星とカワセミ好きのブログ

2021.07.02
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1988年3月、川中美幸さんは「豊後水道  作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、編曲:丸山雅仁」を歌われました。
私はテレビやラジオで「豊後水道」を知り、すぐにCDを購入し、繰り返し聴きました。
川中美幸さんのこぶしの効いた歌も良いのですが、聴くと大分の海の景色が思い浮かび、大好きな曲です。

歌謡曲、ニューミュージック、アニソン、演歌、洋曲など、個人的には垣根が無く、若い頃は幅広く聴いていました。演歌のレコード、CDはほどんど処分したのですが、「豊後水道」など一部は手元に残しています。

「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう/阿久悠/新潮文庫」p91~93に「豊後水道 大分を舞台に演歌の南限」という文章があります。

大分県知事をされたことがある平松守彦さんと作詞家の阿久悠さんは交流があり、平松さんが阿久悠さんに、演歌の南限の歌を大分を舞台に作ってほしいとの話があったそうです。「北の宿から」、「津軽海峡・冬景色」、「舟唄」、「北の蛍」、「能登半島」、「おもいで岬」など阿久悠さんが作詞された演歌は北を舞台にしたものが多く、ポカポカと陽が照る大分の演歌を作るというのは、一種の挑発であったと書いてあります。
阿久悠さんは「南国に悲恋がないわけではないし、哀愁を感じないわけでもなし、人間がいて、男と女の組み合わせがあれば、悲恋も失恋もあります」と言って、作曲の三木たかしさんと一緒に大分へ移動し、大分から佐賀関(さがのせき)までクルーザーで行ったそうです。

「その日はやや荒れ気味で、波頭から波頭へ飛び魚のように飛んだ。その衝撃で『豊後水道』というタイトルを思いついたというのは嘘だが、海猫が棲む南限だともいわれる島を見て、これはそそられた。
『春は何日早かった 風もうららで甘かった

何を想うか 豊後水道』
歌は川中美幸である」




↑ 「豊後水道  作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、編曲:丸山雅仁、歌:川中美幸」


↑ 川中美幸さん。










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↑「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう/阿久悠/新潮文庫」


↑ 阿久悠さんの紹介。


↑ p91。「豊後水道 大分を舞台に演歌の南限」





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最終更新日  2021.07.18 10:42:29
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