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来た道を振り返ると、モニュメントが見える。良かったこと。つらかったこと。一つになって、静かに語りかけてくる。ただ神の憐れみだけを振り返ればいいと。
2009年01月31日
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雨の日は晴の日を忘れ晴の日は雨の日を忘れるが一雨ごとに春は近づく
2009年01月30日
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黒木先生、ごめんなさい。そしてありがとうございます。峯野先生、ごめんなさい。そしてありがとうございます。本間先生、ごめんなさい。そしてありがとうございます。加藤先生、ごめんなさ・・・ ああもう御国の人になっておられる・・・
2009年01月29日
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ぼけるが勝ちぼけられたら負け負けないように愛します
2009年01月28日
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今日お昼過ぎに、NHK総合テレビの番組「百歳万歳」を見ました。百歳で現役の牧師さんが写りました。かくしゃくとして説教せっせと書く手紙「御元気な先生に接すると、励まされます」(若い信徒さん)ボクも妻も、眼がまぁんまるくなりました。「ボクたちまだあと40年もあるね」
2009年01月24日
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駅に停まると、広々とドアが開け放たれます。降りる人も乗る人もいなかったけれど、冷たい空気が「さぁっ」と入ってきて、ムシムシしていた空気が入れ替わりました。
2009年01月23日
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「自殺」を病死扱いする。えもちゃんの日記で考えたのだけれど病死の一形態である自殺がある。精神の不調の極みで自分から命を絶った人は多い。理性的な死か病死かの境界線は曖昧だと思う。前途を悲観して絶った人もある。相談してくれたらよかったのに、もう少しがんばれなかったか、そう考えた。でも本人は、「もう十分にがんばりました」と。理由なく、心が死に傾いていく。そういう人もある。「死は蜜の味がする」という思いこみ。たくさんの人を教会に連れてくる積極的で、信仰にあふれているクリスチャンが、鬱の日々は毎日死を考えていたと言う。思わず、死に逃げ込んでしまった人が助かったらまた普通に生き始めただろう。ただ一つ確かなこと、「時が来ればだれでも死ねる!」死はあなたを待っているんだ。甘き死はきっと来るんだ。神様があなたを静かに死なして下さるよ。だから急がないでいい。自分のために生きたくなければ人のために生きてください。いや、神様のために生きてください。あなたの生を神様の御手に委ねて生きようよ。
2009年01月22日
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葬儀社では、死と葬儀について、何を思っているのかそんな思いを深くする。棺を選ぶときも、もっと安いのはありませんか?と問われて初めて「カタログにはないけれど、もっと安いのがあります」などと言う。良心的な葬儀社は案外少ない気がする。牧師の言うことに静かに従う社員もあるが、「これは葬儀にはつきものです」といろいろな道具を持ってこられたり。立派な式場を持っている社では自分たちのスタイルを持っていて、キリスト教式との調整のために、余計なエネルギーを使わなければならない。棺の蓋を釘でとめること一つでも、止めないと死体が釜の中で起きあがってしまうなどどいわれることもある。この人たちは本当に宗教的バックグラウンドを持っているのか?持っていないのに、「合掌」とかと号令されると白々しく思う。葬儀社から電話を受けることはまずないが、突然電話が来て「牧師さん、死ぬって一体どんな意味があるのですか?」いったいこの人は・・・・しばらく経つとその葬儀社はなくなっていた。
2009年01月20日
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本日(18日)の礼拝メッセージをアップロードしました。聖書・マルコによる福音書14章ベタニアのマリア主イエスへの愛のわざナルドの香油を注ぐお話の内容です。つたないメッセージであることはわかっておりますが、主への愛、そして愛とは何であるかくみ取っていただければうれしいです。左の欄のブックマークス(お気に入り)「三島西キリスト教会」にお出かけ下さい。
2009年01月18日
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「どんなことがあってもボクは自殺をしない」その揺るぐことのない決断だけが、「自殺予防薬」です。「死んでしまいたい」そのわき上がる感情に、うち勝つことができます。そして、うち勝ち続けることができます。なぜなら、あなたを造られた神様が、あなたが生きることを願っておられるからです。「だから、どんなことがあってもボクは自殺をしない」
2009年01月17日
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秘められたもの。無用と思うときもある。結婚し子供を産むと、やおら張り出し、命への通路となる。
2009年01月16日
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米原付近の雪で新幹線が遅れているというアナウンス。「遅れているなんて、何でもないことだ」自分に言い聞かせた。
2009年01月15日
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何か忘れているような気がする、日が輝いてきた朝外に出てわかった。次週の説教題の看板をまだ書いてなかった。
2009年01月14日
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若い頃、ボスが人との付き合い方を教えて下さいました。「人を、その人、その人として見なさい」その言葉が忘れられず、またヒントとなり今ボクもこう言うことにします。「その人になって、その人の目で、その人を見なさい」その人になりきるように心がけ、その人を見れば、どんなことでも受容できてしまう。あら不思議。
2009年01月13日
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東京新年聖会から今帰ってきました。ほやほやです。ボクが神学生の頃、「淀橋新年聖会」と呼んでいました。あの頃から35年ほどもたつ、伝統のある新年聖会です。聖会1は峯野龍弘牧師のメッセージでした。大ボスらしく、心のど真ん中から切り崩されて行きます。聖会2は、湯澤鈴世牧師主婦牧師らしい優しくシンプルな語り口。聖会3は、菅原登志子牧師むずかしい「ヨハネの手紙1」をテキストとして、キリスト様に従うとはどんなことか、絵のように知らせて下さいました。集会の様子をMP3プレーヤーに録音して聞きながら帰り、集いの余韻をまた味わいましたが、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めたら、電車はボクの町の近くまで来ていました。
2009年01月12日
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あさって月曜日(祝)は「東京新年聖会」が淀橋教会で開かれます。聖会1 朝10時聖会2 3時聖会3 夕6時と3回行われます。全教会の承認が必要なことがあり、合間に教団の臨時総会が開かれます。ですから今回は全国から集まり少し規模の大きな聖会となるでしょう。
2009年01月10日
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久々の雨やむかな? と思ったらまた降ってきました。久々の雨なつかし。山沿いは雪ならむ。
2009年01月09日
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きのうが「エピファニー」東方の学者が赤ちゃんのキリスト様を訪れた日。その日を最後にクリスマスシーズンを終えました。きらきら輝いたクリスマスそしてお正月が終わります。今日は「祈りの集い」のあと、来られた信徒さんたちとクリスマスの飾りを外しました。わぁせいせいした。シンプルな教会が戻ってきました。
2009年01月07日
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「悔い改め」とは自己崩壊の一形態。一部を崩してスタートする。全面的に崩して、主の物となる。その時、新しい自分に気づく。自分を隠していた色々なヴェールが剥がれ落ち、神様に造られたままの自分が現れる。それが自己崩壊の真実!「罪」は、それまで分かちがたく自分につきまとっていた。そうだ、お別れしてもいいんだ!大丈夫なんだ。
2009年01月06日
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大容量のハードディスクを新規購入した場合、パーテーションを3つに分けるといいそうです。C:ウインドウズなどのOSはここに入れます。 各種ドライバ類もここにいれます。D:ワープロ、表計算、Jバイブルなど、自分が使う各種のプログラムを入れます。E:(CDドライブ)F:ファイル格納用です。これは正月で逗留している婿さんに教わりました。ソフト起動などが格段に早くなりました。
2009年01月03日
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昨年末のCDドライブの不具合が修復できなかったので、昨日は、ドライブの入れ替えを行いました。ショップの新春売り出しで、コンボドライブが1480円ディスク50枚とドライブの値段が同じです。説明書もコネクタコードも何もありません。1年持てばいいですか。今はSATAが主流のようで、昔の型式は1台しかありませんでした。中を開くついでに、いつ壊れるかわからないハードディスクも入れ替えることにしました。中古で買ったPCなのです。IDEのものは1台しかありませんでした。ほとんどSATA型式です。500Gとのご案内でしたが、300Gしか認識しません。変ですね。セットアップが大変、夜中になりました。古いPCの中身が新しくなりました。ボクの心の中身も、お正月にふさわしく新しくなるといいです。
2009年01月03日
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あけましておめでとうございます。初礼拝に来られる皆さんと祝詞を述べ合うのは楽しくすがすがしいことです。しかしはたと考えると、何がおめでたいのかと。とりあえず、天が裂け、燃えさかる硫黄が降らず、地が揺り動かされ、ものみな崩れ去らずに、新年を迎えられたことを喜びましょう。
2009年01月01日
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