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明け方タオルケットをたぐり寄せる夏の終わり
2007年08月31日
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夏休みの始まりの開放感に比べて夏の終わりには、身の置き所のない焦りに覆われます。宿題に追われた学校時代。「もう宿題やったよ」8月早々、輝いて話す友だちの顔を羨望と尊敬の目で見上げます。自分にはとうてい無理なこと。やりたいことを優先し責任を後回しにする生来の悪癖。それで、夏の終わりには必ず鬱になり宿題の提出も、始業式から数日遅れるのでありました。
2007年08月30日
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玄関を開けていたら一匹のアシナガバチが飛び込んできた。まだ人が残っている部屋をゆっくりと飛んでいる。窓も開けて、うちわで追い出そうとした。出ていかない。蛍光灯の管にへばりついた。つついてもダメだ。どうも巣作りの場所を探しているようだ。「おい早く出て行けよ 頼むぜ、出て行けよ」ボクの言葉にはいっこうに反応しない。仕方がない、とボクはついに殺虫剤を手にした!
2007年08月29日
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この所、ボクたちの国全体が蒸し風呂状態でした。教会の牧師住居部分にはエアコンがないので扇風機を回し、換気扇を付けて暑さをしのいでいます。ボクは比較的暑さに強いので、この暑さを楽しむのです。今日もやはり暑かったのですが、夕方になって少し涼しい風が吹きました。この暑さも盛りを過ぎたのです。もう8月も最終週です。
2007年08月27日
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「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。」(申命記11章より、新共同訳聖書)----------------今は亡き友人Yが、ボクたちの友人の結婚式で祝辞を述べた。その中で彼は「祝福と呪い」が書き記された聖書のくだりを延々と読んだ。ボクは内心驚いた。祝いの場では、ボクなら「呪い」は省略して、祝福の部分だけを選び読んだにちがいない。彼がその両方を読んだところに、彼の誠実さがある。その彼はもうとうに天の人となった。彼が「祝福と呪い」の言葉を贈った夫婦は、やがて5人の家族となって牧師として元気に働いている。
2007年08月25日
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箱の中に入らない人を無理矢理に押し込めようとしたがうまく行かない。それなら、箱を新しい物に作りかえるべきでしょう? 大相撲は人のためにあるもので 人が大相撲のためにあるのではない
2007年08月23日
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佐賀県立佐賀北高校、優勝おめでとう!「まず初戦突破」の目標から評判の強豪高校を次々と破り、ついに一番となりました。決勝戦も8回の表まで4-0で、「ついにだめだな」とだれもが思ったことでしょう。でも勝利の女神は・・・・ああどんなことでも最後の最後までわからないんだ
2007年08月22日
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バイブル(聖書)のおおらかさそれが魅力です。さまざまの立場の人が書き綴っているのでそうなるのでしょう。年代的にも文献学のラジカルな立場を取ってしてもその初めから終わりまでは1000年の隔たりはありそうです。旧約は39の小冊子から成り新約は27の小冊子からできています。旧約と新約の間だけでも、300年開いています。それが一冊の本にまとめられているのがバイブルなんです。どの書も神への信仰が底を流れ、波のようにもうねります。
2007年08月22日
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「お茶の水にキリスト教書店があるよ」教会に行き始めた頃、先輩のNさんだったかが教えて下さった。高校2年生の頃だった。未知への憧れに満ちていた年頃、「バイブルを手にしたい」そんな一途な心を持っていた。書店に行くと、置いてある本は全部キリスト教の本。「すげ~な」一番、上品な感じの新約聖書を買ってきた。それは表紙が黄緑色の布張りで、背の部分がこげ茶色の皮になっていた。福音書を読み始めると、自分が心に抱いていたキリスト観が次々と打ち砕かれていく。
2007年08月21日
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「御言葉はあなたの近くにあり、 あなたの口、あなたの心にある。」 ローマの信徒への手紙10章8節(新共同訳聖書)ボクの書棚には、もう一つの「バイブル」が以前あった。「ウインドウズ98のバイブル」。でも本当の「バイブル」は「何々の~」なんて付かないんだ。聖書(バイブル)を直接読む喜びは、クリスチャンだけが知っている。「聖書」これは「畑の中の宝」だ。聖書はだれでも手に取ることができる。町の書店で取り寄せることができる。あなたの家の本棚の片隅にあるかもしれない。ボクも子どもの頃、本箱をあさっていて、聖書を見つけた記憶がある。(変わったこの固い表紙の小さな薄い本は何だろう)と思った。それは、きっとギデオン協会が配った新約聖書だったのだろう。もしかしたらその時に小さな信仰の芽が生まれたのかも知れない。神様ありがとう!
2007年08月20日
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バタバタバタバタバタバタバタバタ音が聞こえる毎日聞こえる力尽きて落ちてくるセミの羽音
2007年08月19日
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序曲が終わり、第1曲が始まります。フィガロがささやくように歌い始め、やがてスザンナが口をはさみます。やがて一緒に声を揃えるのです。婚約者同士の、楽しいいちゃつき場面から始まるのです。誇張され抑揚の付いた台詞の掛け合いも「西洋版歌舞伎」のようで面白いです。音楽の流れが明るく、自然で、ユーモラス、変化に富み、よくまぁこんなにあふれてくるものだと感心します。ボクが手にしたCDでは、スザンナ役にヒルデ・ギューデンというソプラノ歌手。声も歌い方も、可愛らしくステキです。
2007年08月17日
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花が咲いている花のように咲いているボクも花のように咲く人の目に留まらない高山でも人々の目に触れる道端でも神様が置かれた場所で静かに咲く花のようにやがて花はしおれるだから余計に美しいボクも花のようにしおれることを喜べるようにそしてボクからの種でもほかからの種でも次の花はもっときよらかに咲けることを信じることができるように
2007年08月15日
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いつも手伝って下さりありがとう車の運転が好きなキミはいつもボクたちの足になってくれる遠くの方へ運転を頼んだ時も一瞬驚いた顔するけれどきっと引き受けてくれる助かっているよ
2007年08月14日
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梅ヶ島に行った昨日アカツメクサの群生を見つけた盛りを過ぎて茶色く変色していた友だちがそれをを摘んできたまだ盛っているものを探してきたんだねアカツメクサは、シロツメクサより背が高いのでお母さんのようだ
2007年08月14日
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義兄夫妻に導かれ、空港から病院に駆けつけた最初の日ベッドの上の義父は、わが妻を見つめ語った、「状差しにはお前の手紙ばかりでいっぱいだ」どんなに喜んでいたのだろうかと思った。
2007年08月13日
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仲間たちとバーベキューをしました。庭にブロック3つでかまどを作り、炭を起こします。野菜、肉、焼きそば、ジュ~ジュ~スイカ、麦茶「千本浜だったらよかったね」と言いました。それでもささやかな風が頬を撫でました。夜はビデオ鑑賞です。映画を見たあと、みんなで感想を発表。あしたも続きます。6:30 朝の祈り会9:00 聖書研究会11:00 梅ヶ島を目指してドライブこんな具合で楽しく過ごします。
2007年08月12日
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妻の家族、友人たち、そして教会で秋田言葉のただ中に身を置きました。今までボクに向けられた言葉は、きっとよそ行きだったのでしょう。今回は、秋田県人である彼女(妻)の相棒であるボクにも遠慮もなく、秋田言葉が向けられてきます。カルチャ・ショックに、やられたと言いましょうか?羽田空港ロビーに着いても、品川駅にたたずんでも三島駅前にたどり着いてもボクの周囲ではいつまでも秋田言葉が話されていると錯覚してしまいました。
2007年08月11日
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今、この日記を開き、祷援があったことを知り心から感謝いたしました。前の日記は、病院の談話室で一人で書いていました。あの時、それから10分くらいたったでしょうか。妻が静かにその部屋に入って来てボクを促しました。ボクは一緒に病室に行きお祈りしようと義父の手を取ったのですが涙があふれて来て言葉になりません。今回は妻の「母教会」の祈り会にも出席でき、祈って頂きました。義兄夫妻の優しさに触れた旅でもありました。
2007年08月10日
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98歳になろうとする義父の入院。 知らせを受け、月曜日から見舞いに来ています。 病床で、その末娘であるボクの妻は 福音を伝えています。 妻はこのために、手紙を毎月書き続けて来ました。 主よ今祈りをお聞き下さる時が来ました。祈りを聞いて下さるあなたのご栄光を現して下さい。
2007年08月08日
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礼拝の中では聖餐にあずかる人たちが、前に進み出ます。一人の信徒さんが、下を向いたまま出てきませんでした。そばに寄って話しかけ理由を聞きました。それから手短にお話をして、お祈りしました。出てこられました!安らかな顔に変わって。
2007年08月06日
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礼拝のお話、ローマの信徒への手紙(第12回目)「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。」9章2~3節(新共同訳聖書より)パウロの同胞への愛は、すごいぞ。その愛は強く激しいぞ。旅の行く先々で、まず福音を語ったのは、同胞に対してだった。「わたしには深い悲しみがあり」(ローマ9章3節)ああ、パウロは「深い悲しみ」を持っている。心には「絶え間ない痛み」がある。神様の祝福の約束が、キリスト様によってついに実現したにもかかわらず、肝心要のユダヤ人(イスラエル)が受け入れなかったこと。イエス様を拒むユダヤ人の行く末は、地獄へ行くかも知れないのだ。パウロは「もう知らないよ」と叫んだ(使徒13:46)。しかしそれでもパウロの心は同胞と結びついていた。それでも同胞への愛に貫かれていた。そうだ、パウロの伝道の心は「愛」だったんだ。愛がなければ、あんなに拒まれ迫害され鞭や石で打たれ牢獄にぶち込まれても、その人たちになお向かっていくことはできない。「愛」は拒まれ、嫌われ、疎んじられ、馬鹿にされても、なお暖かい笑顔を向け、語ろうとする。クロネコ宅急便ビジネスパックに「愛と荷物のある限り」と書いてあったっけ。そうか、いつもあんなに走って配達しているのは、愛のためだったのか!同胞のためならば、自分が神から見捨てられても構わない、と言う。あなたが天国に行くなら、自分は地獄に落とされても構わないと本当に思っているのか。これほどの同胞愛がほかにあるだろうか。ルカの福音書16章には「金持ちとラザロ」の話がある。この地上で何の不自由もない生活をしていた金持ちが死んで、陰府に落ち、地獄の炎にさいなまれながら、神様に従わないで生きてきた生活を後悔するお話。同胞を本当に愛していたから。同胞の罪を悲しんでいたから。このままでは、主を拒む同胞たちが、あの陰府に落ちた金持ちのようになっていくことを知っていたから。愛する人たちが、そんなになったら、どうしよう!それが、愛の心!ボクたちも、愛の心で向かっていきたい。クリスチャンが、みんな愛の伝道者として主のために遣わされるように!
2007年08月05日
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お~いそんなにたいへんなのにきっと前を向いて生きようとしているのかえらいなこっちは ちょっぴり恥ずかしくなるお~い 待ってそばにいていいかいキミと一緒に海や木や花を見ていたいんだ
2007年08月04日
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久々の遠出の毎日妻には朝晩2回電話をして体調を聴いていました。体調は、驚くほど管理されていました。所がボクが帰った明くる日の朝たちまち数値が上がっているのです。「あれ~ボクがいない方が、いいのかな?」「そんなことないわ、ぜんぜん平気よ」
2007年08月04日
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福岡空港で出発を待っています。空港でインターネットを見つけて、これを書いています。台風の影響からか、大幅に遅れて、午後6時過ぎの出発となりました。でも無事に飛び立つことができればいいです。ついさっきまで、送って下さった友達と喫茶店でお話していました。それで良い友を持った仕合せ感に満ちています。ボクもこれで1週間の責任を果たし終えられそうです。家では妻が首を長くして待っているでしょう。彼女にとっても、きっと新鮮な一人暮らしだったと信じています。今回、神学生たちの伝道の旅に同行したボクも出先の教会でたくさんの啓発を受けました。早く帰って、毎日の勤めにいそしみたいです。
2007年08月02日
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今日は3つ目の教会を訪問した。 クリスチャンに会えば初対面とは思えず、直ぐに打ち解ける。 どの町にも教会にクリスチャンが集まる。
2007年08月01日
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