星とカワセミ好きのブログ

2020.10.25
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小松左京さんと高島夫妻の出会いについて、有名な話ですが紹介します。
「小松左京自伝ー実存を求めて/小松左京/日本経済新聞社」、「小松左京さんと日本沈没 秘書物語/乙部順子/産経新聞出版」に記載があります。

戦争がひどくなる前に、小松左京さんはバイオリンを弾く兄の手ほどきでビオラを覚え、自己流でできるようになりました。終戦後何カ月かすると、芦屋などお金持ちの屋敷でダンスパーティーが流行り、兄が友人と楽団をやり始め、小松左京さんも参加してバイオリンを弾いていました。

それをきっかけに、すっかり忘れていた音楽演奏の楽しさと歌心がよみがえり、終戦の翌年、神戸一中の同級生たちと一緒に軽音楽バンド「レッド・キャッツ」を結成しました。小松左京さんがバイオリン、そして同級生の高島忠夫さんがギターとボーカル、他の人がピアノ、トランペット、ドラムをし、学校の講堂でも演奏会を開いて、満員の聴衆から拍手喝采を浴びたそうです。(教師からは「軽薄だ」と小言をくらったとの事)。

高島忠夫さんは水泳部で、剣劇のマネがうまかったので「チャンバラ」と呼ばれ、明朗快活な人気者だったそうです。小松左京さんはお調子者として「ウカレ」と呼ばれ、演劇部を創設し、文化祭で台本を書いて時代劇をやったり、新聞部を作り、学芸雑誌に寄稿したりしました。

小松左京さんが兄の楽団の出前で、家の近くのお屋敷に行って演奏した事があります。そこにはエレガントで美しく、上品で優しい、まさに深窓の令嬢がおられました。
小松左京さんは今津駅から阪急で灘にある神戸一中にいきますが、その女性は今津駅から阪神電車で芦屋女子高女に通学していました。通学には不便ですが、小松左京さんはしばしば阪神の切符を買い、偶然を装ってその女性と同じ電車の違う車両に乗り込みました。たった1回だけ会話を交わしたことがあるものの、胸が高まり、すっかり舞い上がってしまい、どんな話をしたか忘れてしまったそうです。

その後、高島忠夫さんは新東宝のニューフェースになって活躍され、初めてスクリーンで颯爽とした姿を見た時、小松左京さんは驚くと同時に嬉しくなったそうです。

例の深窓の令嬢である女性は、宝塚歌劇団を経て女優になった寿美花代(すみはなよ)さんです。



青春だなあと思いました。



↑ 「小松左京自伝ー実存を求めて/小松左京/日本経済新聞社」


↑ p28。 「高島忠夫氏と軽音楽バンドを結成」
p28~30。 高島忠夫さんとバンドを組んだり、宝塚歌劇団を経て女優になった寿美花代さんの事、結婚した高島夫妻の事が書いてある。

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↑ 「小松左京さんと日本沈没 秘書物語/乙部順子/産経新聞出版」



↑ p118 「知られざるヴァイオリンと美声」
「小松左京さんは多才な人だが、音楽の才能もあったことは、あまり知られていないのではないだろうか」。
「のちに高島忠夫さんの結婚相手がそのお嬢さんだったと知る。小松さんのぼやいたこと、如何ばかりか!」。

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↑ 高島夫妻。(俳優の高島忠夫さん、女優の寿美花代さん)





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最終更新日  2020.11.03 09:47:05
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