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郵便局まで歩いたついでに、コンビニに寄った。ここは窓際に小さなカウンターがあり、座れるようになっている。アイスクリームを一つ買って、カウンターに座った。店員が来て、ブラインドを下ろしてくれた。老いたる男が一人、コンビニでアイスを食べる姿が、どう映るか?微笑ましいのか?寂しげなのか?それとは別に、なんとなく心がハイになっている。入り口ドアが開けば、幼いわが子たちが入って来て父さんと一緒にアイスを食べよう、とそんな光景を連想。そうボクの心は、少しも年取ってはいない。外見とのギャップがはなはだしい。老人社会が来てドアから入ってくる客は、ほとんどが老人。彼らもきっと心までは年取っていないのだ。
2019年01月28日
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安藤脩さんは、基本的には神学生時代から変わらなかった。しかしすべての点で磨きがかかっておられた。卒業以来、召された神様に忠実に歩まれた結果だろう。メッセージの言葉が良く選ばれていて、耳をそばだてて聴かずにはいられなかった。うれしい! 感謝だ。ボクも負けてはいられない!
2019年01月21日
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明日の礼拝は、安藤 脩牧師が、ボクたちの家庭集会に来て、メッセージのご用をしてくださる。ボクたちは、東京聖書学校の同窓。ボクと妻が日本キリスト教団の教職を辞任して以来、安藤先生とは別々の道を歩むこととなった。安藤先生は、日本キリスト教団の教職として、無事に任期を満了された。直近にご奉仕なさった教会は、「横浜岡村教会」だ。まったく行き来がなかったわけではない。横浜の教会の機関誌「岡村の泉」を毎回、丁寧なお手紙を添えて、送ってくださっていたから。またかつて箱根で「日本ケズイック」が行われていた頃は、そこでお会いしていた。安藤先生が隠退されて、なんと茨城の筑波方面に居を据えられたのだ。ご用をお願いしたら、2つ返事でご快諾くださった。うれしいなぁ。「神のなさることは、時にかなって美しい。」(伝道の書)とは、このことだ。
2019年01月19日
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息子が払ってくれていたのだが、自分が世帯主に復帰したので、新たに支払いの申請をした。視聴料を払っていると言うことは、ボクもスポンサーの一人となる。スポンサーの意見を聞くべきだ。1,視聴料高すぎる。半分以下に下げるべき。2,企業のスポンサーなしのせいか、自局の宣伝ばかりしている。やめてほしい。3,ちゃらちゃらした番組は民放に任せ、骨太の番組を作るべき。
2019年01月18日
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ウェスレアン・ホーリネス教団の新年東京聖会へ行く。午前と午後の2つの聖会に参加した。2019年スタートにふさわしい霊性に触れるのだと思うと行きの電車の中で、心を弾ませた。結果は、満足のいくものだった。キリストの福音と聖潔の正道(まさみち)を示されたと思った。語られたとおりに、聴いたとおりに生きれば良いのだと思った。キリスト信徒である喜びに、安らかに家路についた。
2019年01月14日
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礼拝の後、母が叔父(彼女の弟)を訪ねたいというので、叔父宅まで車で連れて行く。30分と少し。母と叔父は、2歳違いの仲の良いきょうだい。道すがら、88歳の叔父を、「あの子」なんて呼んでいる。途中、スーパーに寄り菓子などを土産に買う。2人の話をそばで聞いていると愉快だ。老いの話から、病気、病院、息子、仕事、若い頃ありとあらゆるところに話が切れ目ない。どこかで聖書の話を挟めるかな? と話の切れ目を待っていたがだめだった。
2019年01月13日
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お便りをいただくたびに、祈られていることを感じる。それは、キリスト信徒である喜び。離れていても祈りを交わす。祈りの声は人工衛星に届く電波のように、きっとこちら側に跳ね返ってくるのだ。たとえ地球の裏側からでさえ。感謝さえ、ささげられているのだと思う。祈りは神様に届き、神様がご嘉納くださっているのから神様ありがとうと、いつも結ばれる。祈りが神様に届いているので、ボクたちは弱さの中で倒れそうでもなお立ち続けている。支えられている。
2019年01月10日
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朝6時20分に気づくと、外が白みかけている。気持ちが高揚して掛け布団を寄せる。いつにない動作だ。冬の身支度は時間がかかる。やっと着込んでも、ホットカーペットを点けたり石油ストーブに火を入れたり湯を沸かしてうがい、そして番茶を一ぷく。デスクに座る頃は7時にもなる。朝一番に聖書を開くためには、とうてい時間が足りない。朝一に聖書を開く恵みを知り抜いているはずなのにそれでも怠るのは俗物。それでもかろうじてコリントの信徒への手紙Ⅰの15章を読み天の御国の憩いと地上の勤労を読み比べた。
2019年01月08日
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昨日が「小寒」「大寒」は1月20日2月4日の「立春」まで列島は寒さに閉じ込められる。一日一歩づつ、たどるとしましょう。
2019年01月07日
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3が日も過ぎていきました。こんなふうにして、2019年も見る間に過ぎていきます、きっと。日常こそ、人生の全部なのですね?元日 妻と少し長い散歩2日 弟と外出3日 妻の弟が遊びに来る家族、親族と共に過ごした正月。2人のわが子たちとはメールやりとり。天国で生きている長男を心に感じながら。彼からはメールは来ないな。
2019年01月04日
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普段の日と一見何も変わらない。しかし静かだ。晴れ渡り風もなく年の初めはいつもこうありたいと思った。スタートだけでも、こうありたい。妻と近所の公園まで歩く。親子が遊んでいた。これも正月の安らかな景色3800歩
2019年01月01日
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