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ようやく暖かかくなってきました。2月は、幼稚園の保育参観や保護者会、発表会とそのリハーサルで慌ただしい生活を送っていました、うちの母も突然来たし。。。。そして、私の体調は最悪。私の用事はすべてキャンセルして、なるべく家にこもる毎日でした。夫も、驚愕しながら、、、、「鬱っぽくなっちゃった!?」いつも以上にサポートしてもらいました、ふふっ。元気の源です。同時に思い出すのが、結婚前後の頃。やっぱり、あの頃も私はとても鬱な生活を送っていた気がする。しばらく思い出したくなかった記憶だったけれども、今なら、冷静に振り返られる。大学4年生の頃。「成績が悪いくせに、こんな人気の講座に入りたいなんて」講座決定の話し合いの中で、そんなことをクラスメートに言われて怒って、無理矢理その講座にねじ込んでもらったこと、でも、そんな理由で入ったものだから、うまく行かなくて先生からも愛想を尽かされる毎日。就職にかけるけれども、「大卒理系の女はいらない」とまでいわれ、高校生と一緒に就職活動をするも、若さという点では劣る私にはなかなか勤め先が決まらない。彼氏のところに逃げるも、その彼氏は他の女に夢中で、私の就職活動に使う履歴書を眺めながら、明らかに玉の輿を狙っている様子、、、(つまり、私も就職先の理想が高すぎた、ということだけどね)何もかもがうまく行かなかったあの頃をふと思い出したの。今思うと、鬱だったなあ、って。そこで心理学を勉強し始めるんだけれども、明らかに、勉強するのではなくてカウンセリングを受けたかったんだとおもうの。もちろん勉強もうまく行かなくて、絶望的だった。きっと、親は心配したんだと思う。////いや、心配はしてなかったかも、その頃、兄貴の方が大変そうだったから。それは正しいよ。私は親を裏切るようなことは絶対しないから。どんなに落ち込んでいても、どんな手を使ってでも這い上がるのが私だから。そこで、私はいろんな人に連絡をするの。大学生活の中で、いろんな人と出会ってきた。ちょうどメールを使う人が増えてきた頃で、私も、研究室のパソコンを使っていろんな人にメールを出したの。東京で就職活動をするのも必要かもしれない。知り合いを頼って上京する、今思うとひでえ女だな、私は。就職活動の方は、大学名を出すとそれなりに反応があるけれども、それから先に進まない。知り合いたちも、もちろん知り合いだから、人生の先輩として助言してくれるけれども、「そんなこと言うなら、就職先紹介しろよっっ」まあ、そんなことを心の中で叫んでいた。私もまだ、あまちゃんだったんだなあ、あの頃は。(今もかも、、、、まだそれは乗り越えてない壁だから)そんな時に、今の夫と出会ったの。彼は、他の人と違って私を丸ごと引き受けてくれたどういう理由だったかは、よくわからないけどね。(未だに)私は3人兄弟の真ん中で、手のかかる兄の次に産まれた、「自立した娘」だったのです。何でも自分でやらないと気が済まない、親も私の好きなようにさせてくれていたし、口出しをすることも少なかった。親が兄にかけている愛情や期待を、私にもかけてくれていると擬似的に思い込み、兄貴を追い越すことだけ考えて、勉強を必死にやって結果、私の方が偏差値の高い大学に入学することになるのだけれども、もちろん、私に親の期待がかかることはなかった訳。さらに、私「人を気遣う」ということが苦手で「友達」というのができるのも、結婚してからだと思う。仲の良いクラスメートや彼氏はいても、私が心の扉を開くほど仲がよくない。大学の頃は、彼氏にすら裏切られていたし、親も兄貴のことで頭がいっぱいなことはわかっていた。人を利用するのは得意だったけど、頼ることは苦手だったんだよね。夫は、ホントばかみたいに親切な人なのよ。優しいとかお人好し、とかそんなレベルではなくて世話好き?多分それまで、彼の「余計な」お世話が結婚を遠ざけていたんだと思うんだけれども、世話したりされたりした経験の少ない私には、一緒にいて心地良かったんだよね。学ぶことも多かった。アメリカで勉強することは、私の夢だったけれども、結婚という安易な方法で夢を叶えてしまったものだから、しばらく、その選択に後悔していたの。だって、いろいろやりたいことはあっても、私は妻だし、夫のサポートをするために渡米しているのだから、第一の仕事は夫のサポートその開いた時間で自分のことをするしかない、と思っていたの。そもそも、その頃の私には自分の力で立つ力も勇気もなかったわけだけどね。でも、共に歩くってことは、なかなか良いものだと思ったよ。形として残るものはなかったけれども、私の心は満たされていったから。心が満たされないと、いくらがんばっても自力で立てないもの。そういえば、この頃から連絡をとり続けている友達が一人いる。彼女は中学からの友達。友達、、、なのかな。どちらかといったら、私が一方的に憧れている、と言った方がいいかも。初めて出会ったのが、ピアノのコンクール。静まり返る会場で響く彼女の演奏。私もその衝撃は今でも覚えている。そんな彼女とクラスメートになり、友達になった。クラッシックの音楽が退屈じゃない、ということを教えてくれたのも彼女だった。ラジオからとってきたという、有名なピアニストの演奏に衝撃を受けてそのテープを何度も聞いていたっけ。彼女は、ピアノだけじゃなく多彩な子で、私なんか足下にも及ばなかったけれども私の中にあるような心の隙間を彼女の中にも感じることがあった。だからきっと、ずっと今まで細く長く関係が続いていたのかもしれない。大学の頃も、そうやって連絡を取り合っていた。でも、連絡を取り合っていたからといって、心の傷が癒える訳ではなかったんだけれどもね。今なら、そんな「昔話」が笑って話せそう。今、子育てをしながら、あの頃に比べて、私は強くなったなあと思うの。本当は男の子が欲しかった。だって、私にそっくりな女の子が生まれてくるなんて、耐えられなかったから。姫は、私に似てるところがあって、時々原が立つ。でも、夫の影響も多分に受けていてクローンじゃないんだから、娘と私は同じじゃないそう思えるようになったの。それに、育てるのも私一人じゃないから。それを証明するかのように、あか坊は姫とはまた違った性格の持ち主。同じ女の子でも、こんなに違うのか、と驚きます。二人の娘は性格が違うから、違うアプローチで接してあげよう、(うまく私が切り替えられない事多々だけど)将来の楽しみが2倍です。ところで、夫はまだ帰ってこない。日本人、働き過ぎです。アメリカ生活が懐かしい。いや、子供ができたら結局忙しくなるのかも、、、ね。新婚時代のゆっくりと流れる時間を懐かしく思うのでした。
2010年02月25日
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2月に入ってからなんだか身体も重いし、やる気が出ない。そもそも、夜眠れないから昼間ボートとしている。「ああ、妊娠でちょっと精神的に不安的になっているんですね。漢方処方しますね」先日の検診で、処方された薬を飲んでちょっと落ち着いているこのごろ。でも、そのマタニティブルーで昔の思い出がよみがえってきた記憶もあった。「この子たちをどう育てるのか」よく夫婦で話し合うことが増えた。やっぱり、特に夫は子供たちが世界比羽ばたいて行くことを夢見ている。私にとっては、特に子供ができてから子供たちは日本で幼少時代を過ごした方がいい、と思っていたからそんなに恋しくないの明けれども、夫は、今の日本で働き蜂のようにひたすら働かされる生活が嫌になっているらしい。私からすると、今日も、フットサルを楽しんでいるはずだし、結構日本の生活を満喫しているようにも思えるんだけれども、、、、、確かに、アメリカの時のように夫婦で何かをする、ということは激減したけれどもなんというか、夫も夫自身の世界に没頭し、私も、私の世界がある今の生活は、それなりに安定していていいのかな、と。アメリカ生活では、夫婦の時間が長過ぎて「私の時間」が作れないことがストレスだったから。結婚当初は良かったんだけれどもね。夫も私もアメリカで生活をする夢を持っていて、夫の赴任先に私が便乗して行ってしまったこともあって、私の仕事は「夫をサポートすること」だったきがする。やりたいことはたくさんあったけれども、夫の生活に影響を与えない程度に。そういう人が、クラスにたくさんいて人によっては「昼ご飯を食べに帰ってくるから」と学校の昼休憩にわざわざ帰宅する人までいたくらい。そんな中、自分自身のキャリアパスをしっかり考えて大学で聴講している人もいた。そんな対等な関係にあこがれもしたけど、その頃の私には対等になる力もお金もなかった。ビザだって、配偶者ビザだし。それでも、私なりにやりたいことをやっていたと思う。でも、、、夫のビザが切れたら、私も帰国。専業主婦は、常に夫に付随する仕事なのです。私が今、働けないことへの焦り!?「へえ、そんなに幼稚園が好きなの?」姫の幼稚園で同じクラスの男の子がしらっと質問する。彼の両親は共働きで、いつも遅くまで幼稚園にいる。いつも優しくて頼りになってクラスの人気者らしい。その言葉の中から、「うらやましい」とか「理解できない」とか、そんな感情がみじんも感じられない。ただ、「そんなに幼稚園が好きな子が世の中にはいるんだね」そう言いたげな目。満足しない子供たち。
2010年02月18日
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パソコンを立ち上げようとしたら、ぷっつり動かなくなってしまった。まあ、近いうちに壊れるだろう、という兆候はあったのですがそれが壊れてしまうと、寂しいものです。今日、やろうと思っていたこともできないし、とりあえず、ブログだっっ。昨日今日と、児童館に通っています。何もない日の児童館は、小学生が来るまで静かで使いたい放題です。ただ今日は、小さい子のサークルがあったようであまりゆっくりせずに帰ってきました。あか坊の参加するサークルとは先生が違い、そのため方針も違うようです。1歳から2歳児中心なのですが、かなり面白くない。別室で遊ぶあか坊に刺激されて、結構な数脱落していた。。。そのことは申し訳ないけれども、まあ、そもそも1、2歳児にお遊戯をさせようと思うのがまちがいで、この頃の子供たちは、元気に自由に遊び回っていればいいのです。、、、、というのが私の考え。たのしく遊んで、いろんなものに興味を持とうとしているのを親が制して「あっちで楽しそうな歌が流れているよ~」と、連れて行かれてしまう子供たちを見て、心の中で同情してしまう私でした。こうして、「先生に与えられないと何もできないしつまらない子供たちが増産されていくんだなあ」と、しみじみ思ったものです。だからといって、私の中にも「それじゃあ、代わりのものは何がいいのか」という代案がある訳ではないし、私自身知りたくてしょうがないことなのですが、とりあえず、そういう提供される押しつけがましい育児サークルは嫌いだけれども、それを開くことで、たくさんの子供が同年齢の子と遊ぶ機会ができる、という所はうれしいので、いつも、遅刻常習犯でした。(たいてい、サークルの後自由に遊ぶでしょ、それが目当て)姫はそういう風に育てたけれども、実は姫自身、友達と先生を渇望していた子でした。先生、といっても保育園の先生のように好きなことをもう少し刺激的にやらせてくれるような大人が必要だったの。私がちょっと器用で子供が好きだったら、姫はきっと喜んだだろうに、母の提供するものは、何ひとつ「足りていない」ようで、よくけんかになる。「髪の毛がきれいに乾いていない」「呼んだのにどうしてすぐに来ないの?」「今日のご飯、おいしくない」「朝、トイレットペーパーがないって言ったのにまだないよ」「おもちゃが転がってて、踏んでいたいよ。」5歳の小姑です。自分の産んだ子供に挫折感を感じるとは、思っても見ませんでしたが、専業主婦、大変です。これからお迎えなのが、更に憂鬱
2010年02月09日
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今日、ばったり出会った先輩ママから「体調大丈夫?もし何かあったら手伝うから、気兼ねなく言ってね」彼女も3児の母、3番目が産まれた時は2番目が小学校に入学したばかりだったとおもう。確かに、最初の二人は余裕で出産したけれども、今の妊娠は正直つらい。身体がついて行かない、というか身体がついて行かないけれども、ついて行かせなくてはやっていけない、という、妊婦でもあり、幼稚園児の母でもある事情がある。幸いなことに、姫はとにかく、近所の幼稚園で延長保育もあって助かっているし、あか坊が幼稚園に行き始めるとどうなるかは未知数だけれども、そこまでも、最悪タクシーで行ってもワンメーターである。行きたくなければ、幼稚園に行かなくても問題ない。とにかく、家でDVD見ていたらおとなしい子ですから。夫が、今の会社で働いていれば、私が万が一体調をくずしても、自宅で働くことは可能だろう。これなら、近所に親が住んでいなくてもなんとかやっていけるかな。一人の母親が、二人の幼子を育てるのは大変だ。私の母も、子育てが大変で息抜きをするために実家に帰っていた、と言っていた。私は気軽に帰れる距離に実家がないので、地域の一時保育やベビーシッターを利用している。ありがたい制度です。よく、「兄弟がいないと寂しい」という話を聞きますが、私はそれには疑問を感じます。兄弟の良さを感じるのはある程度成長してからで、小さい頃は、兄弟がいると母親や父親を取り合って寂しい思いをするのかな、と。親を独り占めしてわがまましたい時もあるじゃない。私は、どちらかと言ったら父親が好きだった。理由は簡単、父親はとても子供扱いが下手で他の兄弟は寄り付かなかったから。つまりね、父親なら独占できるの。すごいよね、その発想。でも、そう思っていたことを今でも覚えているもの。本当は母親に甘えたかったんだけれどもね。その気持ちは、あか坊を出産後しっかり手伝ってもらったことで、昇華できたような気がする。今は、自由奔放に生きる母を邪魔したいとも思わないもの。とはいえ、私も子供を二人産まなければその心境になってはいなかったのであって、やっぱり、小さい頃に多かれ少なかれ母親の愛情を独占することって子供には重要なんじゃないのかな。3人兄弟の真ん中となるあか坊のこれからが心配です。幸い、夫が子育てに積極的なので二人で連携して行こうと思っています。子供たちが寂しい思いをしないように、それが私の今の目標です。でも、無理はしない。子供たちは、私が無理して入院するのが一番寂しいと思うからね。
2010年02月05日
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最近、毎週欠かさず育児サークルに通っています。そういうことをしないと、なかなか同世代の子供たちと遊ぶ機会がないからです。やっぱり、公園にふらりとやってくるのは、2歳くらいの子までで3歳になると、特定の友達と遊ぶようになります。そうすると、公園であってもその輪の中に入れなくて悲しい思いをするようです。そんなあか坊の姿をみていたので、あか坊、ほとんどサークルの活動には参加しないのですが、端で違う遊びをしていても、大目にみてくれる育児サークルを探して遠くですが、参加しています。そこで、何人かいるのが4歳児。このあたりは、2年保育の公立幼稚園もおおいのでそこに入園希望の4歳児を見かけます。4歳になると、自己主張もしっかりしてきてなかなか生意気になってきます。そして、幼稚園に行かなくて親元で生活をしているのでかなりわがままです。他人ながら、その姿を見て「むかっ」とすることがあります。おとなげないのですが、でも、冷静に考えてみるとこの子は幼稚園に行き始めると、最初はくろうするんだろうな、と思う訳。姫の成長を観察していて、思ったことですが3歳って、みんな自分の好き勝手、思い思いのことをする時期だと思うの。自己主張も強いし、周りのことは見えていないし。それが、4歳あたりから変わってくるの。友達との関わり、というのを意識し始めて、友達と関わるには自分はどう行動したらいいかを考え始める。だから、4歳の頃って自分と同い年や少し年上の子との関わりが大事になってくるんじゃないのかしら。そこで、友達と一緒に遊ぶ楽しさを覚えて行くんだと思うの。弟や妹なら、探さなくてもそういう機会には恵まれるだろうけれども、「妹弟がまだ赤ちゃんだから、幼稚園を2年保育にする」という人は多くて、そこで、外出や人との関わりを控えてしまうと、幼稚園に入ってから、人間関係にくろうするんだろうな、と思うの。実際、そういう話をきくから。だから、そういう子は幼稚園に入ってからの親のフォローがかなり大事で友達と遊ばせる経験を積まないと、友達付き合いが苦手になってしまう。そんなんだったら、3年保育行かせたら、、、、、、、なので、あか坊は3年保育なのです。あか坊がこの一年でどう変わるか、楽しみにしながら幼稚園生活を楽しみにしています。そういえば、よく「習い事が幼稚園の代わりになる」と言いますがやっぱり、幼稚園に行っていない子が習い事をしても(そもそも、3歳児に習い事って早い気がしますが)先生の話を聞ける訳なく(というか、そういう習慣がないでしょ、まだ)つまんないんだよね、きっと。姫だって、習い事好きだったけれども先生に、開口一番「先生の話が聞けないんだったら、帰っていいんだからね」とおこられていましたし、習い事って、友達と遊ぶ場所にはならないんだよね。幼稚園に通っている友達は、幼稚園の間とても疲れているから習い事の後に一緒に遊んでもらえないし(経験済み)やっぱり、3歳で一緒に遊ぶ友達と定期的に公園や児童館に行けないなら幼稚園に通った方が無難なのかな、と思うの。親が世話する方が、大変だしお金かかるからね。2番目3番目はね、その必要も薄いとは思うけどね。あか坊も、先日幼稚園の保護者参観中に、しっかり刺激を受けてきました。姫は長女だから、こういう刺激を与えてくれる機会が少ないのよね。4歳児のわがまま君が、これからどう変わって行くか楽しみにしています。
2010年02月05日
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今週は姫の保育参観があり、ちょっと忙しい1週間でした。週末を控え、今日はゆっくりと過ごす予定。あか坊は、大好きなDVDを見ている。olivia(オリビア)という豚が主人公の話である。オリビアは推定年齢8歳前後?二人の弟を持つ女の子で夢見る少女だったり、隣の金持ち一人娘フランシーんと張り合ったり、なかなか面白いお話です。最近のアメリカアニメーションは、ほとんどがCGで制作されているので、最初はちょっと目がちらちらしますが、私は慣れました。姫は、まだ5歳ですがすでに、友達と同じ髪型をしなきゃ、とか「00ちゃんはキティのハンカチを持っていたから、姫も」とか、友達のスタイルを細かくチェックしていて、自分もお揃いにしたい、と思っている訳。恐るべし。私はどちらかと言ったら、あまりそういうのにかまわなかった、、、、というか、私は小さい頃どうお世辞にも「かわいい」感じの子ではなかったらしく、かわいい服というのをあまり買ってもらえなかった記憶がある。でも、子供ってそういうのに憧れる時期があるものよね。それを、「家は貧乏だから、しょうがない」とずいぶん大きくなるまで、思っていました。私に子供が産まれて、それが、私に似合うような服を買ってくると、ピンク、という色はあり得なくて、デザインも母の好きなシンプルなものが多かったという事実だったことをしりました。姫は幸い、かわいい服の似合う子なので、おおいに、彼女の好きな服を着せてあげています。あか坊は、全く似合わない子なのですが、本人がピンクの服を好んできることと、ピンクのお下がりがたくさんあることから、ピンクばかり着ています。小さい頃は、似合う、似合わない、よりも好きな服を着せてあげたいものです。男の子だと、「トーマスの服」やら「ポケモンの靴下」がいい、という話を聞きますが、女の子は、確かにキャラクター好きですけど、フリルがついていたり、ハートの柄でも喜ぶので許容範囲内です。とはいえ、男の子が生まれてきたら、きっと「トーマスがいい」なんて言うんでしょうね。私よりも姫が「うわ~っ、そんな格好恥ずかしいから辞めて」なんて言うのかもしれません。(かわいそうに、、、、)我が家の方針の一つに、本人の主張を大切にする、というのがあります。姫が、とにかく自己主張の強い子である、というのもありますが、子供は親の人形ではないし、一つの人格を持っているわけだから本人の意思で行動することを覚えるのが、今なのかな、と思う訳です。服を選ぶことは、相手に危害を加えないものですし、子供の基準ってとっても面白いのよ。ある週末なんだけれども、土曜日は姫、英語のサタデークラスに通っているのだけれども、その日は「お姫様ごっこ」をする、ということが決まっていたらしく、姫の 箪笥にある一番のお気に入りでかわいらしい服を選んで着ていっていました。その格好を見て、「ずいぶんと服の組み合わせがまともになったな」と思ったものです。次の日は、用事があって銀座にお買い物に行ったのですが、これが、おいおいっていうくらいよれよれの服を着ていくではありませんか。そもそも、こんな服がたんすにしまわれていたことすら、親の私が忘れていたくらいの服です。姫にとって家族で買い物に行くことは、姫の中ではかなり優先順位の低いイベントなのでした。あか坊3歳の場合は、またちょっと違うのです。とにかく、重ね着はしない。冬のこの寒いのに、トレーナー一枚。(お腹でてます、、、、)さすがに朝夕は、その上からジャケットを着てくれますが、それでも寒そう、、、肌触りが良い、伸縮性のある綿の服が大好きで時に春先に着る長袖Tシャツを着ていることもある。しまってあるのを引っ張りだしてくるのです。どうして、90センチの冬用ジャケットがないのかな、と思っていたらそういえば、姫もジャケットをあまり着ない子だったなあ、と思い出しました。あか坊の着るジャケットは、スキー用です。。。あのダブダブ感があか坊にはいいらしい。洗濯ができないのがつらいところ。洗濯してしまおうかな、、、、どろどろだし。なのに、家の子供たちは元気です。お腹が痛かったり、喉が痛かったりはするようですが、それ以上、熱がでるとか、そういうことはないのです。病院の薬を飲めば、すぐ治るし丈夫な子で、本当によかった。毎回入院するような子も、やっぱりいますから。あか坊に至っては不思議なくらい、風邪を引きません。薄着なのに、、、、薄着だから???私は妊婦なので、厚着です。ヒートテックを重ねて、数えてみたら、5枚着てました。。。。靴下2枚、足も2枚かな。妊婦に冷えは禁物です。ほんと、身体が冷えると倒れます。(友達の家で、お腹が張ったこともありました)子供は子供、私は私、ということで。あか坊、薄着でしたが靴下には、うっすら汗をかいていましたし。。。。子供ってすごい。
2010年02月05日
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さて、もう少しで夕食のスープが出来上がるところ。その間に、ちゃちゃっとブログをアップしてみます。姫は、友達からもらった手紙にせっせと返事を書いています。教えてもいないのに、最近はひらがなを書きます。「ひらがなができるなんて、すごいね、うちの子は興味がなくて、、、」とよく言われますが、私は小学校で習うんだからいいじゃない、今は今しかできないことを思い切ってやってほしい、と願うんですけどね、ないものねだりかしら。何となく、自由に絵を描いていた頃の方がいいな、と勝手に思ってしまうのですが、その役は今、あか坊が担っています。あか坊の力強いクレヨン画は大好きです。さて、私の体調ですが、大変です。3人目、大変ですね。今日も、幼稚園に行ってました。あか坊を連れて、なので、倍疲れます。でも、3人目ができると、本当に身動きが取れないと思い、姫のためにも、今がんばっているのですが、限界があります。ありがたいことに、姫の幼稚園には延長保育制度があるので充分利用させてもらい、その時間ゆっくりとしています。あか坊も、ビデオを見るのが好きなので午前中は遊ばせたら、午後からは家でビデオを見せています。夫は否定的ですが、私は、母親は一人しかいないんだから、子供が多ければ多いほど一人にかける時間は少なくなると思うの。出かける時でも、上の子は下の子の面倒を見ることになるし、行動も、姫の行きたいところに行く間は、あか坊は我慢して、次はあか坊が行きたいところに行く、と言ったように、我慢させることも増えてきます。でも、だからこそ兄弟でいることの楽しさ、もあると思うの。それを子供たちが感じてくれたらな、と思います。そういえば、夫は二人兄弟だったので3人兄弟というのは、初めての経験なのかもしれません。私は3人兄弟で、兄弟とても仲が良かったのでうちの子供たちも仲良く育ってほしいと思っています。だから、3人目の赤ちゃんを迎える時にできれば家族で迎えたい。そう思っています。でも、夫の両親は高齢だし、この赤ちゃんで5人目の孫を迎えることになります。ほぼ毎年、新しい孫を迎えている義理の両親にお手伝いは頼みにくい。ただ、私が入院している間、どうしても二人の子供の世話が必要なので、それだけは、仕事をしている私の両親にも頼めないので、お願いすることになると思います。その後、私は子供たちを連れて実家に帰ることを考えたのですが、母は仕事で忙しく、父も仕事をしている。去年帰省した時は、家族分の食事と洗濯を引き受けていて忙しかったように思う。それだったら、実家に帰らず食事は生協にたより、子供たちはベビーシッターにお願いする方が、実家に帰る旅費よりも安いし、私もゆっくり休めるかもしれない。なんて思う訳。でも、義理の両親にとっては5人目の孫でも、私の両親にとっては3人目の孫、最近、帰省する回数が減ってしまったのもあって、寂しそうです。、、、とはいえ、孫の世話をするために仕事を辞めるかといったら、答えはノーなんだから、お互い、自分たちの生活を大事にする、ということでいいのかもしれない。
2010年02月03日
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