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戦争を避ける道 は・・・絶対にないのか? 万一の事態に陥る時・・・。 皇祖皇宗 に対し、 四千万国民 に対して、 申し訳が立たぬぞ! 明治45 (1912) 年7月30日0時43分。 第122代天皇 ・ 睦仁陛下は、 尿毒症に伴う心臓麻痺によって、 崩御されました。 享年61歳でした。 立憲君主制国家の元首 としての御自身の御立場を十全に理解され、 困難な時代を・・・御公務に精励なさいました。 常に国民全体の意思を慮られ、 国民と共に歩まれる事を念願とされて御出ででした。 又、 日本帝国の発展と繁栄は、 国際社会との融和と協調 の下に実現されなくてはならないとする、 強固な信念を抱いて居られました。 その日の校長は、 前日の白服と違い、 黒いモーニング (恐らく冬服であろう) を着て、 顔中汗にして、 一メートルばかりの砂丘の上にあがり、 一、 二年生二百名と、 班長を務める上級生二十名を、 その砂丘の周囲に集めた。 そして、 いつもと違い荘重な低い声でていねいに話した。 「皆さん、 信じられないことですが、 昨三十日午前零時四十三分、 天皇陛下が崩御 遊ばされました。 私たち日本臣民にとっては、 太陽が沈んだと同然のことです。 天皇陛下は日本が闇の中にいたような時代に、 天皇の御位につかれ、 先ず、 それまでの 鎖国をやめ られ、 世界に向って窓を開いて、 外の光を入れられました。 次に、 日本が小さい藩に分かれて、 互いに争っているのをやめさせて、 日本という一つの国家に統一 なさいました。 それから、 日本人の中にあった 士農工商というような身分を、 全部なくさせ て、 誰でも一様に陛下の赤子であるように 平等 にしました。 そのおかげで、 日本人は初めて夜が明けたように、 日光に浴したように、 幸福になり、 生き生きとなり、 幾度の戦争にも勝って、 国家も栄えました。 ・・・ わたしたち日本の慈父のような天皇陛下は、 国を挙げての祈願にも拘らず、 崩御遊ばされて、 日本は悲しい闇の帳に包まれました。 ・・・ 」 その言葉は松林の中の蝉の声を伴奏にして、 静かに中学生の胸にも沁みた。 校長の顔に流れる汗が涙であると思ったほどだ。(芹沢光治良 『人間の運命』 )
July 30, 2007
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1937 (昭和12) 年7月28日。 北平 (北京) ・ 天津地区。 華北駐留の日本軍各部隊は、 既に下達された軍司令官命令に基づいて、 是の日・・・。 平津地区の中国軍に対して、 総攻撃の火蓋を切った。 蘆構橋事件から三週間。 事態の平和的解決を志向する人々の努力も空しく、 日中両軍は本格的戦闘に突入したのである。 事後八年間・・・。 中国全土を凄惨な戦場として戦われる 日中戦争 の勃発であった。 存亡の岐路に立つ中国民族の抗日感情は、 満州事変時と比較にならない程の激しさを伴っていた。 是を過小評価し、 一撃を見舞ったら、 中国は簡単に屈伏するものとしていた、 陸軍部内の主戦派の論は、 最初から破綻を運命付けられていたと云える。 早期収拾の思惑は完全に覆され、 戦線は長期化・・・泥沼の様相を呈するに至る。
July 28, 2007
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1890年7月27日。 フランス南部オーヴェール ・ シュル ・ オワーズ。 画家 ヴィンセント ・ ヴァン ・ ゴッホ は、 錯乱の発作に見舞われ、 自らの胸部へ拳銃を発射する。 7月29日死亡。 享年37歳。 画壇から、 漸く・・・評価を得ようとしていた矢先の死であった。 画業を志してから十年・・・。 真性の芸術家の魂が、 彼の内奥に棲み、 絶間なく駆立てていたのか。 心の病に蝕まれ、 入退院を繰返しながらも、 絵画への情熱は失われる事なく、 驚異的なハイ ・ ペースで制作に励んだ。 生涯の作品総数は、 1800 点にも達する。
July 27, 2007
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1945 (昭和20) 年7月26日。 ベルリン郊外ポツダム市。 独国降伏から80日目。 欧州の戦後問題を合議中であった連合国首脳は、 是の日・・・。 極東に在って絶望的な抗戦を継続する日本に対し、 無条件降伏を促す共同声明 を発表する。 ポツダム宣言 と呼ばれる。
July 26, 2007
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「祖国は、 私の名を憶えていてくれる」 ヒトラーの死を確信したシュタウフェンベルクは、 ベルリンに舞い戻ると、 ワルキューレ作戦の陣頭指揮に任じる。 国防軍の手で全権を掌握し、 東西両戦線で同時に講和を締結する手筈であった。 然し、 ヒトラーは存命 していたのである。 爆弾の破壊力が予想外に弱かった事。 頑丈な会議用机が爆風を遮った事が幸いし、 奇跡的に軽傷で済んだのであった。 叛乱は 一日で鎮圧 され、 首謀者は即決裁判で銃殺刑に処せられた。 シュタウフェンベルクも又、 叛逆者 の汚名を着せられ、 銃殺隊の前に引立てられる。 然し、 死に臨むシュタウフェンベルクの態度は、 プロシア貴族出身者らしい、 毅然たるものであったと云われる。
July 20, 2007
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戦局の急激な悪化は、 ドイツ国防軍上層部に深刻な衝撃を与えていた。 白ロシア方面 では、 赤軍の大攻勢によって、 ドイツ最精鋭と謳われていた中央軍集団が壊滅。 自国領内から敵を駆逐したソ連軍は、 一挙に ポーランド国境 へ迫りつつあった。 北フランスの ノルマンディ海岸 では、 米英連合軍による上陸作戦が行われ、 一大橋頭堡の構築に成功する。 ドイツは、 東西二正面作戦 を余儀なくされる事となったのである。 無論、 今後の戦闘の舞台となるのは、 欧州 であった。 太平洋戦線では、 日本本土防衛の最後の拠点 である サイパン島 が陥落。 絶対国防圏崩壊の責任を問われ、 東条内閣 は 総辞職 に追い込まれる。 皇族 ・ 重臣層の一部は、 皇室の存続を唯一の条件とする、 連合国との和平工作に動き始めていた。 枢軸軍の敗勢は、 最早・・・誰の眼にも明らかとなっていたのである。 是以上戦争を継続するなら、 潰滅的な惨禍が祖国に降掛かるのは必至であった。 国民の生命 ・ 財産 から、 民族の歴史 ・ 文化 ・ 伝統 に至る、 掛替えのない全てのものが、 戦火に蹂躙され、 徹底的な破壊に曝される事となろう。 ドイツは、 能く現状を認識し、 決定的な破局を招来する前に・・・。 戦争終結を決断しなくてはならない段階を迎えていたのである。 国防軍首脳の中には、 ギュンター ・ フォン ・ クルーゲ元帥 の様に、 和平交渉を進言する者もあったが、 ヒトラーは頑迷に是を拒絶した。
July 20, 2007
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1944年7月20日。 東プロイセン州ラステンブルク ・ 総統大本営内・・・。 ヒトラー臨席による作戦会議の最中、 大音響と共に爆発が起り、 議場は一瞬で爆煙に呑み込まれた。 時限爆弾 を密かに持込んだのは、 予備軍参謀本部の クラウス ・ フォン ・ シュタウフェンベルク大佐 。 狂気の独裁者を打倒し、 祖国を破滅から救わんとする人々による、 クーデター計画・・・ワルキューレ作戦 発動の号砲でもあった。
July 20, 2007
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1863年7月18日。 米国サウスカロライナ州モリス ・ アイランド。 チャールストン湾口を睥睨する、 南部同盟軍の ワグナー要塞 に対して、 海陸から攻囲網を布く合衆国政府軍は、 是の日・・・陸上兵力による総攻撃を開始する。 攻撃軍の先鋒を務めたのは、 創設されて間もない 歩兵第54連隊 。 幹部 ・ 上曹を除く兵員の全てが 黒人志願兵 という、 当時の合衆国軍としては異例の編成に基づいていた。 連隊長に任命された ロバート ・ グールド ・ ショー大佐 は、 僅か25歳の白人青年。 奴隷解放運動の中心地 ・ ボストンの名家に生まれ育った理想主義者であった。 黒人兵の待遇は劣悪で、 給養も十分でなかったが、 彼らは戦場に立つ日を夢見て、 過酷な訓練に耐えていた。 人間でありながら家畜同然の扱いを受けて来た彼らにとっては、 人間としての復権 が・・・。 名誉と尊厳の回復 が懸かっていたのである。 一方、 ショー大佐にとっても・・・。 そういう黒人連隊の指揮を執る事は、 自己の理想の実現と密接に関わっていた。 奴隷解放を旗印に掲げる合衆国軍内部に、 依然として蔓延る 人種的偏見 。 高級幹部の 堕落。 前線の兵士達の労苦と犠牲を余所に、 日々 虚栄と保身 に汲々とする上流人士達・・・。 若きショー大佐の情熱は、 数多の矛盾の打破へと向かわざるを得ない。 奴隷解放宣言 が謳い上げる、 崇高な理念の推進。 旧来の悪弊を根絶し、 差別のない世界 を築く事。 彼は、 青春のすべてを賭けていたのである。 ショー大佐と兵士達の間に、 次第に・・・厚い信頼関係が育まれていった。 ワグナー要塞の攻略は、 結局成らなかった。 第54連隊は、 全兵力の半数に相当する約 1,000名の死傷者を出して、 壊滅。 後続部隊も又、 大打撃を受けて敗退した。 然し、 是の日の戦闘で発揮された同連隊の勇気と敢闘精神は、 黒人部隊の評価を飛躍的に高めたのである。 黒人兵士大量養成の道が開かれ、 南北戦争終結までの間に、 18万人以上が正規兵として、 合衆国軍の戦列に加わる事となる。 「彼らの存在なくして、 合衆国政府の最終的勝利 はなかったであろう」(エイブラハム ・ リンカーン)
July 18, 2007
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露暦1865年7月10日夕刻。 首都ペテルブルグ。 とうとうやって来ましたね。 (^.^; ドストエフスキー の代表的長編小説 『罪と罰』 の世界を語る時が・・・。 本日は、 同作品中で、 恐らくは・・・世界文学史上 最も有名な殺人事件 が発生した日です。 ペテルブルグの裏町。 経済的不遇から、 屋根裏部屋住いを余儀なくされている、 大学生 ロジオン ・ ロマーノヴィチ ・ ラスコーリニコフ 。 23歳。 彼は、 一種の 超人論 の提唱者です。 一部の選ばれた者は、 理想世界の実現のためなら、 既成の法秩序も道徳律も、 一切の障壁を超越する権利を有していると云う、 特異な理論に取り憑かれています。 元来、 繊細で、 豊かな感受性 を備えているラスコーリニコフでしたが、 極度の貧窮がもたらす疎外感 ・ 閉塞感は、 何時からか彼の内に奇怪な観念を醸造し、 その病的な神経を愈々蝕んでいました。 即ち・・・。 自らも超人の一人である事を実証するため、 強欲非道な 金貸しの老婆 を殺害し、 金品を強奪すると云う、 忌わしい計画に没頭していたのです。 そして、 是の日・・・。 入念な準備の下に、 計画は実行に移されるのですが、 偶然その場に居合わせた、 老婆の妹 リザヴェータ をも殺めてしまう。 この想定外の事態は、 ラスコーリニコフを完全な惑乱状態に陥れます。 彼は、 罪障に震え慄く、 惨めな自分の姿を見出さなくてはなりませんでした。 (俺は・・・英雄なんかではなかったのだ・・・!) 全人類救済を究極の目的としていた彼は、 その人類から、 全く 断絶した存在 になってしまった事を思い知るのです。
July 10, 2007
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