仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2016.02.11
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カテゴリ: 宮城
東北本線を仙台から北に向かうと、かつては名勝松島の海が全く見えなかった。日本鉄道が敷設したルートが、利府経由の路線だったからだ。

新線が建設された理由は、戦況切迫とともに多数の民間船舶が大陸間輸送に徴用され、国内海運需要を担うことが出来ず、また海上郵送の危険が高まったことから、貨物輸送を全国的に鉄道に転換する政策が実行されたためである。輸送量増加のため、複線化や信号場増設、線路勾配の緩和などが緊急に必要とされた。

函館本線の「砂原回り」が戦争末期の勾配改良の例だが、東北本線では松島をはさむ岩切-品井沼間に、改良を要する区間があった。最大16.7パーミル(‰)勾配があり、長大列車は補助機関車を必要とした。海側に新線を建設して、急勾配を解消しようとしたのである。

新線は、岩切から多賀城前(現陸前山王)の間は既存の塩竈線を流用し、その先は、宮城電気鉄道(現仙石線)の線路に沿って、松島海岸部をいくつものトンネルで縫い、高城町の西を抜けて旧松島駅の東方で旧線と並行し、品井沼に至る21.7kmで、勾配は最大10‰に、最小曲線も600mに抑えられた。

着工は昭和18年4月。北方の最重要路線のため資材調達も優先され、昭和19年11月に単線ながら開通し、北日本の陸運転換に貢献。通称「東北海岸線」「海線」とされた。海線は当初貨物線として使われたため、途中駅は設置されず、北塩竈と新松島の2つの信号場が置かれた。

しばらく、新旧両線が併存した期間に、海線には貨物列車と急行列車が走ったが、昭和31年7月には、塩釜(新駅)、新松島(もと信号場)の2駅が設置され普通列車も運転されるようになった。これにより普通列車は海線と利府経由(旧線、山線)の2ルートが走ることになる。

新しい塩釜駅は旧駅(おだずま注:塩竈線の塩竈駅)の西1.5kmの郊外に建設され、同時に、明治20年以来の歴史ある塩竈駅は旅客扱いを廃止して塩釜港駅と改称。

やがて昭和30年代に東北本線の複線電化が決まると、新線だけを複線化して、旧線の一部である利府-品井沼間は昭和37年に廃止。一方で、旧松島駅付近の住民の便のために、旧線の旧松島駅に新線上最も近い位置に愛宕駅が新設された。

旧線のルートをたどってみると、盲腸線の終点として生き残った利府駅からさらに勿来川支流の谷を遡り、松島海岸裏の赤沼(赤沼信号場があった)の先で、小さな分水嶺を越えて松島町域に入り、谷に沿って右にカーブしながら勾配を下って旧松島駅(現松島町健康館)。その後は逆に左カーブして新線愛宕駅下をくぐって品井沼駅南方で新線に合流するものであった。配線跡はかなりの部分が生活道路として今も使われている。



■今尾恵介『地形図でたどる鉄道史 東日本編 鉄道近代化の足跡を図上観察』(JTBキャンブックス、2000年)を参考にいたしました。

利府経由の山線と、塩釜経由の海線。また、塩竈周辺の鉄道ルートの変遷などは、近現代の宮城の発展とともに、生活史にも関わり大変興味深いと思っているが、海線を急いだのは戦争が理由だった。こんなことからも、わが地域の歩みが、日本や世界と関わっているのだということを実感させられると思う。

さて、上記の書には、「 松島電車 」のことが、次のように記されている。

宮城電鉄が、大正14年の仙台-西塩釜開通の後、松島公園(現松島海岸)駅、陸前小野駅まで路線を伸ばし、昭和3年11月に石巻まで全線開通させている。開業時から営業は順調だったが、昭和5年に不況の影響で一時収入が落ちるがふたたび旅客収入は増加、松島遊園や自動車運輸事業を兼営するなど発展。昭和14年には、本線旧松島駅から五大堂の目の前まで、3.8kmの短い区間に電車を走らせていた 松島電車 (正式名称)を買収した。

地図をみると、この 松島電車 とは、旧松島駅のあった初原地区から松島第二小学校の南を抜けて、高城川沿いに瑞巌寺方面に南下していたようだ。ちょうど後に建設される東北本線新線のルートあたりを通って、高城駅を設け、それ以南は現在の国道45号と並行あるいは路面に軌道を設けて、五大堂に至ったようだ。
松島町の隠れた名所散策(07年4月5日) に旧松島駅の建物の画像をのせてあります。)

070405初原の駅

明治末年の松島観光地化の大プロジェクト(過去の記事 寺田知事の松島公園化 アインシュタインと仙台(その7) など)。鉄道は既に東北本線(山線)の松島駅があったので、宮城電鉄(仙石線)開通までは、この旧松島駅が玄関口となっただろう。

松島電車は、大正11年に開業している。バスとの競合や宮城電鉄開業で経営は苦しく、昭和14年の宮城電鉄への合併も再建のためだったが、すでに営業は休止状態だったようだ。


■関連する過去の記事(仙台以北の東北本線、仙石線などのルートに関して。他にもありますが。)
仙台駅の予定地について(その9) (2012年5月23日)
宮城県北部の東北本線ルート(何度目でしょうか) (2012年1月1日)
仙台駅の予定地(その8) (2011年9月26日)
やっぱり当初は角田か 東北本線ルート (2011年9月15日)
東北本線ルート 白石か角田か (2011年9月5日)
宮城県北の東北本線ルート(再び) (2011年8月24日)
宮城県北の東北本線ルート (2011年8月20日)
仙台駅の予定地(その7) (10年9月6日)
塩竈市内の仙石線と塩釜線の歴史 (10年5月11日)
仙石線多賀城地区連続立体交差事業 (2010年5月5日)
野田の玉川 歴史散歩(その4 天神川上流の鉄道廃線跡) (2010年5月4日)
仙台駅の位置について(その6) (09年10月21日)
仙台駅の位置について(再び) (09年3月10日)
仙台駅の位置について(その4) (07年8月16日)
大河原の尾形安平 東北本線実現に尽力 (07年1月5日)
仙台駅の位置について・続々 (06年7月15日)
仙台駅のはなし・続 (06年7月11日)
仙台駅のはなし (06年7月10日)
宮城県内の東北本線のルートの話 (05年11月27日)





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最終更新日  2016.02.11 17:14:28
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