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saicuccioさんのイメージ・バトン、Aliceさんから「ブック・バトン」が週末に同時に廻ってまいりました。それに続けてGabbynaさんからも「調味料バトン」が!!やっと待ちわびていた花金にこんな難題を廻すとは罪なひとたちでございます。で、予定を変更しまして本日お応えします!!*************************************************「イメージ・バトン」以下の4つが答える項目です。1.自分の前の人の連想結果。2.前の人の連想結果から連想するもの。3.前の人に対する(愛の)メッセージ。4.次に回す人3人。1. saicuccioさんの連想結果。 『幸福と束縛』2.前の人の連想結果から連想するもの。 『ウィリアム』(←大家族な上に従業員も増えてきて、美人の婚約者もいて幸福そうである。だが、このフタを開けると家族の一番稼ぎ手なので一同にぶらさがられ、束縛され、身動きが取れないのである!!)3.前の人に対する(愛の)メッセージ。 愛の?うちはそういった趣味はないんですが、まあ男の趣味はどっちかというとゲイにも受けるような体の線が細い人。。。。って前のひとにじゃないやんっ!!ええええっとお~~~、そう。saicuccioさんの(男の)ご趣味は。。。。??(自爆)4.次に回す人3人?はあはあ、早く誰かに廻してラクになりたい!!(バトン、いつも真剣になりすぎていけません。)相当迷ったんですが、2番のような偏った回答からでも興味深い答えが聞けそうなひとたち。(←勝手な期待ですみません。)隼瀬さんみどりーたさん やみ夜のカラスさんよろしくね~。あ、あかんかったらパスもOKだって。**********************************さあさ、立て続けにどんどんいきましょう、「ブック・バトン」!1. 持っている冊数2. 読みかけの本3. 最後に買った本4. 思い入れのある本5冊5. 次にバトンを渡す5名様1. 持っている冊数 数えたこともないけど、画集、マンガを含め200~300冊ってとこ?2.読みかけの本 読みかけっていうか、読み終わったばかりの本母に持ってきてもらった「ダビンチコード」。聖書に書いてあることをくつがえす事実が書かれていて、ず~っと持ってた疑問が晴れたようでおもしろかった。3.最後に買った本 「寄生獣」のイタリア語版 7巻だっけ? 日本語版はずいぶん昔に読破したけど面白いんでまたイタリア語版で読み続けてる。4.思い入れのある本5冊「くまのパディントン」 この挿絵が大好きで、小さい頃からなんどもなんども読み返してきたけど、読むたびに違う解釈ができて面白い。今まで流し読みしてきたパディントンが「暗黒の地ペルークマ」だということ。これを噛み締めてからは、実はこの物語、面白がってちゃいけなくて、「クマに擬動物化されたけなげな南米人少年のちょっともの哀しい話」に取れるようになってきた。。。。「竜馬が行く!」司馬遼太郎 軽快に歴史物がしかも楽しく読める一品。でもすんごい長いから読み返す気にはなれないけど。。。 「バケツでごはん」くぼきりこ さすがです。可愛い動物をキャラクターにでも使わんと、あんな痛烈な内容はマンガにできないってことか。。。一時、アニメ化してこけたようですが。「ハンカチの上の花畑」小さい頃に読んだ本。ほんわかしてるんだけど、考えたら強制肉体労働とかこわいことが書いてあった。今思い出してもこわかった。「デビルマン」 永井豪 TVシリーズは完全な「正義のヒーロー」だったけど、原作はもっと残忍で、かつ人間くさくて、しかも神秘的でよかった~。これを崇拝する次世代の漫画家たちが、いろいろ出版しているけど、いまだこれを上回る物は見たことがない。「はれんち学園」とのギャップが激しいところも好き(はあと)。このほか、マンガだけなら「アリサ!」とか、「エバンゲリオン」とか、「犬夜叉」とか、きりがないや。(実は自覚症状がちょっと薄いだけのオタクかも?)こうまとめると子供向けの本が多い。。。。。汗6. 次にバトンを渡す5名様。最近夏休みで楽天にひとが少なくなったようだけど、答えてくれるかな??この間、せっかく廻してくれた「いいことバトン」をすっぽかしちゃった地元の GUAさん。迷惑??実は地元つながり紅茶風味さん英国極道の極み Ninjacatさん猫の幸四郎君とおいしいもの以外のあなたのことがもっと知りたい幸四郎ママさん調味料バトンのお返しです。ふふふ。 Gabbynaさん「イメージ・バトン」同様、あかんかったらパスもOKだって。よろしくおねがいしま~~す!!***********************************************はあはあはあ、さすがにちょっと息切れしてきた。では「調味料バトン」。あなたは何派?【Q1】次のメニューにどんな調味料をかけますか? ( 薬味は含みません。)目玉焼き→塩コショウ納 豆→からし・付属のタレ or 味ポン 冷 奴→そのまま or かつぶしとしょうゆ餃 子→味ポンと豆板醤カレーライス→しょうゆ! ナポリタン→粉チーズピ ザ→ 唐辛子入りオリーブオイル生キャベツ→ん?生で食べないぞ。トマト→塩 or バジル+オリーブオイル+塩サラダ→オリーブオイル+塩+こしょう+バルサミコ酢カキフライ→ 味ポンメンチカツ→ レモンコロッケ→ そのまま 天ぷら→天つゆとんかつ→レモンご飯(おかず無しの時)→漬物と海苔。。。。あればなあ。 【Q2】周囲に意外だと驚かれる好きな組み合わせはありますか?魚と鶏肉のチャーハン(イタリア人には魚と肉を一緒に食べるなんて!と非難される)【Q3】それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?わかめときゅうりの酢の物。わかめは好きだけどきゅうりはだいっきらい!!【Q4】バトンをまわしたい5名は誰ですか?えええええっと。。。。やっぱりここはお返しするのが礼儀でしょう。ふふふ。 saicuccioさん Aliceさんの2名と。あのシャンプー、絶対探しに行きます、 Junpei@hksarさん(自爆)地元つながりブルーアイさんトルコの調味料は??turkuvazさん他のバトン同様、あかんかったらパスもOKだって。よろしくおねがいしま~~す!!うひ~、終わった!!!夏休みの宿題を駆け足で済ませた気分。もう、皆さん、わたしを苛めるのは や☆め☆て。。。。
2005.07.30
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今朝はテーブルでコーンフレークを食べていると、おっとがにやにやと2階から降りてきた。おっと「今日の君はすごく可愛いよ!本当に可愛い!!」おっとがそんなことをいうのは非常に稀である。しかも朝っぱらから頭おかしいんじゃないかと、自分の服装をしげしげ見る。ぴたぴたTシャツにヒップハンガーのGパン。ふと鏡を見やると背中からしっかりおパンツがはみ出ていた。OOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!最近、こういうお姉ちゃんたちがミラノの街中にあふれてきた。統計を取ったわけではないが、そういうのの大半はたぬき腹の背の低い南米人のお姉ちゃんが多い気がする。わたしはあのお姉ちゃんたちの仲間入りはしたくない!!!わたしは大和撫子なのだ!!!!時計を見る。出勤前ギリギリでおパンツを履き替える時間がない。わたしはおパンツをぎゅうぎゅうGパンの中に突っ込み、Tシャツをうんうん下に引っ張ってGパンの中に押し込んで家を飛び出したのであった。しかし。ジーンズにぴたぴたTシャツ押し込んで着るのと、ヒップハンガーパンツを履いて、前かがみに座ったら背中からおパンツ丸見えとどっちがかっこ悪いだろう?(やっぱり南米男はあ~ゆ~のが好きだから、南米姉ちゃんたちの間で流行ってるのだな。)***7月15日(金)この日は通らなければならぬミラノとボローニャの外環の渋滞をさけるため、朝5時に出ようと決めていたのだ。朝4時半。目覚ましが鳴った。この日未明、だいたい3時ごろに気絶したわたしは睡眠時間約1時間半。起きれるわけがあるはずはない。結局爆睡し、おっとに「起きて!もうこんな時間だよ!!」と揺り起こされたのは8時半も廻ったところだった。あ、頭がまだクラクラする。。。。フラフラしながら、洗面所に歯を磨きに行って鏡を見る。するとそこには。。。。。。髪を振り乱した、顔は蝋のような灰白の日本人形のような亡霊が鏡の向こうからこちらを見つめているのだ!?ぎゃあ~~~~~~~っ!!!!!!!!!!。。。。なんてことはない、自分の顔だった。**先日のチンクエテッレの前日はまたもや母の要望で「休息日」になったので、わたしは目目さんお薦めの美容院に行ってきた。目目さんも言ったとおり美容師フランコは本当に丁寧にはさみを使う。フランコ「君の襟足はね、強いくせ毛なんだよ。こういうときは逆らわずにそれに合った髪型にするこった。」わたしはこの言葉に感動し、おまかせにしていたのがいけなかった。それからはジャキジャキとすばやいはさみ使いであっという間にナウく言うならテクノ、マッシュルーム、オーソドックスな言い方をすれば、おかっぱ、キノコちゃんカットにされたのであった。。。汗わたし「あ、あのすみません。わたし、こ~ゆ~のじゃなくて、もっと動きのあるヘアにしたいんだけど。。。」と震える手でそこにあった雑誌をパラパラめくり、いろいろな髪型を指差す。フランコ「え。。。でももう切っちゃったよ?まあなんとかしてみよう。」ここからヘアアイロンや形の変わったブラシ、ムースでわたしの後頭部をなでつけること数十分。フランコ「見たまえ!素晴らしいだろう!?」と後ろ鏡を取り出した。わたし「!!」思わずどうコメントしていいやら困った。それはまるで白鳥が優雅に羽根を閉じたところを上からみたような、バラの開花を見守るような、そんなエレガントな髪型に仕上がっていたのである。目目さん、電話で報告したとき、あなたにこれを見せて笑わせたかった。その夜シャワーを浴びたらすっかり取れてしまったが、おっとと母だけでも笑わせることが出来たので大成功だ。違)。。。。。。そういったわけでこの朝はまだ見慣れない自分の髪型に驚いたのである。**それだけじゃない。この顔色、クラクラする頭。わたしはおっとの額と自分の額に手を当てる。おっとの額は冷たくてここちよい。ってことはわたし、熱がある??い、いやダメだ!ここで自分の熱を完全自覚してしまっては、結婚式にいけなくなる。わたしたちはアンナの数少ない招待客のうちの1組なのだ!行けなくなったら彼女に悪いし、海にも行きたいし。。。そこでわたしは解熱剤を飲み、無理を押して出かけることに決めたのだった。もう、通勤ラッシュ時間帯も終わり、リミニまでの道は空いているとまでは行かなくてもスムーズに行けたのである。「南リミニ出口」から高速道路を出てからはアンナに言われたとおり、ひたすら「海方面」と書かれた標識に従って進む。どんどん街並みがにぎやかになり、松林が続いて、このまま行ったら海に突入するんじゃないか、と思うぐらい海岸ぎりぎりのところにわたしたちのホテルがあった!着いたのは昼下がり。サンサンと降り注ぐ太陽、エメラルド色の海、気持ちのいい乾いた海風。わたしの前夜の心配をよそにずらりと並ぶカラフルな水着屋。街行く人々は水着やラフな服装でにこやかに笑いながら歩いている。。。そう、ここは巨大リゾート地。ああ~、やっぱり来て良かったよ!!!2人で深呼吸をして、顔を見合わせて笑う。おっとのこんな笑顔を見るのもひさしぶりで嬉しかった。これで今までのお嬢母の滞在中、張り詰めていた緊張が急にドッと解けたのだった。わたしたちはさっそくホテルにチェックインし、「お昼を外に食べに行って、水着を買って、泳ぎに行こう!」とはしゃぎながらも、いつものおっとのくせですぐにTVをつけてベッドに寝転がったら、あっという間にうたた寝をしてしまった。。。目覚めたのは16時ごろ。頭のクラクラはだいぶ収まった。熱も下がったようである。いつもなら、あたふたとここで焦るところなのだが、この日は珍しくちっとも焦りがなかった。短パンとタンクトップに着替え、すぐそばのBARでおっとはパニーノを、わたしはジェラートを買ってほおばりながらブラブラと水着を探す。リミニは物価が安い。ビーチサンダルなんて5ユーロぐらいでカラフルなのがいっぱいあるし、わたしもすぐに見つけて買った水着(←やっぱりちょっと焦ってる?)はたったの10ユーロ。おっとのは家から発見されたのでそれを着てさっそく海水浴場に出かけた。ホテルのすぐ前のビーチでパラソルと長いす代を払う。夕方に行ったので割引価格で9ユーロだ。イタリアはほとんどの海水浴場がホテルやレストランなどのプライベートで細かく仕切ってあるので、悔しいけれど払わないで砂浜でビーチタオルだけ引いて日光浴しようものなら追い出される。わたしたちは指定されたパラソルの下の長いすに荷物を置いて、さっそく海へと飛び込んだ。夕方だというのに、海の水はまだ温かく、生ぬるい温泉のようである。どこまでも長く続く砂浜はちっとも深くならない。一番深いところで胸の高さまでだ。ちょっと物足りない。でも水が恐い人や、子供連れにはピッタリのビーチである。遠くにはウインドウサーフィンをしているカラフルな帆が見え、すぐ近くをカモメがたくさん横切っていく。わたしたちはしばらく水を掛け合ったりして遊び、砂浜にあがって長いすの上に寝転がった。真っ赤なパラソルのはるか上には真っ青な空だ。いい風が吹いている。ああ、幸せ。今までの不幸が悪夢だったかのよう。そしてマイナスイオン効果だろうか?波とまわりのさざめきの音を聞きながらわたしはすっかりリラックスし、ぐ~ぐ~寝てしまったのであった。寒くなってきて目が醒めた。廻りを見ると薄暗くなっており、海水浴客はまばらである。2人の刺青の大男が手際よく次々とパラソルと長いすをたたんでいっている。横を見るとおっとの姿がない。わたしはちょっと心配になって上着をはおっておっとの服をかばんに突っ込みおっとを探しに行った。おっとは薄暗い波打ち際ででヒッピー風(古い?)の女の子ふたりがテントを張って砂のお城を作っているのを眺めていたのであった。その砂のお城は札幌の雪祭り顔負けの立派なお城だ。王女様が窓辺で助けを求めていて、上から大きな魔女がニタニタと笑って鍵爪でお城を壊そうとしている。彼らは夜中の間にこの傑作を壊されないようにテントで寝て、交替で夜警をするらしい。この後、わたしたちはホテルに帰ってシャワーを浴び、日が沈んでますます賑やかになったリミニの街に繰り出した。いったいこのひとたちは昼間、どこにひそんでいたんだろうと思うぐらいの大混雑なネオンのキラキラ輝く商店街を歩く。そこで見つけた1軒のいかにもリゾート地のピッツエリアでムール貝のてんこ盛りと魚介のピザを頼み、ビールの大ジョッキで乾杯!!さすがに海のそばだけあってんまかった。おっとはもう一杯大ジョッキをおかわりする。お会計は24ユーロ。まったくリミニは安い!この後海辺を歩いていたら「どどーん」という轟音と共に花火大会まではじまった。あああ~、幸せだよ。時よ、止まっておくれ!!我々は偶然にも一番よく見えるところでしばし立ち止まって花火を楽しんだのだった。あまり長続きしなかった花火が終わって時計を見ると夜中の12時。翌日は朝からいよいよアンナの結婚式である。わたしたちはこの賑やかな夜を惜しみながらホテルに戻った。***PS:saicuccioさんとAliceさんのイタリア組のおふたりからしかも種類の違うバトンが同時に廻ってきちゃったよ、ひえ~!!!(@_@;)今日はこの通りすでにネタが用意してあったんで(苦笑)、月曜日にふたつまとめて回答だ!!!!
2005.07.29
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最近のおっとのマイブーム:日本語で連発「イラナイイラナイ。」を手を横にヒラヒラ振りながらすること。最初にこの言葉を発したとき、「どこでそんな言葉、覚えたの?」(←日本のDVDを観た後などに時々変なニホンゴを言ったりするため。)おっと「お義母さん、いつもぼくが何か言うとこう答えてたんだ。どう意味?」おっと、意味もわからず発したのか。そういえば母はおっとがスペイン語で何か聞くたび逃げながらこんなこと言ってたっけ。。。そんな母は毎週1回大枚を払ってNO◎Aのスペイン語の個人レッスンを何年も前から受けているのである。。。。。わたしはやっぱり母の行動がわからない。***7月14日(木)母が木曜日に帰国してしまった後、感傷に浸る暇などもちろんなく、慌ててマルペンサ国際空港を後にした。それというのも、もう何日も前からこの日はミラノの中華街に住む50代後半のお嬢様Cさんのところに頼んでいた結婚式に出るためのワンピースを取りに行って、そのついでに日本食材を買い込みに行こうと何度も言ってあったのに、あほおっとがそれらをすっかり忘れてリミニまでの400Kmの大旅行に備えてもんで男くんを整備に出すアポを家の近所の整備工場と取り付けたからである。 リミニに出発するのは翌朝だ。なんで今まで時間がたっぷりあったのに、(母のお供で毎日出掛け通しはわたしだけだったし)土壇場でやるんだよ!?ガンガンクルマを飛ばしてCさんのお宅に着いたのはお昼をだいぶ過ぎてからだ。しかし、Cさんはそうめんを作って待っていてくれたのだった。しかし、アポのあるおっとは食べている暇などない。しかし、せっかく作ってくれたのに食べないと悪い。しかし、だからと言ってここでわたしだけ残って食べて家に電車で帰るのも、翌日の荷造りを考えると時間のロスがはなはだしい。しかし、Cさんの家の冷蔵庫は1ヶ月以上も前からお釈迦になっていて、平らげないと彼女は残りを保存も出来ずに捨ててしまうことになるのだ。しかし、「お昼を一緒に食べましょう。」なんて予告もなかったし、こっちも考えてなかったし、しかし、しかし、しかし。。。。。。OOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!。。。。わたしたちは冷酷な決断をした。そう、お昼なんて友人とのんびり食べている暇などないのである。我々は出来上がった洋服だけ掴み、せっかくのCさんの好意に申し訳なさを感じながらもサッサと家に帰ったのであった。おっと「あと2時間ほどで戻ってくるね!」と言い残し、再び慌ててバタバタ家から飛び出すおっと。わたしはちょっと深呼吸をしてシャワーを浴び、Cさんからたった今受け取って来たワンピースを試着することにした。シャワーが終わって着替えているとおっとが帰宅したのである。わたし「ずいぶん早かったね。」おっと「間に合わなかった。。。もう今日は別のアポがあるからやってもらえないって。」わたし「何時にアポを取ってたのさ?」おっと「。。。2時。」2時といえばわたしたちがまだマルペンサ空港に居た時間だ。んなもの、間に合うわけがないじゃん!!あほ!!!これがわかってりゃ(←何度聞いてもあいまいに時間を教えてくれなかった)、Cさん宅でそうめんをごちそうになってたのに!!おっと「。。。ところでそれ、着ていくつもり?」そうなのである。言い訳になってしまうが、この前日まで新居のことや、母のことでバタバタしていたのでワンピースをオーダーしてからCさんにほとんど遭う時間がなかったのだ。最初にミーティングをしたときに「うう~ん、このデザインあまり好きじゃないな。。。」と思ったのだけどCさんは自分のデザインに自信満々だし、わたしはモードに超うといし、こんなものか、と妥協してOK。仮縫いの時にはますます「なんかわたしに似合わないな。。。」と思ったけれど、Cさんは「ええ感じや!!」と得意そうだし、ここでデザインを元から換えてくれ、というのも彼女のプライドを傷つけるか、と黙っておいた。で、本縫いにはCさんの腕を信じて取りに行くまでおまかせ状態にしていたのがいけなかった。デリケートな薄い光沢のあるサラサラの黒い絹の生地使いは、わたしにCさんに仕事を依頼することを決めさせた彼女の得意とするところである。エレガントで華奢なフランス人(←なんとなくイメージ)なんかに着せたらオートクチュールの極みだ。しかし、このデリケートな服は、実際わたしが着たら、ぶよぶよのお腹がシルクの柔らかいラインでくっきり目立つ。アクセントに胸元についているきれいな大きなボタンが重みで胃の上まで垂れ下がり、本来胸にあるはずの薄絹が胸が平らなため、落ちて寄せ集まってお腹でとまっている状態だ。。。。汗ああ~、Cさん今まで固いマネキンにしか試着させなかったんだろうな。。。しかし我ながら醜すぎる。。。。と自分の体型を恨んだ。おっと「それ着ていくんだったら、ぼくは一緒に結婚式には出席しない!なんでオーダーメイドなのにそんなんなの!?」ごもっともである。わたしもCさんには申し訳ないが、これを来て結婚式には出席したくなかった。この後、まだまだ整理しなくてはいけない段ボール箱をぐちゃぐちゃにかき回し、昔別の友人(ウエディングドレスを作ってくれた人)が「たくさん試作品を作ったからあげる。」とくれた紺の胸元の編みこみがきれいなワンピースを発見して一件落着したのだった。(この服のこと、覚えてたらお金払ってまた別の服は頼まなかったな。。。ううう、ごめんよYちゃん)やっとホッとしてわたしは中に荷物を詰めるため、スーツケースを取り出した。おっと「ねえ!アポがなくなっちゃったしこれから水槽を買いに行こうよ!!」わたし「え~、荷造りしなくちゃいけないし時間がないよ。」おっと「水槽だけだから!すぐ帰ってこれるよ!!ねえ~、お願い。」おっとのウルウル攻撃に負けてついつい買いに行くことになってしまった。。。実は母が我が家にいた時にうちの金魚の水槽(会社なんかである飲料水の機械のあのでかいプラステイックボトルに水を入れただけ。)を見て、「なんてみすぼらしい水槽なの!?あなたたちが新しいお家に引っ越したんだから金魚にも新しい水槽を買ってあげなさい!」と緊急時にしか使ってはいけないといわれている実家の家族用キャッシュカードの使用許可を認めてくれたのである。(←わたし的にはこのボトルもアーテイステイックでよかったんだけど)最近極貧で食料以外の買い物をしていないおっとはこういう「趣味のもの」が買える喜びでいっぱいだったようだ。(しかも値段上限なし!)いつも行くスーパーの横の商店街の大きなペットショップに着いた。ここは常時小動物がたくさんいるので買い物に行く度に見にいくお決まりルートである。中でも魚類のコーナーが一番大きいので水槽も大小よりどりみどりである。ウィンドウショッピングだけなら早いが、いざ買うとなると真剣だ。わたしはたった1匹だけの金魚なのだからと、丸い金魚鉢を見ていた。しかしおっとはエアポンプつき、スイッチひとつで色の変わるネオン付き、木製書棚風台付きの豪華家具調1m以上もある立派なクリスタルの水槽を興味深く見ているではないか!?わたし「。。。あんた、海がめでも飼うつもり?」おっと「これ、ステキだよね?ほら、木目調のふたの部分もうちのキッチンと同じ木目だよ?ここに砂利を引いて、水草をいっぱい植えて、色とりどりの友達を増やしたら、キレイだよ~。」わたし「。。。。そんなでかい水槽買って、掃除は誰がやるんだよ(怒)?」掃除は嫌いだけれど、家がきれいでないと嫌なわたしたちにとって、「掃除」は永遠の課題なのである。「掃除」という言葉でおっとは渋々この水槽を諦めた。金魚鉢も今のプラスティックボトルより大きいものがないので没。結局あれこれ眺めて60cmもあるエアポンプ、照明付きの前記ほどではないが立派な水槽と5Kgの砂利の袋を買ったのだった。キャッシャーのお姉さん「水は水道水で大丈夫です。ただし初めてですので1週間はエアポンプをONにして水と砂利をキレイにしてくださいね。それからお魚ちゃん入れてください。」すでにこの時で20時半の閉店時間。この水槽に決めるまでずいぶん長く居たことになる。ちっとも「すぐ」じゃない。**家に帰るとおっとは一目散に大きな水槽の包みをはがして、水槽つくりをはじめた。わたしは「お腹空いたよ~。」というおっとの声を無視して荷造りに取り掛かる。(そう、わたしは時間がないときは真っ先に食べる時間を削る人。。)しかし、この日は前記のように昼食も抜きだ。さすがにお腹が空いて目が廻ってきたらおっとがブツブツ言いながらリゾットを作り出した。わたしはそれを見てちょっと安心し、おっとの下着を放り込み、わたしのTシャツを突っ込み、なんせ海辺の町に行くのだからとビーチタオルを突っ込んで水着を探す。洋服ダンスの中を探す。洗面所のタオルの中を探す。まだ10個以上は片付けてない段ボールの中をさっきのワンピース同様、ぐちゃぐちゃに探しまくる。。。。見つからない。汗その間おっとは独りでリゾットを食べ、シャワーを浴びて寝てしまった。(←荷造り手伝えよ、おまえ)わたしは焦りながら何度も段ボールの中を探しているうちに夜中の3時になった。そうしてやっとおぼろげに思い出してきたのだ。この間、いらない衣類を整理したときに何着もある水着を突っ込んだ袋が見つかった。「あとでゆっくり整理しよう」と思っていらない衣類と一緒に大きな紙袋にまとめ。。。。。。。。。その紙袋はこの間、大急ぎで家を出たときに引っ掴んで中身も確かめず近所の「貧しいひとへの寄付箱」に放り込んだのだ!!!!OOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!海の前まで行って、水着がないってか?!そんな残酷な!!!わたしはあまりのショックのためか頭がフラフラしてきて、まだ荷造りが終わっていないにもかかわらず、そのままベッドに倒れこんで気絶したのであった。(つづく)
2005.07.28
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母はあっさりと帰国した。出発当日、特にどういった感情もわたしと母の間では沸かなかったのだが、おっとは少し涙ぐんでたようである。3時間も前に空港に着いたので、わたしは「最後に一緒にお昼でも食べましょうか。」と聞く。(←もっともわたしがお腹が空いていた事もアリ)しかし母は「あら?もうチェックイン始めてるのね?わたし、もう行くわ。」とチェックインを済ませると、挨拶もそこそこに入り口の中にサッサと消えて行ったのであった。おっとはそれを見ながら「どうして君たち、そんなにクールなの?」と責めるようにわたしに聞いたのであった。クールも何も。。。それぐらいのことで、メソメソするおっとのほうがわたしにとっては不思議である。(←それがクールってか?)***今日はその後のリミニでのアンナの結婚式について書こうと思ったのだが、ちょっと休憩。先週土曜日は(だからわたしの日記は日記じゃないんだってば。)、以前の日記で紹介した目目さんのお宅の夕食パーティに招待された。ところでこの日の昼間は親方の弟子たちが壊した階段のステップの替えを持ってきた。そして前より見てくれはよく作ったものの、またもや1段、ステップを壊しやがったのだ!!!弟子A「俺たちのせいじゃねえよ!この木が悪いんでいっ。」そう、やつらの親方が持ってきた木が粗悪なのである。もう怒りというより、あきれてガッカリしたわたしたちなのであった。***話を戻して目目さんと遭うのはこれで2回目。たった2回目にしてそんなわけもわからない人間を、そしてエクアドル人なんていうますます訳のわからない怪しいガイジンをご自宅に招待していただいていいのだろうか?とちょっと申し訳なさを感じながらも、スキップしたいような気持ちでいそいそと出かけたのだ。目目さん「たいしたものは作らないから、あんまり期待しないでね。」というのでその言葉どおり、ちっとも期待せずに行った。(ウソウソ)目目さんのアパートは我が社からそんなに遠くないミラノの街中にある。2つのクルマ通りの激しい大通りに挟まれ、前にはトラムが通るアパートに「騒々しいところだなあ。」と思いながらインターフォンを鳴らしてエレベーターで最上階にあがった。目目さんがニコニコとドアの前で待っていた。「あ、いらっしゃ~い。うち、土禁なんだけど、夕食は居間の向こうのベランダに用意してあるからさささっと駆け抜けてちょうだい。」言われたとおり、じゅうたん敷きの居間を靴のまま駆け足でさささっと通り抜けベランダに出る。絶景である!家の中より広いんじゃないかL字型のベランダはたくさんのハーブで埋め尽くされ、日よけにしているスダレがアジアンチックな雰囲気を出している。この道を挟む2つの大通りの向こうのミラノの街も一望に見渡せ、最上階のせいか騒音がまったく届いてこない。(ううう、借家時代にこんな家に住んでみたかったよ。)すでにテーブルはセッテイングされ(当たり前か。いつものごとく遅れて行ったし。)、色とりどりのおいしそうな料理の皿がぎっしりとテーブルを埋め尽くしているのだ。かぼちゃの煮物、ラタトウユ、アジのマリネ、焼肉、小さい巻貝のつぼ焼き風、麦ごはんおにぎり、旦那さんが作った自家製納豆、ETC..これが「たいしたもの」じゃなかったら、うちのごはんは「ものすご~~くたいしたもの」じゃない。。。(せいぜい肉と野菜の2品をご飯と一緒にまとめてお皿に盛るだけだしな。)すでに他の約10名のお客さんは到着していて韓国人、日本人、スペイン人、イタリア人と国際色が豊かである。(エジプト人も来る予定だったが来れなくなったらしい。)こんなインターナショナルなパーティは語学学校以来、久々だなあ、と感激しながら薦められた席に座った。すでに場は盛り上がっていて、というより招待客のひとり、目目さんの友達の韓国人の旦那さん、カラブリア出身のロザリオという大男の独壇場であった。皆さんは目を白黒させながらウンウンとうなずいているが、途中入場のわたしには、それを聞く耳はなく、目がテーブルの上のごちそうに釘付けである。「ちょっとすみませんね~。」とこれもまた初めて遭う面々に身体をずらしてもらいながら徐々にテーブルの前を陣取り、お皿にてんこ盛りにごちそうを乗っけたのであった。それを見て遠慮がちだったおっとも恥ずかしそうにごちそうを取り、串焼き焼肉にほおばりつく。(これは目目さんの旦那さんが少し離れたところで、まるで七輪でさんまを焼くかのようにかがみこんで、パタパタとうちわで小さなBBQセットの上で焼いて作っていた。)ロザリオが喋っている間、2人は無言でガツガツとごちそうを食べていたのであった。ロザリオは一通り喋り終わると「じゃ、仕事に行かなくちゃ。」とサッサと出て行ってしまい、奥さんだけが残った。(ちなみに奥さんもハイパーだが、まだマシである。)他の残りのメンバーはそのとき心底ホッとしたらしいが、わたしたちは食べることに必死でそんな空気にも気が付かなかったのである。やがてお腹もいっぱいになってきて、わたしたちはようやく廻りに目を向けることが出来たのだった。目目さんは「これがいくきーとさんで、これがおっとさん。」と皆に紹介する。一同「ああ!あのネットで知り合った人!」 ネットお見合いではない。が、ちょっと気恥ずかしい。わたしの横にはジュエリーデザイナーをやってる日本人Eさんが穏やかに目目さんの娘さんと同い年の彼女の娘さんの相手をしている。この2人の娘さん共通なのだが、目目さんの娘さんは日本語、韓国語、イタリア語を、Eさんのは日本語、イタリア語を自由に操る。この2人の間では2人とも日本人(?ちょっと違う)とのハーフなのにイタリア語で会話して、親に呼ばれたら日本語で返事しているのがおもしろい。幼稚園がイタリア語だから、自動変換なんだな。。うちのおっとのはとこの娘のミッシェルちゃんと同い年のはずなのに、簡単に大泣きする彼女に比べ、2人ともおとなしいのがうらやましい。目目さんは更にハイパーで旦那さんとは韓国語、わたしたちとは日本語、イタリア人たちとはイタリア語でタメで喋れるから、当たり前なんだけどスゴイ話だ。テーブルの向こうにいる2人の韓国人の女の子のひとりは、例の来れなかったエジプト人の彼女のキョン。今、彼女が通っているブレラ王立美術学院の卒業制作に励んでいて、卒業したら韓国に帰って就職するという。わたし「え~、せっかくイタリアで勉強したのにこっちで就職しないの、もったいないね?」キョン「イタリアじゃ、王立学院を卒業したところでお金は儲けられないわ、夢だけじゃ食べていけないでしょ?」ほ、ほう。おっと「エジプト人の彼氏はどうするの?別れちゃうの??」キョン「彼とは現地だけの恋だから。わたしは結婚相手は韓国人がいいし、彼にだって彼女が居るし。」この言葉にはおっとはちょっとショックなようであった。そういえば熱っつい南米人からこんなクールな関係は聞いたことがない気がする。おっとの左にはEさんの旦那さんのステファノが居た。しばらくおっととの間で日本から帰ってきたばかりでお土産話と、「日本人妻を持つおっとの悩み」で2人の間で華が咲いたようである。どうもこうも、いろいろあるらしいが、例を挙げると:妻が日本の実家と30分以上にも渡って電話で喋っていた後、「実家と何を話したの?」と聞くと「う~ん、別に何にも。」と返事が返ってくるのが信じられないそうである。おっと軍曰く、「30分以上も喋って、何にもないわけないだろっ!大方、オレの悪口にでも興じていたんだ!!?? 」 となるのだ。これにはわたしたち妻軍が反撃した。(この日は味方がいてくれて嬉しい。)「うちの犬が下痢した、とか、お隣の◎田さんがハワイに行ってきた、とか、そんなくだらない話題、言うに及ばないし、犬のことならともかく、ご近所のことなんてアンタには私以上にどうでもいいことでしょうが!!」となり、平行線をたどるのである。メンタリティの違いだろうか??そこにおっとの右隣のスペイン人アンジェラも参加し、最初は5人で喋っていたのだが、そのうちおっとと2人でスペイン語で話し込みだした。ヨーロッパと南米の方言の違いがおもしろい。わたしはすっかり目目さんとEさんとで日本語で話し込み、韓国人の女の子たちは韓国語でお喋りに花が咲いて。。。やっぱりどうしてもだれてくると母国語を喋る人と一緒に固まっちゃうよな。あ、こうやって整理して書き込むとただひとりのイタリア人、ステファノと七輪の、いや、ミニBBQの前で焼き続けた目目さんの旦那さんは楽しんでいたんだろうか??汗目目さんと目目さんのだんなさんは皆がわいわい騒々しい中、こまめに動いてごちそうの補充とかをさりげなくしていてくれたのに感動した。考えたら当たり前のことなんだろうけど、我が家じゃ南米人たちが押しかけてきた時にはみんな勝手に冷蔵庫を開けてビールやつまみを出すので、最初は怒ってたけど、最近は何にもしなくていいからいいや、と思うようになり。。。。汗おっとは今でも言う。「目目さんって優しいし、料理がうまいよね。どうして目目さんがぼくの奥さんじゃないんだろう?」やかましい!泣かすぞっ!!夜も11時半を過ぎ、名残惜しかったがお開きとなった。わたしはうちの金魚の水槽の飾りに皆で食い散らかした巻貝の貝殻をもらった。おっとは前記の2人の韓国人の女の子たちの前でかっこをつけて「女の子だけで夜道を帰るのは危ないよ、送っていくよ。」とクルマに乗ったのはいいのだが、天性の方向音痴なので道に迷いまくりである。結局キョンにナビゲーターをしてもらって、彼女たちを無事に送り届けたはいいが、その後、我が家までの高速道路を眼前にしながら、我々は夜中の放浪の旅にさまようことになったのであった。。。。。と、とにかく楽しい夜だった。夜の夜景もばつぐんだった。目目さん、本当に楽しい夜をありがとう!PS.クルマの免許試験合格おめでとう!!!!!!!!
2005.07.27
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今朝はまたもやイライラと開かずの踏み切りで待たされた。そのせいで今にも扉がすでに閉じかけて発車しようとしている電車に走り込んだのである。ぎりぎりセーフ。扉のそばには高校生の男の子が2人床に座り込んでいた。うざったげにわたしを見て「まったく。。。ここは日本じゃないんだから。」とつぶやく。なんだって?ここは「日本」じゃない??ってことはこの2人、わたしを日本人と間違えた!?(だっていつもデカセギ中国人小姐)うれしい、非常にうれしい!!久しぶりに日本人と間違えられたぞっ!!ばんざ~い!!今日はいい一日になりそうだ。***7月13日(水)チンクエテッレこの日は母の自由行動最終日である。次の日には日本に帰国なのだ。なので、かなり遠出なのだが、東リビエラ海岸の最終地点「チンクエテッレ」に行くことにした。チンクエテッレとは「5つの地」という意味。海沿いの断崖に5つの小さな村が張り付くようにあって、その村々めぐりをするのが楽しいらしい。我が社の同僚グラッツエラが「ラ スペッツィア駅まで行ったらなんとかなるわよ。」と言ったそれだけを頼りに何も知らずに無謀にも出かけた。ジェノバ乗換えローマ往きの一等車の切符をラ スペッツィア駅まで買う。ミラノ中央駅のホームに上がったところでさっそくトラブルが生じた。ジェノバまでの特急インターシティが「40分遅れ」と電光掲示板に表示されているのだ!?40分も遅れたらジェノバから1日にわずかしか出ていないラ スペッツィア行きの特急に間に合わない。慌てて時刻表を見に走った。独りならどうでもいいのだが、お嬢母をお連れしなければならない使命感で心臓がバクバクである!そして冷や汗が目に入ってかすむ眼から、2分後発車のジェノバからの特急にぎりぎり間に合う急行を見つけたのだった。大きな構内を走りぬけ、やっと急行に飛び込む。電車はすぐに動き出した。これは急行なので一等車でも、前回のローカル線まではいかなくともしょぼい。母はもちろんブーブーであった。しかし、それも小2時間ほど、ジェノバからはやっと新幹線の普通車並みの美しい一等車に乗れたので母は機嫌を治した様である。(ヤレヤレ、でも1時間しか乗れなかったけど。)ラ スペッツィア駅に着いた。ここはもう、海辺の町。駅はアロハシャツや水着のままの旅行者たちでにぎわっている。その光景だけですでにわたしはワクワクし、インフォメーションに「チンクエテッレ」の遊び方を聞きに行ったのだ。遊び方はこうだ:チンクエテッレはモンテロッソ, ベルナッツア, コルニリア, マナローラ,リオマッジョ-レの5つの村で成り立っていて、それぞれに国鉄の鈍行列車で行ける。夏の観光シーズンは15分毎ぐらいに電車が出ているので、電車で1村づつ廻るのもよし、1駅1駅の間隔は徒歩10分から20分ぐらいなので歩いて廻るもよし、ウロチョロするのに便利だ。わたしたちはまず駅のそばの普通のバールで速攻ランチを食べ(わたしは食べる時間を削ってでも遊ぶひとなんだよ、ご期待に添えなくてすみまそん、saicuccioさん。)ラ スペッツィア駅から鈍行に乗り、1つジェノバ方向に戻ったリオマッジョ-レ駅で降りた。全ての駅に言える事だけど、この辺の駅は海辺の洞窟の中なんで、面白い。ここからは、何が哀しいかな、チンクエテッレ名物の「恋人たちの小道」を母と2人でたどってマナローラまで歩いたのである。さすがに「恋人たちの小道」なだけあって海岸にへばりつく大海を望むクネクネの小道は愛の落書きなんかも山のようにあり、わたしたちは昼間の炎天下に歩いたのだけど、夕暮れはさぞやロマンチックであろう道だった。(↑こんな感じ?)マナローラの村は小さな素朴な村だった。ちょっと村を見て電車に乗って、2つ駅向こうのベルナッツアへ。ここは、「ポルトフィーノ」というマッジョーレ湖に負けない高級バカンス地が近くにあるのだが、それの縮小版、といった感じのハイソな村である。隣接しながらも各村が特徴があっておもしろい。写真を撮りながら岸壁まで行くと、子供たちが大きな岩の上から海にダイブしている。リビエラ海岸の特徴は岩でごつごつで海岸からは砂浜などなく急に深くなるのである。そのため海が蒼緑に澄んでいて、魚も真近で見ることが出来る。そのそばで、ひとりのおばさんがパラソルの下で5つの村を海から廻る遊覧船のチケットを売っているのを発見した。マッジョーレ湖の屈辱を晴らすときが来た!わたしはためらわず次の駅モンテロッソ、最終地点までの切符を買ったのである!!(確か2人で6ユーロだったと思う。)遊覧船に乗ったのは正解だった。遠ざかるベルナッツアをおもちゃの町のように海から眺めながらかもめたちの後を追うようにのんびりとモンテロッソの1つ目の港に入る。ここは小石の浜になっていてカラフルなパラソルやボートがきれいだ。そこからお土産物屋で埋め尽くされた整備された道をたどり、トンネルをくぐりぬけるとほらっ!砂浜(人工だけど)。 ゆっくり店を見て廻って、バールでアイスクリームを食べて駅に向ったら、ちょうど帰りの特急の時間だった。ミラノから日帰りにぴったり。ふふふ、わたしもこれで立派なツアコンになれるな。。。。(もしも母のような客ばっかりだったら、あんまりなる気になれないけど。。。)***夜はちょうど夕飯時、という、ほどよい時間に家に帰りついたわたしたち。母「わたし、イタリアに来てからまだロクなものを食べてないわ。今まであなたたちにお世話になったお礼を兼ねていいレストランでごちそうしますから連れて行きなさい。」というので2年前、結婚式のときに披露宴の場所探しで下見にだけ行って、あまりの高さにおそれをなして辞めてしまったあのモンツァの「レアーレ宮殿」のすぐ前にある5つ星ホテル「ホテル ビッラ レアーレ」のレストランに連れて行ったのである。格式高い素晴らしいロビーを持つホテルだ。レストランは小さいがここも格調があっていかにもお金持ちそうな宿泊客たちが食事をしている。本日のメニューは「サーモンのカルパッチョ」をメインディッシュにしたコースだった。単品メニューも見ると、「KATSUO NO TATAKI」(Cから始まる同音異語のイタリア語じゃなくてよかった。。)や「TEMPURA」があったりして、日本人宿泊客も多いことを感じさせられる。わたしはサーモンを、母はおっとと一緒に常時メニュー「オッソブッコ」を選んだ。「オッソブッコ」とは牛の骨の髄をトロトロに煮込んだトスカーナ料理である。すするようにして食べるのだ。イタリアは狂牛病の警報がだいぶ前から解除されているが、信用はしていないのでわたしは絶対食べない一品である。だからおっとは頼んだみたいなんだけど。。。汗でも母はいったいどういう一品なのか知らずにつられて頼んだみたいなんだけど。。。。大汗結局母は目の前に出された骨の髄を見て、気まずそうに「あらやだ、これ、牛の骨なの!?おほほほほ!!!」と高笑いしながらわたしのサーモンと無理に交換したのであった。汗サーモンもおいしそうだったが、久々に食べる、しかも5つ星レストランのオッソブッコはコクがあってしつこくなくおいしかった。骨の周りの肉も口の中で溶けそうなほど柔らかかった。可哀そうなおっとは食事の間、母に「運転手は一滴たりともアルコールはダメよ!!」とにらまれ続けていたのでワインは飲めなかったのである。わたしは我慢できずにグラスワインを頼む。何年のものか忘れたけど、サーモンに合うおいしいシャルドネーにちょっと酔った。クリームブリュレをデザートにコーヒーを飲んでお会計。合計153ユーロなり。母「あら、安いじゃない?」わたしも予想外の安さにびっくりした。3つのコースにワインに水もがぶがぶ飲んで(←イタリアは水はタダではない。)高級レストランでひとり約50ユーロ。母と一緒にわたしも金銭感覚がおかしくなってきているのだろうか。。?それはともかく母の滞在のフィナーレを飾るにふさわしい、充実した1日となったのだった。***Gabbyさんとこで見つけてしまった「マイヤヒー。」あんまりナイスだったんで、泥棒してきました。うちの会社の倉庫のルーマニア人、チプリアンを笑わせられないのが悔しいわ。ここをクリック。(フラッシュムービー要)
2005.07.26
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7月11日(月)マッジョ-レ湖前日はご近所を午後しか散策していないので、母はまだまだ元気いっぱいである。そこで天気予報の嵐の情報が気になりながらもマッジョ-レ湖へ。マッジョーレ湖とはイタリア語で「最大の湖」という意味。そう、スイスにまで鼻を延ばしたイタリア最大の湖である。この湖の名物は「マードレ島」「ペスカトーレ島」「ベッラ島」の湖の真ん中に浮かぶ3島。ちなみにこの湖はミラノマルペンサ国際空港からクルマですぐ。ウイリアムの家からもすぐそこだ(どうだっていいけど)。しかしおっとが出勤したこの日は電車で出かけることとなった。電車でもミラノから1時間半弱ぐらい。そんなに遠いところではない。しかしわたしはいつも(ってそんなに来てないけど)クルマで来ていたのでどこで降りていいかわからず、母の「地球の歩◎方」に書いてあった一番大きそうな湖畔街「ストレーザ」で降りることにした。駅は小高い丘の上にぽつんとある。降り立ったものの、どこに行っていいかわからない。一緒に降りてきたドイツ人旅行者と思えるグループが左に向って歩き出したのでそれに続く。どんどん坂を下るとやっと大きな湖と停泊する遊覧船が見えてきた。確か、あれに乗るんだよね?湖に向ってちょっと早足で歩く。しかし船は出航してしまった。あ~あ、行っちゃったよ。わたしたちは歩く速度を落とし、遊覧船の切符売り場を探した。やがてたむろって日光浴をしていた何人かの中から船長っぽい白い制服を着たおっさんが「何かご用?」と近づいてきたのである。わたし「ええ、あの船の(指を差して)乗車券を買いたいんです。」おっさん「じゃあ、こっちだ。」遠のいていく遊覧船に気を取られていたので、すぐ横の水色の「切符売り場」と大きく書かれたプレハブの小屋におっさんに言われてからはじめて気が着いた。中には誰もいなかった。おっさんは中に入って「どこ行きの切符が欲しいの?」と聞く。わたし「3島の周遊券を2枚ください。」おっさん「35ユーロ。」げ?以前遊覧船に乗ったときこんなに高かったっけ?(最後に乗ったのはもう1年以上も前のことだからちっとも覚えていない。)ひとり17,5ユーロ。。。観光地だからそんなもん??ちょっと困って母を見る。しかし母が「わたしが払いますからね!いくらなの?」とすでに取り出していたエルメスのエナメルの大きな財布から札束を数え始めたのを見て、すでに染み付いてしまっている極貧な根性が恥ずかしくなった。そして母と一緒にすまして切符を買ったのである。おっさん「さっそく出発しよう!着いてきて。」とどんどん船着場から離れた方向に歩き出すではないか?着いたところはレストランの陰に隠れた小さな砂利の浜だった。古びた白い小さなクルーザーが留まっている。おっさん「足元に気をつけて乗ってね~。」うわあああああ!!わたしとしたことがっ!うっかりして白タクに捕まっちゃったよ!しかしもう切符を買ってしまった。しかたがない、わたしたちは2人貸し切り状態でこのクルーザーに乗り込んだのであった。考えれば贅沢なことなのだ。が、まるで素人のように(←何の?)白タクのおっちゃんにまんまとはめられたことが悔しい。ちょっと待てよ?島に上陸したときはこのおっさん、どうするつもりだろ?前払いしちゃったから、まさかわたしたちを島に置き去りにして逃げるんじゃないでしょうね。。考えていると船酔いも手伝い、どんどん気分が悪くなってきた。ようやくクルーザーはストレーザから一番離れた「マードレ島」に着いたのであった。おっさん「あと1時間半後に迎えに来ますよ。」と出航しようとする。待て!逃げるなあっ!!わたしに大きな不安を残して、おっさんはあっという間に湖の彼方に去っていったのであった。母「この1時間半の間にまたあなたみたいにおばかさんな、別のカモを探しに行ったのね、きっと。」とわたしの屈辱感に拍車をかける。(そ、そうだよ。今のわたしは「極貧」じゃない。もしも置き去りにされたなら、35ユーロは悔しいけれど普通の遊覧船に乗って帰ればいいんだ。)と、自分に言い聞かせてマードレ島に入島する。ちなみに入島料は後ほど行く予定のベッラ島と2島あわせてひとり15ユーロだったと思う。観光地はなんでも高いわ!!島の概要:この3島はその土地の貴族ボロメオ家の所有物だったものだ。多くの時をマードレ島の宮殿で過ごし、夏の離宮として建てたものがベッラ島の宮殿だとされる。残りのペスカトーレ島(漁師の島という意味)はおそらく食料調達用に所有していたものだろうか?わたしが今まで上陸したことがあるのはベッラ島とペスカトーレ島の2島だけである。誰に聞いても「マードレ島は入島料の払い損だ、しょぼい。」と言ってたんで。。。しかし今回パトロンをつけたわたしはせっかくなので、行ったことのないマードレ島にも入島することをためらわなかった。宮殿に続く庭園に一歩足を踏み入れると。。。いやいや、入島料の払い損なんかじゃないよ? 手入れされた広大な庭園には白い孔雀や珍しい紅白のキジが遊び、イヤがおうにもリッチな気分にさせてくれる。湖面沿いに続く断崖の松林を遠くに見える湖畔の町々を見ながらゆっくり歩くと、まるでその当時の貴族になったような優雅な気持ちになる。やがて宮殿に着いた。まるで海を眺める高級リゾートホテルのようなたたずまいだ。(ちなみに左下のちっちゃい白いのは白クジャク)中はたくさんの肖像画が飾られていた。全てお抱え画家に描かせていたのだろうが、申し訳ないが、こういうタイプの絵は好みじゃないなあ。。。と、思いつつ部屋を移動していった。2番目に入った部屋は「人形の部屋」だった。大きく仕切られたガラスの中に無数のアンティークドールが並んでこちらをみつめている。わたしははっきりいってアンティークドールは念(?)でもこもってそうで好きになれない。こんな部屋に夜中にひとりで残されて、やつらが勝手に動き出したら。。。と思うと身震いがして早々にこの部屋を移動した。次の部屋は「人形劇の部屋 天国編」だった。壁の一面がシアターになっていて、周りの壁にはお世辞でもお上手とは言えない素人が描いたような天国画のフレスコ画で覆い尽くされている。その次の部屋は「人形劇の部屋 地獄編」。さっきの部屋と同じようなつくりだが、地獄風に仕立てられている。。ここの城主は人形フェチ?下々の街と切り離された湖の真ん中の孤島で、TVもラジオもない時代にさぞやすることがなくて暇だったのだろうが、ここまで人形ばっかり見せられるといい加減、興ざめがしてきてしまった。入島料の払い損なわけがわかったような気がした。この島全てを見ると、まさにちょうど1時間半だ。おっさんは白タクをしているだけあって、さすがの感覚である。わたしは不安をまたもや膨らませながらさっき船から降ろされたところに行くと、わたしたちと同じような日本人の母娘が木陰に座っていた。このひとたちも白タクでカモにされて来たんだろうか。。。?と考えているとおっさんのクルーザーがやってくるのが見えてホッとする。置き去りにはされなかった。やっとわたしは安心してベッラ島に向ったのだ。ベッラ島はこの3島の中で一番にぎやかな島。宮殿に入らなくてもまわりを囲むお土産物屋めぐりだけでも楽しめる。しかし、ここの庭園はお金を払ってでも入る価値はある。というのはマードレ島にも共通したことだが、ボロメオさんは芸術の趣味は悪くても一級の庭園デザイナーを抱えていたことだ。まずはオゲオゲの趣味の悪い宮殿内、何が趣味が悪いって「海底の間」。黒い岩がぼこぼこな壁とへんなサンゴや貝殻で装飾された部屋を最後に通って、またもや人形たちに見送られつつ外に出ると、由に500年は経ったであろうと思われる楠の古木に迎えられて素晴らしい彫刻の壁を正面に見た広い庭園に出るのだ!壁を登るとスイスまで延びる細長い湖の先の先まで見えるのは豪快そのもの、遥か下を優雅に自家用クルーザーやヨットが走っていく。出口近くにはその当時では維持が大変だったであろうアールヌーボー風の黒い鉄骨でつくられた熱帯植物園があり、今でもランなどの熱帯植物が花を咲かせている。庭園の隅の喫茶店で冷たいコーヒーを飲んで眺める湖はなんともここちよい。(アイスコーヒーは思わず「わたしが作ったるやん!」というほど不器用な手で作られたけど。。)入り口とは裏腹に気も付かない様な小さなしょぼい動物園のそれのような回転式の鉄の出口を出るとそこはお土産物屋がずらりとならぶ路地である。ベネチアの仮面から、シチリアの陶器までなんでも揃っているマルチな店店だ。まあ、マッジョ-レ湖土産なんてなんにもないし。3島の中で1島しか行く時間がない、というあなたはここだけでOKよ。ここは2時間の滞在時間だったが、そんなものだった。そしてペスカトーレ島へ。ペスカトーレ島は外観は雰囲気があって美しいのだが、上陸しても漁師の家々しかない。時計を見るともう帰りの電車の時間がせまっている。なのでこれは湖上から見るだけにとどめたのであった。またもや、船着場でもなんでもないストレーザの小石の浜にわたしたちは打上げられるかのように到着した。どうやら、往きはドイツ人のグループと共に間違えて次の船着場に行っていたようだ。ここで目の前に広がるのは湖畔の高級リゾートホテルばかり。宝石店やムラーノガラスのギャラリーが並ぶハイソな商店街を通ってわたしたちは国鉄駅に向う。母はここでゴージャスでシックなムラーノガラスのネックレスを買ってご満悦である。「マッジョ-レ湖ってステキなところね。また来たいわ。」ハイソな母はここで数日の彼女にとっての非現実から目が醒めたようであった。母「もう貧乏なあなたにつきあって2等車ばかりに乗るのはごめんだわ!1等車に変えてちょうだい!!」わたしはそれまで2等車以外頭の隅にもなかった自分に恥ずかしくなった。そう、彼女は新幹線も必ず「グリーン車」のお嬢なのだ!窓口で切符を替えたら、なんとミラノから我が最寄り駅までのローカル線まで1等車になっていた。へえ~、あんなローカル線に1等車があるなんて知らなかったよ。と、ミラノに着いて本当に1等車と書かれた車両があったことに驚きながら乗り込むと、全ての車両の中で一番汚いんじゃないかと思うぐらいの薄汚れた車両だった。もう面倒くさいのでそのまま座っていると車掌が検札に来た。車掌「へ?1等?あんたら、バッカじゃないの?ハッハッハッハ!!」と切符を切って笑いながら行ってしまったのである。まったく。お金を余分に払って一番汚い車両に座って笑われていたらざまあないものだ。
2005.07.22
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前回の日記ではご心配をおかけしました。ああ、書きたくなかったけど書かずにはいられんかった。。。。また、気を取り直してお嬢母滞在記。7月10日(日)モンツァ金曜日までは「週末はお義母さんを出来るだけ遠くに連れて行くんだ!!」と張り切っていたおっと。しかし、前日の強行軍ですっかりその意気も消沈してしまったようである。前日の朝5時起きはウソだったかのようにこの日は8時まで寝ていてくれたので助かった。母も疲れていたようで「今日はクルマがあるなら、あなたが言ってたこの近くのモンツァに行きましょ。」と。うちからモンツァまではクルマで15分ぐらい。ずいぶん前にも紹介したと思うがF1のサーキットがあることで有名な、しかし落ち着いたたたずまいの街だ。ミラノに隣接しながらも「ミラノはパン屑で、モンツァは肉の塊で出来た街」と言われている。そう、ミラノはパン屑に等しく中身がない、軽い街なのだが、モンツァはぎっしりした肉のように中身の濃い街だと言いたいらしい。ゆっくりと3人で昼食を取った後、我々はモンツァに出かけた。まずはロンバルデア州で一番広い公園の横にたたずむ「レアーレ宮殿」に行く。ここは何年も前から修復工事が行われているのだが、この日もまだ工事をしていて中に入れないのが残念だった。そこからここ数日の嵐の後のしっとり濡れた涼しい公園を少し散策して中心街へ。ここのドゥモはミラノやフィレンツエのように華やかさはないが、何が素晴らしいと言えば、去年にも紹介したお宝、もう一回紹介するけど「キリストの手を打った釘を軸にして造った王冠」である。わずか1ユーロを払うと、分厚いカーテンで仕切られた小部屋に案内される。ここの壁や天井を一面に覆いつくすフレスコ画は金箔が惜しみなく使われゴージャスそのものだ。(残念ながら撮影禁止地帯だった。)その部屋の中心にはミラノのドゥモ建築を彷彿させる細い天に向ってまっすぐ伸びる小さな搭があって、その中心部に内蔵された金庫の中からガラスケースに入った小さな冠を見せてくれる。冠裏面の軸に使われている釘はエルサエムの地からとあるローマの教会まで運ばれてきたものが、その時の女王、ロンゴバルド(これがロンバルディア州の名前の由来)に献上されたらしい。これだけみれば「その辺の道路に落ちてる釘をガンガン叩いて伸ばしたんじゃないの?」と思うぐらいたいしたことがないというか、胡散臭いものなのだが、王冠本体が純金製、無数のルビーやエメラルドの宝石がちりばめられている。わたしがルパン3世なら、必ず獲物のターゲットにしているようなお宝だ。お宝を見た後、わたしたちは教会のそばのゴージャスな色あせた厚い赤いカーペットの敷かれた喫茶店でお茶をする。ここじゃ、ハイソな人々が優雅にお茶をしていたのだけど、日本に場所を置き換えたらどう見たって「珈琲の青◎」みたいな感がぬぐえなかったのだが。。。。前回は街の写真はUPしなかったんで、ここで少しご紹介。これは中心街の路地裏。ピッツェリアの看板が可愛かったんで思わずパチリ。これはドゥモではなく別の教会。赤レンガを使った典型的なロンバルディア建築。上の教会の横の入り口にあったモザイク画。鳥マニアではないけど可愛い。次の日はまたもや母と2人旅。マッジョーレ湖である。
2005.07.21
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ちょっとお嬢母滞在記を中断。わたしはおとといの夜から機嫌が悪い。隼瀬さんごめん、さっそくだよ。。。。おっとはいつもわたしと同時刻かちょっと遅くに帰宅する。だがおとといは「今日はおっと、帰りが遅いな。。」と思いつつ外廊下の植木に水をやっていた。やがてこの辺では見かけない小さな車が前の道に留まるのが見えた。そして始めて見るアフリカ人の男が降りてきてこちらにあがってくるではないか?わたしは慌てて男から見えない死角の壁に張り付いた。壁からちょっと顔を出して男の様子を伺う。男はまずお隣さん、あの英語でわたしに喋りかけてくる変なおっさん、いや、カリモリさん(←「日本の名前みたいだろ?」と言われてから忘れられない。)の呼び鈴をまるで近所の悪がきがブザーだけ押して逃げるようにあたりを伺いながら「ブッ」と短く押して3階に駆け上がっていったのである。ど、どろぼう??ちょっとして「どなた?」とカリモリさんがドアを開けた。わたしは忍び足でカリモリさんに駆け寄り「怪しい黒人の男がブザーを押して3階に逃げたんです。」と密告したのである。「。。怪しい黒人?ああ、来たんだね!」すぐにこの黒人の男が降りてきた。汚いTシャツとよれよれのズボン。カリモリさんは「この人はバーリさんだよ。」とわたしに紹介した。怪しくなかったんだ。。。ちょっとわたしは自分の失礼な態度に赤面した。カリモリさん「ここのところ続いた嵐で公共の部分の屋根とといが雨漏りし始めたのは君も知ってるだろ?古いからね。今日はそのことでバーリさんにも来てもらったんだ。」ああそうか。屋根の修理屋さんが見積もりに来たのか。うちの屋根も見積もってもらおうかな。。。。3人で前の道に出て話をしていると、あのアントニアおばさんが「何々?」と家から出てきた。そこにこのご近所に住むここの住人カルラのお父さんも自転車で通りかかったところをカリモリさんが引きとめた。そこにカルラの婚約者のクラウディオもバイクで帰宅、「何?アパート会議?」と不安げに入ってきた。ここでわかったのだが、黒人のバーリさんは屋根屋ではなく、カリモリさんの上の階の持ち主だった。汗彼はずいぶん前から別のところに住んでいて、この家を売りたがっているらしい。ワイワイ騒いでいるとカルラが家の中から出てきた。怒っている。カルラ「カリモリさん、うちのお父さんを引き止めていったい何をやってるんですか!?」カリモリさん「公共の部分の修理に着いて話をしていたんだよ。」カルラ「それならお父さんに言うのではなくて、ここに住んでいるわたしに言うのが筋でしょ!しかもそういうアパート全体の話し合いならどうして他の住人たちも呼ばないの!?」カリモリさん「い、いま呼ぼうとしてたところだよ。」とおどおどと他の家の呼び鈴を鳴らしに行ったのである。カルラはちゃきちゃきしてフレンドリーな美人のお姉さんだ。おっとはこのお姉さんが大好きである(嫉)。そんな彼女がのっけからカリモリさんに牙をむいているのを見て、この2人の間で過去に問題があったんだ、というのは容易に想像が出来た。やがて全員が前の道に揃った。まさに井戸端会議である。まだおっとは帰ってこない。そしていっせいにミラノ弁で会議が始まったのである!わたしに言わせるならば、ミラノ弁はもう他国語である。よっぽどスペイン語やポルトガル語のほうが理解できるというものだ。ミラノ弁は共通イタリア語に似た単語などわずかしかなく、ミラノ外のイタリア人でさえ、理解するのは難しいとされている。そんな方言での重要な会議を理解しろってか。。。?口をぽかーんと開けていると、カリモリさんが寄ってきて「君、わからないだろ?ごめんね。」と英語で通訳しはじめるではないか!!OOOOOOOOOHHHHHHHHH,NOOOOOOOO!!!!!あんたやっぱり訳がわからないよっっ、カリモリさん!!まるでこの会議は宇宙人と談義しているようなものであった。涙そんな会議も終わり、わたしはよろめきながら家に帰って夕食の支度をしていると、やっとおっとが酒臭い息を吐きながら帰ってきた。おっと「。。。悪いニュースがある。ぼくらはもう破滅だ!」とよろめきながらシャワーを浴びに浴室に閉じこもってしまったのである。わ、悪いニュース??いったい何!!??おっとがシャワーを浴びている約10分の間、わたしはまだ内容も聞かされていないのに心臓がドキドキして胸が苦しくなった。やっとおっとが出てきた。重々しく「今日、仕事の後に会計士のところに行ってきたんだ。。。これを見て!!」見れば明日の日付から毎月約1000ユーロ(1ユーロ≒136円)づつ、4か月分の「F24」と呼ばれる国税の請求書であった!!!わたしはおっとの口調からもっと最悪の事態を予想していただけにこれを見て気が抜けたのである。わたし「。。。こんなもので『破滅』だと思ったわけ?」おっと「そうだよ!だって今だって家のローンと家具のローン、2年分の年金の支払いでギリギリなのに、どこに毎月1000ユーロの余裕があるっていうのさ!?」おっとは自営業を始めて2年になる。イタリアで自営業を始める場合、1年目はそういった税金や年金が控除される。だから開業資金繰りには都合がいい。しかし、2年目にこの2年分の請求書がまとめて来るという恐ろしいシステムなのだ!!確かにそんな余裕などうちにはない。もうすぐ生保のお姉ちゃんが取り立てに来るが、「F24」を払ってしまえばそんなお金はおろか、来月の給料日までの生活費も出ない。ああ~、なんで突然来るんだよ。会計士も予告しておいてくれたらいいのに!!わたしはブツブツ言いながらもろもろの支払い総計をパズルのように足し算引き算をし、なんとか今月のみは生き延びる算段をしたのだった。電卓から顔をあげるとおっとは友人のサルデーニャ島のワイン酒造の若に電話していた。おっと「8月の下旬は同僚がみんな居なくなっちゃうからやっぱり休みが取れなくて。悪いけどサルデーニャ島には行けないや。」OOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!わたしたちは8月下旬に10日間、若のサルデーニャ島の実家に招待されていたのである。毎年招待を受けていたのだが、2年前はエクアドル、去年は日本行きと重なり、今年やっと行けることになったのだ。この極貧キツキツ状態の上、果てしなく続く家の問題を抱え、わたしたちは心身ともに疲れ果てていた。しかしこのひとときのバカンスだけを心の支えに今か今かと耐えてきたのである!!わたし「どうして?どうして断っちゃうの!?」おっと「うちの経済状態をみたら、行けるわけがないじゃない!?ホテル代はかからなくてもサルデーニャまでの旅費と10日間の滞在費がかかってくるんだよ?」NNNNNNNNNNNNNNOOOOOOOOOOOOOOOO………………………わたしの目の前は真っ暗になった。***昨日の夜はおっとは更に遅く、23時ごろに帰宅した。おっと「ぼくら、もう生きていけないかもしれない。」昨日の今日だけに、わたしはこのセリフを聞いてもちっとも驚かなかった。わたし「今度はいったい何?」おっと「ぼくたち、すごいことに責任を負わされるかもしれない。ルパン君のことなんだけど。」**ルパン君とは、現在の我が家のクルマ、もんで男君の前のY10である。このクルマはおっとがまだわたしと付き合い始めの頃にディスコで知り合ったというペルー人の女の子の弟から買ったものだ。この頃おっとはまだ不法滞在ガイジンで、正式な手段ではクルマは買えなかった。このクルマを売ったペルー人も不法滞在ガイジンで、名義はちゃんと滞在許可証を持っている遠縁の親戚のペルー人のまま、毎回車検代を親戚に払う、という形で買ったらしい。しかしほとんど使わないので売りに出したのだ。で、おっとも同じく親戚の住所と電話番号をもらって、すぐに車検代をこの親戚に払ったのだが、1回目にしてそのお金を持ち逃げされたらしい。(←目が点である。)なので2回目からは名義はその親戚のまま、しかし直接保険会社に出向いて払っていたのだ。そんな「難アリ」のクルマとは知らなかったわたしは10年以上のボロ車にもかかわらず、のほほんとおっととのデートには重宝していたのである。しばらくしてわたしの友達が急きょアメリカ転勤になったため、彼のもんで男君をくれた。そのときにはわたしと結婚もして滞在許可証も手にしていたおっとはさっそく名義をきちんと変更し、もんで男君は正真正銘の我々のクルマとなった。その後、その情報を聞いたウィリアムの弟、不法滞在ガイジンのアンドレスがルパン君を買いたい、と言って来た。願ったりかなったりである。うちのような貧乏所帯にクルマは2台も必要がない。しかもルパン君は「難アリ」である。わたしたちはアンドレスから直前にかかった修理代だけもらって、ルパン君をあげたのだった。。。。これは2年ほど前の話だ。**最近、このアンドレスもイタリアで子供が生まれたことで滞在許可証を手にすることが出来た。兄の下で働く彼もやっときちんとした名義のクルマを買い、ルパン君は更にその下で働く不法滞在ガイジンの25歳のエクアドル人の男の子に貸していたのである。だが。その25歳の若きエクアドル人は、昨日トラックと正面衝突し、あの世に行ってしまった。もちろんルパン君もお釈迦となった。保険のことはちっともわからないけれども、ここで車検の名義人本人が必要となったのである。おっとはアンドレスにルパン君をあげたときに一緒に名義人の住所と電話番号も渡していたのだが、電話をかけてもつながらなかったらしい。で、おっとがディスコで知り合ったペルー人の女の子にも電話をしたがつながらない。仕事の後、おっとはペルー人の女の子の家の前で、アンドレスは名義人の家の前でインターフォンを探したが、南米人名前は見つからず、夜更けまでずっと待っていても現れず。。。。そりゃそうだ。2年以上も音沙汰がなかったらペルーに永久帰国してる可能性も大だ。そうじゃなくとも夏休みで長期バカンスに行っているかもしれない。おっと「ルパン君が「難アリ」なのを知っていてあげたのはぼくだ。すごい責任取らされるよきっと。。。。」と真っ青になっている。わたしはこのときやけに冷静だった。「あのクルマを欲しいと言って来たのはアンドレスの方からでしょ?彼にクルマをあげた時、彼もそういうことも起こりえること覚悟でもらったはずよ。ちゃんと一緒に名義人の住所と電話番号もあげたんだし、あんたはあんたのすべきことはしたんだから何の責任もないわよ。第一わたしたちがクルマをあげたのは、アンドレスにであって、アンドレスがクルマを貸したひとが事故死しようが、わたしたちには関係ないじゃない?」おっとはやっとちょっと我に返って「あ?ああ、そうだ、そうだよね?」と少し落ち着いたようであった。しかし悪いことが続きすぎ。こうやって見ると「わたしたち」にではなく「おっと」にばかり降りかかっているようだ。しかも今回はおっとの幼なじみ、ウイリアムがらみである。ううううう。巻き添えになる覚えはなくても、無理に巻き込まれそうな予感。厄年?大殺界??GUAさん、ごめんなさい。せっかく「いいことバトン」廻してもらったけど、この状況で書けそうもないや。。。。でも、ご興味のある方は GUAさんのHP で見てね!!
2005.07.21
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昨日は退社間際に急いで日記を更新したら、昨日の日付になってたよ。。。あふぉ。移動させたらせっかく皆さんからいただいたコメントが消えちゃうので、このまま進めます!****7月8日(金)トリノこの日はトリノに出かけた。わたし「冬季オリンピック前ですから、きっと街中、工事中ですよ?」母「オリンピック前だからいいのよ、観光客が少なくて。NHKの予告で世界遺産をたどるイタリア紀行をやっていて、旅の最終地点がトリノのようなの。サボイヤ王朝最期の土地を見たいのよ。」わたしはイタリア美術史はちょっとかじったけど、そういった歴史にはさっぱりだ。(←母もNHKの予告のフレーズを繰り返すだけでそれ以上のことは知らないようである。)まあ、母が一番最初から名を挙げていた都市だから行くことにした。トリノ駅に着くと案の定、駅前から大工事中だった。有名ななんとか広場も、お城もテントで覆われていて写真はおろか、入れない。キリストを包んだ、と言われる奇跡の布の収められた教会をフィリピン人のツアーにまぎれて見て、カイロ博物館に次ぐ収納量と言われるエジプト博物館を見たが、どちらも「なんだかなあ??」という感じ。最後にタクシーでちょっと郊外の日本人の建築家がデザインしたオリンピックの競技場に行ったが、これもまだ工事がはじまったばかり、といった感じでオリンピックまでに完成するか、心配になった。そんなわけでちょっと腑抜けたトリノ旅行だった。***7月9日(土)クレモナ→マントバ→ベローナ母が来伊してからのはじめての家族揃っての旅行である。最初はスイスのツエルマットの山々を満喫し、ホテルに1泊して、次の日にはベルンに行って名物のクマちゃんを見て帰ってくる予定だったのだが、ここ数日続く雷雨で山は危険、というので泣く泣く予定を変更した。ああ~、ガイコクに行きたかったのに。。。。この日、母もおっとも競って一番早く起きようとしていたらしい。(←2人ともB型である。)なんと朝の5時には「早く起きて準備をしなさい!!」と2人にわめかれてしまった。あほ~!!まだ一番鶏も寝ているのに起きれるかっ!!!わたしは2人を無視して布団にしがみつき、なんとか7時ごろまではベッドの中で頑張ったのである。やっと前日のトリノで歩きくたびれた足を引きずりながら支度をし、追い立てられるようにクルマに乗り込んでGO!今回の旅はレッジョエミリア街道沿いにマントバまで行って、ベローナを廻る予定。個人的にはマントバはわたしの数少ない好きな街の、というより好きなフレスコ画がある街だ。マントバでは王宮と離宮を廻ってじっくりフレスコ画を見て、ベローナの「ロミオとジュリエット」のバルコニーに登って。。。。うんうん、応急で考えたにしては完璧?とひとりで今回の旅の計画の素晴らしさに悦に入る。クルマはひたすら続くとうもろこし畑やひまわり畑の間をぬって走る。天気は良くなかったがいい感じだ。マントバが近づくにつれ、道路の行き先標識も変わってきた。「クレモナ、マントバ方面」母「あら、クレモナはマントバに近いの?」クレモナは世界でも有数のバイオリンを作る街として有名だ。ストラティバリウスのバイオリンなんて何千万円、何億円、という値がつくらしい。わたしは小さい頃のトラウマでちっとも音楽に興味がないし、母もないようである。前日に「お母さん、クレモナも行きたいですか?」と聞いたところ、母は「まあ有名だけど、バイオリンなんて見に行ってもねえ。。。」と渋るので完璧にパスしていた街である。母「せっかくだから、クレモナに寄りましょ。」ああ~、予定外だよ。ここに寄ったら大好きなマントバが駆け足だ!しかしおっとはすでにクレモナの中心地に向けてハンドルを切っていた。わたし「わかりました、街の外観だけサッとクルマから見ましょう。」しかし結局クルマから降りてしまい、無数のバイオリンが並ぶバイオリン博物館をありがたさもわからないまま、じっくり廻るハメとなってしまったのだった。再びクルマに乗り込み「おっと、すごい時間のロスだよ!マントバに急いで!!」とせかす。道路標識を見た。「マントバまで70Km」ええ。。まだ70Kmもあるの!?やっとマントバに着いたときはわたしひとりで焦燥の中にいたのである。今から王宮と離宮を見て、近そうだけどどれぐらい時間がかかるかわからないベローナに行っていては夜中になっちゃうよ~~~。この心境はきっとツアーバスが渋滞に巻き込まれた時のツアコンのお姉さんと同じようなものかもしれなかった。まずは離宮に行く。ガイドのいくきーとお姉さんにただくっついてくるだけの2人はのんきなものである。(せっかくお気に入りのところまで来たのだから時間を気にせず味わって見よう。)そう自分に言い聞かせて入館した。マントバを統治していたゴンザカ家の宮殿たちは、実際住むとしたら装飾ゴテゴテでゴメンだが、芸術、として見るぶんには何度見てもため息が出るほどダイナミック、だけど繊細で色鮮やかでステキだ。まずは離宮。これは何代目かのゴンザカさんの愛人の夏の宮殿として建てられたらしい。馬の間。その当時はやった「だまし絵」画法が使われている。馬が今にも絵から出てきそうだ。愛の間。(だったっけ?)こういうのが各間の壁いっぱいに描かれてるんだよねえ。でかすぎて写真に撮れなかったが「巨人の間」にはただただ圧倒された。眼福眼福。わたしはすっかり満足し、3つの湖を右手に見ながら2人を街の中心の王宮にいざなう。王宮を前にしておっと「ねえ、お腹空いたよ。どこかレストランに入ろう。」とすぐそばのいかにも観光地のレストランに入った。まあ味は悪くない。わたしは早く王宮内を見たくてウズウズしていた。おっと「ねえ、ベローナに行くんだったらそろそろ出かけないと。。。」え?母「そうね、もう芸術品を見るのも疲れたし。」えええええ?!ここの王宮がわたしの中では「本日のメインスポット」なんですけど!?そんな願いも届かず、王宮を前にしてわたしたちは再びクルマに乗り込みベローナへと向ったのであった。高速道路を走ること30分弱。あっという間にベローナに着いてしまったのである。なんだ、こんなに近いなら「本日のメインスポット」も見れたのに!!わたしは過去にベローナには何度も足を運んでいるので、特に感動はしなかったが、はじめての2人には楽しい街のようだった。この日はアレーナで野外オペラの日。なもので、観光客はすごい。まるで週末に心斎橋筋を歩くようなものである!ダフ屋もウロウロしてるし。そういえば遠い昔、「ナブッコ」を見てる最中にひどい夕立が来て中止になったっけ。。。アレーナのそばで出番に備えて待機している舞台道具たち。「アイーダ」の道具かな?ジュリエッタのバルコニー。いつみても、しょぼい。(苦笑)しかし観光客であふれかえっている。このジュリエッタのおっぱいを触ると恋愛が成就すると言われているので皆さん必死である!ベローナ郊外のステキなお屋敷。ああいう家に住んでみたいものだ。 母とおっとにとってこの街こそが「本日のメインスポット」となったようである。2人の満足げな顔を見て、わたしも満足し、我が家へと帰っていった。そして夕食は隣町のピッツエリアでじゃ~ん!!GMよこいさん、悲願がかなったで!!カニやで、カニッ!!!!!!ふふふふふ、食べるのが一苦労でございましたとさ。
2005.07.20
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7月7日(木)前日に母からタクシーが我が町にないことでボロクソに打ちのめされた話をすると、この日の朝さっそくおっとは隣町の2つのタクシーのナンバーを携帯電話のメッセージで送ってきた。おっと「電話してから5分で来てくれるってさ。」これでわたしは安心し、朝遅くに出かける支度が整ったところで1つ目のナンバーに電話した。ツーツーツー。いくら待っても応答がない。きっとおっとが番号を控え間違えたんだと思い、もうひとつのナンバーに電話する。「はい、もしもし。」まだベッドの中にいるような眠たげな女性の声だった。「あ、え~と。これってタクシーのナンバーですよね?」予期せぬ声にしどろもどろに聞く。「そうです。今主人に替わります。」へ?主人?? もしかして白タクの自宅にかけた?「もしもし、何ですか?」これもまた、今起きたばかりのおっさんの声である。わたし「あ、あのタクシー呼びたいんですけど。。。?」おっさん「ああ、いつ?」うざったそうである。わたし「今すぐ。」消え入るような声で遠慮がちに言ってみる。しばらく沈黙があった。。。汗おっさん「。。。あと1時間後だな。」わたし「はあ。。。じゃ、もういいです。お疲れのところをお邪魔しました。」なんでここまで言わなきゃならんのか、と後から思ったのだが、この時はまさにそういったシチュエーションだったのである。母はこのときベランダのベンチに座り、もうすぐタクシーが来るものと信じきって通りの遠くを見ていた。わたしは慌てておっとに電話した。「タクシーが来ないんだよ!お母さんはもう家の外で待機してるし、どうしよう!?」おっと「げ!そうなの?よし、10分だけ待って。ぼくが迎えに行く!!」わたしはほ~っと電話を切った。でもちょっと待て。仕事先から10分、ということは。。。??8分後、田舎の路地を猛スピードでどでかい業務用のワゴン車が到着したのであった。母は目を丸くして「え?タクシーを呼んだのじゃなかったの?どうしてマー君が迎えに来たの?」わたし「タクシーがつかまらなかったんです。(←事実)電車の時刻もありますし、マー君に来てもらいました。」母「こ、こんなトラックに乗るわけ?」わたし「駅までのわずか5分間ですから辛抱してください!」嫌がる母をなだめて助手席に押し込み、あっという間に駅に到着した。降りた時、どういうことを言われるか恐ろしかったのだが「トラック(←ワゴン車だ。)の助手席に乗ったなんてはじめてよ。大冒険だわね。」といつも能面のような母の顔が少しほころんだのでホッとしたのであった。電車の中ではいつものように検札員が切符のコントロールに来たのだが、ハイソな母は「マダーム、(←なんでフランス語なんだ?)切符を拝見。」などとわたしはきっと一生言われないであろう声をうやうやしくかけられている。わたし「どこでお買い物の予定ですか?」母「まずは両替をしなくちゃいけないわ。それからご近所へのお土産を買いに行きたいの。そうね、軽いお菓子とかがいいわね。」わたしは考えた。ドゥモのそばの郵便局で両替をして、そのあと大阪高◎屋にも入っている高級食材店「PECK」で買い物すればその辺も散策できるし一石二鳥、いや三鳥だ。しかし。いざドゥモに着くと母はお手洗いに行きたい、と言い出した。この辺で一番マシで入りやすいのはミラノ唯一のデパート「リナシェンテ」のお手洗いぐらいしかない。まずはリナシェンテに行って、お手洗いで用を済ませ、屋上のしゃれたレストランに行って昼食を取った。それからバーゲンが始まったばかりの店内を廻る。母はわたしたちのように極貧ではないので豪快にいろいろなものを買っていく。あっという間にわたしの両手は母の紙袋でいっぱいになった。そして更に母はバスタオルや花瓶を「新居用に。」と買ってくれたのである。それで元来甘ちゃんのわたしは「あ、何か欲しいもの買ってもらえるかも。」と密かに期待したのは言うまでもない。母がある階でスカートを試着した後、わたしが「このブラウス、いいですねえ。」と鏡の前で胸に当てて見ていると母は急に目をつりあげ「何をたわごとを言っているの!今のあなたにはそんな余裕などないはずよ!いい加減、バカな浪費はやめて慎みなさい!!」。。。まだ何も買ってないし、買うとも言ってないんですけど。涙母が買ってくれることをちょっぴり期待していたのでガッカリしたのは言うまでもない。それからは母のお供でデパートを廻ることが急につまらなくなった。見れば母もくたびれた様子である。わたし母「帰りましょうか?」最寄り駅に帰りつくと今度はおっとは普通乗用車で待機していたのでホッとしたのであった。あ。そういえば本来の目的の「両替」と「お土産」はどうしたんだろう??****しかし1日はこれで終わりではなかったのである。家に帰りついて1時間もたたないうちにあの建築士が我が家にやってきた。そう、わたしたちはもう親方にこれ以上、家を触られたくはなかった。そのことを相談するために建築士と不動産屋のみを家に呼んだのだ。まずは雨の日の滝が家の中を流れる証拠写真をプリントアウトしたものと、実際にシミだらけになった壁を見せる。建築士「。。。これはひどい。」そして階段を実際に登りながら、ひび割れやグラグラするところを見せて、おっとが珍しく火を噴きながら怒る。(きっと母の手前、頑張ったのだろう。)おっと「階段ももう一度、全部やり直して欲しいんです。」建築士「そりゃあ、無理だ。親方、結構大枚を払っていい材木を買ったようなんだよ?それをまたやりなおしって。。。」わたし「いい材木がこんなに簡単に割れるものなんですかっ!?」やがて不動産屋が来た。しかし、一番頑張らなければならない不動産屋の前で、おっとはすでに怒りのエネルギーを消耗しつくしたようであった。わたし「もうわたしたち、親方に仕事して欲しくないんです。修理には業者を替えてください!!」不動産屋「ちょっと待ってくださいよ。あの親方は優秀ですよ?必ず彼に責任を持って修理させますから。。。」わたし「親方の腕は知りません!彼が1日丸々仕事をしている姿なんて見たことないですから。いつも来ても何も技術のない弟子たちが余計状態を悪くしていくだけなんです!!」不動産屋「わかりました。では、こうしましょう。今回だけは親方に修理を任せてください。それでもダメだったらわたしが責任を持って別の業者を派遣します。」わたし「。。。。いいでしょう。今回だけは待ちます。しかし、もう信用出来かねますのでここに一筆サインしてくれませんか?」とこういう事態を予想して、実はすでに会社の同僚たちの協力の元、用意していた誓約書を取り出した。にやけ顔のポーカーフェイスの不動産屋の顔色がちょっとこわばるのがわかった。不動産屋「そういった書類にサインは出来かねます。。。何もわたしたちは家を売ってしまったら『はい、サヨウナラ。』とは言ってませんよ。必ずお宅の事には最後まで責任を持ってさせていただきますから信用してください。」信用できないからサインしろって言ってるんだよ!!!わたしは怒りを静めながら次の言葉を考えた。しかし、その間におっとが「わかりました、今回だけは信用しますから、決して裏切らないでくださいね。」と甘ちゃんな返事をしてしまったのである。あほおっと。わたしの計画を台無しにするな~~~!!!!!こんな生返事をして絶対後悔するのが目に見えてるじゃないか!!!!!!!そのとき母は小部屋でお茶を飲んでくつろいでいたのであった。
2005.07.19
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お久しぶりです!昨日、海の町リミニから戻ってきました。いない間に日記機能が変わったんだ??お嬢母がやっと帰国したかと思ったらすぐにこの週末は、同僚アンナのミラノから400KM離れたリミニでの結婚式に出席。2年前の両親同伴エクアドル新婚旅行で同じことを体験以来、予想していた「事後高熱」をしっかり母の帰国日から発しました。おかげで頭がトリップしながら、本当にトリップもした(←書いてて自分も訳がわからない)2週間でした。新居??階段???ううう、考えたくない。頭を冷やしてから書くことにします。 これらの話は過去のことだから、過去の日付に書くべきか?
2005.07.18
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「いくきーと、起きて!もうお義母さんも起き出してるよ。さっさと着替えて朝食にしよう。」ぼんやりした頭の中、薄目を開けておっとを見るともうすっかり着替え終わっているところだった。階段の方を見ると階下が薄明るい。雨戸を開けたのか。(←わたしたちはすでに母が来た前日より2階で寝起きしているのである。)「うう~ん、今何時?」と重い腕を伸ばして目覚まし時計を引き寄せる。げ、朝5時半?! 起きれるか、んなもん!!「あ、あたしゃ寝る。」「何言ってるんだよ?せっかくお義母さんが来てるのに、ピシッとしないと。。。」と言うおっとの声を遠くに聞きつつ、わたしは再び眠りに落ちようとしたのだった。おっとはブツブツ言いながら階段を降りた。母と朝食を始めたカチャカチャという食器の音が聞こえ始める。我々2人だけでは、いつも時間がなくてしたことのないトーストとコーヒーを沸かす香りが漂い始めた。いいねえ、息子と母のゆったりとした朝食のひととき。。。わたしは深いため息をついて毛布を引き上げ(ここ数日寒いのだ。)、寝返りを打つ。だが、その幸せもつかの間だった。TVっ子のおっとはいつものように朝から大ボリュームでTVをつけた。ニュースキャスターが速報を読み上げる緊迫した声が家中に響き渡り、わたしの神経を完全に目覚めさせ、いらだたせる。そしておっとが幼児スペイン語で母とコミュニケーションを図りはじめた。「オッカサン(←ここだけ日本語)、いつも朝は何を食べてるんですか?」「オッカサン、今日はどこに行く予定ですか?」母はほとんどわかってなくて、オホホホホと、高笑いでごまかしたりしている。(←日本人だなあ)哀しいかな、両方の言葉が理解出来るゆえに、おせっかいなわたしとしてはベッドに横たわりながらも「1年8ヶ月ももスペインに住んでたくせに、何でこんな簡単な質問がわからないんだよ!?」とじれったさに身をよじっていた。ついには「いくきーとさん!あなたいつまで寝ているの!?マー君が何か言ってるのよ。さっさと起きてきてあなたの旦那様の相手をしなさいっ!!」と母が怒り叫ぶ声に渋々と起き上がって階下に下りたのだった。わたし「おかあさん、こんなに早く起きて今日はどこに行く予定ですか?」母「何を言っているの?あなたが遅すぎるんですよ!旦那様の朝食の用意にも起きて来ないなんていったいどういう妻をしているの!?」どういう妻って。。。。。今日はおっとも早く起き過ぎ。母「洗濯物もあんなに溜め込んで!洗濯機、廻しておきましたからね。」わたし「そりゃ、どうもありがとうございます。」。。。。どうでもいいが、彼女は洗剤のありかと洗濯機の使い方、わかったんだろうか?わたしは洗濯機を見た。上には洗剤ではなく柔軟剤が置いてあり、「水洗い手洗いモード」で洗濯機が廻っている。ふう。。。後からもう一度やり直さないと。やがておっとはわたしが起きてきたのを見て安心するかのように仕事に出て行った。そう、わたしは今回母のために10日間の有給休暇を取ったのだ。が、自営業のおっとにまで10日間も休暇を取られては「極貧夫婦」はピンチなのである。「。。。で、どこに行きたいんですか?」とわたしは母が持ってきた細切れ状態の「97年度地球の歩◎方」に目をやる。母「あなたにお任せ、と電話で言いましたでしょ?今日は疲れたわ。1日休息日にして明日、ミラノの中心にお土産を買いに出かけましょう。」がく。2日目の朝早くから叩き起こされて、疲れたから休息日?そりゃぁ、ないよ!母「あなたも普段家でやれないことがたくさん溜まってるんでしょう?」母の来伊をカウントダウンの最終日に慌てて全てをやり終えたのですることはない。2階の段ボール箱たちも収納家具を買わない限り、始末できない。貴重な有給休暇を2日目からして無駄に過ごすなんて。。。。。わたし「お母さんが短い滞在期間に充実したイタリア旅行をしたい、というのでわたしとしては10日間いろいろ考えたんですよ?1日家に居るのはもったいないと思いませんか?」と嫌味を込めて言った。母「あなた!ちっともわたしの身になって考えてくれていないのね?!わたしはか弱い老人なのよ!?しかも時差ボケで疲れているというのにいたわることを、知らないのっ!?」わたし「わ、わかりました。では今日は1日家でくつろいで下さい。」汗わたしはすっかり出かけることを諦め、ミルクを温めていると洗濯機が終わり、母が中から洗濯物を取り出し始めた。わたし「あ、いやっ、お母さん。実はこれ、柔軟剤で洗ってくれてたのでもう一度やりなおさないと。。」母「あら、そうなの?知らなかったわ。」わたしがもう一度洗剤を入れなおし、洗濯機のスイッチを入れていると、今度は母は冷蔵庫を開け、中を覗き込んでいる。母「今夜はパエリアを作って振舞おうと思っていたのだけど、冷蔵庫に何もないのね。お買い物に行きましょう。」しかし。母が前日に言ったように我が家の周りは何もない。一番近い小さなスーパーまででも徒歩10分だ。そういえば、いろいろと買いそびれたものが思い浮かんできた。母の室内用スリッパ、蚊取りマット。。。でもこれらはエルトンの家の近く、うちからクルマで20分は離れた大きなスーパーまで行かないと買えそうもない。わたし「わかりました。リストを作ってくれたらスクーターで買いに行ってきます。」母「わたしも行くわ。タクシーをお呼びなさいな。」わたし「。。。。タクシーなんてたぶん、この当たりはないです。」母「なんですって!!??」ひ、やばいっ!!!!!こんなこと正直に言うんじゃなかった!!この時わたしは母の逆鱗に思いっきり触れた、と確信した。母「あなたたち、どういう家の選択をしているの!?タクシーもない街なんて人間の住むところではないわ~~~っ!!★◎×=▽!!!!!!」どうやら母はとにかく文句をつけたくて、こういう落とし穴にわたしが落ちるのを待っていたようである。この攻撃はちなみに午前中いっぱい延々と続いたのであった。しかし、口での攻撃を休めず、手はしっかり昼食を作っていた母には舌を巻いたのである。筋金入りの「主婦道」を見た気がした。キャベツのおひたし、ひき肉あんかけ揚げナスを白いご飯と熱い日本茶で頂いた後、ようやく攻撃はやみ、わたしは買い物に出かけたのだった。空は曇ってどんよりしていた。スクーターの走行中に雨が降るのはたいした問題じゃないが、何が心配って、やっぱり屋根である。慌てて買い物を済ませ、遠い道のりをたどって家に帰りついたと同時ぐらいに雷鳴が響き、夕立が降り始めた。ちなみに母にはおそろしくて屋根の話はしていない。この情けない話をしようものなら、「だまされて二束三文なボロ家を買ったのよ!」とキーキー死ぬまでわめき続けられるに違いない。母が煎れてくれたお茶を飲みながらわたしは気が気でなかった。果てしなく続く実家のご近所の噂話に母が一呼吸するのを待って「2階をちょっと片付けてきます。」と階段まではゆっくり何事もないように上がったのである。以前の日記に書いたように2階はやはり滝が流れ始めていた。「あ~!!!!!!!」と叫びたい衝動を抑え、わたしはおっとの古いTシャツをひっつかみ、壁から滲みだす水を拭き始めた。1階にはしごがあったのだが、へたに持って上がって母に怪しまれるのもまずい。あちこちピョンピョン跳ねながら壁を拭いていると「何をドタバタしているの?何か手伝いましょうか?」と母が下から階段を見上げたので「い、いや、たいしたことじゃないからいいです!」と声を裏返して叫んだ。そうこうしているうちに、おっとが帰宅した。もちろん1階の正面玄関からではなく2階の小さなドアからである。おっととわたしの行動はいまやシンクロ率100パーセントなのである!おっと「あ~あ、やっぱりひどいや。明日すぐ不動産屋を呼ばないと。。。」と哀しそうな顔をした。そしてそっとドアを閉め、さもたった今、仕事から帰ってきたかのように「オッカサン、タダイマ~。」と1階の玄関から入りなおしたのだった。母が作ってくれたパエリアはおいしかった。実は間違って買ってしまった黄色いイタリアンライスサラダ用のそのまま炊いただけでは激マズの米を使ったのだが、これがまたパエリアには合っていた。エクアドル大学時代、料理コンテストでパエリアを作って優勝したおっとのなのだが、お世辞か本心からかは謎だが「オイシイ、オッカサン!」と連発していた。こうして母が着いていきなりの休息日は終わった。次の日はミラノ、次の次の日はトリノである。
2005.07.06
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不幸にも日曜、月曜と立て続けにひどい夕立が夜中に降り続いたミラノ。まるで南国のモンスーンのようだ。おかげでわたしたちは水の流れ落ちる壁拭きに2階を右往左往する夜を過ごし、少しも熟睡が出来なかった。いよいよお嬢母の来伊の火曜日。この毎晩の壁拭きと、階段が出来てはいないが取りあえずは2階に上がれるようになったことで、全ての荷物を上に上げる大移動、母のために買ったばかりのソファベッドの組み立てや網戸の取り付けに前日の深夜までバタバタとしていた。なのでこの日は朝から2人で目を真っ赤に充血させて頭をクラクラさせて重い体をベッドから起こしたのである。準備万端と思いきや、事もあろうか、おっとは出発寸前に洗車に出かけ、家に着いたのは母の到着のぎりぎり1時間前。慌てておっとの尻をひっ叩いて、マルペンサ国際空港に向う高速道路に乗った。新居に引っ越して以来、初めて乗る高速道路だ。ここからはお約束のように、しっかり天性の方向音痴のおっとは逆路線に入ってしまった。しかもひどい渋滞。実はわたしは何日も前から母から電話でこう言われ続けていた。「2人で一緒にクルマでは迎えに来ないで頂戴。あなたは電車で来るのよ。マー君(母はおっとをこう呼ぶ)がクルマで来る途中に事故にでも遭って、空港に迎えに来れなくなっても、少なくともあなたは時刻どおりに来れるわよね?」ひどいことをシャーシャーという母である。わたしは「はいはい、そうします。」と適当に返事をしていたのである。道を間違った上、こんなひどい渋滞で2人して到着が遅れて、しかも一緒に来たことを母にバレたら。。。。また、以前のようにどんどん気分が悪くなってきた。おっとはそんなわたしを見て「うえ~、こんなところでゲロしないでよっ!」とハンドルを切り、緊急用に常に開けておかなければならない道路わきをすっ飛ばし、次の出口からもう一度正しい方向に高速道路に乗りなおし、まさに「光速」の勢いで走って、ぎりぎり到着時間きっかりに空港に滑り込んだのであった。わたしは慌てて噴射寸前のゲロを飲み込み、クルマから駆け下りる。「おっと、わたしは先に出口まで迎えに行くから、あんたは駐車場にクルマを留めて来て!」と空港内に飛び込んだ。いつも日本からの便が到着するゲートの出口に走り寄った。しかし何か変だ?いつもなら、そこは日本人のお迎えのひとたちがチラホラしているのにこの日は全然見当たらない。電光掲示板を見た。なんと、この便は予定時刻の1時間も早く到着しているではないか!?と、いうことはすでに母は空港内にいる。。。。。。OOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!恐怖で青ざめてぐるりと空港を見渡した。周りの景色がゆがんでわたしの廻りを回転する錯覚を起こしたとたん、「お~い、いくき~と~!」とおっとが遠くから呼ぶ声で我に返った。見れば、遠くからおっとがこっちに向って手を振っており、その横に片耳を押さえて「うるさいわねっ!」のジェスチャーをしている我がお嬢母が立っているではないか!わたしは覚悟を決め、深呼吸をしてしずしずと進み寄った。母「あなた、今電車で着いたの?ちょうど、マー君も着いたばかりみたいでよかったわね。わたしは飛行機が早く着いたのだけど、スーツケースが出てくるのが遅かったから出てきたのはさっきなのよ。さ、行きましょうか。」ああ、少なくとも2人でクルマで来た事はバレなかった。。。やれやれとさっそく駐車場に向う。おっとは小走りにクルマに駆け寄り日本語で「オッカサン、イラシェえませ!!」と後部のドアを開けた。おっかさん?母の右の眉がピクッと上がるのがわかった。冷や汗がわたしの握りしめた左のこぶしの中でふき出す。母はクルマに乗り込みながら「いくきーとさん、わたしは確か去年、マー君に日本語を教えるように言ったはずよね?この様子はいったいどういうことかしら?」様子を察したおっとがすばやく助け舟を出した。「すみません、おかあさん。勉強をしたいのは山々なんですが、家を購入して以来、時間がなくて。。。」(もちろんわたしが間で通訳である。)母「時間がない、と言っても嫁が日本人なら時間を作ってでも日本語を学ぶのが当たり前でしょう、とマー君に言って頂戴。」わたしはちょっと切れた。「わたしたち、2人の間ではイタリア語が共通語なので、普段に日本語を使う必要がないんです。しかし、お母さん。お母さんこそ2年もスペインに居たのですから、スペイン語で直接彼におっしゃってください。」母「わたしがスペインに居たのは1年と8ヶ月です!第一わたしはバカンスにイタリアに来たのですのよ!語学の勉強をしにじゃありません!!」汗。。。。やっぱりわたしは母と永遠に気が合わない、と思ったのはこれが初めてではない。ここからはけなげなおっとがつたない日本語と、なぜかつたなくなってしまったスペイン語で母のご機嫌を取り、わたしはおっとが母のヘタな逆鱗に触れないかと気が気でならないまま新居に着いたのであった。何度か書いたと思うが、我が家の外観はちっとも美しくない。これが気がかりだったのだが、母は無言でデジカメに納めていたので第一関門を切り抜けた気がしてホッとした。第二関門:1階これも事前に説明していたので(階段のこととか)、驚きは少なくて済んだのである。第三関門:2階かろうじてついている階段を注意深く上がると、時間切れアンド収納家具がないので未だに積み上げてある段ボール箱がイヤでも目に飛び込んでくる。コレには母はやはり「引っ越してからずいぶんと経つのにまだ片付けてないの!?」と低くうめいた。雨で溶けて流れた壁のペンキのシミには「ヘタな仕事をする工事業者なのね!?」と呆れて見ていた。そう、語るのもおそろしすぎて母には屋根のことは一言も話していないのである。ソロソロと階段を降り、母が持ってきた日本茶を3人でいただく。母「廻りが田舎過ぎて何もないのは気に入らないけど、広いしステキな家ね。」と窓から中庭を眺めた。あああああああ~!中庭は見ないで!!!!中庭のど真ん中にはここの地主であろう爺さんのおんぼろトラクターや、雑木などのガラクタの山が積み上げられてある。そして我が家の棟の両脇はまだ納屋として使われていて、古い農具が雑然と置いてあってはっきりいって美しくない。母は湯飲みをテーブルに置き「ああ、これはみんな工事中なのね?」わたしおっと「そ、そ、そうなんです。」ううう。バレルのは時間の問題。しかし、この時はこううなずくしかなかった。こうして母との10日間が火ぶたを切ったのである。(つづく)
2005.07.05
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ずいぶん過去の日記を書くことになったが、気になる終わり方をしてしまったので、日付を正しく追っていったほうがいいと思って。(ラストアップデートじゃなくて、日付を見てみて。)前日金曜日はホームセンターの閉店前ぎりぎりに飛び込み(このホームセンターはうちから1時間近くも車でかかるのだ。)、ようやく階段の1片をゲットした。箱は馬鹿でかいくせに中身は意外に軽かったのでワゴン車で来ずに、車でくればよかった、と後悔した。そして土曜日。約束した朝の8時半きっかりに親方はブスッとした表情の娘さんと2人のルーマニア人の弟子を連れて現れた。わたしは親方を見てしまっては、首を絞めかねない勢いで怒っていたので、おっとにまるで獰猛な犬にそうするように、小部屋に押し込められて待機することとなった。(さすがに今回は鍵まではかけなかったが。)おっとは少しの笑顔も見せずに玄関を開けたのである。やつらが階段の木のステップをどんどん家の中に運び入れているのがわかった。が、わたしはマットレスと荷物で埋まった小部屋で身動きも出来ず、寝転がってTVを観ていた。やがて親方が弟子たちに階段の組み方を大声で説明し始めるのが壁越しに聞こえた。?なんだよ。。。ってことは初回はやつら、知らずに組んでたって事??また怒りが頭をもたげるが、わたしは監禁された身なので噛み付くことが出来ない。2人の弟子はしばらくは親方の指示に従って階段を注意深く組んでいたようである。おっとも「そこはもうちょっと右!」などと指示をしていた。そのうちわたしは聞き耳をたてているのに疲れ、ちょっとウトウトしていた。気がつくとあたりはずいぶん静かになっていて、おっとが小部屋に入ってきた。おっと「もう、出てきていいよ。」わたしが部屋から出ると弟子2人のみが階段を組んでいる。わたし「あれ?親方は?」おっと「弟子たちに指示だけして帰っちゃった。」わたし「なんだとう!!!!???」わたしは家の中を見渡した。換気扇はまだそのままだ。屋根は。。。?おっと「屋根はまた次回に修理に来るってさ。」わたし「?? ちょっと!次回っていつよ?!それまでにまた雨が降ったらいったいどうなるのよ!!??」おっと「。。。次回までに雨が降らないことを祈るしかないな。」わたし「え。。。あ、それから階段のお金、ちゃんと返してもらった?!」おっと「。。。キッチンの配管代(換気扇も含む)と相殺にしようってさ。」 OOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!まるで絵に描いたような舐められ方ではないか!まだ済んでない、しかもおっとが後から全てやりなおしたキッチンのずさんな工事に前払いさせられてどうするよ!アホや、アホ~~~!アホ~~~!!!!!それからはわたしは怒りで顔を真っ赤にして仁王のように2人の弟子の仕事振りを見守っていたのだが、どう見ていてもプロの仕事に見えない。見るに見かねておっとが平行機や、物差しを持ち出してあちこち測り、ずれたところを直したり、木にネジを留めたりしはじめた。この様子はまるで友達同士で助け合いながら手作りの家を作っているかのようである。どうみたって、この中で一番プロっぽく仕事をしているのはおっと。。。。。こんな奴らに大枚を払って工事をさせなければならないのがはがゆい。午後4時になった。わたしはこの時点、外で洗濯物を干していたので2人が出て行くのを見て「ああ、少なくとも階段は登れるようになったんだ。」と安堵の息をついて家の中に入ったのであった。そして見たものは:ほとんど出来ているのにまだ完成していない階段と不安げに1つのステップの上で足踏みしているおっとの姿だった。わたし「。。。どういうこと?まだ完成してないじゃん。」おっと「土曜は仕事が4時までなんだって。それと、取り付け最中にまた1段ステップを壊したから持って帰った。」。。。。。唖然。おっと「次回、ステップを持ってきたらぼく、全部自分でやりなおすよ。だって、このステップ、グラグラしている。」と、言った瞬間におっとの足元で「バキッ」という小さな音がした。見れば、おっとの重みでステップに大きな割れ目が出来ていた。人間が何年も昇り降りする階段が1回目で「これ」である。親方は自分たちで壊したオリジナルのステップの替わりに、こうも簡単に壊れる安物の木を使ったステップを持ってきたのであった。これだけでも腹が立つのに、この日もひどい夕立が降ったのである。まだ、手もつけていない我が家の屋根、どうなったかは皆さんの想像にお任せ。。。。。。。。。大泣
2005.07.02
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昨日の夕方。おっとが近所の車工場の場所が知りたい、というので(おっとは修理好き)家のそばのBARにコーヒーを飲みに行った。BARとはいろんなお客を扱い、地元に根付いているので、何かちょっと聞くにはいいところだ。わたしたちはカウンターでアイスコーヒーを頼んで、ふと奥のソファを見やった。え?奥に座ってる、あの背の低い痩せたおっさん、どこかで見た。。。あ!わたしの大好きだったいつの間にか終わってしまった長寿番組「ストリッシャ ラ ノティッツィア」の司会エンゾ ヤケッティだ!?(日本で例えるなら「笑っていいとも!」のタモリのような存在だ。)なんで、彼がこんな田舎の果てのしがないBARでパニーノ食べてるんだ!?おっとがBARのセクシーな奥さんと話し終わるのを待って「見て!エンゾ ヤケッティだよね?」とささやく。おっと「あ。。ほんとだ。」わたしたちは、大阪でうっかり出会ってしまった吉本芸人の前でするのと同じように、すごく気になりながらも知らんふりをしてBARを出たのだった。。。。おかしい。こんなに楽しいことばかり続いては、きっと悪いことがまとめて起きる。****わたしの予感はすぐに当たった。昨日の昼間は前回の日記で書いた夕立がまるでウソだったように、あいかわらず暑かった。しかし、今日の早朝未明、大きな雷の音が鳴り、たまげてベッドの上で飛び跳ねる。それと同時にそばで寝ていたおっとのあごに思いっきり頭突きを喰らわせてしまったのだ。おっと「ううぎゃ。。あなたさまはわたしに頭突きを下さったのでイタイデス。」と寝ぼけて敬語でわたしに文句を言う。それと同時に暑いので半開きにしていた部屋のドアが強風でバンッと開いて雨が降り込んできた!わたしたちは慌てて跳ね起きて窓を閉め、おっとは慌ててビショビショになったTV、わたしは床を雑巾で拭く。おっと「あ!2階の窓が開いたまんまだよ。閉めに行かなくちゃ!!」と雑巾片手に外の階段を上がったのだった。この階段、我が家にとっては外の階段なのだが、TOP絵の真ん中あたりにあり、屋根の下である。まだ夜が明けてない真っ暗な階段を上がっていると上から水滴が降ってきた。げ?嫌な予感がする。2階に着いてドアを開け、電気を点けた。そこで見た光景は。。。。。悪夢?そうだよね??きっとわたし、まだ夢を見てるんだ?2階の壁全体が。。。。。。。。滝になってた。涙壁だけじゃない。天井からもまるで廃屋のようにあちこちから雨漏りしているのだ!?買ったばっかりでまだ使ってないベッドの上も水浸し。床の隅には壁から流れ落ちた水が溜まって、作りかけの階段までチョロチョロ小川を作って1階に滴っている。その様子は地獄絵のようであったが、なぜか2人はとても冷静だった。(きっとあまりのショックに現実として受け入れられなかったのだと思う。)まずは窓を閉め、1階に降り、持ってきた小さな雑巾だけでは足りないので大きな雑巾と、バケツ、洗濯桶、料理用のボウル、そしてデジカメを手に再び2階に上がり、証拠写真を撮ってから水の滴るところにバケツ等を置いて、すでにぬれてしまったところを掃除した。わたし「今日は朝一番に不動産屋に電話してね。」おっと「。。。うん。」そして出勤後。わたしは事の一部始終を秘書のアンナマリアおばさんに話した。もう、そのときは弁護士を呼ぶ覚悟を決めていて、どういった形で相談したらいいか聞くためだった。アンナマリア「弁護士を呼ぶ前に、まず家を買ったときの契約書に記載されているこういう災害への保障事項をよく読みなさい。契約内容もわからずただただ怒るのは無意味よ。」その通りだ。わたしは他にも大学で建築の勉強をしたアンナにも相談していると、携帯が鳴った。めずらしくも親方からだった!!親方は火の様に怒っていた。親方「おい!あんたの旦那の携帯の番号を教えな!!それで、旦那に言っとくれ!階段のこと、文句があるならなんでオレ様に直接言わねえんだよって!ここ数日、不動産屋と建築士にガミガミ言われてさっぱり訳わかんなかったんだよ。早く取り掛かって欲しいなら直接言うのが筋だろうっ!??!」ここ数日、わたしはすっかりあの事件から呆けてしまい、おっとに全てを任せていたのだ。おっとは毎日不動産屋と建築士にはっぱをかけていたのだが、親方には何も言わなかったらしい。どうやら、親方は2階のことはまだ知らないようだ。わたしはしし座のO型なので、売られたケンカは簡単に買ってしまう悪癖がある。わたし「あんたに直接言ったところでこの家の工事に関しての責任者は誰なのよ!?誰がお金を廻すのよ!?あんたじゃないでしょ!?それにあんた、いったいどういう工事を我が家にしてくれたのよ!?今朝は豪雨のおかげで家の中まで水浸しよ!!??」親方「え?。。落ち着いてよく聞け、お嬢さん。あんた、今朝のニュースを見なかったのかい?この雨で家の中が水浸しなのはあんたの家だけじゃない。たくさんの家がそうなってるんだ。だから普通のこった!」ふ、普通ですか?この家、たった今、全てを新しく、屋根も葺き替えたばかりなんですけど。。。。?わたし「あんた、気ちがいよ!頭おかしいんじゃないの?!改築したばかりの家が水浸しになって「普通」だって~~~~!!!!!?????」親方「とにかく!!オレは今、ミラノから遠く離れたボルツァーノで仕事してるんでい!仕事が終わってそっちに帰れるのは来週水曜日だ。それ以降に全ての約束をずらして行ってやる。」我がお嬢母は火曜日に来伊する。建築士も不動産屋もおっとから口すっぱくこのことを言われて「わかりました。」と了解しているのだ。そして、また今夜もこんな豪雨が来たら、と思うと水曜日までなんて待ってられるものか!!わたし「あんた、建築士たちに火曜までに仕事を終わらすように、って聞いてるんじゃないの?絶対水曜なんてダメに決まってるでしょ!?」親方「そう言われてもこんな遠いところからそれだけのために弟子たち引き連れて帰れるものか!」「それだけのため」!!!???わたし「あんたが今たとえ地球の裏側に居ようが知ったこっちゃないわよ。火曜までに来ないと許さないわよ!!」親方「あ-、うるさい、うぎゃ~!!うんざりだ!!もう金輪際、お前の家なんかに行くものか!!」わたし「わかった、本気で裁判するから覚悟しなさい!」親方「べ~~~~~~~~っだ!!!!」 がちゃんっ!!!。。。。。子供の喧嘩か。わたしはこの後すぐ動揺を必死で抑えながら、会社の電話から建築士に電話した。わたし「。。。。こういったわけで、親方、うちには工事に来ないそうです。どう責任取ってくれるんですか?」建築士の声がさすがに硬直したのがわかった。「。。そうですか。わたしから彼に電話してみます。」ふ~ふ~息をついてイスの上で溶けているとアンナマリアおばさんが拍手をしながらやってきた。「よく言ったわ。でも、あと一人ぐらい、更に火を噴くひとが必要ね。」がく。しばらく後、おっとから電話が。おっと「さっき、親方から電話があって、明日来るってさ。でも、時間がないから階段受け取りに行って立て替えといてくれ、だって。」わたし「なんだとう~!!!???」おっと「悔しいけど、工事を間に合わすためには仕方ないよ。今日の夕方取りに行こう。」。。。。そういうことになったか、やっぱり。。。。。お嬢母来伊まで あと4日。こういった事情でこの日記がお嬢母のお付き添いまでの最後の日記になるかもしれません。月曜日に更新が出来ないことを予想して、約2週間ほどのお休みをすることを予告しておきます。それでは皆さん、お幸せに~~~~~~~泣
2005.07.01
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