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ライプツィヒはドイツで3番目に古く大学が創立されたことで有名です。現ドイツ首相のメルケルさんもライプツィヒ大学にて物理学を学んだというばかりではなく、化学反応速度論で顕著な功績を残したオストワルド、量子力学の確立に貢献したハイゼンベルク、メビウスの輪で有名な数学者メビウスなど、科学の発展に古くから大きく貢献してきた大学として、重要視されています。一方、芸術分野でも、多くの著名人を輩出していて、作曲家のシューマン、ワーグナー、そして文学ではゲーテや森鴎外などがこの大学に通っていました。 さて、市庁舎から歩いて数分のところに、中規模の教会があります。この教会は聖トーマス教会と言い、外観を見る限り、ドイツ国内ならどこにでもありそうな地味な教会です。しかし、この教会はドイツ国内で最も重要な教会の1つに数えられています。その理由として、作曲家バッハが27年間にわたり教会合唱団の指揮者として活躍し、また教会内のパイプオルガン演奏者として音楽を奏でた、歴史的に重要な教会です。 雪の積もった聖トーマス教会 教会前にあるバッハ像聖トーマス教会の入り口には、薄雪をかぶったバッハの銅像がたっていました。さすが世界中の誰もが知っている作曲家!彼の銅像の周りには人だかりができていて、記念撮影をする人でごったがえしていました。ちなみに、この銅像をよく見ると、バッハ像の上着の左ポケットの中身が外に出ています。これを見た人々は、「彼はお金が無い」ことを示しているんだと、いつの間にやらそんな噂が広まっていったと伝えられています。 バッハが眠る墓 ぽんカノの願い事トーマス教会には、65年の生涯を閉じたバッハが祭壇の前に眠っています。墓の上には、切花と折り紙で折った2羽の鶴が添えられていました。偉大な作曲家にしては、地味な墓となっているのは、彼の生前を物語っているのかも。そして、教会の前方部には十字架があり、そこに願い事を書いた紙を貼り付けると、願いが叶うと言われています。早速、ぽんカノさんが、「あなた(バッハ)の曲が、上手に弾けるようになりますように・・・・」との願い込めて、十字架に貼り付けていました。 遠くにあるのがバッハが弾いたオルガンかな? バッハのステンドグラストーマス教会のもう一つの見所は、バッハのステンドグラスです。ただし、あまりにも小さくガラスに描かれているので、これを探し出すのに一苦労しました。教会内はクリスマスのムードが漂う、独特の雰囲気に包まれていました。たくさんの名曲が生まれた教会を去り、さらにライプツィヒの魅力を探ることにしました。
January 16, 2011
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こんにちは。年が明けて雪が融けて、ようやく暖かい日々が戻ってきました。とは言え、雨が1週間ほど断続的に降っていて、すっきりした天気は望めません。また、窓の外では、ビューと音を立てながら突風が吹いています。数週間後に、ヘルシンキに向かうの予定で、飛行機が強風によって絶叫マシンにならないことを願うところです。 さて、旅の1日目(12月26日)、ライプツィッヒの旅日記を書いていきます。このとき、大雪によって、市庁舎裏にある文豪ゲーテの銅像には、雪が積もっていました。そのゲーテの銅像の向かいにあるは、メードラー通りというショッピングアーケードで、その中にたくさんの店が軒を連ねています。そのアーケードの中央部へと足を進めると、ファウストとメフィストフェレスの像(ゲーテ作、戯曲ファウストの登場人物)がたっていて、そのちょうど地下に、アウアーバッハス・ケラー(Auerbachs Keller)というレストランがあります。 雪をまとったゲーテの銅像 メードラー通りのアーケード実は、ここがライプツィッヒでは最も有名なレストランで、観光名所となるほどの人気を誇っています。ゲーテは、若き頃、ライプツィッヒ大学法学部で学んでいて、その時によく通っていたという酒場が、同じ場所で今でも営業を続けているのです。さらに、このレストランは、ゲーテの代表作である「ファウスト」に登場し、それが理由でレストランのメニューの挿絵や入り口の銅像には、その戯曲の登場人物であるファウスト博士と悪魔のメフィストフェレスが用いられています。 メニューの表紙 店先の看板早速、店内に入ってみると、大盛況。このとき、お昼の2時という時間なのに、客足が減らないところが、噂通りの人気店であることをうかがわせます。これでは、席が見つかりそうになく、予約を取って夜に出直そうとしました。しかし、ぽんカノさんが、またここへ来るのは面倒との理由で、ウェイターさんをつかまえて、空き席をたずねたところ、運良く席が空いているとのこと。 戯曲ファウストのワンシーンを描いた壁画 ビールが旨い!! 店内の雰囲気見渡す限りでは、この日は観光客の姿はほとんどなく、地元の人で賑わっていて、まさにゲーテが通っていた頃と同じように、酒場としてのムードが立ち込めていました。 さて、ここのメニューは、主にザクセン地方料理を出してくれますが、クリスマスの時期と重なっていたため、その特別料理として、この地方で獲れた野生動物を使った料理を振舞ってくれるようです。ということで、ガチョウのスープと、この近郊の荒野で取れたイノシシのシチューを注文しました。 牛肉の細切料理 野生イノシシのシチュー典型的なドイツ風の調理法で、盛り付けも若干大雑把(笑)。いやいや、これこそ、ドイツ料理の本質なんです。人気店というと、お値段が気になるところですが、これが意外と標準的な料金よりも安いぐらいでした。ちなみに森鴎外も通ったといわれていますが、残念ながら鴎外ゆかりのものは見つけることができませんでした。
January 15, 2011
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2010年12月25日、東欧の旅の前夜、1つ気になることがありました。それは、歩道に積もった大雪の上を歩いて、しかも10日分の衣類をつめたスーツケースを駅まで引っ張っていくことは、厳しいということです。そこで、ぽんカノに頼んで、市内のタクシー会社に電話をしてもらい、翌日の早朝に家まで迎えに来てもらうことにしました。しかし、この時、12月25日、クリスマス。これが理由なのか、市内にある全てのタクシー会社に電話をしても、全く電話に出てくれないのです。クリスマスは、こちらでは特別中の特別な休暇なんです。一度はあきらめたものの、もう一度掛けなおしてもらいました。すると、あるタクシー会社とつながり、耳の遠いおじいちゃんが電話に出てくれて、何とかかんとか会話が成立。翌朝迎えに来てもらう確約ができて一安心。 12月26日、早朝4時過ぎに目覚ましがなり、もう少し眠りたい気持ちを抑えて起床しました。タクシーも時間通りに迎えに来て、長い旅の幕が明けました。隣町の中央駅までは近郊電車で行き、そこから特急列車(ICE)に乗り換えて、真っ暗な早朝の町を列車はスピードをあげて走り抜けていきます。実は、食堂車で食事をする予定だったのですが、本日休業というアナウンスが入り、ガッカリ。朝から何も食べずに、6時間の列車の旅というのは、少々厳しいところがありますね。 早朝の駅(雪で真っ白) 食堂車(休業中) 雪景色を見る女列車は、文豪ゲーテの足跡を記念して作られた「ゲーテ街道を」をたどって、東に向けて走っていきました。ちょうどゲーテ街道に合流した辺りから、雪が次第に深くなってきて、それと同時に列車も、20分、30分・・・といった具合に、どんどん遅延していきます。列車はアイゼナハ、エアフルト、ワイマールなどの名所に停車し、これらの町はゲーテのみならず、音楽家のバッハ、リスト、ワーグナーや、宗教改革で有名なルターでも名をあげてている人気の観光地です(詳細は過去ブログで書いております)。 大雪の積もったエアフルト駅 車窓から見えた古城真っ白の車窓の景色に退屈してきたころ、ようやく最初の目的地ライプツィッヒに到着しました。このとき、定刻よりも45分も遅れて、お昼の12時を回っていました。この中央駅はドイツで最大級の規模を誇っていて、ドイツの各地から長距離列車が乗り入れていますが、そのほとんどの列車が遅れているようです。 45分遅れてライプツィッヒ駅に到着 中央駅の巨大な出口駅から数百メートルのところに位置するホテルにチェックインするために、歩道を歩いていくのですが・・・・・・ 雪があまりにも深いために、スーツケースを引っ張るのが大変。雪かきがしていない歩道では、30センチ以上の雪があり、歩く足がズボズボと雪に埋もれてしまい、これには参ってしまう。 駅のコンコース 駅の外観まっ、何とかチェックインできて、しばらく小さな2人部屋でのんびりと休憩。ちなみに、このホテル、朝食付きで2人で3800円という、すごくお得な宿泊料でした。そもそもここは、かつての郵便局をホテルに改造したもので、かつてはたくさんの郵便物がこの建物内で取り扱われていたようです。 格安の小さな部屋 ホテルの外観は、重厚な石造りで素晴らしい外の気温は氷点下5℃。これから、市内観光に出ます。町自体がそれほど大きくないので、半日あればほとんどの見所を見ることができます。まずは、昼食をとるために、市内でも有名なレストランに向かうことにしました。この続きは次回にします。
January 9, 2011
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日本にお住まいの皆様、明けましておめでとうございます。只今、ハンガリーのブダペストからブログを書いております。こちらはあと2時間弱で、年が明けようとしています。12月26日に旅をスタートし、ドイツ・ライプツィヒ、ドレスデン、そして国境を越えてチェコ・プラハを訪れました。ドイツとチェコの最低気温は平均してマイナス14℃、体感気温マイナス18℃近いという中、たくさんの観光客にまぎれて旅をしました。昨晩、寝台特急に乗ってチェコ・プラハを発ち、眠っている間にスロバキアを通過して、ハンガリーのブダペストに到着しました。ブダペストはハンガリーの首都でありながら、隠し切れない「貧しさ」が至る所に見られます。錆付いた地下鉄、老朽化したバス、壁のペンキが剥がれ落ちた町並み、などなど・・・・・・旅の詳細は、旅が終わった後に、ブログで報告したいと考えています。では、またネットの環境が調ったら得られたら、旅先から報告したいと思います。=============================2010.12.26 Rathaus in Leipzig Germany2010.12.27 Altstadt in Dresden Germany2010.12.28 Moritzburg in Dresden suburb Germany2010.12.29. Nightview in Praha Czech Republic
January 1, 2011
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昨晩はクリスマスイヴで、夜更けにもかかわらず、教会の鐘の音が市内に響き渡っていました。今日は薄陽が差し込む天気で、雪が融けてくれるかなぁと期待したのですが、気温は氷点下のまま。窓の外は、相変わらず白い景色が広がっています。さて、僕の家でもささやかながら、クリスマスパーティーをしました。ぽんカノさんは、ドイツの伝統料理の一つである「ザワーブラーテン」を作ってくれました。この料理については、このブログで度々登場してきましたが、牛肉ブロックを赤ワインとワインビネガーに漬けて、数日間冷蔵庫で寝かせて、オーブンで焼いた料理です。しかし、我が家にはオーブンがありません。なので、フライパンで牛肉を弱火で何時間も熱して、作ってくれました。意外とフライパンで作っても、オーブンで焼いたものと遜色なく、美味しく仕上がっていました。 そして、ぽんカノから、クリスマスプレゼントとして、ウクレレを頂きました。早速、昨日からずっと練習をしていますが、中々指が言う事を聞いてくれなくて・・・。そして、一晩が過ぎ、何故か腕が筋肉痛?? 1つだけ、また趣味が増えたかな。
December 25, 2010
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昨晩は猛吹雪で、その風の音で何度か目を覚ましました。この大雪によって、航空、鉄道は運休・遅延が相次いでいて、数日後にひかえた旅立ちを心配しているところです。今朝とお昼過ぎに、家の前の歩道を除雪しましたが、どんどん積もってくるので、また夜にでも除雪しないといけないようです。ちなみに、ドイツでは住居(所有地)前の歩道を除雪することが義務付けられています。車道に関しては、市の除雪車が担当することになっているのですが、今日はクリスマスイヴだからなのか、除雪されていない状況です。そのため、走行中の車のタイヤが雪に埋もれて身動き取れないで困っている様子が、家の窓から何度か見られました。 ハーゲン野外博物館 ライトアップされた木組みの家さて、ハーゲンという町に、野外博物館があります。小高い山の中腹にあり、この地方独特の木組みの家が立ち並んでいます。この野外博物館は、大人というよりはむしろ子供が伝統産業を学ぶために建てられたものですが、この敷地内でクリスマス市が開かれるという情報をつかんだので、早速訪れてみることにしました。列車に約40分乗り、さらにバスに乗り換えてみたら、車内は大混雑!! 交通渋滞もあり、野外博物館に着いたときは陽が沈み薄暗くなっていました。 博物館のレストラン レストラン内部(シャンデリアがおしゃれ)博物館が所有する木組みの家には、ライトアップが施されて、クリスマスのムードを盛り上げていました。しかし、この寒さには耐え難い。こういうわけで、レストランに急遽入り、入り口に設置された暖炉であたたまった後、食事をすることにしました。ここはNRW州の伝統料理も振る舞うレストランです。ドイツ料理の典型であるシュニッツェル(ドイツ風トンカツ)をNRW州風味に調理するらしいので、それを注文しました。すると、シュニッツェルの上に厚切りベーコンが1枚乗せられたものが出てきました。ベーコンとシュニッツェルの組み合わせは初めて口にしましたが、これが意外と旨かったです。 薄暗いクリスマス市クリスマス市の屋台では、クリスマスの飾り、手芸品、ハム・チーズなどの加工食品、そしてクリスマス名物であるグリューワイン(暖めたワイン)などを販売する屋台が立ち並んでいました。そして、日本の屋台でも定番となっている「天津甘栗」も、海を越えた西洋にも存在するのです。とはいえ、こちらでは栗の品種が違うので、少し変わった味覚のものです。個人的には日本の天津甘栗が好きですが・・・。ドイツ人の中には、栗の皮をむかずに食べている人がいました。確かにこちらでは栗を食用とする機会が少ないから、食べ方が分からないのでしょう。ちなみにこっちでは、りんご、梨、ブドウなどは、皮をむかずに、まるかじりするのが普通のようです。 ドイツ風天津甘栗 ハーゲン市庁舎前のクリスマス市野外博物館のクリスマス市ですが、なんだか華やかさに欠ける感じが否めません。むしろこの後に訪れた市庁舎前のクリスマス市の方が派手で、しかも屋台の品揃えも豊富なので、こっちの方が好きです。
December 24, 2010
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お久しぶりです。約1ヶ月ぶりのブログ更新です。仕事もいよいよ大詰めで、それに付け加え、帰国の準備やその他諸々で、ブログ作成に携わる時間はもちろん、ブログ友達の皆さんの記事を読む暇すらありませんでした。こういう状況ですので、最近は休日なしという状況で、明日も、明後日も、実験をするために研究所へ行く予定でした。ところが、冬期休暇につき、来年まで一部の実験設備が停止されるので研究はできないという知らせが入り、しかも、窓の外は大雪というにもかかわらず、明日から所内の暖房も止めてしまうという連絡があり、びっくり仰天。こういう状況に加え、これで約3年間のドイツ滞在で最後の大型休みとなるだろうし、滞在最後の記念として、東欧の国々を旅することにしました。毎度のことながら、土壇場で旅の計画を立て、大晦日まであと1週間という時に、格安ホテルなんて取れないだろうと思っていたら、意外にも簡単に取れてしまい、これまたびっくり。まっ、窓の外は大吹雪で、こんな時に誰もヨーロッパを旅したがらないというのが理由だと推測しています。その甲斐あって、列車のチケットも格安でどんどん手に入るからうれしいです。その結果、10日間もの長旅なのに、都市間移動に使う列車の料金の総計が、東京-広島の新幹線往復料金をと大して変わらないから、驚きです。さて、行き先ですが、今回はドイツを東に向けて横断し、国境を越えてチェコ、ハンガリー、オーストリアへと進みます。そして、南からドイツに再入国し、ドイツを南から北へと横断して、帰路につくことを考えています。国境越えは総計5回。 なお、移動はすべて列車です(寝台列車や蒸気機関車にも乗って移動します)。旅のお供のぽんカノさんも同行しますが、彼女は相変わらず旅程を作るのに非協力的。なので、一人でいろんな観光協会に問い合わせたり、チケットの事前予約をしたり、鉄道会社に「寝台列車のeチケットが取れないぞぉ~」って嘆きながらコンタクトを取ったりしながら、ようやく旅程が完成しつつあります。とりあえず、「まだ生きている」という報告がしたかったので、ブログを書きました・・・
December 23, 2010
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銀山を見学した後、黒い森の景色を見納めると、刻一刻とフライブルクを去る時が近づいてきました。これからぽんカノの知り合いのお宅にお邪魔をし、夕食をご一緒させていただくことになっています。しかし、銀山の探検によって、衣服は泥まみれ。こんな服装で、お邪魔するのは失礼なので、ホテルに戻って着替えることにしました。市内から少し離れた場所に、素晴らしい日本庭園があります。実は、この庭園は愛媛県の松山市から贈られたもので、1988年にフライブルクと姉妹都市を結んだ故に、ここに造園されたのです。ドイツの各所で和風庭園もどきを見て来ましたが、ここで見た庭が最も本格的で規模も大きかったです。 中央駅の近くの教会 松山市から贈られた日本庭園さて、この庭園の近くにあるお宅にお邪魔をすると、庭には美しいバラが育っていました。そして玄関前から窓越しに台所を見ると、夫婦仲良く料理をしていらっしゃいました。ちなみに、僕が台所に立つと、ぽんカノにつまみ出されます・・・(恐)。玄関を開けてもらい、中へお邪魔すると、パエリアの良い香りが漂っていました。ドイツではパエリアにウサギの肉を入れることがあるのですが、ぽんカノが嫌がって食べないので、その代わりに鶏肉が入っていました。 ほんのわずかな間だけでしたが、楽しい一時をご夫婦と一緒に過ごさせていただきました。帰り際に、庭に咲いていた一輪のバラの花を、ぽんカノにプレゼントされ、お別れしました。約600キロ離れた遠い町へ戻ります。フライブルク中央駅、時刻は00:14。定刻どおり夜行列車が発車。駅を出ると、町の灯が遠くなり、やがて暗い黒い森を列車は抜けて行きます。長かった旅もこれで終り、バラの花を見ながら楽しかった旅を回想するのでした。 夜行列車で眠るぽんカノ 一輪のバラ黒い森&アルザスの旅日記はこれで最終回となりました。長い間、ご愛読いただきありがとうございました。このブログで紹介した名所はほんの一部に過ぎません。広大な黒い森&アルザスを余すところなく巡るには、1週間と言う時間では少なすぎます。最後に、この旅の計画を立ててくれたぽんカノと、お世話になったご夫婦に感謝します。
November 6, 2010
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フライブルク南部には標高1284 mの山があり、「黒い森」と呼ばれる山々の中でも、最も高いものの1つに数えられています。この山の名前は「Schauinsland」で、天気の良い日には、その山頂からスイス・アルプス山脈が見晴らせるそうです。しかし、生憎この日は、アルプスの壮大な光景は濃い霧に消されてしまいました。フライブルクは、随分昔から急速に経済成長を遂げ、町が瞬く間に拡大をしていきました。そのきっかけの1つとなったのが、銀脈の発見です。この銀山は、南西ドイツ最大の規模を誇り、しかも約800年もの間、銀が採掘されていました。 銀鉱を運んだトロッコの機関車 銀坑道への入り口歴史の深いフライブルク大聖堂には、ノミと金槌を持って銀を採掘している様子を描いたステンドグラスがはめ込まれていて、銀の採掘がフライブルクの成長と発展にいかに重要であったかが理解できます。南西ドイツ最大の銀山と言えども、その入り口は人間一人が通れるぐらいの幅しかなく、足元にはかつて銀鉱を運んだトロッコのレールが敷かれていました。 一部水没のため、狭い板上を歩く 銀坑道内部の様子さぁ、いよいよ銀山の坑道内に潜入します。かつてここで働いていたと思われるガイドさんが、坑道内を案内してくださるのですが、旧銀採掘場は危険がいっぱいです。そのため、ヘルメット、軍手、ヘッドライトを借りて装備し、さらにヘッドライト用の大きなバッテリーを腰に付けて、内部を探検するのです。 昔は灯油を燃やして、周囲を照らしていた 簡易トイレ(トイレットペーパーは新聞紙)この日、坑道のガイドツアーに参加した人は10名弱。2人のガイドさんに引率されて、足場の悪く、暗い横穴を進んで行きました。内部には岩盤を削る道具、錆付いたトロッコ、そして簡易トイレまでも残されていて、銀採掘当時の様子が損なわれることなく再現されていました。このガイドツアーは、ショート・ツアー(1.5時間)とロング・ツアー(2.5時間)に別れていて、僕とぽんカノはロング・ツアーを選び、他のお客さんは全員ショート・ツアーに参加していたのです。ショート・ツアーが終ると、ガイドさんは我々2人のために坑道内に残り、さらにその先を案内をしてくれるのですが、驚いたことに、ショート・ツアーのお客さんは、ガイドさん無しで、もと来た道を迷わずに戻って帰らないといけません。 下へと続くハシゴを降りる 高さ10 mを超えるハシゴ 超狭い坑道ここから、僕とぽんカノのためだけに、ガイドさん2人が付き添って、案内をしてくれます。難関なのは、長さ10メートル以上もある垂直に立てられたハシゴを何度も上り下りしなければいけないのです。岩から染み出た雨水で、ハシゴが濡れていて滑りやすいので、細心の注意を払わないといけません。それと体力もいります。また、ロング・ツアーに参加するには、いろんな制約があり、年齢が12歳以上で、身長150 cm以上でないと参加できません。 錆付いたトロッコ パーティー会場さらに驚いたことに、こんな銀採掘場の中にはパーティー会場があり、いろんな催し物がここで行われているのです。もしや、パーティーに参加する人達は、細い坑道を通り、高さ10メートル以上もあるハシゴを上り下りしないといけないのかなぁ~。おそらく、それはないでしょう・・・会場に出入りできる別の穴がある・・・と思います。随分長~い坑道内の探検を終り、ガイドさんにお酒を出してもらい、冷え切った体を温めました。外に出て気付いたのですが、衣服が泥まみれになっているのです。この後、ぽんカノのお友達の家に招待されているのですが、こんな泥だらけの服でお邪魔して良いのやら・・・
November 5, 2010
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フライブルクのお菓子屋さんで、ぽんカノにペロペロキャンディーを買ってもらいました♪♪。キャンディーを舐めながらホテルまで歩き、朝市で買ったお土産をホテルに預けると、すぐに駅前の停留所から路面電車に乗りました。交通量の多い市内を、路面電車が車の流れと共に走り、マーティンス塔をくぐり抜けて間も無い頃、東側の車窓には黒い森が広がっています。路面電車は山へと続く穏やかな坂道を登り、やがて山の麓にある停留所で停車。どのようやらここが終点らしく、電車を降りると、その前に接続のバスが止まっていました。バスに乗り換えて、山道をグングン登って行き、山間の高台にあるロータリーに到着。ここで登山装備の若者たちも一緒に下車しました。彼らとは違い、我々はロープウェイに乗って空中移動をして山頂を目指します。そう言えば、ドイツに来てロープウェイに乗るのはこれが初めてだなぁ。 ロープウェイの駅 ゴンドラこのロープウェイは、走行距離が3.6 kmあり、ドイツで最長の距離です。高低差750 mを約20分かけて登ります。ロープウェイが進むにつれて、フライブルクの市内はもちろん、遥か彼方の町へと視界がひらけてきます。空中散策をすると、ここが「黒い森」と呼ばれる理由が良く分かります。 ドイツ最長のロープウェイ 遥か彼方まで見晴らせる黒い森と呼ばれる理由の1つは、この一帯には濃緑色のモミの木がたくさん茂っていて、上空から眺めると確かに山々が黒く見えるのです。ちなみにドイツをはじめヨーロッパ諸国では、モミの木はクリスマスツリーとして利用されます。 銀山の名残 緑鮮やかな木々のトンネルロープウェイを降りると、そこは標高1220 mの森の中。鮮明な黄緑色をした葉に囲まれたトンネルを潜りぬけると、銀山への入り口です。早速、中に入れてもらおうとすると、ガイドツアーが45分後に始まるから、しばらくの間時間をつぶして欲しいと言われました。 スイス風シュニッツェル 風船をもらって喜ぶ子供達わずかながら時間があるので、ロープウェイの駅に併設されたレストランで食事をすることにしました。僕はスイス風シュニッツェルを注文しました。随分前のブログにも書きましたが、シュニッツェルとは「ドイツ風とんかつ」と訳されていることが多いですが、必ずしも「とんかつ」である必要がないのです。つまり、この料理の様に衣を付けて揚げなくても、ハンマーで肉を叩いて薄く引き延ばして、フライパンで焼いてものでも、「シュニッツェル」と呼んで良いのです。シュニッツェルの定義は曖昧ですが、どのようやら「ハンマーで肉を叩いて薄く引き延ばす」ことが重要らしいです。 山頂から見晴らす小さな村ここで食べたスイス風シュニッツェルは、薄く延ばした豚肉の間に、ハムとチーズを挟んで焼いてありました。おそらく、スイスとその近郊のドイツの町では衣なしのシュニッツェルが主流なのではないかと推測しています。(フライブルク市内のレストランでも、衣なしのシュニッツェルが出てきましたから・・・そのブログはこちら。)ちなみに、ペロペロキャンディーは、このレストランに入る前まで舐めていました!!
November 3, 2010
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長かった旅も、この日で終ってしまいます。想い出にお土産を買うために、朝市へ出かけました。大聖堂のまわりにある広場では、フライブルク近郊の農家、酪農家、工芸家、花屋などが店を出し、あんなに広大だった広場は随分と窮屈になっていました。ソーセージを焼く香ばしい匂いが漂うなか、心のこもった手芸品や工芸品を見ながらお土産の数々を眺めていました。魅力的なものがたくさんありすぎて、どれを買うべきか迷ってしまいます。最終的に買ったものは、さくらんぼのタネが入った枕です。この枕を温めて、腰痛、肩痛などの患部に当てると、良く治ると言われています。 朝市で賑わう広場 大聖堂前の朝市フライブルク市内の観光名所はほとんど行きましたが、1つだけ行っていない場所があります。それは、大聖堂の鐘楼です。あのとき、大聖堂の内部をじっくりと時間をかけて見てまわり、そのあとで高さ116 mの鐘楼に登ろうとすると、ぽんカノに拒否されたので、しぶしぶ諦めて別の名所へ足を運んだのです。 高さ116 mからの眺望 足元には朝市の賑わいが見渡せるこの日もやはり、「え~、登るの?」と文句を言い始めましたが、ここは熱心に説得をして、登塔に付きあってもらうことにしました。天空まで続くのではと思うぐらい長~いらせん階段を登り、登って、登って、登って、登りきって、疲労のためと、若干目が回ったために、フラフラしながら市内が見張らせるところへ行きました。 かつて住んでいた町を見つめる人 青空が広がる・・・足元には朝市で賑わう様子が見渡せ、今までに見てきたフライブルクの観光名所があんなにも小さく見えるのです。美しい街並みを眺めながら、長かった旅を回想するのでした。ぽんカノは一方向のみを、ずっと見つめていました。それは、彼女がかつて暮らしていた家があるところ。長年住んで慣れ親しんだ町を離れ、そしてドイツを離れる事が決まり、その町を遠くから見納めているようでした。何も声をかけずに、その場を離れるまで、そっとしておいておきました。 時を告げる大鐘 3匹のブタ(おまけ画像)昔と変わらず今もフライブルクの町に時を告げる大鐘・・・。しかし、ここで鐘が鳴りはじめると、鼓膜が破れるぐらい大音量だそうです。もし、階段を降りているときに鳴りはじめたなら、ビックリして地上まで転げ落ちるかも。これから、旅の終わりを締めくくるのに相応しい、マニアックな名所に訪れます。このあと、2人そろって泥まみれになるのですが、そんなことを知らずに、路面電車に揺られながら旅を続けるのでした。
November 2, 2010
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中央駅に隣接する「InterCity Hotel」でしばらく休憩した後、夜の景色を見るために、再び市内を散策することにしました。夜10時をまわると、活気に溢れていた町は静寂に包まれて、昼間は賑やかだった町が、こんなにも変わってしまうのかと驚くばかりです。旧市街は意外と薄暗く、夜の静けさと見事に調和していました。窓から漏れる光、そして路地を照らす小さな街灯、その全てがロマンチックな古都を演出しているのです。 窓から漏れる光 旧市街を照らす街灯静けさに溢れた町。でも、小さな路地にある酒場からは、大笑いするドイツ人たちの声やざわめきが聞こえてきて、町の活気が衰えていないことに気付くのでした。この日夕食を食べたレストランへ行ってみました。窓の外から店内を覗いてみると、あの時賑やかで大混雑していた店内は、数人のお客さんがいるだけでした。 夕食を食べたレストラン フライブルク市庁舎時計の針は午後11時をさしています。夜が明けると、楽しかった長い旅も、とうとう最終日を向かえてしまいます。そう考えると、薄暗い街灯に照らされる素朴な街並みは、少しばかり感傷的に見えてしまいます。 赤熊レストラン 時計の針は11時をさしてる黒い森の黒い夜。街灯の明かりだけを頼りに、ホテルに戻っていきました。道路脇の水路は、蓋で閉じられていないので、そこに落ちないように気をつけながら・・・
November 1, 2010
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ビールで喉の渇きを潤した後、大聖堂を中心にして栄えるマルクト広場にやってきました。巨大な大聖堂の横に小さなレストラン『Oberkirch Weinstuben』があり、そこは250年以上も前から続いていて、品質の高いワインと、美味しい料理を創業以来ふるまってきたそうです。そのため、創業以来、客足が途絶えることがなく、フライブルク屈指の老舗レストランとして名高くなりました。気になる料理の値段は標準~やや高めで、バーデン・ヴュルテンベルク地方の伝統料理(正統派料理)を味わうことができるというので、旅の想い出にこのレストランで食事をすることにしました。 老舗レストランの外観 店の内装予約をいれずにこのレストランに来てしまい、案の定、この日は予約でいっぱいとのこと。しかし、ウェイターさんが空席を再確認してくださったところ、入り口付近のテーブル席だけが運良く空いていたので、そこで食事をすることにしました。陽が暮れるに従って、段々お客さんが増えていき、いつのまにやら店内は賑やかになりました。2階にもテーブルがあり、そこでは団体のお客さん達が食事をしていました。これだけ多くの料理を賄うとなると、小さなレストランのキッチンも大忙しだろうなぁ。 シュペッツレと子牛のグリル 牛タンのエストラゴンソース待つこと30分以上。ようやく料理が運ばれてきました。ぽんカノはバーデン・ヴュルテンベルク地方の伝統料理でもある、卵を使った麺料理「シュペッツレ」と、子牛のグリルのキノコソースを注文しました。シュペッツレですが、市販のものはイモムシのような形をしていて、若干硬くて美味しくありません。でも、このレストランのものは、正統派シュペッツレで、まるでユバのような食感で、フワフワしていて、市販品とは比べ物にならないほど美味しかったです。 フライブルク市庁舎 市庁舎の格子窓僕は牛タンのエストラゴン(タラゴン)ソースを注文しました。厚切りの牛タンが使われていて、とろけるぐらいに柔らかくて、そしてエストラゴンソースからは甘い香りがほのかに匂い、味付けもとても良かったです。このレストランは雰囲気も良いし、料理も美味しいし、お気に入りのレストランになりました。
November 1, 2010
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フライブルクに帰ってきました! 黒い森&アルザスのドライブを無事終えることになりました。本来なら3日間だけのドライブのはずだったのですが、レンタカーを1日だけ延長して貸してもらったので、合計4日間のドライブとなりました。朝から晩まで運転をしてくれたぽんカノに改めて感謝です。レンタカー会社に車を返しに行くと、「延長の1日分の料金はいりません」とのこと。保証金750ユーロもその場で返却してもらい、ドイツでは珍しく随分親切な態度にビックリ仰天。気分良く2人そろってフライブルクの旧市街地に戻ってきました。 マーティンス塔 ビール醸造所のMartin's Bräuとりあえず、喉が渇いたのでビールを飲むことにしました。フライブルク住民が超オススメする「Martin's Bräu」というビール醸造所に行きました。店内は賑やかなパブになっていて、その奥に銅製のビール醸造器が設置されていました。早速、できたてのビールを頂くことにしました。色は黄色のようで、若干黄緑色のようにも見える不思議なビール。クセがなくて飲みやすく、久しぶりに旨いビールを飲みました。この醸造所では、ビールのおつまみとなる豚肉料理を中心としたメニューがそろっていました。パーティーには、ブタ1匹の丸焼きを振舞ってくれるそうです・・・・・・(汗)。 このビールが旨い ビール醸造器このビールグラスが気に入ったので、お土産に2つ買って帰りました。家でビールを飲むときはたいていこのグラスを使っています。ただ残念なのは、僕の家の近郊ではこのビールが手に入らないと言うことです。ちなみにぽんカノさんですが、フライブルクに住んでいた頃、このビール醸造所に友達と一緒に何度か来ていたらしいですが、何とこんな旨いビールを注文せずにワインを注文していたそうです。ビール醸造所でワインを呑むっていうところが、さすがぽんカノ!
October 31, 2010
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ミュンスター渓谷の街道を抜け、ようやくワイン畑が見張らせる平野部に出てきました。これから向かう先は、シュタウフェン(Staufen)という人口8000人弱の小さな町です。シュタウフェンの町の背後には小高い山があり、その山の斜面を利用してぶどうが栽培されています。その山の頂には、外壁のみを残すシュタウフェン廃城が建っていて、これが町のシンボルとなっているようです。 シュタウフェン市庁舎 噴水で遊ぶ子供達シュタウフェンの町は、観光名所と言うより、庶民的で家庭的な集落と言ったほうがしっくりきます。もちろん、観光客の姿もちらほら見られますが、彼らはこの庶民的な雰囲気を楽しむために、この町を訪れるのだろうと思います。中心街の規模も小さく、数10分あれば町散策が十分にできます。さて、こんな小さな町が有名なのは、確かな理由があります。それは、ヨハン・ドクトル・ファウスト博士が亡くなった場所だからです。「ファウスト博士」と言う名を聞いて、ピンと来た人も多いと思いますが、まさに彼こそがドイツを代表する文豪ゲーテの作品「ファウスト」のモデルになった人物なのです。 カラフルな家が印象的 悪魔に魂を奪われたファウストファウスト博士は謎の多い人生を歩んでいて、彼の職業は占星術師であり、また錬金術師でもありました。彼の怪しい職務内容から、いつの間にやら彼は「黒魔術師」であるという噂が出てきました。晩年彼は、シュタウフェン市庁舎のすぐ近くにある「Hotel zum Löwen」と言うホテルで、錬金術の実験を行っていたようです。 ファウストが亡くなったホテル 山の上の廃城1540年、錬金術の実験中に大爆発を起こしてしまい、彼の肉体はばらばらになったと言われています。このことが伝説の根拠となり、ファウスト博士は悪魔と契約して魂を奪われて、彼の肉体がばらばらに散ったという奇怪な風聞が伝えられています。彼が錬金術実験をし、また魂を奪われたホテルは、このシュタウフェンの町に現存しています。ホテルの壁にはファウスト博士が2匹の悪魔に魂を奪われている様子を示した壁画が描かれていました。 シュタウフェンの街並み おばあちゃんの手作りの羊の置物この後、大粒の雨が急に降り出して、これは困ったなぁと思っていると、すぐに止んでくれて、空には青空が広がっていました。この天気の変わり様は、悪魔の仕業なのかもと思うほど不思議な体験でした(笑)。お土産として、おばあちゃんの手作りの羊の置物を2つ、ぽんカノに買ってもらいました。いつもパソコンの前に置いて、その羊に見つめられながら、ブログを作っています。 【おまけ】 久しぶりに、ぽんカノが描いたマンガを載せます(字が下手ですが・・・)。話のあらすじは、実験中のぽんすけが大爆発をさせ、研究所をふっ飛ばして、その翌日オオカミギャングさんに呆れられるという話です。実話にならないことを願うばかりです・・・
October 31, 2010
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両脇には高い山がそびえたち、深い谷間の道を上り下りしながら、ミュンスター渓谷へやってきました。13世紀になると、この一帯で銀が産出されることが分かり、それ以降銀山の町として栄えてきました。しかし、今では銀山として繁栄していた当時の面影は、もはや渓谷を走る車窓から見ることはできなくなりました。ただ、一筋の残されたレールが、あの当時、機関車が銀を運搬していたことを物語っているだけです。 ミュンスター渓谷 photo: official siteミュンスター渓谷は、秋には紅葉が素晴らしく、また深い谷が一面に「雲海」に包まれて幻想的な風景に一変することもあり、四季を通じて景色を変えながら1年が終り、また新たな1年が始まっていくのです。渓谷街道を行くと、古くから続く街並みがいくつも点在していて、丘の上の礼拝堂、丘陵地でのんびり草を食べる家畜など、決して見飽きることのない風景が連なっています。 ミュンスター渓谷の景色 photo: official siteさて、この一帯で一番人気の観光スポットは、640年からずっとミュンスター渓谷の人々を見守ってきた「St Trudpert修道院」です。車を走らせていると、小さな丘の上に、玉ねぎの形をした鐘楼が見えてきました。こんな小さな町にこんな大きな修道院があるなんて・・・。でも、修道僧が心を落ち着かせて修行を積むには、最適の環境であることは確かです。 渓谷街道沿いの小さな村の景色 St Trudpert修道院早速、車を降りるとお墓が断状に連なっていて、墓参りに訪れた人達がたくさんいました。修道院内部が公開されていると言うので、その中を見させていただくことにしました。重い扉を開け、その目の前に広がっている光景は、まさにこの日の朝に訪れた「聖ペーター修道院」の内陣に匹敵するほど、西洋芸術の宝庫と言えるぐらい素晴らしいものでした。 華やかな内装 渓谷美との相性が良い修道院修道院というと、一般的に質素なイメージがありますが、黒い森に存在する修道院はきらびやかで、華やかなものが多いように思えます。地元の人達に愛され、また戦争による被害を免れたからこそ、優美な姿のまま今日まで残されているのでしょう。青空の下、まだまだ旅は続きます。
October 30, 2010
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バーデンバイラーには遥か昔のローマ時代に人が住んでいて、その名残となる遺跡がいくつか発掘されています。今では見渡す限り静かな小さな街ですが、ローマ時代にはこの町が活気に溢れ、贅沢に暮らす人がたくさんいたと推測されています。この町で最も有名なローマ遺跡は、2000年以上前に建設されたと考えられている共同浴場です。その当時から男女別々に入浴する習慣があり、施設設備として、脱衣場、サウナ、マッサージ室、大浴場などから成り立っていて、現代の浴場とほとんど同じ機能を有していたというから驚きです。 推測されている共同浴場外観 浴槽や排水溝が見事に建設されているレンガや切石を丁寧に積み上げ、浴槽や排水溝などが見事に作られていて、あの当時に優れた建築技術が確立されていたことが伺えます。浴室内部はタイル張りのモザイク画が描かれていたようで、これは日本で言うところの、銭湯の富士山の絵に値するのかも。しかし、ローマ時代の人達の描く絵はユーモアがあり、何とコメントをして良いのやら・・・。 モザイク画(トイレ中?) 広大な共同浴場跡2000年も昔から、こんな巨大で高機能設備が存在していたことには、ビックリするところです。僕の家の近くでは、クサンテンと言う街に、これと同様の遺跡が残されています。詳細は、過去のブログでご覧いただけます。次回は、自然に囲まれた修道院の話題を書いていきたいと思います。
October 30, 2010
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ライナッハ城で食事をした後、バーデンバイラー(Badenweiler)という保養地を目指しました。ここは、スイス・バーゼルから28 km、フランス国境から10 kmという3カ国の国境付近に位置し、人口はわずか600人程度の小さな山間の町です。この町が有名なのは2つの理由があり、その1つが温泉地である事と、もう1つがローマ遺跡が発掘されていることです。 公園の銅像 バーデンブルク城さて、小高い丘を登ったところに、バーデンブルク城という廃城が建っています。さすが長旅の疲れからなのか、普段はなんとも思わずに登れる丘なのに、この日ばかりはヒーヒー言いながら、観光客のおばあちゃん達と一緒に、城を目指して歩いてきました。 廃城の見晴台から 風になびく旗丘の下から見上げたら、単なる小さな城にしか見えなかったけど、城の前に立ってはじめて、その大きさがよく分かる・・・廃城と呼ばれる通り、天井は崩れ落ちてしまい、横壁が一部残されているだけの遺跡にすぎません。城の内壁には木が茂っていたり、花が咲いていたりして、自然と一体化しようとしているのだろうか?建物も動物も役目を終えたら、自然にかえるんだということかも。 廃城の上からの景色しばらく、廃城の見晴らし台から景色を眺め、さらに見知らぬ町への旅を続けることにしました。その前に、丘の下にあるローマ遺跡を見るのを忘れてはいけない!次回は、ローマ時代の共同浴場跡を紹介したいと思います。
October 30, 2010
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この旅も残すところあと1日半となりました。この旅のプランを作ってくれて、そして、いろんな名所へ連れて行ってくれたぽんカノに、感謝の気持ちを込めて、高級料理を振舞うレストランで食事をすることにしました。ぽんカノにプレゼントしてもらったピンク色のネクタイをしめて、フライブルク郊外にある静かな住宅街の中に建つ「ライナッハ城」を訪れました。 ライナッハ城に到着♪ ライナッハ城のレストランここはレストランだけではなく、ホテルも併設されていて、さらにゴルフ場やフィットネスも営業しているようで、いわゆるリゾート施設としての機能もあるようです。外から見た感じでは、「これをお城と言うんだろうか?」と疑問を抱くところですが、レストランの中に入ってみると、ここを城と呼ぶのに相応しいことが分かります。 華やかで清潔な内装。高級な調度品の数々。まさに城としての風格が伺えます。純白のテーブルクロスの上には、バラの一輪ざしと一本の大きなろうそくが添えられていました。 華やかで清潔な内装 テーブルの上もオシャレメインディッシュは確か5種類ぐらいしかなく、どれをオーダーしても一律30ユーロでした。2人揃ってメインディッシュだけを注文。つまり、前菜やデザートを注文しなかったのです(もうちょっとお金持ちだったら、できたのに・・・)。レストランの方が哀れに思ったのか、サービスとして、レバーペーストと自家製パンを出してくださいました。それと、メインを食べ終わった後に、さらにサービスとして、ミニデザートと、お土産の生チョコまで頂きました。2年半、ドイツに住んでいて、これほどのおもてなしを受けたことは、これが初めてでした。 サービスで頂いたレバーペースト 鮭とエビの料理さて、僕がオーダーした料理がきました。正確な料理名を忘れたので、自分流にこの料理を翻訳してみます。まず、数センチ角の牛肉のタタキが6個並べられていて、それらの下に敷かれている緑色の棒が、豆のペーストです。さらに肉の上に野菜の葉っぱが添えられ、ソースは甘辛い不思議な味でした。すごく美味しいと言うよりかは、芸術的で斬新な味と表現した方が適切かもしれません。 牛タタキと豆ペースト ミニデザート(これもサービス)ぽんカノの料理も同じく、斬新で芸術的すぎたので、庶民の味覚ではよく分からないようでした。しかも、食べ残してしまったので(高かったのに!!)、もったいないから僕が食べちゃった!このとき、思った・・・我々は高級料理を食べても味が分からんってことを。
October 29, 2010
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ドイツ南西部に位置する「黒い森」の名産品と言えば、「黒い森のさくらんぼ酒ケーキ (Schwarzwälder Kirschtorte)」が有名です。そして、ハム、チーズ、ベーコンなどの酪農製品も高品質なものが多く、さらに、バ ーデン地方のワインもその品質の良さは、世界中に知られています。僕が暮らしている町は北に位置するために、ワイン醸造に適した高品質のぶどうが生育できません。もちろん、スーパーや酒屋にドイツ中南部産のワインが仕入れられていますが、どれも大型工場で大量生産されたワインであり、ワイン農家のこだわりとか個性と言うものが感じられません。もとより、自身の舌が鈍感なので、偉そうなことは言えませんが(汗)。 丘が連なる黒い森の景色さて、バーデン地方のワイン街道を走っているとよく分かるのですが、ワイン畑の沿道に小さな販売所が建っているのをよく見かけます。その小さな店の中で、ワイン農家が丹精込めて作った自家製のワインを販売しているのです。醸造法は各農家によって異なっているので、同じ村で同じ品種のぶどうでワインを作っても、微妙に味が異なってくるそうです。僕が気に入ったのは、ワインの詰め合わせで、ツタを丁寧に編んで作ったバスケットの中に、2、3種類のワインを詰めて、さらに生花を沿えて販売されていました。これこそ、ダンボール箱に詰めて売られている量販店のワインとは大きく異なるところです。 ワイン街道沿いにある販売所 ワインの詰め合わせここで販売されているのは、ワインやリキュールだけでなく、自家製のパン、チーズ、石鹸なども店に並べられていました。このようなワイン販売所では、10月前後になると、玉ねぎケーキと新ワイン(醸造過程にある甘いワインで、ワインとぶどうジュースの中間の状態)を飲食させてくれるそうです。 展望台から見下ろすぶどう畑ワインの愛好家が足を運ぶこの地域には、ぶどう畑が一望できる展望台が設置されていました。ここを訪れたのは5月下旬で、あの時見たぶどうは、もうワインになっているのだろうかなぁ・・・。次回は、フライブルク郊外のお城で食べた料理を紹介します。
October 27, 2010
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旅が始まって6日目を数えました。本来ならスイスのバーゼルの町を散策するつもりでしたが、ぽんカノが「バーゼルなんか面白くない!」と言うので、別の観光名所を巡ることにしました。この日もレンタカーを借りていたので、車を利用しないとアクセスできない名所に連れていってもらうことにしました。ちなみに、オオカミギャングさんも昔フライブルグに在住されていて、「スイスのバーゼルは良い所だから、行ってみないと損するぞ」と、ぽんカノとは逆のコメントを発していました・・・。どっちの意見が正しいのやら。ま、それはいいとして、この日は「黒い森街道」をドライブし、丘の上に建つ素晴らしい教会や修道院の数々を巡ることになりました。 聖ペーター修道院 修道院の外では花の手入れが行われていた最初に訪れたのは、聖ペーター修道院で、1073年よりも昔からこの地に存在していたと言われています。といっても、現存の修道院は改装されていて、外観を見る限り決して時代の古さを感じさせません。この修道院が位置する村は、「山里」という表現がピッタリ来るほど落ち着いていて、穏やかな田舎町です。里の風景と同じく、内部の装飾も質素なものだろうと予想していました。ところが、重い修道院の扉を開けてビックリ。あまりにも内部が眩しいので、言葉をなくしました。 天井に描かれたフレスコ画 祭壇の装飾がとても見事高い天井には優美なフレスコ画が描かれていて、遠くに見える大理石でできた祭壇を彩る装飾品の数々、そして、聖書を綴った油絵などが掲げられていて、その全てが素晴らしく、修道院でありながらまるで美術館にいるような錯覚を抱くほどでした。ちなみに、朝早く来てしまったようで、おばちゃんが丁寧に床を磨いていました。 黒い森独特のの民家もたくさん見られる 丘の上の小さな教会しばらく修道院を鑑賞した後、さらに黒い森の奥深くへ向けて、車を走らせました。山を登り、小高い丘を登りきった先には、小さな可愛らしい教会がありました。教会と言うよりかは、礼拝堂と言った方がしっくりくるかもしれません。車を降りると教会の鐘の音が鳴り響いていました。鐘の音が止むと同時に、中から美しいメロディーが流れてきて、どのようやら小さな音楽隊が教会で演奏をしているようです。 教会が建つ丘の上からの景色教会から谷間に見える里の景色を眺めながら、しばらく時間が流れるままに過ごしました。この景色はこの先何十年、何百年と変わることはないと思います。まだまだ黒い森の旅は続きます。次回はワイン農家が営む販売所と、ぶどう畑のど真ん中の景色と、お城で食べた料理の話題について書いていきます。
October 26, 2010
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アルザスの旅を終えて、南ドイツ独特の景色を眺めながら、旅の原点であるフライブルグへ戻ってきました。時計の針は夕方6時を過ぎていました。そろそろどこで食事をするのか決めなくてはいけません。いや、今回は僕が決めなくても、フライブルグに長年住んでいたガイドさん(ぽんカノ)が同行しているので、食事の心配はしていませんでした。車は市の中心に入ったと思ったら、通り過ぎてしまい、何故だか民家の少ない郊外の方へ車を走らせています。そして、幹線道路を離れ、車1台がギリギリ通れるぐらいの細い道をクネクネ曲がりながら、車はどんどん畑へ向けて走っていきます・・・。やがて、砂利道の農道へ突入し、車を揺らしながら、丘を登っていきました。 フライブルク郊外のぶどう畑の景色そして、たどりついた先は、小さな教会。 えっ? 教会で食事なの? でも、よく見ると、レストランが教会に隣接しているではないか!ぽんカノが言うには、地元の人はこのレストランが旨いと言って、遠くから足を運ぶらしいです。まさに、隠れた名店なのです。し・・・か・・・し・・・・・。本日、休業日。さっき登ってきた畑の坂道をサッサと下り、ぽんカノが昔通っていた大学前を通過。ぽんカノが言うには、この辺りにサッカー・ドイツ代表監督のヨアヒム・レブ氏が住んでいるようです。のどかな田舎町にお住まいなんですね。そのレブ氏の邸宅の辺りで車を左折し、今度は林道をグングン登って行くではありませんか。 教会に隣接するレストラン(本日休業) レストランを目指して林道を走る街灯はなく、ガードレールすらない危険な道。車1台分の幅しかない道を高速で走りぬけて行きます。陽が暮れたら月明かりすら届かない真っ暗な林道。山奥にある僕の実家よりヒドイ。こんな道の果てにレストランなんて本当にあるのだろうか?はい、ありました・・・。密林に埋もれるかのように古い別荘のような建物があり、これがレストランのようです。驚いたことに、そのレストランの隣には教会があるのです! こんな山奥に一体誰が礼拝に来ると言うのか?ぽんカノが言うには、隣の教会で結婚式をあげて、その隣のレストランでパーティーをする地元の人が多いのだとか。 山奥の謎のレストラン(教会は木で隠れている) 牛肉とニョッキの炒め物(旨い!!)中に入って見ると、お客さんが3人いました。普段は、店内と外のテラス席はお客さんでいっぱいになるほどの人気のレストランだそうですが、この日の店内は何故だかガラガラ・・・・・・。静寂に包まれた山奥のレストラン、質素な内装、そして寂しくなるほど静かな店内。しみじみと酒をすすりながら、料理を待つことにしました。注文して20分ぐらい経った頃に、広い厨房から牛肉とニョッキの炒め物が運ばれてきました。盛り付けは質素。しかし、牛肉を口に運ぶと、意外にも柔らかくて旨い。ニョッキと牛肉の相性も良く、味付けは素朴ながらとても美味しかったです。この旅を通じて、フライブルクにおいて、地元の人にしか知られていない隠れた名レストランの法則を発見しました。それは『(1)ひどい道の終点にある。(2)教会に隣接している。(3)静かな場所にポツンと建っている。』です。
October 25, 2010
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ヴォージュ山脈の最高峰、グラン・バロンの中腹にある駐車場にやってきました。駐車場のすぐ前には宿泊施設があり、これを山荘とか山小屋と言うのには高級すぎるけど、これをホテルと呼ぶにはちょっと質素な宿屋が建っていました。ここが海抜1424 mのグラン・バロン山頂へと続く登山道の入り口です。「登山」と言うには大げさすぎるかもしれません。なぜなら、実は15分程度歩けば頂上に到着できるからです。登山道は石ころでゴツゴツしていてちょっと歩きにくい。高地のためか木が茂っていないので、視界が開けていて、アルザスの平地と深い谷が重なる景色が見晴らせて、その自然美を楽しみながらの遊歩になりました。しばらく歩くと、こんなものを発見。なんと雪が残っていて、登山道の半分を覆い尽くしていたのです。 山荘?山小屋?ホテル? グラン・バロンの残雪頂上に近づくに連れて、風の勢いが増してきて、雲が随分と低い位置にあることに気付かされます。風に逆らって前につき進むと、石でできた高さ5 m程のモニュメントがありました。このモニュメントよりもさらに高い位置にあるのが観測所。そこまで歩こうとすると、ぽんカノが、「風が強いし、雷がなったら危ないのでやめよう・・・」と言いました。でも、歩いて数分で着くし、観測所を見たらすぐに引き返そうという条件で、更に高い位置へと登ることを提案。ぽんカノもしぶしぶ後をついてきました。 頂上付近のモニュメント 頂上に建つ観測所さらに数メートル登っただけで、凄い強風。ぽんカノの髪は、メデューサのように乱れている・・・(汗)。上から見下ろすと、ここは山脈と言うよりもむしろ渓谷と呼ぶに相応しいことに気付きます。どこまでも連なる山々と深い谷、そして厚い雲の切れ間から差し込む太陽光線が幻想的で、いつまでもこの絶景を眺めていたい。でも、風が強い上、雨が降りそうな予感なので、早々に山を降りることにしました。 グラン・バロンからアルザス平野を見下ろすグラン・バロンの名前になっている「バロン」とは、ボールという意味があり、確かに山の形が丸いから、そう名付けられたと考えることができます。しかし、実のところこの名前は、ケルト人に崇められた神・ベロンに由来しているようで、この山頂がかつて天の観測地点になっていたことから、そのように呼ばれていると解釈するのが正しいようです。ヴォージュ山脈の自然を楽しんだ後、この旅の原点であったフライブルグへ戻ります。そのフライブルグで、ある法則を発見しました。次回はその話題について触れたいと思います。
October 22, 2010
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フランス-ドイツ間の国境に沿って、標高の高い山脈が南北に延びています。1本の細い車道がその山の尾根を縫うかのように、山の頂を目指して九十九折に続いています。この高原からは、つい2時間前に訪れていたアルザスの街並みが見晴らせ、左右に広がる草原には牛が放牧されています。この永遠と続く急な坂道は、景色が素晴らしい反面、登りきるためには、かなりのエネルギーがいります。そのため、フランスの自転車レース、ツール・ド・フランスのルートに選ばれたことがあります。ぽんカノが運転するぽんコツ車が轟音を立てて、時に失速して止まりそうになりながら、必死で登っていることを考えると、自転車選手の力の凄まじさには圧倒されます。 グラン・バロン山へ続く道: 高原の景色さて、急カーブをいくつも曲がり、山の中腹まで登ってきました。その道中に石造りのロッジがあるのを発見。少し、そこで休憩をすることにしました。車を降りると、あまりの寒さに身が縮む・・・・・・。ロッジの玄関先では大型犬が出迎えてくれ、その横にある庭では鶏が僕の姿を見て大騒ぎをしていました。 高原のロッジ 店内の写真高原のロッジに相応しく、派手すぎず質素な内装で、アルザスの面影も感じられます。こんな人の気がない高地にも、電気が通じているんだと感心。本当ならワインを飲みたいところだけど、あまりの寒さのために、2人そろってコーヒーを注文。 店のカウンターには、自家製と思われる大きなチーズが販売されていました。澄んだ空気と水に恵まれた高原で育った牛で作ったチーズは、きっと美味しいだろうなぁ・・・ ロッジに飾られたカウベルの数々コーヒーをいただき、温まったところで、しばらく牛の観察。ここでは、美しい模様のカウベル(鈴)を伝統的に牛に付けるようで、牛が動くたびに、「カラ~ン、カラ~ン」と静かな高原に鳴り響くのです。山間からは、アルザスの街並みが見晴らせ、景色は最高に良かったです。 高原で草を食べる牛 カウベルをつけた牛次は、一気に頂上まで登りますぞ!少し霧でかすんだ道を、エンジンをフル稼働させて、ヴォージュ山脈の最高峰、海抜1424 mのグラン・バロン山を目指します。この話題は次回のブログで書きたいと思います。では、また。
October 21, 2010
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アルザス(フランス)の旅を終えて、ドイツへ入国をすることにしました。ぽんカノがどうしても行きたい場所があるというのですが、レンタカーの返却期限はこの日の18時までとなっているので、そこへ行っている時間なんてありません。そこで、レンタカー会社に電話をしてみると、快く1日だけの延滞を許可してもらいました。どうせドイツの会社だから、「あーだ、こーだ」言って、断られるのがオチだと思っていたんだけど、あっさりOKの返事にちょっとビックリ。 これから向かう先は、標高956 mの山の上にある「Hartmannswillerkopf」と呼ばれる謎の場所。馬力の弱い車(韓国産)を借りたので、途中で失速して止まるんではないだろうかと、何度か心配しながら、急勾配の山道をぐんぐん登っていきました。 坂道を登りきったところで、車が停車。ここで降りろと言われ、辺りを見渡しても何一つ観光地とは思えないぐらい静かな山の中。どこへ連れて行かれるのか不安になりつつ、後をついていきました。 山の中をしばらく歩き、小高い丘の上に出ました。そこには無数の白い十字架が規則正しく並んでいて、その真ん中に掲げられたフランス国旗が、アルザスから吹きつける強い風になびいていました。ここは、第一次世界大戦の戦場で、この領地を巡って、フランス軍とドイツ軍が4年に渡って激戦を繰り広げたのです。 この無数の十字架の立つ場所は、戦争で命を落としたフランス兵士の墓です。フランスの記録によると、戦没者数はフランス側だけで約25000名だそうで、まだ遺体が発見されずに山の奥深くで、冷たい土の下に永遠に眠っている兵士がたくさんいます。 さらに足を進めると、足場の悪い一筋の小道が続いていて、その両脇に戦争の爪跡が残されていました。攻撃をかわす為の塹壕ばかりかと思ったら、兵士のための電話室やパブ(酒屋)まで設けられていました。明日命を落とすかもしれないという激戦の中、戦友と酒を呑みながら、唯一の憩いをここで過ごしていたのです。さらに足を進めると、3 m程の1本の十字架の立つ岩山が見えてきました。高所恐怖症をこらえて、岩をよじ登り、ぽんカノが指をさす方を見ると、眼下にアルザスの大平原が見張らされました。あの当時、ドイツ領だったこの場所は、世界大戦中フランス軍の動きが一望できる絶好の地でした。そのため、フランスはこの地を奪い返そうと、岩山を登りながら、不利な位置から攻撃をしかけました。今思うと、フランス軍にすれば無謀な計画だったかもしれませんが、南ドイツへ攻め入る軍体の動きを監視されるのを嫌がったのでしょう・・・。標高956 mの風は冷たかった。さっきまで晴れていた空は、急に真っ黒になりはじめ、今にも大雨が振り出しそうな予感。すぐに車に戻り、さらに標高の高い場所を目指します。この続きは、次回にします。
October 20, 2010
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小学生の頃を思い返すと、同級生の数はわずか17人。小学校は山に囲まれ、小高い丘の上に建っていたことを覚えています。今では、自分が6年間通った小学校は、過疎化のために廃校となり、隣町の小学校に吸収合併されてしまいました。小学生時代の思い出は人それぞれでしょうが、日本のある地域では、かつての小学校を博物館として公開したり、給食メニューを振舞うレストランもあるようで、幼い頃の思い出を今一度呼びおこすために、大人へと成長した人達がたくさん訪れているようです。 かつての小学校を再現 中では教師がいて、模擬授業を行っている考える事は、よその国でも同じで、昔の机、黒板、学習用ポスターなどを揃え、ここにかつての学校の景色が再現されていました。さらに驚いたことに、ここには教師用の専門着を身に付けた先生もいて、現代の子供達に模擬授業を行っていました。 民家の内部:漆喰の壁が印象的 年代を感じさせる民家アルザスの景色はこれで見納めです。農村の小さな町で、のびのびと、活き活きと暮らす人達を見ていると、近代社会の中で育った人達にとっては、大きな衝撃を受けることと思います。アルザスの村とそこで暮らす人達は、スローライフの魅力をたっぷりと教えてくれるのでした。 見納めとなったアルザスの景色ここを去るとき、小さな機関車に2階建ての客車を連結した列車が展示してありました。今ではその役目を終えて、客を乗せてアルザスのぶどう畑を走りぬけることはありません。こういうレトロな列車が走ると、いいのになぁ~。アルザスの旅はこれでおしまい! これから再びドイツを目指して徐々に東へ移動していきます。 かつて活躍した列車 アルザスワインお土産は、やっぱり、アルザスワイン。しかし、どういうわけか、酒豪のぽんカノもワインを買わずにしぶしぶ立ち去りました。確かに良質のワインは、それなりの値段がしますからね~。これから、車を走らせて標高千メートル以上の山を登って行きます。ちなみに、こっちではガードレールなんてものがほとんど存在しないので、運転には十分注意しないと、崖の下に転落してしまいます・・・・・・
October 13, 2010
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お久しぶりです。実は、ドイツでの研究があと数ヶ月で終りを迎えようとしていて、半年以内に帰国することになりました。早ければ年内に、遅くても来年3月頃にドイツを去ることになりそうです。そのため、いろんな書類を書いていたり、溜まった仕事を片付けるのに忙しい日々を送っています。 アルザスの街並みに関する記事は、今回と次回で終るつもりです。今日はランチの話題を中心に書いていきます。この日訪れた店は、アルザスの典型的な伝統料理を、少し現代風にアレンジした創作料理を出すレストランです。 レストランの内部 ミュンスターチーズのトーストアルザス産チーズの中で、最も有名なのが、ミュンスター(マンステル)チーズです。このチーズは、ウォッシュタイプのチーズで、つまりチーズの表面を塩水でこすりながら何度も洗いながら熟成をさせます。熟成したチーズは、その表面がオレンジ色をしていて、独特の臭い匂いをしています。前菜として、このミュンスターチーズをフランスパンの上に乗せて、オーブンでこんがりと焼きあげたものが出てきました。トロリとした食感、そして、噂の割にはそれほど臭くなく、不思議な味のチーズでした。 牛肉の赤ワインソース 牛肉の酒酢漬けのオーブン料理僕がメインディッシュで注文したのが、牛肉料理(料理名、忘れました・・・)です。牛肉を白ワインとワインビネガーで数日間付け込んで、それをオーブンで焼いた料理です。西洋の牛肉は、ほとんどが放牧であるために肉が引き締まっていて、比較的硬いのですが、酒と酢に漬け込むことで驚くほど柔らかくなるのです。この料理には大粒の岩塩がふりかけられていて、意外と岩塩と牛肉の相性が良いのも驚きです。 要塞の塔? 伝統的な民家の集まる景色さて、お腹がいっぱいになったところで、散策の続きを始めました。この近くに馬車の客車を手作業で作る工場があるらしいので、そこを見学することにしました。大工見習いの男性が、名人に手ほどきを受けながら、ノミ、金槌を手にして、丁寧に木を削っていました。馬車はウィーン(オーストリア)、ブリュッセル(ベルギー)などの観光都市において、現役の移動手段で、もしかしたらここで作られた客車がこれらの観光地で利用されているのかも。 大工さんの家 玄人が若者を指導中小さな運河に架かる橋を渡ると、川岸で人だかりができていました。何があるのだろうと、そこへ歩いて行くと、たくさんのコウノトリが岸辺で羽を休めていました。どのようやら、人に慣れているようで、3メートルぐらい近づいても、逃げようとしませんでした。 コウノトリの群れ 昼寝中のブタの大将再び、数時間前に訪れたブタ小屋を通ると、ブタの大将は寝ていました。この後、この辺りで最も高い山を登ることになっています。この時、お昼の2時です。早くしないと、日が暮れてしまうぞ・・・。
October 8, 2010
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お久しぶりです。最近、提出書類を何部か作成したり、新しい研究の勉強をしたりして、中々ブログを作成する時間がありませんでした。ちなみに、その提出書類を日本に書留で送ろうとしたのですが、どのようにして送れば良いのか分からなかったので、オオカミギャングさんに聞いてみました。すると、代わりに送ってあげると言われたので、封書を渡すと、「宛先が日本語では、ドイツの配送担当者が分からんだろう!」と怒られ(かなり興奮してたなぁ)、宛先を英語表記に書きなおして、書留にして送ってもらいました。封書にはJAPANって書いておいたから大丈夫だろうって思ったのですが、国際郵便は全てのあて先を英語で書くべきなのでしょう。でも、これで話が終ったわけではありません。今度は、書きなおした封書の宛先に、JAPANと書き入れるのを忘れていることに気付き、急いで訂正に走ったわけです。オオカミギャングさんはきっと「こいつ、アホだろ」と思った事でしょう。一応、「Tokyo」と書いてあるから、日本へ届くとは思うのですが・・・・。ちなみに、ドイツ語では東京を「Tokio」と書きます。 さて、アルザスの旅日記です。確かこの旅は、5月下旬に行ったものですね。あれから4ヶ月経ったのに、まだその内容を書いているのようではダメですね。もうすぐ、オーストリアに旅立つので、早くアルザスの日記を書き上げなくては・・・。 アルザスの子供達 カメラ目線・・・・旅日記は・・・、アルザスの子供達に出会ったところから始まります。カメラを向けると、みんなカメラ目線になって、嬉しそうにこっちを振り向いてくれたりして・・・。そして、その中には帽子を取って挨拶をしてくれた礼儀正しい男の子もいました。子供達が立ち去ると、目の前に木組みの民家があることに気付きました。 公開中の民家 食堂(大家族のようです)この民家の内部が公開されているので、早速、中を拝見させてもらうことにしました。西洋人は背の高い人が多いのに、昔の家では天井が低く作られています。キッチンに行くと、パンを焼いたり、オーブン料理を作るための釜戸がありました。その釜戸のにはタイルが張り巡らされていて、タイルに描かれた西洋風の絵はとても素晴らしかったです。 独特の絵が描かれた釜戸 1家に2つ釜戸がありましたかつては、石炭を燃料にして料理を作っていたようで、石炭コンロも設備されています。そう言えば、アルザス野外博物館のすぐ隣には炭鉱跡がありました。ちなみに、僕が幼稚園の頃まで、すんごい山奥にある実家の中に釜戸があり、大勢のお客さんや地元の人達を家に招く度に、薪で釜戸を加熱してご飯を焚いたり、料理を作ったりしていました。 アルザス陶器と刺しゅう キッチン:石炭コンロが設置アルザスの旅の続きは、また次回にします。次回はアルザス料理の話にしようかなぁ~と考えています。では、また。
September 18, 2010
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酪農地帯へ行くと家畜の餌となる干草を保管したり、馬や牛などを収納する小屋をたくさん見ることができます。下の写真もそのうちの1つですが、この小屋には塔のような高台が併設されていました。その高台にはサイコロの目のような模様が描かれているので、他の小屋に比べてよく目立ちます。 サイコロの目のデザインの高台の中央部に鳩の出入口らしき穴があるこの高台の部分をよ~く見ると、サイコロの目のデザインの壁の中央部に四角形の穴が開いていることに気付きました。この穴は単なる通気孔ではなさそうです。色々と推測すると、鳩がこの穴から出入りするのにちょうど良い大きさです。そういえば、中世時代から続く城には、鳩小屋というものが高い位置に作られています。その昔は、「伝書鳩」の目的で城主や貴族などの間で鳩が飼われていました。 小屋の下には仲良しの羊が2匹 アルザスの民家鳩を数100 kmから1000 km離れた遠隔地で放すと、鳩には地磁気などによる方角を知る能力があり、自分の巣に戻ると言う本能があります。この能力を上手く利用したのが「伝書鳩」で、鳩に手紙を付けて放すと、遠く離れた自分の巣に戻ってきて、手紙を受け取ることが出来ます。このサイコロの目の模様の部屋の中では、伝書鳩が飼われているのかも知れず、かつては(今も?)、手紙を託された鳩をここで受け取っていたのかもしれません。 七面鳥 孔雀ここに住む鳥は鳩だけではなく、七面鳥や孔雀も生息しています。七面鳥と孔雀を比べて類似しているところは、お尻の羽を半円状に広げる習性があるところです。そして、もう1つの類似性は食用として飼われていることです。西洋では、七面鳥はもちろん、孔雀も食べることが稀にあるようで、確かにドイツの古城・レンベック城のレストランにも、孔雀料理がメニューにありました。 この民家の上にもコウノトリの巣がある 民家の壁に描かれたハートマーク孔雀まで食べるとは・・・。ん!? という事は、もしや鳩も食用に飼われているのではないだろうか?少し疑問に思ったので、調べてみてみました。調査の結果、フランスでは鳩を食べるのが一般的のようで、レシピもWebで紹介されていました。ちなみに、楽天市場でも鳩肉が手に入るようです(汗)。楽天市場の品揃えはすごい!そういえば、僕の家の近くにも、鳩料理を出す古城レストラン(フランス料理店)がありました。 アルザスの田舎町の景色確かに、鳩に餌を与えなくても勝手に繁殖してくれるので、鳩の住居さえ与えれば特別な世話をしなくても良さそうです。飼育は簡単で低料金であるものの、料理においては高級食材として扱われていて、日本でも高級フランス料理を出す店なら、鳩料理を食べれるチャンスがあるようです。伝書鳩の受け取り場として使われているのか?、それとも食用鳩の小屋として使われているのか? ま、どっちでもいいや。
September 5, 2010
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お久しぶりです。いきなり余談ですが、最近始めた事があります。それは、高校数学の問題を解くことです(笑)。ぽんカノから「大学受験でもするの?」って不思議がられましたが、そうではなくて、頭を鍛えるためのトレーニングとして始めたのです。育毛ではありませんよ、脳を鍛えると言う意味です。まずは、忘れた公式を覚えなおすことと、どのような定理を使って解くのかを見抜く力を再び養っている段階です。問題を解いていると、学生時代に戻ったような錯覚を覚え、気持ちが若返ったような気がします。 さて、本論に入ります。アルザスの民家に芸術家が住んだらどうなるでしょうか?その答えの1つが下の写真で、外壁に絵を描いたり、庭に木彫りの彫刻を置いたりして、自分独自のスタイルの家に仕上げられていました。子供が見たら喜ぶ?いや、恐がるかも(汗)。 芸術家の暮らす家: 庭の置物はずべて手作り この家の庭には、パリのエッフェル塔やノートルダム大聖堂、ピサの斜塔などの手作りの模型が展示されていて、実物よりも派手に作られていました。例えば、ピサの斜塔が黄緑色に塗りつぶされていたりして・・・。家の前に建つ兵隊の木像は、まるで家を警備している兵士のように見えてしまいます。売り物かどうか知りませんが、はたして買う人がいるのやら? のどかな町を歩く買い物帰りのおばあちゃん 家畜の餌である干し草とリヤカーアルザスと言えば、こののどかな景色がいいですね。お買い物帰りのおばあちゃんも、昔と変わらない服装を身につけて歩いていました。屋根に十字架の印が描かれた民家があるので、そこを訪ねてみることにしました。軒下にはとうもろこしが干されていて、その下には搾った牛乳を貯める容器が置いてありました。ということは、この中に牛がいるのでは?? 牛小屋を備える民家 軒下には、とうもろこしその小屋の中では、干し草をかき集めて掃除をしているおじさんがいて、その隣には今までに目にした事のない品種の大きな牛がいました。首には大きなベル(鈴)が付けられていて、牛が動くたびに「カラン~♪、カラン~♪」と音を立てていました。 恐そうな母牛 小さな子牛小屋から恐そうな目つきでこっちをにらみつけているのは母牛です。この牛は見かけによらずとても大人しくて、手を差し出して触っても、怒ったり攻撃したりすることはありませんでした。その隣には小さな子牛が横になっていて、こちらをじっと見ていました。この牛からとれる乳は牛乳として飲料に使われたり、チーズの製造に利用されているようです。次回もアルザスの街並みを書いていきたいと思います。では、また!
September 4, 2010
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砂利道を歩き、たくさんの民家を外から眺め、観察している横で、ぽんカノは夏の花に興味があるようで、庭先や道端に咲いている花々を見つけては、写真を撮っていました。そんなある時、「フゴォォォ~、フゴォォォ~・・・・」という音が聞こえてきました。その音は1軒の小屋のある方から聞こえています。 アルザスの街並みその小屋の前には、大きな黒豚が泥にまみれながら、ノソノソと歩いていました。地面の匂いを嗅いでは、「フゴォォォ~」と鳴いています。そもそも豚は土を掘り返して穴を開けて、木の根や草の根(球根)を食べる習性があるそうです。そのため、小屋の周りは穴だらけになって、凸凹になっていました。 小屋の前の豚さん こっちに向かってきて、「中に入れ」と言ったその黒豚さんが「中に入れ」と言ったので、家の中を見せてもらことにしました。そこには1頭の小さな赤ちゃんが、母豚により沿って遊んでいて、残りの数頭の赤ちゃんは赤外線ランプの下で暖を取りながら眠っていました。赤ちゃんを触ったら母豚に怒こられそうだったので、替わりに母豚の体を触ってみました。意外にも豚の毛はタワシのように固くて、触り心地はそれほど良くありませんでした。 赤ちゃん豚と母豚 牛みたいな子豚 その中に1匹だけ、牛みたいな豚の赤ちゃんもいました。体型は豚なのに、体の模様は牛!!。黒豚と白豚の雑種になると、牛みたいな模様になるようですね・・・。私事ですが、最近少々太り気味です。豚の親子が僕と慣れ親しかったのは、豚が僕を新種の豚と思っていたからでしょう。
August 22, 2010
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お久しぶりです。約2週間振りのブログ更新ですね。前回に引き続き、アルザスの旅の話題を書いていきます。まずは、ユニークな民家の紹介から。質素なデザインの鉄門の内側に、ピンク色の民家がありました。その壁には象形文字のような絵が描かれていました。単なるデザインとして描かれているのか、それとも魔よけの意味があるのか・・・と、いろいろと考えていると、門の中から「カツ・・・カツ・・・」という音が聞こえてきました。音のする方向に目をやると、その家の前には小さな畑があり、そこでクワを持って畑を耕している若者が2人いました。 象形文字のような絵が描かれた民家現代では、機械で畑を耕すのが一般的ですが、現代の技術に頼らず人力で行っていたのでビックリしました。そして、屋根の上を見上げると、数羽のコウノトリが羽を休めていることに気付きました。コウノトリは慌しい都会(ストラスブールやコルマール)の中で暮らすよりも、自然が守られている里の方が遥かに過ごしやすいのでしょう。 屋根の上のコウノトリ 巣を見張るコウノトリ段々、雲が厚くなってきて、一雨降りそうな予感。灰色の空の下だと、色鮮やかにペインティングされた民家がさらに一層美しく見えます。フランスにありながら、ドイツ風の民家が見られるのは、かつてドイツの領地として支配されていた名残といえます。 ドイツでもよく見かける建築様式(カラフルなところがアルザス風かな?)散策をしていると、向こうから子供達のざわめきが近づいてきました。どのようやら社会見学中の小学生があちらから向かってきているようです。僕が幼い頃、社会見学と言うと、工場見学や産業施設の見学が一般的で、近代文明の発展を学ぶことが多かったです。でも、このように、自然と上手く付き合いながら生活をする事を学ぶ教育も大切だと思います。 社会見学中の子供達 アルザスの民族衣装が印象的アルザスの旅日記はまだまだ続きますよ。今日は疲れたので、そろそろ寝ます(笑)。では、また明日。
August 21, 2010
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窓の外を見ると、猫と犬が降ってきました。こう書くとビックリするかもしれませんが、英語に「It's raining cats and dogs」という表現があり、これは土砂降りの雨が降っている事を意味します。今日は朝から雨が降ったり止んだりの天気で、スッキリしません。 公民館らしき建物の前でさて、ブログの続きです。資料館から歩いてすぐの所に公民館らしき建物がありました。その前には門壁が一部だけ残されていて、もはや家を囲う壁としての役割を果たしていません。公民館らしき建物も古びれていて、廃工場のように見えてしまいます。しかし、その屋根の上に目をやると、新しい命が芽生えようとしていることに気付きました。そう、コウノトリの巣があるのです。 農村の景色田舎の民家はどれもこれも巨大であることに驚かされます。農業と酪農を兼業しているケースが多いらしく、1階は家畜(馬、牛、豚など)の収容場所として利用され、また農耕道具を収納する場所も必要となります。そのため、民家は比較的大きく建築されています。 草むらの小道を歩いて 遠くでアヒルが昼寝をしている草が覆い茂る裏庭には、アヒルの家族が昼寝をしていました。穏やかで静かなアルザスの村では、昼寝を邪魔されると言うことはありません。ちなみに、アヒルは羊やヤギと仲が良いらしく、一緒に飼われることが多いようです。自宅近くの公園にも、これらが「同居」しています。 苔むした屋根の上にはコウノトリの巣がある同じフランスでも、まさかパリのど真ん中でこんな景色を目にする事はないでしょう。フランスと隣国ドイツの文化が見事に融合された独特の街並みが見られるのは、アルザス地方だけの特権かもしれません。窓の外を見ると、晴れ間が広がり出しました。こちらの天気はコロコロと変わりやすいのです。次回もアルザスののどかな景色を書いていきたいと思います。
August 8, 2010
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アルザスの歴史や文化についてパネル展示された資料館の前で、アルザスのネコに遊んでもらっているぽんカノを発見しました。展示品を見るために資料館の中に入ると、ネコも一緒に付いて来ました。写真と共にアルザスの変遷が解説されていますが、その大半が戦争に関するものだったと記憶しています。かつてこの一帯は、ドイツとフランスが領地を奪い合っていた領域で、人の住んでいない奥深くの山には、今でも戦争の遺構が残っています。 さて、ブログにおいてまだアルザスの芸術を記述していなかったので、ここでそれを紹介したいと考えています。芸術と言ってしまうと、少し大げさになってしまうかもしれませんが、そこに展示してあったものは、最も市民の生活と密接に関連していた広告、看板、そして博覧会などのイベントポスターです。 日本でも、歴史博物館の類の施設を訪れると、ボンカレーやオロナミンCの看板が展示してあります。昭和初期から中期の看板の多くはレトロに描かれていて、日本の古き良き時代を反映しているように感じられます。おそらくここに展示してある広告や看板も、アルザスの市民、特におじさん、おばさん世代にとっては、懐かしさのこみ上げてくるものなのでしょう。 何十年前のものかは知りませんが、生活用品も展示してあり、それぞれの特徴としてアルザスの民族衣装を身に付けた人がモデルとして描かれていました。日本の看板もかつては、「着物」や「ハイカラ服」を身にまとったモデルさんが起用されていたそうですが、どこの国も考える事は類似していますね。 今の時代では、コンピューターグラフィックで簡単に広告が作成できる時代になりました。しかし、人の手によって描かれたこれら広告からは、温かみが感じられます。名もなきデザイナーさんが心を込めて描いた作品は、単なる広告ではあるものの、現代人の目には芸術作品として写るから不思議なものです。 これは一体何の広告だろうかと、想像しながら見るのも面白いものです。ちなみに、資料の数々を見ている間、ずっとネコが後を追ってきました。展示品を見終わって資料館を出ると、ネコは畑の方へ歩いて行き、そこで横になって眠りはじめました・・・・・・次回は、アルザスの農村の景色を紹介したいと思います。
August 7, 2010
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陶器工房から少し歩いたところに、青い壁の工場がありました。大きな扉が開いていて、その中から独特の香りが漂っいます。何だろうと思い、その工場を訪ねてみることにしました。そこにはたくさんの工具が置いてあり、工場の中は煤けて真っ黒。奥のかまどには石炭が燃やされていて、赤い炎が薄暗い工場を照らしていました。 近くの川にある水車 鍛冶屋さんここは現役の鍛冶屋さんで、今でも昔ながらの製法で、金具を製造しています。石炭の炎の中に鉄を入れて融解させ、金槌で叩いて形を調えていきます。さすが工員の手にかかれば、複雑なデザインも思うように作り上げられていきます。感心して見ていると、いろいろと説明をしてくれて、その心遣いは嬉しいのですが、フランス語でしゃべられてもよく分かりません・・・ 一生懸命形を調える職人さん外の小屋にはいろんな大型工具が置かれていて、そして、小さな農園では野菜が栽培されていました。現代の技術に頼らず、人の力と知恵で生活している様子が伺えます。そう言えば、ぽんカノの姿が見当たりません。彼女は近くにいたネコに遊んでもらっていて、鍛冶屋の見学にはきませんでした。 鍛冶屋さんの物置 隣の資料館鍛冶屋さんの隣は、アルザス地方のポスターや看板、商品を展示した資料館になっていました。次回は、アルザスを描いた芸術作品をご紹介しようと思っています。
August 6, 2010
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次に訪れたのは、アルザス陶器の工房です。芸術家の職場と言うのに相応しく、工房の外には色鮮やかなデザインが施されていました。工房の横には、小さな小屋が建てられていて、その壁には、ここの工房で焼かれたと思われる陶器を使って、美しい幾何学模様が描かれていました。そう言えば、アルザスの教会や市庁舎の屋根も、これと類似の模様が描かれていて、これはアルザスの大きな特徴の1つと言えるでしょう。 陶器工房の外観 陶器工房へ入ります(お邪魔しま~す)水色に塗られた扉を開けて、工房の中に入ってみました。メルヘンチックな外観からは想像もつかない内部の光景に驚かされます。そこは典型的な作業工場。粘土をこねて、型をとり、色付けして、それを窯で焼きあげて仕上げるという一連の作業がそこで行われているようです。 作業現場 型を取った後の陶器を乾燥させているところ粘土をこねて型をとった直後の陶器は地味に見えますが、アーティストによる色付けによって、美しく可愛らしい陶器へと焼きあげられます。市販のアルザス陶器のほとんどは、このように1つ1つ手作りで作られているようです。 クグロフ(アルザスのパン)の型 完成品コルマール訪問記で掲載したアルザス陶器をもう一度ここに載せてみました。これらの陶器から暖かいぬくもりが感じられるのは、工房で働く工員とアーティストの心がこもっているからだと思います。もちろんアーティストのその日の気分や想像によって絵柄も変わってきます。お店で自分の好みに合った陶器を選ぶのも、とても楽しく感じられます。 市販のアルザス陶器(コルマールにて)ここで作られた陶器が工房に併設された売店で販売されていました。しかし、この日は休業日のようで売店は閉まっていました。ぽんカノがお気に入りの陶器を見つけたのに買えなくて、ショックのご様子でした。この写真を見て改めて思うのは、もっと陶器を買っておくべきだったということです。値段は小さいものだと1000円程度から、大きな陶器でも高くても3000~5000円程度で買えます。ただし、かなり重いので、持ち帰るときにくたびれます。
August 5, 2010
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アルザス野外博物館はとても上手く設計されていると感心しました。なぜなら、アルザスの村における日常的な雰囲気を損ねることなく、今でもそこに(博物館の中に)現地の人々が生活しているかのような臨場感を与えてくれるからです。 特に、この小さな家なんか、村の端っこに行けばありそうな光景。庭先に干してある肌着が風になびいていて、田舎の山奥で育った自分にとって、かつてのありふれた光景を目の当たりにして、あの頃を懐かしく思わせてくれました。 この小さな家にお邪魔しました 家主の白ヤギさん気分は、アルザスに実在している村を訪問しているみたい。その家の中に勝手に入っても文句の1つも言われる心配はありません。・・・ん? 小さな小屋から「メェ~、メェ~・・・・」と鳴き声が聞こえてきました。おや!ヤギのお父さんが扉から顔を出して、歓迎してくれました。少しなでなでをしてあげて、小屋の中をのぞかせてもらうと、お母さんヤギと、1年ぐらい前に生まれたと思われる子ヤギがいました。子ヤギは臆病者で、お母さんのそばにくっ付いて、じっとこちらを見ていました。 鶏と遊ぶぽんカノ 睡眠中の子豚ヤギの家の向かいは鶏小屋。昔、実家で鶏を飼っていた時は、とうもろこしのカスを農協で買ってきて与えていました。もし餌を与えるのを忘れると、腹ペコの鶏は、自身が産んだ卵を食べてしまうんです。動物は生きるために手段を選ばないんです。鶏小屋の隣には、子豚が気持ち良さそうに、スースーと寝息を立てていました。 小さなキッチン(アルザス風) リビングルームさて、早速小さな家の中を拝見させてもらうことにしました。それぞれ6畳ぐらいのキッチン、リビング、寝室の各部屋を備えています。農作業を終えた村人が今にも帰ってきそう・・・。そう思わされるぐらい生活感が溢れていて、しかも可愛らしい部屋のセッティングにも感激。アルザスの野外博物館は、これからどんどん面白くなっていきますよ~。次回をお楽しみに!!
August 4, 2010
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純白の壁が一際目を引く建物を発見しました。小屋のようにも見えますが、人が生活しているような雰囲気もあります。玄関の前には小さな看板が出ていましたが、それが何を意味するのかは分かりません。玄関の扉が開いていたので、お邪魔することにしました。 中に入ってはじめて、何のために建てられたものか理解できました。そこは散髪屋さんでした。ちなみに最近、抜け毛が多いのは気のせいでしょうか。一般的にドイツ人は、ハゲた人は余分な毛を剃るか、または坊主頭にする傾向があるようです。 パーマをかける機械なんかすごく年代モノ。昔の人はこんな機械でヘアースタイルを整えていたんですね。自分もハゲる前に、パンチパーマにしようかなぁ。
August 3, 2010
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5月27日、旅の5日目が始まりました。空はモクモクと入道雲が広がっていて、今にも雨が降り出しそうです。朝9時にホテルを出発し、コルマールの町を離れました。フランスの小さな町に、自由の女神があるなんて・・・。しかもこの像はロータリー(ヨーロッパ式交差点)のど真ん中に建てられていました。 ロータリーのど真ん中に経つ自由の女神ぽんカノが運転する車はどんどん人里を離れ、山の方へ走って行きます。景色の美しい山があるので、そこに連れて行ってくれるのだとか・・・。しかし、途中で道が分からなくなってしまったようで、結局断念して、この日の旅のメインであるアルザス野外博物館へ直行しました。 石造りの教会の上にはコウノトリの巣があるぞ午前10時前、博物館前に到着。駐車場前の広場には小学低学年の団体が集まっていて、どのようやらアルザス民族職業の野外実習を体験しに来たようです。少し早くつきすぎたので、しばらくエントランスで時間をつぶしました。 アルザス野外博物館この野外博物館には、アルザスの古い民家や施設がたくさん移築されています。受付でもらったパンフレットによると、かなり広大な敷地を誇っていて、全部を歩いて見てまわるとすごい時間がかかりそう。でも、後で気付くのですが、どれもこれも時間をかけてじっくり見る価値のあるものばかりでした。 トラクター 現役のワゴン車開館時間になり、ゲートが開くと同時に、アルザス民家の見学がスタートしました。まず最初に目にしたのは、トラクター(笑)。ま、農業には欠かせませんからね。それと農作業用のトラックも保存されていました。ちなみに右上のワゴン車はちゃんと走るようで、野外博物館内をのろのろ走っていました。 農作業に欠かせないトラック トラックなのに高級車のように見える次回から数回に渡って、この博物館の話題を書いていきます。ノスタルジックな雰囲気で、しかもメルヘンチックな景観が本当に素晴らしかったです。まさに、アルザスのおいしいところだけが濃縮されているといっても過言ではありません。では、今後のブログを楽しみにしていてください。
August 2, 2010
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ストラスブールで1枚の絵葉書に出会いました。それは、アルザスの少女を描いたものでした。でも、この絵葉書はアルザスの少女を目的に描いたのではありません。彼女が手に持っている超大盛り料理を売り物にして描かれています。絵葉書の下には大きく「CHOUCROUTE(シュークルート)」と書かれていますが、これがこの料理の名前です。 絵葉書(アンシ作) 手に持つ料理を拡大すると・・・長かったアルザスの滞在もあとわずかとなりました。アルザス伝統料理でまだ食べていないものはたくさんあるけど、このシュークルートだけはアルザスを離れるまでに是非食べておきたいところです。 コルマールの旧税関の近くには、アルザス独特の建築様式を誇るレストランが建ち並んでいます。レストランの外にあるテラス席では、たくさんのお客さんがアルザスの伝統料理をおいしそうに食べていました。薄暗くなった夜の8時、「Koifhus」という名のレストランに入り、我々もアルザス料理をいただくことにしました。 写真中央のレストランに入りました 店内の様子ここはいわゆる大衆レストランで、たくさんの地元の人達で盛り上がっていました。早速、お目当てのシュークルートを注文。ぽんカノは「Bouche a la Rheine」という料理をたのみました。これは、パイと鶏のクリームソースがあわさった料理です。数十分すると、すごいボリュームの料理が運ばれてきてビックリ。絵葉書に描かれた料理は単なる誇張ではなく、本当だったことに気付くのです。 Bouche a la Rheine シュークルートシュークルートはドイツ料理をフランス人シェフがアレンジした料理と伝えられています。かつて、アルザスはドイツに占領されていて、料理もドイツ的なものが多いことに気付きます。この料理も、ドイツでお馴染みのザワークラウト(キャベツの酢漬け)を山盛りにして、その上に3種類のソーセージ(フランクフルト・ソーセージ、ストラスブール・ソーセージ、モンベリアル・ソーセージ)、脂身のある豚肉、豚足、豚ひざ肉、豚肩ロースをそれぞれ塩茹でしたものを載せて、さらに厚切りベーコン、塩茹でじゃがいもを盛りつけて出来上がり・・・すごいボリュームでしょ。これで一人前(値段は15ユーロちょっと)ですが、もちろん一人では食べ切れません。正直なところ、最初は美味しく食べれますが、食が進むに連れて段々どれも同じ味に感じてしまいます。これは全くのドイツ人向け料理。フランス人の口に合うかどうかは微妙なところです。
July 31, 2010
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ここはコルマールで最も美しいと感じた場所。そこは、プティト・ベニス(小ヴェネツィア)と呼ばれている穏やかな地区です。幅3メートルほどの水路がこの地区を走っていて、水の流れがまるで止まっているかのように、緩やかに流れていました。この景色をヴェネツィアと呼ぶには無理がありそうですが、水路に手漕ぎ船が往来していたら、そう見えてしまうのかも。 この水路沿いに、車1台がぎりぎり通れるほどの小道があります。この道路を昔の人はポワソネリー(魚屋)海岸と呼んでいました。水路の底を覗き込むと、フナのような魚が泳いでいました。かつての魚屋では、ここで獲れた魚を販売していたのでしょう。 この地区は野菜栽培者が多く暮らしていた地域だったようです。今では、一部の伝統的な家屋はレストランやホテルに改築されて、アルザスの名物料理を楽しむ事ができます。夕食はこの辺りでと思っていたのですが、若干値段が高めに設定されていたので、市の中心で食べることにしました。 実は、この夕食で食べる料理は、すでに決まっていたのです。あのスゴイ料理を絵葉書で見た時、これを食べなきゃ、アルザスに来たと言えないと確信したからです。次回はその名物料理の話題を書きたいと思います。
July 30, 2010
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5年前にコルマールへ来た時、サン・マルタン聖堂の近くのレストランで昼食を食べました。今でもそうですが、レストランのメニューを見せられても、いまいち料理のイメージが湧いて来ないのです。毎度のことながら、料理がテーブルの上に出されてはじめて自分がこれから何を食べるのかが分かるのです。あの頃(5年前)、フランス語で書かれたメニューを渡されたものの、チンプンカンプン。まるで、占に行って好きなカードを選んでくださいと言われているみたい。適当に値段の安い料理を指差して、注文してみました。すると、具なしの薄っぺらいお好み焼きのような料理が出てきて、ビックリ。味は、お察しの通りです。 サン・マルタン聖堂 異なる色の石でできた外壁と屋根の幾何学模様が印象的さて、旅ブログの続きをしましょう。マルシャン通り(商人通り)に、尖塔が印象的な建物があります。これは「プフィスターの家」と呼ばれていて、1537年に「帽子商人」によって建てられたものです。なるほど、塔が帽子の形になっている。あ、でも単なる偶然だと思いますが・・・。 プフィスターの家・・・塔が偶然にも帽子の形 マルシャン通りは16世紀の面影マルシャン通りを抜けると、コイフスと呼ばれる、いわゆる旧税関につきあたります。その屋根は、ぐにゃ~と曲がっていると言うか、窪んでいるようだけど(おそらく老朽化のためだと思います)、屋根にデザインされている幾何学模様は見ていて楽しいものです。黒ずんだ外壁は、ルーファッハで採掘された黄色い砂岩が使われていて、1480年創建という歴史の重みがひしひしと伝わってきます。 深い歴史が刻まれたコイフス コイフスの別館時刻は夜の8時に近づいてきました。そろそろ夕食の時間ですね。レストランを探しながら、コルマールが「水の都」である事を思いださせてくれるある場所を目指しました。空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそう・・・ コイフスの屋根の模様 町の噴水次回のブログは、小さな水路のほとりの風景をご紹介したいと思います。そこはコルマールで最も美しいと感じた場所です。ほんじゃ、また。
July 30, 2010
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夕方7時ごろ、コルマール市内に入りました。そう言えば5年前にもこの町に来ました。あの頃は雪が舞う2月。厚手のコートに身を包んで、カメラを手に見知らぬ町を一人で歩いていたのです。あのとき、まさか再びこの町に帰ってくるとは思いもよりませんでした。町の景色はあの頃のまま。変わったのは、季節だけ。夏の風景に模様替えをした小さなコルマールは、この日も穏やかに旅人を迎い入れていました。 コルマール市内の風景 ウンターリンデン美術館(かつての修道院)先日のブログで紹介した画家のアンシが、かつて館長を務めた「ウンターリンデン美術館」の前に来ました。外観は教会そのもので、美術館を求めてきた観光客がここが美術館であることに気付かず通り過ぎても不思議ではないぐらいです。それもそのはずで、この美術館はかつてのドミニコ会女子修道院の一部だったのです。 ピンク色の木組みの家 マルシャン通り(商人通り)ウンターリンデン美術館を通り過ぎ、マルシャン通り(商人通り)へ向かいました。この通りはコルマールで最も古い建物が建ち並ぶ歴史的名所で、16世紀から続く家並みの特徴として、1階は石造り、2階以上は木組みの構造となっています。かつて、この通りは「シェーデルガツセ(頭蓋骨通り)」と呼ばれていたそうです。その理由は分かりません。 オシャレな街並みが続く コルマールのシンボル的存在、サン・マルタン聖堂マルシャン通りを横に抜けると、サン・マルタン聖堂につきあたります。この教会は、オート・レン地方で最も美しいゴシック建築様式の1つに数えられています。色の違う石が組み合わさって巨大な聖堂を築き上げ、さらに屋根にはカラフルな瓦で幾何学模様が描かれているのが特徴的です。この聖堂の塔は独特のデザインで、画家アンシのポスターに選ばれるほど、コルマールの象徴的な建物と言えます。 アルザスの陶器その1 アルザスの陶器その2再びマルシャン通りに戻り、ウィンドーショッピングを楽しみました。アルザスの陶器は全て手作り。職人さんの心のこもった陶器は、使わなくても見ているだけで心が和みます。これから、さらにコルマールの美しい地域へ足を運びます。そして、アルザスの伝統料理も食べる予定になっています。この旅の続きは次回にします。では!
July 29, 2010
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午後5時半、カイゼルスベルクという町に到着しました。町の真ん中をヴァイス渓谷から続く小さな川が流れていて、その澄んだ水辺のほとりを歩くと、初夏の蒸し暑さが一気に和らぎます。この町の中心となるのが「教会地区」で、その名の通り教区教会を中心に12~16世紀に建築された家屋が建ち並んでいます。約4世紀に渡って町の大半が形成されているため、各時代によって異なる建築様式の家屋が造られています。したがって、アルザスの他の村と比べると、民家に統一感がないという印象を受けました。町はすでに観光客が去った後のようで、人がほとんどいなくなった静かな街並みの中を、のんびりと散歩しました。町の真ん中を走るメインストリートは、緩やかなカーブをいくつも描きながら町の奥へとつながっています。両脇に広がる民家では夕食の支度を始めているようです。 教区教会へと続く街並み 教会前の街並みこの小さな町を歩いていると、再びヴァイス川に合流し、その川に架かる石橋の上に立って振り返ると、丘の上に廃城の姿がありました。城の原型をかろうじて留めているのは、12世紀に造られた主塔の部分だけで、それ以外の城壁などはほとんど崩れ落ちていました。 素晴らしい景観の木組みの家 アルザスでは珍しい切妻屋根この町にシュヴァイツァー博士の生家があるというので、探して見ることにしました。彼は神学者であり、哲学者であり、医者であり、音楽学者でもあります。この町で牧師の子として生まれたシュヴァイツァーは、子供の頃にパイプオルガンを習い、それが後にバッハの研究に取り掛かるきっかけとなります。 パン屋さんの看板? ここも木組みの家がたくさんある音楽家としての人生を歩むのかと思わせておきながら、彼はストラスブール大学で神学と哲学を学び、最終的に「カントの宗教哲学の研究」で神学博士と哲学博士の学位を取得しました。 しかし、30歳になると医学を勉強し始め、38歳で医学博士となります。その後、医療技術の遅れをとっていたかつての仏領赤道アフリカ(現ガボン共和国で、カメルーンの南に位置する国)にランバレネ病院を設立し、多くの命を救いました。 町の奥へさらに歩いていく 木組みの家のデコレーション1954年、彼はノーベル平和賞を受賞し、彼の名が世界的に知られるようになったのです。その後も自身が設立したランバレネ病院で医療活動を続け、祖国に帰ることなく亡くなりました。彼の亡骸はアフリカ大陸のカボン共和国に眠っています。享年90歳でした。 ちなみにシュヴァイツァー博士の好物は、風月堂のゴーフル(フランスの焼き菓子)だったと言われています。 丘の上には廃城が ヴァイス川沿いの街並みそんな博士の生家を一目見ようと思っていたのですが、残念ながら見つけられず・・・。後で調べ直してみると、あと10メートル歩いていたら、見つけられていたことに気付きました。つまり、彼の生家の10メートル手前で諦めてUターンして帰ってきてしまったのです(笑)。次回は、アルザス・ワイン街道の最終地、コルマールへ向かいます。
July 27, 2010
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ご無沙汰しております。久しぶりに前回のブログの続きを書いていきます。あぁ・・・長くブログを書いていないと、どこまで書いたのか忘れてしまいました。アルザスの小さな村、リクヴィールに到着したところで、ブログが終っているので、今日はその続きを書いていきたいと思います。 では、アンシ博物館の話題からはじめましょ! アンシ(Hansi)は1873年2月に、フランス・コルマールで生まれました。でも、その時すでにコルマールはフランスではなく、ドイツの領地になっていました。アンシが若き頃、織物工場でアーティストとして働いていました。織物のデザインはもちろん、地方のイベントポスターや絵葉書のデザインも任されるようになり、アルザスの芸術家の1人として町の発展に貢献して来ました。彼が生きた時代を超えて、現在でも町の土産物屋には、彼の描いたポストカードやイベントポスターがたくさん売られています。その全ての作品が、アンシの独特の描写法で描かれていて、民族衣装をまとったアルザスで生きる人達や、アルザスのメルヘンチックな街並みが見事に表現されています。 アンシ博物館 博物館内部にはたくさんの作品が展示それとは対照的に、アンシの反ドイツ主義が風刺画としてたくさん描かれていて、特に野蛮で高慢なゲルマン主義のドイツ人を皮肉った著書「クナチュケ教授(Proffesor Knatschke)」は、後にフランスでベストセラーになる一方で、ドイツ政府に目をつけられるきっかけとなりました。 ステンドグラス アンシの書物や風刺画など彼が幼い頃、ドイツ語を話すことを強要したドイツ人教師や、ドイツ式の教育法を批判して、授業中にドイツ人教師の風刺画を描いては、それが見つかって没収されて罰を与えられる・・・・これが何度か繰り返されて、挙句の果てには退学処分になってしまうのです。そして、大人になりデザイナーとしての道を進んでも、やはりドイツ批判を風刺画や著書の中で繰り返し、侮辱罪に問われて禁固刑を言い渡されたり・・・・ イベントポスター アルザスの日常を描いた一枚彼の波乱に満ちた人生をブログで語るのは難しいですが、独特の芸術性については説明の必要すらいりません。丁寧に描かれた作品の1枚1枚から、アルザスの独特の雰囲気や、憎きドイツ人をバカにした様子が見事に伝わってきます。 リクヴィールの狭い路地を歩いて・・・ 民家のデコレーションも芸術的さて、アンシ博物館の見学を終え、リクヴィールの狭い路地を入って行くと、小さな家に到着しました。でも、それは単なる家ではないのです。よく見ると「博物館」の文字が小さく書かれているのです。ここは、かつての城壁の中に造られた中世時代の牢獄で、処刑道具と共に保存されています。中世時代の建物だけあった、時代が深い上に歩くたびにギシギシと木造の床がきしんで、床を突き破って下の階へ落っこちないかちょっと不安になりながらの散策となりました。 小さな博物館 狭い階段を登って ワイン貯蔵庫上の階は処刑場で、この薄暗く冷たい部屋で処刑が執行されていたと思うと、不気味に思えて早く外へ出たいと思うほど。一方、地下には大きなワイン樽がいくつか保存してありました。今でもワインが眠っているのかどうか分かりませんが、それがもし中世時代から続くものだとするなら、かなりの高値になるでしょう。まだアルザスの旅は続きます。次回をお楽しみに。
July 26, 2010
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あっ、そう言えば6月はすごい記録を達成しました。それは何かと言うと、全ての日にちにブログを書いたのです。でも、その記録を達成した途端に、ブログを1週間サボってしまいましたが・・・(苦笑)。 さて、アルザスの旅日記の続きを書いていきます。次に訪れたのは、リクヴィール(Riquewihr)という小さな村です。この村の歴史の始まりは11世紀で、そのときエギスハイム伯の領地の一部として所有されていたという記録があります。この後、領主が代わり、1291年になると村を囲む城壁が築かれ、敵の侵入から村を守っていました。 午後4時過ぎ、ぽんカノが運転する車は緩やかな坂道を登って、集落の外に位置する駐車場に停車しました。リクヴィールは何百年も前から品質の高いワインで名を馳せています。1520年に設立されたぶどう農家の組合の本部が、現在も同じ場所(42番地)にあり、約500年も前から村のぶどう栽培をずっと支えています。 ワインの取引によって富を得た村は、古い建物を取り壊し、新しい町へと発展させると同時にどんどん拡大していきました。町の発展に伴い、最も大きな変化があったのは教会だったのかもしれません。何故かと言うと・・・ 12世紀に創建された教区教会は俗事に転用されました。さらにゴシック様式のノートルダム教会は、宗教改革時にプロテスタントの司祭館に生まれ変わりました。また、聖エルハルト教会は、何と一般住居として利用されることになり、小さな村にある3つの教会の機能が失われました。かつての領主は宗教に対する意識が薄かったのかなぁ? 現存するリクヴィールのほんの一部の建築物は15世紀のもので、それ以外の物は16~17世紀に創建されたものです。と言うのは、三十年戦争の影響や、1635年にロレーヌ公の軍隊の侵略によって、村は破壊されてしまったからです。戦後、町の復旧が急速に進み、16~17世紀にかけて元の村の姿を取り戻しました。それ以来ずっと町の景観が変っていないそうで、中世時代の民家が建ち並ぶ人気の観光地である理由がよく分かります。 メインストリートである石畳の緩やかな坂道には、たくさんのテラス席が設置され、リクヴィールの良質のワインを味わう人や、蒸し暑さを忘れるためにアイスクリームを食べる人で賑わっていました。確かにこの日も暑かった。我々も喉の渇きを潤すために、小さなパブに入りました。パブに入ってしばらくすると、大粒の雨が空から降ってきました。まさに、グッド・タイミング。この雨のおかげで、随分と涼しくなりました。 この町を歩いてみれば、いかに歴史が深いかがよく分かります。もちろん、現在もたくさんのぶどう農家が暮らしています。観光客のいないシーズンオフは、昔と変らない中世時代の雰囲気が漂っていそうな気がします。 リクヴィールにどうしても行きたかった博物館があります。そこは、アルザス地方の民族画を描くあの画家の博物館です。次回はその博物館について書いていきたいと思います。
July 11, 2010
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しばらくのご無沙汰です。今日、35℃を超える日差しの中、久々にサイクリングをしました。サイクリングスーツとヘルメットを着用して、雲一つない晴天の中、正午前に家を出発しました。目指すはWeselという町で、自宅から約40 km北に位置します。 どっかの町の市庁舎結論から言うと、干からびました! さらに、腕には白い結晶が付着しています。この結晶の正体は塩です(笑)。汗の成分が蒸発してこうなったのです。まるで塩昆布みたいだ。ヘルメットを外すと、髪の毛がパリパリになっていて、塩が吹き出て真っ白になっていたのかも・・・(帰宅後、シャワーの水を頭からかぶると、超塩ぱかった) ガソリンスタンドでエネルギー補給 Weselの門 Wesel大聖堂疲労と軽い熱中症のために、ほとんど写真を撮りませんでした。結局、Weselで折り返して、総走行距離60 kmちょっとでリタイア。Dinslaken駅へ向かい、自転車を列車に乗せて、惨敗感を感じながら渋々帰路につきました。ドイツの公共交通機関は、自転車を積載する事が許されているので、ありがたい。やっぱ、運動は継続的にするものだと実感しました。明日は大人しく家に閉じこもることにします。
July 10, 2010
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名も知らぬ村を散策した後、再び教会前の駐車場に戻ってきました。ついでなので、目の前にある教会を拝観しようとすると、ぽんカノはキリスト教に興味がないので、外で待っていると言いました。そういうわけで、自分ひとりでこの教会の見学をすることにしました。時間を確認するために教会の時計台を見ると、面白いことに、時計の針がぶどうの果実と葉っぱのデザインになっていました(ちなみに、時刻は15:50でした)。 小さな教会の外観 時計の針はぶどうの果実と葉でデザインされてる早速、教会の中に入ってみることにしました。お世辞にも大きいとは言えない祭壇では、何世紀にも渡って、結婚式、葬儀、ミサなどの儀式が村の人々のために繰り返し行われてきました。ここは村でたった一つの教会で、村人のたくさんの喜びと悲しみをずっと見守ってきたのです。 祭壇を彩るステンドグラス祭壇の脇にあるステンドグラスには、そこにもぶどうの果実と葉のデザインが施されていました。ぶどうのデザインが取り入れられているのは、単にぶどうの産地だからと言う理由だけではないように思います。やはり、優れたぶどうの収穫と品質の高いワインの醸造ができるようにと願う村人たちの祈りが捧げられているのだと思います。 ぶどうの絵柄のステンドグラス 古い壁画この教会の姿は、ぶどう畑の下から眺めるのが一番美しいです。なぜなら、ぶどう尽くしの教会ですから。この村は、ぶどうの収穫の秋になるまで、ずっと沈黙しているのかなぁ。 ぶどう畑の上に建つ教会次は、リクヴィールという町を訪れることになっています。木組みのカラフルな家がずら~~っと建ち並んでいて、その光景は圧巻でした。次回のブログは、それについてお話します。では、また!!
July 1, 2010
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この日、旅をはじめて約6時間が経ちました。今回の旅のテーマは「アルザス・ワイン街道」だけど、まだ一度も肝心のワイン販売所とか醸造所に行っていませんでした。お酒好きのぽんカノのためにも、美味しいワインを買って帰りたいところです。そう言うわけで、ぶどう畑のど真ん中にある小さな村に急遽立ち寄ることにしました。こういう村なら、近くの畑で栽培したぶどうを醸造するワイン蔵があってもよさそうです。 車はぶどう畑に囲まれた細い農道を通り、小高い丘をのぼり、村の中心に到着。教会前の駐車場に車を停めて、しばらく静かな村の中を散策することにしました。静かな街を見下ろす丘に立って町の姿を眺めて見ると、遠くに見える山並み、どこまでも続くぶどう畑、そして昔からずっと変わる事のないこの景色、偶然立ち寄った名も知らぬ村がこんなにも美しいとは・・・。 あまりにも静かな街なので、家の中で子供を叱っている母親の怒鳴り声が、遠くまで聞こえてきました(汗)。村の中心に共同利用の水場があり、美しいアルザスの水が注ぎ込まれていました。この水場では、冷蔵庫がなかった時代に、アルザスの冷たい水で飲食料を冷やしていたようです。 その水場では、思わず手で水をすくって飲んで見たくなるほど、澄んだアルザスの水が現在も止まることなく流れていました。手を浸してみると、すごく冷たい。これなら、農作物や飲料もよく冷える! あっ、ところで、この村に立ち寄ったのは、ワイン販売所を探すためだった・・・。ん~、一通り探したんだけど、見当たらなかったです。 こういう美しい土地と水で育ち、そして澄んだ空気の中で醸造されたワインは、きっと美味しいのだろう。小高い丘を更に登り、ぶどう畑に囲まれた町を見下ろしながら、いろんなことを考えていました。このアルザスの典型的な農村の景色は、いつになっても変わらないでいて欲しいと願うところです。 ちなみに、この上の写真に写っている教会は、ちょっと特殊なんです。どういう特徴があるのかというと、ワイン村ならではの風格をもっていて、ユニークな教会なんです。次回は、この教会の話題に触れたいと思います。
June 30, 2010
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リボヴィレの町散策の魅力は、お土産物屋さんにあります。アルザスの村の人々は、手造りの品物を好むようで、アルザスの伝統的な陶器や刺しゅう、アクセサリー、置物などの工芸品などを販売する店が多く、店の中はまるで博物館のようになっている所も珍しくないです。 リボヴィレの小さな街並み コウノトリを激写!!もちろん気にいた物があれば、買って手に入れる事もできるし、それほど高くないので次々と買いこんでしまいそうです。僕もこの町でクグロフ(アルザス風パン)の型と、ベックオフ鍋を買いました。全て手作りなので、1つ1つの絵柄が微妙に異なっています。リビングのインテリアとして置いていても良さそうなぐらいデザインが美しいですが、これらは単なる置物ではなく、正真正銘の調理器具なのです。こういうので調理すると、不味い料理も美味しく感じてしまうことでしょう。 お土産1 クグロフ(アルザス風パン)の型 お土産2 ベックオフ鍋(30 cm幅)アルザス地方の教会の特徴として、異なる色の瓦を用いて、教会の屋根に美しい幾何学模様が描かれています。全ての教会がこのようになっているとは限りませんが、この地域の人達の芸術へのこだわりは本当に素晴らしいと思います。 美しい幾何学模様をした教会の屋根この町のシンボルとなっているのが、ブーシェの塔。これを訳すと、「肉屋の塔」ということになりますが、何故このような名前が付いているのかは分かりません。かつては、この塔を境にして、上の町(高い地区)と下の町(低い地区)とに別れていたそうです。 ブーシェの塔(肉屋の塔) 塔から下の町(低い地区)を眺める確かにこの門を境にして、両方の町の景観が若干異なります。高い地区という名が示すとおり、石畳の坂道が続き、下の町よりも高い位置にあります。その坂道はサン・ウルリヒ城へと続いていて、城からは町が一望できるそうです。 下の地区(商人の町って感じ) 上の地区(閑静な住宅街・・・でも、今は若干寂れている)この城はかつてのリボピエール伯爵(領主)の華やかな居城でしたが、今ではその約半分が崩れ落ちてしまい、廃城と言わざるをえなくなってしまいました。それでも、高い地区からその城の姿がはっきりと見え、かつての栄光が偲ばれます。 上の地区 ぶどう畑の上にサン・ウルリヒ城が見えている本当は、サン・ウルリヒ城まで歩いて行きたかったんですが、急な坂道をひたすら登っていくのは辛いとぽんカノが言ったので、目の前に見えているウルリヒ城の遺跡を背にして、引き返すことにしました。 サン・ウルリヒ城 (photo: official site)とりあえず、オフィシャルサイトから、サン・ウルリヒ城の写真が入手できたので、それを貼り付けておきます。結局、約1時間ぐらいこの町で過ごしました(その半分の時間は、お土産物店で過ごしました・・・)。さぁ、次の町へ向けて出発です。まだまだアルザスの旅は続きますよ!では、この旅の続きはまた次回にします。
June 29, 2010
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