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もし近くに心がしぼんでしまった人がいて助けてほしいサインを出していたら、、、、全力で助けたくても胸痛で力が出せない自分が悲しい。ごく最近からずっと寝られなくて食べても味がしなくてなにもかもが面白くなくて好きだった本も読めなくなってすべてのことに自信がない。という。笑顔のスイッチを最強にして与えてあげたくても自分自身の体調がせいいっぱいでもどかしい。そんなこんなで悩んでいてもやらなくてはいけない家事はあるし、仕事の研修もあってその後は私の訪れを待つ母がいる。、、、、、頑張りすぎるな、私。こんなときは頑張りすぎないで甘えよう。甘えられるところは甘えちゃおう。正直に助けを求めよう。正直に困っていることは話せれば仕事の人もわかってくれるし、助けを求めれば、家のことでできることは旦那がやってくれる。頻繁には訪ねていけないことを母も許してくれるだろう。まずは私が元気を取り戻さなくては。庭の植物たちはいつもどおり元気に私を迎えてくれる。ワンコたちもいつもどおりの無条件の愛をくれる。ゆっくり休んで家にある暗くなりそうな空気を綺麗にしよう。緑の植物たちのように私自身がパワーを持って空気を清浄してあげる。話せたら少し楽になったという君にああ、話せてもらえる身でよかった。。。とつくづく思う。でも今日はとても疲れた。ゆっくり休もう。Remember, one hundred years from now,all new people.百年後は、すべて新しい人々。にほんブログ村
June 6, 2015
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タイトルを変えてから日記記入率が高くなった。ガーデニングのことならどれだけでも書ける気がする。でも今日はちょっとちがうこと書いてみよう。今仕事も新学期まで一休み。教室を片づけたり、新学期の準備をしたりすることは少しずつしてる。仕事を始めて18年。色々あった。18年の間に何度か仕事辞めたい病にかかった。それはいつも自分のエネルギーが失われたとき。最初は息子の病気。父と母の入院。父との別れ。母の長い闘病生活、ペットロス。甥の死。そして自分自身の体調不良(更年期)。病院に行くごとに疲れもあるのだろうけど、気分が落ちる。そのまま家に帰って夕方9時10時まで仕事ってこともあった。生徒によく、「先生なんで今日、目の下にくまできてるの?」なんて言われた。今考えるとあの頃は暗い顔してレッスンしてたんだろうなあ。ごめんね~~。あの頃の生徒さんたちには悪かったなあと思う。それに比べて今のレッスンは無理なく楽しくできている。スゴロクでもカードゲームでも私が笑えばみんなも笑う。それは家の中でも同じこと。だからこそ、それができる今は明るくしていたい。夫はゴルフやテニスして私はガーデニングや犬と過ごして笑ってる。お気楽家族みたいだけど、ほんとは決して息子のことを忘れたことはない。でも家庭に明るい雰囲気を送ることしか、今の私にはできないから。いつでもそこにいて、息子が動きたいときはいつでも声をかけてもらえるようなそんな母になりたいから。今日は真面目に書いた。写真がひとつもないと淋しいから入れよう。ワンコの仔犬のときの写真。ポメラニアンの赤ちゃん超かわいい。゚(゚^ω^゚)゚。まろ 3カ月くらいの頃一言でいう性格: やんちゃ あだ名: おおかみくーちゃん 3カ月くらいの頃(3歳11カ月まで家族)一言でいう性格: 忠犬 あだ名; 忠犬ハチ公(8)じゃなく忠犬くー公(9)みる 5,6歳の頃 12年以上前の仔犬の写真はPCにはないので。一言でいう性格: マイペース(猫っぽい)あだ名: 食いしん坊
March 30, 2014
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家族で一番おしゃべりなのはやっぱり私。その次は娘。夫も結構話し好き。そんなおしゃべり家族の中で一人寡黙な息子。必要なこと以外は話さない。でもそんな息子だからこそたまに話す言葉に本音が見える。「どうしてわかってくれないの。ほんとに体調が悪いだけなのに。」最初のころ、いじめはないか、学校で何かあったのではないかしつこく質問する保健の先生と私に。「健康になりたい。清水寺の健康(長寿)水を飲めばよかった。」小学校の修学旅行の思い出を書いてるとき。「健康でちゃんと学校行ってるやつに本当の自分の気持ちはわからない。」もうちょっと根性が出せないかという娘に対して。「どれだけ辛いかわかる?動けないんだよ、動きたくても。」ぶっ倒れているとき。「病気になる前の友達とのいい思い出は少しじゃなくてたくさんあるよ。」友達と一緒に行ったことのある子供の国で散歩してるとき。「お父さんもお母さんもぼくのことを心配しすぎないでほしい。」家中みんな落ち込んで真っ暗になってたとき。こう話してくれるときはいつも涙が目にいっぱい。一回まばたきするとポトンと落ちるくらいの目で言われるから心に残る。今なら少しわかってあげられる気がする。息子の場合は体調が悪いことが問題なんだよね。勉強はあまり好きじゃなかったけど、友達も学校も先生も好きだったから。急激な骨の成長に神経の成長がついていかないで体の中がびっくりしてるだけなんだ。昨日、ちょっぴり遅れた誕生日プレゼントを渡すと「そこおいといて。ありがと。」っとまたそっけない。まあ頭痛がしてたのもあるけど。でも今日朝起きたらテレビの上にちょこんとのってた。ちゃんと夜中に作れたんだね♪ピカチュー☆
June 29, 2008
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13歳の息子は最近つくづく反抗期だなあって思うことが多い。一日中家にいて、PCでポケモンの掲示板でチャットしたり、ゲームしたり、ポケモンの攻略本を読むことしかしてない。病気になりかけのころはお手伝いとか、ちょっとだけど勉強とかできる範囲でやっていたのに、最近はぜんぜん手をつけていない。ふだんは午前中は家事、仕事の準備、夕方から9時から10時まで仕事の私。一日中顔をあわせていることは少ない。でもたまにずっと同じリビングルームにいるときがある。ちょっとしたことで、いらつく息子にむっとくることもたびたびだ。私がPCやりすぎに口を出すことがきっかけなこともあるが何もなくても当たってくることもある。うちもついに親が疎ましい年頃になってきたのか。体がだるいから余計にイライラするのかもしれない。家族が多ければまだ変化があるのかもしれないが、うちは主人は海外出張が多く、娘は受験生でほとんど家にはいない。家の中には犬2ひきと私と息子のみ。親に対して甘えもあるのかもしれないと思う。田中先生に言われた。時には他人の子どもだと思うことも大切だと。心配しすぎちゃいけないって。まだまだ長いトンネルなのにこんな入り口で悩む私。親になるってつくづく大変なことなんだと思う。娘にも反抗期があったがやはり男の子は女親だけで必死になってもつらいだけかも。いいとこだけ見るようにしなくちゃね。最近毎日息子は午後カキ氷を作ってくれる。ときにはハンバーグをまるめておいてくれる。病気になる前の優しい息子もまだまだ健在。私自身もうまくストレスを発散させていかなくちゃ。主人が買ってきてくれたDVDでも見よう。来週は盆休み。主人と私の両方の実家に里帰り。といってもそれぞれ40分、1時間ちょっとで行ける日帰りコース。はたして息子は行くだろうか。
August 11, 2007
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去年の11月、息子にどか~んと症状がでた。朝も夜も眠り続ける。何日も何日も。目が覚めても頭が起こせない。とても起き上がれない。血圧は測定不可能。トイレにも時間をかけて這っていく。強い倦怠感。時々あるひどい腹痛と足痛と頭痛。真っ青な顔で食欲はない。必死の思いで病院に連れて行き、点滴を受け、起立性調節障害と診断された。今思い出しても泣けてくる。二度とあんな状態になってほしくない。去年の夏休み前後に兆候はあった。時々朝起きられなくなる。学校で集合写真を撮ったり、集会があるたびに調子が悪くなり、学校から呼び出しがあって連れにいった。その時は「どうして息子はこうなんだろう。甘えているのか。なさけない。」って思っていた。ちょっと辛くたってがまんできるはずって思っていた。無理をさせてのだと思う。ここまでひどくなるまでがまんしたのだと思う。今ODの症状がそれほどひどくない子どもたち。息子のように無理をしてほしくないとつくづく思う。死んでしまうんではないかと泣けるほど心配する親は私だけでいいと思う。でも逆にあんなにひどくなったからこそ、学校には行かない選択ができたのだと思う。ほぼ半年たって、息子は今いろんなことができる。笑顔だってある。ODの症状がひどくて感情がコントロールできなかったころ、息子はたった一度だけ床に倒れながらこう言った。「こんなに辛いのはいや。死にたい。包丁もってきて、、」って。怖くて悲しくてブログにも書けなかった。子どもに死にたいって言われるほど、辛いことは親にとってないと思う。ほんとに生きててくれれてればいい。学校に行けなくたって。友達に会えなくたって。部活ができなくたって。そこにいてくれればいいのだ。It's not the end of the world. 世界の終わりではない
May 9, 2007
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昨日から三学期が始まった。冬休みは7時から9時くらいに起きてたし、一度息子のほうから「早く起きれるようになったので学校行けるかもしれない。」なんて言ってくれたので少し期待してた。でもやっぱりだめだった。そんなに簡単に行けるようになるんだったら悩む必要ないもんね。冬休み中はふらふらしながらも、宿題の算数プリント、漢字プリント、日誌、習字と少しずつ全部こなせた。前の日も私が「一応時間割もしておいたら。」というと素直にやっていた。でもね、やっぱり行けない。朝、声かけしても意識がないくらい寝てる。このODという病気、睡眠障害もある。私自身はこの二ヶ月、ネットでたくさん検索したり、同じ病気のお子さんを持つお母さんたちの経験上の意見などを知るうちに、「焦らず、子供を信じて待つ。」ことが大切なんだって少しずつ思えてきた。でも夫と娘は違う。息子に怒って意見するわけではないけど、私にはこう言う。娘「このまま休ませてて○○くん(息子)のためになるのかな。」夫「学校になんとかして一度行かせるようにしたほうがいいのじゃないか。」娘「冬休み調子がよさそうだったのに、急に悪くなるなんてやっぱり精神的なものだよ。お母さんいやだろうけど、受け止めなきゃ。」夫「家にいるだけじゃ、体力使わないでますます悪くなっちゃうんじゃないか。」わかってる、わかってるよ。そんなこと。この二ヶ月何回も私だって思った。でも私しか知らないことだってある。調子よさそうにみえるけど、病気になってからずっと下痢気味なんだよ。洗濯物一日に息子のパンツ三枚くらいあるときもあるんだよ。夜だって10時に寝に行ったって不眠で寝れないんだよ。ちょっとだけでも私が学校の話をするとくねくねになっちゃうんだよ。得意だった算数だってこの病気になった11月からやると頭痛がするときもあるんだよ。自分だって息子に小言を言うときがあるくせに、夫と娘に少し言われただけでものすご~く息子側に立っている自分に驚く。でも絶対怠けて学校に行ってないわけじゃない。それだけはわかる。だから私は夫と娘を少しずつ説得しながら、息子が動き出すのを待ちます。 息子の足を枕にして寝るku-chanOnly you can make yourself happy. 自分を幸せにできるのは自分だけ。
January 10, 2007
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病気になる前、息子はほとんど毎日学校から帰るとリュックをしょって少し離れた友達のところに自転車で遊びに行ってた。よく遊びに行くのはYくんちとSくんち。日の長い夏にはかなり遅くまで遊んでいた。向こうのおうちに迷惑じゃないのか心配したぐらい。Yくんちはお母さんが再婚し、小さい弟と妹がいる。Yくんは自分で選んで祖父母と暮らしてる。さみしいからぜひ来てほしいとお母さんに言われてた。Sくんちはシングルマザーでお母さんが8時過ぎに帰ってくる。これまたさみしいので友達がよく集まった。ふたりとも体は息子の倍くらいあるけどとても優しい子たち。土日の休みの日さえ、遊ぼうとよく催促の電話があった。息子は娘と違って勉強は好きじゃない。まあ、私も無理にさせなくても宿題さえやってあれば、小学校のうちはいいかなって感じでいました。友達関係で学ぶことも多いだろうし、勉強は得意でなくても人間関係を上手にくぐりぬけていける子になればって。病気になってから、友達といっさい遊んでない。本人はなにも言わないけどさみしいだろうなあ。担任の先生も養護の先生も最初は友達と話すことができればって言ってる。でも自分の体に自信がないのだろう。もしまたふらふらになって倒れたら、、、どうしようもなくだるくなったら、、、おなかをこわしたらって。しばらくはmilkが息子の友達かな。焦らず、もう少し息子の体調がよくなるのを待とう。 あっ♪きのうののこりのガムだ、、たべようかな、、Everything comes to those who wait. すべては待つ者にやってくる。
December 21, 2006
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