星とカワセミ好きのブログ

2024.04.20
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カテゴリ: 本、雑誌、記録
私と妻はシンガポールで生活をしていましたが、1996年4月26日に帰国しました。

最近、住んでいるマンションの台所をリフォームしたのですが、整理をするとき、新聞に包まれた食器がでてきました。
新聞は、シンガポールで読んでいた1996年4月2日付の朝日新聞で、WDという記号が印刷されているので、日本から衛星によりシンガポールに新聞データが送られ、シンガポール内で新聞が印刷されていたと思います。

あらためて1996年4月2日の朝日新聞、そして最近の朝日新聞を比較すると、字のサイズに大きな差があります。
昔は字が小さかったのですが、今は大きくなりました。

記事も「遺品のシンガポール写真、日の目みた /明治・大正期に日本人医師撮影 /長女保管、現地の写真展に」など、興味を引く記事が多くありました。

また、「サンキュ!」(ベネッセ)本日創刊という広告があります。
「サンキュ!」は1996年4月2日に創刊され、今年で28年目を迎えた雑誌になります。

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↓ (左)1996年4月2日朝日新聞、(右)2024年4月20日朝日新聞 比較。



↓ 二つの新聞だが、文字の大きさが違う。今の方が文字が大きい。









↑ 1996年4月2日 朝日新聞「遺品のシンガポール写真、日の目みた /明治・大正期に日本人医師撮影 /長女保管、現地の写真展に」。
熊本県天草市出身の佐藤有太医師は、明治42年(1909年)英国領だったシンガポールに渡って開業した。医師のかたわら、日本人学校を新設するため私財を投じ、大正元年(1912年)に新嘉坡日本人小学校(現・シンガポール日本人学校i)を開設したが、大正7年に49歳の若さで早世した。
佐藤医師は、趣味の写真を残していた。長女の松田光恵さん(83)=熊本県本渡市=が父の残したアルバム1冊を大切に保管していたのだ。
写真は明治末から大正初期にかけての8年間に写したものだった。アマチュアとはいえ、写真を撮る人が少なかった時代だけに、シンガポールの生活ぶりは、今では貴重な歴史の記録だ。
アルバムの写真をシンガポールの国立公文書館で調べたところ、今日では隣国マレーシア領になっているものが多かった。
建国31年の若い国シンガポールには、歴史を記録した写真が多いとはいえない。資料の充実に努めている同公文書館は、佐藤医師が撮影した写真に注目し、残された写真144枚を新しい資料写真として収蔵することにした。写真は「佐藤有太コレクション」として保存、活用される。これを機会に同公文書館から仲介役の朝日新聞社に百数十枚の歴史資料写真が提供され「シンがポール百年」展が開催されるようになった。

(「シンガポール百年」展が1996年4月3日から6日間、シンガポールの中心オーチャードロードにあるシンガポール高島屋で開催される)



↓ 朝日新聞 WD。 日本から衛星を使用して、新聞データをシンガポールに送り、印刷したと思う。



↓ 週刊朝日 広告。





















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最終更新日  2024.04.22 09:59:19
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