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今日はひさびさに会社ネタ。最近ミラノの天気が雨続きで寒かったり、急にぽかぽか暖かくなったりするものだから、周りに風邪を引いているひとが増えてきた。そういうわたしもいつもランチを一緒に食べる同僚たちから先週しっかり伝染されたけど。ちょっと前にしょっちゅう夜遊びをして、朝そのまま会社に直行してくるラケーレが、ある日声をガラガラにして会社に風邪ウイルスを持ち込んだことから始まる。それを皮切りに、わたしの後ろの席のアンナも高熱を出して2日ほど自宅でダウン。続けて同僚たちがバタバタと倒れていった。ラケーレとアンナの2人が同時に休んだ日には レセプションの雄雄しいセイウチのような雰囲気を持つマリーナとわたしだけで寂しくBARで昼食を取ることになったのだ。わたし「今日もなんだかどんよりした天気でイヤになるね。」マリーナ「天気だけじゃないわ、わたしも昨日の夜から調子が悪いのよ!」大声わたし「え~、あの2人に風邪伝染されたんじゃないの?」マリーナ「体が熱いの。きっと熱があるわ!今日アンナマリア(秘書兼レセプション)有給取って休んでなかったら、わたしは絶対来なかったわよ!!」と具合が悪そう、というより不満そうであった。この言葉からわたしは次の日マリーナは絶対病欠を取る、と確信した。そうなのである。彼女は「病欠女王さま」なのだ!彼女のお父さんはお祖父さんから代々のしゃちょ~さんである。ミラノでは超珍しい庭付き1戸建ての豪邸に住んでいるお嬢さまなのだ。(ちょっと郊外だけど)なので、お金の心配などまったくない結構なご身分なのだが、年齢が年齢な上に暇つぶしに働いている感じがする。で、会社に来るのは気まぐれで1週間のうち2日休むこともざらなのだ。入社当初は朝に会社に具合が悪そうに電話をかけてきて「ゲホゲホッ。今日は休みます。」とちゃんと言って休んでいたのだが、休む日が増えるにつれ、その理由は「父が突然倒れたので。」とか、「弟がクレーン車の下敷きになったので病院に付き添わないと!」とか「昨日の嵐で庭の木が家に向かって倒れてきたので修理しなければ!!」とか、だんだん嘘か本当かわからないようなものになっていった。去年「マムシに噛まれたので数日休みます。」とアンナマリアの携帯にメッセージが送られてきたときにはもうわたしたちは目が点になったのである。最近そんな彼女に慣れて来たわたしたちもちょっと前まで「明日は彼女、きっと休むよ。コーヒー賭ける?」と遊んでいたが、それにすらだんだん飽きてきたし。。。汗こんな有様なので社長が相当頭に来るのは当然のことである。ある日、彼女は呼び出されて月給から日給に変えさせられてしまった。社長はこれで彼女が懲りる、と思ったようだが、彼女はこれで激怒してしまい、ますます会社に来なくなったのだった。(←そんなに会社に来たくないなら、なんで自己退職しないかも、今までクビにならないかも、不思議)***話は戻して次の日。彼女はわたしの予測どおりしっかり会社を休んだのである。しかも今回はなんとご丁寧に医師の証明書をFAXで送ってきたのだった!!いつものごとく会社の野次馬一同がぞろぞろと集まった。イタリアの医師の証明書は2枚必要なのである。1枚は赤い枠取りがなされたA5サイズほどの紙に診断を受けたことが書かれているもの。もう1枚はその医師によって書かれた証明書である。証明書には解読が不可能に近い殴り書きでこう書かれてあった。(ちなみにイタリアの医師の診断書はたいがいこうである。お医者は字を学ばないんだろうか?)「マリーナ メローニは病気です。よって8日間の自宅休養が必要であるとする。」びょ、病気です???普通、インフルエンザとか、肝炎とか、なにか病名を書かないか??説得力が無さ過ぎる!!アンナマリア「めちゃくちゃ怪しいけれど。。。医師が患者のプライバシーを守って病名を記述しないってのも考えられるわ。」そうかなあ?(←一同の声)会社にその日から復帰し、しげしげと2枚の紙を見比べていたラケーレが顔を上げた。「これは偽物よ、賭けてもいい!」ええ!どうして?「よく見て。」とラケーレはホワイトボードに2枚の紙を貼り付けた。「筆跡は見比べたところ、同一人物の手によって書かれたものよ。そして、スタンプされている病院名も住所、電話番号も同じ。」ふんふん、と一同でうなづく。「でも、2枚の紙の担当医師の名前が違う!そして日付が違うわ!!同一人物によって同じ日時に書かれなければならないのに、どうして違う名前で日付も違うのよ?!」あああああ!!!!一同はラケーレの推理力に感嘆したのであった。(←というか、間違い探しクイズ)しかし、そこでどうしてマリーナに「謎は解き明かされた!観念しろ!!」と誰が言えるだろう?なすすべもなく、この余興が済んだところで一同ゾロゾロと仕事に戻ったのであった。ちなみにこの日は9月20日だった。***そして昨日、9月28日。診断書どおりならば、いつもは朝一番に来るマリーナが会社の鍵を開けてレセプションにいるはずである。。。マリーナが来ている日なら2番目に来るわたしはドアを開けようとしたら、閉まっていた。。。。汗仕方なく門番のところに鍵を取りに行って会社を開け、電気をつける。マリーナ、どうしたんだろう?しばらくして全社員が入ってきた。アンナマリア「マリーナは?」わたし「いない。たぶん日にちの計算間違いをしてるんじゃないかな?」(←ちょっと嫌味)マッシモ「え~、もうこのまま会社に来ないんじゃないの?」ラケーレ「いやまだ調子が悪いのかも。」(←もちろん冗談)そのあとまたしばらく野次馬一同でわいわい言い合っていたが、飽きて仕事に戻った。マリーナの直接の上司であるアンナマリアはしばらくマリーナからの連絡を待っていたが、何も無いので思い切って電話をした。わたしたちはそのやりとりは聞けなかったのだが、電話の後アンナマリアが困ったような、泣きそうな表情をしていたので「どうしたの?」と慌てて聞いた。アンナマリア「マリーナにね、もう8日経ったのにどうして出社しないの?って聞いたのよ。」うんうん。アンナマリア「そうしたらね、ひどく怒った声で「あの8日間のI GIORNI LAVORATIVI (月曜日から金曜日の通常の会社営業日) のことです!だから計算したら今週の木曜日までが自宅休養でしょ!?」って噛みつかれちゃった。その声があんまり元気なものだから「そんなに元気ならば会社に来なさい!」って言い返したんだけど。。。」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。大汗 本当ですか?病欠って具合の悪い日数を計算するんだよね?それにはもちろん土日も含まれてるはず? いや、土日は気分的に元気になるから計算しないか??有給日の計算じゃないよねえ~。。。ここはバルゼレッタ(イタリアのバカバカしい小話)だらけで有名なナ◎リやロー◎ではない。マリーナは普通のレセプションでカラビニエリ(軍警察。ば◎で有名。)でもない。イタリアNo.1の商業都市ミラノで起こったこんな実話に触れることが出来たのである!なんだかちょっとうれしかったような。。。。ゲホゲホッ。こんなことを書いていたら胸が苦しくなってきた。明日は頭痛で会社を休むか。。。。あ、ちなみに今日もマリーナは休み。
2005.09.29
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先週末は久しぶりに暖かな太陽が戻ってきた。でも弱々しくて霞がかかったような感じで、やっぱりもう秋なんだな、とちょっぴりおセンチになった。せっかくいい天気になったので外に飛び出したかったが、この変な天候にすっかり風邪を引いてしまい、前夜ベッドに入る前に薬を飲んだせいもあってか、やたら眠くて土曜の朝早くおっとが「クルマを整備工場に持って行くからね。」(←整備好き)と起き出したときも、夢うつつで聞いていたし、朝11時ぐらいにカルラがお父さんの畑で採れた野菜をおすそ分けに呼び鈴を鳴らしてくれたときにも気がつきはしたけど、起き上がる気力が無かった。やっと昼過ぎ、おっとが帰ってきていつものごとくベッドから蹴りだされるぎりぎり5分ほど前に目が覚めたのである。昼食には前夜、カルラたちをうちに呼んで寒いのに冷たい魚介のスープ、セビチェと冷えたすし飯を使った冷たい具たくさんの手巻き寿司を作った残りがあったので、それを食べた。あああ~、昨夜のこれが風邪の引き金を完全にひいたよな。。。しかしこの冷たさのおかげでわたしは完全に目が覚めた。しかしおっとは逆だ。このアンデスの高地育ちのおっとにはこれぐらいの寒さも、冷たい食べ物もへではないらしい。冷たい残り物にも文句を言わずきれいに平らげ、TVをつけてソファにごろりと横になったかと思うとぐ~ぐ~、いびきをかいて寝入ってしまった。わたしはせっかく目が覚めたのに、こんな天気のいい日に冷たい石造りの家の中にいるのがもったいない。きっとこんなところにいるほうが風邪が悪化するに違いない。クルマが運転できるなら、こんなおっとを放っておいてドライブに出かけるのに。。。とうらめしく外を見ながら、何もすることがないのでTVをBGMに先日目目さんに借りた本を読んでいた。本は結構おもしろくてあっという間に読み終わったのでまたすることがなくなってしまった。外に出たい。クルマの運転が出来たら。。外に出たい!クルマの運転が出来たら。。。。!!外に出たい!!クルマの運転が出来たら~~っ。。。。!!!(←風邪でも出たがり)夕方5時。そろそろ日も暮れかけたころ、とうとうわたしは我慢が出来なくなっておっとをソファから蹴落としたのであった。わたし「運転練習したいから、外に行こうよ!」おっと「いいよ、鍵はここだよ。行ってきなよ。」わたし「まだひとりじゃ不安だから同乗してよ!」おっと「独りで運転がこわいならもう、運転したいだなんて考えるのはやめるんだね。したいならどうぞ、ぼくは行かない。」わたしはひどく迷った。まだ、すごくこわいけど。。でもそうだよ、一人で運転出来ないのであれば、何のために大枚払って自動車学校に通ったんだよ?ここは田舎道だし、通いなれた駅までの練習ならきっと大丈夫なはずだ!わたしは決意し、2階で着替えて降りてくると、おっとがしぶしぶ着替えているところだった。わたし「あれ、行かないんじゃなかったの?」←ちょっとうれしいおっと「行きたくないけど、またぼくのもんで男くん、壊して欲しくないし。」わたし「。。。。。汗」経過はともかく、ふう、やれやれ、毎回おっとを連れ出すのは至難の業である。運転席に乗ってエンジンをかける。ミラーを調節していると、階下のパンク家族のクルマが前に滑り込んできた。小さなバレンティーノが跳ねながら降りて来て、続いて奥さんのバルバラが降りてくる。バルバラは「気をつけなよ?!」と蒼白になっているわたしに向かって心配そうに声をかける。まったくだ。ただでさえこわいのに、子供が前にいるとこわくて発進ができない。2人が無事、家の中に入るのを見届けてから発進した。我が家の周りは狭い路地だ。最初から第一関門である。後続車がいない幸運に感謝しながらノロノロと路地を抜け、駅に向かう道に行こうとすると、おっと「練習がしたいなら、こっちだよ。」と行ったこともない道に連れ出されてしまった。よく知っている道ならともかく、たとえ田舎道で他の車がほとんど通っていないにしても、知らない道はどうなっているかわからないし、こわいものはこわい。ずんずんまっすぐ行くと日本じゃ見かけないけどイタリアじゃ普通のロータリーがあって放射線状に道が分かれているところまで来た。「どこに行ったらいいのっ!?」とほとんど悲鳴に似た声でおっとに聞く。おっとは「左。」と答える。左って言ったって、斜め上左か、真横左か、斜め下左か、どっちなんだよ!?とまどっていると、後ろからクルマが来てクラクションを鳴らされたので、慌てて斜め上左の道に入った。おっと「ちが~う!!左だよ!!!いきなり高速道路に入ってどうするんだ~っ!!!???」わたし「きゃ~~~っ!!!!!!!!」そう、わたしはスクーターでは最高時速60Km で吹っ飛ばすことは出来ても、クルマではいまだかつて時速30Kmを超えたことがないのである。ギアの4速なんて触ったこともない。おっと「何2速で走ってるんだよ?モーターがいかれるじゃないか?3速にしろ!」わたし「は、はいっ!」おっと「さっさと本道に入れっ!こんなところでもたもたするな!!」わたし「そういっても入る隙間がないよっ!!」といいながらびゅんびゅん横を突っ切っていくクルマの中に急いで泣きながら入っていく。おっと「バックミラーを見ろ!どんどん後ろがつかえてきてるぞ!!4速にして!」わたし「そ、そんな!出来ないよ!」おっと「出来ないじゃない!やれ!!バカヤロ~!!!」わたしは心臓をバクバクさせながら思いっきりギアを4速にした。突然モーターが軽くなってこわいほど速度が早くなる。やがて視界が開け、道路が4車線に広がった。おっと「方向指示器!」わたし「は、はひっ。どっち?」おっと「方向指示器って言ってるんだ!バカッ」わたし「左か右か、聞いてるんでしょ、バカ~~~~ッ!!!!!!」おっと「高速から出たいんだったら右に決まっとろうが~っ!さっさと曲がれ~~~~~~~~~~~~~~~~!!」わたし「あんたの狂った考えなんて知らないわよ~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!」わたしは後方をちゃんと確認もせずに怒りにまかせてギャンッと次の出口に向かう右車線に入り、めでたく高速道路から抜け出したのであった。ああ、まったくこの日はクルマが少なくてよかった。。。大汗わたしたちは怒鳴りすぎたせいで顔を真っ赤にして、はあはあ肩で息をつきながら突然田舎道に戻ったのどかな道を走った。おっとはすっかりすねて無言になり、わたしも黙って好き勝手にクルマを走らせたのである。気がつけば緊張はまだまだするものの、最初の恐怖が消し飛んでいた。おっともそのうち機嫌が回復してきたようで「駅前のインターナショナルフォンセンターに寄ってくれる?」と聞いてきたときにも、わたしは工事だらけで閉鎖だらけの道をなんなく切り抜け、思いっきり斜めながらも駐車場にクルマを突っ込むことも出来たのであった。家に着いたときも10回ぐらい切り替えししたけど縦列駐車もなんとか出来た。。。(向かいの壁をガリガリこする寸前だったけど。)あとは、もっと慣れるまで練習を積み重ねないと。しかしそのためにおっとを動かすのが超一苦労である。*****PS.前回の日記ではみなさまにはいろいろなアイデアいただき、ありがとうございました!!全てをまじめに検討中でございます。そのうち形になった暁には必ずや日記にて発表させていただきます!(いつになるかは未定。。。)
2005.09.26
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昨日は目目さんと久しぶりに会った。昼休みに会社まで来てもらって、すぐそばのBARでランチをしてお喋りをした。目目さんはいつも、ヨーロッパ中を忙しく奔りまわっている。先週は韓国人のお客さんを連れてフランス、イタリアを廻り、クタクタになって帰ってきた、と言うがいつお会いしてもエネルギッシュなオーラを発しているひとである。しかし、それだけではとどまらず、何か新しい事業を始めたい、という提案にわたしも激しく同意した。だって一生ただのうだつのあがらない、へっぽこ平社員で終わりたくない、という気持ちがあったからだ。だが。気持ちは高ぶるが、何をしていいのかがアイデアが浮かばない。目目さんは全てのことに置いて、とても現実的で合理的だ。わたしは、というとまだ結構夢見がちで、目目さんには黙っていたが、「何か新しい事業」という言葉から自分の好きなものを作って売って。。。とちょっと妄想した。が。こんなセレブの奥様ちっくな甘ったるい考えでは「それでおマンマが喰っていけるビジネス」にはならんのだ!!!資金を少なくがっぽり稼げる何かいい手はないものか!?そして、思いついたのは、日本、韓国向けの輸出。簡単にイタリアのものを日本に輸出、といっても海外旅行、留学、国際結婚がだんだんと当たり前になってきた中、日本のイタリアのものを扱うサイトなどを覗くと「いったいどこのイタリアの秘境でこんなものを見つけたんだ!?」という珍品、貴重品が当たり前のように並んでいたりする。かといって、日本製のものをイタリアに引っ張ってくる、といっても結構この市場も広がってきていて、日本食材などは、我が田舎町のショッピングセンターでだって気軽に手に入るようになった。何かの店なんかはどうだろう?しかし、日本食レストランはあまりピンと来ない。ここミラノは最近、中国人、日本人入り混じっての日本食レストラン戦争が烈火しているからだ。目目さんとの話の中からうっすらと思い浮かべたのは我が同僚のラケーレと、おっとのはとこのルイス夫婦。いくら説明されてもよく理解できないのだけど、ラケーレは昔、誰かの替わりにある店の所有者になったことがあるので、まだ開店が出来る許可証を持っていて、いい店舗と資金さえ確保出来ればいつでも店が開店できるという。ルイスはずっと精肉屋で働いているので、それらのルートには詳しいらしい。ルイスの奥さんは実際友人たちと南米物産店を持っているのでそういった事情には詳しいはずだ。むむむむむ。。。。。きっと何かあるはずだよ、わたしたちが「外国人」である、という立場を生かしながらも、日常生活に馴染み易く、目新しいもの。。。。目目さんは:韓国語、日本語を自由に操るバイリンガル。料理もうまいし、旅行業、輸出入業で活躍している。目目さんのだんなさんは:韓国料理はめちゃうま(←特に納豆)、CGのことには長けている。クルマの運転もうまい。わたしは:関西弁と関東弁を自由に操るバイリンガル。PCを使った、ただの絵描き。しかし南米人をおっとに持つという変わった特技がある。←なんか書いててイヤになってきた。。。とにかく手持ちのカードはこれだけある。これらを上手に生かせれば。。。みなさん、なんかいいアイデア、ないかな??あなたのアイデア、採用になった際には実現する可能性大!!(笑)ヘルプ アス~~~~~。。。。
2005.09.22
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職場が家に近い、ということはうらやましい。そりゃあ、わたしたち一緒にこの家を見に来て、一緒に決めましたよ。でもさ、わたしがミラノの中心の職場までスクーターと電車と徒歩で小1時間、おっとが隣町の職場までクルマでたったの5分って。。。。。不公平すぎる!!!(←といっても、わたしの職場近くの家は高すぎてとても手は出せないけどさ。。。)しかしわたしはこの恩恵に預かっているところもある。今までわたしは自営業のおっと「秘書」兼「ぱしり」で、銀行から、税務署から、市役所から、会計士から、何から何まで貴重な有給を使い倒して「おつかい」にミラノ中を駆け回っていたのだが、今ではミラノの中心にある我々の銀行に行く以外は、仕事の途中におっとがちょいちょいと寄り道をし、ほぼ全部、自分でするようになったことだ。おかげで今までわたしに任せっきりで自分のしていることの把握すら出来ていなかったおっとが、だいぶしっかりしてきたので、まさに「一石二鳥」である。それが成せる技で、昨日おっとは仕事の昼休みにあわせて、自宅にて、不動産屋とお向かいの建築業者マルコに、集合をかけたのだった。中庭を隔てた向かいのマルコの家は、古くから1棟まるまる彼の一族のものである。わたしたちの家を工事始めた同じ頃から彼の家も改築を始めたのだ。なんせ1棟まるまるなので、今もなお工事は続いているが、何が美しいかって、わたしたちが入居する前にはすでに出来上がっていたオレンジ色に輝くきっちり並んだ瓦屋根。わたしたちの家の屋根を親方たちがへっぽこに工事している時点から、「いいなあ、あんな屋根。」とため息をつかせていたものだった。こうして工事責任者の親方を差し置いて、マルコを呼んだのは他でもない。最後にこの日記でも書いた「階段戦争」の翌日、おっとが親方に電話したところ「今週土曜日には本格的に足場を組んで大修復しますわ。」と言って置きながら、あっさりすっぽかされたのである。その土曜日は待ちに待って何度も親方の携帯に電話したが、電源が切られていた。しかしそれにもめげずその日から何度も電話をしたら、やっとつながって先週の「土曜日」にやっと約束を取り付けたのに、またもやすっぽかされてしまったからである!保険会社はあいかわらず何度電話をかけても「こちらからそちらに査定にお伺いする日をお知らせします。」と繰り返すだけで、一向に来る気配が無い。我が家の壁の四隅はすっかり湿った状態で何ヶ月も放置されたおかげで、1つの隅にはクロカビのようなものが目立ち始めたのである!!!ちなみにイタリアの雨季は冬。この夏も異常気象で雨ばかり続いていたが、このまま雨季に突入すれば、もっとひどいことになる。ここでおっとはおっとなりの計略を立てた。不動産屋とは直接話をせず、レダおばさんをまず家に呼んで状況を見てもらったのだ。今までの親方軍団の悪行をちょっと怒りを込めながらも、冷静に語って、「もうぼくは彼らを信用しません。でもこれからどうしていいかわからないんです。いいアドバイスはありませんか?」と、あらゆるゲイ、妻までがいちころなウルウル攻撃で相談したのであった。この家を紹介したのはレダおばさんだ。レダおばさんは個人で「ローンスタジオ」を開いている。彼女はあらゆる不動産屋と契約していて、お客の予算、ニーズにあわせて不動産屋のごとく売家を紹介し、お客が家を買うと決めた時点で問題なくローンが組める銀行を探し、銀行とお客の仲介に入ってややこしい手続きは全部代行する。そして本契約の際にお客と不動産屋から何パーセントかの手数料をもらう、という仕組みだ。レダおばさんはずいぶん昔に書いたのだが、おっとの友達のとお~い、遠い親戚なのである。おかげで全てのお客にそうなのかもしれないが、ずいぶんフレンドリーにお世話になった。今回の波乱万丈家購入までの道のりで、一番まともに、普通に働いてくれたのは彼女だけだったといっても過言はないだろう。レダおばさんは被害状況を見て、「ひどいわ。。。信じられない。これはアンドレア(不動産屋)のところのアルベルティーニ(親方の苗字)がやったっていうの?実はね、このちょっと前にも下水管がちゃんと工事されてなかったから汚水が道路の排水溝からあふれ出した家があったのよ。これもアルベルティーニがした仕事なの。こんなことが続くようなら家を紹介したわたしの信用まで台無しになる前にアンドレアのところと契約を切ることを考えないと。。。。」わたしはこの言葉を聞いて、こういうクールな考え方もあるんだな、と妙に感心したのである。そんなレダおばさんにクールな攻撃をされたのが効いたのか、昨日の昼には不動産屋はレダおばさんと一緒におとなしくマルコと同席したらしい。マルコが実際に屋根を見ながら丁寧に細かいところまでどこがダメでどこをこう修理しなければいけない、と説明したところ、不動産屋はショックを隠しきれないまま、「修理代は責任を持って全部ぼくが出すから見積もりしてください。」とお願いしたそうである。そりゃそうだ、思いっきりレベルが上の彼の作品がお向かいに見えるのだから。おっといわく、「瓦や使ってる材料は結構いいんだよ。ただ工事の仕方が悪かったんだ。」とマルコはなぐさめにもならないような言葉を不動産屋にかけたらしかった。しかし階段は、というと:不動産屋は階段業者の出した見積もりに仰天し、「こ、こんなの高すぎる!!たとえ半分でも絶対払えないよ!!!(前回はダイヤモンドでもいい、と言ったような気がするんですが?)」とどれだけ、今ついている階段が美しく、しかも丈夫である、ということを懇々とおっととレダおばさんに大熱弁を振るって、説明したそうである。レダおばさんも「見た目は結構ふつうよね。。」と不動産屋側に付いたため、おっとの形勢は非常に不利!結局、おっとは不動産屋に「落ち着いて考え直してよ。」とまたもや先延ばしにさせられたのであった!!くしょ~!!!!!!まあいいや、屋根のことだけでも一歩前進。。。この一部始終を聞いてわたしはおっとに提案してみた。「不動産屋に全部修理代は出させて、保険会社からも二重にもらえないのかな?」(←悪徳小市民)おっと「あ、考えなかった。どうなんだろ?」もらえたら新しい階段つけれるのにな。。。
2005.09.21
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「ああ、あのとき「ハウルの動く城」じゃなくて、「シンデレラマン」一緒に観ときゃよかった。。(←しつこいって?)」「昨夜はめんどくさいから またもやおっとに夕食作らせちゃったけど、最期ぐらい、わたしが作ってあげるんだった。。。」これはわたしが突然の死の宣言の前にとっさに考えたことだ。皆さんは自分が死ぬ、と悟った瞬間、いったい何を想うだろう?今朝はこうして無事に、いつもはイヤでイヤでしかたがない会社に着いたことを感謝せずにはおられなかった。***ミラノは今朝から急に秋になったと思う。今までもずっと雨続きで寒かったのだが、まだなんとなく夏の気配が残っていた。昨夜から雨がやんだ。今朝、雨戸を開けると空が急に遠くなって薄い青い空にうろこ雲が広がっている。外に出ると、空気がぴりっと冷たい。本気でクルマの運転の練習をしないと冬は凍死だな。。と思いながらすっかり夜明けが遅くなって来たため、まだ薄暗い道をスクーターを駆り、駅に着いた。駅前には先週?から学校が始まったおかげで人口は一気に増え、わたしのいつものお決まりの場所には別のスクーターが停まっている。仕方が無いので唯一空いていたスペースに停める。そこは普段ならいつものアフリカ系のひと(もう、表現が面倒くさいね!)のお決まりのスペース。わたしと入れ違いにアフリカ系のひとがやってきて、うらめしそうに睨まれた。しかし、ここは公共の駐輪場。つまり早い者勝ち。文句を言われる筋合いはないのである!汗電車に乗り込む。満員だったが、幸運なことに入り口のそばの向かい合わせの3人席のひとつに座ることが出来た。モンツァに着くとここは乗り換え地点の大きな駅なのでたくさんのひとがドッと降りた。そしてそれ以上の数のひとが乗り込んで来た。走るように空いたわたしのそばの2つの席に座り込んだのは:わたしの横に大学生らしいイタリア人の女の子。わたしの前にはイスラム系の薄緑のスカーフを頭に被った若い女性だった。わたしはわたしの前に座ったこのイスラム系の女性をなにげなく眺めた。イタリアにいるイスラム系の女性たちはスカーフを頭に被ってはいるが、下はトレーナーとか、ジーンズとか、普通の服装が多い。しかしこの女性はスカーフと同じ色の薄緑の上質そうな糸で織られた民族衣装をまとっている。上品なふちどりのバラの刺繍がステキだ。やがて、彼女はそんな服装とは不似合いな大きな黒いナイロン製のビジネスマンバッグから金の型押しがされた小冊子を取り出した。どうも彼らの経典のようである。彼女はそれにざっと目を通した後、急いでバッグの中にしまい、思いつめたような目で空をにらみ、ぶつぶつと口の中で何かを唱えだしたのである!今まで普通の雰囲気をかもし出していたのに、急に豹変した目の前の彼女にわたしはおじけづき、まじまじと観察をした。右手は例の黒いバッグをしっかり抱え、左手には。。。袖で隠れてちゃんと見えないが、何か小さな黒い塊を握り締めている。それにはキーフォルダーの輪っかみたいなのがあって、中指にそれを引っ掛け、人差し指では小さなハンドルのような、ピンのようなものを落ち着き無くはじいている。。。。これって、これって もしかして 爆弾!?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしの頭の中には去年ニュースで見たスペインの爆弾テロによる、電車の大爆発事故が鮮明によぎった。そして、一番最初に書いた、おっとのことを思った。手足の力が抜け、血がサーッと引いていくのを感じた。このひと、きっと「カミカゼ」だ!!!!なんとか未然にテロを防がなきゃ!!!!!!!!!!!!!!!!わたしは普段、電車で向かい合わせになったひとになんて、声もかけないし、いちいち顔も見ない。しかしこのときばかりは彼女の顔と、この黒い塊を凝視しながらうわずった声で「あなた、左手に何を持っているの!?」と真剣に聞いてしまったのである!そんなに大きな声で聞いたわけでもないのに、それまでなんとなくざわついていた車内の空気が一瞬収まり、乗客の目がいっせいに彼女の左手に向けられた気がした。彼女「え?」しばらく事態が飲み込めないようだった。そして「ああ、これね。」と手のひらを広げる。そこにはどうみたって小型爆弾にしか見えないプラスティックの塊があった。さっきの金属の輪っかとピンのようなものが映画なんかでよく登場するパイナップル爆弾みたいだ。カウンターがついていた。彼女「これはね、キリスト教のロザリオみたいなものよ。祈りを唱えるたびにこのカウンターで数えていくの。」この時点でわたしはまだ彼女を信用していない。「へえ。。。そうなんだ。」と言いながら少しでも彼女の顔に動揺が現れ、右手でこのピンを抜こうとするものなら、命を張って留めてやる!と、彼女の顔をまじまじと見つめた。しかし、彼女の説明に車内には安堵の空気が流れ、また何事も無かったようにざわつきだした。彼女もきちんと席に座りなおしてまたぶつぶつと口の中で念仏を唱えだした。わたしはどうしても信用がならず、あの彼女の服装に不釣合いな黒い大きなバッグも怪しんでずっと「戦闘待ち」のコチコチに緊張した体制で前に座っていたのだが、とうとう何事も起こらずミラノ駅に到着したのである。わたしが見張ってたから行動が起こせなかったんだろうか?悶々と会社に着いて、さっそくこの話をした。わたし「頭にスカーフを被った。。。」アンナ「ああ、アラブ人ね。」わたし「小冊子を取り出して。。。」グラツィエラ「ああ、コーランね。」わたし「黒い塊を爆弾だと思って。。。」アンナマリア「ああ、彼らのロザリオね。」わたし「「何持ってるの!?」って叫んじゃった。」全員「いくきーと!あんたって、失礼なやつだなあ!!」そう、知らないということはかなり失礼である。ただの信仰が厚いひとを爆弾テロと間違えるなんて。。。まだまだ移民大国イタリア生活、修行が足りないな、と思った今朝の出来事。***追記:rocさんのコメント、身にしみました。ご叱咤、ありがとうございました。本文にも書きましたが、無知は本当に失礼なことだと思っていますし、この女性には大変申し訳なかったと思っています。しかし、わざわざこのことを日記にしたのは、きっとわたしのように彼女の見慣れぬ行動や、あの黒いカウンターに勘違いするひとを少なくしようという狙いもありました。イタリア人がアジア国籍の人々と日本人の違いがわからず、時に馬鹿にしたような発言をするのは「偏見」だと思います。アジア人でデカセギに来る人でも、とんでもない荒くれなひともいれば、頭の良い人、礼儀をわきまえているひともたくさんいるし、見た目だけで馬鹿にするような奴のほうが、「無知」で「馬鹿」だと思っています。しかし、この日記ではわたしは女性を偏見では見ていません。例えば普通の服装をしたイタリア人が彼女と同じような状態で見たこともない何かの宗教の経典を取り出し、祈りを唱えながら爆弾のような黒い塊を手の中で隠すようにいじりはじめたら、きっと同じ行動を取ったと思います。最初は削除も考えました。しかし、まるで自己弁護のようで申し訳ないのですが、そういった理由でこの日記はこのまま残すことに決めました。みなさまにはご理解いただければうれしいのですが。。。
2005.09.20
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「タスケテ、タスケテ~!!」「シニョーラ、いったいどうなさったんですかっ!?」「ナイ、ナイ!!クルマ!!!」この会話は本当ならば今日である2年目の結婚記念日を日曜日に振り替えて、久しぶりに映画を見に行こうと、支度していた中のことだ。おっとが洗面所に行ったときのわずかの間におっとの携帯にかかってきたものだった。なにげなく、わたしは受話器を取って、この女性の声の動揺ぶりに、わたしもすっかり動揺してしまったのである。しかし、すぐにわたしは我に返って携帯の番号を確かめる。「ノーナンバー」。どうやら公衆電話からみたいだ。そしてこのたどたどしいイタリア語と、ガイジンなまりは聞きなれた南米人のものでも、日本人のものでもない。わたし「あの~、おかけ間違いじゃないですか?」女性「ワタシ、マルちゃんさんのトモダチ!」ああ。ちょうどそこにおっとが出てきたので代わった。おっとはしきりに「どこにクルマを停めたんです?」と質問を繰り返している。うんうん、とうなずき、「そこはね、停めたらダメなんです。きっとレッカー移動されたので、管轄の交通警察に探しに行かないと。。。」おっと「だから、管轄の交通警察です。番号はイエローページで探しなさい。え?いや、だから残念ですが、これ以上は力になれないですって!」と5回ほど繰り返した後、電話を切った。わたし「。。。誰だったの?」おっと「◎◎さん(おっとが雇うと言った我慢がならない国のひと)の奥さん。どうやら彼、友達の友達に借りたクルマを家の近くの駐車場の門の前に放置してレッカーされたみたいなんだよ。だから管轄の交通警察に行け、って言ったら滞在許可証がないからだと思うけど、イヤだっていうし、挙句の果てには雇用主が責任を持って取りにいけ、なんてこと言われたんだよ。まだ彼をはっきり雇う、とも言ってないし、そのクルマはぼくのものでもないのに。」わたし「ほらね、言わんこっちゃない。」おっと「とにかく、あのひとはNGだな。最低でもイタリア語でコミュニケーションが出来て、あの国は知らないけど、イタリアの交通ルールが守れるひとじゃないと。。。」わたしはこの言葉がおっと自ら出たのを聞いてホッとした。ん?あのひと、奥さんは祖国に置いてきたんじゃなかったっけ。。。?(もうどうでもいいや。)***記念日の出鼻がくじかれたような形でわたしたちはクルマで外に出た。はじめはしとしとと小雨が降っていたのが豪雨に変わる。2年前の結婚式の日はあんなに穏やかだったのに。。。クルマの中でこの2年間を振り返った。たった2年なのに、ずいぶん長い年月が経ったように感じられる。結婚直後は我が両親同伴、向こうの実家を訪ねるという、辛いエクアドル旅行。その後は、滞在許可証で苦労したよな。1年近くも手続きに時間がかかって、危うく去年の日本行きのチケットがフイになる、ぎりぎりで手に入れたんだっけ。。。その日本に行く時もおっとのルーズさで仕事の調整がつかなくなって、結局バラバラで飛び立ったんだよな~。日本から帰ったらすぐに家を見つけて、購入してからというもの、今の問題を抱えまくってるし。。。なんか結婚してからは問題だらけだ!しかしこんな中、おっとは劇的に変わったと思う。以前はただのちゃらんぽらんのお人よしだったが、現在はつたないながらも、ずいぶんと責任感が出てきた。わたしも変わった。以前は夢見るお嬢様で、深く物事を考えたことは数えるほどしかなかったが、結婚してからと言うもの、現実の厳しさに目覚め、というか、いやおうなく「現実」にいつ終わるかわからないパンチを顔面に受け続けている。そのため、ずいぶんぺシミスタになったと思う。(←これって単に性格が悪くなっただけ?)しかしこんな様子でいつまで結婚生活が続くんだろう?と記念日にしてとても心配になってしまい、深いため息をついたのだった。映画館に着いた。入館するとすぐ、その日上映される映画の数々のポスターが貼られているのが見えた。おっとは「あ、シンデレラマンがいいな。」とひとつのポスターを指した。しかし、わたしはすでに別のポスターに目が釘付けになっていたのである!宮崎駿の「ハウルの動く城」。日本ではもうすぐDVDが発売になるようだが、ここイタリアでは先週封切りになったのだ。オタクなわたしとしてはどうしても見たい。我慢が出来ない!しかしおっとは「君の観るアニメ、みんな同じじゃない。イヤだよ!」(←なぜなら宮崎駿作品ばかり持っているから。)わたし「あ、じゃあこうしない?あんたは「シンデレラマン」を観て、わたしはこれを観るの。上映が終わったらポップコーン売り場の前で待ち合わせね!」(←これがわたしが「冷血」だと言われる由縁。)おっと「結婚記念日だってのに。。。。わかったよ、君が観たい映画を観よう。」としぶしぶ折れたのであった。映画が始まった。おっとは最初から興味がないのでぽりぽりポップコーンをかじりだす。その音がわたしにとって耳障りである。そして誰かから電話があったみたいで、しきりに携帯を覗き込んでいる。わたしはというと、やっぱり強引にこの映画に決めてしまった後ろめたさがあってか、映画に入り込めない。と、いうかやっぱり今までの宮崎駿の作品と違って、あんまりおもしろくなかった。今までの上映作品のいいところだけをミックスして練り上げた、甘ったるい少女漫画みたい。ここまでして観たのに。。。と終わった後に妙な後悔がお腹の底に残ったのであった。出口でおっとを見ると、もう携帯で誰かと話している。しかしすぐに切って「あのさあ、ウイリアムが夕食に招待してくれたんだけど、行かない?」と聞いてきた。あ~あ、まただよ。いつものことだ。しかし今日は。。。わたし「あんたはどうしたいの?今日は結婚記念日でしょ?」と相手の動きを見る。おっと「行こうよ!セビチェ(エクアドルの魚介のスープ)を作るんだって。君、好きだろ?」わたしはため息をついた。おっとの答えはわかっていたはずだ。我が家でけじめがある、記念日なんて出来るはずないんだ。こうしてわたしたちはウイリアムの家に行き、彼の親族一同でだらだらとビールを飲み、だらだらといつものように酔っ払ってフラフラと夜中に家に帰り着いたのであった。(←まだ翌朝までに家に帰れただけマシ。)ううう、3年目はもうちょっとマシな過ごし方をしたい。。。。。。(って3年目があるのだろうか?)***写真サービスは本日を持って終了!(だって恥ずかしいし。)
2005.09.19
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屋根に続き、わたしはきっと悪夢の中にいるに違いない、と自分に言い聞かせた。おっとが「事業を拡張したいんだ。ワゴン車やトラックを買い足していって、雇用人を増やして。。。」とよく言っているのを わたしは「はいはい。家のことが落ち着いたらね。」とまだまだ当分先の夢物語として聞き流していたのである。だって、今のわたしたちはあらゆる面、特に経済面で追い詰められている。自分たちのその日の食費にさえ、悩まなければいけないところを「人を雇う。」→「もう1台、運搬車がいる。」→「どこにそんなものを買う余裕があるねん!?」と当たり前の公式が出来るではないか?!イタリア人ならともかく私から見たらどうしても「どこの馬の骨ともわからない」◎◎人(←わたしの我慢のならない国)なのである!おっと「◎◎さん、ちょっとシャワーを浴びてきていい?その後、家まで送っていくから。」とさっさと洗面所に引っ込んでしまった。夕暮れのちょっと薄暗くなったキッチンにはわたしとこの男がポツンと取り残された。わたしは深呼吸をして混乱した頭をリセット、男に振り返って「何か飲む?」と勤めて明るく聞く。男「No、何もイラナイ。」わたし「遠慮しなくていいのよ。ビール?ジュース?」男「じゃあお水クダサイ。」わたしはコップに水と皿に盛ったポテトチップスを出した。男は無言でおずおずと水を飲み、ポテトチップを1枚つまんでポリ。。と端っこをかじる。もっとこう何枚もつかんでバリッと行けよ!貧乏くさいな~。。。。。気を取り直してこの男を面接することにした。わたし「どれぐらいイタリアに住んでいるの?」男はうつむきながら「2週間。。。」とつぶやく。ええ?たったの2週間??おっとはどこからこの男を拾ってきたんだ?男「ピエトロさんにマルちゃんさんを紹介してモラッタ。」ピ、ピエトロ?おっとはまだ奴と友達なのか!?奴の紹介なんて、いい加減で胡散臭いにもほどがある!!わたし「歳はいくつなの?」男「26サイ。。。」げっ?26歳と言えば我が社のチプリアンと同い年だ。あいつは前記のように、セクハラ兄ちゃんでどあほうだが、もっとこう、若いがゆえの押したら跳ね返って来そうな弾力性がある、というか生き生きしたところがある。それに比べてこの男は。。。。ちっとも若いがゆえの生気がなく、世界の悲しみをまとめて背中にしょっているような悲壮感があって、一緒にいるだけで空気が重い。男「わたし祖国に2人の子供と妻と、母がイル。祖国は仕事がナイ。妻も母も仕事がナイ。わたし、仕事ホシイ。」あいたたた~。。このシチュエーション、そういや前にも経験したな。(エルトンのいとこ)わたしはすっかりこの男の持つ悲壮な雰囲気がイヤになってしまった。これが雪の降る道端で繰り広げられたシーンなら「これで何か買ってお食べ。」と5ユーロでも渡してさよなら、って感じだ。おっとの秘書兼人事としては、こんな男はNGである。やがておっとが洗面所から出てきてこの男を送りに外に出て行った。そしておっとが再び帰宅するのを待って「これはいったいどういうこと?」と問い詰めたのである。おっと「さっきも言ったけど、彼はなかなか安全運転だよ。祖国ではタクシーの運転手をしていたんだって。」わたし「あのひと、滞在許可証は持ってるの?運転免許証は!?」おっと「あの国、最近EU入りしたから、免許はあの国のもので大丈夫なんだよ。ただ滞在許可証は持ってないからぼくが警察に問い合わせないと。」わたし「それはさっき彼に聞いたわよ。わたしはピエトロの紹介ってのも、あの国出身ってのも、どうしても嫌なの!胡散臭いにもほどがあるわよ、あんたが一番よくわかってるでしょ?同じ雇うなら日本人で免許持ってる△△くん(無職。求職中。)とかのほうがよっぽど信用できるじゃない?!」おっとは鼻で笑って「△△くんとか、他の日本人がこんなきつい仕事、するわけないじゃないか?彼には言うなよ。」そうなのだ。ここイタリアではデカセギ組はどんなきつい仕事でも見つかればなんでもするのだが、日本人は違う。どれだけお金に困っても、職業に対する心構えが違うと言うか。。。。まあ、経済的に豊かな日本からイタリアに来て、3Kの仕事をするのってのはプライドが許すわけないか。。。。。わたし「それより以前に、うちの今の経済状況からどうやってひとが雇えるってのよ!?雇う、ってことは彼の運搬車も買わなきゃいけないのに、そんなお金、どこにもないじゃない?!」おっと「クルマは中古をローンで買えばいいさ。ぼくはね、君をもう働かせたくないんだよ。専業主婦になって好きなこと、していて欲しいんだ。」う、専業主婦。。。。この魅力的な言葉に、わたしはゴクッと唾を飲み込んだ。この長い人生、一度も「専業主婦」たるものを経験したことがない。ひがな1日TVの前で過ごしたり、料理の本を見ながら「ナントカ煮込み」みたいな、すごく手間隙のかかる料理を作ってみたり、晴れた昼下がりにおしゃれしてちょっと街までショッピング、なんてことを周囲の目を気にすることなく出来るのは、素晴らしいことなんだろう?とずっとあこがれ続けてきたのだ。こ~んなイメージとか、かなあ?うむむむむむむむぅ。。。。。わたし「でもね、あんたまだ会計士にも相談してないでしょ?こういうことって雇うと決める前に、ちゃんとしておかないと儲けがどれぐらいとか、税金とかの配分がちっともわからないじゃないの。」とちょっと弱気になって言う。おっと「それは彼にも言ったよ。だから今は待ってもらう状態さ。」わかったよ、よくわかりました。あああああ~、でもでもでもでも!!さっきのことをしつこくリピートするが、あの男は絶対イヤだ~~~~~~っ!!!!!!!!!!あの国出身、ってのも大きなマイナスポイントだが、仕事が欲しいくせに、やる気のエネルギーがちっとも感じられない。こんな男を雇うと、こっちまでどん底のさらにどん底に引きずり込まれそうだ。おっともいくら友達の紹介だからって、誰にでも簡単に「雇う」なんて言葉を発してはいけないと思う。特にこんな切羽詰ったやつは、大いに期待してしまって、ダメだったときのショックが大きいではないか?(←すっかり断る気満々のわたし)おっと「ピエトロがね、金曜の夜(つまり今日!)家に夕食に招待してくれたんだ。このひとも来るんだって。」わたし「わたしは絶対行きたくない。そうやってあの男とズルズル親睦を深めさせて、イヤでもあの男を押し付ける気なのよ、ピエトロは!」おっとは苦笑いして「。。。深読みしすぎだよ~。ただの夕食会だって。」悩みに悩んで、この夜は嫌な夢を見た。今はわたしの本棚やPCが置いてあるいわば「わたしの小部屋」に大勢のあの国の出身者が押しかけてきてぎゅうぎゅう詰めで住み出した夢だった。↑ヘタしたら現実化しそうでこわい。。。。
2005.09.16
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過激発言だが、わたしはイタリア人以上にある国の人々が我慢ならない。だって、その国出身のわが社の倉庫のチプリアンは若いくせにセクハラ兄ちゃんだし、祖国から時々来る女友達をミラノ中央駅まで無断で社長のベンツ(←社長のお抱え運転手としてもこき使われている)で迎えに行って、その辺に違法駐車して、キップを当然切られて、それを黙っていて、あとから罰金の通知が会社に来て、大目玉を喰らうことを常習犯にしている「どあほう」だ。わが社はイタリアで人を雇うより安く済むので、外注でその国に2人のプログラマーを雇っていたのだが、先日我が社のまだ未発表のプロジェクトをドイツのどこかの会社に横流ししていたことが発覚、国際警察を巻き込んで騒いでいる最中である。チプリアンいわく、その国が発信源となっているジプシーにも一度ならず何度もひどい目に遭わされた。そして我が家を建てた親方の弟子たちも全員この国の出身者だ。ここにいつも来てくださるお友達ならこれ以上の説明はいらないだろう。そりゃあ、ひとそれぞれだし「偏見だ。」と言われたらそうかもしれないが、こうも↑特定の人種からひどい目にばっかり遭わされると信用を失くすのも、誰が責められよう?****昨日は帰宅すると2人、おっとの他にお客が来ていてびっくりした。ひとりはおとといの夜も来てくれたカルラの幼なじみの建築業者のマルコで、もうひとりは生気のない「荒くれ系ガイジン」だった。うちの納屋は口の字になっていてわたしたちが口の_の部分に住んでいるなら彼は中庭を隔てた-の部分に住んでいる。こんな近くに建築業者が住んでいるとは知らなかった。。。汗おとといは外はもう真っ暗だったので家の中だけ点検してくれたのだ。あのふざけた階段を上がりきった壁には大きな茶色いしみが広がっているのだが、彼はそれを見て「ああ、これはお隣の暖炉のススが雨で染み出したんだね、間違いないよ。」と言う。そしてまだ先日の豪雨の後、乾ききってない壁の雨のしみを見て、「う~ん、これは単なる瓦の並べ方が悪いのか、屋根の基礎自体が悪いのか、屋根に上がって見てみないとわからないね。。。マルちゃん、あした仕事から帰ってきたら僕の家に寄ってよ。一緒に屋根に上って見てみよう。」カルラはうちのひどいさまを見て興奮して「絶対これは裁判ものよ!弁護士を立てて闘うべきだわ!!」とひたすら主張していた。しかしこの話はもう階下のパンク家族とさんざんした話題だ。わたしたちとしてはもう疲れきってしまって、こちらの財布にこれ以上の被害を出さずに穏便に屋根がちゃんとなればいいんだ。と、ちょっと引いてうなずいていたのであった。そして昨日は彼らがちょうど屋根から降りてきたところにわたしが帰宅したのである。わたし「どうだった?」マルコ「。。。僕は君たちがカルラの友達だから正直に言うけど、これは「屋根」とは言えないね。」わたし「ええええええ!?」マルコ「お宅を工事してるときからハラハラして見てたんだけど、この納屋は古いから屋根の基礎がかなり歪んでるんだよ。本来ならそれを全部やりかえなきゃいけないところを奴ら(悪徳親方軍団)、それをせずに直接新しい瓦を載せたのさ。だから外から見て、屋根が歪んで見えるわけ。こんなの、雨漏りのたびにいくら瓦だけいじったって、なんの解決にもならないよ。基礎をまっすぐの新しいのに替えないと。」わたし「ってことは、工事になったら2階にある家具とか全部どけなきゃいけないの?フローリングの床は新しく貼ったばかりなのに!!」おっと「工事になっても家具はどけなくて大丈夫なんだって。天井はそのままで外側だけ工事するから。」わたしは怒り「もう我慢できない!やっぱり裁判するしかないかな?!」と叫んだ。マルコ「昨日はカルラが興奮してたから黙ってたけど、騒がずに保険代で屋根をやり直したほうが懸命だと思う。確かに裁判となったら、明らかに不動産屋が負けるのは見えているけど、それにかかる費用と時間、大きなストレスを考えたらしないほうがいいと思うんだ。」おっと「でも、保険代がもしも出なかったら?」マルコ「これは外から見ても中から見ても明らかに被害状況がわかるから、保険代が出ない、ってことはないと思うよ。」わたしたちはこの言葉に少し安心し、保険会社が被害状況を見に来るのを待つ期間にマルコに見積もりを出してもらう算段をして話が終わった。わたし「今日はどうもありがとう。どう、ちょっとビールでも飲んでいかない?」マルコ「お誘いはうれしいけど、母ちゃんが夕ご飯の支度をして待ってるから帰るよ。」とひとりで家から出て行ったのだ。あれれれれ?わたしは今まで座って無言でわたしたちの話を聞いていた「荒くれ系ガイジン」はマルコの弟子だと思ってたよ。おっと「あ、紹介するね。このひとは◎◎さん(名前忘れた。)◎◎人(←わたしの我慢のならない国)だよ。」わたしは「ああ、よろしく。」ととりあえず社交辞令でにこやかに挨拶をする。おっと「ぼくね、このひとを雇うことにしたんだ。で、今日彼に1日運転させてみたんだけど、まあ安全運転だし。」はあ~~~~~~~?????(長くなったんで続く。)
2005.09.15
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昨日の日記ではたくさんのご意見、ありがとうございました。イタリア人同僚にも聞いたんですが、わたしは「黒いひと」を「Uomo Nero」と表現したんです。それはOKらしく、さらに「カラーのひと」「Uomo di colore」の方がもっとやんわりした表現になるとか。完全な差別用語は何人かの方のご意見の「ニガー」をイタリア語訳した「Uomo Negro」だそう。カルラがDVDを貸してくれたのは単なる偶然だ、という意見がほぼ全員を占めました。(←だといいけど。。。)おっとが敏感なのはウイリアムも含め、たくさんの同郷人が「カラーのひと」でここイタリアでは嫌な思いをしているひとが多いからだろうな、と思いました。*****あ、ところで。わたしの別の旅行サイトの「みんなで作る2006年週間旅行カレンダーコンテスト」。暖かい支援のおかげで「秋冬の部」で12月の写真が勝ち残りました!(カレンダーしかもらえないんだけどね。)う~ん、ほんとは全月制覇を狙ってたんだけど、1枚でも選ばれたことはうれしい限りです。(しかし、お知らせがメールで届いていたみたいなんだけど、気づかず削除してしまった。。。汗そういや、楽天の受賞のときもそうだったなあ。)投票してくださったみなさま、本当にありがとうございました!!「春夏の部」は只今投票期間です。今回も全月「いくきーと」でエントリーしてます。結構めんどくさいのでお暇がある方は投票お願いします!!投票はこちら。今日は時間がないのでこれまで。ではでは!!いくきーと
2005.09.14
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昨日の夕方、近所の階段業者が来た。先日の不動産屋が言った「費用の折半」がどれぐらいなのか、そして今現在ついている階段はプロから見て正しいのか、そしてもっと良い方法がないのか、実際の我が家の階段を見て、見積もってもらうためであった。待ち合わせの時間ぎりぎりにスクーターで家に着き、いつもの階段の下の空間に停めようとすると、すでに見慣れない自転車が置いてある。それをよけながら狭い空間にスクーターを押し込んで階段をあがるとアフリカ人であろう男性が降りてきた。あ。。。え~と、このひと確かカリモリさんちの上の屋根裏部屋の持ち主だっけ?カラフルなTシャツにジーンズの姿だ。以前は汚れて灰色になった白いTシャツを着ていたのでそれに目を奪われていて顔なんか覚えていない。とりあえず「チャオ。」と挨拶する。しかし彼は無言で降りていった。感じわり~。。。家に入るとすでに階段業者のおばさんと、おっとが階段を見ながら話をしているところだった。あ~あ、出遅れちゃったよ。おばさんはてきぱきと階段や2階に上がるオープンになったスペースを計る。おっと「どんなものでしょう?」おばさん「う~ん、やっぱり階段の長さのスペースがかなり狭いですね。でもこの完成された状態から壁や床を壊して長さを伸ばすのは一騒動なので、この状態で階段だけを替える事を考えないと。。。」おっと「やっぱりこの階段はまずいですよね?」おばさん「このステップの木がね。。パイン材は階段には不向きなんですよ。何年も使うとどんどん木の裂け目が広がります。毎日全体重をかけて使うものですからね。あと、段数が足りません。だから実際以上に階段が急傾斜であることを感じるんです。それと、たぶん長さが足りないからこうしたんでしょうが、ステップの幅が狭いのと、段と段の高さがバラバラなので、それが不安定さを感じさせるんです。」ああ~、すごい納得。わたし「じゃあ、階段はL字型にする方向で考えなければいけないですか?」おばさん「L字型にしてしまうとこの壁に埋め込み式になっている棚にかぶさって棚が使えなくなりますよ。だから今のI字型で考えないと。。。」とピッピと電卓で計算し始めた。おばさん「ステップの幅は。。今のよりは広くしますけど、狭くなければ収まりませんね。あと、段数を1段増やしますが、我々のプロの職人が段と段の高さを均一に、そして低くしますので見ため的には今とそんなに変わらなくなります。」ほうほう。そして気になるお値段は?おばさん「事務所に帰ってきちんと階段のプロジェクトをしてからでしか正確なお値段は出せませんが、だいたい4000ユーロぐらいでしょうか?」OOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!実はもう一軒の階段屋に行ったときにも、店頭で我が家の設計図を見せて出された見積もりはそんなものだったのだ。予想はしていたが、やっぱりだった。不動産屋に半分出させたとしても2000ユーロ。これが来年だったらまだゆとりが出来そうだが、今年はきつい。というか、どこからもそんな大金は出て来ない。というか、不動産屋がホームセンターで買って取り付けた階段のキットは1270ユーロ。完全にやられた、というか、いかに不動産屋は不透明だと思って家を安く仕上げたかがわかる。おばさんが出て行った後、わたしたちは頭を抱えた。おっと「じゃ、こうしよう!」また給料の前借りなんて情けないアイデアを持ち出すなよ。おっと「ステップの木だけ買うんだよ。それをぼくが自分でつける。」わたし「前にホームセンターで見積もってもらったら階段のキットより、ステップ全段だけのほうが高くついたじゃない?」おっと「あああ、そうだったよね。。。」とちょっとがっかりしたが、めげずに「一番最初のキットについていた木をつける?(捨てずに2階の外の部分に積んである。)そうしたら1段買い足すだけで済むじゃない?間違えて開けられた穴は漆くいで埋めて上からうまくペンキを塗るの。」わたし「え~。。。それだったらこんなに長期間、揉めに揉めてやり直させた意味がないじゃん!!」もうなんだか考えるのが疲れてきて、わたしたちはフラフラと外廊下に出た。見れば珍しく2階に電気が点いて明るくなっていて、肌の黒いちりちり毛を2つに結んだ小さい少女がこちらを外階段の柵越しに見下ろしている。わたしたちを見て「ママー!」とあの今まで空き家のようだった屋根裏部屋に飛び込んでいった。ちょうどカルラが植木に水をやりに出てきた。カルラ「カリモリさんの上、誰か引っ越してきたの?」わたし「うん、アフリカ人の家族みたい。」カルラ「ああ、じゃあきっと誰かに貸したんだね。え~と、名前忘れちゃった。あのカラーのひと。」わたし「ああ、え~とさっき見たよ。誰だっけ?あの黒いひと。でも、貸したんじゃなくて売りたがってたから売ったんだと思う、あの黒い家族に。」カルラ「へえ、そうなんだ。」それからわたしたちはちょっと立ち話をした。別れ際にカルラが「そうそう、新しいDVDを買ったの!すごく良かったから、観てみて。」と「フライド グリーン トマト」というDVDを貸してくれたのだった。夕食が済んでさっそく見た。(まだ半分しか見てないけど。)夫との倦怠期に悩む奥さんがひょんなきっかけで知り合ったおばあさんの語る昔話で元気を取り戻していく、という話なのだが、そのおばあさんの話の中に主人公の店の使用人の黒人がKKK団だっけ?黒人差別をするグループの男のひとりを殺害した容疑にかけられるというくだりがある。それを見ておっとが「カルラの前で「黒いひと」って発言はまずかったね。」とささやいた。わたしはびっくりした。だってカルラだって「カラーのひと」って言ったじゃない?「黒」と「カラー」はどう違うんだろう?わたしのまわりには黒い肌の知り合いは今のところいない。でも誰か知らない人のことを説明するときって白人にでも「え~と、丸い赤ら顔で。。。」とか「痩せた青白いひとで。。」とか言うじゃないか?わたしたち日本人の説明なんてイタリア人は目をつりあげる真似をする。特にアフリカでひとを探すならともかく、こんな黒い肌の人が周りにそうそう居ない環境では、肌が黒いことが一番の特徴だ。説明のときは「カラーのひと」より「黒いひと」のほうがわかりやすいじゃないのか?だって「カラーのひと」にはわたしたちのような黄色人種もスリランカのような茶色い人種も含まれるわけだし。。。もしかしてこのDVDはカルラが直接は注意が出来ないけど、やんわりわたしの発した言葉を注意する意味で貸してくれたのだろうか?それからはなんだか悶々としてしまったのであった。皆さんはどう思う?
2005.09.13
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最近、自分の家にローンを払いながら、自分の所有物であるが故、自分で全部しなければならないのと、借家で大家や家の状態に不満を抱えながらも、気楽に住むのと、どっちがいいのか悩み出したこの頃。。。。本題に入る前に。注意書きにはわざわざ書いてませんけど、うち、とりあえずはすれすれ健全なHPを目指しているつもりです。しかもわたしは一応女性なので、先ほどのどなたかのアダルト爆乳トラックバックは即刻削除させていただきました。メールにも毎日30件ぐらいまるで友達からのようなまぎらわしいタイトルでHなお誘いをいただきますが、わたしは残念ですが海外在住なんで、Hな出会いも国際電話も出来ません。(どうせオートマチックにいろんな方に送ってらっしゃるんだとは思いますが。)日本語のは一読もせず、削除の刑です。英語もNOです。うっかり読んで欲しかったらイタリア語でかかってきなさい!!****ミラノはこのところ、雨続きで寒い。先週は運がいいことに朝と夕方の通勤時間には雨が止んでいたのでスクーターで駅まで行くことが出来た。しかし、今朝は出かける支度をしていると雨が降り出し、土砂降りになったのでしばらく様子を見る。頼みの「お抱え運転手」兼「おっと」は今日は早くに家を出たのでいない。レインコートなんて持ってない。小雨になった頃を見計らっていそいそとスクーターで走り出したとたんにまた土砂降り。駅に着く頃にはすっかり濡れねずみになっていた。ずぶ濡れのパーカーとカーデガンを脱ぎ捨ててもTシャツまでびしょびしょになっている。ホームでセーターやジャケットを着こんでぬくぬくと電車を待っている人をうらめしげににらみながら、ずぶ濡れのTシャツ1枚で、肩を震わせて電車に乗り込んだのである。ふう~、早くクルマを運転出来るようにならなくちゃ。。。と100回目ぐらいの決心を新たに固めたのであった。***こんな雨続きでも日本の4月の新学期のように9月が1年の始まりだからか?または、秋だからか?ここのところ、あちこちで花火が上がるのだ。うちは廻りに高い建物が何にもない田舎家の2階なので、外廊下に出ると遠くの花火も鑑賞ができる。(いつも気づくのは花火が終わる頃ばかりなんだけど。)そうやって夜、外に出て花火を楽しんでいると、2軒へだてたお隣のカルラと婚約者のシモーネとも、よく鉢合わせするようになった。フレンドリーなカルラたちは花火が終わるといつも決まって、「どう、うちで一杯やらない?」と誘ってくれるのでビールやワインをやりながらお喋りをするうちに、仲良くなってしまった。カルラの家はステキだ。何で同じ屋根の下なのに、こうも違うのか?と歯軋りするぐらいステキだ。カルラはこの辺り一帯の広大な畑を持ついわば大地主の娘である。この家はずいぶん昔にお父さんが購入したものをカルラが成人したときに譲り受け、ずいぶん少なくなったローンを払っているだけなのでうらやましい限りだ。お父さんの家は斜め後ろの納屋で、彼女がそこを出て、実際にこの家に住み出したのは5年ぐらい前からだ。しかし、それ以上前から少しづつ手を入れていたので、即席手抜きで作られた我が家とは違って、家自体が丁寧に作られている事がひとめでわかる。1階の床はレンガ貼り。天井は古い梁をそのまま上手にむき出しで見せている。カントリー調のこげ茶色のキッチンと古いどっしりとしたテーブル。隅に置かれた3つのソファはボロそうだが、可愛いナチュラルなカバーがそれを覆い隠していて、それもいい味を出している。ワンルームを小さな1枚の低い漆くいとレンガの壁で仕切っただけなのにキッチンと居間のけじめがついているのが不思議だ。カルラは「ワインはあんまり飲まないの。」と言いながらもキッチンの隅に置かれた年代物の小さなワインセラーには10本ほどのこれも年代物のワインが並んでいた。しっかりとしたつくりの階段を上がって2階に行くと、我が家よりも少し面積が小さいはずなのに、大きな空間が広がる。我が家と同じ斜め屋根に、その味を上手に生かしたアンティーク調の浴室。濃い重厚な感じのフローリングの床のベッドルーム(ベッドは黒い鉄の柵のカントリー調)、そして4mの天井の高さをいかして作ったロフトの上はコンピューターを置いて小さな書斎のスペースになっている。どやどや乗り込んで写真を撮るのは失礼だったので写真のUPは出来ないけれど、イタリア特有のトスカーナカントリー?な家でなのだ。カルラの家のほうがよっぽどステキだけどあくまでもイメージ。****昨日はずいぶん珍しくキトにいるおっとの母から電話があった。おっとが「大丈夫、大丈夫。」と繰り返し言っていたので何かと思いきや、お義母さまは不吉な夢を見たそうである。その夢、というのはおっとが独りで身を小さくして「お腹が空いたよう。」と骨と皮だけになった顔をあげて、ウルウルと泣いていた夢だったらしい。思い当たることがあった。2年前、おっととエクアドルの実家に行ったとき、久しぶりに会ったおっとを見たお義母さまの第一口は「おまえ、なんて痩せてしまったの!?」だった。確かにおっとがイタリアに着いた当初の写真を見ると、わたしの嫌いな筋肉モリモリのマッチョマン体型である。(←実際ジムで鍛えていた。)今の普通の体型のほうがわたしにはよっぽどいいんだけど。。。。それに、それにまるでわたしがイタリアで何も食べさせてないような物言いではないか?ネガティブ思考のわたしにはこう取れたのである。実際昨夜も夕食を作ったのは彼だが、自ら進んでやったことだし。。。時々、わたしの作ったものを「マズイ」と言って食べないのは奴の勝手だし。。。味が薄いなら醤油をかけるなり、コゲすぎてるならコゲを取って食べるなり、何か対処の仕方があるはずだ!!!!(←いいわけ)やっぱりお義母さま、まだ根に持って いや、ご心配なさってたのだな。****今日の日記はなんだかバラバラ。こうも雨続きだとシャキッと日記が書けないね。楽天のお友達のよこいさんが変なものを見つけてくれました。(翻訳者の努力は認めるけどね。。。)→ここをクリック。ローマを旅する予定の方には必見!
2005.09.12
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古いネタを引っ張り起こすが、月曜日はおっとが午後から半日仕事を休んでキッチンの業者を待っていた。古くなるのも当たり前だ。ここイタリアは8月中、まったくどこの業者も動かなかったのだから。本来なら自営業のおっとより、有給休暇の利く会社員のわたしのほうが待つのが筋なのだが家のことに関しては、特にキッチンに関しては、ルーズな南米人にしてはめちゃめちゃ細かいおっとの目を持って作業を監視せざるおえなかったのである。ところで、ずいぶん前に日記では尻切れトンボで終わらせてしまったキッチンの配線と配管。覚えておいでの方もいらっしゃるとは思うが、あれは親方が壊れた階段の1段分をわたしたちに立て替えさせた145ユーロを「これはキッチンの配線と配管分、ということでチャラにしようや。」と、まるでだますかのように、ぶんだくるだけぶんだくっておいてガス管と水道管のみ荒々しく取り付けて、換気扇の配管配線とキッチンの照明の配線をしっかり残したまま8月休みに突入したのであった。(←結局おっとがガス管と水道管を全部後からやり直したのだけど。)怒わたしは怒って誰となくわめき散らし、そして疲れて諦めていたのだが、キッチンに関しては熱の入りようが違うおっとが、次はいつ来るかわからない親方を待ってじっとしているはずがない。あのジェノバから帰ってきてからすぐ、おっとはホームセンターでパイプ管やら、つなぎの金具やらいろいろ買い込んで、2時間ほど、はしごにあがってカチャカチャして親方なんかより見えないところまでよっぽど美しく完成させたのであった。なので月曜日はキッチン業者の必要はなさそうなのだが、ボイラーを覆い隠すための戸棚を前にせり出しすぎる、という理由で5cmほど薄く切ってもらったものと、何個か開けにくい引き出しがある、それの調整と、間違えて持ってきたまったく色の違うテーブル(実際注文したのはキッチンと同じ色)の交換と、に来たのだ。わたしがその夜、家に帰るとおっとが作業で汚れたキッチンを磨き終わって、それはそれは完璧な、まるでショールームのようなキッチンに変身していた。しかし。テーブルだけがそのままだった。涙。。。ふう。もういい加減、怒る気も失せてきたよ。こんなに何度も何度もミスばかり犯して、こっちの胃が痛くなるのは確実だが、やつらにだって何度もそんな小さいミスのカバーに来るのは労力の無駄だと思う。なんで一度で完璧に出来ないのか、不思議でしかたがない。しかも今回に関しては、すっかり夏前の悶着も忘れ、「実際ご注文のテーブルを覚えてませんので、キッチンとテーブルの写真を撮って土曜日にもう一度店にお越しください。」と言うのである!?(←笑い話じゃないよ。)今がデジカメで簡単に写真を撮ってプリントアウト出来る時代でよかったよ!これが昭和とかだったら、最低でも12枚撮りのフィルムをたったこれだけのために無駄にするところだ!!はあはあはあ。。。。←結局怒っている。怒りついでに話は先週土曜日まで遡るが、8月の休戦が終わり、土曜の朝には不動産屋、建築士、親方のトリプル悪者が大集合したのである!階段を囲むその様子は、まさに「マジンカイザーVS暗黒大将軍とその軍団」のカバー絵のようだった。何事も間を空けるというのはまったく良くない。夏前の低姿勢だった不動産屋は打って変わって高飛車に「。。これはぼくらを困らせようとしているわけ?」おっととわたし「は?」不動産屋「だってそうじゃないか?僕の目にはこの階段は完璧だよ!こんなに美しく仕上がっているのにまたもややり直しさせようなんて、ひどいじゃないか!!」おっと「どこが完璧なんですか!?ここを見てよ!!やり直したばかりでまた1段壊れたんですよ?」と壊れた木の裂け目を見せる。不動産屋「じゃあ、そこだけまた替えれば済む話だろ?」わたし「わたしたちが言いたいのは、この木の質自体が悪いのだから、そこだけ替えたところでまたすぐ壊れるっていうことです!」おっと「それに傾斜が急すぎて、妻は2度も転がり落ちかけたんです!(←どんくさいけど実話)設計図では階段部分はもうちょっと長くなるはずだったじゃないですか?そうしたら傾斜がゆるくなるでしょ?!」親方「階段部分の長さは1階の梁が邪魔をしてこれ以上延ばせなかったんだよ。」そんなの、理由になるか!!不動産屋「ぼくたちは最初のミスは仕方がないから新しく全部木をやりかえるのに625ユーロも払ったんだ。これをまた替えろ、って言うならそれはそっちの問題だ。君たちで払ってもらうよ!」わたし「625ユーロですって!?」怒りで頭がクラクラした。「わたしたち、この間、壊れた1段をホームセンターに受け取りに行った時、全段の見積もりをしてもらったら1400ユーロだったんですよ!?それをそんな安い木で代用したんですか!!??それの領収書、もちろんいただけますよね?」不動産屋はちょっと不利になってきたことを悟ったようである。「う。。。しかしね、これは代用の木を親方が持ってきたときに君たちは拒否を出来たはずだよ?それを全部組み立ててからやり直しさせようなんて。。。」不動産屋の陰で親方と建築士がうんうん、とうなずく。わたし「実際組み立てて、使って、壊れてから、木の質が悪いことが発覚したんでしょ?値段の事だってそんなに安かっただなんて今まで知らなかったし、わたしたち木材屋じゃないんだから、木だけ見て、そんなのわからないわよ!!」不動産屋「わかった~!!!」と叫んだ。やけくそな口ぶりで「OK,じゃあ、こうしようなじゃいか?ぼくたちの仕事にそんなに不満があるなら、よその業者に木なり、ダイヤモンドなり、君たちのいいように階段をつけてもらってよ!支払いは僕ときみたちとで半々だ!!それで文句ないだろっ!?」顔が真っ赤になって肩で息をしている。確かにそのほうがよっぽど確実だ。しかし、普通に木の階段をいちからつけるとなれば4000ユーロ(1ユーロ≒137円)ぐらいする。その半分の2000ユーロとしても、今の赤貧のわたしたちにはどこからも出て来はしない。不動産屋はちょっと乱れたジャケットの襟を正しながら「。。。ぼくたち、ちょっと熱くなりすぎたみたいだ。ぼくは一度口にしたことは絶対守るつもりだから、君たちにとって最善の方法をよく考えて返事して。」こうして、不動産屋以外は階段のことに関しては一言も発さず(あ、親方一言のみ)出て行ったのであった。そしてもうひとつ、大きな問題の屋根。わたしたちが夏前になんどもしつこく電話をしたおかげで親方が何度も修理に来たので、少なくとも家の中には1箇所を除き、雨漏りがしなくなった。(2階の外部分はまだすごいけど。)ところでわたしたちと同じような問題を抱えている階下のパンク家族を覚えておいでだろうか?彼らはこれ以上揉めるより、弁護士を呼ぶほうが早い、と決断。再来週には不動産屋のところに弁護士からの脅迫レターを贈りつける予定である。(漢字変換でこんなのが出てきたけど、うれしくない贈り物だなあ。)しかし、うちらはよく考えた末、保険会社に損害保険を請求することにした。(契約書に書いてある「激しい風雨による損傷」。まさにそれにも当てはまる事柄だったからだ。)階下のパンク家族にこのことを話すと、そんなことでは不動産屋に実質的な痛い目を遭わす事が出来ない、と言う。だが、階段の顛末を見る限り、痛い目に遭わせてイヤイヤやり直しをさせたところで、というか、もともと親方と弟子たちに才能がないのだから、完璧な仕事をするとは思えない。しかし、なんというかキッチンのことでもそうだが、イタリアってのはどうしてこんなへっぽこな仕事をして、また、やり直しのために足を運ぶ、っていう2度手間ならぬ、3度、4度手間ばっかりかけるのかねえ?集中力がないんだろうか?それとも脳を使わず下半身だけで動く人種だからだろうか??←イタリア人と結婚している方々から袋叩きに遭いそうな発言、スミマセン。イタリアで家の買い替え?冗談じゃない。2度とごめんだよ。
2005.09.07
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なんか真面目なタイトルつけちゃいましたが。昨日の日記の事故に遭ったエクターのことで考えた。わたしのまわりは大小問わず、とにかく事故が多い気がする。というか、広い車道を走っていたら2~3回に1回の割合でどこかで必ず事故車を見る。目目さんちのクルマも一晩路駐してたら次の日、クルマの横っ腹が大きくへこんでいた。どういうぶつかり方をして逃げたんだ?汗(←ちょうどこの日がベランダパーテイだった。)うちのもんで男くんの事故を覚えておいでの方も多いと思うのだが、かわいそうに、彼はまだ傷を負ったままだ。もちろん、保険会社にすぐに手続きも行ったのだが、なんせ事故に遭ったのは8月。保険会社いわく「弁護士が8月いっぱい休みですので9月になったら、この番号にかけてください。」と紙っきれにひとつの電話番号を書いて渡された。それでカレンダーに大きな赤丸をして忘れないように9月1日にすぐ電話をかけたら「弁護士はまだバカンス中です。」と愛想なく応えられた。大汗(←ちなみに我が家の屋根のことにも保険を使ったのだが、同じである。)そして以前、我が家のアッシー君だったランチャY10のルパン君と一緒にあの世に逝ってしまった25歳の若きエクアドル人のこと。おっとはひどくびびっていたし、わたしも最低でも罰金だな、とヒヤヒヤしていたのだが、結局おっとにも、クルマを貸した張本人の代理人のウイリアムにもおとがめナシ。クルマの本当の持ち主であるペルー人が少し事情聴取されただけでこの事件は幕を閉じたのだ。この間、ウイリアムの家にBBQに行ったとき、事故の新聞の切抜きを見せてもらった。大型トラックの下敷きになって見事にへしゃげた見慣れたルパン君を見て、はじめて胸が痛んだのだわたし。この死亡した若きエクアドル人は事故当時、ひとりではなかったそうである。毎夜中の新聞を各売店に配達する仕事が終わった後、ウイリアムの婚約者のお兄さんのクルマの先頭にたって、走っていたらしい。彼がまずいつもの角を曲がって姿を消したちょっとあとに、お兄さんのクルマも続いて角を曲がった。そこでお兄さんが目にしたのはもうすでにへしゃげたルパン君の中で胸から下はルパン君と同じ運命をたどって死んでいた若きエクアドル人だったのだ。お兄さんはいまだにあのシーンを夢に見て熟睡できない、と言っていた。事故後、確認にかけつけたウイリアムと婚約者も同様である。しかし誰よりも悲しんだのは17歳の弟とお母さんだ。自分たちの家族が亡くなってしまったのも大ショックだが、彼らはウイリアムの家族と同じく25歳の兄に養われていたのである。これがイタリア人の普通の家庭に降って来た悲劇なら、生命保険やなんやで当面の生活はカバーされるはずだ。しかし、彼らは密入国の「不法滞在者」なのである!そう、この事故でお母さんと弟は 大切な兄と生活の糧を一気に失くしてしまったのだった。彼の死亡確認でも、家族と名乗り出ることが出来ない。家族全員で不法滞在者だからどこにも届け出て遺族の処置をすることが出来ない。警察には「身元不明の密入国の「不法滞在者」の死亡」で闇に葬られた。(←だからおっとやウイリアムにおとがめがなかったようである。)なんか切ない、やりきれない。。。。わたしはこの事故をリアルに実感した後、わが身に重ねて身震いした。おっとは運送業で毎日クルマを運転しているのでこんな大事故に遭う確率も高い。う~ん、おっとがもし事故で死んじゃったら。。。?家のローンはひとりじゃ絶対払えないから売るしかないか。。。。滞在許可証、ファミリーに変えちゃったんだよなあ。ということは、おっとの死亡と同時に滞在許可がなくなるから、日本に帰らないとな。。。。あ!3か月分のおっとの生命保険代、赤貧になっちゃったから滞納してる!!さっさと払わないとおっとが死んじゃったとき今までの苦労が水の泡になるじゃないかっ!?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!↑。。。。なんか自分で書いてて哀しくなってきた。最近「愛」が完全に「生活」に負けてるよ!!!!涙もちろん愛するおっとが死んじゃったら哀しいですよ?でもそんな感情を真面目にこんな「おちゃらけブログ」に書いてもねえ。。。ぶつぶつそしてわが身の次にあの50歳代後半無職お嬢様Cさんを含め、何人かの日本人のイタリア不法滞在歴を重ねておられる知り合いの身を案じることとなった。日本人と南米人は待遇が違うと思われてる方も多いだろうが、不法滞在者に関してはわたしはそう思わない。どこの国出身だろうが、イタリアのどこの機関にも登録されてない外国人なら「もしも」のことがしかも独りのときに生じたときはきっとこの可哀そうなエクアドル人同様、「身元不明の密入国の「不法滞在者」の死亡」で祖国の両親、家族に安否も知らされないまま闇に葬られてしまうのだろう。お願いですから外国で暮らすときにはきちんと届け出ましょうね!(そういうひとたちがインターネットをつなげてこの日記を見ている確率は少ないと思うけど。。。)ふう、歳を取ると説教がましくなっていかんね。
2005.09.06
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今朝はイタリア全国夏の休暇が終わったようで、電車の中はひさびさの混雑でうんざりしてしまった。しかし、ひとつだけいいことがあったのは、先週のうちにあの忌まわしい踏切を待たないで線路の反対側にいける抜け道を発見したことだ。ちょっと回り道になるので所要時間的にはあまり変わらなさそうだが、閉まった踏切の前で過ぎ行く電車を歯軋りしながら見ているより精神衛生上、よっぽどいい。***ところで先週土曜日はおっとの友達のペルー人のエクターのお誕生日会の招待を受けた。ちっとも気が乗らなかった。わたしはやつがあまり好きではない。若干29歳で大所帯を背負っているしっかりもののウイリアムとは違って、25歳という若さの故か?、えらい軽いやつで「女」と「酒」と「遊び」しか考えていないお調子者である。そんなやつなので、今年の五月の母の日にどこかで酔っ払ってバイクで思いっきりガードレールに突っ込み、右足を複雑骨折して即入院となった親不孝者だ。それでも退院したあとすぐ、お見舞いに行った。彼の部屋は一部屋をたんすで仕切っている、通路側。(?)窓もない薄暗い空間のベッドの上で足をギブスで固められて動けない彼が「酒はもうごめんだよ!ああ~でも、外に出てえ。」と言うのを見て「あほやなぁ。」という想いが同情よりも先に立ったぐらいだった。話を戻してこの日の昼にはショッピングセンターに週末の買出しも兼ねてプレゼントを買いに行ったのである。わたし「何がいいだろうねえ?」おっと「酒だな。」きっぱり。わたし「ええ?でももうあの事故で懲りて飲まないって言ってたじゃない。」おっと「やつが飲まなくても他の招待客が飲むじゃないか?」ああ、そうか。わたしはスーパーの広いワイン売り場の真ん中でエクターの招待客を想像した。みんな酒の良し悪しもわからずラッパ呑みするような奴らばかりである。ううう、お誕生日会に行くの、いやだな~。。。そんなやつらに上等のシャンパンなんて絶対持っていくものか。わたしはきびすを返して掃除用品売り場に行き、掃除用のアルコールを買ってやろうかと思ったが、以外に安いレベルのワインより、掃除用アルコールのほうが高いことに気づき、しぶしぶワイン売り場に戻って、その日の特価品の安いシャンパンを購入したのであった。そして買い物が済み、カートを押して駐車場に向かっているとおっとの携帯が鳴った。おっとはクルマに荷物を積みながら、そして運転しながらも、なおしゃべり続けている。てっきりエクターと今晩の打ち合わせかと思いきや、おっとの話し振りを聞いているとあのジェノバのはとこ兄ルイスからだとわかった。う。。。。なんかいや~な予感。家に着いた頃、やっと電話が終わった。おっとは嬉しそうに「今ね、ルイス、家族と友達と一緒にミラノのクォコ広場のビール祭りに来てるんだって!誘われたんだけど、遠いし断ったよ。でも、夜にうちに来るように言っといたから。」わたし「ちょ、ちょっと待ってよ!?今夜はエクターの家に行かなきゃいけないじゃない?」おっと「なに、エクターのところは2時間ぐらいで済むさ。だから大丈夫だって!」わたしはちっとも大丈夫とは思わなかった。時計を見るともう18時を廻っている。エクターの家までは我が家からクルマで30分ぐらい。絶対おっとの「2時間」が正身、2時間で済むはずがない。それに往復に1時間かけてたら、いったい何時になるやら?ルイスたちがそんなに遅くに家に来る、としたらジェノバにその日中に帰れるはずがないからうちに泊まってもらうしかない。うちにそんな大人数のための支度はないし、家中のシーツや毛布をかきあつめて雑魚寝してもらうしかない。それにしたって、家は散らかったままだし、掃除もしなきゃいけないし、くっそ~。。。。。なんであんたら、いっつもいっつもギリギリに事を決めるんだよっ!?わたし「。。。。わたしエクターのところへ行かない。」おっと「え、どうしてさ?エクターのところをお邪魔した後でどこかでルイスたちと合流してうちに帰ればいいじゃない?」わたし「あんたね~、この状態でひとがよべると思ってるわけ?どっちかが家に残って準備しなきゃいけないでしょ!それともあんたが残るってか!??」おっと「う。。。。。」おっとは黙って掃除機をかけはじめた。独りで行くのがイヤだったのか、申し訳なかったのか?おっとがこの後、床を磨いて、洗濯物を取り込み、わたしがソファーベッドを広げて布団の用意、おつまみの準備が整った頃にはもう22時近くだった。おっと「。。。もう今日はお誕生日会に行けないね。」わたしはおっとの自業自得だとは思いながらも、ちょっと申し訳ない気がして「うん。」と小さくうなずく。内心、酔っ払いお誕生日会に行けなかったことに「やれやれ。」とも思っていたのだが。おっととわたしはエクターに電話して事情を話し、かわるがわるお祝いだけを言った。エクター「いいよ、気にしなくて。明日来てくれればいいんだからさあ。」←「もう飲まない宣言」をしたはずなのに、声が酔っ払っている。汗結局明日、エクターの家に行かなきゃいけないのか。。。。わたしがちょっと鬱になりかけているとルイスから電話があった。ルイス「おう、お前ら今どこだよ?」おっと「家に居るよ。いったい何時に来るんだい?」ルイス「それがよ、気が変わったんだ。もうジェノバに向かう高速道路に乗ったところだ。悪いな、そういうことでまた次回ジェノバに来ることがあったら会おうや。」。。。。。唖然。わたしたちは口をあんぐり開けて電話を切った。いったいわたしたちは何のためにお誕生日会をキャンセルしてまで家に残ったんだ?このあと、おっとと怒りのはけ口もないまま2人で大喧嘩になったのは言うまでもない。
2005.09.05
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お待たせしました!ところで皆さんはあのおいしかった目目さんちのベランダパーティを覚えておいででしょうか?いやあ、うまかった。。。特にご主人が作った自家製納豆が。。。。。。そう思ったのはわたしだけではなかったようです。某グルメ日記の◎◎さんのリクエストにお応えして、目目さんがご主人と一緒にわかり易い写真つきでレシピを作ってくれました!!ご主人さんの韓国式のようですが、まったく日本の納豆と同じです。ちなみにミラノは中華食材屋の冷凍食品コーナーで「お◎め納豆」の3個パック入りが3,6ユーロ(500円ぐらい)だよ!?なのでイタリア在住納豆愛好家は特に必見!日本在住の方も、その他海外に在住の方も試してみて、ぜんぜん味が違うから!!そりゃあ、絶対うちで作らなければ~~~っ!!!!!!!はあはあはあ。。。******Esselunga(北イタリアの大手スーパー)で箱入りで売ってる大豆コップ一杯分を3倍の水に12時間浸しておく。(夏時間基準)(季節によって水温が変わるので小さい泡が出だしたらOK) *浸しておいた大豆と水を圧力鍋で25分くらいかけて蒸し、その後火を止めて蒸気が静まるまでそのままにしておく。(全過程50分ほど) (大豆は圧力鍋の方が栄養が逃げないのでお薦め。茹でる場合は50分~1時間くらい掛けてよく茹でる) *市販の納豆(納豆菌)を1ティースプーンとお湯(80~85度)1/3カップをよく混ぜ合わせる。 水がねっとりするまで。 *炊飯器に入る大きさの水切りボウル、穴の空いた耐熱皿(そんなの見つけ難いからうちは蒸し器の間にある受け皿を使用)、納豆の液体を受ける皿。我が家はこんな器具を利用してるけど大切なのは温度を38度~40度に保ち、湿度90%以上であることが大切。また通気も大切。 *圧力鍋の蒸気が静まって大豆がまだ熱々のうちに穴のあいた耐熱皿に大豆を敷く。 *お湯で溶いた納豆菌のエキス(納豆はいらない)を満遍なくかける。 *保温が効く炊飯器用意する。下の写真の様に板とビンの蓋と重ねておく。(温度調節の為使用) 注意:木製の板は炊飯器で使用する時、保温ならいいけど炊飯スイッチを押してしまうと火事になるので注意!うちも一度誤って押してしまって炊飯器から煙ボーボーで冷や汗ものでした。 *炊飯器の中に小さな耐熱器を入れて水をはっておく。 *さっきお皿に敷いておいた蒸した大豆を水切りボウルに入れ、それを 炊飯器の中へ入れる。 ラップを掛け、上に箸で穴を沢山開ける。 *上から通気性の良い布を被せて保温状態に。 保温状態で一晩おくと大豆の上に白い粉が吹く。白い粉がふいてきたら炊飯器の中に入れておいた水を取り出す。これからはお好みで納豆臭いのが嫌いならすぐ食べてもいいし、納豆くさいのがお好きならもう少し発酵させて食べてもOK。(でも台所がすごく臭くなるよ)お試しあれ!
2005.09.01
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