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ペンテコステ・聖霊降臨日に祝福あれ「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」1章13-14節あの主の日以来、イエス様が約束された聖霊が来て下さいました。聖霊が私たちと共に永遠におられます。ペンテコステは教会の暦に記されていますが、私たち信徒個人にも、聖霊に満たされる経験があります。個人的なペンテコステの日をも、私の個人史に記したいです。そして日々更新したいです。皆さんに祝福がありますように。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年05月31日
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「エフェソの信徒への手紙」の6回目のメッセージのために準備しています。この手紙を連続で取り上げようと思ったのは、母教会時代の友人が、奥様の形見のテープをボクに下さったからです。今は亡き蔦田二雄先生の「エペソ人への手紙」の礼拝での連続説教です。今日は蔦田先生のテープの11本目を聴きました。自分の説教のヒントになればいいかと。しかし蔦田先生は独自の世界を展開されています。たとえば「白と黒」が胸のすくように明快に区分けされて確信を持って語られるのです。聖書のメッセージを伝えるのに「名人」とか、「独自の」とかいう言葉はそぐわないかも知れません。浅薄な意味でそう言っているわけではありません。聴けばわかります。確信に満ちた言葉をもって聖書の言葉の「深さ」に連れて行ってくれます。だれもマネの出来るものではありません。「説教を聴く喜び」こういう説教に、礼拝に来られた信徒は歓喜するのかも知れません。「この説教をする牧師が勤める教会の信徒である」という喜びも誇りもあるのでしょう。これがプロテスタント教会の醍醐味というものでしょう。顧みて、自分の説教とは何なのか、と決まって思いはここに落とされます。表面的に整えられた言葉では、人の心は打たれない。説教を取り次ぐ者の全人格からほとばしるものがなくては聴衆はぜったいに満足しないでしょう。説教は説教をする者の全生活の集大成なのです。聴衆は、説教者の信仰の浅さをも見抜くと思います。こうなると、祈りの足りなさを痛感しますし、今日まで、内面に築き上げてきたものがあまりにお粗末なものだったと気づきもう説教を取り次ぐ気力をなくしてしまうのです。
2009年05月30日
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マスクを自作してみました。パンツのゴムひもを裁縫箱から見つけ、適当に切り、輪にして、糸で留めます。2本。キッチンタオルを2枚、適当にずらして重ねます。縦に2つ折り両側に輪に作ったゴムをはさんで横に3つ折り。口元に充てるティッシュペーパーを入れてハイ出来上がり。きつめに作ったので、バチッとはまり鼻に当てる針金は必要ありません。のりも両面テープもいりません。とてもしっかりしています。折り紙の楽しさでピンポ~ンでした。これをはめて外を歩くかどうかまだ決心していません。
2009年05月29日
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文章を書くときは主観的な自分がいる。読み直すときは客観的な自分となる。
2009年05月28日
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毎朝の祈りの時間は6時半信徒さんが来られることもあり来られぬこともあり。夜明けが早まってボクもちょっと早めに起きて座り楽天広場の人たちのことを祈るようになった。個人的なメールのやりとりなどで名前がわかっている人はいいけれどハンドルネームだけで祈るのは、ちょっと気合いが入らず。
2009年05月27日
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日曜日に出しておいた傘立てを仕舞おうとしたら雨水がたまっていた。こんなに降ったのか。
2009年05月26日
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一人暮らしの息子はコーヒーに凝る。ボクも凝る。息子は自分のものを買う時に、ボクの分も買って運んでくる。いい息子さ。舌にピリッと来る美味しさ。喉を通ったあと、甘みが残る。淹(い)れかたにもよる。がりがりと挽くのは一日一回。主に朝である。昼・夜はスーパーで買う粉か、インスタントコーヒーか。つまりコーヒーを一日3回飲む。付き合わされる妻もいつの間にかコーヒー党になる。「コーヒーは 内臓にイイのさ」そんなふうに言いくるめられて。
2009年05月25日
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医学を知らない者の私見ですが。今、はやっている新型風邪の感染力には驚かされます。しかし弱毒性だということに救いを感じます。多少の広がりは仕方ないから、弱毒性のママ静かに終わって欲しい。この風邪の怖さは、ぶたが発生源と言うことにあります。動物の風邪は人には移らないと言われて来ました。人には人の、鳥には鳥の、ぶたにはぶたの、というように、病気にも棲み分けがあります。ぶたから人へ、人から他の動物へ、また人へ移るたびに形を変えるかも知れない所に本当の怖さがあります。ウイルス恐るべし。たとえばエイズはアフリカのチンパンジーの風土病でずっと以前から存在していたと、読んだことがあります。それが突然人に移り、全世界に蔓延しました。どうしてそんな事が起こり始めたのか、それは謎です。世界は曲がり角に来ていてもう大きく曲がり始めている、そんな気がする昨今です。
2009年05月23日
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今朝の新聞に、簡単なマスクの作り方が載っていました。キッチン・ペーパーと、ティッシュ輪ゴム、両面テープ、パンなどの袋の口を閉じる柔らかな針金それをうまく折り畳めば市販の紙のマスクより、性能がいいものができるそうです。マスクが売りきれでも心配はいらなかった。
2009年05月23日
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今日という日の扉を閉じようとしています。主よ、感謝いたします。あなたが明日という日を備えられるならわたしも明日のために祈ります。明日、あなたに従う者としての良心に従って歩めますように。わたしの良心をテストさなる場所にわたしを導かれるときにはあなたに助けられて、そこに進んで身を置きあなたに従う者としての勇気と愛を証できるようにお導き下さい。では主よお休みなさい。
2009年05月22日
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今日は「マタイによる福音書」を通読した。この福音書は、八ヶ岳のように幾つもの峰を持っている。5章から,主の説教がまとめられていて「山上の垂訓」と呼ばれている。ここは、キリスト教倫理の代名詞となっている。「右の頬を打たれたら、左の頬をも出しなさい」とか「狭い門から入りなさい」とか、良く知られている言葉が幾つもある。何百回読んでも心引き締められる。その一滴(ひとしずく)でも身につけたいと願う。23章には「あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。」これほど、明確に「先生と呼ばれてはならない」と言われているのに、どうして「先生」と呼ばれて、「はいはい」などと返事をしているのか。読む度に心揺さぶられる。25章の「10人の乙女のたとえ」「タラントンのたとえ」「羊と山羊を分けるたとえ」この3つのたとえは、汲んでも汲んでも、心おどる味わいが尽きない。聖書読みになってよかった!
2009年05月21日
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今朝家を出るときに「ウチもマスクを買っておくほうがいいかもね」「じゃぁ、買っておくわね」家に帰ると「もう売ってないわ、マスク」そういえば、今朝の新聞に20個まとめ買いをした主婦がいたと書いてあった。
2009年05月19日
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生協ストアで「沖縄もろみ酢」というのを手にとって眺めていると相棒が来て「凝らないでね!」目の輝きを看取られた。
2009年05月19日
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おとといは、キリスト教ラジオ放送FEBCの取材がありました。「東海の牧師たち~今あるはただ神の恵み~」という番組に使うそうです。用意していた原稿を、来られた方に見せると「話に具体性が乏しいですね」一応やってみましょう、と言うことで性能の良さそうなICレコーダーを前にして原稿を読みました。「10分で終わりましたね、 20分の番組なのでもう少しお話し下さいね」そこでインタビューとなりました。なるほど、問われるままに話す方が用意した原稿内容よりもよさそうです。FEBCはここ→ http://febcjp.seesaa.net/
2009年05月18日
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今日の日曜日は、お向かいの神社のお祭でした。年に一度で、屋台も出たのですが、あいにくの雨模様夜に入って風も強くなりました。ボクたちの夕礼拝が終わる頃、あちらでも音がしなくなりました。早々に仕舞いにしたようです。「雨にたたられた祭はかわいそうだな」そうつぶやいたら「静かでいいじゃない?」と相棒。「教会が向かいに来たから雨の日が多くなった~ そんな風に思われたらやだよ」「でも以前からこのお祭は雨にたたられると皆が言うよ」ボクたちのお祭は年に52回喜びの歌を天に響かせる。聖霊が降ってくる。雨だから出足が心配と言うこともない。ボクたちのお祭は、主との真実のお交わり。真実の礼拝だ。おそらくはお向かいのお祭りよりは10000000000000倍も楽しいだろう。
2009年05月17日
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来たわが国で集団感染の兆し。発症したなら普通のインフルエンザに準じて恐れずたんたんと治療を心がけます。まだ毒性が弱いから今は大丈夫。気を強く持とう。子供たちは強い。きっと大丈夫。そうだボクたちは決して負けない。薬の力ではなく命の力で勝つんだよ。
2009年05月16日
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生きるということはかかわり続けるということ。「寝たきりになり何もできなくなっても 生きていたくない」口癖のように言っていたひとがやがて寝たきりになった。寝たきりになって数年ゆっくりと衰えていく。それでも家族や若い時に世話になった人々そして教会の信仰仲間が定期的に訪ねていく。うれしそうだった。それでいいのです。生き死には神様と皆さんに任せて生きる限りかかわりを喜び続ければいいのです。
2009年05月16日
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もう「昇天日」が間近で、遅きに失する話なのですが。「キリストの復活」ってホントにあったのかな?なんて考えることがあります。疑い出すと、まず疑った人「トマス」が思い浮かびます。「トマスは偉いな」と思います。主はトマスに「見ないで信じる者は幸いです」とおっしゃいましたがちゃんと傷を見せておられる。トマスは見て信じているのです。トマスはもうけたよね。パウロはどうでしょうか。トマスとはだいぶ違います。「もしキリストがよみがえらなかったら、私たちの宣教は空しい」そこまで言い切っています。「パウロさん、そんなにがんばらなくても大丈夫」ボクはそんな風に言いたくなるのです。でも少し考えればすぐわかります。パウロさんの言うとおり!主がよみがえらなければ今ボクと一緒に生きてくださる主は「幻影」になりかねません。ボクは4つの福音書の中でも、主がよみがえる場面が特に好きです。あのばたばたした時間が。弟子たちは、まるで運動会をしているではありませんか。その臨場感のすごさは、作り物ではない、というのがボクの結論なんです。ぜったいにその結論に行き着くので時々、楽しく疑ってみたくなります。
2009年05月15日
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「ご迷惑でしょう」余計な心配ご無用という気になる。少しも迷ったり、惑ったりしていません。誠心誠意です。でもイヤな顔を見せたらごめんなさい!
2009年05月15日
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今日は身体を持ち運ぶのがつらい。体が重いのか、足が弱いのか、高々1キロの道がつらい。
2009年05月14日
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「行きたくなった!」突然明るい顔で言うので「えっ、イスラエルにか!?」便意を催した?
2009年05月13日
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極端に口を耳元に近づけているので聖書を開くことができず覚えている幾つかの聖句を語る。「主われを愛す」を歌うと一緒に歌われた。「主の祈り」も一緒に唱和できた。「神様はこんな者に目を留めてくださっているので、 うれしいです」と。それからすでに天国にいった教会の友と夢で話していたと。このままで、あなたも静かに天に移されるのです。
2009年05月13日
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晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨晴曇雨春の天気は変わりやすいボクの心は1年中 春
2009年05月12日
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予想通りの夏が来た突然の夏が来たもも引をステテコにはきかえ長袖シャツを脱いだ朝それでも暑かった5月10日(日)
2009年05月10日
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説教の準備に熱が入って来るとキーボードを打つ手に力が入ってくる。ディスクトップパソコンでないとぜったいキーボードを壊してしまうと思う。こわれても中古でなら500円で買えるのでばんばん叩くことができる。それにしてもこのキーボードは何年使っても壊れないなぁ。
2009年05月09日
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今週、お茶の水CLCに寄ると「豊かなる恵み KISHIKO」というカセットテープが、バーゲン品200円で売っていた。買わない手はないな。家でさっそく聴いてみると讃美歌、聖歌がゴスペル調にアレンジされて歌われている。初めて聴く歌もある。これ、いいな。KISHIKOさんに興味を持って検索してみた。ブログもあった!
2009年05月09日
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礼拝説教として「エフェソの信徒への手紙」に取り組んでいます。説教の参考として、蔦田二雄先生の録音テープを聴きながら。この手紙は短いものですが、内容が思想的でもありまた瞑想的でもあり、濃厚というか、語りきることに困難を覚えます。蔦田先生も困難を感じて居られるようにも思います。前の説教の振り返りが多く、これが分量が多くなっている一因であるようです。1回のメッセージでは語りきれない、それがこの手紙の特徴のように思います。聖書の説教の聞き手としての自分の会衆のその一人一人のお顔を思い浮かべながら自分の語るべきメッセージはいったい何で、どこなのか蔦田先生のメッセージを聴きながら、考えあぐねるのですもう金曜日、あぁもう・・・
2009年05月08日
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ボクは主をほめたたえています。今現在も主をほめたたえています。ボクの生そのもので主をほめたたえたいです。ボクがどんなに沈んでいてもそのために主の価値が変わることはありません。だから主をほめたたえています。だから鼻歌を歌っているなどど思わないで。主をほめたたえているのですから。
2009年05月07日
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とりあえず、主をほめたたえましょうとにかく、主をほめたたえましょう
2009年05月05日
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少しお歳を取られて。車での外出時に行く先を忘れて帰ったと。信徒さんに話したら「もう車はだめです」と言われ。車が大好きな人が車をおやめになり。その牧師さんが語る「説教」に耳を傾ける機会があった。穏やかでやさしい。聖書のお言葉が静かに胸に満ちた。
2009年05月04日
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今日は3回も見た。目がうるうるして来たとき、ちょうどウチの朝食。「お父さん、早くお祈り」ちょっと待ってよ。今祈り出すと、涙声になるもの。
2009年05月02日
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