にそびえるAYT(天城町ゆいテレビ)町内の情報を伝えるケーブルテレビ局のようです。そして、このテレビ局はなんと、農林水産省の補助金で作られたようです。農林水産業とテレビ局、よくわからない取り合わせです。人気ブログランキングへ
2013年12月18日
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今日、「負け美女」という言葉を知りました。恵まれた容姿を持ちながらも、なぜか男性が寄りつかないという女性のことを示す言葉だそうです。また、「痛男(イタメン)」という言葉もあるそうで、“モテたい”“スゴいと思われたい”などの下心が、隠しているはずなのに思いっきり周囲にバレている男性のことだそうです。この言葉、在日4世、アイリスオーヤマという会社の社長令嬢という噂のある犬山紙子というエッセイストの造語のようです。さて、天城町平土野の町にある公園です。公園は整備工事中ですが、相撲の土俵があるのが面白いですね。さすがは第32代横綱朝汐関や旭道山関といったお相撲さんを輩出した徳之島だけのことはあります。そして、公園の隅に、また石碑を発見しました。区画整理事業の完成記念碑のようです。碑文を読んでみると、戦災を受けた平土野の町を土地区画整理事業で住みやすい町にしたというようなことが記されていました。区画整理事業は、個人の所有物である土地の形状や形質を変更するので、住民の同意を得るのが大変難しいそうです。阪神淡路大震災後の神戸市長田をはじめ災害などからの復興を契機として事業を進めることが多いみたいですね。人気ブログランキングへ
2013年12月16日
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天城町平土野にある高齢者のための介護サービスを行っているところです。もともとは医院だったそうですが、先生が高齢で引退されたため、空いた施設を利用したそうです。訪問介護の他にも、高齢者のためのふれあいサロンとしても運営しているそうでカラオケ大会や映画会など行われているそうです。また、有機食材を使った喫茶店も併設されています。天城町には今のところ天城診療所という医療機関がありますが、ここの先生も高齢ということで医療機関を引き継いでくれる人がいるといいそうです。もっとも徳之島には徳洲会病院があるので助かるのですが、車で40分は掛かるためお年寄りが気軽に通院できるというわけでありませんから、やはり地域の医療機関は必要ですね。まあ、若い先生でこんなところで開業しようという人もいないでしょうけど。人気ブログランキングへ
2013年12月15日
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年が開けると、天城町にお弁当屋さんの「ほっともっと」がオープンするそうです。徳之島では2軒目。これで、天城町の人にはお昼の選択肢が増えましたね。人気ブログランキングへ
2013年12月11日
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天城町平土野の漁港を後にして港の方へ向かいます。途中でみかけた観光案内板、ややくたびれた感が。こちらが港の埠頭、余り船の出入りもないので、釣りをしている人もいました。徳之島町の亀徳港が表玄関とすれば、こちら平土野は補助的な港で、波が強くて亀徳に入れない時などに利用されるそうです。とはいえ、客船も入ってくるので待合所もあります。そして、待合所の隣には観光案内板もあります。ちなみに、乗船券はこちらの海運会社が取り扱っているそうです。待合所では当日売りしか買えません。予約の方はこの会社まで。港の入り口にある看板です。人気ブログランキングへ
2013年12月08日
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今日、亀津の商店街で歳末大売り出しのイベントがありました。踊っているのは、多分、中学生のダンスチーム。なかなかキレのあるようなないような、でも一生懸命踊っていました。この中から、将来のアイドルになりそうな子っているかもね。人気ブログランキングへ
2013年12月07日
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この間紹介した「犬の門蓋」への案内看板で倒れたまま放置されているのがありました。多分、台風で倒れたんだと思いますが、いい加減、修理すればいいのにね。人気ブログランキングへ
2013年11月30日
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今日は第一回徳之島町食と農林水産業の祭典がありました。なかなか盛大なイベントでしたが。第一回ということで多少不慣れなところもあったのが、地元感がうってわかったですね。来年も期待です。人気ブログランキングへ
2013年11月24日
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今日は伊仙町農業祭があったので行ってみました。明日は徳之島町の農業祭だそうです。島での土日はヒマなので行ってみようと思っています。人気ブログランキングへ
2013年11月23日
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徳之島で困るのは毒蛇のハブがいることです。しかし、奄美群島の全ての島にいるかというと、そうではなく奄美大島と徳之島にハブがいて、沖永良部島や与論島にはハブはいないそうです。そして、ハブにかまれた時はどうすればいいか、懇切丁寧に教えてくれるのはここです。この保健所の建物のどこかに、血清を採取するための生きたハブが飼われているそうです。人気ブログランキングへ
2013年11月20日
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以前にも書いたかもしれませんが、徳之島では松の紅葉が見られます。松くい虫による被害ですが、季節柄、ちょっとした秋の風情と言っていては、やっぱり駄目ですね。人気ブログランキングへ
2013年11月19日
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「徳之島にはお寺がない」というのが、徳之島に住み始めて2年近く経ったMoMo太郎の結論でしたが、実態は不明ながら、なんとなくお寺らしきものを確認したので紹介します。見つけた場所は、天城町瀬滝地区で、一応「大鳳寺(だいほうじ)」という看板まであります。しかし、どうみてもお寺という建物ではなく、普通の住宅風のつくりですね。でも、こんな法師の銅像があったりして、お寺の雰囲気もします。そして、敷地の全景はこんな感じです。どうも、鳥居がある神社の存在感が大きい。鳥居も立派です。でも、地蔵堂もあったりして仏教色も強い。実際、徳之島の人に聞いてみると、お寺はないけど、お葬式の時にはお坊さんが来てお経をあげてはくれるそうです。でも、檀家がいるわけでもなく、お坊さんも普段は別の仕事をしているらしいということです。また、教会というのはちゃんとあって、キリスト教徒もいるそうですが、明らかな仏教徒というのはいないみたいです。ただ、お墓は立派で祖先崇拝は強いみたいですから、もっと原初的な宗教観が島の人にはあるのかも。人気ブログランキングへ
2013年11月13日
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徳之島町花徳地区にある里久浜周辺を紹介します。なお、花徳と書いて「けどく」と読みます。里久浜で地元の人は大して気にしていないのですが、このような立派な黒御影の石碑があります。石碑は「嶺山嶺文翁頌徳碑」です。嶺山嶺文という人は、明治36年地租改正のとき、税金を取られることから徳之島の山林が国有林に組み込まれたのに対し、花徳周辺の山を共有林として残すことに成功した人です。また不毛の地であった里久を肥沃な水田地帯に変え、花徳を全島一の米生産地にしたことでも知られています。当時の測量機器もない時代に一人でトンネルを掘り、落差の大きかった当田川の水を引き大水田を作り、水路を地区に開放したことでも知られています。石碑の傍を流れる里久川に架かる橋が「嶺山橋」として名前が残っているそうです。まあ、なかなか立派な人だったのですね。しかし、そういう郷土の先達については地元の小中学校では教えていないようですね。人気ブログランキングへ
2013年11月06日
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なんとなく未だに扇風機を使っていますが、徳之島も秋ですね。ススキがこんなに茂っていました。人気ブログランキングへ
2013年11月05日
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徳之島の畑の端には、こんなプールみたいなものが付いています。何のために付いているのかわかりませんが、多分、ゴミ捨て場ではないと思います。人気ブログランキングへ
2013年10月21日
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徳之島だと。オーシャン・ビューのお宅も結構あるんですよ。なかなか素敵なお宅ですよね。ただし、潮風で洗濯物が乾きにくいかもしれませんが。ついでに、お墓もオーシャン・ビューです。人気ブログランキングへ
2013年10月20日
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徳之島も紅葉の秋を迎えたのかと思いきや、これは松くい虫の被害で枯れた松です。徳之島には希少な動植物や昆虫がいるので、それらへのダメージを考え松くい虫の防除剤は使えないそうです。ただ松くい虫が広がるのを傍観することがいいみたいです。人気ブログランキングへ
2013年10月19日
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伊豆大島、大変な被害のようです。こういう時なんといって、お見舞いを申し上げていいのか、・・・。徳之島もがけ崩れなど心配なところがあります。 人気ブログランキングへ
2013年10月17日
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伊仙町喜念地区にある新田(アラタ)神社、ここもパワースポットではないかと思います。これは、喜念集落の霊験あらたかな聖地となっている神社だそうで、別名は新田権現と呼ばれているそうです。古くは喜念御岳(うたき)として鎮守の守りとして森全体が信仰の対象となっていたそうです。伝説として、喜念集落の娘が太陽の光を強く受けたと感じて懐妊しました。娘は親、親戚、集落の人たちに恥ずかしく思いこっそり家を抜け出しお産を終えて自ら命を絶ってしまいました。その霊が神となって権現として信仰されるようになったと言われています。なにやら古い石碑みたいなものがありました。また、集落の人が、奄美群島本土復帰60周年を記念して周辺に桜の植樹をしたそうです。人気ブログランキングへ
2013年10月15日
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徳之島の伊仙町にあるパワースポットと呼ばれている「義名山神社(ギナヤマジンジャ)」です。徳之島の神社には、大抵、このような戦没者の慰霊碑があります。ここには忠魂碑と慰霊碑のふたつが建てられていました。この石段を登ると神社に着きます。いかにも木立が鬱そうとしていて、いかにもパワースポットへ向かうという雰囲気です。そして鳥居の脇には神社名の彫りこまれた古そうな石碑があります。義名山神社の創建は天保十五年八月となっていますが、奉献の石碑や文化十三年八月奉献の疱瘡安全祈願の石碑からそれ以前から奉られていたと思われるそうです。以前は正八幡様と称していたそうです。明治維新後、奄美群島は、明治四年霧島神宮より祭神天津彦火瓊々杵尊を勧請して、当時の伊仙村においてもこの地に鎮座され、村社高千穂神社として、西八幡、東高千穂として両社共同して祭礼を執行していたそうですが、明治二十三年の大風害により東高千穂を西八幡に合祀し、鎮座地名をとり村社義名山神社と呼称し現在に至っていいるそうです。社殿は最近建替えられたようです。また、狛犬の口と爪が赤く塗られているのは、両方ともメスという意味でしょうかね。石灯篭は壊れたままですが、拝殿は、最近のものです。神社の建物が持つ風格みたいなものは余りないかもしれませんが、一応、拝殿と本殿がある本格的な神社でした。それゆえパワースポットと呼ばれるのでしょうか。人気ブログランキングへ
2013年10月14日
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徳之島の畑でよく見かける、コンクリートの箱。畑の作物へ水をやるためのタンクのようです。山の小川の水などを貯めているようです。人気ブログランキングへ
2013年10月08日
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台風23号の直撃は避けられましたが、台風の影響で今日の徳之島の海は波が立っていました。この後、追いかけるように台風24号もやってきます。人気ブログランキングへ
2013年10月06日
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以前紹介しましたが、洞窟に神様を奉るということで、徳之島町井之川地区にあるイビガナシとウキボウジガナシを紹介します。この祠の中にイビガナシという石のご神体が奉られています。これは昔海から石に乗って神様がやって来たという伝説があり、その時の石が御神体として奉られているそうです。いわゆる「えびす様」に似た信仰のようです。写真の道が二股に分かれていて、右手の道を行くと崖がありますが、その崖にできた洞窟にウキボウシガナシが奉られています。ウキボウジガナシは、貝を御神体として奉っています。この説明版によれば、イビガナシもウキボウガナシも航海の神様だということです。人気ブログランキングへ
2013年09月25日
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伊仙町喜念地区にある喜念権現の入り口です。喜念権現の説明看板です。看板には、次のように記されていました。喜念権現(町指定名勝史跡 昭和53年2月23日指定) 鳥居の先の森の中に幅5メートル、奥行5メートル、高さ2メートルほどの鍾乳洞があり、その中に石碑が祀られています。喜念集落の人たちは、これを鎮守の神として崇め、雨乞いや豊年を祈願する祭りを行っていました。また、洞穴の西側にある小川は地域の人の水場であり、また、ショウジ神の祭場でもありました。 喜念権現には美女にまつわる2つの伝説が残されています。1.昔、世にも美しい娘がいました。村の若者はどうにかしてその姿を一目見ようとしていましたが、娘はどういうわけか人に顔を見られることを嫌い、外に出ることがなかったそうです。ある日、娘が何かを落としたと言ってすすり泣いているので、その姉が一緒になって庭を探していると、ものかげに隠れた一人の青年が「見たぞ、見たぞ」といって誇らしげに大声をあげて飛び出してしまいました。娘は顔を見られたことに落胆して山奥の洞窟に身を隠し、そのまま喜念権現の神となりました。2.薩摩から来た代官が、在任中に身の回りをする人を探していました。喜念村に絶世の美女がいると聞き、役人を通してその娘に相談を持ちかけました。娘は2年という短い在任中の島嫁になることはできないとして、その話を断ったそうです。そこで役人たちは娘の親をおどしたそうですが、娘は親に迷惑をかけてはいけないと思い、洞窟に入り自ら命を絶ってしまいました。村人たちは命を投げうって役人に抵抗し、貞操を守り続けた娘の気持ちを哀れみ、その霊を権現さまとして祭るようになったとこのことです。なお、鍾乳洞に向かって左側には高さ1.3メートルの鹿児島県で採れる山川石を使った灯篭が立っており、そこには、享保14年(1729年)己酉7月徳之島代官とその附役(補佐官)によって寄進されたと書かれています。参考文献伊仙町誌編さん委員会 1978『伊仙町誌』ちょっと面白そうなので、行ってみることにしました。人気ブログランキングへ
2013年09月22日
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徳之島町出身の偉い人といっても、徳洲会病院の徳田虎雄ではありません。徳之島町の図書館に銅像が飾られている吉満義志信氏と吉満義彦氏です。右が吉満義志信氏、左が吉満義彦氏です。吉満義志信氏は、万延元(1860)年3月28日生まれ、明治19年古仁屋警察署長代理を振り出しに県議、東方、西方、鎮西、亀津、天城、伊仙村の各村で戸長・村長などを歴任。明治20年代から大正中期にかけて地方行政官として活躍した人です。また、明治28年に江戸時代から明治中期までの主要な出来事や地図・民俗・衣食住・歴史・統計などが色付き絵図で紹介されている「徳之島事情」をまとめた功績があります。大正7年10月4日58歳で没す。吉満 義彦氏は、明治伊仙尋常小学校、鹿児島一中、一高、東京帝国大学文学部卒業、父、吉満義志信が官選戸長・村長のため、小学校時代は伊仙で過ごす。昭和初期の日本近代哲学思想の孤高。カソリック哲学者・実存哲学者・神秘思想家として知られる。上智大学教授。教え子に遠藤周作。遠藤に文学の道を勧めたそうです。 昭和20年10月23日42歳で没す。吉満義彦全集(講談社出版研究所)1984は、近代日本が生んだカトリック思想家としては最も著名な人物の全集。推薦文に哲学者森有正は「彼にせめて5年の生命を与えたならば、戦後日本の哲学、思想、宗教はまったく変わった発展を遂げたであろう」と記されたそうです。37(1904)年10月13日生まれ。まあ、要するに親子そろって偉い人ということで、鎌倉にお住いの芸能人親子とは違うってことです。人気ブログランキングへ
2013年09月14日
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本日の徳之島は台風17号の影響で、一日中、強い風が吹いて、雨が降ったりやんだり、海も山もこんな感じでした。人気ブログランキングへ
2013年09月03日
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ハレー舟大会を盛り上げるために、色々なゲストも呼ばれていました。まずは、徳之島が誇る天才少女民謡歌手が歌う島唄です。出演するのは、2011年8月開催「民謡民舞少年少女全国大会 (日本一決定戦)」 小学校四・五・六年の部で優勝した、宮村美希ちゃん(写真左)、その隣は従妹で森田葉月ちゃん、葉月ちゃんの姉の森田美咲さんは2011年10月開催 「民謡民舞全国大会」 民謡青年部旗戦 優勝者です。そして左端の可愛い女の子は宮村祐花ちゃん、美希ちゃんの妹です。そして、次はモダンなブレイクダンスを踊る少女の皆さん続いて、ややシルバーな人も参加しているフラダンスチームです。相当、色黒の方もおられて、ひょっとしたらハワイ出身かもと思いました。そして、出場すると食べさせてもらえたのがこれ、徳之島島民の秘密のご馳走として、秘密のケンミンSHOWでも紹介された、氷入りおかゆ。山地区の人は「ボロボロ」として呼んでいました。天城町では確か「ブルバン」と呼んでいました。そして、レース大会も終盤になると、雨雲がかかってきて雨が降り出してきましたが、なんとか最後まで事故なく、大会は終わりました。朝の8時から始まり、終わったのは昼の2時。そしてMoMo太郎に残ったのは、五十肩の痛みでした。 【了】人気ブログランキングへ
2013年08月27日
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昨日開催された、「徳之島町どんどん祭りハレー舟大会in山漁港」の続きです。スタート前にチームの紹介があると、どこのチームもこのようにオールを上げて声援に応えます。そしてスタート
2013年08月26日
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